はてなキーワード: 主体的とは
ブコメにも創作者としての姿勢がとか責任がーとか書いてる人が少しいるけど、それって本人と何ら関係ない消費者の立場からそこまでかしましく求めたり押し付けるものでもないんじゃないのかね……って気になる
それはただ本人と本人に仕事として関わる人間だけが主体的に考えて実行していくことだと感じるんだが違うのかね
作品を受け取る側は消費することとそれに付随する行動や言動をのんべんだらりと何も考えずにしたくてその状況が楽だから続けたくて、それを妨げるなら本人の人格とか考え方とか苦しみすら邪魔みたいな機序じゃないのかね
公式が解釈違いみたいなさ、なんかねじれた感じになってて歪だなと感じる
商品でありモノであってくれた方がただ楽しむ側としては楽だもんなあ
でも消費者の方で神格化しすぎた創作者の姿の型に本人をはめようはめようとし続けて結果その人が苦しんだり失望していなくなったら今自分たちが楽しんでる作品自体もなくなるんやけどな……思うわ
たまに起こるアーティストが政治的発言するな紛糾もこういう気分から起こるのかな、余計なことすんなよっていう
どんなにかっこいい論に包んでみても結局そういうことじゃないのかね
自分の楽しみに水を差すなよ、こっちを悩ませることなく楽しませろ以外のことではなさそうだなっていうのは今回Adoが発言するきっかけにもなった人のポストやその後のポストを見て思ったことだな
相手の苦しみや人格より自分の快楽が大事になってしまったとき果たしてそれでそのアーティストのファンて言っていいのだろうかと自戒も含んで悩んでしまった
どんなに有名な人でもどんなに影響力があったとしても、ただ一人の本人が「傷ついた」と言ったということだけは素直に人としてその感情の部分を受け止めてあげてくれよと端から見ていて感じてしまったよ
評論家にスレミオの関係を貶されたとかで、また百合の人たちが怒ってリプライで非難してる…。
私は同性愛差別していないんで、プロローグの女性カップル推しや1話の終わり方の時点で、スレミオの同性愛エンドを歓迎する心づもりでいたし、グエスレやエラスレなどの対抗男女カプの非成立にキレてる勢力がいることは未だに理解できてないんだけど、それでもスレミオの関係が全く刺さらなかった。思春期少女の重たい友情としても、共闘するバディとしても、恋愛としても、どういう関係としてもこの二人が刺さらなかった。「メインカップルであるスレミオをもっと応援したかったのに」という呪いがかかっているような状態。
どうしたら刺さったか考えたとき、自分の境遇を自分で疑問に思えないし怒れないスレッタを、ミオリネが地球寮に置き去りにして任せるのではなく、プロスペラのもとからミオリネがスレッタを連れ出していたら納得できたと思う。地球寮が便利屋として使われすぎていてミオリネのヒロイン力が下がったように感じる。遠巻きに支援しているのは分かるんだけどピンとこない。エモくない。ミオリネが勝手に動き回ってしくじって、スレッタに慰められていて…という流れに溜息をついてしまう。頭でっかちなお嬢様が大きなやらかしをして罪悪感で曇る展開、パターン化されているし性癖なのかもしれないけどつまんなかったよ。
権利についてぼんやりしているスレッタと違って、怒ることができるミオリネが、プロスペラを毒親と認識して、エリクトも内心そう認識していて、エリクトとミオリネが相談・共謀してスレッタをプロスペラから引き離す。プロスペラに依存していたからプロスペラに決めてほしいスレッタは心細さにパニックを起こす。でもミオリネのもとで母子の分離ができて、スレッタが自分で判断できるようになってから、クワゼロなどプロエリがやろうとしていることを知る。エリクトが自分を犠牲にしてスレッタを自由にしようとしたことを知る。プロスペラの洗脳下にいないスレッタであることを確認してからミオリネはスレッタを自由にする。自由にされたスレッタがあらためてプロスペラ、エリクト、そしてミオリネを選ぶ。そういう関係だったら良かったのにな。
「おじさんがキャリバーンを持ってきて乗れと言ってきたし乗る」ではなく、スレッタがクワゼロを理解してプロスペラの復讐を止めさせるためにプロエリを止めるという主体的な動きが欲しかった。まずプロスペラのやりたいことが復讐なのか世界をエリクト用に作り替える破壊的な思想なのか、プロスペラがやりたい放題したときどんな結果を招くから防がなきゃいけないのか説明が曖昧だった。宇宙議会連合のおじさんが都合良くビームを撃ってくるどうでもよさ…。
プロスペラとエリクトを「毒100%」認定してスレッタに捨てさせる結論を強要しているわけでもない。スレッタが流されたように見えた。自分で調べて考えて判断して救おうと決めた、動いた、という主人公としての魅力を感じられなかった。流されスタートでもいいけど、強固な意志で人を助けに行っているのであってやらされているのではない確信が欲しかった。むしろ1期のほうがスレッタは能動的だったのに、ミオリネと距離を縮めてからどんどん勇気を奪われていないかと感じてしまう。私は進撃の巨人のヒストリアとユミルの関係が大好きなんだけど…フィクションでイケメンキャラやBLのみ追うタイプではなく、女性と女性の関係も結構注目して見るほうなんだけど。本当にがっかりです。
あと同性愛として描くならスレッタもミオリネも4号・シャディクとのフラグ立てて異性愛者っぽく見せたのは不自然さを増しただけで余計だったのでは。ミオリネがレズビアンで、スレッタは人生経験自体がないから自分をぼんやり多数派である異性愛者と思ってたけどバイとしての可能性もあったのを、頑張って落とした、ならまだ納得ができるんだけど。シノとヤマギみたいな、頑張って頑張って自分をノンケだと思ってる潜在的バイを落とす健気さみたいなものが無い。何の説明もなくみんなバイセクシャルの世界だったの水星?「差別だけ」が無くなったとしてもそんな世界にはならないよ。リアリティ持たせるために「この世界はみんなバイセクシャルです」というSF設定でも付与してもらえない限り。
ラウペトも「ペトラがラウダを支えてきて、今度はラウダがペトラを支える」をやりたかったようだけど、スカスカっていうか…ろくに描かれていないよね。ラウダもなんか…救いようのない性悪だったし…。
世界観を匂わせるところまで、キャラクターを出して背景を匂わせるところまで、素材を用意して期待感を持たせるところまで…は上手かったと思う。焦がしたとか、塩入れすぎたとか、調理で失敗して不味くなったような印象がずっと残る。本編の公式のキャラクターよりも、二次創作のスレミオや二次創作のラウペトのほうがキャラクターが愛らしく感じるって、公式の「こういう風にキャラクターを動かすぞ」という感性みたいなところが、全体的についていけなかったなと感じる。カプ創作じゃなくオールキャラギャグ系でも、公式のCDとかより二次創作のほうがキャラクターが上手く動いてる気がするよ…。いいね数が1万件以上のような二次創作ばかり見たから、その時点でふるいにかけられていただけかもしれないけど。
