はてなキーワード: 不快感とは
・話しかけられてもないのに会話に割り込んでくる
・相手に話題を振るわけでもなく、他の人が始めた話題を掻っ攫って自分の話(オチも何もない)を始める
・その割に不意に出るタメ語だったり偉そうに聞こえる言い回し(だから〜、てか〜、〜ですけど?、〜ですが)→これは社長にもやってる
・一々動作がうるさい
・上のことなどを指摘されたらすぐわかりましたという割に改善されてない
・早口
・無表情でロボットみたいな面立ち
仲良くなりたい意思は感じるけど、空気全く読めないし、周りにナチュラルに不快感与えてるからなんかする度に評価下がっていってる。
まだ二週間ぐらいしか経ってないのに
「一方的な愛情を向ける」というのが何を指しているのかというと、まあ端的に「自分と今後一切関わりを持つことがないであろう有名人」とか「2次元のキャラクター」だとか、そのあたりのことだ。
人から愛情を向けられるというのはとにかく恐ろしい。私は、自分というものを正しく認識することができるのは他の誰でもない「自分自身のみである」と思っていて、そこにひとを介入させること、それどころか私を解釈する余地を人に与えること自体がとにかく末恐ろしい行為だと思っている。
近日、「蛙化現象」という言葉があたかもミームのように流行った。流行ったそれ自体は誤用ではあったが、いっとき社会現象にまでなった。
あるとき自分を分析してみたら、単に自己肯定感がすこぶる低いだけという訳ではなく、その自己肯定感の低さの中に同じくらいの「自身の持つ気高さへの陶酔」を抱えていることに気づいた。
これが、適当な意味で使われた時の「蛙化現象」を自身が引き起こすときの根底にあるんだろう。
己のことを、何よりも愚かでおぞましくて汚いゴミみたいな人間だと本気で思っていて、だけどそれと同時に「そんな自分のことを理解し寄り添ってくれるのは自分だけ」だとも思っている。改めて文章に起こしてみるととんでもない自慰行為である。
だから、「自分のいちばん近くで自分を理解し寄り添ってくれる」、所謂恋人のような存在を作ることが怖い。
ここまで話した上で怖い、という言い方を今更しても自己保身でしかないので、言い換えると 「嫌」 なのである。紛れもなく。
だから、「私を瞳に映すことがない」「私の本性に介入することがない」「こちらもあなたを知ったような顔で語るつもりもなければ知るつもりもない」ような存在に陶酔することがいちばん心地よくなる。前述した「一方的な愛情を向ける」ということを長々と噛み砕いてみると、恐らくこんな感じ。
本題。
私は、ひとりの人間のことがすごく好きだ。 仮にAと置く。
特定されることは意図していないので、この記事を書く上で必要な最低限の要素だけ取り出して、尚且つ暈しを加えながらAのことを説明すると、主に言葉を書いているアーティストである。
ただ、私は自分のことをちゃんちゃら性善の擬人化のような人間であると思っていて、そうなるとここで既に矛盾が生じている。
「自分がされて嫌なことを人にしてはいけない」、凡その人が義務教育中には会得するだろう一般論である。性善の擬人化なので、勿論日頃からこれを踏まえた行いを心がけている、のに。
私は、なんの関わりも無ければ何も知らない他人に、Aに、心底惚れている。
世に出ているAの書いた言葉は辿れる限り辿った。特に好きなフレーズを自分の中に書き留めて、反芻してをひたすら繰り返していた。
そもそも私は頭のいい人が好きなのだが、それだとアバウトすぎるので最近は「素敵な言葉を紡げる人が好き」と形容している。
要は、私はAのことをきわめて頭のいい人間だと思っている。
だから凄く辛い。
「自身の尺度で他人の持つポテンシャルや性格を測る」ことって、きっと凄く馬鹿馬鹿しいことなのに。
