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はてなキーワード: 中高一貫校とは

2024-01-09

きょう小学校冬休みがおわって学校にいって他の子がうかったかどうか聞いたらわりと落ちてたらしい。秘密って人いがいは みんなダメぽだったらしい。

ちなみに公立中高一貫校の合否です

昨日、そろばん大会があったらしく、むすこがそろばん先生に今回の件を報告できた。今回の件っていうのは(公立の)中高一貫校合格したこと

先生もよろこんでくれたらしい。いろいろな人に報告しててその反応についても耳にしているけど、そろばん先生がけっこうよろこんでくれた。これは印象的。

2024-01-07

anond:20240107121447

小中ともに公立。わりと礼儀正しい(?)子が多くて荒れている様子は無かった。男子たちは休み時間将棋とかしてた。県庁所在地中心部学校西日本地方)。自分の学年は半分近くが私立中高一貫校に進学。公立中学で一緒になる隣の小学校が荒れている学校だったか中学普通にヤンキーがいて少しビビった。そこの小学校飲み屋街が学区だから夜職のシンママ率が高かったんだよね。

2023-12-25

うちのむすこが中高一貫校合格!(とはいえ神戸東京御三家とかそーゆーのと異なる)

6年生の10月から塾にかよいはじめるというスロースターターで、よく合格できたよなぁぁ。

部分点かせぎ受験テクニックを伝授したのがよかったか

けっこう試験の成績以外の部分を評価してるといううわさがあるんで、・・・待ち時間とか休けい時間

ぐったり机に突っ伏して寝てるような受験生は、落ちるとか・・

2023-11-27

anond:20231127141239

関東都心通学不可能エリアにある進学校も近いものがあった

入学式校長

あなたたちは未来を担うエリートで」

的なこと恥ずかしげもなく言っちゃう感じとか

一般学部スルーして東京藝大や武蔵美多摩美を狙う同級生応援されるけど、大学受験自体スルーして漫画家アシスタント仕事見つけて上京準備してる同級生露骨軽蔑される感じとか


どの生徒もナチュラル自民党み、日本会議みが強かったりする感じとか


私立中高一貫校男子校女子校出身の連中とは一言も口聞かないって決めてるんだ」

と「The 生き方負け犬」みたいな意気込みを見せて東大ライフスタートさせたバカとか(※俺の姉)

2023-10-25

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

2023-10-19

anond:20231019125159

まあそうなんだけど、単科大学College でやっぱり大学だけど、Conservatoire(コンセルヴァトワール)は高等音楽学校みたいな感じ。で、総合大学の一部にはならない。主にフランスとかの伝統。 

ちなみに日本東京藝術大学も昔は東京音楽学校東京美術学校だった。

まあ、college という語は使用範囲が広いので一概には言えないんだけれど。Oxbrige の College大学でも学部でもなくて学寮と訳すし、Eton Collegeイートン校)は日本で言う中高一貫校だし

2023-10-11

オワコン日本

中国の男に生まれたら

北京大学精華大学深圳大学コンピュータサイエンス専攻して起業するかテンセントなどに入社金持ちになってから共産党に入党しイケイケ。ウイグル美人高身長中国美女結婚北京上海の高級マンション悠々自適

韓国の男に生まれたら

ソウル大学法学部に入って検察官韓国検察官国内官公庁で最も権力を持った特権階級)になるか医学部に入って美容外科医に。高収入尊敬もされ将来も安泰。韓国美女結婚ソウルでイケイ人生

アメリカの男に生まれたら

裕福な家庭ならボーディングスクールを経て名門大学コンピュータサイエンスを専攻しカリフォルニアテック企業エンジニアに。いずれはスタートアップを築き売却してリタイア

貧しい家庭なら高校卒業後に海軍兵学校陸軍士官学校空軍士官学校のどれか、或いは予備役将校課程で奨学金を貰いながら大学へ。将校として尊敬されながら名門大学修士号を経て政界デビュー国防省の高官へ。

