はてなキーワード: 不法投棄とは
好きな言葉はレットイッてファック
そんな巨人小笠原終身名誉畜生死刑囚。眞子様と小室圭さんの会見をご覧あそばすと猛然といきり勃ち、
と熱いエール。
「ご奏入の儀」
を敢行。
しかも途中で「俊さま~」と警備員殴打男の名前をお叫びになるおハプニング発性!
謎の頭痛を発症したカッスには不敬罪と名誉棄損で無罪が言い渡され、
突入してきた自衛隊特殊作戦群にあえなく射殺、燃えないゴミとして不法投棄されたと朝鮮中央テレビが伝えた。
この件に関し大正義巨人軍原監督は「うちも解任の儀を行わないといけないね」と死んだ魚の目の後任指揮官(42)に想いを馳せた。
なお女性宮家創設には間に合う模様。
例えば住民税とかは、社会福祉(子供手当とかもか)やら道路やら街灯やら、市役所の人件費諸々とかゴミ収集やらに使われてる。
京都市とかだとゴミ袋は10円で売ってるけど、処理費用は60円ぐらいかかってるって話だった。
週3でゴミ出すとして、ゴミ袋1枚が100円で売られるとして、その分は税金安くなるみたいな選択できたとしたら、多分みんなゴミ袋に課金を選ぶと思う。
けど、そうなるとケチってゴミ袋買わないとか、不法投棄とか増えて、街が汚くなる。そしたらその分の費用としてゴミ袋が200円とかに上がってく。
うちはプラスにならないから~(子供おらんから~)ってその分のオプション払わない人が増えたら、子供手当はどんどん減ってく。財源ないから。
そんな感じで突き進めていくと、住民票一枚取るのに何万も掛かったり、家の前の道路は自費で修繕しないといけない、みたいな状況になる。
当然町は荒れるし、過半数の人は今の制度(完璧ではまったくないにせよ)が良かったとなるのではなかろうか?
税金やらなんやらで賄われてることで自分が利益を享受してるか、についてあまりにもみんな無頓着なんだと思う。
衆議院議員の選挙が数ヶ月後に迫っているようだが、いい感じの投票先が見当たらない。
ならば被選挙権もあることだし、いっそのこと自分が立候補するか?!とも考えたが、供託金300万円が高すぎて難しい。貯金はもっとあるが、300万は大きな額だ。
現実には立候補は無理なので、かわりに政策集を投下しておこうと思う。投票する立場では、これらの考えに最も近い政党・候補者を選びたいところだ。
タイトルは増田党としているが、増田の統一見解を示す政党という意味ではなくて、増田の一人が立てた架空の党だという意味だ。なお「mass(多数派)打倒」という意味ではない。
電力は国の最重要基盤の一つ。
資源の乏しい我が国は、知恵と技術、そしてそれを育てる教育こそが国の中心である。
選挙のタイミングで、それからの4〜6年間ほどの全ての課題を議論できるはずが無い。今の国会議員が選挙で選ばれたときに公衆衛生に関する論説を国民に向けてやった者がどれほど居るだろうか?
なので選挙のときには、その時点のホットな話題についての候補者の考えを見聞きして、既知の課題だけでなく将来の未知の課題についても上手く取り組んでくれそうな人を推測するしかない。
増田には文字数制限もあるし、他のトピックは推測してくれ。そしてもちろん、本物の衆議院議員候補の政策も、そうやって読み、評価したい。
熱海での土砂災害について、山間部に埋められた残土が問題になっている。
熱海の件とはまったく関係ない話だが山間部の建設残土と聞いて「小倉山トンネル」を思い出したのでちょっと書いておく。
有名な話だし調べればもっと詳しくわかることなので興味があったら調べてみてほしい。
圏央道(さがみ縦貫道路)の高尾IC~愛川IC間には、小倉山トンネルという比較的長いトンネルがひとつある。
このトンネル、実は、当初の計画では前後ふたつのトンネルになるはずだった。
ひとつ目の山を抜けて谷に顔を出し、谷は橋を架けて渡り、ふたつ目の山にもぐるという構造になる計画だったのだ。
余談だが、世の中にはこのようになぜか途中で一瞬だけ地上に顔を出すトンネルがちょいちょいある。
