はてなキーワード: 五月病とは
「そんなに嫌なら辞めればいいじゃんか」
どうして、そんな簡単に言えるんだろう。
またあんな苦しい思いをして、他人に品定めされて、働くところを、生きる価値を見つけなきゃいけないのだろうか。
何十社も何百社も探して、私とは何かを見つめて、お祈りメール貰って、面接では散々言われて
おんしゃおんしゃ。
三年も四年も前の話だけど、あの時のことはもう思い出したくない
言ってしまえば、所詮私が馴染めなかっただけで、その会社に染まれなかっただけで、私が馬鹿だっただけで、理解して動けなかっただけで、「つらい」という感情で片づけて、逃げるように辞めていいと思っているのだろうか。
他人にしてみれば、簡単なことなんだろう。他人の人生なんて、簡単なものなんだろう。私もきっと、他人がつらい思いをしていれば、辞めたらいいじゃん、と言ってあげるだろう。
言ってしまうだろう。だって、私にはその人の人生とは関係が無いから、その人がどうなったって、私には関係が無いから。
優しさで発してくれるその言葉は、ただ私に重くのしかかるだけ、
つらい、苦しいって病気の振りして、病気みたいな症状が出て、それでもまだ、私は自分が壊れかけって認めたくない。いや、認めているけど、心の底では、こんなもので、って思っている。
むしろもう壊れきっている。
みんな、苦しい思いしているのに、それらしい症状が出ているからって、そうとは限らないじゃん?
もし、病気じゃなかったらって考えたら、ただのよわっちい奴ってことになってしまう。だから、病気かもしれないってこと、認めたくなんかないし、ただの笑い話にしたい。
休日は毎回涙が止まらないのも、不正出血が続くことも、頭痛が止まらないのも、眠れないのも、自分自身を傷つけてしまうのも、ただ私が弱いだけで、構ってチャンなだけで、全然病気とかそういうんじゃないんだって。
辛くても苦しくても、どうしようもないことってあるじゃん。
人が死ぬこととかさ、別れとかさ、それが私にとっては仕事だったのかもしれない。
頑張っているねって褒めてもらえてうれしい、でもだんだん息苦しくなってしまう。また褒めてもらうためには?もっと認めてもらうためには??もっともっと、私をほめて、認めて、すごいっていって、流石だねっていって、じゃないと私はここに居る意味が無いんだよ。
それが結局、自分の首をしめて、良い人ぶって、出来る振りして、出来ないくせに、分からないくせに、嫌いなくせに。
一人暮らしを始めるために買ったもの、買って貰った家電はどうしたらいいの?実家にかえりゅ~~~って泣きついて帰って、つぎまた一人暮らしをするってなったら一から揃えるの?あほでしょ?
考えるのが馬鹿馬鹿しくなってきて、考えたくなくなって、結局つらいくるしいって言って、死にたくなるだけ、
どうせ、だれも救ってなんてくれないし、結局他人事だから、親と言えど最後まで、私が死ぬまで面倒を見れるわけではないし、結局私がどうにかするしかなくて、私が稼いで、私が生きていくしかなくて、でもそれはとっても苦しくて
どうして働かなくて生きていけるの?生きているの?私には許されなかった世界で生きているの?どうして欲しいものを買えるの?どうして行きたいところへ行けるの?至極まっとうな人間になった私にはかなわないのに。
どうしてあなたは、私が望んでいる生活をして、苦しんでいるの?理解できないよ。
どうして、どうして私はひとりなんだろう
でも、他人と一緒とか今更無理だなぁって思う。
宝くじでもあてて、一軒家でも買って、一生働かなくて済むようになりたい。
週4の4時間とかなら許せる。とにかく長期間拘束されて、パソコンと電話とにらめっこして、顧客からも上司からも責められて、たまに貰う飴に騙されて。
どうしてこんなに苦しいのかも分からない。仕事を辞めてからって幸せになれるわけでもないだろう。
どうしたらいいんだろう。苦しいよ。今日もとっても苦しい。
もう私にはどうすることも出来ないってこと、分かってほしい。
誰にだ。
誰も救ってなんてくれないし、だれもわかってなんてくれないよ
ここ数ヶ月のことのように思われるのだが、エスノセントリズムという言葉をよく耳にするように思われる。人間多かれ少なかれ他者より優れていると思っていたいし、人間多かれ少なかれ他者より劣っていると痛感することもある。
この時期は新しい生活環境となりストレスが溜まりやすいように思う。自分は早くも五月病を発症しかけている。新しい環境に馴染めず、一歩引いて周囲を見渡さざるを得ない。すると周りの人間が皆馬鹿に思えてくる。皆、馬鹿、というこの二点に関しては少々誤解を招く恐れがあるので捕捉する。まず自分はさして頭が良いわけではない。このような文章をつらつらつらつらと長ったるくまどろっこしく書いている時点でお察しかと思われる。だから自分から見て全員、ではない。が、目立った言動が全て、というニュアンスで捉えて貰うのが的確かと思われる。馬鹿、というのは、浅慮である、くらいのニュアンスだろうか。自分でもなんと言っていいかわからないので、便宜上こう書いた。
自分でこのことをつらつらと書いた文章を不要な裏紙や日記に書き殴ったがどうしても誰かにこのことを述べたくてこの度こうして面倒くさいタイピングをすることになった。自分は今までそういった所に書いてきたので、整合性などがなく読みにくいかも知れない、これは自分の技量が足りないせいだ。
ここでそろそろ本筋に戻りたい。人間は万物の尺度である、などという言葉があるがあれは全くもってこの世の真理を捉えていると思う、所詮人間など自分の杓子定規でしか物事をはかれないのだ。自分が嫌いな相手を、相手が嫌いだと決めつけてはなしをする。あるAという人物が居て、彼とはたかだか数時間ほどのつきあいだが、それでももう既に彼が嫌いだと公言してはばからない人(流石にAの前では面と向かって言っていないが)にBがいる。BはAのこういう部分が(プライバシーに関わるので伏せる)ミンナ嫌いだというのだ。そのミンナの中にはA以外のその場にいた全てを指すので当然自分も含まれている。
残念ながら、私はBが嫌いだといった部分を逆に好いている。B以外のA叩きは個人の感性の問題なので同意することができるが、流石にBのこれにだけは閉口した。自分までそのミンナの側に入れられるのは溜まらなく不快であった。
ここでいうミンナ、というのは子どもがおもちゃ屋に行き、そこにある玩具を指さし、ミンナ持ってるから買って、というのと大して変わらないものなのであろう。そういったことは私も十二分に承知している。だからわざわざその発言の撤回を求めたりなどはしていない。
だが、その発言の裏には驕りがあるのではないか、と邪推してしまうのだ。自分の好きなものはミンナ好き、自分の嫌いなものはミンナ嫌い。そういう周りに対する言外の同調圧力のようなものを感じたのだ。
振り返ってみると今まで他人に同調し、和合し、他者の中で揺れる人生を過ごしていた。そんな自分が始めて感じた違和感である。何かここにあるのではないかと思ったときに出会った言葉が冒頭のエスノセントリズムである。人間多かれ少なかれ他者より優れていると思っていたいし、思っている人も多いだろう。そういったところから驕りが生まれてくるのではないか。現に自分とBが所属する集団は常にとある集団を劣っていると見なしている傾向がある。今までそれに疑問を抱かなかったことはないわけではないが、この一件を通してみると大きな疑問となって現れてくる。本当にその集団は劣っているのだろうか。確かにある部分では劣っているのかもしれない、だが、他の点では自分たちの集団より優位な点もあるのだ。それを無視して、劣っているとみなすことは単純だが愚直である。もう一度、自分と他との関係を見直す必要があるのでは無いか。
高1の夏の定期考査前日の夜
中間テストで数Ⅰで15/100点(クラス最低点)とって死にたくなったし、長い通学時間や見知らぬ人間たちが多すぎて疲れすぎていた
僕も定期テスト初日で姉が徹夜する勢いで勉強していたから実行したのは午前4時くらい
