はてなキーワード: 乱造とは
留学先で女性を妊娠させて見捨ててしまう話なので、近頃は評判が非常によろしくない。そのくせ、この文体のせいで美しいと感じてしまう自分がいて、実はこれ、レトリックや文体によって騙されることに注意しろっていう警告なんじゃないかって気もする。「自分のおすすめ編」にも書くつもりなんだけど、ナボコフ「ロリータ」もそういう自己正当化がとにかくうまい。
余談だが、鴎外自身は東洋人だったこともあり、留学先では写真を撮らせてくれと頼まれたことがあったという。それに対して、構わないけどもあなたの写真も逆に撮らせてくれ、と言って、相手も満足させつつ日本人としての尊厳も守ったことがあって、これは割と好きなエピソードの一つ。まあ、漱石よりは世渡りがうまいよな。
古風な文体で挫折しかかるも何とか読破。これよりは幼馴染系の「たけくらべ」のほうが好きだったなあ。増田では古文がいるかどうかで議論になったことがあったらしいが、古文がすらすら読めるほうがこういう趣味というか楽しみが増える気もするし、純粋に実用面だけでいえば法律用語や古い公文書を読む必要がまだあるんじゃないのかな。
「舞姫」の話の続きだけど、古典文学にもやっぱりクズエピソードは結構あり、じゃあどれを教えてどれを教えないかは割と難しい。
僧侶が山間で美しい妖怪と出会う話。文庫のちくま日本文学全集で読んだ。全集と銘打っているけど、このシリーズは日本の近現代文学作家のベスト盤みたいな感じで、チョイスはいいのだけれどときどき抄、つまりダイジェスト版みたいなのが紛れていて、コンプリートしようとは思わなかった。
話としては幻想的ですごく好き。幻想譚が好きな自分がどうして泉鏡花にどっぷりはまるまでいかなかったのかが不思議なほどだ。当時は、著名な作品をどんどん消化しようと思って乱読していたからかもしれない。そういう意味でも、課題図書を読破することが自己目的化した読書には幾分害がある。
とても好き。小説が読めなくなったときには、文豪の書いたこうした随筆というか、風景描写の豊かな文章を読むことで、自分のリズムを整えたくなる。外出の難しい昨今、こうして空想の世界でだけでも豊かな自然のなかで過ごしたいものだ。五感が刺激される文章というのはなかなかない。
我輩を吾輩に修正。
ここ最近は漱石の評判はあまりよろしくないと聞く。所詮は当時の欧米の文学の輸入に過ぎないとか、結局は男社会の文学だとか。言われてみれば確かにその通りなのだけれども、日本の近代文学の開拓者にそこまで求めちゃうのも酷でしょうと思わないでもないし、この作品からたったの十年で「明暗」にまでたどり着いたのだから、やっぱりすごい人ではないかと思う。五十になる前に亡くなったのが惜しまれる。
で、肝心の内容だが。基本的におっさんがおっさんの家をたまり場にしてわいわいやる日常ものなので、当時の人にしか面白くないギャグを除けば、普通に笑える。最終回は突然後ろ向きになるが、もしかしたら漱石の本分はユーモアにあるのかもしれない。
余談だが漱石の留学時代の日記に付き合いのお茶会について「行カネバナラヌ。厭ダナー」とのコメントを残している。
素直に面白かった。若干のプロパガンダっぽさがなくはないが、読んだ当時は差別する側のねちっこさや意地の悪さが良く書けているように思われた。とはいえ、昨今は善意から来る差別についても考える時代であり、問題はより複雑になった。
被差別部落問題については気になっているのだがなかなか追えていない。日本史について読んでさまざまな地域の実例について断片的にかじった程度だ。それでも、地域によって温度差やあったり、差別対象が全く異なっていたりすることがわかり、どこかで日本全体の実情について知りたく思っている。
女中の布団の残り香を嗅いで悶々とする話だってことは覚えているんだけれども、読んだときにはあまり印象に残らなかった。なぜだろう。自分が読んできた近代文学は、基本的にダメな奴がダメなままうだうだする話ばかりだったからかもしれない。その多くの一つとして処理してしまったか。
