はてなキーワード: 一等地とは
どうしてこうなった!思ってたのと違う!こんな感想を得た人も多いのではないか。かく言うところの筆者もそう思いました。新潟駅の不思議ポイントを確認していってみましょう。
新潟駅に関する違和感というか、歩いていて苦痛に感じるポイントはまずここです。階段の段数が約50段と多いです。通常の建物の3階相当の高さを2階としています。これは上越新幹線開業から新幹線コンコースの高さです。在来線の跨線橋はこの高さよりも低く、跨線橋から新幹線コンコースまではスロープで接続されていました。通常の駅の階段は30段くらいです。
4階建ての新潟駅の旧駅舎ビルの高さと上越新幹線ホームの高さが同じくらいなので、上越新幹線ホームの高さは5階相当の高さになります。新幹線は毎日乗るものではないので、苦ではなかったのですが、新幹線に乗るときはエスカレーターや階段が長いと感じていました。
在来線ホームの高さを新幹線ホームに合わせてしまったため、5階相当高さにホームが上がってしましました。富山駅、金沢駅、福井駅の新幹線の高架はもっと低く、アンダーパスする道路ギリギリの高さの設計になっていると思います。2階がそれほど高くないのです。オープン当初の新幹線高架下の新潟駅の2階に出店していたヨドバシカメラは、店内に階段があり、上の階がありました。やはり新潟駅の新幹線ホームは4階建ての建物の屋上相当の高さにあるのです。この高さが高い高架橋は総工費が大幅に高くなることを意味します。
横断禁止の個所を渡る人が絶えないとニュースになる新バス乗り場。駅ビルのCoCoLoの1階部分が高架下を貫くバス乗り場によって分断されています。50段の階段で2階へまわれとか、150m先のなかなか青にならない信号渡れとロックな設計になっています。設計コンペの勝者のイラストと比較すると大幅に規模が小さくなっています。コンペのイラストのバス乗り場は、高架下の道路の両側ではなく、道路の車線の間に島式ホームのようにバス乗り場が集約されています。電車と違ってバスは、両側に扉がないので、バスは島式ホームのローターリーに侵入するときに右側通行に入れ替わって侵入することが想定されます。島式ロータリーから道路の両側にバス乗り場に変更することで、高架下のバスが占有する面積を大幅に縮小しています。この変更によって、バス乗り場が行き先によって分断されたため、とりあえずバス乗り場に行ってから、目的のバスを探すことができる構造から、バスの行き先を判断してから、道路のどちら側に行くかをあらかじめきめなくてはならないスタイルに改悪されてしまいました。
古町・市役所方面からきたバスは、高架下に入る前の降車場で乗客を降し、高架下をくぐって、南口側に出てUターンして、高架下バス停に出発を待ちます。南口方面から到着したバスは南口側の降車場で乗客を降し、高架下をくぐって、万代口側に出て、Uターンして、高架下のバス停で出発を待ちます。高架下を直通するバス路線はわずかです。
※イメージイラストは、「設計コンペのプランからなくなったもの?!」の項を参照してください。
多くの市民が感じた違和感は市街地の南北が分断された状態を解決するというお題目がほとんど解消されていないことです。この目的を解決するには、万代口の東大通と南口の弁天線がつながらなければなりません。駅の高架下はバス専用となったため、南北をつなぐ道路で増えたところは、八千代橋から続く道路が線路の反対側につながったところくらいです。以前の踏切個所の米山踏切と天神尾踏切は、高架をくぐる道路として残っています。一部の市民は、市長の家の近所のガードだけが開通したので、このルートを篠田さんの功績を称えて篠田ガードと呼んでいます。
https://www.zaikainiigata.com/?p=8248
計画では駅西線と駅東線という2本の道路が開通する予定でしたが完成に至らず、大幅に計画が縮小されています。駅東線は歩行者と自転車用道路に格下げされて計画されています。駅西線は、代ゼミのところから南下し、高架下をくぐりLEXNビルに至る道路です。
駅西線の予定地では、新幹線利用者向けのパークアンドライドサービスの新潟駅西駐車場(215台)を貫いています。このパークアンドライド用の駐車場は、高速バスターミナルとタワーマンションでなくなる予定です。もうひとつのパークアンドライド用駐車場のCoCoLo駐車場(826台)は、この春のCoCoLoリニューアルオープンに伴って、3000円のお買い物で1時間無料、新幹線割引き廃止、24時まで3000円というレートになりました。梅田駅や秋葉原駅のほうが安いです。セレブな駅駐車場になりました。この変更で新幹線出張族が大打撃。電車やバスで駅に行けない利用者が多いのが新潟の現実です。新潟駅西駐車場(215台)は、朝8時前に満車です。ちなみに上越新幹線で使われているE7系の定員は924人です。
