「中立的」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 中立的とは

2023-01-24

春闘に関するNHK報道がひどい

春闘に関するNHK報道を見ていたら、いつもながらひどかった。


まず労働者組合側の主張を取り上げ、次に経営者使用者側の言い分を紹介し、それを第三者的研究者ジャーナリスト解説する、というのが高校生でも思いつく普通番組構成


ところがNHKは、最初から最後まで、「自分会社では効率的経営賃上げを実現している」という、経営者の言い分というか自慢話を垂れ流しっぱなし。出てくる解説者も、民間企業シンクタンクの人で、基本的には企業の利害を代弁するのが役割の人であり、中立的第三者とはいえない。


とにかく、労働側の人の声が全く出てこないことでは徹底している。現実の力関係を考えれば、労働組合側に偏ったぐらいの番組構成バランスがとれているはずだが、労働側の当事者研究者は誰も出てこない。

しかしこれでもNHKはまだましなほうで、企業広告プラットフォーム化している民放もっとひどい。

賃金が停滞している理由が何かって、「日本賃金は高すぎて国際競争に勝てない」と散々喚いていた経営者経済界労働組合既得権益権化であるかのように叩いてきたマスコミがまず反省しろ

2023-01-14

草津町長、台湾はいまだにレイプしたことになっている

記事検索してみました

厭女之湯爭議 指控町長性侵 日本議員反遭92%選民罷免

https://newtalk.tw/news/view/2020-12-10/506714

日本草津町唯一女議員自爆遭性侵 竟被議會除名公投罷免

https://www.mirrormedia.mg/story/20201209web005/

https://youtube.com/watch?v=5XTQZiAvE7Y&feature=shares

動画もある(ちょっとだけど)

報道が2020年12月10日で止まっているので更新されていない。

一つだけ見てみる。かなり長いしまとまっている。日本語のソースもある。

石川カオリというのは日本語のペンネームで、本名はチャン・ユーチェ

フェミニストがやったことは極めて罪が大きい。

朝日新聞毎日新聞世界中ブログに対して自分たち記事は間違っていたことを言わなければずっとこのように嘘がまかりとおってしまう。

「再也不去草津溫泉」,從町長涉嫌性侵・性騷擾女議員而起的厭女風波

「再也不去草津溫泉」,從町長涉嫌性侵・性騷擾女議員而起的厭女風波

張郁婕(CHANG, Yu-Chieh)

發佈於石川カオリ日本時事まとめ翻譯。

2020/12/07

閱讀時間約 6 分鐘

草津溫泉聞名的群馬草津町,昨日(6)地方町議罷免公投結果出爐,草津町有史以來第一位女性議員確定遭罷免

隨著這場已經為期一年地方議員攻防戰又再一次劃下一個逗點,草津溫泉曝光率大增。有不少網友表示再也不想去草津溫泉觀光,表明再也不去草津溫泉的hashtag #草津温泉には行かない 在 7號上午一度衝上日本推特流行趨勢,更有媒體形容現在草津溫泉根本就是「厭女之湯」。

到底草津溫泉這一年來發生了什麼事?

photo by 浩之 梶 via Pixabay

草津町議會史上第一位議員

2011年出身群馬桐生市新井祥子當選草津町議會的議員新井祥子是草津町議會有史以來首位女性議員,更連任過一次。

去年(2019)11月新井祥出版電子書籍,並在書中表示是自己曾在町長室裡和町長黑岩信忠發生性關係。新井祥子在 11月29日的記者會上表示,自己2015年1月8日前往町長室時遭到町長強暴。新井祥子說,今天她之所以會把這件事情寫在電子書裡,是因為草津町警察和媒體都在町長的掌握之下,所以她才選擇用這種方式將這件事情公諸於世,並強調自己所寫的內容都是真的,之後在法庭上一定能證明這些內容都真的。

這裡所說的法庭,指的是黑岩信忠町長新井祥子損害名譽的民事訴訟,目前訴訟還在進行中。

不信任案提案失敗,提案議員遭懲處

就在新井祥子召開記者會後過了幾天,新井祥子和另一名草町議中澤康治在 12月2日向黑岩信忠町長提出不信任案。但該不信任案只有提案的 2人贊成,其餘 9名議員都反對,該不信任案遭到否決。同一天,草津町議會以「傷害到議會的品格」為由,在只有 12人的草津町議會以超過 4分之3門檻的 10同意票,在 12月2日將新井祥子從議會中除名。至於和新井祥子一起向町長提出不信任案的中澤康治,則在 12月6日的町議會上遭到「陳謝處分」——中澤康治被迫要在議會上為自己說了「不符合事實」的發言道歉。

對於除名處份不服的新井祥子,向群馬知事山本一太申請審查。群馬縣先在 1210日做出假處分,要求草津町群馬縣審查結果出爐之前,必須要立刻恢復新井祥子的席次,否則會侵害新井祥子支持者的參政權。群馬縣接著在今年 8月群馬正式取消新井祥子的除名處分,讓新井祥恢復草津町議員身份。

政府才剛取消處份,町議會就發起連署

然而,這起事件並沒有因此結束。在群馬縣取消新井祥子的除名處分後,草津町議會議長黑岩卓連同其他町議員立刻組成要求新井祥子解職之會」,表明草津町議員不能接受群馬縣取消了新井祥子除名處分的決定,要求草津町民們一起來罷免新井祥子。罷免理由是,不能接受新井祥子在議會上說自己町長町長室發生肉體關係,這已經重創草津溫泉的品牌形象,不應該再繼續支付新井祥議員薪資。

這起罷免案在今年 9月初達到罷免門檻,以草津町議會議長黑岩卓為首的罷免案獲得超過選舉人名簿 3分之1以上的 3,180人連署。將在 12月6日正式舉行罷免公投。

罷免公投通過,新井祥子即刻遭解職

罷免投開票結果, 2,542票贊成、208票反對,贊成票超過有效票半數以上,新井祥子即刻遭解職。投票率 53.66%(投票權人共 5,283人)。

值得注意的是,罷免案的連署共有 3,317人連署(有效連署書只有 3,180份),但實際出來投票的人只有 2,750人。也就是說,有不少民眾有連署罷免,但卻沒有真的出來投票。這次罷免案的投票率雖然有 53.66%,但相較於去年 4月草津町議員選舉的投票率高達 69.49%,這次的投票率不算高。

根據草津町選舉管理委員會,12席的町議會在 11月26日時有一名議員過世,再加上這次新井祥子遭罷免,目前草津町議會只有 10議員缺 2席。如果又少 1席次的話,才會舉辦町議補選

訴諸情感缺乏理性判斷的罷免

面對這次的罷免案結果,新井祥子表示這樣由町議員主導的罷免公投是否真的反映民意感到質疑,不排除申請異議。新井祥子也提到,她認為像町長町議會這樣以自己地方勢力要求町民配合的公投案,才是重創草津町草津溫泉品牌的因素。

擅長地方自治論的高崎經濟大學岩崎忠也質疑,這次針對新井祥子的罷免案是以「品格」、「倫理」為訴求,認為新井祥子沒有續任町議員的「品格」。但有沒有符合町議員的「品格」這種事情很難用「贊成」和「反對」來判斷,到頭來這樣的公投只會陷入情感論,感情用事,而非理性的投票

男性為首的「村社會」

網路媒體《HARBOR BUSINESS》就指出,這次罷免案最大的問題在於,新井祥子和町長黑岩信忠的性侵案還在調查與訴訟進行階段,在這種情況下,由議會長主導公投罷免案,現在新井祥罷免掉了,萬一之後訴訟結果,真的認定町長黑岩信忠性侵新井祥子,該怎麼辦?

再者,地方公投這種事情是訴諸民意沒有錯,但官方應該要確保中立的立場,才能將民眾可以公正客觀的判斷。但這次的情況是,町議會在草津町大公空間都貼滿了「罷免新井議員!」的海報,相當於讓所有來到草津溫泉觀光的民眾,來到草津溫泉第一眼看到的不是「歡迎光臨草津溫泉」而是「恢復草津溫泉的驕傲與信賴,罷免新井議員!」,在公共空間只能看到官方強制推行的單一立場,沒有辦法看到另一派聲音,這樣就已經失去了公投的公平性

此外,面對新井祥子這樣說出自己被性侵經驗的受害者,町議會沒有保護當事人就算了,還這樣大大方方地在草津溫泉的公共空間裡貼滿了「罷免新井議員!」的海報,根本就是在和社會大眾說草津溫泉就是個「厭女之湯」。《HARBOR BUSINESS》總結到,這次一連串的事件就是以町為單位的霸凌事件,也讓大家再次看到鄉下地方封閉的「村社會」壓力與以男性為首的厭女風氣。

參考資料

1.草津町議の解職問う住民投票「賛成」過半数占め議員失職

2.群馬草津町議のリコール成立、即日失職 言動巡り「議会品位」問われ

3.失職町議告白真実裁判で明らかに政治活動継続

4.群馬草津町リコール住民投票感情論に陥る恐れ」高崎経済大・岩崎教授

5.「セクハラ告発町議解職請求へ 除名処分取り消しで

6.「セクハラ」訴えの前草津町議、県が除名処分を一時停止

7.「町長性的関係強要告白女性町議を除名処分 草津町議会議会信用失墜させた」

8.群馬草津町の「町議リコール住民投票はらむ、性被害事実以前の大きな問題

1.はNHK記事(削除済み)

あとは毎日新聞朝日新聞

2023-01-09

コラボ報道問題

何で報道されないのかって、コラボ側も暇空側も「味方じゃない奴は敵」という思考回路から中立的報道をしたら敵認定されて直接攻撃ファンネル攻撃をされそうだもんねえ。

2023-01-08

Colaboメモ

https://news.yahoo.co.jp/articles/d66b00016d4144c950b3f571189f59ccd7b59e78

山本一郎氏がいわんとすることはよくわかる。

それに対して、コメントに、

この記事記者さんはできるだけ中立的に書かれているとはいえ

藤氏と面識があられからか、やや同情的な部分が感じられます

などとあるのは、Colabo問題に対して、どれだけ党派的な感覚しか見られない人が多いか物語っている。

国際的視点でみると、日本NPONGO国内事業海外事業わず官の委託事業にぶら下がっていることが多い。

これは海外活動するNGOを含め、寄付金などの財源確保にかなりハンデを負っていることを示している。

そして、日本NGONPO一般的会計能力が弱いというのも共通する傾向。

もうひとつ利益を追求する会社と大きく異なる特質として、ステークホルダーに対する説明責任に対する感覚が弱い。

藤代表の言動象徴されるように、組織の信頼が損なわれる組織イメージの確保について、割と無頓着であることも、Colaboに限らず共通している。

代表カリスマ依存してしまい、組織人として組織を背負って発言されていないのを誰もコントロールできないという、仕組みの弱さ。

しかし、日本NPO資金源が盤石な海外NGOなどと違って、行政委託事業にぶら下がっているというのは、不利な点にみえて、意外とバランスのよい仕組みなのではとも思う。

日本行政監督しうるだけまだマシということ。そう思うくらい、海外NGOプロパガンダ広告というのはひどい。

寄付金をより多くゲットするために、現地の悲惨な状況をさらに誇張してキャンペーンを張り、抑圧する現地政府を大悪人のように仕立て上げる。

2023-01-02

「暇空を消しても代わりはいもの

最初に断っておくとこれはどちらの陣営揶揄批判擁護するものではありません。


例の団体に限らず左派裁判やら記者会見やらネット工作(笑)やらでブルージャパンしてキャンセルカルチャー批判対象に対して行っていた。

実際にそれは有効で、近年でも左派フェミ界隈に対し批判的な言説を行っていた人物がお手紙でその地位から引きずり降ろされ

社会的地位収入を奪われ弱者男性へと転落していった事は記憶に新しい。

実際に必殺・キャンセルカルチャーを繰り出す前にも、お得意のネトウヨ差別者レッテル貼り連呼

批判者を「こいつは社会正義に反しているからこいつの言動には価値が無い」という流れに持っていき、黙らせていた例は枚挙に暇がない。

もちろん一企業などの「そもそも反撃出来ない、し辛い」対象を選んで攻撃、悪く言えば殴りやす相手を選んで殴っていたのが、今までの左派リベラルのやり方だ。

勿論批判である左派は「正義の人」なので、キャンセルカルチャーに対する批判アンチの悪質な嫌がらせとして一蹴していた。


そのやり方を多方面にし続け、ヘイトと恨みを青田買いした結果の先に、暇空という「キャンセルされる社会的地位名誉も無いが資金力(戦闘力)がある」

本来であれば左派にいそうな無敵の人(社会的に)を産んでしまった。

彼は元より左派自称している「正義の人、存在」でも無いので、彼をいくら悪魔化した所であまり効果が無く、逆に批判する言動の汚さが中立的立場から嫌厭される始末だ。

(恐らく氏の発信力が失墜するには、ここでは書けないレベルの「痛い腹」や所謂下のスキャンダルが無いといけないが、今の所は見えて来ていない)

目的はともかく手段は正しい彼の手法は、言ってしまえば今まで左派リベラルがやっていた「合法的嫌がらせ」をパターナリズムして模倣している様にも思える。

虚実ないまぜの問題をぶちあげ世間アジテーターしていく様は、一昔前の「ヘイトスピーチへのカウンター活動を見ているかの様だった。


しかし暇空は左派リベラル的には「男でオタク」という倒すべき悪であり、世間からも同情されにくい属性を持っている。

対する左派リベラルは「女性」を押し出し女性弱者性を盾にして少々の批判矛盾をさばいてきた。

「これは女性差別です!」というヤツだ。実質社会強者である女性が使える最強の盾である

恐らくColabo側には女性の盾がある限り、世間からの同情も買いやすく完全勝利とは到底いかないだろう。


だがしかし左派批判的な者が左派手法模倣して暇空という無敵の人排出した様に、今後はアンチ左派フェミ界隈に対するカウンターとしての存在が生まれる日も遠くないであろう。

即ち、左派フェミニズム言論否定的で、キャンセルされる社会立場も無く、拡散力が高く自前で資金調達出来る能力のある「若い女性」である

(個人的にはV界隈に候補者がいるのでは無いかと思う、何故なら彼女らの収入社会的地位所謂オタク文化の興亡と直結するからだ)

勿論彼女らのバックには「男」がいるのだが、女性を全面に押し出し最強の女性の盾を使うというのは左派常套手段である

左派アンチ馬鹿では無いので、この手法模倣する日は遠くない。


「無敵の若い女性」が左派界隈に牙を剥いた時、世間はどう反応するか見ものである

2022-12-11

anond:20221211083641

フェミニズムには女子教育の遅れを補うエンパワ方便として怒りや感情論を「男のする理論」と並ぶ対極に置く発想が根っこにあるんだけど、それが現代の性中立的社会では悪意としか捉えられない側面が出てる気がする

大学生女子を捕まえて論者として立てると、学歴とか議論の訓練不足が出て「やっぱり女はバカ」とか「現実バカから無理じゃん」って話になっちゃうんで、それを回避するために「女のカンは男社会論理では捉えきれないパワーがある」みたいなことを言って刷り込んで活動家に仕立て、「多少甘くても認めてやらないと女性地位向上が進まない」って言い訳するんだよね。ところが時代が下ってまともに教育を受けてスキルを上げた「  人  」が当たり前に増えてくるとこの方便イマイチ通じなくなって、現代では「スーツを着たシス女性ジェンダーだと何の特権があるって????」って最早困惑しかないっていうかさ

