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はてなキーワード: 三浪とは

2023-07-20

存在しない息子ですwwwww

灘中学校灘高等学校

からの…

二浪して神戸大学医学部医学科wwwwwww

大学入ってすぐ同級生から電話で「あれ?大学入ったのにまだ実家いんの?今から渋谷で飲もうと思って電話したのに」とか煽られてwwwwwwww

仮面浪人して三浪するも失敗wwwwww

CBTと両立できるほど頭脳明晰じゃないからそこで理三断念wwwwww

単位取得しながら仮面してて余裕なかったかサークル部活もなしwwwwwww

兄、姉、弟の4人兄弟なのに弟が「兄と姉の3人兄弟です」とか母親が「息子2人と娘が1人います」とか言ってて俺存在してなくてwwwwwwwww

2023-05-17

の子育ては成功したのか?

今年で息子が30歳になる。

教育には力を入れてきたつもりだ。

幼稚園の頃から読み書きを覚えさせたし、小学校では中学受験にむけて勉強をさせた。

中高一貫校は叶わなかったが、中学では今まで通っていた塾を切り替え東京高校に行けるようにした。高校進学の際には東京引っ越してまで良い高校に進学させた。

だか、大学は私が求めるレベル大学には進学しなかった。三浪もしたのに。

某M大学だ。

卒業後も就職先は聞いたことがない食品メーカー。冷食ばっかり作っている会社だ。

ママ友の子供達は、外資系就職してプロジェクトのチームリーダーになったとか、アメリカ留学アメリカ大学卒業して日米で仕事をしているとか…そんな話ばかり聞く。

正直羨ましい。息子を交換して欲しい。

もちろん、息子も仕事を頑張っている。

悪く言うつもりはない。

でも教育にかけてきたお金を考えると割に合わないよなぁと思う。

もう夫婦共々、新しく子供作れる年齢ではない。

私の人生、あの子我慢か。

2023-03-12

anond:20230312142013

寿命も短くて定年も短い戦前とか戦後すぐとかは、苦学や浪人で30ギリギリ大学院出て教授になったり、二、三浪してから大手企業入ったり、30近くで司法試験パスして裁判官検事になったり弁護士事務所開いてる人多い。医学部だって今より多浪や入り直しが多かった。今は寿命も定年も伸びてるけど二浪まで行くとほとんどのルートで詰みやな。回り道=死(社会的または生物的に)だから若い子には娯楽や享楽に惑わされず頑張って欲しいわ。

2023-01-07

anond:20230107185603

かぼちゃワイン」は大好きで全巻持っています

もう何度読み返したかわかりません。

それだけに、久々の続編を発見した時は感動しました。

ですが、読んでみたら何か微妙というかフクザツな心境に…。

大人になった二人の物語が読めるのは嬉しいのですが、内容がトホホです。

「春助の早とちり→無理に意地を張り通す→めでたしめでたし」という展開は相変わらずなので許せますが、

ストーリーがくだらなくて悲しくなりました。

もう中高生じゃないんだからあん子供じみたヌルい内容では面白くないです。

春助が三浪中という設定も、すごく嫌ですね。

三浪までしておきながら、あそこまで態度がデカくて往生際も悪いなんてクズ男です。

そんなクズなのに、いまだにエルちゃんベタ惚れというのも無理がありすぎると思う。

わたしゃ、あんな春助は見たくなかったよ…。

かわいそう

2022-11-11

人生詰んじゃってキツい

28歳の東大生冗談とかじゃなくマジで

大学受験は三年浪人した末にようやく受かった。キツかったよ。祖母、母、俺の3人家族で余裕無いか予備校も行けないし。現役、一浪二浪と3年連続全落ちで、その間にお婆ちゃんは俺の心配したまま死んじゃうし。でも三浪目で東大文一、早稲田法、慶應法法全部受かったのよ。あの時は、俺の人生始まったな、って思ってた。

でも無理だったわ。通学に2時間半かかるから往復の電車勉強したり、土日も地元図書館行って勉強してたんだけど、遊んでたとかじゃなく普通に勉強についていけなくて単位落としまくった。電車もよく止まるし、寝過ごして電車が反対方向に向かってる時に目覚ましてもう授業終わってたりとかした。コミュ障から友達もいない。なんとか法学部には進めたけど、本郷来てからはいよいよダメだった。そんで今3年留年。ようやく卒業は出来そうだけど就活は全滅でさ。焦って母親に「大手じゃないけどなんとか内定貰えた」って嘘ついたら大喜びしちゃってさ。

もう死ぬしかないのはわかってるんだけど、やっぱ怖いわ。生きていくのは無理なのに死ぬのも怖い。今泣きながら途中駅の公園弁当食べてる。

2022-03-08

医学部目指して三浪して滑り止め

医学部目指して三浪した末に、滑り止めで日大工学部受けて入学って、どんだけバカなんだろう。

根本的に勉強が向いてないんだろうけれど、それにして

バカだろう。高校生活2回できるじゃん。

2022-03-05

藝大で多浪してるんだけど就職出来るのかな。

ファインなんだけどもう無理か…三浪の人とかはこないだ任天堂行ってた、でも私は仮面浪人もしたか三浪を二倍にした浪人数なので…毎年ではないかもだけど割と定期的に任天堂なりコロプラなり行ってるけどどうなんだろう。

就職先となると私の科から殆どゲーム会社

私と同じ浪人数の違う科の先輩は就職全然大丈夫だよ〜って言ってたけど信用出来ん…

絵で食べていくつもりだったけど一応就職のことも考え始めたらそういえばこんな浪人してる人会社に入れたくないよなって気付いてしまって病んでいる。

2022-02-13

医学部目指して三浪

受験シーズンになると思い出す。

医学部目指して三浪した従兄弟が、結局、日東駒専入学した。それも理工学部か何か。

ちょっとレベル低すぎて引いた。

2022-01-22

anond:20220122192350

私はマーチの一大学にいた者だが、

当時新入生として新歓コンパに参加した時、

三浪して入ってきた、頭にバンダナしたおっさんがいて度肝を抜かれたことがあった。

三浪といったって当時の年齢で22だから今思えばめっちゃ若いはずなのに当時めっちゃおっさんに見えたのはなぜだろう?

