はてなキーワード: 万民とは
予測不能なカオスの中からこそ新しいものは産まれると思っているからだ。
あと、誰かの計画の一部に自分が組み込まれているのが許せない。
昨今、スクレイピングの是非が問われているが、それもやはり嫌だね。
なんなら、子供の誕生日に喜ぶやろうなあ、と思って買ったものが計算通り喜ばれるとものすごく不快。
俺が思いつきもしなかった遊び方で楽しんでいるならいい。
喜ぶ理由が予想外ても許す。
だが俺ごときに予想される行動を取るのなら内心見捨てる。
電車が時刻通り運行する行為も許せないし、医療や法律が規定通りに遂行されるのも不愉快だ。
がアメリカで大ヒットしているらしい。
それでも見所は少なからずある。と言っても猛追してくるゴジラに機銃で挑む場面と高雄が砲撃する合計10分に満たない一部分ぐらいしかない。大体映画の構成シーケンスが上記二作からパクっても換骨奪胎できずまたこの展開かと見てて眠くなってくる。
結論から言うと、高雄が近接で誘爆しても爆風で主人公らの髪すら逆巻かない低予算ロークオリティ映画である。そのぐらい送風機で飛ばせよと述べるしかない。さらに夏の終戦期間によくありそうな戦争ドラマをプラスした糞脚本にしろ電車内でゴジラに襲撃された浜辺美波がSASUKE選手ばりの膂力でぶら下がりコンクリート並の硬度になる高さから海水に落下して無傷だったり、あらゆるところがお粗末で、敗戦した日本がさらに絶望のさらに底に叩き込まれるという話のコンセプトから感情が脱線しており作品の肝である緊張感の一抹すら感じられない仕上がりだった。
では何故天下のハリウッドでこんなチープな作品が大ウケしたのか?
・ハリウッドのポリコレ映画に飽いたアメリカ人には単純な怪獣パニック映画が刺さったから
・戦争にトラウマを持った主人公というランボー擬きの設定が刺さった
なるほどどちらも頷けそうな凡論であるが自分はどちらも否定したい。
そしてタイトルの主張に移るが、マイゴジがアメリカ人(主に白人)の心を掴んだ要因は、マイゴジが特段ストレス無く人間をスプラッターできる映像が見られるからというのが今回の主張である。
被爆国である日本原産の作品であると思われがちではあるが、ゴジラはどちらの意味でもアメリカが起源である。
ゴジラを監督した本多猪四郎は満州帰りの日本兵だった。226事件の反乱部隊にいた本田は東條率いる統制派が皇道派を賊徒の名目で一掃した後、クーデターに与した反乱部隊の兵卒を全て満州に飛ばして島送りにした。事実上の死刑宣告であった。それでも過酷な戦争経験を経て中国軍の捕虜となった本田は程なくして映画監督となった。
本田が従軍していたという証拠は初代ゴジラの描写として警察官が死体の足を踏んで拳銃を確保するなどの戦争経験がない人間以外には当時では発想できないであろうディティールから見受けられる。
初代ゴジラの根幹は反核反戦であると巷に言わているが、実態は上意下達を絶対する日本軍の将校に命に渋々従っただけで満州に飛ばされ死の淵に誘われた本田の憎悪を込めた日本人と国家への復讐作品であった。
本田を憎悪を具現化したゴジラが国会議事堂を粉砕し永田町を焼き払い日本人を火炎放射で再度炭にして、オキシジェンデストロイヤーとご都合な兵器でゴジラを白骨化させ目出度目出度とする便利なステーリングはゴジラの二面性を浮き上がらせる。
ゴジラは観客の破壊衝動の加害欲の受け皿であり同時に被害者的な意識を発露させて高邁な思想にもシフトできる全く便利な投影生物であった。
この事から本土決戦を叫んでいた日本帝国からあっさり属国に成り下がった戦中派日本人庶民は自らが英霊となった者たちを裏切った事への罪悪から焼き殺されるマゾヒズム的な自罰的快感と戦争遂行を断念した責を政治家政治中央に転嫁して他罰できる作品として本田の思想とは裏腹に国民感情を射抜かれ初代ゴジラは大ヒット作品となったのである。