大元増田はまだこの方便寄りなんだけど、結局はこのお気持ち優先理論って女性の(注: マイノリティ障害者などは含まない。アッパードル以上で自分の選んだジェンダーアイデンティティを持っているアルファ女性」に限る)の地位向上の役には立ったということにしても、現在進行形社会問題には…

2022-12-02

暇空茜さんの目的と、Colabo訴訟は悪手であるという話

暇空茜さんを社団法人Colaboが訴えた件についての分析です。なるべく中立的立場での分析になるよう心がけています個別事柄について良いとか悪いとかい価値判断を下すものではないことにご注意ください。そうではなく、良し悪しはともかく私には現状こう見える、この先こうなっていくだろうという予想です。

目次

暇空茜さんの目的

暇空さんの目的はこういうことだと思います

"コンテンツ炎上" に対する抑止力になること

これでは何のことやら分かりませんね。もう少しくわしく見ていきます

コンテンツ炎上について

キズナアイNHK(2018)、宇崎ちゃん献血ポスター(2019)、温泉むすめ(2021)、たわわ広告(2022)など、コンテンツの内容が公共の場にふさわしくないなどの批判きっかけに炎上する現象のことを、この文章ではコンテンツ炎上と呼ぶことにします。これは一般的用語ではなく、本文章内での独自定義です。これらの例については萌え絵批判のような用語があるようですが、この文章では萌え絵限定しないためにあえて別の語を当てます

というのも、暇空さんは萌え絵にそのものに格別の思い入れがあるわけではないと推測されるためです。彼の漫画評などからすると彼が特に好むのは「天才的な能力の持ち主が天才ならではの苦悩と対峙しながら、その能力を発揮していく」といったモチーフです。おそらく彼がコンテンツ炎上を抑止しようと考えているのは、才能あるコンテンツクリエイターの足を引っ張り、結果良質なコンテンツが減ることへの反発だと思います。つまり対象萌え絵であるかどうかは二の次で、コンテンツが良質かどうか/クリエイターが有能であるかどうかが暇空さんにとっての判断基準であるということです。

コンテンツ炎上は他のネット炎上同様に、些細なきっかからまります拡散してく過程で、何千何万という人々から作者本人への批判スポンサーなど関係者への抗議などが起きます一般批判玉石混交で真っ当な批判からインネンレベルのものまで様々ですし、多数が各自言いたいことを言い放つの論点も定まらず的確な反論を行うのは困難な上、反論すること自体が燃料となって多くの場合逆効果です。1ヶ月程度燃料が投下されなくなると自然に沈静化します。基本的対処法はなく、最低限の発表だけして沈黙を貫き沈静化を待つのが多くの場合最適解です。

暇空さんがやろうとしていること

暇空さんは以前「畑を荒らすカラス撃退するにはカラス死体を吊るすとよい」というような趣旨Tweetをしていますコンテンツ炎上を仕掛けた者へみせしめの炎上を仕掛けて、意趣返しを行うことによりコンテンツ炎上を抑止しようと考えているものと思います。Colaboの会計やらに目をつけたのは、単に温泉むすめ炎上発端になった仁藤さんを炎上させるのに都合のよい隙があったというだけで、女性蔑視がどうのという動機ではないと思います。そうではなくてコンテンツ炎上きっかけとなった人物の心を折るのが暇空さんの短期的な目標です。大義名分はよく燃えるのであれば何でもいい。そこにイデオロギー性はさほどありません。

最終的には「うかつにコンテンツ炎上させるとまずい。暇空さんに粘着されて痛い腹を探られる」といった風評/空気/認知を作り出すのがゴールです。暇空さん自身抑止力となるつもりなのでしょう。そのために今は暇空さんに注目を集め、敵対者の心を徹底的にへし折るさまを見せつけようとしているフェーズです。

Colabo側の目的

Colabo側の目的は一旦こういったことかなと思います

できれば従来どおりのどんぶり勘定運営女性支援事業等を続けていくこと

それが無理ならなるべくダメージコントロールすること

訴訟に勝っても負けても達成できない

暇空さんの目的/戦術が上に述べたことで正しいならば、残念ながらたとえ訴訟に勝ってもColabo側の目的は達成できません。

生活保護タコ部屋発言を争点にしてColabo側が仮に勝訴したとしても得られるのは賠償金、該当記事削除、謝罪だけです。暇空さんは裁判の経過を公表し続けて話題提供し続けますし、訴訟争点以外の会計に関する話題や都の監査関連でも燃料を投下しつづけるでしょう。また暇空さんがColabo側の発言名誉毀損として訴えることもありえます

自然発生的な炎上場合話題がなくなって沈静化するのを待つことができますが、本件はそれもできません。暇空さんは意図的炎上を起こしているからです。上記の私の仮説が正しければ暇空さんは天才的な嗅覚を使って燃えそうなネタを探し、定期的に供給し続けて炎上させ続けます。前述のように炎上への対処法は基本的になくて沈静化を待つしかないのですが、それもできないならばダメージコントロールするすべがありません。

そもそも暇空さんは訴訟をずっと誘い受けしていました。訴訟が起きればその内容を実況することにより炎上継続できます訴訟したこと自体Colabo側の戦略的ミスです。仮に裁判の結果Colabo側に不利な事柄裁判所によって1つでも事実認定されてしまったら「共産党と強いつながりのある」という二つ名の代わりに「司法によって○○の事実認定された」のような二つ名が使われるようになるでしょう。

どうすればよいか

ではColabo側はどうすればよいのか。私が思いつくのは2つありますしかし1つは他力本願で、もう1つはおそらく仁藤さんはそういうことをしないでしょう。

1つ目は暇空さんの敵失を待つこと。暇空さんがそれ以上炎上ネタ提供できなくなれば沈静化待ちで逃げ切ることができるかもしれません。

もう1つは全面降伏して温泉むすめ炎上謝罪すること。実は暇空さんとして出されたら最も嫌な手はこれだと思います。彼は彼が自分に課しているルールを逸脱することはないと思われるので、これをされたらそこで手を引かざるをえないからです。まあ、多分これは選択したくないからという理由選択されないと思いますが。

2022-11-26

anond:20221125215047

結局その「政治的」か否かを判断するのは誰なんだって話なんじゃないかね。

「何事も政治と無縁ではない」は政治厨の偉そうなお題目だがことFIFA関係では一蹴できるものでもないと思うわ。

正直なところ今のタイミングの「スポーツ政治を持ち込むな」は「FIFAが許さな政治的パフォーマンスダメだ」にしかならんのよ。

2020年アフリカ系アメリカ人のフロイド警察に殺された事件に対してドイツブンデスリーガで抗議パフォーマンスが行われた時、

インファンティー会長(現職)が何て言ったか覚えてるか?

FIFA President Gianni Infantino adds: "For the avoidance of doubt, in a FIFA competition the recent demonstrations of players in Bundesliga matches would deserve an applause and not a punishment.

(訳)FIFA会長のジャンニ・インファンティーノはこう付け加えた。「疑義を避けるために言えば、FIFA大会においては、ブンデスリーガ試合での選手による最近デモンストレーションは罰ではなく賞賛に値するでしょう」

Stop racism. Stop violence. FIFA

全文を見るとこの直前に競技規則適用競技主催者に委ねられていると言った上でこう付け加えているので、つまるところ規則罰則を与えないようにとFIFAが直々に示唆したわけね。

それでこれは「政治的」ではないんですかね?この会長賞賛(applause)に値するとか言っちゃってますけど。

FIFAはSTATUESで人権尊重(第3条)を掲げ、あらゆる種類の差別は固く禁じられ(strictly prohibited)る(第4条1項)としている一方で、

FIFA目的に影響を与えるものを除い(matters affected by FIFA’s statutory objectives)て政治宗教には中立を維持する(第4条2項)としている(FIFA STATUES 2022)。

これ自体2020年時点でも存在しているのでフロイド事件の抗議についても政治的中立性を守らなければならないはずで、

適用除外に言う目的(statutory objectives)とは同第2条に制定されている目的が具体例だと思うが基本的にはサッカー関係運用についてでありこの件で関係あるとも思えない。

これをFIFAが「政治的/非政治的」または「許される/許されない政治性」だと判断できるというなら何と傲慢価値観だろう。




そもそもFIFAという組織公式サイトに"SOCIAL IMPACT"という項目を作って、そこで政治団体のように"Sustainability"(持続可能性)"Safeguarding and Child Protection"(児童保護)"Human Rights & Anti-Discrimination"(人権反差別)などと高邁な政治的理念を掲げている有様である

あくまサッカー競技運営必要からだと言うならそれ以外の「政治スポーツに持ち込むな」という理屈分からんでもない。

「加盟団体試合上の差別競技の発展という目的上許さない。しかしそれに関係ない差別には何も言わない」のならそれはそれで一貫してもいる。

しかFIFAときたら"SOCIAL IMPACT"などと言い出すのだからその理屈は罷り通らんってわけ。

会長は「西欧カタール道徳を説く前に3000年を反省しろ」と言うがよくもまあこんな状態FIFA人間がこんなことを言えるものだと感心したよね。

ロイド事件への抗議が許されるのはFIFA大会中に行っている反差別デーとかい政治的キャンペーンに合ってるからなんかね?

FIFAが掲げている政治的な綺麗ごとは正しくてFIFAに都合の悪い話は大会の場で排除されるべき「政治」なのか?

政治がそんなに嫌なら一々そんな高尚な政治的理念を掲げるなよ。なーにが"SAY NO TO RACISM""SHOW RACISM THE RED CARD"だよ。

それともこの明らかな西欧由来の「アタラシイカチカン」は非政治的で正しく中立的で普遍的価値観なんですか?そりゃポリコレ超えてんな。

普段リベラルダブスタ傲慢性を糾弾する人までもが、FIFA欺瞞無視して「FIFAも正しい」ってブコメ賛同してる様はあまりに滑稽だわ。

2022-11-19

チェンソーマン 漫画 第2部 雑感

雑感、 第2部は 「正義悪魔」が悪党側で2回交戦

戦争悪魔」が主人公側の役と分かれている。

一般には、「正義」が人類側で「戦争」が対立する悪役を演じるのが自然だが…正反対に。

意図してやっているのだとすれば第2部は次の傾向が期待できる。

ネガティヴ言葉 + 悪魔」 {戦争、死…}が人類の味方であり、

ポジティヴ言葉 + 悪魔」{正義…} がその敵…という逆転した形になりそう。

その場合、チェインソウは…木を伐採する道具の名称から中立的だと言える、

人類の味方もしないし、敵対もしない。

雑な予想だけど 3割くらい当たってくれ、たのむ!!

2022-11-18

anond:20221118180028

多数の言っていることは絶対的に正しく

少数派は常に間違っているという前提がないと言えないことを言っているような

 

まるで独裁国家臣民のようだが、その意見は本当に中立的普通なのか

 

anond:20221116161104

死の組とか死のグループって、そこにいる全チームにとって厳しい場合に使う言葉なんじゃないの?あるいは少なくとも、2チーム勝ち抜けなら上位3チームにとって厳しい場合

言い換えると、「グループE死の組」という表現はありえても、「日本にとって死の組」というような使い方はおかしいというか。おそらくドイツスペインといった対戦相手はもとより、関係ない国の中立的な観戦者で今回の日本が入ったグループE死の組だと評している人はほぼいないんじゃないかな。逆に、日韓大会でのグループFなんかはまさに死の組

2022-11-12

anond:20221111230745

中立的対応でよいと思う。

経緯はともかく、監査を受けてしまえば無実は明らかになると思っている。

2022-11-03

大学受験に出てくる文章ってかなリベラル寄りだよね

今年行われた河合塾全統マーク模試国語評論文。内容はロミオとジュリエットにおけるジュリエットセリフに、家父長制への疑問とそこからの脱却、はっきりとそう書かれていたわけではないが、ジュリエットが家父長制に反抗するということで、フェミニズムをも見出すというものだった。

なんか色々大丈夫なのか中立的文章にしたほうがいいんじゃと無駄心配してしまったわ

の子大阪大学志望で過去問の英作文を添削したが、言論の自由民主主義社会福祉を守らなければならない。みたいな、ネットだと共産党乙wとか言われそうな文章を英作文させててこれまたびっくりした。

まあ河合塾はイチ企業からいいとしても国立大学はこれでいいのかと思ったわね。学問の自由からいいのか。おっさんだけど老婆心

逆にゴリゴリ保守思想を英作させたり、英語国語の長文に出す大学ってあるのかな。

2022-10-27

中国共産党の人事

ネトウヨから中国やら韓国悪口を言ってる動画が好きでよく見てる。

その中で、証券会社チャンネル中国経済解説しているアナリスト動画もある。

証券会社経済解説から政治的には中立的で、ネトウヨの俺から見たらだいぶ中国の肩をもった解説に見えるんだけど、そんな人も今回の人事とか胡錦濤さんの強制退場ネガティブな感じで解説してたね。

よっぽどのことなんだろうね。

中国の人気がなくなると中国経済アナリスト仕事がなくなるから中国の影響力は大きいからこれからも動向に注目していきましょうって締め括ってたけど。

2022-10-15

中立」「客観批判論についてメモ

はてなブックマークTwitterなどで、「中立」「客観」と言った態度について批判的に論じるものをたびたび見かける。特に差別政治など、権力闘争の類で非対称性存在するときによく使われるイメージがある。それらについて私なりに論点を整理してまとめ、コメントしようと思う。これらの論に親和的な人も、逆に批判的な人も読んでほしい。

前段

まず、当たり前の話なのだが、何かを批判するときは通常複数論点から批判できる。

例えば、社会民主主義新自由主義立場からすれば「市場政府権力によってゆがめられ、効率的資源分配が出来ない上に政府権力が不健全に増大する」と批判できるし、共産主義立場からすれば「結局彼らは資本主義自由市場と言った搾取を『多少マシ』にしている程度であって、本質的解決には役に立っていない。どころか、革命に向かう人々を減らすという点で有害ですらある」と批判できる。

これを見て、もし社民主義者の人が「アンチ社民主義者は矛盾している。市場原理主義みたいなことを言いながら、資本主義否定している。彼らは矛盾している」と言うのがおかしいというのは分かるはずだ。あるいは、「新自由主義者は社民主義批判している。これは共産主義者と同じだ。よって新自由主義者は共産主義者なんだ」もおかしいとわかるだろう。

インターネットではそれぞれの発言発言主が結びつかず、なんとなく「自分の考えを非難する人」を全部同じカテゴリに放り込む処理をしてしまいがちだ。(なお、話をややこしくするのは本当に矛盾した意見を言うやつも一定存在することだ)

そんなわけで、いわゆる「中立」「客観批判者は皆「お気持ち」(ここでは、自分の快不快問題シームレス社会的問題につなげて、自分感情社会が従うべきだ的な発想を持っている人)の人たちだ、という雑な世界観を持っている人も多いが、ここで「中立」「客観批判理屈に触れて、「なるほど、こいつらはこういう理由でそういっているんだな。(自分賛同できないにしても)まあ理屈は分かるな」と思ってくれれば幸いである。

論点①「自分(あるいは自分が参考にしている幾人かの人間/幾つかの媒体などなど)こそが『中立』だと思い込んでしまうと、本来価値判断問題にすべきことも『中立』『客観』的な事実だと思い込んでしまい、異なる価値観を受け入れられなくなってしまう」

これは厳密には『中立』『客観』を否定していない。どころか、不徹底な『中立』『客観』を批判し、本物の『中立』『客観』を目指そうとする方向性も見受けられる。

実際問題はてなTwitterでは、『中立』『客観』(それからこれと似ている『是々非々』など)を「右」と「左」(あるいは任意対立する二大勢力)のどちらも全肯定/全否定しないことだと思っている感じがする人が複数見受けられる。まあ確かに、「右」のいう事を全肯定/全否定、とか、「左」のいう事を全肯定/全否定すると最初から決めてかかるのは紛れもなく党派的な姿勢であり、中立的でも客観的でもない。しかし、そもそも「右」がどうとか「左」がどうとか党派性を意識し、この二者のいう事には従わないぞ!みたいに決めてかかっているのは、全く同じではなかろうか。ようは、「中道」という第三の党派に過ぎない。そうではなく、中立客観というもの自分完璧に到達できないのだという事を自覚し、他人中立である客観であるかは究極的にはジャッジできない(もちろん明らかにこいつ主観的に過ぎるやろみたいな人はいるけど、そう思っている私の方がおかし可能性は否定できない)という事を踏まえなければ、「中立」「客観」という言葉は単なる党派性の御旗にしかならない。

これは実のところ、「正義暴走」論とよく似ている話だ。正義暴走非難する人は正義が嫌いなのではなく(まあそういう人もいるが)正義のために正義暴走は抑止した方がいいという話をしている。正義暴走とは、やっている本人たちが勝手正義と思っているだけで、実際には悪である、というロジックだ。同じように、「中立」「客観」の濫用非難する人が「中立」「客観」を否定していないのも当たり前の話だ。彼らが否定しているのは「中立」「客観」を装った「党派性」「主観」だからだ。(面白いのが、「正義暴走」論を持ち出す人の多くは「中立」「客観」の濫用問題を考えず、「中立」「客観」を批判する人は「正義暴走」論を持ち出されると不満を表出することが多い事である。両者はほぼ同じことを言っているのだが)

まあ、つまりこの批判は「お前は自分客観的と思ってるかもしれないけど本当は違う(かも)しれないぞ!」というものである個人に向けるとき喧嘩する気がなければ使わない方がいいとは思うが、一般論としては(特にわたしのような『中立』『客観』が大好きな人間ほど)よく頭に刻んでおいた方がいいと思う。

論点②「悪しき権力側とそれに追い詰められる少数の被害者、そして大多数の傍観者/加害者という構図がある。大多数の傍観者/加害者は少数の被害者実態についてよく知らない上に、被害者傍観者/加害者の無遠慮な発言に対して過敏な状態にある。そんな状態で彼らが彼らの持っている知識を総動員して(きちんと)『中立』『客観』的に論じてしまったら被害者が傷ついてしまうし、被害者が声を上げることが抑止されてしまう。他のことならばよく知らずに論じることは無益ではあってもさほど有害ではないが、差別構造についてマジョリティ側が無知であるにもかかわらず論じることは有害である。もしそれについて論じたいならば必ず加害者非難し、被害者非難につながるような事実を示すことは(ダメとまでは言わないけど)避けなければならない」

こちらは、『中立』『客観』的な態度を、ある一分野のみについてとはいえ明確に否定している(と私は思う)ので、論点①とは様子が違う。

まあ言っている事は正直分からなくもない。この手の人たちが良く比喩として使うように、「足で踏んでいる人と踏まれている人」の間で『中立』『客観』的な議論を成立させろ、というのは無茶である差別されている人と、その差別をたとえ直接はしてはいなくても差別によって得られる利益を(その自覚なしに)享受している人の関係は、「足で踏んでいる人と踏まれている人」のそれよりはるかに複雑で見えづらいものがあるが、似たような関係であるという事は、その是非は別として、可能ではあると思う。なので、倫理的個人差別問題について論じるときはその辺に気を付けて論じてもよい、論じた方が好ましいくらいのことは私も思う。

しかし、この考えを強い規範として言論空間に導入することに対しては私は警戒心を抱く。

「誰が加害者か」「誰が被害者か」「どこからどこまでが『差別問題』か」「どんな事実を適示すればそれが『被害者非難をあおっている』と言えるか」

これらをみんなが納得いくように定めるのは非常に難しい。間違った基準を定めてしまえば、例えば本来被害者である人たちを「加害者」として力づくで非難する事や、本来加害者である人たちの罪悪を「被害者」として覆い隠すこともありうる。「被害者」「加害者」の推定が正しかろうと、「被害者非難をあおっていると言える事実」と認定されたものがもし違えば、その事実公論上での扱いが不当に小さくなりかねない。差別発言自体言論の自由で守る価値はまったくないのだが、論点②の批判が拡大すると差別発言以外も巻き添えになるリスクがとんでもなく大きくなりそうであるそもそも一国の言論空間なんて政治勢力も右から左からワラワラ湧いてくる場所なんだから、うかつに基準を厳しくしたら、その基準が「万人」でも「マイノリティ」でもなく「特定政治権力」の都合の良いようになってしま可能性もある。一方で、剥き出しの、それこそ差別主義者やデマもなんでもござれの「言論の自由」が良いとも思えないし、「中立」を装って攻撃を誘発する人たちを何とかしたいという気持ちはあるので複雑なところである

(ちなみに、個人としてこの観点から批判すること自体はどんどんやったらいい。問題なのはこの考えが強い規範になることである

論点③「『中立』『客観』的な論は不快だ。私の不快になる主張をする権利はない。私が嫌だから黙れ」

①②は曲がりなりにも論として成立しているが、③は論外である。これこそが「お気持ちである

これについて論じることは特にない。まあしいて言うならば、「個人的な感情の表明」自体は何ら悪ではないという事は付け加えておきたい。こういう風に、自分感情だけで他人を思うままに動かす権利自分にあると思っている人をまともに相手する必要がないというだけである

全体的な感想

①②③それぞれ、言う層が全然違ってくるということがイメージできるだろうか。

①は、左右問わずおそらくそれなりに頭のいい人、論理的思考好きな人が言うと思う。(ただし、論理的思考好きな人は左に行きやすいので、左が多い気はする)

②は、明確に左の中でも主張が強めの人が言うだろう。(なお、加害者被害者構造を、中国日本あたりにすれば、右の主張強めの人たちも似たようなことを言っている)ここで重要なのは、彼らの主張は我々と大きく違うが、別に彼らは頭がいいわけでも悪いわけでもない。どちらかと言えば頭のいい人が多いと思う。

③の人は、多分単純に頭が悪い。左にも右にも真ん中にもこういう馬鹿は沢山いる。ただし、バカの中でもわざわざ自分バカですとアピールしたがるインセンティブが強いのは右左の中でも過激な人たちだろう。

お気持ちサヨクバカ」みたいなことを言う人たちは、多分①②の理屈で「中立」「客観」を批判している人に左翼が多いという事と、③の人たちにバカが多い事を混同して、左翼お気持ちバカみたいな図式を作り上げているのではないかと思う。あと、「お気持ちサヨクバカ」と言った同じ口で「リベラル(おそらくこの人はリベラルサヨクをほぼ同義として使っているはず)は啓蒙思想押し付けている」みたいなことを言っている人もいた。確かに②は啓蒙思想押し付けダメな部分全開という感じで、③はバカである。たぶん構造としては②が③の人たちを率いて暴れまわっているという感じではなかろうか。まあそんな感じで、「中立」「客観」大好きな人たちも、③は論外として①②の理屈普通にそれなりに通っているっていうことをちゃん意識しよう。(まあ意識できてる人もいるだろうけど)

2022-10-11

オモコロヨッピーひろゆき信者だった

さっきYoutubeでabemaの沖縄基地問題を討論する番組をみてた。

ひろゆきVS基地反対派の論客3人で基地問題議論する、みたいな番組

上記4人にプラス司会者第三者的ポジコメンテーターとしてヨッピー若い女性とサヨクっぽい若者がいる、そんな構成

番組の中身はひろゆきがひたすら詭弁を弄するだけ、一方の反対派論客3人はそんな中二論客ひろゆきすらまともに制せない話下手、グダグダと話が堂々巡りして時間切れ、っていうくだらないものだったのでどうでもいいんだけど。

ショックだったのはヨッピーがずっとひろゆき擁護してたんだよね。

序盤で、最初ひろゆきが言い分をかたる、次に反対派論客が言い分をかたる、その次に第三者ポジコメンテーター感想をいうって流れで、

若い女性はひろゆき理屈と反対派の感情、どっちも汲み取るわりと中立的コメントをしてたんだけど、

その次に語り出したヨッピーがひたすらにひろゆき擁護し始めるの。

ひろゆきさんは本当はこういう風に考えててああいうことをしたんだと思うんですよ」

とか、ひろゆき本人を目の前にイマジナリーひろゆきを語りながら擁護してて、さすがにひいた。

イマジナリーひろゆきの大便ができるほど、ひろゆきのこと理解してるってどれだけ好きなのよ。

まさかこんなところで幻滅するとは思わなかった。

オモシロ記事だけ読んでいたかったよ。

2022-10-08

winny作った金子勇って早死にしたか過大評価されてるよな。若くして死ぬロックスター現象

なんか金子勇映画作られるらしいんだけど

金子勇先見の明がない愚鈍国家によって潰された天才プログラマーかのようにサヨクな人たちが担ぎ上げるのっていかがなものかと思うよね

はっきり言って早死にしたか過大評価されてる面があると思うし

中立的技術を探求していただけなのに国家権力によって潰された悲劇主人公みたいに扱うのは間違ってるよね

winny事件判決でも技術のもの有用で使い方次第なのは司法も認めてる

問題はお前違法ダウンロードバリバリ横行していた2ちゃんで使ってくれって呼びかけといて、著作権違反の手助けしてないってそんな言い訳通るかよという至極真っ当な点を指摘されてるだけだし

2022-09-11

anond:20220911193827

挫折したり悩んだりした奴は病む、公立学校勉強だけできていじめられたり非モテ現実認識させられた奴は歪む、貧乏人は思考が貧相、子持ちは自分の子供のことしか考えられないか公共意識がない。

まり金持ち出身挫折もなく、男子校で女にのめり込まず、東大を出て好きでもない女と結婚して子供にも思い入れのないエリートが1番中立的客観的判断を下せるに決まってるやんけ

2022-09-03

陽キャにも陰キャにもなれない人

 もう長いことフリーターニートを行ったり来たりしている。仕事に就いても長続きせず、職を転々とする日々。もうかれこれ十社以上職を転々としてきただろうか。就いた職業の多くは施設警備や物流倉庫でのピッキングなど責任の伴わない仕事ばかり。コミュニケーションの得手不得手以前に、人と関係を結んで生活していきたくないと考える。人に指示を出すのも嫌だし、人の上に立って何かを行うことも好まない。集団の中において自分空気のような存在でいたい。そういうわけで人間関係を維持することもままならない。まさか自分が将来このような生活を送るとは想像もしていなかった。子供の頃は学校卒業したらどこかの会社就職してバリバリ仕事に精励するものだと思っていた。それがこのありさである未来と言うのは本当に不確かなものだ。

 陽キャ陰キャ二元論物事を語るのは好きではないが、今日はそれについて語りたい。学生時代自分は割とスクールカーストの上位の方にいて、やんちゃで明るくてクラスでもみんなの中心となるような人物に囲まれ学生生活を送ってきた。といっても自分から進んでそうした人たちとコミニケーションをとって親睦を深めたわけではない。何というか気づいたら仲良くなっていただけのことに過ぎず、自分意思関係を構築していたわけではなかった。

 

 自分公立の小中学校に通っていたが、公立学校には実に様々な人間存在する。所得水準の高い家柄に生まれて幼少の頃から様々な習い事に触れてきて教養がしっかりと身に付いている人もいれば、親の社会的地位が高く、幼い頃から多大な投資を受けてきたことにより校内でもトップクラスの成績を誇る者。またそれとは反対に、貧しいが故にろくに教育を受ける機会のなかった人や両親がやんちゃをしていたために子もそうした性質引き継いで不良の道へと突き進んでいった人などなど実に属性の種類は豊富である自分たまたま同じクラスやんちゃなことをする人が多かったからなのか、なぜか彼らと共にいることが多かった。公立学校というのは本当にいろんな人がいるので、たまたまそういう人たちが近所に住んでいたから仲良くなったのかもしれない。詳しい事は自分にもよく分からない。

 彼らとは本当にいろんなことやってきた。定期テストをサボってゲーセンに入り浸って夜を明かしたり、ワックスで頭を塗りたくって度々生徒指導先生にお叱りの言葉を受けたりといったようにやることと言えば平気で校則無視してきたことばかりであった。そうしたことばかりしてきたので周囲の人間から自分はいたずら好きな人なのだ認識され、近寄ってくる人たちも自然自分と近しい人達ばかりであった。

 中学生活も終盤に近づいてくると高校受験という大きなイベントがやってくる。自分は一応塾に通っていたので高校受験受験をするつもりでいたし、そのための準備もしていた。しかし、しばらくするうちに自分と彼らとの間に深い溝ができ始めていることに気がついた。それは彼らが、僕が受験勉強に励んでいるのを快く思っていないのではないかということ。想像するところによると、自分高校受験に向かって勉強してるのがどうやら彼らにとって喜ばしいことではないらしいのだ。彼らの中でも自分はまだ比較的に経済事情が恵まれていたので、教育お金を費やすことができた。だから高校受験もできるし、将来の選択肢もそれほど狭くはない。しかし、彼らはそうではない。経済的に貧しいが故に教育お金をかけることができず、高校受験を受けると言う資格すら与えられていなかった。また受験できたとしても学業への意欲が湧かないことやどうやって勉強すれば良いのかわからないなどといった理由により、レベルの低い学校に行くかのいずれかしか選択肢がなかった。そうした中で自分だけ勉強して彼らのもとから離れようとしている。それは彼らにとっては喜ばしいことではなく、どこか心にわだかまりが残ることだろう。これはグループの一人が自分だけ集団から抜け出して別の道に進むことをイメージしてもらえればよい。ドロップ主人公自分だけ輪の中から抜けることや、ビリギャル主人公グループの反対を押し切って難関大学受験に挑むのと似たような状況である。結局、自分は難関校とは程遠い偏差値が50いくかいかないかくらいの自称進学校入学した。もともと勉強とは無縁の人間で、定期テスト100点中30点位がほとんどだったので、これが自分にできる限界学習であったと言えるので特に後悔はないのたが。

 高校に入ってから彼らと連絡を取ることもなくなった。もうすっかり別の世界で生きているような感じだったし、実際に会うことも何度かあったが、会話を交わす事はなく、以前のように親しい感じで接することもなかった。そこには陸と島ほどの距離感があった。そこそこ勉強して高校に進んだからこそ、彼らは自分自分達とは別の人間だと考えていたようだし、自分たちのような悪質な遊びをすることも好まないだろうと考えていたから昔のように悪ふざけをして遊ぶこともなくなった。

 高校高校中学までの人とは別のタイプ明るい人達と仲良くなってそれなりに楽しく日々を過ごすことができた。それでもたまたま仲良くなったから仲良くしていただけで、自分からそうした人たちと仲良くしたいわけではなかった。別に友達など作らなくても、一人で何かに没頭するような事があってもよかったのだけど、生憎オタクのように何か一つのことに強い情熱を注いだこともない。自分人生のものに関心がなかった。

 自分性質に関心を向けるようになったのは大学生活も終盤に近づいてきた頃である。これまでの学生生活を振り返ってみて、自分はどうしてやんちゃなことばかりしてきたのだろう、どうしてクラスでも目立つような人間とばかり付き合ってきたのだろうというようなことばかりを考えた。彼らと自分ベクトルの向きが真逆人間であるというのに。自分は目立つことが嫌いで、教室でも隅の方で目立たず静かに生活していきたいと考える人間だった。思えば、僕は自分から人に話しかけて友達を作ったことなどなかったような気がする。自分がどんな人間と仲良くなりたいかと言う考えも持っていなかったし、主体性を発揮して何かを行ったこともない。いつも周りに流されて生きてきて、自分意思自分人生を生きているという感覚がなかった。昔から自分は一人が好きで、人と関わりを持とうとせずに、一人で何かすることを好んできた。つまり、昔から自分自閉傾向のかなり強い人間だったのである。それでも何とか今までやってこれたのは環境の影響や周りの方から声を掛けてきてくれたことにより、そうした性質隠蔽され、それが浮き彫りにならなかっただけの事に過ぎない。

 周りに流されて生きてきて自分性質客観的に見る機会を持たない人間本来自分がどういう人間なのか分からなくなる。人間人格形成には遺伝的要因と環境的要因の二つが大きく関わっているけれど、子供の頃はそうしたことに頭を悩ませることもない。

 結果として今では陽キャのようなアクティブな遊びを好んでみんなでワイワイ仲良く時間を過ごすこともなければ、アニメオタクアイドルオタクのようにある一つの対象に過度に没頭してコミュニティ形成し、そこでのコミュニティーに強い仲間意識を持って生活することもない。陽キャにも陰キャにもなれず、中立的な立ち立場にいて、どこにも属さずに社会から孤立しているのがが自分である

 もっと早いうちから自分性質人物像を客観視しておけば後の人生もまた変わったものになったのかもしれないが、当時はそうしたことも難しく、後から結果論として物事を論じるしかない。それが人生というものなのだろう。

陽キャにも陰キャにもなれない人

 もう長いことフリーターニートを行ったり来たりしている。仕事に就いても長続きせず、職を転々とする日々。もうかれこれ十社以上職を転々としてきただろうか。就いた職業の多くは施設警備や物流倉庫でのピッキングなど責任の伴わない仕事ばかり。コミュニケーションの得手不得手以前に、人と関係を結んで生活していきたくないと考える。人に指示を出すのも嫌だし、人の上に立って何かを行うことも好まない。集団の中において自分空気のような存在でいたい。そういうわけで人間関係を維持することもままならない。まさか自分が将来このような生活を送るとは想像もしていなかった。子供の頃は学校卒業したらどこかの会社就職してバリバリ仕事に精励するものだと思っていた。それがこのありさである未来と言うのは本当に不確かなものだ。

 陽キャ陰キャ二元論物事を語るのは好きではないが、今日はそれについて語りたい。学生時代自分は割とスクールカーストの上位の方にいて、やんちゃで明るくてクラスでもみんなの中心となるような人物に囲まれ学生生活を送ってきた。といっても自分から進んでそうした人たちとコミニケーションをとって親睦を深めたわけではない。何というか気づいたら仲良くなっていただけのことに過ぎず、自分意思関係を構築していたわけではなかった。

 

 自分公立の小中学校に通っていたが、公立学校には実に様々な人間存在する。所得水準の高い家柄に生まれて幼少の頃から様々な習い事に触れてきて教養がしっかりと身に付いている人もいれば、親の社会的地位が高く、幼い頃から多大な投資を受けてきたことにより校内でもトップクラスの成績を誇る者。またそれとは反対に、貧しいが故にろくに教育を受ける機会のなかった人や両親がやんちゃをしていたために子もそうした性質引き継いで不良の道へと突き進んでいった人などなど実に属性の種類は豊富である自分たまたま同じクラスやんちゃなことをする人が多かったからなのか、なぜか彼らと共にいることが多かった。公立学校というのは本当にいろんな人がいるので、たまたまそういう人たちが近所に住んでいたから仲良くなったのかもしれない。詳しい事は自分にもよく分からない。

 彼らとは本当にいろんなことやってきた。定期テストをサボってゲーセンに入り浸って夜を明かしたり、ワックスで頭を塗りたくって度々生徒指導先生にお叱りの言葉を受けたりといったようにやることと言えば平気で校則無視してきたことばかりであった。そうしたことばかりしてきたので周囲の人間から自分はいたずら好きな人なのだ認識され、近寄ってくる人たちも自然自分と近しい人達ばかりであった。

 中学生活も終盤に近づいてくると高校受験という大きなイベントがやってくる。自分は一応塾に通っていたので高校受験受験をするつもりでいたし、そのための準備もしていた。しかし、しばらくするうちに自分と彼らとの間に深い溝ができ始めていることに気がついた。それは彼らが、僕が受験勉強に励んでいるのを快く思っていないのではないかということ。想像するところによると、自分高校受験に向かって勉強してるのがどうやら彼らにとって喜ばしいことではないらしいのだ。彼らの中でも自分はまだ比較的に経済事情が恵まれていたので、教育お金を費やすことができた。だから高校受験もできるし、将来の選択肢もそれほど狭くはない。しかし、彼らはそうではない。経済的に貧しいが故に教育お金をかけることができず、高校受験を受けると言う資格すら与えられていなかった。また受験できたとしても学業への意欲が湧かないことやどうやって勉強すれば良いのかわからないなどといった理由により、レベルの低い学校に行くかのいずれかしか選択肢がなかった。そうした中で自分だけ勉強して彼らのもとから離れようとしている。それは彼らにとっては喜ばしいことではなく、どこか心にわだかまりが残ることだろう。これはグループの一人が自分だけ集団から抜け出して別の道に進むことをイメージしてもらえればよい。ドロップ主人公自分だけ輪の中から抜けることや、ビリギャル主人公グループの反対を押し切って難関大学受験に挑むのと似たような状況である。結局、自分は難関校とは程遠い偏差値が50いくかいかないかくらいの自称進学校入学した。もともと勉強とは無縁の人間で、定期テスト100点中30点位がほとんどだったので、これが自分にできる限界学習であったと言えるので特に後悔はないのたが。

 高校に入ってから彼らと連絡を取ることもなくなった。もうすっかり別の世界で生きているような感じだったし、実際に会うことも何度かあったが、会話を交わす事はなく、以前のように親しい感じで接することもなかった。そこには陸と島ほどの距離感があった。そこそこ勉強して高校に進んだからこそ、彼らは自分自分達とは別の人間だと考えていたようだし、自分たちのような悪質な遊びをすることも好まないだろうと考えていたから昔のように悪ふざけをして遊ぶこともなくなった。

 高校高校中学までの人とは別のタイプ明るい人達と仲良くなってそれなりに楽しく日々を過ごすことができた。それでもたまたま仲良くなったから仲良くしていただけで、自分からそうした人たちと仲良くしたいわけではなかった。別に友達など作らなくても、一人で何かに没頭するような事があってもよかったのだけど、生憎オタクのように何か一つのことに強い情熱を注いだこともない。自分人生のものに関心がなかった。

 自分性質に関心を向けるようになったのは大学生活も終盤に近づいてきた頃である。これまでの学生生活を振り返ってみて、自分はどうしてやんちゃなことばかりしてきたのだろう、どうしてクラスでも目立つような人間とばかり付き合ってきたのだろうというようなことばかりを考えた。彼らと自分ベクトルの向きが真逆人間であるというのに。自分は目立つことが嫌いで、教室でも隅の方で目立たず静かに生活していきたいと考える人間だった。思えば、僕は自分から人に話しかけて友達を作ったことなどなかったような気がする。自分がどんな人間と仲良くなりたいかと言う考えも持っていなかったし、主体性を発揮して何かを行ったこともない。いつも周りに流されて生きてきて、自分意思自分人生を生きているという感覚がなかった。昔から自分は一人が好きで、人と関わりを持とうとせずに、一人で何かすることを好んできた。つまり、昔から自分自閉傾向のかなり強い人間だったのである。それでも何とか今までやってこれたのは環境の影響や周りの方から声を掛けてきてくれたことにより、そうした性質隠蔽され、それが浮き彫りにならなかっただけの事に過ぎない。

 周りに流されて生きてきて自分性質客観的に見る機会を持たない人間本来自分がどういう人間なのか分からなくなる。人間人格形成には遺伝的要因と環境的要因の二つが大きく関わっているけれど、子供の頃はそうしたことに頭を悩ませることもない。

 結果として今では陽キャのようなアクティブな遊びを好んでみんなでワイワイ仲良く時間を過ごすこともなければ、アニメオタクアイドルオタクのようにある一つの対象に過度に没頭してコミュニティ形成し、そこでのコミュニティーに強い仲間意識を持って生活することもない。陽キャにも陰キャにもなれず、中立的な立ち立場にいて、どこにも属さずに社会から孤立しているのがが自分である

 もっと早いうちから自分性質人物像を客観視しておけば後の人生もまた変わったものになったのかもしれないが、当時はそうしたことも難しく、後から結果論として物事を論じるしかない。それが人生というものなのだろう。

2022-08-28

B層の「愛国」=BAIKOKU

マスコミ報道に流されやすく「IQ」が比較的低い[2]、構造改革中立的ないし肯定的構成者は主婦層、若年層、シルバー高齢者)層など。具体的なことは分からないが総理キャラクター内閣閣僚を支持する。

B層 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/B%E5%B1%A4

IQ比較的低い」「主婦層、若年層、シルバー層」というB層の「愛国」はBAIKOKU (売国) なんやね。

2022-07-28

自分のTLで政治的発言してる人、中立的なのかなと前から思ってきたけど

今回の自民党統一教会とのつながりについては批判を一切してなくて党派性あったんだなと気付きました

2022-07-14

あずまんにもわかるようにあずまんの何が不味かったのか説明するよ②

から続く

https://anond.hatelabo.jp/20220714042431

あずまん震災まであんたはおれにとってののヒーローだったよ。

今でも方向性こそ違えど、当然意味のあることをやっているのだと思ってたよ。

それがまったく転向したならまだいいけど、今でも誤配とか言ってるらしいじゃん。

かっこつけて「誤配可能性を意図的に高めていかなければならない」とかさ。

福島郵便あんたはそもそも受け取ろうとも思っちゃいなかったろう。

本当にがっかりだ。

外国人カルト宗教団体政府メディアなどを支配して、奴らは自分に都合の悪い情報隠蔽している」というとても公的言葉とは思えない言葉こそが公的に働いて、「テロリズムに屈してはならない」という言葉私的ものとされる状態がどれだけ「例外的であるかは、おれなんかよりあんたのほうが余程うまく説明できるはずだろう。なのにそれができてないのは、いまのあんたの目に「友か敵か」の区別しか映ってないからじゃないのか。

大塚英志との2007年の対談ですでにあんたはこんなていたらくだった。

東 (略)ちなみにぼくは南京虐殺はあったと「思い」ますが、それだって伝聞状況でしかない。そういう状況を自覚しているのが、大塚さんにとっては中立的メタ的な逃げに映るらしいですが、それはぼくからすれば誤解としかいいようがない。

大塚 南京虐殺があると思えるんだったら、知識人であるはずの東が何故そこをスルーするわけ? 知識人としてのあなたは、そのことに対するきちんとしたテキスト解釈や、事実配列をし得る地位教養バックボーンを持っているんじゃないの?

東 そんな能力はありません。南京虐殺について自分調査したわけではないですから

大塚 でもそれを言い出したら何も言えなくなる。(略)とにかく、東浩紀っていうのは、結局は人は何も分からないって言ってるようにしか聞こえないよ。

東 ある意味でそのとおりです。

大塚 君が批評家であり知識人であり、言論である、という事実客観的事実としてある。でも、なぜそこで、君はスルーちゃうようなものの言い方をするのか。つまり君が言ってることって言うのは、読者に向かって、君は何も考えなくていいよと言っているようにぼくにはずっと聞こえるんだよね。

東 ええ、それは、そういうふうにぼくはよく言われているので、そういう特徴を持っているんだと思います

大塚 そうやって居直られても困るんだって

東 (笑)そうではなくて、大塚さん批判は僕という人間の全体とかかわってしまっているので、その部分だけを取り出して修正することができないんですよ。そう答えるしかないでしょう。

(『リアルのゆくえ』p210-1)


2007年から2022年まで一歩も動いてないじゃん。「南京大虐殺」が「統一教会」に変わっただけで、しか大塚と全く同じことをまた町山智浩天原誠に怒られてんじゃん。

おれは『リアルのゆくえ』のあとにあんたが秋葉原震災をへてどういう風に変化したのか詳しくは知らないけど何となく生存確認的に見てたつもりだったよ。でもこのあまり文字通りに十年一日あんたを見ると、遠くから見ててもあんなに東浩紀という人間が慌てふためいていたのは何だったんだろうとは思う。たとえば大塚こそ数十年一日だ、という反論可能ではあるが、大塚自分ロートルと呼ばれようとも気にしないだろうけど、あんたはそういう人じゃないじゃん。あんたは大塚よりははるかに腰の軽さを身上とするひとでしょう。

で、しかも単なる十年一日ならともかく、どう見たって劣化してるわけじゃないですか。15年前の大塚に対しては一応はていねいに理解を求めていますが、福島に対しては言ってもいないことで批判してよしとしているわけでしょう。知的サボタージュが過ぎる。

あずまん的には震災秋葉原以前と以降でオールド東とニュー東で別人になったつもりかもしれないけどさ、もう見たように全然変われてないんだよ。あずまん自分でも認めるようによくやってた「Aは前半と後半で思想が断絶したとされているが、前半における問題に対して真剣に向き合うと、必然的に後半のような思想にならざるを得ない」という思想戦――露骨に言えばパイの奪い合いの論理――を仕掛けられる側にあずまんはなったんだよ。

で、あんたはそういう状態において絵図を書くことを=想像力を働かせることを得意としてきたはずなわけだ。たとえば15年前は「思う」とわざわざ私的な語にすらかぎ括弧をつけないと突っ込まれる、危ないと「思った」わけでしょう。不毛メタゲームと言えば言えますが、でも一貫してたし、必要なことだった。

でも、もう素朴に「思う」ことが許される立場じゃないんだよあんたは。……もちろんこの論理だって十分に決断主義的で正しくない。でも、「責任を持てない」という主張は、責任を持たないのに持ってるふりするよりはずっと倫理的だと思うよ。

あずまんあんたはおれのヒーローだったよ。きっとおれはあんたみたいになりたかったし、なりたいんだと思う。だからさ、いまのあんたを見てると「お前の人生は、お前の世界は最大限にうまくいってもこんなもんだ」と、それもヒーロー自身に言われてる気がしてすごいつらいんだ。たのむよ、俺が50過ぎになる20年後くらいに思い出す意味のあるひとでいてくれよ。すくなくとも、いま35歳に向かわなきゃ行けないおれにとって、20年前のあんたの仕事は、とても助かってるよ。だからさ、頼むよ。

2022-07-13

anond:20220713111459

1990年代初めから2000年代の初めにもソーシャル・ジャスティス・ウォリアーはまだ中立的言葉であり、むしろ賛辞でさえあった[1]。

からゲンミツには若干由来が異なるんだよね。

元々は誇らしげに掲げられた言葉が、いつの間にやら蔑称になっていた

表現の自由戦士は元から蔑称として生まれ

この辺の違いは、日本では意味をなさないけれどね

初手から蔑称として流布されてたか

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