不思議だ。。

2022-01-13

anond:20220113222642

留年して一浪してる人もいるし、そんな気にしなくていいんじゃない

そんな事より三浪しない仕組みを作れ

2021-05-28

anond:20210528084432

ワイが小学校の頃仲良かった医者まれのT君を思い出した。T君のお父様はお医者さんで開業医お母様は専業だった。T君は長男医院を継ぐことを期待され進学塾に放り込まれ勉強をしていた。が、あまりデキはよくなかった。T君は勉強も嫌だし医者なんかなりたくないと言っていた。

T君は三浪してやっと私立医大に滑り込んで、2回くらい留年してやっとのことで医師免許を取った。その頃のTくんは嫌で嫌でしようがなくてちょっとおかしくなっているようだった。だがお父様との約束である医者になることは達成できた。

T君はもう約束果たしたからと言って地方引越し今は市役所に務めている。お父様はたまに見かけるがめっきり老け込んでいる。

2021-04-06

ゲーム機ぶっ壊す親の息子(私の兄)が精神障害者施設に入った話

ちょっと前、子供ゲームに夢中になりすぎてルールを破るから、そのゲーム機を子供の前でぶっ壊すことを誇らしげに書いた新聞記事があった。

ああ、うちの親と同じことしてるな〜とその時は思ったが、私の感覚でいうとそれは虐待で、いつかきっと大人になってから、その傷はなにかしらの結果をもたらすんだろうなとなんとなく思っていた。

思っていたが……まさか、兄が統合失調症からの躁鬱、そして障害者施設行きになるとは想像もしていなかった。

子供の頃のことで覚えているのは、父の怒鳴り声、兄を吹き飛ばすようにぶんなぐる姿。

それが生死に関わるようだったら児童相談所の出番かもしれないけれども、数ヶ月に1〜2回ぐらいだと見逃されがちだ。

父の機嫌がよいときは、そこまでひどいことはないのだ。

から私も、子供心に「時々怖いことあるけど、これがふつーなんだ」と思ってきた。

でもあれは虐待だったのだ。

そしてゲーム機の話である。「しつけのため。お前の将来のためなんだ。お前のためを思ってやってるんだ」と言って、父親は泣き叫ぶ兄の目の前で、愛機のゲームをぶっ壊した。

父が去ってから部屋の中ですすりなく声、部屋の扉を裂ける寸前まで蹴る音などが聞こえてきて怖かったのを覚えている。

そして母親がそんな兄をかわいそうがって、何度も買い与えていたが、そのたびに「お前のためを思って」と父親がぶっ壊した。

結果、何が起こったか

兄はゲームをしなくなり、何もしなくなったのだ。

父親の前では「反省しました」と言っているものの、ぼんやりしていることが増えていったのだ。

父親にあれをしろ、これをしろと言われたらするものの、どこか中身のない感じで動いていたように思う。

そして父親の言われるままに医師になることを強く言われ、三浪してやっと私立医学部に入った。

なぜそんな父親の言いなりなんだ、と聞いたら、「別におれ、もうやりたいことねえもん」とぽつんと言っていたのを覚えている。

そうして大学生になった兄は、今までおとなしかったのが嘘のように凶暴になった。

怒鳴り散らし、ものを壊し、それでも父親の前では押し黙っている。

何にそんなにいらついているのかはわからないが、母親がその八つ当たり対象になった。

そもそも私立医学部に行かせるような家庭ではなかったのに、父親がどうしてもときかなかった。

案の定金策につまり、親戚中に借金をしてなんとか卒業にまでもっていくありさま。

絶対卒業しろいくらかけてると思ってるんだ」

そう言われた通りに、兄はなんとか卒業して医師になった。

医師になったとたん、兄は家族とはきっぱり縁をきった。

連絡先も住まいも教えず、家を出て数年。

いきなり警察署から電話がかかってきた。

おたくの息子さんが警察留置場にいる」

何をしたかといえば、車がびゅんびゅん通る車道自分の車をとめて、何か叫び散らしながらコンビニに行き、公衆電話(当時は設置されていた)で110番したのだそうだ。

「命を狙われている」

完全に統合失調症の症状だった。

警察官がかけつけた時、兄は電源のきれた携帯に向かって必死に何かをしゃべっていたそうだ。

そうして留置場でも「殺される!」と叫び散らし、強制入院となった。

この時、初めて家族は、兄の数年の有様を知ることができたのである

数百万の借金をして、ほうぼうから督促の電話がかかり、仕事にはろくにいかず、家はごみため状態

そもそも実家にいる時から家事掃除などは一切できなかったが、一人暮らししてもしなかったらしい。

玄関カップラーメンの汁が飛び散り、土足で入らなければならないほどの床のよごれよう。

家賃滞納。

入院後、見舞いの時は両親に対して「少し調子が悪かったんだ。病院入院するほどじゃない」などと気丈に言っていた。

兄は母親には八つ当たりするが、父親には決して逆らわなかった。

「早く退院してがんばれ」という父親に、兄は「うん」とうなずいただけだった。

そうして退院した兄は、自己破産をして一から医師をやり直した。

薬のせいで数十キロふえた兄は大学生のころの面影はなく、老けて五十代のようにも見えた。

そうしてまた兄は失踪した。

それが数年前。

そうして今年。

「俺、障害者施設に入ることにしたよ」と電話がかかってきたのだ。

躁鬱病の薬を飲みながらつとめていた病院は辞め、今は働いておらず家にじっとしているのだという。

「どうして」と母親は言った。「大事に守り育ててきたはずなのに」そう言って泣き崩れた。

彼女には虐待感覚はなかったんだろう。父親行為はしつけなのだと思っていたんだろう。

でも今ならわかる。あれは虐待だったのだ。

死ぬ寸前とかあざだらけとか、そういうもの保護され表沙汰になりやすいが、たとえば私の家のように、数ヶ月に1〜2回だったらどうだろうか?

虐待は恒常的に行われるものと、間欠的に行われるものがあることを知ってほしい。

そして間欠的に行われるもの死ぬこともなく保護されることもなく、深い傷をもって子供は成長し大人になるのだ。

ゲームをぶっ壊しただけでは精神に支障をきたすことはないかもしれない。

が、子供の大切に思ってるものをぶっ壊す、ような行為をするその家庭の教育の「方針」は、あらゆるところで子供の心を深く傷つけているんではないだろうか。

そうしてその心の傷は、数十年後、兄のように四十代に近くなってからあらわれることもあるのだ。

子供の頃、優しく活発で明るかった兄のことを思い出して泣いている。泣きながらこの日記を書いている。

言葉が溢れて止まらないという表現があるが、こんなに絶望失望し悲しい時に出るものなのだと初めて知った。

できることなら産まれ直したいが、そうもできない。

子供もつ親が、子供大事にしているものをぶっ壊すような教育方針でありませんように、世界のすべての親が、そうでありますように。

そう祈ることしかできない。

もし今、あなた子供を持つ親で、ゲーム機をぶっ壊すようなことをしていたら、この日記を読んで考えて欲しい。

あなた行為は、数十年後に結果として現れる。必ず。

障害者施設に入ったと聞いた父親の顔を見せてあげたい。

2021-03-19

anond:20210318182634

そうは言っても法律で決まってるんじゃないの。

俺は貧しい家庭で余裕で授業料免除が通る要件を満たしてるけど、ただ一つ「三浪以上」って事で免除が通らないよ。

大学文句いったら「法律で決められてるので」と言われた。

実際に見てみると、確かに法律で「三浪以上はダメ」と明文化されている。

なんでも、この法律ができる前(2年ぐらい前?)までは大学独自で色々決めていたそうだけど、最近はこの法律に一律で合わせるのが多いらしい。

これの何がヤバいかというと、授業料免除から見捨てられた層が生まれる事なんだよなー。

例えば俺は、大学に行きたかったけど金と学力がなかったから働いて金を貯めてから大学に行ってるわけだけど、この場合いくら家庭が貧しくても「三浪以上」だから満額払わないといけない。