イギリスの男に生まれたら

パブリックスクールからオックスブリッジに進み、秘密情報部保安局に勤務。尊敬の念を集めながら上流階級女性結婚余暇地方カントリーハウスで過ごす。

フランスの男に生まれたら

高校卒業しプレパを経て高等師範学校パリ政治学院国立行政学院卒業して財務官僚か会計検査院判事に。フランス美女契約結婚して愛し合いながら出世しいずれは大統領首相

日本の男に生まれたら

小学校から塾通いし胃を痛めながら勉強し有名男子中高一貫校へ。さらに胃を痛めながら英語数学勉強しまくり国立医学部へ。卒業後は病院ブラック労働。ブスなジャップメスに必死に媚を売って結婚してもらい、専業主婦の妻と家事子育て折半子供が生まれ家を買ったら生活は苦しく、やりたいことも買いたいものも全て諦める人生。なおこれが唯一日本でまともな人生を歩めるコースでありここから脱落したら悲惨な低収入孤独人生

他の国に生まれていればいくらでもイケイケな人生が待っているが、オワコン日本に生まれると死に物狂いで医師になる以外に道はなく、仮に医師になっても幸せ生活が待っている訳ではない。

2023-09-25

灘高が女子大とColaboしたという話

めっち揶揄われてたけど、みんな平気なん?

相手はそのうち官僚かになる連中だよ?

バカにされたことを根に持って仕返しされるとか思わないの?

切込み隊長が嘘か真か、慶応かよってた頃にイラつく前の席の子供にコンパスぶっ刺したけど無罪放免された、と言うエピソード聞いて以来、ああいういいとこの中高一貫校

底辺とは別の形で無法地帯だと思ってて。

触ってはいけない、近づいてはいけない感のほうが強い。

2023-09-20

最近の子供って忙しいんだね

私は独身地方都市在住なんだけど、東京都内に住んでいる姉から子育て愚痴を聞いたんだよね。

小学3年生なんだけど、週に2、3日くらいは夕方8時まで塾にいかせているらしい。私立中高一貫校中学受験させるためなんだってさ。

学校から帰ったら一度軽く食事させて、塾に向かわせ、帰ってからも少し食べさせるらしい。

それ以外にサッカー教室にも通わせているらしく、週末は毎週のように試合だそうな。

最近小学生ってとても忙しいんだね。自分時代を振り返るとさすがに違い過ぎて驚いた。

これって全国どこでもそうなの?それとも東京という特殊性

2023-09-17

官僚は間違えない」という事実から考える中学受験のススメ

官僚が間違いや失敗を犯すことはない。

そのため、政治行政におけるミス失策の原因は

政治家と呼ばれる、選挙によって選ばれた中身のない名望家

一般職、〇〇専門官、〇〇専門職という形式で選ばれた下級役人

によるものである

その理由御三家男子中高一貫校東大文一→旧司法試験不合格国I(当時)不合格東京大学法学部小学生向け受験塾の講師という経歴を持つ俺が官僚にはなれなかったけれども官僚の友人を多く持つ人間として解説する。

まず官僚になるためには突破しなければならないものがとにかく多い。

中学受験東京大学文科一類現役合格国家公務員総合職試験上位合格面接など文科省環境省などの下級官僚課長級を経て肩たたきされる底辺官僚でも最低限この四つを突破する必要がある。局長次官級ともなればここに加えて学生時代の旧司法試験現代なら予備試験と本試)の合格仕事で間違いを犯さないこと、政治から嫌われないことなさらに多くの要素が必要となる。

10から始まるこの競争では間違いは許されない。中学受験大学受験公務員試験とどれか一つでも間違えれば官僚への道は潰える。学業だけでなく、非行に走ったりした学校を追われたり、享楽に耽って大学中退したり留年しても同様である

そのように間違いを犯した人間から官僚への道」が潰れ、医学部医学科、工学部などに進学したり、法曹外資系企業財閥総合商社…など別の道に泣く泣く進んで行く。

お分かりいただけただろうか。

官僚は間違いを犯さないことに関してはプロである

よって政治行政への批判の際に官僚槍玉にあげてはいけない。なぜなら彼ら官僚ミスや間違いは犯さず、もしも間違いが存在するのならそれは政治家(但し官僚出身者は除く)、下級役人政治家の選んだ専門家有権者たちなど別の人間に要因があるからである

日銀がわかりやすい例だ。日銀叩き上げ大学教授出身総裁就任すれば日本経済は傾き、財務官僚が就任すれば日本経済は持ち直す。この繰り返しだった。日銀総裁の中で最も功績の大きい黒田氏(面識は全くないものの私の中高大学学部の先輩に当たる)は大蔵財務官である

