「不都合な事実」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 不都合な事実とは

2019-03-02

anond:20190302181014

男は不都合な事実を言われた時、瞬間的には怒ったりするけど、時間が経てば納得したり反省したりする。

でも女はどれだけ時間が経っても、自分気持ちを重視するから「でも私は傷付いた」という所から動かない。

会田誠当たり屋も同じだと思う。

2019-02-04

政府にとって不都合な事実は隠せ!

政府の基幹統計の多くが操作されていたということは、正直、総理逮捕されたロッキード事件より、事態は深刻だと思う。

ロシアンゲート事件のいく末を見守りたいと思う。

2019-01-27

anond:20190127090640

自営業であり収入は多くないため、一方的扶養は致しかます。自らの収入源をもった、自立した方を希望します。

結局この時点でフェミ敬遠する不都合な事実

2018-10-28

創作地獄のほうが良いものができる

ワークライフバランスとかそういうの無視して死ぬ気でやったほうが良いものができてしま

その不都合な事実とこれから社会はどう向き合っていくか

2018-07-25

anond:20180725214215

仮に事実でも名誉毀損は成立するから自分不都合な事実ネットで言いふらす連中を黙らせられるというメリットありまくりじゃない。

2018-06-11

anond:20180611214056

お前が何を言おうとも、きらきらしたお姫様ヒーローを幼少期から憧れさせるのが、職業差別根本的な原因なのは不都合な事実でしょ。

2018-05-11

anond:20180511181704

男女平等ほんだららや、実質賃金ふにゃららではなく、

年収400万円の分水嶺に達しない男が多くなったので少子化になったというのが不都合な事実だろう。

2018-04-03

科学者が本当のことを言わないのは社会学者だけの話じゃない

科学者の端くれ増田より。

上野千鶴子が「私は嘘はつかないけど、本当のことを言わないこともある」って言ってたのが発掘されて叩かれてるらしい。

https://togetter.com/li/1214735?page=2

この件で上野千鶴子あるいは社会学者は信じられないとか言ってる連中がいるが、自分に都合の悪いデータ自分から喋るのが学者の真の姿だと思ってた連中のほうが驚きだよ。

上野千鶴子研究や主張については好き嫌いあるだろうからここでは議論しない。

かと言って自分研究分野の話をして叩かれるのも嫌なので、皆大好きで叩いたら逆に袋叩きにされる山中伸弥教授を例に出そう。

iPS細胞再生医療への応用が期待されているんだが、実現には結構壁がある。山中氏はiPSの欠点不都合データを仔細に把握しているはずなんだが、そのことをマスコミの前でベラベラ喋ったりはしないだろう。莫大な予算を取る時だって一々不都合な事実を申請書に書き連ねたりなどしないし、ましてや難病患者たちの前で(応用の日程表をそれなりに把握しているにも関わらず)あなた達を存命中には助けられない可能性が高いなんて話をしたりもしない。

これは科学の欠陥でもあるんだが論文だって自分たちが発見したもの欠点をだらだら書いたりしたらその論文重要論文だとみなされなくなっていい論文誌に通らないだろう。だいたい数学以外は100%完璧データ解釈なんてないんだから厳密にやろうとしたら論文は「~かもしれない」だらけになってしまう。嘘をつかないように工夫しなたら基本的にはポジティブな面を強く推す。例外的欠点を指摘するのは、その欠点解決する、補う研究を既に進めているときで、最終的にポジティブっぽい話にする。

それでも不利なデータも載せるべきだって考えもあるんだが(これはデータ改ざんとは全く違う、論文ゴミデータ載せるかって話)、それやると結局不利益になるんで、自分研究欠点が見えないポジティブ馬鹿がどんどん偉くなるっていう歪な構造になる。

から本来研究欠点があるのなら他の人がそこを突っ込んで、元の研究擁護する人はそれにさら反論してって形で進めていかなくてはならない。当然いい研究なら誰もが突っ込むようなところは最初から補強するんだけど、いくら補強しても真面目に応用まで考えてる科学者なら自分研究欠点が見えてきちゃうものだ。(本当に完璧発明をしたら論文より前に特許とって会社を立ち上げるかもしれない。)

