はてなキーワード: 中等教育とは
【UPDATE 2020/1/10】ジェンダーギャップ指数の教育分野について、「集計ミスでは」という声があったことを受けて、世界経済フォーラムに改めて確認しました。世界経済フォーラムは「集計ミスではない」と回答しています。説明の主な要点は以下の通りです。
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今年の日本の「中等教育の就学率」スコアは、「中等教育の女性の割合(%)」という指標を使用して決定されました。これは、ユネスコの統計を使用できた2016年と2017年とは異なります。通常使用している統計が利用できない場合は、代わりの指標を使用するのが標準的な方法です。この場合、絶対値は厳密に比較可能ではありませんが比率は比較可能であり、日本の教育に関するスコアは本質的に同じです。日本の総合ランキングに影響を及ぼしたとは考えていません。
昨年のユネスコの数値を使用しなかった理由は、ユネスコが更新版を提供しなかっただけでなく、昨年の数値もデータベースから削除したためです。ポイントは、欠損値を置き換える必要があるということです。ユネスコの前年の値に置き換えることは取りうる代替アプローチですが、他の国との整合性が取れなくなってしまっていたでしょう。
三平方の定理の時は、名前は聞いたことあるけどこんなの習ったかなと思って調べていたら、
内容を見て直ぐに理解できたし、習ったような気がした。
しかしだ、円周角の定理、接弦の定理など言葉すら聞いたことがなかった。
いや、無かったような気がした。
記憶をなくしたわけじゃない、俺は授業で習っていないんだ。
そう思ってはみたものの、では数学で習った全ての定理を(名称だけでも)言えるのか?
今はもう忘れてしまった(定理や公式の)名称を、全て聞いた事が有るといえるのか?
概ね内容は忘れてしまった事柄で、授業で聞いた事が有るというレベルなら、焦ることは何もないんだが、
全く聞いたことがないというようなことが起きて、でも習ったはず、経験したはずと周囲から言われると、恐ろしいほど焦る。
記憶を失うということは人を恐ろしく焦燥させるし、恐怖感するら与える。
酒を飲んで、ある一定時間の記憶を失ったことが2回だけ有ったが、
2回目の時は何故ベットの上でパンツ一枚で寝ているのか分からず、強い恐怖感に襲われた事が有る。
気を失った人が病院のベッドの上で気を取り戻した時、その人が記憶喪失になっていた場合は、
ベッドの上で後退りしたり、医師や看護師に対して恐怖に慄いた表情を見せるという。
この先年老いて記憶を失くしたり、何らかの病気で記憶を失って行ったとしたら、
やはり恐怖を感じるのだろうか。
男女平等はまた後退 ジェンダーギャップ指数2019で日本は過去最低を更新し121位、G7最低
この記事は誤報の可能性が高い。というよりフェイクニュースである。
ジェンダーギャップ指数2019で日本は過去最低を更新 https://t.co/ivC2uigXum
>中等教育への就学率が128位(同1位)まで転落したことが、全体の順位を大きく変動
えっ、なんで!? とデータを確認してみたら。
2019年 女48.8% 男51.2%
2018年 女100% 男96.8%
…集計ミスじゃねーか!ヽ(`Д´)ノ pic.twitter.com/sAjblmHRqI— 須藤玲司 (@LazyWorkz) December 17, 2019
しかし、この記事がフェイクだという情報はブックマークした人たちには届いていない。実際に、Togetterで作られたまとめ(「日本が過去最低順位」と報じられたジェンダーギャップ指数に誤報の疑い)のブックマーク数は元の記事の10分の1である。
anond:20191217123248にあるように元データの2020版の201ページと2018版の202ページに日本のデータがあります。確かにランキングは初等教育就学率(Enrolment in primary education)は1位をキープしているが中等教育就学率(Enrolment in secondary education)2018年1位から2020年128位になっています。で、これがどうやって計算されたのかということなんですが、anond:20191217150716にあるように計算式とデータ元は2018版は55ページに、2020版は49ページに書いてあり、計算式は2018と2020で変わっています。元にしたデータの方はさらに面白くて、2018版は
Source: UNESCO, Institute for Statistics, Education Indicators, 2017 or latest available data (accessed October 2018).
2020版は
Period: 2017 or most recent year available Source: UNESCO, UIS.Stat Education statistics data portal.
そう!両方とも「2017年度か最新」なのです。では元になっているユネスコのUISStatデータは更新されているのか。
ユネスコのデータのサイト(http://data.uis.unesco.org/)にいって日本の就学のところ(Edcuation-Enrolment)を見てみます。使い方はこれをみました(https://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/unesco.pdf)。見てみると中等教育就学(Enrolment in secondary education)のデータはなんと2017から更新されていないのです。つまり2018と2020は同じデータをつかって違う計算式で計算されたものじゃないかな。もうわけがわからないよ。
もう今回の128位という順位を前提に議論を組み立てる人も出始めている。
早急に担当の研究分野の人が原因を確かめてきちんと解説してほしい。
「中等教育への就学率が128位(2018年1位)まで転落」などで教育分野、そして政治分野も落ちたとのこと。
他国が改善していく中、現状悪化シュレ政権下ではジェンダーギャップ指数以外でも同じ曲線をたどっている。https://t.co/ANTl1IU6r8— えどやん (@geKibun) 2019年12月17日
「中等教育への就学率が128位(同1位)まで転落した」
まぁ、そりゃあ「身の丈に合った受験をしろ」なんていう文部科学大臣の下では、進学を躊躇する女性は増えるわな。https://t.co/1R5CNS9bqg— ミドリムシ (@midorimushiharu) 2019年12月17日
そうなの? 見た感じ2018年度のレポートは全年齢者における中等教育を受けた人の男女比率、だったけど、2020年度は中等教育に所属している人の男女比、になっているから上の理解で問題ないと思うんだけど。
使っている規格はどちらもISCED 2011で、2と3は中学、高校に該当すると思うんだけどなぁ。
まぁ日本の男女差の問題は政治領域と経済領域でひどいから、教育分野はそこまでフォーカスしなくてもいい気がするんだけどね。楽観的な考えかもしれないけど。
男女平等はまた後退 ジェンダーギャップ指数2019で日本は過去最低を更新し121位、G7最低 | ハフポスト
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5df74276e4b047e8889fdd98
今年の順位の下降は、教育分野も大きな引き下げ要因となっている。教育は91位(2018年は65位)で、小項目では中等教育への就学率が128位(同1位)まで転落したことが、全体の順位を大きく変動させた。
書いてあることが正しいとすると、去年まで1位だった中等教育就学率が一年間で127か国に逆ごぼう抜きされたってことでしょ?
こういう問題が起きたときに「人手を増やせ!金を増やせ!」と言い続けなきゃならんと思うよ。
国家財政の危機?そりゃ、法人税と累進所得税の減税を続けたから起きてるんだ。挙句の果てに、減税された連中は溜め込んで金の回転(貨幣の流通速度)を落とすというおまけ付きでな。
医療はもう完全に石投げで人が去り、奈良県の南半分でお産ができるところがなくなり、産科、小児科崩壊になって少し復活しつつある。
奈良県の南部の病院をお産の医療ミスで糾弾していた女性記者自身が自分は遠方の大阪でお産をするみたいなみっともない様を示したりな。
次に初等中等教育、大学基礎研究が反論が始まってるぐらい。児童相談所も辛いなら鬼になってまず自分が逃げる、
あるいは人が逃げて、人が足りないゆえにこういう問題が起きていると訴え続けないとならんわ。
高校卒業者のいったいどのくらいが、中学卒業程度の知識を持っているのだろうか?
有名人がテレビやネットで発言しているのを見聞きするたび、半分もいないだろうと思う
高校で勉強させられることと言えば、三角関数、数列、ベクトル、微分積分、
運動方程式、気圧と温度と体積の関係式、絶対零度、遺伝法則などなど
高校レベルの三角関数を知っていればメルカトル図法の問題点は理解できる
運動方程式を知っていれば映画のウソが気になって夜も寝られない
e.g.東野圭吾原作の映画で、ヘリから落下した子どもを追って自衛隊員が降下する
当然追いつくはずはないのだが、なぜか雲の中で追いつき、
パラシュートを開いた隊員が子どもを抱いて、雲の中から出てくる
しかしこのようなことが就職する際求められるかといえば、そうではないだろう
ここ数日増田に趣味の一環としての翻訳の話を書いているうちに、いいニュースが飛び込んできた。
昨年現地で公開され、昨年の現地映画売上No.1になった「ฉลาดเกมส์โกง」こと「Bad Genius」が「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」という邦題で9月から映画館公開されることが発表されたのだ。しかも日本語版を作っているのがDVD販売に実績のあるマクザムなので、おそらくDVD販売もされるだろう。それなりに話題になる割にはさっぱり日本語版DVDが発売されないこの国の日本語版映画ラインナップへの小さな積み重ねだ。
もちろん現地DVDは公開の半年後くらいに発売されたので自分も発売とほぼ同時に早速海外通販で個人輸入し、2ヶ月ほどかけて翻訳した。そのときの留意点を元に、9月に公開される映画の字幕チェックポイントを挙げておこうと思う。なお、以下の内容に予告編の内容を超える致命的なネタバレはいれていないつもりだ。
日本だと6・3・3制と言われて中等教育は中学と高校の2つに別れているのだけれど、向こうの中等教育は6年制だ。中高一貫教育をやっている学校も多く1年生から6年生までが同じ学び舎にいることもしばしばある。もちろん進学率が上がったとは言え義務教育は中学3年までなのは日本と一緒なので全てが中高一貫教育校ばかりではないけれど、高校の学年が中学からの通しで数えられるのは同じだ。「バッド・ジーニアス」は高校3年間(+入学時の中学3年のエピソードが少し)の話なので、場面紹介字幕には「4年生」「5年生」等出るし本人自身がそう話す場面もある。それを日本語でどう表現するかはとても興味深い。
主人公は高1に進級する際に転入試験を受ける。成績的には合格なのだが本人が入学を渋るという不思議なシーンが登場する。入学を渋るのは決して裕福ではない家庭の事情を心配してのことなのだが、ここに通学手段と昼食内容の見積もりが登場する。映画館で読みきれない内容なのでこれはぜひDVDを入手してゆっくり眺めてもいいシーンだが字幕でフォローするか迷うセリフとして「バイクタクシー」と「カレーがけご飯2色がけ」が出る。どちらも主人公の几帳面さというか細かさを表現するセリフで、前者は最寄り駅から自宅まで歩いて通うことはないという現地事情も含まれているし、後者は現地で屋台メシを食べたことがあるならピンとくる定番メニューでもある。おそらく商業字幕ではどちらも簡略化もしくは省略されると思う。
日本だと大体のところは5段階評価だろうか。最高が5、最低が1。評定平均はこれを平均する。向こうでは5段階かどうかはわからないが最高点は4だ。だから評定平均4.0は日本語で言うところのオール5にあたる。学校の成績が主な話題になる映画のため評定平均の話は頻発する。自分の野良字幕では4.0(最高得点)とカッコ書きしたが、商業字幕ではおそらくオール5、のような表現になるのではと思う。そこで気になるのは最高点ではなく中途半端な生徒の中途半端な点数だ。1点下駄を履かせて表現するのか、そのままの点数にするのか。ここは個人的に注目したい。
サスペンス色あふれるサウンドトラックの中に1曲、フォークギターで伴奏されたナツメロっぽい曲が流れる。特に字幕でも歌詞を紹介されなかったしここの歌詞まで字幕化はされないのだろうけど、本家映画制作会社が歌詞を全てTweetしているのを読んだら、架空の学校校歌だったらしい。個人的に訳してみたい。
http://twitter.com/gdh559/status/865161419796299776
ครู(クルー)は「先生」、พี่(ピー)はこの間も書いたが「先輩」、ลิน(リン)は主人公の名だ。後置修飾なので直訳すれば「リン先輩先生」となるのだが字面で見てもバランスが悪い。自分の字幕では「リン大先生」と訳したが、もっといい意訳があるような気がする。この言葉、主人公が連呼されて気分がよくなる言葉なのだ。男性だったら「リン老師」とでもするんだけど女子高校生に老師は似合わなそうだし。
日本の試験の選択肢がア、イ、ウ、エになるように、向こうの国のマークシートはก ข ค งが使われる。予告編を見ればわかるが、この部分はしれっとA B C Dに読み替えられているし、自分もここはそうしたのだけれど、これカタカナ書きすると、コー、コー、コー、ンゴーなのだ。現地のアルファベット最初から4つ分とはいえ、これを採用した当時の教育関係者の勇気に感動した。ちなみに他の映画でもよく試験のシーンは出てくるのだけど、学校の普通の定期試験でもマークシートは当たり前らしい。だからカンニングしやすいとも言えるのだろうけど。
緊張で昼食のラーメンを吐いてしまった男の子が「サーモン食べ放題に行こうか」と誘われて「僕は外食は嫌いだ」と返すシーンがある。カップラーメンでもなければラーメンは外食のような気がするが、もしかしたら家の近所で食べるものに関しては外食に分類されないのかもしれない。自分の誤訳の可能性も含めてここは自分でも見てどう訳するのか興味がある。
金持ちの息子パットが誘った「家」は、PATTON HOTEL。貧乏な優等生バンクが帰宅したのは「น้องแบงค์(ノーン・バンク)ランドリー」ノーンは「後輩」を意味する敬称だというのは以前書いたとおり。もちろんこれは舞台となった国の貧富の差を如実に現したシーンなのだけど、特に前者が「息子の名前をつけた」ということを字幕で示せるかどうか。示さなくても話の筋は通るし、アルファベットで書かれているから無視してもいいんだけど。
映画の中ではほとんどชื่อเล่น(チューレン)で会話がなされる。チューレンとはニックネームのことで、今回の場合主人公の本名はリンラダー、チューレンはリン、と名前の一部を使ったチューレンなので訳してもそれほど違和感はないのだが、劇中で1人チョイ役なのに名前が2通り出てくる人が出てくる。違っていても話の筋はわかるからと言っているとおりに訳すのか、話がわかりやすいよう同じ訳語に統一するのか、興味深い。
途中でうさぎのコニーのスタンプが露出することからも分かる通り、オンラインコミュニケーションの手段はLINEである。集団不正を募るのに既存のLINEグループに話を持ちかけるのだが、こういう場面で「LINE」という言葉が出てくるのかどうか非常に興味深い。もともとのセリフでもLINEとは言っていないので無理にLINEと言う必要はないのだ。そのまま「受験友達は30人いるよ」で問題ないしね。ただ、LINEはLINEでもおま国動画アプリ「LINE TV」はスポンサードか何かでスタッフロールに出現する。通信手段がLINEなのはそのせいかもしれない。
日本で言うセンター試験。アルファベットだからと言って、これをそのままGAT/PATと書かれてもほとんどの人はわからない。何か別の言葉に意訳する必要があるのだけど、そのまま「センター試験」になるだろうか、「大学入試共通テスト」のような一般的な名称になるだろうか。
別に字幕とは関係ないのだけれど、4902778999042というJANコード(いわゆるバーコード)が出てくるシーンがある。この番号を調べると上記の鉛筆がヒットする。直前にペプシコーラの缶がプロダクトプレイスメントされているのだけど、たぶん三菱鉛筆はプロダクトプレイスメントではないと思う。ついでに言うとペプシは撤退したのでペプシコーラもプロダクトプレイスメントではない可能性が高い。
โรงพิมพ์(ローンピム、印刷所)ซื่อตรง(スートロン、正直)พานิช(パーニット、人名)。つまり「パーニットの正直印刷所」という施設が出てくる。何に使われる施設かと言うと、カンニングアイテムの印刷に使われる施設なのだ。あまりの皮肉にTwitterでも少し話題になった。โรงพิมพ์ซื่อตรงพานิชで検索してみるとそれがわかるかもしれない。別にその皮肉がわからなくてもストーリー把握に問題はないため字幕では無視されるかもしれない。
謎の電話番号(0840126470)から電話がかかってくるのだが、この電話番号が誰の電話番号であるかは事前に写り込んでいるシーンがある。そこに電話番号を書いている理由を訳さないと、携帯電話番号の形式も違うわけで何の数字だかわからないのだけど、そこまで訳すだろうか。それとも前後のシーンから誰が電話しているかはわかるだろうと訳さないだろうか。
携帯電話の電波の規格。日本ではLTE(4G)の前は3G、その前はPDCとかcdmaOneとかだった。彼の国ではEDGEだった。そんなに日本で有名な話ではないので、トラブルで3G電波が入らなくなるシーンをそのまま「エッジ」と訳しても伝わらないだろう。ここはどう訳すだろうか。
主人公がシドニーから帰ってきた空港はLCC専用空港だったりする。劇中で航空機が出てくるシーンはないのだが、なぜか自分の頭にはエアアジアが思い浮かんだ。調べてみると当該の空港からシドニーに行くにはエアアジアが一番安いらしい。とは言え直行便はエアアジアを含めて1つもない。別にどうでもいいのだが細かいところが気になってしまうのは良くない性格だ。勘弁していただきたい。
嘘みたいだが本当の話である。
難易度を示す偏差値(河合塾基準)が35以下となる入試を通じて
実際に教壇に立つ教師のことで、誇張や叙述トリックでもなんでもない。
子供たちを教え育てていることになっている。
そんな信じられないことが学校現場で起きているのだ。
旺文社のサイトで「偏差値35以下」「教育・教員養成系学部」で
数多くの大学から、毎年、偏差値35の教師が世に送り出される。
僕の調べた限りでは、この大学数は近年なぜか急増しているのだ。
教師といえば、子供たちに正しい知識を正しい方法で伝えるプロ。
この認識はそれほどまちがっていないだろう。
実際のところ、偏差値35の教師は中等教育(高校、中学)よりも、
子供たちの基礎的なリテラシーを育てる重要な仕事だが、大丈夫だろうか。
偏差値35の教師が説く道徳を学んで議論する(通知表に特別な評価記入あり)。
事ここにいたっては、恐怖しかない。
偏差値がすべてではないと人は言う。
その通りだと僕は思う。
しかし、教師たるもの、ある一定以上の水準が求められるのは必然。
例えば、2018年のセンター試験結果から計算すると、以下の数字が出てくる。
英語:200点中、63点
国語:200点中、48点
ご承知の通り、センター試験は基礎知識を問う問題がほとんどで、
わからなくても選択肢を選べば一定の確率で正解することもある。
つまり、それがこれほどまでに解けないということは
少子化によって大学全入時代となったことだけでは説明がつかない。
