「中納言」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 中納言とは

2024-03-08

anond:20240308190842

「だまりゃ!」

「麿は恐れ多くも帝より三位の位を賜わり中納言を務めた身じゃ!すなわち帝の臣であって徳川の家来ではおじゃらん!その麿の屋敷内で狼藉を働くとは言語道断!この事直ちに帝に言上し、きっと公儀に掛け合うてくれる故、心しておじゃれ!」

2023-11-30

◯ンデ◯◯ク

ぼんてんこく【梵天国】〔「ぼんでんこく」とも〕


御伽草子室町期の成立。梵天王の姫と結婚した主人公中納言が,帝の難題を退け,また羅刹国に連れ去られた妻を助け出す物語。のちに古浄瑠璃説経節などとしても広く行われた。


②〔江戸初期の浄瑠璃興行で,一日の興行の終わりに必ずを語る習慣があったこから物事の終わり。「たとひこの身は梵天国になるとも/松の葉」


③〔から転じて〕主人などから追放されること。「やきもちのやの字もあると,忽ち梵天国さ/滑稽本浮世床」


2023-02-23

お気持ちマロ

まりゃ!

麿は恐れ多くも帝より三位の位を賜わり中納言を務めた身じゃ!

以下略

2022-12-09

訳せる言葉、訳せない言葉

海賊版サイトでfakku等によって原本から翻訳されたものが幅を利かせせているので、本来なら原本を買えば済む話なのだが、とにかく日本人側は翻訳版の再翻訳をしなければならない歪んだ状況に立たされているという話になっていた。

そういう話の流れで出たのが双龍漫画「こういうのがいい」ってどの言語でも訳せなそうだよねという話だった(あえて言い古された「ちんちん亭」には触れない)。

もちろんこれは「こういうのがいい」の翻訳版を謳うものが出た場合は既に元の台詞回しのニュアンスが壊れているはずなので、また原本日本語自身が独特なので、元の台詞復元することは困難であるという含みもある。

台詞回しの一例をあげてみよう。

女:ワキガチェックしてくれたまへ

男:剃り残しがございます

女:うむむ…永久脱毛の金を稼がねば…って違うぞ違うぞぉ?臭いはどうなんじゃ

男:…なんか甘いんだが

女:スイーツだと

文章の随所において終助詞など細かく拘られていて、独特のテンポ形成されている。

ただ何より注目すべきなのは、このピンク美少女が「違うぞぉ?」とか「どうなんじゃ」とか中性的かあるいはどちらかといえば男性的な口調でものを言っていることだろう。

この言語倒錯が生むチャーミングさといったら一体どう翻訳すれば保存できるのだろうか。

たとえば英語圏にも男性口調とか女性口調の区別は確かにあるのかもしれないが、ただ女性男性口調に相当する言葉を言わせる「ずらし」でそれは再現可能なのか。

上記の男口調は、俺妹にも拙者が一人称の男言葉を使う女はいるが、あの口調ともまた、それが放たれたときに読み聞きした側が感じる空気感というか味わいといったものが異なると思う。

まり同じ言語内における言語倒錯についても、ずらし元とずらし先の違いによってそうしたニュアンスが異なってくるのに、その各ニュアンスを別言語において再現可能なのかということだ。なかなか難しいものがあると直感される。ちなみに現代女性が「たまえ」というだけでも面白いがそれが「たまへ」と表記されたときの独特の滑稽味もまた再現し難いだろう。

もう一例あげておこう。場面は風呂場の脱衣所で男女が裸になっているという状況だ。

女:ふいータオル貸してー

男:いいよーっておいそれ昨日使ったやつだぞ洗ったのあるよ

女:いいよ別に乾いてるし

男いや洗った奴のがってあーまあいいか

女:むっ雄の香り

男:えっ?酸っぱい?お酢

女:ちゃうオスメスの雄w

やや育ちの悪そうな自然体の男女カップルの会話が自然に、あるいは少し技巧的過ぎるかもしれないが、素晴らしい具合に再現されている。ちなみにネカマするならこういう本からこそ口調を見習うべきだろうとも思う。

後半の雄とお酢の畳みかけは、男の受け答えが女の意図したいことに対してあながち間違っていない(絶対酸っぱい匂いがするという意図もあったはず)という点も含めて言葉遊びとして面白い