報道しない自由」なる言葉を使う連中もそうなんだが、最初から自分に都合の悪い情報も全部話せなんてのは都合が良すぎる。だいたいそういう奴らは自分相手の言い分を良く調べて批判するコストを省いて、相手が挙げた自分欠点を指摘して、「じゃあお前駄目じゃん」って結論にして納得するんだろう。政治家だって報道だって学者だって自分に都合のいい話しかしないのは当たり前のことなんだよ。相手の言い分を鵜呑みにしたくなければ、相手人格批判するんじゃなくてちゃんと真面目に議論しろ。できないなら「言ってることがよくわからなかった」「言ってることは理解したが、どこかに論理的欠陥や例外がある気がするので説得はされない」くらいの認識にしておけばよい。

科学者は「真実を語る人」ではないし、そう信じるのはそもそも科学的な態度でもない。こう言うとショックを受けて「じゃあ科学なんていらない」なんて言う人も出てきそうなんだが、それでも宗教よりはマシというのが大部分の人の見解だと思う。

2018-01-09

仕事始めを迎えたけれど、年越しした憂鬱がある

あるプロスポーツチームの運営会社で働いている.

といっても,私が所属しているのは,監督トレーナーといったチームマネジメントではなく,チームやそのスポーツの関連事業を展開する部署だ.

おかげさまでここ数年はチームの成績もよくそれに連動して営業成績も右肩上がりのため,関連事業予算は潤沢だ.

理解力のある上司や有能な同僚にも恵まれ,同じ業界の中でも先進的な取り組みを進めてきた.

2018年はこれまで積み重ねてきた成功事例をもとに,全く新しい分野で新規事業を立ち上げる予定だった.

ところが,この新規プロジェクトの立ち上げのために,昨年から協力関係を築いてきたスタートアップ企業がどうも怪しいのだ.

詳細は差し控えるが,たとえば,先方の主力製品の性能が,データと付き合わせてみると謳い文句の30分の1以下程度しかない.

スタートアップはいえ,ある大企業出資があるから背後関係含め問題ないという話だったのだが,その投資も異例の速さで引き上げられてしまったという.

こんな噂が昨年末にかけて続々と漏れ聞こえてきて,社内にもおかしいなという空気が充満していたのだが,敏腕上司肝煎りで始まったプロジェクトのため,流れに棹さすわけにもいかないという感じで2017年仕事納めを迎えた.

しか年末年始にかけて,都内の他業種交流会に参加した際にこの企業の話になったところ,漠然とした疑いを裏付けるような証言複数寄せられたのだ.

曰く,製品の性能は完全な誇大広告オリジナルと言っていた製品はただのOEM供給元はその製品を様々な販売店に卸しており,中にはマルチまがいの会社もある(あった),ここの社長は嘘をついて投資仕事を引っ張る天才だが信頼を失って最終的に破談するのが常,都内大手企業に悪評は回りきっってしまっており現在地方の有力企業にあたっているのだ,等々.

どうやら弊社は,その「地方の有力企業」の筆頭らしい.

都内大手企業の面々は「貴社ならご存知のとおりでしょう」と笑いながら,青ざめる私の顔を明らかに好奇の目で見ていた.

もちろん,こういった場合事実上司に伝えプロジェクトストップをかけるのが正しいのはわかっている.

だが,仮にそうなれば,昨年から陣頭に立ってプロジェクトを推進してきた上司は,間違いなく社内での立場を危うくするはずだ.

ここ数年の功績を鑑みれば,彼が社内で失脚するのを見るのは忍びない.

一方で,弊社がこのプロジェクトを進めた場合,それに続く第二,第三の地方企業が現れるのも想像に難くない.

弊社が「お墨付き」を与える格好になって,犠牲者を次々に増やしてしまうだろう.

単純に私に勇気がないのがいけないのだが,社内で不都合な事実を表沙汰にするのに気が引けてしまう.

このままズルズルとこのプロジェクトに関わっていいのだろうか.

昨年から抱えてきた憂鬱が,いよいよ今年になって形になってきて,これ以上,目をそらせなくなってきている.

身バレ防止のためにちょいちょいフェイクを入れたが,話の大筋に誤りはない.

単なる愚痴のようで恐縮だが,もしブコメアドバイスなどとてもうれしい.

2017-10-25

ミクロ弱者マクロに救われるとは限らない

anond:20171023212011

弱者であれ強者であれ個人ミクロ存在なので、マクロから見た場合統計的しか補足できない。

「(マクロ意味で)弱者(の総体を)救えば、(マクロ意味で)強者であるあなた(の属する強者総体)も(一定範囲内で)利益を受ける(可能性が高い)」ってのが真実で、()の中が省略されているだけだよ。

でも個人人生あくまミクロベースなので、個人レベルでの生活論で言えば上記理論に私財(生命しろ財産しろ自由にせよ)を投入すれば、多くの場合不利益のほうが大きい。例えば金持ちが全財産をまるごと寄付して、即座に寄付総額よりも大きな利益を受け取れるってのはまあ、概ね間違いだ。そんな事例は検討する必要が無いほどレアだ。

どっちかって言うと確実なのは弱者虐待しすぎると自暴自棄になった弱者強者をぶち殺しに来るぞ」ってことで、宗教テロにせよ経済格差テロにせよ本質的にはこれだ。強者弱者に気を使う必要があるのは、別の、そして決定的レイヤである物理的な暴力」で逆襲をされないようにするという一点にかかっている。

そもそも最初の「弱者を救えば強者も救われる(利益がある)」ってのにおける「強者が得る利益」ってのは「殺されない(その可能性が低下する)」って言う利益だ。文明が進んで先進国になった現在個人間の格差ジャンルによるけれど、数十倍から数百倍にたっする。例えば資産とか、生涯賃金(稼ぐ能力)とかがそれ。先行者富裕層)絡みて一番イヤな種類の公平はファイトクラブ的な裸で拳な暴力世界であって、その世界では彼らのアドバンテージはなくなってしまう。それはある意味とても公平ではある世界だ。そして現代社会だって一皮むけば中身は全くそのまんまなのだ

でも「すべての人民の間には物理暴力がある」っていうただの現実は、先進国において強者(多くの場合経済的知的富裕層)にとっても、弱者(同じく経済的教育貧困層)にとっても不愉快事実だ。強者から言えば自分たち脅迫されうるっていうのはストレスだし、そもそも弱者側にも武器があるってことを知らせるのが不都合だ。弱者の側から言えば自分たち要求武力を背景にした強請りたかであるってのは不都合な事実だし、人権だとか考えておいたほうがストレスがない。そもそもこの件をほじくり返せば共同体(この場合国家)に「分断」が発生してしまって、それが国力低下を招くのは西欧見ればあきらかだ。臭いものは蓋をしてなあなあにしておいたほうが全員にとって都合が良い。

みんなが自分利益を最大化したいと思いつつも、自分以外の参加者を決定的に怒らせて団結を壊すのは全員の不利益であるので、なあなあでみんなが少しずつ我慢できる結果を模索する――その現場福祉政策政治的合意をさぐる国会であり、今回のような選挙だよ。

2017-08-20

ミソジニーミサンドリー非対称性

最近炎上したGoogleの件にも通じるかも知れないけど、「ミソジニーのほうが話が通じる」という感想を抱く人をたまに見かける理由について考えてみた。

まず、前提として

ミソジニー女性嫌悪)は男性に多い。

ミサンドリー男性嫌悪)は女性に多い。

日本は長らく家父長制をやっていたので、男性社会的責任の大半を負っていた。だからロジカルシンキング社会構造知識を多く求められ、教育されるぶん、女性よりも男性のほうがその辺の能力が高くなるから女性はその辺はあまり教育されないから。あと生理がないぶん体調でイライラすることも少ないから。

東京大学女性比率を上げたいのに上がらなくて悩んでるのは、「女性は賢すぎると男性モテなくなる」という家父長制下の価値観がいまだ根強いかららしい。

社会って共感で成り立っているので、共感安心してそこで満足する。わざわざ不都合な事実に目を向けに行く必要がない。このようにロジカルシンキング必要事実ファクト)を遠ざけてしまうので、女性ロジカルシンキングを獲得するのってハードル高くて困難だよなぁと思う。

から、「ロジカルシンキングを獲得した男性」よりも「ロジカルシンキングを獲得した女性」のほうが純粋能力は高いと思う。乗り越える困難の量が違うから。だから希少性が高く、数が少ない。

から女性が多いミサンドリストは話が通じにくい。なぜなら気持ち理解する「共感」のコミュニケーションチャンネルに偏っていて、頭でロジカル理解する「対話」のコミュニケーションチャンネルが弱くなるから