なのに、私はAの持つ性格上の性質や口調、趣味、その趣味を持つにあたっての根本の考え方、友達への接し方とファンへの接し方の違い、それを産んでいるであろう根底の考え方、その全てが好きで、そんな自分の盲目さと当人への申し訳なさが、果てしなく苦しい。
Aが紡いでいる「言葉」というものをもう少し詳しく話すと、架空の人物の言葉の代弁だったり、まあカテゴライズするのであれば「詩」だろうな、というものが多数。
ただ、その中に、さながら自伝のようなものがチラホラと存在する。
とどのつまり、どうしてもその言葉を紡ぐに至った、その考え方に至った思考回路やバックグラウンドを空想してしまう。
まあ、ただ考察するくらいなら至って個人の自由だとも思う。ただそれを「Aのことが好きな理由」として自分の中でつらつらと並べている自分自身が恥ずかしくて苦しいのだ。
どの角度から見ても考えすぎである。これを書きながら自分自身でも「素直に好きって言えばいいじゃん」と思っている、が、プライドと自分の性質がそれを許してくれない。
薄々感じている方も居るだろうけれど、これだって「厄介ファン」だ。紛れもなく。
私がAの言葉を好きなことは事実で、それを産んだA自身のことが好きなのも事実だ。
だけど、「自分と関わりのない人に心酔することで得られる心地良さと安心感」を求めている節が、間違いなく存在している。
私は、自分が仮に有名な活動者だとして、自分の全く知らない人が水面下で自分に対してこんな感情を膨らませてつらつらと文章を書き連ねていたら、そりゃまあめちゃくちゃに恐ろしいなと思う。
拗らせ具合に対してもだが、やっぱり「例えその考察が事実であろうと、他人が私の秘めたる感情を時間をかけて推察している事実」に不快感を抱く。
自分を測られることへの不満や知った口を聞かれる不快感、「特定の誰かに宛てた言葉では無い」ということを全面に押し出すような書き方。
そんな書き方をしているのに、分かり易く示してくれているのに、その言葉を自分の中で大事に大事に仕舞っていることが極めて愚かであると感じる。
あくまでも自伝であるのに、その言葉に共感したり感銘を受けている私が。
だけど、好きなのである。どうしても。
人に測られたくないから、きっと私と同じような考え方を持っているAの言葉と性格に惹かれる。
けど、この「きっと」こそが人を測っているに他ならない。
だから、絶対にAに近寄りたくない。 答え合わせをしたくもない。 これはほんとうに仮の話だが、何かの縁でAと知り合いになり、友人になり、推察が上手いこといって、同じような考え方なんだね!なんてことになってしまったら。
私はこんなにも好きなAのことを好きなままでいられるのか、わからない。
乱雑でこんがらがったままだけれど、自分の感情を推察する余地を他人に与えられるようになるまで、きっと今後とも手の届くことの無い誰かにひたむきな好意を向け続けるのだろうなと思う。
最初の方に綴った通り、自身を高尚な人間だと奥底の方で謳っていることがこの現象の原因だと考えられるので、まずはその傲慢さを取り払わないことには私は一生ひとりぼっちである。
「他人に一方的にひたむきな愛情を向ける」ことは、すごく明瞭だ。ただ、そろそろ成長したい。ひとからの好意を受け入れたい。自身の根本を推察されることを拒絶したくない。
とにかく、この半ば依存のような好意をとやかく向ける行いはそのうち卒業する予定だ。
このジレンマから抜け出せて、しがらみが解けきったときに、私が至って健全な「好き」をAに向けることが出来ていたらすごく嬉しいなあ、と思います。
不細工で今生は周囲の人間に与える不快感を減らす努力だけすれば良いやと思っていて、美容やおしゃれを全くしてこなかった。
こんなのがファンにいると思われたくないから、イベントやライブには行かない。
何がダメって、筋金入りの出不精だから、それで満足していて改善するつもりがないところ。