スレミオに文句つけると同性愛差別者によるヘイトスピーチだと袋叩きにされるから言論統制みたいになってしまっているけど、調理のセンスがないためにせっかくの女性同性婚の素材を台無しにしたのは公式だと思う。
・妊娠時は東京都江東区、出産2ヶ月前~現在は、神奈川県藤沢市に住んでます。
ないがしろにされた感じは無かったので、とりあえず参考例までに書いてみる。
・産婦人科への通院は、最初の一回は付き添いで病院前まで行ったが、コロナで付き添いNGだったので、それ以降は付き添い無し。(てか付き添いって必要なもんなの?って思うけどな。女性がどういう気持ちかはわからないけど。)
・子供用品については、妻が主体的に動いて情報収集してた。でなに買うかは二人で決めた。
・つわりが酷いため、母子手帳は僕が貰いに行った。別に普通だったよ。淡々と事務手続きされて、終了。褒められもしないし、怪訝な顔もされなかった。
・両親学級は妻が事前登録・予約などして一緒に行った。出産までの流れの説明受けたのと人形での沐浴体験などやった。沐浴体験に関してはあんま意味ないわ。すぐ忘れるし。結構人沢山いたよ。なんか交流を深めようみたいなコーナーがあって、全く知らない人と世間話させられたわ。
・ゆりかご面接(保健所との面談)は、妊婦じゃないと駄目だったので、妻が体調悪い中行ってた。1万円分の商品券貰ってた。
・妻の会社への手続きは、妻がやってた。(これは当たり前かなとは思うが)
・江東区から藤沢市に引っ越しに伴い、産院も変わったが、付き添いNGなのは変わらず。なので付き添いは無し。
・妻の実家が近くなったけど、特に手助けはなし。車を出してもらったくらい。(検診時に1回、退院時に1回くらい)
・病院での、各種指導は妻が出産後体調不良だったから僕が受けた。
・調乳指導は森永の営業っぽい人がなんかすげー適当にしてくれただけ。説明書通りにやってくださいみたいな感じでそそくさと退散してた。(まぁ指導って言うけど、別になんも難しいことないからなぁ)
・沐浴指導は、動画見といてくださいって言われて終了。まぁこれも動画みれば済む話だもんなぁ。
・おむつ替えは5回くらい一緒にやりましょうかって感じだった。おむつに関しては、退院後妻がおむつ替えしてるの横でみてて、あー。僕が教えられたのと違うやり方してるなぁとは思ったが、特に何も言わず。てか、別におむつのやり方なんて適当でいいしなぁと今なら思う。
てか、助産師ごとにおむつ替えのやり方違ってて、なんだよそれ、ってなった。なので適当でいいんだよ。
・あとは、まぁyoutubeで助産師の動画を妻と2人で観てた。Hisakoの動画おもろくていいと思うよ。12人産んでるの凄いよな。
・1ヶ月検診は産院で、妻が受けた。
・2ヶ月検診は僕が、近所の小児科に一緒に行ったが、特になにも言われず。ちなみに、もう一組お父さんが連れてきてる人いた。
・あ、ちなみに、お宮参りもいってないし、お食い初めもやってない。あれ意味あんのか?
まぁ妻が体調不良だったのもあり、説明受けるの僕しかいなかったから、ないがしろにされなかっただけかもね。
株式会社Wacomは、高品質なペンタブレット類を筆頭に、クリエイター向けのデジタル製品を展開する埼玉県の企業だ。
超有名ペイントソフト『CLIP STUDIO』のセルシスと提携してイラスト情報サイトを運営したり、YouTubeにて著名作家による液晶ペンタブレットでのメイキング動画を配信するなど、顧客だけではなく、クリエイティブの世界全体に寄り添ってきた印象の強い企業だった。
そんなWacomが、言うまでもなく数多のクリエイターから侮蔑され、今に至るまで常に批判を浴び続けているAI生成画像を広告に使用した。
当然、界隈には激震が走り、すぐさまWacomは非難と誹謗中傷の雨あられにさらされることとなった。
全ての発端となったその画像は、Wacom米国支社が新春セールの告知バナーとして掲載した画像に使用されている龍のイラストだ。
それは昨今の精緻化しつつあるAI画像事情を考えればまったく稚拙と言っていいAI丸出しっぷりのカスみてえなクオリティのポンチ絵であり、切り抜きすらガバガバで、目にしたユーザーが正気を失うのも無理はない瘴気を放っている。
Wacomの弁明によればストックフォトサイトから購入した画像であり、説明には手描きですって書いてたらしい。信じるなよ。
ゆえに、
①ペンタブという、血と汗と涙を流してがんばるクリエイターの相棒となる機器を売っている会社が、クリエイターの成果物を無遠慮に搾取して作られたAI画像なんぞを広告に使いやがったことへの怒り
②たとえ本件が広告代理店単独のやらかしであってWacomは悪くないのだとしても、創作の現場と密接に関わってきたはずのトップ企業があんな分かりやすいAI画像を見抜けなかった、あるいはチェックさえせず素通りさせた可能性があることへの懐疑
③そもそもWacomとかいう超有名かつクリエイターと親密なはずの企業が、自社の広告に使うイラストを新たに発注せず、ストックサイトから拾って済ませたことへの落胆
④ユーザーの告発がバズったさいに、迅速な対応を見せることなく火元の投稿を無言で削除してしばらくだんまりだったうえ、ようやく出た謝罪文がどうも歯切れの悪い内容であることへの🤔
⑤Wacom製品の宿痾であるタブレット用ドライバの虚弱体質への不満が炎上ついでに大噴出
上記を主な理由として燃えに燃え、もはや消し炭すら残さないフェーズに入っている。
自分は生成AIをゴミだと思っている人間であり、Wacomのbambooに導かれて絵を描くようになったおえかきオタクであり、同じくWacomが展開する液晶ペンタブレットのフラグシップである"Cintiq pro"に憧れてきた一介のユーザーであるため、Wacomが燃えているのは我が事のように苦しく、歯痒い。
はじめはWacomに対する困惑と、とにかくは炎上を追わねばという気持ちだけがあり、なぜAI画像を使う羽目になってしまったのかさえ知れればよいと思っていた。
だが、炎上が際限なく広がり、どこまでも飛び火しまくっている現状を見るほどに、自分でもよく分からない様々なお気持ちや悪態が自分の内で噴き出しまくってないまぜになり、どう整理すればいいかさえ分からなくなってしまった。
非難にあわせて拡まった不買運動や、やおら他社製品の液晶ペンタブレットを持ち上げ始めるインフルエンサーの挙動にイラつく自分も情けない。
その代替として挙げられた製品だって過去にAIで広告作って燃えてるし、そもそもそいつらがCintiqに敵うものかよ。
一方で、そんな悪口が出てきてしまうのは、私が持ち合わせているある種の国粋主義的な、権威主義的な部分が強く認知を歪ませているせいであるという点を否定できない。私はWacom信者だ。恥ずかしながらこの目は曇っている。
