はてなキーワード: 世界観とは
最初に断っておくと、これは個人的なリアリティラインと制作側の演出のリアリティラインが合ってない、結果として「嫌なら見るな」でしかない話。ちょっと期待してた分のガッカリした気持ちを吐き出したいだけだ。
ガールズバンドクライは、何らかの問題を抱えた少女たちが出会いバンド活動を通じて自己実現していく系の作品だろうと思って視聴し始めた。まあそこは実際どうだかはおいといて
といったことからも、バンドにまつわる描写にはとくに本腰入れてリアリティ出そうとしてるんだと思った。音楽周り中心に周辺事情はちゃんと描くからこそ、ぶっ飛んだキャラ設定などのフィクションならではの部分に対して嘘くささを忘れられてドラマ性が高まる、そういうもんだと思ってる。
が、実際には1〜2話では逆の、とくにバンド関連の嘘が、演出だとしてもひどい印象だった。
なんかこの辺、要らん嘘って感じで、ストーリー展開のための嘘にしか思えず、演出だとしても筋が悪いように感じられて、視聴のノイズでしかなかった。
1話で仁菜のギターの扱いが酷いのは単にど素人だから別にいい。仕方ない。「他人の」「楽器」ってだけで大事に扱う常識的な感覚、を持ち合わせていないキャラで構わない。あと1話は、仁菜の住む予定の部屋の隣、そんなアパートに小さな子いる家族で住む?みたいのも気になったがあり得なくはない。2話での、壊れたシーリングライトをスイッチもブレーカーも落とさず着けるシーンは危ないのでやめて欲しいが、そこが無知なのは仕方ないというか全然有り得る。ちょっとした家電の知識すらない大人も現実にいる。そういうのよりスマホリテラシーの偏りの方が不自然に思える。ストーリー都合過ぎる感じがとてもした。
3、4話ではノイズになる嘘が減ってきた。3話の歩いてない鳩の首リズムも嘘だが、ストーリー展開が絡まないギャグ演出みたいなもんなのでそこは許せる。
冒頭にも書いたけど結局は個人のリアリティラインと作品のリアリティラインがズレてるだけの話。気にならない人には気にならない。
こういうこと書くとダブルスタンダードっぽいが、例えばバンド活動を主軸に扱った作品でも、以下のようなものはフィクションとして気にならない。
少なくともガールズバンドクライという作品で描きたいであろうテーマからすれば、上記に挙げたようなところはフィクションで構わないと思える。まあチートというか。例えば「バンドって金かかるし貧乏生活になるよね、そこをどうあがいて脱していくかを描きたい」ってんなら話は別だけど。なんか「いないパートの楽器の音が鳴る」のはチートじゃなくて、シンプルに嘘なんだよね。
花田作品は結構、ストーリー都合の「付かない方が世界観の品質維持できてよかったろうにという嘘」が多い印象はある。でも全部が全部自分に合わないわけじゃなくて、監督やどの辺に監修入ってるかとか、何題材にしてるか(→見る側のリテラシー変わってきてリアリティラインも変わる)などで結構変わる。
陳腐なんじゃなくてお約束と言って欲しいね確かに作りは保守的かも
ナーロッパとか剣と魔法が好きじゃない俺みたいなのには刺さるなんちゃって現代風異世界にミリタリーやら何やら男の子趣味要素のものが散りばめられた美少女もの
男がほぼ出ずに美少女ばかり出てくる=現代では貴重な純粋な男向け作品で女避けの役割も基本的には果たしてるんだ
それなのに何で連中は寄ってくるんだ……
ロリータが男ウケしない理由より、お疲れダル着社畜女に男が寄ってくる理由から説明したほうがいい気がするなあ。
端的に言うと、「ヤれそうだから」。
そもそもまず面識のない女に道端で声かける男って「普通の男」じゃないんだよな。
いかに少ない工数でどれだけ効率的に女とヤるかを競ってるような、ナンパとか恋愛工学とかそういう連中ね。
そういう視点で見ると疲れた女ってちょっと優しくしたらヤれそうだなって思うわけよ。
なんならボサ髪目の下クマダルダルパーカーとかでも寄ってくるだろうね。
逆につむじからつまさきまでばっちりロリータでキメてる女とかそんなん絶対工数かさむでしょ。そりゃ避けるよ。