しかしこうした言葉遊びの翻訳は後述するが映画翻訳業界では十八番のようなもので、比較的なんとかなる類のものかもしれない。

さらに続きを見てみよう。

女:乾かして―

男:なんで至れり尽くせり体制なん

女:頼むぅいいじゃんよぅ

女:おぅマン●拭きやすいな毛がないと一緒にパイパンしようぜ

男:だが断る

女:えぇなんでー面白いのになー

男:面白みで剃るもんじゃなかろうが

女:でも勃起サイズアップするらしい…ってあれあれ~?復活ですかー?

男:いや刺激与えたらそりゃな?

もはや語尾の小文字と長音符の使い分けなど、この作者の文体の妙を説明するうえでは些末な類だろう。

「至れり尽くせり体制」などの日本語母語話者談話においてしがちな咄嗟造語はどう訳せばそのニュアンス海外読み手にも届けられるのか。

伏字になってない伏字面白味があるがこれは比較的なんとかなりそうだ(相変わらず女の使う「だぜ口調」が翻訳の難所になろうが)。

男がジョジョ言葉を使っていることも注目しておきたい。誤用であるかもしれないことは作者も承知している可能性があるのであえて触れないとして、こういったものはどう訳せばいいのか。

そもそもこういった台詞元ネタを知っているかしないかで同じ日本人でも読んだとき感覚は異なっているだろう。

結局ジョジョ世界的に有名な作品なだけあって、その言語圏で出版されているジョジョの該当セリフをそのまま引用してあげれば割とスムーズに我々が感じているニュアンスを届けてあげられるのかもしれない。

ある言葉翻訳可能かについては、そもそも出版映画世界翻訳技術の長年の蓄積があるのだから薄っぺらなのは承知でこれらにも触れておく。

先述したが言葉遊びの部分を別の言語に落とし込むことは映画翻訳が得意とするところである

その言語音韻体系でしか成立しないだろというものもうまく落とし込まれているものである。ぴんと来ないなら参考にtedの生音声と字幕比較してみることをおすすめする。

「ぼくのワンダフルジャーニー」の原題は"the dog"である(the objectを「遊星から物体X」と訳すのとは似て非なる事情だと思う)。

素人目にはどうしてこんなアクロバティックな翻訳な成立するのだろうと思わずはいられない。

逆に向こうの人にとって"the dog"という訳はどういう印象を持っているのか?個人的にはお堅い文学的な味わいすらも感じられるが、それを母語とする人にはひらがなで「いぬ」と書いた程度のニュアンスまで幅広くカバーしているのかもしれない。

いぬ」と「ぼくのワンダフルジャーニー」なら、まずまず対応していると言えなくもない…か?

あるいは端からニュアンスを丸ごと保存しようとは翻訳家も考えないものなのかもしれない。

その文章文体テンポが、鑑賞者にとってのニュアンスや味わいに対して重要な要素としてどれだけ影響を与えているか支配しているかということは弁えているものなのかもしれない。

たとえば注意書きの文章テクニカルライターとして翻訳するにあたって、日本語の注意書き、特に箇条書きが持つ淡泊さを独特のニュアンスとして捉えその存在性を肯定することはできるかもしれないが、日本人が注意書きを読むにあたってそのニュアンス重要としていないのと同様、そのニュアンスが保存されているかどうかにまで気配りする必要はないだろう、という具合だ。

とっくの昔に源氏物語が様々な言語翻訳されていることも押さえておくべき事実だろう。

これもまた古文が持つ独特の味わいをどう翻訳しているのか、あるいは翻訳放棄しているのかという話になる。

日本人の心には中等高等教育を経て古文単語に対して、仰々しさをはじめとした独特の感性が培われている。

その感性を通してこそ「変態中納言」は独特のギャグとして成立するわけだ。

しか源氏物語にはギャグの要素はあったとしても重要ではないだろうし、結局助動詞とか係り結びに使う助詞が持つあのニュアンスは全部放棄しているのだろうか。

アーサー王物語時代の古英語でも使えばあるいは教養ある英語話者に似た味わいを感じてもらえるかもしれないが、これは英語圏人間に限られる手法となってしまう。汎用的な手法を見出せないものか。