なんにせよ、よく分からないお気持ちを抑え込むことさえできない自分があまりに馬鹿みたいでつらいのだ。
AI慎重派の筆頭論客でもある某イラストレーターが「XP-PEN(Wacom以外であれば真っ先に候補に上がる中国の優秀なメーカー)の液タブ買ったよ」というツイートをしただけで「Wacomへの当てつけかよ!!!?!!!!!!!?!」となってしまう自分の単細胞が恨めしい。
だから、彼がとてもとても理性的な筆致で書いてくださっていたnoteを読み、示されていたフラストレーションの殺し方のすすめに従って、こうして文章の形で消化しようとしている。私は絵でしめすより文章をしたためるほうが相対的に得意だから。うまくいくかな。
思いついた順に書く。くどいので今後は液晶ペンタブレットを「液タブ」と表記する。
本件を概観するうえで見落としてはいけない気がするファクトとして"Wacomの液タブ"という存在・概念が、デジ絵に親しむ者にとっては単なるハイエンド製品に留まらない、絵描きとしてのステータスシンボルでさえあった実情がある。
「Cintiq」という名は単なる製品の名前ではなく、それこそCHANELの「N°5」のような、ある種の象徴を背負ってきた。なぜなら長い長いあいだ、Cintiqこそが唯一の“本物の液タブ“だったからだ。
どういうことかといえば、Wacomの特許でもある電磁誘導方式(EMR)という動作形式で作動するの液タブは、長らく新生Cintiqシリーズしか存在していなかったのである。
EMR方式は、グラフィック用タブレットの動作方式として最も優れていると言っていい代物だ。飛び抜けて高度な筆圧感知と動作検知能力を持つため、まるで紙に線を引くかのように繊細な描画が可能であり、ペンの充電に煩わされることもない。
かつては板タブの専売特許であった強力な描画能力を、液タブだてらに誇示してみせたことでCintiqは伝説となった。
EMRの特許が切れた現在となっては、他社も盛んにEMR方式の液タブを発表しはじめているものの、依然としてそのクオリティの高さは変わらず、Wacomの歴史に根ざした信頼もあって、“Cintiqという名前“は永遠に“すんげーつよつよ液タブ“の比喩であり続けている。
趣味であれ生業であれ、デジタル創作に親しむ人々はみな、ショーウィンドウ越しのトランペットを見つめる黒人少年のごとく、Cintiq proに憧れながら絵を描いているのである(主語デカ案件)。
だからこそ、"あの"Wacomが!!?という衝撃は大きかった。よその企業がAIを使いやがったときのそれとは、話が違うのだ。
むろん、いくら創作にまつわる機器を扱う会社だからといって、告知に使う全てのイラストにコンペを設けたりできないことは、さすがに分かる。
それでも、だとしても、誰しもが「なんで社内イラストレーター使わねえんだよ」と失望するほどには、Wacomの名前は重かったのだ。
当のWacomにさえ抱え切れないほどに。
また、消費者による企業への信頼とはすなわち資本への信頼でもある。
ただ、ただ単純に「高え金払ってんだからしっかりしてくれよ頼むよ」という話だ。
「Cintiq pro27」とかでググっていただければ分かるとおり、Wacomのフラグシップ製品は、おしなべてアホみたいに高い。Apple製品とタメを張るくらい高い。ちなみに企業姿勢もどとこなく似ているところがある。
Wacomがどんだけ儲かってるかは知らんけど、あんな高いもの売ってるなら相応にお行儀よくあってくれたまえよという話なのだ。
これはカスタマーが企業に怒りを覚えるポイントとしてあまりに分かりやすく、またその気持ちを分からない消費者はいないだろう。
ちなみに、米WacomがAI画像をうっかり購入したフォトストックサイトが、よりにもよってAdobe Stockであるのも見逃せない点だ。
かのAdobeもまた、AI魑魅魍魎に占拠され AI汚染の震源地とすら揶揄されるようになったAdobe Stockの有様をユーザーに咎められ、「高えAdobe税払ってんのに自社のフォトストックすら守れねえのかよ」という失望を集めて絶賛失速中の身である。どうも示唆的なものを感じずにはいられない。
ただまぁ、個人的に上記の諸々は単なる背景情報であって私には正直どうでもよかったりする。ここまでクソ長々と書き綴ってきたうえでこんなことを言うと正気を疑われるかもしれないが。
私はただ、頭が固くて権威主義で旧弊なオタクであり、Wacomを埼玉の誇りだと思ってる埼玉県民ゆえ、ただただ、たった1回の過ちでWacom製品を投げ捨て、""有象無象"“の""中華""製品に手を伸ばせるみんなのフットワークが信じられないのだ。
そして今回の傷が重篤な致命傷なのは否定できないとはいえ、なにもWacomが主体的にAIを推進したわけでもないのにここまで炎上が広がっていることに引いているのだ。
なんかこう…例えばCintiqの次世代モデルにAI積みますとか言い出したわけでもなく、ただAI画像をなんとなく手にとってしまっただけなのに、叩かれすぎじゃないかと思うのだ。確かに迂闊で許される範囲じゃないとは思うけどさ。
とくに、まるでWacomが生成AIを大歓迎し、諸手を挙げてユーザーに押し付けようとしている企業であるかのように罵っている一部のAI慎重派の言動はあさましく思えて仕方がない。
むしろWacomは絵柄を署名のように扱える技術を研究し、「AIでAIをぶちのめす」道を探ろうとしている途上にあるというのに、というかその話題が出た当時はみんなしてさすワコしていたというのに……。
……長い長い冬を抜けて、ようやく著名なイラストレーターの方たちでさえ腹を括ってAIの被害を訴えてくださるようになり、ここ最近にきて生成AIに関する議論が持ち直したように感じられる場面が増えたように思う。
一方で、その暗い冬のあいだに摩耗した精神を顧みぬまま、あれもAIこれもAIAIAIと呪詛の言葉を撒き散らすようになってしまったインフルエンサーの方が何人か思い浮かぶ。
特に、最近になって「2023年8〜10月以降にいきなり生えてきためちゃうま絵師は基本AIだと思え」というド失礼な認識が自然発生し、ぽつぽつと苦言が出ることがあっても、とくに大きな反発もないままその認識が界隈に定着したのを見たとき、私は「底が抜けてしまった」と思った。
そこに畳み掛けるようにして、絵描きの最良の友であったWacomへの過剰な警戒がドバドバドバドバ噴出しているのだ。しっちゃかめっちゃかだよもう。
AIbroが吐き捨てていった「AI規制派はフェミ!」というお里が知れる鳴き声を、彼の意図した形ではないとはいえ、私は捨て置くことができない。
今の「AIカスどもVS絵師とかの連合」の泥沼バトルは、慄然とするほど「"フェミニズム"VS表現の自由」の界隈が辿った道筋に似すぎているのだ。
あの人たちはどうなった?
