はてなキーワード: 人工透析とは
大叔父の話だ。
豪放磊落な職人で、昔はパンチパーマに紫のサングラスをしていた。
大叔母に聞くと、いま68歳だと。
一昨年あたりから外見が急に変わり、老人というよりは幽鬼のような顔になり、自力では動けなくなっていた。
68歳、人によっては全然元気で、人生を楽しむ時期らしい。現に同い年の俺の親父は元気にバレーボールをやっている。
にもかかわらず、大叔父は来月100歳になるうちの曾祖母(大叔母の母)よりも年をとって見えた。
昔、太かった腕は枯れ枝のようになって筋肉はほとんど溶けてしまった。
厚ぼったい唇もなくなってしまった。
大叔母は俺に微笑んで状況を説明しながら、大叔父の手をさすり、やがて耐え切れずに泣き崩れた。
すでに先月から会話もままならなくなり、本人の体力も先日罹患した肺炎で尽きてしまったということで、現在は透析も行えない。
そして、今後も再開はしない。
ともかく、大叔母は圧倒的に間近に迫った大叔父の死に向き合いながら病室で寝起きをしている。
不可避の事象ではあるけど、長年連れ添った亭主の人生の幕を引く、あるいは幕引きを了承してしまった大叔母の心中も察するに余りある。
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https://momonestyle.com/tachibana-momone-divorce
・夫:会社員
・妻(主な執筆者):会社員→給料安いんで副業でブログ?アフィリエイト?3年前に独立
・混んでる休日にでかけるのが嫌だ
←子供は小学生だよね。夏休みだけの話な気が。なのに頭に持ってくるのはなんなん…
・妻の収入が会社員時代を上回り、さらには夫を上回ったことで夫のモチベダウン。このままではヒモになりそう
←ギクシャクするくらいならありそうだけど、ヒモになりそうだから離婚する…???
・長年セックスレス
←これはまあ、ままある話
というわけで、子供2人は夫側で離婚、妻が家を出て一人暮らしということになったという話なんだけど、
夫の言い分というのが引用で出てきてそれが最高に意味分からない。
とにかく、自分が働かなくてもほとんど変わらなくなってくるのです。
収入を得なくても生きていけるようになると、どんどんと何もする気がしなくなります。
努力も仕事もしなくて通常の給与を遥かに超えたお金が毎月入ってくるってなると、本当に何もしたくなくなるんです。もう生きている意味すらわからない。
そんなに儲かってるのかー(棒)
次に、これだけのサイトアクセス数があるわけだから、少なくとも全く見たことがないという人の方が少ないんじゃないか?となるわけです。
そうではなくて、とにかく自分としては家庭を守らないといけない。
もはやネット上だけではなくて、リアルの場でも家族に影響が出る可能性もあって、そろそろまずいんじゃないか?と思ってきました。
別居とか離婚というと、女性が子供を引き取る形になることが8割を占めています。
ですが自分のケースではそれと逆で、家庭を守るために自分が子供たちと一緒に普通の生活を続けていくことの方が良いと決断して、シングルファザーとして生きていくことを決めました。
????????? そもそもこの人初めて見たけどそのレベルで有名なん…?
というか、(ネットで)有名だから子供を守るために離婚って、有名人全員離婚するしか。去年人工透析問題で大炎上して、妻子宛にも嫌がらせの代引送りつけられた長谷川豊も離婚してないし。はあ◯ゅう級になったら、そもそもお嫁にいかれへん…
ここまでしつこく儲かってる&有名アピールするのは、ブログサロン系でなにかやってる人なのかなという気もしてきたんだけど、そういう話にしてもなんでわざわざこんな離婚報告するのか、全般に意味がわからない…
夫のコメントパートが妻側の創作で、実際は別の原因で離婚し、親権父親に持って行かれたのならまだわからないこともない気はする。
あと、ザイル系の仲間愛アピール的なノリを感じるえらく抽象的な子供への愛アピールパートが入るけど、これも意味不明。「夫が出張で不在時にはそばにいてあげたい」とか…
稼いでるんだったら、一人暮らしでも子供部屋おける物件に住んで、父親不在時とか気が向いた時に遊びに来させればよさげだけど、それなら違う表現になりそうな気がする。
ところで養育費の話が出てこないけど、夫をヒモ化させてしまいかねないレベルで儲かってるんだから、がっつり払うんだよね…?
