はてなキーワード: 不承認とは
傍聴席からプレッシャーをかけられなくなる!との記事があった。
https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-2480564.html
名護市辺野古の新基地建設の設計変更申請を巡り、県の「不承認」を国が覆した裁決の取り消しを求めた訴訟の判決言い渡しは、わずか15秒ほどだった。
(略)
判決なんて確定している状態なので、この場で圧力をかけても意味はないが、傍聴席から圧力をかけるのは法廷戦術としては当然のとこだ。
個人的な経験だがとある国を被告とする訴訟で証人として呼ばれたことがある。
どうも左派系弁護士にとって重要な訴訟だったらしく、傍聴席には多数の弁護士が座っていた。
証人として、原告側から、被告側から、裁判官からの質問に答えていくわけだが、原告側に不利な発言をするたびに傍聴席の弁護士がざわつくわけだ。(退廷させてくれよと思ったくらいだ)
「バッハ氏は追い出される前に職を離れる必要がある」:クレムレフ氏、オリンピック運動の崩壊、汚職、IBAの不承認について語る
トーマス・バッハはオリンピック運動を台無しにし、アスリートの敵となった最高級の詐欺師であり、不名誉に追い出される前に今すぐその職を離れる必要がある。この意見は、国際ボクシング協会のウマル・クレムレフ会長がRTとのインタビューで表明したものである。同氏の意見では、IOC指導部は金融詐欺に関与しており、IBAは彼らの疑惑が正しいことを証明しようとするだろう。同時に、ボクシングはパリオリンピックの競技種目に残っているため、この幹部は団体の非承認が悲劇だとは考えていない。
「バッハ氏は追い出される前に職を離れる必要がある」:クレムレフ氏、オリンピック運動の崩壊、汚職、IBAの不承認について語る
グローバルルックプレス.com © マキシム・コンスタンティノフ
「状況は私たちに大きな影響を与えませんでした。最も重要なことは、彼らが恐怖を感じてオリンピックからボクシングを除外しなかったことです。彼らはお金を稼ぎたいのです。そもそも私たちは彼らとどう違うのでしょうか?私たちはボクシングに投資し、その発展を図っています。IBA の経営陣は誰も給料をもらっていません。すべてをボランティアベースで行っています。そして、IOCはスポーツを犠牲にして生きており、数十億ドルを受け取りますが、これらの基金からアスリートには何ももたらされません、彼らのメダルでさえ本物の金で作られていませんが、私たちのメダルはその名前に対応しています。
国際オリンピック委員会は、この資金がスポーツを存続させるアスリートたちのものとなるよう、賢明に働き、スポンサーを誘致する方法をIBAから学ぶ必要がある。私たちは賞金 1,000 万ドルを獲得し、独立性を示します。汚い政治的駆け引きには参加しないことを公然と宣言します。もちろん、これは彼らを怒らせます。
ロシアボクシング連盟は、国際協会の承認を剥奪するというIOCの決定に同意していない。彼女は記者会見でこう発表した…
彼らは、他国の選手はロシア人やベラルーシ人と競争したくないと叫んでいる。しかし、ワールドカップはウズベキスタンで大成功に開催されました。ヨーロッパ、アジア、アメリカからの代表者が集まりました。世界中からボクサーが集まりました。そして、過去最高の参加者数でした。このためIOCの指導力に疑問が生じ、IOCは激怒している。木曜日は彼らの原爆が爆発した日でした。彼らは私たちに向かってそれを投げましたが、自分自身に当たりました。このような決定の後、委員会の権限は低下し、組織の透明性にはさらに疑問が生じた。
— 次は何をしますか?
――IOCの財務諸表を確認したいとのことですが。しかし、確かに誰もあなたに書類を提供したがらないでしょう。
彼と倫理委員会が共謀。また、リオデジャネイロオリンピックで審判の判定が物議を醸した2016年に誰がAIBA会長だったかを見てください。連盟の会長は当時IOC執行委員会のメンバーだったチン・クオ・ウー氏だった。彼のせいで協会に汚職が始まったが、委員会はそれについて沈黙している。なぜ?なぜなら彼ら自身もその参加者だったからです。
私たちは独自の調査を行い、すべての論文を送り、出版もしました。彼らは誰がどのようにしてAIBAを汚職に導いたのかを説明した。この箱を片付けるには、彼らは私たちの手にキスをすべきです。しかし、彼らだけが私たちの行動を好まないのは、私たちが彼らの陰謀を含む内部告発者だからです。さらに、彼らは呉を批判することはできません。さもなければ、彼はすぐに彼らの計画をすべて暴露するでしょう。
— 同時にIBAの不承認決定もIOC総会で採択され、約60人の委員によって投票された。
「決断は容易ではない」:IOC総会は2024年オリンピックへのロシア人の参加問題を明確にしなかった
国際オリンピック委員会は、パリオリンピックへのロシアとベラルーシの選手の参加決定を再び延期した。
今はすべて弁護士がやってくれます。しかし、これは長いプロセスです。私たちにとって、IOC の不承認は世界的な問題ではありません。彼らは私たちをオリンピック大会の組織から外しました。そして神が彼とともにおられます。彼ら自身にやらせてください、私たちはそれのために戦うつもりはありません。最も重要なことは、アスリートがオリンピックに参加することです。それは彼らにとっても国にとっても重要なことです。
私たちはボクサーのことを大切に思っており、彼らにリングに上がることを禁止するつもりはありません。しかし、私たちは各選手が独自の国旗と国歌の下でパフォーマンスすることを要求します。IOCではなく私たちがこのスポーツを発展させているので、私たち自身が世界選手権やその他のトーナメントを主催します。
「彼らはそうしようとしたが、私は1年に3回選挙に勝った。このようにして、協会はその独立性を実証しました。もちろん、事態がこのような結果になってしまったのは残念です。なぜなら、ここ数年で IBA は過去 30 ~ 40 年以上の成果を上げてきたからです。IOC委員の中にバッハに反抗的な発言ができる勇敢な人物がいないのは悲しいことだ。スポーツ関係者は自分がなぜ委員会の一員なのかを忘れている。結局のところ、彼らはアスリートと各国連盟の利益を守り、人々を団結させなければなりません。それは単なる社会運動であり、誰かの企業によるものではありません。
■優れた教師は、生徒の卓越性を、達成されたレベルではなく、どのような進歩があったかによって評価します。誰もが改善できるので、誰もが成功することができます。
「Assessment for Learning」より
■成功は手がかりを残すことを忘れないでください。成功する人を研究します。効果的な行動を一貫して行い、優れた結果を生み出す能力を高める重要な信念を見つけてください
「Unlimited Power a Black Choice」より
■努力が成功への唯一の鍵であることを認識しなければなりません。真夜中の油を燃やす人々は、成功の甘い果実を味わいます。
「Descriptive English」より
■己の成功する能力を過小評価しているために、すぐに諦めたり、決して試みなかったりする学生がたくさんいます。
「Encyclopedia of Special Education」より
■成功には勇気が必要です。どんなに偉大な人も完璧ではないことを考えると、成功する人は遅かれ早かれ彼らの内なる敵に正面から立ち向かう人です。
「6 Years UPSC Civil Services IAS Mains Topic-wise Solved Papers」より
■己のパフォーマンスについて考えてはいけません。失敗への恐れを高めます。もちろん、失敗しないようにすることは、成功しようとすることとは大きく異なります。前者の場合の努力は、ダメージコントロールを行い、リスクを最小限に抑え、通り抜けることに向けられています。
「Punished by Rewards: Twenty-fifth Anniversary Edition: The Trouble with Gold Stars, Incentive Plans, A's, Praise, and Other Bribes (English Edition)」より
■あなたはまだいつでも成功するチャンスがあります。他の努力と同様に、成功するための最良の方法は、成功した人々を研究し、次に彼らを成功させるものをエミュレートすることです。成功した人々の特徴を研究することは必ずしも彼らがそうであるようにあなたを成功させるとは限りませんが
「Breaking Into Acting For Dummies」より
■確かに、物事が変わらない場所に到達しようとするのは人間の本性です。しかし成功ほど失敗することはありません。人としてだけでなく組織としても、もっと空腹になる必要があります。上昇するほど、限界を押し上げるのをやめ、現状を維持しようとする力が働くからです。
「The Leader Who Had No Title A Modern Fable on Real Success in Business and in Life」より
■なぜ成功しているのか、なぜ失敗しているのかを知ることは、改善の鍵です。しかしほとんどの人は、拒絶や不承認の恐れ、または批判の恐れによって麻痺しています。顧客に尋ねたり、簡単な質問をしたりすることを避けるために、あらゆる努力をします。
「Advanced Selling Strategies The Proven System of Sales Ideas, Methods, and Techniques Used by Top Salespeople」より
■失敗した人と成功した人の違いは、後者がもう一度試みたことです。早いほど良い。これは間違いありません。アプローチを洗練し、目標を明確にし、インスピレーションを深めるためのレッスンと機会が必要です。
「The New Confessions of an Economic Hit Man」より
■ビジネスにおいて、販売とマーケティングを学ぶことは非常に重要です。しかし、本当の成功を収めるには、まず自分を成功者として頭の中で見る必要があります。これを自尊心と呼んだり、自分のイメージと呼んだりする人もいます。
「The Power of Consistency: Prosperity Mindset Training for Sales and Business Professionals」より
■あなたはあらゆる方法で失敗しようとしたので、残っている唯一の方法は成功する方法です。起業家にとってのそれは常に最後に来るようです。
「Little Bets: How Breakthrough Ideas Emerge from Small Discoveries」より
■成功と失敗の両方について建設的な見通しを立てる一貫した成功がモチベーションを高めるための鍵です。単に成功体験を提供するだけではありません。モチベーションを高めるために、成功を経験するだけでなく、それを称賛する必要があります。
「Sport Psychology for Coaches」より
■起業家クラブに参加し、ネットワーキングイベントに参加し、志を同じくする人々と交流してください。またはあなたが望む種類の成功を収めている人々の本や自伝を読んでください。メンターを探すのもよいでしょう。成功に必要な考え方を身に付けられます。
「The Millionaire Fastlane: Crack the Code to Wealth and Live Rich for a Lifetime」より
コロナで残業も減って収入減ったし、先行きも不安だし、独身おじさんだから病気とかで即詰むから貯金ないと不安だし、
減額で返すから待ってちょんまげって学生支援機構に送ったのに、不承認されてしまった
お前そこそこ給料あるじゃねぇかきっちり満額返さんかいボケ!だそうだ
だが、このご時世だ、ちょっとばかり情けをかけてくれたっていいんじゃねーの?
まじで毎月かつかつでただ職場と自宅を往復するマシンになったんじゃ生きてる楽しみもないってもんだ
お前らはそれで一向に構わないだろうけど、俺には大問題なんだよ
そこんとこわかった上で不承認って言ってるのか?いや、わかってねえ、お前それはお前わかってねえ顔だよ
個別の喧嘩の発端は…こちらに責があることもあれば向こうに責があることもあるし、最初は自分が我慢して済むならそれでもいいやと思ってたんだけど、やっぱり理不尽な怒りの暴発を難度も経験すると、徐々にこっちの自尊心が削れてくるし、不機嫌の徴候が見えるだけで心理的に身構えてしまうんだよね。無意識のうちに、相手の地雷(どこに埋まってるかわからないんだけど)に触れないように立ち回るようになる。そうすると家庭が安心できる場でなくなってしまう。
もともと彼女自身にも、そういう感情的制御ができないことの自覚はあるし、直したいとも思っているんだけど、キレてる最中に「そういう言い方や態度はよくないよ」と意見しても耳に入らない。「どうせ全部私が悪いんでしょ」「はいはい、また私のせいなんだよね」となって会話を打ち切り、刺々しい振る舞い(ドタドタ歩いたりドアを閉めたりモノを乱暴に扱ったり)して、後には不機嫌な空気だけが残る。これがなんともやるせない。一定時間が経って落ち着くと、何もなかったように振る舞うか、一応は「ごめんなさい」と言ったりもするんだけど、そういう殺伐とした感情って人の心を痛めつけるんで、お互い何もなかったように振る舞っていても、やっぱりこっちの心は無傷じゃなくて、刺されたり殴られたりした疼きが残る。たぶん相手の心も無傷じゃない。どっちにもいいことがない。
で、子供が生まれて物心がついてきたのを機に、お互いに真正面からこの問題に向き合うことにした。子供が親の逆上や不機嫌に萎縮するようになったら誰にとっても不幸だ、というのはお互いの考えが一致していたので。
実はこの「子供との関係」というのが重要で、結論から言うと、彼女が毒親(母親)に非常に悪い育てられ方をしてきたことが全ての起点になっていた。母親、自分から見ての義母は、幼い頃の彼女を蹴ったり殴ったりした。氷点下に近い納戸に数時間閉じ込めるという身体的虐待もあったし、ネグレクトも罵倒もあった。理由は、折り合いの悪い義祖母に顔立ちが似ていたから、ということもあったようだし、良家同士の見合い婚で専業主婦になった自分にとって「育児を成功させ、娘は良家に嫁がせる」ということが唯一かつ至上の役割になっていたこともあったようだ。それほど受験戦争が激しくない地方にあって小さい頃から娘に複数の塾や家庭教師をつけ、成績が思うように伸びなければ「あんたはなんでできないの」「私が恥をかく」と詰め、娘の夏休みの自由課題が賞をもらった翌年からは、傾向と対策を踏まえて母親が課題を制作し、受賞すればそれを周囲に誇るようになった。義母にとって娘は自己の付属物であり、自分の能力と努力を表示する成果物だった。これは娘側の一方的証言ではなく、義母本人がそのことを問い詰められて(娘以上に感情的に)キレたり、逆に緘黙する状況を自分も見ているので、嘘や極端な誇張はないと思う。
そういう母親との間で育った娘である奥さんは、根本のところで自己肯定感がとてつもなく低く、「自分には価値がない」という強迫観念に苛まれていた。彼女は親元から離れたあと、亡父の尽力もあって学歴にはやや不相応な金融総合職につくことができ、廻りの高学歴の人達に揉まれながらも持ち前の根性で「コネ入社の腰掛けさん」に留まらない営業成果を出し、職場でも多くの同僚に認められるようになった。でも、これは見方を変えると「自分が無価値な人間ではない」ということを自らアウトプットや業績評価によって証明し続けなければいけなかったからそうしていたわけで、その「頑張り」は結局は不安と強迫観念によってドライブされてたんだよね。背景にそういう動機があって「頑張り続けなければいけない」人がどうなるかというと、最後はメンタルヘルスを崩し、拒食症になり、自己都合で退職した。つらい。
その後いろいろあって彼女は自分と結婚したんだけど、お互いに落ち着いている時に(感情的にチャージされてない状況で)この課題について話し合い、時にはネットの情報や心理学の書籍なども参照しながら考えるなかで、激昂の背後にあるのは自己肯定感のなさだということが見えてきた。彼女は成長の過程で「人間は能力や実績によってだけ認められるわけではなく、ただ人間であるだけで価値がある」という確信を得てこなかった。母親から与えられたのは条件付きの愛で、条件を満たさなければ存在自体を否定された。だから「認められるために頑張る」という所作が身についた。
頑張りの中には「社会的に認められる人格を演じる」ということも入っているから、ソーシャルマナーはちゃんと実践できる。人当たりはよく、好感度も高い。しかしそれはあくまで「舞台」に立って「頑張り」を発揮して評価を獲得しなければならない状況での話で、身内にはこのルールが適用されない。だから親族や家族の中に(彼女の基準で見て)頑張っていない人(例:私はこんなに頑張ってるのに、あなたは)、彼女の頑張りを認めてくれない人、彼女の頑張りの成果をスポイルする人(例:頑張って片付けたのにまた散らかして)に対しては、時に制御の効かない怒りを感じ、苛烈な言葉や行動を直接ぶつけてしまう。自己肯定感が低いから、他者を無条件に肯定できない。自分に課した高いハードルと同じ評価基準を相手にも課し、それを満たさない相手を詰る。そういうメカニズムがあるみたいだった。
