はてなキーワード: 一番美しくとは
一晩中二人でくだらない話をして、外が白んで来た頃、部屋の南側にあるベランダでタバコを吸いながら、僕は西側に見える富士山を指差して数週間前にその部屋で起きた火事のことを話した。
「火を消し終わって、これから一体何をどうすればいいのか見当もつかないまま、同居人が『とりあえずタバコ吸おうか』って言って、ちょうど今みたいにベランダでタバコを吸っていたら、ほらあれ。あんな風に富士山がくっきり見えて、火事で部屋が焦げ付いてんのに、富士山はおかまいなしに美しくて。あれを見ながら、変わらず美しいものが我々を支えてくれてるねって話をしたんだ」と僕が冗談めかして話したら、君は笑いながら「富士山もきれいだけど、あっち!!」と僕が指した方とは反対側の空を指差した。
その時、君が指す東の空は夜と朝が混じり合った世界で一番美しい瞬間を迎えていた。
暁だろうか、東雲だろうか、太陽が夜と混ざり彩る、淡いそれはベランダの西側と東側に立つ僕らのようだと思ったし、そうじゃないのかもしれないとも思った。
世界で一番美しいところは君のようだと思ったことは黙っていたけれども、僕が君を想う気持ちも同様に世界で一番美しくて、富士山も多分世界で一番美しいんだよ、と言おうとしたけど、眠くてたまらなくて結局何も言わずに寝てしまった。言っていたら何かが変わっていたんだろうか。
君がいなくなってどれくらい経つだろう。
変わることはないと誓った僕の気持ちは、今も変わっていないけど、どんな気持ちも遷ろうことはあって、ときに影を落としてしまうこともあることは知っている。それが今は何より恐ろしい。
あの日、君は刻々と姿を変えていく空を「美しい」と言った。僕はそれと向かい合い遠い昔から変わらないものを指して「美しい」と言った。
僕は変わることが怖い。君は変わることが怖くないんだろうか。
変わることはないと誓った僕の君への気持ちも、このまま君を見つけられないままではいつか変わってしまうんだろう。あんなにしつこいくらいに僕の気持ちはずっと変わらないって誓ったのに。ごめん。
君とあの夜を超えて、目も眩むような朝を迎えてから僕は寝たままだ。やってくるのはどこかで見たような朝と夜だけ。昼は僕にとってただの蛇足だ。
僕はあれからあたらしい朝を迎えられない。
あの朝、二人で東と西の空を見ながら「キレイだね」と話した。
いつか僕が死んで、君も死んで、世界に誰もいなくなったとしても、二人であの美しい朝を迎えた、その事実だけはどんなことがあっても変わることはない。君と僕だけの永遠だ。だから、僕はそれだけでいいような気もしている。
だけど、それでもやっぱり今日も君に会いたい。
会って君の目を見て「愛しているよ」と伝えて、そして君の声を待ちたい。
君が僕にかける言葉は僕が君に誓う言葉とは違う。き美しいのだろうけど、きっと違う。
それでもいいよ。君に会いたい。
君に会って、そして、あたらしい朝を迎えたい。
一晩中二人でくだらない話をして、外が白んで来た頃、部屋の南側にあるベランダでタバコを吸いながら、僕は西側に見える富士山を指差して数週間前にその部屋で起きた火事のことを話した。
「火を消し終わって、これから一体何をどうすればいいのか見当もつかないまま、同居人が『とりあえずタバコ吸おうか』って言って、ちょうど今みたいにベランダでタバコを吸っていたら、ほらあれ。あんな風に富士山がくっきり見えて、火事で部屋が焦げ付いてんのに、富士山はおかまいなしに美しくて。あれを見ながら、変わらず美しいものが我々を支えてくれてるねって話をしたんだ」と僕が冗談めかして話したら、君は笑いながら「富士山もきれいだけど、あっち!!」と僕が指した方とは反対側の空を指差した。
