はてなキーワード: 二分間憎悪とは
id:muchonov です。まず以下のご謝罪について。そんなふうに詫びさせたかったわけじゃないし、真摯さはよく伝わりましたので、そこは受け容れました。逆に申し訳なくなったぐらいです。こう書ける b:id:dmekaricomposite さんの人格的高潔さも理解しました。もうそれについての話はやめましょう。
これに関してはご指摘の通り全面的に私が間違っていました。謝罪いたします。内心の表明を強要してしまいました。石黒さんを中傷した人間と同じ穴の狢かもっと醜い姿をさらしてしまいました。b:id:muchonovさん、申し訳ありませんでした。
他の部分については… b:id:dmekaricomposite さんらしからぬ(と私が思った)書きぶりの背景に、ご自分が暇アノン扱いされたことへの怒りとヒートアップがあり、石黒氏の境遇への共感があるのもわかりました。ただ、その怒りは、それぞれそのように発言したアカウントに向けられるべきものなんじゃないの、という気持ちが残るのも事実ですが。
そして、引き続きのご指摘。
「いいね」をしただけで一年も中傷されているのは異常です。だからまずは大変でしたね、誹謗中傷は許せませんと労るのが人情として当然ではないかと思うのです。
b:id:dmekaricomposite さんのそういう気持ちはわからんでもないです。でも私は、たぶん他人よりも人情に欠けるのと、空気を読まずに自分のアテンションが向いたことに関心を集中させてしまう人間なので、今回ブコメにそういう労いの言葉を書いていませんでした。本件以外でもあまりそういうことを書かないと思います。自分が強く興味を持っている分野(育児・病・死・労働・LGBTなど)以外への共感力が乏しいのだと思う。すみません。
ことの経緯からして石黒さんがブコメを見る可能性だってあります。その最初のブコメが「答え合わせ」の語義がすれ違ってるって……いや、注目するところそこ?
この「そこ?」という問いへの答は、「…そこでした…」としか言えない…。しばしば他人から見たらトンチンカンなところにアテンションが向く、これは自分のヘキです。過去のブコメでも、元記事の内容への賛同・非賛同とは無関係に、割とそういうブコメとか、誤字の指摘とかしてると思います。んで、b:id:dmekaricomposite さんにとっては、本来石黒氏の被害に共感と労いを書くべきところでそういう些末なところに目が行ってるのはおかしいし、自分のブコメが最初のブコメだったのも余計に問題だったってことですね。確かにそうかもしれない。すみません。
もし石黒さんがブコメを見て中傷の加害者にはこんな文脈があったんですよ!という文章を読んだとして、なるほどためになるアドバイスだと思うでしょうか?
自分は「ご本人のためになるアドバイス」として書いてるわけじゃないけど、b:id:dmekaricomposite さんのこの問いかけ…おそらく「思わないですよね?」という修辞的疑問なんでしょうけど…には、私は石黒氏じゃないから「わかりません」と言うしかないです。石黒氏はあっそっかと思うかもしれないし、そういう話じゃねえんだよ!と思うかもしれません。
ただ、これは私の誤読かもしれないですが、そもそも石黒氏は動画内で「当該人物の、当該のtweet」については、かなり謙抑的に話してますよね。
「ことの発端は、2023年1月にx、Twitter上で僕がつけた『いいね』が気に入らない、って言う方がそれを晒したのが始まりです」
「何を思って『いいね』をしたにせよ、実際『いいね』はしているし、今もしたまんまになっていますし、発端のこの晒しは問題ないと思うんですけど」
「『いいね』の件に関してはご判断お任せします。長くなりましたが、答えから言ってしまいますと、僕がやったのってこの『いいね』だけです。それ以降全部尾ひれです」
当該人物が問題視している幾つかのアカウント/内容のツイートに対して石黒氏が『いいね』をしたことは事実で、石黒氏はそれらのツイートを晒したこと自体は「問題ないと思う」と明言している。でも「答え合わせ」という表現については、この人は答え合わせをするための「答」(≒石黒氏的には、自分の作品の鑑賞経験)を持ってないのだから、その「答」は本人の心の中にしかないはずだ(≒先入観である)。
