はてなキーワード: 中欧とは
なんだ、こいつ?
ハンガリー人の名前を名姓の順に書くし、ダブルアキュートとかダイアクリティカルマークとか英語っぽい言い方するし、あんまりヨーロッパっぽくないんだけど。アメリカあたりの英語圏に留学経験とかある英語かぶれorアメリカかぶれ?
ハンガリーとポーランドの違いという話なら、やっぱりハプスブルク二重帝国とか大ポーランドとかポーランド分割とかの歴史にも触れて欲しいよね。それと、ポーランド語は印欧語族スラブ語派なのでロシア語と親戚だけど文字はラテンアルファベットだとか、ハンガリー語はそもそも印欧語族ですらないとかもね。(ヨーロッパなのに!)
もう一つ大事なポイントは、ハンガリーもポーランドも共にカトリックの国という重要な共通点があって、文字がラテンアルファベットなのもそのせいで、東方教会(オーソドックス)のロシアとは文化圏が違うということも。(ポーランドはスラブ語圏なのにね!)
だから両国は東欧というよりも中欧という言い方の方が歴史的には多用されていたと思う。だって東方教会の文化圏(キリル文字)じゃ無くて西方教会の文化圏(ローマ字)なんだもん。
あと、僕が思うには、ハンガリーが混同されやすいのはポーランドじゃなくてチェコやスロバキアなんじゃなかろうか。ほら、ハンガリー動乱とプラハの春とかあったじゃん。
ちなみにオークはブナ科コナラ属の木の総称で、日本で言うところの楢と樫の両方を包含する。
そんでオークのうち、一般的に落葉樹が楢で常緑樹が樫と呼ばれる。
なおヨーロッパで樫が生えているのは南欧に限られ、イギリス含む中欧・北欧は楢ばっかり生えていると。
これが最初に書いた、オークを樫と訳すのが基本不適切な理由らしい。
実際英語でオークのうち樫だけを指すときは"live oak"と言うみたいだし。
ではなぜこのような誤訳が起きたかと言えば、ヨーロッパにおけるオークの価値が、明治に和訳された時分に、翻訳者含め日本で十二分に理解されていなかったからと推測される。
というのも日本では古来、杉とか檜とかの針葉樹に高い価値があって、広葉樹は欅とか桐みたいな例外を除いて、近年まで雑木扱いだったイメージ。
これは従来日本における木材の用途が主に「建築材」であり、あとは桐箪笥に楽器や漆器、床の間と上がり框を飾る程度だったことが関係しそう。
何しろ明治維新まで椅子に座る文化は定着していなかったし、侘び寂びな空間を木材で飾る話でもない。
裸足や足袋で歩くんだったら床も杉板のほうが足に馴染むし…というわけでオークの出る幕はなかっただろう。
一方、机椅子に始まりキャビネットに床板化粧板と、木材の「内装材」「家具材」における需要も極めて大きかったヨーロッパ。
そしてオークは内装材・家具材として、ヨーロッパでは長い歴史と伝統を持つ一級品。
この用途でこれ以上の高級材といったらウォルナット(胡桃)・チーク・マホガニー(合わせて世界三大銘木)くらいしかない。
あとはヨーロッパの酒造において、オーク樽は原料の一部と言っていいくらい不可欠だったり。
そうした重要性から遂にはThe King of Forestと称されるほどに。
したがって当時の翻訳者が
「楢なんて、あんな箸にも棒にもかからない木がヨーロッパでは高級木材とかありえないっしょ」
みたいな思い込みで、オークを樫と訳したとしても不思議はない。
(まだ樫のほうが金槌の柄や鉋台とか、強度が求められる部材で価値があったと思われる)
これが大いなる勘違いだと判明するのに、今日に至るまで相当な時間を要したと。
そしてこういうややこしい事情を避けるためか、今はもうオークはオークのまま訳さなくなったっぽい?