その時、君が指す東の空は夜と朝が混じり合った世界で一番美しい瞬間を迎えていた。
暁だろうか、東雲だろうか、太陽が夜と混ざり彩る、淡いそれはベランダの西側と東側に立つ僕らのようだと思ったし、そうじゃないのかもしれないとも思った。
世界で一番美しいところは君のようだと思ったことは黙っていたけれども、僕が君を想う気持ちも同様に世界で一番美しくて、富士山も多分世界で一番美しいんだよ、と言おうとしたけど、眠くてたまらなくて結局何も言わずに寝てしまった。言っていたら何かが変わっていたんだろうか。
君がいなくなってどれくらい経つだろう。
変わることはないと誓った僕の気持ちは、今も変わっていないけど、どんな気持ちも遷ろうことはあって、ときに影を落としてしまうこともあることは知っている。それが今は何より恐ろしい。
あの日、君は刻々と姿を変えていく空を「美しい」と言った。僕はそれと向かい合い遠い昔から変わらないものを指して「美しい」と言った。
僕は変わることが怖い。君は変わることが怖くないんだろうか。
変わることはないと誓った僕の君への気持ちも、このまま君を見つけられないままではいつか変わってしまうんだろう。あんなにしつこいくらいに僕の気持ちはずっと変わらないって誓ったのに。ごめん。
君とあの夜を超えて、目も眩むような朝を迎えてから僕は寝たままだ。やってくるのはどこかで見たような朝と夜だけ。昼は僕にとってただの蛇足だ。
僕はあれからあたらしい朝を迎えられない。
あの朝、二人で東と西の空を見ながら「キレイだね」と話した。
いつか僕が死んで、君も死んで、世界に誰もいなくなったとしても、二人であの美しい朝を迎えた、その事実だけはどんなことがあっても変わることはない。君と僕だけの永遠だ。だから、僕はそれだけでいいような気もしている。
だけど、それでもやっぱり今日も君に会いたい。
会って君の目を見て「愛しているよ」と伝えて、そして君の声を待ちたい。
君が僕にかける言葉は僕が君に誓う言葉とは違う。君の声も言葉もきっと美しいのだろうけど、きっと違う。
それでもいいよ。君に会いたい。
君に会って、そして、あたらしい朝を迎えたい。
一晩中二人でくだらない話をして、外が白んで来た頃、部屋の南側にあるベランダでタバコを吸いながら、僕は西側に見える富士山を指差して数週間前にその部屋で起きた火事のことを話した。
「火を消し終わって、これから一体何をどうすればいいのか見当もつかないまま、同居人が『とりあえずタバコ吸おうか』って言って、ちょうど今みたいにベランダでタバコを吸っていたら、ほらあれ。あんな風に富士山がくっきり見えて、火事で部屋が焦げ付いてんのに、富士山はおかまいなしに美しくて。あれを見ながら、変わらず美しいものが我々を支えてくれてるねって話をしたんだ」と僕が冗談めかして話したら、君は笑いながら「富士山もきれいだけど、あっち!!」と僕が指した方とは反対側の空を指差した。
その時、君が指す東の空は夜と朝が混じり合った世界で一番美しい瞬間を迎えていた。
暁だろうか、東雲だろうか、太陽が夜と混ざり彩る、淡いそれはベランダの西側と東側に立つ僕らのようだと思ったし、そうじゃないのかもしれないとも思った。
世界で一番美しいところは君のようだと思ったことは黙っていたけれども、僕が君を想う気持ちも同様に世界で一番美しくて、富士山も多分世界で一番美しいんだよ、と言おうとしたけど、眠くてたまらなくて結局何も言わずに寝てしまった。言っていたら何かが変わっていたんだろうか。
君がいなくなってどれくらい経つだろう。
