「一生懸命」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 一生懸命とは

2024-05-05

anond:20240505145611

こういう奴が熱量全然いからろくに勉強もせずにボロ負けして、「ギャンブル人生が終わりました」「ギャンブルは怖いです」「日本パチンコ屋を全部潰すべき」「カジノ反対」とか言って浅い感じでギャンブル叩き出すんだよな。

本当に終わってる。

勝つ為に一生懸命な奴を見下しながら「所詮遊びw」って斜に構えて、いざ負けて財布に傷がつくと大騒ぎ。本当に生きてる価値いからそういうの。

そこそこ高学歴、そこそこ高収入自分地方スポーツ社会人サークルに入って感じたことまとめ

タイトルの通りだが、スポーツ系の社会人サークルに入って感じたことを率直に記載していく。

何のスポーツかは特定が怖いため伏せるが、

 ・男女問わず楽しめる

 ・競技人口結構多い(と思う)

 ・道具代は数あるスポーツの中ではちょっとかかるくらい(ゴルフよりはかからない)

・ チームで取り組むことが多い

といったところ。

色々なところに顔を出すようになって3年ほどが経過した。

しかしたら自分記載内容は人によっては不快に思われるかもしれない。

でも人によっては「ほーん、そんな世界もあるのか」と感じて貰えると思うし、自分も新鮮な気分を現在進行形で味わっている。

 

先に補足しておくが、サークルメンバーに対して上から目線で接したりバカにしたりという態度は表面上一切出さないようにしている。

ただ、自分のこれまで生きてきた世界とのギャップに少なからずショックを受けたため、はてなにだけ、こっそりと投稿させていただきたい。

 

自分スペック

 どこにでもある地方国立大の院卒。理学系の専攻で、現在は日系大手メーカーに勤めるエンジニア。住んでるところは北関東とだけ。

 年収は800万円+α。ポイ活、持ち株、NISA副業等そこそこ嗜んでおり、それらも含めた総収入は900万くらいになる。

 31歳既婚で、学生時代から付き合ってる彼女と順当にゴールイン。そのためサークルには出会いを一切求めていなかった。むしろ友達ができると嬉しいくらい。

 件のスポーツ中学高校経験しており、地方大会入賞できるかどうかくらいのレベル。当時はゲームの方が100倍楽しかったのであまり真剣に取り組んではいなかった。

 サークル内での序列は平均して中堅の中でも中堅どころで、サークル参加は月3回ほど(+プレー反省自主練)。

これでも少しずつ実力が伸びている、らしい。自分ではよくわからない。

 とはいえ実業団の方や名門校高校生、社会人になってもなおそのスポーツ人生の重きに置いてる人間には到底敵わない。

 自分運動不足の解消を一番の目的としてスポーツをしている。スポーツジムよりも金がかからず、筋トレランニングより楽しい趣味実益を兼ねる楽しいスポーツと言う認識

 理系学生よろしくコミュ障のため、サークルメンバーサークル活動以外で絡むことはさほど多くない。でも、関わったサークルや仲良くなった人とは細く長く付き合っていければいいな、と思っている。

 

サークルについて】

 どこも同じようなものだと思うが、実力や人数など、多種多様サークル自分生活圏内に点在している感じ。 

 自分は3つくらいのサークルをそれぞれ月1くらいのペースで参加している。

 大会とか積極的に参加するような自信をお持ちの人がいるところにノコノコ乗り込んでいくことが多い。で、勝ったり負けたり。

 大体毎週1回~2回ほど開催しており、参加費は数百円ほど。一回の時間は2時間~5時間くらいだけど、ほどよく全身に筋肉痛を感じる、本当に良いスポーツだと思う。

 

【感じたことまとめ】

自分と比べて低収入低学歴の人が大半

 まあわかっていたことなんだけど、世の中って学歴的な意味では俺より低い人が大半なんだな、ということを身を以て実感した。

 俺は自分自身をさほど頭の良い人間とは思っていない。そもそも地方国立大だし、研究世界から早々にドロップアウトして、民間に逃げることが前提の大学生活だったし。

 ただ、受験勉強という競技においてそこそこの成績を収めただけ。ついでに言うと就職に関してもやることやって順当に収めた進路であり、血の滲むような努力を日々続けてきたわけではない。