トンネルは距離で規格が定められていて、ある一定の距離を超すごとに仕様(満たさなければいけない建築基準)が厳しくなり、そのぶん建設コストが上がる。
なので、ルートを調整して一度地上に出し、上位の規格に達しないようにしてうまくコスト削減する手法がとられることがある。
小倉山トンネルがそれを意図した分割だったのか単に効率的なルートを引いた結果そうなったのかどちらかはわからないが、ともかく谷を挟んで前後に二分割するルートは認可された。
ところが、いよいよ測量という段になって衝撃の事実が判明する。
あるはずの谷がない。
地形図では橋を架けられるほどの谷なのに、現地に足を運んだらかなり上まで地面だったのだ。
長年に渡る建築残土の不法投棄によって、谷が埋まってしまっていたのである。
どうしよう。
残土の谷にそのままトンネルを突っ込む案、残土を切り拓いて道路を通す案などが検討されたが、強固な山体地盤とは異なり残土の谷は不安定な人工の盛土なので地盤改良が不可欠で、それには長い工期の延長と多額のコストが必要だった。
結局、計画は残土の谷を「下」に迂回して一本のトンネルを通す設計に変更された。
結果、小倉山トンネルは(どっち向きに走っても)トンネルの前半が下り坂で後半が上り坂というV字型の苦しい設計のトンネルになった。ここを走る機会があったら観察してみてほしい。見るからにおかしな風景と感じると思う。その裏にはこんな残念な事実があったのだ。
ちなみにトンネル内での勾配変化はよくあることで、雁坂トンネルは「への字型」の勾配変化があるし、首都高の飛鳥山トンネルに至ってはウェーブ状の起伏があって空いている時間帯に走ると楽しい。
https://this.kiji.is/765968295385120768
忙しい人向けのケツ論=肺が完全にやられていても大した設備無しで酸素投与できる。
何が画期的かという前に呼吸が成り立つ要素を紹介したいと思う。
横隔膜も筋肉なので動かすには酸素もエネルギーもいるし、血液中の酸素が少なければたくさん働いて結局消耗してしまう。
完全にへばる前に濃い濃度の酸素を投与して楽をさせたほうが良い。
筋肉がへばったら人工呼吸器で肺の中に空気を押し込んでやらないといけない。
二酸化炭素は水によく溶けるし炭酸が抜けるみたいに簡単に空気中に排出されるが、酸素を取り込むのはなかなか難しい。
赤血球が片っ端から持っていかないと血液にはなかなか溶けないものである。
肺胞が炎症でむくんでしまうと空気と毛細血管が触れ合えなくなって赤血球が酸素を持っていけない。
ちなみに炎症はウィルスや細菌と戦って負けた状態ではなく、戦いのために白血球やら修復のための栄養やらを血管から出血大サービス中の状態である。
赤血球以外の血液成分を細胞周りにばらまいた結果、主成分である水も細胞周りにぶちまけられて水ぶくれして腫れるのである。ときには肺胞の中まで水浸しになる
省略と言いつつ、一酸化炭素中毒みたいに赤血球が酸素を運べない時のための高気圧酸素という方法を紹介する。
高気圧酸素とはカプセル(部屋)の中に入って2~3気圧をかけることにより酸素を血液中に溶けさせるという力技である。
こういう使い方より潜水病で空気塞栓が起こった時、高気圧酸素で血液中の気泡を溶かして詰まりを取り除く方が有名だと思う。
だいたいが酸素で満たされた部屋なのでちょっとした火花で燃える。リア充でも爆発する。(何人でも入れて、酸素を使わないただの高気圧室もある)
肺胞が役に立たない時はエクモか高気圧酸素みたいな大掛かりな設備を使わないといけないが、
そういう状態でも一般の病室で浣腸のように大腸に送り込めば酸素を血液中にデリバリーできるところがすごい。
浣腸は高い浸透圧で水を大腸から便の中に引っ張り込んで便を柔らかくするが、普通大腸は水を吸収する器官なので問題なく血液中に酸素とともに吸収されるだろう。
吸収された水はどうするのだろうか?
生きるのに必要な酸素を大腸から吸収させる場合、何L必要なのかが問題。
体内に水分が過剰になるとそれを血液として送り出すときに心臓に負担がかかる。体の外に捨てるにしても腎臓にも負担がかかる。
その他にも毛細血管が「もうあかん」とそこら辺に放り投げることがある。不法投棄されて回収されない水は「むくみ」と呼ばれる。
さて、聞き覚えがある言葉だが肺にも毛細血管があり、肺がむくむとどうなるかはご存知だろう。
ふざけるな、自分が何を言っているかわかっているのか、犯罪行為を助長するな、人殺しめ、とあなたは言う。
そりゃそうだ。だが、実際には道端にゴミを捨て、自治体の要請に従ってテレワークなどせずに出勤したほうが得られる利得が多いから、そうしている人が多いだけの話だ。
道端に電子レンジが捨ててある。清掃事務所が見つけてシール貼っていったらしい。「これは粗大ゴミです。申し込みをして廃棄を云々」の文字が虚しい。しばらくして同じ道を通りかかると、電子レンジが消えている。結局、清掃事務所が持って行ったからだ。
誰が電子レンジの処分費用を負担したか? 回収コストは税金から充填された。つまり、あなたが住民税を払っているなら、処分費用を払ったのはあなただ。一方で、粗大ごみの回収券を買わずに無料で電子レンジの処分に成功した人もどこかにいる。
不法投棄は法律で罰せられ、罰金または懲役が待っているとしても、捨てているところを見つからなければよいだけの話だ。そして不法投棄は実際に起こる。不法投棄をつねに監視するコストよりも、不法投棄にその都度自治体が対応し、税金で処分費用を充てんするほうが、トータルで見て安いからだ。
不法投棄を完全になくす方法がある。それは、いつでもだれでも無料でゴミを捨てられるようにすることだ。もちろん、そのゴミの処分費用は、あなたが払う税金で負担することになる。そうすると、毎年の住民税は上がるかもしれない。
そんなことは認められない? それなら、日本伝統のよい方法がある。『ゴミをめったやたらにそこらじゅうに捨てないようにしましょう』という市民道徳で市民を縛っておいて、自治体に余計なカネを出させないことだ。もちろん、電子レンジを道端に捨ててしまう人も出てくる。そういう逸脱行為には、こっそりと税金から処分費用を負担しておいたほうが、おおっぴらにタダでごみを捨て放題にするシステムよりも、トータルで見て低コストだ。
一般市民が善意を持っていると想定して、それによりかかるシステム下では、「ルール」を破ったほうが得なのだ。
テレワークをしないほうが得になる状況も、ゴミと同じ論理だ。出勤を控えてテレワークをするようにと自治体が要請している時に、朝の通勤電車は相変わらず満員だ。なぜか。テレワークを無理にしなくても会社は潰れないし、家でじっとしていたところで誰かが補償金をくれるわけでもない。
世の中の誰かが出勤を控え、その社会的費用を負担してくれるに違いない。誰もがそう思って電車に乗ると、いつも通り混んでいる。
ごく一部でおなじみ久保田学氏(現在、立川市議。藤井聡太棋士と同じ、愛知県瀬戸市出身。元AV男優)
十年以上前から、人気生主横山緑としてニコ生に君臨してきた彼は、女を数々食いまくった挙句、ニコ生で出会った元カノを二回堕胎させたり、遊びのつもりの女が妊娠してしまい逃げきれずに不承不承結婚せざるを得なかった、その妻が二人目妊娠中に、ニコニコ公式番組で知り合った若い女の子と不倫して泥沼離婚したあとDVを告発されたり、外配信ではなにかとエロ目線で見ず知らずの女を盗撮したりと、話題に事欠かない男である。
そんな久保田に数年前転機が訪れた。
N国党の立花氏にスカウトされた彼は、江戸川区に住んでいながら、一度も住んでいない何の思い入れもない立川市の市議にネタとして立候補して、まんまと当選してしまったのである。
この辺りの不可能を可能にするデタラメ加減が、上はヒカキンからシバター、コレコレ、かとじゅんなど数々の人気ユーチューバーを輩出してきたニコ生の中で、レジェンドであり続けた横山緑のデタラメなパワーと言えるかもしれない。
そして、横山緑から素顔の久保田学に戻ったスダレ髪の彼は、サイコパス特有の人あたりの良さで、いい人風をよそおい、なんとか議員生活をしのいでいくのだった。
(もちろん、その議員生活中にも、横山緑のファンであった女子が高校を中退して生主をやっているのだが、その女子に彼氏ができたとき、欲情を発したのか、彼氏のいないうちに寝取った、という事件を起こしている。が、立川市議という身分はこれではビクともしなかった。
また、心臓に病気を持つ生主の爺さんを放送のネタに出演させて、障害者どおし喧嘩させて見せ物にした挙句、数日後容体が急変して死亡してしまう、という痛ましい事件も過去に起こしたことがある。当然、横山緑は、最後によい思い出になった、と、俺は悪くないアピールをしていたが。この死亡の十日後、横山緑こと久保田学立川市議が爆誕してしまう)
だが、ここに来て、コロナ禍の最中の2020〜21年末年始に、アンチが喜ぶようなやらかしを、立て続けに起こし始めた。
そう、一部与党議員の気の緩み同様、彼も油断し始めたのである。
冬に入り、もともとウィルスの流行が予想されていたが、それが現実となってしまったのだ。
立川市議久保田学は、あいもかわらずニコ生に執着していたが、いまは不要不急の外配信をしない、と宣言した。
しかし、突然、彼は大阪に遊びに行った。飲み会に参加するためである。彼は昔から女と金を恵んでくれる四国や大阪のスポンサーに逆らえないのだった。
時あたかも、大阪でコロナ感染が拡大し、吉村知事が批判されていたころ。
不要不急に他県に行くことに、なんの罪悪感も無い彼は、東京に戻ると、自分の立場を忘れ、雀荘に入り浸り、さらにリスナーを集めて毎年恒例の競馬大会を強行する。
視聴者から一口もらって集金し、3連単を全通り買い、万馬券になったらリターンが返ってくる、という企画だ。
アホなユーザー十数人が集まった。
その中には難病の後縦靱帯骨化症であり、糖尿病を患う者もいた。
こういう自分より不幸な人間を横に置いて安心したい、という気持ちが、立川市議久保田学には昔からあった。
いまの立川市議には、ガジェット通信がニコ生で企画配信している「旅部」という番組中に出演したとき寝た女が愛人なのだが、その愛人が夜10時過ぎに、わざわざ彼らの集まりがメシを食っている映像を配信し炎上した。
立川市議の立場を考えれば、この映像流出は致命的であるはずだった。
だが、当然のことながら、マスコミはニュースにする価値も無い、ということで、彼は生きながらえた。地方にはこのようなトンデモ議員がキラ星のようにいるのかもしれない。
まさに、東京には、こういう奴らがたくさんいて、今のコロナの惨状なのだろう、と思えるようなアホな行動だ。
その期間だけ、彼は妙に大人しくなった。
リスナーからPCR検査を受けろ、と焚き付けられるが家に籠城し配信もせず、なんとか逃げ切った。
回復した彼は、次なる行動に出た。
表向きは、元嫁が育てている息子が小学校に入学するため、入学準備を手伝うという名目である。
リスナーは、この時期に他県へ向かうな、と抗議するが、彼は、スケジュール的に空いてる時は今だけ、子供のためだから、とかいう屁理屈をつけた。
年末、あれだけ遊び呆けていた男が言うかな。
そして、子供相手にコロナ疑惑の分際でシャボン玉遊びをしながら、一週間、東京での緊急事態宣言を横目に見ながら、ぬくぬくと北海道を満喫した。
それをなだめるために、この立川市議、またニコ生の放送をしばらく休止した。
今度はその愛人を連れ鹿児島旅行に出かけた、という噂が飛び交った。
おそらく機嫌取りに、どこかの温泉にでも行ったのだろう。
愛人がいるのも、なかなか大変だ。
東京に舞い戻った彼。
ハメ撮りAV男優時代から、映像作品を作ることに人一倍情熱を注いできた。
そんな彼が、人を集めて映画を撮ると言い始めた。
一月二十五日、撮影が始まった。
出演者の中には、数日後、心臓の弁を人工弁に手術するため入院が予定されている者もいた。
このような出演者の構成も、自分より下の人間がいてこその彼が持つ王様気質である。
当然、映画を撮って、いい汗流した後は、歌舞伎町で打ち上げである。
ここでも、事件は起こった。
出演者の一部が歌舞伎町で喧嘩を始めた。手下は、立川市議の連れだぞ、とうそぶいて、逃げきっていた。
ちなみに、やりがい搾取で、この映画企画の出演者はノーギャラである。
後日。
立川市議久保田学が、映画の小道具を全て自販機の裏に不法投棄していたというのである。
持ち帰るのが面倒くさくなったのであろう。
懲役五年以下、または1000万以下の罰金、または併刑のやつである
立川市議の愛人は、この告発者の女性を罵倒してツイ消ししたがキャプられるなど、事件は拡大していった。
久保田は逃げきれないと悟ったのか、申し訳ついでに路上のゴミ拾いの奉仕活動を放送のネタにしたが、放送終了後、雀荘に向かったという衝撃のリークがあった。
当然、アンチは立川市に通報したが、立川市議会も人の子。議員が簡単に辞職勧告される前例を作れば、自分の身分も危うくなる。
これまでも数々の問題が起こるごとにアンチは立川市に抗議したが、今回もいつものように、揉み消しになるであろう。
報道されない以上、立川市民に久保田学の悪事は聞こえることは無い。
それが現状であり続ける限り、彼はあと任期2年を全うすることであろう。
夫婦でホームレスの取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為は奇行と捉える人がいても不思議ではない。
現在は夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトのきっかけは妻である私の原体験が基となっている。
20年以上前、新宿駅の地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。
今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌を安値で売る者すらいた。
その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボールの小屋だった。秘密基地の様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会”であることをうっすらと理解した。
そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである。
これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。
興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネットの検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。
検索結果は田舎のホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。
2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事を支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である。
初めて会う相手に自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去の情報を他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情を配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。
これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦の第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。
A氏はホームレス支援の活動として、インスタント食品や保存が可能な食材、周辺のパン屋、農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動は不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。
我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒、作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものを揃えていた。
食材と日用品を仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。
A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。
A氏からのアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。
失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。
(おじさん達の家の棚の写真)
(おじさん達の竈の写真)
(おじさん達の物干し台の写真)
おじさん達は森や河川敷に個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。
ダンボールや古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。
突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。
一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。
それはそれまでの日常では出会ったことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。
自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。
2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。
おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。
このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。
「家がない」ところから「生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。
興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎の河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、
それまでの偏見と先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。
車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。
おじさん達の暮らしは時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。
勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。
家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的な安心があることは否めない。
我々夫婦が田舎の河川敷ホームレスの人々を3年継続して取材を続けられているのは、この安心が得られないような状況で、人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。
我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれた生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。
出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ。
ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。
その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活と普遍的で同じであるかという事を探していきたい。
取材を始める前に我々が抱いていたような偏見や先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。
今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心の生活からは程遠い。
不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ、惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。
おじさん達と同じ立場の人には見知らぬ人に暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。
取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレス」から「不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は
彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間で生活する力を持つ、普通の人々であることにもっと目を向けてほしいと思った。
いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。
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こちらの投稿のベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります。
筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。
これを描かれた筆者は更に若い中学生や高校生が、社会の偏見でホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。
華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図を勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。
夫婦でホームレスの取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為は奇行と捉える人がいても不思議ではない。
現在は夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトのきっかけは妻である私の原体験が基となっている。
20年以上前、新宿駅の地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。
今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌を安値で売る者すらいた。
その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボールの小屋だった。秘密基地の様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会”であった。
そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである。
これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。
興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネットの検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。
検索結果は田舎のホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。
2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事を支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である。
初めて会う相手に自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去の情報を他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情を配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。
これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦の第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。
A氏はホームレス支援の活動として、インスタント食品や保存が可能な食材、周辺のパン屋、農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動は不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。
我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒、作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものをを揃えていた。
食材と日用品を仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。
A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。
A氏からのアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。
失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。
(家の写真3枚)
おじさん達は森や河川敷に個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。
ダンボールや古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。
突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。
一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。
それはそれまでの日常では出会ったことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。
自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。
2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。
おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。
このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。
「家がない」ところから「生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。
興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎の河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、
それまでの偏見と先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。
車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。
おじさん達の暮らしは時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。
勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。
家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的な安心があることは否めない。
我々夫婦が田舎の河川敷ホームレスの人々3年継続して取材して続けられているのには、この安心が得られない時に人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。
我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれた生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。
出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ。
ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。
その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活と普遍的で同じであるかという事を探していきたい。
取材を始める前に我々が抱いていたような偏見や先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。
今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心の生活からは程遠い。
不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。
暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。
取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレス」から「不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は
彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間で生活する力を持つ、普通の人々である。
いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。
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こちらの投稿のベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります。
筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。
これを描かれた筆者は更に若い中学生や高校生が、社会の偏見でホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。
華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図を勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。
(ただ、その家に何世帯住んでいるかとかは教えてあげてください。)
国勢調査の封筒の投函前に、「世帯氏名一覧確認」として、事前に訪問されることがある。
それを記入する専用書類もある。
調査員的には国勢調査の封筒の何番をどの住所に投函したかの管理も必要なようだ。
ただ…うちに来た調査員が、周辺のゴミ出し場を管理(?)している人で、
ゴミ出しに俺ルールを勝手に決め、誰か一人が少しでもルールを外れると近くの家や電柱に
不法投棄の犯罪者!というチラシを勝手にベタベタ貼る困ったジジイ老人だったのだ。
ゴミ出しに関してはルールやマナーを守るよう気をつけているが、
国勢調査にはちゃんと回答したいのだが、国勢調査の封筒をもらわないことにはオンライン回答さえできない。
つまり、この言い分が本当なら、この不安な相手に住所&氏名という超個人情報を漏らさないと国勢調査に回答できないというのだ。
さすがに、いち調査員に個人情報を渡さないと回答できないというのはおかしかろう。
「世帯氏名一覧確認リストを埋める目的はなんですか」と問うても、
「この辺には100世帯以上いる。付番しないと配布できない」
「付番のためなら氏名は必須ではないのでは。氏名を教えないと国勢調査の封筒はもらえないのですか」
「空き家は空き家と書いて渡す、住んでいるところは氏名を聞かないと渡せない」の一点張り。
おかしいと思ったので、国勢調査コールセンターに問い合わせたところ
「市区町村で氏名を確認するようお願いしているところはあるかもしれない」
とのこと。
「うちの自治体では氏名を確認するよう依頼している」とのこと。
「氏名という個人情報を調査員に教えないと国勢調査に回答できないのか」と聞いたら、
「そんなことはない」(ホッとした)
その後、調査員の氏名を伝え、調査員として知り得た個人情報を絶対に流出したり私的利用したりしないよう、
(町会名簿に勝手に名前をのせたり町会地図に勝手に名前を載せたり、ゴミ出しルール周知チラシに宛名を書いたりね)
正直そういう人に調査員をやってほしくないのだが、
調査員は謝礼が少ないらしいから、自治体側では調査員を精査したり選んだりはできないんだろう。
実態を知らない人から見たらゴミ捨て場を管理する立派な人に見えるだろうし。
(実際、ゴミ捨て場を管理してくれていること自体には感謝している。義憤で権威を振りかざし過ぎているだけで。)
というわけで、トラブル防止の注意喚起としてこの文章を共有する。
この内容が個人と紐づくと自治体、調査員までバレかねないので匿名で書かせていただいた。
あくまで「調査員」に個人情報を渡しすぎる必要はない、というだけで、
国勢調査自体には回答するべきだし、回答の義務があるのでそこは間違えないでいただきたい。
楠栞桜活動休止かー。
人気Vtuberなんてファンもアンチも厄介な人が多くて、膨大なストレス抱えてそうだから匿名掲示板での書き込みくらいでここまで責められているのが異常に感じる。
5ちゃんなんてみんな好き放題書き込んでる場所なんだから情報の価値なんてゴミみたいなもんで、今回の件なんて問われる罪なんて不法投棄くらいのレベルだと思うんだが、皆さん潔癖でいらっしゃる。
Vtuberの中の人に清廉潔白さなんて求めてないんだよなあ。ただ楽しい配信をしてくれればいいだけで。他のVだってストレス多そうだし表では言い返せないんだから、5ちゃんとかでストレス発散してる人とかそこそこ居そうだけどねえ。
別にそれで元気に楽しい配信してくれるならそれでいいことだし。彼女は運悪くnoteの不具合で特定されてしまったってだけで。
素直に謝ればいいのに不誠実だって批判もあるけど、前世の経緯が経緯だから強力なアンチもいるので謝ったら許してくれるっていうのも甘い気がするんだよなあ。あと、すべて包み隠さず正直に話したら前世の話も関わってくるし、そうなるとアップランドを契約解除になったときにどこまで話していい契約になってるかも不明だしね。あとあまり赤裸々に話ちゃうとVtuberとしてのRPを崩すな勢が怒りそうだし、簡単じゃないよね。
なんか考えれば考えるほど解決しなさそうでうんざりだ。幻滅したなら観なくなればいいだけだと思うんだよね。清廉潔白な人達の正義棒で人の楽しみを奪わないで欲しいんだけど。彼女人生棒に振るほどの罪は犯してないと思うんよ?
俺は合意してないよ
え、じゃあ業務委託使ってる企業ぜんぶ叩かなきゃじゃん。大変だね。頑張って。
別にUberEatsのノルマ設定が厳しいわけでも無いしなあ。
業務委託された案件で道交法違反するやつが圧倒的に悪いでしょ。