で、自分が好きなのは飢え死にするほど悲惨じゃないくらいのダメさであり、親戚のちょっと困ったおじさんくらいのダメさなんだろうと思う。
読んだことがない。ただ、ドナルド・キーンの「百代の過客〈続〉 日記に見る日本人」によればこんなことを書き残しているそうだ。「僕ハ是レカラ日記ハ僕ノ身ニ大事件ガ起ツタ時ノミ記ケルコトニ仕様ト思ツタガ、矢張夫レハ駄目な様デアル。日記ヲ記ケ慣レタ身ニハ日記ヲ一日惰ルコトハ一日ヲ全生涯カラ控除シタ様子ナ気ガスル。夫レ故是レカラ再ビ毎日ノ日記ヲ始メ様ト思フ」(意訳。日記書かないとその日が無かったみたいで落ち着かない)。ここでツイッターに常駐している自分としては大いに共感したのである。そのうち読もう。
読んだはずだが記憶にない。「暗夜行路」で娼婦の胸をもみながら「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶよくわからないシーンがあったが、そこばかり記憶に残っている。これを読んだ当時は、この小説のように自分がどれほど理想を抱いていたとしても、モテないからいつかソープランドに行くのだろうな、とぼんやり思ったことを覚えている。
ちなみに、自分が初めて関係を持った女性は貧乳だった。だがそれがいい。
お父さんとうまくいっていない人は子供の才能をつぶす話である「清兵衛と瓢箪」が刺さるんじゃないかな。あとは少女誘拐犯視点の「児を盗む話」もよかった。
大学時代知り合った文学少女から薦められて読んだはずなのだが、覚えているのは「阿房列車」の何編かだけだ。それと、いつも金に困っていて給料を前借りしていて、そのことのまつわるドタバタを描いた作品や日記もあって、そうした印象ばかり残っている。
関係ないけど就職活動中に、この文学少女から二次関数を教えてくれと言われ、片想いしていた自分はそのためだけに都内にまで足を延ばしたことがある。いいように使われていたなあ、自分。あいつには二度と会いたくないが、元気にしているかどうかだけは気になる。
めんどくさいファンがいることで有名な作家。全集には第三稿や第四原稿が収録されており、比較するのも楽しい。俺は〇〇は好きだが〇〇が好きだと言ってるやつは嫌いだ、の○○に入れたくなる作家の一人。○○には「ライ麦畑で捕まえて」「村上春樹」「新世紀エヴァンゲリオン」「東京事変」などが入る(註:この四つのものとその愛好家に対する歪んだ愛情から来る発言です。僕も全部好きです。すみません)。サブカル系にはこれがモチーフになっているものが数多くあり、その点では「不思議の国のアリス」と並ぶ。
思想に偏りはあるが、独特の言語感覚や観察眼は今でもすごく好きだ。余談だが新書の「童貞としての宮沢賢治」は面白い。
知り合いにいつもぬいぐるみのキーホルダーを持ち歩いてかわいがっていた男がいたが、それで本人が落ち着くのならいいと思う。不安の多い世の中で、人が何か具体的に触れるものにすがるってどういうことなんだろう、って、ってことをこの作品を思い出すといつも考える。どこで読んだか思い出せなかったが、これもちくま文庫の全集でだった。
狭いコミュニティの中でこじれていく人間関係の話ではあるけれども、新潮文庫の場合は表題作よりも他の話のほうが気に入った。印象に残っているのは十二人の旅芸人が夜逃げする「時間」と、ナポレオンがヨーロッパの征服に乗り出したのはタムシのせいだったという「ナポレオンと田虫」。
実はこの作品は読めていない。谷崎作品は割と好きで、「痴人の愛」「刺青・秘密」「猫と庄造と二人のおんな」「細雪」は読んだ。「痴人の愛」という美少女を育てようと思ったら逆に飼育される話は自分の人生観に多大な影響を与えたし(例の文学少女に気持ちをもてあそばれても怒らなくなってしまったのもこれが遠因だろう)、「細雪」はただ文章のリズムにぷかぷかと浮くだけで心底気持ちがいい。ついでに、戦時中の生活が爆弾が実際に降ってくるまでは震災やコロナでただよう自粛の雰囲気とそっくりだったこととよくわかる。