ギャグみてえな炎上の渦中にあっても気高く振る舞ってきた、"フェミ"と蔑称されるいわれなき本物のフェミニストたる女性達は、数回の炎上ですぐさまインターネッツ・レスバの無意味さを悟り、彼女らがまだ"まなざし村"という懐かしい名で呼ばれていた時代の終わりと共に雲隠れしてしまった。
こうして萌えコンテンツをひたすら理不尽に憎み、ダブルスタンダードな思想を振り回しながらLGBTに迷惑をかけまくる、だいぶ苛烈な女性だけが鼻息荒くリングに残ることとなった。
一方の"オタク"の側も、愛するコンテンツを守りたい一心で不器用にも声を張り上げていた層が、本当はそんなふうに怯えなくてもいいことを知り、安心して去った。オタクコンテンツを傷付けやがる連中の正体見たり枯れ尾花。好きなものを愛でる時間のほうがよほど大切なことに気づいたのだ。
そうして気持ち悪くて不謹慎な処女厨の童貞が一番カッコいいという化石じみた価値観のまま、アニメやゲームに言うほど思い入れがないにも関わらず、現実の女性を逆恨みする原動力として自分をオタクだと思い込まねばならない可哀想な男性だけがオタクのバトンを勝手に引き継いだ。
そんなこんなで、かの界隈は"炎上のための炎上"の火の手が毎日どこかしらで上がり続ける、オタク嫌いとミソジニストがこの世の終わりみたいなナワバリバトルをやるだけの地獄と化してしまった。
他人事とは思えない。
「絵が描けるだけで好きなだけイキれてvtuberにフォローしてもらえるキモオタどもが羨ましい」という凄惨な嫉妬が胸の内で渦巻いていることにさえ気づけないまま、自分は最先端技術を理解しているすてきなテックギークだと心から信じて、満たされることなく価値のない画像を貪り続ける“彼ら“の壮絶さを思えば、相対する我々はたしかに、さすがに、今のところは同じ場所まで堕ちてはいないと言っていいだろう。
今のところは。
だが、その尊い正気が首の皮一枚でつながっているに過ぎないことを、前線にいる多くのひとが忘れてしまっているように思う。
自分がすぐにでも怪物に成り果ててしまうほど疲れ切っていることに気づかず、このまま怒りと悲しみを免罪符にして諍うだけの日々を送っていれば、すぐにでも炎上の熱狂と、レスバのライブ感に飲まれてしまうことだろう。
これは自戒でもある。
この戦いはコップの中の嵐ではない。
議論の場としては最悪なインターネットが唯一のフィールドというのも逆風だが、それでも。
非常に緩慢なテンポで、ときに腹立たしい揺り戻しに見舞われながらも、世界は確実に、ゆっくりとまともな方向に舵を切ろうとしている。
それもこれも、生成AIという忌子の産声に迅速に反応し、大衆がことの重大さに気づく前から、狼少年のような扱いを受けながらも折れることなく声を上げ続けてくれた人々がいたおかげである。
あなたたちが戦ってくれたからこそ、ようやくたくさんの人々が目を覚ましはじめている。
だから、我々はその目を裏切ることなく戦い続けなければならない。
だから、少しでいいから、休んでほしいのだ。ふと立ち止まるだけでもいいから。
この局面にあって、些細なことから「やっぱ反AIって頭おかしいわ」と思われるような事態があってはならないのだ。
私は恥ずかしながら、かつて表現の自由戦士と揶揄される感じのあのへんの活動に片足を突っ込んでいた。
そしてその日々の中で、素晴らしく聡明で、洞察力があって、敵を糾弾する時も優しさを忘れない、人間としても尊敬を集めていたオピニオンリーダーがある日突然ぶっ壊れてよくわからないことを言い出し、クソほど炎上するのを何度か目にしてきた。敵にも味方にもそんな人が出ていた。彼らはそのまま、“炎上のための炎上”をやるためのゾンビと化していった。
思い返せば彼らはいつも最前線に立って、独りで戦っていた。“界隈の人間ではない“人間がそばにいて、エコーチェンバーの反響を適度に遠ざけることさえできていれば、ガス抜きさえできていれば、何かが変わっていたかもしれない。
怪物と戦うものが怪物にならない方法は、ひとつだけ。連帯することだけだ。
あなたたちの仕事は言うまでもなく私が、そしてなによりあなたたちが呼び覚ました無数のビジランテが引き継いでいく。
だから、少しでいいから息をついて、AIbroどもにもみくちゃにされる中で削ぎ落とされてしまった何かを取り戻してほしい。我々にとってあなたたちが必要だからこそ、壊れないでほしいからこそ、私はこんなことを言っているのだ。
Wacomを許せるなら我々はまだ引き返せるはずだ。
このエントリがあなたたちの目に入ったら、お前は手ぬるいだの悲惨な現実を理解できてないだのの有難いお言葉が飛び出してくることだろう。
確かに前半のWacom擁護は、贔屓にしている会社かわいさゆえの妄言ではあると思う。正直。
でも、後半で言っていることを取り下げるつもりは絶対にない。
現実がまじくそだとしても、だからこそ、意地汚くAIを押し付けてくる連中とこれからも戦っていくためにもここで少し立ち止まり、あたりを見回して我が身を振り返らねばならない時期にきていると私は強弁する。
父も育児頑張ってるぞ〜疎外するな〜という匿名ダイアリーを読んだ。素晴らしいと思った。
自慢となるが我が夫は妊娠後かなり主体的に動いてくれているので妊婦の自分は焦ったりせず、つわりなど体調調整に全力投球できている。疎外面には今後特に気をつけたいと思う。
その匿名ダイアリーの中で、付き添いは暇なことが多いとあった。
ーーー
待合室に沢山お父さんお母さんがいる。キツキツな待合室でお父さんの一部は驚くほど、場所をとっている。
驚愕したのはパソコンで目隠しもなくがっつりテレワークしていたので、仕方なくまじまじと読んであげた。
私は図々しいのでテレワークしていても、隙間があれば座ったがお腹の大きいお母さんが座れなかったり動きづらそうにしているのに、一部の方はどかないようだ。
暇だし、仕事でもとは分かるがさすがに周りをみて身重の妊婦さんには配慮してあげてほしい。
テレワークは、私みたいなやつにがっつり見られて検索されたりするのでやめたほうがいいです。
産院の待合室が狭いのが根本的な問題だけど、暇つぶしは是非とも周りから見られても良いものと、たまに周囲を見て妊婦さんが座れるようにしてあげて下さい。
宜しくお願いします。
>主体性無いとかじゃないかぎり、普通に本人の体のこといがい全部関わって行けるだろ。
ってまあそう思うんだけどさ。
元増田の方も「タバコ部屋会議」ってたとえ出してきてたけど、案外に「無意識の排除」ってバカにできないもんなんだよ。
とある女性教授が、一人の時はこれまで男ばっかりの教授陣の会議で意見出しづらかった、女性教授の仲間が増えてやりやすくなったって話してたけど、アカデミックの場ですらこうだからね。
主体的に関わりたいと思っても、そこの場が圧倒的に性別偏ってると萎縮しちゃうとこあるんじゃない?まして本当にあなたは対象外って空気があったわけだし。
いやあ、ママだって不妊治療や妊娠出産育児に関して情報ほぼゼロスタートなのはパパとそんなに変わらなくて(保健体育で男女の差はないし)、自分の体のことだから必死に勉強してるだけだよ
結婚してから数年経っていたが子宝に恵まれず、不妊治療の末の体外受精での妊娠だった。
また、出産も難航し、最終的には予定日から1週すぎてからの帝王切開での出産となった。
自分自身、特別に子供が好きと言うわけでもなかったけれど、「この世に生を受けたからには(可能な限り)子孫は残すべき」という思想があるので、子供ができたのはとても嬉しい。
2人目は経済的に難しいかなと考えているので人口増には貢献できないのだが。まあそれはしょうがない。