多分そんなに他人は私のことを気にしてないし、私だって「あんな人がこの人のファンなんだ」なんて思わないんだけど。自意識過剰なのは生まれつきだから仕方ない。
このまま死んでいくんだよな。生命誕生から35億年間連綿と受け継がれてきたのに、私で終わらせてしまうわけだ。申し訳ないなぁ。
私が得意なことも、もっと得意な人がたくさんいるし。別に人類にいらない遺伝子だから良いか。
良いや。
ライブには他の人が行けば良い。
上手くデキてたら大ウケするよ。ウケと言うのは話題という意味で。
男はね、そういうの笑うだろう。戯画化された弱男がアホみたいで、おかしくて、たまらないと。
この手のクッキーって、旅行先の土産物屋でよくある「北海道に行ってきました」プリントのクッキーと同じだろ。
センス無い(六花亭やもりもとのお菓子に比べて、もらってもあまり嬉しくない)のはともかく、ツイッターに写真上げてまでたたくことかよ。
無視して食わなけりゃいいだけだろ。
というか、この手の「もらったものに公の場で文句を言う」って、男ではほとんど見られず、ネットで見るのは女ばかりが言ってて、
かつての「デートでサイゼリア」「プレゼントのジュエリーが4℃」もそうで、男だと「おごって貰えた、プレゼント送ってくれただけで嬉しい」となるところなんだよね。
いかに女が「貰えるのが当たり前」な恵まれた立場で甘やかされて感覚がマヒしてるかの証左だと思うんだよね。
というかこの手の
「一部少数の感受性豊かな(変な)女性達が、個人的なお気持ちである自分の不快感という感情の原因物を身の回り(=社会)から排除するために、「女性への配慮が足りない」「〇〇のことを考えろ」という心にもない建前を持ち出して無理やり社会全体の問題として火付け炎上させようとして、その無茶な理屈建てを批判される」
というパティーン、スープストックや産休クッキーよりもずっと前から、男性向け創作物(表現)では何度も繰り返されてきてるよね。
「そうだそうだ、この表現は問題だ!この表現を肯定するのはアンフェ、女性差別、キモいオタクだ!」
て火付けの肯定(レッテル張り)ブコメが多数ついてスター集めて上位ブコメになってたよね。
信頼感がないというか胡散臭い感じがするところが多い
まずはLine
そもそも信頼できない会社に個人のチャット情報とか起きたくないし
使ってないからどこまで正確かわからないけど聞いてる限りでは電話番号必須でウェブ版はなくて同時に複数端末ログインできないとか使いづらいとしか思えない仕様
Windows標準だし、Window使っていてMSに個人情報渡したくないとかいうのは意味不明だからWindowsやOneDrive使うならSkype使うくらい大した問題じゃない
ただWindows11からは標準じゃないっぽいし消えていきそうで困る
サイトは見づらいしサポートは悪いしで、そこにしか商品がないという仕方ない理由以外では関わりたくない
昔のその理由で一回使ったがサポートがひどくて購入したのにあとからやっぱり商品なくてキャンセルしますーとか連絡来てもう絶対使わないと誓った
たいしてAmazonはマケプレがひどいだけでAmazon出品で買えば今も昔も快適
次はメルカリ
言うまでもなく評判の悪いサイト
ネットリテラシーある人たちが取引するサイトならともかく、そういうのがない人をターゲットにしてるから関わりたくなさ過ぎる
かかわらなくても転売ヤーを支援するようなことをしてるサイトだからかかわらなければいいってものじゃない
オタクではあるほうだけどあそこは合わなかった
どうしてこうも使いたくなるウェブサービスの会社って日本にないのだろうか
会社としての主張が強いの嫌なのかな
変に偏ったりせずニュートラルで淡々とサービスを提供するだけのところのほうが不快感が出ない気がする
Twitterはユーザー層の問題で済むところがニコニコはサービス提供側までそっちよりだから関わりたくないと考えれば確かにって感じがするし
