はてなキーワード: 二足歩行ロボットとは
まずまず観れるレベル。渡辺直美の声優が下手くそだが、ミュージカル調で楽しい。
色んな国の機関車が出てくる。
とにかく画面が暗い。
どんより曇った天気や、暗い屋内のシーンだらけ。やたらネガティブな機関車(自閉症の子供がモデルらしい)と、魔法が使えると思い込んでる痛い機関車が出てくる。ダイバーシティとかいうやつ?子供向けアニメの画面が暗くてどうするのか?我が家の2歳児も観るのをやめるレベル。
ミュージカル調のシーンもなんか暗い。
レギュラー入りすることになるアフリカ出身の機関車と世界を旅する話。
ISSAのアフレコが本業声優なんじゃって思うレベルで異常に上手い。
この後のテレビシリーズはトーマスが世界各国で働いていた話がチラホラ。
子供向けだからそれでいいんだろうけど、中国はなんでも竹で作ってて、みんな自転車に乗ってるっていう80年代イメージってどうなんだろ。
それなりに教訓らしいメッセージもあったりするし、鉄道らしいエピソードだし、映画も以後のテレビシリーズもまあ悪くない。
ストーリーの幼稚化が進む。
長い話は子供が飽きると思ったんだろうけど、とりあえず機関車が歌ったけば子供は満足するだろって感じで、話に起承転結がない。
15分くらいのテレビシリーズよりやや長尺のショートストーリーをいくつかつなげて2時間にしたらしい。押切萌の声が下手くそ。
子供は派手なシーンが好きだろって感じで作った感じ。
やっぱりショートストーリーをつないだらしく早々に大円団して、次の瞬間に日常パートにいったりする。
アジア顔、釣り目で薄い唇のケンジっていう新幹線が出てくることで世間を賑わせたが、それよりサニーっていうアスペルガーな機関車のほうが無理矢理感があった。
風力発電やるぜ!イェイ!
レースするぜ!ヒャッホー!
雪に大はしゃぎするけど溶けて落ち込む。人工雪で解決!
橋が壊れた。二足歩行ロボットの橋にする!
教育になるような教訓はあるのか?
「痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。」「インフィニット・デンドログラム」少し前だと「七星のスバル」「SAOAGGO」といったオンラインゲームを題材にした作品に対し「こんなバランス、ネトゲであり得ない!こんな運営いるわけない!設定ガバガバ!作者はネトゲエアプのクソアニメ!」と心無い批判をする人が居た。
現役ネトゲユーザー目線で見るとおかしな部分があり思わずツッコミを入れてしまうのだろうが、これらは「実在しないゲームを描いたフィクション」だ。
多少現実的じゃなくなって別にいいじゃないか。二足歩行ロボットが活躍したっていいし、腐女子という属性以外完璧な夢女子がイケメンにモテてもいいし、女子高生がおっさんの趣味をやっても別にいいのに、ネトゲにだけ厳しい視線を向けるのは偏狭でしょう(ネトゲ警察?)
「実在しないゲームを描いたフィクション」である以上、現実のネトゲと同列で語り批判すること自体がナンセンス。
防振りに関しては原作者がはっきりと「設定ガバガバだけど許せる人だけ見てほしい」と書いている。
また、作者が息抜き程度に書き始めたもののため読む人によっては耐え難い矛盾や違和感を感じる可能性があることが予想されます。
特に、【VRMMO】として完成されたゲーム性を楽しみたい方にはお勧めできません。
そして、それらに対しとても不快に思った際は速やかにページを閉じ、この作品を切ることをお勧めします。無理して読むことは息抜きや趣味の読書では無いと思います。
またストーリーを作る以上「主人公が活躍できる理由」が無いと話も盛り上がらない。
俺TUEEEEするためにゲームとして許される範囲内で強い理由や設定を盛り込むことが悪いとは思わない(これが本来の意味のチートで無双だったら怒るけど)
リアルさを重視して地道なレベリングやアイテム集めで少しずつ強くなっていく話もそれはそれで面白くなるのかもしれないけど、視る側が求めている刺激や爽快感とは違うと思う。
「こんなガバガバな運営・バランスあり得るのか」というツッコミも、そもそも現実のネトゲ運営もしょうもない調整ミスをするし、ちょっとやればすぐ分かりそうなバグを残したまま世に出すし、すぐ炎上するようなガバガバな所ばかりでむしろリアリティーがあるんじゃない?
現実のオンラインゲームなら全てのプレイヤーは公平で特定のプレイヤーだけ贔屓するのはおかしいのだろうが、そこはお話だし……
FF14のプロデューサー吉田直樹氏のインタビューに答えがあった
今の世代のオンラインゲームは、当時の思想とはまったく異なるゲームになっている。キャラクターやジョブのレベルは、ストーリーを追いかけているだけで、サクサク上がっていくようになった。むしろ、そのレベルアップの速度は、一般的なスタンドアローン(一人用/オフライン)のRPGなんかよりも、ずっと速くなっている。だから、部下のプライベートな時間を拘束してまでレベル上げをする必要もないし、ダンジョンを攻略するために、ゲーム内の町の中で同じ目的を持った人を探して、大声を張り上げる必要もない。ダンジョンを攻略するためのパーティメンバーは、マッチングシステムが自動的に探してくれる。マッチングした人と無理に友達になる必要もなく、「よろしくー!」「おつかれー!」と挨拶する程度の気軽さである。
今の世代のオンラインゲームは、“自分から”友達を作ったり、チームを組んだり、仲間を増やそうとしない限り、自由に一人で遊んでいくことができる。だから、人間関係に悩まされることはない。
FF14に限らずネトゲをソロで遊びたいという需要は確実にあり、ゲーム側でソロプレイをサポートする仕組みがあるのは別に珍しいことではない。
問題のボスも「実はソロでも倒せる程度の強さだった」というだけで何の問題も無い。
レベルも知識も無いはずの初心者がいきなり初見ボスに挑んで勝つようなやつは知らんけど。
ネトゲ経験者なら知っていると思うが「海外の人とゲームで異文化交流」なんてのはほぼ幻想で、実際は通信速度の問題や言語のせいで同じ国のプレイヤーと遊ぶことがほとんど。
そして人口統計から考えて関東在住のプレイヤーと遭遇する確率の方が高いので問題無い。
それがたまたま近所に住んでいるイケメンでも同じ高校に通っている同じ学年の美少女であっても確率的には0ではないから問題無い。
そもそも「東京と青森と島根に住むプレイヤー達の物語」とか成立させるだけでも大変だし……。
まったりギルドだと思って入ったらイベント時にノルマ達成できなかった下位プレイヤーとしてチーム内チャットで晒されたので、本格的にやるところやるんじゃない?
未来の話なんだから、ムーアの法則と量子コンピュータと5GとAIとクラウドとブロックチェーンとGAFAとミノフスキー通信のおかげで全部解決してるに違いないため問題ない。
ワースブレイドシリーズ(1988)は異世界に魔法ロボの系譜を定着させた。
で、ライトノベルの世界だとワーズブレイド系列の聖刻シリーズが1996から2016年まで20年間連載されていて大なり小なり影響は与えているのかなと。
三雲岳斗先生とかそれっぽいけど、コールド・ゲヘナ(1999)はロストワールドで現代ロボでしたかね? 若干逸れます。
また時代と技術のギャップのある作品としてサクラ大戦(1996)やフルメタル・パニック!(1998)、ガンパレード・マーチ(2000)もありますので、やはり90年代には確立していた感はあります。
なぜなら二足歩行ロボットは現代兵器に弱すぎるのですから、可能な限り敵の少ない環境で活躍させたがるのが親心というものでしょう。
別に語れるほど知識もないんだけどさ。
最近ロボットが巨大で人型なメリットって何とか? 戦車じゃだめなの? とかを見て。なんだかなーって。
巨大な人型のなにかが暴れるのが爽快なんじゃないのかー!? なんて思ったりしてるんだけど。ロボットものにSF的な要素とか、科学考証とか求める人が多いんだなー。
ってのがなんかロボットものが少し元気のない理由なんじゃないのかな? なんて思ったりしたんだよね。
でさ、そういうロボットアニメにおける人型の必然性を求めちゃうのってガンダムからなのかなって思うけどどうなの?
手塚治虫のアトムや横山光輝の鉄人とか永井豪のマジンガーとかがロボットものの土台を作り上げてきたんじゃないかなーとか思う。
そんな時代を経て宇宙戦艦ヤマトの様な大人向け?SFアニメが放送され、満を持して機動戦士ガンダムとかいう戦争を描くロボットアニメが生まれた。のか?
なぜガンダムが生まれたのかとか、富野監督はどういう人なのかとかを語るきはないのだけど。多分ガンダムは当時ものすごく斬新だったと思うのと同時に必然的に出来上がった作品だろう。
アニメは子供向けかつ勧善懲悪で正義と悪を極端に線引きしてた時代があったらしい。それを何だか嫌だなーと感じてる人はいっぱいたらしく。富野さんとかもその一人で、なんでも海のトリトンという手塚先生原作の漫画をアニメ化した際に富野監督はラストをなんともいえない感じに変えてしまった。
子供だましを嫌う富野さんはアニメにリアルを入れようと、現実はそんなに単純じゃない正義と悪は色分けできない事を、まあやろうとしてたんじゃないかな?
当時を知らないのでなんとも言えないけど。
手塚先生はSFばかり描いてたらしいし、ゴジラとかウルトラマンとかの怪獣ブームもあったらしいし、永井豪ちゃんは徹底的に日本を巨大なものが破壊する漫画を描いてたし、スタートレックとかスターウォーズとか松本零次はスペースオペラ?とかを描いてて。
その流れでガンダムやろうって、ロボットっていうジャンルにリアルを入れようってなったのかな。
前置きが長くなったんだけどさ。
ガンダムがリアルだって言われてるというか、リアルロボットものって言われるのはさ。
ガンダムというモビルスーツの構造とか仕組みとかがリアルで物理法則がどうのこうので、科学考証がしっかりしてるとか、してないとか。ではないんだよね。
これは、よく言われてる話で。ガンダムのリアルは人間描写、人間ドラマの部分だ。なんて皆しってる。戦争を扱っていることとか、どちら側にも正義があるとか、ないとかであって。ロボット部分ではないと。どこかで聞いた事があるかもしれない。
たしかに俺もそう思う。20メートルの巨大ロボットが二足歩行するなんて冷静に見ればリアルじゃない。でもガンダムはそこら辺の事情を開き直ってる訳じゃないんだよな。
ロボットの扱いはあくまで兵器なこととか量産されてるとか。そういうところにリアルさを描いてるし、二足歩行や人型な理由も説明している。
例えばミノフスキー粒子とか、作業用ロボットを兵器転用したとか、宇宙空間では人型は対象物がないから大きさが分からずに人と間違えて、敵の戦艦に近づけるとか。AMBACシステムとか、頑張ってるんですよ。頑張って巨大なことや人型な事に必然性を持たせてるんだよね。後付とかもあるけど。
で、俺はガンダムって作品はロボットものにおけるいろんな部分をリアルっぽくしていこう、っていう流れをつくってしまったと思うんだよね。
より戦争という部分を濃くしたボトムズとか、現実世界でロボットを運用している雰囲気をうまくだしたパトレイバーとか、量産兵器としての二足歩行ロボットを描くガサラキとか、設定をしかり練ってSF考証をしっかりと散りばめているフルメタルパニックとか、一期は市街戦描写の多いコードギアスのナイトメアとか。
士郎正宗がメカやSF部分のリアルさを求めて、押井監督が甲殻とかレイバーとかを刑事ドラマみたいに作り変えて、カサハラテツローさんのライドバッグみたいな、ほとんどバイクみたいなロボット漫画もでてきている。
富野さんはガンダムで人間ドラマの部分をリアルに描きたかったのかもしれない。でもそこをリアルに描けば描くほど二足歩行や巨大ロボットという部分もリアルにせざるを得なくなってくるのかも知れない。
どんどん小型化していくロボット、足裏に車輪を付けて走り、ワイヤーを射出し街中を飛び回る。リアルっぽい!
あるけども、そういう方向でリアルさを求めれば求めるほど。
戦車でいいじゃん、戦闘機じゃだめなの? ミサイルでやったほうが効率よくない? なんていうロボットアニメ視聴者あるまじき突込みが返ってくる。
でもそれって当然のことで、マジンガーとかゲッターとかみたいに現行兵器よりも強いとか、エヴァンゲリオンみたいにもとから人型でしたーとか、勇者シリーズとかエルドランシリーズみたいなロボットものは、ロボットはヒーローであって、そんじょそこらのミサイルじゃなんともないぜってもんなんだよね。
でもガンダム系リアルロボット? は量産兵器であり、秘密組織でもない公の軍隊が運用している。じゃあなんで巨大でなければならないのか二足歩行のメリットは? 人型の意味は? ってなるのもしょうがないんだよ。
なんで人型なんだよ!? って突っ込みに対して、ロボットものだからって開きなおるんじゃなく。一生懸命二足である意味人型である必然性を考えてほしいよね。
俺がロボットものに求めるのは巨大感とかスケール感とかで、街を破壊し敵の怪獣を引き千切ってバシバシとなぎ倒していくようなもを求めているので、そこらへんを描写するロボットものが減ったのが悲しい。