このステーリングはシンゴジラでも受け継がれており、タカ派オタクの庵野秀明はゴジラを反日的な作品から東日本大震災の戦犯として民主党閣僚ら菅直人らをレーザービームで天誅を下し殺害し米軍と共同し巨大生物の如く進化を遂げた軍事大国中国のメタファーであるゴジラをオキシジェンデストロイヤー的なデウスマキナで倒す火葬戦記的な愛国作品にコンバートしてはたまたシンゴジラは大ヒットした。
シンゴジラのエンディングはゴジラの火炎放射で東京一帯を燃やし尽くすところまでであり無類の戦争オタクである庵野のタバ作戦でAH-64Dやら90式やらの兵器群で攻撃を仕掛けるが核武装国の中国メタファーであるゴジラには全く通用せず火炎放射(核攻撃)で東京を逆に更地にされるリアリティの庵野の脳内シミュレーションで前半は幕を閉じた。後は電車で特攻を仕掛けというあまりにも荒唐無稽な展開が続く。これはあくまでコンテンツである"作品"としての体面を保つためであろう。
このようにゴジラとは自罰と他罰の生物であり絶妙に使い分ける事で作品としての玄妙さが出る。
アメリカ人に大ウケしたのはアメリカ人として自罰の感情ラインが欠落し他罰のラインで感情を射抜かれ特にポリコレらの罪悪感情のハードルに足が掛からず日本人が虐殺されるスプラッターを安心して楽しむことができるからである。シンゴジラと違いマイゴジには米兵が死ぬシーンがないのも興行に影響したであろう。作中で浜辺美波が仮に黒人女だとしたらリベラルは悲しむだろうし共和党支持者は黒人女なぞ出すなと怒り狂うに違いない。こういった心理的ストレスはパブロフの犬の如く視聴者に影響し鑑賞への妨げとなるがマイゴジではストレスフリーだったに違いない。
アメリカのゴジラ作品では体面での反戦反核の要素が極端に低い。
ギャレゴジではビキニ環礁の水爆実験から生まれたアメリカの罪の生物ゴジラから自然発生した恐竜となって一応のモチーフが崩れていたし、その後の米ゴジラ作品では当たり前ように核攻撃がなされる。
自罰のラインを抜いたら単なるスプラッターポルノであり山崎がアメリカ人(白人)の特性を見抜いて逆算的に作品を製造していたらまさに白眉としか言いようがないであろう。
ポリコレとはあくまで白人黒人での適用内でありアメリカではアジア人、特に日系人は価値が低い人種として見なされていたとこの作品を通じて偶発的に警鐘されているとしか思えないのである。
過去のアメリカに起きた2021年アトランタ連続8人銃撃事件でも報道したのはCNNでもなく第一報を報道したのはFOXニュースだけであった。BLMの運動に見られるリベラルの激情は特にアジア人には注がれていないようである。
ウクライナに続いて台湾有事などのキナ臭い戦争ネタが続くが、果たしてアメリカはウクライナのごとく軍事支援できるか日本が攻撃されても防衛し貫徹できるか。してそれを貫けるのだろうかと合衆国憲法にもある万民皆平等は果たして存在するだろうかと頭を擡げざる負えない。
インターネットそのものに神秘が残っていた時代のコンテンツの終焉なんだろうな。
『赤い部屋』がもし今のネットにあっても小中学生をトイレに生かせられなくする力があるって感じるかい?感じないと思う。こういった分こそがまさにネットそのものが魔術的なパワーを帯びていない時代であることを示唆してる。
もうネットは不気味なオタク達の巣窟ではなくなっていて、アングラを気取ってる人間も単に公式や警察に怯えながらコロコロと居場所を変えてはギリセーフのラインを必死に探してるだけなんじゃないか。
今や完全にネットは万民のものとなりもはや誰もが使える当たり前の道具になった。車載電話やPHSの発達により無線が神秘性を失い、個人携帯の時代が到来したことによって完全にトドメを刺された流れと同じ。
その昔は「石を回路につなぐと遠くで会話ができる」という糸電話チョットスゴイ版みたいなものに対して魔術的な憧れを多くの人が持っていた。
でも今やそれは完全に失われている。
そこから今後は一周回ってあえて古いものを使うことに魔術的な神秘性が宿るようになるんだろうけど、そこまであと10年か四半世紀って所かな。