普通の男からみたらどうかというと、ロリータはなんか独特の世界観持ってそうだなってみえるんだよね。
当たり前だが、普通の男の場合は断られるのを恐れてるんだよね。
これは女でも分かるでしょ、アプローチして空振りしたら普通にへこむわけで。自尊心が傷つく。
(ナンパとかやってるやつはヤった女とやらせてくれなかった女を見下すことでいびつな自尊心を保ってるわけだけど、まあこれは別の話だな)
逆に、服装がロリータでも女の側から気さくに接すればギャップがウケるとおもうよ。
べつに男にモテたいわけじゃないらしいし、どうでもいいだろうけど。
あと、これはわかってるとは思うが、「見えてる地雷」とか「メンヘラっぽい」とか書いてるのは、アニメとゲームと漫画を摂取しすぎてこじらせたオタク君だから「男ウケ」とは完全に無関係な。
共同親権導入の背景について関する法務大臣の「両親が離婚をせずにその家庭の中でこどもが育つ、これが一番子供の利益」って答弁に対して共産党の仁比議員(個人的には山添拓さんと同レベで推せる議員)が「それってあなたの感想ですよね?」的な返ししてたのまじで笑う。実際立法事実じゃなくて単なるカルトの世界観やもんな。
普通に考えて夫婦関係の悪化した状態に晒されるほうがよっぽどこどもにとってダメージやろ。こどものことなんて眼中にない政策なのみえみえ。反日カルトのご機嫌伺いしか目的にないの見え見え。
最近訳あってニートになり、特に趣味ができる環境じゃないのでYoutubeで時間を浪費してる。
切り抜き、Shorts等様々な方法でVtuberが流れてくるが、どれもこれもが女性との関わりのない社会的に成功してない男性(所謂弱者男性)の劣情や射幸心を煽るような内容ばかりでうんざりする。
Vの全員がキモいわけじゃないけど、中でも許せないのはホロライブだ。
アラサー迎えた女が画面の向こうで萌え声を出しながら延々と青春話を繰り返し、エロい話で弱者男性の劣情を煽る。
ビジネス的に作られた商業主義の世界観は「推し」という言葉で綺麗に書き換えられ、ホロライブワールド(優しい世界)を形成してゆく。
なんでこんなアンチみたいな文章を書いてるのかというと、こうでもしないと気が狂いそうだからだ。
だって、あんな事業として大成功しているコンテンツが自分だって好きにならない訳が無い。
Vtuberが他の「推し活」と違って悪質なのは、リアルのアイドルと違い、中の人が作る嘘で出来た虚像が優しい言葉で弱者男性の全てを奪っていきそうな点なんだ。
カンザキイオリが不可解参(想)を最後に外れたり、オリジン寄りの存在として廻花がお出しされてそっちではシンガーソングライターの道を歩み始めていたりするが、それはそれとして花譜の道は続く。
歌ヨシ、絵ヨシ、創作への熱意は誰にも負けない神椿きっての奇人。一応バーチャルダークシンガー。
エイプリルフールを自らの願望を実現するために何をやっても良い日だと思っている節がある。
この曲は救いなんだ……
割と春猿火であることに迷いつつも、ついに一体化を果たしてくれたラップもいけるシンガー。
睡眠時間以外は常識人なのだけど、とりあえず夜寝て朝起きてくんないかなとかは思ってる。収録・ライブの度に生活リズムが崩れてそうなので。
デビュー当初はVALIS同様の方針で行く感じだったけど、今はバーチャル専門になったのかな?
名前のとおり、空が似合う歌声のシンガー。ただ、その空は必ずしも晴れ模様のみを受け入れるというわけではない。
存流と明透の対照性と、歌劇的な皓とクラブサウンド寄りな黑の対照的な曲群という二重の対照性によって独特の世界観を表現していたユニット。
この曲でAlbemuth 1st ONE-MANを締められたことが最高だったんだって、いつか振り返られる時が来ると良いなと思っている別れの曲。
黑曲で1曲絞るならこの曲かなと思ってる曲。
話し始めると止まらないマシンガントークに、そのトークを支えるだけの感情の言語化が上手いなと思っているシンガー。
他にもVってわけじゃないけどDUSTCELLとか雨宿りとかAwairoとかGuianoくんに梓川くんに跳亜くんにEmpty Old Cityに獅子志司さんに……色々いるよ!
