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はてなキーワード: 中等教育とは

2021-09-01

anond:20210901195324

中等教育に関しては、ドイツ歴史的に特色がある制度だというのは有名な話。

2021-08-12

anond:20210812210256

マジでコレ。ネトウヨと単なる低IQを分ける踏み絵だわ

実際、小山田ラーメンズ関連でネトウヨ国辱だろって動いてたしな

 

そもそも人権についていろいろ怪しい中国がなんでわざわざオリンピックやるのか?って話ですよ

世界自国威信を示すためですぞ

 

あの東京オリンピック開会式閉会式はGDP3位の日本威信は示せましたか

 

国民全員サラリーマン志向研究医学カルチャー他国に取り残されてる感はありつつも、

ほぼすべての人が中等教育を受け・国民の約半数が高等教育自由に受けられ、

ほぼすべての人のが格安自由医療を受けられ、

ほぼすべての人が衛生的な環境生活をし、

ほぼすべての人がインターネット接続可能デバイス環境を持ち、

多くの人がなんらかの創作活動を行うことができる

平等平和で豊かな国だぜ

 

それ表せてました?

anond:20221105085008 anond:20221105085812

2021-08-10

anond:20210810072018

ちゃんと読んでくれ、中等教育って書いてあるだろ?

一応補足しておくが、日本においての中等教育ってのは中学から高校までのことな

2021-05-24

義務教育小学生まででいい

中等教育は金のあるご家庭でさせればいい。

低所得者の子は小卒で働きに出ればいい。それ以外の選択肢がある、ということすら教えずにロボット化したいわけだ。

移民労働者なんて、ホントは入れたくないからね。国産低賃金労働者を作り上げるのがザイムショーの使命なのだよ。

2021-04-03

「どうして勉強しなきゃいけないの?」に対する大人の答えがクソおもんない理由を教えてやるよ

「どうして勉強しなきゃいけないの?」と子どもに聞かれて俺はこう答えたという内容の増田が先日ホッテントリに上がっていた。読んだ。クソおもんなかった。

 とはいえあれを書いた増田だけを責めようとは思わない。「どうして勉強しなきゃいけないの?」に対する大人の答えはいだってクソおもんないからだ。

 この話題ネットではたびたび繰り返されるが、そこでなされる答えは往々にしてフワッフワしていて説得力に欠けクソおもんない。

 その理由ぶっちゃけはっきりしている。嘘をついているからだ。

 なぜ嘘をついてしまうのか。そもそも勉強しなければいけないというのが嘘だからだ。にも関わらず、勉強しなければいけない理由を無理矢理にひねり出すから、そこで語られる内容はフワッフワして説得力に欠けるものしかならない。

「俺は今の仕事学校で習ったことが役に立ってる」と言う奴がいる。そらそういう人もいるだろう。しかし、例えば学校医学法律知識を教えれば将来医者弁護士になる人にとっては確実に役に立つにも関わらず一般的高校までのカリキュラム医学法律勉強は入っていない。一部の職に就いた場合に直接的に学んだ内容が役に立つというのは子ども勉強しなければならない理由としてはあまりにも弱すぎる。だいたい、役に立つかどうかでいったらゲーム遊んだ漫画を読んだりすることすら役に立つのだ。そういう経験は将来特に年代の人との間で共通話題となりコミュニケーションを円滑にする場合が数多くある。エンタメ業界で働く人にとってはもっと直接的に職業上役立つ経験となるだろう。どんなことだって何かしらの形ではその人の糧となるのだ。

勉強をすると想像力が養われるのだ」と言う奴がいる。「優しくあるためには勉強する必要がある」と言う奴すらいる。じゃあたくさん勉強してきたであろう高学歴の人たちを見てください。悪口になるからこれ以上は控える。

 そもそもの話として勉強というのは誰もが適応して付いていけるものではない。方程式はおろか九九すらままならないような人だってたくさんいる。だけどそういう人たちが生きていけてないということは全然ない。勉強に付いていけなかった人たちもその人なりのやり方で立派に生きている。そういう現実がありながら勉強しなければいけないと言うことにどれだけの説得力があるだろうか?

 ではなぜ大人たちは「別に勉強しなければいけないなんてことはない」ということを認められず、勉強しなければいけない理由を無理矢理にでもひねり出そうとしてしまうのか。

 ひとつ理由は実際に勉強して高い学歴を得ることは収入社会的地位といった点で人生を有利にするからだ。大人からすると自分の子ども(や甥や姪)には有利に人生を歩んでほしい。だから勉強してほしい。だけど、それを勉強しなければいけない理由として語るのは利己的な動機すぎてあまりにもあんまりに思える。だからなんとか勉強しなければならない理由として美しいものをひねり出そうとしてしまうのだ。

 そしてふたつめの理由大人子どもたちに勉強させなければならないからだ。

 こう書くと「いやお前今さっき勉強しなくていいって言ったばっかじゃん!」というツッコミが入るだろう。違うのだ。「子ども勉強しなければならない」と「大人子どもたちに勉強させなければならない」は全く話が違うのだ。後者は正しいが前者は間違っている。そしてここを混同してしまうがゆえに「勉強しなければいけないなんてことはない」ということに違和感があり認めづらいのだ。

 何が違うのか。「勉強しなければいけない」というのは個々人レベルの話だ。個人として勉強した場合利益やしなかった場合不利益がどうかという話になり、勉強することによって得られる利益放棄たからといって生きていけないというわけではない以上別に絶対勉強はしなければいけないものではない。

 一方で「子どもたちに勉強させなければならない」というのは社会レベルの話だ。「勉強させなければならない」という言い方に強制ニュアンスが混じるのに違和感があるなら「勉強する機会を与えなければならない」に言い換えてもいい。

 初等教育が充実していてほぼすべての人が読み書きや基礎的な計算をこなせる社会とそうでない社会比較した場合、前者の方が豊かで力があることは明らかだ。そして初等教育から中等教育高等教育接続される子どもが多い社会ほど、より高度な人材が育ち、豊かで力のある社会になるというのもこれまた明らかだろう。

 教育の本当の受益者教育を受ける子ども個々人ではなく社会全体なのだ

 日本国憲法四条には教育義務について書かれているが、そこに書かれている文言は「国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。」だ。子ども勉強する義務があるなんてことは書かれていない。書かれているのは大人子ども教育を受けさせる義務があるということだ。ここまで俺がしてきた話とぴったり一致している。

 まとめると、「どうして勉強しなきゃいけないの?」という問い自体そもそも微妙と言える。間違った問いに沿って考えると不毛な議論しかできない。

 そこで問いを「どうして社会子ども勉強させなきゃいけないの?」に変化させると、視点が変わり、より本質的議論ができるようになるだろう。

 最後残酷なことを少し。

 多くの人が「どうして勉強しなきゃいけないの?」に対して「自分勉強してきたおかげでこんないいことがあったよ」というような個人経験ベースの答えしかできていないという事実は結局勉強なんて期待されるほど人間を賢くしないということを示唆している。

 俺は知性の働きとして特に重要もの自分というものを相対化できることではないかと考えている。だから知的人間には「どうして勉強しなきゃいけないの?」という問いについて考えるのであれば我々と異なる国や時代では勉強というものがどのように扱われているのかであったり、現在教育制度がどのように形作られたのかであったり、そういったものを気にしながら考えてほしいと願っている。自分で答えは出さずにそういったもの子どもに調べさせる、考えさせる、というのもいいだろう。

 だけど多くの人はそのような発想はせずに自分経験の中から答えを出そうとしていた。人生の早い時期に勉強からドロップアウトした俺のような人間がそういった思考アプローチに思い至っているのに、俺よりもはるか勉強してきたであろう人たちがそんなんであるというのは、つまるところ勉強しても人はそんなに賢くならないという残酷事実を示しているように思えてならない。

2021-04-02

anond:20210402102255

自分の子についてはさすがに、とは思うが、公には初等中等教育における国公立教育の拡充(それは必然的私立プレゼンスを低下させる)を叫べよ、とは思う。

anond:20210402092221

えーと、この指標を見て中等教育の純就学率に男女格差あると思う? どうも129位らしいんだけど。

https://www.unicef.or.jp/library/sowc/2015/pdf/statistics05.pdf

anond:20210402091016

それ統計的に示すの無理じゃね?

これがSTEM教育における男女比率だったらわかる(日本は男女差あるので)が、中等教育まではユニセフ統計的にも完璧に近い皆教育を築き上げてるのにそこ(中等教育在学率)で129位とか評価されるのは腹立つわ。

anond:20210402090624

変わらないと出るのが問題じゃね? 大前提としてSGDsでも言われるように全ての人が男女の区別無く中等教育を受けられる、があるんだからそもそもそれが達成できてない国が優位になるなら指標としての価値がなくない?

anond:20210402015727

教育分野なんか中等教育の純就学率ほぼ100%世界トップクラスなのに、男性の方が若干多く生まれてるから男性のほうが人数が多くて順位下がるとかアホじゃね感がある。純就学率をまずベースに、就学率の男女差異でどちらが多い場合も減点する方式比較しろよと思う。

2021-02-24

福岡教育大学の初等の副免について

ここでは、福岡教育大学初等教育教員養成課程(幼児教育選修は除く。以下、初等とします)の副免について、書いていきます

==== =====

福岡教育大学の初等は、小学校教員養成に重点を置いています

初等では、原則として、中学高校教員養成はしていませんので、注意をしてください。

普通の国立大学の教員養成大学では、初等でも中・高の免許を取れるはずですし、初等から中・高の先生になることは、よくある光景です。

しかし、福岡教育大学の初等は小学校教員のみの養成に特化している、ちょっと特殊大学です。

数年前の初等専修制では、普通の国立大学の教員養成大学と同じでしたが、改組により、初等は小学校教員養成のみとなりました。これは、寺尾学長独断による改革の結果です。現在飯田学長も、その方針を堅持しています


中学高校先生になりたい人は、中等教育教員養成課程(以下、中等とします)に進学してください。

なお、初等に進学した後に、中等に転課程すること(課程を移籍すること)は、制度上はそういうことは可能とされていますが、基本的にはおこなえません。

どこの大学でも、転課程はきわめて難しいと考えてください。


初等の学生は、小学校教員教育職員免許の取得を前提にしています

初等で得られる免許小学校一種)は、主免(しゅめん)といいます

主免とは、卒業時に主として取得する免許(必ず取得できる免許)のことです。

したがって、初等の学生小学校一種が主免になります

中等の場合、主免は、中学校・高等学校一種免となります


この主免以外に、他の授業を履修することにより、与えられる免許を、副免(ふくめん)といいます

まりオプションとして取得できるものが、副免です。

初等の学生は、幼稚園一種・二種)、中学校(一種・二種)、高校一種)が副免になります


話はそれますが、教員免許の種類について、わかっていない人が多いので、簡単説明します。

教員免許の「一種」「二種」は、取得単位数の違いによって区別されています

二種は短期大学卒業程度の取得単位一種四年制大学卒業の取得単位になります。大多数の先生が持っているのが、一種になります

ちなみに、高校免許には二種は存在しません。したがって、二種の場合は、高校先生にはなれません。

高校先生になりたい人は、一種を取る必要があります

また、県や市の教員採用試験では、取得した免許の種類によって採用差別されません。中学二種の免許で、県や市の中学校に採用されている人もいます

ただし、二種の場合は、一種を取得するための努力義務付けられています。そのため、教育委員会の研修や講習に参加しなければいけなかったり、給料に差がついたりします。


話をもとに戻します。

福岡教育大学の初等では、中学高校免許、つまり副免は、取ることが難しいです。

なぜなら、小学校先生養成に重点を置いている課程が、初等だからです。


「初等に入ったけれど、中学高校免許も取って、中学高校)の先生になりたい」

という人は、残念ですが、それは諦めて、小学校先生になられることに専念してください。


福岡教育大学の初等は、小学校教員になる教育に重点を置いています

初等では、中学高校)の教員になる教育は、標準的提供していません。

中学高校先生になりたいのなら、中等に入るべきでした。

「それでも!どうしても!」というなら、中退して中等の試験を受けるか、他大学に入り直す(転学・編入する)か、一旦卒業した上で、働きながら通信制大学放送大学など)で不足分の免許必要単位を修得する、ということしかありません。


福岡教育大学公式ホームページに「福岡教育大学で取得できる教員免許状について」(https://www.fukuoka-edu.ac.jp/campuslife/academic_affairs/glb0i0000000126j-att/glb0i00000009mmy.pdf)との文章が公開されています

これによると、初等では、小学校一種は主免です。

幼稚園中学高校免許は、

卒業要件を満たし、さらに所定の単位を修得することで取得も可能となる免許状(副免)」、「副免のうち、人数制限や修得する単位が多い等の理由により、特に取得が困難な免許状」とされています

この文言をよく理解してください。

「取得も可能」=努力すれば取れるかもしれません、「特に取得が困難」=取るのはとても難しいです、ということです。

初等で副免を取ろう、という人は、かなりの努力を要すること、楽には取得できないことを、よく理解してください。安易に手を出すとヤケドをします。

よく聞くのが、副免の取得に熱心なあまり、主免の単位を落としまくって、副免は取れるけど、主免が取れず、留年する、という話です。


初等の学生が、副免で取得する講義などは、原則として中等の学生に向けて提供されている講義に、初等の学生が「参加させてもらう」ものです。

もし、その講義や演習などが、人数を制限する場合や受講制限がある場合は、中等の学生が優先されます

中等の学生に向けての授業なのですから、そこに「参加させてもらう」初等の学生立場が弱くなることは、おわかりいただけるでしょう。


初等の学生が、副免を取得したい場合は、まずは担任先生相談してください。

といっても、担任先生も、副免のことがよくわかっていない先生もいます

学生支援課の「学生なんでも相談窓口」(https://www.fukuoka-edu.ac.jp/campuslife/consultation/anything_consultation.html)に相談することが、てっとりばやいです。

副免を取得したい学生は、希望する科目の「教科基礎学力テスト」を受験し、A・B・Cの判定のうち、B判定以上を取る必要があります

C判定(不合格)では、副免の授業の履修は認められません。

なお、この教科基礎学力テストは、不合格のC判定であっても、来年度も希望すれば受験できます

もし不合格であれば、それを謙虚に受け止めて、勉強し直して、再受験をするか、もしくは副免は諦めるか、という二つの選択肢になります


例年、教科基礎学力テストは5~6月に実施されます。2020年はコロナ禍のため、8月に実施されました。

日時や、テスト範囲などは、大学内の掲示板掲示されます

教科基礎学力テストの結果は、遅くても夏休み中には告知されます

B判定以上の学生は、後期から副免の授業の履修が可能になります

そのため、前期の期間か、夏休み期間にテスト実施され、結果も後期の授業が始まる前にはなされるはずです。


教科基礎学力テスト過去問は公開されていません。

テストでは、解答用紙とともに、問題用紙も回収されますから受験したことのある先輩に過去問を見せてもらうこともできません。

問題用紙の回収は、過去問を見ることができた人間が有利になる/見ることができなかった人間が不利になることを防ぐ、公平性を確保するためです。


出題範囲難易度は、教科によって変わります

高校入試の問題がそのまま出た、センター試験共通テスト)のレベルだった、国立大学二次試験レベルだった、など、さまざまな噂がありますが、出題範囲は示されるので、その範囲内の勉強をよくしておく必要があります

とりあえずは、高校での履修内容の範囲内で出題されるはずですから大学受験勉強と同じような勉強しておけば良いでしょう。


この教科基礎学力テストを課す目的は、中学高校)の基礎学力を備えているかをチェックするものです。

この基礎学力がなければ、副免の授業に出ても、単位の修得は難しいです。

教員から見れば、基礎学力のない初等の人間が、中等の授業に出てくると、レベルが保てず授業に支障をきたします。

いくらやる気があったとしても、身につけておくべき基礎的な知識がないと、授業で先生の言っていることが理解できませんし、単位の修得は難しいです。

やる気のある無能な人は、周りに迷惑をかけるだけです。そういう人が、中学高校の教壇に立つことが許されるはずがありません。

中学高校教員にとって、何よりも求められるものは、学力です。


「やる気はあるが、学力の低い学生に、再教育をしてくれ」「大学は、意欲のある学生に学び直しの機会を提供すべきだ」と主張する人がいます

しかし、高等教育機関である大学では、「中学高校の復習をしましょうね」という「復習の時間」はありません。

高等教育機関である以上、そのような「学び直し」の授業で単位を出すことは、制度的にも許されていません。

福岡教育大学Fランク大学ではありません。

そもそも、そんなに「やる気」があるのならば、学力が低いはずはありません。

そんなに「学び直し」をしたいのであれば、自分で好きなだけ勉強すべきです。

それでも学力が低いままならば、予備校などに通うしかありません。

高等教育機関である大学に「学び直しの機会」を要求することは筋違いです。


福岡教育大学の初等の学生の特徴でもありますが、文系偏重しており、理系の分野は不得意のようです。

教科基礎学力テストでも、その傾向は明らかで、英語国語社会受験者数は例年、とても多いです。

受験者数が多いことは、ライバルが多いということになります。したがって、C判定をもらう学生は多くなります

各教科ともに、合格者を百人単位で出すことはありません。

というのも、中等の学生向けの授業は、少人数を想定したものが多いため、そこに初等の人間が大挙して押し寄せると、中等の学生への教育の質が保証できなくなってしまう、との理由もあります

たくさん受け入れてあげたいのはやまやまだが、合格者はなるべく少ないに越したことはない、と大学側は考えているようです。

中等の授業では、学力の低い人に、中高に遡って教え直してくれることもありません。初等の学生からといって、評価の水準を下げることはできません。

先にも述べましたが、副免の授業は、中等の学生向けに設けられたものが多いので、そもそも初等の学生が授業に来ることを想定していません。

中等の授業で、初等の学生が多くなってしまうと、中等の学生学習の機会を奪ってしまうことになります

このようなことから合格者は、受験者の10%ほどの合格率が多く、教科によって50%あたりのものもあるようです。

おおよそですが、教科基礎学力テストで7割あたりがボーダーラインで、8割以上取れていれば、ほぼ安心していられる、と言われていますが、これも受験者数や教科によりばらつきはあるようです。場合によっては8割以上の得点であっても、不合格ということはありうるでしょう。


狙い目の教科があります

理系の科目です。数学理科そもそも受験者数が少ないようですし、その割に合格率は高めのようです。

かにも、美術や保健体育、技術や家庭なども、合格率が高いようです。

中学高校教員になって、運動部顧問をしたい」という人は、保健体育を選ぶべきでしょう。


小学校にも「教科担任制」が22年から導入されます。既に北九州市では教科担任制が導入されています

小学校の教科担任制とは、小学校でも、高学年からは専門教科の先生が、その教科については教える、という制度のことです。

中学校の教科を思い出してください。中学校では、既に教科担任制ですよね。

中学校のように、小学校でも、高学年からは、教科の専門の先生がいて、その教科を教えるのです。

導入される科目は、算数理科英語、です。

これらの科目の中学高校の副免を持っていると、その教科の専門に強い先生として、小学校の中で教えることができるようになるでしょう。

経費節減のため、公立でも小学校中学校を一貫にしているところが多くなっています(小中一貫)。そういうところは、小学校先生でありながら、中学免許を持っている先生採用したいはずです。

採用する側も、算数理科英語の教科に強い先生は欲しいところです。

したがって、狙い目の科目は、算数理科英語になります

しかし、英語は、例年、副免の希望者がとても多いので、英語の力がよほどないといけません。

ちなみに、英語で求められる学力は、英検二級レベルと考えられます英検二級は、高校卒業程度のレベルと言われているからです。

そう考えると、数学理科は、狙い目の科目になります


福岡教育大学の初等の学生で、副免を取りたい、という学生が多く、また副免に関して、学内外で、根拠のないデマが流れたりしたので、このような文章を書いてみました。


初等で副免をとる学生は、小学校先生だけではなく、中学高校先生としても通用する、確かな学力を身につける必要があります

そのために、よく勉強をしてください。

しっかり勉強をし、学力を高めることが、あなたから教わる児童生徒のためになります

2021-02-20

anond:20210220142145

そう思う政治家とかがいるのは否定できないが、江戸しぐさ批判できる人が全滅しないための対抗策が中等教育古典という教科を維持する意義になる。

なぜ江戸しぐさ批判する人がいるのか、その批判根拠はどう示されているのかを考えたほうがいい。

anond:20210219230128

個人の役にたつ可能性はかなり小さい。個人メリットのみを重視するならば教育課程から除外すべき教科であることは間違いない。

ただし、日本文化研究伝承保全等もろもろのことを国家的に維持していこうとした場合裾野を広げるために古典古文漢文教育中等教育課程においておく必要性はある。それがなければ大学日本古典文学日本史学日本語学を専攻しようとする人の数が激減する上に、専攻するための基礎知識レベルが一気に下がる。それを個人必要ないというのはそのとおりであるが、国として教育課程維持の必要性は十分にあるだろう。

日本古典文学日本史学日本語学なんて役にたたないからやらなくてもいいというのは個人判断として別にいいが、それを日本国政府が言い出したらいよいよどうしようもないだろうね。某作家が書くような妄想日本史江戸しぐさが「事実」ということになっていく可能性が強まるだろうね。

増田は「専門家がやればいい」と思うことが多いみたいだけど、それはそのとおり。自国文化専門家を全滅させないために中等教育古典を扱っておく必要がある。大学に入ってからやればいいという考え方もあるだろうが、それだとパイが小さくなりすぎる。

2021-02-03

埼玉の「滑り止めの星」としかご縁がない場合進学すべきか (追記あり)

在校生親の私見です。

2月になったにも関わらず埼玉の「滑り止めの星」についての情報をご覧の方には、他の中学とご縁がなかった際に進学する価値のある学校か、という点がひとつ気になるところと思います私共入学して過ごしてきたものの、これはちょっと・・・判断高校から外に出る親子です。ありがたいことに次のステップに目途が立ち、子ども本人からもこれを共有してほしいということで書いてみました。2月に志望中学合格を確保された方、おめでとうございますこちらに上位の志望で合格された方、以下は読む必要のない文章です。在校生の皆さん、人間評価軸は試験の点数だけではありません。どうかうまく生き延びて。

まず初めに

強調しておきたいのは、今在籍している多くの生徒さんたちは本当に賢い、良い子たちで、ここの大学受験勉強至上主義教育さらしておくのはもったいない子たちです。もう少し良質な教育を与えてあげればきっと様々な面でもっと伸びるはずだった子たちだと感じます。おそらく、宣伝が上手ということに加えて、首都圏中学受験過熱受験者数がかなり増えた結果こちらにまで比較的質の高いお子さんが回ってくるようになったのかもしれません。

皆さんが受験して中高一貫校に求めるものは何でしょう?

学業以外も充実した時間を過ごして」「大学進学実績も悪くない」というのがその最大公約数でしょうか。これらを満たすかのように外部向けにアピールされている内容と、実際の状況とは実感として乖離している印象です。

前者についての私見

中高一貫校に対して一般的に想起されるイメージとは異なります

教師の中には生徒を点数でしか評価しない方が少なくありません(婉曲表現です)。

部活についても本当は推奨していないことを生徒に対して明言する方もいらっしゃいます

文化祭等の学校行事についても準備はミニマムで、時間をかけることは歓迎されません。

学校生活全般の余裕が、1日の生活でも、年間のスケジュールでも、かなり少ないです。また、試験の結果が悪い子は、質が微妙な補習・追試の繰り返し(追追試もあります)で、気がついたら次の定期試験が始まってしまい準備が追い付かない、ということもあるようで低学年からとにかく試験に追われます中高一貫の、高校入試がないメリットを生かしていない印象です。

後者についての私見

これほど試験対策的な勉強ばかりさせられているのにこの程度の進学実績なのか、と感じます。また、(いろいろなところで他の方も書いてらっしゃいますが)東大クラスさらにごく一部の進学実績がその数字のメインで、それ以外は実質「ベット」扱いです。平均的な進学先はMARCH未満です。そもそも東大や国公立医学部に行きたいならもっと効率の良い王道学習法があります

・ 与えられる宿題課題が精選されておらず量ばかり膨大で、生徒たちは悪い意味で「慣れて」しまって解答を写したり、アプリ数学問題を解いたりしています。また、提出した課題教師側のチェックがザルです。正誤や意味理解無視してとにかくこなす、埋める、という悪習が身に付いてしまます

教師にはトップ校のリタイヤ教員もいるにはいますが、モチベーションが低いのか、微妙です。先生方は朝の駅から誘導(ガードマンがわりに使われています)や、膨大な補習授業で疲弊しており、本務のはずの授業の創意工夫の質やパフォーマンスは高いものではありません。また、教師間のいじめに似たことも生じているようです。

定期試験模試クラス平均が芳しくない場合クラス連帯責任としてクラス全体に非常に厳しい言葉指導がかけられます。これは本当によくないことで、平均を超えている子供たちのやる気をそぎ落とします。なお、中学での成績が悪いと高校進学時に「野球の強いグループ校」への転出を強く薦められるとのことですが実態不明です。

アルファベット3文字略称の、夜遅くまでやる校内の予備校的なシステムがありますが、質は高くなく、受講はお勧めできません。せめて良質な教育を、と中高一貫校向けの都内の塾まで通おうにも開始時間に間に合わないのが実情で、大宮あたりのマスプロ系の大学受験予備校に通うのがせいぜいです。それでも根性都内の塾に通っている子もいますが。

ちなみに、見切って高校から転出する際もバトルしなくてはいけないのが実情です(内申も期待できません)。それでも敢えて出る方が少なくないのは他の中高一貫校とは一線を画すのではないでしょうか。東大クラス以外はあっさり放流されるという話も聞きましたが分かりません。

もちろん以上は実体験と伝聞とに基づいた完全な私見です。

ただ、たまたま私自身も中等教育に深く関わり、他校の最新の状況も知る立場であり、かつ縁があって同学年・他学年の生徒さんや親御さんたちの話をたくさん聴取した実感からも、ある程度の方が同じように抱く感想では、とも思います。また、学校側はかなりかたくなで、インターエデュで学校側への改善提言スレッドを立てた方が、結局高校から外部に出た気持ち、今ならとてもよく分かります

私共まさかそれはないだろう、学校宣伝するような良い点もしっかりあるのでは、せっかく合格した学校なわけだし、と思って我が子を進学させたのですが実際に子供と共に実情を体験して、教材や指導内容、授業の実際を精査してきて非常に身に沁みました。

もしこちらに進学されるならば

通学時間がdoor-to-doorで1時間未満で(駅から重い重いリュックをしょって歩くと晴れた日でも15分はかかります)、かつ6年間受験勉強至上主義で質より量のスパルタ教育を好まれる親御さん、お子さんでしたら合うはずです。類似スタイル学校関西に一部ありますが、都内近辺ではこちらだけのスタイルと思います。それ以外であれば落ち着いた地域公立中学から高受する方が心身の発達には良いと感じます麻布蹴りでこちらに来た子がいる、と学校はおっしゃってましたがその子メンタルが本当に心配です。与える教育真逆真逆です。また、都内どころか神奈川千葉から通っている方もいらっしゃいますが、そこまですると長時間拘束されるこちらの学校では通学で1日が終わってしまます。もちろん各ご家庭の価値観によるとは思いますが。

なお、1時間未満、と書いたのは授業時間ルーズな傾向があり、例えばホームルームを終えた土曜の下校も13時過ぎということはざらで、14時ごろになることもあるためです。また、前出の「校内の予備校的なシステム」を利用するためにも遠すぎるのは厳しいです。学校から駅までで寄り道が禁止されているために、地元からみると単なる「駅と歩道の混雑の原因」扱いで、地元住民の方や商店から敵視されているのは生徒の皆さんがちょっとかわいそうです。

さて、皆さんが受験して中高一貫校に求めるものは何でしょう?埼玉の「滑り止めの星」にそれはありそうでしょうか?

追記

学校最寄り駅から教室まで」は20から25分だそうです。なお、今春から快速が最寄り駅に停まることをポジティブにとっているのは学校側だけで(宣伝材料になるからでしょうか)、生徒からすると電車が来る間隔が広がるのでかえって迷惑、だそうです。試験の点数を基軸に教師先導で東大クラスv.s.その他のクラス教師v.s.生徒、といちいち分断をあおる仕掛けが組み込まれているわりに、ほとんどの生徒は肩を寄せ合うモルカ―のように健気に頑張っていますが、中にはその仕掛けを真に受けてガチで見下す生徒が出てしまっているのは残念なことでした。極端な例ですが、卒業生による職業紹介の際にその卒業生が某旧帝出身と聞いて素で「ザコじゃん」と卒業生本人に言ってしまった子がいたそうです。毎朝唱和させられる内容(Wikipedia学校紹介ページ参照)には意味が無いようです。

2021-02-01

anond:20210201125425

初等教育/中等教育/高等教育

小学校教育/中学校教育/高校教育/大学教育

って並べるべきであって混同するのは誤解の原因になる・・と思ったけど

これだと高専やら短大やらどうすんのって言われるんかな

2021-01-07

anond:20210107020557

論理学哲学の一分野である日本の初等中等教育においては道徳倫理しかないため、論理学習得し鍛える機会は国語科にしかないのが現状

言語を駆使した論理学は数理論理学と相補して人間論理能力を向上させるスキルである

欧米人インテリと話す機会があるときには日本人には論理学の鍛錬が決定的に不足していると感じるのだ

好き嫌い表現し人を感動させるのも素敵なことだとは思うけど、文芸(=芸術)の守備範囲であろう(芸術を軽視していいとは全く思っていない、念のため)

論理学文芸とは切り離して訓練すべきと考える

文芸好きな国語教師の皆さんにとっては面白くないだろうけど

2020-12-07

anond:20201207104246

その地域の人が被害にあうかどうかは関係ない独立事象だろ

中等教育くらい受けとけ

2020-10-31

anond:20201031150439

子供を親から強制的に引き離して国家が育てた から 滅亡したわけではない。

滅亡した国の圧倒的大多数は通常の養育方法を採っているのである

初等中等教育段階からの寄宿学校であれば、欧米ではいくらでも例があるだろう。

2020-09-20

anond:20200920070907

人口爆発抑止の話しかしてないのに出生率低下の直接原因にしか読めないって短絡すぎでは..ちゃんと読めばいいのに

ただの煽りクズやん

マリでは、中等教育以上を受けた女性は平均3人

の子どもをもち、教育を受けてない女性は平均7人

の子どもがいるという統計がでています。また、中

教育を受けた女の子は、母乳によって子ども

HIV感染することや、妊娠中に処置を受けること

で、母子感染危険性が少なくなることを知り、結

HIVエイズ罹患率が減ることが分かっていま

す。ユネスコによると中等教育以上を受けた母親

ら生まれ子どもは、そうでない子どもに比べ、5

歳未満で亡くなる率が半分になるという報告がされ

ていますブルキナファソでは保健センター出産

をする割合がおよそ2倍高くなりました。サハラ

南のアフリカでは、もし母親中等教育を受けてい

たら、2008年には180万人の子もの命を助ける

ことができただろうと言われています。このように

サハラ以南のアフリカにおける女子教育の促進に全

力を尽くすことがいか重要であるかが分かります

2020-08-29

anond:20200827182934

数学記述としては座標系を入れないのは不自然というのは同意するよ

一旦入れた後で取り払って公理系を作ったりしないといけないのだろうし

ただ、数学自然記述人間原始的な形への理解の形と近いか、というのは、人によるだろうが大半の人にとってはNOだと思ってるし、中等教育数学の単元は数や図形を扱う方法を学ぶ演習(名前変わってるけど算数の延長)、ぐらいの意味合いだと思うので学問としての数学からみた自然記述である必要がないと思う

積木や製図用具を目で見て触って得られた経験則をひとまず整理してみた、という出発点で教育を始めるのなら、

脳内にあるモデルとの差異が少ないから受け入れもしやすいでしょ。それが直感的という意味

中等教育までぐらいは、経験則拡張して肉づけしていくのが目標の一つだと思う。それが学問など必要のない人たちの底上げにつながる

三角形内角の和は180度、確かに外角内角の和は180度というのは明らかに見えるからそうだな、という確度のレベル拡張してやればいい

高等教育では、学問をやらなきゃいけないので経験則を要素還元してなるべく経験則でない形にして、仮定を減らしていくのが目的となるだろう

そもそも内角外角の前になんとなく受け入れてた直線とはどういう対象なのか、とかを調べていくのだろう

2020-08-15

anond:20200815171511

文部科学省がチェックしてる中等教育歴史教科書がいいってどっかで聞いた

真偽は不明

まあ何事もいろんな資料を見ることではないかな、教科書読むならいろんなのをね

2020-07-03

生理に詳しい男って存在するの?

よく男は生理に対して無知無理解って言われるけど、詳しい男っているの?

クソオスがとかいう前に聞いて欲しいんだけどさ。

職業観ジェンダーギャップみたいなのと違って男が当事者になる確率って限りなくゼロじゃん?

彼女奥さんのようなパートナーいる人は別かもしれないけどさ。

初等教育中等教育で習ったろって言うかもしれないけど、記憶にないんだよね。

男女別でやってたのがあれかな?程度。

教科書にもあったかもしれないけど、使わない知識って忘れるじゃん。中学英語レベル文法が分からない人って日常生活英語を話す機会が無いから身につかないんだよね?

もしくはド田舎で生まれ育ったか教育水準が低かったからかな。私立でもないのに学べる内容に差があるとしたら驚きだね。

みんなちゃんと学んで無知無理解なら教育問題もあるんじゃないの?

あとこれ完全に主観なんだけど、生理話題って男が踏み入れちゃいけない領域ってイメージがずっとある

知ろうと思って手を出すことに抵抗が凄いある。

無知からそう思うのかな、彼女奥さんがいるモテる男だったら違うのかな。

分かんねえ。

2020-06-09

掛け算の順番指導元凶たる小学校学習指導要領(平成29年告示)解説

あの愚かしい「掛け算の順番」論を小学校2年生で教えるように文部科学省からの「解説」が出たのは,平成29年7月のことであった。学習指導要領平成28年12月の中央教育審議会答申を踏まえて平成29年3月31日に改訂され,文部省による「解説」が平成29年7月に公開されたのである

https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2019/03/18/1387017_004.pdf

「掛け算の順番」は,中央教育審議会答申で加わったものなのか,それとも「解説」で加わったものなのか。後者である

中央教育審議会や,その初等中等教育分科会さらにその中の教育課程部会小学校部会教育課程部会算数数学ワーキンググループ議事録は,国立国会図書館が保存している。

中央教育審議会https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11293659/www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/index.htm

初等中等教育分科会https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11293659/www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/index.htm

議事録をそれぞれ開いて検索しても,「乗法」「かける数」の順番についての言及は無い。

ところが,学習指導要領の「解説」113頁以下で突如として,「被乗数と乗数の順序が…本質的役割果たしている」などという言葉が出てくるのである

 

もっとも,この「解説」が,中央教育審議会での検討結果を適切に踏まえて作成された可能性もある。

したがって,掛け算の順番を指導すべきか否かについて,確認すべき点が2点ある。

第一に,中央教育審議会教育課程部会算数数学ワーキンググループ委員ら( https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11293659/www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/meibo/1370594.htm )は,掛け算の順番を指導することを意図していたか。第二に,「解説」113頁以下の執筆過程である

 

もっとも,「解説」が中央教育審議会真意を反映していないと推認させる事情がある。「解説対象としているはずの表現が,指導要領の文言と異なっているのだ。以下は「解説」113頁以下の抜粋である(二重引用は,解説中で引用されている指導要領である。)。

A(3)乗法

(3)乗法に関わる数学活動を通して,次の事項を身に付けることができるよう指導する。

 ア 次のような知識及び技能を身に付けること。

  (ア) 乗法意味について理解し,それが用いられる場合について知ること。

  (イ) 乗法が用いられる場面を式に表したり,式を読み取ったりすること。

  (ウ) 乗法に関して成り立つ簡単性質について理解すること。

  (エ) 乗法九九について知り,1位数と1位数との乗法計算が確実にできること。

  (オ) 簡単場合について,2位数と1位数との乗法計算の仕方を知ること。

 イ 次のような思考力,判断力表現力等を身に付けること。

  (ア) 数量の関係に着目し,計算意味計算の仕方を考えたり計算に関して成り立つ性質を見いだしたりするとともに,その性質活用して,計算を工夫したり計算の確かめをしたりすること。

  (イ) 数量の関係に着目し,計算日常生活に生かすこと。

用語記号〕 ×

(内容の取扱い)

(4) 内容の「A数と計算」の(3)のアの(ウ)については,主に乗数が1ずつ増えるときの積の増え方や交換法則を取り扱うものとする。

 第1学年では,加法意味について理解することや,その計算の仕方を考えることを指導してきた。また,第2学年では,数のまとまりに着目し,数を2ずつ,5 ずつなどの同じ大きさの集まりにまとめて数えることを指導してきている。

 第2学年では,乗法が用いられる実際の場面を通して,乗法意味について理解できるようにする。また,この意味に基づいて乗法九九を構成したり,その過程乗法九九について成り立つ性質に着目したりするなどして,乗法九九を身に付け,1位数と1位数との乗法計算が確実にできるようにするとともに,計算生活学習活用する態度を養うことをねらいとしている。

 なお,ここでの学習の内容は,第3学年の多数桁の乗法や除法の学習の素地となるものである

ア 知識及び技能

 (ア) 乗法が用いられる場合とその意味

 乗法は,一つ分の大きさが決まっているときに,その幾つ分かに当たる大きさを求める場合に用いられる。

 例えば,「1皿に5個ずつ入ったみかんの4皿分の個数」を求めることについて式で表現することを考える。

「5個のまとまり」の4皿分を加法表現する場合,5+5+5+5と表現することができる。また,各々の皿から1個ずつ数えると,1回の操作で4個数えるこ とができ,全てのみかんを数えるために5回の操作必要であることから,4+4 +4+4+4という表現可能ではある。しかし,5個のまとまりをそのまま書き 表す方が自然である。そこで,「1皿に5個ずつ入ったみかんの4皿分の個数」を 乗法を用いて表そうとして,一つ分の大きさである5を先に書く場合5× 4と表 す。このように乗法は,同じ数を何回も加える加法,すなわち累加の簡潔な表現と も捉えることができる。言い換えると,(一つ分の大きさ)×(幾つ分)=(幾つ 分かに当たる大きさ)と捉えることができる。

 また乗法は,幾つ分といったことを何倍とみて,一つ分の大きさの何倍かに当たる大きさを求めることであるという意味も,併せて指導する。このときも,一つ分 に当たる大きさを先に,倍を表す数を後に表す場合,「2mのテープの3倍の長さ」 であれば2× 3と表す。

 なお,海外在住経験の長い児童などへの指導に当たっては,「4×100 mリレー」 のように,表す順序を日本と逆にする言語圏があることに留意する。

 ここで述べた被乗数と乗数の順序は,「一つ分の大きさの幾つ分かに当たる大き さを求める」という日常生活などの問題の場面を式で表現する場合に大切にすべきことである。一方,乗法計算の結果を求める場合には,交換法則必要に応じて活用し,被乗数と乗数を逆にして計算してもよい。

 乗法による表現は,単に表現として簡潔性があるばかりでなく,我が国で古くか ら伝統的に受け継がれている乗法九九の唱え方を記憶することによって,その結果 を容易に求めることができるという特徴がある。

「(ア) 乗法が用いられる場合とその意味」という見出しが付されていることから,「解説」を執筆した文部科学省初等中等教育局長髙橋道和およびその部下たちは,学習指導要領における「乗法意味について理解し,それが用いられる場合について知ること」を「乗法が用いられる場合とその意味」と読み替えた上で,後者について解説してることが分かる。

そして文科省初等中等部教育局は,「用いられる場合」のあり方について縷々説明をする。「その意味」が「乗法意味」ではなく「乗法が用いられる場合意味」を指すように,意味が変更されたことの現れである。順序が本質的役割を果たすとして交換を拒む彼らが,表現の順序を交換しているのは皮肉であるが,そこでは交換法則が成立していない。

学習指導要領は,「乗法意味」には「理解」を求め,「それが用いられる場合」は「知ること」を求めている。後者は知るだけで良いのであって,深い分析の如きは求められていない。そこには,文科省官僚が言うような「被乗数と乗数の順序に関する約束必要であることやそのよさを児童理解することが重要である」というような視点はなかったのである

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