はてなキーワード: 主人公とは
一石投じてやったぜ
飛ぶ鳥落とす勢いの
俺はまるでブリューナク(ケルト神話の光の神ルーが持っていたとされる武器。投槍のような武器と考えられているが投石武器(スリング)だったのではないかとも言われている。だが光の神ルーの持つ投石武器としてもう一つタスラムと呼ばれるものがある。これは宿敵であるバロールの魔眼を撃ち抜いたとされている。このことからブリューナクを投石武器とする説はタスラムと混ざっただけであるとも言われているが、同時にタスラムこそがブリューナクの投槍としての機能が投石武器として誤って伝わったものとも言われている。このように神話の主人公は複数の神話的な武器を持ち神話的な逸話を作るが、これらの多くは戦場に出陣した兵を鼓舞する際、「お前たちの武器は神話にも劣らない」と語った際に仲間外れになってしまう兵種が出てこないようにしている内に増えてしまったからであるとも言われている。神話とは現代においては単に娯楽として消費されるようなものになっているが、古代においては宗教的な意味が強く、それはつまる所政治利用されるための道具であったわけである。政治の道具であるということは、時の当事者達が都合によって何度も書き換えるためのインセンティブが働いてきたということである。王・将軍・神官・占い師などがそれぞれの都合により定期的に書き換えるわけだからして、そもそも正しい内容と呼べるものは存在しないとも言える。たとえば、ブラックジャックの例のセリフが「木の芽!木の芽!」であったと語るものと「(検閲)」であったと語るもののどちらかが間違っているということではなく、どちらも正しくはあるのだ。もしもそこで正しさを問われるものがあるとすれば、それは自分の都合によって内容を書き換えてしまった者達の側だろう。そもそもをして政治利用の意図がなければ神話の発展はなかったのだから、都合により好きに書き換えて良いという姿勢は好ましくないと私は考えている。それは親が子供に「お前は労働力として産んだのだから、お前の人生は俺達の所有物であるべきなんだ」と語るに等しいことだ。相手が空想上のものであっても、生みの親の絶対的な権限をふりかざしてその存在を歪めるのにも、どこかで限度というものがあるべきではないだろうか?)
特殊な訓練を受けた6人の時空犯罪者たちが、任務のせいで入り込んでしまった死のループから抜け出すために、モノリス的な奴を使って時空航行装置をいい感じにアレしてたんですね。
そんでまあなんだかんだで時空の狭間で並行世界の時空航行装置まで辿り着いたから2つの航行装置の力を使って何かアレしようとしてる所で、「保管庫で時空凍結した別の仲間を見てきてくれ」って言われて見に行ったんですよ。
んでまあ冷凍睡眠装置を見たら、今回の任務が始まったばかりの姿で保管されている仲間(今までの旅の間に2人が消滅してる)の1人が無事であるのは見つかったんですけど、1人はそもそも冷凍睡眠装置にいないんですよね。
それを報告しに艦橋に戻ったら、2つの航行装置の間でソレをアレしてる影響によって世界が抽象化されていってなんか真っ白い宇宙に点と線がフワフワと浮いてるだけになって、まあインターステラーの最終局面みたいな空間に入っちゃったわけです。
んで、このあとどうしたら脱出できるのかな、そもそも今どんな状況なんだろうって考えてたら、世界がフリーズしたんですよ。
最初、時空同士をアレした結果として世界が止まったんだと思ったんですけど、ふと気づいたんですね「あっ、俺の脳がこの状況についてこっからどういう理屈をつければいいのか分からなくなったな」って。
ストーリーテラーとしての俺の脳が全然分かってない展開をSF映画やゲームのツギハギでなんとかやってたんですが、最後の最後に派手にSF考証ぶっこんでそれっぽく最後の時空跳躍かます直前に、「そもそもどういう理屈で跳躍させればよくてそのためには主人公たちがどういう操作をすべきで世界はどういう風景になるのか」ってことが分からなくて夢が処理落ちしたわけです。
途中まで結構ソレっぽく頑張ってたのに、なんかもう完全に萎えて起きちゃいましたよ。
どうしようもないなら割り切って心象風景みたいな所で赤ん坊の泣き声でも流しておけばよかったんちゃうかと思ってしまうわけですが、それをやらずに最後まで頑張ろうとした俺の無意識の姿勢も否定しがたくはありますね。
夢ってたまにこういうことありません?
前回どういう感じだったのか言えって言われても覚えてないんですけど、たまにこういうのあるなあって感覚だけは残ってるんですよ。
最初に断っておくと、これは個人的なリアリティラインと制作側の演出のリアリティラインが合ってない、結果として「嫌なら見るな」でしかない話。ちょっと期待してた分のガッカリした気持ちを吐き出したいだけだ。
ガールズバンドクライは、何らかの問題を抱えた少女たちが出会いバンド活動を通じて自己実現していく系の作品だろうと思って視聴し始めた。まあそこは実際どうだかはおいといて
といったことからも、バンドにまつわる描写にはとくに本腰入れてリアリティ出そうとしてるんだと思った。音楽周り中心に周辺事情はちゃんと描くからこそ、ぶっ飛んだキャラ設定などのフィクションならではの部分に対して嘘くささを忘れられてドラマ性が高まる、そういうもんだと思ってる。
が、実際には1〜2話では逆の、とくにバンド関連の嘘が、演出だとしてもひどい印象だった。
なんかこの辺、要らん嘘って感じで、ストーリー展開のための嘘にしか思えず、演出だとしても筋が悪いように感じられて、視聴のノイズでしかなかった。
1話で仁菜のギターの扱いが酷いのは単にど素人だから別にいい。仕方ない。「他人の」「楽器」ってだけで大事に扱う常識的な感覚、を持ち合わせていないキャラで構わない。あと1話は、仁菜の住む予定の部屋の隣、そんなアパートに小さな子いる家族で住む?みたいのも気になったがあり得なくはない。2話での、壊れたシーリングライトをスイッチもブレーカーも落とさず着けるシーンは危ないのでやめて欲しいが、そこが無知なのは仕方ないというか全然有り得る。ちょっとした家電の知識すらない大人も現実にいる。そういうのよりスマホリテラシーの偏りの方が不自然に思える。ストーリー都合過ぎる感じがとてもした。
3、4話ではノイズになる嘘が減ってきた。3話の歩いてない鳩の首リズムも嘘だが、ストーリー展開が絡まないギャグ演出みたいなもんなのでそこは許せる。
冒頭にも書いたけど結局は個人のリアリティラインと作品のリアリティラインがズレてるだけの話。気にならない人には気にならない。
こういうこと書くとダブルスタンダードっぽいが、例えばバンド活動を主軸に扱った作品でも、以下のようなものはフィクションとして気にならない。
少なくともガールズバンドクライという作品で描きたいであろうテーマからすれば、上記に挙げたようなところはフィクションで構わないと思える。まあチートというか。例えば「バンドって金かかるし貧乏生活になるよね、そこをどうあがいて脱していくかを描きたい」ってんなら話は別だけど。なんか「いないパートの楽器の音が鳴る」のはチートじゃなくて、シンプルに嘘なんだよね。
花田作品は結構、ストーリー都合の「付かない方が世界観の品質維持できてよかったろうにという嘘」が多い印象はある。でも全部が全部自分に合わないわけじゃなくて、監督やどの辺に監修入ってるかとか、何題材にしてるか(→見る側のリテラシー変わってきてリアリティラインも変わる)などで結構変わる。
1話のタイトルである「ぼくたちは、恋していく」が作品自体のタイトルであるかのように表紙にも目次にも書かれ、北海道を舞台とした普通の学園ラブコメのように始まる
前作の「いいひと」が心温まる路線だったので、本作もそのようになると思わせた
しかし1話の最後の方で突然空爆が始まり血まみれになって倒れる人々
おっとりしていた彼女が機械の翼を生やした姿で表れ「ごめんね。あたし、こんな体になっちゃった」と主人公に呼びかける
そこで見開きで「最終兵器彼女」とはじめてタイトルが明かされる
ネットも広まっていない時代を舞台に、情報統制により道民たちは知らなかっただけで
主人公が強すぎてライバル視点で物語が語られる作品っていいなという気付きを得た
『ノーマーク爆牌党』の爆岡
序盤は主人公視点で物語が進んで、終盤になると打倒主人公を目指すライバル視点になる……というパターンが良きかな
pixiv百科事典に項目あった
なるほど『進撃の巨人』も言われてみるとそうか
知識を得た
嬉しいね
宝石の国は、思うに視点を3段階で変えて見る必要があんのよね、話の構造的に
一段階目は「主人公が気になるアイツのために成長するだろう物語」として、徐々に変化していく主人公目線で読む
アニメの範囲はこれだから、序盤〜前半は分かりやすく読みやすい
二段階目は「変貌した主人公が何をしていくのか予期できない中で、群像劇として見る」
話がどこに辿り着きたいのか予期できなくなるし、主人公の人格も定かではないので、周りの登場人物を面白がって細かい部分を見る
ここで感情移入がし辛い問題が発生するし、周りのキャラが気に入らないと脱落する人も多い
「漫画じゃなくてジャンプ持って来い」で大物逃してバカだなーと思ってたけど今なら判る。マジでジャンプ持って来いって言いたくなるわ。
ヴィンランドサガみたいな作品多すぎ。それジャンプじゃなくてモーニングとかイブニングとかアフタヌーンだよね!?って突っ込みたくなる。
一般人の俺でさえそう思うんだから他の人達は強烈に感じてそうだよな。
「子供が主人公」なだけの青年誌みたいな作品多すぎ。せめて雑誌に適した作品を持ち込め。マジでジャンプらしい作品持って来て。
TRPGのファンタジー小説化なんだけど、レベルやステータスが書かれたTRPGのプレイヤーシートと同じものを、ギルドカードとして主人公たちが把握しているという。
TRPGリプレイとかいう小説は既に書かれていたが、ステータスがそのまま物語に導入できるのは新しかったし、たぶん便利だった。
そこではインフレし放題といわんばかりに次の章に進めばより強大な敵が!みたいな流れが主流だったわけよ。
でもさ、インフレ展開だって万能じゃない。そのうち読者も気付くわけよ。
これキリがなくね?って。それに次の展開をインフレばかりに任せているとワンパターンになって、強大な敵が現れるものの最終的には主人公が倒すってなる。
延々同じことするなら、続きやる意味ある?
だからバトル漫画における安易なインフレ展開は次第に忌避されるようになって、今では二次的な価値を見出している。
作中で各キャラクターを深堀して設定を緻密にしたり、、群像劇を見せたりなんかしてストーリーをより面白く、見応えのあるものにしているわけだ。
それに対してゲームはどうだ。
もちろん、すべてのゲームに対して言えるわけじゃない。けど、一部のゲームは未だに映像のクオリティを上げて、アクションシーンを派手にすれば受ける!なんて思ってる新作ゲームもあるんだよ。
今は凄い!ってなってもあと数年すればもっとリアルなものが出てはすぐに凌駕され、売りとなっている良さの部分はすべて駄目になってしまう。
だったらそこ以外の、たとえゲームの映像が後に格段に進化しようとも「あのゲーム凄いよね」って言われるような、インフレ化しない面での工夫があるようなゲームを作るべきんなんじゃないのか!!
・メジャー
主人公がびっくりするくらい畜生ななろう系だけどどこか憎めない
・巨人の星
なろう系主人公かと思いきや、あんま才能なくて必死でアレコレ工夫してるの好き
・ダイヤのA
リアルな高校野球を追求した結果、毎年毎年地区大会で同じ高校とばっか試合してた
当初は心理戦を強く意識する展開で好きだった。台風を利用して"勝敗"を破壊する展開は唸った
・REGGIE
プロでの助っ人外人を主役に据えた珍しい漫画、後半異次元野球になっていくのは残念
だらだらだらだらやってる印象が強いけどトレーニング理論とかは面白かった
・グラゼニ
アーマード・コア6、面白いんだけど真レイヴンに全然勝てないし、
勝ったところで行き着く先はウォルターかエアちゃんを殺さないといけないらしいし、
それどころかミシガンやチャティやカーラやラスティやスネイルを殺さないといけないらしくてゲームを進める気が全く起きない。
フロム君、昔は殺すのに何のためらいも湧かないクズだけ殺してればよかったのに、
何で621を評価してかわいがってくれる人を優先して殺させるん?
そう言えば隻狼も死亡回数が重なっても、主人公にはデバフがないのに、
周りの人間に病が流行っていくと言う最悪のシステムを導入しましたね。
人の心とかぁ、お持ちじゃないんですかねぇ(ねっとり)?