はてなキーワード: 下女とは
自分が同い年と結婚したからなのか余計違和感あるのかもしれないけど
年上は嫌、なら分かる 自分も5歳以上上はきつい
5歳下まではまだ分かる 可愛く見えるんだろうし自分が30半ばならそれくらいじゃないと子供がなんちゃらとか思うんだろう
ただ自分が35歳とかで20歳前後と付き合いたいとかはちょっと意味がわからない
35歳で20歳と付き合うとするじゃん
その女の子の友達の彼氏はだいたいみんな20代前半とかだろうに自分だけおっさんじゃん
惨めな思いさせない自信あるの?というか自分が惨めにならないの?周りはキラキラしてるのに自分だけ肌がたるんできてさ 身体もよっぽど鍛えてないとだるっとしてきてさ
その子が30歳になったら45歳じゃん 耐えられなくない?
最初に言っておくが俺はチビのブサメンだし、不特定多数の異性から好意を向けられたことはない程度の非モテだ。
だが異性の友達もいる(てか過去に数人の彼女はいた)程度に女との付き合いはあるし、職場の人間関係も概ね良好である。
ぼちぼちバレンタインが近づいてきたよな。この時期になると、過去にも何度もあったのだが、知り合いグループであるとか職場の歳が近いグループとかでなんとなくチョコレートの話になることもある。
ところで俺はチョコレートが苦手である。味が嫌いとかではない。記憶の問題だ。
何かというと、かつて家族がアトピー体質で、体質の問題なのかしらんが子供のころにはチョコを食ってはアトピーが悪化していたのだ。そのせいで、俺の中ではチョコはアトピーと記憶が紐づけられてしまっている。
故に苦手である。食うことはできるのだが、自分からは決して食おうとは思わない程度に、チョコに対して心理的な抵抗感があるのだ。だからよっぽどその場で食うことを断りにくい状況とかでもない限りチョコは食わないし貰わない。
それなりに長い付き合いの奴らにはこの話をしたことがあるので、そいつらは俺に対してチョコをプレゼントしようとはしない。
さて、去年の事だ。
同じ部署に異動してきたちょい年下女子とやはりチョコの話になり「会社全体もそうだけど、この部署でもチョコを配る風習は無いから安心していいよ」的なことを教えたところ、じゃあ増田さんにはいつも色々教えてもらってお世話になってるから個人的にチョコを贈ってもいいですか、みたいなことを言い出しやがった。
そこで、いやチョコ苦手だからいらないんだ、気持ちだけありがとね、みたいな回答をしたところ、なんかものすごく信じられないみたいな反応をされた。「チョコを嫌いな人ってこの世に存在するんですか!?」みたいな感じ。
それ以来、そいつはなんか事あるごとに俺にチョコをプレゼントしてくるようになった。最初はコンビニで売ってるようなごく普通のものだ。
流石に買ってくれたものを突っ返すのも気が引けたので受け取ったし、その場で食って感想を言うように求められた時には食いもした。
だが鬱陶しくなった&本当に嫌だったので、上記の「何故チョコが苦手なのか」という話をして、もう今後は本当に止めるように頼んだ。
ところがバレンタインデーにやけに高そうなチョコをそいつは贈ってきやがった。なんでも自分用のチョコをデパートに買いにいったついでに俺にも買ったとのことだ。
そろそろ勘の良いはてな―共にはわかるだろうが、この女子はハッキリ言って俺に気があったのである。チョコ以外にも妙に飲みに誘われたり遊びに誘われるようになっていた。
俺の方は、同じ部署の新人に手を出した奴とか周りに思われるのも嫌だったし、とりあえず付き合うのは良いとしても仲がこじれて別れることになったら同じ職場だと気まずいし、とかでその気は無かったのよね。
その高いチョコだが、なんというか明らかに気合いが入っていた。事前にいらないと言っていたが、そんなお高いプレゼントを突っ返す勇気は俺には無かったので、礼を言って受け取った。
そしてそのチョコは、それ以来、俺の自宅の冷蔵庫でずっと冷やされている。捨てるのも申し訳ないし食う気にはならないしで、冷蔵庫の中で特急呪物が育っているような気分であった。
その後色々あり、結局のところ向こうに押し切られたというか性欲に負けてワンナイトしちまったところからその女子とは付き合い始めて今に至るのだが、つい先日家に来て冷蔵庫の中身を見ていた時に
