「万人の万人に対する闘争」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 万人の万人に対する闘争とは

2018-11-09

anond:20181109162418

憲法って国家権力行使を制約するもので、フェミニストの行動が表現の自由の制約で違憲違法ものだとかそういうものじゃないので…

憲法私人適用っていつの間に完全否定されてたんですかねー?


てかさ、憲法云々を除いたって「お気持ち人権侵害してはならない」って分からないの?

フェミオタク人権尊重しないのならオタクだってフェミ人権尊重しないし、そうなったらタマの取り合いだよ?

万人の万人に対する闘争をおっぱじめたいの?

2018-04-25

anond:20180425023409

オタク差別けしからん女性差別けしからん在日差別けしからんユダヤ人差別黒人差別パレスチナ人差別クルド人差別不可触カースト差別…(以下無限)もけしからん」で良いんだよ

問題は「差別されてる自分らだけいっさい汚れ無き弱者!」と思い込むと高慢で醜いって話。オタク含めて上記の全部そう。

自分差別されてると思うなら、ほかの被差別者にも優しくなるか、「お互い様」と思って引かなければ、人の世は永遠に万人の万人に対する闘争

2016-11-06

ネットにおける平日昼間民主主義危険性について

インターネットやばい

はてなしろ2chしろ、00年前後ははわりとぽわぽわしてて礼儀正しく、害があっても広がりにくかったし、各ポータルサイトゲスさは無かった。

2ch便所の落書きと言われてはいたが、馴れ合いによる相互承認や、情報を求める意識を持った参加者たちで良い空間を作ろうみたいな意識もあったし、クソくだらないジャーゴンオマエモナーなど)を共有して生まれるゆるい一体感もあった。

今はそうではない。

陰湿で、攻撃的で、快楽主義であり、セクト意識裏切り者を許さない)はあるけれど共同体意識助け合い相互承認)はほぼなくなった。

2chで「氏ね」ではなく普通に死ね」と使われ始めて久しい。もうみんな心のブレーキがなくなっている。

2chはてブコメント辛辣になっている。

ネットは「叩くことで上に立ったかのように振る舞う、安上がりな自己欺瞞他者へのアピール」でありふれている。

中には「叩くこと」への快楽に目覚め、それを目的化し、それを正当化するための言い訳としての「誰かの失敗」と「正論」を求める人もいるように見受けられる。

なんでこんなになっちゃったんだろう?

被害者ぶる気はない。僕も加害者の一人だからこそよくわかる。

平日昼間の言論空間ネット平和破壊したのだ。

ネットは真昼に炎上する。

00年代頃はまだ限られていたインターネット利用者だが、格安ブロードバンドで普及を見せ、その後スマホを介して国民ほとんどがネット参加者になった。

社会に出て一生懸命働いている人たちや真面目な学生は平日昼間にネットに入り浸ることは少ない。

平日昼間のネット支配しているのは、無職ニートである。その中で暗い要素を持った集団を抜き出すと「仕事にあぶれて苛立つ求職者」「世の中を諦めた世捨て人無職」「登校拒否の延長の引きこもり」「うつ病神経症統合失調症といったメンヘル」「発達障害などで社会適応できなくなった人たち」「終わらない家事と身近なストレスで心の許容量が狭くなった鬼女」「世の中舐めてる陽キャのニート」「レールからそれて戸惑っているニート」「世の中に喝を入れたいリタイア組」・・・。まあ、とにかくたくさんいるわけである

もちろん、悪意のある抽出であり、心のきれいな方々もたくさんいるのだが、悪貨は良貨を駆逐するものだ。

そういった人々は暗い感情や怒りを、炎上快楽で気晴らしするのである。いわばweb放火魔だ。

火を生み出す力の喜び、何かが燃えていく光景を見つめる陶酔、生贄を取り囲む祭りの高揚感・・・

彼らは毎日ネットに入り浸るうちに中毒になり、炎上目的化する。

また、中には承認の場をネットに求める人も出てくる。

ニコニコ黎明期のようにクリエイティブな方向で承認を求めていれば平和だったのだが、今のニコ生DQNのほうが受けやすい。

はじめしゃちょーヒカキンみたいな発想力とパフォーマンスを持っているわけでもない人たちは、過激な毒のショッキングさで目立つしかない。

これはネット言論空間にも言えることで、有吉や張本みたいに「きっつい毒舌」「鋭いお叱り」を出来る人間承認されやすい。

何かを褒めている人間承認されることはほとんどない。

熱心な語りもいらない。消化しにくいからだ。

まり、ワンフレーズで響き、嘲笑と「俺たち情強だよな」といった満足感を生むネガティブ言論をしたがり、見たがるようになっているのだ。

問題は、そういった平日昼間の言論が「ネットの声」「ネット常識」とされて一般層へ輸出され、ネット文化となり、新たな放火魔教育してしまうことだ。

本来ただの過激派愉快犯にすぎない言論が、いつの間にか「民主主義」になってしまう。

現実でも起きうる/起きているかもしれない事態が、ネットではものすごい勢いで波及している。

誰かが火を消さなければいけないのではないか、誰かが防火壁を作らなければいけないのではないか

ホッブスによれば自由とは混沌であり、万人の万人に対する闘争なのだネットはそちらに向かいつつある。

東浩紀ネットルソー社会を求めたが、あんもの絵空事である

言葉を聞かない悪意の力の前に理想は役に立たない。

悪意は急速に感染し、ネット支配する。

「私達には関係ないこと」と高みの見物を気取る人たちは、いつか自分たちが悪意の生贄にされるかもしれない未来を予期していない。

自分のところまで悪意が登ってくる可能性を考えていないのだろう。しかしすぐとなりをよく見てみると良い。

シェルターの中にいる隣人が、悪意の炎を瞳の奥に隠しているかもしれない。

こんな空間に、子どもたちを晒すことが出来るだろうか? 

大人たちが壊れてしま空間なのに、子供リテラシーかいう頼りない防御策を教えて何とかなると?

ネット治安を維持するための善意言論を発信していくべきだろう。強硬的な手段ではなく、新しいモラルを共有できる仕組みを考える段階に来ている。

それと同時に平日昼間勢の心を癒やす必要がある。彼らの本当の問題ネットではなく現実にある。現実が変わらなければ彼らは変わらないだろう。

ネット現実リンクしており、ネット日本未来実験である。このまま手をこまねいて見ていれば、現実社会も今よりさらに厳しいものになっていくだろう。

2016-04-24

土人に民主主義国家は無理だったな

それを見越してアメリカ様が立派な憲法を残してくださったのにそれすら無視しだす始末

もはや万人の万人に対する闘争原始時代に逆戻りコースしか見えん

2016-02-04

正論という概念すら滅ぶかもしれない

id:masudamaster


フェミニズム袋小路に入ってるのもわかったし、リベラリズム万人の万人に対する闘争を招来することもわかった

うそれについては十分聞いたので、そろそろその先についての考察を聞かせて欲しい


俺はそもそも思想という概念自体時代遅れなのではないかと感じている


思想体系は一貫性志向するから直感に反する結論を導くこともあるが

当世の「思想」は直感従属する。直感思想優越する


当世の「思想」はあくま直感言葉を変えて言い直しただけのもの

けして直感に反する結論を導かない

必然的に、当世の思想論理的一貫性志向しない


たとえば「優先席では妊婦に席を譲るべき」は直感的に正しい

この直感からたとえば「弱者社会参加を支援することで社会活性化する。社会活性化させるのは善」という「思想」が逆算される

この「思想」を演繹すれば「終電帰宅社畜妊婦よりも弱者なので座るべき」という結論に到達してしまうはずだ、と考えるのは旧人

当世の「思想」は想像しない。「その理屈だとこうなっちゃわない?」を考えない。だから矛盾に直面しない


そもそも思想演繹して未知の現象対処しようとか、思想体系が論理矛盾内包してはならないとかいう発想が時代遅れになってる



思想が常に直感従属するのならば、そもそも思想存在する意味がない

判断軸を共有するためのツールとしての役割も果たせない。霊感は共有できないから

から、当世の思想論理ではなく記号表現される。同性婚禁止違憲判決記号の羅列だった

2014-07-29

はてなーの議論は教科書劣化コピー

NEVADAちゃん2世事件を受けて、はてブ界隈では「なぜ人を殺してはいけないのか」議論が少しだけ盛り上がりを見せている。

http://www.open.sh/entry/20140728/1406552151 とか http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2014/07/29/092214 とかがホッテントリ入りしてるし。

だけども、そんなのは大昔から議論されてきたわけで、ホッブズの「万人の万人に対する闘争」とか「リヴァイアサン」とか「社会契約法」なんてのは中学高校社会教科書最初に載ってる。

なぜ教養のある高学歴が集まるはてなー教科書劣化コピーなんてやってるんだろうか。

みんなが好きな技術言葉で言えば四角い車輪の再発明だよね。

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