文部科学省の回答によると、すごく少数の人しか困ってない事案なので改善されることはないらしい。ほんと悲しいね

2020-09-11

東大は理三の合格最低点が群を抜いて高くて、理系の才能がある受験生はみんな理三を受けるらしいけれど。

これって才能の大いなる無駄なんじゃないかと思った。

理系の才能が突出している人間はどう考えても理学部工学部に行った方がいいんじゃないの。

理学部工学部に行って、基礎研究宇宙開発ロボットAIなんかで活躍してくれた方が、せっかくの優秀な頭脳を役立てられる気がする。

日本で一番頭の良い学生がみんな医学部一直線でそれしか道がないって勿体ないと思った。

しか平成天皇の晋三バイパス手術は東大病院で行ったにも関わらず執刀医は順天堂天野篤教授で、

天野篤氏は日大医学部三浪したという、東大理三から見たら底辺底辺の経歴……日本トップ集団底辺に遅れを取るという情けなさ。

臨床医じゃなく研究者になるならいいのか…?と思ったが東大医学部ってノーベル賞受賞者を出してないんだね。

勿論ノーベル賞が全てとは言わないけれど、日本最高峰頭脳が集まるところと言われる割には実績ショボくない?

2020-08-15

夏の懺悔

終戦の日は、Y君の命日です。

高校時代同級生Y君とは、それほど親しくありませんでした。同級生とは言っても、三年間で同じクラスだったのは一年生の時だけでした。その後は、時折廊下などで会った時に軽く話をし、稀にメールをする程度の仲でした。

Y君は、予備校の友人と二人で海水浴場に行って事故に遭ったそうです。酷く天気の悪い日で、彼らの他に誰も泳いでいなかったと伝え聴いています。それ以上Y君の死の理由は誰も話しません。みな察しがついているからです。

しかし、僕は彼の死の理由と向き合う必要があります。悼むだけでは足りないほどの仕打ちを、僕は彼にしてきました。

Y君と最初に話したのは、高校入学初日です。僕らの高校は、マンモス私立高校で、大概は公立高校受験に失敗した人間が行く学校でした。お世辞にも賢い学校とは言えません。それでも、それなりの生徒を集めて、特進クラスが二クラス編成されます。僕らのクラスはその一つでした。

入学からしばらくは、みな口々にどこの高校に落ちてこの学校に来たのかを話していました。例によってY君も学区一番の難関公立高校に落ちたそうです。最も、僕らの高校の進学クラスの大半は、その高校か、県下トップ公立高校を落ちてきた人間でした。

はじめは出席番号の近い者同士で輪になるものです。彼と僕の出席番号は二番違いでした。ゴールデンウィークに入る頃には友情の再編成が済み、僕らは別々の交友グループに加わって行きました。

から見ていて、グループの中のY君の地位は極めて低かったと記憶しています。彼らのグループはみなテニス部でした。Y君はいつもいじられる役回りを演じていました。自分から話を切り出しても「調子乗るなよ」という言葉を掛けられている様子をよく見かけました。

入学式が終わってすぐに、実力試験を受けさせられます。Y君の試験結果がどうであったか僕は知りません。少なくとも、僕より上ではなかったことは確かです。学年トップ十人は公表され、僕は四位でした。

第一志望でこの高校に進んだ僕は、周囲から奇異の目で見られていました。ただ一人、Y君だけは、周囲と少し違う反応をしていたのでよく覚えています。Y君の同じ中学校で、学区トップ合格間違いなしと言われて落ちた二人を、僕は下しました。そのことをY君は自分のことのように喜んでいました。

「四位なのに、第一志望でこの学校にきたんだね。」

「こういう人も来るくらいの高校なんだから俺も勉強しよう」

その時の僕にはまだ、そんな理由勉強をはじめようと思う理由理解できませんでした。彼にとって高校はどのような意味をもった場なのかと怪訝に思いました。今になって思えば、不本意入学した学校について、明るく思える理由を見つけられた日だったのでしょう。

とは言っても、その後Y君が試験ライバルとなることはありませんでした。二年生からは、進学クラス文系理系とで別れてしまい、一緒になることはありませんでした。英語の授業だけは進学クラスクラス合同で、レベルごとの三グループに別れて開かれていたが、ついに一緒になることはありませんでした。二年間、Y君は成績下位クラスから上がって来ませんでした。

交友グループが完全に別れてからも、僕はたまにY君と話す機会がありました。というのも通学に使う電車の駅が同じだったのです。そうかと言って一緒に通う約束をするような仲でもありませんでした。遭えば多少話をするといった具合でした。Y君はよく話しかけてきましたが、僕から何か話しかけたという記憶はあまりありません。

彼の家はごく近所でしたが彼の家に遊びに行ったことはありません。詳細な場所も知らず、団地の名前で知っているだけでした。僕は中学卒業後にこの街引っ越してきたので、同じ中学校出身というわけでもありません。彼が普段通学路にしていた道が、僕の部屋の窓から見えますしかし、駅との直線距離上に住んでいる人と思っているだけでした。

Y君はテニス部に入部していました。中学から続けていたと聴いていますしかし、同じクラステニス部から伝え聞くかぎり、部の中での実力ははじめから下位だったそうです。Y君は小柄で、先も細く、よく中学生のようだとからかわれていました。

Y君と同じグループテニス部員は、高校二年にあがるまでに部活を辞めてしまいました。部員の層は厚くないものの、後輩にも実力で追い抜かれ、Y君は引退まで団体戦メンバーに入ることはなかったそうです。

とき一年生の頃にY君と同じ班だったM君は強豪のサッカー部員でした。髪を染めピアスをしていたM君は、Y君に対していつも高圧的な態度をとり、掃除当番を押し付けて、誰よりも早く部活練習に行き、後にレギュラーの座を得ていました。少なくともY君はそのような気概を持ち合わせてはいないように見えました。

僕らの通った高校には、進学クラスを中心とした三泊四日の受験勉強合宿がありました。合宿中は山のように課題を出されました。ホテルに着いて早々、会議室に籠ってひたすらに特別授業を聴かされました。それが終われば翌日までに解いてこいとプリントを大量に渡されました。まともに取り組んで解き切れる量ではなく、教師もその事を知った上で出していた節がありました。それでも僕らは、教師の鼻を明かしてやろうと思って夜を徹して問題を解いていました。

Y君は、ちょっと問題を解いては周りに話しかけていました。「どこまで進んだ?」「この問題どう解くの?」と。そして周囲が邪魔そうな顔をすると自虐的に謝った後、「よし、俺も集中する」と宣言して問題に取り組み、三十分と保たずに振り出しに戻るのでした。