ただまあ、人生の要所要所で大きく道を外さなかった自負はある。

 

 でも。こうして社会人サークルの中に入ると俺よりも頭のいい人、収入を多く稼いでいる人が少ないというかほとんどいない。これには少なからず驚きを覚えた。

 高卒でも自営業フリーランスで高給取り、みたいな人が社会にたくさんいるもんだと思っていたが、今まで見たことがない。サークルに来ないだけなのかもしれないけどね。

 大多数は工場製造現場介護飲食事務医療専門職それと公務員

 あと女性派遣やらバイトの人が結構多くてびっくりした。

 

 今後記載していく内容はこの低収入低学歴の方々の生態をまとめたものと思って貰っておおむね差し支えない。

 

公務員様偉すぎ問題

 地方都市ということもあってか、公務員過大評価されがち。

 自分が関わってきた中では、教員自己&他己評価意味不明なほど高い。優秀と思われそうな職業の筆頭だからだろうか。

 自分に自信があるのは良いことだが、視野が狭いんだなあ、と不思議気持ちで彼らを見ていた。

 つい最近小学校教師の方に年収を聞かれた。彼は38歳だったため、咄嗟に彼の年収予測し、それより少し低めの年収を答えた。

 この判断は今にしても間違いでなかったと思う。彼はあからさまに安堵していた様子だった。

 「そすか、俺と同じくらいなんすね笑」とにこやかに言われた。こいつ…教員採用試験に落ち続けて講師を長くやっていたと聞いていたが、そんくらいしか稼いでなかったのか。

 教員残業も多く、成り手が年々減少していると聞いている。もう少し給与体系を考えてあげてほしい。

 そして願わくばもっと質の高い教員を増やして欲しい。俺はあんプライドだけのクソバカ共に自分の子供を任せたくは無い。

 

独身者(男)飢え過ぎ問題

 20代後半~30代の独身男性女性に対する飢えが目立つ。

 自分が勤めている会社別にエンジニア部隊でなくとも既婚者が大半を占める。仕事人生リソースほとんどつぎ込む職人気質な方々を除き、大半が結婚している。これが普通なんだと勝手に思っていた。

 だが、スポーツサークルにはスポーツしか能の無い独身共がゾンビのように蠢いている。

 俺みたいな既婚男性は歯牙にもかけない。既婚女性独身バサン辺りも同様で、若い女性とばかりコミュニケーションを取りたがる。

 ねじ曲がったコミュニケーションの仕方が自分立ち位置を狭めることに独身の彼らは気付いていない。

 そうしてサークル内に「勝手な連絡先の交換禁止」や、「女性声かけすぎたため除籍」など、様々な問題が発生する。

 俺自身陰キャだし、女性との接し方がわからず飢える気持ちはすごくわかる。

 だからこそ、昔から付き合ってきた彼女はを大事にしてこれたし、そもそもそれ以前に学生時代にきちんと恋愛経験を積まんと努力した事があった。

 タイミング方向性が間違っていることを彼らは学ぶべき・・・と俺は思うが、彼らの学習能力を見ているとなんとも言えない。

 

・金遣い粗すぎ問題

 これも彼らを見て率直に思ったこと。単純に俺よりも金をかけたがる人が多いと感じた。

 風俗スマホゲーへの廃課金スパチャ、ギャンブルタバコ、飲み代・・・とにかく何でも良いので金を浪費している感じ。やはり自分が生きてきたコミュニティとは何か差のようなものを感じてしまうのだ。

 車をローンや残価設定で買う人も多い。なのにNISAふるさと納税はやってないみたい。何か事情があるのだろうと勝手に思っていたが、そういう訳でも無さそうだ。ただ概念にないだけ。

 

 ここまで読んで見て、 「大学生みたいだ」と思った人、いるのではないか大学生ほとんどが経験する通過儀礼を経ずに社会に放り出され、年食った大学生みたいな奴のなんと多いことか。

 