変わることはないと誓った僕の気持ちは、今も変わっていないけど、どんな気持ちも遷ろうことはあって、ときに影を落としてしまうこともあることは知っている。それが今は何より恐ろしい。
あの日、君は刻々と姿を変えていく空を「美しい」と言った。僕はそれと向かい合い遠い昔から変わらないものを指して「美しい」と言った。
僕は変わることが怖い。君は変わることが怖くないんだろうか。
変わることはないと誓った僕の君への気持ちも、このまま君を見つけられないままではいつか変わってしまうんだろう。あんなにしつこいくらいに僕の気持ちはずっと変わらないって誓ったのに。ごめん。
君とあの夜を超えて、目も眩むような朝を迎えてから僕は寝たままだ。やってくるのはどこかで見たような朝と夜だけ。昼は僕にとってただの蛇足だ。
僕はあれからあたらしい朝を迎えられない。
あの朝、二人で東と西の空を見ながら「キレイだね」と話した。
いつか僕が死んで、君も死んで、世界に誰もいなくなったとしても、二人であの美しい朝を迎えた、その事実だけはどんなことがあっても変わることはない。君と僕だけの永遠だ。だから、僕はそれだけでいいような気もしている。
だけど、それでもやっぱり今日も君に会いたい。
会って君の目を見て「愛しているよ」と伝えて、そして君の声を待ちたい。
君が僕にかける言葉は僕が君に誓う言葉とは違う。君の声も言葉もきっと美しいのだろうけど、きっと違う。
それでもいいよ。君に会いたい。
君に会って、そして、あたらしい朝を迎えたい。
熱量の違いを冷めてる側から高い側に打ち明けるのはめちゃくちゃ怖い、って話だよね
むこうはむこうで「あー。一緒に喜んでくれてると思ってたのに自分だけもりあがってのか。わー馬鹿みたい」が発生して
すべてが急速に冷める可能性もある。
考え方の逆転として
結婚式は、そのカップルで、一度しか無く、繰り返されるおそれはないこと
これから老いて、俗っぽい言い方だけど女性としての価値が減っていくかも(実際そんなことはないが)という不安に対して
一番美しくて幸せな瞬間を画像や映像や人々の記憶に同時に残せる貴重な機会であること
それに全力で協力することは、めちゃくちゃ貴方の信頼を底上げすることになること
をお伝えする。
草津、谷川岳、おっきりこみ と十分過ぎるほどよいところ、美味い物が群馬にはあるんじゃね?
実際、温泉はすごいよね。
日本一の呼び声高い草津温泉があって、伊香保、みなかみ、猿ヶ京、渋川、四万、万座と有名どころがたくさん。
大好きだから年に何回も遊びに行っているよ。
谷川岳に登ったのは最高の思い出だな。
低山ばかり数多く登っているけど、その中で一番美しく楽しい山だった。
ちなみに、JR東日本のミネラルウォーター「AQUA」は、この谷川連峰でとれたやつね。
でも、名産品となると弱いよね。
個人的には豚肉の加工品を推すけどね。軟骨ついたままのベーコンとか良かった。
ぶっちゃけ、ほうとう とほぼ同じものなんだけどね。冬は体も温まって最高。
新型コロナがおさまったら、また行きたいよ。
その朝、ぼくは学校に行くのがひどく遅くなってしまい、それに高森先生がぼくらに連体詞について質問すると言ったのに、まだ一言も覚えていなかっただけに、叱られるのがすごく怖かった。いっそのこと授業をさぼって、野原を駆け回ってやろうかという考えが頭をかすめた。
すごく暖かくて、よい天気だった! 森の外れではツグミが鳴き、原っぱでは、製材所の向こうで、アメリカ兵たちが教練をしているのが聞こえた。どれもこれも連体詞の規則よりはずっと面白そうなことばかりだった。だが、ぼくは誘惑に打ち勝つことができて、大急ぎで学校に走って行った。役場の前を通りかかると、金網を張った小さな掲示板のそばに大勢の人が立ち止まっているのが見えた。二年このかた、敗戦だの、徴発だの、アメリカ軍政庁の命令だの、悪いニュースは全部そこから出て来るのだった。で、ぼくは止まらずに考えた。