たとえばキャンプなんてのは昔は生活において野営という物が日常の一種として存在していたのが完全に過去のものとなり、あえて野営するということが魔術性を帯びるようになり、そこから更に一回り一般化が起きて今の状態がある。
インターネットは流石のドッグイヤーというか、既にその段階に突入しつつあって、VRでさえも一般人に対して開かれたコンテンツとなってる。
NFTや仮想通貨と言った投機コンテンツは一般人まで届いてないけど、これはむしろ「単なるババ抜きでしか無い」ということを普通の人間ほど見破りやすい(完全に理解したモードの人間が一番疎い)という構造の結果でしかないのだと思う。
これが今の社会が持つネット世界観なんだと思う。警察の目が届かない不思議な空間はネットよりも現実のほうがずっと広がっている。ネットでバズった違法動画はあっという間に通報(嫉妬か正義かは知らんけど)されてしまうけど、体育館裏や給湯室で密かに行われる悪徳は校内社内で多くの人がそれを知っていても、外の社会のルールによって介入されずに生き延びていく。
監視の目が届かないモラルスラムとしてのパワーはネットよりもリアルの方が上になった。逆転が起きた。新時代の神様がどこからか生まれるならそこはネットの海じゃない。リアルの何処かだ。たとえそれがサイバー空間だとしても、それはオープンソースではなく、スタンドアロン環境の研究室の中だろう。サイバー世界観の変貌によってネットは神秘ではなく魔術でもなく闇でも光でもない場所になった。
狭苦しいリアルの窮屈な暗室と比べれば、今のネットのほうが風通しが良く広々としているのだ。驚くほどに四方八方に陽の光が反射し、淀んでない風がそこかしから入り込んでくる。いまや薄暗い秘密基地は現実世界の方となった。相対的に。
だからもう今になって本気でlainを崇めていても仕方ないんだよ。それは大昔崇められていた今はもう力を失った神様なんだ。
祟りを恐れるでもなく、恵みを求めるでもなく、古き良き村の祭りとして扱うだけでいいんだ。祀るべき意味が「そういう習わしを賑やかしとして残したかった」じゃ駄目だって言うなら、どれほどの神社仏閣が地上から消えるんだろうね。
畏れ多い神様として扱う時代が終わったんだ。日常の一風景でしか無いカルチャーコンテンツの一つとして扱ってやれよ。
商店街の近くで祀られてる神様がやたらフットワーク軽くどうでもいいような近所のイベントに首を突っ込んでくるようなことってあるだろ?あのノリで扱われる時代になったんだ。神棚や神輿に載せたまま、そこから畏れを一粒だけ残してとっぱっらちまえばちょうどいいぐらいの塩梅になるだろうさ。
「Ruby」開発者・まつもとゆきひろが語る、「Winny」事件の理不尽な逮捕劇「プログラミングを奪われることほど残酷なことはない」
ざっくり読んだ
このさ、なんていうかさ
ねぇよ
あの界隈を知ってる人間は、みんな「とうとう捕まったか」みたいなもんだったよ
明らかに著作権を侵害してる場で、それをやり易くするツールを提供して
嘘つけよ
WinMXでの侵害行為を知ってなお、改善版をWinnyとして作った
当時すでにさして特異でも高度でもない技術について
匿名性に特化してツールつくりゃ、そりゃそうなるって末路が当時の日本の状況
あれ、例えばだけどさ
とかなら、法律的なアレコレはともかく、民として擁護する方向もなくはなかったけど
実際には
IT研究者の高木浩光は、金子本人が、自らファイル送信を一切行わなかったことを「本人の内心、どういうつもりでやっていたかということの傍証として効いてくる」と批判した。
高木はWinnyについて合法目的では使用困難なツールであると主張しており、善用も悪用もできる価値中立な道具ではないとする。
また、最高裁で無罪判決が確定した後に金子が出演した生放送の番組の中で「Winnyを適法に使ってくださいと皆さんに訴えかけたけれども、ではどうやったら適法に使えるのですか」と質問したところ、金子からの答えはなかったというエピソードを話した。
みたいな感じだからな
これ、よく包丁に例えられるが
違うぞ?