駅に中に城下町のような見通しの悪い丁字路が多い印象がです。電車で新潟駅の高架在来線ホームに到着すると電車は、ホームの中ほどに停車します。階段やエスカレーターは、ホームの両端にあるため、階段やエスカレーターと電車の間のホームの狭いところを歩くことになります。降りた乗客は進路を絞られて譲り合いながら進みます。階段やエスカレーターは隙間と通った後にUターンする導線になります。先が見えません。約50段の階段を降りると反対側のエスカレーターが正面にあり、方向を変えて、出口もしくは、乗り換え先のホームを探すことになります。この高架橋の柱は5階の高さを支え、耐震を考慮していてとても柱が太いです。見通しがよくないのです。乗り換えのときは、新潟駅の発着ホームはランダム設定のため、何番線からどこ行きが発車するのか確認が必要です。ホームから改札口へ向かう人、改札口からホームへ向かう人、乗り換えの人が改札内の一か所に集められて混沌となります。その人波をかき分けて階段の上に表示されている行き先を確認する必要があります。新幹線と特急いなほの対面乗り換えの5番線が後付けの設計のため、階段の位置に違和感があります。これも改札内コンコースを複雑にしている理由の一つです。改札を出る場合は、東、西、新幹線の3つの出口を判断して、東か西から出ます。階段を降りて進むと正面が新幹線乗り換え改札で出口どこってなります。太い柱が邪魔で先が見えないです。改札を出ると共有の通路ではなく、エキナカの店舗が両脇にある通路を進みますが、外へは店舗を抜けないと駅を出られません。この店舗との駅外への導線の区別ないところがよりわかりにくくしています。グレーと黒を基調とした色調なので、黒い服を着るといい感じで風景に溶け込みます。
敵襲があったときには、敵の判断を鈍らせることできる設計になっています。なかなかの軍司がかかわっていたものと思います。
土地が誰の持ち物なのかを調べてみるとこの駅のちぐはぐな点が浮き彫りになってきます。
高架下は東日本旅客鉄道さんの土地なのです。駅前の広場は新潟市。新たに広場になる部分は、東日本旅客鉄道さんから新潟市が買ったのではないかと思います。市の玄関口なので、きれいな広場を整備しましょうということなんでしょう。南口の広場も国鉄清算事業団から買いました。旧国鉄側は上手に土地を売り抜けているように見えます。大幅に規模が縮小されたなんちゃってペデストリアンデッキは、新潟市の土地に建設されます。高架下の建物は東日本旅客鉄道さんのものなので、そこにお願いして接続させてもらっている体になります。バス乗り場部分が東日本旅客鉄道さんの所有地だとすると駅下の一等地を提供したくなかったのかと妄想が捗ります。バス乗り場で分断されても店舗面積を稼ぎたいその気持ちもエキナカ運営者の立場としては当然かもしれません。高架下の駅舎の中は持ち主の東日本旅客鉄道さんの気持ちがあふれた設計になっています。
2002年の設計コンペは、堀越英嗣氏のグループが選ばれました。次のxに上げられた画像を見ると堀越氏の想いはいずこへ。
新潟都市再生 @ryuto_niigata 10:50 PM · Mar 11, 2020
https://x.com/ryuto_niigata/status/1237737592889544704
万代口のマルタケビル、ブラザービル前まで横断歩道を渡らずに行ける予定でした。メンテナンスが難しそうな雲形のデザインの歩道の屋根に置き換わっています。このペデストリアンデッキは、斜めに走っている補助路があり、人間の近道をしたい心理をうまくついていました。
先ほどふれましたが、バス乗り場の面積が縮小されています。バスを一覧しやすい乗り場という設計者の配慮は無になりました。
木造風でした。
高架下の道路として予定されていた駅西線や駅東線に車寄せやバスのりばの入り口を設けたものがアイデアとしてよかったです。このアイデアを実現しようとすると東日本旅客鉄道さんのエキナカの店舗面積が減ってしまいます。
駅前広場が丘になっていて、丘の上も丘の中も歩けるというのもよかったです。雨風に強いプランは天候がよくない新潟向きです。
新潟都市再生 @ryuto_niigata 2:35 PM · Mar 12, 2020
https://x.com/ryuto_niigata/status/1237975437415874560
https://www.kochi-tech.ac.jp/library/ron/2002/g5/M/1035010.pdf
この高知工大の澤田さんが作った資料は今となっては当時のコンペの条件を伝える貴重な資料です。
新潟駅から西に1.4㎞に西跨線橋、東に0.4㎞に東跨線橋があります。この2つの跨線橋は高架化後も残存しています。西跨線橋付近はそもそも90年代の計画時点で高架化の範囲から外れており、駅から西跨線橋に向けて下り坂になっています。越後線が西跨線橋をくぐると白山駅手前の信濃川を渡河する橋梁があるため、登り坂になっています。???
