はてなキーワード: 中流層とは
意外とネット上では女性だけの街は失敗するイメージを持っているようだが、女性だけの街をつくろうと言うのは案外いい考えだと自分は思っている。
大きく減少はしたが無くならない男性による犯罪に対して、政府は女性の保護の観点から女性だけの街を作ることを検討。社会情勢も一向に減らない女性被害に対して一定の効果をもたらすのではないかと言う市民達の気運から女性だけの街を作る事となった。
当初は女性だけの街にも男性の能力を借りることもあったが次第に男性の助けは少なくなり、全てを女性だけで運営することができる街となった。
女性だけの街には電気、ガス、水道、コンビニ、市役所、病院など必要なインフラは揃っており、維持・管理も出来ている。
また女性だけの街とあって、女性にとっては非常に生活しやすい街となっている。
・おしゃれな街並み
・きれいな店内
・犯罪率の低さ
・平日の昼間は年配の女性しか見ることがない。専業主婦はおらず全ての女性が働いているからである。
・子供を見ることがない。
※当初シングルマザーも受け入れるべきとの声があったが教育施設と子供の絶対数が不足しているほか、男性がいない街は教育上問題があると言う声もあったためだ
なお、女性しか登場しないアニメが多々あるが、モデルとなる設定は間違いなくここになるだろう。
女性だけの街には貧富の差ももちろん当然している。貧困層が住む地域と中流層が住む地域と富裕層が住む地域で分かれている。
世界一安全な日本に住む人々でもあっても犯罪抑制のために女性だけの街を作った。
富裕層に住む地域の女性は、なくならない犯罪に対して社会信用システムの導入を提言することとなる。
社会信用システムの導入により犯罪を極端に減らすことに成功したが、そこに免罪体質のSIROが産まれるにこととなり新たな物語が始まるのだった。(サイコパス並感)
後書き
そもそも、今後の近未来を考えたときに女性と男性どっちが必要なんだろうかと考えている。
女性だけでも子孫を受け継げるのであれば別に男性はいらないのではないだろうか。
「貧乏で学生服の負担が大きい学生服を廃止してほしい」って貧困ニュースの話題に端を発して「学生服は元々格差を隠すためのもの」って反論を最近見かけるようになったけど、あれ嘘か誤解、勘違いしてるとしか思えない。
元々は西洋化近代化の流れで、統一して洋装化しやすかったのが、軍隊と学校だったと言うのが導入のきっかけで、
しかもあの当時では高級品で、「学生服が着れる裕福な学生」と「学生服が着れない貧乏人」と言うあからさまに格差を示すものだったから、格差を隠すためと言うのは完全に誤解だし、あったとしてもずっと後の理屈。
仮に途中で格差を隠すためだったとしても、現状として学校ごとに学生服が違うために、「学校間のもつ生活格差が露わになっている」こと
また、同じ学校でも、学生服を何年も一着で通す上に繕いも出来ない家庭が存在するために、ボロボロの学生服の生徒が存在し「生活環境の格差があきらか」なので、格差を隠すことに基本役に立ってない。
格差を隠すのに役に立ったのは、中流層が厚く、繕いのできる専業主婦が多かった、せいぜい高度経済成長期ぐらいじゃないだろうか。今現在、通じる理屈ではない。
うんじゃあ自称ベーシックインカムに詳しい俺様の定量的なデータと論文を出してもらおうかな
え?僕ちゃんが考えただけ?笑
後進国と比較するのもアホだし税制や社会保障がまったく異なる他国と比較して相続税を語るのもアホだし言語障壁や外国投資に伴う精査コストが高い日本で顔真っ赤にして逃げるぞ!と喚いてるバカってもうね
金持ちに税をかけるのは資本主義経済の範疇で十分説明できるのに共産主義笑
具体的に言えばモノかヒトか情報を動かすことで金を得られるわけ。
それらの資源使用は国家のインフラを前提として成立してるんだよね。
金持ちはそのインフラを中流以下よりも大量に使用することでカネを稼いでるといえるので、
中流層に還元するというのは国家経済において経済の安定性を図るのに必須だからやるだけ。
これはどの経済学者云々というより事実性の問題なので否定したくて必死になりながらあいつらは正しくない!とギャンギャン泣かれてもふーんへーと馬鹿にされるだけ。
適切な対価使用請求を共産主義だ!とか喚かれてもフリーライダーしながら正当化に必死なザコとしかみなされないのでやめような。
他人よりも感受性が高い自覚がある。音楽や映画に共感して涙ぐんでしまうし、他人の苦労話には真摯に聞き入ってしまう。周りのことにいつも気をかけ、不穏な兆候があれば積極的に助けにいく。「頼りやすい。」「甘えやすい。」異性からのそんな評価に心の中でいつもほくそ笑む。同性の友人達も、口では言わないが同じような評価であることは察するに容易い。
疲れる性格だ、もっと鈍感でありたかった。周囲に敏感であることは、常に何かに怯えていることと同じだ。考え込みすぎては勝手に1人で憔悴し、八方美人な振る舞いは時に自分の許容量を超えて破綻する。不安な気持ちを誰かに吐露しようと試みるも、そんな都合の良い人間は周囲にはなかなかいない。勇気を出して彼女に吐露しても、お決まりの肯定の言葉が帰ってくるだけだった。なぜだろう。こんなにも周りに尽くしているのに、なぜ自分に尽くしてくれる相手はいないのだろう?なんで俺は満足しないのだろう。何がしたいのだろう。分からないわからない分からんない。考えれば考えるほど、何もわからなくなる。感受性の高さが俺を殺すのか。
22歳の大学生、両親も2人の兄弟も健在、遠距離だが彼女もいる。経済的に不自由はない典型的な中流層で、大学では適度に遊んで、適度に勉学に励んでいる。就活にもなんの不安もない、充実してるんだろうきっと。
いつか自分が爆発しないこと祈る。