放流したものを消すことはできないし、どこまで届くかも制御できない
放流したら最後万民にばら撒かれるが、それがばら撒かれている事をWinny使用者は知れない
「それを知れる」なら、そこで情報を告知すりゃいいだろ
放流したものは残り続け
世間が知らなければ秘匿と変わらず
落したい連中には「符丁」でやり取りできる
知らないマヌケにはファイル名をそれらしく作ったウイルスをばら撒ける
そういうツール
ブコメ見てもわかるように日本人ってのはちょっとの過ちも許さない細かい人間があまりにも多い。 木を見て森を見ずって感じで全体で判断しないから、才能ある人間が引きずり降ろされる。
無罪確定してんのにこんだけグチグチ言う奴らが、普段は日本はもうだめだとか言ってんだから笑わせる。お前等がだめにしてんだよ/新たな技術が旧来の法制度とぶつかるのは当たり前。変わるべきは上部構造である制度
プロダクトによって間接的に金銭的な被害が発生したとして、その制作者が逮捕される理由にはならないというのが主題なのでは…?
まあそれでも上司がうっせーから最低限はやっていたし、下っ端が調子づいてる感出すと干されるなと思ったのでいわゆる「健常者エミュレーター」的なノリで先輩の動きをトレースしていた。
まあ真似っ子するのをロールプレイだと割り切れば大学時代にやったTRPGの延長とか、ちょっとだけ試して伸びずにやめたネカマVtuberとかみたいな遊びとして受け入れられたので続けることはそこまで苦痛ではなかった。
ただそのクオリティについてイチイチ細かいことを言う上司には辟易してたし、シャツのアイロンがけを指摘されるのがダルくて1000円高いノーアイロンシャツを買わなきゃいけないのや、靴が傷んできたら買い直すのは金の無駄だなと疑問はあった。
見てくれってそんな大事っすか?言い方でロジックが変わるんすか?コミュ力とかいう言い訳スキルのせいでかえって混乱起こしてる奴結構いませんか?
アリャ駄目だ。
一緒に仕事出来ない。
身だしなみや態度って「信頼関係構築にコストを払う意欲がありますよ」って相手にアピールするための物だったのね。
今更?
って思われるかも知れないけど、なんか日本人って基本的に礼儀正しいというか意識して不良部ってタトゥーやヒャッハーヘアーにしてるの以外は最低限できてるじゃん。
そういうのさえ無いのに仕事で遭遇するとは思わなかったんだよ。
でもありゃ無理だね。
「お前らにどう思われようが、俺には関係ねーから。まっ、お前らはウチと取引してくださいって土下座する側だからよ」みたいなオーラ出されると本当無理ね。
だってそんなの「クレーム受け付けません。文句は法定オンリーでお願いします」みたいなもんじゃん。
界隈内での評判とかどうでもいいですよみたいなポーズ取られて「ビジネスライクに行きましょう」とか言われても、ビジネスライクのレベルがあまりにも万民闘争世界すぎるじゃん。
ビジネスってやっぱどうしてもどこかでナアナアというか「ごめんね」「いいよ。じゃあ俺のも許して」「いいよ」「なんでも即法廷じゃお互い無駄にコストかかるもんね」「だよね」みたいなのがあるわけじゃん。
まあ見てくれに全コスト振ってて中身空っぽみたいなのも困るけどさ、中身が良くても「お前らにどう思われてもいいよ?」みたいな状態でやられるのは流石に怖いよ。
日本は法治国家とは言え何処か紳士協定的の性善説でやってる部分も0じゃないわけで、そこで全部我田引水かまされて「でもルールではセーフでしょ?」してきそうな相手との取引はかなり躊躇するよ。
グレーゾーンはお互い譲り合う前提で見積もりしあってる相手と、グレーな部分は全部向こうの良いようにしかねない相手とだったら、やっぱどこかでそういう係数をかけていくことにならざるを得ないって。
なるほどね。
最低限度を振り切って「どう思われても良い」を相手に突きつけていくってこういう感じになるのねって勉強になった。
そんでまあ文化圏によってその辺のラインが変わりうるから安全マージンを取って「僕は取引相手様からの評判は大事にしたいですね」という雰囲気を纏っておけってことか。
あーなんか分かってきた。
やっぱ極端な例を見るって大事だな。
でも想像もしとらんかったよ。
同じ業界にその極北にたどり着いた状態で仕事してる人がいるとは。
まあその会社がヤバイんじゃなくてその個人がヤバイ可能性はあるし、もしかしたら向こうから「面倒くさいから相手側から断る雰囲気を出せ」って命令でも受けたのかもだけど。
にしたって本当にヤバイのを相手先とぶつけたら「あの会社って、イメージとかどうでもいいらしいよ」って評判が業界に立つとか考えないのか?
