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はてなキーワード: 一義的とは

2019-11-04

anond:20191104142158

Cornellの議論は、ポルノグラフィ危害を認める一方で、ラディカル・フェミニズムの主張するような形での危害を相対化する。「さらに言えば、マッキノンによると、ポルノグラフィ男性レイプへと駆り立てることによって産業の外においても女性への直接的な暴力を引き起こす原因になるという。これから見ていくように、私はポルノグラフィの直接的効果としてレイプ輪郭づける因果モデルの適切性を疑問視する。……私は原因―結果モデル自体に関して疑問を呈したいのである。これほどまでに複雑で多層的に象徴が刻み込まれているセクシュアリティ世界でこのようなモデルを使うことは難しい。しかし、このモデルはドゥウォーキン/マッキノンの条例案の基礎として決定的な意味を持っているのである」 。実際に、McKinnonのポルノグラフィ観は、その表象性を(意図的に)無視したものであり、その点について法による規制という強力かつ一方的手段を用いることには強い疑問がある。「……しかし忘れてはならないのは、ポルノグラフィーは、「グラフィー」という接尾辞が示すように、何よりもまずひとつ表象、ひいては表現作品で……ある。人種差別と同列に語りうるのは性差別であってポルノグラフィーではない(性差別は様々な形をとりうる)。ところがマッキノンらにとっては、結局のところ、ポルノグラフィーと性差別同義語なのである彼女らが、ポルノグラフィーにおいて重要なのはそれが「する」ことであって「いう」ことではない、行為であって思想ではないと、ことさらに強調するのはそのためである。……ある表現物が「いう」ことは、なにも(一義的な)「思想」や「メッセージ」に限られるわけではない。言語というものは、自然言語であれ映像言語であれ、ある奥行きをもった立体であり、そこには多重な意味作用が畳み込まれうる……。マッキノンらの議論は、……ジョン・R・サールが「間接的言語行為」と呼んだような現象をいっさい捨象した議論である」 という批判は、言語行為の間に明確な区別を設けずに、ポルノグラフィ性差別のものであるという一種イデオロギー依存した議論に対する批判のものである

もちろん、McKinnonらの条例案は、ポルノグラフィという言葉制限的に定義することによって、そうした一般的議論ではなく、特に女性に対して酷薄もののみを定義域に含めている。しかし、それですらなお表象問題は不可避であり、言語行為限定なく同一視する立場には、疑念がある。まして、直接的効果が後年の研究によって疑問視されている状況にあって、規制根拠果たしてどこまでの力を持つといえるだろうか。仮に、McKinnonの主張がなされた当時においてそうした言語行為が一致するような時代的状況が存在したということを承認したとしても、その射程は現代日本には必ずしも及ばないだろう。つまり日本におけるポルノグラフィ製作必然的にそうした女性虐待表彰ではなく行為として含み、またそうして製作されたポルノグラフィ表象必然的に(fuckerとしての)男性レイプに至らしめ、(fuckeeとしての)女性従属化を固定化する構造を持っているということが実証的に明らかでない限り、法による規制という手段は困難であろうと考えられる。

また、Cornellの依拠するポストモダンフェミニズムは、立場としてのポストモダン主義を前提としており、そこでは、男性性/女性性といった二項対立的な概念整理はそれ自体批判対象となる。McKinnonらの議論は、女性解放というフェミニズム根底目的に対して、一定文化コードとしての女性性を再定義し書き込むものである、というのがCornellの分析である。そしてこれは、ポストモダニズムコミットするか否かというメタ的な問題を抜きにしても、汲むべきところのある議論であろう。つまりポルノグラフィ規制根拠として、加害者/fuckerとしての男性被害者/fuckeeとしての女性を暗黙裡に前提し、それを基盤として提示される議論は、必ずしも現代において盲目的に首肯されるべきものではないというところである

そもそもポルノグラフィは、男性のみによって消費されるものではない。これは、少なくとも現代日本においては議論に際して念頭に置かれてよいことであるように思われる。レディースコミックと言われるジャンルは、1980~90年代ごろから女性向けの(広義での )ポルノグラフィとして書店に並ぶこととなった。また、同人誌として、いわゆる「やおい本」や「BL」というジャンルもこの頃から一定勢力として存在していた。これらは全く女性使用し、消費することを前提に(そしてその多くは女性たちの手によって)制作されたものである。ここでは、ポルノグラフィ概念として当然に前提されていた男性消費者ということさえもが相対化されている。それは、女性性的欲望セクシュアリティがfuckeeとして規定されていたこから解放であるとも評価できるのではないだろうか。そこでは、主体として性的願望を抱く女性が前提されている。ここでは、主体-男性/客体-女性というメタ二項対立接続否定されている。これは、ポルノグラフィ危害論において、根底を掘り崩す事実であるのではないか、と考える。これに対して、メインストリーム男性製作し、男性が消費するポルノグラフィであるという反論はまた、十分に考えられる。しかし、仮にメインストリーム男性向けであって、女性けがサブストリームであるという主張を容れたとしても、なおポルノグラフィ必然的に男女を社会的構造化し、差別を直接的効果として助長し、あるいは引き起こすものであるという根本主張は、強く相対化されたものとしてとらえられなくてはならなくなるということは言ってよいように思われる。

4. 結び

前章において、ポルノグラフィの及ぼす危害について、その直接性が少なくとも現代日本においては相対化されるべきであることを示し、また、McKinnonやDworkinの議論それ自体に潜む女性性のコード化はフェミニズムの本義からしてなお批判可能性を有するものであるというポストモダンフェミニズム見解を紹介した。そのうえで、表現の自由という価値原理ポルノグラフィに対していかに向き合うべきかということを簡単に整理する。

日本において、表現の自由の価値は高く見積もられる 一方で、定義づけ衡量のもとでポルノグラフィを含む一定表現について規制肯定する。そして、ことポルノグラフィにおいてはそれが善良なる性風俗や最低限の社会道徳の維持という目的のもとに正当化されてきた歴史判例上有する。McKinnonらの議論において革新的であったのは、ポルノグラフィ規制道徳的な問題と訣別し、女性に対する危害の面から規制検討されるべきである、ということであった。この指摘は、法と道徳可能な限り切り分けようとする立場をとるならば高い妥当性を持つものであり、その危害現実的に認められる限りにおいて表現の自由に対する制約は当然に許されるものとして考えられる。しかし、この危害に関しても、「(リューベン・)オジアンの著作[ポルノグラフィーを考える(2003):筆者註]は、ポルノグラフィーに対する道徳哲学の立場からアプローチであるという点で注目に値する。彼は、ジョン・ステュアート・ミルの「危害原理harm principle」……の流れを汲む自身の「最小倫理éthique minimale」に基づいて、ポルノ規制正当化する議論……に反駁している。ポルノグラフィーがもたらすとされる「危害」について、オジアンが反ポルノフェミニストとは大きく見解を異にしていることは容易に想像できるだろう。興味ぶかいのは、オジアン同様「善」ではなく「正義」の問題として……ポルノグラフィーをとらえたはずのフェミニスト議論すらじつはある「善」概念を暗黙裡に前提していると彼が指摘している点である」 という指摘がある。つまり特定の善概念に基づいた特殊的な危害が主張されているに過ぎないのではないか、ということである。例えば、守旧派的なキリスト教における「善」の概念同性愛を悪と断じたことを考えれば、一定の善が前提されたうえで主張される危害は、相対化してとらえられるべきであろう。

こうした危害についての理解は、法規制についてネガティヴであるさらにMcKinnonらの主張には逆行することとなるが、むしろその主張における「道徳から危害へ」の転換は現在規制すら過剰なものであるという結論への親和性を有している。もちろんこれは、女性に対してポルノグラフィ制作現場において発生する暴力虐待を許容せよということを決して意味しない。むしろ、そうした事態が発生した場合に、適切に法が救済を与えることは、考えるまでもなく必要なことである。そのためにいかなる手段妥当であるかが問われるべきではないだろうか。

一部のフェミニストが主張するように、ポルノ出演や売春を含めたセックスワーカーである女性が、法規制対象となるのではなく、むしろつの職業」そのものであり、合法であるという社会的及び法的な認知必要となるのではないだろうか、と考える。それが社会的正業である認知されることは、その「職場」におけるハラスメント虐待を看過しないことにつながりうる。問題が発生した場合に、自らの「クリーンハンド」において司法の救済を要求することが可能となる。そして、そうした「解放」は男女(あるいは性的少数者性)を問わずに自らのセクシュアリティに対して真剣に向き合うことを要求する。それによって、直接的は生じないものの、間接的にあるいは無意識的に発生しうる「危害」は社会的に相対化されうるのではないだろうか。

以上のポルノグラフィ規制緩和論が、法が向き合うべき一つの筋道ではないだろうかという主張をもって、本レポートの結びとする。

参考文献

キャサリン・マッキノン,アンドレア・ドウォーキン中里見博,森田成也訳「ポルノグラフィ性差別」(青木書店, 2002)

・ドゥルシラ・コーネル仲正昌樹監訳「イマジナリー領域」(御茶の水書房, 2006)

大浦康介編「共同研究 ポルノグラフィー」(平凡社, 2011)

キャサリン・マッキノン森田成也ら訳「女の生、男の法」(岩波書店, 2011)

スーザン・J・ヘックマン著 金井淑子ら訳 ジェンダーと知 : ポストモダンフェミニズムの要素(大村書店,1995)

2019-10-27

それでは皆様、ご待望の答え合わせのお時間です

いやさ、投下12時間後位に見たらノーブクマ煽りトラバから、こんなに大漁になってたの気付かなかったわ、めんごめんご!

あと、文章なのはごめんなさいその通りです、完全片手間&やっつけ仕事です。まあ、言い訳と言われればそれもその通りよ。しっかし3行目から消して適当文言入れ忘れてるし、小見出し2つ目も入れ替えるの忘れるし、かといって今から手直しも卑怯っぽいから、直すに直せなくなったなこれ

一応ケツに「反転可能性」と書いたので、やや牽強付会に最大限、愛トリに寄せたつもりではあるが、他人思考トレースするの難しいっすね

では皆様の二枚舌(あるいは信念による鉄面皮)をご覧ください。

両方ノーコメントだったブクマカは省略

https://fut573.com/compare/?url1=https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2F20191016150214&url2=https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2F20191019000050