 また、スポーツ用品にやたらお金をかける人もいっぱいいる。彼らは道具に対して愛着を持っていたり、こだわりを持っている訳ではない。

 道具のせいにしたり、中にはキレて破壊する人間もいるのだから驚きだ。

 ちなみに自分RPGで言うところの初期装備に近く、それを昔から大事大事に使ってる。

 自身の肉体と知識を高める方が長期的に見て人生によって有益だと自分は思っている。それと同時に目先の結果だけに囚われるべきではない、と。

 

学習能力低すぎ問題

 スポーツに限らず、仕事でも勉強でも、何か実力を身に付けたい場合、投下時間大事な要素だと思う。

 そして学び方も非常に大事だと俺は思っている。

 これは例のスポーツも同様。うまくなりたいのなら、自分プレーで悪かったところ、良いところを振り返り、今後どんな練習をするべきか考え、実践する必要がある。

 だが、彼らは投下時間のみ重要視している印象を受ける。ただ試合して、負けて、それで終わり。

 だから実力が伸びない。負けた理由が腑に落ちず、イライラする。道具を破壊したり、他人に対して当たりがキツくなる。女性はよく泣き出す。で、お●んぽボローンな方々に慰めてもらう。

 ぶっちゃけ、俺は彼らよりも仕事が忙しいし、就業時間外でやりたいこともたくさんある。だからサークルに参加したときはできるだけ自主練に励み、できるだけ多く試合に参加する。

 でも彼らは「疲れた休みたい」を連呼し、休憩中はタバコスマホいじりをしている人が本当に多い。人生無駄にしていると思わざるを得ない。

 そもそもマネタイズできる訳でもないスポーツにそこまで入れ込んで、イライラしているというのがいまいちよくわからない。

 勝ち負けを楽しむギャンブルみたいな気分で取り組んでいるのだろうか。

 

 ついでに言うと、本を読む人、仕事のために一生懸命勉強をするなんて話も聞いたことがない。

 「日本人勉強しない」なんて言う話を時たまネット世界で見かけるが、そもそも勉強する必要性が無い仕事境遇を持つ人々で溢れているがゆえの必然なんじゃないかと思う。

  

感情的な奴多すぎ問題

 感情的になる人は以下に分類されるが、一歩引いたところから傍観してると面白味さえ感じてしまう。

 ただ、自分被害が及ぶと面倒なので、キレてる奴がいたらそっと離れるようにしている。そうすることで自分サークルを細く長く続けられていると思う。

  ①実力的に劣る相手を見下すあまりキレちゃうタイプ

  ②実力がプライドに追いついておらず、自分の思うようにプレーができなくてキレるタイプ

  ③無駄に煽る奴(こいつも大概だが)に対してガチギレするタイプ

 うまく表現できないんだけど、何か嫌なことがあったとき、「キレる」があまりにも近くにある人が多い気がする。手前に「我慢」があるでしょ?普通はさ。

 キレた先に自分がどうなるか、想像力が及ばないというか。

 アンガーマネジメントアサーション社会人になったら自然と学ぶものと思っていたが、意外とそうでもないらしい。

 仕事でもそんな感じなんだろうか。そりゃ低収入にもなるわよ。

 

・でも楽しそうな人が多い

 オチになるけど、彼らって別に自分自身絶望している訳じゃないんだよね。

 ただ彼らの収入に見合った生活をして、彼らなりの楽しみを日々感じて生きている。

 あと残業も俺と比べて少ない人が多い。年齢によらず実家暮らしの人も多い。無駄に使える金と時間を好きに浪費するのもまた人生勝手ながら、そんな選択肢を学ばせてくれた彼らに小さく感謝をしている。

 キレ散らかしてサークルを去ってしまうような人も結構いるけど、サークル以外の場で話してみると結構普通低学歴だろうと、低収入だろうと。

 だから彼らとの差を随所に感じつつも、それなりにフラットに接することができている。「こういう人もいるよね」っていう社会勉強みたいな気持ちで日々サークルに参加しており、それを一種の娯楽に感じることができている。

2024-05-04

anond:20240503205825

40歳の似たような男だけど

俺は家から一歩も出ないことに幸せを感じる人間なので一人で幸せ

GWに家から一歩も出ないために一生懸命食料備蓄した

 