高校二年の頃、しばしば僕はY君のクラスでごく親しい友人と受験勉強ノウハウや、進行状況について情報交換をしていました。そこに、部活休みになってY君が加わったことが何度かあります

Y君が、自分勉強について詳細を語ったことはありませんでした。自分より成績の良い人間発言には同意をし、自分と「同等程度以下」と思っている人間発言にはあまり信用していないような素振りをしていました。しかし、前者が後者発言賛同すると、途端に賛同し出す、風見鶏な態度で話に加わっていました。

僕らはみな自分に合わせて勉強スタイルを組み立てていました。Y君には、そのような節はなく、彼の尊敬する誰かの勉強の仕方を真似しているだけでした。正確には、真似している「つもり」なだけでした。

僕がセンター試験模試で九割をマークした時、Y君が英語勉強内容について尋ねてきました。その頃僕は学校で配られた基礎的な問題集で文法問題毎日大量にこなしていました。ケアレスミスを減らしつつ長文問題に十分な時間を確保するためでした。自宅学習英語の長文に充てられるよう、学校での細切れの時間文法勉強していた方が都合よかったのです。

そのような事情は告げず、学校で配られた問題集を解いているとだけ告げると、Y君は基礎的な問題集にずっと取り組んでいました。かなり後になってから知ったことですが、Y君は毎度の模試では長文問題で大量失点を繰り返していました。長文を読む訓練からはじめるべきだったのに、同じ文法問題集に何周も取り組み続けていたのです。その後も彼は模試の度に取り組んでいる問題集を尋ねに来ましたが、僕は同じ問題集だと答え続けていました。

時を同じくして学年上位の人間が「単語力が足りない。」と言ってハイレベル英単語帳に噛りつくと、Y君はそれを無条件に肯定し、同じ単語帳に取り組み出しました。

学年上位の彼女場合、元から基礎的な語彙力・単語力がしっかりあり、それに支えられて文法問題を解きこなし、身に付けた語彙・文法で長文を読み解き、総合的な英語力を身に着けた後に、日々取り組む実践問題の中で単語力の不足を感じていたのでした。Y君は、そのような事情を知る由もありません。

すべての教科の勉強がこのような具合で、Y君の受験勉強は日々、一貫しないものになっていきました。誰かが「基礎をしっかりしないといけない」と言えば同意をし、しばらく基礎的な勉強を繰り返し、また誰かが「基礎ばかりで実践レベル問題が解けない」と言えば、応用問題を解き始めました。Y君は、自分の実力を冷静にみて勉強する習慣がなかったのです。

試験が終わっても模試が終わっても、Y君はいつも「次で挽回する」とだけ言って答案用紙を二つ折りにして閉まってしまい、自分が何を間違えたのか何が不足しているのか反省をしているようには見えませんでした。僕らは答案を見せ合い、点数をひけらかし合い、同時に何を間違えたのかも見られ、ときには馬鹿にされ、それを恥じ、次には同じ過ちをしまいと心に誓ったのです。そして口々、「次の試験では負けない」と言い合うのでした。

Y君は、ただひたすらに成績上位の級友に勉強方法勉強内容を尋ね、それを真似してみるだけでした。あるいは、それで成績の落ちた級友に反省点を尋ねてみるだけでした。自分の頭を使って、自分必要勉強をして成績を上げようという姿勢が見られませんでした。

高校二年の秋頃から、学年トップ十人の常連の内で、制服に細工をするのが流行りました。理科実験から拝借してきた薬品で五円玉や五十円玉を磨き上げ、ブレザーの左胸にある校章の裏に挟むのです。すると鳥をあしらった校章が後光の差したように見えます。上位三人が五円玉を、残り七人が五十円玉をはさみ模試のたびに奪い合うのです。

事情を知らぬ者が見れば、何のこともない遊びです。どんなにかよく言っても「お洒落」程度のことです。何も知らないでY君がそれを真似して校章に五円玉を挟んでいたのを、僕らは影でクスクスと笑いました。自分の手で掴む喜びを知らないで、努力する苦しみを知らないで、努力した者の成果にだけ憧れるY君の態度を、僕らは気づき、そして内心侮蔑眼差しで見ていました。鈍い色の五円玉が、それを象徴しているように思えたのです。

勉強をしたかテストの結果が伴うのだという自信が、僕らの中にありました。また、勉強していないから全国模試で他校の人間に負けるのだと悔しがっていました。進学クラスの同志とともに学内順位一喜一憂するのは全国模試で泣くほど悔しい思いをした腹癒せであり、本懐はみな志望校への合格でした。

正直に言えば、僕は心底彼を見下していました。大した進学校でもない私立高校の成績上位だけを見て、「◯◯君、勉強できるもんね」と言えてしまうY君の姿勢を、僕は内心唾棄すべき存在だと思うようになっていました。

僕は、努力方向性を間違える人間愚か者だと思っていました。そして努力すらしようとしない人間軽蔑していました。他の何もかも投げ打って練習に取り組むわけでもなく実りのない部活動にただ漫然と時間を費やすY君の姿勢は、まさに軽蔑対象でした。「三年の夏に部活引退したら、本格的に受験勉強をする」というY君の弁に至っては、この時点でもう勝負はついていると僕は思いましたが、哀れな奴だと思うことにして黙っていました。

当時進学クラスの上位面々にしても、実際には大した学力は持ち合わせていませんでした。勉強すればするほど募る不安を振り払うべく、ビックマウスで自分鼓舞させ、歯を食いしばって受験勉強に打ち込んでいたのです。

みな手の内を知っているから言い合えた言葉がありました。「普通クラスの連中が努力して行くような大学から日東駒専は滑り止め」「明青立法中はセンター利用入試で一学部学部抑えて、あとは試験慣れ」「本命早慶国公立大学

Y君が目指したのも、早慶文系学部でした。折りに触れ志望学部を聞いた時に「受かったらいいなぁ」という言い方をしていたので、どこまで本気で受験していたのか分かりません。また彼が将来どういう職業に就きたくてその大学を目指したのかも知りません。いずれにしても、当時のY君の実力からすれば、合格絶望的なので記念受験だったと思います

日本で双璧をためす有名私立大学どころか、当時のY君は本気で日東駒専第一志望にして対策を組んで然るべき成績でした。それにも関わらず、十分な対策をしていなかったのでしょう。そのレベル大学を「滑り止め」として受験し、行き場がなく浪人が決まりました。

先にテニス部を辞めたある級友は、有名私立大学合格しました。Y君から学業面で「同等程度以下」と思われていましたが、彼は初めからY君より成績は良く、そして努力甲斐あって志望校合格しました。Y君が、センター利用試験で抑えるつもりだったレベル大学です。

高校卒業式で、Y君は自宅浪人をするつもりだと話していました。図書館勉強している方が集中できるからだと本人は話していました。それを聴いて、受験勉強のやり方を根本から間違えているのだから予備校に通わなければY君は同じ失敗するだろうと、僕は思っていました。

僕も浪人が決まっており、同じ境遇の友人らと、どこの予備校に行くか、予備校が始まるまでどう過ごすか情報交換をしていました。しかし、僕は、彼と同じ予備校に通うのは自分精神衛生に悪いと思い、誘いませんでした。

僕は気心が知れた戦友二人と予備校生活を送りました。定期的に他の予備校に通っている元同級生とも食事に繰り出し、情報交換とリフレッシュをしていました。時には勉強会を開き、時には悪い遊びに繰り出し、予備校生活を満喫しました。僕はY君に対して意図的に声をかけませんでした。

Y君が亡くなった後、彼がどのような浪人生活一年目を送ったのか、聴いて回っても誰も知りませんでした。分かっているのは結果だけです。一年後の再戦にY君は敗れました。彼が受かったのは、日東駒専文系学部一つでした。浪人してそんな大学行けないと、二浪することを決めたそうです。Y君と伴に最後までテニス部にいた普通クラス出身者が、予備校生活の後に地元国立大学教育学部合格したのも少なからず影響があったと思います

Y君の二浪目については、僅かながらに噂が流れていました。僕らが通った予備校とは別の大手予備校に通ったと聴いています。そしてそれはY君の両親の望みだったという話です。しかしそれ以上のことは誰も知りませんでした。

Y君は、限りなく記念受験に近いであろう第一志望の早稲田大学に落ちました。それでも、今度は明青立法レベル大学に手応えを感じていたそうです。高校時代担任教師の元には、今度は大丈夫そうだとメールが来たそうです。滑り止めに受けた日東駒専合格は決まっていました。

しかし受かった手応えを感じていた青山学院大学は、不合格だったそうです。その結果が判明した時、既に日東駒専手続き期日は過ぎていたそうです。二浪して予備校に通い、親に負担を掛けたくない気持ちが働いたのでしょう、Y君は日東駒専入学一時金を払わなかったそうです。

かくしてY君は三浪目が決まりました。その頃のことは、Y君の級友何人かが打ち明けられていました。「一浪二浪までは変換できるけど、三浪って、ケータイ変換できないんだね」Y君からある友人に宛てられた最後メールには、そう書かれていたそうです。

苦しさは後に喜びがあると知っているから耐えられるものです。喜びのために経験する苦しさと、苦しさの後にある喜びとは、価値が全く異なります。失敗の先に成功を掴んだ人間けが成功評価できますしか成功を掴めない人間には、そのような言葉は無力です。苦しさの中でも特に失敗は辛く、とても重ねていられるものではありません。

三浪目の夏、Y君は、予備校の友人と二人で海に行き、事故に遭ったことになっています。酷く天気の悪い日で、盆過ぎの海水浴場には彼らの他に誰もいなかったと伝え聴いています

同行したのが同じ予備校の友人であるのかは分かりません。しかしその新聞を調べてみると、天気予報では、県内は午前曇、午後から雨となっていました。海水浴に出かける天気ではありません。実際の天気を調べてみても、前日から曇り、実際に曇のち雨だったようです。

二人は遊泳禁止柵を超えて、外へ外へと泳いでいったそうです。友人はしばらくして怖くなり引き返し、Y君のことを警察通報したそうです。海上保安庁警察が捜索したものの、Y君が発見されたのはそれから二日後のことでした。

沖に流されて生還した人の体験談を、折りに触れ読んでみました。だんだんと手足の感覚が無くなって行き、全身が重く感じられ、乾きと苦しさと絶望のあまりに、自ら沈もうとしても身体は死を受け入れず、数時間に渡って浮かんでいると言います。その間、Y君は何を思ったのでしょう。

暗く塩辛海の底に引きずり込まれるまでの数時間、海に来たことを後悔するのでしょうか。自らの力の無さを恨むのでしょうか。早くから勉強しなかったことを悔やむのでしょうか。時代を恨むのでしょうか。日本社会を恨むのでしょうか。

人生の遠回りを許さな日本空気に、Y君は命を奪われました、一体誰が仇をとってくれるのでしょうか――僕はそう思うことで、Y君の死は、自分責任ではないと思い込もうとして来ました。そんな綺麗事では済みません。彼を死に追いやったのは僕らです。

彼の学業上の相談に乗らなかったのは、彼が気楽に、好きなことをしていたことに対する妬みです。彼が、僕の思う独善的な「努力」をしないことについて、快く思っていなかったからです。「努力」などと呼んでいいものではありません。自分の味わった苦しみを人も味わえばいいという意識は、酷い嫉妬心に過ぎません。

彼が学業面で悪循環に陥っていると知りながら、僕ら「成績上位者」を誤解していることと知りながら、僕らが手の内を明かさなかったのは不当な仕打ちです。Y君は、級友の受験勉強という、励まされる理由にも自信を持つ理由にもならないものを盲信していました。そして、僕らはそのことの具合の悪さに気づいていながら放置し、影で嘲笑っていました。僕らはY君の話を聞ける関係にあったのに、聞かずに見殺しにしました。

こうまで酷い仕打ちをして、どうして彼の死を受け止めて来られなかったのでしょう。

今なお、僕は「僕ら」でないと責任を背負えない弱い人間です。そんな僕にも毎年夏は訪れますしかし、今に自分一人、罪の念を免れたいがために記憶を上塗りし、忘れ去ってしまうことでしょう。あるいは、もうそれは始まっているのかも知れません。

実家にある、かつての僕の部屋からは、一車線しかない県道が望めます。Y君が三年間、高校に通うために歩いた道です。なんの変哲もなく、田んぼと林に囲まれ田舎風景です。僕が彼から奪ってしまったものの一つです。

今はまだ、入道雲青空に彩られたこ風景に罪の意識を覚えます

2020-07-01

anond:20200701233718

差別って構造問題から差別があるのなら統計なりに数値として現れるよね

あるいは会社制度として明示的に規定されていたりもする。パンプスの件も女性にだけパンプス着用の規定があると話題になった

女性だけやたら管理職が少ないとか、子供がいる女性だけ出世率が突出して低いとか、なぜか女性(と三浪以上の男性)だけやたらと医学部に落ちるとか

あなたがなにか辛い目にあっているのはわかったけれど、それが男性という属性によってもたらされた構造的なものであれば差別だし、そうでないならあなた個人問題だと思う

これは女性も同じで、仮に出世していない女性がいたとして、その会社で成果を出しているのになぜか出世しない、女性管理職全然いない、入社したときは男女だいたい同じ能力学歴採用しているのに。。。であれば構造的な差別だし、一方で、他の女性普通に出世していて、その人個人が単に無能であるために出世できないなら、それは差別でなくそ女性個人問題だと思うよ

僕も逆に、あなたのなにか辛い状態が、自分個人問題ではなく、男性という属性差別によって生じた構造的なものだと確信している理由が知りたい

場所がどこなのかわからないが、仮に職場でのことだったとして、職場男性ほぼ全員が何かしら辛い状況に置かれていて、一方で女性はそんな状況にない、であればそれは男性に対する差別なのではなかろうか。

一方で、あなた個人や少数の男性だけ辛い目にあっているが、他の男性はそんなことない、であれば、少なくとも男性という属性差別されているわけではないよね。論理的に。

2020-02-13

anond:20200213223511

そら三浪以上がレアから一か所にとどまって眺めているだけでは合格者を見るのはレアケースだろうよ

2020-01-19

「姉は大して苦もなく医者になった。」

姉は昔から「お勉強」はできるけれど、世間知とか常識かにはあまり聡くない、いわゆる天然なお嬢さんだった。

小学生くらいの頃から医者になる」と公言していて、周囲もそれが当然と考えていた。頭がいいのもあったし、なにより勉強に関しては誰より律儀だった。

不真面目な学生だった俺はなんであそこまで毎日真面目に机に向かえるのだろう、と不思議だった。


彼女県内でも一番といわれる高校(もともと男子校で、姉の入るタイミングくらいに共学化された)に進み、そこでもしゃかりき勉強に励んだ。

成績も「医学部には普通に入れる」くらいをキープしていたらしい。

俺も親も姉も普通に現役合格するものと思っていた。

だが、落ちた。

姉は本気で悔しがっていた。

俺は「やはりお医者さんになるのは大変なんだな」くらいにしか思わなかった。

姉は浪人し、上京して予備校通いを始めた。

そして翌年に私立医大合格した。

そうしてつつがなく医学部卒業し、今では立派に医師として働いている。


から見たらさして波乱のない人生だ。

世間の人もそう言うに違いない。頭の良い子ども勉強をして医学部合格医者になる。なんのひっかかりもない。

でも、例の一連の入学試験性差別報道に触れ、その考えが間違っていたと知った。

姉は下手したら人生を潰されていたのだ。

十分な能力があるにも関わらず、夢を諦めることを強いられてかもしれないのだ。

高校時代の姉は(少なくとも俺からしたら)勉強ができた。ものすごくできた。でも「ものすごくできる」では足りなかった。

おそらく、姉と同等に成績が良かった同級生男子たちは普通に現役で医学部に受かっていたことだろう。

でも姉は「ものすごくできる」以上を要求された。

そして、それに応えた。


姉は昔から俺のことをよく褒めてくれた。

彼女にはないアート方面の才能(もちろんさして大したものではない)を持っていた俺を「すごいね」と何度も讃えてくれた。姉としての欲目もあったかもしれないが、そういうことを素直に言うタイプでもあった。

一方で俺は姉をどこかで見下していた。姉ほど勉強ができなかったというコンプレックスが一番大きかったかもしれない。同じ中学に姉と入れ替わりで入学した年に、かつて姉を受け持っていた教師から「おまえはお姉さんほど頭良くないんだな」と蔑まれたのが不快記憶として残っている。

そういう比較を拭いたくて、生活人としての姉のおっちょこちょいぶりやおっとりした性格家族内のジョークとしてよくイジっていた。両親も「お姉ちゃんはそういう子だからねえ」と俺のイジりに乗っていた。母は「本当の意味で賢いのは○○(俺)くんのような子なの」とよく俺を贔屓にした。

からすれば俺は親の寵愛をいいことに暴君のように振る舞うわがままなクソガキ、という印象だったかもしれない。

でも、仮にそう考えていたとしても、それを口に出すようなことは絶対になかった。いつでもやさしかった。

俺の制作物を「すごいね」と褒めて、友だちにまで自慢していた。うちの弟はすごいんだよ。


今ならわかる。

本当にすごいのは姉のほうだった。

俺が現在所属している業界にも性差があることは否定できない。自分が男であることが陰に陽に有利に働いていたんだな、という場面は思い出すだにいくつかある。

自分業界で生き延びるのは大変だという自負があり、それに比べると医者は安泰でよろしゅうございますね、というようないじけがどこかにあった。

姉にとっては安泰でもなんでもなかった。俺よりよっぽど激しい戦場で戦い抜いてきたのだ。

あの一浪二浪になり、二浪三浪になったら、姉の人生はどうなっていただろう。

姉が医学部合格したとき母親が親戚だか誰だかに先生はもう一浪したら絶対(当初の姉の志望だった)国立もいける、っていうんだけど、本人が絶対受かったところに入学したいっていうから……浪人がよほどイヤだったんだろうね」と漏らしていたのを思い出す。

姉は知っていたのだ。

どの程度までかはわからないが、医学部入試からくりを知りながら、それでもなお試験に挑んでいた。


俺には無理だ。


謝りたくなった。

知らなくてごめんなさい。

からなくてごめんなさい。

でも、姉にしてみたら謝られたところで意味不明だろう。

他人からしたらそれでも全部話して謝ればいいだろ、と思うかもしれないが、

俺と姉はそういう「真剣人生の話」を語り合ったことは一度もない。

姉弟仲は悪くなくて、むしろ良いほうだと思うのだけど……わかるかな、とにかく「そういう話」はしない間柄だ。

から、できない。


から増田に吐き出すことにしたのです。

2019-11-27

東京藝術大学志望の中学三年です。

現在私は、進路として東京藝術大学を志望しています

さて、極論的な表現で恐れ入りますが、こちらで質問したいことの結論を書かせていただきますと、

高校進学することなく、中卒後即座に大手美大予備校の昼間部に所属し、3年間誰よりもデッサンと色彩構成と立体制作に明け暮れ、現役で東京藝術大学デザイン科に合格する」

という事をキャリアパスとして考えています

この進路の舵取りは一般的に考えて極論中の極論だとは思いますが、この事の是非を質問として問いたいです。いかがでしょうか。


長くなりますが、このように考えることになった経緯をお話しますので、お時間ありましら是非一読いただき助言いただけましたら幸いです。

私には将来的に絶対入りたいと考えている会社があります

それは、天下のゲームメーカー任天堂」です。

任天堂デザイナーとして就職することが私の目標です。

この目標を確実に達成するためにどうすればいいのかを考えますと、やはりデザイナーの最高の教育機関たる東京藝術大学デザイン科に入り、数多くの作品を作り最高のポートフォリオを仕上げた上で卒業し、新卒デザイナー入社試験を受けるのが最良との思いに至りました。

東京藝大は気が狂ったレベルの難関です。それは充分に理解しています

ですので、1%でも高い確率東京藝大デザイン科に入るためには1秒でも長い時間を実技対策に投じて腕を磨くことが重要と考えます。そのことを考慮した場合一般美大受験生と同じように高校通学に併せて美大予備校夜間部に通い対策をするというようなことでは、藝大デザイン合格45名の椅子を巡る戦いに現役で確実に勝てる確率は相当低いと言わざるを得ません。

藝大デザイン科現役合格というのは、はっきり言って狂気の沙汰です。であるからこちら側も狂気姿勢受験に臨む他ありません。一般的受験生と同じ姿勢で臨んだのでは勝てません。そこで考えた受験戦略が「中卒後即大手美大予備校昼間部通学」というストラテジーになります

この戦略には大きく二つの利点が存在します。

一つは、他の藝大志高校生に対し実技研鑽で圧倒的な差を付けられるということです。

大志望の高校生が予備校で使える実技学習時間は夜間の3時間のみ。週5日通うして一月の学習時間は3(h)×5(d)×4(w)で60時間に過ぎません。対して、昼間部は基本的には一日6時間ですが、朝の教室解放後最速でアトリエに入り制作を開始することで実質7時間制作できます。これを一月やりますと7(h)×5(d)×4(w)で140時間高校夜間部生に対し一月で約2.4倍の実技学習時間が実現し、現役生という枠の中であれば圧倒できます

二つ目の利点は、「昼間部に三年通うことは実質的三浪するのと同程度の力になる」という点です。藝大受験においては、当たり前ですが現役生以外に浪人生相手取って戦わなければなりません。私も予備校見学に行った際に目にしましたが、浪人生というのは化け物みたいな画力を持っています。そんな彼等とも刃を交えて戦う必要があるのであれば、彼等と同じ土俵に入って学ぶのが一番です。そのための昼間部通学でもあるわけです。いくら浪人生といえども、三年も浪人している人間はなかなかいません。ですので、ここで私が高卒年齢に達するまでの昼間部三年通いという戦略を実行することで、浪人生以上の経験と実力を18歳時点で積み込めると考えたわけです。

以上がこの戦略の利点となります。ここまでやれば高い確率で藝大デザイン科に現役合格できるのはないかというのが私の考えです。

何故私がここまで現役合格にこだわるかといえば、それは就活の際に一歳でも若いというアドバンテージを得たいがためです。

私が目指す企業任天堂です。任天堂ともなればゲームCGデザイナー椅子を巡って日本最高の戦いが繰り広げられるわけです。そこに上がってくるライバルは様々な意味デザイナー志望として最強の人間達であり、そんな中で勝ち抜いていくためには何か一点でも彼等に対し有利を取れるポイントを稼ぐ必要があります。それが年齢というわけです。藝大生は浪人生割合比較的高く、現役年齢であるだけで就活の際は彼等に対し有利を取れます。突出した才能を持っていないにもかかわらず、何が何でも任天堂に入りたい私としては、わずかでも有利になれるポイントをかき集めて戦いに挑むしかないということです。

「中卒後即美大予備校昼間部通学」という戦略を実行するにあたり、学科はどうするのかという声がありますが、学科に関しては独学で充分やっていける学力的自信を持っていますので問題ありません。中卒ということは大学進学時に高卒認定を受ける必要がありますが、試験問題を見たところそれも余裕で突破できるでしょう。


藝大に対する熱意のあまりつい長文になってしまって申し訳ないですが、ご助言いただけましたら幸いです。



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追記

もう夜も遅かったですし、この記事投稿してからすぐに寝たんですが、喉が渇いて水を飲みに今起きて何気なく増田を開き直したらこんなにも助言の声をいただけてて本当に嬉しいです…!!

明日も早いため、またすぐに寝るのですが、明日また時間ができたらまとまった時間に皆さまのご助言を読ませていただき可能であれば返信もさせていただきたいです。

本当にありがとうございます…!!

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◆再追記

ブコメにも沢山ご意見いただきありがとうございます

再び起きてしまいましたので、改めて寝る前にできるだけお返事を。

トラバとは違って、直接お返事をすることのできないブコメこちらで返信をしたいと思います

id:sangping 他人事から適当に言うけど「任天堂に入りたい」が真の目標なら、もっと直截「任天堂に」狂気をぶつけた方がいいんじゃない?まずは任天堂の人事や経営陣にアポを取って話を訊いてみるとか。犯罪にならない範囲で。

任天堂に直接狂気をぶつける」心に刺さりました。名言ですね。任天堂社員の方はSNS情報を漏らさない(Facebook上であっても自分任天堂社員であることを名乗らない)というのは聞きますが、もし任天堂社員の方と連絡が取れる機会がありましたらダメ元でダイレクトアタックしてみたいと思います。まだ何者にもなっていない有象無象坊主のために任天堂の方のお手を煩わせるのは恐縮ですが、聞けるだけのことは聞きたいなと。

id:i5s4y デザイナーです。デザイン技術テクノロジーでひっくり返されるので、そうならない基礎教養高校できちんと学んだ方が良いと思いますあなたが構想しているのは “現在の” 任天堂の入り方です。

デザイナーの方に意見を頂けて嬉しいです!数年前にGoogleAIにこの世の終末みたいな絵画を描かせたり、はたまたpixivでは綺麗な自動彩色サイト流行ったりと、デザインクリエイティブの分野でもひしひしとテクノロジーによる作画技術代替が起こっている波を確かに感じますね。高校で学べる範囲のことでテクノロジーに抗する、あるいは利用する教養を得られるとしたら数学英語でしょうか。それらは情報デザインの分野とも結び付きますし、一考させて頂きたいですね。また恥ずかしながら、私は浅学ゆえに "未来の" 任天堂の入り方は分かりません。ただ愚直に、"現在の" 任天堂の入り方に固執し我武者羅に頑張るしかないところは恥じ入るところです。ですが、今後成長していく中で "未来につながる" 構想が獲得できましたら、より合理的方針を転換して戦っていきたいです。

id:tsubo1 このブコメを書こうとして、書いては消し、書いては消しして10分経った。私はあなた若さが持つデタラメな焦りが羨ましいよ。あなたの書いていることは隅から隅まで全くの見当違いだが、その情熱はいいと思う。

ありがとうございます。不覚にも、ウルッときました。私のこの殴り書きのような粗削りの計画書に何かを感じ取っていただきブコメを書くのに多少なりともの時間を掛けていただいたということに対して、私の方も沁み入るものがありますブコメトラバ確認しますと、やはりこの計画が如何に無謀で見当違いかを思い知らされますが、情熱評価していただけた点に深く感謝します。

id:migurin 職種は違うがデザイナー歴約15年です。応援します。ただ、技術はいつかアドバンテージではなくなります自分自身を磨くことを忘れないこと。入社目的にせず、人を豊かにすることを目的にすることを勧めます

デザイナー歴15年という、ベテランの方にもご意見を頂けて嬉しいです!応援頂き誠にありがとうございます技術アドバンテージに限りがあり、それに抗するため自分磨きを続けるという事、ご指摘いただきありがとうございます。深層意識に刻み込みます。私も、任天堂に入れたら、そこで世界の人々の感情を豊かにするゲーム作りに携わりたいと願っております

id:MiG 技術を伸ばす「だけ」ならいいかも。でも遊びを作るのに遊び(も含めたいろいろ)の経験がないのは就職活動〜その後の職業人生で逆に不利になることが多いように思う。当方ゲーム会社勤務10年超デザイナーヨリ。

ゲーム会社勤務歴10年のデザイナーの方からもご意見を頂けて大変嬉しいです!美術受験ガリ勉になるのではなく、様々な遊びが必要であるということ、良く分かります。今の計画白紙に戻し高校へ行くというのはまだ抵抗がありますが、少なくとも確定している未来として藝大(あるいは万が一失敗したら武蔵美多摩美)に入ってからはうんと遊びたいですね。芸術に関することだけでなく、都内で、そして海外で、様々な遊びを経験し糧としたいと思います

id:manganzenseki 任天堂デザイナーになった知人が何名かいるけど、みんな私大しかファインアート出身。あと受験漬けの美術ガリ勉よりも教養あったりスポーツなどに秀でた人の方がするっと受かるよ。広く感性も磨くべし。

任天堂デザイナーになったという貴重な知人の方の例を紹介いただきありがとうございます私大武蔵美多摩美から任天堂への内定を出していることは存じ上げていましたが、しかしその採用率となると藝大有利だろうという思い込みがありました。しかし知人の方の全員が私大出身であるということで、必ずしも藝大に固執する必要が無いということを気付かされたのは大きいですね。いずれにせよ藝大の魔に魅入られた私は藝大を目指しますが、万が一受験に失敗した場合私大受験に切り替える柔軟さも持ちたいと思います教養に関しては、藝大同期にゼルダ青沼さんがいらしたトラバの方の投稿を読んで重要性を改めて認識しましたね。ありがとうございました!

id:kash06 桁外れに難しい目標であるから、極限まで自分を伸ばす方法を……その覚悟は凄まじい。今の増田には考えづらい事だが、そのルートに乗れなかった時の為の保険を考えられる人が、うまく助言できる事も加えて願う

藝大の倍率はかつては東大10倍以上にも及び、過酷すぎる競争になるのは火を見るより明らかでしたので、その対策の最善を考えていった結果の産物でしたね……。目指すルートに乗れなかった時の保険(藝大失敗→武蔵美多摩美 任天堂失敗→他の有力ゲームメーカー)は既に決めてあるので、あとは私に最終的に損切りする覚悟があるか……ということでしょうね。ありがとうございます


皆様、ご助言いただきありがとうございました!

いただいたトラバブコメは全て拝読してます。本当に参考になりました。

この記事投稿した時はチラホラとした反応がある程度を想像してたので、全てのトラバなりブコメにお返事できると思っていたのですが、予想外に反応いただけたため全てのトラバブコメに返信することは難しく、せっかく貴重な意見をいただいたのに申し訳ありません…!

改めて申し上げますが、いただいたコメントは全て拝読してますので、皆様のご回答全てが私にとって等しく参考になっています

これまでのご回答を基に、より建設的に進路の軌道修正等を図っていきたいと考えています

本当にありがとうございました

2019-11-21

anond:20191121203610

母子家庭医学部行きたかたか国立しかなくて高1から毎日9時間勉強してそれでも受からなくて三浪してまた落ちて諦めて夜のコンビニベトナム人バイトしながら人生意味について考えてる俺よりマシでしょ

2019-01-21

医学部女子差別医学生が考える

現役医大生が、2018年話題になった「私立医大 得点差別問題」を考えてみようと思います

東京医大、志望者めちゃくちゃ減ったらしいですね。むしろまだ志望者がいることに驚いてますけど。

まず医療界の男女差別について

私はまだ実習にあまり行っていないので断言は出来ませんが、まあ、そりゃ女が弱い世界ですよここは。

先輩の女医さんが「なんで医師免許頑張ってとったのに、女だから結婚たからって辞めさせられなきゃいけなかったんだろう。」って愚痴ってましたしね。

普通に講義中に教授女子差別発言しますしね。老害かよ。

女子の方が平均から言えば優秀だと思います。真面目にやってる人が多いから。でも私みたいに底辺ギリギリ低空飛行の女もいるよ。不真面目でも大丈夫から女子高校生がんばって医学部来てくれ、一緒に女子差別妖怪を倒していこう。

女子差別はまじでクソ。色々語りたいけど語ったら1日語っちゃうから黙るけど、本当にクソ。女だって人間からな?当たり前だけど。

下駄履いて医学部に受かった男、本当に無理。もう一回ちゃんと受け直してって思う。

でも「不正入試で受かったか男性医師には診てもらいたくない」という意見には反対する。

流石に医師国家試験まで女の点数下げられてることは無いと思うんだよ。(もし差別があるなら、もう海外医学部を再受験するわ。)

大学に入ったのは不正だったかも知れんが、そこから努力まで否定して「男性医師は嫌、ダメ」というのはまた違う。

大学に入ったとき学力と、医師国家試験にうかるための学力ジャンルが違うからな。

それを踏まえた上で「不正入試合格したこと反省したり申し訳ないと思っていない男性医師は嫌」と言うのは別に反対しない。それはそうですよね。

まあ、誰が不正で受かった医師なのかなんて分からないんですけど。

何が言いたいんかわからなくなってきたけど、

医学部点数操作はクソ。男女差別してたことが明らかになった私大医学部USMLE認定外されればいい。そして志望者が減ればいい。女の医者需要は間違いなくあるんだから、男も女も平等仕事させろ。頼むから

②かと言って男性医師はクソという短絡的な意見賛同できない。まあそれなりに国家試験のために頑張ったと思うよ、皆と同じように。大学に入るための成績と、大学での成績と、医師としての素養別にして考えるべきやで。

あと、浪人生差別されてましたけど、浪人生が点数減らされることは皆知ってたよね…?とは思いました。ちゃん公式資料に「我が医学部女子浪人生(三浪以上)の点数を下げます」とか書いておけばいいのに。そしたら皆受けないのに。

あとあと、高認から医学部うけてる人も差別されたという話を聞いたのですが、それは本当にクソオブクソですね。「きちんと高校行ってストレート大学に来る男子しか認めません!!」ってすごい認識ですね、すごいわ(棒読み)

2019-01-03

anond:20190103031755

正直、めちゃ無茶のめちゃに苦労して、寝る間も惜しんで勉強して二浪三浪して医者になりましたって人より

こういう人の方が知識的な信頼は置ける。

人間性はわからないけど…

2018-10-16

幸せへの競争

高三のころ、親友と深夜の公園で話していて

「俺、もう何が幸せなのか分かっちゃったし、世界で一番幸せな自信があるんだよねぇ」

「いや、俺のほうが幸せだと思うからお前は二番目だよ」

「は?じゃあどっちがより幸せになれるか競争だな」

僕は就活を控えた三年生。彼は受験の苦しさから自殺未遂をしてから三浪

あれから色々あったし、悩みも尽きないけど、どちらがより幸せになれるかの競争はまだまだ終わりそうにない

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