name献血イラスト問題についてトリエンナーレアート問題について短評
id:aomeyuki献血は困っている人を助ける為の良い行いだから、そこで発生する「モノ化」は甘受せよってロジックが増え始めてるけど、それこそが性や身体への搾取の具体例なると思うんで、それを広めて大丈夫かな。自分は「日本人」ではあるけど、「日本」ではないのでよくわからない話だった。それと憎悪嫌悪人間内包している当たり前の感情感覚なので、それが外側に出てしまう事を殊更に避けるのも不自然その「よくわからない」から出るそぶりを出せるかよ
id:SweetGiraffeこれは日本赤十字も『複数女性性交渉を持たず体重がそれなりにある若い男性』に寄り添った広告は打てなくなる。残念だが2019年では『人の命』より『政治的な正しさポリコレ』の方が重くなってきてるのだ。表現に対する嫌悪感』は、あいトリも献血ポスターも同じでしたね。 
id:kyo_juすげぇ。ビリーバーだ。釣りかそのぐらいかは見抜こうぜ
id:memomizawaなぜこの絵がエロいと思えるのか、他の絵はなぜエロくないか、考えていくと美術って面白いと思いませんか?そこには文脈がある。我々は性によって生きている、存在しているということもまた事実であるのです…日本に対して絶望したり、憎悪したりすることない?この主張だと公的な場では愛国的な作品しか見れなくなるよ。誇りに感じている日本の歴史を振り返れよ。ほら、「みんな憎んでる」としか見えてない
id:onigashira_3追記読んでも主語デカいなとしか思わなかった。個人の話を男女の話として語ってるだけ。  
id:kiku-chan複雑な問題なのに、単純化したブコメ星がつくのな。/ 戦略として「思考停止」って言葉を使わないほうが言葉は届いたのかな? 丁寧に言っても届くべき人には届かないようにも思うが日本過去の過ちに言及すると「反日だ!ヘイトだ!」と騒ぐ人の思考が見えた気がする。そりゃそれを見せようとして訳でな
id:myogabとは言え、切りが無いよなあ…。襟足や首筋や足首にフェティッシュを見出す者も定番として、古来から居たわけでな…。裸にペイントしたような「服」は画力が無いよな…とdisりながら潰してゆく方向かなあ。苦痛があるのは理解するが、被害者特権を振りかざし更なる弱者により酷い苦痛を与える事を容認する事には無理があるわな。弱者恫喝サヨクだと批判してきた事だろ。建前は守れよ。まず救う事によって救われようよそれ結局弱者トーナメントっすよね。あなた基準では後者の方がまだ強者だとおっしゃってるだけで
id:mimoriman貞操逆転世界をみんなに読んでほしい。原作エロ同人らしいんだけど、商業化で女の子主人公に。男性性的な目で見られまくる世界転移してしまう話。正直ここまで女性エロと密接に生きてきたのかと衝撃だよ?言葉尻をつかまえてるブコメ多いけど、たぶん若い子はこんな考えの人多いよ。自国ディスしまくりのインテリ層の大人辟易しながら成長したんだよ。今の若い衆、そんななの?
id:pikopikopan最近性の教育が適切でないから、無駄に傷ついたり傷つけたりして、結果殴り合ってるのではないかと思い始めてる。  
id:tomoya_edw性的消費」という文言への思い込みいね。この絵の対象世代はとっくに意識変わってるのにな。思考停止はどっちなんだろうか、女性という性はそこまで特別扱いか?この作品ですらその部分の捻りがあるのに。思考停止という言葉は嫌い。誰だって考えている。同じ言葉とて受け入れられるタイミングは異なる、そういう経験あるでしょう。党派性は雑フィルターだと思っている、普段は働かせていないと脳みそ負担がでかいとはいえ、何のフィルタもなしに世界を受容することが出来るかというと
id:tatsuya_memo宇崎ちゃんワンピースセーラームーン。挙げられた個々の例へのスタンスはどうあれ増田主張の骨子は理解できるはずだし、特に男性は深く受け止めるべき。意識しないと無自覚女性差別し続けるよ。自戒を込めて。例のポスター表現の自由が侵害された案件ではなく、ミラーリングのつもりなら不適切萌え絵を扱った美術展に展示されていたとしても誰も文句言わないだろう。その他ツッコミどころ満載で頭の悪さが溢れ出ている。ところがぎっちょん、美術展にも放火あったんだなぁ
id:RRDこの議論からポジショントークしかできないアニメアイコン排除して欲しい。まずはそこからそもそも日本」ってなんだ? ってところから考えるのが思考だよ。こいつは間違いなく、「日本」とはなにか考えたことがないことが文章からよくわかる。考えたことない人、ちっすちっす。いきなりアイコンだけで排除しろって、それ考えてやってるの?
id:mohno思考停止しないで聞いてほしいが、「不快ものから否定するのはおかしい、表現の自由」という看板を掲げていたあいトリエンナーレ応援してた太田弁護士自分不快とき看板下ろすなよ、と言ってるんだ。そもそもあいトリエンナーレ」は実施から男女平等じゃないくらものすごいことが起きる」と“認識してやったこと”だから、“予期せず話題とされた”であろう「宇崎ちゃん」と比べるものでもないんだよね。そこまで細かいフレームを比べだすと、凡てモノは比較できなくなるのでは
id:Ayrtonismこの意見に賛成の人も反対の人も、一行一行に反応するのを止めて、一旦最後まで読んで、胸の中に収めて、咀嚼して、消化してみてほしい。それくらいよくまとまっている。自分もすごく参考にしたい。最初から前提が全く理解できないので、全編通して全く理解共感もできない。「日本に対する憎悪を煽っている」という自分勝手に設定した前提を疑わないことこそが「思考停止」そのものじゃん。理解できないんじゃなくて理解したくないんでしょ?宇崎ちゃんエロ、って自分勝手に設定した前提じゃないって言いきれるの?
id:deep_one非実在に対して「性的に消費」とか言われてもな。しかもあのレベルで。そう来るか。当たり前だが元を崩せないから内容は無茶苦茶だな。そこがこの芸の弱点よ・・・
id:asx個人としてあの手のイラストは好きじゃないんだけど、ただの「お気持ち」だと自覚してるからなくせとは思わない。基準があるようでない「性的消費」を印籠にこの手の議論をするのは悪手なのでは。思考停止」という言葉、左右フェミその他問わず結局「自分意見が違う人間は間違っている」とイコールで使われすぎで、この単語を見ただけでそっ閉じしたくなる昨今。正確には「この思考に従って停止せよ」って話よね
id:EnergeticDuckセーラームーンSM連想させるので公に出すな、まで言うならまだしもフェミニストから同じ熱量で上がってきた事は無いので、お気持ちでしょう。自分を善人の顔した利己主義者だとも振り返って頂けませんか?"日本を憎むことは普通の事なんだよ、という教えが公的の場におかれていることが問題なんです。" 子供自己肯定感かに関係しそう(アメリカ人アメリカ肯定感つよそうUSA!USA!が大前提からあいつら・・・
id:kyoto117性的に消費」という言葉定義がよくわからない。性を意識する部分を強調した描き方をしたポスター問題なのか、それを使うことが問題なのか、ポスターを見て「性的に消費」することが問題なのか。単に文字遊びをしたいのか、事象皮肉りたいのか、だとすれば対となる元ネタとしてこれを採用した意図は何か、つまるところどういう効果企図したのか、全てにおいて不明瞭。わかりやすくいうと覚悟が足りない無名者に何の覚悟の在らん。迷陽迷陽无傷吾行
id:grdgsあの絵が性的欲情を狙って描かれているのは明らかだからな。一応言っておくが性的がすべて駄目ではなく議論余地はあるってこと。議論スタートにも立たず「オキモチダー!」ってそれこそお気持ち思考停止だよね。あれを作った人・支持する人は日本を憎んでいるという発想が間違っている。「憎んでいるに違いない」というお気持ちだよ。被害妄想批判=増悪と単純につなげる雑な「思考停止」多すぎ。自陣以外に正しいお気持ちはないらしい
id:world3話の前提がおかしい。献血ルームは日本赤十字の管理する私的空間であって公共の場ではない。なんだかよくわからんけど、元ネタの出来が悪いから改変後もイマイチすまん、こういう時はすべて改変者がへっぽこなせいだ・・・元ネタ悪くない
id:teto2645ただ単に面倒で図々しい人。なるほど。思考停止という言葉には普通に考えれば自分と同じ考えにたどり着くはずなんじゃ低脳どもが、という意味がある訳ですね。わかりますまあ、左側の前衛史観に立つとそうなりがち
id:amematarouあれを東京オリンピック公式キャラにして世界に発信する事を考えてみてよ。公的機関がやる事じゃないって思わんのかなぁ?こんな奴がいるから、漫画アニメオリジナル天皇が出てくる作品が作れないんじゃないの?漫画オリジナル天皇出てくる筋が見えねぇ・・・
id:ug_idolsexual objectification の概念なんて馬鹿には理解できない  
id:right_eyeでもそれを言うならアイドルガーリーな服等も性的消費だし、性的消費を肯定する女性向けの媒体女性誌のモテファッション特集等)も全てアウトと思いますが、なぜポンチ絵ばかり?思考停止せず答えて貰えますか?検閲を是とする気も少女像否定するつもりもないが、「これは日本人に向けたものではない」「これは日本否定ではない」という主張には説得力がないと思う。明らかにその要素はあるし、あった上で表現の自由が必要萌え絵あなたに向けたモノではない」
id:tikuwa_oreうん、いいから、黙って病院に行け。脳の。自分モデルになってるワケでもない単なる「絵」を、「女性」という共通点つのみで自分と同一視するんだからマジで病気以外の何者でもないワケだが。表現不自由展については「国家自治体国益を損なう表現に対し公金で支援する必要はない」「民間企業個人が自費でやる表現国家が口出ししてはいけない」でいいんだよ。 
id:kincity女性社会からどう見られたいのか」って人間として見られたいんじゃないの?男は精子供給するだけの存在と見られたいの?/「黙って病院行け」←君がな。君女が男より犯罪率高いてデマ流して撤回もしてないだろまぁ昔はそこらじゅうでフィリピンかにまれててそれが雑誌に載ったりカジュアルにしてたんだけどね。古本屋行ってごらん。じゃあ、昔はいっぱいあったかヌードカレンダー復活させようぜ!って違うだろーッ!
id:laislanopira……。あるいは一番正解かもしれない
id:inferio北拳見て現実人間殴るヤツはそいつキチガイだ。エロい絵見て現実人間危害加えるやつもそいつキチガイなだけ。自分不快に思う以上の意味を持たない主張に社会正義のような絹を纏うやり方は不誠実だまず旧日本軍ていうのがキチガイカルト民衆がハックされた状態なわけで、そんなもんに唾を吐きかける表現が今の日本の何を傷つけるのか分からない。オウムテロの行状くさして展示してるようなもんやろオウムほど彼岸ではなくない旧軍?ってか、その孫曾孫に至るまで謝罪のため拝跪せよって話なんすけど先様は
id:udukishinだったらスナックとかキャバクラとか接待する店を非難しろよ。あっちは「実在する人」が性的搾取されてるぞ。「生活のため」?ならイラスト関係者や漫画家は?他の職業しろ?それならスナックとかも同じだろ!あーなるほど「それ敵増やすだけだからやり方考えよ?」と言いたいのか。それはわかる。そこまでどっちかに肩入れしたいわけではない
id:LittlePenguin新宿二丁目ポスター修正が求められるのと同じだね。制限かけたい人々がいる。 http://murapo.sakura.ne.jp/pl2/?p=84弱者ランキングが始まったようですね。併せて性的消費で女性弱者なのかBLについて https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1910/23/news105.html[後で読む]
id:mutinomuti増田性的搾取されていると感じる公的コンテンツは許されない(´・_・`)まで読んだ読んでないけど思考停止するなと言う人の多くが思考停止してあらかじめ自分の考えたストーリーしか提示できないので読む価値は低そうである(´・_・`)逆もまた言えなくはない、という話なので、そこが読めれば見る価値が低いことはある
id:mukudori69あの絵自体は明らかに、胸を強調するための構図・彩色・視線誘導だよ。性的魅力を強調するため以外の目的あるんだろうか。性的魅力の強調度合いは露出や肌面積で一義的には表せないと思う。してやったりと思ってるのかな。苦笑しかないけど。公的な場って何回も自分で書きながら意味差異を考えなかったの?…書いてないのか。しょーもな自分で書いておきながらその共通性も考えなかったの?しょーもな
id:quick_pastサヨ叩きしてる愛国者連中や、少数者を社会から追い出してコスト削減したがってるネオリベとか、これもだけど行き着く先は欲望を好きな時に開陳できる、ケンのいない北斗の拳なんだが、それでいいわけか?から、なんども言ってる通り、ちゃんと、相手言葉を、一度でもいいから、真っ直ぐ、聞いて、知って、その上で解釈して、それから自分なりに考えたことを、書いてください。一度でいいから、脳味噌を通して。君も、条件反射じゃなくて、一度でいいから、脳味噌を通して。
id:cha9ファンタニマチらによる一大性的消費コンテンツ男性の裸体丸出しの大相撲公共放送毎日お茶の間に届けられてる異常な国ニッポンに関して増田はどう思ってるんやろ。伝統だしセーフは無しな、元は丸裸なんや自然文章だなと思ったら改変後の主体おかしい。比較揶揄するならフェミ弁護士の双極になるのはガソリン脅迫犯や電凸やった奴ら。で日赤漫画作者に当たるのが表現不自由展。日本不自由やと思考停止の例何らかの表現を葬ろうとした段階で同じでは。フェミ弁の双極はあえて言うなら名古屋市長付け火して煙喜ぶ連中よ
id:frothmouth🤔 フェミニスト学会とかで、この絵は性的ポイント何点とか基準を作ったらどうだろう?80点以上はフェミニスト的には禁止とか?もちろん、社会の側はそれに従う必要はないけど...パロディなのか真剣なのか7:3位っすね正直
id:mouseion自衛官イケメン化するのも辞めて欲しい。僕はごつごつしたラグビー稲垣選手みたいな自衛官の方が大好きです。むしろ野人系推してけよ~。アゴラ読売記者ネトウヨがね、この間僕を名指しで日本不自由なのか“バカサヨ”って発言してるのよね。そのリテラシーの欠片もない不自由発言を僕は評価したい。左翼バカなら右翼もっとバカなのだとね。ごめん誰か解説して

anond:20191019000050

2019-08-30

リツイート同調したうえでの拡散と見なされるのか?

アホすぎる投稿晒し上げるという意図でする人も多いかと思う

自分判断に迷うもの拡散することで、有識者の目に留まり正しい解説がなされることを期待する人も多いと思う

リツイート共犯誤報増幅!悪質!って一義的に語るのは如何なものか、と思うけど、そうでもないの?

引用リツイートで、審議不明、要解説、くらい書いておかないと、リツイート意図によらず犯罪なの?

2019-07-25

anond:20190725134348

http://mizuhofukushima.blog83.fc2.com/blog-entry-647.html

わたしの一番の危惧は、拳銃麻薬は、一義的にわかるけれども、ポルノ一義的に決まらないことだ。

拳銃麻薬は、それがそうであるとすぐわかる。

「銃でないと思いました。」などという主張は、法廷で許されるわけはない。

しかし、ポルノかどうかは、人によって違ってくる。

与党基準曖昧から」ではなく「ポルノのもの基準曖昧から」としか読めないが。

あと「児童ポルノ規制自体に反対する」というのがどこから出てきたのか分からん

実写の児童ポルノ撮影まで含めて擁護しないと「児童ポルノ問題で頑張ってきた」と表現してはいけない?

狂人か?

