はてなキーワード: 不可思議とは
ダイエットを始めて、蒸した鳥胸肉と安くてチンするだけで食えそうな冷凍野菜を貪る日々である。
定番と言えばブロッコリーなのだが、先日業務スーパーに行ったら冷凍のオクラ(丸ごと)が安く、解凍すれば生でも食えるということで早速レパートリーに加えてみた。
冷凍ながらシャクっという小気味良い歯応えが気持ちよく、どんな味付けでも意外とマッチするため、非常に気に入った。
ちなみにオクラはいかにも日本の野菜という風体、名前をしているが、原産はアフリカで、名前も現地名の『ンクラマ』が持ち込まれた際にオクラという名称に変わったのだそうだ。
大量の丸ごとのオクラを食した翌日の昼、私は便意を催しトイレへと駆け込んだ。
元々お腹が緩い体質ではあるが、今日はいつも以上の軟度で最早液状に近いブツを噴射するかのように大量に排出した。
一仕事終えた肛門を拭き上げ、立ち上がり流そうと便器を見やると、そこには白く小さな球体が大量に浮かんでいた。
一瞬ぎょっとするも、見覚えのあるそれはオクラのたねだった。
茶褐色の液体に浮かぶ大量の白い球体は、まるで若者の好むタピオカミルクティーのようだった。
便器の中にタピオカミルクティーが入っているという何とも不可思議な光景を惜しみながらみ、私はそっとレバーを引き、自分の体内から出た栄養の絞りカスを見送った。
増田を再投稿すると[再投稿は甘え]と言ってくる再投稿先生について。この人、なんと2017年の12月9日からひたすら再投稿される増田をチェックして[再投稿は甘え]という投稿を続けてるんだよね。増田で一番どうでもいい「再投稿」をしているのは自分ということにも気づかずに。再投稿後あまりにもすぐ反応があるので最初はスクリプトを疑っていたんだけど、この人複数回再投稿をすると言葉を発しだすんだよね。つまり確実に人間が増田にはりついて再投稿チェックをしている。実に3年以上もの間この不可思議な行動を繰り返している再投稿先生が私は怖くてしょうがない。
“[再投稿は甘え] が次に人を刺す”というタイトルで再投稿先生を揶揄する投稿をしてる人もいるんだけど、私は冗談抜きで再投稿先生は人を刺す可能性があるんじゃないかと思っている。なぜはてなの運営は再投稿先生をBANせず放置し続けているんだろう。はてなで二人目の死者が出たらいよいよサービスお取り潰しになりかねないよ。
でもそれは全く別の国。
ひとりのために構築された国ではない。
人は国境などという自然界に生きる存在には全く不可思議なものをつくりあげ
そしてその国境などという枠組みの中で生きることしか出来ない。
我々はそのようにしか生きることは出来ない。
増田を再投稿すると[再投稿は甘え]と言ってくる再投稿先生について。この人、なんと2017年の12月9日からひたすら再投稿される増田をチェックして[再投稿は甘え]という投稿を続けてるんだよね。増田で一番どうでもいい「再投稿」をしているのは自分ということにも気づかずに。再投稿後あまりにもすぐ反応があるので最初はスクリプトを疑っていたんだけど、この人複数回再投稿をすると言葉を発しだすんだよね。つまり確実に人間が増田にはりついて再投稿チェックをしている。実に3年以上もの間この不可思議な行動を繰り返している再投稿先生が私は怖くてしょうがない。
“[再投稿は甘え] が次に人を刺す”というタイトルで再投稿先生を揶揄する投稿をしてる人もいるんだけど、私は冗談抜きで再投稿先生は人を刺す可能性があるんじゃないかと思っている。なぜはてなの運営は再投稿先生をBANせず放置し続けているんだろう。はてなで二人目の死者が出たらいよいよサービスお取り潰しになりかねないよ。
この差異は何なんだろう
前回(anond:20210731060222)の続き
見つけたら順次追加していく
(15:55追記)『何故『トランスジェンダー』を受け入れないのに『LGBT』には理解を示す女性が多いのか?という話。』に「ボーイズラブ」というワードを確認。
『何故『トランスジェンダー』を受け入れないのに『LGBT』には理解を示す女性が多いのか?という話。』(anond:20210801131905)
『友人と大喧嘩して差別と言われた』(anond:20210802140418)
初ブックマーク日時(2021/08/02 14:09)
(16:16追記)『友人と大喧嘩して差別と言われた』は非公開2ブックマークだが気になる点があったため一応記録しておく。このエントリを3番目にブックマークした(b:id:talkgawa)の総ブックマーク数は36件。4番目にブックマークした(b:id:nikakuinikaku)は2件のみ。またtalkgawaのブックマークを遡ると削除されたエントリが目立つ。更に削除されたエントリのブックマークページには同じく総ブックマーク数2桁のアカウントが複数確認された。類似のアカウントをいくつか捕捉したので記録しておく。
b:id:penanggatan(16)
b:id:homohole(19)
b:id:reiley(22)(08/03 15:54追記)
b:id:tokyoyuzen(26)
b:id:bluedac(37)
b:id:chadutu(37)
b:id:rinko_ami(44)
b:id:mackrosagi(131)
b:id:mineight(793)(08/03 16:08追記)
ブックマーク数が少ないからという理由で怪しむのはよくないが、この件数にして削除済みエントリや同じエントリへのブックマークがこうも目立つのは偶然にしては出来すぎな気がする。
『ローレン・ハバードがメダルを獲った時、女性のオリンピックは終わる』(anond:20210802173214)
(18:02追記)『ローレン・ハバードがメダルを獲った時、女性のオリンピックは終わる』は投稿から1分も経たずに初ブックマークされている。
『不可思議な男女の非対称性』(anond:20210801223806)
初ブックマーク日時(2021/08/02 18:21)
(18:35追記)『不可思議な男女の非対称性』は初ブックマークから4分後には非公開3ブックマークされていた。ちなみに昨日(8月1日)の記事。
『膣モテ・穴モテなどという存在しない概念を信じる人達』(anond:20210803072223)
初ブックマーク日時(2021/08/03 15:18)
(15:46追記)『膣モテ・穴モテなどという存在しない概念を信じる人達』は初ブックマークから22分後には非公開3ブックマークされていた。
『非公開3ブックマークが趣味なのに最近面倒臭い奴が現れた』(anond:20210803184405)
初ブックマーク日時(2021/08/03 18:52)
(21:18追記)『非公開3ブックマークが趣味なのに』これが本当ならはてなブックマーク利用規約(https://b.hatena.ne.jp/help/entry/spam)に違反している。
私が「ピエール瀧は、違法薬物密売組織にとって優良顧客だったから、映画等の大きな役(=違法薬物を買えるぐらい高額のギャラを貰える仕事)を優先的に回してもらえていたのではないか?」という仮説を提唱したところ、何人かの人間からは「ピエール瀧は演技が上手い」という反論が有ったが、それは本当のことだろうか?
仮に、それが本当だと仮定しよう。
その場合、電気グルーヴの活動の片手間に役者の仕事をしていたピエール瀧に、演技の専門的な訓練を積んだ人間たちが、その専門技能の分野に於いて軒並み「敗北」していたということになる。それは専門家として「恥」ではないのか?日本の役者たちは、ピエール瀧に負けるような大根役者ばかりなのか?
そのような「能力に疑問符が付く専門家」に果たして存在価値が有るのだろうか?
また、それだけ大根役者揃いということは、日本の役者業界は、育成と訓練のノウハウが乏しいということの証ではないだろうか?
さらに、演技の仕事と並行して長年に渡って違法薬物を使用していたということは、結局のところ、ピエール瀧が演技の仕事で得た高い評価は「ドーピングしたアスリートが獲得した金メダル」と同じく紛い物に過ぎず、そんなものには何の価値も無い。
ドーピングしたアスリートやSTAP細胞をデッチ上げた研究者が追放されるべきなのと同様、違法薬物を使用していた芸能人も、業界から追放されるべきと私は考える。ピエール瀧が再出発するならば、芸能会以外で再出発してもらいたい。泡銭を手にしたならば、再犯の可能性が高まるのだから。
映画版『宮本から君へ』のニュースで、ピエール瀧の名前を久しぶりに見たので、改めて疑問点を記しておく。
そもそも、演技の専門訓練を受けていないピエール瀧のような「素人」が、何故NHK大河ドラマや映画で大きな役を頻繁に貰っていたのか?という素朴な疑問である。
これについて一つの仮説を私は持つが、残念ながら、それが正しいか否かを確かめる手段は無い。
その仮説とは「ピエール瀧が、違法薬物を密売する組織や人間にとって『優良顧客』だったからこそ、NHKや映画会社も演技の素人であるピエール瀧に、優先的に仕事を回していた」というものである。
芸能人などがNHKで仕事をすると、その際のギャラが格別に高い訳ではないが、世間の信用や好感度がアップするので、結果的に、その後の仕事の依頼が増えて収入も増えるらしい。
だとするならば、違法薬物の密売組織がNHKに食い込んでキャスティング権限を持つ人間を操り、違法薬物を使用している芸能人にNHKの仕事を回すように工作すれば、その芸能人の収入を増やして薬物を買う大金を持たせることが可能になるのではないだろうか?
この仮説に従えば、違法薬物で検挙された芸能人を芸能界に復帰させようとする動きも、社会復帰というよりも、むしろ、再び違法薬物を買わせることが出来るように、デカい金を持たせることが目的ではないかと疑わねばならない。
勿論これは単なる仮説である。しかし、伊勢谷友介、沢尻エリカなど、NHKで大きな仕事をしていた複数の芸能人が違法薬物で検挙された事実を考えると、このような仮説を私は考えざるを得ないのである。
最近のピエール瀧は、再び石野卓球と仕事をしている様子で、YouTubeでも関連映像のサムネイルを見かけた。しかし、それを私は視聴していない。
何故かと言えば、それは、私が応援することでピエール瀧の仕事が増えたら、それによって再び違法薬物を買う資金になるのではないかという懸念を抱いているからである。もう今の私は、以前のようにはピエール瀧を応援することが出来ない。
違法薬物に手を出した人間の再犯を防ぐには、薬物を売りつけようとする人間および薬物の入手が可能な環境から、隔離するしか方法は無い。田代まさしを見れば分かるように、どれほど本人が「再犯しない」と誓おうと、そんなものは風の前の塵に等しい。田代まさしの場合、本人なりに更生しようと努力はしていたけれど、イベントで「誘惑に負けず、頑張って下さい!」と握手して励ますフリをしながらバイニンが違法薬物のパケを手渡してきたので、アッサリと陥落して再犯したという。一度違法薬物に手を染めると、本人の意志で再犯を防ぐことは、ほぼ不可能である。金を持たせず、行動も監視して、接触する人間を極力制限するしか、違法薬物使用者の再犯を防止する方法は無い。
それなのに、今まさにピエール瀧は、芸能界の仕事に復帰しつつある。芸能界への復帰は、再犯の確率を増やすだけである。もしも「石野卓球は、違法薬物の誘惑から、ピエール瀧を守れると思うか?」と訊かれたならば、私は思わないと答える。そんなことを石野卓球がする/出来るならば、最初からピエール瀧も違法薬物中毒にならなかっただろうと思う。再犯の心配が杞憂に終われば良いのだが、生憎この心配からは、ピエール瀧も我々も彼の一生が終わるまで決して逃げることが出来ない。それぐらい、違法薬物は恐ろしいものなのである。
話を映画『宮本から君へ』に移すと、本作のプロデューサーや監督がピエール瀧の違法薬物犯罪の事実を知っていたか否かは定かでないが、彼らが「演技の素人」をキャスティングするに至った経緯や理由については知りたいと思う。演技の素人であるピエール瀧を高く評価していたということは、プロデューサーや監督は、贋作を真作と見誤る美術鑑定人と同じく、目が節穴なのではないか?その程度の能力しか持たない人たちに映画を作る助成金を出すのは、端的に言えば金の無駄遣いであろう。どれぐらい無駄遣いかと言えば、他で稼いだ金を吉永小百合主演の駄作に注ぎ込んで溶かしてしまう何処かの映画会社と同じぐらい無駄遣いであると思う。
貴方は「そんなことはない。ピエール瀧は、実力で役者の仕事を勝ち取っていた」と、果たしてどれ程の自信を持って言えるだろうか?オトモダチだけを優遇するような悪しき行いが至る所で蔓延る、現在の日本を見て、例えば日本フェンシング協会の会長として、フェンシングに縁もゆかりも無いような陸上選手崩れの胡散臭いタレントが選出されるような、日本の現状を見て、貴方は自信を持って「ピエール瀧は実力で役者の仕事を貰っていた」と言えるだろうか?
初期刀選びのときから陸奥守吉行に一目惚れし、舞台やアニメも彼が出るものは全て行った。
が、二次創作は書く方でも読む方でもあるが、早々に怖くてやめてしまった。
陸奥守吉行ファンのツイッターをたくさんフォローした結果、不可思議な現象にぶち当たったからだ。
まず、陸奥守吉行の同人作家の中では、創作刀剣男士“ウメタダ”が当たり前のように出てきた。誰?刀剣乱舞にそんな刀剣男士はいない。実在する刀のようだけど、実装されていない。にもかかわらず、作家内では性格など共通認識で出来上がっていて、「ウメってこういうとこある」「そんでウメがさ」みたいな当たり前にいるような会話がされていた。
正直意味がわからなかった。しかしあまりに作家陣が当たり前に話しているので、解らない人間は陸奥守吉行を語ってはいけない気もしてきた。あの時代周囲に合った刀をすべて網羅し、人格を与えるくらいにディープになっていなければ浅いと思われるのかもしれない。疎外感もあった。モヤモヤして同じ刀剣男士ファンの友達を作るのを断念した。
次に土佐弁である。とにかく創作刀剣男士ウメタダを語る人たちは、同じように「正確な」土佐弁を求めた。
「二次創作なら気にしませんから、書いてください!」とか言うが、公式が少しでも間違えようものならぶっ叩くし、公式でアンケートが実施されたときは修正依頼を陸奥守吉行ファン以外にも出してくれるように要求までする。メール何回も出しているけどしゅうせいされないんです!と。土佐弁の同人誌を出したから買って勉強してくれみたいなことも言う。そのムーブを眺めていて、二次創作なら気にしません、なんて到底思えない。読みながらこいつ間違ってんな勉強なんでしないのかな……くらいは思ってるだろう。
自分で書くときは文章を土佐弁に変換してくれるところを利用させてもらっていた。間違いも多いらしく(そりゃ素人が作ったものだ)界隈ではあまり良く思われていないようだった。土佐弁なんてまったく解らない自分からしたら、神のようなサイトだ。イチから知らない言語を学ぶところから創作をしろと言われたら、日中働いて時間を捻出して同人活動をしている私には無理だ。本当にサイト主さんには感謝しか無い。マイナスな感情などイチミリも無い。
そんななか、陸奥守吉行からの手紙で公式がここを使っているような疑惑が出た。めっちゃぶっ叩かれていた。正直関西弁も京都弁も創作にはあやしいものはたくさんあって、まちがっていることもある、とそういうものだと思っていままで創作に触れてきたので、そこまで叩くことか?と思った。
陸奥守吉行を担当してくださっている声優さんが土佐弁ネイティブで、アニメでもだいぶ監修されていたので、ゲームも声優さんに直してもらえ!と言われていたが、彼が声を入れていない手紙の文章を監修してもらおうと思ったら、わざわざ正式に監修依頼をしなければならない。彼が台本を読んで修正するのとはわけが違うのだ。金銭の問題も出てくるだろう。その辺の手間や予算がなかったのでは?と思う。
とにかく寛容さがなく、自分が正しい土佐弁を使えるという自負から下に見ているような物言いが怖かった。