だから本件に関連して、自分が創作においてどんなことを意識してきたかを「答え合わせの材料」として提供しますよ、というのが石黒氏の本筋へのイントロ。で、石黒氏が創作上配慮してきたことについて説明した後に、発端のtweetをした人物が「いいね」以外に事実無根の「尾ひれ」をどんどんつけていくことを指摘して、これに対しては強い怒りを表明し批判しているわけです。だから、
文脈からいって「自分はこんな筋の通らない中傷を受けました」という告発をした人が「いや筋は通ってるんですよ」と言われているようなものなんです、これは。
というご指摘については、「確かにそうですよね…」という風には思わないです。石黒氏は動画で、一連の経緯の各フェイズごとに起きたこととその問題点を丁寧に解説されていますが、初発で「答え合わせ」が出てきたtweet自体については、動画を何度か見る限り、「筋の通らない中傷」とお考えだったようには感じてないです。これは自分の読み解きでしかないので、b:id:dmekaricomposite さんが同意されなくても構いませんけど、よければもう一度、動画の冒頭部分から見てみて、その印象を聞かせてくれませんか。
しかしこのブコメでそれが伝わりますか?もちろん字数制限はあります。それにしてもあまりにも被害者に対して思いやりの心がなさすぎる。傷ついた人を更に傷つけるブコメだと思いました。これに関しては考えは変わりません。
ここもね、b:id:dmekaricomposite さんがそう感じたなら、それはそれでしょうがないです。でも、ここまでのb:id:dmekaricomposite さんが書かれた私の〈良くなかったところ〉をまとめると、ようは「muchonovには被害者の石黒氏に対する思いやりの心がなさすぎる」「この案件ではまず石黒氏を労うのが人情として当然なのに、それをしていなかった」「本人の目に入るかもしれないファーストブコメなのだから、なおさらだ」「傷ついた人を更に傷つける可能性に対して無神経だ」ということですよね。それがmuchonovの落ち度なのだと言われれば、それぞれ自分でも自覚があり後ろめたく思っている人格的難点に関わるご指摘ゆえ、強く反論もできません。人情や思いやりがない、アテンションの向かう先が非常識、無神経である。確かにそうだ、すまんかったという気持ちです。
でもこれって、自分に対してb:id:dmekaricomposite さんが最初と2番目のブコメに書かれていた「一番タチが悪い」「言質とられないように立ち回ってる」「暗に『嘘つけお前暇アノンだろ』と言ってる」という非難につながることでしょうか。「muchonovは計画的な悪意を持って、安全圏から巧妙に石黒氏を当てこすっているのだ」という当初のご批判と、上で解説してくださった私の「落ち度」って、問題の所在がだいぶ違いません? 後者のご指摘に沿うなら、そもそも全然賢くないでしょコイツ。単に共感能力と表現力が欠落したダメ人間でしょ。「言質をとられないように立ち回るタチの悪いやつ」とは別人でしょ。そういう風に扱いが変わった理由が、b:id:dmekaricomposite さんが私のブコメの初見時に読み込まれていた悪意や敵意を、今は感じていないからなのであれば、それはそれで私はありがたいですけども。
で、ここから先は与太話ですが。私はいっときSNSの「陣営脳」…敵味方を認定する二元論的世界観が自分にも一部身についちゃってるなあと感じて、1年弱ぐらい、はてなとtwitterをお休みしてました。そのおかげで「陣営脳」の症状は少しは緩和されたんじゃないかなと思ってますし、石黒氏動画の最後にある:
という言葉も以前よりよくわかるようになったんですよ。禁煙した人間が煙草の臭いに敏感になるみたいに、「インストールされた怒り」への感度が上がったんです。SNSは娯楽としての怒りを共有するプラットフォームになりうる。フォローといいねとRTのルーティンの中でTLが極端に偏ってしまい、気づかぬうちにSNSの利用自体が「永遠に続く二分間憎悪のセッション」に陥ることもある。そういうことにならないために、こんな風に、お互いに落ち着いて話してみましょう。話せばわかる…こともある(結局わからないこともあるけど)。今回がそのようなやりとりになるとうれしいです。以上。
https://twitter.com/kapibaku/status/1331586153577811970
だから、
というのが実態なんでないの?
と思うんだけど
(中国漁船に北斗端末配って日本に領海侵犯するように焚き付けてるのは中国の右派勢力、右翼団体です。
まあ、彼らを敢えて野放しにして、日本への牽制のために利用しているというのはあるでしょうけど。
政府公式の意思表示としてやるなら、もう物理的な紛争になって日本人はとっくに何人か死んでるはず。
ヤクザが暴走族を焚き付けて警察とか市民に威嚇させるのと似てるかも)
あと、「新自由主義・右翼」が社会的勝ち組かというとそうでもなくて、
もちろん、そのカテゴリーに含まれる社会的勝ち組は、自分の成功は自分の努力の賜物であって時代とか周囲とか環境じゃねーからw
という人が当然多い印象があるわけだけど、
「新自由主義・右翼」カテの貧困層、社会的負け組って意外と多くて、基本的に権威主義で服従していないと不安なタイプの人が多い
だから、貧すれば鈍するではないけど、他国で貧困層が自分の国の富裕層を恨んでいるかというと、そんなこともなく、
寧ろその貧困層が、なんでか外国の日本や米国の人種を恨んでいたり、
そんな感じで、不満の矛先を別に向けることが上手いんだろうなあと
だから、外国でもそういう人達が集まるところへ行けば、そういう攻撃的な人間が増えるし、それは日本も変わらなくて、
いちいち喧嘩を仕掛けるような言動をする、攻撃的な人間のエンカウント率が高くなる
それだけなんだなあ、と思う次第
しかし、自分の政治信条は自分でもよく分からんが、自分は何に含まれるんだろうな
マキャベリズム的に考えたって、福祉のない社会を作りたいとか暴力的な資本主義を国は放置しろは間違い
国家というシステムをどうコントロールするか考えてないからそんなこと言えるんでは?
ただ、国家間の話、外交、特に戦争は別にいつ起きてもおかしくない、単なる切り札のカードに過ぎないわけで、
派遣やアルバイトに任せて空洞化したり、本体が脆弱になってくのはもう失われた数十年で分かったのでは?
汚れ仕事を韓国や中国に丸投げしたことで、彼らは真似てパクって強くなった
そういう丸投げ、韓国中国にパクらせる切っ掛けを作ったのは資本主義の暴走であって、
結局、新自由主義者だの右翼だのは、自分で日本が没落する切っ掛けを作ったくせに、
まあ、こんなコロナだ何だでビビリ君になってる状況からどうやって核武装までたどり着くか、
自分にはまったく検討が付かなくなったが、バブルのときにやろうという話もあったけど、
国家として福祉もちゃんと機能している、太っ腹なところもなければならないし、
その一方でちゃんと戦争できる国にならないと、これも国家として意味がなくなってしまうわけで、
その両輪というかバランスというか、そもそも不足している欠けてるものが日本は未だに多いと思われるわけで、
20☓☓年の日本ではクリエイターの権利は神聖不可侵のものとされていた。日本のコンテンツを海外に売り込もうという政府の意向と、表現の自由を最大限にしたいというクリエイターおよびそのファンの願望が合致したのである。保守派の議員が表現規制を推進しようとした時代はとうの昔に終わり、いまや与党の中枢は表現の自由戦士で占められていた。
刑法が改正されて「クリエイター侮辱罪」が制定され、表現の自由を侵害するフェミニストの一斉弾圧が行われた。それは表現の自由の侵害であると主張した憲法学者や弁護士たちも逮捕された。
現在、逮捕された彼/彼女たちは思想改造のため、強制収容所に収監され、萌え絵やエロ絵に囲まれて生活している。しかし、その一部は弾圧を逃れ、「隠れフェミ」として地下活動に励んでいるとされていた。警察はいまもその行方を追っている。
街角でも、萌え絵やエロ絵に対する批判はいっさい禁止され、公共の場に氾濫するエロ絵に「違和感」でも表明しようものなら、即座に密告され、逮捕・収監される状況になっていた。コミケでは、エロ絵のバッグが大々的に復活し、終了後のりんかい線やゆりかもめには幼女の裸のイラストが溢れる事態となった。
渋谷の大通りに幼女の裸体イラストの広告が大々的に掲示されたときには、CNNやBBCは「二次元ポルノ大国日本」として報じたが、そうした記事をSNSで紹介するだけでも「出羽守」「売国奴」とみなされ、たちまち糾弾の対象となった。
街角の書店はほぼ全滅し、大規模書店が大都市の中心地にみられるだけになっていたが、そのなかで大部分の書籍の表紙は萌え絵になっていた。夏目漱石や森鴎外などの小説の表紙は言うでもなく、ハンナ・アレント『人間の条件』の表紙は当然のごとくデフォルメされた美少女アレントであり、アリストテレス『ニコマス倫理学』の表紙にはニコニコしながらマスをかいている美少女のイラストが描かれていた。フェミニストの書籍は言うまでもなく大部分が発行禁止になっていたが、ストロッセンや初期の牟田和恵などの著作は大々的に宣伝されていた。
この頃になると、全国民のあいだで「二分間憎悪」が行われるようになっていた。ある時刻になると、街角のスクリーンや各々のスマホの画面に「パブリック・エネミー」が現れる。それを国民全員で罵倒するという儀式である。
そのパブリック・エネミーには、かつて名を馳せ、いまは地下で活動しているとされるフェミニストが選ばれていた。そのフェミニストたちがスクリーンに登場するや否や、国民は男女を問わず「フェミナチ!」「全体主義者!」「表現の自由の敵!」といった罵詈雑言をぶつけるのである。二分間憎悪の最後には、そうしたフェミニストたちが性的に陵辱されるアニメが映し出された。これも「表現の自由」により擁護される表現なのであった。
そうした体制に違和感をもち、密かに「隠れフェミ」に関心をもった女性がいた。やがて彼女は『フェミニズムと表現の自由』なる著作を手に入れ、その内容に惹かれていく。だが、実は「隠れフェミ」は彼女のような異端者を駆り出すための仕掛けにすぎず、『フェミニズムと表現の自由』もその餌にすぎなかった。
熾烈な拷問の結果、彼女はクリエイターへの忠誠を誓って解放される。彼女はただ処刑されるのを待つだけの身である。彼女が見上げると、そこには巨大な幼女の裸体のイラストが掲げてあった。そうして彼女は泣きながら、自分がそれを愛していることに気づくのであった。
1984というと一般には全体主義的監視社会という観点で語られがちであるが、実のところ、かの世界でテレスクリーンによる監視を受けているのは全体の20%にも満たない中上層階級だけである
では残りの80%――プロレと呼ばれる労働者階級――はどうしているのか
教育は与えられず、ニュースピークにより思考の方法は奪われ、代わりに無害な娯楽(プロレフィードと呼ばれる)と党のプロパガンダが与えられる。そうして実際には党からひどい搾取を受けながらそれに疑問を抱くことはなく、二分間憎悪に熱狂し、B.Bを熱愛する
こうして政治的に去勢されたプロレは、もはや体制に脅威を与えうるものではないと見做され、永遠の窮乏と抑圧の中でほとんど"放し飼い"にされているのである
昨日のプロパガンダと今日のプロパガンダに齟齬があっても彼らは気にしない。より上位の階層であればそのような認知的不協和を解消するために二重思考を用いるのであるが、プロレはそんな面倒な(そして高度な)方策を用いるまでもない。彼らは今日与えられた"真実"を今日の真実としてただその中に生きている
このような社会では中層階級が立ち上がり下層階級と手を組んで社会を転覆することは起こりえない。立ち上がる可能性のある中層階級に釘を刺すために監視は行われているが、しかしそれは党の支配原理の中枢ではない
・自分としては「普天間基地は早急になくすべき、そのためには国外・県外移転が望ましいが、それを望まない日本政府の決定があるならば、『沖縄県は(普天間基地の代替としても)県内に新基地を作ることに反対したが、日本政府が地元の反対を権力で押し通して基地を作った』という手順、ストーリーで作るべきだろう。それが将来的に沖縄県民の利益に繋がる」と考える、以下理由
直線距離にして600kmほどでかい、それぞれの地域・島によって歴史も現在置かれている状況も違う
那覇市などの南部に住んでいるとそんなに米軍を意識はしない、でも中部に住むと、広大な米軍基地の周辺にへばりついて、分断されぎゅうぎゅうに押し込められて生きている感を受ける、場所によっては騒音がほんとにきつい。北部は…実はよくわからない、『北部』という主語も相当でかくていろんな立場がいるだろう。
南西諸島などの離島は沖縄本島とはだいぶ状況が違う、まず米軍基地や訓練空域がない、交通事故をMPに仕切られた経験もないので米軍問題がどこか他人事だ。それより実感としてあるのは本島・宮古島間の中国艦船通過だったり、尖閣諸島問題だったりするので、気分的に日本政府に強くあって欲しい、保守よりの風潮があると感じる、歴史的にも沖縄本島の政権からの差別や軽視があったらしいが、その辺はよくわからない。
そんな感じなので、ひとこと『沖縄県民』と言ってもその意見は多様で一つに絞れないのは当然だと思う。九州電力の川内原発についての福岡や奄美大島の人たち意見も同じようになるのでは。
ケンカになるから、ほとんどの場合自分と在日米軍・国防関係で自分と違う意見や明らかに間違っている知識(沖縄県が負担している米軍基地の割合は実は22%だとか)と出会っても、なるほどあなたはそういう考えなのですネーとスルーする。大体の人がそうじゃなかろうか。なので、声高に自分の考えを主張出来る人は、自分の周りがほぼ同じ考えだと誤解しやすい状況が生まれるのではないかと思う。
しかし中国に関してはだいぶヘイトがたまっている、親戚一同が集まっている席でTVで中国関係のワイドショーなど始まると、まるで『1984年』の二分間憎悪のようにその場が中国への罵倒で満たされ、中国に寛容な意見などは一切ない。ネットなどで、(基地反対派の)沖縄県民は親中派など言われているのを見るとう~ん?と感じる。おそらく、アメリカの覇権は絶対派、強い日本をとりもどせ欲しい派、基地には反対だが中国のため作らないといけない派、いま沖縄県民が分断されている状況は中国のせいだ派など、いろんな現状に対して不満を持っている人たちの、非難の矛先として中国が選ばれ続けているのだろう。中国観光客がお金を落とし続けているお土産物屋やホテル業界の人でも、中国人を語るときはまずは悪口から入る気がする。
・そんなわけで、『沖縄県民の意見』については、切り口によってでどんな意見でも出せるだろうと思う
基地内に土地を所有し土地使用料が入ってくる人、軍人・軍属相手の商売で生計を成り立たせている人、そもそも基地内で働いている人、基地のすぐそばに住んでて毎日轟音でテレビの音声が聞こえなくなる人、毎日基地を大回りして通勤する人、過去に事件事故で家族が被害にあったことのある人、米兵さんと結婚した人、数年前に大阪から引っ越してきた人、その子ども、みんな沖縄県民であって、その意見は統一できない思想は自由なので当然だ
・ただ一つあるのは『選挙の結果』だろう
手続き論として多少の瑕疵はあるかもしれないが、選挙の結果で先の知事の決定は間違いだったとの判断が出たら、地方自治体として決定を考え直す権利ぐらいは当然あるのではないかと思う
(米軍基地はどうするべきか)
・普天間基地はなくすべきだろう、それは日本政府、米軍、沖縄県民、宜野湾市民、ほぼ全員が危険なので早くなくしたいと考えていて、それを人質に取る形で新たな負担をどうするかというのが現在の問題だと考えている
・そもそも普天間基地及び在日米海兵隊の問題は、そのまま廃止する、国外(グアムなど)に移転する、沖縄県外(徳之島など)に移転する、といった選択肢がある中、日本政府の、米軍の協力な武力を引き続き国内に置きたい、という思いと、沖縄県外に置いてもらうよう説得するのは無理だった、という調整不足の結果、まるでそこしか唯一の回答がないかのように沖縄県内新基地の建設が進められているが、要するに日本政府の意向と失策の結果を押しつけられているだけじゃないかと思う。
・よく「防衛は国の専権事項」だから地元自治体は黙って国の決定に従え、という意見を見るが、本当にそうならば日本国中どこにでも好きに置けるはずで、「唯一の選択肢」なんておかしいことになる、自由じゃ無かったから現状があるんだ。
・ではなぜ沖縄県内に代替基地を作るかというと、沖縄県の位置とか、離島という閉鎖された環境とか、亜熱帯のジャングルが訓練に向いているとか、連携すべき他の米軍部隊が多くいるとか、歴史とかとにかくどんなにでも理屈はつくが、結局は『現在そうだから今後もお願い』につきると思う
・「現在そうだから今後もお願い」これを呑むと終わりだ、沖縄県の基地負担は未来永劫、永遠に続くことになる
この国では『現状』の強制力がとにかく強い、どんな理不尽も、不平等も、論理破綻も、現状を維持すべきとの意思の前にはなすすべがない。抗うにはすさまじい労力が必要になり、そもそも論理が通用しないため、結果反対派を自力救済、暴力に向かわせる力がある。
まあ現状維持って結局、楽な方、楽な方、低い方に流れてるだけなんだが。
・なので新基地建設については、暴力に訴えてまで反対するのは悪手だし、どのような反対があっても最終的には建設されてしまうだろう、それが日本政府、ひいては日本国民選択の結果なのだから、という思いがある。
・その上で、沖縄県という地方自治体としては、新基地建設を絶対認めてはいけない、と考える。認めたらそれこそ最後、沖縄県民の将来的な損失を、これから永遠に撤回不能な悪しき前例を産むからだ。
・そもそも沖縄県内にある米軍基地は、沖縄県がここにどうぞと言って作られたところは一つもない、すべて銃剣とブルドーザで住民の意思を無視して作られた物だ、という前提がある。なのでそれを変更が困難な『現状』として引き継ぐのだ。新基地建設に同意してしまうと今度は『沖縄県、地元住民は新しい基地を建設することに同意した』という新しい現状が生まれてしまう、そしてそれを覆すことは絶対に出来なくなる。あの日あのとき新基地建設を認めたんだから今度もお願いね、と言われ続けてしまう。
・政治的な決定は言った言わない、0か100かでどんな条件を付けても無駄だ
前世紀に普天間基地の代替として、名護市への新基地を認めようとした際、「軍民共用」とか「15年期限」とか色々条件を付けたはずだが、それらはすっかり忘れ去られ、「一度は認めると言った」という一部のみが取り立たされる、ヤクザの脅迫を一緒だ。なので絶対同意せず、『地元の反対を国が強権で押し通し、強制建設された基地』というストーリーを持った基地にする、というところが落としどころではと思う。
(余談)
みんな『次の戦争』に備えるとき、記憶の中にある先の戦争がまた繰り返されると勝手に思ってしまう。だから今度もうまくいく、今度こそうまくいく、と戦争の準備を整える。
第一次大戦を教訓にマジノ線を作ったらベルギーから攻め込まれてあっという間に降伏したフランスや、日露戦争みたいな一発逆転を夢見て沈没した日本海軍とか
みんな『次の戦争』を考えるとき、太平洋戦争みたいに島々を巡った占領戦が行われるはずだ、そのときは今度こそうまくやってやる、と無邪気に考えすぎなんじゃないか。次に日本が宣戦布告されたり、するときは
http://b.hatena.ne.jp/entry/274073311/comment/aukusoe
しまじって同人作家のびっちんぽっていうビッチの男の娘の台詞らしい。
ホモかよ。
向日葵「そうですわね」(諦め)
http://b.hatena.ne.jp/entry/274067707/comment/aukusoe
で、このブコメはどうやら、元URLのツイッターの発言者が「さくら子」という名前で、
その「さくら子」(ゆるゆりでは櫻子)の彼女?的なキャラが「向日葵」という。
レズかよ。
榎本温子「そんな過去があるから、私でもプリキュアになれました」
http://b.hatena.ne.jp/entry/274065435/comment/aukusoe
元ネタが夢の中へという井上陽水の曲なんだけど、それをカバーした彼氏彼女の事情というアニメで
そして、その榎本温子はプリキュアスプラッシュスターでプリキュアを演じるまでにいろいろあった、ということが言いたいブコメのようだ。
プリキュアとか見てるのかよ。
女児かよ。
実はアルファ世界線がベータ世界線の17年後の未来で、オカリンを騙すためにみんな演技してる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/274053222/comment/aukusoe
元URLがシュタインズゲートというアニメのネタバレの話題で、
さもそれにのっかってシュタインズゲートのネタバレをしている、と思わせて
全然関係ないEver17というギャルゲのネタバレをしている。
ギャルゲとかしてるのかよ。
オタクかよ。
僕がもし親になったら、子供に左右を逆転させて教育しますね。(有名ミステリのネタバレ)
http://b.hatena.ne.jp/entry/274053089/comment/aukusoe
親に異常な教育を受けているという元ネタから真っ先に思いつくのが、全く有名でもないドマイナーなミステリな辺りがキモい。
ミステリーとか読んでるのかよ。
あざなわかよ。
西住「ハッピーエンドを、返してもらいに来た!」芝村「え? 誰?」
http://b.hatena.ne.jp/entry/274003358/comment/aukusoe
元URLがガンパレードマーチとガールズアンドパンツァーを混合してることから、
なのだが、このガンパレの台詞はドラマCDかゲームの没シナリオでしか流れない台詞。
ドラマCDまでわざわざ聞いてるのかよ。
声優オタクかよ。
三条「僕は、人間で、脚本家で、漫画家だ!」稲田「それを言うなら、俺達は、だろ?」(仮面ライダーWの映画運命のガイアメモリの改変)
http://b.hatena.ne.jp/entry/273978879/comment/aukusoe
原作の三条が稲田が休養中に脚本を書いていた仮面ライダーWの台詞をパロるというネタで、
仮面ライダーWが二人で一人の仮面ライダーだから、二人で一人の漫画家の彼らにはしっくりくるというネタのようだ。
女児アニメに飽き足らず仮面ライダー、しかも映画まで見てるのかよ。
男児かよ。
シックスナインが好きなんです! シックスナインが好きなんです! クンニにフェラの例えもある、シックスナインだけが人生なんです!
http://b.hatena.ne.jp/entry/273988076/comment/aukusoe
書いてあることは何も理解できないが、どうやら
井伏鱒二の花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だとい漢詩の訳をパロっているらしい。
文学とか読んでるのかよ。
あざなわかよ。
望月智充版:みやむーに脚本を書かせるも、リツコがゼーレに全裸で何をされたかを克明に書かれて発禁処分を受ける。
http://b.hatena.ne.jp/entry/273879993/comment/aukusoe
いろいろ調べた結果、どうやら望月智充というアニメ監督は、声優さんに脚本を書かせたことが何度かあるらしい、
そして宮村優子はAV疑惑があるから、そういうシーンを克明に書くだろう、というネタのようだ。
アニメオタクかよ。
にわちゃんと七瀬さんのフタナリ同人誌を読みたいので、青山剛昌先生は早く同人誌マークをコナンにつけてください。(捻りすぎ)
http://b.hatena.ne.jp/entry/273772889/comment/aukusoe
どうやら、ブコメページが「トリコ」という言葉で大喜利状態になっている、
そこから派生して、トリコロという漫画がある(ブコメのにわちゃんと七瀬さんというのは、この漫画の登場人物)
完顔阿骨打は青山剛昌のコナンの灰原アイの同人誌を書いている。
ということから、青山剛昌が同人誌マーク(二次創作許可書みたいなもんらしい)をつけてくれれば、
こ、これが二分間憎悪か。
http://b.hatena.ne.jp/entry/273772819/comment/aukusoe
自由民主主義国家□□の国民たちは毎日仕事を中断してホールに集まり、大きなテレスクリーンの前で、国家と国民の敵(特に××××ら)が登場する映像を見せられ、画面上の敵の姿や敵の思想に対してありったけの憎悪を見せなければならない。この「日課」が二分間憎悪である。
二分間憎悪でテレスクリーンに流される映像や音響は国民たちの心に反射的な恐怖と憤怒を沸き起こらせる。映像が始まり、国民最大の敵××××の姿が現れ、国民たちは非難の唸り声をあげ、やがて30秒もたたないうちに怒号をあげるようになる。映像の中の××××は誇張されたような調子で○○○○への非難をまくしたてる。その後ろでは△△△△たちが◎◎をする映像が流れており、××××の背後に敵国があることを強調する。
これらを見せられて熱狂的に憎悪をつのらせた国民が飛び上がったりテレスクリーンに物を投げつけるのも珍しいことではない。普段はおとなしいわたしも含め全員が、番組や周囲の空気に完全に同化し、恍惚感や破壊欲に貫かれ、絶叫しながら××××に憎悪の矛先を向けるようになる。番組の最後のほうでは××××の声が△△△△になり、その顔が○○○○に変わり、さらに□□□□へと変わる。ところがその瞬間、□□□□の顔は「○○○○」の落ち着きに満ちた顔へと変わり、直前まで恐怖していた人々は一斉に安堵のため息を漏らす。「○○○○」の顔が消え、「戦争は平和である 自由は屈従である 無知は力である」のスローガンが現れても国民たちの感動は収まらず、陶酔したように「○○○○」の愛称の低い合唱を続ける。