という意見を見て、自分は楽しめた方だったが、不満がないわけではなかったことを思い出した
特に、テロの動機がショボすぎて、なんか特にテロ側に感情移入できないというか…
しかし、リコリコの楽しみ方は、ストーリーとか世界観ではなくて、あれはお笑い芸人のコントを楽しむというか、
会話の駆け引きを楽しむような楽しみ方であって、
だから、世界観とか設定とか、そういう物語として考えると、途端にショボくなるのは否めないんだよなあ
動機が不明瞭というのは、テレビの仮面ライダーのショッカーが幼稚園バスをジャックするようなもので、
動機とかよく分らんが、なんか悪いことをしている存在が必要なんだな、という感しかない
それはそれでいいのだけど、そこから先に首突っ込みたい視聴者は白けちゃうんだよな
わかる、わかるんだけど、
中国大陸版の方が日本など海外版より半年分ほど先行している。そのため、日本版ではなく大陸版をぷれい、または日本と大陸で両方プレイしているユーザー(ドクターという呼称がある)がいる。
その大陸版ドクターには、単純に「実装されたステージやキャラクターを楽しみ、それらの解説をする」人と、「世界観考察」をする人に分かれる。
アークナイツは非常に設定が細かく(大陸版で出た世界観資料集は辞書並みに厚く細かい)日本語に翻訳される際に落ちてしまう情報やフレーバーテキストがあるため、「考察」するドクターは大陸版に触れざるを得ない。
もうすぐアークナイツは春の限定イベント(大陸版ではハーフアニバーサリーイベントだった)が行われる。
そのイベントタイトルが「ツヴィリングトゥルムの黄金」である。ツヴィリングトゥルムは都市名。長い。
「中国語での表記でも、モデルとなっているドイツ語の表記でも『ツヴィリングトゥルメ』が正しい。なぜツヴィリングトゥルムにしたのか」「そもそも一人のオペレーターがボイスで『ツヴィリングトゥルム』って言ってるだけなのでそれを修正すればいいだろう」
始めは「そうなんだ」と思っていたが、正直考察もほどほどで単純に楽しんでいる一般ドクターからすれば単にカタカナ一つでグチグチ言える神経の方に驚く。そして、ボイスは開発元のハイパーグリフの管轄なので、それは日本の運営のせいにするのではなく、ハイパーグリフにボイス修正しろというご意見をするのが筋だと思う。
また、最近限定イベント前にお知らせ生放送があった。運営会社社員と声優たちが情報をお知らせする形式だが、特に声優たちが遊んでワーキャーすることもなく、ひたすら情報が言い渡される。前半はゲーム情報、後半は日本独自の施策(商業施設とのコラボなど)の紹介。
それにも「考察版」ドクターたちは「大陸の放送のやり方を見習え」と注文をつけている。
大陸であったイベントPVを流せ、そもそも大陸は情報を圧縮して1時間以内にしている、制作陣が直接説明しているなどなど。
いや、大陸版がよければそっち見るからというかそっちも見てるから……
「俺たち私たちの望む日本版生放送のあるべき姿」をいい大人たちが愚痴っているのは本当に怖いし陰鬱。
あと何が問題かって多分この人たちが界隈で「偉い先生」みたいに持ち上げられていることだと思う。
上にも書いたのでアークナイツの設定は細かい上に世界観が練られているのでそれを「考察」する人たちは歓迎される。実際へーって思うこともある。
でもそれは「ドクター」同士の間であって、「大陸の運営とか生放送はねぇ、こんな風にしっかりしてるの!日本版のこれは一体何?ちゃんとしたの出してくれなきゃ困るよ〜自分たちは『本物』を知ってるんだから納得させてよ」という運営に上から目線するのは……違うだろう。
あなたたちはどこまで行ってもドクターでファンのはずでは?他の無知なドクターたちから知識すごい!って褒められることに慣れてなんか自己認識がずれちゃったのかな。
そんなに酷評するほどのものでもないと思うが、これが中高生(というかオタク)の間で流行ってるのか…と落胆するくらいには期待してたより面白くない。
ちなみに原神は世界観が綺麗だし、恋愛要素少なめ。雰囲気似てるフリーレンが流行る昨今だし、庶民受けは良さそうに思うが、このままズルズルと制作に手間取ってると旬が過ぎるだろうね。