あなたは一人ででもコンビニに行くし映画館に行くし居酒屋に行くしビアバーに行くし、根っこが活動的な方なんでしょうね

冷凍弁当買ってアマプラ映画見て買いだめした缶ビール飲みながら冷凍ピザを食す人間になりましょう

俺はそういう生活ができる今が幸せ

2024-05-03

anond:20240503205825

家族がいて、子供のせいで自分時間がとれなくてつらいと言っている父親が山ほどいるんだが

この増田がもし結婚したらチャンカワイみたいな仕事一生懸命するし

子育ても全力でやります子供大好き!な人生になるのだろうか?

結婚したら奥さん趣味に付き合うのつらい。会話もつまんないみたいなことにはならないだろうか?

パワハラ上司のもとに私だけずっといる

5年前からパートで働いている職場は、パワハラ上司がいるので、日々人が辞めていく。即日退社、退職代行もたくさんみてきた。給料面や条件も別に悪くないのにパワハラのただ一点でみんな辞めていく。

少しでも機嫌を損ねると正座して叱られる。親の顔が見てみたいだの、犯罪者など、全然言われる。無視嫌がらせ全然してくる。上司は怒るだけ怒ったら、落ち着きだす。職場内の監視カメラもチェックされていて、少しでも喋ろうもんなら給料泥棒めと正座上司の前を歩いても、失礼極まりないだろ正座。なんでもかんでも叱られる。してないことも叱られる。事務員さんが座ってパソコンしていても叱られる。事務員さん中腰でパソコンしてる。

みんな「こんな職場はじめて」と言って辞めていく。私だけずっといる。初めの1年くらいは泣いていたような気もするけど、途中からどうでもよくなった。私が叱られている間も、一生懸命仕事をしている間も時給は一緒だと気づいた頃から、どうでも良くなった。最近は、上司が機嫌悪くなる波動を感じたら、自分から正座をしてるときもある。正座慣れ、叱られ慣れしてきて、座ってるだけでお金もらえると思ってる感じもある。

遅刻してしまったときも、「まあ上司のが悪いことしてるよな」とあまり反省できなかった。ミスをしても「こんなところで5年も働いてえらいよな私」と落ち込まなくなった。先週叱られたときは、むしゃくしゃしていたので「じゃあ辞めましょうか?」とすぐ言い返してしまった。

上司は「ずっとおってくれるのはあなただけや」と泣いていた。上司はお誕生日プレゼントもくれて「こんなん部下にしたんはじめてや」とはにかんでいた。誕生日プレゼントエルメススカーフは、そのままお母さんに母の日としてあげた。

パワハラって全然よくない。できる人は辞め、私みたいな人ばかり残ってしまう。人には優しくした方がいい。

パワハラ上司のもとに私だけずっといる

5年前からパートで働いている職場は、パワハラ上司がいるので、日々人が辞めていく。即日退社、退職代行もたくさんみてきた。給料面や条件も別に悪くないのにパワハラのただ一点でみんな辞めていく。

少しでも機嫌を損ねると正座して叱られる。親の顔が見てみたいだの、犯罪者など、全然言われる。無視嫌がらせ全然してくる。上司は怒るだけ怒ったら、落ち着きだす。職場内の監視カメラもチェックされていて、少しでも喋ろうもんなら給料泥棒めと正座上司の前を歩いても、失礼極まりないだろ正座。なんでもかんでも叱られる。してないことも叱られる。事務員さんが座ってパソコンしていても叱られる。事務員さん中腰でパソコンしてる。

みんな「こんな職場はじめて」と言って辞めていく。私だけずっといる。初めの1年くらいは泣いていたような気もするけど、途中からどうでもよくなった。私が叱られている間も、一生懸命仕事をしている間も時給は一緒だと気づいた頃から、どうでも良くなった。最近は、上司が機嫌悪くなる波動を感じたら、自分から正座をしてるときもある。正座慣れ、叱られ慣れしてきて、座ってるだけでお金もらえると思ってる感じもある。