そもそも、「正確」な土佐弁とは何なのだろう。かつてアニメでエセ関西弁がどうこう言っていた時、関西の友人たちは地域や年代でも違う。そもそもネイティブがやっても嘘っぽく聞こえるのが関西弁だから、あまり気にしていない。と言っていた。
土佐弁についても、実は友人が数人おり、聞いてみたことがある。やはり地域と年代でかなり違うし、そもそも陸奥守は龍馬の時代の、そうとう昔の土佐弁を理想として、でも現代人でも理解できる程度にアレンジしてあるようなものだと思う。と彼女たちは言っていた。プレイヤーに意味がわからなかったら、そもそも理解できないキャラなど好きになるどころか親しみも持ってもらえない確率が高い。だからそうするのは当然だと思った。
陸奥守吉行が使う「正確」な土佐弁指導とは、なにをもってそれを「正確」とするのだろう。公式だけが決められる基準ではないのだろうか。
かつて陸奥守吉行の同人小説を書き上げようと思ったことがある。というか、何度も思っているし、ネタも溜まっている。
でも、いちいち陸奥守吉行のセリフを書くたびに辞書を引き、調べていては勢いもなくなるし、テンポも悪くなる。そして楽しくない。ではあとからすべて治すにしても、私は長編書きで、数百ページ分の文章から陸奥守吉行のセリフを取り出し、全て調べて修正するとなると、どれだけ時間がかかるか考えてやめる。
他の作家さんのコメントやツイートでも、土佐弁が難しくて手が出ない、というのをいくつも見た。
陸奥守吉行の二次創作は消して多くない。グッズも多くない。ファン同士のコミュニティも“ウメタダ”系いがいはあまり見ない。
それは敷居の高さ、目の厳しさ、寛容さの無さ、出来上がっている謎のコミュニティからも来てるんじゃないだろうか。
今では陸奥守吉行、肥前忠広、南海太郎朝尊の土佐組と言われる通常三振りに、当たり前のように四振り目がいたりする。公式がいっそ全く違うウメタダを出してくれれば、このなんとも言えない怖さはと内輪の創作男士が当たり前のように公式と同じにみたいに扱われる気持ち悪さはなくなるかもしれない。
1日3不可思議x1000人
事前の学生時代のエピソードの学習演習2回で2000不可思議かけた
そしてこのこと婚約者にバレて泣かれた。
式のお金は両親が出してくれるし、自分たちで負担するのは50万ずつの話だった。
「トモダチ雇うのに5000不可思議支払ったから新婚旅行はいけない」
と正直に打ち明けた瞬間泣き崩れた。
「呼ぶトモダチなんて居ないって言ったし、君がトモダチたくさん呼ぶのに俺が呼ばないわけいかないでしょ」
「結婚前のお金はそれぞれの貯金だし別にどう使おうが勝手でしょ」
「じゃあ結婚式やめる?やめたところで5000不可思議は帰ってこないけど。」
何を言っても大声で泣き叫ぶだけだった。
当時私は二十五歳の青年で、丸まるの内うちのあるビルディングにオフィスを持つ貿易商、合資会社S・K商会のクラークを勤めていた。実際は、僅わずかばかりの月給なぞ殆ほとんど私自身のお小遣こづかいになってしまうのだが、と云ってW実業学校を出た私を、それ以上の学校へ上げてくれる程、私の家は豊ゆたかではなかったのだ。
二十一歳から勤め出して、私はその春で丸四年勤続した訳であった。受持ちの仕事は会計の帳簿の一部分で、朝から夕方まで、パチパチ算盤玉そろばんだまをはじいていればよいのであったが、実業学校なんかやった癖に、小説や絵や芝居や活動写真がひどく好きで、一いっぱし芸術が分る積つもりでいた私は、機械みたいなこの勤務を、外ほかの店員達よりも一層いやに思っていたことは事実であった。同僚達は、夜よな夜なカフェ廻りをやったり、ダンス場へ通かよったり、そうでないのは暇ひまさえあればスポーツの話ばかりしていると云った派手はでで勇敢で現実的な人々が大部分であったから、空想好きで内気者うちきものの私には、四年もいたのだけれど、本当の友達は一人もないと云ってよかった。それが一際ひときわ私のオフィス勤めを味気あじきないものにしたのだった。
ところが、その半年ばかり前からというものは、私は朝々の出勤を、今迄いままで程はいやに思わぬ様になっていた。と云うのは、その頃十八歳の木崎初代が初めて、見習みならいタイピストとしてS・K商会の人となったからである。木崎初代は、私が生れるときから胸に描いていた様な女であった。色は憂鬱ゆううつな白さで、と云って不健康な感じではなく、身体からだは鯨骨くじらぼねの様にしなやかで弾力に富み、と云ってアラビヤ馬みたいに勇壮ゆうそうなのではなく、女にしては高く白い額に左右不揃いな眉まゆが不可思議な魅力をたたえ、切れの長い一ひとかわ目に微妙な謎を宿し、高からぬ鼻と薄過ぎぬ唇が、小さい顎あごを持った、しまった頬ほおの上に浮彫うきぼりされ、鼻と上唇の間が人並ひとなみよりは狭くて、その上唇が上方にややめくれ上った形をしていると、細かに書いてしまうと、一向初代らしい感じがしないのだが、彼女は大体その様に、一般の美人の標準にはずれた、その代りには私丈けには此上このうえもない魅力を感じさせる種類の女性であった。
内気者の私は、ふと機会を失って、半年もの間、彼女と言葉も交わさず、朝顔を見合わせても目礼さえしない間柄であった。(社員の多いこのオフィスでは、仕事の共通なものや、特別に親しい者の外は、朝の挨拶などもしない様な習わしであった)それが、どういう魔(?)がさしたものか、ある日、私はふと彼女に声をかけたのである。後になって考えて見ると、この事が、いや私の勤めているオフィスに彼女が入社して来たことすらが、誠に不思議なめぐり合せであった。彼女と私との間に醸かもされた恋のことを云うのではない。それよりも、その時彼女に声をかけたばっかりに、後に私を、この物語に記しるす様な、世にも恐ろしい出来事に導いた運命について云うのである。
その時木崎初代は、自分で結ゆったらしい、オールバックまがいの、恰好かっこうのいい頭を、タイプライターの上にうつむけて、藤色セルの仕事着の背中を、やや猫背にして、何か熱心にキイを叩たたいていた。
HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI ……
見ると、レタペーパの上には、樋口ひぐちと読むのであろう、誰かの姓らしいものが、模様みたいにベッタリと並んでいた。
私は「木崎さん、御熱心ですね」とか何とか云うつもりであったのだ。それが、内気者の常として、私はうろたえてしまって、愚かにも可成かなり頓狂とんきょうな声で、
「樋口さん」
と呼んでしまった。すると、響ひびきに応じる様に、木崎初代は私の方をふり向いて、
「なあに?」
と至極しごく落ちついて、だが、まるで小学生みたいなあどけない調子で答えたのである。彼女は樋口と呼ばれて少しも疑う所がないのだ。私は再びうろたえてしまった。木崎というのは私の飛とんでもない思違おもいちがいだったのかしら。彼女は彼女自身の姓を叩いていたに過ぎないのかしら。この疑問は少しの間私に羞恥しゅうちを忘れさせ私は思わず長い言葉を喋しゃべった。
「あなた、樋口さんて云うの? 僕は木崎さんだとばかり思っていた」
すると、彼女も亦またハッとした様に、目のふちを薄赤くして、云うのである。
「マア、あたしうっかりして。……木崎ですのよ」
「じゃあ、樋口っていうのは?」
「何なんでもないのよ。……」
そして木崎初代は慌あわてて、レタペーパを器械からとりはずし、片手で、もみくちゃにするのであった。
私はなぜこんなつまらない会話を記したかというに、それには理由があるのだ。この会話が私達の間にもっと深い関係を作るきっかけを為なしたという意味ばかりではない。彼女が叩いていた「樋口」という姓には、又彼女が樋口と呼ばれて何の躊躇ちゅうちょもなく返事をした事実には、実はこの物語の根本こんぽんに関する大きな意味が含まれていたからである。
この書物かきものは、恋物語を書くのが主眼でもなく、そんなことで暇どるには、余りに書くべき事柄が多いので、それからの、私と木崎初代との恋愛の進行については、ごくかいつまんで記すに止とどめるが、この偶然の会話を取交とりかわして以来、どちらが待ち合わせるともなく、私達はちょくちょく帰りが一緒になる様になった。そして、エレベーターの中と、ビルディングから電車の停留所までと、電車にのってから、彼女は巣鴨すがもの方へ、私は早稲田わせだの方へ、その乗換場所までの、僅わずかの間を、私達は一日中の最も楽しい時間とする様になった。間もなく、私達は段々大胆になって行った。帰宅を少しおくらせて、事務所に近い日比谷ひびや公園に立寄り片隅かたすみのベンチに、短い語らいの時間を作ることもあった。又、小川町おがわまちの乗換場で降りて、その辺のみすぼらしいカフェに這入はいり、一杯ずつお茶を命じる様なこともあった。だが、うぶな私達は、非常な勇気を出して、ある場末ばすえのホテルへ這入って行くまでには、殆ど半年もかかった程であった。