ところで、最近久しぶりに谷崎作品を読もうと思ったら、ヒロインの名前が母と同じだったのですっかり萎えてしまった。というか、ここ最近趣味が「健全」になり始めていて、谷崎作品に魅力を感じられなくなっている。感覚がどんどん保守的になっていく。これはいかん。
高校生の頃に読んだのは確かに記憶に残っているのだけれど、高校生に川端康成のエロティシズムが理解できたかどうかはよくわからない。たぶんわかっていない。せいぜい伊豆の踊子の裸の少女を読んで、ロリコンを発症させたことくらいだろう。
太宰はいいぞ。自分は愛される値打ちがあるんだろうか、というテーマを本人の育った境遇やパーソナリティの偏りや性的虐待の疑惑に求める説は多いが、そういう心理は普遍的なものでもあり、だから多感な時期に読むとわかったつもりになる。芸術に何歳までに読むべきという賞味期限は原則としてないが、これもできるだけ若いうちに読んでおくといい。太宰の理解者ぶるつもりはないが。
もっとも、本ばかり読んで他の活動をないがしろにしていいものだとは全く思わない。あまりにもドマイナーな本を読んでマウンティングするくらいならバンジージャンプでもやったほうが話の種にもなるし人間的な厚みも出るというものだ。たぶん。
天才的。男性のあらゆる種類のコンプレックスとその拗らせ方を書かせたら彼の右に出るものは少なかろう。ただ、大学を卒業してから突然読めなくなってしまった作家でもある。息苦しくなるまで端正に磨きこまれた文章のせいかもしれない。
極限状況下でのカニバリズムをテーマにした小説なんだけれども、途中から戯曲になって、「食べちまう葬式ってえのは、あっかなあ」などとやけにのんびりした台詞が出てくるなんともユニークな小説。ただし、これは単なるブラックジョークではない。物語は序章、戯曲の第一部、第二部と別れているのだけれども、その構成にきちんとした意味がある。
人類全体の原罪を問うようなラストは必見。あなたは、本当に人を食べたことがないと言えますか?
祖父母の家から貰ってきた作品で、愛蔵版らしくカバーに入っていた。カフカにはまっていた時期だから楽しんだ。カフカの父親の影から逃れられない主人公とは別の種類の渦巻にとらわれてしまった主人公がだらだら、ぐだぐだしてしまうのだが、カフカが男性によって抑圧されているとしたら、こちらは女性に飲み込まれている文章だ。
未読。不条理な陸軍の中で、最強の記憶力を頼りにサバイブする話だと聞いて面白そうだと思い購入したのだが、ずっと積んだままだ。これに限らず、自分は戦争ものの小説・漫画をあまり読んでない。戦争に関しては文学よりも歴史書からアプローチすることが多い。
これは自分の悪癖だが、戦争ものになると庶民よりも知識人にばかり感情移入してしまう。
大江健三郎は初期の作品をいくつかと、「燃え上がる緑の木」三部作を読んだきりで、どういう態度を取ればいいのかよくわかっていない作家の一人だ。狭い人間関係の中のいじめだとかそうした描写に病的に関心のあった時期に読んだせいで適切な評価ができていない。
「燃え上がる緑の木」は新興宗教や原子力発電といった(結果的には)非常に予言的であった作品であったが、癖が強くカトリックの宗教教育を受けた自分であっても世界観に入り込むのに時間がかかった。「1Q84」よりもきつい。面白いが。
大学時代の友人に薦められて読んだ。「この家の主人は病気です」と、飢えて自分を食ってしまったタコの詩ばかりを覚えている。覚えているのはこれだけだが、この二つが読めたからいいか、と考えている。大体、詩集ってのはピンとくる表現がひとつでもあれば当たりなのだ。そして、それはあらゆる書物にも当てはまることである。
祖父が学生時代に送ってくれたのだけれども、ぱらぱらとしか読んでいない。
子供向けのものだった気もするし、近々原文にチャレンジするべきか。自助論(西国立志編)なんかと合わせて、自己啓発書の歴史を知る意味でも興味深いかもしれない。
