はてなキーワード: 事情とは
・基本的に恋愛の知識はネットやアニメや漫画から得たものしかない
・ルーティンから外れることを嫌う特性がある上に周りの目を過度に気にする
・そのため外食はもっぱら通い慣れたチェーン店しか利用しておらず、恥をかくのが怖すぎてひとりで行きつけのお店を開拓することができない
・恋愛や幸せに対する考え方が幼稚で独善的(自分が好きなことと相手の好きなことが一致することが幸せだと思っている、相手の喜ぶことに合わせるといった思考がない)
全部当てはまってそう
初デートサイゼ論争はことごとく議論が噛み合っていない様子である
サイゼ論争を眺めるにつけ、みんな明後日の方を向きながら演説しているだけなのに距離が近いから議論ぽく見えてしまっている……といった印象を毎回抱いている
この噛み合わなさの要因は一体何なのか
議論を観察するうちに気づいたことだが、実は「初デートにサイゼ」という事象には3つの捉え方があるようなのだ
初デートサイゼを語っている人間は大きく3つのグループに分類され、それぞれ常識や経験、世界観が全く異なっているために同じ「初デートサイゼ」を語っているように見えても実は全く異なるデートの事象を取り上げている
ここでは初デートサイゼ論争を繰り広げる層を3つに分類し、それぞれの層が指す初デートサイゼの正体について深堀りしてみようと思う
それぞれの誤解が解きほぐされ「初デートサイゼ」にまつわる相互理解に少しでも繋がれることを願っている
まずは初デートサイゼに対して激烈な嫌悪感を示している層である。
概ね下記のプロファイリングに該当する層であり、初デートサイゼ論争においては否定派に回っている
・結婚願望が強い
・恋愛経験があったとしても自分の理想の恋愛経験ができた経験はなく、過去の恋愛を黒歴史だと思い込む節がある
・相対的な価値観で幸せを感じる傾向がある(自分が好きかどうかではなく周りからどう見られるかを重要視している)
・「〇〇すべき」「〇〇しないとみっともない」といった「べき思考」を内面化している
こういった層が想定する「デート」とは、マッチングアプリ等によって知り合った人間との初めての顔合わせである
婚活をしない層からすると信じられないことだろうが、彼女らの思うデートとは「相手のスペックを品定めするための場」であり、純粋に恋愛の過程を楽しむためのものではない
さながら、事前に定められた規格に対してその製品が合格できるかどうかを確認する試験のようなモノなのだ
そういった層からすれば当然のことながら「初デートでサイゼ」はナシとなる
この層における初デートサイゼとは、「相手の男性の給料は相当低い」「自分を魅力的に見せる努力を怠っている無能力者」「こちらを舐めている、足元を見ている」「こちらを楽しませようという甲斐性は一切ない」などといったことを意味する符牒となるのだ
故に初デートサイゼ肯定派を見たとき彼女らは自身の価値を毀損させられたかのごとく怒り狂うし、あるいは「初デートにサイゼ悪くないじゃん」的なことを言う女性に対しては「穴モテのクソ女!!」といった反応を寄越すのである
初デートサイゼを支持する層ではあるが、こちらもこちらでデートに対する認知は歪みまくっている
プロファイリングは下記の通り
・基本的に恋愛の知識はネットやアニメや漫画から得たものしかない
・ルーティンから外れることを嫌う特性がある上に周りの目を過度に気にする
・そのため外食はもっぱら通い慣れたチェーン店しか利用しておらず、恥をかくのが怖すぎてひとりで行きつけのお店を開拓することができない
・恋愛や幸せに対する考え方が幼稚で独善的(自分が好きなことと相手の好きなことが一致することが幸せだと思っている、相手の喜ぶことに合わせるといった思考がない)
この層はデートを「恋愛関係に至ったあとにする行為」だと思ってる
より正確に言うなら、「好きです!付き合ってください!」などという告白によって交際がスタートし、その後初めてふたりで出かける行為を「初デート」だと思っている
しかも、基本的に女性に対して歪んだ幼児的な見方しかしておらず0か100かでモノを考えているうえ、「ありのままの自分をそのまま認めてもらえるのが良い恋愛」だという幼児的な世界観に脳みそが支配されている
「初デートがサイゼになるのは仕方ない(他にお店を知らないし怖いから)」
↓
「理解のある彼女ならこちらの事情を察して初デートサイゼに文句は言わない」
↓
「っていうか初デートで高い飯奢られようとするとか普通に性悪ビッチなのでは?」
↓
↓
「初デートサイゼは何もおかしくない!むしろ初デートサイゼに文句言ってんのは性悪のクソビッチ!」
と思っている
彼らからすれば層1の主張をする人はみんなビッチになるというわけだ
ネット上の初デートサイゼ論争は主に層1と層2が噛み合わない議論を延々と繰り返すことによって形作られている
が、実は層1も層2もノイジーマイノリティであり大半の人間が思う一般的な初デートサイゼの印象からはだいぶ外している
ではここでいう一般人とはどんな人なのかというと、
・自己肯定感もそれなりにある
といった人だ(逆に言えば層1と層2にこのような要素はない)
「趣味で知り合った間柄だと初デートサイゼも普通にあるよね、好きなバンドのライブ行ったときの食事とか簡単なものになりがちだし」
「あとから振り返って「そういえば俺達の初デートってサイゼだったねー」ってなることあるよね、友達以上恋人未満のときにノリでファミレス行ったりすることあるじゃん」
などと、個々の事情次第でそういうのもあるよね、といった反応になる
層1や層2と異なり「こうなるべき!!」といった思考には支配されていない
またそうであるが故にネットのレスバに参加することも少なく、仮に参加しても過激なことは言わないので意見は埋没しがちである
サイゼ論争を実りあるものにしたいならまずは相手の過去ツイートなどを漁って相手の人柄が何なのかを把握するべきだ
また、その姿勢を自分に向けて「なんで私は初デートサイゼにここまで感情が高ぶっているのか」を分析することも重要だろう
ここで紹介したプロファイリングも全部が全部当たるわけではなく、例えばこの間話題に乗っていた「女性をサイゼに連れて行って試すことの何が悪いんだ!」みたいなこと言っていた人は層1の異性版といえる
いずれにせよ、初デートサイゼに口角泡を飛ばしている時点で恋愛に対して歪んだ認知を持っていると言えるのでカウンセリングを受けたほうがいいかもしれない
お気持ち表明している奴もいるけど、サブカ文化が出来た理由にはちゃんと理由があるんだよね
複数車種があるようなレースゲームはコースごとに相性とかがあるわけだが、『頭文字D』はいわゆる地元補正というものが存在していた関係で最速車種の決め打ちに拍車がかかっていた
(秋名であればAE86トレノ、妙義であればR32GT-RやEG6シビックなど)
全車種登録が出来るようになったのはZeroの頃であり、それまではカード1枚につき3台まで、初期に至っては1枚につき1台のみという厳しい状況だった
このためタイムアタックで好成績を出すためにサブカを作るしかないという事情もあったのは確かである
後にこれを前提にした難易度のゲームモードも追加されたので、サブカを使わないと最後まで出来ないことも増えた
後にカードごとに名前を変えたロールプレイをするなどもあったが、現在はサブカがなくてもそうしたプレイスタイルが1枚で出来るようになったのでほとんど不要と言える
それから俺はセックスが怖くなり、女性自体が怖くなったのかもしれない。
暫くは彼女を作らずに居た。30代となり、そろそろ結婚を視野に入れるべきだと思うと、途端に焦りが生まれた。
合コンや街コンに積極的に参加した。この子いいな、と思うこともあった。でも将来が、付き合ってからのその先を想像できなかった。
結局、俺は未だにセックスを怖れていた。
このままでは駄目だ。自分を変えたい、変えよう。そう思って俺はソープに足を運んだ。
結果は失敗だった。そもそも起たなかったんだ。緊張とプレッシャーと、トラウマのせいだと思う。
何度も謝られ、居た堪れなくなったので事情をすべて話した。
それから「よくある話だと思う」と意見をくれた。どういうこと?そう尋ねると、彼女は思慮深く口を開いた。
そもそも初めてで上手くいく人の方が稀で、練習もなしに上手にできる方が不自然なのだと。
彼女は一瞬、驚いた表情を見せた。
ほら、練習するのにも相手が必要だし、こうして事情を話したキミになら頼めるというか…キミだから頼みたい。そう俺は畳みかけるよう話した。
彼女は微笑んだ。いいよ、と了承してくれた。
それから俺は月に二度、彼女のもとに通っている。部屋に入るまでは普通の客と嬢。そんな風に装いながらも二人きりになると俺は生徒で彼女は教師だ。
どういう風に愛撫するのが良いのか?挿入のタイミング、腰の使い方。学ぶ事で得られることは本当に多かった。
彼女のおかげで少しずつセックスが上手になったと思う。褒められる度、自信が回復しトラウマが薄まっていくのを感じられた。
久々に彼女を作りたい、と本気で思えるようになってきた。でも問題がひとつあった。
フラれるかもしれない。そんな学生みたいな恐怖心が心の中に蔓延り、未だ気持ちを伝えられずにいた。
今週末には授業日がある。俺は彼女に今度、告白のタイミングについて教えを乞うかもしれない。
そのタイミングは、ずっと後であってほしい。
非モテチー牛弱男の事情に男全体を巻き込もうとするから、男からも嫌われて男からも切断したい旨の言動が飛び出し、それを女が言ってる認定をする奴が湧いてきて、その認定をやってるのが非モテチー牛弱男だと認識する人が非モテチー牛弱男は救いようがないなとますます嫌いになるというループが起こってるんやぞ。
どうやって探せばいいんだろうか。
20年以上前の本だからか駿河屋とかとらのあなとかでも在庫がなく、歴代タイトルのデータすらあやふや。
せめてどんな作品が収録されてたのかが知りたい。
その作家はもう何年も活動してないし(そもそも生きてるのかすらわからない)、
まして同人時代の詳細なんて、今やネットで検索しても引っかからない。
悩ましいのは、妙にお行儀の良いファンが多くて「同人時代のことは本人が触れられたくないかもしれないから表立って話さないように」という界隈の雰囲気があること。
まあ商業デビューにあたってサークル脱けて個人サイトも消したとのことなので、その辺の事情を汲んでるのかなとは思うけど。
ちなみにその作家が所属してたサークルの別メンバーはTwitterアカウントあるけど、
というか凸るのはさすがに気が引けるし。
(本人周辺に認知されたくない。)
「漫画家はフリーランスのアーティスト業の収益構造を維持するために中小企業経営のような自転車操業を続ける必要がある二重構造である」という話をしたら(https://anond.hatelabo.jp/20240515193304)、それを読解することの出来ない馬鹿が、フリーランスのアーティスト業なら何にでも当てはまることを漫画家特有の事情かのように偉そうに講義してくる(https://anond.hatelabo.jp/20240515194535)という目に遭った。
これがほんと、無知の知がないってことだよなあと思う。
馬鹿が何故馬鹿なのかって言うと、自分が知らないこと、理解してないことが何かを理解することも出来ないから、自分の視点が足りてないことが、何故か相手よりものがよく見えてる証拠になると本気で思ってるんだよな。
まあただ、こんな抽象的なことを言うだけでは「自分を客観的に見れないことはみんな同じだから誰も馬鹿かわからないことになる」とかって屁理屈が言い訳に使われるので、もう一歩踏み込んだ話をしよう。
これを高精度で見分ける方法は普通にあって、それはこういう風に「他人へのリアクションでしか言いたいことを言えない」奴は大抵馬鹿ってこと。
本当に他人より上の目線でものを考えてる奴なら、それを語るのには一次発信をする必要が出てくる。
その必要を覚えず、他人へのリアクション、コメント、ブコメ、トラバ、SNSのリプライばかりして賢ぶってる奴は、ほぼ間違いなく100%自分を賢いと思い込んでる馬鹿。
反論されないところから相手の揚げ足を取ることばっかりやってて、本当に批判的思考力がつくことなんてないのよ。だって、批判的思考力って、自分の気づいてないことを気づこうとする努力とか、それで磨かれたセンスのことなんだから。
でもそれを、逆に考えてしまうのが真の馬鹿なんだよね。批判されないところから他人の揚げ足ばっかりとってるのが、成功体験だから賢くて偉い証拠だと本気で思い込んじゃう。
オレオレFCはセレッソ大阪に5ー1で快勝。今季初の3連勝となった。
前半23分にPKを献上するも、GK望月がレオ・セアラのシュートを止めると、終了間際に逆にPKを獲得し、MF鈴木潤が決めて先制点を奪うと、後半4分にDF岩田、16分にFW森永が追加点。1点を返されたが、後半ロスタイムにも立て続けに2点を追加した。
「チームが勝てたことが一番」と鈴木潤主将は笑顔を見せた。一時期、サポーターとの一触即発で、チーム空中分解という混乱を乗り越え、3連勝と結束。次節は15日、アウェイで首位・ヴィッセル神戸と対決。「自分達の力を示したい」と意気込みを口にした。
●C大阪は連敗を喫した。前半から優位に進めたが、前半終了間際に先制点を奪われると、後半には4失点するなど、守備が崩壊した。小菊昭雄監督は「スコアが示す通りの完敗となった」とガックリ肩を落とした。
DF登里、DF毎熊が故障離脱するなど、台所事情は厳しい。唯一の得点を挙げたFWレオ・セアラの表情も厳しく「勝利しないと意味がない。何が足りないかを見直して、時間がない中で改善しないといけない」と話した。
詳しい内容は伏せるがものすごく簡潔に説明すると、”実在する人物”の二次創作で反差別を暗に訴えているアンソロジーが制作された。
みんな、プロフィールには虹の旗や、それに関する思想を表示していた。
でも、なぜ、自分の思想倫理を、”実在する人物”の二次創作で、訴えるのか。
公式では同性愛ではないキャラのBLを描いて(ここまでは別になんとも思わない)
それに付け加えて「LGBTは自由!」という主張を攻撃的に行って、公式すらをも否定しており、自分の意見にそぐわないアカウントは空リプで悪口をこぼす。
それで、ゲームのキャラの年齢やマイノリティが変更された例がある。
存在している人間の思想をゆがめ、ガワだけをはぎ取り、中身を自分自身の都合の良い妄想で固める。
すべてに対してのリスペクトをまったく感じられない。
なぜそこまでわがままにふるまえる。なぜ自分たちを正当化できる。
なぜ自由を求めるくせに「どうして自由であるか」を考えられない。
せっかくその「人物」が積み上げてきたものを、強自己主張人間たちが荒らして無下にするこの状況があまりにも悲しい。
いつの間にか「二次創作」を「ファンアート」と呼ぶようになった。
セクシャリティ多様性の時代に「男らしくない」の時点でもう既にアウトだと思う、ってか普通に考えておかしい。取り立てて酌むべき事情があるわけじゃないのに、キチンとした責任感のある大人としての振る舞いを持てない幼稚な男性が多い現代日本社会がゆううつ。
昔、彼女を見つけるためにXを彷徨っていたんだけど、今でも少し気になっていることがある。
レズやバイ、体感的にメンヘラ・精神疾患持ち・家庭事情に難アリの女が多すぎる。
新しい出会いを求めてタグから検索したりしてたんだけど、裏垢界隈・自撮り界隈・メンヘラ界隈と掛け持ちしてる人多かった。
本当に心を病んでない普通の人(いやな表現)を探すのがどれだけ大変か。
だから、何となく同性愛が後天的要因なんじゃないか、とうっすら思っていたりする。
過去の何かしらで 男への不信感や嫌悪感を持った人、不足した母性や愛情を他人に求める人…
「かっこよくて紳士的で高身長な中性〜ボイタチ」「余裕があって自分を可愛がってくれる、年上のフェムタチお姉さん」の莫大な需要を考えると当たらずとも遠からずな気もする。
結婚相談所で婚活をやっていると「え?んん?」と違和感を覚える人に遭遇するのは日常茶飯事で、むしろ多すぎていちいち気にしていられない(そもそも自分のその一人)
子供を持たないDINKs希望で、現在は実家住みの4つ年上の女性だった
まず「動物関連の仕事」は動物愛護団体のボランティアの事だった。もちろん給与は出ない
稼働時間は10,11時間ほどあり結構ハードな為、家事は多めに負担して欲しいとの事だった
自分も犬を飼っているし積極的に子供を希望している訳ではないので、DINKs希望の「動物関連の仕事」をしている人は合うかなと思ったのだけれどあまりにギバー過ぎて引いてしまった
何が悲しくて年上女性の生活費を出してあげて世話もしてあげないといけないんだろう
腹立たしいのがこれらの事情を3回に渡るアポで良い感じに小出しにされたこと。搾取する気まんまんじゃん!