そういうリスクを考えていくと、社員に身だしなみとか態度とか気を使わせていくってのは大事だし、社員としてもそのへんにコスト払うのは割り切るべきなんかね。
都合よくこの部分を読み落とす、こいつが卑怯者。
「倫理観が噛み合わない。」
噛み合わないのを認めてるんだから「自明で万人が従うべき」とはならない。眼前の実在する人間と、妄想で悪魔化した仮想敵を区別しておくことが出来ない。
どうかと感じるポイントをまとめた。
ワールドトリガーは胸のカップ数(バストサイズ)表記をやめてほしい。
最初ここ読んで期待した。
ようやくこの手のこと「自分の感情」として整理してきちんと言える人が出てきたのかなと。
けどすぐにずっこけさせてくれる。
倫理観!
自分の感情と「自明で万民が従うべき正義」みたいな妄想を区別しておくことが出来ない。
なら最初から「自明の倫理に沿って葦原大介を糾弾する!」って書き出しをすればいいのに、たぶん表現規制派のお気持ち規制への批判見て表面的に学習して対応したんだろう元増田は。
「自分の気持ち」→「これは議論の余地なき倫理」といういつもの規制派スライドをキメてしまう。
でもせっかくだし読んでいく。
本筋と関係ない、バストサイズ表記などで弾かれてしまって欲しくない。
(弾いてるのはお前だろ? という指摘を頂くかもしれないが、『倫理観的に良くない』という評価がどれほどマイナスになるかは皆さんご存知かと思う)
それでいいのかなー?」
だってさ。
カスが。
自分のお気持ちと同方向の「価値観の変化」というものがあり(それ貴方の妄想ですよね)
その変化に追従しないことは許されないのであり
葦原は変化に追従せずに自分の『性癖』で描いてるからダメなんだってさw
このカスが。
一番卑怯で腐ったやり方を選んじゃうんだよね。
いっつもそうなんだこの人達。
この「世間がそうなっている!」「未来はそうなっていく!」的な言い方すれば
自分の責任は回避できるし表現規制の誹りも回避できるはずだという
そういう甘い考えで何度も何度も見え透いた同じトライを繰り返してる。
どうしてもこの責任逃れしながら表現規制するという誘惑から逃れられねーみたいなんだよな。
そのお前が主張している「価値観の変化」や「今の価値観」の方が優位で従うべきだって言う根拠は何なの?
しかもさあ
仮にそういう「価値観の変化」「今の価値観」が閣議決定された実在の法令であってもそんなもんクソだと思うけど
実際のところはそんなもんないっつうか、お前が自分のお気持ちを正当化権威化するためにそう言い張ってるだけだよな?
アホが。
で、改めて、
作者の葦原のシュミより優先されるんだよ?
「葦原のシュミでは?」とか言い出すなら全てがとっくに葦原のシュミじゃねーか。
未成年が戦って緊張し喜び悩み恐怖し挫折や成長するところを描きたい。
未成年の肉体が躍動したり傷ついたりするところを描きたい。
どこまでも葦原が選ぶ葦原のシュミじゃねーか。
好き好んで葦原のシュミを何十巻と読んできたくせに
一か所気に入らないところがあったら
「これ葦原のシュミで描かれてない?」って言いだすのなに?
ってのは本当に、ワートリを何だと思ってる発言なんだろうか?
たとえば北朝鮮の刊行物に載ってる漫画ならそういう指弾はありだ。
「これ作者の趣味で描いてないか?」「党の価値観に従え!」ってな。
独裁者か幼稚園児にしか持てないはずのマインドをいい歳こいて開陳しないでほしいんだよな。
頭プーチンフレンズならさっさと義勇兵に行ってクリミアをウクライナの魔の手から救って来いよ。
当然表現規制派十八番「差別を助長する!」も実績解除してくれてる。
「繋がりかねない」って何?
・漫画の表現からどういう機序でジェンダー差別やルッキズムに繋がると主張するかの論立て
ぐらい揃えてから規制根拠にしてくれっていつもいつも言われてるよな?
じゃおめーの好きなもん並べてみせろよ。
そんなガバでいいなら1個につき1秒で捻りだしてやるよ。
お前がお前の好きな物を楽しめてるのは
お前みたいなモノ考えるの苦手なバカに規制権力渡さないよう先人が抵抗してきたおかげだぞ。
というかさあ
お前は本当にお前が楽しんでるものにルッキズムがないと信じてるのか?
例えば、
本当にルッキズム的な要素を「細心の注意」払って取り除くなら
なぜ事細かに身長が設定され公開されてる?わかりきってるよな?
「このキャラは背が高くて格好いい」
「このキャラとこのキャラが話すとこれくらいの目線差が出て萌え」
なんてこと作者も読者も楽しんでるからだろ?
身長データで萌えるなんてまさに「ルッキズムに繋がりかねない」んじゃねーか?
コナンの犯人みたいに描こうぜ。それか隊服を男女ともブルカにする。
なあ。
お前が気軽に言うルッキズムの正味本当に考えてる?って話なんだよ。
自分は容姿の好みを楽しむけど自分の気に入らない好みは取り締まりたいっつー恣意的バカの妄言だろ?
お前が好みのキャラの細かい設定読みたいのと同じ次元でバストサイズ読みたい奴もどっかにいる。そこに上下も貴賤もねーだろが。
なるほど、実際にいわゆる『腐女子』である私は、男女ともにキャラクターを性的な目で見ることもある。
かっけーw
「ルッキズムに細心の注意を払った表現です。各々心の中で想像で頑張ってください」
おめーそれでもワートリ買うのか?
買わねーくせによ。
人に要求する時だけ高い水準の努力と「細心の注意」を求めるけど自分の欲望や快楽にはノータッチ、それどころかちょっとでも嫌なことあればピーピーいう。
自省や自発言の反転チェックみたいなことって表現規制派の精神活動には存在しないわけ?
そこに『推奨してる』と因縁付けるなら
作者はあらゆるキャラに対し読者が欲情することを『推奨してる』と思うよ。
お前は違うの?
お前の推しキャラへの感情に性的なものが無いと言える?言えねーだろ?
作者の提供する絵、エピソード、設定、描写、すべてがキャラに欲望を持つことを『推奨』していてそこには性的感情も含まれてるよな?
お前の論理ならワートリに細かいクレーム付ける迂遠な方法よりもっと簡単で根本的な解決方法がある。
全ての漫画において。
キャラ萌えと実在社会の未成年への性犯罪みたいなものと区別つけられないお前みたいな人は、未成年が出る漫画を一切楽しむべきではない。
未成年が出る漫画の一切はお前の言う「未成年を性的に見ることを推奨する漫画」そのものだ。
お前がお前の論理を本当に信じてるなら
お前の目から見て殆どの漫画が汚らわしい罪に満ちた汚物のはずなんだ。
原理主義イスラム教とか統一教会とかに既に入ってるならお前の話わかるよ。
でもそうじゃないだろ?色々楽しんでるんだろ?
つまりお前の論理は口先だけ、因縁付けの為に後から捻りだした浅い屁理屈であって、「細心の注意」なんかどこにもねーんだよ。
ただただ自分の気に入らない物を抹殺できないかって無い知恵絞って理屈をこねたというだけ。
(もっと人の役に立つことに脳使えよ)
未成年を問題にする時お前の論理だと「葦原は14歳が戦争に行くことを推奨している」とかも言えるはずなのにそこにも反応しない。
屁理屈なりに自分でチェックして「上手く行くかな?」ぐらい考えることもしねーのかお前は。
結局「我々の進歩についてきていない反動である!」というバカ進歩派のテンプレが始まる。
ジェンダー観とは何か、何故正しいか、何故従わせることが許されるか、
論理一切なし。
自分と同じ意見だけを「ファン」とし自分と違う意見自分の意見に反対する意見は無視し「ファン」に勘定せず客観的データはない。
ならなんで最初だけ、自分の頭と責任で発言する人間の振りをした?
ワールドトリガーの『良さ』は綿密に錬られた世界観や読者の発想のさらに上を行く展開、
「だから四肢欠損描写をなくすべき」ということにはならんし余計なお世話だ。
少なくとも私は、「ワールドトリガーはキャラクターを性的に見ることにも重きを置く漫画である」というメッセージを受け取れない。
「ワールドトリガーはキャラを性的に見ることが主題の漫画」になるのか。
「単行本の片隅に記載されてるのすら我慢ならなくて抹殺したいんです!」って。
何が「主題」だこのアホタレが。
うへっ。
あのさあ!
腐女子界の外に持ち出してくんのやめよう?
お前みたいに越境干渉していいなら俺はむしろその胸糞わりい腐女子ワールドに攻め込んでクソみたいなお気持ちリンチ慣習滅ぼしてーわ。
なんでお前みたいなカスの支離滅裂で非論理的なお気持ちクレームが通って
漫画やら書いてる側がそれに屈して頭下げる?ほんと創作側腐女子には同情する。
お前が絶対視してるその不潔なルール、少しも自明でも普遍的でもねーからな?
本当にバカもいい加減にしてくれよ。
けどお前等のその腐れ腐女子学級会ルールで作品やファンや作者を支配しようとするな。
そもそも女性向けや腐女子感性からは出てこない少し外れたものが欲しくて少年漫画を見るんじゃないのか?
そこに腐女子感性のクレーム入れてどんどん自分達に同化させたら結局当初目当の差異のうまみもなくならね?
全てを腐女子の感性とルールに塗り潰すのって腐女子の幸せになるか?
「時間が無かったのでラクガキです;;」って言いながら絵を出す奴か?
お前は自作絵アップしてんじゃなくて葦原大介とワートリにここまでアヤ付ける文を公開している。
せめて「私の全力でチェックし全能力を込めました!」が礼儀じゃね?
そもそもここまで見てきたお前のカスな責任回避とアウトソースと0エビデンス因縁付けの、
どのあたりに「勇気」なんか示されてたんだ?
まさか「自分の文がボコボコに反論される可能性の恐怖に耐えましゅうぅ」なんてことを勇気とか言っちゃってんの?
好きだと言うワールドトリガーやその作者のことすら本当のところお前の世界の中に他者として実在しない。
けど自分しかいない世界に生きてるので他者に通用するプロトコルや論理なぞ操れず、
「なんやこいつアホなんか」と読む人を呆れさせる。
この繰り返し。
ずーっとずーっとそういうことやってるよな。
そしてAさんは韓国にやってきたが、自分一人GINZA勢なのにβの人間しかいないコミュにいて過剰適応するなと言うのが無理な話だろう。スピーチコンクールで韓国語を褒められた話は、語録の使い方がうまくなって喜んでいるのと同じである。自虐史観をすり込まれ「韓国人になってきたね」と言われて喜んでいた、というのも「やっとらしくなってきたな…」と言われて喜ぶキッズのようだ。
統一教会は日帝の侵略がなければ存在せず、統一教会の教義自体、天皇カルトの単語を入れ替えただけにすぎない。
「韓民族は世界でもっとも優秀な民族である。文鮮明は救世主である。言語はハングルに統一されるべきである。世界は文鮮明の元に統一されることにより万民が幸福になる」
その割には、堂々と「LeetCode〇問解いた」とかTwitterで書かれてたり、有名企業ですらLeetCodeに関するポジティブな記事を書いてたりする。そして別に炎上しない。炎上しないということは漫画村はNGでLeetCodeはセーフみたいな線引きが多くのITエンジニアに対してうっすらと共通認識があるのだろう。
よく言われるのが、「LeetCodeはグレー」である。はたして一体何が秘密保持契約違反ビジネスをグレーたらしめている(とその人は思っている)のか。
の数が圧倒的に多いからだと思う。そうでないとITリテラシーが比較的高いと言われている(要出典)ITエンジニャーらがLeetCodeを問題視しない理由がつかない。