はてなキーワード: 丁重とは
赤安と新蘭は競合しないから新蘭好きな赤安の人多いよね
年齢層高くて初期のコナンをリアタイ視聴してた人もけっこういるから完全な嘘で持ち上げてるわけじゃなくて思い出補正も本当にあるし
でもコ受けは新蘭潰しのためにコ哀兼ねてる人も多くて
コ受け古参はまとめサイト民と一緒になって蘭を暴力角女呼ばわりしたり蘭が逮捕されたり死んだりするような嫌われ創作を回し読みするのが当たり前の期間を長く過ごした
増田もそれを経て赤安に来てしまったのでメインヒロインの蘭を丁重に扱おうっていう空気が合わなかった
あとガチガチにカプ固定の風潮があって安コや赤コへの当たりも強いし
そういうことなんじゃないの
私の現時点での定義としては、宗教とは、人生において行動の選択を迫られたときにその指針となる命令又は禁止規範となる道徳をいう。多くの場合「こうすれば死んだ後で天国・極楽へ行ける」「こうすれば地獄へ堕ちる」というように、行動いかんによって死後の魂の扱いが左右されるという教えがセットになっているが、現世における救済や恵みを受けるという教えの場合もある。
この定義に従えば、儒教も宗教である。マックス・ヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で分析したように、「商売で儲かることは神の教えに従った正しい行いをしていることの証である」といった信仰のあり方も宗教であることに鑑みると、「運気が向上する習慣」といった自己啓発の類も宗教である。この定義に従う限りでは、何らかの宗教を持っている日本人はわりと多い。
なお、この定義からすると「お国のために戦って死ねば英霊になれる」という教えが宗教に含まれるかどうかは微妙で、私は否定的に考える。なぜならば「どう生きるか」でなく「どう死ぬか」の行動指針であるため、「善き生き方」を示す道徳になっていないから。どちらかというと政治キャンペーンの一種に分類すべきように思う。ただ、この点は「道徳とは何か」の定義を決めないと結論を出せなそうなので保留にする。
死者は霊魂となって現世の人々に影響を及ぼすとか現世の人々の祈りが死者の霊魂を癒すという観念は、死んだら死後の世界に行くという宗教的観念と矛盾している。この二つの観念は別々のもので、宗教が生まれる前から、原始的な信心として前者が存在していたと思われる。
「死んだらどうなるのか」という不安に対しては様々な「答え」が出されており、天国や地獄で永遠に暮らすのだとか、別の生き物に生まれ変わるのだとか、現世と交流できる状態にあって時折姿を現したり人に憑依したりするのだとか、恨みや後悔を残して死ぬと地縛霊や怪異になるとか言われている。
交流したり観測したりできる存在としての霊魂の存在を信じることは、何に寄与しているんだろうか。例えばいじめられて死んだ生徒の霊が語られる際に、いじめはいけないという教訓ではなく「あのトイレには近づくな」という戒めの方が強く意識されることからすると、道徳には繋がっていない。もっとも、死者の霊を軽んじる行動を取ると祟られたり罰が当たるとされるため、死者に対する礼節という行動規範にはなっている。死んでも生者と関われるので孤独じゃないとか、死者を敬うことで自分も死んだ後で丁重に扱われるだろうとかの安心感を得られるのかもしれない。
苦しい時に頼みの綱となる「神様」は、普段はまったく信仰どころか意識すらされておらず、名前もなければどんな姿をしているのかのイメージも持たない漠然とした概念である。その「神様」に祈りを捧げることで天国に行けるわけでもないし、祈ったにもかかわらず救済が与えられなかった場合には悪態の対象にすらなる。
「どちらにしようかな天の神様の言うとおり」やテーブルゲームにおける「ダイスの女神」もこの一種で、普通は人生の命運をかけるほどの扱いはされない。ただ、行動規範をもたず「幸運のお守り」に人生を賭ける人もおり金儲けのターゲットにされがちである。
「死後の世界」を司る行動規範としての神もいるかもしれないし、「戦に勝ちたい時に祈る神」「商売繁盛のために祀る神」として救済を求める神様の類かもしれないし、「こういうことするとこういう目に遭うよ」といった教訓的な寓話や超常的で不思議な御伽話の登場人物なのかもしれない。
上記のように、私の定義では「宗教」とは行動規範を示す道徳である。道徳は「どうあるべきか」「何が正しいか」を含むものであり、従って政治や法制度のあり方にも関わる。法や政治と道徳はイコールではないにせよ、深く関連している。そのため、特定の宗教の良しとする行動規範に従って法律を作り政治を行うと、他の行動規範をもつ宗教を信じる人々と衝突する。「人であるがゆえの権利」を前提とする法制度や政治は誰にも平等でなければならないことからすると、特定の宗教に立脚した政治を行うわけにはいかない。
「こう生きるべき」みたいに国家が口出しすること自体が大きなお世話と考えるのが「人権」主体の政治だともいえる。
やってみればわかるが、人権を行動規範にすることはできない。人権は人生の様々な場面で衝突するものだから、こちらを立てればあちらが立たず、その折り合いをどうつけるかが求められる。したがって人権を大事にしようと決めたところで行動指針が決まるわけではない。例えば表現の自由とプライバシー権のように。
政治を考える際に考慮すべきものではあるが、個人の人生の指針にはなり得ないので、人権は宗教ではない。
私の友人にはキリスト教や仏教の敬虔な信者であったり聖職者であったりする人たちが少なくない。また、スピリチュアルなものを信じる人もいるし、神様へのお勤めで心身をすり減らしてしまっている人もいる。信仰はとても古くから存在し、必要とする人間が多かったのに、なぜ必要なのか自分にはわからないのでずっと考えている。難しい。
男女の貞操観念が逆になった世界。要するに多くの女性が性的なことにオープンで、多くの男性が奥手という状況の世界。
ここに何らかの理由で通常世界の人間が移動するというジャンルが、数年前にエロ漫画で発生、その後、ノクターンノベルスなどWeb上のエロ小説投稿界隈で長く生き延びている。
まず、男女の貞操観念が単に逆転したにとどまらない、不自然な世界観と化した。
一般的な男性は極めて性欲が弱く、絶対に性的なことはしたくない、女性に生理的に嫌悪感を持っているくらいの設定が付与されるのが、基本的になった。
単純に男女の貞操が逆転したというのなら、これが通常世界の女性の在り方ということになるが、さすがにそこまではいかない。
一方で女性の方は性的な行為ができることに喜び、積極的になるというだけで、その他の観念(恥じらいとか)はわりとそのまま持っている。これも逆転していない。
次に、生物的な変化。
男性は月に一回しか射精できないとか、射精量が少ないとか、体力がないみたいな設定が次々に付加されて、通常世界から来た主人公のアドバンテージをこれでもかと上げる作品がほとんどとなった。
女性の方も、射精されたら絶対に妊娠するとか、男性に嫌悪感を抱かれる女性とそうでない女性がいるとか、通常世界とは異なる生物的設定を付与されるパターンが少なからずある。
そして最後に、男女比。
上記の2点と相互に関係はしているのだが、現在主流で投稿される貞操逆転世界ものでは、男女比が異様に偏っていることが、もうほぼ常識のように設定されている。
男性が異常に少なく、女性の5分の1とか、10分の1とか、100分の1といったところまで行く。
息子よ、いくらペーパーで拭ってもね。
ぬめり気を取り去ってもね。
息子よ、毎回シーツを洗ってる母には分かるんです。
ママ友達に聞いた話。
嫌らしいポーズで。何枚も、何枚も。
それ聞いてゾッとしちゃって。
ピクシーブなんかは、リアルな少女の裸体を生成を禁止してるらしい。
表向きには、実在の少女の写真を学習してる可能性が否定できないから、と言ってるらしいけど。
でもそれなら、普通のAIイラストだって少女の写真を元にしてる可能性は否定できない、でしょ。
だから多分、子どもの性の尊厳を守りたいのが、方針を決めた誰かの本音なんだと思う。
同じ教室で学ぶ仲間であるはずの女の子を、頭の中で性欲のオモチャにするグロテスク。
先生は、やめてね、って注意したりしない、クギを刺すくらい自由なはずなのに。
子どもたちは、分別のつかない未熟な時期に、女性 = 性的消費される生き物 って学習させられる。
女の子はいつしか、そんな扱いに反発するのに疲れて、心を麻痺させてしまう。
うちの息子は悪をしてない。
クラスメイトの女の子を、想像のイメージの中でさえ、おなじ人間として丁重に扱ってる。
息子よ、母は信じていますよ。
それにしても、夢精してて良かった、と思うなんてねえ。
バブルのころはね~
文学部だって完全な就職予備校だったから「どうやって薄給のアカデミアに若い人を引き留めようか(高給の民間に全員は行かせたくない)」ってのが問題で、
動物のお医者さんも「うちにきたらこのカシオミニをあげるよ」とかいろいろとサービスしてたわけよ
でも文学部卒ができることはChatGPTとかが全部できるようになっちゃったじゃん
言を左右して韜晦して取り繕って気分を損ねないよう文を作ってなるべく上品に言いにくいことを伝える…なんてのは
https://anond.hatelabo.jp/20230410104613
https://anond.hatelabo.jp/20230405125251
電車に乗って駅弁たべて「出張してました、〇〇さんに会ってきました、こういう感じでいってました」といえばかなり働いたことになる。営業職つよつよ。
俺理系なんだけど、日本語学科卒同期で一番肩書がツヨそうなの「高校の国語の先生」と「ATOK(justsystem)」だもんな(いや校長になってるかもしらんけど)
数万円出して専門辞書まで買えばATOKが完璧に日本語サポートしてくれるから各社が丁重な言葉がつかえる能力もちを雇う必要がないんだよ
ある事件の善なら善、悪なら悪をネット越しに全員(バカから賢いまで)の民主主義できめるようになったら
大体は判例どおりになるわけだし
北守(hokusyu82)氏が一時的にアカウントロックをされ、運営に問い合わせた事でロック解除と成った模様です。twitter.com/hokusyu82/stat…
北守
@hokusyu82
えー、昼頃から凍結されておりましたが、何かの間違いではないかと思い、何かの間違いではないかという異議申し立てを丁重に行ったところ、何かの間違いだったようで、即日解除していただきました。各方面ご心配をいただいたようで、ありがとうございます。お騒がせして申し訳ありませんでした。
昨日 2
なにかの間違いではなかったようだ。
藤崎剛人
再解除はあるのか?
鳳 明日香
@phenixsaber
案の定、再凍結されたか。凍結解除直後の一週間は監視が厳しくって、再凍結リスクが高いから様子を見たら案の定。俺の時は1週間、鍵にして、かつての相互への挨拶周りに集中していた。 https://togetter.com/li/2119094#c11893931
再度凍結されると反省してないと見做されるので、ほぼ解除になることはないだろうな。北守先生。今のTwitterは特定のクラスタに対する差別発言や攻撃的な言動に厳しくなっているのを知らなかったんだろう。
そういえば挨拶もしていなかった。
ちなみに私は、3年ぶりの歓送迎会に出てから帰宅してネットを見たら、北守氏凍結というので驚いて氏のアカウントを見に行ったら、普通に見られたので 「(゚ペ)? みたいな顔になっています。
墨東公安委員会
@bokukoui
だれも注意しなかったようだ。
彼は長男として色々な期待と重圧を受けながらも、両親からとても愛されて育ってきたのだろう。
従兄弟だった彼は、幼かった頃は隣県に住んでいた事もあり、盆や正月には叔父と共によく遊びに来たものだし、私達も両親と一緒に遊びに行ったものだった。
ところが私が中学に上がった頃、叔父の転勤と共に簡単に往復できる距離ではなくなったことから、“もっとも、当時の我が家の状況を鑑みると、理由はそれだけではないようだが”彼との音信は完全に途絶えてしまい、無事就職が決まって今は勤務先の新潟に居るらしい、という事を叔父から伝え聞いていただけだった。
彼の訃報を受け、私は両親と共に叔父の元へ赴くことになったのだが、私達が斎場へ到着した時にはまだ親族関係者の誰の姿もなかった。
斎場の職員に案内された通夜会場には故人の亡骸が納められた棺だけがあり、叔父の到着を待たずに棺の窓を開けて故人と対面した。
驚いたことに、十数年振りに見る故人は少なくとも私の記憶にある幼い丸顔の彼ではなく、彫りが深くてひげの濃い、独身だった頃の私の兄と瓜二つの容貌だった。
甥の顔を久しぶりに見た両親も、死に化粧の所為かもしれないが、と前置きしつつ、本当に寝ている兄のような顔だと。
気がつくと叔父は私達の後ろに立っていた。
正確に言えば会釈するまで、“少なくとも私は”叔父だということに気づかなかった。そのくらいにやつれてしまっていたのだ。
故人の仕事を後押しして遠方に送り出した叔父は、何度も何度もうわ言のように後悔の言葉を口にするばかりで、先に到着していた私の兄と叔母の弟に辛うじて支えられているような状態だった。
その日の夜行われた通夜には、身内だけだと言いながらも、叔父夫婦の関係者のみならず、沢山の故人の同級生や友人達が訪れ、予想していなかったのであろうか、叔父は引きつった表情ながらも、その日一度だけ笑顔を見せた。
通夜が終わった夜遅くに私達は叔父夫婦に家へ招かれ、二人は故人の思い出話、そして故人の最後と、再び自分の後悔の言葉を口にした後で、長男に先立たれた現実を、まるで自分達に言い聞かせるように話してくれた。
実は私の両親は、今日まで叔父の家を一度も見たことがなかった。
叔父には、一度だけでも兄夫婦に自らが努力の末に築いたささやかな城を見て欲しい、そういう思いがあったのかもしれない。
実は数年前、私は一度だけ妹を連れ、叔父の家に遊びに行ったことがある。その時故人はおらず、叔父夫婦が私達の相手をしてくれた。
当時の記憶は薄れ掛けていたが、部屋を案内されて少しずつ思い出してきた。
しかし、リビングやキッチンに荷物が散乱した様は几帳面な筈の叔母のそれではなく、二人の心境をそのまま表しているのが見て取れた。
その後、叔父は一人葬場へ戻り、冷たくなった息子と一緒の最後の夜を過ごした。
翌日の告別式の席上、叔父は喪主挨拶の途中で言葉を詰まらせ号泣したが、振り絞るような声で最後まで読み上げ、叔父、叔母、叔母弟の家族一同で深々と弔問客へ頭を下げた。
皆で献花台の花を分けて棺に詰めて故人を飾ったのだが、沢山の花と思い出の品で個人の顔以外が埋め尽くされた棺の蓋を、叔父夫婦は中々閉じることができなかった。
火葬前にもう一度お顔を見られますから、と葬儀屋に促されてようやく蓋を閉じ、友人と親族で棺を黒い霊柩車まで運んだ。私も棺を持った一人なのだが、両手で抱えた棺は青年となった故人が納棺されているとは思えない程に軽かった。
故人と喪主は黒い霊柩車に、その他はマイクロバス揺られ、住宅街を抜けた郊外にある広い霊場に到着した。
途方も無く広くて、幼い子供たちが芝生の広場で遊んでいる、公園と見紛うような穏やかで緑豊かな風景が.だからこそ余計に、冷たい打ち放しコンクリートの壁で覆われた霊場の中で、故人の棺を囲む我々との落差を大きく感じさせる。
最後に皆で別れを告げ、叔父夫婦もしばらく名残惜しそうに棺の蓋の窓を開けて顔を見つめていたが、叔父が意を決したように閉じ、そのまま故人は荼毘に付された。
火葬が終わった後に行われる骨上げは、当然ながら丁重に死者を敬って厳かに執り行われる儀式であるが、この霊場における骨上げは、霊場の職員がステンレス製の台に乗せられた遺骨の部位一つ一つを細かく説明しながら骨壷に納めていく、という正直なところ厳かとは少々距離を、いや、ある意味では場違いなエンタメ性すらも感じさせるもので、さながらテレビで見る検死のワンシーンか、解剖実習のようにも見えた。
詰め込み始めて間も無く、若かった所為もあって立派な故人の遺骨は骨壷に納まりきらないだろうことが、誰の目にも明らかに映った。
目の前で全てを納めるように親族一同懇願したのだが、霊場の職員は、納めるには遺骨を砕くしかないですが、と説明し、少々躊躇った後で、遺骨を擂り粉木のような棒を使ってバリバリ音を立てて潰しながら骨壷に詰め込み始めた。
“恐らくこれは霊場ではよくある光景に違いない”とはいえ、私でさえギョっとしたそれは、叔父夫婦にはたまらなく暴力的に映ったのだろう、叔母は声にならない悲鳴を上げて顔を真っ青にし、叔父はたまらず席を外してしばらく骨上げの場に戻れなくなってしまった。
しかしながら、骨になって無残に打ち砕かれた息子に背を向けて震える叔父にも、今にも卒倒してしまいそうな叔母にも、声を掛けられる者は、私を含めて誰も居なかった。
ただ骨を潰す不気味な音だけが響き、霊場の職員は黙々と骨壷に遺骨を詰め込み、皆無言のままそれを見つめる他無かった。
来場した時と同じバスに揺られながら、来た道を骨壷を抱えて斎場まで戻るとすぐに、父は叔父夫婦に手短に別れの挨拶を告げ、足早にその場を後にした。
時間が迫る訳でも無い筈。いくらなんでも実の弟になんと冷やかな…そう私は思いながらも叔父達に頭を下げ、父の背中を追って車に乗り込んだ。
すると父は、私の気持ちを察したように車内で私と母に、こう諭した。
冷たいかもしれないが私達が居ても何の慰めにもならない。他の親族の足止めになるだけだ、と。
実は、集まった親族の顔ぶれは叔母関係者が中心を占め、叔父側で駆けつけたのは私達と兄だけという、どちらかというと叔母側の意向が強く見て取れる葬儀と、叔父夫婦の現在の関係性は薄っすらと私にも理解できていたが、父はこの場においてもその事について一切触れなかった。
そして悲嘆に暮れる弟に対する同情の言葉を口にし、人のために涙する父の姿を生まれて初めて見た。
故人の命日は何の因果か誕生日の前日、24年と364日の本当に短い人生だったが、彼にとっては辛くて長い戦いの日々だったのかも知れない。
実家に戻ると家を空けていた間に、少々痴呆気味で放って置けない祖父の面倒を見ていてくれていた妹が迎えてくれた。
両親に促されて、“もっとも、父も母も叔父と会話できるような心境になく、私にこの役目を押し付けただけなのかもしれないが”無事帰宅したことを叔父に電話で告げると、本当に良かった、と喜んでくれたが、これから色々と大変でしょうが…と言ったきり私は言葉が続かなかった。
私の様子を察したのか叔父は、今日はありがとう、それじゃあ、とだけ言い、電話は切れた。後日私の兄から聞いた話では、電話の後すぐに叔父は眠ってしまったらしい。
叔父が長男との淡い思い出を夢に見ながら目を閉じたのか、それともこれから差迫るであろう、暗い現実を想像しながら横になったのかは、私にも分からない。
短く書けば、
「霜取りがうまくできていなくて冷蔵庫を運ぶときに水が出てきたが、引っ越し業者が『これだと冷蔵庫を運んでもすぐ壊れる』と言って下位グレードなのにボッタクリ値の冷蔵庫を売りつけようとしてきた」
となる。
今回引っ越すタイミングで製氷皿を空にしたり冷凍庫の中身も前日に抜いたりしていた。
そのうえで霜取りや水抜きができていなかったのか庫内に水が溜まったままになったらしい。
ちなみに冷蔵庫のマニュアル自体には引っ越しするときの水抜きの方法に関しては書かれていなかった。
引っ越し当日、色々運ばれて行っていざ冷蔵庫を運ぼうとなったときに事件発生。
漏れた水などはふき取ったりしたのだが、その後の引っ越し業者の対応が酷かった。
「こんなに水が出てくるのはありえない。年に1,2回あるかないか」
「このまま運んでもいいけど他の荷物が水濡れするかもしれないし、そもそも冷蔵庫が1年持つかも怪しいし運んだ後に動かないかもしれない」
「そうなったら困るだろうからうちでこれ(すぐ壊れるかもしれない冷蔵庫)を引き取るから『同じメーカーの引っ越し業者オリジナルモデル』を買わない?」
と提案してきた。
そもそも水漏れした冷蔵庫はざっくり書くと500Lで10万くらいだったのに、『同じメーカーの引っ越し業者オリジナルモデル』は400Lで下取り含めて15万とかこんなん買わんやろと。
丁重にお断りしたら「いやーやばいと思いますけどね。まぁお客様の意向は尊重しますよ」的なことも言ってくる始末。
ちなみに新居には冷蔵庫をクレーンで釣って搬入したけど、その時に水はこぼれなかったってさ。
たぶん引っ越し業者のマニュアルで「霜取り忘れたバカには高値で冷蔵庫売りつけてけ!」みたいに書かれてるんだろうな。
きっかけは自分が悪いものの、引っ越しというドタバタしているタイミングで「これから新生活なのに悲しい思いしたくなくない??なら買おうよ」みたいな提案してくるのマジで恐喝ものだわ。
社会人1年目、ホント当たり前のことなんだろうけど毎日失敗、怒られ、学生の時に思い描いてた自分の仕事像とかけ離れて辛い日々。
予定にない外食は極力控えてたけど、出張先でコンビニに晩飯を買いに行く途中、串カツ田中の誘惑に負けて1人でイン。
カウンターに座って少し経った後、ファーストドリンクを取りに来た17〜20歳ぐらい?の女の子がやけに元気だった。一生懸命覚えた年確と、ドリンクの割引チケット説明の手順を拙いながらも明るい笑顔ではっきりと述べていた。人は記憶を辿るとき目線が上に行く傾向があるが、その子はもはや白目になっていた。調べたらまだオープンしたばかりの串カツ田中で、この子は飲食どころかバイト自体初めてなのだろうと推測した。この子の華々しいビギナー戦に泥を塗らぬよう、可能な限りはきはきと返事をし、注文の際はメニューの正式名称を一言一句伝え、写真の指差し確認も怠らなかった。彼女は自分の説明を終えた後は自分には目もくれず、眉間に皺を寄せてハンディを見つめていた。注文ミスをせぬよう、彼女の今できる精一杯の礼儀だ。
串カツとスジ煮込みをつつきながら、生中を飲み終えた後、追加注文するべく店員さんを呼び、再度その子が来た。ハイボールと焼きそばを注文した時、彼女が恐る恐る尋ねてきた。
「チンチロ……します…か?」
そういえばさっきから他所のテーブルから福引のベルのような音がひっきりなしに鳴っているのが気になっていた。串カツ田中では、特定のドリンクを頼んだらチンチロに挑戦でき、当たれば何かしらの特典を得られるのだ。
こんなメガネの冴えない若い男がチェーン居酒屋に1人で突撃するだけでもかなりの勇気がいるのに、あんなに目立つチンチロをやるか、なんて愚問すぎる。どう考えてもやるわけがない。
ただし、この客はチンチロをやりたがる客か、やりたがらない客か、なんてバイト始めたての若い女の子に分かるわけがない、というのも事実である。むしろこっちの「分かるわけない度」の方が何倍も上である。
(こいつ…チンチロ…やるかな…。けど、後で「チンチロできたなんて聞いてない!やりたかったのに!!」とか言われたらやだな…。もしやるってなったらこいつ1人のためにベル鳴らして大声出すハメになるのかな…。)
「チンチロ……します…か?」
あぁ、田舎の、しかもチェーン店にお一人様で入るという狂人ムーブをかました時点で、自分はこの子を煩わせてしまっていたのか。ごめんよ。チンチロは丁重にお断りした。
会計の際も彼女はきちんと、領収書かレシートは必要か尋ねてくれた。
きっとこの子もいつか仕事に慣れ、むかつく客の生を勝手に多く計算したり、いつまでも居座る客の近くの椅子から机に乗せていき無言のアピールをしたり、クズだけど仕事ができるイケメンの社員といい感じになったりするのだろう。だけどどうか忘れないでほしい。たった1回の来店で、あなたの接客で、明日も頑張ろうと思えた客がいたことを。
自分も居酒屋でバイトしていた時、信じられないほど無愛想な客にあえて全力スマイルで応戦したところ、退店の際に無言でバキバキの目でグーサインを向けられてきたことをふと思い出した。
早く一人前になって、いつかまた、自分の仕事で誰かを嬉しい気持ちにさせたいと思った。
いい気分でホテルに戻り、コインランドリーに服を詰め込んだ。200円入れたのに、100円分感知されなかった。俺の機嫌がいい時で、命拾いしたな。
自分の人生って昔っからいつもいつも、自分が下っ端の立場の時にはめちゃくちゃ厳しくされるのに、
いざ自分が上の立場になると途端に梯子を外され、下の立場の人間もちゃんと扱わないとこっちが叱責される。その繰り返しで辛すぎる。
部活…自分が1年生の時には先輩はめっちゃ偉そうにしていて1年生は基礎練習と雑用ばかりやらされる。自分が2年になった途端にそういうのはやめようとなって、後輩には優しく、きつい練習も課さないようになる。
コンビニ…自分が店員だった時にはお客様は神様とばかりに平身低頭滅私奉公の接客を強いられる。自分が辞めてからは世論が変わって外国人バイトも増え、割と適当な接客でも許されるようになる。
就活…自分が就活をしていた時にはセクハラパワハラ圧迫面接の上に落とされまくって否定される。自分が採用担当になったら学生を丁重に優しく扱って細心の注意を払わないと怒られる。
子育て…自分の子が小さい時には大手以外は育休も碌になく保育園も入れられず親に頼るしかない日々。自分の子が手を離れてからは何処でも育休制度が整い子育て世代に税金を使え高齢者は死ねの大合唱。
弁護士…自分が事務員だった時には弁護士は「先生」呼び、事務員は人間扱いされず空気のよな存在。自分が弁護士になって入った事務所では弁護士は「さん」呼び、事務員も事務所の構成員として尊重され対等に扱われる。
上席から降りてきた「会社項目のポイント向上を目指して話し合いしろ」という指示
ゴールが決まってないからマイルストーンも進捗もわからないのに定期的に集まることだけが決まっている、いかにも日本企業的な集まり
ゴール決めましょうよと言ったけど丁重に流されて集まって何をするか、次回までに何をするかだけ決めて終わった
世にも~とかでオエッてなったことない
あれは顔で売れたわけじゃない役者が9割を締めているからだと思ってる
日朝卒業したて、女性向けミュージカル卒業したて、ジュノン系モデル、アイドルの卵…
要するに「顔が第一、ダンスも歌も声優も演技もあとからどうとでもなる」という思想のもと
経歴の箔付けにねじ込んでくるせいだと思う。
ああいうのが演技でもおこってると思う。
蜷川排出の役者は、蜷川さんに死ぬほど怒鳴られてきてるから、強いし、自分に厳しい。
でも藤原竜也のオーバーな演技をこすってはいつまでたってもクスクスするじゃん。日本全体がそれを許してるじゃん。
あれじゃあ本気で感情移入して腹から声出してキャスト食えるくらいの演技するより
「性的消費とはなにか、何を消費してるのか」——…
およそ10年増田とはてブにとぐろを巻き、性的消費を研究しているものです。
答えは女性の尊厳です。尊厳とはこの場合、パブリックイメージを意味します。
女性全体のイメージが削られ、すり減らされ、人としてマトモな有様から遠く離れていく様子を、性的消費と称してるのです。
近年タクシーの運転手が女性客に対してだけ横柄な態度を取るって話が話題になりました。あの話もまた、女性のパブリックイメージ(=女性性)が軽んじられている証拠のひとつです。
男性が自分の行為がセクハラかどうかを自分で判定するときに「女性を男性上司の娘に置き換えて考えてみろ」というアドバイスがあります。この助言もまた男性上司の威光の下にある子どもと一般女性の人間としての重みの落差を前提にしています。もし元々女性の同僚と男性上司の娘を同じレベルの人間性を持つ人間と考えて丁重に扱っているのならば、セクハラは起こらないのです。
女性とは粗末に扱いすり減らしてよいもの、という認識が女性自身に移ったとき、それは自尊心の低さに変わります。自分を傷つけるモラハラ男性に魅力を感じてしまい、性的合意を欠いた一方的な要求に屈するようになってしまうのです。
推理小説のネタとは違い、女性性は消費されても簡単に利用不可になって枯渇する怖れを感じたりはしません。だから消費の感覚は薄いものです。しかしもしフェミニズムが忌避され忘れ去られてクレームの声を上げる誰かの勇気も消え、女性の性がぞんざいに扱われるのが当然のようになれば、女性は女性であるだけで、自分自身を大切に捉えて、自分の人生に意味を持とうとする主体性を持てなくなってしまうでしょう。
絵を性的に消費しない態度を取ることは、消費者側の男性でも出来ます。性的に興奮しなければ良いのです。絵の美しさや面白さ、楽しさ、そういった部分に目を向けて、性的にまなざすのを止めればいい。長年の習慣で自動的にセクシャルな部分に目がいくように刷り込まれていると難しいですが、意志の力であらがうのは可能です。出版する側もまた、性的消費をなるべく誘わないような描写をすることが可能です。注意すべきは、厳密には性的消費をする責任は出版社ではなく消費者側にあることです。というのも、出版社の善意の工夫が逆に性的消費になってしまう場合があるのです。広告塔として採用し女性がたまたま乳房が大きかった場合を考えてみてください。彼女を拒否して乳房のサイズの小さいアイドルに置き換えたり、服を工夫して乳房の見え方を調整したりするのは、むしろ彼女を、ひいては女性一般の態度を萎縮させる結果に繋がるでしょう。それゆえに男性オタクが声を揃えて「別にエロくないが?」と言うのは意味があるのですが、一般の女性が信じない場合には意味がありません。ただ男性オタクの評判を下げるだけです。女性性を、女性のパブリックイメージを傷つけうる表現をやんわりと差し戻して、消費者が公式(運営)と共に、キャラクターの魅力とコンテンツの面白さにスポットを当ててそれを楽しめるようにシフトしていくのがベターな態度だと思います。目指す未来では、大きな乳房も見えてしまったお尻も、障がい者の体の一部と同じように、ただの身体的な個性のひとつになり、特に注目を集めることも腫れ物のように注意深く扱う必要もなくなるでしょう。
私は、かつて性的消費に反発しフェミニズムを鬱陶しく思っていた男性オタク増田でした。しかし内省を重ねた果て、現時点までに、このように考えるに至っています。