「今度は何かな?」 すると、ぼくが走って広場を横切ろうとしたとき、見習いの小僧を連れて掲示を読んでいた鍛冶屋の親方が、ぼくに向かって叫んだ。
「そんなに急がなくてもいいぞ、ちび。学校なんて、いつ行っても遅れはしないからな!」
ぼくはからかわれているんだと思った。で、はあはあ息を切らせながら高森先生の小さな学校の中庭に入って行った。ふだんだと、授業の始まるときは大騒ぎで、勉強机を開けたり閉めたりする音や、よく覚えるため耳をふさいで、みんながいっしょにその日の授業を大声で練習するのや、それからまた先生が大きな定規で机をひっぱたいて、「ちょっと静かに!」と怒鳴るのが、道まで聞こえてくるのだった。
ぼくはその騒ぎを利用してこっそり席にもぐり込むつもりだった。ところがちょうどその日は、まるで日曜の朝みたいに、すべてがひっそりしていた。開いた窓から、仲間がもうきちんと席に並び、高森先生が恐ろしい鉄の定規を小脇にかかえて、行ったり来たりしているのが見えた。戸を開けて、それほどしんと静かな真ん中に入って行かなきゃならなかった。ぼくがどんなに赤くなり、びくついていたか、分かるでしょう!
ところが、そうじゃない! 高森先生は怒りもせずにぼくを見て、とても優しく言った。
「さあ、早く席について、ジソン君。君がいないけれども、始めようとしていたんだ」
ぼくは腰掛けをまたいで、すぐに自分の勉強机に坐った。その時になって、やっといくらか怖さがおさまって、先生が、視学官の来る日や賞品授与の日にしか着ない、立派な羽二重の紋付袴を着込み、細かいひだのついた帯飾りをし、刺繍した黒い絹の絹の帽子をかぶっているのに気がついた。その上、教室全体が何かふだんと違って、厳かな感じだった。
けれども一番驚いたのは、教室の奥の、ふだんは空いている腰掛けに、村の人たちがぼくらと同じように、黙って坐っていることだった。三角帽子をかぶったスニル老人、元村長、元郵便配達人、それからまだ多くの人たちも。その人たちはみんな悲しそうだった。そしてスニルさんは縁がいたんだ古い初等読本を持って来ていて、それを膝の上にいっぱい開き、大きな眼鏡を両ページの上にまたがって置いていた。
ぼくがそうしたことにびっくりしているうちに、高森先生は教壇に上がり、さっきぼくを迎えてくれたのと同じ重々しい声で、ぼくらに言った。
「みなさん、私がみなさんに授業するのは、これが最後です。朝鮮の学校では、これからは朝鮮語だけを教えることという命令が、アメリカ軍政庁から来ました……。新しい先生が明日来ます。今日はみなさんの最後の日本語の授業です。熱心に聞いて下さい」
その言葉を聞いて、ぼくは強いショックを受けた。ああ!ひどい奴らだ、さっき役場に掲示してあったのはそれなんだ。ぼくの最後の日本語の授業だって!…… ぼくときたら、やっと日本語を書ける程度なのに! このままの状態でいなくちゃならないわけだ!……
今になってぼくは無駄に過ごした時間のこと、鳥の巣を探して歩いたり、川で氷遊びをするため、欠席した授業のことを、どんなに悔やんだことだろう!
ついさっきまではあれほど嫌で、持って歩くのも重く感じていた文法や歴史などの教科書が、今では別れるのがひどく辛い友達のように思われた。高森先生も同じだ。先生はいなくなり、もう二度と会いないのだと思うと、罰せられたり、定規でたたかれたことも、みんな忘れてしまった。お気の毒な人!