最初は両親がうるさいから結婚願望ないけど相談所に入って活動する振りだけしている可能性を考えたが、自分のアポの前後に別のアポを入れていたのでおそらく違うっぽい。本気でパトロン兼お世話係を探しているのだろう
もちろん誰しもが自分に都合の良い相手を探しているので完全に悪という訳ではないと思う。でも少しくらい逆の立場になって考えてほしいよ。誰が無職で家事のやる気がないおじと結婚する?
ほとんどの婚活男性は子供を持つ為に婚活しているから相手の収入や家事スキルを大目に見ているのであって、子供を希望しないのであれば収入や家事スキルを求められるのは当然なのよ
昨年育休より復帰
が、いざ復職するも具体的な分担の話はできないまま
私がほぼリモートの一方で夫は地方の役所づとめで毎日遠距離通勤(片道1.5時間、平日朝は6時には出て帰りは20時近く)もあり、復職前と変わらず平日ほぼワンオペ状態が半年以上続いてました
仕事で色々あったこともあり、育児家事分担が妻である私に偏ってると感じ分担の見直しの相談を持ちかけました
ここでよくなかったと反省はあるのですが、前段で他の家庭での話を出してしまいました
うちの会社の同世代以下の男性陣がかなり育児に協力的な人が多く、奥さんが専業でも平日終業後は育児家事専念してる、などの話を聞いた直後でしたので、その話を夫にもした後に分担の話を切り出しました
今思うと、比較され気分も悪かったかとも思いますが、こちらもいらつくことに、返答として「人は望めば望むほど更に望む」といった主旨の話を夫が切り出しました
(イラつきマックスで詳細忘れましたが、当時よく読んでいた仏教関連の話から引用したそうです)
更に「具体的に何すればいいの?」と聞かれたので、保育園の準備や朝ごはんの用意など、いまの通勤形態でもできる内容を挙げました
ここでまた、聞き方が人を馬鹿にしているとしか思えないもので、私が「保育園の準備」などと言うと「あとは?」と、こちらが分担したい家事育児を挙げるのに対して、ただ一言「あとは?」を繰り返すのみです
今思えば仏教の話にある、望めば望むほど、を繰り返しの問で気づかせようとでも思っていたのかとも思いますが、私としては話し合いする気もないとしか受け取れないし、真剣に相談したかったのに対してバカにされているとしか感じられませんでした
その場は私が呆れ返ってしまいそれ以上の話ができずだんまりモードで話し合い(?)も打ち切りとなりました
それ以降、望めば望むほど、と返され傷つくのが嫌で愚痴も相談もできなくなりました
今度話しをするとしたら、離婚を切り出すときくらいかなと思います
本人も言ってましたが、家事など「やれるところはやっている」※ので、ゴミ出しや洗濯干しなどやってもらっているところも確かにはあるので、その多少の支援と一緒の空間にいることの辛さとの天秤がいずれ崩れたときが決断のときかなと思います
(※夫が「やれないところ」は否が応でも私が対応してる点を言った上で上記の流れになった点もあったのを書いてて思い出しまたイラつきが再発してきました、、)
いないと思って全部自分でやるほうが精神的には楽なのではという割合が最近増えてきました
直近だと飲み会に関しても思うところがあったものの、仏教の話切り出されるのが怖くて思うことを言えませんでした
子供2人目も考えたかったですが、現段階では産後の負担を考えて(かつ生理的にも)到底無理そうです
年齢的にも難しい齢に踏み込んできているところだったので、もともと考えどころではあったものの、こういった事情で諦めざるを得ない状況になってしまっているのは自分としても結婚当初は想像もつかず大変残念なところではありますが、そういった相手であることを分かりきれずに選んでしまった自分の落ち度でもあるかなと思い、自分自身を無理やり納得させている状況です
吐き出しどころもなくモヤモヤしてましたが、せめてもの決断のときの証跡にでもどこかに残しておきたかったのでここに投稿させていただきます
10年ツイッターをやっていたら一部のフォロワーがゆっくりと限界人間になってきた anond:20240505130439
元記事は同世代のフォロワーを分岐による無常で見ているが、自分の場合はかつて輝いて見えた年上の人がすっかりダメになってしまった、というパターンで最近悲しみを覚えている。
今時子供がネットをやってるなんて当たり前の事だが、当時はまだスマートフォン社会ではなかった頃で、インターネットをやってる小学生なんてなかなか周りで出会えなかった。そんな時代。
暫くしてまだ「最近出てきた新しいホームページ」だったTwitterにアカウントを作ると、必然的にフォロワー全員は年上だった。それも2、3個上とかではなく、10も20も上という人ばかりだった。
現実世界ではとても対等に話せるような年齢の人ではない人ばかりと話す事が出来たので、相手が大きく見えて常に恐縮だったし、なんだか自分も大人になったような気がした。
「あの頃とても大きく見えたお兄さんお姉さん」だった彼・彼女らの殆どは、どちらかというと悪い意味で変わっていないか、悪化したかだ。
その人が20代ぐらいの頃はさほど気にならなかった言動も、年を重ねるごとに「この人30過ぎててまだこんななのか」「もうこの人50ぐらいじゃなかったか?まだこんな事言ってるのか?」という負のブーストがかかってしまう。
加えて、自分より年下の10代からハタチそこそこぐらいの今時の子たちは、かなり聡明な子が多い。
そんな若い子たちを見ていると無意識に比較してしまい、余計にその思いが強まってしまう。「私より年下の子ですらこんな聡いのに……」と。
オタク友達としてフォローしたはずなのに、いつの間にか性犯罪の話しかしなくなったフォロワーが何人いることか。
まあ、性犯罪は悪い事だというのは正しいし、男女平等だったら良いねというのももっともなのだが、だとしたらせめて、フェミニズムに真剣になったらどうだろう。と思ってしまう。
真面目に活動とかするなら分かるんだけど、やってる事は誰かのツイートをRTして仮想敵にぷりぷり怒ってるだけという感じで、なのに「自分は真面目に社会問題に取り組んでる!」と思っているのが悲しい。
あと、彼らは本当にインターネット歴が長いのか謎なほど、ソース確認意識が弱い。
例えばヤフーニュースの見出しだけ見て連投で怒り出したりするが、記事を開いて中身を見ればそうじゃないのはすぐ分かるのに。みたいな事が多い。
特に去年多かったのが、「イーロン・マスクが次はこんなクソ改修をするぞ!」を焦って拡散し、結局ちょっと調べればデマだと分かる、というようなやつ。
いや、見出しで釣りあげようとするニュース記事も実際にトンチキ改修を結構しがちのイーロン・マスクも悪いけど、それよりインターネット何年目よ。
デマを拡散したり、扇動的なツイートに簡単に釣られたりする人をTLに残すのは危険だ。
あまり酷いようだと本人もミュートにしたり、最悪フォローを外す。10年来の仲でも簡単に切れてしまう。
無害なだけで残念に感じる事は他にも色々ある。
40代になっても「良い高校出身なんだ!」と自慢してくる人(しかもこういう人に限って言うほどの名門ではない、地元ではちょっと上の方ぐらいの高校)
40代になっても毒親に虐げられた話を延々と続ける人(しかもこういう人に限って言うほどの毒親ではない、どのエピソードを聞いても口調がサバサバしてる以上の問題行動が出てこない)
三十路越えてソシャゲ運営のいちいちの動きに一喜一憂しヒステリックになり癇癪を起こす人(「きっとこういう事情があるんだろうな、残念だけどしょうがない!」と割り切ってる10代がすぐ上に居たりすると悲壮感が凄い)
など、挙げれば例は尽きない。
これが悲しい事に、同じ年代の人が皆そうという訳ではなくて、例えば仕事でそこそこ自己実現出来ていたり、オタク仲間で絵を勉強して今やイラストレーターとして食えてる人とかは、かなり人格的にも安定し、上記のような事が起きない。
トラバ元の記事では、ライフステージが進行した者としない者の対比を描いているが、「結婚しているかどうか」は自分の感じる体感では実のところ微妙だ。
というのも、結婚してからクソ旦那系の話題にしか飛びつかなくなってしまった人とか、逆に結婚相手に過度に依存してしまってメンヘラみたいになってしまった人などもいて、精神の安定と結婚の有無はあまり関係ない気がしてきている。
皆「大した事してないけどなんか適当なインターネットしぐさをする事で社会活動に参加してる風ムーブ」をしなくてはならない何かを抱えてしまっているのだろう。
けど、今から取り返そうという努力をするでもなく、新しいものも吸収しなくなる、好きなものの話はいつしかしなくなり浅瀬の知識もないニュースの話だけ、どんどん話が合わなくなる。
腐女子やってるくせにリアルで恋愛したり結婚したりしている人って一体なんなんだろ
BLが好きってことは世間で「普通」とみなされている恋愛に反感を持っているってことじゃないの?