「何でこのチョコまだあるの? 私が贈ったやつだよね? 消費期限切れてない?」
とか言い出しやがったので、改めて何故チョコが苦手なのか、こんなお高くてかつ気持ちの込められたプレゼントを捨てるわけにもいかないが食う気にもならないのでそこにずっとある、ということを説明した。
「増田さん、もし自分からチョコを貰えなくても寂しくないように予防線張ってたんだと思ってたよ」
お前な、そんな寂しい嘘をなんでつかなあかんねんってちょっとイラっとした勢いで生でやっちゃったら、それを盾に事後に結婚を要求されて、まあいいけど、と受けてしまった。
「機会があれば」ではないと思いますよ。
はっきり言いいましょうよ。「したいけどできません」って。
そうしたら床屋のマスターは二度と聞いてこないので安心してください。
そこをあわよくば「いい人いれば紹介してください」みたいなニュアンス含んでしまっているのは正直恥ずかしいです。
そういうとこですよね。
同じ悪夢を体験したくないなら結婚願望を断ち切る以外ないと思います。
それなのに、なんでまだ未練たらたらに「機会があれば」とか言ってしまえるんでしょう。
それってつまり、就職氷河期世代の他責負け犬根性が染み付いている証拠ですよね。
45歳独身男性の婚活市場における価値って考えたことがありますか?
ゼロじゃないですよ。
100点満点としたら、マイナス50点です。
つまりあなたの現時点での結婚成功確率は、理論的にマイナスになっていないだけで限りなくゼロです。
それら要素が平均程度に収まっている限りは、加点されることはありません。
ご自身のことを思い返して加点してみてください。
プラスに転じることは出来そうでしょうか。
馴染みの床屋で散髪している以上、見た目や収入に期待できるとは思えませんが。
それでもまだ、「機会があれば」と言えますか?
いえるというならどうぞ言い続けてください。
年齢のマイナスを受け入れて、その時間を使ってプラス加点を増やす努力をしない限りは、あなたの言う機会が増えていくことはありません。
そんなことはない。周囲は「結婚できそうなのに」って言ってくれてるとか思ってませんか?
全て社交辞令ですよ。あなたの親以外、ほぼすべての他人ができるわけがないと思ってますよ。
あなた今、自分の収入が低いのは就職氷河期世代のせいだって思っていませんよね。
そういうところですよ。
自分で生まれる時代が選べなかったとしても、就職氷河期世代に生まれた人間が人並みの幸せな人生を送れるわけがないですからね。
そんなこと思ってるわけがないですよね。
自分にしか得られない、身の丈に合った幸せで十分だって思ってるんですよね。
そしたら「機会があれば」なんて言葉は出てきません。
「したいけどできませんでした」が正解です。
間違えないでくださいね。
さすがに子供がほしいは無理ですよ。
あなたは頑張れるつもりでも女性が嫌がりますし、あなたの市場価値を考えると、結婚できたとしても年上以上です。
まさか年下女性と結婚できるなんて思ってるはずありませんよね。
セックスが目的なら結婚はむしろデメリットしかありませんよ。単発でお金を払ったほうが年下のきれいな女性とセックスできますよ。
主婦がほしいと言うなら高齢の家事手伝いを雇ったほうが安いです。
同じ趣味とか、話し相手とか、老後の介護とか、全部結婚までしてする必要はありませんね。
まさか愛されたいなんてことはありませんよね。
なら「機会があれば」なんて言葉絶対に出てくるはずがないですよね。
あなたから色々なものを犠牲にしてでも誰かを愛そうとしなければ、誰かに愛されるなんてことは絶対にないです。
結婚なめんなよ。
お前らに気を使って「結婚なんてそんなにいいものじゃない」って言ってるだけで、ほとんどの人はアホみたいに努力してるんだよ。
結婚してからも、目の前の幸せを大切にするために、口にしてないだけでアホみたいに頑張ってるんだよ。
「機会があれば」って言っている時点で、買いもしないで宝くじが当たって欲しいと言っているようなものだという自分の愚かさに早く気がついてください。
そんなことわかってますよね?
だったら二度と「機会があれば」なんて言わないでください。
いちいち気を使う周りの気持ちにもなれ。
相変わらずジェンダーがどうとかつまらない話が多いので、過去の用例から「奥さん」あるいは配偶者呼称についていろいろ考えたいなあ。と思って書きます。
勿論、女中などに似ようはないと、夢か、うつつか、朦朧と認めた顔のかたちが、どうやらこう、目さきに、やっぱりそのうつ向き加減に、ちらつく。従って、今声を出した、奥さんは誰だか知れるか。
それに、夢中で感覚した意味は、誰か知らず、その女性(にょしょう)が、
「開けて下さい。」
と言ったのに応じて、ただ今、とすぐに答えたのであるが、扉(ひらき)の事だろう? その外廊下に、何の沙汰も聞えないは、待て、そこではなさそう。
「ほかに開ける処と言っては、窓だが、」
さてはまさしく魘(うな)された? この夜更けに、男が一人寝た部屋を、庭から覗き込んで、窓を開けて、と言う婦(おんな)はあるまい。(「沼婦人」泉鏡花、1908(明治41年)
「奥さん」は、自分の配偶者というより既婚女性に対する敬称として用いられています。「女中などではなく」自分が夢想する上流階級を思わせる女性(奥さん)が誰か分からないが、夜更けに訪ねてきた「女性(にょしょう)」は普通の「婦(おんな)」ではないだろう……という流れですが、この呼び分けは、日本語代名詞の豊かな言語世界を垣間見せてくれますね。
「奥さん」という語がめちゃくちゃ出てくる小説と言えば、やはり夏目漱石「こころ」(1914(大正3年))でしょう。前半では「先生」の妻である静さんの呼称として、後半では先生が青年期に下宿していた、静さんの母親の呼称として「奥さん」が登場します。この作品は、一人称の語り手による手記の体を(前半後半とも)取っているため、固有名詞を避ける書き方をしており、その結果であると思われます。
私はすぐ玄関先を去らなかった。下女の顔を見て少し躊躇してそこに立っていた。この前名刺を取り次いだ記憶のある下女は、私を待たしておいてまたうちへはいった。すると奥さんらしい人が代って出て来た。美しい奥さんであった。
「奥さんらしい人」という表現から、「奥さん」が「配偶者」の意味で用いられていることが感じられます。ただ、自分の配偶者を呼ぶ呼び方ではないですね。
私の知る限り先生と奥さんとは、仲のいい夫婦の一対であった。家庭の一員として暮した事のない私のことだから、深い消息は無論わからなかったけれども、座敷で私と対坐している時、先生は何かのついでに、下女を呼ばないで、奥さんを呼ぶ事があった。(奥さんの名は静(しず)といった)。先生は「おい静」といつでも襖ふすまの方を振り向いた。その呼びかたが私には優しく聞こえた。返事をして出て来る奥さんの様子もはなはだ素直であった。ときたまご馳走になって、奥さんが席へ現われる場合などには、この関係が一層明らかに二人の間に描き出されるようであった。
「こころ」は新聞連載ですが、奥さんの初登場は先の連載4回目、その後奥さんと先生(夫)の重要なシーンである第8回を経て、この第9回で初めて名前が登場します。この作品、先生を訪問してきた「私」と奥さんが共に食卓を囲むシーンなどが多くあり、この夫妻は大正当時の一般的な夫婦関係よりも幾分現代に近い感じで描かれているように思います。
次は、「先生」が若いころ、その奥さんの自宅に下宿をしたとき、奥さんの母親を「奥さん」と読んでいたというシーンの引用です。(中略があります)
それはある軍人の家族、というよりもむしろ遺族、の住んでいる家でした。主人は何でも日清戦争の時か何かに死んだのだと上さんがいいました。一年ばかり前までは、市ヶ谷の士官学校のそばとかに住んでいたのだが、厩(うまや)などがあって、邸(やしき)が広過ぎるので、そこを売り払って、ここへ引っ越して来たけれども、無人で淋しくって困るから相当の人があったら世話をしてくれと頼まれていたのだそうです。私は上さんから、その家には未亡人(びぼうじん)と一人娘と下女より外にいないのだという事を確かめました。私は閑静で至極好かろうと心の中に思いました。
(略)
私は未亡人に会って来意を告げました。未亡人は私の身元やら学校やら専門やらについて色々質問しました。そうしてこれなら大丈夫だというところをどこかに握ったのでしょう、いつでも引っ越して来て差支えないという挨拶を即坐に与えてくれました。未亡人は正しい人でした、また判然(はっきり)した人でした。私は軍人の妻君というものはみんなこんなものかと思って感服しました。感服もしたが、驚きもしました。この気性でどこが淋しいのだろうと疑いもしました。
(略)
