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はてなキーワード: 上流階級とは

2024-02-11

アメリカ人上流階級に行くのなんてマジで簡単

アメリカ人「1日3時間勉強半年くらい続けてUSCPA取っちゃえばええじゃん。そしたら誰で受かるアホ州立大既卒でもBIG4ほぼ入れるぞ」

アメリカ人「まあ公認会計士なんて『鳥のエサをこねる仕事』はまともな神経したアメリカ人はまず目指さないけどね」



USCPA英語母語者が圧倒的に優位な試験なので、京大卒JCPA既取得者でも1000時間近い勉強時間がかかってしま


俺は日本語を呪った

2024-02-09

月500円が子供いる家庭向けのスパチャなら

偏差値の高い上流階級のお子さんのバイオリン代にでもしてほしいよな

人気家庭に偏るのも仕方ないよな

社会が育てたい子供社会好き嫌いで決まるんだろう

2024-02-07

民間だと給与頭打ちになるのがわかった東大卒無能公務員転職

無理して東大入ってなんとか卒業したはいいけど、正直コミュ力ゼロ就活に失敗し契約社員年収300万から社会人スタート。2-5年に1度転職して4社目、10年がんばってやっと年収500万。

多分これ以上は無理。諦めた。公務員転職する。

何を諦めたか

「結果をベース転職してキャリア年収アップ」というライフプランに先が見えなくなった。

転職市場って基本的に「能力」と「前職の実績」を踏まえてキャリアを上昇させていくものだと思ってる。前職でめっちゃ売り上げ出したから次の転職先で係長or課長クラスになる、みたいなね。

が、自分にはその「売上を出す能力」がなさそうだとわかりつつある。

自己認識

局所的なスキルには自信があるよ。たとえば法務チェック不要なくらいに契約書読みこむ、みたいなね。でも法学部卒じゃないし法務でもないのでスキルセットのプラスにはならない。

そういう器用貧乏スキル自分は多すぎる。

で、思ったのよ。もしかして自分は「民間市場ガツガツ働いても年収1000万を超えることはできない」のでは?

20代の頃はそういう夢をみてたよ。大手会社就活したりね(文系なら出版社経済系なら外資系コンサル理系なら今で言うGAFA想像してみてほしい)。

でもそうはならなかった。ならなかったんだよ。ここでその話はおしまい

次の選択肢

ここまでは別に自虐ではないので、自虐風自慢のつもりはない。なぜなら公務員転職たからだ。今どき退職金1500万もらえる身分への転職万々歳よ。これまでの10年で退職金0だからね。そういう意味ではただの自慢である

今思ってること

友人らは現状で既に自分と同じくらいの退職金もらえることが決まってる上、30歳で年収1000万越えとか割といる。はぁー私が30年勤めて取得する予定の金額を3-4年で稼げるんですねぇー!

という嫉妬があるかというと、別にない。だって今どきの世の中で30代年収500万あれば世間の上位半分にいるわけじゃん。まあ分相応だと思ってるよ。

今思ってるのは、久しぶりに会うときの店の予算帯が絶妙にズレ始めてること。あっちが普通と思って提案してくる店が微妙予算外、みたいなね。飲み会の店を提案されたら素で6000円だったりするわけ。ほわーっって感じよ。

困ってること

収入面では別にない。そこそこ生活には満足してるし、今から年収1000万になりたいとも思ってない。身の丈にあってるわけだ。

が、友人との階級層がズレはじめてるような印象はあって、そこだけはこわい。「この先もしかして自分はこの友人を失うのではないか」という恐怖感だ。

友人との交友関係を失いたくないという恐怖だけで、自分はこの生活でいいのだろうかと思い始めてる。もっと上流階級に行くべきなのだろうか。

追記

東大ギリギリで入った奴って世の中の上位半分に入ってれば納得するのか

俺は東大生の平均程度の能力だと思われるのが嫌で、東大生ですって自分から絶対言わなかったな

真の東大生はこれくらい性格が悪いと思う

学歴に対する世間的な期待値」と全く見あわない現状に恥ずかしい思いがないわけでもないけど、その恥ずかしさは自分人生において「わざわざ払拭するほどのプライオリティ」として存在していないんですよね。「年収1000万になったところで何したいって希望特にないので別に今のままでいいかなー」くらいの気持ちです。「他人からどう見えるか」への興味がゼロで、自分楽しいかどうかが人生判断基準