気持ち的に不都合な事実理解するには、頭が必要

たとえば女性用下着メーカーワコールに勤めてる男性社員ってすごいと思うんですよね、共感不可能領域にいるんだもの。みたいなことをひろゆきが言ってた気がする。

気持ち」って共感することでしかコミュニケートできない、ハイコンテクストなんですよね。

ロジカルシンキングを身に付ければ、ロジカルシンキングを身に付けているすべての人とコミュニケートできる、ローコンテクストなんですよね。

2017-01-15

「超潔癖主義」の非現実性

くさや問題が表した潔癖主義

ファブリーズの件もそうだが、今の日本は「超潔癖主義」に蝕まれすぎではないかと思う。くさやが臭いのは誰がどう考えても事実なので、地元はこのCMに便乗するくらいでいいと思う。

何かにつけて「地域差別ガー」というバカにはあきれてしまうが、つまるところ地域の抱える不都合な事実を外部が指摘することを拒絶するけつの穴が小さい子供である。それこそ、彼らの好きな言葉を借りれば「言論弾圧愛好家」ではないか。文化や社会には二面性がある。

私が生まれて間もない頃の話だが、1980年代1990年代鉄道文化が洗練されていたという話題がSNSや掲示板で流行している。はっきり言って、不良が巣を作りそうな文化がそこにあったわけだが、それでも鉄道ファンは誇らしく思う。「鉄道王国」も日本文化だと自尊心を持っているはずだ。

本来文化・社会性とはそういうものではないか2000年代新自由主義旋風だって文化や科学技術などの高度化の裏に犯罪の高度化や富裕層人口インフレ問題もあった。2010年代1960年代の再来のようなのムードの裏に貧困問題があった。オートバイブームの裏にはシビアな封建もあった。

オタク文化マイルドヤンキー問題共通点

オタク今日社会全般で受け入れられているという。あれといえば、昭和負の遺産にもかかわらず迷惑者が誰も輩出しなかったことを「世界に誇る日陰者」と自画自賛する書き込みが拡散されたことが多くの人に衝撃を与えたものだった。案の定オタク自身の努力で出世が実現するとスゴイ発言まみれになった。

冷静に考えてほしいのだが、同じ大衆の同胞であるべき人達がそれと村八分にされる時点で、そもそもすごくなんてないのである。そもそもオタクとは昭和時代学歴社会実験の失敗に伴いヤンキーと共に発生した負の遺産である本来ここで必要な発想は、負の歴史として再発防止策を考えることであり、恥かしく思うべきことである

仮にもしオタクがすごかったとしてもそれは個人個人がすごいのであってオタクはすごくないのである社会が立派だったとしても、それは日本人の寛容性のことである。もしあなたが大衆の一員であれば、さほど無関係ではないか

私は「オタクスゴイ」とそっくりな問題を抱えているのが「マイルドヤンキー」ではないかと思っている。地方リア充話題が出ると、なぜか不良とこじつけ話題が出てくる。不良とは縁のない人でもヤンキーのように扱われる、あの変な社会空気である

当たり前だが、リア充すべてが悪人なわけではない。大体ヤンキー本来の意味は実は汚い。もともとはアメリカ人白人を罵る言葉として生まれたものだ。ジャップと同じ意味合いアメリカ人が「ヤ○○」の言葉を使うものとしてとらえてほしい。

マイルドヤンキーに代わる言葉はあるだろ。とんでもなくダサそうな文化を謳歌しているのは一握りの地方民のうちの一部とか、不良経験者だけではないかと思う。あのグダポンの撒き散らす固定概念への批判としてもいうが、私は地方を何度も見てきたが、北関東でもマイルドヤンキーなんて一握りの数しかいなかったよ。

そもそもマイルドヤンキー言葉根底に都会人による地方人への偏見がある。車好きを例に挙げるまでもなく、外国には日本人が思い浮かべる都市部人間殆どいない。むしろマイルドヤンキーの特徴として挙げられる、「買い物先でショッピングセンター依存している」人は日本を出れば都市部ですら腐るほどいる。国土全体で鉄道依存社会が成り立つ国は、日本を除けば、オランダみたいな地形に恵まれる地域シンガポールのような都市国家以外にない。

「超潔癖主義」の究極である子供ファシズム

私はこの潔癖の究極が「子供至上主義だと思う。日本人はみな車嫌いで鉄道好きというおかしな風潮も、子供のために嗜好を装う仕草だという。必死すぎる。大人な人は、それが普通なしょうがないと受け入れるべきではないか。一番ひどいのは私鉄だ。

子供日本人美徳だと、道徳的な人を表す言葉として普及しているが、これはあの押しつけがましい「道徳」と同じうさん臭さを感じて、私は不気味に思っていることである子供って要は非現実的理想の追求であり、病気だ。

そもそも日本私鉄社会の根源は鉄道公有化の失敗だとか戦争連続による財政難だとか、歴史上におけるネガティブもの副産物である。今でも「幼稚」とかいう。それはつまり堂々とした対等な存在としてリスペクトするものではなく、結局これは子供なる年齢を使った言葉で「恵まれない現実にある人達」を見下している、前時代的な、差別を連想する表現である

欧米圏を見ればわかるように、鉄道弱者というか、つまりよそ者、あるいは貧乏人や弱者のためにある公共施設であって、所得関係なしに使うことをよしとする、ましてや商売の道具としてみなす日本おかしいのである

一昔前ですら日本ではここまで「子供」はうるさくなかった。子供大人らしい事由成熟した男女を目指した途上段階であり、気づけば加齢で大人になっていた、あるいは10代ですでに見た目も中身も大人同然という人もごろごろいて、それがわずか15年ほど昔までの常識だった。

あるいは「リア充な美しい大人は好きですか」というように、青年性を脱した兄や姉であるべきだった。正しさではなく「美しさ」が評価された。この美しさという言葉自体清潔を意味するもので今の異常な潔癖主義に通じたのも、もちろん事実ではあるけどね。

不都合現実」を受け入れた理想の発展が必要

特定環境を聖域化し、あるいは特定の人を「聖人」化してみなし、それを潔癖性を極めた発想とともに崇拝し、潔癖と反する不都合な事実を見て見ぬふりをしたり、あるいは無理してでも隠蔽させようとしたり、それを指摘する存在を許さない、あの感覚。グダポンの言葉を借りればこれは畳精神である

昔の高校を題材にした作品から黒髪すっぴんさんの描写を削減し、わざとそうでない人を代わりに差し替える。これも聖域を作る発想に由来することではないかと思っている。

その点、例えば私が韓国学生をみて感動をしたのは、日本において学生というと黒髪が少ないイメージなのかもしれないが、実際には黒髪のおりこうさんが多くいたこと、そういう風潮がそこかしこにあったため、他人に緊張することがなかったかである

バス停留所で会話したローカル若い女性は、なんかお茶目で、自分生活圏にやってきた外国人を楽しませようというホスピタリティがあって、ものすごく魅力的だったが、やっぱり大人オタクで、至上主義のない国のほうがよほど大人も魅力的だなと感じたのだった。

これは地方にも言える。マイルドヤンキーの連中なんてありゃ「普通リア充か重度なオタク」だ。オタク?ってくらい偏執的で、大衆らしさに欠けている。いわゆる元ヤンさえ良くも悪くもリア充らしさがない(事実、彼らが外国に行くとサブカルオタク扱いになる)広い意味での問題なのだ

日本に出てくるテレビタレントには個性らしさがない。オタクがいない(例外はあるが)。根っこからのおりこうさんであることを売りにした俳優・声優がいないし、変わった趣味を売りにする者もいない。誰もがそうなるありのままもないし個人差もない。

これは、日本人一定割合。どちらかといえば韓流ファン経験のある人たちで、同じくマイルドヤンキーか学がありそれなりに品格のあるような人が、ものの感じ方の成熟が遅れたことにあるんじゃないか、と私は思っている。子ども時代や貧乏なときは誰もが感性が幼稚で極端な理想を抱くものだ。

しかし、大人になり、10代になり、豊かになれば、あらゆる体験を通して現実を知るというか、様々な存在を知って、自分自身の肉体と考えの成長もあって、そういう非現実理想を一度捨てることになると思う。代表大学生における運転免許取得ラッシュだ。「免許取得者は学のない人のほうが多い」とか「都会人は一生免許と無縁」の虚構に気づく。

私達ネット原住民的には中二病とか高二病とも揶揄される、つまり冷笑主義にも陥るのだが、その現実実在不都合性を含めた事実の中にある魅力に気づき、そこから新しい夢を見出だしたりするのが、普通の諸外国ならハイティーンか遅くても20代経験する段階で、日本人もかつてはそうだったのではないか