ちなみに民間企業法曹医師などにおいても仕事で間違いやミスを犯さない順に属性を並べれば

中高一貫東大卒→非中高一貫東大卒→中高一貫国立卒→非中高一貫国立卒→中高一貫私大卒→非中高一貫私大卒となる。ちなみに仕事における能力の高さやパフォーマンスの高さで順位をつけても全く同様となる。

これは様々な業界にいる私の中学高校大学の友人も同意しており、私の職場職員講師を見ても同じく当てはまる。

お子様をお持ちの方は子供未来を考えればこそ、金銭負担や労力を厭わず、迷うことな中学受験をさせ間違いやミスを犯さない輝かしい人生を送らせてあげてほしい。

難関中高一貫校で実質飛び級してるのに大学で蓋をしてるんだから日本にはまだまだ才能が埋もれてるのでは?

創作の中ではガンガン飛び級しまくって博士号を持った天才少年少女が量産されているのにNE

2023-09-16

結局、まともな教育は都会じゃないと無理なんていう親は文化的体験留学教育も全部金払ってどこかにアウトソーシングしようとしてるんだよね。

中学受験して私立中高一貫校入ったけど同級生共が合わなすぎて、元々小学校時代同級生と同じ中学行きたかたか駄々こねて夏休み前に中退して地元の町立中行った。「多様性のある」学校だけど私立中高より全然しかったわ。受験なんて高校受験大学受験でどうにでもなるし。

創意工夫しようとせず最初から金払ってサービス子供教育アウトソーシングしようとする人間の子供なんてどんなに環境お膳立てしたってどうにもならないから悩むだけ時間無駄

こんな年収じゃ子供なんて育てられない!

馬鹿「こんな年収じゃ(幼児スポーツ教育英会話教育受けて、ピアノバイオリンも弾けて絶対音感あって、私立幼稚園私立小学校中学受験塾、中高一貫校通って東大京大国立医学部に通う「普通の」)子供なんて育てられない!」

祖母「何言ってんねんこいつ…」

ドライブインラーメン屋開業して左官屋にも弟子入りして最後電気屋経営に落ち着いた借金まみれの祖父と一緒に6人の子供を育て上げ、その子供たち(俺の親父含む)全員独立して家庭持ち。

2023-09-15

anond:20230914181924

後輩母みたいな低脳メンヘラ女でも平気で金持ち男と結婚(これ恐らく中高一貫校の話だろ?)できたのは昔あるある

「こいつ普通に旦那いなかったらくっそ汚ねえアパート生保だろ」みたいな情緒不安定キチガイ女は上流階層によくいた。

2023-09-06

anond:20230905190857

教員の過労問題しかり、こういう現場問題はどんどん広めてほしい

しかしやべえよな日本

医師にまでこの仕打ちだよ

このままだと、医学部に行くはずだった優秀な受験生が、東大京大とかの一般理系学部に流れてしまうのではないか

高校時代は数オリ物理オリで活躍し、満を持して医師になり、鍛えた頭脳患者さんを診断するゴールデンルートがあった

それがよくてエンジニア、下手すると情報系、コンサル金融関係虚業に流れてしま

厚労省文科省は、医師仕事やりがい中高一貫校鉄緑会に出向いて講演すべきだろう

2023-09-05

仲が良いと思っていた友達が知らない間に結婚してた

今度結婚式を挙げることになった。

中高の友人のAに久々にラインで連絡して参加の了承を得た。

Aは中高一貫校中学3年,高校1年と同じクラスで仲良く、お互い大学に進学した後も、5年ほど前までは遊んでいた。

Aに招待状を送るため住所を聞くと苗字が変わっている(ライン名前Hanako Y.みたいな感じで苗字イニシャル変わってないから気づかなかった)。

びっくりして同じく結婚式に招待する友人B(私,A,Bで高1の時は仲が良く、私とBは同じ大学に進学)に話を聞くと一昨年結婚していたらしい。

友人Bは友人Aのインスタを見て知っていたらしい。

友人Bは招待されてないものの、同じ中高の友人も呼ばれていたことも聞いた。

中高6年間で一番仲が良かったと思っていた友人Aにとって自分は仲の良い友人ではなかったんだなと辛くなった。

ただ昔みたいにAと仲良くなりたいか結婚式には呼ぼうと思ってるけど怖い

2023-08-27

「暇空茜さんは東大寺学園合格した程度のことを誇りにしています」って暇空さんそんなこと言ってたっけ?

高校サッカーだってテレビ中継されとるやろがい」

と言われそうですが…高校サッカーって「高校受験」みたいなもんで、本当に優秀な人はプロチーム下部組織(ユース)に所属してたり、15歳でプロデビューしてたりします。

受験業界で言えば、中高一貫校なしで、誰が頭いいか決めてる高校受験は、中高一貫校出身から見たら「おままごと」です。

これ、千葉御三家出身の人が本当に言ってた話ですし、

東大寺学園合格した暇空茜さんとかも、それをすごく誇りにしてます

から…ツラいけどおままごとなんですよね。

例えば…中高一貫校の中でも4割は東大に行くという灘高校から見たら、同じ県の神戸市で一番いい長田高校の連中でさえ、まだまだなんです。

東大寺学園合格した暇空茜さんとかも、それをすごく誇りにしてます

暇空さんそんなこと言ってたっけ?

2023-08-25

高校生だけど、留学先で知り合ったアメリカ人両思い状態でもどかし

こんなアホらしいことで毎日心臓がきゅーっとなってる自分が情けない…

今月上旬留学先の高校で知り合ったメキシコアメリカ人に好きだと言われた。

4月くらいからインスタのDMでやり取りしてて、6月に僕が帰国したあとも毎日何かしら話している。

で、僕も好きだよーって言ってじゃあ今度ビデオ通話しよう!ってなって明日することになった。

で、まあ前日の今日から緊張してここに謎の書き込みをしているわけです。

その人めっちゃ優しくて可愛くて、僕と違って痩せすぎてないところが凄く好き…

あほ丸出しの文章ですが、これを書いている僕は10ヶ月の留学でTOEFL110点取ったし、都内トップ中高一貫校に通っているので成績は悪くないです。(謎の自分語り)

問題は、来年から理系受験生になる高校生が、他にやることもたくさんある中で恋愛うつつを抜かしていいのだろうか…ということです。

2023-08-14

anond:20230814184121

突然変異でなくわりと一定数いると書いてあるのに一方的に極稀にいる障害者認定してくるとか文章読めないのかよ

環境論を唱えてくる人は都会在住なら勝利努力できる環境なら勝利!とか言ってるけどそれに照らし合わせると都会在住で中高一貫校に通えるというだけで恵まれている範疇になるだろ。その中でも東大だの早慶上理だの行けるのはほんの一握りだよ。

2023-08-09

anond:20230808222237

増田鹿児島についての重要情報を隠している。

鹿児島には2015年に当時の知事肝いりで作られた県立の中高一貫校がある。(そのうち過去形になるが)

鹿児島県立楠隼(なんしゅん)中学校高等学校

といい、名前薩摩隼人の一文字が入っている男子校である

当時の知事とは「高校教育女子に(三角関数の)サインコサインタンジェントを教えて何になるのか」「それよりもう少し社会事象とか植物の花や草の名前を教えた方がいい」との発言をした人物で、一部では「そんなことあったな」と思い出されるであろう。

全寮制、男子校高校入学あり、というスタイルスタートしたが、そもそもラ・サールもある地域にそのスタイル勝負をかけるという、最初から無理があるプロジェクトであった。

定員割れが起きるようになり、県立である過疎地域学校ばりに全国募集も始めたがそれも特に効果は無く、共学化を掲げた現知事当選し、6月議会で共学化を発表。

それに対してOBと、男子校からと入れた保護者が反発しているという状況である

https://news-hunter.org/?p=17572

ちなみに、楠隼の直近の卒業生進路に234月に共学化したばかりの鹿児島純心大学(旧鹿児島純心女子大学)への合格が1名いるのが何か象徴的でもある。

この流れを理解して、かの遠距離通学の女子高校生のことを考えてほしい。

追記

10:30に書き込んだ増田と中身が被った(´・ω・`)。

2023-08-08

anond:20230808222237

愛光って共学になったんだ。まあ、九州の中堅以下の私立中なんて付設とラ・サールおこぼ女子のおかげで進学率アップしてただけなんで、ラ・サールが共学化したら中堅未満は熊高や上野ヶ丘に負けますよ。鹿児島だと玉龍高校中高一貫校になったら、志学館と池田学園が没落したし。そもそも優秀な教員は、公立高校にいくので地方私立中に優秀な職員は来ないんすよね。いまら九州人にとって、ある程度のオツムがあれば早稲田佐賀に行くのが人生の正解になっちゃったがな。

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