家中の風邪薬頭痛薬、花粉症の頓服薬とか全部ひっくり返してリビングで飲んで
麻痺した両足で階段登って自室のベッドでこれで眠れば死ねると目を閉じたけど全然眠れずに数分後「これは吐くぞ」と直感してトイレに向かったが間に合わず階段で吐きながらトイレに向かって残りをトイレで吐いた
吐き終わったあと何故か賢者モード突入して、吐いたところ全部掃除して、自分の顔面蒼白を洗面所の鏡で確認して祖父母が起きてきたのでとりあえず報告
父母も起きてきて父の会社の病院に電話したが空いておらず結局救急車呼んで搬送
病院で点滴打たれて帰されて(車で帰ったらしいが全く記憶がない)朝食のあと精神科行かされてわかったようなわからないようなこと父母と精神科医が言い合って結局薬もらって帰った
つまりは増田達が日々行っているあらゆる業務が国民の血税によって成り立っているということだ。
同時に増田もまた国民の一人であることを思うと叫びたくてたまらなくなる。
「我々はこんな事のために税金を払っているつもりはない!」
と。
具体的に何がどうなのかは言えない。
増田は一度会社をやめ、花の蜜に誘われるように公務員へと転職した。
そして現実を知った。
だから保身に走る。
保身に走るような人間に囲まれているのでそのことにもはや恥は覚えない。
恥を覚えないことが恥ずかしいという感情はかろうじて残っている。
先輩がみなそうだからだ。
こんな奴らに税金が払われているということに怒りを覚える。
だが、そんな奴らに払う税金を雑に絞った結果としてこんな奴らだらけなのも事実だ。
増田の先輩たちはきっと何もかもをどこかで間違えた。
きっと彼らは、なぜこんな形で税金を使っておいて平気でいられるのかと疑問を感じる回路を最初に破壊したのだろう。
自分の心を守るために。
増田も2年間かけてそれを行っている。
公務員になって2年。
石の上に3年という言葉もある通り段々と感覚が麻痺して訓練された無能へと近づいていくのが自分でも分かる。
まだ増田が新人としての感覚を残してるうちにこのエントリを書きたかった。
五月病という形でやってきたこの最後の波が終われば増田は別の何かに変わってしまうと思い慌てて書いた。
もう思い残すことはない。
抵抗する力は今の増田には残されていない。
会社員生活も6年目に入ると、連休明けを経験するのも6回目になる。自分は「いろいろ経験してきてるし、もう五月病とか関係ないな」とタカをくくっていたのだが、意外と仕事が手に付かない。というか、昨日までそのようなことを意識すらしていなかったような気がする。数年前にいわゆるブラックな働き方をしていて、憂鬱な気持ちが血圧や心拍数や頭痛になって現れることもなくなったのに、なぜかスイッチが入らない。なんなら連休中も仕事をしていたのに。
自分ですらそんなことなのだから、身近な人も同じだ。それはもうすぐ2歳になる娘も例外ではなかった。もう1年以上も通っている保育園の連休明け。いつになく別れ際に粘ることときたら。かわいいなと思いつつ、しがらみや責任と戦う世界にまだ入っていない子供たちですら、休暇ムードから日常に戻ることに抵抗があるのには驚いた(どちらにせよ気の赴くままに動いたり休憩したりできるじゃないかと)。
Facebookの投稿を見ても、同級生の会社経営者が連休明けの従業員の様子に対して、苦言とまではいかないものの思うところを書いていたり、ぼく自身もおそらく例に漏れず五月病だからということにしてドーナツとおかわり自由のコーヒーを手元に置きながら仕事を始めようと思うと、店員さんの接客する声や表情もどこかマイナーキーのような雰囲気を帯びている。つまり少し暗いと感じられる。
飲食店は休暇・休日関係なく営業しているから、会社員とは少しくらい違うのかなと思ったけれど、必ずしもそんなことはないのかもしれない。
ちょっと周囲を見渡すだけでそんな様子なので、日本中どこもかしこも五月病が蔓延しているんじゃないかと思えてくる。
昨日いつも通りの顔をして一緒に定例ミーティングをしたクライアントも、地下鉄の改札横で(ドーナツ屋の店員さんとは違って)普段と変わらず「おはようございます」の大きい声を響かせている駅員さんも、そしておそらくぼくの上司も、妻も、その上司も同僚も、みんなが程度の差はあれ五月病だったとしたら。ポーカーフェイスの巧拙だけの問題な気もしてくる。
生活の一部としての休息とは別に、休暇は必要だと思うけれど、それが終わるたびにみんながどんよりした気持ちになるのは、結局マイナスなんじゃないかとも思う。少なくとも自分自身は仕事の効率が落ちてしまっていて、それが頭で分かっていてもうまく制御できない。恥ずかしながら。
例えばみんなが時期を微妙にずらしながら休暇に入ったり明けたりすれば社会全体が五月病になるのを避けられるのかな、とか思うけれど、日本人のメンタリティ的には「みんな一緒に」休暇に取ったり仕事に戻ったりしないと周囲の人がどうしているのか気になって落ち着かないような気がする。そう考えると、五月病が蔓延することはある種不可避なのか。
つい数時間前にこの匿名はてなダイアリーというサービスを見つけ、
イラっとしたらすぐ引き返してほしい。
県内ではトップ10くらいに入る謂わば進学校に通っている。つまり受験生だ。関東の大学が第一志望で、滑り止めも関東の大学にする予定だ。
兄は東京の専門学校に通っていて、某大手企業に内定が決まっている。長期休暇には必ずうちに帰ってくる。
父と母は見合い結婚で、周りの友達の両親の様に恋愛結婚じゃないから、元から愛なんてものはなかった(と思っている)。見合い結婚全てが愛がないと思ってるのではない。
離婚しかけた時はまだ私にとっては家族は大切な存在で、離婚してほしくなかった。兄と私がいるからということで離婚はせずに済んだ。
小6くらいから少しずつ嫌な場所になりつつあったけど、中2くらいまでは家は好きな場所だった。中3からは完全に嫌な場所になった。
兄が高校入学した小6の時から、母が兄を甘やかす様になった。周りの大人にそれを言うと、そんな事ないと言うが、今でもそう思っている。
小6の最後の方〜中2の間に、父もよく分からないことで機嫌が悪くなるようになり、私や母の悪口を大声で、目の前ではないけど聞こえる様に言うことが目立ってきて、父も母もだんだん嫌いになり、中3で完全に家が嫌いになった。
私はライブ参戦、観劇、イベント参加が趣味で、アニメも女性アイドルグループも舞台俳優も好きなオタクである。
両親が典型的な昭和の人間なので、オタクは歩く公害、ライブや舞台等の形の残らないものはお金の無駄、アニメやマンガは子供の見るもの という考えだから、私とは本当に考え方が合わない。
ライブや観劇、イベントも何回か行ったけど全然回数的に満足していない。
こんな田舎に住んでるから、私自身が田舎者だから、ライブ等に満足に行けなかった。
だから、えこひいきする母を、怒って一人で騒ぐ父を、自由にさせてくれないしこんな場所に生んだ両親を、自分の生まれた場所を、憎んでいる。
中3の高校受験の時、今通っている高校に入りたかったので、それを両親に言うと、父は好きにしろと言ったが、母は距離の問題や私が合格しないだろうと思って、兄が通った高校を勧めた。
兄の母校は、正直に言うと私が通っている高校よりレベルが一つ下で、センター試験は学年の半分くらいしか受けないし、専門学校に行く人もそれなりにいる。そういう高校やそういう進路が悪いのではない。けれど私は可能性があるのに安全だからと一つ下のレベルの高校に行くのは嫌だった。厳しい世界だけど頑張っていこうと思って今通っている高校を受験した。
成績が芳しくなくても、私は中3の時の決断は間違ってないと思っている。楽しい仲間、憧れの先輩、課題の量は鬼だけど親身になってくれる先生…どれを取っても私は私の意志を貫いて良かったと確信している。
今に至る経緯がとても長くなってしまったが、ここからが本題だ。
GW中に母は実家(県内)に帰り、父は稼ぎどき、兄は帰省してきてうちにいる。
GW前に母からスタバを奢ってもらい、父から直接「稼ぎどきだから協力してくれ」と言われていて、家事を頑張るつもりだった。勉強もそれなりに頑張るつもりだった。
そんな時に不慣れな家事。でも一つ疑問があった。
これを父に尋ねたら、女だからと言われた。戦前かよ。男尊女卑かよ。
確かに不慣れだからやる必要はあるのだけれど、それなりに出来るし、兄がやらなくていい理論は成り立たない。私だって受験生だし勉強したい。成績悪いからそれなりに焦りだってある。
時間ないのに家事やって、でも文句言われて…少ししんどかったこころがどんどんボロボロになって…家事やらないと誰もやらないからやるしかないし…
こんなことを考えて、少し家事をストライキしたら兄から「おい、家事やれ」と言われた。私はおいなんていう名前じゃないし、兄がやればいい。そう思ったが口にしなかった。
家事でボロボロになった私のこころは勉強する元気はなかった。この気持ちを家族全員に理解してもらえないのだが、家事がいい気分でできていたなら勉強もいい気分で始められた。確かに私は段取りが悪くて、家事に時間かかるし勉強も家事の前に済ませておけば良いのに、昼間はゆっくり寝てダラダラしていた。でも、メンタルボロボロの時に早く起きて勉強しようという気分になれない。新しい一日が始まってしまった、また連休を無駄にしてしまった、また家事をしなければいけない…こう考えたら現実逃避としてまだ寝ていたくなる。だから昼頃まで寝た。昼からでも勉強すれば良かったのだが、憂鬱すぎてそんな気分ではなかった。そしてまた家事を嫌々やり、また一日を無駄にした。
やっと母が家に戻ってきた。私は全てに投げやりになって、居間で寝ていた。昨晩の洗濯物が洗濯機の中に入ったまま、干していなかった。母が兄にそれを言うと、「いや、妹がやらなかったし…」と言った。私は昨晩、兄に洗濯機を回す様に頼んだ。心の中で、兄が干してくれるか試していた。干してくれなかったし、私のせいにした。どうして全て私がやらなければいけないのだろう。ここで私は怒りを我慢できなくなり、掃除中の母に当たってしまった。
受験生の娘を置いて実家に帰るなんてひどい。なぜ兄は好きな時に出ていって好きな時間に帰ってきて、家事もやらなくて良くて、どうして周りもそういう空気を作るのか。どうして私のことは誰も考えてくれないのか。私だって忙しい。家事していた時間を返してほしい。
こう母に言った。
母は、何が受験生だ。自立するのに家事は必要だ。お前の学力で受かる大学なんてない。もう遅い。私のありがたみを感じろ。お前は段取りが悪い。
と言った。
母にはありがたいと思っている。だが、大学受験を経験したことのない人にもう遅いなんて言われたくなかった。まだまだ伸び代はある。これから頑張れば絶対第一志望は受かる。私はこう信じて勉強している。
やはり母も兄が家事をしなくて良いと言い、受験についても口を突っ込まれて、私は爆発した。勢いで食器棚のガラスを割った。私はもう家事なんて一切しねえよ!飯もいらねえ!と言い捨てて自分の部屋に行った。
だからこの時から家事を一切していないし、ご飯も食べていない。あほらしいのは分かっているけど、食べたら負けだと思っている。私は絶対に負けない。どうなるか知らないけど絶対に食べない。
兄が私の部屋に勝手に入ってきて、勝手にべらべら何かを喋っていった。その中で私は不幸せだと言った。私は自分の意思で不幸せになっているのではない。家族全員が私を不幸せにしている。そう言ったら、いつか俺の言った事が分かる日が来るよと言って私の部屋を出て行った。いつまでも勝手な人で本当に腹が立つ。
父は何も言わなかった。居間では何か言っていたのだが、聞きたくなかったから聞かなかった。私のことは本当に呆れたのだと思う。
母も何も言わなくなった。
何も食べていないから頭が痛くて、文章書くのもやっとだ。だからご飯を食べたら絶対楽になれる。
でもあんなことをして、あんなことを言ったのだから食べる資格なんてないと思っている。
これ以上のことばが思い浮かばない。どうすればいいのだろう。
乱文失礼しました。