ベテラン教師の大量退職と、教員免許更新制によって教師になる資格を持つ者が
不足しているのが大きい要因だ。
詳しくない人でも、ニュースで教師不足を嘆く声を聞くことがあるだろう。
現行の制度は、教師のなり手そのものを減らす結果となっているのだ。
そうして、本来、教師となりえる有能な人間(会社員経験者、研究者上がりを含む)を弾き飛ばし、
人生経験も学識も浅いが免許だけは持っている「偏差値35」の教師が誕生する結果となった。
あなたの子供の教師は、賢そうなふりをしているが、本当は偏差値35かもしれない。
教室は偏差値35の教師に支配され、子供たちは偏差値35から学ぶ。
我々はその先の未来をまだ知らない。
以下、予想される反論にあらかじめ回答を。
A. 現行の入試制度では、私立大の場合、AO入試・推薦入試での入学が
半数を大きく超えるのが通常だ。
すなわち、がんばっても偏差値35にしかならなかったということである。
A. もし本当に人柄や人間味が秀でているとしたら、
人としてわかりやすい魅力を備えていないこともわかる。
低ければ経営に関わる問題なので、一生懸命試験対策に取り組むのだろう。
また、幼稚園教諭に知的能力が必要ないというのは大間違いだと思う。
A. 何を言っているのか。
採用後に何を積み重ねていくかが重要であり、教師たるもの日々勉強だ。
A. 論外な考えだ。
自分の子供はいいかもしれないが、偏差値35の教師から教育された
彼は特別なメソッドを語っているわけではない。大抵の(標準以上の力量をもつ)学校教師なら、普通に同じようなことができるだろう。にも関わらず、現在の教育システムは普通にこういう落ちこぼれ(アホの子と呼ばれるようになる子、実際は教えれば伸びる力のある子)を量産し続けている。
(アホの子教えるのは楽しかった:https://anond.hatelabo.jp/20180317085745)
なぜか?
これは簡単なことで、日本の教育が先進国中最悪のレベルで大量の生徒を教室に押し込んでいるからだ。
(参考:学級規模の基準と実際[国際比較](文科省)http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/029/shiryo/05061101/003.pdf#search=%27%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9%E8%A6%8F%E6%A8%A1+%E5%9B%BD%E5%88%A5%27)
普通レベルの力量がある大学生でも、1対1でならこの程度のことはできる。普通レベルの力量の教師でも、1対5~8くらいまでならこの程度のことは普通にできるだろう。甘めに見て、1対15~20くらいまでなら、これに近い対応はできる。たとえば困難校と言われる高校で、生徒がどんどん退学していっても20人程度まで減ればだいたい落ち着いてくる。それは「問題のある生徒がやめたこと」よりも「教員の目が行き届くようになること」に由来する可能性が高い。だが、1クラス25人を超えると、最優秀レベルの教員でもこのような対応をすることはほぼ不可能だ。(ごく少数のカリスマ的な教員による実践報告自体は存在する。)
この50年で世界の教育は大きくアップデートされた。鞭で仕込むような教育をやめ、投資して、ITを活用し自分の頭で考えさせる教育システムに急速に移行し成果を上げている。おそらく、次の10年で世界の教育は、AIを効率的に導入すれば更に問題を効率的に処することが可能であると気づくだろう。分かりやすく言えば「AIが家庭教師になる」のだ。その子の答案を採点して間違いの傾向を見つけ、何十万というケーススタディや発達心理学などの研究を背景に、その子に即応する最適の教育プログラムをリアルタイムで生成する。特に、義務教育レベルの読み書きや自然科学、中等教育における数学・外国語などの教科は、こういったやり方との相性がかなりいいのではないかと思っている。これが完成すれば、特に知識を身につけトレーニングする系統の科目において、人間の教師がこれに対抗するのはほぼ不可能だろう。想像だが、中国あたりは相当効率的にこのシステムを構築していくだろう。
だが、50年間、問題を放置し世界の教育に大きく遅れを取っている日本の教育行政は、大学入試をほんの少し変える程度のことでいまだに10年がかりでぎゃあぎゃあ大騒ぎしているレベルである。こんな調子ではおそらく10年以内に訪れる教育へのAIの効率的導入には対応できないだろう。それは、日本の将来にどのような影響を及ぼすのか、計り知れない。
確かに個人レベルでみた場合には大半の人にとっては不要でしょう。一方で国レベルでみた場合には自国の歴史・文化を研究・伝達するための人的資源を確保するための施策として、古文・漢文という教科を高等教育の前段階である中等教育のカリキュラムに組み込み、入学試験科目として設定すること(を促すこと)には一定の妥当性があるように思います。元増田は「国家レベルで失恋引きずるな。」と書いていますが、むしろ増田は国家レベルでみた場合に必要だという認識です。
また、大学の入学試験は入学後の専攻に対しては極めて大雑把に粗い科目設定しかできないという実運用上の理由もあるでしょう。古文・漢文は「専門的な学問の内容」というよりは「専門的な学問のためのツール」として重要であるため、そういった古文・漢文を必要とする分野に進む「かもしれない」人材に対して、その学習を要求するのはそんなにおかしなことではないように思います。特に東大は進学振り分けの関係上、古文・漢文を必要とする分野に進む権利を認めているわけですから、入試科目に設定していても何らおかしな話ではないでしょう。他の大学に関しては各校の方針または事情で設定したりしなかったりでしょう。実際のところ、当該分野を持たない大学では入学試験科目にしていなかったりすると思います(持っていてもしていないところもあるでしょうが)。
あと、反論として「大学に入ってからやればよい」という意見はある程度、首肯できます。ただ、それに対する再反論として「それだと時間が足りない」というものがあります。実際のところ、古文・漢文は必要となる大抵の場合において「ツール」でしかありませんから、それを学習することは主目的にならないのが大半のケースです。