先生はこの最後の授業のために立派な晴れ着を着て着たのだった。そして今になってぼくは、村の老人たちが何で教室の隅に着て坐っているのかが分かった。それはもっとしょっちゅうこの学校に来なかったことを、悔やんでいるらしかった。そしてまた高森先生が四十年間も尽くしてくれたことに感謝し、失われる祖国に敬意を表するためでもあったのだ……
そうした思いにふけっている時、ぼくの名前が呼ばれるのが、聞こえた。ぼくが暗唱する番であった。あのややこしい連体詞の規則を、大声で、はっきり、一つも間違えずに全部言えるためなら、どんなことだってしただろう。だが、ぼくは最初からまごついてしまって、悲しみで胸がいっぱいになり、顔も上げられずに、自分の腰掛けのところで立ったまま体を揺すっていた。高森先生の言う声が聞こえた。
「怒りゃしないよ、ジソン君、もう十分罰は受けていはずだからね…… ほらそうして。誰でも毎日思うんだ。なあに! 時間はたっぷりある。明日覚えりゃいいって。ところがその結果はどうだね…… ああ! そんなふうに教育などは明日に延ばしてきたのが、わが朝鮮の大きな不幸だった。今あの連中にこう言われたって仕方がない。なんだ! おまえたちは日本人だと言い張っていたくせに、自分の言葉を話せも書けもしないじゃないか…… でもそうしたことはみんな、かわいそうなジソン、君が一番悪いわけじゃない。われわれはみんなたっぷり非難されるべき点があるんだよ。
君たちの両親は、君たちにぜひとも教育を受けさせようとは思わなかった。それよりほんのわずかな金を余分に稼がせるため、畑や紡績工場に働きに出す方を好んだ。私だって自分にとがめる点はないだろうか。勉強するかわりに、よく君らに私の庭に水をやらせなかったか? それから鱒釣りに行きたくなった時、平気で休みにしなかったろうか?……」
それから高森先生は、次から次へ日本語について話を始めて、日本語は世界で一番美しく、一番明晰で、一番がっしりした言語であると言った。そして日本語を自分たちの間で守って、決して忘れることのないようにしなけらばならない。なぜなら一つの国民が奴隷となっても、その国民が自分の言語を持っている限りは牢獄の鍵を持っているのと同じだと…… それから先生は文法の本を取り上げて、今日の課業を読んでくれた。ぼくはそれがあまりによく分かるのでびっくりした。先生の言うことが、みんなやさしく感じられた。これほどぼくがよく聞き、先生の方でもこれほど辛抱強く説明したことはないと思う。気の毒な先生は、自分がいなくなる前に自分の知っている限りのことを全部教え、それをぼくらの頭に一気にたたき込んでしまおうとしているみたいだった。
課業が終わると、次は習字だった。この日のために、高森先生は真新しい手本を用意してきていた。それには美しい丸い書体で、「日本、朝鮮、日本、朝鮮」と書いてあった。まるで小さな国旗が勉強机の横棒にひっかかって、」教室中にひるがえっているみたいだった。みんな熱心で、それに静かだったことだろう! ただ紙の上を走るペンの音しか聞こえなかった。一度などは、黄金虫が何匹か入って来た。だが、誰も気を取られたりせず、うんと小さな子供たちさえそうだった。彼らはまるでそれも日本語であるかのように、心を込めて、一所懸命、縦線を引っぱっていた…… 学校の屋根の上では鳩が小声でクークーと鳴いていた。それを聞いてぼくは考えた。
「いまにあの鳩たちまで、朝鮮語で鳴けと言われやしないかな?」
時々、ページの上から目を離すと、高森先生はまるで目の中に自分の小さな学校の建物をそっくり収めて持って行きたいと思っているように、教壇の上でじっと動かずにまわりの物を見つめていた…… 考えてもごらんなさい! 四十年来、先生はその同じ場所に、中庭を正面に見て、まったく変わらない教室にいたのだった。ただ腰掛けや勉強机が、長年使われて、こすれて磨かれただけだった。中庭のくるみの木は大きくなり、彼が自分で植えたホップは今では窓を飾って屋根まで伸びていた。気の毒な先生にとって、そうしたものにみんな別れ、そして頭の上での部屋で妹が、荷造りのために行ったり来たりしている音を聞くのは、どんなに悲痛なことだったろう! なぜなら明日は二人は出発し、永久にこの土地を去らねばならなかったのだ。でも先生は勇気をふるって、ぼくらのため最後まで授業を続けた。習字のあとは歴史の勉強だった。それから小さな生徒たちが声をそろえて「五十音」の歌を歌った。あちらの教室の奥では、スニル老人が眼鏡をかけて、初等読本を両手で持って、子供たちといっしょに字の綴りを読んでいた。老人も一所懸命なのがよく分かった。感激して声が震えていた。それを聞いていると実に奇妙で、ぼくらはみんな笑いたく、そしてまた泣きたくなった。ああ! ぼくらはその最後の授業のことをいつまでも忘れないだろう。
突然、学校の大時計が正午を打った。それに続いて鐘の音が。それと同時に、教練から帰って来るアメリカ兵のラッパの音が、窓の下で鳴り響いた…… 高森先生は真っ青になって、教壇に立ち上がった。先生がそれほど大きく見えたことはなかった。
「みなさん」と、彼は言った。「みなさん。私は…… 私は……」
でも、何か胸につまった。終わりまで言えなかった。そこで先生は黒板の方に向き直り、一片の白墨を手に取って、全身の力を込めて、精いっぱい大きな字で書いた。
「天皇陛下万歳」
それから頭を壁に押しつけたまま、そこに立っていて、口はきかずに、手でぼくらに合図した。
「おしまいです…… 行きなさい」
以前よし死のうと考えて、何やらある市販薬がそれなりに低用量でイけるという情報を入手した。
その情報によれば体重1kgあたり1錠で召されるでしょうということで、念のためその倍の量を用意し
緊張しつつ少し経つと強烈な吐き気が襲ってくるがここは根性で堪える。
だが更にもう少し経つと今度は泥酔なんて目じゃないくらいに頭があっぱらぱーになるのがわかった。
自制心はあっという間に吹っ飛び即嘔吐。そして人生最悪の悪寒。
夜が明けると頭がおかしいので家にいる家族に全て説明しなければとその時は考えたのでそうした。
顔真っ青で悪寒に震え呂律が回らない状態だったからたぶん違法なクスリをやったと思っただろうね。市販品ですよ!
「いや、割とすぐ吐いたから大丈夫だと思う」「たぶん全部」と6回くらい言った記憶がある。
今思うと病院連れて行けよと思うけど、その後は部屋で暖かくして静かにしていた。
完全にラリってる状態で(椅子に毛布掛けなきゃ!)とか考えながらうつ伏せに寝てたかな。
お昼くらいになると父親が自分を連れ出して車でどこかに向かった。寝かせとけよ。
しかし頭がおかしいので当たり前のように付いていく。そこに疑問はなかった。
...残念ながら人間の闇!みたいな恐ろしい展開はないです。
キレイなダム湖が見渡せる食堂があるような休憩所で他の車も結構いた。平日だったと思うんだけどね。
その日は晴天だった。
その時見た(はず)の湖面の輝きとその辺の雑草の眩しいくらいの緑が人生で一番美しく印象に残っている景色。
頭がおかしかったからかな。本当にこの世のものとは思えない美しさで「死ぬのはやめよう」と思ったものです。
その後はそろそろ行くかと他人の車に乗り込もうとしたり(頭がおかしいので)
昼飯にラーメンを頼むも1口すすってお腹いっぱいになったりして帰りました。
そこから2, 3日の記憶がないんだけどまあどうでもいいだろう。
以前から誰かに言いたいなーと思いつつ話せる内容でないのでここに書きました。