(ファンタジー物で登場する、ヒューマノイドの方のオークは昔っからオークのままなのはさておき)
それにしても今振り返るとファンタジー系の小説で「樫の木の扉」とか書かれていたのは噴飯ものだし、少し前までは
「欧米では硬くて加工困難な樫の木から立派な家具をたくさん作っている。その点日本の木工はダメだな」
まあでも、そういう諸々を笑い話にできるくらい適切な情報が広まったのは喜ばしい。
それは国内(ローカル)と世界(グローバル)をうまく使い分けているからだと思う。
実際国際的な話と国内の話を区別して比較しながら話すのは難しい一方でごちゃまぜにしながら誤魔化すのは簡単なのである。
海外ではーなどという言葉山上事件以前よく見かけたと思うが海外は日本以外の国を指す言葉であり欧米はヨーロッパと北米を指す言葉である。
さらにヨーロッパには西欧東欧中欧がある。これに当てはまれば嘘でもデマでもなんでもないわけである。事実なんだから指摘しようがない認識を間違えた受け手側の負けである。アメリカ人がアジアではーと言った場合日本中国韓国その他アジア諸国どこを指してもいいのと同じ事だ。
実際アメリカ人の多くは日本人と中国人の区別はつかない。イランイラク戦争というのがあったがイラン人とイラク人の区別を多くの日本人はつくかい?地図を見てここがイラクでここがイランだと指で指せるかい?
これが国内問題と国際問題を同時にやってくことの政権のメリットであり、旧民主党はこれがからっきしダメだった。こういったペテンスキルを持っていなかった。メディアとの精通も敗因だろう、安倍はここだけは100点だった。
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降伏or和平
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フィンランドがNATO加盟申請して効力が出る(集団防衛義務)までの間にロシアに攻撃される可能性が危惧されているが、これは北大西洋条約第10,11条のため。
Article 10
The Parties may, by unanimous agreement, invite any other European State in a position to further the principles of this Treaty and to contribute to the security of the North Atlantic area to accede to this Treaty. Any State so invited may become a Party to the Treaty by depositing its instrument of accession with the Government of the United States of America. The Government of the United States of America will inform each of the Parties of the deposit of each such instrument of accession.
締約国は、この条約の原則を促進し、かつ、北大西洋地域の安全に貢献する地位にある他のヨーロッパの国に対し、この条約に加入するよう全員一致の合意により招請することができる。このようにして招請された国は、その加入書をアメリカ合衆国政府に寄託することによつてこの条約の締約国となることができる。アメリカ合衆国政府は、その加入書の寄託を各締約国に通報する。
Article 11
This Treaty shall be ratified and its provisions carried out by the Parties in accordance with their respective constitutional processes. The instruments of ratification shall be deposited as soon as possible with the Government of the United States of America, which will notify all the other signatories of each deposit. The Treaty shall enter into force between the States which have ratified it as soon as the ratifications of the majority of the signatories, including the ratifications of Belgium, Canada, France, Luxembourg, the Netherlands, the United Kingdom and the United States, have been deposited and shall come into effect with respect to other States on the date of the deposit of their ratifications.