原作はとびとびで読んでる。
萬斎版も見てます。
以下、過剰な表現の感想はしないようにするため、多少感想は回りくどくなる。
もともと今回の映画は期待してなかった。
実際問題として映画の出来は70点届かないくらいかなと。68とか69とか。
シネフィルぶった感じで★5の評価をつけるとするなら★3.6、もしかしたらもっと低くつける人もいるかもしれない。
かといって酷いわけではなく「GWに家族で見に行く」のは超おすすめだし、なんか見るもんないしコナンも見たしなぁーって人がふらっと入っても楽しめると思う。
丁寧で難しくもないし、子供向けでもない。でも子供も多分いい経験になるだろうし、大人もシニア世代も懐かしいなとか、美術的にも彩色豊かなので萬斎版と違った新しさは感じられるだろう。
原作厨過激派はネトフリのアニメだって受け入れられないんだろうし映画は見るなと言いたいが、原作ライト層なら楽しめると思う。
しかし原作ではまだ描かれてない部分であるし、原作者もがっつり監修している(監督は原作者指名である)。原作で二人の出会いが描かれるときは違うものとなるらしいが、それはエンタメ的、商売的な観点ということのようだ。
設定は変わっている。でも好感度は高かったのはなぜか。
「世界観」と「主要キャラの関係性」が大きく変わらなかったことだ。
陰陽師という作品は晴明と博雅のシャーロックとワトソンコンビで成立する作品だ。
だから時代が変わってもこの二人がいれば夢枕獏の陰陽師だと認識できる。映画にはちゃんと居た。
ただ今回、原作よりも若い頃の二人という設定なので安倍晴明のキャラが少し違うように思う。青く泥臭く、また甘い。
しかしそこに染谷将太が「どうも原作から来た博雅です〜」って感じでやってくる。
まだ博雅を知らない晴明はツンケンしているのだが、映画が進むに連れ博雅を知ることで「原作の博雅を知った晴明です」って顔になってきて、ああこいつ成長したらちゃんと原作の晴明になると感じられるのが楽しいのだ。
展開も原作でありそうなものだ。まあこのへんが夢枕獏の呪術ワールドでもあり幻想映画にしてしまう部分でもあるので多少分かりにくくなるのだが…大体呪術廻戦の領域展開だと思えばいい。
しかし映画とは作品としての出来を1歩引いた目線で見て総合評価するものではないと常日頃思っている。
この映画はバディ誕生物であり、昨今の話題作だと「ゲゲゲの謎」や「ヴァチカンのエクソシスト」と同じ楽しみ方をしていいものだと思う。
ゲ謎やヴァチクソ(ええんかこの略称)は大傑作というよりは色んな前提を知っている人がキャラの二人を見るのを楽しむ感じで、カルト映画のような人気を博している。
違う点は先に書いたように「子供を含めて家族と見れる」という点だ。どんな因習のある村に住んでいようが陰陽師0は見れる。なんか久しぶりにそういう映画をコナン以外で見た。懐かしさ…。
今、韓国では大手事務所と敏腕プロデューサーが揉めてて大変なことになってるんだ。
はてなのおじさんおばさんでも名前なら知ってるかな。New jeans(ニュージーンズ)ってアイドルのプロデューサーと、ハイブって事務所が大揉めして、株価がすんごい下がっててやばいの。
そのプロデューサー(ミンヒジンさん)がもしこのまま解任となったら、ニュージーンズはどうなるんだろうってKPOPファンたちは心配している。
考えられるパターン
ハイブは韓国で一番力のある事務所で、ニュージーンズはこの資金力にモノを言わせて、めちゃくちゃお金をかけてプロモーションして世界的人気を得たんだよね。
いくらミンヒジンのプロデュース力があっても、いくらアイドルたちのポテンシャルが高くても、ハイブの圧倒的なお金パワーがないとこれまでのような活動は難しいだろうと思っている。
ニュージーンズを構成する要素には、メンバー個人個人の魅力と同等またはそれ以上にプロデューサーであるミンヒジンの存在が大きい。日本でいうと全盛期のモー娘とつんくみたいな感じかな?ちょっと違うかもしれんけど。
