はてなキーワード: 世界ふしぎ発見とは
籠池さんが堂々としてるから真実を語ってるに違いないって思う人がある程度いるっぽいことに驚いた。
籠池さんって、なんか自分で考えたり思い出したり言ったりしてるうちに、なかったことも本気であったと思って言えるタイプの人に見えるんだよなあ。
記憶が割と常に曖昧で、自分が感じた感情の記憶とかすら容易に書き換えられる。
すぐ記憶が混濁したり、なかったことをあったと思ったり、逆だったりして迷惑かけがち。
ゴミ出しをちゃんと済ませたつもりになって気分よく暮らしてて、でもなんか溜まるのはやいなあって思ってたら、
ゴミの中の日付を辿ってみると2週間近くゴミを出してなかったことが発覚したりとかはかわいい方。
10歳ごろに、なぜか自分の誕生日を全然違う日として人に話していたとかって話もある。
当時の連絡帳にまで書いてあったから誕生日詐称事件があったのは恐らく事実。
周囲には「役場から訂正のお知らせがきてさー」と言っていたらしい。意味が分からない。
多分そういう夢をある日見て、それっきりそれが事実だと思い込んでいたようだ。
そして事実だと思い込んでいるからわざわざ確認することもないので、機会があって人に話すまで表沙汰にならない。
親がいくら母子手帳とかで訂正しようとしても「紙が来たはず」「紙をどこへやった」「なぜ隠すのか」「何か都合の悪いことがあるのか」と話にならなかったらしい。
あとめっちゃ感謝して恩人だと思ってた人にかけてもらった言葉を、後年にあの時あの場所でこう言われて嬉しかったと伝えたら、
別にそんなこと言った覚えないけど……っていうかその当時親しかったっけ?って言われたりとか。
周囲の証言によると、別の人と勘違いしたとかではなく、自分がその言葉をかけられるきっかけになった出来事自体、
全くそんな事実がなかったというのが少なくともこの世界線では事実らしい。
その言葉に助けられた気持ちも、その後何度もその言葉を思い出して頑張ったのもそれはそれで多分事実なので、いまだに釈然としない。
シンプルに夢で見たことを現実と混同するパターンもよく起こる。
寝起きの感覚で気付くだろうと言われるのだけれど、夢を見て起きたというよりは「ねつ造された過去の記憶を埋め込まれた状態で目覚めた」という感じなので、
特に違和感のようなものを感じないから疑わないし、周辺の記憶に曖昧な点があっても記憶がもやもやしているのはいつものことだから、自分ではその記憶が夢なのかどうか区別が一切つかない。
そのときの様子もあの時こういう会話があった!こういう様子だった!と妙に詳細に語ったりする。まあ、大抵全部夢なんだけど。
記憶が鮮明すぎて「あれ?この俺がこんなに昨日の事を細かく覚えてるのは逆におかしくないか?」という疑念から夢だと気付けることもたまにあるけど、それはそれでちょっとかなしい。
こんな調子なので、事故を見ても5分後にはどういう状況だったか説明が二転三転してそうだし、はっきりいって証言能力的なものは限りなくゼロに近いと思う。
そんな機会はないんだけど、ウソ言ったら偽証罪に問われますと言われて喚問されたりしたら、正直に思い出せませんを連発するか、
事前準備で振り返っているうちに自分の中のエピソードが固まって、第三者からは頓珍漢なことを真実と信じて堂々と喋るかのどちらかになってしまいそうだ。
さすがに今は基本的に自分の記憶は信用ならないと気付いているので、トラブル回避のために
「ソースが自分の記憶だけのことは全てあったかもしれないし、なかったかもしれないこととして処理する」クセがついているけど、おかげで自分の人生なのにどこか他人事のような感覚が抜けない。
また気を付けていても、そんな出来事があったら忘れるわけがなさそうな重要なことや、逆にどっちでもいいような些末なことでは事実確認を怠ってしまって勘違いを起こしやすい。
つい先日も「そういえば世界ふしぎ発見で野々村さんが眼帯してたね」と言ったら「何言ってんの?」と返された。
野々村さんには悪いが、ものすごくどうでもいいし、そこで嘘をつくメリットが自分には一切ないことなのに、嘘をついてしまっているのがとても怖い。
しかもたちの悪いことに、言ってるうちは本気で信じてるし、一人だけ別な世界線に紛れ込んだような気分になる。
言った言わないで水掛け論になるのが本当に最悪なので、電話が本当に苦手。連絡はメールやLINEの記録が残る形でお願いしている。
基本的には物証がない場合は自分に不利な方向に進むことを前提に、他人の良心に期待せずに生きるクセもついてしまった。
断定形の強い言葉を使う時や、正確性が求められる場面では、本当にその記憶が事実かどうか、
その発言を担保する物証が確保できているかどうかをなるべく自己点検してから口を開くようにしているのだが、
その結果自分の中で発言にゴーサインが出る機会がものすごく減って、元来かなりおしゃべりなのに、今は周囲のほとんどの人に物凄く寡黙な人だと思われていてギャップがちょっとつらい。
勘違いとは関係ないけど、色々曖昧なのでデジャヴもよく起こる。
「あれ、前もこれとそっくりなことなかった?」「ないと思うけど?」「あ、じゃあこの記憶は夢(?)なのか。」みたいな。
ただ、デジャヴを感じたシーンのちょっと先まで記憶の通りに進んだりすることがちょいちょいあるので、
麻雀でリーヅモ一発七対子の成功率が妙に高くて気持ち悪がられたり、下校中の前方にすごくデジャヴを感じるおじさんを見かけて、
「多分今あの交差点にいるおじさんだと思うけど、あの辺に黒っぽい財布落ちてる気がするから後で拾って交番行かなきゃ」
みたいなことを友人に言ってたら、おじさんのいたあたりに着いたらホントに財布が落ちてる。みたいなことは何度もあった。
なんとなく「ここに行けばある」と妙な確信を持ってその場所に向かって、財布とか定期とかカードとかを拾って交番に届けることが毎年5回くらいある。