電車にそれなりに乗ってきたのでそれなりの臭さは体験してきた。
当然だが、どれも臭かった。
臭いとはは臭い。あくまでも不快感を感じる程度なので耐えたら金をやると言われたらある程度耐えることができる範囲だ。
とある日の電車の中、私は帰りのご飯のことを考えていたと思う。
中華もいいなと考えていると次駅に止まり、とある生物が私からすこし離れたところに座った。
しばらくすると、不快感を覚えた。
バターの中にしっかりと不快感を混ぜたような臭いが漂ってきたんだ。
悪臭生物はそれなりに遭遇する。いつものことであり、目的駅は数駅先だったので
それくらいならと耐えることにした。後で後悔することになる。
しかしこれまで悪臭で不快感こそ散々味わってきたが、頭痛と吐き気まで起きたことはなかった。
風呂に入っていないような臭いから夏の生ごみまで臭いを感じてもここまでになることはなかった。
次の駅で降りて、最悪ホームで吐くしかない。最悪な行為ではあるが、電車内よりは遥かにマシだと思った。
てかトイレまで耐えられる気がしない、そもそもそこでは頭が回ってない。
次の駅まで耐える
次の駅まで耐える次の駅まで耐える次の駅まで耐える次の駅まで耐える次の駅まで耐える次の駅まで耐える
いや、さすがにやばい
俺は生き延びて、嘔吐はなかった。
しかしそこからしばらく頭痛は続き、その日の夜は何も食べられなくなった。
その先が、あることを俺はその日初めて知ったのだ。
この前、銭湯行ったんだけど、年長〜小学一年生くらいの男の子とお母さんが入ってたんだよね。
「あの子男の子だけどけっこう大きいな…なんかやだな…まあ仕方ないか母親しかいないなら…」
と、多少不快感は感じてて。脱衣場で着替えてた時、やっぱりその子、じーーーーっと裸を見てたし、すっごい周りキョロキョロしてたし、わたしも近くで見られてた…。子どもなのわかるけど、すごい嫌だった…。
その後着替え終わってロビーでジュース飲んでたら、その男の子と母親がいて、横に父親もいたのね。
え?!父親もいるやん?!なんで父親の方行かない?!女湯だぞ?!って、びっくりしたよ。
今ってそう言うもん?父親いるなら男湯行かない?なんでそこそこ大きい子をわざわざ女湯に入れる?
先日こんなものを見た。
『https://twitter.com/kanare_t/status/1775778556557316153』
瞬間的に腹と頭の中に濁ったものが湧いた。
見なければ良かったと思ったが見てしまったものはもう仕方ない。
出来るだけ早く忘れるか、と思ったが、しかしこれを見たことで“私はなにがどうして嫌いか”が明確なものとなったので、これもひとつの経験か……と思い、書き記すことにした。
私は自虐が嫌いだ。
今までも漠然と思ってきたことだが、それに明確な理由が見えた。
自虐とは他虐だということ。
「私はこういうところが変なんですおかしいんです」と自分を貶めているようでいて、発言者と同じ性質を持つ他者までも貶めることになっている。だから嫌いだ。
この発言者は「みんな」と呼び掛けている。「私と同じような性質を持つ者はおかしい」と不特定多数に周知している。これは他虐だと思った。
勿論これを見て気にならない人もいるだろう。この発言についた返信もいくつか見たが、概ね発言者に同意するものや、同じように自虐的なものが見られた。私にはそれもまた他虐の上塗りに見えた。返信していないだけで、静かに傷ついている人はいるかもしれない。
そしてもうひとつ。自虐は自分で自分に(そして自分と同様の性質を持つ人に)差別偏見の目を向けることでもある。だから嫌いだ。
この発言者は、自分の趣味嗜好を掲げてそれを異端視する言葉で表し、自らその趣味嗜好への異端視を促すような文を発信した。そのことに大きな不快感を感じた。