まあそのくらい、プロデューサーが変わるとメンバーだけ同じの別ものになってしまうだろうし、これまでの世界観を愛していたファンは離れてしまいそう。
これだけこじれてしまっている様子を世間に晒してしまった手前復縁することは難しいだろうけど、復縁しない限りニュージーンズがおしまいになってしまうので、うまいこと「なんかお互いに誤解してました!タハハ!お騒がせしたね!」となればファンも投資家も安堵するだろう。
やっぱりハイブパワーとミンヒジンパワー、どっちも揃っていないとニュージーンズはニュージーンズたり得ない。
なんかすごい敏腕プロデューサー。
つい最近まで「ブラックピンク以後」だったKPOP女性アイドルを「ニュージーンズ以後」に変えたすごい人。
でも、この人のやり方や言ってることに疑問を感じる人も多いと思う。
韓国で一番おっきい事務所。何年か前まではそんなに大きくなかったけど、所属のBTSってアイドルが世界的に成功したおかげで事務所も大きくなったよ。
厳密にはハイブはいくつかの事務所をまとめる親玉みたいな存在なんだけど、KPOPファン的にはハイブ傘下の事務所ならみんなハイブ所属だという認識が一般的だよ。
ちなみにニュージーンズはハイブ傘下のADOR(アドア)って事務所に所属しているよ。アドアはニュージーンズのために設立された事務所で、ニュージーンズしか所属していないよ。
ミンヒジンをはじめとするアドアの経営陣がハイブを裏切って独立しようとしている。
いくら有能とはいえ親会社を裏切るのは言語道断!許せませんので、解任しま〜す!
最近デビューしたハイブ傘下事務所のアイドルがニュージーンズをパクってて許せんから、ハイブにそれ言ったらなんか解任って言われた。独立なんてしようとしてないのに!
というか、そのアイドルだけじゃなく、あっちのアイドルもこっちのアイドルも、全部私のパクリでしょ!あとBTSも私のパクリ。パクリで事務所でっかくしやがって〜!
非モテの悲鳴を聞いてて思うところとして、奴らの周りには女が不在で男同士の関係性のみって環境に生きてる感がすごい。
非モテが目指すところって女とイチャイチャすることではなくてイチャイチャする女を獲得できる強オスな俺として、他の男から認められたいって世界観な気がする。
昨日から、NewJeansのプロデューサーであるミン・ヒジンと、元締めであるHYBEがこれでもかと揉めている。詳細は適当に調べてくれればいい。
そのとばっちりで改めて「NewJeansおじさん」がきもがられているわけだが、というのも、このニュースに注目して物知り顔で物申しているのがもれなくこの層だからだ。そもそも、ミン・ヒジンという裏方にやたら関心があるのもNewJeansおじさんたちの特徴であって、「にゅじたちが心配😭」とかつぶやいているようなティーンたちは、ミン・ヒジンが誰なのかもろくにわかっちゃいないだろう。
念のため、きもがられているNewJeansおじさんが中年男性である必要はない。ある特定の性質を持った人は誰であれ「NewJeansおじさん」なのであり、非おじさんにきもがられる立場にある。
この性質がなんなのかといろいろ考えてみたのだが、一言で言ってしまえば、「NewJeansを作品として鑑賞しようとしている」ということになるのかもしれない。NewJeansおじさんたちはもれなく鑑賞者であり、非おじさんたちはそうではない。
要は、おじさんたちはよくできた作品を求めているのであり、その価値を堪能したいのであり、それをもたらした作者や文脈について知りたいのだ。なんなら言葉を尽くして批評したい。
残念ながら、ティーンたちからすればおじさんたちのこのようなふるまいはかなりきもい。非おじさんたちからすれば、肝心なのはまずもってメンバーたちであり、そのかわいさであり、人生である。推しの幸せが一番なのであって、彼女たちをひとつの作品の一部としてモノ化する視線をそもそも持っていないのだ。
ここには、決してわかり合えないふたつの態度がある。おじさんたちはNewJeansメンバーたちのVlogなんて見ないし、非おじさんたちはミン・ヒジンのインタビューなんて読まない。