第十一条
締約国は、各自の憲法上の手続に従つて、この条約を批准し、その規定を実施しなければならない。批准書は、できる限りすみやかにアメリカ合衆国政府に寄託するものとし、同政府は、その寄託を他のすべての署名国に通告する。この条約は、ベルギー、カナダ、フランス、ルクセンブルグ、オランダ、連合王国及び合衆国の批准書を含む署名国の過半数の批准書が寄託された時に、この条約を批准した国の間で効力を生じ、その他の国については、その批准書の寄託の日に効力を生ずる。
つまり、加盟希望国が加盟できるのは既加盟国の招聘により、その招聘は既加盟国の全員一致が原則。
だからロシアには緊張を高めるために国境を侵犯して紛争を起こし紛争国にしてしまうという手がある。
またロシアは各国の極右を手先にしていて彼等はプーチンロシアの利益と自国が孤立して得られる利益の為に動く。反国際主義だがロシアは別なのだな。仏の大統領選次位のルペンもこれに含まれる。更にルペンはNATO離脱派だ。
過去の中欧加盟では加盟には結構なプロセスを踏んでいて、希望国は根回し外交や平和維持軍への派兵等の域外活動に参加したりした上で全員一致の承認を得ている。
なのでロシアと対立状態にあるフィンランドの加盟は難航するしその間にロシアが何するか判らなくて危険。
だったら冒頭みたいな無茶しないと紛争に持ち込まれちゃうわけよ。
このアイデアだったらある日いきなりNATO軍が領内に居るから手を出せないし講和と同時に軍事同盟加盟は不自然じゃない。
フィンランド人の血が流れたらそれが原因で加盟も流れちゃうのだから無駄死にになってしまう。だからこのブリリアントなアイデアしかないのだ。
ま~でもロシアの歴史的に、多方面で利の無い戦争継続してたら内乱で皇帝が処刑される、臨時政府が打倒されるってのがパターンなのだが。動員せずに戦争じゃなくて特別軍事作戦と言ってるのもそのせいでしょ。
https://vpoint.jp/world/eu/219076.html
ところで、1990年代にプーチン氏を「欧州で最も危険な人物」と喝破し、欧州に警告を発していた人物がいた。約640年間、中欧を支配してきたハプスブルク王朝の“最後の皇帝”カール1世の息子オットー・フォン・ハプスブルク氏だ。数十年前、彼は新しいロシアの「植民地戦争」を予測し、1995年には「攻撃的な民族ボルシェヴィズム」と指摘、1998年の欧州議会での演説では「欧州連合(EU)とロシアの関係について楽観的になるべきではない。危険はまだ私たちの前にある」と警告し、プーチン氏をアドルフ・ヒトラーと比較している。
ウクライナの歴史について語っている「赤い大公」という名前の本を読んだ。
てっきりスターリンの話かと思ったら全然違って、本書の主人公の名はヴィルヘルム・フォン・ハプスブルクという。
彼はウクライナ王になろうとして策謀を巡らしたり、ナチスへの接近と寝返り、そしてソ連に捕らえられ獄死するという壮絶な人生をたどった。
彼は中欧に長らく存在したハプスブルク君主国の皇族の一人にして、ヒトラーとスターリンのはざまでウクライナ国家建設を目指した数奇な生涯を送った人物である。
ハプスブルク家の皇族の中には帝国内諸民族の民族自決を進めつつ、そこをハプスブルク皇族をおくりこんで君主として支配するという事を考えている者もいた。
その流れの中でヴィルヘルムは帝国領内最貧民族とされていたウクライナ人の自由と独立を支援することを選ぶ。
彼はやがて自らの名もウクライナ語で「ヴァシル・ヴィシヴァニ」と名乗り、ウクライナの民族国家を作らせ自らをウクライナ王とする国家の建設を目指していく。
そして、第一次世界大戦ではハプスブルク君主国の陸軍将校として参戦し、その時にウクライナ陸軍兵士に国家建設のための指導を行っていく。
WWⅠ後はウクライナを独立させようとして策謀を巡らせるも失敗し、パリへと逃亡。
しかし野望は大きくとも実務能力に乏しいヴィルヘルムはパリで自堕落な生活を送り続けたあげく、詐欺事件に連座してパリから逃亡するという体たらく。
そんなヴィルヘルムはソ連を排除してウクライナに独立国家を打ち立てようと考え、ナチスへ急接近していく。
しかし結局ナチスからも離反していき、今度はイギリスの情報部でスパイ活動をするようになり
第二次世界大戦期にはドイツ、戦後にはソ連の情報を提供するようになっていく。
スパイとなったヴィルヘルムはソ連から逃れることはできず、戦後ウィーンでソ連軍に逮捕された。
ここでネット民なら「なるほど、シベリア送りだ」となると思うかもしれないがスターリンはより残虐だった。
1948年、ヴィルヘルムは彼が王となろうとしたウクライナのキエフの獄舎で結核のために死去するという数奇な生涯を送った。
民族自決と君主政を同居させるというアイデアを抱き、独立したウクライナ国家の建設を目指しつつ
民族主義や全体主義が高揚するヨーロッパの中で右往左往し続け、ファシズムにまで接近したり
その過程で突如反ユダヤ主義になってみたりしたヴィルヘルムの生涯はかなり面白い。
ヴィルヘルムがかつて進めていこうとした「ウクライナ化」は
その後のソ連の苛烈なウクライナへの制裁にもつながっている一方で
18世紀の中欧、神聖ローマ帝国領土内と周辺国で30年戦争という長期間の戦争が発生する。
双方が戦争によって疲弊したことによってその停戦合意として「思想信条の自由」が生まれた歴史的経緯がある。
なので当時のドイツ人の人権感覚が優れていたと言う話ではなく、単なる戦争の産物に過ぎない。
ウィーンのカトリック派と、ライン川流域のプロテスタント派が30年間の戦争の果てに国土は荒廃し、最終的に共倒れする。
その停戦合意として「帝国諸侯はカトリックとプロテスタント、どちらの宗派を選んでもいい」ことになり、これが思想信条の自由の理念となる。
帝国諸侯とは、神聖ローマ帝国内で自治権をもっていた主権国家であり、日本で言えば江戸時代の藩みたいなものをイメージしてほしい。
何が言いたいかと言うと、今はてな界隈で色々話題になっている表現の自由の議論を見ていると、その点を無視しているように見える。
18世紀の神聖ローマ帝国ではカトリックとプロテスタントと言う「水と油」の両者が聖戦志向で激突し、30年間戦ったあげくに共倒れして、お互いの主張を認めると言う意味で「表現の自由」の概念が生まれた。
今のネットでは、フェミと反フェミと言う水と油の両者がネット上で30年戦争のごとく大激突している。
萌え絵やBL市場の全部を焼き尽くした上で、フェミと反フェミの双方が「これ以上の戦いは止めて、今後はお互いの意思を尊重しよう」という機運になった時に初めて表現の自由の理念が成立するのである。
なので、今後も徹底的にやりあえばいい。
経済産業省から出ている「産業技術ビジョン 2020」(https://www.meti.go.jp/press/2020/05/20200529010/20200529010-2.pdf)を読んだ。
世界人口の増加とそれに 伴う経済成長を前提としたゲームが終了するということ。多くの国では 高齢化も続く。規模の経済の追求がより困難
このあたりは、人口が増えないのは知られているが、結果どうなるかはあまり議論されていないように感じた。
負債を抱えられる人が減るのだから、お金の総量は減るのではないだろうか。
基礎研究重視か実用化志向かの二分論に陥りがちだが、基礎研究が生んだ シーズを社会に出すことが大切であり、これらはトレードオフではない。
日本の強みである多数のニッチトップ(市場シェア60%以上のアイテム数は日米中欧4極の中で日本が 突出)の競争力を高め、引き続き日本に残し、雇用
「お母さん食堂」を問題視しているフェミって、女は家事・育児をやるべきだと言う性的規範について何か言っているだけでしょ。
それに比べれば、長時間労働や甲斐性、年収、それに徴兵義務まで負わされている男性の性的役割に比べれば大したことない。
北欧や中欧諸国では、経済力の無い女性は恋愛も結婚も出来ない社会になっていて、あそこまでやって始めて男女平等と言える。
2020年からオランダでは女性に対しても召集令状を交付し始めた。
「お母さん食堂」について声を上げるのであれば、男性側は冷静に「経済力の無い女とは恋愛も結婚もしない。女も徴兵せよ。」と発信し続けるだけ。
他人に迷惑をかけるつもりなどさらさらないが、全裸になるのが好きなので、オーシャンビューとか山の中の露天風呂とかが大好きだ。その好きが高じて、オーストリアの混浴サウナにまで行ったことがある。そこには25メートルほどのプールがあり、遠慮なく裸で泳ぐことができて大変気持ちがよかった。サウナと往復しながらだとそれこそ整うわけだが、こういう場所が日本にないのは残念だ。何も混浴にしろとは言わないので、素っ裸で泳げる広いプールはないだろうか。
さて、昨日(anond:20200907075225)の続き、競泳水着についてである。
以下の歴史は、wikipedia英語版の「History of Swimming」や「History of Swimwear」の拾い読みによる。
有史以前から人間は泳いできたが、大抵の場合全裸であった。ローマ時代にはビキニのようなものを身にまとった女性の壁画が残されているが(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/27/PiazzaArmerina-Mosaik-Bikini.jpg)、これが水泳に用いられたという証拠はない(この古代ローマのビキニには漫画「テルマエ・ロマエ」からも言及があった)。つまり、絵画の水浴図で誰もが全裸なのは、西洋の画家の猥褻な妄想ではない。
水着の歴史は、海水浴と入浴着との歴史が密接に絡み合っている。17世紀の終わりから欧州では公衆浴場で女性がガウン上のものを身に着けるようになったが、男性が裸で泳ぐことはしばらくは当然のことであった(河出文庫のシャーロック・ホームズ「ライオンのたてがみ」の注釈には、このシーンで登場人物は全裸で泳いだと思われる、とある。また、E. M. フォースターのどの作品だったか忘れたが、全裸で泳いでいる男性に悲鳴を上げる女性が出てくるシーンがある。「眺めのいい部屋」だったっけ? また、時代をさかのぼれば「デカメロン」で女性陣が男性陣の目を盗んで裸で泳ぐ場面がある)。
ところが1860年代にイングランドでは男性でも裸で泳ぐことが禁じられた。しかし、身体を見せることを極端に禁じたヴィクトリア朝の反動だろうか、それ以来、全身を覆う水着から現代のビキニへと、肌を見せる方向に回帰しているし、ビーチによってはトップレスが許容されている(親が持っていた海外の観光案内に、トップレスの女性の写真があって、面食らった覚えがある)。いまでも、ヌーディズムが盛んなドイツ・オーストリアなどの中欧では、裸で泳げる場所は少なくない。結局のところ、素っ裸が気持ちいのではないだろうか。
また、一部のスポーツ施設では、男性が全裸で泳ぐことを学ぶことは珍しいものではなかった。昔のYMCAがそうだったらしい。また、驚いたことに、wikipediaの「naked swimming」の項目には、1900年頃に男の子が裸、女の子が着衣で泳いでいる写真がある。こういう日本のCFNM系エロ同人みたいな状況が現実のものだったとは、驚きである(リンクを直接貼るのはなんかまずそうなので割愛)。
なお、女性の水泳の普及が遅れたのは、恥じらいとは別に、生理時の衛生管理の問題もあったそうである。
ところで、意外なのが川や湖ではなく、海で泳ぐ習慣は比較的最近のもので、17世紀ごろからのものだそうだ。海洋国家イギリスの娯楽としての海水浴の歴史は、意外に浅いのだ。また、人が速く泳ぐようになった時期というのも驚くほど遅い。たとえば、1870年代にアマチュアによる世界記録が打ち立てられたのだが、1878年に自由形100ヤードは、なんと76.45秒であった。ちなみに、マシュー・ウェッブ大尉がイギリス海峡を泳いで横断したのもおおよそこのころだ(1875年)。古式泳法もそうだろうが、おそらく速く泳ぐことよりも、長く泳ぐことや、戦場での実用性が重んじられていたのだろう。
この時期はVictorian Sports Maniaと呼ばれる時期で、水泳は数十年にわたって英国が世界をリードする国家的運動となったそうである。このあたりはジョン・サザーランドの英文学史の本にも載っている。
海水浴で使う水着とはまた別の歴史をたどったのが競泳水着である。
https://www.glamour.com/story/the-evolution-of-olympic-swimwear
上記の記事によれば、女性がオリンピックで泳ぐことを許されるようになったのは1912年のストックホルムでのこと。競泳水着の歴史は、ここから語られるべきだろう。
初めの競泳水着は絹でできていたそうだ。また、太ももの露出は少しずつ増えて行ったが、1928年頃まではあまり下着らしく見えないように、下半身が少し膨らんでスカート状になっていたそうである。
ナイロン製になったのは1964年で、1976年頃に少しずつハイレグっぽくなりはじめる。
1984年になると、どういうわけか突如かなりのハイレグになる。男性の水着の面積が極小となったのもおおよそこの頃だし、日本でも時期的にハイレグ水着の流行したバブルと被る。クレヨンしんちゃんのハイグレ、懐かしい。で、話題を戻すと、以前の記事に書いたような女性スポーツウエアのハイレグ化の時期(60年代)とは、若干ずれていることがわかる。しかし、肌を見せることによるスピードアップには限界が見られた。
そんななか、2000年代に一気に普及したのがスピードのボディスーツだ。今はこれが主流だ。簡単に言えば、水の抵抗を減らすために、大きな渦を減らし、小さな渦を作るそうだが、層流とか乱流とかその辺のややこしい話になりそうなので、省く。
つげ義春の「コマツ岬の生活」にはふんどし姿の海女さんが出てくる。これは能登地方のサイジと呼ばれるふんどしの一種らしく、この地域では1960年代前半までこの姿であった(これも写真があるが、今までのスポーツウエアと違って乳房の露出があるのでリンクは控える)。エッチなマンガの読みすぎか、日活ロマンポルノの影響か、なんとなく海女さんといえば、ふんどしというイメージがある。「海女(あま)のいる風景」という写真集の表紙もそうだ。しかし、浮世絵を見てみるとほとんどが腰巻である。私も、太田記念美術館で見たことがある。
https://www.ijikasou.com/monthly/2016/06/
https://www.pinterest.jp/pin/309481805630462018/
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9d/Yoshitoshi-Ariwara_no_Yukihira.jpg
これは恐らく、磯ナカネと呼ばれる別種の木綿の布である。江戸時代のこと、おそらく江戸湾近辺では海女さんはふんどしではなく、この格好だったのだろうと推察される。
昭和時代、中にはレオタードをまとって漁をする人々もいたという。というか、今でもいるそうだ。レオタードの中に海産物をしまうことで、取りすぎることを防ぐそうである。
http://www.chie-project.jp/001/no15.html
たぶん、女性のふんどしの使用は、生理用品としてのみに限られたのではあるまいか。団鬼六作品をはじめとしたイメージから来ているかもしれないが、SMは不勉強なもので詳しくない。そのうち調べるかもしれない。
考えてみれば、自分はふんどしについてそこまで詳しいわけではなかった。女性用の下着としてふんどしがどれほど用いられてきたか、あるいはそもそもふんどしとはどのような下着であったのか、その歴史についていずれ調べてみたい。
それはただの中欧でしょ
移民の議論において「経済発展を目指す必要は無い。今のままで良い」って言ってる人がいるけど、発展しない限り現状維持は難しいと思う。世界各国が発展競争を続けている以上、自分だけ停滞して現状を維持しようというのは難しい。結局は「食うか、食われるか」であって、外国人を搾取するのが可哀そうというのであれば、自分たちが搾取される側に回るしかないのではないであろうか。稚拙ながら現状維持(人口減少を受け入れた結果)についてちょっと考えてみた。
人口減少によるGDPの急激な低下は極端な円安に繋がり、原油その他諸々の価格高騰を経て物価高に繋がる。儲かるのは輸出企業とインバウンド企業、そしてそれらの企業に出資する投資家ぐらいで、その他の企業と大半の労働者は恩恵を受けられず、実質賃金の低下により企業の業績や労働者の生活は厳しくなっていく。輸入企業や消費者相手の企業は大から小まで倒産と合併を繰り返し、仕事の数が減った結果、失業率は上昇していく。失業率の上昇は、賃金の引き下げ圧力につながるだろう。
米中欧印などその他の国々は、円安で割安感のある日本企業を買収し、日本人労働者は彼ら外国人のために働くようになる。外資系企業が母国のように極端な成果主義を導入した場合、経営陣や一部の専門職と、その他の労働者の格差は激しくなるだろう。不採算部門は問答無用で廃止、または転売され、労働者はリストラされるか、転売先での待遇悪化を受け入れざる負えない。優秀な人間は外資系企業か海外で就職することが増え、外資系企業・海外企業と日系企業における企画や技術、品質の差、ひいては業績・賃金の差はさらに広がることになる。
個人の所得が減れば、税収や社会保険料収入も減る。インフラは維持できなくなり、特に所得水準や人口密度が低い地方から徐々に切り捨てられていくか、インフラ維持のための追加で負担を背負うことになる。水道の品質が下がり、ゴミの収集頻度や保育園の定員が減り、公立病院の休診日が増え、警察や消防は人手不足で対応できなくなるかもしれない。地方公務員の人数も減り、自治体で働く非正規雇用がさらに増えるだろう。生活保護のハードルも上がり、医療費の自己負担額も増える。国民年金も減額されるか、支給開始時期が遅れ、企業年金に至っては破綻するところも出るかもしれない。富裕層や法人への課税を強化しても彼らはタックスヘイブンなどを活用して逃げ回るだけであり、犠牲となるのは逃げられない弱者である。
さらに国家予算も赤字が続くのであれば、国債発行額は過去最高を更新し続け、最終的にデフォルトを起こし、IMFが占領軍として乗り込んでくるかもしれない。円建て債権だからデフォルトは起きないという説もあるが、その場合は返済のためにお金を擦り続け、ハイパーインフレに行き着いてしまう。いずれにせよ犠牲となるのは国民である。
もちろん移民受入でこれらの問題がすべて解決するわけではない。一部の方が指摘している通り、一番良いのは日本人の出生率を引き上げ、日本人に教育等の投資を行うことである。ただ、移民受け入れはいくつかある手段の1つだと思うし、無策で過ごした出生率引き上げ策のように、後々になって「あの時にあれだけでもやっておけばよかった」と思うことの無いよう、前向きな検討と段階的な実施は進めるべきだと思っている。