ブログの読者さんにむけて書いた話を全然関係ない者が読んでるので、文脈が共有されてないからカオスに読めちゃってるんだろうなといえばそれまでなんだけど、書かれてることの平仄が合わなくてめっちゃもやもやしてる…
自分がこのへんの読解力がまだまだ甘いのかという気もしてきたので、夫婦のアレコレにお詳しいid:topisyu 先生、ブログ関連の闇にお詳しいid:hagex先生にご解説いただけると幸いです…
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http://topisyu.hatenablog.com/entry/2017/08/24/073000
斗比主様さっそくありがとうございます!!!案の定の鬼の調査能力!
そして増田に書かれた夫側のコメント?を見そびれてたけど、5億年に一人の美少女ネットウォッチャー・ハゲ子ちゃんのおかげで見れてよかったです。(https://archive.is/uf25X)
ついでに、斗比主様の記事でレオパレス記事(https://momonestyle.com/contracted-leopalace-21)がアフィリエイトとわかったのも良かった。都下の駅徒歩10分、元自宅から自転車20分のワンルームだし、結局は住まなさそげ。
こんなに情報出したら5分以内に物件特定できるヤツ、世の中数万人くらいいるでしょって頭クラクラしてました。
それにしても、夫側は収入低い社畜とdisられて、それを追認してるようなコメントを出さされてるんだか勝手に作文されてるんだかだけど、普通に年収600万円あるんですよね…マンションのローンも5年前に単独名義で通してるわけだし。
人並みに稼いで、家事もしっかりやってるのに、プライベート晒されてこの言われようって、ほんと気の毒というかなんというか。
慰めにもならんとは思いますが、元妻のエントリ読んで、これ色々おかしいやろって思う人は世の中たくさんいるんで、強く生きてください…
ドラゴンボールでは悟空が元気玉を集めて当てる相手は悪者だけど
もう元気玉食らうのはどうやったって避けられないけど早めに食らった方がマシ
でもお前は逃げ続けて即死するまで逃げ続けて溜まってもう喰らって二度と蘇りすらできないのを期待して放置してる状態
救護する義務を放棄して事故車両を無視してスルーしたら普通に犯罪になるから
糞便垂れ流して誰にも世話してもらえず死ぬかホームレスになってどっかの茂みの裏で悪臭出すか
人工透析もままならずに手足が腐って毎日痛みに苦しんで自殺するか
そういうのが続いた結果の死が待ってる
発展途上国の死みたいに温い結末が迎え入れられると思ったら大間違い
どこまでもメルヘンなんだな
http://toyokeizai.net/articles/-/140774
こちらのエントリを読んで、長谷川豊氏の「自業自得の透析」を思い出した。
教室内の生徒たちの間にも休み時間と同じ光景が広がっている。一人の生徒の席の前に数名が集まって、にぎやかにスマホでゲームに興じているグループがいくつもある。教室の後方では数名の男子が、「うけるんだけど~」と言いながら相手の肩をばしばし叩いて、大声で笑っている。その足元では、まぐろのように伸びて一人の男子が爆睡している。
件のエントリの冒頭で描かれている「モンキー高校」の日常風景だが、これ、長谷川豊氏が「取材した」という病院風景に驚くほど似ている。
文章の「生徒」を「患者」に、生徒の行動をそれっぽく変えてみるとこうなる。
病院内の患者たちの間にも健常者と同じ光景が広がっている。一人の患者の席の前に数名が集まって、喫煙をしているグループがいくつもある。病院の後方では数名の患者が、「うけるんだけど~」と言いながら相手の肩をばしばし叩いて、酒を飲んでいる。その足元では、まぐろのように伸びて運動をしようともしない一人の患者が爆睡している。
長谷川氏は数名の医師からこのような現状を聞き、病院でこのような光景を目にして、そして義憤にかられてあのようなエントリを世に出した、と言っている。
「モンキー高校問題」と「透析自業自得説」は、共通した問題から出発している。
つまり、「いざという時に自分を律することが出来ない人がいる」という現実だ。
高校にしろ病院にしろ、日常的な選択肢の一つ一つが将来の生活なり生命なりを形作る以上、
教師なり医師なりの言うことをキチンと聞いて、ある程度窮屈な時間を我慢しなければならない。
でも一部の人はそれが出来なくて、指示や忠告を守れず、「易き」に流れてしまう、というものだ。
キチンとした「アリ」からすれば、疎ましく見える「キリギリス」なのだろう。
さて、同じ問題意識から出発している二つのエントリではあるが、結論は全く違う。
「透析自業自得説」で長谷川氏は、そんな自堕落な者は殺してしまえ、と言い、今も考え方を変えていない。
なぜそんな者たちを、若者の金で救わねばならないのか、と。
「モンキー高校問題」で朝比奈氏は、そんな自堕落な者は退学させてしまえ、とは言わなかった。そうではなく
忘れてならないことは、彼らは家庭環境や、学校の教育環境、さらには周囲に気付かれなかった病気や障害などの理由で「教育困難校」に入るしかなかったという点だ。そんな彼らをこのまま打ち捨てておいてよいのか。それは、そこに通う生徒にとっても、日本社会にとっても大きなマイナスにならないか。
と、その者たちの「自らを律する力」はどこで欠如してしまったのか検証し、手を差し伸べるべきなのか、いかに手を差し伸べるのか考えよう、と言った。
朝比奈氏のこの考え方は、長谷川氏が自業自得だと息巻いた透析患者にも当てはめることができると思う。
家庭環境なのか、病気や障害なのかはわからないが、彼らはどこかで自分を律する力を身に着けそこねたのだ。
だからこそ、本当に大切な指示や忠告を守り通すことが出来ず、その結果、健康をそこなってしまうのだ、と。
このように考えた場合、自堕落にして病に冒されることは、はたして純度100%の自業自得の結実だろうか。
http://anond.hatelabo.jp/touch/20160118000740
保育園落ちた人
http://anond.hatelabo.jp/touch/20160215171759
お坊さんをお呼びした家族葬(D.I.Y.葬)が総額42,360円で完璧に出来た人
http://anond.hatelabo.jp/touch/20160331150720
http://anond.hatelabo.jp/touch/20160413023627
インドカレーの人
http://anond.hatelabo.jp/touch/20160616171204
嫁さんとセックスが出来なくて泣いた人
http://anond.hatelabo.jp/touch/20160707093536
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yoppy/20160823-00061403/
http://anond.hatelabo.jp/touch/20160807152807
ニュースリーダーで長谷川豊をNGWordにして以来、めったに目にしなくて済むようにしてたのに、他でも結構目にするようになってきてたので、読んでみた。
イギリスのEU離脱派のバカどもやトランプ候補の「俺達の金がヤツラに使い込まれている」っていう話を、日本の人工透析に持ち込んで、燃え上がっているらしい。しっかり叩かれているということは、日本はまだあのレベルまで落ちてなくて良かったと思う。
たぶん、ナチスに反対した牧師のコピペが貼られたりしはじめて、トリアージに絡めた意見とかも書かれたりする流れから、トリアージはかわいそう、トリアージは人権侵害、トリアージはホロコーストというところへ進んでいくんだろうと思う。日常の人工透析をトリアージと結びつける例え話も、トリアージをホロコーストと結びつける例え話も、もうズレまくってて、だから例え話はいかんのですよとしか言い様がないんだが、この増田のタイトルみたいなのもそのうち書かれるんだろうか。
しかし、多くの場合、議論におけるたとえ話は、欺瞞をはらんでいたり、議論を拡散・混乱させる効果しかない。
ここで、「AはBである」という論者が、Cのたとえ話をするとき、そこには、
①AはCにたとえられる(A≒C)
②CはBである
③①及び②ゆえにAはBである
大抵の場合、たとえ話においては、②については異論がでにくいようなCが設定されるので、問題は①である。
多くの場合において、①A≒Cと言えるかどうかは議論の余地があり、たとえ話によって結局、議論が拡散してしまうのである。
そもそも、①及び②が当然に認められるなら、「AはBである」ということにほとんど疑いはなく、「AはBであるか否か」ということが議論になっているということは、①か②を当然視しない人がいるというこのなのである。
最近の例では、元アナウンサーのブログ記事炎上に対する芸人のコメントがある。
このコメントでは、「壁ド突いたら手の骨折れます、でもド突いちゃった」患者がたとえ話として出されている。
Twitterでのコメントであり、言葉不足となっているが、ここでいいたいのは、
①自己責任で人工透析を受けることになった患者と、壁を殴ったら骨が折れることが分かってるのに殴って骨を折った患者は同様である。
②壁を殴ったら…の患者の医療費は全額自己負担にすべきである。
③自己責任で人工透析を受けることになった患者の医療費は自己負担にすべきである。
ということだろう。
このケースでは、そもそも②が当然に同意できるものではない上、①についても、それらが同様といえるかについて議論の余地がある。
結局、元々の議論に①、②という論点を新たに付け加えているだけであり、議論の促進に資するところがないばかりか、議論を混乱させるものだと言える。
(そもそも元記事の炎上の原因は③の命題の当否ではないという点でも的外れ気味な擁護ではある。)
このようにたとえ話というのは、多くの場合、百害あって一利なしである。
議論においてたとえ話をしない、ということが常識として広まるようになってほしい。
※なお、本来A≒Cとして扱うべきところ、差別意識等からA≠Cとして扱れている、ということを炙り出すためには、たとえ話が有用な場合がある。男女を入れ替えるたとえ話がこの役割を果たすことは多い。もっとも、この場合でも、男女をいれかえることによって変化する要素がないか注意が必要である。
※追記
ここでいうたとえ話というのは、比喩・アナロジーであって、例示ではない。誤解している人もいるみたいなので念の為。
※追記2
その言い回しおかしくね?お前は俺を裁く権利があるの?
おっと話をそらし始めたか他者のしゃべりを止めるかどうかおまえが裁いているという事実に関しては認めてくれないのかな
ずっと言ってるけど、必要のないところで意見を開陳して話題を止めるなって言ってる。「弱者はいない」って話題が出てるところで「私は弱者だ」というのは問題ない
ほらおまえ基準で裁いてるじゃん
弱者の側としての意見発露は絶対に絶対に認めない!というのは複雑さに耐えかねて物事を単純化したいだけだよね
ここでは意見があってるのに、なんで途中で話が食い違うんだ。
長谷川某の話について、議論停止語を使って安易に止めようとしたの?違うよね
全部中身のある具体的な反論になってるじゃん
被差別者の立場としてだろうが絶対に駄目!という裁きですね、具体的な反論ができない人工透析患者は沈黙を守っていますぐ樹海に行って死ね、ということですね、わかります。
「ああ、ここまで書いてなんとなくわかった。お前は俺のことを被差別者の意見を聞きたくない反PC活動の連中かなんかだと思ってるんだな。違うよ。決まりきったコピペ(例 : そうなんだろ、お前の中ではな)のような議論停止語を使う安易な論者を止めたいんだ。
思考停止語だからという理由はさておき貴様は被差別者だと開陳するなとまで述べているクソバカゴキブリクソムシ君だからな、都合よく思考停止語というワードで逃げに走ってるが被差別者は開陳をせず沈黙を守れと何度も繰り返している事実を都合よくすっとばせる脳ミソをお持ちとか相変わらずすばらしいですね~