いま、NewJeansはミン・ヒジンを追ってHYBEを去るか、ミン・ヒジンと手を切ってHYBEに残るかという選択を実質的に迫られている。言うまでもなく、おじさんたちがより望んでいるのは前者であるが、おそらくティーンたちにとってより好ましい帰結をもたらすのは後者だ。ミン・ヒジンの世界観、おじさんたちを引き寄せていたあの芸術性を失うことは、芸術作品としてのNewJeansの終わりを意味するが、「推す」側はそもそも芸術性なんて気にしていない。非おじさんたちはなんであれ愛を注ぐのだから、GODSみたいなクソしょうもない曲を連発して人気が停滞したところで、愛がより加速するだけだ。
おじさんばかりがきもがられるのであえて言うが、対象のクオリティを度外視してひたすら「推す」というのは、それはそれで無責任だし傲慢なふるまいだ。
「かわいい」「頑張ってる」ぐらいしか評価軸を持たないファンたちは、今回の件がこじれてNewJeansがいよいよ落ち目になったとしても推し続けるのだろうが、それにだって限度がある。そのうちどうせ、ILLITなんかに乗り換えるのだろう。
そして本当にひどいことに、HYBEに代表される大手企業は、このような乗り換えを推奨するかのごとく次から次へと新人グループを量産しては既存のグループを切り捨てていっている。良い作品を良い作品としてじっくり長く嗜む、という鑑賞的態度が廃れているばかりか、「推し」に対立する態度としてけなされている現状が、このようなビジネスモデルを助長していることは言うまでもない。
いくらかわいくて頑張っていても、作品として劣っていては意味がないだろうと、そう思う私はNewJeansおじさんである。多少なりともそう思うのであれば、あなたも多少はNewJeansおじさんである。
素晴らしい絵と世界観を持つ作品群で、自分はその作品も作者さんもコミュニティも大好きだった。
そんなコミュニティから抜けたのは、きっかけは色々あるけど、作者さんが自分の意に添わぬファンを罵倒したりイエスマンばかりに耳を傾けるようになったことだ。
それは仕方がないことだが、そのジャンルを好む人々を罵倒したり人格を攻撃するようになっていった。
周りのファンも少しでも嫌いなジャンルにかかわっている人間は「頭がおかしい」「「怪物」とののしり、そうじゃないファンを攻撃し作者もそんなファンをほめるようになった。
正直居心地が悪くなっていき、距離を置くことにした。
常々作者さんは自浄作用を口にしていたが、ファンも作者さんをいさめるようなことはしなかった。
いや、いさめたファンもいたがやめることを宣言したりもはや何も言わなくなってしまった。
ただ傍観していた自分も何も言う資格はないのだが、あのコミュニティや作者さんが大きなトラブルに巻き込まれないことを祈る。
金曜日の夜にこんなことを描いてごめんなさい。
描いていたら楽になった。
読んでくれた人ありがとう。
素晴らしい絵と世界観を持つ作品群で、自分はその作品も作者さんもコミュニティも大好きだった。
そんなコミュニティから抜けたのは、きっかけは色々あるけど、作者さんが自分の意に添わぬファンを罵倒したりイエスマンばかりに耳を傾けるようになったことだ。
それは仕方がないことだが、そのジャンルを好む人々を罵倒したり人格を攻撃するようになっていった。
周りのファンも少しでも嫌いなジャンルにかかわっている人間は「頭がおかしい」「「怪物」とののしり、そうじゃないファンを攻撃し作者もそんなファンをほめるようになった。
正直居心地が悪くなっていき、距離を置くことにした。
常々作者さんは自浄作用を口にしていたが、ファンも作者さんをいさめるようなことはしなかった。
いや、いさめたファンもいたがやめることを宣言したりもはや何も言わなくなってしまった。
ただ傍観していた自分も何も言う資格はないのだが、あのコミュニティや作者さんが大きなトラブルに巻き込まれないことを祈る。
金曜日の夜にこんなことを描いてごめんなさい。
描いていたら楽になった。
読んでくれた人ありがとう。