そういうわけで、高学歴だろうと、立派な社会的地位にいようが、年齢が中高年だろうと、マイルドヤンキーと変わらないような潔癖主義理想を振りかざして現実を拒絶したり自由創造表現ユーモアを叩くあの感じは非常に納得がいかない。幼稚な人が多すぎる日本現実がほんとつらいです。

(韓国などの例外を除く)外国コンテンツは、優れた表現ほど徹底的に不都合現実事実に向き合っている。だが、それをただそのまま描いたり、不穏に誇張するだけではなく、そこから楽しさや夢を見出だそうとする傾向があると思う。その際にはお堅い因習を破ることになる。

だがその独創性第一段階にある「お堅い因習を破ること」を全力否定するのがグダポンのいう「畳精神」であり、右派や私の言う「コリアニズム(文化的右傾化)」である。つまりどんな理不尽でもそれがしきたりで、その空間では聖域性を守るために自分が屈しなきゃいけないし、適応しない他者は咎めなきゃいけないという枷を兼ねた同調圧力も発生する。韓流ブームものすごく親しんだ人ほど危ない。

ティーンエージャーになる前の現実離れした理想主義(と、それを理想を向けられた側がそのまま受けとめなければいけないということ)に畳精神コリアニズムはとても相性がいいのである。新しい幼稚な感覚と、古い老いた因習コラボさせると、アニメ漫画特撮ドラマビデオゲームまがいな、子供ヤンキーだという狂うジャパンがあふれるのである

私が現代の日本はともかくとして一昔の韓流華流コンテンツ敬遠したのは、アメリカコンテンツとは違い、理想主義を極めたあのディズニーでさえ、そのテーマパーク映画などに「不都合現実を受け入れた上でのイマジネーション」がないからだ。理不尽もの批判的に描くこともなく、拒絶せずにそれを受け止めることすらしない。現実逃避ありきなのだ

私の記憶する限り韓国中国テレビドラマアニメには、日本人ネガティブ過ぎるとして驚いた自転車乗りの姿が描写されていない。1990年代2000年代(2010年代)に日本型暴走族話題になったが、それを風刺するような作品は出てこない。当たり前だが韓国人中国人オタク風刺するような作品もない(日本ですらオタク風刺作品はあるが)

そういう子どもたちはこうしたコンテンツの変わりに漫画小説(ライトノベルを含む)やゲームいかれた様子を見ることで、それを教訓にすることができるわけである日本作品で言えば喧嘩番長龍が如くに出てくる「不都合現実を誇張した」不健全卑猥日本風景も、実は意外にも理想や夢とどこか通じるものがあるし、その中にもやはり社会に対するメッセージもある。

そう考えると、欧米程でないにしても自由な創意工夫性は日本においてはなんとか健在であり、その自由表現の娯楽を通して成長につながることもできたりし、その上でまた新しい夢が見れるというのが、本当にすごいと思っていて、韓国中国にもそういうクリエティティを獲得するには、まず日本同様に現実至上主義と畳精神解体を加速させることが必要なのだ

2016-08-05

野尻抱介氏の東電に対する認識

http://ch.nicovideo.jp/nojiri_h/blomaga/ar1079330

1Fのレポート部分は面白いですよ。さすが、野尻抱介氏は優れた作家だな、と。

楽観的な未来予測も、それはそれで。僕の好みではないですが、まあ、それはどうでもいいし。

でも「さて、見学レポートからは少し外れるが、私の東電に対する認識を語っておこう」から始まる東電礼賛の文章は、ちょっとないのでは。

あの被害人災的側面を看過していいとは、表に出ている各種情報総合して判断するに、思えないんですが。

不都合な事実から目を逸らした物言いでは。

反原発イデオロギーにとらわれていない人の文章は素晴らしい!これこそがリアル!」みたいに無邪気に褒めている人たちがいるけど、これのどこが「リアル」なの?

正直、引いてしまいました。

2016-01-26

アメリカ自国不都合な事実でも法律が開示せよとしてるから、全てをさらけ出すけど

日本警察証拠をわざと紛失させたり

なにもかも秘密にしようとしていて本当に先進国としてひどい

しかアメリカ日本の事になると一緒になって隠すけど

2015-08-29

自衛隊員の「自殺」が多いけどさ。

アレ本当は自殺じゃなくて絶対殺されてるだろ

不都合な事実から政府は隠してるけど。

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