このあたりが元増田と認識のズレがあるところだと思います。元増田が「おれは別に面白いとは思わなかったが、漢文に出会い興味を持った学生が古典研究者の道に進むことだってあるだろう。」と書いているように、古文・漢文の高等教育段階での必要性について実際よりも狭い範囲にしか認識できないというのは高校生レベルではありうる話です。そういう視野の狭さに対して「入学試験科目」という強制力で対処するというのは一つのやり方なのではないかなと思います。
ちなみに古文・漢文と同じような位置付けにあるにも関わらず、「大学に入ってからやればよい」という意見のとおりになっているのは、日本語・英語以外の言語の学習でしょう。これは東洋史・西洋史・その他の地域史や文学、思想などの研究には必要な「ツール」ですが、一般的には「大学に入ってからやる」ことになっています。ただ、これらの分野については本気でやるなら留学が必要になってくるものなので、日本史・日本文化の研究の「本場」としての優先順位の違いとみなせるように思います。
ちなみに個人的な話でいえば、古文・漢文を受験科目として勉強したことは結果的には時間の無駄だったという認識を持っています。個人的には増田の意見には共感できます。
ここでは学校教育の問題に限定して体罰の問題について述べるので、特定の話題について触れることはしない。
まず、体罰は法的にどう扱われているのか
文部省が文部科学省に再編成されたさい、文部大臣が文部科学大臣に変更されたこと以外はこの規定に変更はない。
つまり、「体罰」と主張した時点で、加えた側が違法行為だと認めたことになる。
この点は戦後一貫しているので「昔は許されていたが、今は認められなくなった」という認識自体が正確でない。
よくある誤解に過ぎないのだ。
このような見解を披露した時点で、学校教育に関してどの程度の知識しか持ち合わせていないか想像できる。
喩えて言えば、ヒロポンを服用すれば疲労回復が早くなるので使うよう勧めるのに近い論理だ。
ただ、あくまでも学校教育法で定められている「学校」に関しての話なので、その範囲が及ばないところに関しては言及できない。
職員会議でも校長は「体罰はいけません」と必ず言うが、それ以上踏み込むことはない。
実際、棒きれを振り回している教員を見ても、見て見ぬ振りをするのが常である。
それらの行為は「体罰」でなく「懲戒」と見做すことにしていた、ただそれだけのことである。
今も昔も「体罰」は違法行為であり、「懲戒」は合法的かつ教育的「指導」の一環なのだ。
問題は、いかなる行為を「体罰」と見做し、いかなる行為を「懲戒」と認識するか、という点にあるのだ。
同じ行為をある時点においては「懲戒」と見做し、ある時点から「体罰」と解釈するようになったか、というのが正確な問題提起である。
たとえば以下のようなガイドラインが示されている。
文科省 学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰等に関する参考事例
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1331908.htm
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai1/siryou4-2.pdf
いずれにしろ、文科省が体罰を認めていないことだけは明確である。
教室で質問すれば、明確に「それは法律で禁じられているからです」と答えてくれるはずだ。
ただ、ある行為をめぐって「それは体罰ではないか」とか「いや懲戒の範囲内だ」という議論は当然あり得る。
しかし「体罰」が許されると主張することは、違法行為をもって教育するのが望ましいというのに等しいことであるということは認識しておく必要があるだろう。
効果的であり、かつ「望ましい」とするならば、違法行為の正当性まで議論の範囲は広がらざるを得ない。
あるいは、体罰を望ましいとするなら、学校教育法改正で対応するほかあるまい。
ともかく、「体罰」を論じる際「懲戒」との比較なしにあれこれ論じるのは意味がまったくない。
何が体罰で、何が懲戒かを明確にしないと、違法行為は正当だという主張に与することになる。
それが本望だという論者は別にしても、違法な「体罰」を容認するのかどうかはおさえる必要があるのだ。
ここでの話はあくまでも学校教育に限定しているので、学校外での出来事に適用できるものでないことは最初に断った通りだ。
補足
最近二言目には「学校で教えて欲しかった」という声を聞くが、それはそれほど効果的ではないと思う。
たとえば、「冤罪があっても構わないと思う」という趣旨の発言がされたと仄聞するが、
発言者は「推定無罪」の大原則を失念している点で、中学校を卒業するにふさわしい知識を身につけていないわけである。
今すぐにでも中学校に戻り、一から勉強するのが本人のためであろう。そして満点を取るまで卒業させてはならないと思う。
中学の知識すら覚束ない者が訳知り顔でご高説を宣うのを、ありがたく拝聴する方々の姿を見るにつけ、日本の将来は暗いと断ぜざるを得ない。
中学生までは親の義務として教育を受けさせてもらっている身分なのでちょっと議論は異なるので話から外すけど、
高校以上は少なくとも(周囲の強制とか圧力とかがあったとしても)最終的に高校に行くと判断した責任は本人にもある
高校との契約で入学した以上、高校とは対等の関係で高校には教育を提供する義務があるし
それに対し学生は提供された学業に専念する義務を負っていると考えていい。
つまり学生の本分は勉強という言葉は間違いではなくて、中等教育、や以降の高等教育を受けようとする人には
学業専念義務は教育を受ける権利とセットでついてくるものと思っていい
増田の悩みは、じゃあ高校生は勉強だけしていればよいのか、という極端な結論を前提にしているから発生しているもので
義務に応じた勉強を十分にした、残りの時間を学生らしい、若者らしい人生を楽しむことに使うのは全然かまわない
この配分をどうするのか、その判断力を見につけることも今のうちにやっておかないといけないことだろう
当然、当人たちからすれば人生を楽しむための時間が足りないと思って勉強をおろそかにしてしまうかもしれないし
周囲の大人から見れば勉強する時間が足りないと感じて苦言を呈することもあるだろう
多くの人の意見とそれぞれがなぜそう考えたのかをきちんと聞いて、
IMDという研究機関が毎年、ビジネスの競争力に関する国際ランキングを作成している。
New competitive global elite emerges in IMD business school’s latest world competitiveness ranking
https://worldcompetitiveness.imd.org/countryprofile/JP
人材ランキング(Talent Ranking)というのもあり、割と詳細まで見られるので他の国と表にまとめてみた。
https://www.imd.org/wcc/world-competitiveness-center-rankings/talent-rankings/
数字は調査61ヵ国中の順位、カッコ内はデータの値で、項目名の後ろに括弧があるものはそれが単位、単位がないものは0~10の範囲での評価値となってる。
総合順位の他にカテゴリーが3つあってそれぞれに順位がついてる。項目名に#があるものがそれ。
項目 | 日本 | アメリカ | ドイツ | フランス | イギリス | カナダ | イタリア | 韓国 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
総合(of 61) | 30 | 14 | 11 | 28 | 20 | 12 | 34 | 38 |
#国内人材への投資、開発 | 19 | 26 | 11 | 24 | 36 | 22 | 33 | 35 |
教育への公的投資GDP比(%) | 49 (3.53) | 11 (6.2) | 38 (4.2) | 16 (5.5) | 20 (5.39) | 18 (5.43) | 40 (4.09) | 30 (4.93) |
生徒一人当たりの公的投資GDP比(%) | 15 (25.67) | 25 (2281) | 21 (23.23) | 10 (26.88) | 27 (22.51) | 37 (18.32) | 24 (22.82) | 20 (23.37) |
初等教育 教師あたりの生徒数(人) | 44 (17.4) | 28 (15.35) | 30 (16) | 50 (19.31) | 53 (20.67) | 24 (14.03) | 13 (12.35) | 43 (17.31) |
中等教育 教師あたりの生徒数(人) | 31 (12.72) | 45 (15.37) | 39 (13.49) | 32 (12.73) | 52 (18.5) | 40 (13.85) | 28 (12.19) | 48 (16.18) |
見習い期間?(Apprenticeships) | 4 (6.94) | 50 (3.88) | 2 (8.54) | 57 (3.29) | 32 (4.74) | 21 (5.1) | 28 (4.8) | 44 (4.17) |
社員教育を重視してるか | 5 (7.25) | 29 (5.84) | 2 (7.71) | 45 (5.33) | 38 (5.62) | 21 (6.1) | 57 (4.57) | 42 (5.47) |
女性労働参加率(%) | 43 (43.07) | 20 (46.78) | 21 (46.67) | 8 (48.06) | 23 (46.63) | 14 (47.18) | 47 (42.14) | 45 (42.25) |
健康インフラ | 18 (7.45) | 32 (6.03) | 0 (8.22) | 9 (8.18) | 29 (6.44) | 19 (7.4) | 27 (6.7) | 24 (7.02) |
# 国の、(海外の)人材への魅力 | 21 | 2 | 8 | 30 | 16 | 7 | 37 | 43 |
生活コスト(米国を100としたとき) | 54 (103.2) | 51 (100) | 29 (75.2) | 41 (81.9) | 52 (102.4) | 18 (71.3) | 38 (80.1) | 55 (107) |
企業の人材獲得と定着の重視度 | 8 (7.79) | 4 (7.97) | 10 (7.6) | 41 (6.28) | 16 (7.42) | 24 (7.08) | 49 (5.61) | 21 (7.22) |
労働者のモチベーション | 10 (7.08) | 17 (6.7) | 5 (7.59) | 41 (5.25) | 25 (6.34) | 18 (6.65) | 39 (5.47) | 59 (3.91) |
人材流動性 | 35 (4.42) | 3 (7.33) | 13 (6.36) | 32 (4.78) | 12 (6.42) | 19 (5.8) | 31 (4.86) | 46 (3.6) |
クオリティ・オブ・ライフ | 20 (8.11) | 18 (8.26) | 9 (9.21) | 23 (8) | 24 (7.92) | 5 (9.55) | 28 (7.21) | 47 (4.95) |
高スキル外国人労働者の多さ | 52 (3.56) | 2 (8.95) | 16 (6.63) | 40 (4.55) | 4 (8.32) | 11 (7.4) | 50 (3.64) | 46 (3.94) |
専門職の報酬(US$) | 7 (48,176) | 3 (60,716) | 17 (42,280) | 18 (38,787) | 13 (45,691) | 11 (45,701) | 26 (32,479) | 23 (32,849) |
経営層の報酬(US$) | 10 (232,629) | 2 (375,387) | 3 (281,992) | 12 (243,218) | 6 (278,414) | 20 (195,319) | 11 (236,768) | 16 (215,886) |
租税のGDP比(%) | 29 (17.47) | 21 (13.89) | 54 (26.48) | 49 (24.19) | 37 (20.59) | 31 (18.11) | 48 (23.61) | 12 (9.59) |
個人と財産の安全性 | 21 (8.04) | 14 (8.43) | 16 (8.25) | 27 (7.48) | 13 (8.5) | 6 (9) | 41 (5.85) | 37 (6.1) |
#人材の技術、能力の活用度 | 52 | 21 | 19 | 28 | 20 | 9 | 32 | 42 |
労働参加上昇率(%) | 49 (0.17) | 35 (0.77) | 44 (0.31) | 51 (0.09) | 37 (0.64) | 32 (0.8) | 52 (-0.07) | 19 (1.42) |
専門職労働者 | 50 (4.73) | 18 (6.31) | 36 (5.59) | 27 (6.1) | 33 (5.84) | 7 (7) | 12 (6.64) | 48 (5.01) |
金融系労働者 | 39 (6.06) | 7 (7.86) | 18 (7.14) | 20 (7.11) | 11 (7.78) | 10 (7.8) | 37 (6.11) | 45 (5.67) |
経営陣の国際経験 | 61 (2.77) | 32 (5.48) | 14 (6.54) | 43 (4.8) | 15 (6.14) | 26 (5.74) | 41 (4.88) | 52 (4.44) |
競争力ある経営陣 | 60 (3.31) | 2 (7.05) | 28 (5.91) | 29 (5.9) | 18 (6.38) | 15 (6.55) | 23 (5.99) | 52 (4.02) |
教育システム | 29 (5.7) | 23 (6.28) | 10 (7.63) | 26 (6.03) | 18 (6.51) | 5 (8.05) | 28 (5.85) | 38 (4.99) |
教育における科学の重視性 | 22 (5.87) | 27 (5.58) | 12 (6.45) | 17 (6.3) | 29 (5.53) | 8 (6.72) | 30 (5.52) | 33 (5.35) |
競争に向けた大学教育 | 50 (4.43) | 10 (7.51) | 8 (7.59) | 28 (6.03) | 22 (6.63) | 11 (7.45) | 27 (6.07) | 55 (4.21) |
ビジネスに即した管理者教育 | 57 (4.32) | 3 (7.74) | 17 (7.03) | 49 (4.91) | 21 (6.63) | 9 (7.4) | 38 (5.61) | 52 (4.74) |
言語スキル | 61 (2.9) | 44 (4.91) | 22 (7.05) | 55 (3.58) | 51 (4.02) | 17 (7.55) | 49 (4.43) | 33 (5.88) |
学生1000人あたりの留学生数(人) | 41 (1.07) | 24 (2.48) | 25 (2.42) | 19 (3.65) | 6 (6.52) | 15 (3.9) | 33 (1.38) | 38 (1.18) |
15歳のPISAのスコア(点) | 5 (541.5) | 29 (489) | 13 (519) | 23 (497) | 20 (504) | 12 (521.5) | 28 (489.5) | 4 (546) |
「見習い期間」は英語だと "Apprenticeships" となってる。
「個人と財産の安全性」は "Personal Security and Private Property Rights"。
日本の総合順位は30位だがあまり気にしなくてよいと思う。どういう人材が必要かは国によって違うので。
個々の項目を見ていくとよいかと。
項目ではPISAのスコアを使っているが、日本は成人のテストであるPIAACにおいても読解力と数学力で一位を取っている。
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/data/Others/1287165.htm
一方で経営陣は報酬は多いが競争力や国際経験は文字通り世界最低である。
言語スキルも最低だが、意外にも仏英伊も低い。大きい国は母語だけでもやっていけることが多いからだろう。
日本はWEFの国際競争力ランキングでも人材活用の項目が低かったし、経営者の能力が低いため優秀な労働者が無駄遣いされてるといえるだろう。
どうやったら、こんな非合理的な社会が作られるのか、教えてもらいたい。
日本の凋落は凄まじい。もはや世界に誇れるもの、優位性は何もない。
自動車産業があるだと?欧州のプラットフォーム戦略に飲み込まれ、水素じゃい〜なんて言ってる会社は流行らないだろうし、自動運転などによるソフトウェアによる付加価値のほうが高くなりIT超後進国の日本は車という部品供給程度の位置づけになりそう。いや、それすらも奪われるだろう。
一人あたりのGDPなんて世界22位とかそこらで、これからどんどん下がっていくことが予想されている。
22位程度の国力だぜ??もう途上国にどんどん抜かれ、衰退国のモデルケースにすらなりそう。
もう劣等感と焦りしかないから、盲信的に、日本すげ〜なんて下劣極まりないTV番組が日本でやっていると聞いた。まじかよ。
COOL JAPANだと?自分でいうか、それ。末期JAPAN。いや、TERMINAL JAPAN!のほうが現状に一致する。
おもてなしがすごいだと?だから自分でいうな、気持ち悪い。第三者に言われて初めて成立することだぞ。
いや〜ほんと末期。
俺昔は勉強できたんだよって過去の栄光にしがみついて、現状落ちぶれて見る影もないようないような情けないやつと何が違うの?
現実を見ようぜ。
そんな日本だがこの凋落は不思議でもなんでもない。そりゃそうだ、この社会に何の合理性もないもん。
成長するほうがおかしいよ。単純に非生産的ながら大量の時間を投入することでここまでやってきたが、それも限界だ。
今尚汚職が蔓延している政界、年寄りにだけ優しい政治、政治って何?みたいなアホな芸能人でも政治家になれちゃう。
さらに保身に走り、利己的な人間であふれている。何やってもおまえら庇い合って逮捕すらされないよな?
今の日本に必要なのはまず外部に目を向けて、この非合理的なシステムを変えることだ。
日本の社会しか知らない、さらにアホが政治家が改革なんて起こせやしないし、必要もない。
今時さあ、長生きすることが喜ばしいという時代錯誤の価値観。寝たきりのやつをサポートし続けて、医療費ってどこから出てるんだっけ?国は金がないない行って増税する前に使いみちの優先順位を見直せ。
日本人の平均寿命が長いのはなんてことはない、単なる過剰な医療制度であって、これはもはや恥ずべきことだ。
サポートされるだけの人間が社会に溢れたって何のメリットもない。さらに老人が老人を介護するって何だよ?その社会のどこに幸せがあるのか?
さっさと安楽死を導入したほうがいい。なぜなら日本人の「長生き」は「自然」ではないからな。
日本の会社は能力より、口先だけで政治力が高い人が出世する。本当無駄。
そもそも能力度外視の上下関係も無益だか、それが年齢とか、経験年数とか、何の意味もない要素で成り立つのが本当、馬鹿馬鹿しい。
会社の役員なんてバカばかりだ。椅子に座ってえらそうにしているだけで高給取り。その金をもっと有効に使えばいいのに。いっそのこと経営のスペシャリストという肩書に変えてみたらいい。
そうしたほうが周りもその役員をどういった軸で評価すべきかより見えやすいだろう。役員と言う名の隠れ蓑は必要ない。おまえら、自分の価値を示せ。
しかしIT業界の役員の場合は、役員全員クビにして、全員は言い過ぎか、経営のスペシャリストとして価値ある人間は残そう。代わりに1000万与えるに価値のあるプログラマーを多く雇ったほうが多くの会社で有益だと思う。
社会のIT化の波はすさまじい。日本を除いてな。どこの国もITエンジニア不足だ。日本の場合は単純に生産性が低いだけだけどな。
なぜITの重要性が高まっている昨今、日本の有名なIT企業なんて一社もないのか。楽天みたいな糞ダサい会社が「会社」として生存できる日本の社会って本当やばいと思う。
DeNAみたいな倫理のリの字もない会社が「会社」として生存しているのもやばい。メルカリとかさあ、現金販売できちゃうってどうなの??
七つの社会的罪を知っているか?そのうちの一つが、「道徳なき商業」だ。
おっと、合理性うんぬんの議題に、IT業界に触れたのは間違いだった。クソみたいなIT企業が多いのでつい。
論理に基づかない政策。文科省何やってるの、お前らの教育が足りないよ。
英語教育を早期にはじめても無駄。日本人が英語の習得に必要な時間を知ってる?義務教育だけじゃ全然足りないんだよ。
それが小学生から始めたところで糞ほどの意味もない。だってそれでも時間が全然足りないんだから。
それでいて本来学ぶべき国語とか数学、社会、理科の学力が落ちていたんじゃ本末転倒じゃん。
日本人が英語を身につけるのは言語学的に大変だ。そもそも他国と状況が違うのに、教育年数が同じなのがおかしい。
つまり、ストレートに進学して24歳で社会に初めて出ることになる。
なぜ英語教育を分離させるのか?多くの日本人はこれでも尚、習得できないだろうし、習得できないことにわざわざ時間を投入する必要はないからな。
ただ、やるなら使えるレベルにまで持っていかないと意味がない。だから一部の必要性を感じている人間だけが集中して受けられるようにしたほうがいい。モチベーションがないとそもそも取得できないことだしな。
社会に出るまでに2年遅れたからってそれがどうした?70歳どころか80歳まで働かなきゃいけない時代が到来するんだぞ?
飛び級的な制度も必要だと思う。その人のレベルにあった教育を与えるべきだし、皆一律同じスピードで教育するのがそもそもおかしい。
私立大学なんてほぼバカ大学で、高校の教育すらまともに理解できていないやつで溢れている。実質的に中卒程度の学力で大卒の人、多いよね。
私立は慶応だけ残して、全てこれから必要とされる分野の専門教育に転換ほうがマシだ。
年配の人と会話しても知性をまるで感じない。固定観念によって支配されてるし、考えるって行為をしない。だからどんどんバカになっていく。
そんなバカが社会に影響力を持つ。結果日本の社会はいつまでも合理的にならない。
年寄りはさっさと第一線から退く社会が望ましい。固定観念や昔の成功事例にいつまでもしがみついて、環境の変化にまったく頭がついていってない。