私が淋さびしがっていた様に、木崎初代も淋しがっていたのだ。お互たがいに勇敢なる現代人ではなかったのだ。そして、彼女の容姿が私の生れた時から胸に描いていたものであった様に、嬉しいことには、私の容姿も亦また彼女が生れた時から恋する所のものであったのだ。変なことを云う様だけれど、容貌については、私は以前からややたのむ所があった。諸戸道雄もろとみちおというのは矢張やはりこの物語に重要な役目を演ずる一人物であって、彼は医科大学を卒業して、そこの研究室である奇妙な実験に従事している男であったが、その諸戸道雄が、彼は医学生であり、私は実業学校の生徒であった頃から、この私に対して、可成かなり真剣な同性の恋愛を感じているらしいのである。
彼は私の知る限りに於おいて、肉体的にも精神的にも、最も高貴ノーブルな感じの美青年であり、私の方では決して彼に妙な愛着を感じている訳ではないけれど、彼の気難しい撰択に適かなったかと思うと、少くとも私は私の外形について聊いささかの自信を持ち得うる様に感じることもあったのである。だが、私と諸戸との関係については、後に屡々しばしば述べる機会があるであろう。
それは兎とも角かく、木崎初代との、あの場末のホテルに於おいての最初の夜は、今も猶なお私の忘れ兼かねる所のものであった。それはどこかのカフェで、その時私達はかけおち者の様な、いやに涙っぽく、やけな気持ちになっていたのだが、私は口馴れぬウィスキイをグラスに三つも重ねるし、初代も甘いカクテルを二杯ばかりもやって、二人共真赤まっかになって、やや正気を失った形で、それ故ゆえ、大した羞恥を感じることもなく、そのホテルのカウンタアの前に立つことが出来たのであった。私達は巾はばの広いベッドを置いた、壁紙にしみのある様な、いやに陰気な部屋に通された。ボーイが一隅の卓テーブルの上に、ドアの鍵と渋茶しぶちゃとを置いて、黙って出て行った時、私達は突然非常な驚きの目を見交わした。初代は見かけの弱々しい割には、心しんにしっかりした所のある娘であったが、それでも、酔よいのさめた様な青ざめた顔をして、ワナワナと唇の色をなくしていた。
「君、怖いの?」
私は私自身の恐怖をまぎらす為に、そんなことを囁ささやいた。彼女は黙って、目をつぶる様にして、見えぬ程に首を左右に動かした。だが云うまでもなく、彼女も怖がっているのだった。
それは誠に変てこな、気拙きまずい場合であった。二人とも、まさかこんな風になろうとは予期していなかった。もっとさりげなく、世の大人達の様に、最初の夜を楽しむことが出来るものと信じていた。それが、その時の私達には、ベッドの上に横になる勇気さえなかったのだ。着物を脱いで、肌を露あらわすことなど思いも及ばなかった。一口に言えば、私達は非常な焦慮しょうりょを感じながら、已すでに度々たびたび交わしていた唇をさえ交わすことなく、無論その外の何事をもしないで、ベッドの上に並んで腰をかけて、気拙さをごまかす為に、ぎこちなく両足をブラブラさせながら、殆ど一時間もの間、黙っていたのである。
「ね、話しましょうよ。私何だか小さかった時分のことが話して見たくなったのよ」
彼女が低い透き通った声でこんなことを云った時、私は已すでに肉体的な激しい焦慮を通り越して、却かえって、妙にすがすがしい気持になっていた。
「アア、それがいい」私はよい所へ気がついたと云う意味で答えた。
「話して下さい。君の身の上話を」
彼女は身体を楽な姿勢しせいにして、すみ切った細い声で、彼女の幼少の頃からの、不思議な思出おもいでを物語るのであった。私はじっと耳をすまして、長い間、殆ど身動きもせずそれに聞き入っていた。彼女の声は半なかばは子守歌の様に、私の耳を楽しませたのである。
私は、それまでにも又それから以後にも、彼女の身の上話は、切れ切れに、度々たびたび耳にしたのであったが、この時程感銘かんめい深くそれを聞いたことはない。今でも、その折の彼女の一語一語を、まざまざと思い浮うかべることが出来る程である。だが、ここには、この物語の為には、彼女の身の上話を悉ことごとくは記す必要がない。私はその内から、後にこの話に関係を生じるであろう部分丈けを極ごく簡単に書きとめて置けばよい訳である。
「いつかもお話した様に、私はどこで生れた誰の子なのかも分らないのよ。今のお母さん――あなたはまだ逢わないけれど、私はそのお母さんと二人暮ぐらしで、お母さんの為にこうして働いている訳なの――その私のお母さんが云うのです。初代や、お前は私達夫婦が若かった時分、大阪の川口かわぐちという船着場ふなつきばで、拾って来て、たんせいをして育て上げた子なのだよ。お前は汽船待合所の、薄暗い片隅に、手に小さな風呂敷包ふろしきづつみを持って、めそめそと泣いていたっけ。あとで、風呂敷包みを開けて見ると、中から多分お前の先祖のであろう、一冊の系図書けいずがきと、一枚の書かきつけとが出て来て、その書きつけで初代というお前の名も、その時丁度ちょうどお前が三つであったことも分ったのだよ。でもね、私達には子供がなかったので、神様から授さずかった本当の娘だと思って、警察の手続てつづきもすませ、立派にお前を貰もらって来て、私達はたんせいをこらしたのさ。だからね、お前も水臭い考えを起したりなんぞしないで、私を――お父さんも死んでしまって、一人ぼっちなんだから――本当のお母さんだと思っていておくれよ。とね。でも、私それを聞いても、何だかお伽噺とぎばなしでも聞かせて貰っている様で、夢の様で、本当は悲しくもなんともなかったのですけれど、それが、妙なのよ。涙が止めどもなく流れて仕様がなかったの」
彼女の育ての父親が在世ざいせいの頃、その系図書きを色々調べて、随分本当の親達を尋たずね出そうと骨折ったのだ。けれど系図書きに破けた所があって、ただ先祖の名前や号やおくり名が羅列られつしてあるばかりで、そんなものが残っている所を見れば相当の武士さむらいの家柄には相違ないのだが、その人達の属した藩はんなり、住居なりの記載が一つもないので、どうすることも出来なかったのである。
「三つにもなっていて、私馬鹿ですわねえ。両親の顔をまるで覚えていないのよ。そして、人混みの中で置き去りにされてしまうなんて。でもね。二つ丈け、私、今でもこう目をつむると、闇の中へ綺麗きれいに浮き出して見える程、ハッキリ覚えていることがありますわ。その一つは、私がどこかの浜辺の芝生の様な所で、暖かい日に照らされて、可愛い赤あかさんと遊んでいる景色なの。それは可愛い赤さんで、私は姉ねえさまぶって、その子のお守もりをしていたのかもしれませんわ。下の方には海の色が真青に見えていて、そのずっと向うに、紫色に煙けむって、丁度牛の臥ねた形で、どこかの陸おかが見えるのです。私、時々思うことがありますわ。この赤さんは、私の実の弟か妹で、その子は私みたいに置去りにされないで、今でもどこかに両親と一緒に仕合せに暮しているのではないかと。そんなことを考えると、私何だか胸をしめつけられる様に、懐しい悲しい気持になって来ますのよ」
彼女は遠い所を見つめて、独言ひとりごとの様に云うのである。そして、もう一つの彼女の幼い時の記憶と云うのは、
「岩ばかりで出来た様な、小山があって、その中腹から眺めた景色なのよ。少し隔へだたった所に、誰かの大きなお邸やしきがあって、万里ばんりの長城ちょうじょうみたいにいかめしい土塀どべいや、母屋おもやの大鳥おおとりの羽根を拡ひろげた様に見える立派な屋根や、その横手にある白い大きな土蔵なんかが、日に照てらされて、クッキリと見えているの。そして、それっ切りで、外ほかに家らしいものは一軒もなく、そのお邸の向うの方には、やっぱり青々とした海が見えているし、その又向うには、やっぱり牛の臥た様な陸地がもやにかすんで、横よこたわっているのよ。きっと何ですわ。私が赤さんと遊んでいた所と、同じ土地の景色なのね。私、幾度その同じ場所を夢に見たでしょう。夢の中で、アア又あすこへ行くんだなと思って、歩いていると、きっとその岩山の所へ出るに極きまっていますわ。私、日本中を隅々まで残らず歩き廻って見たら、きっとこの夢の中の景色と寸分違わぬ土地があるに違いないと思いますわ。そしてその土地こそ私の懐しい生れ故郷なのよ」
「ちょっと、ちょっと」私はその時、初代の話をとめて云った。「僕、まずいけれど、そこの君の夢に出て来る景色は、何だか絵になり相そうだな。書いて見ようか」
そこで、私は机の上の籠かごに入れてあったホテルの用箋ようせんを取出して、備そなえつけのペンで、彼女が岩山から見たという海岸の景色を描いた。その絵が丁度手元に残っていたので、版にしてここに掲かかげて置くが、この即席そくせきのいたずら書きが、後に私にとって甚だ重要な役目をつとめてくれ様などとは、無論その時には想像もしていなかったのである。
「マア、不思議ねえ。その通りですのよ。その通りですのよ」
初代は出来上った私の絵を見て、喜ばしげに叫んだ。
「これ、僕貰もらって置いてもいいでしょう」
私は、恋人の夢を抱いだく気持で、その紙を小さく畳たたみ、上衣うわぎの内ポケットにしまいながら云った。
初代は、それから又、彼女が物心ついてからの、様々の悲しみ喜びについて、尽きぬ思出を語ったのである。が、それはここに記す要はない。兎とも角かくも、私達はそうして、私達の最初の夜を、美しい夢の様に過すごしてしまったのである。無論私達はホテルに泊りはしないで、夜更よふけに、銘々めいめいの家に帰った。
やっぱ、大手さんの中にはお金の流れについての「法則」を理解してるところあるなぁ…。
自分がこの「法則」を見つけてから、気づいた上で動いている人の存在を今まで確認できなかったけど、初めて「これ気づいてるな」って人を見た。
ちなみに、誰でも少し調べたら気づけそうな法則です
ぼくよりもデータを持ってる人ってくさるほどいるはずなんだけども、データが示す法則通り動いてる人って案外いないし、下手したら気づけてないです。
と言ってます。
なんていうかといいますと…データとか知識って他人を安心させる時に楽だからなんだと最近は思ってます。
新しい法則を作るのではなく、裏付けるために使ってるうちは、データって根回しの道具で生まれてくるものは旧態依然だと思います
その辺、プロ野球見てたり、分析する時って面白くてですね…ラミレス監督はデータのピックアップの仕方が独特だったり、去年のオリックス見てると捕手がしっかりしてる球団にだけはボコボコにやられてたり…新しい法則を作る面白さとデータがリンクした事象があるから野球とデータ両方見るの好き
ぼくの中では全然違うジャンルの人だと思ってた人が、今研究中のピーキーな性癖の作品も描いてることに気づいて
「あー点と点が、線として繋がったー!!!」
となった。
最近、人気の作家さんが意外なマイナー性癖を嗜んでることに気づくことが多くて
となってる
エロマンガの世界って科学技術の世界みたいな構造担ってることに最近気づき始めた。
先端科学だけ見ると不可思議で軽視されがちだけども、それなくして実用的なものは生まれない。
エロマンガもかなり特殊なモノで研究された技法が、後に売れ筋作品を進化させる糧となる。
それまで、「変わった性癖は実在するエロの一部を先鋭化させたモノ」というシャーロック・ホームズが実在する人物を誇張して作ったような考え方に基づいたものだと思ってた。
美しい言葉ではあるが、しかしこれは根本的に間違った考え方だ。
多くの人々は「奇跡」と聞くと、上記のセリフと同様に、例えば病気が突然治ったなどの
めったに起こらない超常現象のひとつだと考えるが、実はそんなことはない。
それは別に、病気が突然治るなどの不可思議な現象を必要としない。
それどころか、病気が治らない、突然の事故にあったというマイナスの事象でも、奇跡として説明できるのである。
それはこういうわけである。突然の事故に遭った人物を例として考えることにしよう。
もし、その人が大ケガながらも死に至らなかったのであれば、そのことに奇跡を告げることができる。
「死なずに済んだのは、奇跡ですよ」というふうに。
それが軽傷ならば、無傷ならば、そのことを奇跡と呼ぶことはより容易であるだろう。
病気が悪化したとしても死なないのならば奇跡を見いだせるのであり、回復すればもちろん奇跡である。
これらの例のように、プラスな事象が起これば、それを奇跡と呼ぶことは容易であり、
マイナスな事象が起こったとしても、あなたは死ななかったという切り口で奇跡を見いだすことができる。
ただ生きているだけで素晴らしい、という考え方も、生存という素朴なことに奇跡を見いだしているわけである。
さらに、死という究極のマイナスな事象についても、奇跡を見いだすことができてしまう。
例えば、その時期まで生きられたことに奇跡を見いだすことができてしまうのだ。
つまり、余命半年だったのに1年間生きられたとすれば奇跡だし、
それが3ヶ月しか生きられなかったとしても、家族と交流を深める時間を十分持てた、
最後に自分のやりたいができたなどと告げて、それこそが奇跡だと伝えることができるわけだ。
よって、その事象を奇跡だと言い張ることは、何事においても可能なのである。
ここまでの事例からわかる通り、人々は奇跡を超常現象のひとつだと思っているが、
その人が究極的なマイナス(例えば、死亡すること)に陥っていないことを指して、
そのギャップを奇跡だと言い張ればよいのだ。つまり奇跡とは、下を見て満足せよということなのである。
だから、宗教も修行と称して、様々なマイナスとなる事象を味わわせ、
そこに奇跡という超プラス思考を感じられるよう訓練したりする。
超プラス思考という奇跡を感じられる考え方を、修行などと称して信じ込ませるプロセスの方が大事なのである。
ふと思ったんだけど、
スマホやタブレットやパソコンなんかいろいろな物がさ便利になってるんだけど、
私たちは変わらずポンコツのままなのかしら?と不安になると木があるんだけど
そのー木なんの木~気になる木~って
本来ならアウトプットをばんばんすべく私たちがぽんこつのままではいいのかしら?と言うことなの。
そう言うことを考えると意識が高すぎるのかしら?と思って止まないけど、
じゃ私たちはどう暮らしていくのが上質な生活なのかしら?とも思うし、
考えれば考えるほど、
噛めば噛むほど味が出るスルメのように
そうやってスルメを食べながら噛みながら味わっていると
でもたいていの多くの人はコンテンツを凄い勢いで消費する
積んで積んで積みまくっているのよ。
そんでね、
お鍋と食器とかがあって、
私はお鍋だけ洗えば、
5分で済んじゃうのよ。
ただただ人が怠けるためのテクノロジーの発達なのかしら?と思いつつも
これはこれでいっかーって
こうやって時間を攻めていって
可処分時間をどんどん作っていけば、
もしかして私の睡眠時間も増やせるんじゃないかしら?とも思うのよ。
延々とスーパーマリオをやんなくても、
これはこれで私にとって質の上がることでもあるし。
私の知らない間に
消費しきれない莫大なコンテンツが生み続けられているって
そうね知能の高い超高い地球外生物が地球の横を通りすがるときに、
あの星は人口に対して消費するコンテンツの量が不自然に膨大な量で不可思議だ!って
今見たり聴いたりしているチャンネルとは別の
世界線があるわけじゃない。
私思ったのよ。
その仮想現実の裏では自転車を延々とこぎ続けて電力を生み続けている、
あの中世奴隷の図でお馴染みの何か臼のような物をぐるぐる回す版でもあるかのように、
ずっとずっと自転車をこぎ続けるという未来しかないのかしら?ってまた不安になるわ。
結論として
コンテンツに溢れた世界の末は自転車をこぎ続けそれで貯めた電気の蓄電池が通貨となる世界しかないのね。
うふふ。
なんだか食べない方が頭の回転が速いような気がする気もしないけど
最近フィッシュフライサンドにありつける率が多くなってきたので嬉しいです。
美味しいから嬉しいわ。
粉末の生姜湯を1箱いただいてもらったので、
ぽかぽかと温まるわね。
また寒くなってきたので、
こういう時は
最強に温まれるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今一度、お付き合いいただければと思います。
まずは、今回の私の投稿をお読みいただき、重ね重ねありがとうございました。まさかここまでの反響をいただくとは夢にも思わず、ブックマークが1000を超えた辺りから身体が震え出し、喉はからからに渇き、手の痺れが止まらない体たらくで、よくも悪くも注目を集めることの重圧を初めて味わいました。お恥ずかしい限りの有り様です。
「この説法を読んだみんな (元)増田のお祖父さんのリモート葬儀に参列したようなものだ」
「(元)増田さんが勇気を出して書かなければ現れなかったご縁」
とコメントしてくださった方がおられましたが、正にその通りだと思います。
お祖父様の生前のご希望・ご親族のわだかまり・元増田さんの苦慮と懊悩・私が僧侶として学び感じてきたこと……様々な縁が積み重なって因となり、この果をもたらしました。
一連の記事を読まれた方はみな、会ったことも見たこともない元増田さんのお祖父様の死を受け止め、素性も分からぬ私の法話に心を傾けてくださり、それぞれがご自分の「今」、ご自分の「これまで」と向き合った。そのような瞬間に立ち会えたこともそうですが、私がそのささやかなお手伝いができたのだとするならば、返す返すもったいないことであります。
たとえ学んだ経験を持たずとも、皆様は真宗の心をよくよくご承知なのだと、喜ばしく思いました。
しかし同時に、私が一方的にご親族を非難するような語り口になったことで、一部の方にご不快な思いを抱かせてしまい、本当に申し訳ありません。
元増田さんの痛みが少しでも和らげばと思い、思い悩む側に立ってお伝えしたつもりでしたが、その主張に至る論拠も背景も提示せぬまま、語調への配慮もなく投稿してしまった浅はかさ。ひいては、浄土真宗の教義や宗旨そのものに対する誤った印象を広めかねない軽率さを、深く悔いております。
身口意の三業(しんくいのさんごう:苦しみを生み出す元ともなる、身体と言葉と心の在り方)を正さなければならないのは私こそだと、改めて皆様からお教えいただきました。
今回の投稿を機に、様々な声をお寄せいただきました。その中からいくつか、私が個人的にお伝えしたい、或いはどうしてもお答えしなければならないと感じた点について、一つ一つ書き綴っていきたいと考えました。
ところが、お答えしたいと感じたコメントも、それに対してお伝えしたいと考えているお話も、あまりに膨大な量になってきてしまったため、今ここでそのすべてを書き記すことはできません。
そこで、ある方からコメントでご希望をいただいたこともあって、note等の他媒体で一つずつ回答を掲載してゆく形を取れないかと検討しております。今しばらくお時間とご猶予いただければ幸いです。
また、すでに書き終えた箇所については、以下に記しますので、暇つぶしがてらご一読いただきたく思います。
お同行(どうぎょう:人生をよりよく生きたいと願い、共に歩む仲間たち)の皆様に、何か少しでも響けばと願って。
合掌
お釈迦さまがご存命の頃、覚者として名高いお釈迦さまの噂を耳にしていた方が、お釈迦さまの姿を見掛けるなり、突然敬いの態度を取られたそうです。その方に対してお釈迦さまは、
と仰せになりました。
お釈迦さまという人間(物質)そのものは何も尊くなく、その姿をただ拝んだところで意味はない。仏を本当に敬う心というのは、仏からもたらされた法 (= 真実 = 悟り・気付きへと至る教え) を深く信ぜられる心があって、初めて沸き起こるのだということです。
100人いれば100通りのものの見方が生まれます。なぜなら私たちはみな一様に、自分の都合のいいように物事をねじ曲げて捉える色眼鏡、「邪見(じゃけん)」の持ち主だからです。
信じる方もいれば、信じない方もおられるでしょう。私自身は信じられなくとも、一向に構いません。後はあなたのお好きなように受け取ってください。
信じてくださった方には、
とお伝えしたく思います。
法務が忙しく、自坊で取り入れることは現状難しいですが、私は賛成派です。
どんな形であっても、そこで出遇うのは人と人です。これまで仏縁をいただくはずもなかった方のお宅を訪ね、仏事作法・死生にまつわるお悩みに、私どもの信ずる教えをお伝えできる機会を賜われるとしたら、ありがたいことです。
という言葉を遺しておられます。理想的とはいかないまでも、それぞれに合った形で、仏法は平等に一切に施されるべきなのです。
これは浄土真宗の三大経典のひとつ、大無量寿経において、お釈迦さまが弟子の阿難(あなん)に対して、
と、身も心も改めるよう告げられた場面に由来しております。
我々僧侶は、法務に臨む上で、常にこの阿難に求められた姿勢を貫くことを責務としています。
さしたる戒律も持たない浄土真宗を“寛容”と捉えるのか、“険しい道”と捉えるのかが、俗世と求道者の大きな分かれ目となるのでしょう。
たとえば、もしもあなたが、
「世間の人たちが当たり前にしてることをあなたもしていいよ、それであなたも仏になれるよ」
と言われたとして、あなたはその言葉をどれほど信じられますか?
「他の宗派みたいに滝に打たれたりとか山籠りとかそれっぽい修行しないんですか?(笑)」
「何なのその髪の毛? ありがたみが足りないね」
と好き放題になじられ続けて、それでも自分は間違いなく仏になれるのだと、あなたは胸を張って言い切れますか?
我々の求道の在り方は、甘えでも寛容さでもなく、「覚悟」です。
世間は常に、自分たちで勝手に作り出した意味もない物差しに、自分たちで勝手に縛り付け合ってああでもないこうでもないと罵り合い、争い合っています。そんな人々の下世話な好奇の目や嘲りにも耐えて、たとえ自力聖道門の尊いお坊様のような修行は積めずとも、ごく普通の人間と変わらぬ平凡な生活を営みながら、それでも間違いなく仏になれるのだと、己が第一に身をもって証明していく勇気を見せなければならないのが浄土真宗の僧侶なのです。
という言葉で表され、また
と仰せになり、決して退くことのない浄土への道をひたすらに歩まれたお方でした。
であればこそ、親鸞さまに救われた私もまた、親鸞さまと同じ生き方を願い、その道を皆様と共に歩みたいと思うのです。
ありがとうございます。しかし、現実の私はそのような人間ではありません。何しろ私は、この教えに出遇わなければ死を選ぶしかなかったほど、弱く、もろく、そして愚かなためです。
もしもあなたが私の書き込みに何らかの功徳を感じてくださったのだとして、ではその功徳をもたらしてくれたのは誰で、どこからきたものなのでしょうか。命を断つしか選択のなかった、世間と人間社会を呪うしかなかった私のこの頭から、口から、心から、仏の教えがこぼれ出てくるという不可思議な現象は、なぜ起きたのでしょうか。
今回の場合は、すでに冒頭で述べた通りです。私が言わんとするところはつまり、私自身が尊いのではなく、私のような者に教えを語らせた諸々のはたらき、「わたし」と「あなた」の間に結び付きを与えてくださる種々のはたらきが尊いのです。
すべては響き合い作用し合い、そして悲しみやよろこびを生み出しています。
私はできるだけ悲しみを減らすお手伝いをし、できるだけよろこびを増やすことを務めとして生きてゆきたい。そう願っています。
と、開祖である親鸞さまが仰せになったように、煩悩具足(ぼんのうぐそく:煩悩に満ちた状態)の凡夫(ぼんぶ:弱く無力で自力で悟れない愚かな存在)の身には出過ぎた願いではありますが、様々な縁によって助けられ支えられ励まされ慰められ育てられて生きてこられた、その力だけは、私には絶対の事実です。私は私以外からもたらされた力を一心に信じさせていただき、今日まで生かされております。この歓喜と慚愧の念に頭が下がり手が合わさる心を、他力本願といいます。
真に功徳に満ちているのは、真にありがたいのは、私たちに「あなたが救われて欲しい」と種々にはたらきかけてくださる、阿弥陀如来さまであります。南無阿弥陀仏。
件の投稿よりももっと長く書き綴っていた文章が、残り数行というところでうっかりページバックボタンに触れてしまい、全消失しました。あまりのショックにじたばたと暴れ、ウワー!と叫びました。
「諸行は無常、こんな記事を書いたところで誰が読むでもなし、諦めて他のことをしよう」
と思って立ち上がった途端、リングコンを握り締めながら涙をこぼしている増田さんの姿が脳裏に浮かび、いやこれでは駄目だ、多少は簡素になってもいいからお伝えしよう、と踏みとどまりました。
結果、この拙文によって一部の方を戸惑わせたり憤らせもしてしまいましたが、多くの喜びの声を受けて、私が信じてきた教え、私に教えを授けてくださった諸仏と数多のご先達が、私に微笑みかけてくださるような感慨に胸が熱くなりました。本当にありがとうございます。至らぬところも多く、本当にごめんなさい。南無阿弥陀仏。
現時点では、以上のコメントについて、今後時間をかけて回答したく思います。
準備ができ次第、こちらの投稿に言及する形で戻って参りますゆえ、今しばしお待ちください。
最後になりましたが、皆様とこのような法縁に恵まれるきっかけを与えてくださった元増田さんを始め、すべての方のお命とお心に、敬い申し上げます。
石破 茂 です。
謹んで新年のお慶びを申し上げます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
昨日、一都三県を対象とした緊急事態が再宣言され、昨日発表された東京の感染者も過去最多の2447人となりました。
感染者の増加は確かに重大事ではありますが、冬になって空気中の水分が減って飛沫が遠くまで飛びやすくなるのは当然のことですし、寒冷地では換気の機会も減少することも考えられます。PCR検査数の増加によって陽性者が増えるのもまた当然のことです。
かくなる上は、感染者数ばかりに注目することなく、限界ある国家資源や医療資源を、重症者と死亡者を減少させることに重点化して配分すべきなのではないでしょうか。
「どうすれば重症化・重篤化しないか、どうすれば死に至らないかが重要であり、対策も情報発信も、このことを重視すべき」と昨年の感染初期よりテレビなどでも何度か申し上げてきたのですが、なかなかそうはなりません。
医療関係者の献身的な努力によって、アビガン、レムデシベル、ヘパリン、デキサメトゾンなどの薬、人工呼吸器類(ネーザルハイフローやECMOなど)、普及率世界一のCTなど(この多くを今回初めて知りました)を用いた治療法も随分と進歩し、救命率もかなり上がっているはずなのですが、そのような報道もあまり聞くことがありません。漠然とした感染者数よりも、基礎疾患を持つ方や70代、80代、90代の高齢の方の罹患率、感染者数と死亡者数の正確な分析などの方が知りたいと思うのは私だけでしょうか。
日本人が欧米に比べて人口当たりの感染者数や死亡者数が極めて低いのも、同じ都道府県内でも市区町村によって状況が全く異なることにも必ず理由があるはずで、その科学的な分析が進められれば、もっと精緻な政策が打てるのではないでしょうか。
生活習慣の相違、国民皆保険制度の存在、極端な格差社会ではなく分厚い中間層が存在していることは決定的に重要な要素であり、この持続可能性を維持できるかが最大の課題です。
諸外国、特にスウェーデンの対応についても様々な論評がありますし、同政府のコメントも承知していますが、この国において「『寝たきり老人』(とても嫌いな語感です)が居ない」ということとも関連性がある宗教観や死生観の問題が、改めて問われているように思われてなりません。
日本特有の同調圧力とゼロリスク志向の強さも改めて感じています。「自粛警察」などという不可思議至極な活動は、今のところなりを潜めているようですが、戦争中の「パーマネントはやめませう」「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません勝つまでは」などという「愛国的な」活動が想起されて、とても嫌な思いが致しました。ヘルスリテラシーの低さについても、自らを省みて、これもまた然りと思います。
日本においては大勢の世論(「空気」)に抗って異論を差し挟むことは忌み嫌われますが、政治は世論に迎合しすぎてポピュリズムに堕してはいけない、よく自重自戒せねばならないと思っております。
失業率が1%上がると自殺者が1,000人から2,000人増えると言われていますが、ここ数か月の自殺者の増加、特に女性の割合の増加はとても気がかりです。また、病院にあまり行きたくない、ということで、がんの定期健診の受診数も大幅に下がっています。
風邪やインフルエンザが「根絶」されることがないように、新型コロナウイルスも「根絶」される、ということはないでしょう。ただし治療法が広く共有され、重篤化を防ぐことができ、ワクチンが広く行きわたり、感染拡大が収束した時に、自殺者が激増し、がんによる死亡者が大幅に増えてしまったとすれば、それは「人類がコロナに打ち勝った」証とは言えないのだと思います。
政権は厳しい状況の中であらゆる方面からの批判に晒されながらも可能な限りの対応をしているのであり、我々は少しでも国民の支持と理解が得られるように努めなくてはなりません。
昨日のアメリカ議会へのトランプ支持者の乱入と死傷者発生の事態について、トランプ大統領に責任がないとはとても言えない状況でした。選挙結果について異議を唱えるだけならともかくも、支持者に対して議会への乱入を扇動するようなスピーチなどは、民主主義の実力行使による否定と紙一重であり、見たくもない光景でした。
トランプ大統領が就任した時、「言を左右して相手を困惑させ、自分にとって最も有利な取引を仕掛ける『サスペンスとディールの大統領』となるのではないか」と申し上げたと記憶していますが、まさにその通りの4年間であったと思います。大統領当選時の勢いをもって議会選挙を経た結果、共和党も明らかに変質を遂げました。昨年の大統領選挙でトランプ氏に投票した米国有権者は7380万人、この人々が更に先鋭化するのかも全く見通しは立ちません。
自由を建国の精神とするイデオロギー国家、国民の8割が神の存在を信じ、4割が毎週日曜に教会に通う宗教国家、アメリカ国民という意味での民族国家、こういったアメリカの本質はバイデン政権になっても変わることはありません。そうであれば、それぞれの自画像、理想像、基本的な価値観が対立する米中の軋轢は今後一層激しくなり、日本はより一層厳しい選択を迫られることになります。安全保障についての法体系も、装備も、運用も、アメリカ依存から脱却し根本から見直すべきだと思いますし、今までのような問題先送りでは国益を損じると考えます。
それでもなお、同盟国である米国が新政権によってその美点である復元力を発揮し、アメリカ民主主義の理想に立ち戻ることを心より期待しています。
年末年始、生来の怠惰さに加え、雑事に追われて勉強らしい勉強も出来なかったのですが、中川恵一准教授(東大附属病院)の「コロナとがん」(海竜社)、小林よしのり氏の「コロナ論」(扶桑社)、橋爪大三郎氏の「中国VSアメリカ」、同氏の大澤真幸氏との対談「アメリカ」(共に河出新書)、加藤陽子氏の「それでも日本人は『戦争』を選んだ」(新潮文庫)、は極めて示唆に富む大変に興味深いものでした。
合間に久々に再読した、没後50年となる三島由紀夫の短編・中編(新潮文庫)の文章の独特の華麗さにも魅了されたことでした。
週末の日本列島はまた寒波の襲来に見舞われそうです。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。
ガースーがコロナ対策でコケてもうダメそうってことで、次期総理の話をしたくなるやつもいるだろうが、少なくとも石破は全然だめだぞ
https://b.hatena.ne.jp/entry/ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2021/01/post-3bb9f8.html
相変わらず持ってまわった言い方で読解力が必要だが
感染者の増加は確かに重大事ではありますが、冬になって空気中の水分が減って飛沫が遠くまで飛びやすくなるのは当然のことですし、寒冷地では換気の機会も減少することも考えられます。PCR検査数の増加によって陽性者が増えるのもまた当然のことです。
陽性率やばいの見てないのかね
「どうすれば重症化・重篤化しないか、どうすれば死に至らないかが重要であり、対策も情報発信も、このことを重視すべき」と昨年の感染初期よりテレビなどでも何度か申し上げてきたのですが、なかなかそうはなりません。
どうすればいいの?
死んだ議員はどうすればよかったの?
会食ぐらいで騒ぐなよってか?
小林よしのり氏の「コロナ論」(扶桑社)、橋爪大三郎氏の「中国VSアメリカ」、同氏の大澤真幸氏との対談「アメリカ」(共に河出新書)、加藤陽子氏の「それでも日本人は『戦争』を選んだ」(新潮文庫)、は極めて示唆に富む大変に興味深いものでした。
(元FOXニュースのカイル・ベッカーのTwitterを日本語訳にしてくれたものがあった。Togetterに仕立て直したいのだが、やり方が分からない。代わりにここに投稿する。)
元FOXニュースのカイル・ベッカーによる仔細な選挙考察。不正否定派に是非読んで欲しい。
わたしがずっと抱えてきた疑問の多くが網羅されている。個人的に検証不可能なドミニオン疑惑よりも、不可思議な数字と統計の方が頭を悩ませる。
Kyle Becker @kylenabecker
READ THIS: "I am a pollster and I find this election to be deeply puzzling."
1. "President Trump received more votes than any previous incumbent seeking reelection. He got 11 million more votes than in 2016, the third largest rise in support ever for an incumbent." [Thread 1/13]
これを読んでくれ、「わたしは世論調査員だが今回の選挙は非常に不可解だ」
1:トランプ大統領は再戦を狙ったかつての現職大統領の内誰より多く票を獲得した。彼は2016年時より1100万票多く獲得したが、これは現職として史上三番目に大きな支持票の増加だ。
2:出口調査によればいくつもの重要な人口分布帯で大きく支持を得たことがトランプの獲得票の躍進に繋がった。95%の共和党はトランプに投票した。
3:彼は1960年以降最多のマイノリティ票を共和党にもたらした。トランプは黒人有権者の支持を2016年と比べ50%増やし…ジョー・バイデンの黒人支持率は軽く90%以下に下落、これは民主党の大統領立候補者なら大抵落選するレベルだ。
4:トランプは全米のヒスパニックによる支持を35%に押し上げた。計算上60%以下のヒスパニック支持率で民主党の大統領立候補者がフロリダ、アリゾナ、ネヴァダ、ニューメキシコを勝ち取るのは不可能である。
5:勝敗の指標となる(Bellwether)州は2016年と比べても更にトランプ寄りに振れた。フロリダ、オハイオ、アイオワは全て米国メディアの予想に反し大きな勝利をトランプにもたらした。1852年以降この3州を手中に収めながら選挙人の数で敗北したのはリチャード・ニクソンだけだ。
6:中西部のミシガン、ペンシルバニア、ウィスコンシンは常に彼らの御近所仲間のオハイオとアイオワと同じ方向に振れる。オハイオもフロリダと同様だ。現在の得票記録を見ると小都市の例外を除きラストベルトはトランプ側に揺れ動いた。
7:しかし雪崩れ込むようなデトロイト、フィラデルフィア、ミルウォーキーの黒人票によりバイデンはミシガン、ペンシルバニア、ウィスコンシンでリードを収めたことになっている。バイデンの”勝ち要因”はほぼこれらの都市の有権者によりもたらされた…
8:…あたかも勝利に不可欠なこれらの場所においてのみ、偶然バイデン支持の黒人有権者が爆増したとでも言うように。これらの都市と似たような人口分布の地域と比較しても、バイデンは同様の支持率を得ておらず、このことは大統領選の勝者においては非常にまれだ。
9:我々はバイデンがかつての大統領候補者と比べ全米史上最大の票数を獲得したと聞かされた。しかし彼が勝利した郡数は全体の17%と記録的に低い。彼は524の郡で勝利を収めた一方、2008年のオバマは873郡を勝ち取っている。しかしどういうわけかバイデンはオバマを超えたわけだ。
10:大統領選の勝者、特に現職大統領に挑み当選した候補者にはdown-ballot(*一枚の投票用紙で上から大統領、上院、下院を選ぶ。したがって上下院)の連帯勝利がある;バイデンは違うようだ。共和党は上院議席を守り、下院では27の接戦で全て勝利し大きく議席数を伸ばして「共和党の赤い波」に乗った。
11:トランプの共和党は州議会を一つも失わず国レベルで躍進した。
12:他にもおかしな点としては世論調査やそれ以外の数字がある。党派別有権者登録数、予備選の数字、各候補者の人気、SNSのフォロワー数、各メディア媒体の視聴率、ネットの検索数などが後者に当たるだろう。
更にこのミステリーに付随するのは滝のようになだれ込んでくるいかにおかしなやり方で大量の票が集められ加算されたかという情報だ。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00057/110500058/
投票日直前から現在までの部分に限っても、相当な間違いが書かれています。
そもそも、選挙前日の11月2日、トランプ大統領が選挙当日中に勝利演説をするとの噂が流れていたが、これは大統領候補であれば準備する普通のことなので、不可思議な「フェイクニュース」だった。
勝てるだけの代議員数の州の結果が揃う前、特に郵便投票の票が数えられる前にトランプの票数が先行している間に勝利宣言するかも、というニュースが事前に流れたのです。これは異常なことで、しかも実際かなりそれに近い発言を行っています。フェイクニュースではなかったのです。
11月4日未明、バイデン候補は「我々は勝利の軌道にいるので結果を急がず待とう」という趣旨の発言をした。開票状況で劣勢にある候補の発する言葉ではない。さすがに筆者もすべてを調べたわけではないものの、このような発言は米国の大統領選挙史上初めてのことだと思う。それほど状況と内容が不一致であった。
コロナ下で郵便投票を行う人は民主党支持者が多いことは事前に予測されていました。民主党支持者の方がコロナの危険性に敏感な割合が高い一方、トランプが郵便投票は信用できないから直接投票しろという呼びかけをしており共和党支持者の方がそれに従う可能性が高かったからです。そして、民主党支持者が郵便投票を行うと、当日に投票する人はその分共和党支持者に偏ります。郵便投票の開票が通常投票の後という州は多いので、開票結果の初期はトランプに偏るというのは事前に予測されていました。
実際、いったんトランプが票数で先行した後、郵便投票の開封が進むことで、特に中西部でバイデン票が盛り返しています。今は劣勢に見えても「我々は勝利の軌道にいるので結果を急がず待とう」というのは希望込みの発言ではあっても、方向性としておかしな発言ではなかったのです。
その後、トランプ大統領が発言したのだが、これは47年の政治家としての経歴を持ち、経歴詐称までしてきたバイデン候補とは異なり、単純な勝利宣言といういかにも「素人」の発言だった。
トランプには相談できる選挙アドバイザーにスピーチライター、そして政府高官がいくらでもいるのですから、「素人」というのは言い訳になりません。
そもそもどんな素人であっても(といっても、トランプは大統領の予備選挙と本選挙、そして就任後に中間選挙を戦っていますが)、代議員数270人を獲得しなければ勝利できないことは知っていますので、270人分の当確が出る前に勝利宣言をするのは異常です。
ちなみにここで何の説明もなくバイデンが「経歴詐称した」と出てくるのですが、一体何のことなんでしょうか? 英語圏でもそういう主張は見てませんし、少なくとも説明なしに書けるような常識ではないはずです。
中西部、特にペンシルバニアの開票に時間がかかることは選挙前から分かっていました。バイデンの発言は関係ありません。
トランプ大統領は、これまで触れてきたような開票状況は不自然だとして、最高裁に4日午前4時で集計をやめ、選挙結果を出すよう求めた。午前4時と言えば、まだ大統領が十分優勢な段階である。
大統領に最高裁に直接何かを求めるような権限はないですし、トランプが最高裁にそんなことを求めたというニュースも見ていませんので、おそらく筆者の思い込みでしょう。
ペンシルバニアでの投票日までに投票されたが、投票日後に到着した郵便投票の取扱について既に最高裁に継続している裁判には参加するようですが、これは、「午前4時で集計を止めろ」といった内容ではありません。
そもそも、「優勢なうちに開票を止めよう」、つまり「バイデン票が開票されるのを妨害しよう」という考え方は民主主義の国の政治家として異常なので、筆者がなぜこれを肯定的に書いているのか、理解に苦しみます。
午前4時までの集計を使うように求めたトランプ大統領が、その後にバイデン候補勝利を発表したウィスコンシン州にリカウントを求め、ミシガン州を訴える考えを明らかにしたのは、恐らく最高裁では争う目的があいまいになる(つまり午前10時になって午前4時の集計結果を明確に出すことはできない)と言われたからだろう。
最初は下級審で訴えないと最高裁には行けないのだから、当然でしょう。「と言われたから」というのは一体誰が誰に言ったと想定しているのでしょうか。