読もうと思って読めていないけれども、これまたドナルド・キーンの本で面白い記述を見つけた。「墨汁一滴」の中に、つまらない俳句を乱造しているやつの作品にはどうせ碌なもんなんてありゃしないんだから、そういう連中は糸瓜でも作ってるほうがマシだ、という趣旨のくだりがあるそうだ。創作する上でのこういう厳しさは、いい。
「ローマ字日記」しか読んだことがない。たぶん日本で最初にフィストファックが描写された文学かもしれない。春画はどうか知らないけど。
堕落と言いつつもある種の誠実さについて語った本だった気がするが、それよりも新潮文庫で同時に収録されていた、天智天皇と天武天皇の家系にまつわる謎についてのほうが印象に残っている。
まだ挙がっていないのだと
『ガールズ&パンツァー 最終章 継続高校はらぺこ食事道』/『ガールズ&パンツァー』
とかかな。
『衛宮さんちの今日のごはん』、『1日外出録ハンチョウ』、『幼女戦記食堂』、『盾の勇者のおしながき』、『野原ひろし 昼メシの流儀』、『闇金ウシジマくん外伝 らーめん滑皮さん』、『はたらく魔王さまのメシ!』、『THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS After20』。
スピンオフのグルメ漫画が乱造されすぎってのは、ある程度アンテナ張ってたら共有できる前提なんだけれども、まあピンとこない人が多いのも仕方ないよ。
安易だって自覚は出版社にもあるから、企画は通しても本気で売る気はない。
売る側のやる気がないから、読み手も興味が湧かない(そもそも認知されにくい)。
漫画担当の人も原作のキャラを逸脱しないよう無難に書くから、企画の陳腐さと相まって毒にも薬にもならない(ワンパターンな)内容に終始する。
そのせいで出来が良いか悪いか、面白い面白くない以前の問題になりがち。
まあ、たぶん「食」という一大要素の潮流に乗って、あわよくばファンや物好きが買ってくれればいい位に考えているんだろうなあ。
あからさまに、オタクは商業コンテンツの乱造によって殺されたであって
オタクが死んだみたいなのは 空きられた感があるけど 明らかに違うだろ
こちらの支払いが不足しているというのはあるかもしれないが コンテンツにはきちんと課金してる
廃人じゃねーけどな
そのなかで バカはオタクコンテンツなら何でも金払う路線みたいなのが 増えてきて
すこしはなんつーか公共事業とおもって買うけど あたりが減りゃ オタクでも買わなくなる
ようするい
つまらないのは3話まで4話に1回はサービスシーン入れろ みたいなのにちかい
課金する準備はあるぞ 自分の分もそうだし 税金も オタクはみんなおんなじだろ
だけど 金 金 金 こいつら オタクコンテンツ入れときゃ 払う と思われてたら コンテンツなんてあっという間に死ぬだろ
そこまでやるわけじゃないけど
パチンコといえど
世の中全部がこうなる!ってもんじゃないからあまりこういう議論はどうかと思うが一応突っ込んどく。
スマホゲームの高コスト化はガチャありきのものだからガチャ自体が白眼視されつつある中でどこまでできるか不明瞭。二次創作と組み合わせて長期コンテンツ化をなしとげたfateや艦これはまあともかく。
アニメなんか粗製乱造で作画の良さが大前提ではあるが乱造過ぎて儲からなくて先が見えない。
ディズニーやネトフリの大作はまああるにはあるが、バズといえるほどじゃないだろう。そもそもあの辺りは一般のサブカルとは一線を画している。
スマホゲームとネトフリがギリギリあり得るか程度だがさすがに君のは20年前のネット時代前の感覚過ぎる。
鬼滅の刃みたいにバズりかけのものを一気に物量でばずらせておしまい。というのがギリギリあるんじゃないかと思う。儲かるが長期的なコンテンツにはならない。
ただ昔のアニメのワンクールごとに嫁が変わるというのが、たまたまバズったもので嫁が変わるになるかぐらいだと思う。自称最先端を歩んでいるという連中向けに、コロコロ最先端のコンテンツが変わっていってもらわないと困るから程度で。
二次創作を批判する記事が話題に上がっている https://funny-creative.hatenablog.com/entry/20200106/1578318490 ので所見を述べる。(主観的観測にのみ基づいているのであまり価値のあるものではない)
まず私としては二次創作は基本的に容認されるべきだと考えている。
理由はいくつもあるが、まず、二次創作批判派の多くは自身の犯罪行為を正当化したいだけだ、と思えるからだ。例えばなんJなどで同人関連のスレがあると、違法ダウンロードを公言して憚らない連中が、「二次創作は著作権違反だから割る。オリジナルにはちゃんと金払ってる」などと頻繁に書き込んでいる。また、コミケ徹夜組インタビューでも、インタビューされている徹夜組が、コミケは二次創作の温床だから徹夜を批判される謂れはない、などと宣う。さらに同人作家のRed Light氏 が自身の作品の著作権侵害に対し遺憾を表明したところ、「でもお前も著作権侵害(二次創作)してるじゃん」という旨のことを言われた、なんてこともある。
そうした難癖を受けて、じゃあ二次創作を辞めたらどうなるかというと、明らかに誰も得しない。難癖付けている連中がそういいながら二次創作作品を入手していることから考えても、彼らが求めているのは規制ではなく自己正当化に過ぎないのだ。事実Red Light氏は二次創作を辞めたが、彼のオリジナル作品は依然違法にアップロードされ続けている。
次に、二次創作の風潮が嫌いだから作品そのものから離れる、という説。これは理解できる面とできない面がある。確かに公式設定を無視し、売れることだけ考えて量産型エロを乱造している連中は不愉快だ。しかし、だからといってそれで元の作品から離れるというのが分からない。自分も東方キャラを巨乳にしたり大人にしたりする連中が大嫌いだが、逆にそうした連中がいるからこそ、ならば自分が公式通りの外見設定で描こう、と思えるのだ。二次創作の風潮が嫌いだとしたら、それに反発してカウンターとしての表現をすべきだ。それをモチベーションとして創作活動に入ることだってあるのだ。
そして、元記事の、二次創作のせいで作家が育たないという話。商業作家を志す人が少ないというのは色々な事情があるのに、二次創作だけのせいにしているのがおかしい。私はむしろ、技術革新によって昨今のレベルが上がりすぎ、プロになる敷居が高すぎるせいだと思う。実際その壁を乗り越えた同人作家からプロは何人も出ているわけだし。そもそも一次二次隔てなく同人の規模が大きくなることは、クリエイターの質を高める点でいいことだろう。これは創作に関係ないが、後輩にとても精力的に学会発表をする人がいた。彼の発表は粗が目立つし、同じ発表の焼きまわしでしかないものも多かったが、しかしそうして実績を積んだことで現在も研究者として活躍できている。未熟でもなんでも発表することは良いことで、同人イベントはその受け皿になるのだ。
だいたい、アニメでもなんでも見ていて気に入ったキャラがいたら描きたいと思うのはオタクの性ではないか。そこに無駄に高い意識をもって二次創作は表現として劣っているなどと峻別する意味が分からない。
一方で、批判されるべき二次創作というものも確かにあるだろう。公式が二次創作に規約を設けており(sssグリッドマンとか)、それに反するものだ。対して東方なんかは自由な創作活動を奨励しているので、批判する根拠が無い。したがって一括りに二次創作を批判することがそもそも無理がある。そのうえで二次創作が容認されている作品に関して批判したいのなら、全体的な規制を呼びかけるのではなく、作品そのものを個別的に批判すればよい。私だってパチュリーを公式通り幼く描いたら、「パチュリーはむちむち巨乳お姉さんでないとおかしい」とかいう糞リプが来たことがある。糞だとは思うが個別に来ただけまだマシだ。