東跨線橋の下は在来線が通り、この跨線橋の上を新幹線の高架が通っていました。在来線の高架化で在来線は新幹線と同じ高さまで高度をかせぐようになりました。この東跨線橋は、予算不足のため跨線橋が残ったままです。数年後壊すことになっています。
実際のところ、街のお年寄りは新潟は踏切がない街だからといっていました。ここで指す新潟は新潟島+アルファの狭義の新潟です。狭義の新潟には、米山踏切と天神尾踏切くらいしか踏切がなかったと思います。現新潟駅が街はずれの田んぼの中に作られたこと、現新潟駅への移転に合わせて白山までが作られたためかと考えられます。
結局のところ、取り除かれた踏切は米山踏切と天神尾踏切で、それ以外の個所は線路が道路をオーバーパスしていたところが多かった状態でした。降雪時に凍結しやすい跨線橋が残ってしまったのはとても残念です。
新幹線は、在来線と道路の上下が入れ替わる状態を無視して、それらの上を行く高架で郊外の田園地帯まで抜けています。
せっかくなので、線路は高架、道路は平面というポリシーで街づくりをしていただきたかった。まことに残念です。いっそのこと新潟駅の上を高架道路で結んだほうがよかったかもしれないです。
昭和57年の上越新幹線開業時、新潟駅には、駅構内のステーションデパートのセゾン・ド・ニイガタと駅裏にあった気動車の車両基地の向こう側に長大な連絡通路を挟んだ再開発ビルのプラーカが3棟建てられました。セゾン・ド・ニイガタは、その後、CoCoLoと名前を変え、新潟駅リニューアルの核店舗となった。開業当時は西堀ローサとならんで、おしゃれスポットでした。プラーカは、プラーカ1、プラーカ2,プラーカ3と地下から地上5階までのショッピングモールが出現。セゾンよりも大規模で店舗数も多いスポットでした。東急ハンズを山下の家具がフランチャイジーとして運営したハンソン、アニメイト、ゲームセンター、多数の衣料品店などでにぎわっていました。プラーカ4?として西友の進出計画までありました。しかし、バブル崩壊後の景気低迷でセゾンはせんべいとか鮭の瓶詰を買う新潟土産屋になり、郊外の大規模モールの台頭でプラーカは集客力が落ち、テナントが歯抜けとなって破綻したのでした。無印もFrancfrancもいなくなり、今は中央に吹き抜けがあるオフィスビルになっています。このビルは第三セクターだったため、新潟市は大きな打撃を受けることになりました。
気動車の車両基地は、数年後に新津駅へ移転し、国鉄清算事業団所有の空き地が残りました。この空き地は新潟市が買い取ることになり、新潟市のひとり負けです。
2000年ごろから市民参加のまちづくりという錦の御旗の下、駅の設計に市民が参加するムーブメントを当時の市長が始めた。この動きが2003年の新潟駅の設計コンペに影響があり、プランが大胆に変更されるのかと思いきや、新潟駅の設計コンペは、新潟駅周辺整備基本構想にしたがって、設計コンペが実施されたのでした。
https://www.toshimirai.jp/ifudletterpdf/200111.pdf
新潟駅周辺整備基本構想では、駅を貫く道路はバス専用で、道路交通は駅西線と駅東線が担うことが決められていました。プランの肝心なところは、市民が参加しても変えることはできず、まだ詳細設計がされていなかった広場で、機能に関係がない見た目のデザインがとかバリアフリーがとか枝葉の部分の議論に終始したのでした。車いす駐車場から広場への歩道の導線がよくないと直したら、車寄せと駐車場の面積が半減してしまいました。完成後の混雑が必死なのか閑古鳥がなくのか興味深いポイントです。そんなことよりも在来線ホームが5階の高さの時点でめっちゃバリアです。
https://niigata-u.repo.nii.ac.jp/record/31114/files/ZH_2005_963-964.pdf
http://opac.niigatacitylib.jp/shisei/koho/shiho/2005/050710/pdf/2002_08.pdf
SNSに何でもかんでも書くんじゃなかったな。
遂に甥が生まれる。これ自体は喜ばしいし今の所指は20本、体重も2.8kgと異常は無さそう。新しい家族になった配偶者の人もまあ健常者に見えるし収入も安定している。
両親は関東の一等地の土地持ち、定年を迎えるが自分は独身なので甥はぼーっと生きててもある程度は平気だろう。
ただまあインターネットに色々書きすぎた。自分は馬鹿だった。ネットリテラシーはある方だと思っていたが姉はメンヘラだとか発達障害だろとかマトモに仕事が続かないとかいじめられっ子で友達がいないとか色々書いてた。単なる愚痴だった。多分特定もされないし迷惑もかけていない。姉は何も知らないだろうし甥にも迷惑はかからないだろう。
でも報いがきた気がする。何十年もSNSやってるオタクだからオフで会う知り合いもいる。そんな奴らに「お前の姉の子供?本気で産む気なのか?」とか「それ絶対……いやなんでもない」みたいな、もう分かりきってるけど甥のことを障害持ちだろと決めつけるような言葉の数々に打ちのめされている。
正直まあ自分が悪い。姉の悪口で笑いをとってた自分が悪い。話は盛ってたし、姉は有名大を卒業していて俺より学歴は良いし、数年の留学を経て翻訳のバイトをしたぐらいに語学能力が高い。要領が悪い人なので給料は低いが仕事をしていない時期なんてほぼないので知り合いの無職たちやADHDなんかに比べたらはるかにマシな人間だ。
バイトを2日でバックれたりとかもしない。
オタク達の仲間に入れて欲しさに姉の話を盛って笑いで取り入ろうとした。結果的に今すごくそいつらに傷つけられていて自業自得だなと思ってる。
それにしても何故無職のADHDに俺と俺の家族がバカにされてるんだ?意味わからん…反出生主義ってなんであんな攻撃的なんだ?
女一人で飲食店へ行くと舐められる
https://anond.hatelabo.jp/20211113021340
要約すると、若い女性が鳥料理の有名店を予約しようとしたところ、ナメた態度で断られたということだ。
上記のエントリで取り上げられた、とり篠という高級飲食店があるのだが、この店の前を先日通ったら閉店していた。
地元民だが、別に潰れてもおかしくなかった店だと思う。他店に行っても悪い評判が多かった。
以下にグーグルマップの口コミを引用するが、私もほぼ同じ感想である。
H A
2 年前
近所に住んでいます。美味しいと聞いていたのですが今まで行く機会がなく、今回グルメな友人に連れて行ってもらいました。
料理はコースのみで、どれも素晴らしく美味しかったです。今まで食べた鶏料理の中でもかなりハイレベルでした。鶏が好きな方にはオススメします。
ただ、料理は素晴らしいですが、店の前が不潔で、お店の備品で歩道の一部を年中塞いでいるのが残念です。店内はキレイで換気も十分ですが、歩道側に排気していてお店の前が常に焼き鳥臭くなってもいます。店内が良ければ外のことは知らないというスタンスだと思いますが、なんというか店内と一歩外に出た印象のギャップが凄い店です。それなりの値段を払うお店だけに余計に気になりました。
美味いが高すぎる。
2人で9万円。
しかも高いのを売りにしているようで、入店時から「うちは高いですよ」と連呼する店主。
お言葉の通り高かった。
多分相手を見て値段を変えてそう。
yoo nyam
7 件のクチコミ
1を付けるのも不本意です。
人を見て金額を決めるお店でしょうか?信じられないくらいの高額請求に空いた口が塞がりません。
二度と訪れることはないでしょう。
京都なんかでも、「創業百年以上の鯖寿司のお店に行ったけど、ぜんぜん期待外れ~」「祇園の一等地にあるだけでおいしいとかありえない~」みたいな口コミは結構見る。
私も、いいお店を探すのには今でも難儀する。
50年以上も生きているけど、おいしい飲食店、居心地のいい飲食店、コスパ抜群の飲食店とか、いわゆる『いい店』を探すコツみたいなものは、ほぼ持ってない。
そういうコツとかってあるのだろうか。
話は逸れてしまったけど、増田民とかブクマカ民で、もしそういうコツをご存じのかたがおられれば教えていただきたい。
そこに古い大きいビルがいくつかあって、大きいといっても古いから高層ビルじゃないんだけど、横幅はなかなかあった
それらが取り壊されて、どうなるかと見守っていたら、平場の駐車場になるみたい。
見渡しはいいよ。駅から降りて広々開けて見えるのはいい。だけど5階以上ありそうだった旧ビルと比べて縦の密度の落差が凄い。もったいなく感じちゃう。
そしてそんな広めな駐車場が出来て、どこへ行くのかというと、別に周りに目玉になるような施設はない。
少し大きなライフとか市民ホールはあるが、それらは自前で十分な駐車場を持っている。それ以外で言うと古臭いずっとあるチェーン店の飲食店ぐらいしか残っていない。繁華街・オフィス街とはとても言えない。住宅街とも言えない微妙さ。
大規模な再開発が残りの跡地含め予定されているのか。いや希望的観測はよそう。きっとまともな建物を建てる魅力さえなく、どうせ遊ばせるならという消極的理由での駐車場だろう。
新しい大型建築が出来なくて寂れていくのか、寂れているから新しい大型建築が出来なかったのか。
…自分ではどっちか決めてかかってるけれど…。
整地中はイベント会場として食べ物フェアをやったりしてたそうだけど、駐車場になったあともそういった活用ができるのだろうか?
家は代々商売をやっていて、都会の一等地に大きなビルを持ち、恵まれて暮らしていたと思う
しかし、その財産に頼らせることなく生きていかせるためか、うちの両親の教育方針は、「何も残してやらないかわりに、何も背負わせない。1人で生きていけるようになれ」だった
自分はそれをとてもいい方針と信じていたし、親と自分は関係ないものとして、ちゃんと親の財産に頼ることはせずに生きようと思っていた
おかげで今はひとりで生きていける社会人になり、実家からは遠く離れてしまったけど、結婚もできて子供も生まれた
祖父母が亡くなった時、色々な後処理も大変そうだったが、全部父が片付けた
色々残されたものが大変になるので、当時父は墓じまいをしようとしたが、父の弟などの反対により結局墓はそのまま残っている
負担は誰にもかけたくないから、こんなものいらないのにね、と言っていたし、その気遣いを自分はとてもありがたいと思っていた
親は70を過ぎたので、余生を考えるとあと10年は生きるとしても、20年は自信はないだろう
そんな年になって最近、親が土地建物を継いでほしいと言うようになってきた
えええ、今まで言ってきた教育方針と全然違うじゃん、全く違うじゃんと思って戸惑っている
そして継がす=その次の代までつなぐ、だと思うので、これを受けると自分の息子も縛ることになりかねない
自分は「何も残してやらないかわりに、何も背負わせない。1人で生きていけるようになれ」と教育されたし、それをとてもいい教育方針と思っていたので、そんな自分が息子の人生に背負わせるものを作るのはめちゃくちゃ抵抗がある
そして墓じまいをしたいと言っていた父も、最近は親の墓に参り、俺にも先祖供養は大事なこと、だなんて言い出す
でも、あの親父が今更それを言い出すと戸惑う
親が自分が死んだ後のことをリアルに想像し始めているんだと思うし、その変化も仕方ないと思う
でもなあ、あなたたちの立派な教育方針のおかげで、今のあなたたちに抵抗があるのも本心なんだわ
息子、宇宙飛行士になりたいなんてキラキラ言っているのに、もちろんそれが実現するかは置いておくとしても、土地のために生きる人になって欲しくはないと思っている
家を買う際に見ると思うが土地には用途が限られる地域がある。ある日隣に風俗店が出来たりしないようにする奴だ(ナニワ金融道でもあったな)
タワマンも大概の地域では建てられないので専ら商業地域に建てられる。そして商業地域はだいたい駅の周辺や大通り沿いだったりする。
なのでとにかく住環境が良い。窓を開けても都会の喧騒がとかは無いけどタワマン周辺で全ての用事が済む。駅から雨に濡れないとかもザラだ。
あと価値が落ちにくい。駅前一等地がほとんどなので、よほどの駅でも無ければ買い手は居るし周辺の開発次第では高値も夢ではない。なので家族のライフステージに合わせた住環境の変化にも柔軟に対応できる
なので終の棲家として買うのはお勧めしない。上がり続ける管理費と修繕費を払い続けるのも馬鹿らしいので、大規模修繕前に売って次の物件を買うのが一般的だ。新築で買って10年ちょいで引っ越し。分譲なのに賃貸気分だ
でも住みやすい住環境、様々な付帯施設。エレベーター渋滞とか気にしなきゃ10年ごとに最新設備の家に暮らせる利点は引っ越しと売却の手間以上のメリットだ
あと中国人に買われると基本居ないのでフロアも静かで良い。たまに民泊やる中国人も居るけどそこは管理組合にチクって即停止させる。自分らが居る間は良い住環境であって欲しい