ついでに言うと、彼女の母親にとっては娘自身が「彼女の頑張りをスポイルする人」(一生懸命教育してるのに成果を出さずに「私に恥をかかせる」から)だったので、娘に対してそうした精神的身体的DVを繰り返していたわけだ。自己肯定感の欠如と感情のコントロール欠如という点では似たもの同士だった母親と彼女との喧嘩は、ちょっとした言葉尻の棘を捉えて相手を強く咎める(「それどういう意味?」とか「あなたはいっつもそう!」とか)の繰り返しで、なんでもないやりとりがあっという間に激しい罵倒の応酬にエスカレートしたりする。まさしく言葉の刃で刺し合うがごとくで、たまたまその場に居合わせた自分もぐったりと疲弊し、時にはあまりの情けなさに泣くこともあった。
ともあれ、我々2人は「こんなことが当たり前ではいけない、子供をこういう『こじれ』に巻き込まないようにしよう」ということをスタートにして、まず彼女と母親との関係は明らかに機能不全に陥っていること、彼女の母親が過去も今も彼女の自尊感情を蝕んでいること、自尊感情の乏しさが他者への非寛容や感情制御の困難につながっていること、自分は母親の承認/不承認にかかわらず価値のある人間だし、他人もそうだということなどをひとつひとつ確認していった。彼女は最初は「母親はもしかしたら毒親だったのかも」程度の認識だったのが、あまりにも定型的な虐待のパターンのど真ん中に自分がいたことを知り、自分の感情コントロールの難しさが個人の資質というより関係の病理に起因していることを学んだ。そうすることで、母親との関係も1:1の差し向かいではなく、その関係自体を第三者として見る視点を手に入れた。自分はそのときに情報や考察の手伝いはしたけど、結局それは彼女自身の自己探究の道のりだった。
それでどうなったかといえば、状況は明らかに良くなっている。奥さんはアンガーマネジメントを少しずつ理解し、実践している。実際にキレる回数は格段に減った。キレてしまった時はそのままにせず、すぐ言葉にして反省するようになった。YOUランゲージを控え、Iランゲージを使って自分の希望や意志を率直に伝えられるようになった。母親とのやりとりもベタ足の殴り合いをするのではなく、だんだんと「所詮は他人でしかない、母親とのやりとりで感情的に消耗したくない」という感覚を持てるようになってきている。無駄に険悪になることもないが、母親だから近しくしなければいけないという「演技」からもちょっと解放された。やっぱり根本的な原因や構造が見えてきたことで、本人の物事の捉え方も変わってくるんだと思う。
…というわけで、うちの場合は子供ができた結果、徐々に状況がよくなってきたんだけど、これ「子供が生まれたから良くなった」じゃなくて「子供がいるから良くしないといけない」という問題意識を両方が持ったからだと思っている。逆に言えば、元増田の場合、子供ができなくたって「この状況を放置するのは2人の心理的安全性にとって良くない、2人の関係の健康を損ねる」という意識で話し合うことができれば、だんだんと建設的な方向に向かえるかもしれないよ。
さっきも書いたけど、うちの場合は、彼女の病理というより関係の病理だった。だから時間はかかったけど、こじれた関係を解きほぐすことが解決の糸口になった。元増田の奥さんが同じかどうかわからないけど、参考になったらうれしい。お互いがんばろう。
「立憲主義」とは”政府の統治を憲法に基づき行う原理で、政府の権威や合法性が憲法の制限下に置かれていることに依拠するという考え方。”(wikipedia)とある。
では、今回の新型インフルエンザ等対策特措法は立憲主義に即しているだろうか?
答えは、否である。
『報告さえすれば、宣言も延長もし放題。宣言や期間や措置の根拠を正すための市民イベントも開催禁止できる。外出自粛要請も、保育園や老人ホームの使用禁止も指示できる。
これが、国会承認までは不要で国会報告で足りる「抑制的な私権制限」なんですか?私はそう思わない。』
(https://twitter.com/ShioriYamao/status/1236832421967888384)
『しかもこの特措法の発動要件は「新型インフルエンザ等の感染が拡大していると疑うに足りる正当な理由」という極めて解釈の余地が広いものです。
パンデミック抑止のため初動の柔軟性を重視してこの要件を維持するなら、入り口が広い分だけ民主的統制や期間制限が強く要請されるはず。』
(https://twitter.com/ShioriYamao/status/1236832502951510016)
また、山尾氏は私案の骨子として、
① 緊急事態措置を行う期間(現行法は2年)と延長の上限(同1年)を6か月する。
を出している。
(https://twitter.com/ShioriYamao/status/1235845649779707906)
つまりは、政府の行動を監視し、チェックできる機能を強化する方向性だ。
これは、立憲主義的と言える。
山尾氏は問題点をこう指摘する。
『「危機管理法制は法律で十分。憲法の緊急事態条項は不要」野党の多くはそう主張してきた。
その法律が国会統制や説明責任ゆるゆるだったら、説得力なくすでしょう。
昨日枝野代表は、安倍総理に対し国会質疑の確保などを求めたけれど、言質をとるだけじゃ足りないから「法」がある。』
(https://twitter.com/ShioriYamao/status/1235449170598617089)
『ましてや強力な私権の制限を伴う法案。事実上の歯止めでは全く不十分。
民主党政権の法律だって言われたら、だからこそ足りなかった部分が分かると返せばよい。すぐさま具体的な改善策を提示すればよい。そんなに複雑な作業じゃない。
(https://twitter.com/ShioriYamao/status/1235449306477285378)
また、3月11日には「総理が民放に放送内容変更・差し替え可能。」という政府側の答弁が出てきた(3月13日に撤回)。もはや異常である。
解釈次第でテレビ局の放送内容を指示できてしまうようなものを、出来ないよう明記して防ぐべきではないか?政府の解釈がわずか二日でまるっきり変わってしまうような状況。であればこそ、法律内で明文化することが大事であり、それが出来ていない法律は許さない、というのが立憲主義的ではないだろうか。
必要なのは、権力側が”やろうと思えばできてしまう”ものを、明確に禁止出来るようにすることなのだと思う。そのことを山尾しおりさんはずっと訴え続けてきた。枝野代表のツイッターにも間違いがあると指摘し続けてきた。
また、異常だと思うのは、異論を言うのを認めない空気だ。ある野党支持者は山尾氏の行動が「野党がバラバラな印象を与える」などと言っていた。ならば、野党議員は党執行部のゆうことを聞くロボットほうが良いのだろうか?おかしいことを自分の政党がやっているのに、何も言わないことが正しいというのだろうか。問題点の指摘、さらには改正案の私案まで出し、発言を続けてきた人に対して、口を塞ごうとするのは、同調圧力でしかない。
今回の場合、山尾氏の主張自体に反対する意見は少ない。であれば、どうしてこれほどにまで拙速に審議と成立を目指す必要があるのか?政府与党の出した法案に対して、審議を通じて、良くない点を指摘し、改善し、出来る限りの努力を行うことが野党議員の責任ではないだろうか。安倍首相も「今すぐ緊急事態を出す状況ではない」と発言している。審議を伸ばす時間はあったはずだ。
成立した改正法には、付帯決議がつけられたが、付帯決議があったとしても、それは努力義務以上の何の意味も持たない。立憲主義に鑑みれば、明文化して権力を縛るものを法案そのものに書き込むべきではないだろうか。それが出来ないのなら、反対の意思を示すべきだ。
将来、時の政権が解釈を変更し「テレビ局に指示できる」としたらどうするのか。その時「当時の野党は法案に賛成したじゃないか」と言われれば、何も反論できない。法案に反対をすることは、”おかしなことがある”という意思を示すことになる。賛成をすることは、その意思を示すことを放棄している。立憲主義に反する法案に反対せず、事実上の白紙委任に等しい賛成を行うことは、立憲主義を捨てたに等しい。
そんな野党は、”立憲野党”とは言えないし、政府与党の出す法案に白紙委任をする野党は、存在価値のない、それこそ「いても仕方がない」存在でしかない。
山尾氏を批判する、立憲支持者たちにとっては、立憲主義などどうでもいいのだろうか。立憲主義は、”立憲野党”にとって絶対に譲ってはならないものだし、”一度妥協したら死んだも同然”ではないだろうか。
妊娠中、ハローワークに失業保険の申請をしに行こうと思ったら、
「子どもを保育園なりにあずけて就職活動できる状態じゃないと、失業保険は受け取れません」
って言われた。
じゃあ保育園に求職で申し込みしたら、まぁ不承認通知が届いたよ。
私が住んでいる日本で一番人口密度が高いであろう某町は、待機児童のオンパレード。
認可保育園でも定員ギリギリかそれ以上預かってる状態だし、認可外も数えるほどしかないから、利用したい人が少ないパイを争っている状態。
就職活動したければ子どもを保育園に預けろ→保育園に子どもを預けたければ就職しろ→就職活動したければ子どもを保育園に預けろ→保育園に子どもを……
の無限ループじゃん。
じゃあどうしたらいいの?
保育園から溢れた人間は働けないストレスを抱えて過ごせってことなのか。
それとも、この未来予想をできなかった愚かな自分を恨めってことなのか。
いや、両方かな。
今は夜中に子供と旦那を置いて働きに出てるけど、いつまでこんな生活したらいいんだろう。