「三島由紀夫」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 三島由紀夫とは

2023-10-17

芥川龍之介三島由紀夫太宰治

みんな好きだな

自然といろいろ文章読んじゃったし

全員人生ピリオド自分で決めちゃった人たちだけど

自分もそうなるのかな

2023-10-11

10/10 宇宙からスタンカーメンを観る

今日バイトがなかった。

いつも通り昼過ぎに起きて、名も無き料理を作る。強いて言えば、オートミールお好み焼き(時々チヂミ)風かな。肉の代わりにたまごが敷いてある。オートミール(そのままだとまずい)は健康意識からではなく、母が送ってきたから仕方なく工夫を凝らして消費しているだけである最近野菜が高騰しているため買っておいた1玉100円のキャベツ野菜は補っている。しかしこの創作料理同居人のいない薄暗いワンルームで食べるとやけに美味しく感じる。

食べ終わって図書館へ向かう。三島由紀夫仮面の告白を読んだがハマらなかった。日が暮れてきたのでスーパーへ向かう。

帰宅後、豚肉小松菜炒めとカップ麺、途中小腹が空いたのでテキト茶碗蒸しを食べる。いつもの事だけれど上の階の住人の通話が聞こえたので苛立つ。知りたくもない他人生活自分プライベートに入り込んでくるのは本当に不快だ。気を紛らわすため、アマプラタイトルからいかにもB級臭がする宇宙から来たツタンカーメンを観る。


結論ちっとも面白くなかった。抑揚のないひたすらダラダラした物語の展開に何度も中断しかけたが、上の階の住人の愚痴口調の話し声が耳に入ってくるよりも随分とマシなので観続けた。あーやっと終わるか、と思っていたらラストの詰め込んだような急展開についつい笑ってしまう。だって邦訳タイトルがこのダメ映画の見所の種明かしをしてしまっているから笑(原題Time Walker)後でレビューを見たら、昔日曜洋画劇場で放映し話題になったらしい。いいなぁ〜私もリアルタイム世代だったら、次の日学校友達とこの映画シュールさで盛り上がっているかもしれない。そういえば、シャワーを浴びているシーンの女優さんに腕毛がしっかり生えていたことが、一番の驚いたかも笑。

2023-09-24

姐やは15で嫁に行き...といえば、三島由紀夫の『離宮の松』という短編を思い出した。

主人公は16歳の少女で、勤め先の料亭の主人の赤ん坊のお守りを頼まれる。面倒だなと思いつつも赤ん坊を背負って川沿いを散歩していたら、ふと見かけた魅力的な男性一目惚れする。勇気を出して男性に声をかけたものの、すぐそば男性の妻が一緒にいてショックを受ける。2人は新婚だった。話の流れで赤ん坊をその夫婦に抱かせると「将来こんな子供が欲しいなぁ」と言ったので、主人公はその夫婦赤ん坊を抱かせたままトイレに行ってくるふりをしてそのまま逃走し、仕事をバックれる。

三島由紀夫がどういう気持ちでこんな話を書いたのか分からない。

2023-08-28

結局弱者男性ってモテいか弱者なの?金がないか弱者なの?

太宰治みたいなファッション弱者になってきてね?

時代は繰り返すな。

次は三島由紀夫みたいなファッションマッチョだな。

2023-08-24

読書に勤しむ社内ニート

仕事暇すぎて、三島由紀夫春の雪2日で読み終わって、奔馬に取り掛かった それもあと少しで読み終わりそう

2023-07-27

https://anond.hatelabo.jp/20230725073224

俺、元自衛官やけど、

そんなん無かった気がするわ。

まあ中には田母神みたいな頭●いのも居るけど。

よくわからん講演したところで、

それで自衛官が影響を受けるか?

三島由紀夫ですら説得できなかったのに?

2023-06-04

楢山節考が絶賛されている理由

三島由紀夫は「不快な傑作」と評している。

信州山村で年老い母親を息子が山に棄てる話。

書評や梗概を読むだけでも、個人快楽幸福を追求することを最上価値とされる現代に対して、強烈な違和感を抱いてしまうが、人はどう生きるべきかという問いに対する答えのヒントがそこにありそうな気がする。

しかし、読むのは気が重い。

今の世の中もこの小説のような世の中にならなければならないのだろうか?