2019-02-08

anond:20190207004137

児童相談所 拉致 静岡市」などと検索すれば、当事者(親)が発信する記事を閲覧することができる。Twitter実名発信すら行っている。

彼らの主張と、裁判所認定事実とを対比しながら読めば、恐ろしさが伝わってくると思われる。

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損害賠償請求事件

東京地方裁判所平成21年(ワ)第25349号

平成25年8月29日民事第44部判決

口頭弁論終結日 平成25年4月25日

       判   決

(第1,第2 省略)

第3 争点に対する判断

1 認定事実

 前提事実に加え,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(1)本件小学校入学前後の経緯

ア 原告Q1は,原告Q2及びQ9との同居を始めた平成19年2月頃,Q9が時間を守らないこと,嘘をつくことを矯正させる必要があると考えて,原告Q2との間でQ9へのしつけの方法について話合い,その結果として,原告らは,Q9が小学校入学した同年4月頃から,Q9が上記の点について原告らの口頭での指導を守らなかった場合には体罰を与えることとした。

 原告らの体罰は,当初は頭を軽く叩く程度であり,その後顔を平手打ちするようになり,同年6月頃からは,Q9に木製の子ども用バットを持ってこさせて,臀部をバットで叩くことなどがあった。

(甲4,75,原告Q1本人)

イ(ア)Q9の所属するクラス担任であるQ12教諭は,平成19年4月頃,Q9の顔に痣があったこから,その痣について聞いたところ,Q9は,タンスの角にぶつけたと述べた。Q12教諭は,その後,Q9の顔の別の位置に痣があることを発見した。

 Q12教諭は,同年5月下旬頃,Q9が忘れ物をして登校してきたため,どうしたら忘れ物をしないようにできるか尋ねたところ,Q9は泣き出して,自分学校の支度をしていることのほか,原告Q1は殴るので恐いこと,原告Q2はQ9を守ってくれなくなり,原告Q1と一緒に怒ってばかりいるが,以前はそうではなかったことなどを述べた。そこで,Q12教諭は,Q9に対し,先生はいつも君の味方であり,先生が守ってあげるなどと述べた。

 原告らは,同月31日,本件小学校担任教諭保護者との間での連絡帳に,Q9から先生が守ってあげるという発言があったと聞いたが,その発言真意確認を求める旨の記載をした。

(イ)本件小学校のQ13教頭は,同年6月5日,原告ら宅を訪れ,原告らと面談した。その際,Q13教頭は,虐待の疑いがある場合についても適切な対応をとる必要がある旨述べ,原告らは,今までQ9はしつけを行われずに育ってきており,Q9を良くするのは今しかないこと,しつけの方針として,悪いことをしたら殴ること,虐待を疑っていることは理解していることなどを述べ,Q12教諭上記(ア)の発言について,Q12教諭からの直接の謝罪要求した。これを受け,Q13教頭は,一旦本件小学校に戻り,Q12教諭と共に再度原告ら宅を訪れ,Q12教諭上記(ア)の発言について,誤解を招く発言であったとして謝罪した。

 Q9は,同日以降,Q12教諭に対し,先生が来てくれてから殴られなくなったと述べた。

(ウ)Q9は,同年6月29日,右大腿部,右肩に赤色の跡があり,Q12教諭が,Q9がプールに入る際にその跡について聞いたところ,Q9は,原告Q2から叩かれたと述べた。

 また,Q9は,同年7月2日,右目の下部に痣があり,Q12教諭からその痣について聞かれたところ,原告Q2に殴られたと述べたが,Q13教頭からその痣について聞かれた際には,Q9は転んで怪我をしたと述べた。そこで,同日,Q13教頭原告ら宅に架電したところ,原告Q2は,Q9が2日続けて許せない嘘をついたこから原告Q2が殴った,私も人間から感情的になると述べた。

 原告Q1は,同月3日,本件小学校架電し,Q13教頭に対し,原告らは冷静にQ9をしかっていること,同じ状況であれば原告Q1であっても殴っているはずであり,原告Q2も同じ方針であることなどを述べた。これに対し,Q13教頭は,殴らないで育てることをまず考えるべきであるなどと述べた。

(エ)Q12教諭は,同月4日,原告から,本件小学校教育方針等についての意見記載された手紙が送付されたため,同日午後3時頃,原告ら宅を訪問した。その際,原告ら及びQ12教諭居間にいて会話をしていたところ,原告Q2は,一旦居間を離れてQ9の部屋に行き,Q9を叩き,居間に戻ってきた際に,「今私,Q9のこと,叩きましたから,守って下さい。叩きました。嘘ついたから。」などと述べた。

 その後,本件小学校のQ14校長教務主任及び生徒指導主任原告ら宅を訪れ,原告Q1から学校で行う教育と家庭で行う教育区別をしたガイドラインを示してほしいという要望があったため,Q14校長ガイドラインを示す旨述べて,同日午後8時30分頃にQ14校長らは原告ら宅を離れた。

(甲11,17,18,乙ろ2の12,乙ろ15,証人Q13)

(2)本件一時保護に関する経緯

ア Q14校長は,同月6日,静岡市教育委員会に対し,前記(1)イの経緯を報告した。静岡市教育委員会は,同月10日,静岡市α区の要保護児童対策地域協議会児童福祉法25条の2参照)の定例実務者会議において,Q9を要保護児童として提示し,Q13教頭が前記(1)イの経緯をまとめた報告書(乙ろ2の12の1ないし6丁)を提出した。上記会議に出席した静岡市児童相談所の所員は,同日,本件小学校に対し,Q9は保護を要する児童であるため,今後Q9に痣等があった場合には児童相談所に通告するように指示した。

イ Q9は,同月13日の登校の際,左顎及び左目下部に痣があり,Q14校長がその痣について聞いたところ,Q9は,嘘をついたことを原告Q1に怒られて殴られたと述べた。そこで,同日「Q14校長は,静岡市児童相談所架電してQ9について通告した。また,同日のプールの授業の際,Q9の大腿部及び背中に痣があることが確認された。

 静岡市児童相談所は,同日,上記通告を受け,子ども虐待対応の手引き(平成19年1月23日付け雇児総発第0123003号厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課長通知。乙ろ2の10)及び静岡県中央児童相談所作成家族支援ガイドブック(乙ろ2の11)に基づき,上記アの会議に参加していた所員等による緊急受理会議を開催し,Q9に行うべき支援及び援助の内容を判断するための虐待処遇アセスメント指標(乙ろ2の6)で判定をしたところ,虐待の程度は,5段階の上から2番目(打撲,広範囲の軽外傷等)であり,調査格付は,生命を脅かす(又は高い可能性がある。)状態として,直ちに立入調査を行うこととなる「R-1」と判定された。また,静岡市児童相談所のQ15主任主事ケースワーカー)等の所員3名が,本件小学校に立入調査をして,Q9の顔から足にかけて痣があることを確認し,Q9に聞き取りをしたところ,Q9は,原告からは,Q9が時間を守らないという理由毎日殴られること,原告Q2の方が多く殴ること,原告Q1からおもちゃバットでいろいろなところを殴られ,原告Q1から殴られた際に血が出たことがあることなどを述べた。静岡市児童相談所は,上記立入調査をした所員からの報告を受け,上記虐待処遇アセスメント指標及び所員の合議に基づき判定をしたところ,Q9の支援・援助格付は,直ちに一時保護必要となる「AA」と判定された。

 静岡市児童相談所長は,Q9に痣があり,Q9も原告から殴られていることを認めたこと,本件小学校から家庭訪問をした後も原告から虐待継続していることが確認できたことに基づき,Q9を一時保護し(本件一時保護),その後に原告ら宅に架電し,原告らに対して本件一時保護したことを告げた。

 Q9は,同日,静岡市静岡病院のQ16医師の診断を受けたが,同医師作成診断書には,「全身に打撲によると思われる皮下出血を認める」として,〔1〕両下眼瞼,〔2〕左顎部,〔3〕右肩甲骨上,〔4〕左大腿背側,〔5〕右下腿膝下部前面及び〔6〕両殿部について,「いずれも鈍器,または靴による打撲跡と考えられる」,「上記外傷について全治一週間と診断する」との記載がある。

 静岡市児童相談所は,同日,静岡県中央児童相談所の一時保護施設にQ9の一時保護委託した。

(甲11,乙ろ2の4ないし6・12,乙ろ15,16,乙は3の1・2,証人Q17,証人Q13)

(3)本件一時保護開始後の経緯

ア 原告らと静岡市児童相談所は,本件一時保護が開始された平成19年7月13日以降,電話等でやり取りをしたが,次のとおり,原告らは,Q9に対する体罰虐待ではなく,親である原告らの意思無視して本件一時保護継続することは不当であるとの意見を繰り返し述べた。

 原告Q1は,同月20日,静岡市児童相談所のQ15主任主事との電話で,虐待はしていない旨述べ,暴行肯定されると考えているかとの質問に対して「ええ,肯定されますよ。当たり前じゃないですか」「一時的感情だとかそんなことで虐待を繰り返してきているわけじゃないんだ」,「責任ある体罰っていうのだってあるんだ」などと述べ,静岡市児童相談所のQ18統括主幹との電話で,同月27日,「Q9をおたくらに任せますけど,やつが20歳ぐらいになったときにまともな,私らが考えているような大人になってなかったら,抹殺しますんで。おたくらも含めてよ。」,同月30日,「子どもがこう,おれらの考えてたとおりに教育できなくなったときに,おまえらどういう責任とる。とらなかったときは,おまえ,リンチしてもいいか」,同年8月1日,「根本からお前らの育て方とか教育論が間違ってるのに,何で間違ってる奴らと俺らが話し合わなきゃいけないんだよ。」などと述べた。また,原告Q2は,同年7月23日,Q18統括主幹との電話で,「私達は少なくとも体罰体罰だって考えてるんですね。私の思う虐待と言うのは自分憂さ晴らしですね。」,「体罰っていうのは暴力とは違う」などと述べた。

 静岡市児童相談所のQ19主任主事心理士)及びQ15主任主事は,同月20日から同年8月31日まで,一時保護施設を訪れてQ9と面談,行動観察,心理テスト等を行った。Q9は,同月8日以降の面接で,原告らと会いたくなく,施設から帰りたくない旨訴えた。Q19主任主事は,Q9について,同年9月20日開催の静岡市健康福祉審議会児童福祉専門分科会児童処遇審査部会に「現段階では,本児の家庭に対する拒否感が強く,両親と距離を置き,守られた環境下で,本児の話に耳を傾け,個別には母性的で受容的な対応が望まれる。」,「これまでの養育環境により本児の情緒面での成長が阻害されてきた結果が示されており,今後,両親の養育態度に改善が望めないようであれば,家庭との分離はやむを得ず,児童養護施設への入所が適当であると考える。」との心理診断の結果を提出した。同部会では,Q9の入所措置承認を求める申立てを行うことに異議は出なかった。

 静岡市児童相談所のQ20所長は,上記原告らの発言心理診断の結果及び上記部会の結果を踏まえ,原告らによる暴力継続される可能性が高く,Q9も帰宅拒否していることから児童養護施設への入所が適当であるとして,同年9月25日,入所措置承認を求める申立て(本件申立て)をした。

(甲11,14,乙ろ7の1ないし7)

イ 原告らは,同年9月28日,静岡市児童相談所を訪れ,Q20所長,Q17参事平成20年4月1日に静岡市児童相談所長となった。以下「Q17」という。)等の所員と面談した。この面談の際,Q20所長らは,本件一時保護の経緯や,Q9については児童虐待防止法2条1号所定の暴行が行われたもの判断していると説明したが,原告らは,「体罰虐待はこれ別物ですから」,「しつけの段階で,あざができるほどたたかなきゃいけなかった」などと述べてQ9の返還を求め,静岡市児童相談所はこれに応じなかった。

(甲9,10,乙ろ7の10)

ウ Q20所長ら及び原告Q1は,本件承認審判及び本件勧告がされた後である平成19年12月21日,静岡市児童相談所面談した。原告Q1は,本件承認審判の「二度と虐待に該当するような体罰をさせない」という文言から虐待に及ばない体罰については容認されたもの解釈している,体罰主体にしない努力はするが,目的によっては必要なこともあるなどと述べたのに対し,Q20所長は,しつけ自体否定するわけではないが,体罰を伴うしつけは子ども心理的な影響があり好ましくない,本件勧告を受けて,静岡市児童相談所から原告らに対する指導方法について年明けに提案する旨述べた。また,原告Q1が,原告らがQ9の通学している安西小学校に面会等を申入れることは問題となるか確認したのに対し,Q20所長は,今の状態だと問題となる旨述べた。

 静岡市児童相談所は,平成20年1月頃,上記提案として,Q9と原告らの家族統合に向けた「ご両親への支援プログラム」(以下「支援プログラム」という。)を作成した。支援プログラムでは,〔1〕目標は,「Q9君が安心して生活できるような家庭づくり。」であり,〔2〕方法として,原告らが静岡市児童相談所を訪れ、概ね1か月に1回2時間程度を目安に面接実施し,面接以外にも課題の提出をお願いすることがあること,〔3〕2月から3月頃にQ9の気持ち確認し,写真ビデオレターなどを通した親子交流を始めること,〔4〕Q9が原告らに会いたいという気持ち確認し,5月から6月に児童相談所内で原告らとQ9との面会を実施し,6月から7月初旬に親子での外出を実施すること,〔5〕面会・外出時の親子の様子,Q9からの外泊希望確認し,児童相談所所員による家庭訪問実施した後,7月初めに家庭への外泊を開始すること,〔6〕外泊が繰り返される中で,良好な親子関係が認められ,引取り後の支援のあり方について共通理解が得られれば,家庭引取りとなることが記載されている。

 Q20所長ら及び原告Q1は,同年1月11日,静岡市児童相談所面談した。静岡市児童相談所のQ21心理士支援プログラムについて説明するなどしたところ,原告Q1は,支援プログラムは本件勧告無視したものである原告らは体罰をしているのであって虐待暴力ではない,一時保護自体間違っている,おれは日常生活の中で普通にやっていく中で必要であれば絶対体罰は使う,まずはQ9を帰してもらいたいなどと述べた。そこで,Q20所長は,再度提案をする旨述べた。 

 Q20所長ら及び原告Q1は,同月24日,静岡市児童相談所面談した。Q17が,本件勧告に基づいてQ9を帰宅させるためには,虐待に該当するような体罰はしないことが条件になる旨述べたところ,原告Q1は,裁判所原告らが虐待をしていないと認めており,Q9をすぐに返してもらった上で静岡市児童相談所による指導を受けるというのが原告らとして譲歩案の全てである静岡市児童相談所原告らの意見を聞かずに一方的な主張をしているなどと述べた。

(甲9,10,乙ろ5の2,乙ろ7の11・12)

エ Q9は,平成19年12月31日,静岡ホームで転倒して頭を打ち,CT検査をしたが,脳に異常は認められず,頭部挫傷と診断された。

 静岡市児童相談所は,原告らに対し,上記転倒事故を通知せず,原告らは,平成20年3月7日に静岡市個人情報保護条例に基づき開示を受けた文書により,上記転倒事故の発生を認識した。

(乙ろ1)

オ 原告Q2は,同年2月1日,静岡市児童相談所に対し,Q9の毎日の詳しい言動や様子を報告しない理由等の回答を求める質問状を送付した。また,原告らは,同月8日,静岡市児童相談所を訪れ,本件抗告棄却決定に対して特別抗告申し立てた旨伝えるとともに,親権行使するとして,Q9の毎日の一時保護施設及び小学校での言動を報告することを求めた。さらに,原告Q1は,一時保護期間の7か月でQ9の身長が2.4センチメートル体重が1キログラムしか増えていないという理由で,Q9への精神安定剤等の投与を疑

2018-12-27

どうかみんな見てほしい。私刑ということ、世間というもの

「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。 」

日本国憲法31条に明確に規定されているこの言葉は、いくらか人によって解釈が違う。例えば刑事罰於いて犯罪者に対し口頭での罰や晒し刑などは当然存在せず、また誹謗中傷の類は生命或いは自由を奪うものではないとして、ネットリンチ正当化するものがいる。(ただし31条に関係なく名誉毀損罪として訴えられるケースは多々ある)不倫報道が出れば当たり前のようにネット中で罵詈雑言が書き込まれしかもそれが正義などと囃されたりする。

何度も人に言ってきたことだろうが、上記の通り法律手続きなくして個人個人他者を不当に罰することは法律上認められるものではないことを忘れている人間が少なからずいるようであるネット私刑と言ってネット上での私刑行為問題視する動きもあるが、時折それはネット上でのみ私刑が行われるというような、問題をある概念に閉じ込めてしま不可思議ロジックを感じることがあるためここに明言しておきたい。ネット以外でも私刑というのは存在する。

姦通が行われて、復讐のために一方が他方を害するというのはときおり聞く話である。(弁護士局部切断事件((某大学法科大学院に通う青年が、妻の浮気相手である男の局部を切断した事件))が一例)ただ、この場合強姦されたと勘違いした男側の凶行だったそうだが、率直に言って、強姦であっても私刑が認められるということはありえない。強姦から、大切な人を殺されたから、自分尊厳を著しく傷つけられたから……感情的には理解できる理由だし、被害者権利などを損なうつもりもなく、また加害者を守ろうという意志もない。ただ私刑がいけない。というより、これらは私刑でもなんでもなく明確な「犯罪である。当然、それを行った人間は(さらにいえば、そこが正当な法治国家であるなら)他の犯罪者と同様に裁かれる。

ただし、裁判において情状酌量がないわけではない。例えば尊属殺重罰規定違憲判決(実父殺害事件((実父から恒常的に性交渉を迫られて、父との子供まで出産夫婦同然の関係を強いられていた女性父親殺害した事件)))のさいには被疑者側の事情や心情などを斟酌して、合憲違憲判断に関わらず、すべての裁判所が能う限り量刑を軽くする方針を示し、その過程において尊属殺の法令見直し違憲に至ったという事例があるし、平たく言えば、裁判だって鬼ではない。同じ犯罪であっても同情の余地がないものは重刑となるし、上記の通り減刑されることもあるだろう。

一体なにが言いたいかと言うと、被害者、あるいは被害者親族加害者間に於ける私刑は、それが行われた時点で法律上明確な「犯罪」として認識され、刑法に則った判決が下されるということ、第二に、私刑という観点からのみ指摘できる事由ではないこと、第三に一般的にそれは個人個人との事件であるということである親族を殺されたもの復讐のために加害者を殺せば当然罪に問われるし、そのさい殺害に至った様々な問題メディアリンチ経済的精神的な救済の不十分)が見直される。さらに言い及ぶなら、すべての復讐殺人などをなくそうというのは極端に言ってすべての犯罪をなくそうと言うようなもので、私刑のような一義的観点から捉えられるものではないものの、明確な「悪行」として判断できる事由として扱える。

栃木実父殺害事件がどれだけ同情の余地があろうと無罪になることは決してない。あの京都認知症殺害心中未遂事件でさえ、刑は執行されたのである。さきほど法律は鬼ではないと言ったが、だからといって温情に充ちているわけでもない。設けられた基準範囲内で酌量するだけのことである

ところが、第三者アジテーションの如く私刑を推進したり、「この事例に於ける私刑はいいけど、この事例に於ける私刑ダメ!」などと何故か私刑差別化しているような人間をままみる。全部駄目だ。

ネット以外でも私刑があるとは言ったものの、それが私みたいな一庶民にまで広がってくるツールはだいたいネットで、こんな日記を書き出したのも「不倫をしたやつにはこうしてやれ!」という攻撃的な文体とともに男性器(おそらく偽物と思われる)を女性ジャンプして踏みつけ続けるという奇天烈動画を見てしまたかである最初も私は「なんだ、過激ジョークだ」と笑っていたが、それに寄せられた一連のコメントを見ても冗談ごとではないようだった。しか動画投稿した人の(動画自体は拾い物らしいが……)発言が「女の方が男より二倍浮気をしやすい。だから、女が浮気したときは熱した金属を流し込め」などというもので、ひどく戦慄した。もちろん、こんなものは広いネット世界におけるごくごく一部の一例にしか過ぎない。だからネット上、引いて現実でこのような復讐が認められているなどとは思わない。

けれども、どこかしら皆「悪人なら攻撃したっていいだろう」と思うところがあるかもしれない。しかし、それは間違いである。どんな理由があるにせよ悪行は悪行である。「あいつムカつくから攻撃してやろうぜ」というのと全く変わらない。いじめられる方が悪いなどと言って逃げる場合もあるが、いじめ自体が悪いということに変わりがない。どれほど正当化したところで絶対の誤りである

世間は非常に大きなうねりを持った流動的な性質があるので、一個人の考え方だけが改まってもしようがない面がある。だからこそ線引が難しい。私刑を撲滅したいからと言って一人ひとりの言論や行動に政府法律が過干渉すれば、それはディストピアである。ただ、逆説的に言及すると、ディストピアにせざるを得ないような民衆が力を持っているのも考えもので、人によっては、ある程度制限された世界のほうがずっと平和のように思うかもしれないのである。それはネットによって個人個人情報発信能力を持つことで、なんの権力地位ももたない一般人も、言動論理性、道徳的な真偽など情報発信するもの必然の悩みを抱えなければならないからこそ、より切実に考えられるべき問題なのであるネット私刑なんてものは、人々が出す機会もなかった攻撃性や偏狭視点顕在化した結果生まれ単語であり、その本質には一部の人間が私刑を……もっと悪質であれば、自分ストレスの発散のために他人を陥れることを良しとしていることにある。それに対抗するためには、その考えを持つ個人糾弾するのではなく、その考え自体批判しようという姿勢大事だ。「罪を憎んで人を憎まず」と言う言葉には深い含蓄が込められており、この私刑問題を考えることによって再確認することができるだろう。

こういうことを聞いて少しは反省するもの、この考えに肯い「そうだそうだ」と声を上げるもの犯罪者がいるなら石を投げるのが正義だと考えるもの、いろいろいるだろう。もしこの文章を見て少しは私刑を改めようと思ったとき、こういう風に考えてみてほしい。

自分は知らず知らずのうち、こうした行為をやってしまってはいいか」と。

私もそうするようにしている。これは悪いんだなー、なんて悪いやつだ、と考える前に自省する。これがとても重要である窃盗をしたもの馬鹿だと笑ってみても、よくよく思い出せば幼少期に、冗談ごとで済まされたとは言え窃盗じみた行為をしていたかも知れないし、いじめは良くないと憤る人が、いじめまがいの行為無意識にしてしまっていたということもありうる。罪を犯さない人は理想的だが、そうそうそんな人は現れない。ぜひ、私刑を嫌う人も考えてみてほしい。「私刑を嫌った結果、私刑を行う人々に、また私刑じみた行為を働いてはいないだろうか」。殴る、蹴る、罵詈雑言を吐く、情報が消えづらいネット個人情報を流す、ありもしない話をまことしやかに流布する……。こんなものはすべて私刑である

余談だが不倫事件話題になったベッキー川谷絵音氏の事件で、ネット上に不倫が許せないあまり過剰な罵詈雑言散見されることに苦言を呈していた増田へ、「不倫したいからそんなこと言うんだろう」とか「不倫しなきゃいいじゃん」とか、「人の性だから仕方ない」とかいコメントがつけられていて驚いたことがある。きっとあの増田にとっても予想外のコメントだったと察されるが、それらのコメントを見てどのようなことを思ったのだろうか……。

2018-09-26

思想対立について

自らの愚を自覚せず、考えることすらしないで、高みから物を言っているということにすら気がついていない破廉恥

心の乱れた人が多くなったものだ。

LGBT派とアンチLGBT派の両方がこの言葉を投げ合っている。私は第三者だが、

両派の強硬派のどちらにも当てはまるような気がする。

もう、何が正しいのか、何を正義とするのか、一義的に決定できない状態になってしまった。

言論の自由根拠にしてネットで皆が騒ぐ。落とし所があるのか? 落とし所を見つける努力を双方が取っているか


こんな現象LGBTに限らない。

次に来るのは暴力が優位に立つ時代かもしれない。悲しいけれど。

2018-08-25

私刑について

「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。 」

日本国憲法31条に明確に規定されているこの言葉は、いくらか人によって解釈が違う。例えば刑事罰於いて犯罪者に対し口頭での罰や晒し刑などは当然存在せず、また誹謗中傷の類は生命或いは自由を奪うものではないとして、ネットリンチ正当化するものがいる。(ただし31条に関係なく名誉毀損罪として訴えられるケースは多々ある)不倫報道が出れば当たり前のようにネット中で罵詈雑言が書き込まれしかもそれが正義などと囃されたりする。

何度も人に言ってきたことだろうが、上記の通り法律手続きなくして個人個人他者を不当に罰することは法律上認められるものではないことを忘れている人間が少なからずいるようであるネット私刑と言ってネット上での私刑行為問題視する動きもあるが、時折それはネット上でのみ私刑が行われるというような、問題をある概念に閉じ込めてしま不可思議ロジックを感じることがあるためここに明言しておきたい。ネット以外でも私刑というのは存在する。

姦通が行われて、復讐のために一方が他方を害するというのはときおり聞く話である。(弁護士局部切断事件((某大学法科大学院に通う青年が、妻の浮気相手である男の局部を切断した事件))が一例)ただ、この場合強姦されたと勘違いした男側の凶行だったそうだが、率直に言って、強姦であっても私刑が認められるということはありえない。強姦から、大切な人を殺されたから、自分尊厳を著しく傷つけられたから……感情的には理解できる理由だし、被害者権利などを損なうつもりもなく、また加害者を守ろうという意志もない。ただ私刑がいけない。というより、これらは私刑でもなんでもなく明確な「犯罪である。当然、それを行った人間は(さらにいえば、そこが正当な法治国家であるなら)他の犯罪者と同様に裁かれる。

ただし、裁判において情状酌量がないわけではない。例えば尊属殺重罰規定違憲判決(実父殺害事件((実父から恒常的に性交渉を迫られて、父との子供まで出産夫婦同然の関係を強いられていた女性父親殺害した事件)))のさいには被疑者側の事情や心情などを斟酌して、合憲違憲判断に関わらず、すべての裁判所が能う限り量刑を軽くする方針を示し、その過程において尊属殺の法令見直し違憲に至ったという事例があるし、平たく言えば、裁判だって鬼ではない。同じ犯罪であっても同情の余地がないものは重刑となるし、上記の通り減刑されることもあるだろう。

一体なにが言いたいかと言うと、被害者、あるいは被害者親族加害者間に於ける私刑は、それが行われた時点で法律上明確な「犯罪」として認識され、刑法に則った判決が下されるということ、第二に、私刑という観点からのみ指摘できる事由ではないこと、第三に一般的にそれは個人個人との事件であるということである親族を殺されたもの復讐のために加害者を殺せば当然罪に問われるし、そのさい殺害に至った様々な問題メディアリンチ経済的精神的な救済の不十分)が見直される。さらに言い及ぶなら、すべての復讐殺人などをなくそうというのは極端に言ってすべての犯罪をなくそうと言うようなもので、私刑のような一義的観点から捉えられるものではないものの、明確な「悪行」として判断できる事由として扱える。

栃木実父殺害事件がどれだけ同情の余地があろうと無罪になることは決してない。あの京都認知症殺害心中未遂事件でさえ、刑は執行されたのである。さきほど法律は鬼ではないと言ったが、だからといって温情に充ちているわけでもない。設けられた基準範囲内で酌量するだけのことである

ところが、第三者アジテーションの如く私刑を推進したり、「この事例に於ける私刑はいいけど、この事例に於ける私刑ダメ!」などと何故か私刑差別化しているような人間をままみる。全部駄目だ。

ネット以外でも私刑があるとは言ったものの、それが私みたいな一庶民にまで広がってくるツールはだいたいネットで、こんな日記を書き出したのも「不倫をしたやつにはこうしてやれ!」という攻撃的な文体とともに男性器(おそらく偽物と思われる)を女性ジャンプして踏みつけ続けるという奇天烈動画を見てしまたかである最初も私は「なんだ、過激ジョークだ」と笑っていたが、それに寄せられた一連のコメントを見ても冗談ごとではないようだった。しか動画投稿した人の(動画自体は拾い物らしいが……)発言が「女の方が男より二倍浮気をしやすい。だから、女が浮気したときは熱した金属を流し込め」などというもので、ひどく戦慄した。もちろん、こんなものは広いネット世界におけるごくごく一部の一例にしか過ぎない。だからネット上、引いて現実でこのような復讐が認められているなどとは思わない。

けれども、どこかしら皆「悪人なら攻撃したっていいだろう」と思うところがあるかもしれない。しかし、それは間違いである。どんな理由があるにせよ悪行は悪行である。「あいつムカつくから攻撃してやろうぜ」というのと全く変わらない。いじめられる方が悪いなどと言って逃げる場合もあるが、いじめ自体が悪いということに変わりがない。どれほど正当化したところで絶対の誤りである

世間は非常に大きなうねりを持った流動的な性質があるので、一個人の考え方だけが改まってもしようがない面がある。だからこそ線引が難しい。私刑を撲滅したいからと言って一人ひとりの言論や行動に政府法律が過干渉すれば、それはディストピアである。ただ、逆説的に言及すると、ディストピアにせざるを得ないような民衆が力を持っているのも考えもので、人によっては、ある程度制限された世界のほうがずっと平和のように思うかもしれないのである。それはネットによって個人個人情報発信能力を持つことで、なんの権力地位ももたない一般人も、言動論理性、道徳的な真偽など情報発信するもの必然の悩みを抱えなければならないからこそ、より切実に考えられるべき問題なのであるネット私刑なんてものは、人々が出す機会もなかった攻撃性や偏狭視点顕在化した結果生まれ単語であり、その本質には一部の人間が私刑を……もっと悪質であれば、自分ストレスの発散のために他人を陥れることを良しとしていることにある。それに対抗するためには、その考えを持つ個人糾弾するのではなく、その考え自体批判しようという姿勢大事だ。「罪を憎んで人を憎まず」と言う言葉には深い含蓄が込められており、この私刑問題を考えることによって再確認することができるだろう。

こういうことを聞いて少しは反省するもの、この考えに肯い「そうだそうだ」と声を上げるもの犯罪者がいるなら石を投げるのが正義だと考えるもの、いろいろいるだろう。もしこの文章を見て少しは私刑を改めようと思ったとき、こういう風に考えてみてほしい。

自分は知らず知らずのうち、こうした行為をやってしまってはいいか」と。

私もそうするようにしている。これは悪いんだなー、なんて悪いやつだ、と考える前に自省する。これがとても重要である窃盗をしたもの馬鹿だと笑ってみても、よくよく思い出せば幼少期に、冗談ごとで済まされたとは言え窃盗じみた行為をしていたかも知れないし、いじめは良くないと憤る人が、いじめまがいの行為無意識にしてしまっていたということもありうる。罪を犯さない人は理想的だが、そうそうそんな人は現れない。ぜひ、私刑を嫌う人も考えてみてほしい。「私刑を嫌った結果、私刑を行う人々に、また私刑じみた行為を働いてはいないだろうか」。殴る、蹴る、罵詈雑言を吐く、情報が消えづらいネット個人情報を流す、ありもしない話をまことしやかに流布する……。こんなものはすべて私刑である

余談だが不倫事件話題になったベッキー川谷絵音氏の事件で、ネット上に不倫が許せないあまり過剰な罵詈雑言散見されることに苦言を呈していた増田へ、「不倫したいからそんなこと言うんだろう」とか「不倫しなきゃいいじゃん」とか、「人の性だから仕方ない」とかいコメントがつけられていて驚いたことがある。きっとあの増田にとっても予想外のコメントだったと察されるが、それらのコメントを見てどのようなことを思ったのだろうか……。

2018-02-04

anond:20180204002642

奥行きのある感想ベースって「語彙」では無いと思う。

感想に奥行きのある人って、作品に触れながら、同時並行で

何か別の事を考えたり思い出したりしてるんだと思う。

作品の展開を目の当たりにしながら、

同時に「この演出ってあの時の自分体験と同じ感じがするな」とか。

或いは「ココで描かれる人間関係ってあの事件と同じだよな」とか。

作品構造分解して、自分記憶の中にある別の何かと突き合わせて、

そこから自分独自感想」みたいな物を導き出しているんだと思う。

そうでなければ、誰であろうと一義的で単調な感想になると思うよ。

ブログとかで面白い感想を書いている人は、

その「分解」と「突き合わせ」のマッチング絶妙なんだと思う。

なんというか「一見意外だけど言われてみると確かに納得できる」みたいな。

なのであんまし「語彙力」は関係いかもしんない。

もし増田ガチンコ理系なのであれば、

付き合わせるテーマとして「増田しか知らない超専門ジャンルの話し」を

選んで書いてみると、結構興味深い感想文が完成するかも。

2017-09-12

はてな民反差別ダメものリストを丸暗記してるだけ」

みたいな増田ちょっと前にホッテントリになってたが、

この丸暗記のほころびが、“反差別”と“反差別”が衝突するときに見られる。

差別問題一義的ではないから、こういうことは必然的に起こるのだが、

思考停止の丸暗記では何も話が進まない。

2017-09-09

ヘイトツイート踏みつけパフォーマンスの件で、ブコメが9割くらい否定的だけど、なんかもにょるなー。

文字数少ないから、いちいちエクスキューズもしてられないんだろうけど、Twitter社がヘイトスピーチ放置している(アカウント凍結基準が不鮮明で事実上野放し)のはたしかで、かつヘイトスピーチ定義も明確になってるし、

http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00108.html

https://mainichi.jp/articles/20170206/k00/00e/040/213000c

それに該当するツイートが出されてて、その上で「それヘイト違うだろ」というツイートまで出てるのはたしか問題だ。

だが、まず一義的に責められるべきなのはヘイトツイートを野放しにしているTwitter社で、サヨクだ、しばき隊だなんだと責めるのは、アンチ反差別になっているように見える。

もちろん「他者言論を踏みつける」(というか、そもそもモノを踏みつける)というパフォーマンス嫌悪感を示すのは理解できるし、それをドヤ顔でアップしたり、ヘイトではないようなのまで出してるのは問題で、そういった余計な論点を生み出した時点でこのパフォーマンスは失敗してるんだけど、日野ビンタ事件で「暴力絶対悪!」といってたブクマカは、ヘイトスピーチという暴力より、踏みつけという暴力の方を問題視するのか。

まずはヘイトスピーチという絶対悪(やそれを放置しているTwitter社)を糾弾すべきじゃないのか。

それとも俺が絶対正義マンになってるんだろうか。

2017-07-17

https://anond.hatelabo.jp/20170716213102

ネタバレ付きで補足を書いてもいいか

基本的に特異な運命に巻き込まれて戦っている人のアイデンティティ

職業とは直結しなくて当然なのにどうして職業身分所属をみんな気にするのかしらね

555  オルフェノクなので法的には死人で人じゃなくなっているか普通職業に就けないだろう。

電王  学校には行っていない様子だがまだ高校生の年齢で、店を親から継いだ姉と二人きり他に身寄りがないので姉の手伝いで働いている。

OOO  政治家家系御曹司だが親に反発して家を飛び出した人間で金は一義的問題ではない。最低限の金があれば困らない暮らしを心がけている(明日パンツ)。

キバ  ファンガイアとのハーフ生活の糧も含め人間界に紛れて暮らしていくための手立ては母親から与えられていた。

ゴースト  高校生で寺の跡継ぎだが最初に殺されてしまい、生き返るために戦っている。幽霊から職業には就けないし生活のために働く必要もない。生き返ってもまだ学生だし。

エグゼイド  研修医なので順当にいけば医師になるだろう。

2017-07-09

https://anond.hatelabo.jp/20170709085553

百合可憐ものだ」っていう定義一義的すぎるし、「男は可憐ではない」も感性狭すぎるのでは

BL百合ヘテロ概念を揺るがしたり調和したりしつつ、裾野を限りなく大きく広げていくことができるジャンルのはず

これまでに両者が接したことがなかったわけでもない

今後ともぶつかり合いながら影響を与え合っていくだけ

本題からはズレるけど、実際に一部の描き手は被っているわけだし、お互いを敵視するのは顕名じゃないですね

まー、でも百合BLっていってもTS男子×TS男子ですらなく、ただの純男×純男なんだから百合」はやっぱ違うんだよな

出版者の担当がアホ

2017-06-13

[]続き・問責決議案提出で延長幅が決まったと思う

http://anond.hatelabo.jp/20170613181216

承前

山本

「あのー私どもは、特区ーで、判断する場合に、その自治体からですね(咳払い)、そういう提案があって、その中身について判断して、最終的には事業者公募で決まっていくわけであります。そのなかで、今治市から、そういう、必要教員を確保しているというふうに聞いているわけでありまして、その点も含めてですね、その点も含めて、早期実現性があると判断したわけであります。」

田村

「ほんとむちゃくちゃな答弁なんですけどね、じゃあ今治市が確保しているって説明したって言うんなら、一体どこで説明したんですか。私が見てるヒアリングではないですよ(レジュメには書いてあるけど議論はされてない)。確保しているっていう説明は。じゃあ確保しているっていう説明は何回もされていた協議の中で出てきたとしましょうや。それだったらね、どの事業者が確保してるんですかって聞くのが普通なんじゃないですか。違うんですか。」

山本

「確保しているというのは、先ほど申しましたとおり、ワーキンググループに対する資料できちっと出ております。えーそれからワーキンググループ等の議論、えー議論等については、あーそれはあのー(オホン)、それぞれの専門家が(エホン)議論していただいているところでありまして、えー議事要旨等で明らかになっていると思います」(ワーキンググループはろくに議論してないんだって

田村

「じゃあその説明は、今治市が確保したということでよろしいんですか。」

山本

今治市が確保できると説明しているわけであります

田村

「ありえないですよね。ありえないですよ。公立大学作る計画だったんですか。今治市が確保しているってありえないでしょ。」

山本(WGのレジュメを見ながら自分で考えている答弁)

「わたくしどもは、そういう提案を、その実際に聞くのは自治体から、そういう提案を聞いてくるのでありまして、その自治体がそういうふうに確保しているといっているわけであります。」

田村

「そんなのでどうして実現性があるとわかるんですか。おかしいでしょう?今治市が、市立大学の教員を確保してるんですかそれじゃあ。そういう説明があったの?担当者どうなの?藤原審議官どうなの?」

藤原

「あの大臣が答弁されたとおりでして、私ども今治市一義的ヒアリングしておりまして、今治市事業者候補の方々とさまざまなご議論をされて、今治市責任で、ご説明あるいは、資料を作られたと考えております。」

田村

「じゃあ早期実現性があるということで、その事業者候補がどこで、どういう教員を確保するのかということを、聞いていたと、藤原さん、そういうことでいいんですね。」

藤原(こんな「加計ありきではない」から始まってる撤退戦をなぜ反対していたこの人がやらんといかんのだろうね)

「その段階で、どちらの事業者ということは当然、その法的なプロセスはございませんけども、今治市のほうで、さまざまな議論を、さまざまな事業者とされていたということだと思います

田村

「これもね。破綻してます。こんなので早期実現性なんていったら馬鹿にされますよ!一方は京都産業大学が、事業者としてわかっている、どういう教員が確保されるかわかっている、にもかかわらず早期実現性今治市がある。どういう判断してるんだって言うことになりますよ。これとんでもないことになってますよほんとに。もう一問聞きたいんですが、あの私これ、つまりね、これ平成30年開学をゴールとして、加計学園ありきで、具体的な構想を今治市と何度も協議していた、その情報内閣府の中でごちゃまぜになっちゃって、大臣の答弁作るときにね、思わず教員の確保まで書いちゃったんじゃないかと思わざるを得ないんですよ。何度も協議していた、本来1月4日以降、事業者公募してからしかわかりようの無いはずの、教員の確保を、早期実現性根拠に挙げるような答弁書を、内閣府が作ったっていうこと、それ以外説明つかないと思うんですけど、加計学園ありきで協議して立ってことでしょ。そうでなきゃ説明つかないですよ。」

佐々木

「これはあのーえーっとですね、今治市ワーキンググループヒアリングをごらん頂くと、今治市から聞いているわけです。その中で、配布資料、添付されている資料の中で、必要教員72名とはっきり書いてあるわけでして、我々は今治市からですね、ヒアリングをうけ、あのヒアリングをさせていただいたときに、今治市として、あの責任を持って出して、出していただいている、資料を私どもは受け取っているということであります。」

田村(笑いがこらえられない)

「あのーこれ、今治市は確保できないんです!何度も言いますけど、当たり前のことですけども、そんなので早期実現性判断したと、ありえない答弁だと、虚偽の答弁をしているといわざるを得ません。(以下山大臣加計孝太郎氏の関係について)」

田村さんの質疑終了後、自民党動議。

これ加計学園公募するまで決まってないよ、っていいながら、加計学園の出してる情報を基に実現性判断したっていっているって言う話ね。っていうか諮問会議に提出されてる資料の濃度が違いすぎるんだよね。

これ今治市大学設置にかかる経済波及効果とかもこの週末読んでみたんだけど、出してるのはいよぎん地域経済研究センターっていう伊予銀行の子会社なんですけどね。

http://www.city.imabari.ehime.jp/kikaku/kokkasenryaku_tokku/siryo01.pdf?1

まず算出根拠愛媛県産業連関表なんだけど、一番波及効果が大きいとされている237億円の施設整備効果(それ以外の運営効果は22億円)を受注してるの岡山のアイサワ工業大本組でしょ?もうその時点で愛媛県産業連関表使ってるの意味不明だし、就業誘発者数とか直接効果岡山にいくわけでしょ。今治の悲願なんだーとかいってるけど、結局バブル期に整備しちゃった高等教育用地にとにかく何でもいいから来てもらって、開発公社赤字を市に転化したいっていう目論見なんだと思うと泣けてくるぐらい今治市バカにされてるでしょ。いよぎんの取締役には、岡山理科大学長、前愛媛大学学長柳沢康信さんがいるし、アイサワ工業の親戚の逢沢一郎議員は、加計学園から不正献金問題で揉めた過去もあるし、もうどこ見ても関係者だらけで笑えてくるんだけど。

2017-05-29

anond:20170529132900

ちがう。それは配信著作権法でいうと「送信権」の話。ってこれはMMDなどの動画だけだけど。

32条ができたときネットなんて存在していないから、タグ付け・規約囲いのあるところへの投稿一義的公表といえるかは判決まち。

自分は、他人の閉鎖的コミュニケーション公表したものだといって論文引用するのが32条で許されるとはおもわない。

2017-05-22

[]国家戦略特区制度を作ったのは第二次安倍政権です

国会ウォッチャーです。

 どうもブコメを眺めていると、国家戦略特区制度民主党時代にも存在して、加計学園獣医学部を推進に切り替えたのは民主党政権時代だ、という認識の人がたくさんいるようです。最初、なぜ制度見直し民主党政権時代にやらなかったのかとか言ってるときは、わかってない人もいるんだな、という認識でしたが、どうもたくさんいるらしい。

ベガーギワクガーと言ってるはてサは、第一安倍政権特区許可しなかった理由を思いついたら教えてくれ。ついでに玉木雄一郎獣医師から献金も調べてくれると助かる。

民主党政権下主導の元導入された政策に対し自称ウォッチャーがどうコメントするかワクテカしてみてる

ちょっと検索しても、「そもそも今治教育特区にしたのは民主党」とか、「民主党政権時代方針転換した」というような論説がたくさん見つかりました。どうやらその辺のブログでそう思い込んだ方々がたくさんおられるようです。前者は完全な事実誤認で、今治しまなみ教育関連で構造改革特区になったのは、平成18年度で、対象事業小学校設置に係る校舎土地自己所有規制の緩和なので、まったく獣医学部関係ありません、これは余談。民主党政権時代方針転換というのは、構造改革特区提案に対する回答が、CからFになったということでいいのかと思うのですが、これはCは対応不可、Fが提案の実現に向けて提案内容を満たす措置検討を行う、ということになっています。これについては後述。

国家戦略特別区域法の成立は平成25年12月

都合の悪いことは民主党時代に決まったことにしたい人たちは簡単に時空を捻じ曲げるのですが、国家戦略特別区域法の成立は民主党政権時ではなく、第二次安倍政権平成25年12月です。ですので、問題がある制度ならなんで民主党政権時代廃止しなかったんだという主張も、第一安倍政権にやらなかったのはなぜ、というのも当然もう時空が捻じ曲がってるので、ご確認どうぞ。それまでの加計学園提案はすべて構造改革特区です。国家戦略特区意思決定は、これまでの構造改革特区と違い、形式上総理の専決になっています。以下は平成25年10月法案提出時の予算委員会質疑です。

塩崎恭久

 「総理が、私が直接担当する場所、これが実は上側の、特区諮問会議、こう書いてあります総理を長とすると書いてあります。ここで物事を決める。そのときに、関係大臣を入れる入れない、きょうも朝の新聞ちょっと一部出ていましたが、話がありますが、ここにあるように、もともと、関係大臣必要ときに来てくれ、こういうことでやっていたんですね。

 さらに、実はもっと大事なのは、三者統合本部とここに書いてあります。今は統合推進本部という名前法律をつくられているようでありますけれども、この問題については、私ども自民党の中で議論したときには大議論になりました。

 みんなが大変な批判をしたのは何かというと、この三者統合本部で、特区担当大臣地方代表、そして民間規制改革を唱えている代表、この三者で物事を決めていくということになっていたにもかかわらず、ここに、総理は入れるわ、関係大臣、つまり抵抗大臣になるかわからない人を入れるという案だったんですね、最初。それで、我々の自民党の中での議論で、それはとんでもないということになったわけであります

 そこのところで私ども今非常に心配しているのは、そうはいいながら、この統合推進本部、下の方で、三者でやるところですが、そこにやはり担当大臣をお呼びになるのではないのかというふうに我々まだ懸念をしているわけでございまして、ぜひここは、関係大臣の話を聞くのは総理のおられる諮問会議で十分なわけですから、この下の統合本部は、まあせいぜい事務方に来てもらって、いろいろな議論をする、詰まった議論をする。その上で、ここはここで決めて、それを特区諮問会議に上げて、そこで必要ときには総理が御判断されて、担当大臣を呼んで、関係大臣を交えて物事を決めるという形が私はあるべき姿ではないのかなということで、こういう意見自民党の中でも多いわけであります

 この点について、総理見解をお聞きしたい。これは、つまり、みずからドリルとなって、自分の場でやろうということで今つくりつつある国家戦略特区での法案でありますので、総理のかたい決意を聞かせていただければというふうに思います。」

安倍晋三

国家戦略特区ごとに設ける統合推進本部は、国家戦略特区担当大臣そして関係地方公共団体の長及び民間事業者の三者により組織する方向で検討しております

 御懸念関係大臣についてでありますが、ちなみに、安倍内閣には抵抗大臣というもの存在をしないということは申し上げておきたいと思いますが、この関係大臣については、三者の協議により、具体的な事業の推進等のため、必要場合には協議への参加を認めます。当然これは、見識、専門的な知識を有する所掌する大臣が入って、その所掌する立場から意見開陳することは必要だろうと思います。そうした議論をするのは、これは妨げないわけであります。むしろそれは必要なんだろうと思いますが、意見を述べる機会を与えることとしますが、大切なのは意思決定でありまして、この意思決定には加えない方向で検討をしております

 いずれにせよ、規制改革突破口として機能が十分発揮されるように制度設計を行ってまいります。」

これが国家戦略特区の特徴。要は、ごちゃごちゃ反対する省庁の代弁者になるような大臣意思決定プロセスから外す、とこう宣言されている通り、国家戦略特区総理意思で進むものですので、当然、最終的な説明責任総理にあるわけです。これに対して、構造改革特区意思決定プロセスはどうなっているかをみます

構造改革特区意思決定プロセス

 私個人としては構造改革特区が特段優れた制度だと思っているわけではないのですが、いちおう構造改革特区制度概要を考えますと、これは小泉政権時代に導入されたもので、ヒントは中国経済特区ということですが、沿革はまぁどうでもいいでしょう。

 構造改革特区では、まず地方自治体が、民間実施主体などと連携するなりして、構造改革特区計画策定し、それを内閣総理大臣認定する、というプロセスですが、構造改革特別区域法の第4条において、関係省庁の長の同意必要とされています。つまり総理1人の意志では決められず、関係省庁の長、つまり大臣同意しなくてはなりません。また同意しない場合には、その理由を回答することになっています加計学園提案が当初Cだったことに対する文科省意見は以下のようなものです。獣医師要請は、国全体での需給をもって考えるべきであること、さらに、地域偏在に対して、獣医学部の有無があまり関係していないこと(獣医学部があれば産業獣医師不足になっていないかというとそうではない)、四国獣医師への意識調査で、四国教育を受けても四国に定着しないと思う、という意見が最多であること、他の県では、産業獣医師公務員獣医師待遇改善などで、受験者の増加や早期退職の減少がみられたことなから、現状で行える対策をまずとってみては、という指摘です。この最後のところが基本線だと思うんですが、なぜ産業獣医師の不足に対して、待遇改善という話にならないのかはなはだ不思議です。駒崎さんが保育氏の待遇改善を求めているのは承知しているのでだまってましたが、保育士だっていっしょで有資格者の多くが働いてないみたいな現状があるときに、はたして試験回数を増やす、という対策がどの程度有効なんだい?とは思わざるを得ないのですが。話がそれました。

 それから文科省の回答が民主党政権時代平成22年にCからFに変わりました。この理由は、一義的には口蹄疫流行があったからです。口蹄疫流行を受けて、平成22年6月18日に「新成長戦略」が閣議決定されていますが、その中で、感染症対策に取り組むライフサイエンス分野の充実がうたわれているため、「提案内容を満たす措置検討」する、ということになっているのです。これが菅官房長官が前政権閣議決定された、といったことです。このFになったあと、今治市から、「獣医師の育成という文言は新成長戦略には出てこないけど、具体的にはどういう内容なのか」と再度聞いているように、別に獣医学部の新設が閣議決定されたわけではありません。

玉木雄一郎議員高井崇志議員らは意思決定権があるの?

なぜ野党議員利害関係者とされているのかがわかりませんが、彼らが獣医師会らの献金要請によって獣医学部の新設に反対したり、あるいは地元から要請によって、新設に賛成したり、それは当然いろいろあるでしょう。利害関係者の代弁者という側面は国会議員にはあります利益相反の申請必要とされる事例でも明らかなように、利害関係者は一切関わるな、ということではなく、利害関係にある人だということを明らかにしておくことで、説明を求めることになるというものです。福島のぶゆき議員が言っていましたが、逆差別があったとすれば、それも当然問題です。ですから意思決定過程がわかる資料を早急に法令にのっとって公開していただければと、考えているところです。

 ちなみに玉木議員日本獣医師政治連盟から100万円の寄付を受けていた、ということですが、それで玉木議員は、獣医学部の新設に対して、影響力を行使できる立場だったのでしょうか。また高井議員も同様ですが、彼は獣医学部の新設の推進ができる立場だったのでしょうか。とうぜん、野党の一議員に過ぎない彼らもまったくの無力ではないでしょうが日本獣医師政治連盟から50万円の献金を受けている獣医師問題議員連盟鬼木誠議員、30万円の献金を受けている下村博文当時の文部科学大臣、100万円の献金を受けている林芳正当時の農林水産大臣、50万円+18万円の派閥パーティ券セミナー参加料を買ってもらってる麻生太郎財務大臣らと比べてどれだけの影響力があったのでしょうね、という不毛な話になるので、およしになったほうがよろしいかと。要は誰がどのように、空白地域縛りや平成30年4月開校縛りをいれてきたのか、という経過がわかる資料を、ちゃんと提出していただければ、野党は即座にだまりますよ。

 追記

 小池晃議員の質疑よかったですね。文科省意見対応した、原案の段階では、やはり「空白地に限る」文言はなかったんですね。真偽不明のものには答えない、としか言えない状態でしたが、誰がこの文言を入れることを決めたのか、大事問題で、違法性の話じゃないらしいので、どうぞ正々堂々と是非是非本物の方を提出していただければ、疑いが晴れるのではないでしょうか。だいたい今日読売で前次官とされる告発者も腹が決まってるだろうし、名前を出して公開してくるんじゃないですかね。

2017-05-19

[]「総理のご意向文書、一応メモ書き

国会ウォッチャーです。

 文科省は、文書存在否定しましたね。公文書として存在していないことにしたようです。(ニュースみたら確認できないことが確定して調査は尽くしたという表現でしたね)次にやるべきことは、内容の齟齬確認していくこと、公式に行われたと思われる、内閣府審議官文科省課長の日程は提出させて、会談を持っている日を特定し、その会議議事録等についての公文書公開請求をかけることですね。朝日がんばって。

まぁ意訳してしまうと

1.内閣府文科省の設置審査関係で止まってしまうことを危惧している、文科省は急いで欲しい。やり方は2つあって、共同告示にいくか、諮問会議で決定するか。

2.文科省:設置審査必要な内容が整ってないのにGOは出せないかもっと余裕を持ったスケジュールにして欲しい、また党内の反対勢力を説き伏せるのは、問題化したら困るので、文科省ではやりたくない。農水省とかはどうやってるのかを副大臣に探ってもらいたい。また内閣府にとって、そのスケジュールはどこまでオブリゲーションなのか、を確認して欲しい。もし蔵石氏が当選したら麻生さんの抵抗は強くなると思うので、選挙結果は待ちたい。またどうしてもやるなら、需給の話は農水省責任を取ってもらわないと困る。

3.内閣府平成30年総理意向から曲げられない。文科省の都合で間に合わないといわれて、関係者がそれでいいっていうならうちらとしては困らないけど、あんたらは困ると思うよ。諮問会議決定にすると、総理が決めたみたいに見えるとダメから告示の方向で行きたい。告示にするにしても、農水や厚労省を巻き込むのは文科省でやってくれ。同様に党の手続きについても、自分たちが言ったときは怒られたか内閣府からは党に諮ることはできない。もしやりたいなら自分でやってくれれば、質疑には答えてもいい。告示なら法改正もいらなし。この話は官房長官まで通してあるから動かせない。

4.文科省責任を取らされたらたまらいか萩生田さんに動いてもらって、3省告示の形を作ってもらおう。

5.萩生田:需給の問題は、既存大学がやってないことという方向でクリアしたい。また四国獣医学部が無いので、それも理由になるだろう。30年4月は早いと思うけど、設置審査会でも誰も文句が出ないように、構想をブラッシュアップしないと間に合わないだろう。加計学園最初から決まってるように思われてはいけないから、設置審査会では無茶しないほうがいい。時期は補選後でもいいと思うから、農水には自分から話しておく。

6.文科省:党のほうの手続きの件で、反対派の獣医師関係者北村議員を通じて石破大臣麻生大臣感触をさぐる。石破大臣のほうで、総務会での議論に挙げてもらえることになりそう

という話の流れがわかる文書ですねっと。まぁ私の感触としては筋が通りまくってるので、本物だろうなぁと思いますよ。その点ではスシローさんに賛同いたします。

いまだに何が問題なのかもわかってない人もいるんですが、国家戦略特区という、総理意思決定権者な制度で、それまで総理以外が意思決定権をもつ制度では認められなかった制度優遇が、非常に近しいとされる人の経営する法人に認められたので、利益相反がうたがわれている段階なので説明責任は当然発生しており、公文書管理法が定める意思決定の経緯が追える資料提示する義務が発生しているのにも関わらず資料を出さなかったり、答弁を差し控えるから批判してるの。総理が指示してたらなんでもアウトなわけじゃない。

今回のメモ森ゆうこ議員請求したとき文科省は用意したけど、内閣府ストップかけてきたものである可能性もあるそうですが、こういった官僚のつくった打ち合わせ資料で、課内、局内で共有された書類公文書管理法が定める経緯を追うための書類です。一年未満規定にせよ、捨てられるまでは当然公文書です。

獣医学部新設に係る内閣府の伝達事項

平成30年4月開学を大前提に、逆算して最短のスケジュール作成し共有いただきたい。成田市ほど時間はかけられない。これは官邸の最高レベルが言っていること。山本大臣も「きちんとやりたい」と言っている。文科省メインで動かないといけないシチュエーションにすでになっている。

国家戦略特区における獣医学部新設に係る方針については、以下2パターンが考えられる。(今週、来週での対応必要

内閣府文科省農水省による方針作成(例:成田市医学部新設」)

国家戦略特区諮問会議による方針の決定(例:「民泊」)※諮問会議には厚労大臣も出席。

今治市分科会において、有識者らのヒアリング実施することも可能。(成田市分科会では、医師会は呼んでいないが、文科省厚労省で選んだ有識者意見聴取(反対派は呼んでない)。)

獣医学部新設を1校に限定するかは政治的判断である


義家副大臣レク概要獣医学部新設)


平成30年4月開学で早くやれといわれても、手続きはちゃんと踏まないといけない。

○(国家戦略特区諮問会議決定について)教育民泊は違う。一緒にされては困る

農水省厚労省は逃げているのか

官邸はどうなっているのか。萩生副長官に聞いてみる。やれと言うならやるが、閣内不一致(麻生財務大臣反対)をどうにかしてくれないと文科省悪者になってしまうと。

○農水副大臣にも需給はおたくの話でしょ、と話してみる。

○本件は預かる。また連絡する。

大臣ご指示事項

以下2点につき、内閣府感触確認して欲しい。

平成30年4月に開学するためには、平成29年3月に設置認可申請する必要があるが、大学として教員確保や施設設備等の設置認可に必要な準備が整わないのではないか平成31年4月開学を目指した対応とすべきではないか

麻生副総理森英介議員など、獣医学部新設に強く反対している議員がいる中で、党の手続きをこなすためには、文科・農水・内閣府部会の合同部会もし(く)は、PTを設置して、検討を行うべきではないか。少なくとも、衆院福岡6区補選10月23日投開票予定)を終えた後に動くべきではないか

鳩山二郎氏(鳩山邦夫総務相次男、前福岡県大川市長)、蔵石謙氏(日本獣医師会会長長男林芳正農水相秘書候補者

義家副大臣のご感触

斉藤農林水産副大臣は「そのような話はあがってきていない。確認をしておく」ということだった。

萩生内閣官房副長官にも話をしたが、あまり反応は無かった。

大臣の指示のとおり(内閣府への確認を)進めてほしい

大臣確認事項に対する内閣府の回答

○設置の時期については、今治市区域指定時より「最短距離規制改革」を前提としたプロセスを踏んでいる状況であり、これは総理のご意向だと聞いている。

規制緩和措置大学設置審査は、独立手続きであり、内閣府規制緩和部分は担当しているが、大学設置審査文部科学省大学設置審査のところで不足の事態平成30年度開学が間に合わない)ことはあり得る話。関係者が納得するのであれば内閣府は困らない。

○「国家戦略特区諮問会議決定」という形にすれば、総理議長なので、総理からの指示に見えるのではないか平成30年4月開学に向け、11月中旬には本件を諮問会議にかける必要あり。

農水省厚労省への会議案内等は内閣府事務的にやるが、前面に立つの不可能。二省を土俵に上げるのは文科省がやるべき。副長官のところに、文部科学省厚生労働省農林水産省を呼んで、指示を出してもらえばよいのではないか

獣医告示なので党の手続き不要。党の手続きについては文科省と党の関係なので、成長とよく相談して頂きたい。以前、官邸から、「内閣」としてやろうとしていることを党の部会議論するな、と起こられた・党の会議では、内閣府は質疑対応はあり得るがメインでの対応は行わない。

官房長官官房長官の補佐官、両副長官、古谷副長官穂、泉総理大臣佐官等の要人には、「1、2ヶ月単位議論せざると得ない状況」と説明してある。

10/4義家副大臣レク概要

○私が萩生副長官のところに「ちゃんと調整してくれ」といいに行く。アポ取りして正式に行こう。シナリオを書いてくれ。

斉藤健の薄い副大臣に、「農水省が需給の部分ちゃんと責任持ってくれないと困るよ」と話した際には「何も聞いていない、やばい話じゃないか」という反応だった。

10/7日萩生副長官ご発言概要

○再興戦略改定2015の要件承知している。問題は、「既存大学学部では対応が困難な場合」という要件について、たとえば伝染病研究を構想にした場合既存大学が「うちの大学でもできますよ」といわれたら困難になる。

四国には獣医学部がないので、その点では必要性説明がつくのか。(感染症も、一義的には県や国による対応であるとの獣医師会の反論説明

平成30年4月は早い。無理だと思う。要するに、加計学園が誰も文句が言えないような良い提案ができるかどうかだな。構想をブラッシュアップしないといけない。

学校ありきでやっているという誤解を招くので、無理をしない方がいい。

福岡6区補選選挙10月23日)が終わってからではないか

文科省だけで、この案件をこなすことは難しいということはよくわかる。獣医師会や農水省関係職員との関係でも農水省などの協力が必要

○私のほうで整理しよう。

10月19日(水) 北村直人議員(石破元大臣同期)→専門教育課○○

○18日、石破大臣と会って話をした。ご発言は以下の通り。

・党プロセスは今後どうなるのか。党プロセスを省くのはおかしい。

・総務会には上がってくるマターではないのか。もし議題に上がってこないなら、私が総務会の場で持ち出すことはやぶさかではない。タイミングを教えてくれ。

*総務会には村上誠一郎議員北村誠吾議員自民党獣医師問題議運事務局長)が在籍

政治パーティ山本国家戦略特区担当大臣と会って話をした。ご発言は以下の通り。

・4条件がきちんと守られるようにウォッチする。ただ(新設のための)お金がどうなるのかを心配している。

麻生大臣野田秘書に以下のように話していたとのこと

自分総理から本件関係で何も言われていない。この話を持ち出されたこともない。だからもう(やらない方向で)決着したのだと思っていたくらいだ。

・(野田秘書から最近の状況を話し、)そうか・・・

2017-04-26

いや、命の価値は変わるよ。

変わらないというのは「変わらないものとして扱う」前提の上であって

それが通用しない現今社会では何の薬にもならない

あんたの言う主張が正当性を有するのは

区別のための差別も許されない」環境においてだけ

さようならクソ雑魚ナメクジ

現代通用しないって……。

通用してるから県民として生きてんじゃねえのかとしか思えんのだが。

原発あった地域ってエタヒニン扱いなの?

価値一義的定義しすぎだろ。

命になんかかけてるのがまちがいのもとなんだろうな

命=細胞分裂とでもしておいたほうが健全

2016-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20160517150742

あー、http://www.yutorism.jp/entry/costingにツッコむかー。じゃあ、俺もやるかなあ……。

あの記事会計に携わっている人間なら、正直、「どっからどうツッコめばいいか分からん」というヤツです。

正しい部分と明らかな間違いとが入り混じって、かなりカオス。ツッコむのがイヤすぎる。

その原因は独自解釈のせい。

おそらく体系だった会計指導や専門書で学んでいないんだろうな。独自解釈があふれすぎている。

しかも堂々と書いているから、こっちまで

まさか原価コンサル世界ではそう言うのか? 明らかに間違ってるけど」

不安になる。

頼むから、あの記事の冒頭に、「これは私の独自解釈です」という文言を、色つき太字拡大フォントで入れてくれ。

それと、自信のないところは正直に書いてくれ。混乱する。

さて、先駆者の指摘まとめておくと、

http://anond.hatelabo.jp/20160517150742 個別原価計算総合原価計算についての説明

http://anond.hatelabo.jp/20160517185659 原価計算基準認識についての疑義費用の分類の指摘、その他

こういう点かな。

じゃあ、俺はどこを行こうかな……。

まずは「原価参入」かなあ。

あれだけ自信満々に色つきで書かれたらこっちが不安になるけど、「原価算入」だよね。

で、この間違いだけど、

「これ、よくある漢字間違いだけど、原価計算プロとしてはやってはいけない間違いじゃないの?

 いや、プロが堂々と使うのだからもしかしてその業界で使う特殊表現? 俺が間違ってる……?」

ってな感じで不安になる。

いやまあ、正直なところ「原価算入」を書き間違えるとかあり得ないんですけどね。プロなら。

そういうレベルの間違いがあふれている感じで、めっちゃカオス

で、それはただの(ただのってレベルじゃねーぞ漢字間違いだけど、

その周囲で扱っている『製造費用』と『製造原価』は独自解釈だよね。ちゃんと書こうよ。

たぶん、製造原価報告書の中の、「当期総製造費用」と「当期製品製造原価」を「製造費用」「製造原価」と読み替えて自己解釈したんだろうな。

から、こういう意味不明解釈になる。

ざっくりまとめると

費用・・・ある特定期間に計上されたコスト

原価・・・費用を今期分に調整したもの

といった感じでしょうか。

あああああ、これ、どこからツッコもう……。

基礎や基本を理解する段階ではどっちも「コスト」でいいですよ。

原価の厳密な定義は基本で語る話じゃない。

ましてや「費用」と「原価」は並べて説明するものではないので、彼の話は忘れた方がいい。

から、ここからは彼に向けての説明。というか説教

よし、プロの原価コンサルさんよ。

費用は上のように「費用/原価」と区分されるようなものではないぞ。

それを理解するために、まずは「費用」っていう概念を整理するところからスタートだ。

では、簿記3級のおさらいから。

簿記の5要素」ってのを覚えているかな?

会計上の取引を表す「資産負債純資産費用収益」という5要素。

ごくわずかな例外を除き、会計はこの5要素ですべてを表すことができる。

たった5つの区分で全取引を表してしまうのだから会計面白いんだが、

まあ、それはさておき、「費用」は会計の中心概念ってのは分かるよな。

まりイメージとしてはまず会計上位概念として「費用」がある。

一方、原価はさまざまな場面で使われる用語であり、一義的定義はない。

「元となる価額」という意味合いから、「売上原価」「取得原価」「製造原価」といろいろ使われる。

で、原価計算では、その原価計算という枠組みの中で「原価」について定義があるわけ。

から、あの「製造費用」「製造原価」の図は大間違い。

あの図の中に入る言葉は、「当期総製造費用」「当期製品製造原価」が正しくて、

・当期総製造費用:当期において製造工程に新たに投入された費用

・当期製品製造原価:当期完成した製品に集計された費用

という理解になる。

どうかな、これで分かったかな?

あー、もう、分からないなら分からないって書こうよ。

これだけ注目を集めてしまうと誤解をどんどん招いていくよ。

俺が指摘したのってほんの一部だけだけど、こういうの大量にあるよ。

たぶん、「会計コンサル」という地位を目立たせ、承認欲求を満たしたいんだろうけど、

きちんと分からないものは分からないと言わないとダメだって

それは読者に対する裏切りだよ。

今読み返していて、一部上場企業担当したとかい文言を見て、ヒッってリアルに声が出た……。

まあ、資料の一部の一部を作成するとかも、「案件担当する」とは言えなくないだろうけど、

どこまで誇張しているのか、はっきり書いた方がいいよ。

あなたを信頼して「勉強します!」とか言ってくれている人がいっぱいいるのに、罪悪感を覚えないのかな。

PVが集まれば、それでOKって話かな。

だとしたら、会計なめるな。

ご本人からご丁寧にブクマコメントが来たので追記しておくわ。

参入→算入の件は、ごもっともです。費用/原価概念も、ちょっと整理中のものを、不必要に書いちゃいましたね。正直、ここまで拡散されるとは思ってませんでしたが、『信用してくれている人』の存在は心に留めます

費用/原価概念も、ちょっと整理中のものを、不必要に書いちゃいましたね。」

違うやん。

自分、分かってへんやん。

ちょっと整理中」ってなんよ。

分かってないことはハッキリ書こうよって話してんのに、なんでまだ取り繕うの?

分からんかったら「ここは分からん」って言えばええやん。なんで言えへんの?

2016-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20160513232815

可哀想になぁ、これ、いい事書いたつもりなんだろうなあ…。

悪意はないし共感してあげてるのに捻くれた解釈する奴はおかしいって正論書いちゃったつもり?

可哀想になぁ。

まぁ若い頃とか書き慣れてない時はこういう恥ずかしい事も書いちゃうよな。

でも仕方ないよな、経験も少ないし慣れてないんだから。……後で凄く恥ずかしくなるけどね。

不幸からまれ反社会的感情? まぁそう無理して難しい言葉使うなって(笑)。同情に反発したら反社会的って、すごい事書いてるんだぞ? 君にはまだ分からいかもしれないけど、"不幸"も"社会"も自分が思ってるよりもっとずっと多様性を持っていて定義は複雑なんだよ。君の中では他人を思いやって上げる人間評価される健全社会って一義的理念が厳然と存在して、その中でカテゴライズされた一般論として普遍の不幸があるんだろう?(笑)

いや、もしかしたら違うのかもしれないし、君のエントリ自体ネタや問いかけ、所謂ネットの一部の斜め下から目線へのアンチテーゼであったり、単なる思い付きや感想であったりするのかもしれないね。だけどこの書き方はどうだろう? 煽りとしては優秀なのかもしれないけど、君は君の判断一方的自分感覚開陳し、考えもせずに何が悪いのかと問いかけ、一行でたった1つの推測を述べて断定し、それを批判的な帰結に持って行って匿名で書き捨ててしまっている。おそらく何が問題なのか気付いていないのだろうし、真剣トラックバックが来ることも想定していないのだろうけど、これは実に恥ずかしいことだよ。

同情には値するけどね。

人は総てを知ることはできないし、知れないなりに同じ何かを共感できるのは大切で有り難いことだ。

幾つかのトラックバック実効性を伴わない言葉についての言及があるけど、本質はそうじゃない。例えばこの増田アノニマスダイアリーはてなにとては養分しか過ぎず、恥ずかしげもなく運営と思しき書き手が「どう人気記事プロデュースしていくか」なんて語っていたりもするけど、彼等にしてみれば懸命に匿名で何かを訴えかけるのは"カワイソウ"な事にしか過ぎないだろうね。

そういう彼等もまた可哀想なのだけど、君の可哀想は彼等の可哀想とは別の部分にある。

真に同情すべきはココで書いている以上相手実在認識理解確認できない点であり、現実に会話した所で高度な自己表現セルフプロデュースを身につけた人間にとっては変わらないのかもしれないが、自分一方的表現が衆目に対して訴えかけられた時点で目的を果たしたと思ってしまっている点なんだよ。

……分かるかな?

まり簡単に言うと「書いたポチはい投稿おしまい」って思ってるかもしれないが、それって可哀想ことなんだよって言いたいワケ。

もっと可哀想なのは放っておいてもどんどん投稿が集まってそれを選んで人気記事にできる自分が偉いと勘違いしてしまってることなんだけど、それはまぁいいや。

おっとデュフフ、つい溢れ出る知性を持て余して長文になってしまったよ。

僕はこの君の三行のエントリーに心から同情する。

これは真実だ。(ちなみに鼻ホジしながら体感10分くらいで書いたよ? )

2015-10-11

東大本郷キャンパスへの「学外者」立ち入りに関する所感

http://anond.hatelabo.jp/20151002003234

の著者が

http://blogs.yahoo.co.jp/ut_kankyo/42274104.html

「当会が問題と考える点」(東大 キャンパス環境改善を求める有志)を読んだ。


匿名ブログでくだをまくことしかできない私と違い、実際に駒場学生支援課と駒場図書館と交渉されているそうで、その実行力に敬意を表したい。

その上で、「東大 キャンパス環境改善を求める有志」の会の方々は、主に駒場キャンパスでの問題に取り組まれているようなので、本郷キャンパスへの「学外者」立ち入りに関する所感を以下で述べてみたい。

私の基本的立場は、

というものだ。


東大本郷キャンパスの「学外者」立ち入りに関する現状

本郷キャンパスへはじつに様々な人たちが出入りしている。センター試験と2次試験以外の日に、もっともよく見かける人たちをあげてみるだけでも、これだけいる。



これだけの人たちの立ち入りを制限して、正門でいちいち入構手続きを求めるのはさぞかし大変だろう。

はいえ、本郷キャンパス観光地化しているという指摘はあたっている。

毎日のように大型バスが何台も大学前にやってきて、中高生観光客団体が列をなしてキャンパス内に入ってくる。日本国内からだけでなく、中国韓国台湾といったアジア諸国からやってきたらしい団体もよく見かける。

これらの人々が固まって道を塞いだり、騒ぎながらセルフィー棒で写真をとっているのを見かけて、眉をひそめる東大生がいたとしても全然おかしくないと思う。


しかし、「学外者」の立ち入りを完全にシャットアウトすることは難しいのではないかと思う。本郷へやってくる人たちのなかにはきっと、東大漠然としたあこがれを持ってやってくる人もいるのだろうし、そうした人たちに対して大学も悪い顔はできないだろう。

キャンパス内を物珍しそうな顔で歩いている中高生が、10から20年後には、彼らを迷惑そうに見つめる東大生はるかにしのぐ立派な研究東大でやり、場合によってはノーベル賞も取ることだってありうるのではないだろうか。


先日話題になった世界大学ランキングトップ10に入っている大学で、私が訪れたところはいずれも、東大よりはるか観光地化が進んでおり、観光客でごったがえしていた。大学の主要な建物の周りには土産物屋が立ち並び、大学ロゴが入ったパーカーTシャツを売っている。その周辺にはカフェレストランがあり、一つの経済圏形成している。

大学の方もまたしっかりしたもので、歴史的建物カレッジは入場料をとり、一日のうち限定した時間帯に立ち入りを許している。立派な美術館カテドラルを持っている大学カレッジ)は、これらの入場料から収入を得ている。

こうした大学観光客学生とのあつれきが問題になりにくいとしたら、先のエントリでも述べたように、もともと大学と周辺の街との境界線あいまいからだろう。

東大場合キャンパスの内と外の区別がかなりはっきりとしており、キャンパス内が手狭なので、そこに多数の人が一挙にやってくると、学生ストレスを感じやすいように思う。


「学外者」立ち入りから生じる問題


本郷キャンパスでは現状で、研究棟に「学外者」が団体で入ってくることはないので、研究室にこもっているかぎりでは、「学外者」との間で問題が生じることはない。

「学外者」が大声で話すことがあったとしても、現状では、研究棟の造成工事や、総合図書館の新設・改築工事騒音のほうが、はるかにうるさい。

問題が生じるのは、学生と「学外者」が共有するアメニティスペースや、「学外者」の団体立ち入りを許している施設だろう。

まず、キャンパスに立ち入る「学外者」のうち、もっとも人数が多いのは修学旅行団体であるが、彼らは門の前にしゃがんで集合したり、狭い道で立ち止まったりして完全に通行を遮断することがあり、引率の教員もそのことに気づいていない場合がある。

また、修学旅行生やウオーキングツアー団体が昼時に中央食堂へいっせいにやってくると、数十分間の間、学生にとっては食堂機能が完全にフリーズしてしまう。このため、12から13時までのあいだ、「学外者」の利用は遠慮してもらうよう依頼する貼り紙入り口にある。しかしこの制限がかかる時間帯の直前にやってくる団体は結局制限時間帯になってもいる場合があり、あきらかに貼り紙無視している人々も制限時間帯に複数いる。授業の合間や、実験論文執筆の合間をぬって食堂を利用したい学生にとっては、食堂が一体誰のために、何のために存在しているのかわからないと憤慨する時があっても無理はないように思う。

総合図書館は、現在工事中で「学外者」の見学を受け入れていないが、それ以前はキャンパスツアーの経路に入っていた。中に入る「学外者」は、大きな声で話すということはないものの、多数の人達がドカドカと足音を立てて閲覧室に入ってくる。彼らは勉強中の学生の姿やノートを、好奇心いっぱいで覗きこんでから、無言で立ち去っていく。このようなことを毎日のように繰り返されて、いい気持ちがする人はいないだろう。

医学部前の広場は、日暮れ時は、愛犬家交流スペースとなっている。犬と人が遊んでいるのを見るのは心和むひとときであるが、一部の人は、人通りが最も多い昼休み時に犬を連れて狭い道を歩きまわっており、さすがに周囲への配慮が足りないのではないかと思われることがある。


キャンパス空間利用の仕方は議論されてよい


キャンパス内でただくつろいだり歩きまわったりしたい人を追い出してしまったら、そこは学生にとってもさぞかし息苦しい場所だろう。

はいえ、学費を払って真剣勉強している学生が、配慮が足りない一部の人々の行為に対して黙っている必要はないのではないだろうか。

キャンパスにやってくるさまざまな人が快適にひとときを過ごすことができるように、お互いの存在に気づくことができるように、声を上げることは、全然おかしいことではないと思う。

たとえば、

といった要望をして、どれほどの問題があるだろうか。


学生が黙っていれば、大学教職員学生のことを「舐めて」かかる生き物である


大学教職員は、学生が集中して学習できるように、もちろん日々配慮しているだろうが、かれらは幾分年をとっているため、細かいことには気づかない場合がある。

年を取ってくると、10代後半から20代前半の学生は、教職員にとって、生理的に、まったく別の生き物に感じられるようなので、学生の細かい要望に応ずる善意があったとしても、そもそも相手が何を望んでどのように感じているのかわからないのではないか。

また、任期がない教職員基本的国家公務員メンタリティを持ち続けている(彼らは文部科学省社会保険に加入している)ので、自分がクビになるリスクがない限り、何らかの業務改善をしても得られるインセンティブはそれほど大きくないという認識を持っている。なので、文句をいわれないかぎり、学生要望を察知して自分から動くということは、あまりない。

したがって、学生が声を上げることが、現状を変えるための第一歩であるように思う。

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