リアルの男なんて毛むくじゃらで汚いし荒っぽいし声大きいし怖いしマジで女にとって害でしかないと思う
そんな男と女が二人セットでツガイになるのが普通とされている世間の風潮も嫌い
そもそも恋愛なんて女が損するばかりで何にもメリットがないじゃん
妊娠の恐怖を背負うのは女だし性欲の解消も男にもたらされるメリットだしこっちは男のために化粧も服も金をかけないといけないのに男はそれほど金をかけずに済むしそれでいて平均賃金は女のほうが低いし甲斐性なしの男が増えてご飯を奢るのすら渋る有り様だし今の世の中男女で恋愛する価値なんてないと思う
もちろんこういう思考が世間的に異常だとされているのは知ってるよ
でもこの異常な思考を責められることなくむしろ共感しあえるのが腐女子のコミュニティじゃないの?
そうやってリアルの男なんかに煩わされない理想の恋愛を楽しむことができるからみんな腐女子になってBLを楽しんでいるんじゃないの?
ツリーに「彼氏を売り子として連れてきた」みたいな話があったけど本当に信じられない
彼氏がいたり夫がいたりリアルの恋愛を楽しんでいるような腐女子は本当の意味の腐女子じゃないと思う
「最近の女オタクはファッション感覚で腐女子名乗ってるな」ってずっと思い続けてきた私だけど男オタクにもそういうのあるんだと思って少し安心した
オタク趣味は私のような人にとっての「救済」だったのに、オタク趣味以外にも生きる道があるような人がファッション感覚でこちらの領域に入り込んでいることにゾッとする
【追記】
たくさん反応をもらってびっくりしている
個々の意見にそれぞれ反論する気はないけどとりあえず釣り認定している人に対しては「これは釣りじゃない」と言っておきたい
少なくとも私のXのTLに流れてくるフォロイーやフォロワーはみんな私と同じような理由で腐女子をやっているよ
オフ会でも「リアルの男なんて死ねー!」「BL漫画の壁になりたい!」「こんなクソ男ばかりの世界なんてさっさとおさらばしたい!」「それかこの世界の男が全部二次元になれ!」って言い合いながら酒飲んでるよ(もちろん言ってる内容自体は冗談だけど)
逆に私の意見に反論している腐女子たちにはカマトトぶってるんじゃねーよと言いたい
仮に自分の好きなBL漫画の作者がXで「最近好きな人ができた」とか「彼氏ができた」とかリアルの恋愛の話をつぶやいていたらよってたかってぶっ叩くでしょ?
リア垢とBL漫画の垢を分けているのだってリアルの充実した日常話を腐女子に向かって開示することに後ろめたさがあるからじゃないの?
確かに「彼氏いるやつは腐女子引退しろ」って書いたのは言いすぎだったなと思うよ
別にリアルで恋愛しててもいいけどそういうファッション腐女子はきちんと自身が腐ってることをわきまえてリアルの事情を一切表に出さずにマナーよく振る舞って欲しいと思う
最近腐女子であることを公にしたり検索避けやらなかったり公式にすり寄ったり腐女子全体の印象を悪くしているようなマナーの悪い人間がやたら増えたけど、それは十中八九ファッション腐女子の増加と関係があるんだから