鍵アカでの内輪ノリなら良いかもしれないが、開かれたアカウントでこれを発信し、広く拡散されて様々な人の目に届き、「気づいた」人が、読書を楽しく思えなくなる可能性がゼロだとは言えない。
しかもこの発言者は小説家だ。読者がいるのだ。これはその読者たちも異端視し、「自分はおかしいのだ」という差別偏見を持たせてしまう可能性のある文だとも思え、不快感の一端になっている。
私自身は世間の読書率がどうであろうと構わないが、自分の職業にも関わる物事を取り上げて「こういうことが好きな人はおかしい」とわざわざ呼び掛けることがが何かにプラスに働くとは思えない。私がこの発言者の作品の読者だったらこの文に失望しただろう。
そもそも、対象が自分であろうと他人であろうと、何かしらの嗜好や特徴を取り上げて異常だ変人だなどと(褒め言葉として使っていたとしても)表すこと自体が嫌いだ。
それが犯罪や命に関わることでないなら、どんな性質だろうとなにを好んでいようと等しく普通の人間だ。私はそう思いたい。
これらのことを改めて考え、言語化するきっかけになったということでは、あの発信に出くわしたのもそれなりの価値があったのかもしれない。
まあ、古典(夏目とか、太宰とか)を読んで模倣して自分なりの文体を見つけるのか楽な道だとは思うが……
観察、観察だな。まず経験があって、それから創作があるのだから。
たとえば中学生が下校中に上級生に絡まれて殴られる描写をするとしよう。
・「なんだかよくわからない奴が急に絡んできて、よくわからないことを言われて、2回も殴られた。嫌な気持ちになった。」
・「その日の帰り道、加曽利と喋りながら帰っていたとき、突然背の高い男に呼び止められた。ソイツはつり上がった目と妙に大きな口で、ヘラヘラと笑いながら私の肩を掴んできた。なんだコイツは?心当たりなど無い。胸が早鐘を打ち、若干の苦しさと居心地の悪さが全身に駆け巡る。男はやれ半袖でかわいいね、とか、舐めてんのか、などとワケのわからないことをまくしたてる。何なんだ?一体。
すると突然、腹に重い衝撃を感じる。そして頬にもう一発。まさしく星が見え、口の中に殴られた時の鉄のような味が広がる。たまらずダウンして、加曽利がいなくなっていることに気づいた。薄情者め……殴られた不快感と驚きは、裏切りの出汁がよく効いたドロドロのスープとなって、私の血に流れた。
男は捨て台詞を吐いて去った。私は打ち捨てられた人形のように倒れたままだった……下校途中の誰もが私を避けて通り過ぎていく。」
ほぼ一発書きだからアレだけど、まあこんな感じ。言いたいのは、よくよく自分を観察してイメージを胸に形作り、それを描写しないと、文芸は生まれないと思う、ということ。
私25歳
仕事の愚痴を吐くと「そんなに嫌な職場ならさっさと転職しなよ」って言われるのが本当にストレス過ぎて無理になってきた。
「男性脳と女性脳」「解決脳と共感脳」なんてことは知ってるけど彼氏の男性脳的な考え方が本当にイヤ。
彼氏のというかこれまで付き合ってきた男全員に共通する解決脳的な言動が本当にイヤ。
単に愚痴を聞いてうんうん頷いてくれればまた仕事に行く勇気が湧くってだけの話なのに、なんでそんな簡単なこともしてくれないんだろう。
挙げ句に「向上心がないからそうやっていつまでもウジウジなるんだよ」「赤ちゃんじゃないんだから自分にふさわしい環境を自分で見つける努力をしなよ」とか言われてちょっといま本気で頭にきている。
どうして男って偉そうに説教するの?
最近、結局男って不快感に対する耐性が女性よりもないんだろうなって思うようになったわ。
「別に環境を変えるほどではないけど溜め込んでおく のは辛い」ってくらいの不快感にも耐えられないんだろうね。
だからすぐ「環境変える」みたいな極端な考え方になるし、環境を変えられないならすぐ自殺する。
男女の自殺率の差って単純に男のメンタルが弱いってことを意味してるだけの話なんじゃないの?