妊娠〜子育て(まだ1ヶ月も経っていないが)を経て、思うところが多々あったのでここに書き残そうと思う。
なお、自分で言うのもなんだが、俺はそれなりに妊活〜子育てまで妻をサポートまたは主体的に取り組んでいた方だと思う。
はじめに夫婦それぞれの検査をして、数値としては問題がなかった。
ここからの治療・対応としてはざっくりタイミング法→人工授精→体外受精という流れになるのだが、まあ男性側のやることがない。
然るべきときに備えて精子を溜めておくとか、運動とかして元気な精子を作っておくとかはあるけど、主体は完全に妻。女性。
人工授精あたりから妻は特に辛そうで、自己注射したり薬を飲んだり、副作用に悩まされながら、定期的にクリニックへ通っていた。
一方の俺といえば、行けるときはクリニックへ付き添うこともあったが、平日は難しいので土日祝日だけになったりした。が、行ってもやることがない。
妻の診察券を出して、待合室で1時間くらい待って、帰るだけ。暇である。
コロナのせいもあるかもしれないが、診察室に入ることも許されず、本当にただの付き添いにしかならない。
当然、辛そうな妻に対して「大丈夫?」とか「頑張ろうね」とか励ましの声をかけたり、妻の好きなスイーツなんかを買ったりして元気づけたりしようとするものの、あまりにも「不妊治療」に対してやることがないので、一種の疎外感すらあった。
男性不妊ではないことが確定した時点で男性側のやることがほぼ無くなるので、いわゆる「不妊治療に夫が協力的でない」というネットに溢れる愚痴はこういうところにも原因はありそう。だってやることないんだもん。
付き添い男性用に、不妊治療について・妊娠について・女性の体についてなどが学べるスペースでもあればいいのになと思った。
繰り返しになるが、大前提として妻の体調を気遣うような行動は取っていた。つわりが辛ければ食事を用意したり、背中をさすったり、元気づける声をかけたり。
妊娠してからは産院に定期的に通っていた。これも平日なので、行けるときは付き添うが、基本的には仕事があるので難しい。
なので「次回はxxがあるので来てほしい」とか言われたときには行くようにしていた。
が、これもまた診察券を出して待つだけ。暇である。
エコーをするところに同席させてもらうこともあったが、日によってはそれもない。無。
出産は妻に任せた、じゃあ俺は出産後のことを考えよう、と、保育園探しやら買い物の調査やらをやっていた。
そういう意味ではこの時期はそれほど暇じゃなかったかもしれない。
なお、男性育休は出産予定日以降でしか取れず、しかも出産が早まった場合には前倒すことはできない。また、予定日から遅れた場合にも後倒すことはできない。決め打ちである。
なんとも使いづらい制度だなと思った。男性育休が取れることには感謝はしているが。。
「初産の場合は出産予定日から遅れることが多い」というのは聞いていたが、とはいえ早く産まれたら仕事との両立はしんどいし、どうしたものかと悩んだ。
出産に向けて妻が入院し、自分も育休が始まったので、この間はやることがたくさんあった。
病院の都合で1日1回の面会で、差し入れを持っていったり洗濯物を回収したり。
出産後も同様。
ただ、ここでもまた疎外感を感じることが多々あった。
授乳や沐浴のやり方はもちろん、抱っこの仕方やおくるみの巻き方など、今後必要になる技術の伝授が妻に対してのみ行われるのである。
「え?俺も育児しますけど?眼中にないですか??」という気持ちになった。
病院にいる助産師の方々はそれぞれテクニックを持っていて、本とかネットに書いてない情報だったりする。
そういうのが全部妻にしか伝授されない。
そうすると何が起きるかというと、ネットで調べた知識しか持たない夫と意見がぶつかる。
夫が見様見真似でなにか行動すると、妻から「そうじゃない!助産師さんがこうだって言ってた!なんで知らないの!」みたいな叱責を喰らう。いやそれ聞いてないのよ。
なので妻に任せたくなる。見て学ぼうとする。でも妻も産後で体はボロボロなのでできない。詰む。
出産後しばらくはこんな感じだった。
なお、妻とは「情報格差がある」ということを認識合わせできたので、今は良好な関係に戻せた。よかった。
職場でよくある「タバコ部屋会議」を思い出した。俺のいないところで重要な話をされても困る。夫はいなくてもいいってことなのかなとすら。
全体を通して思うのは「男性をないがしろにしないでほしい」ということ。
出産は女性にしかできないので、女性が主体になるのは当然。だけど夫もなにかしたい。
何かしたいからネットで調べたりするけど、知らないことを知らないということもある。生理のこととか全然知らない。悪露って知ってます?俺は知らなかった。
また、育児関連の雑誌やらを見るとだいたい「ママがんばれ」みたいなことは書いてあるけどパパについては書いてない。書いてあっても「パパはサポート頑張ってね」とある。
あ、パパはサポートなんですね、育児の主体にならないんですね、みたいな気持ちになる。
俺頑張ってるよ?主体的に行動してるよ?
ママにはみんな「大変だね〜」というけどパパには言わない。「育休取ってくれたんだ。ありがたいね。ママを助けてあげてね」が限度。じゃあパパは誰が助けてくれるの?
褒めてほしいわけではない。ねぎらってほしいだけ。
主体的に行動しているパパは、ママよりも情報が少ないところから頑張ってるんだぞということを知ってほしい。
一晩でたくさんブコメやらをいただいていた。
「ねぎらってほしい」と書いたらたくさんの方がねぎらってくれた。優しい。ありがとうございます。
一方でこのエントリで書きたかったことがうまく伝わっていなかったり、書いてる内容に間違いがあったりもしたので、修正とコメントを追記する。
やってます。育児において暇だなんて書いてない。暇だったのは不妊治療の話。
食事の用意も買い物も掃除も洗濯もやるよ。もちろん、オムツ替えも調乳もミルク授乳も沐浴も寝かしつけも、育児記録をつけるのだってやるよ。やらないのは母乳授乳だけ。出ないからね。
不妊治療に関してはマジでできることが無さすぎて暇なんだよ。「暇」っていう言葉が気に食わないなら「蚊帳の外感」と言い換えてもいいかもしれない。
精子に問題がないとわかった時点で、あとは妻に頑張ってもらうしかない。
クリニックに行っても「あの男の人なんでいるの・・・?」みたいな視線を感じる気がするんだよ。自意識過剰かもしれないけど。
なにか参加させてくれって思うだけ。
あと、存在すら知らないことを調べるのって無理だから。何らかのキーワードありきで調べるしかないじゃん。でもそのキーワードで持ってるのって最初は「妊娠」くらいでしょ。
病院で出てきたキーワードを調べることはできるけど、そもそも診察に立ち会わせてもらえなかったらそのキーワードも聞けないんだよ。
妻から「こんな事言われた」がなきゃ無理。
それはその通り。情報格差という言い方が良くなかったかもしれない。
特に出産後の「妻は助産師からのフィードバック付きの実践の場が設けられているが、夫は一人でぶっつけ本番」になるのが辛いよって話。
ただ前述の通り、「存在すら知らなかった言葉」に出会う機会が少ないのも事実だと思う。医者と会話する場がないんだもん。
おっしゃるとおり。残念ながら参加できるタイミングがなくて、俺も妻もママ学級・パパママ学級に参加できなかった。
ただ、座学に関してはそれこそYouTubeの動画やネット情報等々でフォローはできたと思う。
その上で、前述の「フィードバック付きの実践の場」がほしい。座学やったら次は実習でしょ。
特に沐浴なんて、実際にやってみたら泣くし暴れるし、人形でやったところで・・・と思う。人形でやってないんだけど。