東大生って公務員でも友達失うんだな

生きにくそうで大変だなぁ〜

MARCH公務員で良かった笑無理せず友達いっぱい🤝

まだ失ってないし、自分も現状無理はしてないけど、今後友情関係維持する為に無理しなきゃいけないのかなって恐怖はある。

これは嫌味でもなんでもなく本心なんだけど、このコメント書いてくれた増田人生に満足してるなら何よりだよ。他人幸せなのはいいことだ。

2024-01-31

anond:20240131132051

最近新しく始まったプロジェクトに入るためならいいんじゃね

かつてのような上流階級専用生活保護を期待して入るのは頭おかしいが

2024-01-25

Google採用試験に受かる為には、ホワイトボードコードを書く練習をしたり、上流階級の人と食事を取る練習をしないといけないのか...

なんか本質的じゃないよな。

2024-01-19

anond:20240119104016

資格取ったくらいで上流階級に行けるわけない

給料ちょっと良いだけの下層民だぞ

2024-01-17

anond:20240117112658

ここまでやられたらカッとなってもしょうがないよねって同情の余地はあるよねって話にするとしてじゃあその「しょうがない」のラインは誰が決めるの?

例えばマッチョイズム丸出しの上流階級強者男性弱者男性に腐ったスニーカーで高級ブランド靴踏まれたから注意したらヘラヘラしてたからカッとなって殴っちゃったってなったとして、上流階級強者男性コミュニティでその話したら「そりゃ殴るよなw」ってなっちゃったら、カッとなって殴った側に正義が発生するの?

から疑問に思っていることがある

何かしらの争いが起きると、先に手を出したら負け、という風潮が気に入らない

例えば、親を馬鹿にされ、容姿馬鹿にされ、知能を馬鹿にされ、性格馬鹿にされたとする

人としておおよそやっていけないことをやっているのだ、殴られてもおかしくはない

しかし殴ったとたん、先に手を出した方が悪い、となる

殴る前に正当な方法で訴えろ、と言う意見もある、ある程度理解もできる

しか聖人君子のような人ばかりではない、カッとなって殴ることや言い返すこともあるだろう

諸君はどう思われるだろうか、教えてほしい

   

以下追記

・戦うなら先ずは舌戦から始めよ

・逃げる、相手にしない、第三者を巻き込む、 殴って物事が良い方向にいくことはない

分かるんだけど、ライン超えてくる奴も一定数居るわけで・・・

・ここまでやられたらカッとなってもしょうがないよねって同情の余地はあるよねって話にするとしてじゃあその「しょうがない」のラインは誰が決めるの?

例えばマッチョイズム丸出しの上流階級強者男性弱者男性に腐ったスニーカーで高級ブランド靴踏まれたから注意したらヘラヘラしてたからカッとなって殴っちゃったってなったとして、上流階級強者男性コミュニティでその話したら「そりゃ殴るよなw」ってなっちゃったら、カッとなって殴った側に正義が発生するの?

そういう正義や悪の話ではなく、一方的に殴った奴が悪い!殴られた奴は無罪放免!!ってのが納得いかんのだよな

2024-01-10

anond:20240110034312

上流階級上流階級とくっついただけやないかい!

でもまあ自活力なくて顔も悪くなくておそらく処女相手なんて

遊び慣れたヤリチン金持ちからしたら上玉もいいとこよな

外面がいいだけのおサイコモラハラ男かもしれんしその女子の実生活幸せものになるかどうかわかりゃせんで

anond:20240110034312

玉の輿ですらなく上流階級自然上流階級とくっついて幸せになった話やね

お前たち庶民はいじめてるつもりでいたがそれですら上流階級にとっては庶民暮らしぶりを知るお遊びでしかなく

一時期近くにいただけでお前たち庶民とその上流階級は交わってさえいなかった

ただただ隔絶した中で下流のお前たちが一方的になにか勝った気になっていただけ

2024-01-06

風邪引いたかApple Musicで「風邪」と検索して出てきた曲全部聴いてた

全6曲。

風邪をひいた時の歌/[Alexandros]

落ち着いたアレキサンドロス。よく聴いてるわけじゃないけど『kick&spin』とか『閃光』とかのイメージが強くて意外な気もしつつ、耳触りのよい英語結構好き。何言ってるのか分かんないけど。

日本語で歌うパートにくると歌詞の内容が分かりだす。「午後一時半の小田急線」——どうやら、一度出勤したけど風邪気味だから午後休取って早退したやつの話らしい。サボってる学生や、楽しそうな主婦がいたりする時間帯だ。うんうん、わかるわかる。

そして彼は、最寄りに着いたところでふと気付く。このまま乗っていれば実家に帰れる、と。そして実家で猫に会い、(おそらくは親に)小言を言われ、おいしい味噌汁を飲む——。

は?

小田急沿いに実家……?

ペットを飼えてる実家……?

そして自分独立……?

この曲は、俺のような英語リスニングもできない片田舎人間風邪をひいた時に聴く歌ではない。ただただ、恵まれ環境にいる人間風邪をひいた時の歌なのだ

「いや、そんな恵まれてもないだろ」と思う方もいるかもしれないが、2番の日本語パートで彼自身もこう内省している。

「思えば恵まれ生活をこう/与えられてたこ坊ちゃんが/ロックンロールなんて/叫んでいいんだろうか?」

彼は会社員というよりはロックを叫ぶバンドマンのようである。アレキサンドロスの人そのものを描いているのかどうかは分からないが(まあどちらでもよい)、芸術系とか創作系・表現系に全ベットできる人間実家が太いというのはままある話である

彼の悩みに答えは出ず、玄関まで送りに出てきた親(おそらく)の顔も見ることができずに電車に乗り込む。「一人部屋のアパートに帰ろう」——ロックで売れまくってるってわけでもないようだ。

曲を聴くというよりは歌詞を読みふけってしまった。この曲で描かれる人物は俺とは全然違うところを生きているけども、好感が持てないかと言えば全然そんなことはないし、そういう人間風邪をひいた時の情景を描いた歌として、うん、よかった。しっとりしたアレキサンドロスも良い。

風邪/amazarashi

名前だけは見たことあるけどちゃんと聴いたことのなかったamazarashi

ピアノイントロから入っていきなり「37℃の微熱」、うん、風邪の歌だ。

そしてなんか、フィロソフィーとか運命とか必然とか言い出したな……と思ってるうちに曲が終わった。歌詞サイトを見る。さっきのアレキサンドロスでも見ていた。

2回目の再生ボタンを押すと、なんとこの曲1分55秒である。そりゃすぐ終わるわけだ。

しかし改めて歌詞を見ると、この曲で描かれる風邪を引いた人間もまあ、全然共感できない類の人間だ。部屋にはソファがあるし、彼女がいるし。フィロソフィーとか運命とか必然とか言い出すあたり、俺には話を合わせることもできなさそうである

彼は「ごめんちょっと調子が悪いだけなんだよ本当に」と言い訳をし、「かれこれ数時間/便器にしがみついて/朦朧と/うわ言」。うわ言だったらフィロソフィーとか言うのもやむなし……か?

2分に満たない短い曲の中で、「朦朧と」のフレーズが繰り返される。印象に残る曲だ。全然好きだ。好きだ、amazarashiもっと俺の調子がよくて、なんか小難しいことを考えたいときに聴きたい。

恋風にのせて/Vaundy

恋風邪じゃねーか!

でもまあ、Vaundyは好きなので(数曲しかいたことないけど…)楽しみである

これ前に聴いたな……。

Apple Music自動再生で似たような曲や売れ線の曲を流してくるので、Vaundyなんかは知らぬうちに受動喫煙しているのだ。

恋風にのせて」というタイトルには、いわゆる恋の病的なもの風邪に例えた「恋風邪」と「風にのせて」言葉や思いを吐き出す行為がかかっていて、全編的にそんな感じの曲である俳句みたいな技法で割とすき。

しゃらくせぇ曲だなあとは思うものの、そのしゃらくささがVaundyの魅力だとも思う。いい曲。

「くだらない愛で/僕たちはいつも笑っている」

風邪/小林

Twitterフォロワーにこの人のファンがいて、ちょくちょく名前情報が目に入っていた。実は曲を聴いたことはないのだが、シャニマスが好きみたいなので信用の持てる人だと思う。

そして肝心の『風邪』。風邪をひいた舞台役者脚本家?のつらさを綴った曲のようであるあんまり面白くない舞台あんまり上手くない芝居をして、叩かれて、病んでいるようだ。そんな感じの「風邪ニュアンスを感じた。

自らの作品表現稚拙さに苦しむというのは、個人的には結構わかる。わかるけれども、今食べたい料理はそれじゃない。それじゃないんだ……全然上流階級人間を描いてていいからがっつり熱出して寝込んでてほしかった……。こういう形の風邪全然あるんだけども。こういう形の風邪の話だよね?解釈に失敗してるような気もする。

それはそれとしていい曲だと思うし、小林私のボーカル結構すき。やはり信用の持てる人だと思う。元気になったら(あるいは精神的に病んだら)他の曲も聴いてみようかな。

⑤ただの風邪/KIRINJI

エイリアンしかいたことのないキリンジ

この曲もしっとりした雰囲気で、熱が出てぼーっとしたいときに合っているような気がする。

歌詞としては、風邪が治った直後の情景が描かれている。まだ少しぼんやりとしつつ、でも体の軽さがある、そんな感じ。早くこれになりたい。

「君の手のひらはbutterfly」「僕の額をその翅で慰めた/あぁ」

どうやらこいつにもパートナー的な人間がいるらしい。だけど、不思議嫉妬のような気持ちは湧いてこない。キリンジの、この曲のふんわりとした雰囲気ゆえだろうか。

曲は終盤に1分ほどbutterfly…を連呼して終わる。すごい余韻である風邪ときってこれぐらいの余韻がほしいというか、ぼーっとしたい。いい曲だ。好きだ、キリンジ

風邪が治るまでを再現/ヌミャーン(三味線漫画奏者)

間違いなく1番ひどい。

検索しても歌詞は出てこないし、そもそも歌詞というか一般的な曲の体をなしていない気がするし……音楽に決まったルールなんてねえんだよと言われたらそれまでだけど……。

でも、これが1番なんというか風邪っぽい気がする。風邪引いたときに聞けてよかった。

2024-01-04

上の階層暮らしを知らない

田舎に帰るたびに母に言われる

「そこそこ稼いでるはずなのになんで貧しい暮らししてるの?」

かに俺はしまむらGUの服を着て暮らしている 外食といえば吉野家マック

お金はあまり使うことないか自動的に貯まっていく

んで、なんでだろうって考えたんだけど、そもそもお金を使うような上流階級暮らしってのを知らないってことに気づいた。

例えば服の例で言うと、普段着しまむらGU(家の近くにあるから)、ちょっとオシャレな服が欲しいときパルコマルイルミネに行くんだけど、百貨店というものには行ったことがない

百貨店にどんなブランドが入ってて、どのくらいの価格帯なのかも知らない

で、なんで百貨店に行かないかというと、行ったことがないから怖いってのと、自分には縁がないところだという意識がある

これに気づいたとき日本平等社会だと思ってたけど、社会階層って見えない形で分断されているんじゃないかと思った

服だけじゃなくて食べ物とかも同じ 吉野家マックガストは行けるけど、高級レストランに行ったことがない

俺が行く最大の高級な店はロイヤルホスト

それ以上の店はどういうのがあって、どうすれば行けるのかよくわからない

今例として服と食べ物を出したけど、休日アクティティとか、旅行とか、他のことでも俺が思いつかないような「上の階層暮らし」ってのがいろいろあって、それに気づかずに暮らして死んでいくんだろうなあと思った

anond:20240104140317

なんか根本的に勘違いしていると思うが、英国社会階層上流階級ロイヤルファミリー級)、中流階級中流とは言うがセレブリティではないガチ金持ちのこと、高所得の勤め人や医者)、労働者階級に分かれているが、労働者階級=貧困層ではない

労働者階級労働者階級であってそれはそれでプライドの高い人々なので、いわゆる貧困層という意味では労働者階級とは使わないし、おれは貧困層出身なんてベッカムが言うわけない

かと言って上流、中流には貧困層はいないので必然的貧困層労働者階級に含まれるとも言えるけどそこは全然カテゴリの違う話をしている

その文脈ベッカムが言いたいのは、金をドブドブ注ぎ込んだ英才教育を受けたアカデミー上がりの選手中流階級を前提とした話)が増えているが俺はそうじゃないって話

イングランドの若手の代表クラスのインスタとか見ると確かに裕福そうないかにも中流階級の両親とか養父母に育てられた選手が多いんだろうなと言う気はする

両親の姓がくっついてる複合姓の選手が多い(元々は上流、中流階級流行り)のも金持ちって感じがする

2023-12-29

anond:20231229142128

主に民主党批判してたのは当時株式投資をしていた中流上流階級

経済政策が上手くいかず大損したか批判してるのが主やろ

経済政策が上手く行ってない=失業率回復に決定打を打たなかった

震災対応もできず、当初目玉だった税の引き下げも行われず、ダメダメだった自民党以下だった

自民党が素晴らしいなんて思ってる人は居ない、でもチャンスを与えられて悉く失敗した民主党

しか名前変えて印象悪くしてる政党に任せようとする人は居ないし率直に悪魔なのよ

2023-12-20

anond:20231220091447

英国では、人の話を聞き返すときの言い方は社会階級によって異なる。労働者階級は「Aye?」と言い、中流下層階級は「Pardon?」と言う。中流階級では「Sorry?」、そして上流階級では「What?」だ。

これ豆なw

2023-12-19

会社で働いてる人は演技をしている

英国王室を描いたドラマ「ザ・クラウン」で、ウェールズ炭鉱崩落による悲劇を題材にした傑作回がある。

終盤に、女王はこの悲劇に対して「まったく感情が動くことがなかった、私は人として何かが欠けていると思う」と当時の首相ウィルソン吐露する。

ウィルソン首相労働党党首)は「誰にも言わないでください」と前置きして、

実は私は肉体労働したことがないし、(労働者が好む)ビールよりもウイスキーが好きだ。パイプより(上流階級が好む)葉巻を吸う。でも、パイプを吸ってたほうが親しみやすいだろうから大衆の前ではパイプを吸いますありのままの姿では国の顔にはなれません。」と言う。

要するにウィルソン首相仕事のために頑張って演技をしているのだが、国の顔として女王のその感情の欠落は恩恵である、と言う。

というのをみて、そういえば職場の上の立場の人たちはなにか自己欺瞞的だったり嘘くさい言葉を並べるなと感じてたが、そうか演技をしてるんだと思ってなにかが腑に落ちた。

anond:20231218010649

声優さんは、1クールに4作品同時に出たとしても、週の拘束時間はせいぜい2時間ちょっと

まり、毎週2時間労働しかしないわけよ。

それで生活できて、趣味乗馬だったりするのは、そもそも働かなくても暮らせる上流階級なのね。

2023-12-17

anond:20231217063043

ルール上は何も問題ないので、ドジャース大谷がズルしてるってよりは、雑なルール放置していたMLB側が責めれられるべきだと思う。

大谷でなくとも、彼のように年俸以外の収入生活できる選手(例えば大金持ちの家に生まれ自分で金を稼ぐ必要のない上流階級人間とか)がいた場合リング欲しさに同じ契約をしてもおかしくないわけだから

ただ、彼らとしてはメンツを潰された格好になるので球団大谷への何かしらの報復がないか心配

2023-12-09

えだ🫖 @eda_mame_ko1

豆腐の量えぐいってコメントたくさんあるけど、辻ちゃんネルお馴染みの大鍋料理材料から……といっても伝わらないか辻ちゃん寸胴鍋100人分くらい料理して、近所の友だちに『鍋だけ持ってうちに来て!』とLINEすると、続々と美人の友だちが家に集まってくる上流階級陽キャのお遊びのことだよ

2023-12-01

大阪万博の予想入場者2800万人て正気か?

劇場版鬼滅の刃の来場者数と同じぐらい人が来るという試算ということだ

もし映画企画会議でこんな前提で予算を組んだら一生アホ扱いされかねないガバガバ見積もり

映画の二倍はチケット代がかかり、日本全国で見れる映画と違って大阪府民でもなければアクセスは最悪

目玉コンテンツは?ない

俺は参加者は200万人にもならないと予想している

国の維新をかけた大イベントという手前来場者数もガバガバ見積で数値の上では一応体裁は整えるだろうが

こんな小学生に考えさせたようなアホの見積り書作って

高い給料貰って偉そうな一大イベントにいっちょ噛みしている上流階級のやつらが羨ましいぜ

anond:20231201141852

上流階級の人が読むのが高級紙

ところが日本には上流階級ほとんどいないので、高級紙誕生できなかったんだよ。

2023-11-27

anond:20231127003939

誰もあんまり言わないけど、ラディフェミって「上流階級弱者」だよなぁ。上流だから食うには困らない、学位権力は「欲しい」と言えば貰える(特別に計らわれているのではなく自然に貰える)、

でも弱者から頭の中は怒りでイッパイ!!!!!!!!!!!何も分からない!!!!!!すぐ怒られる!!!!右も左も男がいる!!!!!!でラディフェミ化する(女と下人は透明なので見えない)

そんで普段自分が怒られてる(激怒弱者にとってコミュニケーションの唯一の方法である)ように下人を怒鳴ってみると、上流の弱者であるラディさんと下人のエリート一般人の間では知性や学力が逆転してるので、揉める

下人クラスは「自分より社会的地位があるのに実は頭が弱者」という存在を想定していない(逆にしてたら無礼だろ)のでラディさんに難しく向き合ってしまうし、ラディさんはバカなので混乱してずっと激怒してるから議論にもならないしまず話が噛み合わない

でも本質的にはラディフェミに染まる阿呆って単に弱者なんじゃないかと思うわ

2023-11-23

奥さん」という呼称について

相変わらずジェンダーがどうとかつまらない話が多いので、過去の用例から奥さん」あるいは配偶者呼称についていろいろ考えたいなあ。と思って書きます

勿論、女中などに似ようはないと、夢か、うつつか、朦朧と認めた顔のかたちが、どうやらこう、目さきに、やっぱりそのうつ向き加減に、ちらつく。従って、今声を出した、奥さんは誰だか知れるか。

 それに、夢中で感覚した意味は、誰か知らず、その女性(にょしょう)が、

「開けて下さい。」

 と言ったのに応じて、ただ今、とすぐに答えたのであるが、扉(ひらき)の事だろう? その外廊下に、何の沙汰も聞えないは、待て、そこではなさそう。

「ほかに開ける処と言っては、窓だが、」

 さてはまさしく魘(うな)された? この夜更けに、男が一人寝た部屋を、庭から覗き込んで、窓を開けて、と言う婦(おんな)はあるまい。(「沼婦人泉鏡花、1908(明治41年

奥さん」は、自分配偶者というより既婚女性に対する敬称として用いられています。「女中などではなく」自分夢想する上流階級を思わせる女性奥さん)が誰か分からないが、夜更けに訪ねてきた「女性(にょしょう)」は普通の「婦(おんな)」ではないだろう……という流れですが、この呼び分けは、日本語代名詞の豊かな言語世界垣間見せてくれますね。

奥さん」という語がめちゃくちゃ出てくる小説と言えば、やはり夏目漱石こころ」(1914(大正3年))でしょう。前半では「先生」の妻である静さんの呼称として、後半では先生青年期に下宿していた、静さんの母親呼称として「奥さん」が登場します。この作品は、一人称の語り手による手記の体を(前半後半とも)取っているため、固有名詞を避ける書き方をしており、その結果であると思われます

私はすぐ玄関先を去らなかった。下女の顔を見て少し躊躇してそこに立っていた。この前名刺を取り次いだ記憶のある下女は、私を待たしておいてまたうちへはいった。すると奥さんらしい人が代って出て来た。美しい奥さんであった。

奥さんらしい人」という表現から、「奥さん」が「配偶者」の意味で用いられていることが感じられます。ただ、自分配偶者を呼ぶ呼び方ではないですね。

 私の知る限り先生奥さんとは、仲のいい夫婦の一対であった。家庭の一員として暮した事のない私のことだから、深い消息は無論わからなかったけれども、座敷で私と対坐している時、先生は何かのついでに、下女を呼ばないで、奥さんを呼ぶ事があった。(奥さんの名は静(しず)といった)。先生は「おい静」といつでも襖ふすまの方を振り向いた。その呼びかたが私には優しく聞こえた。返事をして出て来る奥さんの様子もはなはだ素直であった。ときたまご馳走になって、奥さんが席へ現われる場合などには、この関係が一層明らかに二人の間に描き出されるようであった。

こころ」は新聞連載ですが、奥さんの初登場は先の連載4回目、その後奥さん先生(夫)の重要なシーンである第8回を経て、この第9回で初めて名前が登場します。この作品先生訪問してきた「私」と奥さんが共に食卓を囲むシーンなどが多くあり、この夫妻は大正当時の一般的夫婦関係よりも幾分現代に近い感じで描かれているように思います

次は、「先生」が若いころ、その奥さんの自宅に下宿をしたとき奥さん母親を「奥さん」と読んでいたというシーンの引用です。(中略があります

 それはある軍人家族、というよりもむしろ遺族、の住んでいる家でした。主人は何でも日清戦争の時か何かに死んだのだと上さんがいいました。一年ばかり前までは、市ヶ谷士官学校そばかに住んでいたのだが、厩(うまや)などがあって、邸(やしき)が広過ぎるので、そこを売り払って、ここへ引っ越して来たけれども、無人で淋しくって困るから相当の人があったら世話をしてくれと頼まれていたのだそうです。私は上さんから、その家には未亡人(びぼうじん)と一人娘と下女より外にいないのだという事を確かめました。私は閑静で至極好かろうと心の中に思いました。

(略)

 私は未亡人に会って来意を告げました。未亡人は私の身元やら学校やら専門やらについて色々質問しました。そうしてこれなら大丈夫だというところをどこかに握ったのでしょう、いつでも引っ越して来て差支えないという挨拶を即坐に与えてくれました。未亡人は正しい人でした、また判然(はっきり)した人でした。私は軍人妻君というものはみんなこんなものかと思って感服しました。感服もしたが、驚きもしました。この気性でどこが淋しいのだろうと疑いもしました。

(略)

 私は未亡人の事を常に奥さんといっていましたから、これから未亡人と呼ばずに奥さんといいます奥さんは私を静かな人、大人しい男と評しました。それから勉強家だとも褒めてくれました。けれども私の不安な眼つきや、きょときょとした様子については、何事も口へ出しませんでした。

「上さん」「未亡人」「妻君」「奥さん」は全て同じ人物を指していますが、それぞれの場所ニュアンスが異なることが分かります。それぞれ「下宿屋の女主人」「(夫を亡くした)配偶者」「配偶者尊称)」「既婚女性尊称)」くらいに捉えるのが適切でしょうか。

かみさん奥さんの用例としては、

そういうわけで、私たちは家の主婦奥さんと呼んでいました。下宿屋のおかみさん奥さんと呼ぶのは少し変ですが、前にも言う通り、まったく上品で温和な婦人で、どうもおかみさんとは呼びにくいように感じられるので、どの人もみな申合せたように奥さんと呼び、その娘を伊佐子さんと呼んでいました。家の苗字は――仮りに堀川といって置きましょう。(「白髪鬼」岡本綺堂、1923(昭和3年))

…「下宿屋のおかみさん奥さんと呼ぶのは少し変」という言語感覚から、「おかみさん」「奥さん」の使い分けがくっきりと見て取れて面白い用例ですね。この話は、発表は昭和ですが、岡本綺堂明治まれですし、物語時間10数年前(つまり震災前)という設定ですから言語感覚としては漱石の少し後、大正期の中頃を反映していると言った方が適切かもしれません(まあ、それを言うなら「こころ」の場合、おおむね時代明治期の想定と言えそうですが。)

昭和に入ると、「奥さん」が配偶者を指す呼称としてライトに用いられ始めたように思います。太宰はこういう言葉ちょっとしたニュアンスが本当に上手な作家で、次の用例の言葉の使い分けは非常に印象的です。

奥さま、もうすこしのご辛棒しんぼうですよ。」と大声で叱咤しったすることがある。

 お医者奥さんが、或るとき私に、そのわけを語って聞かせた。小学校先生の奥さまで、先生は、三年まえに肺をわるくし、このごろずんずんよくなった。お医者一所懸命で、その若い奥さまに、いまがだいじのところと、固く禁じた。奥さまは言いつけを守った。それでも、ときどき、なんだか、ふびんに伺うことがある。お医者は、その都度、心を鬼にして、奥さまもうすこしのご辛棒ですよ、と言外に意味をふくめて叱咤するのだそうである。(「満願太宰治、1938(昭和13年))

医者が、夫の体の静養のためにセックス禁止して…というちょっとした掌編なのですが、最初の「奥さま」は、医者患者配偶者である若い奥さんに言い聞かせるとき呼称医者の「奥さん」は医者の(やや年配の)配偶者ニュアンスで用いられていますが、地の文での「奥さま」と「奥さん」の使い分けで、雰囲気表現されているのは実にうまいです。

最後に、呼称という点で、最初に見かけてこれは書き留めておきたい(ぶっちゃけこの記事を書くきっかけになった)のがこちら。

 は水の引くように痩せて、蚊帳の中で死んでしまった。死ぬ前「今度奥さんを貰う時は、丈夫な奥さんを貰ってね」と言った。

莫迦、お前が死んだら俺は一生独身でいるよ、女房なんか貰うものか」

 彼は妻の胸に涙を落しながら言った。その涙をふいている内にふと俺は嘘を言ってるのかも知れないと思った。

 しかし、妻が死んでしまうと、彼は妻に言った言葉を守ろうと思った。死んだ人間に対しては、もう約束を守るよりほかに何一つしてやるものがないのだと思った。

(「蚊帳」織田作之助、(初出が調べられなかったのですが、上の満願より少し後の1940年前後だと思います。))

この3つの呼称の呼び分けを、代名詞豊富でない文化圏の人にどうすれば伝えられるだろうなあ、と思ったりします。

さて、蛇足ながら、このエントリを書いた理由について。呼称代名詞というのは、時代によって変遷し、人の心を映すもの。だから、いろいろな意見議論はあっていいと思いますし、そもそも言葉時代ジェンダー観を反映するというのは、取り立てていう必要もないくらい当たり前のことではありますが、そういった、人々の内心の方を変えるのが面倒だからといって、言葉の方に罪を着せるようにして言葉狩りじみたことをするのは、正直「違うんじゃないかなあ」と思います。人々の心が変化すれば、誰が強制しなくても言葉は廃れ、変化していきます。〇〇という言葉を使うな!なんて言わなくても、それが指す事象が消えたり変化したりすれば、あっという間に言葉は移り変わっていくものです。だから、変えるべきことを人々の総意に基づいて粛々と変えるよう努力するのが重要であって、「言葉狩り」みたいな遊びで何か大きな社会貢献を為したような気分になるのは、正直やめてもらいたいなあ、と思っています。そんな感じのことを感じていただけたのなら、この記事を書いた意味があったというものです。ありがとうございました。

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