私は未亡人の事を常に奥さんといっていましたから、これから未亡人と呼ばずに奥さんといいます。奥さんは私を静かな人、大人しい男と評しました。それから勉強家だとも褒めてくれました。けれども私の不安な眼つきや、きょときょとした様子については、何事も口へ出しませんでした。
「上さん」「未亡人」「妻君」「奥さん」は全て同じ人物を指していますが、それぞれの場所でニュアンスが異なることが分かります。それぞれ「下宿屋の女主人」「(夫を亡くした)配偶者」「配偶者(尊称)」「既婚女性(尊称)」くらいに捉えるのが適切でしょうか。
そういうわけで、私たちは家の主婦を奥さんと呼んでいました。下宿屋のおかみさんを奥さんと呼ぶのは少し変ですが、前にも言う通り、まったく上品で温和な婦人で、どうもおかみさんとは呼びにくいように感じられるので、どの人もみな申合せたように奥さんと呼び、その娘を伊佐子さんと呼んでいました。家の苗字は――仮りに堀川といって置きましょう。(「白髪鬼」岡本綺堂、1923(昭和3年))
…「下宿屋のおかみさんを奥さんと呼ぶのは少し変」という言語感覚から、「おかみさん」「奥さん」の使い分けがくっきりと見て取れて面白い用例ですね。この話は、発表は昭和ですが、岡本綺堂は明治生まれですし、物語内時間は10数年前(つまり震災前)という設定ですから、言語感覚としては漱石の少し後、大正期の中頃を反映していると言った方が適切かもしれません(まあ、それを言うなら「こころ」の場合、おおむね時代は明治期の想定と言えそうですが。)
昭和に入ると、「奥さん」が配偶者を指す呼称としてライトに用いられ始めたように思います。太宰はこういう言葉のちょっとしたニュアンスが本当に上手な作家で、次の用例の言葉の使い分けは非常に印象的です。
「奥さま、もうすこしのご辛棒しんぼうですよ。」と大声で叱咤しったすることがある。
お医者の奥さんが、或るとき私に、そのわけを語って聞かせた。小学校の先生の奥さまで、先生は、三年まえに肺をわるくし、このごろずんずんよくなった。お医者は一所懸命で、その若い奥さまに、いまがだいじのところと、固く禁じた。奥さまは言いつけを守った。それでも、ときどき、なんだか、ふびんに伺うことがある。お医者は、その都度、心を鬼にして、奥さまもうすこしのご辛棒ですよ、と言外に意味をふくめて叱咤するのだそうである。(「満願」太宰治、1938(昭和13年))
医者が、夫の体の静養のためにセックスを禁止して…というちょっとした掌編なのですが、最初の「奥さま」は、医者が患者の配偶者である若い奥さんに言い聞かせるときの呼称、医者の「奥さん」は医者の(やや年配の)配偶者のニュアンスで用いられていますが、地の文での「奥さま」と「奥さん」の使い分けで、雰囲気が表現されているのは実にうまいです。
最後に、呼称という点で、最初に見かけてこれは書き留めておきたい(ぶっちゃけこの記事を書くきっかけになった)のがこちら。
妻は水の引くように痩せて、蚊帳の中で死んでしまった。死ぬ前「今度奥さんを貰う時は、丈夫な奥さんを貰ってね」と言った。
「莫迦、お前が死んだら俺は一生独身でいるよ、女房なんか貰うものか」
彼は妻の胸に涙を落しながら言った。その涙をふいている内にふと俺は嘘を言ってるのかも知れないと思った。
しかし、妻が死んでしまうと、彼は妻に言った言葉を守ろうと思った。死んだ人間に対しては、もう約束を守るよりほかに何一つしてやるものがないのだと思った。
この3つの呼称の呼び分けを、代名詞が豊富でない文化圏の人にどうすれば伝えられるだろうなあ、と思ったりします。
さて、蛇足ながら、このエントリを書いた理由について。呼称、代名詞というのは、時代によって変遷し、人の心を映すもの。だから、いろいろな意見や議論はあっていいと思いますし、そもそも言葉が時代のジェンダー観を反映するというのは、取り立てていう必要もないくらい当たり前のことではありますが、そういった、人々の内心の方を変えるのが面倒だからといって、言葉の方に罪を着せるようにして言葉狩りじみたことをするのは、正直「違うんじゃないかなあ」と思います。人々の心が変化すれば、誰が強制しなくても言葉は廃れ、変化していきます。〇〇という言葉を使うな!なんて言わなくても、それが指す事象が消えたり変化したりすれば、あっという間に言葉は移り変わっていくものです。だから、変えるべきことを人々の総意に基づいて粛々と変えるよう努力するのが重要であって、「言葉狩り」みたいな遊びで何か大きな社会貢献を為したような気分になるのは、正直やめてもらいたいなあ、と思っています。そんな感じのことを感じていただけたのなら、この記事を書いた意味があったというものです。ありがとうございました。
「調子はどう?」
「帰ります」
そう言って、他の同僚の前にも関わらず強い拒絶を示して帰られた。
……いや、なにこれ?
自分が何かした、嫌われている、そういった情報が周囲に流れているわけでも無いようで。
しばらくというか、今後一切近づかない方が良いのは分かるのだが、そうされる理由がどうしてもわからない。
ここしばらく話してすらいない、関わってもいないのに嫌われる理由って何?
何なら元々は仲良く話していた間柄である。
さらには10月末には仕事を助けたとこで、本心かはさておき感謝もされ頼りにされてるとも言われたところである。
謎。
これを読まれてる女性の皆様におかれては、どれだけ相手が嫌いであっても変に拒絶するより
なるべく普通に接した方が、相手の頭にも残らないので安全かと思うの。
それはそれで女性にとっては恐怖ではないのかと。
後半はチクチクじゃなくて直球だな
もうバイトでも仕事は絶対しないって決めたのは彼ら彼女らのおかげです
チクチクはショックだけど現実を知る良い機会になる
お前から別れを切り出すならそれで良い
何故ならお前は“子供を作りたくない”という自分の信念すらノリで変えてしまうようなヤツだろうから
それぐらい婚約者が最初に言った『そういうことは出来ない』という言葉を軽んじてる
普通にセックスしても絶対に不満を持たれる、ゴム付けないだとか後戯がないだとかヤリたい時にしか反応しないとかで
妊娠なんかもそう、発覚してもゴム付けてた程度で『俺の子じゃない』とか言い出しそう。
子供出来ても子供の世話もしなさそう、出来なさそうじゃない。勝手に折れて勝手に子供にキレてそう。
あと無意識で年下女をナメてる。可愛いって考えは人の一生に関わるお願いを聞く時に出していい考えじゃない。言うにしても“申し訳ないけど”が頭に付いてなきゃダメ、癖を付けておかないとその他人を無意識的にナメてることが原因で失敗する、今みたいに。
ここの米欄にも出てくる、「女としてではなく人として扱われたい」ってやつ、それ自体にはすごーーく共感する。
ただ、その「人として扱われる」ためには、何よりも男から「モテる」事が必要なんだと思っている。何故か世間では逆の風説が幅を効かせているけれど。
モテない女はそれこそ「女として」扱われるよ
性的魅力云々ではなく、都合よく雑用を押し付けても顧みなくていい下女として。
モテない女は幼稚園や小学校の頃から男子から(時には女子から)苛められからかわれるし、カースト上位の可愛い子達がお喋りしている傍ら一人だけ黙々と掃除をしているなんて実にありがち。
仕事でもワーママの皺寄せで仕事を押し付けられてちょっとでも愚痴を言おうものならお局やマタハラ加害者として叩かれる
こういうのがまさに「人としてではなく女として」扱われるという事なんだよ。女ジェンダーの特徴って何よりも、金にならない雑務の押し付けが主だし、皆婚社会ではなくなった現在においては寧ろ家庭外においてそれは起きている。
同じく非モテでも男ならそれはやられない。女にさせるような仕事をモテない底辺だという理由で男にさせる事はない。
男はどんなにモテなかろうが最低限「人として」は扱ってもらえるし、逆に言えばモテた所でそこまでとんでもないメリットがある訳ではない。
結局、この社会において人間のデフォルトとされているのは男なんだから、女が「人として」扱ってもらうには、
父親や夫や上司といった何らかの形で権力持ちの男に気に入られてその恩恵に預かるしかないのが現実
女が「人として」扱って貰うためには男からの「モテ」が必要なんだよ
私は既に結婚して子供もいるけど、もし自分が独身で増田婚活するとしたら、条件を考えてみたので挙げておく。人の好みは多種多様だ。
33歳
162cm 53kgが標準だが、49〜59kgまでは減量増量可
タバコは吸わない、酒は飲めるが普段は飲まない、相手に合わせる
【外見など】
28〜38歳ぐらいまで希望、と言いつつタイプなら24〜55歳ぐらいまでいける気がする
180cm以下(背が高い人は苦手)
薄すぎず濃すぎない顔がタイプ
顔が大きい人が好き(大物感が出る)
メガネ好き
【内面】
年収学歴不問だが、ブラックな働き方をしていてそれを嫌に思ってるにもかかわらず現状を変えようとしない人は嫌かな…
好奇心旺盛で勉強好きな増田を良いと思ってくれて尊重してくれる人がいい
子供はどちらでも
転勤移住は状況次第で可
俗っぽい人は苦手
人生に対して前向きな人がいいけど、ポジティブすぎても疲れるかも
外食好きなのでB級グルメからオシャレなレストランまで?一緒に外食楽しめる人がいい
集団の中で中心になってるような人はタイプではない、集団の中では寡黙な人が好き 二人だといっぱい話したい
ミニマリストでなくてもいいけど、物は少なめがいい。収集癖のある人はちょっと…
苦手なもの
スピリチュアル全般、占い、疑似科学、BBQ、ウェイ系、チャラ男
追記2→キリッとした怖い顔より、柔和な可愛い顔がタイプ。大きい顔がタイプとは言いつつ、夫は小顔(好みの顔ではあった)。ex.片寄涼太さんは一般的にとてもイケメンだと思うけど、私にとっては小顔すぎる
ちなみに大きい顔が好きというのは自分で全く気付いてなかったのだが、友達に指摘されて初めて気付いた。
外見タイプから想像つくとは思うけど、ラグビーならスクラムハーフ、野球ならキャッチャーを好きになることが多い!!
ドンピシャでタイプの芸能人は思い浮かばないけど、好きなタイプの可愛い健康デブ(デブじゃなくても何となく可愛くて丸っこい人を含む)の例としては、ケンコバ、サンド伊達、鬼越トマホーク金ちゃん、月亭方正、ザキヤマ、中尾彬、とかかな?ブラマヨ小杉は健康度が足りない。惜しい。
(以下女性は共感してくれるだろうが男性はよく分からないかも)サイズ上はEカップだけど筋肉少なめ骨格ウェーブタイプの平胴なので、下着取って裸見たら女体に詳しくない男性が想像するC〜Dカップぐらいの見た目だと思う。全然巨乳ではない!温泉なんか行くと、骨格ストレートのCカップぐらいの丸胴の子のほうが断然巨乳に見えるよね〜!
追記3→投稿した理由は、(特に低身長の男性に)人間の好みの多様性を知ってほしかったので 他のブクマカにも人によって異なる不思議な好みのポイントがあれば是非教えてほしい
追記4→今確認してみたら、夫は上記希望条件のうち2つを除いて全て満たしていた。特に夫のことを想定せずに書き殴ったのに、びっくり!
希望条件と違ったのは、大顔ではなく小顔だった点と、健康デブではなく細マッチョ(骨太ではあるが)だった点。しかし結婚後数年かけてぽっちゃりしてきたのでヨシ!
追記5→減量増量は元々割と大食いなのでそれをコントロールするだけで、食べる量に比例して体重も胸も増減できるってだけです。胸は増えた脇肉を寄せ集めるだけ。49kgCカップや59kgGカップにはなれるけど、49kgGカップや59kgCカップにはなれない。期待した人ごめんなさい。
部下女が「私はワーママだから差別されて昇進できないんですよね」って泣くんだが、今のままじゃワーママかどうか関係なく昇進できないってことを理解してくれない。
どうしたら理解するんだ。
お前が産前に取った資格は人事部が全社員に取らせたものだ。つまり最低限だ。
目を見張るような業績もない。
お前の仕事ぶりはあくまで担当者で、後輩の育成やチームの運営には関わってこない。
つまり昇進の条件を満たしていない。
後輩に聞けば5分で終わることを1日かけて頑張ってしまう。
あれこれ教えても「子育てで時間が取れない」「私には向いてない」と逃げる。