今はもう慣れてきたけど、経験した人なら最初の「これでいいのかな・・・怖いな・・・」という気持ちは理解できるでしょ?そのときに慣れてる人(助産師)が近くにいたら心強いでしょ?そういうこと。
あと、俺のいる自治体ではママ学級、パパママ学級はあるのにパパ学級はない。
また、ママ学級は3日間なのに対してパパママ学級は1日だけ。つまりママはパパより3倍情報がある。
その程度で褒めてほしいとか
男女間で環境に差があって、その中でもがきながら頑張ってる夫に対して、頑張っていることを認めてほしいだけなんだが。
「どうせ男は非協力的だから」みたいな態度が透けて見えるだよ。行政も、病院も、両親も、義両親も。
俺はまだ妻が理解してくれていると思えるからマシだけど、つらい思いをしている人はたくさんいると思う。
逆にパパ側が褒められててママ側はやってて当然みたいな態度を取られる
同情します。お互い頑張りましょう。
マジで、不妊治療も妊娠も育児も大変すぎる。これをこなした人は全員すごいよ。
全員すごい、それでいいのに、パパママ片方だけを上げるのがよくない。
男性育休は前倒しも後ろ倒しもできる
前倒しについてはおっしゃるとおり。間違ってました。ごめんなさい。
「前倒すことはできるけど、手続き最初からだから、有給使ったほうがいいよ」と会社から言われていたのを脳内で「前倒し不可」と変換していたようです。
ブクマページ https://b.hatena.ne.jp/entry/s/jfas-sky.jp/2024%E5%B9%B41%E6%9C%882%E6%97%A5%E3%81%AB%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%A9%BA%E6%B8%AF%E3%81%A7%E7%99%BA%E7%94%9F%E3%81%97%E3%81%9F%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%E4%BA%8B%E6%95%85/
ちょっと頓珍漢なブクマが多い。それは刑事裁判の基礎を忘れているからだ。
「ネットやマスコミの皆さんは憶測で語るのを自重してね」の部分は刺身のツマだ。勿論ネット民である我々の主体的行為としてその訴えを聞き入れるのは重要だが、その重要性は次点なのだ。
被告人が己の身を守る事が出来るのは近代刑事司法の根幹である。
被疑者、被告人は黙秘する事も出来るし、黙秘した事で「こいつは懺悔の念がなくて悪質だ」と加重処罰されたりもしない。
問われていない事実のうち、自分が不利になる事を明らかにするという動機もない。それは検事の仕事である。
己を有利にするために嘘の答弁をしても良い。勿論それが嘘とバレた際には心証は悪くなって情状の斟酌はされにくくはなる。これもその陳述が嘘であると見抜いて証拠を積み上げるのは検事の責任である。
勘違いされやすいがこれは刑事被告人のみに認められた権利で、検事や証人には認められない。証人は呼ばれて出廷しないとなれば拘引状が発せられる。拘引状を執行するのは通常は警察官で手錠腰縄が掛けられる。裁判までは警察署の留置場に入れられる。つまりは逮捕と同じ扱いだ。数日間犯罪者と同室で過ごして裁判の日は法廷に腰縄手錠警察官同伴で連行される。そこで証言を拒めばそれも犯罪となるのだ。
検事は嘘の立証の為に証拠を捏造すれば逮捕され刑務所に入れられる。
刑事被告人は身柄の拘束もある上に相手が国家権力であるから特別な権利が認められているのである。
だがこれでは事故原因の調査やフィードバックという観点では困った事になる。労災や原子力、航空、宇宙開発、その他技術では、事故原因を調査するだけでなく、それをフィードバックするという使命で動いている。フィードバックで改善し、更に事故に至らないインシデントの類型に分類する。インシデントを収集すればその結果の事故に至る道筋が見える。
またその調査結果は秘匿せずに公開する。それは知識の共有の為であり、職業人の集まりであるからニュースレターで広めたり、資格の更新研修で講習したり会社に定期的に講習を義務付けたりする。
でも刑事裁判ではこういう、緻密な調査結果がフィードバックされて安全性、特にフェイルセーフ設計に帰すというような思想と折り合いが大変悪い。特に事故の責任者は逮捕され、国家権力から身を守る為の法的な戦いに置かれている。己に不利な事、普段からの慣習や過去に似た事をしていたとか、過去には同様のケースで難なく乗り切ったとか、そういう事を言うというのはあり得ない。
また検事も判事もその分野のスペシャリストという訳でもない。だからと言って被告人に自分の権利を守る事を止めろということも出来ない。
そこでアメリカでは根本的な手段に至った。「事故責任者を訴追しない」という事にしたのだ。
勿論、飛行機事故ともなれば数百人が死ぬ事も珍しくない。それを無罪放免を約束する形にしたのだ。
身の安全と心理的安全を確保する。その代わりに親身になって己が不利になる事も話してくれ、それで技術の進歩に協力してくれ。それが未来の数百、数千人の命を救う、と説得するようにした。
このやり方を採用している国はまだアメリカなど限られている。何しろ他国では業務上過失で数百人を死なせた人間は極悪人の犯罪者であって、それの無罪放免を約束するというのはとんでもない事であってコペルニクス的転換だ。司法当局が許さないであろう。
チェルノブイリ原発事故の原因というのは未だ説がいつくか並立してある状態で、確定していない。今だその時の運転員に話を聞いても明白な答えは得られないそうである。身と心理的安全が補償されていないからである。
この点においてはソ連/ロシアとアメリカでは後者の方が格段に技術文明的に優れていると言える。
例えば池袋の飯塚幸三の起こした所謂「上等国民事故」ではこういう動画を恬としてアップする者もいる。
飯塚幸三被告が 無罪を主張しはじめた件について【池袋母子死亡事故】
https://youtu.be/etBfbKb3Jbs?si=10vKskA-QUzpNZzW
この動画では飯塚被告人が「車に異常があり事故になった」と主張した事をもって、「これはトヨタの名誉棄損であり損害賠償される」と糾弾している。
これは被告人の権利を解さない出鱈目なデマである。自分の利益(無罪や責任転嫁)の為にそういう主張をしてその責任を問われる事はない。情状が悪化するだけだ。この主張を覆す為に検察はトヨタから証人招致したりデータシートを提出する必要があるがあるが、それは圧倒的権力の国家を代理する検事の職務だ。
刑事裁判での主張の責任を問われたらそれは近代国家ではないし、近代国家では通常の弁護行為である。
因みにこの投稿者は運送会社で運管と法務をしていると言っているので、こんな事は全部判っていて言っているはずだ。ドライブレコーダー動画の視聴者はヤフコメレベルに程度が低いので鵜呑みにして視聴数が伸びる。
この動画をわざわざ選んだのは、この投稿者は俗流法的解釈で釣るような事を何度もしていて悪質であり、サムネイルもクリックベイト多用と悪質なのに、ドラレコ動画見るような層には「真面目な業界人」と捉えられている為だ。
同様の事故では逮捕されるのに飯塚は社会的身分がある為に在宅事件となり、それが上級国民と批判されたのに、「被告人の権利を使った」事で批判するという扇動である。
こういう動画が上がってそれが好意的に消費されるように刑事被告人の権利や刑事裁判の仕組みの理解が前近代的な場合、JFASが言っている事も判る筈がないのである。
「身体的、身分的、心的安全性」が確保されないと事故調査の根幹である責任者の聴取が十全、それ以前に全く出来ない、刑事裁判が最大の障害になっている、という事が判らないのである。