ところで海外の人が日本アニメ字幕付きで見るということが大いに行われている。

海外声優吹き替え版というのもあるが流行っていない。

主観になるが吹き替え版は可愛くない。仮に可愛いのだとしても、少なくともそれは日本人声優の演技とは別質のものである気がする。そのあたりにもなにがしかニュアンスが宿っているかもしれない。

そのニュアンスは非言語的な要素が持つものであって話がずれていると言われればそれまでだし、因果関係上は先に生の動画があってその日本語が分からいか字幕をつけているというものに過ぎないわけだが、とにかく日本人声優の演技というのも、字幕の持つニュアンスを補うための日本語の音声という側面があると私は解釈している。

私なりに長々語って来たわけだが、私の関心はあくまでこうした「多言語に訳せない言語」が日本以外に諸言語にあるか、それにはどういった事情あるかなどといったことであって、巷で言われるような「日本語は難しい」的な自言語特別視する態度は持ち合わせていない。

しろ浅学でわずかな日本語英語の例で比較したり考察したりすることしかできないのが嘆かわしいぐらいである。

戸田奈津子村上春樹や、最近だと東大に40言語話せるハイパーグロットがいるらしいが、彼らに自分が「訳せない言葉」と思うものを持ち込んで翻訳をお願いし、その翻訳作業をじっくり見学したいものである。知見も深まるというものだろう。

2022-10-29

増田1000ブクマニコニコ動画10万回再生に相当すると思う。敬意を払いたい。

価値というと漠然としてるし語弊もある気がするんだが、稀少性というかなんというか、そのあたりが。

まり増田サイドのクソデカ羅生門=ニコニコサイドのやりにけり(変態中納言)

しか100ブクマは1万再生に相当するかといえばそんなことは全くないと思う。

せいぜい500回再生ぐらいの稀少しかない、

2022-03-16

anond:20220315164954

         |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ|

         |丶、 ;;; __;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;_,,: ィ";;_|

         ト、;;;;;;;;;;;;;;;` ` ー -- ‐ ";;;;;;;;;,:ィ;:;!

        ,';:``' ‐ョ 、 ,_ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; , - '"l;:;:;:;:l   だまりゃ!麿は畏れ多くも帝より三位の位を賜り

        l;:;:;:;:;:;:;ミ   ` ` '' ー -‐ '"    ,リ;:;:;:l

        l;:;:;:;:;:;:;:ゝ   く三)   (三シ  `ヾ;:t、  中納言を務めた身じゃ!

       fミ{;:;:;:;:f'´  , ---_,, _,ィ 、_,,ィ,.--、  };f }

       l トl;:;:;:;:l  、,ィ或tュ、゙:ミ {,'ィt或アチ l:l,/  すなわち帝の臣であって、徳川の家来ではおじゃらん

       ゙i,tヾ:;:;:!  `ヽ 二ノ   ト ` ‐''"´  l:l:f

        ヽ`ー};:l       ,r'、   ヽ      リ_)  その麿の屋敷内で狼藉を働くとは言語道断

         `"^l:l      ,/゙ー、  ,r'ヽ    l

           ゙i    ,ノ    `'"  丶.   ,'    この事直ちに帝に言上し、きっと公儀にかけおうてくれる故

             ゙l、   ′ ,, ィrェェzュ、,_ 〉 } /

            ',ヽ  ヘヾ'zェェェッ',シ' //ヽ     心しておじゃれ!!

             } 丶、 ` ー--‐ '"'´,/ノ:.:.:ヽ

            /l   丶、      ,.イ:.:.:.:.:.:.:.:丶、、

          ,r'"^l !    ` ー‐;オ´:.:.:.:.:.:.:.:.:.,ノ  ,}、

     ,. -ァ=く(:.:.:.l  l      //:.:.:.:.:.:., - '"  ,/ ヽ、

  , - '"´ / ,/`>'t、_」___,ィ'゙,ィ,.: -‐ '" ,. -‐ '"    \

2021-12-21

anond:20211221160807

「だまりゃ!麿は恐れ多くも帝より三位の位を賜わり中納言を務めた身じゃ!すなわち帝の臣であって徳川の家来ではおじゃらん!その麿の屋敷内で狼藉を働くとは言語道断!この事直ちに帝に言上し、きっと公儀に掛け合うてくれる故、心しておじゃれ!」

演:菅貫太郎

概要

元ネタは、TBSドラマ水戸黄門』第18部第23話「夢芝居!? 八兵衛の若旦那 -京-」(1989年2月20日放送)に登場する『正体を現した水戸光圀の前に平伏しない悪役』の代表的キャラクター

2ちゃんねるでは『画像も貼らずにスレ立てとな!?』のAAで知られる

2021-07-24

18歳まで親の名の読み方を知らなった

90年代前半、自分が18歳の時に区役所住民票戸籍謄本を取りに行った際に父親名前を聞かれたので答えたところ、違うと言われて怒られた。「君、自分の親の名前なんで知らないの?おかしいでしょ」

父の名前音読みで通っていて、父の親、つまり祖父母音読みで呼んでいたし父自身もそれが本名だと言っており仕事で使う名刺振り仮名音読みだった。

しか本名訓読みだったのである

更にもっとおかしな事に気が付いた。父方の祖父母名前も違う。普段使っていて手紙や軽い法的文書学校に出す認書など)にも書き、預金通帳にも記され、付き合いのある人に呼ばれる名前通名だったのだ。本人が全く名乗った事もなく出てきた事もない本名別にあったのである

更に自分苗字も今まで使っていた当用漢字と違い、戸籍では旧字体だという事にも気が付いた。知らなかったので学校学生証も卒業証書銀行口座当用漢字で、それで通っていた。

 

何れも父方の関係である。何故こういう風になっているのか良く判らなかった。が、調べる方法を知らなかったしものを知る大人が近くに居なかったので説明を得られなかった。

その後10年以上が経過して図書館で調べる方法を知り、更にネットという道具を得た。その結果歴史的な背景がある事が判った。我々はほんの十数年前の事すら知らない。核家族化によって大文字伝統から外された風俗も伝授されない。

 

中華文明日本人名の扱い

日本中華文化圏の周縁にあった。独立した文化ではあったが風物の認識には漢籍中国で書かれた書物)が参照される。梅雨があるのにそれを無視して「四季」なんていうのもそうだ。漢詩での季題に倣って詩やうたを詠んだ事に由る。

昔の中国では親に貰った本名を親を除いて他人が呼んではいけない。本人も使ってはいけない。これは諱(忌み名)であり墓場まで持って行く。他人本名を呼ぶのは殺人に値する非礼である

この風習日本でも倣われ、江戸時代まではやはり出生時に親に貰った本名は親以外が使ってはいけなかった。幼少時には幼名を使い成長した後には仮名(けみょう)を使う。仮名というのは後世の歴史用語であって当時の人達本名絶対使わないのだから「名」といったらこれのみである

武士場合朝廷官名を名乗った。大岡越前守の越前守は律令制時代越前国の長官だ。それを名乗っている。水戸黄門変則的で黄門は中国での中納言の事である漢籍知的であるので漢語で名乗ったものだ。~~左衛門~~右衛門というのは宮廷の衛兵の事だ。だから家光公なんて言い方は後世のもので当時の人は絶対に言わない。言ったら死刑だ。

歴史学校で教える際にこの辺を省いているのはマズイと思う。

外国報道では天皇の名にemperorを付けるが日本語の報道では絶対に名を呼ばないのはその名残である

明治廃止されたが…

明治になるとこの風習は廃され、どこでも本名を使う事が定められ、諱の併称も禁止された。だから明治以後は本名一本主義である

…のだが実際は人々は従わなかった。相変わらず通名も使われ続け、更に一般化したのが有職読みだ。

有職読み

有職(ゆうそく)読みは訓読みする語を音読みする事である特に名前での使用が顕著であった。

例えば名付けする時に音読みも訓読みも出来る名にする。本名訓読みとして戸籍に記す。だが一般に使うのは音読みの名前とした。

一般と言っても法的な行動含めほぼ一生の生活の全部である不動産を買ったり婚姻届け出す以外ではそれで問題は起きなかった。現在常識化している正しい本名をどこでも使うのを求められるようになったのはバブル以後の30年位でしかいからだ。

から歴史伊藤博文(ひろぶみ)と習っても、当時の人はひろぶみなんて呼ぶ人は恐らく一人も居ない。呼び方は「はくぶん」だ。

例えばこの質問で貼られている選挙ポスターを見て欲しい。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13120057343

イヌカイ キ」とフリガナを振っている。日本人の名に「き」はちょっと変だが、訓読みの本名音読みするのが当たり前なのでそう書いてあるのである。当然本人の名乗りだけでなく世間の通りも「き」なので当然の事だ。

戦前新聞を見れば歴史で習うのと違い、政治家名前はほぼ全て音読みのフリガナが振られている。原敬なら「ハラ ケイである

戦後

戦後になると流石にこの風習は廃れた。特に戦後まれ団塊世代はこの倣いに従わなかったし、その親である戦中派の多数派有職読みで子を呼ぶ事をしなかった。

しか保守的な家庭ではこの倣いを続ける所もあった。それが私の父方だったのだ。祖父は旧職業軍人戦後神社右翼人士と付き合いがある右翼シンパであった。

 

こんな感じで段々とこの倣いは細くなって行ったのだがバブル期~90年代前半にトドメがさされた。

銀行口座はそれまでハンコと通帳だけを参照するもので、本人確認もろくに行っていなかった。だから仮名での口座開設も簡単であり、銀行自体がそれを止めていなった。日本人で外国人名の口座をもっている人もいるし、法人格獲得していない社名でも口座が開設出来た。

だが当時日本ストックの急拡大により急激に国際的地位を獲得しつつあり、マネーロンダリングへの対策を求められる事になった。これで仮名での口座開設は不可能になり、本人確認書類必要になった。口座の文字本名の字と一致させる必要がある。

更にIDカードが常に参照される社会になって行った。90年代初頭では「欧米では何するにもIDカード提示させられるのでID携行必須なんだよ」というのが珍しい事として語られていたのだが、90年代後半の日本はその欧米と同じ状態になっていた。

こうして本名との完全一致は常に求められうようになったので有職読みとか通称使用とかは完全に無くなって行ったのであった。

 

から私が区役所で怒られる数年前までは細々と続いていた風習であったが、現代っ子であった私は自分の周囲がそういう古い倣いに従っていた事に気づかずに居たのである

そして私を叱った区役所役人自分が生まれた頃にはまだかなり現役の風習に気づかず40年以上生きてきたのである。更に戸籍住民票を扱う部署に配属されてなお知らなかったのである常識とは視野を狭くする事の一例だ。常識があるが故に保守的風習認識できないというのは寓話的だ。

 

こういう事が判ってから母型の家系を調べると、やはり曾祖父母として認識されていた名前戸籍に出てこないケースがあった。認識されていた名前本名が違うのだろう。

 

現代っ子自分時代常識に則り祖父母の名を本人に代わり書く時も本名を使うようになったが、この辺の知識が無かったのでその時バツが悪い思いをしているだろうという事に気が付かなかった。直接聞いた訳ではないが生まれから数十年それが名前であったのだから言うまでもない。

キラキラネームも昔なら問題にならなかった

親にキラキラネーム付けられて成人してから変名するケースが増えているが、この問題も昔の知恵なら問題にならない。

そもそも親がまともかバカかというのは子がベット出来ないギャンブルだ。そしてやたらとおかし名前をつける親というのは戦前には結構いた。ダジャレで付けたり有名芸者の名前付けたり、バカ親は戦前でもバカである

でも通名別につける方法が残されているか問題が無い。「親に貰った名前を変えていいのですか?だって?親に貰った名前を名乗れるかよ!」と言えたのだ。

更に変な読みを付けられても有職読みすればいいのだから問題ない。「今鹿」で「なうしか」と付けられても「こんろく」と名乗ればいい。これは今でも教育現場でも会社でも本来の読みに固執しているのが問題であってそんな例外なきルールなんて精々30位の歴史しか無い。困った問題が続出しているなら破棄すればいいだけの問題だ。

なので硬いルールと思っているものが実は30年程度の風習しかない事に気が付くべきだし、柔軟にしたら解決する問題もあるという事に気づくべきだ。伝統というもの伝統と思っているものの外側にある事がある。そしてその伝統問題解決する術を持っている事もあるという事に気づくべきだ。

 

最後に、あの区役所おっさんにこの「自分の親の名前の読み方を知らない理由」を言って聞かせたいもんだが、もう鬼籍に入っちゃってるだろうなぁ。あんたの叱責のおかげで日本伝統について知ることが出来たぜ。

2020-05-23

絶世の美女のもとには白馬に乗った王子様や中納言ミカドが群がってくる。

タモリの才能がコネを引き寄せた。

2020-05-11

anond:20200511125615

衆議

多人数で評議相談すること。また、多人数の意見。「衆議に諮る」「衆議一決」

参議

国家政治上議事参与すること。また、その人。

古代、令外 (りょうげ) の官の一。太政官 (だいじょうかん) に置かれ、大・中納言に次ぐ要職。四位以上の人が任ぜられた。八座。宰相

明治2年(1869)太政官に置かれた官名の一。左右両大臣の次位。

既に使われているので駄目です。

2019-09-16

新説 金太郎

金太郎 幼少編

むかしむかし足柄山の山奥に、金太郎という男の子がいました。金太郎は小さなから力持ちで、子供ながらに薪割りの手伝いをこなすほどでした。ある日、森の動物たちが栗拾いに行かないかと金太郎を誘いました。金太郎は快諾し、栗拾いに出発しましたが、道中、岸にかかっていたはずの橋がなくなっていました。しかしそこで諦めないのが金太郎、得意の斧で木を切り倒し、即席の橋を作って渡りました。そして無事に栗の木のところまで辿り着くと、そこには拾いきれないほどの栗が落ちていました。金太郎動物たちは栗を拾い始めますが、突然巨大な影があらわれました。熊です。この栗の木は熊の縄張りだったのです。熊は金太郎相撲での勝負を持ちかけました。いくら力自慢の金太郎でも熊相手には非常に苦戦しましたが、動物たちの声援もあり、なんとか勝利を収めました。

酒呑童子 幼少編

むかしむかし越後国に、のちに酒呑童子と呼ばれる事になる少年がいました。その少年はとても成長が早く、4歳の頃には大人顔負けの知能と体力を持っていて、その常人離れした才覚から周りから鬼っ子」と呼ばれていました。そのうえ容姿は人並外れた美少年で、女性から恋文を貰うことは日常茶飯事でした。彼は10歳の時に祖父に勧められ、仏門修行のために比叡山稚児になりました。恵まれ能力と恵まれ環境により将来が約束されたかと思われた酒呑童子でしたが、数年が経ったある日、彼の身体異変が起きました。流行り病の天然痘です。部屋に篭って三日三晩寝込み、熱が引きようやく立ち上がれるようになった時には、彼の容姿はすっかり変貌していました。顔から手そして足の先まで真っ赤に晴れ上がり、痘痕の痕だらけで、元の美貌からは似ても似つかない姿となってしまいました。彼はそれ以来、鬼のお面を被って顔を隠す様になりましたが、ほどなくして寺にもいれなくなり、彼は故郷に帰るよう言い渡されました。

酒呑童子 青年

故郷に帰った酒呑童子でしたが、その無気味な風貌から忌み嫌われ、やがて故郷からも追い出されてしまいました。それから酒呑童子土地転々とし、大江山へと辿り着きました。酒呑童子はその道中で同じ病を抱える荒木童子と出逢い、人里離れた場所静かな生活を始めました。しかし静かな暮らしもそう長くは続きません。同じように差別を受けた者たちが噂を聞きつけ、酒呑童子のもとを頼りに来たのです。酒呑童子は彼ら彼女らを快く受け入れ、やがて大江山は同じ病を抱える者たちの大きな村となりました。特に京の都では新しい患者が次々と現れ、酒呑童子の村はどんどん大きくなっていきました。

金太郎 青年

金太郎青年に成長した頃、京の都では街の女子供がある日突然姿を消すという事件が多発していました。それも1人や2人ではなく、もう何十人も姿を消していました。そこで一条天皇陰陽師安倍晴明にこの現象調査を命じました。安倍晴明占いで、行方不明になった女子供はい大江山にいると突き止めます大江山は、酒呑童子という恐ろしい鬼が住む山です。『酒呑童子』という名は、いつも酒に酔ったように全身が真っ赤な事から名付けられた名前です。酒呑童子に限らず大江山の鬼達は真っ赤な風貌をしており、全身が血だらけでした。それは人を喰った時の返り血だとも言われていました。そんな恐ろしい鬼達を退治すべく、一条天皇は家来である源頼光に討伐を命じました。頼光は四天王と呼ばれる屈強な武士を集め、鬼討伐に向け最強の布陣を敷きます四天王メンバー渡辺綱坂田公時、卜部季武碓井貞光の四人で、この坂田公時(さかたのきんとき)こそが青年に成長した金太郎なのです。

最終章 決戦編

頼光と四天王は鬼討伐の為に大江山へと向かいました。しか相手凶悪な鬼です。とても正面から立ち向かったのではかないません。そこで修行僧の変装をして、大江山へ向かう事にしました。怪しまれないように慎重に足を進め、ついに山の麓に辿り着くと、そこには川で洗濯をしている老婆がいました。少しでも情報を得るために老婆に話を聞いてみると、驚いた事にこの老婆は自分花園中納言の娘だと言うのです。花園中納言の娘は確かに行方不明になってはいましたが、年齢は17、8のはずで、老婆の言ってることはデタラメしか思えません。これはおかしいと老婆をよくみてみると、ついにその正体が分かりました。老婆は真っ赤な鬼の姿をしており、洗っている着物もどれも血にまみれていたのです。頼光は背筋が凍る思いをしながら、冷静にかねてより考えていた作戦を実行しました。「我々は修行をして全国をまわっている僧侶です。どうかこの辺りにある宿を教えて頂けないでしょうか」鬼の老婆は快く受け入れ、大江山にある村へと案内しました。こうして頼光達は大江山への侵入成功したのです。そして頼光は村の主である酒呑童子挨拶に行きました。酒呑童子は頼光たちを手厚く迎え入れ、村の鬼達を集めて宴を開きました。そこで頼光はお礼にと『神変奇特酒』というお酒酒呑童子や他の鬼達に振る舞い、酒呑童子も気を良くして、普段は滅多に語らない自分の出生についても語り出しました。楽しい宴は夜中まで続き、辺りが鎮まりかえると、酒呑童子は体がまったく動かない事に気がつきました。頼光の持ってきた神変奇特酒には毒が入っていたのです。頼光は動けなくなった酒呑童子の首を切り落としましたが、騙し討ちをされた酒呑童子の怨みは強く、首が切り落とされた後も頼光達を罵り続けました。頼光は他の鬼達を始末し、鬼退治の証拠にと酒呑童子の首を持ち帰り山をおりました。酒呑童子は首だけになってもずっと罵り続けましたが、京の都に入る直前に地蔵尊に「不浄なものを京に持ち込むな」と咎められ、頼光は持ち帰ることを断念しました。地蔵尊言葉を聞いた酒呑童子の首は動かなくなり、首はその場に埋められました。その場所はのちに首塚大明神という神社になり、首から上の病気を治すとされています

2017-05-09

時代劇水戸黄門」が健全民主主義を阻害する

日本では時代劇高齢者を中心に人気を博している。

特に、40年以上放映され、今なお毎日再放送されている「水戸黄門」は、その代表である

今回はそのストーリーいかに非民主主義的、非現代であるかを検証する。

水戸黄門主人公である水戸光圀の一行は、「越後ちりめん問屋」と身分詐称諸国を漫遊しているが、その先々では必ず商人の不当な物価の値上げや、代官の課す重税に庶民が苦しめられている。それを聞いた一行が、屋根裏に潜入し、また色気を使って捜査証拠をとる。そうして悪事を暴いた「越後ちりめん問屋」は、悪事を起こした者の怒りを買い、刀を交えることになる。最大の見どころであるチャンバラシーンのあと、権威象徴である「印籠」を見せつけることで、「先の副将軍である自身の正体を明かす。それを見た者はみな平伏し、悪事を働いた者は自分の過失を認め、登場した藩の者がその身柄を拘束する。最後は一件落着と一笑しまた旅を続ける、というのがストーリーの梗概である