いいえ。『このすば』よりもゴリゴリの萌えエロ描写がある作品をぜんぜん見るよ
なんか家族枠描写・色恋なし枠描写からのセクハラ・色恋描写が苦手なんだよな
Vtuberコンテンツは結構好きでよく見てるけど、ASMRとかアダルト色が強いのは苦手
アダルトコンテンツ自体は特に苦手とかなく、かなり人を選ぶものでもなければ、流れてくれば割と何でも見れる程度
けどなんかVtuberのそういうコンテンツは苦手に感じて見ない
なんなんだろうな
Vtuberはアニメキャラ風なモデルを使っていてもやっぱり中の人がいるし、長時間配信してると作ったキャラを維持できてる人がほとんどいなくて、結局キャラクターというより中の人そのままみたいになってるから、リアルな人を感じてしまうせいなのかな
知り合いのそういうところは見たくない的な
これも一種のぬいぺってやつなのかな
すずめの戸締りを金ローでみた。
終始、震災を扱う手つきが雑で、物語のエモの舞台装置にされていて不快感があった。
以下、ネタバレ注意。
見てて気になったところ。
震災は「閉じ師」が封じられるという世界観なので、大震災が起きたところは「しくじった」とされる。
人間の及ばないところだからこそ納得せざるをえなかった生死が、震災を操作できるものにすることで、個人の責任に帰結してしまう。あまりに自然災害の本質とかけ離れている。
・「人の想いがその地を沈めてきた」というセリフ
じゃあ大震災の起こった土地はその想いが足りなかったんですか???と詰め寄りたくなってしまう
・おばとすずめの言い合いの言葉のえげつなさ、なのにテンプレートなところ
「あなたがいるせいで家に人も呼べず婚活も上手くいかない」「重いの!」という言い合いのなんかいきなり生々しくエゲつないとこ、でもリアリティがないとこ。
いや、なんか新海誠の思い描く「アラフォーの独身女の苦悩=コブ付きのせいで婚活上手くいかない」っていうテンプレ感というか、取ってつけた感。今までバリバリのキャリアウーマンで年下の同僚からの恋心にも気づかなかった叔母さんの人物像とかけ離れてね?
そんで言い合う叔母さんの顔に、今までなかったほうれい線が出現して醜くなる。
「ヒステリックってブスだよね〜」みたいな偏見があるのか?という穿った見方をしてしまう。なんでおばさん、いきなり老けた?
つーかこの言い合いは、新海誠曰く「前に進めるように、ダイジンの親切」らしいけど、ハア?? 自分で選びとった言葉じゃないなら何の意味があるんだよ、この会話。
叔母さんが必死に隠してきたことがあるとして、それをすずめに伝えるとして、それが彼女の意志でなければ前に進める訳ないだろ。
・ダイジンが震災孤児だという無神経さ、そして救われないのかよ
ダイジンはかつての震災孤児が要石として名乗りを上げたらしい。この設定、いや、絶句するんだが。悲しい過去!とか自己犠牲!とか、そういう泣きのために入れていい設定じゃないだろ。なんで震災孤児がそんな苦痛の自己犠牲の選択をして、解放されて誰かの子供になれるかと思ったら無理で、また自己犠牲に戻るなんて言うストーリーを安易に作るんだよ。本当に手つきが雑!震災は感動エモ泣きのための舞台装置じゃないが…?
・結局世界は何も変わらない
すずめがうっかり抜いた要石を元に戻した。起こった現象としてはそれだけだ。別につらい役目を担っていた要石のダイジンが解放されるわけでもなく、閉じ師の運命から草太が解放されるわけでもない。
世界は前には進まない。ただすずめが、「おばさんと本音を言いあえたし過去の自分を抱きしめられた」だけだ。
コイツはそういうのがコンプレックスなんだろうなあと思って不快感を和らげる程度の余裕はある。
チー牛とか弱者男性とかも効かない。
ネットの流行り文句を適宜鳴き声に取り入れるチンパンジーだなと思う。
自分はそこまで気にしてもいないし、おれを知っているはずもない奴がネットの向こうで適当に言ってるだけだから。
「効いてるw」みたいな言い返しても言い返さなくても有効判定されるダブルバインドあるけど、それも効かない。
ゴキブリに付き纏われたような不快感はあっても効いてはいない。
自分を見せようともしないで自分を分かってもらおうとしてる。それで作られた自分に対するイメージに対してほんのりと勝手にイラついてる。
全力出した事ない癖に「天才と秀才」みたいな物語の秀才側に自分を投影してる。
人間関係なんて社会性をまとえばいいだけの事だろ、自分はそれが出来てる。とか思ってるけど、傍から見てあんまり出来てない。やってないんじゃなくて出来てない。
自分は何もやってない割に高みの見物気取って、周りの挑戦の失敗を願ってる。別にそこで勝負してないし、とか思って余裕こいてたら本当に差をつけられたくない部分でも周りに差をつけられてる。
とか言われたら割と効くと思う。
でもまだ本当の本当の本当に「効く」ことはあると思う。囮の弱みを差し出して、敢えて見せた「隙」に飛びつくチンパンジーをあしらって真の弱点は隠す。そういう小賢しい生き方だけどそれなりには楽しい。