日本では運輸安全委員会の事故調査結果が刑事捜査や裁判証拠に利用されています。これらの行為は、明らかな犯罪の証拠がある場合を除き、調査結果を利用することを禁止する国際民間航空条約(ICAO)の規定から逸脱した行為であり容認できるものではありません。
今般の航空機事故において最も優先されるべきは事故調査であり、決して刑事捜査が優先されるものではないこと、またその調査結果が、再発防止以外に利用されるべきではないことをここに強く表明するものです
アメリカ以外の国では重過失犯は訴追され裁かれ罰せられる。だから調査に当たって身の安全を十全には保証できない。
だが事故調の究極形態はアメリカ型の訴追無しであり、それ以外の国ではそこに近づける必要がある。
それには事故調の結果を持って責任者が不利になる事は絶対にダメなのだ。だから事故調結果を刑事司法に転用するな、と言っているのだ。
「ネットやマスコミで犯人捜しするのは止めよう」と言う人も見受けられる。その態度は結構だ。
だがこの根本の目的は「犯人がはっきりしている時でも責任を問うな」である。とんでもないミスで多数を殺した野郎でも責任を問わないことを約束し、未来の事故を回避する制度設計、技術更新に資させる方を優先させろ、というのが主旨である。
日本ではアメリカのように訴追しないという制度設計はまだ無理だ。
だが調査結果を刑事裁判で証拠に使うというのではその目的の基礎の基礎の部分から間違えている。刑事裁判で使われるであれば責任者は不利になる事は言えなくなる。弁護士がそれを止める。その事故責任者の不利になる部分に事故再発防止の一番大きなヒントがあるのにだ。
だから多くのブクマカ、特にメーデー民(増田は残念ながら同番組見た事が無い)なども基礎から間違えているコメントをしているので指摘させてもらった。
そもそも今のAIって別に主体的に何かをするわけではなくてgoogle検索と同じ人間に使われるツールの域を出てないんで、
AIで教育を受けるにはAIを使える人間でないといけないわけだが、それが親や子に出来ますかっていう問題がある。
分からないところをAIに聞くにしたってどこが分からないかを識別出来なければそれも出来んしな。
まあAIというかソフトウェアによる教育支援としては勉強内容の理解度テストを子供に受けさせて点が低いところから何を理解出来てないかを発見して
予め設定したパターンから何を再度勉強すべきかを提示するとかそういうサポートとしての活用法はあるとは思うが。
今の教育は理解出来てなくても次に進んでしまい、基礎の理解が不十分な状態で応用の勉強させてしまったて宇宙人から教育受ける状態になってたりしてるんでこういう問題の解決には対応出来る。
ちげぇよ、自分の書いた法文をそのまま読めば、義務教育とは親が子供に受けさせる普通教育(学校教育)のことを指すのであって親が主体的に施すものじゃないの分かるやろ。
あと法解釈いくつか見てみたがこの十条の一の論点は親がどのような教育を子に施すか親が優先的に選べる権利を強調するものであって
後半部分は些末な部分っぽいがな。個人に努力義務だけ課したところで絵に書いた餅だからだろうけど。
国からの社会的な要請ですし、それ以前に自分の子でしょ?自分の子どもと過ごすのが楽しくないの?なんで世間様に全投げ?って話なんですよ、どうして子ども作ったの?
今どきは共働きも増えていて物理的に昼間から面倒見れないことに対して、法文の拡大解釈・感情論による訴え・責める意図が明白な問いかけ、とかしてるの見ると、
子供に対しても同様に接するのだろうなという印象を受けるし。例えば勉強が嫌いな子供に対して”どうして勉強しないの?”とか責め立ててそう。
'サービス 開発 リモートワーク 提供 機械学習 プロダクト ソリューション 大規模 技術 要件 する チーム 企画 運用 設計 検索 ため 推進 製品 活用 改善 通信 投資 terraform アーキテクチャ フレームワーク ポジション データ 用い cto プラットフォーム gcp 課題 ビジネス 備考 リーダー scala クラウドサービス 配信 利用 リード 特化 github 処理 ユーザー ci js パーソルクロステクノロジー 新規 喫煙 月額 ai 提案 ビッグデータ クラウド 検知 仕様 スクラム 受注 施策 連携 マーケティング 展開 主体的 インフラ メディア フレックスタイム制 翻訳 広告 社会 事業内容 年俸制 行動 対する マネジメント 音声 自然言語処理 東京メトロ django レコメンド 保養 docker 購入 分析 go メンバー 解決 フルフレックス 検討 jira sas ステークホルダー 折衝 基本給 定義 創業 表彰 新橋駅 インターネット ansible'
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この3ヶ月間、4月以降の生活や仕事も考慮した上で主体的に計画や目標を設定し、それに向けて努力しよう。
年度の変わり目で受動的に生きていても忙しい時期に、あえて目標を設定してやるべきことを自分に課して行動することは来年度以降の成長や最高のスタートに繋がる。
3ヶ月という時間はとても良い。
1ヶ月では達成することが難しいことが多いが、三ヶ月あれば準備に1ヶ月、実行に2ヶ月という時間設定も可能になり物事を達成しやすくなる。
例えば「4月から〇〇を始めよう」と思っていたとしても、この3ヶ月間に何もしないで忙しさに流されるのではなく情報収集や実行の準備にしっかり時間を使い、4月からは考えることなくひたすら行動できるようにしておくと最高だ。
仕事だったらこれまでや今年度の総括をもとに失敗したこと、改善点を分析して同じことを繰り返さず、かつ向上するために必要なことをしっかり割り出せる。
恋愛だったら4月からの新しい出会いに向けて、身体・髪型・服装の改善などが十分にできる。
勉強だったら4月から勉強したい分野の情報収集や分析がしっかりできるし、場合によっては必要な知識や解法などの暗記事項に一通り目を通し、4月以降の演習や記憶定着の効率を上げることもできる。
この3ヶ月を無駄にしないように頑張ろう。
もう20年以上前の話になる。荒れたと言っても、先生に歯向かう、言うことを聞かない程度で、今思えばかわいいものだった。
反抗したのはA君とB君。A君とは家が近く、1年生のころから仲良く遊んでいた。小さいころから剣道をやっていて、とても背が高く、足が速く、頭も良くてかつおもしろい子だった。B君についてはよく覚えていない。学校では割と仲良く話していたが、学校外で一緒に遊ぶことはなかった。B君も割と体は当時から大きめだった。
小学3年生でクラス替えが行われ、私はA君・B君と同じクラスになった。担任は40代くらいの男の先生で、特に問題なく1年間を過ごした。小学4年生になるまで先生に歯向かう児童を見たことが無く、荒れた様子もまるでなかった。
小学4年生になり、担任の先生が替わった。30代半ばくらいの女性の先生だった。割とハキハキとしていて、怒るときには物おじせずにしっかりと怒るタイプだったが、今思えば「口うるさいお母さん」みたいな先生だった。若めの女性であったこと、体罰がなかったこと(当時はもう体罰は時代遅れ、という雰囲気だった)、お母さんみたいなタイプだったことが、周りよりも少し早く成長期を迎えた二人の反抗心を呼び起こしてしまったのかもしれない。
最初に反抗したのはA君だった。最初のきっかけはわからない。注意をする先生に口答えをする、歯向かう、無視する、言うことを聞かないといった、まさに反抗期の男子が母親に歯向かうそれに似ていた。その様子を見たB君も同様の行動をとるようになり、いつしか二人はその学校の問題児となった。二人が問題児となって以降も、先生はめげずに立ち向かい続けていたが、いかんせんアプローチの方法が最初から変わらないため、特に改善の兆しが見えないまま月日は流れていった。なお、期中に二人が校長室に呼ばれ鉄拳制裁をくらう(最初にB君が殴られ、それを見ていたA君はよけることができたらしい。A君とB君が逆かもしれない)こともあったらしいが、その二人の態度が変わることは無かった。
二人とも似たような行動をとっていたが、どちらかというと主犯がA君でB君が追従者といった印象だった。A君はもともと芯のある人間で、自らの考えで主体的に反抗している印象があり、そこには当時の彼なりのフィロソフィーがあったと感じた。一方B君にはそのような印象が無く、なんとなくむかつくからA君の真似をしていた、程度の印象だった。これは卒業以降の二人の歩む道の伏線でもあった。
二人が問題児となって以降も、クラスの運営は(ほかの児童目線では)問題なく続けられていた。二人は担任の先生に反抗するだけで、授業の邪魔をしたり他の子をいじめたりといった周囲への妨害がなかったからである。というか、その二人を含めクラスの男子は基本的にみな仲良く1年間を過ごしていた。そのため、その二人の反抗をスルーすればクラス運営は機能していたように思う。
ただ、みな仲が良かったこともあり、同じクラスの他の児童(特に男子)へは悪い影響を及ぼしていた。二人のような表立った反抗はしないものの、先生の話を話半分で聞き流す、誰かが怒られていると別の子が「短気は損気~」なんて歌をわざと先生に聞こえるように歌う、など男子を中心にうっすらと先生に歯向かう雰囲気が醸成されていった。なお、女子集団には特にそうした雰囲気は感じられなかった。
前述の通りこれまで先生に歯向かう友達を学校内で見たことが無く、私はそれまで、先生(学校側)=絶対的存在とみなしていた。先生に反抗するなど夢のまた夢と考えており、そのためこの二人の行動は衝撃だった。そんな私も周りの雰囲気に流され「この先生むかつくな」など軽い反抗心を抱いてはいたが、一部の友達のように反抗を匂わせる行動はついに最後までとれなかった(びびっていたのである)。
小学5年生になり、クラス替えが行われた(このタイミングでのクラス替えは例年通りである)。私はA君と同じクラスになった。B君は別のクラスになった。4年生の時に担任の先生は他の学校へ異動となった。私とA君のクラスには、新たに別の学校からきた男性教諭が担任に就いた。当時40代半ばで中学教諭も経験しており、背は低いながらも厳しい先生であった(なお、この先生が私の父親の同級生であることが後日判明する)。B君のクラスにもおそらく男性教諭があてがわれただろうが、よく覚えていない。
5年生になって以降、A君とB君は急におとなしくなった。今思えば、この男性教諭はA君への刺客だった。A君とB君がお互い離れ離れになったこと、それぞれ厳しめの男性教諭が担任になったことで反抗的態度をとりにくくなってしまったのだろう。5年生以降のA君の様子はむしろ優等生寄りで、赴任時にかなり身構えていたであろう男性教諭は拍子抜けしたかもしれない。そして特に問題を起こすことなく、二人はそのまま小学校を卒業し、私とその二人は地元の同じ中学校に進学した。
中学生になってからの二人はまったく別々の道を歩んだ。先にB君について話すと、いわゆる「不良」になった。数世代前にめっぽう荒れた中学校で、不良自体は当時もまったく珍しくなかった。引き続きB君とはたまに話をするくらいの間柄だったけど、がたいがよくたまに人を殴っていたので「殴られたら怖いな」と思い内心びびっていた。中学校卒業後の進路についてはよく知らない。高校に進学したのかどうかもわからない。
A君は、小学5年生の「更生」路線を中学でもそのまま続けていた。引き続き頭がよく成績も優秀、さらに生徒会に入りついには地元の進学校に推薦で入学してしまった。中学時代も引き続き仲良くしていたしB君みたいに周囲を怯えさせるような人でもなかった。普通の「いいやつ、おもしろいやつ」で、もし中学からの友達が彼の小4時代の話を知ったら多分びっくりしていたと思う。本当にあの1年間だけだった。たぶん、早く到来してしまった反抗期とあの先生が悪い意味でうまく組み合わさってしまったんだと思う。
私はA君とは別の高校に進学し、それから連絡もとっていないため彼のその後についてはよくわからないが、高校卒業後は東〇電力に入社したらしい。てっきり大学受験をするのかと思っていたため、少々驚いたのを覚えている。B君についても詳しくは知らないが、中学の同級生と結婚して子どもがいるらしい。
思い出話はここまでである。特にオチが無くて申し訳ない。年末の帰省準備をしていてふとA君のことを思い出し、書きたくなってしまった。A君はいま何をしているのだろう。芯のあるしっかりした人間で柔軟な思考も持ち合わせているから、問題無くやっているとは思う。もしA君がこの文章をみたらすぐに自分のことだと気が付くと思う。書き手についても大体察しがつくだろう。
今の彼にとって、あの1年間とその1年間が彼のその後に与えた影響をどう考えているんだろう。中学時代も話題に出したことはあるけど「あの先生がうざかったからね~w」くらいの話をした記憶しかない。30歳を過ぎた今なら、その「総括」もできているんじゃないだろうか。私個人の勝手な考えだけど、あの1年間は彼の精神的成熟に多大に貢献したと思う(当時の先生は不憫に思うが)。彼がいまどのように感じているのか、一度話をしてみたいものである。
https://anond.hatelabo.jp/20231222215249
この息子とか普通に論外じゃん?
こういう人間のクズみたいな態度を
ガバガバうすらリベラルをはてブも長らくやってきたわけじゃん。
あれは何かって言ったら
ピーターパン的なただの甘えなんだよね。
成人してもいつまでも誰かに親としての責任とってほしい、みたいな。
初めて「おかしいだろ!」とか言うようになった。
アホらしい。
20年前に気づけばか。
社会の中で自分を一方的な被害者様やお客様に位置付けてるかどうか。
自分が加害者にも責任者にもなるというオプションを意識してるのがまともな成人。
自分が常に被害者でお客様で怒りの声をぶつける親を探すだけの人生を選ぶやつは一生成長がない。
そして社会は親じゃないので八つ当たりばっかりするようになる。
環境活動家やフェミニストなんかが主体的に社会変革に取り組んでるように見える?
親が大事にしてるものに鼻くそや便をつけて交渉してるつもりになってるガキよ。
自分が責任者としてなにかを変える気はなく、問題や怖い相手に直でぶつからず八つ当たりばかり。
親族が嫌いなのもいいんだよ。
ただそれならちゃんと具体的にまとめて言うぐらいはさせろよ。成人なんだから。
産んだこと自体がどうとかくだらねえこと抜かすし、「ボクチンの人生に起こりうる全ての障害を事前に予測してくれましたか!?」とかモンカマの極みみてえなことぬかすし、
でこういう極まった変なモンカマは自然発生はしない。
「そのままでいいんだよ」っていうのが進歩的だと思ってるバカがいて、そういうのに接触してうつされたんだよ。人生腐らす猛毒を。
砂鉄みたいなイキり自己責任無能老人も問題だし、うすらリベラルみたいな一生お客様無能老人も問題だし、
要するにどっちも無能だから極端かつ現実無視した方向性ばっかりなんだよね。
今の若者はこういう両側の老人の腐った病気をあまりうつされなくなってきてるけど、