この作品には

権力者の悪はさらに上の権力者しか裁けない」

庶民は無力で虐げられる存在である

権力者はどんな手段を用いても許される」

という世界観が透けて見える。これについて持論を述べる。

まず、「権力者の悪は更に上の権力者しか裁けない」という点について述べる。

本作の世界では、いつ来るかわからないような、国家から派遣された、さらに上の権力者しか悪を懲らしめられないことになっている。水戸光圀はその土地の者でなく、また問題解決した後は旅を続けてしまうため、対処療法的な解決しか行えない。地方にも自浄能力がなく、一回水戸光圀問題解決したあと、また同じような悪事不正が起き続ける。地方はそれを解決する術を持たないため、水戸光圀が来るのを待っているだけである住民当事者意識民主主義原理が欠落した「他人任せ」の政治は、今日日本の政治通底するものがある。

また、ある放送では、朝廷中納言悪事を裁いた際、「私は徳川の家来ではないので従わない」と反発したが、更に上の役職である左大臣が登場し裁いたという回もあり、「権力者の悪は更に上の権力者しか裁けない」という世界観をより強固なものにしている。

次に、「庶民は無力で虐げられる存在である」という点について述べる。

水戸光圀が「越後ちりめん問屋」と詐称しているにもかかわらず、庶民からは色々な苦情が持ちかけられる。旅する隠居にまで相談しなければならないほど、それほどまでに事態悪化してしまっていることがわかる。作中ではこのように圧政不正に苦しめられる庶民の姿がよく描写されるが、反対に実力行使に出ようとする庶民水戸光圀が宥める場面は皆無である。先述した住民他人任せの意識がここでも顕在化している。

欧州市民革命においては、圧政に苦しんだ市民の流血によって民主主義が獲得されたが、日本においては明治以降主権者の変更は市民革命ではなく、支配者同士の権力争いの結果に過ぎない。このように市民自らが流血し民主主義を獲得した経験がないことが、権力者任せの日本人気質形成しているのではないか

そして、「権力者はどんな手段を用いても許される」という点について述べる。

苦情を持ち掛けられた水戸光圀の一行は、全員が証拠裏付けのために捜査を行うことになる。しかし、その捜査方法卑劣である。「越後ちりめん問屋」と身分詐称した捜査は、当然警察権を保持する藩の奉行所許可を得ていない。令状なしに現場や物的証拠を取り押さえるという、現在の「法の支配原理からはかけ離れたものであるが、作中では身分詐称私人の警察権行使について議論されることは一切ない。奉行所水戸光圀の一行のおかげで吐かされた自白を聞いた後に、身柄を連行するだけという、警察組織の体をなしていないものであるが、水戸光圀がこれを一喝するシーンもない。

なお、作中で水戸光圀は「先の副将軍」と自称しているが、居候の身であるはずの前任者が悪を裁くことについての是非も議論されていない。これは現在においても、我が国では一線を退いた者が強大な発言力を持ち続ける事例が、政財界ともに存在している。

法の支配原理」「地方自治原理」「民主主義原理」すべてが欠落したこのストーリーを、多くの高齢者再放送毎日視聴し続けている。これでは、日本の政治に対する認識を歪めるものであり、健全民主主義国家としての市民意識が育たないことは当然である

2016-01-31

伊勢神宮よかった

7,8年前の記憶なので、今は違うかもしれない。

前日は名古屋から伊勢市まで電車で行って一泊。早朝しか時間が取れなかったので早朝に朝一ぐらいのバス伊勢神宮にいったのよ。

当日はとんでもない豪雨だったんだけど、そうしたら豪雨の雨のモヤにかかる、参道っていうのかなと、空気香りなどがふわっと入ってきて。

そんな時代に生きていたわけでもないけど、頭のなかは勝手平安時代なっちゃったわけ。

もちろん平安時代伊勢神宮があったかどうかも知らないけど、単にイメージよ、イメージ

頭のなかはタイムスリップして、他に参拝客が誰もいない朝の幻想的な神宮の社を見て、あー俺は中納言かなんかなのかなって思ったら、もう興奮しちゃって。

日本古代を感じるっていうか、中世を感じるっていうか、そのままの世界が残っているような感じがしてさ。

もうよかった、よかった。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん