はてなキーワード: 上意下達とは
トップダウン、ボトムアップ、他色々あるかと思うが、自社の場合は以下の通りである。
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4.上司・会社側からひとしきり各現場の意見や思いを尋ねられ、各々答える
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5.最後に「上司・会社側としては◯◯と考える・思う」と述べた上で「もう少し考えてみて」と一旦返される
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7.前回の「上司・会社側の意見・思い」が反映された内容なら承認、そうでなければ却下・再提出となる
以後5.6.7.の繰り返しである。
この結果、最終的に「通る案」というのは、「上司・会社側の意向に沿った案」のみで、「現場側の意向を含んだ案」が採用されることは基本的にない。
(例外的に、上司・会社側の意向と現場側の意向が偶然合致していればこの限りではないが)
そしてこのようなことが続くと、現場側(より正確には現場側トップ=いわゆる中間管理職の立場にある者たち)としては、はじめから「上司・会社側の意向を汲み取った案」を作ることのみに固執し、肝心要の「現場側の意向」を無視ないしは軽視するという現象が起こる。
すると、現場側の大多数を占める非管理職の者たちにしてみれば「言われたことは確実にやらされるのに自分たちがやりたい・やってみたいと思うことは何もやらせてくれない」という、極めておもしろみのない、つまらない状況になってしまう。
また、上司・会社側としても、どうせはじめから「正解」を決めているのなら、こんなまどろっこしい手順など踏まず「我が社の方針はこうだ、そのために◯◯せよ」などと具体性のある指示を出し、その通り現場側を動かせば無駄が減り経営スピードも上がるだろう。
これだと完全な上意下達となるが、もともとそれを前提としたプロセスなのだから、どうせ同じ現場側つまらないなら、余計なやり取りはなくして経営効率やスピードを高めてくれたほうが断然いい。
最も腹立たしいのは、さも自分たちで考えて決めたかのような演出を用意しておきながら、実のところ力のある側の掌の上で踊らされているだけ、というこの構図だ。
非上場の完全ローカルではあるものの、先見の明ある現経営者がたった一代で大きくしてきた我が社に自分なりの誇りをもっていたが、ひとたび悪い(と感じる)一面を目の当たりにすると、さすがにモチベーションも揺らぐ。
全てはできることからやっていく。9歳の子を悼んで、建築基準を上げるというのはその解の一つ。
その積み重ねが結果的に見れば震度6でも死者3人ということだ。
なお、危険な愛国心というのはあるが、「他国を見下す」というのじゃなくて、昨今の「馬鹿な上でも、盲目的に従え」という風潮だ。
良い組織運営には2つあって、一つは上がバリバリ勉強して、失敗しつつも振り返り磨き上げる。そういうやつに従うというもの。もう一つは議論して落とし所を見つけてやっていくもの。
最も前者も磨き上げるにはフィードバックは必要だから、聞いてそのとおりにするかはわからんが、上が聞く姿勢は必要だし、意識的に上が聞きに行かないとならない。
そこを勘違いしてたまたま上に上がれたやつに盲目的に従え、というのは危険な愛国心だな。
上がリーダーシップをバリバリ持って上意下達でやりたいのなら、上はものすごい能力が高いことが求められる。だって下は従うだけなんだもの。
元増田です。
"PTAにできることもあればできないこともある、それだけのこと。"
それはそうなんだけれども、その「できないこと」が重大過ぎるんだ。
園で何か事件や事故が起こってその責任を追及しようにも、PTAは園や教委の言いなりになるしかない。保護者の皆が団結して園と対立しようにもその時リーダーとしていて欲しい人達が何もしてくれないなんてどうかしてるっていうのが一般の保護者の自然な気持ちだ。
通常のPTA活動の際に、いざって時に何もしてくれないリーダーに従おうという人なんかいるだろうか?
PTAに皆が不信感を抱き協力を惜しむようになったら結局その弊害は子供達に返って来てしまう。現状園の運営はPTAにかなり依存しているのだから。PTAの仕事をアウトソースするのは金がかかりすぎて公立園ユーザーには無理だし(過去に一度大掃除を外注して懲りたらしい)。
新しく保護者会を立ち上げたとしても、それが何でも問題を解決出来る訳ではないとは私も思うのだけど、保護者にとっては行事の運営以上にいざという時には自分達の側について共に戦ってくれるリーダー(あるいは勝手に一人で戦ってくれるリーダーかもしれないが)こそ必要なので、それが絶対に出来ない既存のPTAは無くすしかないのではないかと思う。
ただしPTAの様に面倒な保護者同士の人間関係の調整を全部園に押し付ける様な事は、保護者会では決して出来ないので、一年目は勢いで活動出来ても後が続かないのは目に見えているので悩ましい。
理想としては保護者達で主体性と主権を取り戻すべきなんだが、多くの保護者達は主体性なんか要らない、でも何か起こったら誰か戦ってっていうスタンスなので、どうしたらいいんだもう……。
一応コネを辿って議員さんに泣きついてみるという手も考えたんだけど、丁度今、諸事情からそれはかなり難しい。
しかも行事が多いシーズンに突入したばかりの時に教委から唐突にめちゃめちゃ上意下達されてPTA本部の信用が失墜してしまって、一体これは何の嫌がらせなんだと思わずにはいられない。
(公立園不要論も議会でしばしば上がっている様なので、園内を引っ掻き回して子供達の保護者を園から離反させた入園希望者を減らすのが目的なのかもしれないと邪推したくなる。)
ミスったら車に轢かれて死者が出るのも最悪過労死する残業と同じ。
>だが、果たしてそれが「余計な仕事」なのか?しかし、制度は待ってくれない。余計な時間の仕事は全て悪なのだから、時間のかからないように仕事をしなければいけないし、そのように命令しなければいけない。
>上司から命令される仕事だけで手いっぱいである。だから、必然的に仕事はボトムアップからトップダウンとなる。このように文化を変えないと多分どこの会社も失敗する。
>会議は一番時間の無駄なので、削減される。このためますます合意形成という形ではなく、上意下達方式になる。
とまるで「定時のせいでイキイキと仕事が出来なくなった!」って言いたそうな文章だけどそれが反社会的な活動という方向に増田はまず意識を変えるべきだろう
お金があったら必要ないものまで買ってしまうのが人間。「残業で時間を確保して不必要な仕事を買っていた」のが増田の会社。
無駄遣い止めようや
最近、長時間労働と労働時間削減の話題が多いが、ここ増田では、マネジメントが上意下達でよーいドンで残業禁止、挙げ句に職場破綻、「そんなことになりましたけどいいんすか」というようなエントリーが多いように思う。
本当かよというのが正直な感想で、理由は「余りにも無策で始め過ぎ」だからだ。
自分が見た会社組織は、そこまで「んー、やってみないと分かんないから考える前にやってみようぜ、良きに計らえ、ドーン」みたいな夢見がちの集まりではない。
天才ぞろいではないが、物事やる前はそれなりに策を考えて踏み切る。
弊社は「残業を一気にゼロにしました」とまでは行かなかったが、「日付が変わっても社員が在社してるのが当たり前、一部は徹夜も普通、終電前には帰り辛い雰囲気」から、「21時以降は一部の社員しか残ってない」まで業務を改善できた。
真偽の話題になっても、自分が疑念を抱いたのと反対の角度の話になるだけなので、ちょっと変えて、「どうやってそれをやって、結果どうなったか」を特定されない程度にぼかして言おうと思う。
やった事
・外注の確保
・クライアント窓口者が「帰る」
まず、現場作業者が週の間にどれくらい稼働可能かを30分単位で割り出した。
実際に発生する作業も、30分単位で厳密に見積もり、発生した時点で作業一覧表に記載する。
総工数はリアルタイムで表示され、事前の稼働可能工数とつき合わされる。
・外注の確保
優秀な外注を確保した。
「検品をする」のが作業の大半の人を雇用した。さらに、手のあいたものはダブルチェックする。
「これはやる意味があるのだろうか」「やっても結果が良くなく、元の木阿弥になる」といった作業はクライアント窓口者が粘って交渉する。これは窓口者の力量も求められる。
新規クライアントの開拓は日々行う。このクライアント言う事はどんな無茶苦茶でも聞かないと即死というような状態にならないようにする。
・クライアント窓口者が「帰る」
クライアント窓口が作業を追い込んで、定時退社を(すくなくとも)目指す。
クライアントにも「その時間は普通いないんで」という共通認識を日々もってもらう。
さてどうなったか。
・外注費の増大
・仕事の変質
・売上げ確保
・緊急稼働の激減
・外注費の増大
・仕事の変質
クライアント窓口者の仕事は、「社内に仕事をふる」事から「クライアントと交渉する」「外注を発掘してくる」「外注と良い関係を保って良い仕事をしてもらう」事に変質した。
以前の異常な稼働状況で、その分必要だった残業代、人件費は圧縮された。
労働者の手取りは一部減ったが、なにせ以前は「人間らしい生活が出来ないし金払っても休みたい」レベルだったので、抵抗らしい抵抗はなかった。
あとタクシー代も減ったな。
・売上げ確保
売上げは確保された。売上げの確保はマストだ。
利益率に関しては増えてないが、売上げの総量が増えればカバーできる。
以前は定期的に体調不良で突然倒れるもの、会社に来なくなるものが出ていた。
同僚が倒れたときの会社の雰囲気が「酷い事になった、こんな事は二度と起きないようにしよう」ではなく、「彼が抱えててた仕事をどうしよう」であったこと、その事態が何度も繰り返された事は忘れてない。
組織にとって「人の健康」の優先順位は「請け負った仕事の達成」「売上げ」より低いのだという冷厳で情けない現実をはっきり認識した。
しかし、ここ数年出ていない。
かけた戦力を即席で穴埋めして、ちょっと動けるようになったらまた誰かが倒れる、ということの繰り返しから、雇った人間を時間をかけて教育する余裕も出てきた。
社員が花を渡して見送る。
それだけの事がどれだけ心を落ち着かせるか。
・緊急稼働の激減
検品担当者は「まだ起きていない事」を発見する仕事なので、雇ってみないと重要性に気づき辛い。しかし、今となっては現場が口を揃えて「彼らがいない事を思うとゾッとする」と言う。
以前の会社は「今は緊急事態だ」とマネジメントが言うと「緊急事態が何年続いてるんだよ、ずっとじゃねえか」という雰囲気だった。
弊社に就職すると友達が減った。週末も疲労で気絶してるから当然だ。
人は突然倒れた。倒れないものは示し合わせて一気に退職した。弊社を見限ったのは明らかだった。
最近は、「これだけ変えられただから、自分たちはもっと難しい課題を実現できる」という雰囲気になっている。
後輩が「会社にくるのが好きなので」と言ったのは心に響いた。
追記
ブクマカ諸氏に「クライアントとの交渉」が刺さったようなので、その補足をしたい。
「純粋な利益だけを第一に考える資本家にはどう立ち向かうのか」と言う話にもちょっと応えたいが、資本家が経営を左右するほどの大会社ではないので、経営層に対してという話をしたい。
まず、相手がクライアントであっても、経営層であっても「腹パンして引き下がらせる」という「やるかやられるか」の対決はしていない。
「交渉」というと、そういう見方をしがちだけど、それがマジで「組織のリアル」だったらその組織は危ういと思う。
クライアント、経営、現場の3者にそれぞれの利害や優先順位の違いこそあれ、基本的にはそれぞれ重なりあう所の「おなじ目標を共有する」存在であって、「やるかやられるか」は商取引になじまない。
「おなじ目標を共有する」が微妙に違う存在同士が利益を共有できる「良い落とし所を見つける」のが商取引だ。
「良い落とし所を見つける」という精神は「クライアントとの交渉」で重要になる。
クライアントとの交渉は、窓口がクライアントを打ち負かしにはいってない。
弊社では、あくまで「これがお客様にベストなのです」というスタンスで交渉し、多くのクライアントから「○○さんがそう仰るのなら、それは良い方法なのだろう」という「信頼」を得ている。
読んでるあなたが現場にいるなら、強力なアウトプットで窓口を支え、窓口ならば「単なる作業の手数が欲しい」以上の期待をされるよう、クライアントの信頼を勝ち取ってほしい。
経営層とどう向き合うか
そもそも会社は「利益の為だけ」に存在しておらず、それは「手段」だ。
ただ優先順位の違いはある。
なので、優先順位が低くなりがちな「労働時間の削減」をどう「マストである」と認識してもらえるか。
ここでは「労働時間の削減がマスト」であるという認識を経営に持たせる要素をいくつか上げたい。
・事業の高度化
・株式公開
・事業の高度化には、人材の定着が不可欠だ。短期に人材を使い潰す事を繰り返していると、いつまでも仕事の内容が成長しない。経営にもの申す機会があったら、そのことを訴える。
機会があったら数字の一つも資料にしたためて一席打とう。それがどういう内容であれ、経営は数字に敏感だ。
・マネジメント層の育児は意外とボディーブローのように効く。経営者は「仕事こそ人生」なので、そもそも「人生のそれ以外の価値」をそんなに実感していないように思う。だから「労働時間の削減」の優先順位が下がるのだ。
マネジメント層に家庭を持つものを送り込むと、経営の身近な人間から「人生には人間的に生きる時間が必要だ」と感じるようになる。
・株式公開は、まだ公開していない会社に大きな変化をもたらす。労務管理がいい加減な会社は、審査を通らず上場できない。このことは「労働時間の削減」の優先順位を上げる圧力になる。
最後にひとつ、実感として上げたいのは「組織が成長していること」がいろいろな改革のバッファを生むという事。
ニュース見てて、女子中学生監禁した人が誰かに似てるなあ似てるなあと思ってたら
ああそうだ。だいぶ昔に辞めてった奴に似てるんだ。
各局がこぞって使用してるあのアップ写真。見れば見るほどよく似てる。
なんつうのかね。顔のパーツのひとつひとつや容貌そのものはあまり似てないんだが、その奥から滲み出すものが凄く似てるっつうのかな。
いやー思い出すなあ。
求人も出してないのに偉いさんのコネで無理矢理入社してきた、兼業社家のそれも跡継ぎですらない予備。
ハッキリ言って歓迎されてなかったね。手ぇ足りてたし。しかも、入社前からアレコレ既に噂を聞いてたんだけど、
まだ資格取ってる最中の見習いでありながら地元での実習中に反抗、コネで入れてもらった別の土地の神社でも反抗。あと何社かリピート。
そんで、おハチがわざわざ遠方のこちらに回ってきたという話だったわ確か。
とはいえ、「下馬評が最悪とはいえ、実物を見て判断しなきゃフェアじゃない」と思ったから。
いざ入社してきたそいつの態度を見て判断しようと思ったんだけど。
やってきたのは渡り中間みたいに尻軽にあちこち転々としてただけでロクな仕事も任されてなかっただけの、もう若いとは言えない年の奴で、しかもどういうわけか“経験豊富”をアピールしてた。
斯界もまた生え抜きが評価される世界だ。お前がそのチンケな経歴を誇っている相手のお歴々は、上にそんなナメた態度なんざ一切取る事なく長期間勤め上げている方達なんだけど?と言いたかった。立場の勘違いも甚だしい。
それでもなお、「意に染まぬ遠方に来させられて傷ついているのだろう」と、務めて好意的に迎えていたのだが。
神社入ってきた奴がまず最初にこなす仕事もまともにやりゃしない。境内の一番遠い箇所の早朝清掃。率先しての受付。率先しての祈願奉仕。朝拝準備。雑用。肉体労働。
仕事をまともに覚えない。ひたすら自分のやり方でやりたがる。一体何を仕事の本質と思ってるのか知らないが、とかく伝統を受け継がない。
十歳くらい年下の指導役(そいつからすれば先輩)に仕事を普通に押し付ける。まあこれは新卒上がりの指導役がヘタレの風見鶏なせいだが。
もちろん神社というのは信仰や伝統を護持する関係上そう甘い組織じゃないから、見るに見かねて先輩や上役やらが注意するも、
スネるわゴネるわおどけるわ、でその場その場をやりすごし、指導すらまともに受け入れない。結果的に仕事覚えられなくて困るのはそいつ自身だったんだが。
人の言いなりになるのが死ぬほど嫌いなのによく前職が勤まったもんだが、もちろん組織人として下命に服さねばならない局面なんていくらでも巡ってくる。年功序列、上意下達。斯界の鉄則だ。
で、人の命令に従わざるを得ないときは、面従腹背。背任背信。陰口三昧。
あまつさえ職員間の対立構造を裏で煽って激化させ、対立者それぞれに相手への悪口を吹き込みつつ怒りを煽るだけ煽って、自分だけは味方ですよアピール。まるで密告社会みたいなのを作ろうとしてたっけ。
そのやり口もえげつなかったなー。
まず、幾つになっても口さがない巫女連中と神職の悪口で盛り上がり、距離を縮める。
やたらに反抗心を煽るだけ煽って、軽率な巫女連中に小さな反抗を繰り返させる。
巫女の突然の態度変化から、神職達もバカじゃないから巫女と新人との間に敷かれたラインにやがて気付く。
で、年だけ食ってて経験豊富気取りで、仕事覚える気もする気もない新人に対する指導。まずはその鋭鋒を一旦、鈍らせる。
新人に対する当たり前の干渉が止んだ一瞬の隙を突いて、上役それぞれに、個別に接近する。
方法は同じ。二人きりになるタイミングで、別の上役への敵意や体制への不満を煽る悪口で大盛り上がり。互いにけん制しあうように仕向ける。
粗暴な奴なんて日ごろからうまく誘導しておいて、機会があれば、自分の気に入らない奴に暴力振るわせたりとかしてたっけ。
もちろん上役達もバカじゃないから新人の小ざかしい動きには当然気付くんだが、さあ事ここに至ればもう手遅れだ。
指導神職たる上役達は新人の育成に力を注ぐのが常だから、互いの確執はさておき、ひとまずこの新人をこれまでの神職達と等しく育成しようと思い直していた様子は幾度も見受けられた。だが既に、個々人がそうは思ってもなかなか言い出せない状態に陥っていたらしい。
なにせこの腹芸ばっかり得意な新人は、ちょっとキツイ事を言えばすぐにスネ、別の上役に自分の悪口を吹き込みまくり煽りまくり余計に仕事をやり辛くさせるだろうという事がもう誰の目にも見えているからだ。
上役達はそれこそ何十年と同じ職場に勤めてきている地元の人間だから、そんな人間同士で揉めたくなんかない。
結果、自ら煽った上役同士の牽制を利用する形で新人への教育は止み、先輩諸氏も指導役も上から命じられたはずの新人教育を行えば上から理不尽な攻撃が飛んでくるという謎の事態に命令遂行を断念し、こうして今ここに、誰からも教育されないバカが一人爆誕するわけだ。
さて。斯界ではしばしば、命令の理解よりも服従そのものが求められる。
神職連中は昨日から受け継いだものを明日に渡す、詰まるところはそれだけが仕事だからだ。
神社はただ黙って伝統を受け継ぎ、形を変えずに次代へ受け渡せばそれでいい。意見も感想も改善案もその一切を差し挟む必要はない。
服従を求めるのは、指導が厳しいのは、単純に、先人の伝えてきた伝統を踏みにじる事の重大さを本当に自覚させる為のものでしかない。
だが、肝心のその指導をはねのけるようではこの先に何ひとつ学べることなどありはしない。
伝統の重みを嫌う人に伝統を背負わせようとしても無駄な事だ。伝統とは歴史の重みそのものなのだから。
少なくとも私はそう思ったので、奴を業務に関わらせることはしなかった。
業務上同じ係にいくつか名を連ねていたし、これまでの新人には自分が教わったやり方をそのまま受け継ぎ、なるべくメインで業務を担当させてきたが、コイツにはやらせるだけ無駄だと思ったし、そもそも何より態度が無礼過ぎたため神社の外の人に関わらせる事すらできなかった。損失を招く未来しか想像できなかった。
仕事のやり方も教えてもらえず、仕事もなく、手の空いて暇でしょうがないバカは、なぜか先輩達の仕事の評論を始めた。もちろん下っ端としての業務は放棄したままだ。
比較的相手してくれる先輩に対しては、献策や改善案の提示も始めた。
無論いずれも、責任取らなくていい立場のバカの提示する案だから、地に足の着かない無責任な計画ばかりだった。もちろん採用されない。
困り顔で会話に応じ深甚の感謝を述べていた先輩方の表情が印象的だった。
ま、こいつも神社を転々としているだけあって、肝心なところで脇が甘い。
上役にだけいい顔をしているだけでは、この均衡状態は長持ちしないという事に気付いていなかったのだろう。
さて、こいつが風に吹かれる風船みたいにあっち行ったりこっち行ったりするのを決めているのは、コネの大元である、さる偉いさんだ。
偉いさんもまあ、自分が押し付けた面倒な人材の動向なんてのは気になるわけだ。勝手に顔を潰されても困るから。
で。たまたま折良く動向を訊ねる相手が私だったという事が、きっと分水嶺となったのであろうと思われる。
まあ私もお偉いさんの前だし礼儀と節度を守った返答しかしなかったが、向こうは訊きたい事だけは訊けたような苦い顔をしていたからなあ。
さて、知らないところでまた勝手に動き出す自分の運命も知らず、こいつはどこまでも俗物だった。
巫女に手を出すなと奉職時に言われたはずが速攻で手を出し、用意してもらってた社宅に連れ込み半同棲、年単位でイチャイチャ。
それだけ派手にやってて、しかも責任も取る素振りすら見せなければ、流石に近隣の住民達の口の端にものぼってくるのが当たり前だよなぁ。
最後は周辺住民の噂になった事を問題視されて、二人揃って辞めてった。
辞め時にわざわざ親が来て、本人のいないところで職員一同に向かって深々と頭を下げ、はっきりと口に出して許しを請うていたくらいだもんなぁ。
しょうもない理由で辞めてくゆとりは多いけど、あそこまで、年取った親に頭下げさせて「どうかお許し下さい」なんて台詞言わせた奴は後にも先にも見た事ないわ。
宮司である親父さんがそうやってずっとペコペコ頭下げて守り続けてきたものが何かなんて、軽蔑こそすれ、あいつは一度も真面目に考えた事すらないんだろうなぁ。
跡継ぎじゃねえんだったら、気に食わない事ばかりなら斯界からとっとと出て行けよと。社家の恥だわ。
たまたま折良く次の転任先が探されていたおかげでまた転任していけたようだが、しかしなんとまあ因果な事に。
その転任先も「巫女に手を出し即日クビになった奴が出て人手不足だったから」という理由で人を探していたのであった。
先で何が起こるか、どう迎えられるかなんて想像が付くし、つくづくどこまでも因果応報という言葉の付きまとう奴だと思う。
しかしまあ、「巫女に手ぇ出したから神主クビにしたんだけど人が足んなくなったから、ヨソの神社で巫女に手ぇ出してちょうど問題になった奴がいるんでそいつ転任させるねー」でよく通るもんだ。何で誰も怒んないのかねぇ。
さて。
女子中学生監禁の犯人の写真を見て、上記の奴によく似通ったものを感じたわけなんだが。
ニュース番組では「監禁ではなかったのではないか」「自由がありすぎて監禁されていたとは言えないのではないか」などという報道もよく見る。
報道を見て受ける印象もまた、どっちだかわからないな、と確かにそう思える。
しかし、
奴が仕事するどころかそれを否定してむしろ仕事の本質を破壊・解体しにかかっていたように、
それと似通ったものを感じるこの犯人もまた、ぱっと見、監禁とは言えないようなソフトな共同生活を送っていたように見えてもその本質は、実態は、監禁以上の恐ろしい精神支配やマインドコントロールや恐怖の植え付けを被害者に対して行っていたのではないだろうか。そのような疑念を覚える。
もちろん擁護する余地だっていくらでもあるんだろうが、きっとその場にいないとわからない事も沢山あって、
それは無論被害者しか語り得ない内容な上、また人に信じさせるのはとても難しい事柄のような気がする。
このエントリのように。
という説を唱えてみる。
江戸にはもちろん、将軍がいた。江戸の人々は天皇が来たこと自体に関してトップが変わっただけだと感じたと聞く。
要するに「将軍→諸々→民衆」が「天皇→諸々→民衆」となっただけだと。
京都にはかつて天皇がいたものの、長らく『権威』と化して『権力』ではなかった。
大阪には「権威」すらなかった。その分この二都市では住民自治が発達しており上意下達システムに慣れていない。
言うまでもなく日本のマジョリティは「(将軍→)大名→諸々→民衆」であり、江戸と同じ仕組みに慣れている。
日本のIT業界の多重下請け構造が悪だ、Slerがクソだ、みたいな話あるけど、論点混ざってることが多い。
どっちかというと「仕事を出す側」として、多重下請け構造の問題点とポイント書いとくよ。
必要とされる多重請負と、ブラックな多重請負があって、分けて考えないとイカン。
ハナキンなのにやっと終わって一人酒だよ!
発注者から直接仕事を請け負った元請け担当者(大抵の場合、安請け合いする部長)が、
請けた仕事を切り出して、課長、各チーム主任、ヒラと仕事を下ろしていく。
ピラミッド構造で上意下達で、力関係も対等ではないが、こういうのは多重下請け構造とは呼ばれない。
そして、仕事の報酬が会社に対して支払われ、各員には会社から給与が支払われる。
「オレの言う多重下請け構造と違う」と言われても何なので、定義はそのまま引っ張ってこよう。
発注者から直接仕事を請け負った元請(たいていの場合が大手SIer)が、
請けた仕事を切り出して2次請け、3次請け、4次請けと仕事を下ろしていくピラミッド構造の事を言います。
良くある例で言うと、元請は要件定義や概要設計等の上流工程を請負い、開発・実装などの下流工程は2次請けに委託する、というような構造です。
これ、多重下請け構造の問題点じゃなくて、受注価格交渉の話なんだよね。個別。
例えば、一社のみなら給与体系の話になるわけで「部長が中間搾取してる!」とは言わない。
さらに「部長が安請け合いするから、現場のエンジニア給与が低い」というのは、一社のみでも起こる。
つまり、「中間搾取」によって「給与が低くなる」というのは、飛躍がある。飛ばしてはイカン。
(以後、n次請け, n+1次請けは、全て元請け, 下請けと表現するな)
1番と2番とは分けて考える必要がある。
まず、エンジニアの給与が低くなるのは、会社の給与体系の問題だ。
ということは、「エンジニアの給与が不当なほど低い」のであれば、それは多重下請け構造の問題ではない。
不当なほど低い賃金で働かせている「本来潰れていなければならない会社」の問題を、多重下請け構造問題で誤魔化してはイカン。
で、元請けと下請けとの報酬差だが「要件定義や概要設計等の上流工程」をやった対価を取って「中間搾取」とは言われたくないだろ。
答えから書くと、さっきの式は以下の形で使われてる。
一目瞭然で、下請け報酬が少ないから、「中間搾取」と呼ばれる「元請け仕事の対価以上の報酬」が生まれる。
つまり、「マージンを抜くから適正単価にならない」ではなく「適正単価でないからマージンを抜く余裕がある」だ。
「要件定義や概要設計等の上流工程」が2000万で、実装やテストの下流工程が1000万で、という区分けをしていない。
仕事の中身で値段を決めずに、人月計算をするから、常に下請けは元請けよりも単価が低く設定される。
なぜならば、元請けは儲けるために下請けに仕事を流すわけで、損するためにじゃない。
というわけで、潰れずに責任とってくれるような大企業しかクライアントは選ばないので、Slerが繁栄する。
一軒家立てるときに工務店を選ぶ人もいるけど、ハウスメーカーも大人気だよね、というのが酷くなった感じ。
これは構造的な問題で、既得権益って言うとそうだね、という話。
じゃあ、なんで請けるの?という話。
まあ、最近はインドとか中国とか、単価低いしアッチで、みたいになってるけど。
請けないと会社潰れるから激安で請けますどうせエンジニアは使い潰せば良いし、みたいな会社が多い。
で、ブラック会社は人が足りないとさらにブラックな会社を呼んで……みたいな泥沼状態。
エンジニア雇ってる会社がブラックなので、結果的に多重請負になってる。逆じゃない。
プロジェクトマネージャがプログラマを鬱で辞めさせました。ボーナスが減ります、となってない。
元請けA、2次請けB、3次請けC…みたいになると、Bが指示してEが無茶苦茶な残業で体壊して、AはExcelしか観てない、みたいな。
クライアントにIT知識がないとか言っても無駄。信頼関係も効率性もある。
ハウスメーカーがお客さん呼び込んで、指定した建材で地元工務店と契約して、さらに左官屋雇って家を建てたりするだろう。
そういう時に、「客が直接知識を持って、左官屋と大工と設計家と交渉すれば安く付く」とか左官屋が言ったりしない。
出版社から直接本を買って、取次とか本屋のことを「中間搾取め!」とか言わないだろ。
IT業界は、そういう「効率のための多重構造」とは違う「果てのないダンピング会社の多重構造」がある。コッチが問題。
さらに多重請負って、普通に偽装請負で命令系統と責任系統が乖離してる。
人壊しても責任とらなくて良くて、補充がいくらでもきくなら、そりゃ無茶苦茶するわな。
まあ、ITエンジニアが育たないとか言ってないで、勉強して転職しようぜ!
後輩Aが挨拶をしない。
こちらから言っても言わない。
他の連中には挨拶をしているところや、他の連中がいるところでは挨拶してくるところを見ると、
ああ、なめられてるんだなあ、と思う。
後輩達は先輩がやってきた仕事をキチンと受け継がず、とにかく自分流のやり方でやろうとしたがる。
後輩Bはこれまで先輩達が一人でやってきた仕事を引き継がせても、一人でやらない。
先輩達全員を含めた回り持ちでやらせるように話を持っていき、実際に分業制にしてしまった。
機嫌取りの得意なやつにはつくづく甘いし、職場の秩序すら無視する連中だなあと周りをみて改めて思う。
ABともにもう後輩とは思っていないので一切指導していないし、向こうも何も聞いてこなくなった。
Aは自分ひとりですべて対応できるから先輩になめた態度とっても構わないのだろう。
Bは自分ひとりしかいない時にも人に頼るつもりだからああいう提案をしてくるのだろう。
先輩に向かって人前で君付けで呼んだりしていたので流石に注意したら「あれはふざけて~」とか「冗談で~」とか言い訳を始めた。
その後席に戻ってくると「ああちくしょう」だとかこれ見よがしに罵声を発しつつ仕事をしている。
そして「いや違うところで注意を受けましてね、そういう事があったから…不快に思ったらすみません」みたいな事を言ってきた。
はぁ、としか返答しようがなかったのでそうしたが。
よそから来たやつだからどうしようもないが、社家に生まれておいて、三十過ぎて、斯界の絶対的な上意下達&年功序列制度も理解してないのかコイツ。
会に入って楽をしっかり学んでいないのは、単純に自分の態度に問題があるから、これまでずっと人に勧めてさえ貰えなかったんだよ。
頑張って仕事してくれ。
いつまでも上がキレないと思うんならそれもいいが。
人の揚げ足取りを虎視眈々と狙っている連中の中でふざけた態度取るのは、単にツケを回すだけだから。
頑迷で頭の固い陰湿な田舎者の中で調子づいているのは、そのツケを絶対に忘れてもらえないという事だから。
確か奨学金の返済が月一万六千円で四十歳まで続くと言ってたね。
最近やったテイルズオブエクシリア2というゲームで莫大な借金をひたすら返済してて大変だと言ってたね。
福島第一原発側の報告と、官邸の報告とをつき合わせていると、12日午前3:00の時点で、一号炉の圧力を抜く予定だったのが、翌朝の菅首相の視察が終わるまで放射性物質を撒き散らすなと命令が下り、翌朝7:11に菅首相が現地に到着し、視察が終わるまで、一号炉の圧力は上がるままに放置されていたという事になる。
視察によって放射能汚染を蒙りたくないというのは、本心であろうが、現場の判断による圧力解放を停止させるのであれば、代替手段を指示するべきで、それは、炉の廃棄であるホウ酸水注入となる。
一般に密閉容器内で圧力が高くなると、水の沸騰温度は上昇する。圧力鍋が、通常の水の沸騰温度である100度以上の高温で調理できるのと同じ理屈である。
圧力が高くなった分だけ内部は高温になり、本来ならば蒸発して水蒸気になる筈の水が液体のままで存在することになる。
原子炉は内部に熱発生装置を収めた圧力鍋のようなモノで、高温になっている圧力鍋の中にパイプを通して、二次冷却水を流し、内部の熱を取り出してタービンを回す装置である。原子炉において、一次冷却水である純水は中性子の速度を調整して核分裂反応を促進させる。通常は、温度が上昇して沸騰状態になり、水中に気泡が混じると、核分裂反応を減速させる方向に動くが、内部の圧力が高くなって水中の気泡が消失すると、核反応が促進されてしまい、より高温状態になり、加圧が進むという、正のフィードバックが発生してしまう。
圧力を抜く事で水を沸騰状態にし、気泡の存在によって原子炉の反応を抑制させるというのは、沸騰状態でバランスされてしまうし、放射性物質を含んだ蒸気を大気中に放出し続ける事になるが、この状態で冷却水を大量注入して反応を抑制できるのであれば、被害は大きいが、原子炉を再開できる手順である。
沸騰状態の圧力鍋の調圧弁を抜くと、盛大に吹き零れるし、蒸気も出てくる。通常は、鍋を流水につけて急冷して、大気圧と同じになってから蓋を開けるのだが、福島第一原発では、圧力を抜く為の調圧弁を、首相の視察が終わるまで開けるなと言われて時間を浪費し、挙句、開けても良いと上からの指示が来たので開けようとしても、圧力が上がりすぎていて開けられなかった。挙句に、高温に負けて安全弁が解放されて建屋が爆発した。
現場の判断に上が介入した時点で、現場は自立的判断を放棄し、指示どおりに動くだけの人形になってしまったという、典型的な上意下達の愚行が原発で発生していたという事である。
ルールやマニュアルを定めて管理を強化しても、事態は解決されないどころか、かえって悪化してしまう。原発管理を強化とか、人民の代表である政府が直接管理監督といった話がでているようであるが、その問題の専門家よりも、経営者や政治家といった半可通がしゃしゃり出てくる事を禁止できなければ、どんな管理体制も、事態を悪化させるだけである。