学歴と期待

学歴があるからといって必ずしも頭がいいとは限らない

三島由紀夫VS東大全共闘で分かる通り三島由紀夫は頭がいいとは言えないし

でも学歴があれば頭がいい可能性もあるしそういう人の期待を浴びることができる

学歴がなければ何か結果を持ってこなければそれを吟味する壇上にすら登れない

誰か有名な人間の息子や娘でもなければ難しいだろう

人の期待というのはそれだけ重いもの

2023-05-22

マリオ映画感想

はじめに

 マリオ映画を観た。

 まず私のプロフィールを明かしておく。

 大学院生社会学文学あいの子みたいな分野で、とくにジェンダーとかセクシュアリティとかそういう事を学んでいる。

 映画学部時代に少しかじった程度で、評価はB+だった。だから的外れなことも言うかもしれない。すみません

 匿名なのでもっと書くと、同性愛者で、SM実践者で、フィクトセクシュアルに片足つっこんでいるので、わりとどの界隈でも少しなじめない気持ちになりがち。

 

 「映画としてはちょっと……」というような意見が主にアカデミック評論の場で散見される。

 これは分からないでもない。ちなみにここでは個人攻撃みたいにするつもりはないので、引用特に必要でない限りはしない。

 「すげえ! マリオってこういう解釈ができるんだ!」みたいな「新しいもの」はなかった。しかし、「マリオ映画といえばこういうのが見たいよね」という「見たいもの」が詰め込まれており、「新しいもの」を入れる余地は90分にはないように思われる。

 メディアミックス映画としては一つの模範解答であり、文句なしの一級品といってもいいかもしれない。面白い映画といい映画は別だが、以下では「いい映画」(いい映画って何すか?)としての切り口を見てみたい。

試行する」快楽

 ゲームアニメとしたら、キャラクター解像度物語の運び方だけでなく、どのようにゲーム快感が写し取られているか重要ポイントに思う。

 マリオゲーム体験を思い返すと、快感は大きく二つに分けられる。

 「スーパーマリオブラザーズ」ならステージクリアタスク消化に似た快感

 「スーパーマリオ64」に連なる「箱庭マリオ」なら新しいマップを開いていく探索の快感

 マリオシリーズだけでなくゲーム快感はむしろこの二者に共通する「試行する」快楽が大きいのではないか

 私はといえば、ゲームが苦手だった。

 クリボーに激突する。穴に落ちる。ドッスンに潰される。空から落ちる。燃やされる。溺れる。

 我ながらヘタクソなプレイであるしかし、プレイを重ねると、一つ一つそれらを回避なり消化できる。そこにゲーム快感がある。

 翻って「映画マリオ」に戻る。キノコ王国に迷い込んだマリオは、ピーチ姫の旅についていくためにゲームばりのアスレチックに挑むわけだが、このプレイングも経験者ならば笑ってしまうほど失敗に満ちている。そしてその分だけマリオは「試行」を試すことになる。

 アスレチックだけでなく、ドンキーコング戦、クッパ戦と繰り返し作中で強調される「諦めの悪さ」が導くゲーム快楽とはこのような「試行」の快楽が適切だろう。

 文学研究者藤田直哉上記のようなことも含めて、「物足りなさ」を指摘している。

 https://twitter.com/naoya_fujita/status/1655397557198278662

 ここは鑑賞者のバックボーンも関わってくるのかもしれない。

 周回前提のゲーム「ドキド文芸部」「UnderTale」「シュタインズ・ゲート」の記憶が私にはすごく強くあるし、マリオシリーズから距離を取っていたので(ここまで多くの作品に触れたわけでもない)、試行錯誤性は面白く観た。

 また、勉強不足と笑われそうだが、3D映像2Dフィールド表現する映像も、私としては十分に真新しいものだった。

父と息子の物語としてのマリオ映画

 「反ポリコレ」とか、「ジェンダーから距離を取っている」いう話も聞く。

 しかし私はそうは思わない。LGBTと「マリオ作品群の関わりは以下のコラムに詳しいため、これ以上は言及しないが、さら男性性との関わりについて分析する。

 https://cinemandrake.com/pokemon-musashi-kojiro-lgbtq

 こちらも藤田直哉の評を引用する。私のマリオ映画への評価は彼とは異なるが、この評と私の見解は一致している。

 https://twitter.com/naoya_fujita/status/1656110486713434113

 クッパ名誉と所有、暴力原理においたキャラクターであり、婚姻幸せを直結させる家父長制を背負った男である

 ピーチ姫に対し無茶な論理婚姻を迫ったり、彼女の知人も含めた囚人婚姻犠牲として殺そうとしたり、人の論理の届かない人外らしさが映画における彼の輝かしい魅力でもあることは間違いないが、それは悪しき男性性の発露でもある。

 この「有害男性性」を退けることを軸にマリオ映画を見てみると、マリオは退けた先に何を得たのか。

 それは物語ラストが示すように、ピーチ姫ではない(ピーチ姫マリオとの恋愛成就がほのめかされてはいる。しかし、ほのめかされていることと明らかであることは違う)。

 

 マリオゲームにおいてプレイヤーの分身であり、あまり感情を発露しない。

 葛藤もあまり読み取れず、さらわれたピーチ姫を取り返すため、躊躇いなく絵画に入ったり火山に行ったり宇宙に行ったりしているように見える。

 しかマリオ映画においては、夢を追う自信のなさげな男として描かれる。

 イタリア系アメリカ人の家庭で育ち、家族仲はおそらく悪くないが、「父親に認められたことがない」ということが恐らく影を落としていて、自分のやりたいことと、父親に認められたいという二つの想いが両立できていない。

 そしてマリオ映画の終わりに藤田のいうところの「有害男性性」の発露であるクッパを倒し、父親から承認を得ることとなる。

 婚姻に大きな意味をおく家父長制の権化を倒した先に、父という家父長に認められるというメビウスの輪的な権力ねじれについて、私はまだうまく説明ができない。こういう嫌な書き方をすることで、妙な引っ掛かりを表明するしかできない。

感想、あるいは魔王へのラブレター

 倒されたクッパは小さく、管理されるものとして扱われる。

 その是非について何か言いたいわけではない。

 現実では家父長制や異性愛規範同性愛差別トランス差別人種差別が吹き荒れている。そのような不均衡な権力は改められるべきだし、悪しき男性性とは決別すべきである

 その是非についても何か言いたいわけではない。

 ここまでが建前。

 私はフィクションにおいてこういう権威的な男性が大好きだ。

 「家父長制の権化」と表現したけれど、理屈の通じない愛情を持て余す魔王クッパが大好きだ。

 本気で惹かれると言っていい。

 だが彼の愛は決してピーチ姫には届かない。正しくないから。

 そして彼は多くの部下に愛されながらも、彼の愛はどこにもたどり着かない。

 異形はある意味孤独である

 槇原敬之の「軒下のモンスターから「いっそ妖怪にでもなって 君を軒下からただ見ていたい」を引いてもいい。

 三島由紀夫の「仮面の告白から「お前は人間ではないのだ。お前は人交わりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に悲しい生き物だ」を引いてもいい。

 

 ピアノを弾きながら「ピーチピーチピチピチピーチ」とか歌ってる彼のカットでは劇場で笑い声が起きた。

 「悪しき男性性」の回路ではもう誰かと心を交わしあうことはない。ピーチが振り向くことはない。彼の歌うラブソング哀愁に満ちて、あるいは滑稽かもしれない。

 私も笑った。でもぶっちゃけ泣きそうにもなった。

 今ギリギリこの男を笑って愛でながら見られるくらいには私もマジョリティにいられてるんだろうけど、こういうジェンダークィア批評規範可視化させ内破する営みであって、次に生み出される新しい規範にいられなくなったら、次は私が笑われる番なのだ

 本当は、弱者クッパの方なのかもしれない。でも私は彼にあまり感情移入しているから歪んだ読みをしているのだろう。

 でも愛してる、魔王クッパ

 お前の横暴さも、報われなさも、情けなさも、関われなさも好きだぜ。ほんとに。

2023-05-20

anond:20230520091829

三島由紀夫「…自分性癖我慢して女の中に出してこっそりゲイやってりゃよかったやん」

2023-05-19

anond:20230518232558

そのデマの出処ははっきりしていて「いいだもも」だよ。左翼評論家。解剖医じゃねえよ。武智鉄二三島由紀夫・死とその歌舞伎観』45ページ参照。

2023-05-18

anond:20230518152056

こいつの小説『孤獨の人』は学習院の先輩三島由紀夫の推薦で売れたんだが、主役がゲイなんだよなあ。三島自殺後の解剖でケツから精液が出てきたり、新人作家を騙くらかしてアナルセックスしてたのを後に暴露されたり(福島次郎『三島由紀夫 剣と寒紅』)。ジャニーもなんらかのアレはなくても紹介ぐらいはされてたんだろうよ。

2023-05-11

anond:20230511144834

芥川は当時にあっては別格だと思うよ

芸術という体系を西洋化した

アート感情表現しかなかったところに思想芸術論を持ち込んだ

西洋では古代ローマから哲学の具現化としての芸術が行われていたけど、その西洋芸術日本で芽生えたのが芥川以降

芥川がいなくてもいつかはしただろうけど芥川がいたからその後の50年ぐらいの作家存在する

作品自体文学昇華しきれてない思想むき出しの安っぽい自己啓発本から時代背景を考慮しないなら三文作家ではある

それこそ現代ではなろうで作家気取りの芥川思想むき出し小説が埋もれている

でも芥川がいたから当時三島由紀夫作品をかけた

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん