はてなキーワード: 一言とは
お怖りします
それがトラップなんだな。
何故かこの曲、ハクじゃないコーラス部分にも
ハクのキーに合わせてるとまあそこの部分が
出ないの。かといってコーラスに合わせてると
ハクが出ないというジレンマ
笑っちゃうぐらい難しすぎる
ていうかこの曲を採点可にしたカラオケ運営チームはやっぱりどうかしてる
無理。
その一言に尽きる
もう一度言う
無理。
最高音にカスリさえしない
早いけど、一番までは何とかいける
二番以降は…ね
ていうかラスサビはやってることが水泳かって
ぐらい息吸う場所がない
ふざけてるように思うけど、マジでこの曲は苦手です。真面目に歌うと本当に大変
ひたすらに疲れる
私は、ずーっと、勉強とか仕事とか趣味ばっかりで、録に恋愛とかしたことなかった。だから稼ぎだけは良い。その分趣味にお金をつかってて。
けれども、恋愛に興味がないとか、結婚願望がないとかそういうわけではなかった。諦めていただけで。
だから、たぶん、りりちゃんみたいな人が急に私の前に表われたらコロっと騙されると思う。
どうやったらりりちゃんに、騙されないかと考えてみた。まあ一言で言えば「夢」を見なければいい。
考えてみれば、他の多くの詐欺だってそうだ。簡単に投資で大金を稼げるだとか、簡単に痩せられるだとか。
そういうのを簡単に信じてしまうバカにならなければいい。それだけなんだろう。
うまい話はない。たぶんそれはみんな分かっている。けれども、話のうまい人は簡単に夢を現実のように錯覚させる。
りりちゃんみたいな女性は、たぶん私のような男の心理を把握してこれまで一度も恋愛に上手くいったことがない人間に対して心をつかんで、惚れさせて、相思相愛だと思い込ませるのに長けているんだろう。そして、上手くお金を引き出させる。
正直言って、恐怖だ。恐怖でしかない。
私のように恋愛したことがない人にとって騙されない自信がまったくない。
そして、そうやって人間の心をもてあそんで、平気な顔して騙してくる女性がいることが怖い。
そして、もし騙されたらと思うと怖い。
本気だと思った相手が本気じゃなかったときの絶望感はどれほどなものだろうか。
そしてそのとき誰にも相談できないと私は思う。恥ずかしすぎて。
騙すほうが悪い。けれども、騙されるのは愚かだ。詐欺の被害に合うのは自分が愚かだという証明になる。それも精神的ダメージが大きい。
恋愛詐欺に合うとそういう自尊心は木っ端微塵に吹き飛ぶ。身の丈にあった恋愛をしてこなかった良い大人になれなかった野郎だって証明することになる。
私はもちろん良い大人だと思ってはないが、たぶんそういう恥ずかしさで誰にも相談できないだろう。
「夢みさせてもらったから良かったじゃないか」という人がいることに絶望する。たぶん「恋愛できなかったものが恋愛できる経験」ができたから良かったじゃないかと思っているんだろう。そして、「相手からも好きだと思ってた人がそうじゃなくて単にお金目的だった」ことを思い知る落差を想像できないんだろう。そういう意味でも、軽々しく人に言えたもんじゃないなと思った。
自分を守るために「そういう甘い話はないんだ」と言い聞かせるしかない。ああいうのは漫画やドラマやアニメの世界だって。
諦めるしかないんだと。
けれども、そう強く思っても、やっぱり騙されない自信が全くない。
「頂き女子」みたいなロマンス詐欺師がこの世からいなくなることを切に願うしかない。
すくなくともそういう巧妙な詐欺師が私の前に出現しないことを願う。
子供の頃から、世の中の「闇」というものに対して、異様に怖い感覚がある。
「闇」と言うと感覚的だが、「悪」の定義を少し広げたようなものだ。馬鹿にする、見下す、茶化す、ネタにする程度のものや、冷たい、メシウマ、突き放すなどの冷酷さ、そういった負の感情や行動に対する強い恐怖心がある。
そういったものは、ざっくり「闇」という名前で括っている。簡単に言えば「正義とルールとマナーが守られていて、暖かみのある人間や場所」しか安心できず、それ以外の存在に対する極度の恐怖心である。
そしてこの「闇」への恐怖心は、田舎の廃墟であったり、あるいはボロアパート、あるいは場末のスナック、あるいは薄暗いビデオショップなどの、私の中のある種の「貧しさ」のイメージと、密接に繋がっている。あとはバッドエンド系の青年向け漫画なども、そういった「闇」を感じさせられる。
子供の頃はこの「闇」が消え去った、誰も不幸にならない、完成された世界を作り出したいと願っていた。だがその闇は年月を追えば追うほど、私の生活の周りに這い上がってくる。振り解けば解こうとするほど、闇は私の近くに差し迫ってくるように感じる。
「闇」というのは、おそらくは「貧困」「孤立」に対する恐怖心の、私の中の原初的なイメージの事だ。私の家庭は一言で言えば「貧困家庭ではないが機能不全家庭」であり、故にそうした貧困への恐怖は、実際の貧困家庭出身の人間以上に、「見えない」からこその恐怖心が肥大化している。
自民に投票でも創作やってるかつ脳が死んでないなら山田赤松に入れるような投票しなくてええやろって話やで。
だってあいつらオタクの尊厳がーって場面でなんか一言コメントは一応するけども、クリエイターのためには特になんもしねえ票数多いとこの人気取りが本分なんだもん。
なんとなく興味があってヒマだったので調べてみたよw
選考基準は、縦棒2本の真ん中あたりを横棒1本でつないだ形。左右はみ出しはナシ。同一言語で同じようなのが複数あるときは、一番それっぽいの一個だけ登場願った。あと、発音記号とか大きさ太さの違いとかで装飾入ってるのもナシねw
ちい、おぼえた
無実の罪で逮捕された場合、どのように対処すればよいか。荒川弁護士は「当番弁護士」の制度を利用すべきだという。
「当番弁護士の制度は、逮捕された人が1回、無料で弁護⼠を呼んで相談できるというものです。
警察官に一言、『当番弁護⼠を呼んでください』と言うだけでいいです。
繰り返しますが、費用は無料です。自分がおかれた状況をきちんと伝えれば、その後のことについて的確なアドバイスをしてもらえるし、心理的な負担も軽くなるはずです。
自分のモラトリアムにセカイ全てを巻き込み、セカイの全てを自分がモラトリアムを卒業するための踏み台にする物語。
自己陶酔、自己憐憫、自己解決、自己完結で突き進むどこまでも俺俺僕僕私私自分自分な物語。
ポップカルチャーとの適当な距離感も取れないまま大きくなった精神年齢中高生の中高年向け雑誌たるアフタヌーンで煩悩の数だけ連載されただけのことはある。
「まだるっこしく小難しく語られ物語世界全てを巻き込み人類の善悪を裁く長大なSF」だが、とどの詰まりは「僕が僕という人間を理解し、等身大の気持ちで世界と向き合った結果、あんなに空回りしてBIGなことを求めていた気持ちの内側が、愛情に飢えた赤ん坊みたいなものでしなかったことを認めるまでの物語」でしかないという。
セカイ系はセカイと愛する誰かを天秤にかけるが、その天秤にかける誰かさえ存在せずただひたすら「いつも苦しくて辛い僕の気持ちを理解してくれないセカイに対して思い知らせてやるぞ」と意気込んでは何もかもを滅茶苦茶に壊し続けるだけという。
挙げ句世界中からそんな自分を見透かされ、いいように役を与えられた役をそのままやりきって、気づいたら全員に置いてけぼりにされてたことに唐突に気づく。
どうしようもないほどに独り善がりで、悲しいぐらいに幼い主人公の物語だ。
世界全てと自分を天秤にかけてアッサリ自分の価値が勝ってしまうほどの強烈な自己愛のせいで、実際の世界を正しく認識できず自分の認識するセカイの像に振り回されるがままに堂々巡る。
世界を正しく捉えることが出来てないから自分の立ち位置も分からず、世界や誰かを鏡とすることで自分を客観視することもずっと出来ないから自分が何を望んでいたのかも最期の最期になるまで理解できない。
終わりのないモラトリアム、周りがとっくに卒業したハシカにずっとずっと悩まされ熱にうなされながら自分の心に映ったセカイの姿に振り回されるままに世界を彷徨い世界を敵に回し世界に利用されてセカイが壊れる。
世界を相手取ってるはずなのにどこまでも完全な独り相撲、だけどそれに皆が付き合ってくれているからさも自然と噛み合わさせていただいていたことに後から気づいて赤面する気も失せていく。
強すぎる自己愛は世界を滅ぼすが、滅ぼされた世界は滅びたいから滅びただけで結局ガキ一人がどうこうしようが世界の行く末なんて何一つ変わっちゃいない。
しんどいな。
世界全部と引き換えにしなきゃ治る機会さえないようなモラトリアム。
フォスは卒業したけど、読者のオタク共に世界と引き換えにモラトリアムを卒業する機会なんてやってこない。
だから読者のオタクはずっとずっと変わらずにモラトリアムのままで生きて、モラトリアムの中で死ぬんだ。
この話はこれでおしまいなんだ。
違うよ。書面で交付してちゃんと要求すれば要求通りに作られるという話だよ。
それに対して「そういうのはそりゃそうだけど、間違ってた場合にやり直させるとしてやり直しにも時間がかかるわけよ」とかいったのに「上手くいかないなんて一言も言ってない」という人が出てきたので、
上手くいくってどういう意味?って聞いたんですよ。
実際「ひねりも何もなく超絶ど真ん中なフェミドラマ」なんだよね
だいたい朝ドラなんてアレに限らず視聴者層に合わせてそれとなくフェミニズムを匂わせるのは珍しくないけど、ここまでド直球でやってくるのは確かに珍しい
女というだけで被害者であり、立場は違えど女それぞれの地獄があり、しかしそれを超えて女同士団結できるはずってジャンプ漫画かお前はみたいな流れやってるけど
現実にはそんなシスターフッド(笑)なんて産休クッキーひとつで容易く瓦解するっていうのにね
申し訳程度のノルマ的な「男もつらいんだよ」みたいな描写にしても、なんというかレスバばっかり意識しすぎなんじゃないかと思う
別に男ファンもヤバいけどはてなとかVtuberオタクのヤバさを語る時に男しか目に入らないアホしかいねえから
敢えて「女ファンヤバ過ぎ」って言うね
好き嫌い.comっていう色んな個人への誹謗中傷のメッカがあるんだけど
ttps://i.imgur.com/9s9qgQa.png
こういう総投票数ランキング上位を見ると女性人気の高い男Vtuberのファンが多いサイトである事が分かる
その一方で男のVtuberと女のVtuberが少しでも話したりするだけで
女Vtuberの好き嫌い.comのページが女Vtuberへの誹謗中傷がめっちゃ増える現実がある
実際は女好むんじゃなくてイケメン好むユニコーン(?)が多いのが現実じゃねえか
何で好き嫌い.comを話題に挙げてるんだって意見があるかもしれんけど
今現在Vtuberへ誹謗中傷する厄介オタクが一番観測されるのが好き嫌い.comだからだ
X(旧twitter)とかも多いけどそっちは厄介オタクだけを抽出して観測するのは難しいからな…
昨日から、NewJeansのプロデューサーであるミン・ヒジンと、元締めであるHYBEがこれでもかと揉めている。詳細は適当に調べてくれればいい。
そのとばっちりで改めて「NewJeansおじさん」がきもがられているわけだが、というのも、このニュースに注目して物知り顔で物申しているのがもれなくこの層だからだ。そもそも、ミン・ヒジンという裏方にやたら関心があるのもNewJeansおじさんたちの特徴であって、「にゅじたちが心配😭」とかつぶやいているようなティーンたちは、ミン・ヒジンが誰なのかもろくにわかっちゃいないだろう。
念のため、きもがられているNewJeansおじさんが中年男性である必要はない。ある特定の性質を持った人は誰であれ「NewJeansおじさん」なのであり、非おじさんにきもがられる立場にある。
この性質がなんなのかといろいろ考えてみたのだが、一言で言ってしまえば、「NewJeansを作品として鑑賞しようとしている」ということになるのかもしれない。NewJeansおじさんたちはもれなく鑑賞者であり、非おじさんたちはそうではない。
要は、おじさんたちはよくできた作品を求めているのであり、その価値を堪能したいのであり、それをもたらした作者や文脈について知りたいのだ。なんなら言葉を尽くして批評したい。
残念ながら、ティーンたちからすればおじさんたちのこのようなふるまいはかなりきもい。非おじさんたちからすれば、肝心なのはまずもってメンバーたちであり、そのかわいさであり、人生である。推しの幸せが一番なのであって、彼女たちをひとつの作品の一部としてモノ化する視線をそもそも持っていないのだ。
ここには、決してわかり合えないふたつの態度がある。おじさんたちはNewJeansメンバーたちのVlogなんて見ないし、非おじさんたちはミン・ヒジンのインタビューなんて読まない。
いま、NewJeansはミン・ヒジンを追ってHYBEを去るか、ミン・ヒジンと手を切ってHYBEに残るかという選択を実質的に迫られている。言うまでもなく、おじさんたちがより望んでいるのは前者であるが、おそらくティーンたちにとってより好ましい帰結をもたらすのは後者だ。ミン・ヒジンの世界観、おじさんたちを引き寄せていたあの芸術性を失うことは、芸術作品としてのNewJeansの終わりを意味するが、「推す」側はそもそも芸術性なんて気にしていない。非おじさんたちはなんであれ愛を注ぐのだから、GODSみたいなクソしょうもない曲を連発して人気が停滞したところで、愛がより加速するだけだ。
おじさんばかりがきもがられるのであえて言うが、対象のクオリティを度外視してひたすら「推す」というのは、それはそれで無責任だし傲慢なふるまいだ。
「かわいい」「頑張ってる」ぐらいしか評価軸を持たないファンたちは、今回の件がこじれてNewJeansがいよいよ落ち目になったとしても推し続けるのだろうが、それにだって限度がある。そのうちどうせ、ILLITなんかに乗り換えるのだろう。
そして本当にひどいことに、HYBEに代表される大手企業は、このような乗り換えを推奨するかのごとく次から次へと新人グループを量産しては既存のグループを切り捨てていっている。良い作品を良い作品としてじっくり長く嗜む、という鑑賞的態度が廃れているばかりか、「推し」に対立する態度としてけなされている現状が、このようなビジネスモデルを助長していることは言うまでもない。
いくらかわいくて頑張っていても、作品として劣っていては意味がないだろうと、そう思う私はNewJeansおじさんである。多少なりともそう思うのであれば、あなたも多少はNewJeansおじさんである。
そんなお前にBUMP OF CHICKENの66号線のリリックを送る
声を無くしたら僕じゃなくなる
それでも好きだと言ってくれますか
ただ一言だけ褒めてください
それだけで全てを信じる
糞コメを大量にもらって気づいたけど、糞なコメント、非生産的で一方的な欲求を満たすだけのオナニーコメントに共通するのって、「相手を採点しようとする」行為なんだよな。
コミュニケーションは当たり前だけど採点じゃない。採点し終わった時点でそれは相手を見切った、興味がないということ。
これを自覚的にやってても嫌なやつだけど、たぶん大半の糞コメは自分が糞失礼でバカなことをやってるという自覚もなしにやってる。
採点バカに共通してるのは、コミュニケーションの不完全性と双方向性を理解してないこと。
まず、人が何かを延べるときにそこに誤りや曖昧さが含まれることは当たり前であって、それだけで発信者の瑕疵には絶対にならないということ。
次に、その誤りや曖昧さから生まれる情報の空白は、聞き手が埋めるかどうかを判断する義務と責任を有すること。
この二つが当たり前のこととして頭に入ってない上に、これをやらずに未完成に終わったコミュニケーションが非生産的で自分の価値を下げるものだという自覚がない。
まあ一言で言えば日本の教育システムの悪い影響なんだろうけど、結構な数の日本人の頭の中には、評価する方が偉い、評価する側に立てば自分の有能さを証明できるという思い込みがあるように思える。
これはもちろん完全な間違いで、評価するということを職務として与えられてない奴が、勝手に他人を自分基準で裁いても痛いだけだし何の生産性もない。
社会に役立つ有能さとは、まずコミュニケーションを双方向で成立させる努力をすること。そして、それがある程度の成果を得たら、あるいはこれ以上成果が得られないと判断したら、穏便に打ちきり、不必要に一方的な価値を押し付けないことだ。
まかり間違っても、生産的な会話に、どちらかが優位に立ち、評価し、感想を述べるなんてプロセスはない。
「この増田は○○がわかってないな」「○○について書いてない、やり直し」なんてブクマは全く賢いもののやることではない。のだけど、まあ、これだけ言ったところで、もうそういうロールプレイで遊んでる子供みたいなものでしかないのが、糞コメバカの実態な気もするので、栓ないなあ。