遅刻してしまったときも、「まあ上司のが悪いことしてるよな」とあまり反省できなかった。ミスをしても「こんなところで5年も働いてえらいよな私」と落ち込まなくなった。先週叱られたときは、むしゃくしゃしていたので「じゃあ辞めましょうか?」とすぐ言い返してしまった。

上司は「ずっとおってくれるのはあなただけや」と泣いていた。上司はお誕生日プレゼントもくれて「こんなん部下にしたんはじめてや」とはにかんでいた。誕生日プレゼントエルメススカーフは、そのままお母さんに母の日としてあげた。

パワハラって全然よくない。できる人は辞め、私みたいな人ばかり残ってしまう。人には優しくした方がいい。

カレンダーが編まれた布地

ゴールデンウィーク実家に帰ると、誰からもらったか知らないが、12ヶ月分のカレンダー文字として編まれた布地が居間に掛かっていた。

カレンダーの上には龍。今年は辰年だったのだ。

しかし、カレンダーが編まれた布地なんて最大で一年しか使えないんだからもったいない労力のかけ方じゃねえのかと思ったりする。

掛け軸しかり、もっと長年大事にされるものにこそ、布を編むなり書を書くなりの労力をかければいいのにと思ったのだ。

おそらく既製品であり、手編みでは無いんだろうが、カレンダーなんて紙でよく、毎月ペリペリとはがせばいいだろうと思ったのだ。

それでもだ。未来にはどうなるのだろう。

電子書籍の例を待たず、あらゆるもの電子投影される。

書籍だけでなく、あらゆる紙製品がそうなっていく。何ならホログラムになったりもするだろう。

そして、それはカレンダーにおいてもそうだろう。

そうなったとき、紙のカレンダーは、私が居間で感じたあの感覚を以て捉えられるのかもしれない。

「紙のカレンダーなんて、もったいない労力のかけ方だ」と。

そう考えると、布地のカレンダーも紙のカレンダーも、未来人にはまさに五十歩百歩なんだろう。

から、私の、紙と布のその区別こそ、思考する労力をかけるような永続性を持たない。

それなら、私たちは紙のカレンダーも、布地のカレンダーのようにその労力を尊び、大事にしてもいいんだろう。

ましてや、布地のカレンダー。その丁寧な目の運び。細やかな仕事の出来。機械折りとしても、しっかりとした作り。

そういう目で見ていると、愛おしさが生まれてくる。

そういえば、小学校神輿ダンボールで作っていた。

お祭り最後に燃やされるのを知ってなお一生懸命、色紙やクーピーで色付けたのだった。

そんな懐かしいことまで思い出せたのだった。すぐ失われるとしても費やしたあの労力は、本当に美しいものだった。

そう考えると、目の前にある布地にも慈しみが生まれ、引きちぎるように引き寄せてはゴミ袋に詰め、その役割強制終了させる。

また、どこのご家庭にもある紙のカレンダーは、実家にも当然あった。

5月を示すそれらのカレンダーは目につく限り全てはがし、ビリビリに破ってからゴミ袋に詰める。

ゴミ袋でも、カレンダーカレンダーの夢の共演が繰り広げられている。

その色の散らばりには、神輿にかけた情熱を思い出す。

しかし、そんなのに浸っていてはいけない。こんな破滅的な感情は正しくない。

からこそ、早く何もかもホログラム化しないかと思うのだ。

カレンダー田舎自分自身も、そして神輿も。

なぜなら、ホログラムは滅びることはない。

永遠に生き続けるのだから文章を編み小説を書くような労力をかける意味がある。

まり、こうして日記に残す意味があるのだ。

と思って目を開けると、カレンダーは元の位置にあり、龍は斜め上を見上げていた。

その先には、ソースのようなしみが何個か付着していた。

資産10億円くらいなら、家賃23万円くらいのところに住んで、服はユニクロ雑貨無印、車は軽自動車、、、みたいな生活するのがベストだろう。

お金に対する不満や不安が一切消えるからだ。

これが都内のタワマンに住んで高級ブランドを身にまとって……とか考え始めると途端に不足感が出始める。

投資に対するリターンも過度に求めるようになってリスクが増える。

結果として人生に対するゆとりが無くなる。

せっかく幸運を掴んだのに不幸になっていては意味がない。

仕事はしたほうがいい。

自分自分管理できる人ならいいがそうでないなら仕事はするべきだ。

もちろん自堕落に生きるという選択もあるが、たぶん身を持ち崩す。

あと資産があっても世の中どう転ぶかわからない。

最近ではインフレが始まって今までのような投資方法大丈夫だろうか?と余計なことを考えることもたまにある。

もっともっとドラスティック日本という国が変わる可能性もある。

万が一、再び労働者として働かなくてはいけないことに備えて社会と関わり合うことは大事なことだ。

と考えるのは自分は一度若いときに1千万円ほどのお金を稼いだあと、そのお金をすっかり溶かすまでの間、無職期間が長かったからだ。

いけないいけない、お金が無くなる前に働かなくてはと思いながら結局動くことが出来なかった。

これは人間としての能力とか性格かいうより、一度人生を完全停止させてしてしまうと再び動くのは至難ということだからだと思う。

まあ若かっただけとも言えるが…。

何にしろ備えあれば憂いなし。

漫画神様といわれた大ヒット漫画家も売れなくなったときに備えて資格を取っていたと聞く。

自分はそこまでのものではないがいざというときパート仕事くらい楽々とクリアできる自分は維持しておきたい。

そして何より仕事というのは最高の暇つぶしになる。

給料を得るためが目的でない仕事というものは興味深いものになる。

刺し身の菊花を乗せる仕事すら面白いものとして捉えることが出来ると自信を持って言える。

何というか仕事というものに対する感覚が変わるのだ。

わかりやすい例を出すと、仕事に対する愚痴が変質する。

お金のために働いていた頃は大体において自身待遇面に対する不満が愚痴と直結している場合が多い。

なんだかんだいっても、よくよく考えてみれば自分待遇に満足していない、という話の変化球しかない。

しかし、一度お金のためでない仕事をすると愚痴待遇の話ではなくなる。

もっとこうすれば、いい仕事が出来るのに、もっとああしてれば最高の仕事ができていたのにという純粋仕事に対するモチから発するものになる。

そういう仕事はそこそこ楽しいし、繰り返しになるが暇つぶしになる。

ただあんまり一生懸命仕事をするとリーダーになって欲しいとか正社員へのお誘いとか面倒なことになる。

から基本、1年以上は働かない。

居心地が良くても辞めて次の仕事へ移る。

次の仕事場があんまりにも自分に合わないようであればすぐに辞めればいいだけの話だし。

お金のために働かなくてはいけないわけではないからだ。

人生の伴侶は求めない方針だ。

素敵な男性に心惹かれることはあるがもしも結婚すれば、結局私の人生はその人に乗っ取られるだろう。

資産10億円程度では動じないハイスペックな人と関わりになりたいとは思わない。

逆に平凡な人生を送っている人なら私の資産に狂ってしまうだろう。

それくらいのことはわかるくらいには年をとっている。

もう少し若い頃に今の状態になっていたら……、とも思うけれど、

それはそれですでに人生が停止するだけだと実証済みなので不満はない。

2024-05-02

学歴コンプレックス卒業した 4/4

https://anond.hatelabo.jp/20240502193040

終わりに~

この大学卒業してから長い時間が経った。あれから1回転職して、新卒で入った会社とは別の電子機器メーカーで働いてる。今はキーボードとか作る仕事をしている。東京神奈川オフィス工場がある会社である。もしかしたら、地下鉄なんかで増田民はてな民ニアミスしてるかもしれない。

今では佛教大学感謝してる。あの頃はいろいろ思うこともあったけど、だからこそ今の自分があるのだ。

仮に、第一志望だった同志社大学に進んでいたとしたら、きっと、ここまで努力は重ねなかった。自分に実力があると勘違いして、学業に力を入れるとか、TOEICで相応の点数を取るとか、就職活動に超力を入れるとか、そんなことはなかっただろう。

この道は、正しかった。第一志望の大学不合格でよかった。親や兄弟や親戚に不合格バカにされてよかった。だから、悔しさをバネに努力ができた。

自分は運がよかった。今ではそう思って、歩んできたこの道に感謝してる。

でも、実は後悔がひとつだけある。卒業である。実は、自分卒業式に遅刻している。その前日にアルバイト飲み会があって、就寝が遅くなった。朝起きたら卒業式開始の10分前だった。

失敗はそれだけじゃない。なんと、卒業式の最中にゲリピーブレイクになってしまい、トイレに行っている間に式が終わっていたのだ……あれはショックだった。遅刻だけならまだいい。遅刻してる学生はたくさんいた。しかし、これは……「失敗した」という思いが強かった。ずっと引きずっていた。

というわけで、先日3/18(月)に佛教大学卒業式に参加してきた。もちろん保護者である

後ろの方の席だったけど、約十年前もあんな感じだったな、としみじみした気分になった。この時はさすがに遅刻はしなかった。しかし、残念なことに……式の最中にゲリピーブレイクが再発した。

焦った。これは焦った。けれども、ここで奇跡が起こった。十年前のことを思い出したのだ。十年前の失敗は確か、最後まで我慢しようとしたのが原因だった。それで、学歌斉唱が始まったあたりで体育館和式トイレ(※洋式はない)に駆け込んだ。それで、失敗した。

式次第を読んでみる。そして、学長その他3名による卒業祝いの挨拶が長時間になると踏んだ。「よし今なら……いける!」と、その時間帯に会場を抜け出し、体育館和式トイレ(※洋式はなかった)に駆け込んだ。

会場に帰る頃には、ちょうど学歌斉唱が始まっていた。そういえば、大学の学歌ってほとんど聞いたことがない。どこの大学でもそんなものだろうか。

とにかく、卒業式は無事に終わった。終わったのだ。十年来の無念が晴れた気がした。最後プロジェクションマッピングがあって、マジでびびったわ……。

卒業式中の写真(※個人情報保護のため一部編集しています)

https://tadaup.jp/702d2abc8.jpg

https://tadaup.jp/702d2b773.jpg

https://tadaup.jp/702d2bf68.jpg

https://tadaup.jp/702d2c731.jpg

ところで、式次第には学位記授与のことが書いてあった。卒業式の後、それぞれの教室学位記を受け取る儀式があるのだ。

ああ、確かこんなのあったなと思いながら、ついでに保護者枠で参加することにした。幸い、見た目は学生時代から老けている。今ではすっかり小太りのおじさんである。社内では、同輩や後輩から部長」と呼ばれることもある。保護者に見えなくはないはずだ。

卒業式の会場を出てから100席ちょっと教室に入ると、今まさに社会学部とある学科学位記授与が行われようとしていた。この時も、約十年前にあった学位記授与の記憶が蘇ってきた。

「静粛に。これで二度目だぞ、君らは最後までわからんのか!」

約十年前は、学位記授与の担当教員に怒られたんだっけ。小さい講義室で、学生たちがあまり煩いものから学位記を授与する前に怒号が鳴り響いたのだ。懐かしい。4年前の入学式でも、やはり怒号が鳴っていた笑

あとは、その日の夜にあったホテルでの謝恩会の時も、一番最後卒業代表が、ステージ上で「私がこの学校入学が決まるまで、大学受験で苦戦しました~3月最後最後まで受験を続けて、それで最後合格を掴み取ったのが、この佛教大学でした~卒業生の皆さんも~(以下覚えていない)」といった卒業記念の挨拶をしていた。が、当時の卒業諸君は大騒ぎだった。卒業代表の話なんて聞いちゃいなかった。

今では、そんなことは一切ない。みんな、小さい教室の中で静かにしている。雑談している子は1人もいない。こういうのって、なんだろうな。もしかして少子化によって選ばれし優秀な遺伝子しか世の中に存在できなくなりつつあるのか?

それはいいとして。学位記の授与では、一人ひとりが名前を呼ばれて学位記を受け取ってたんだが、やはりその……しみじみとした思いがした。自分はずっと、彼ら彼女らが教員から学位記をもらうのを眺めていた。全員が終わるまで30分以上もかかった。

最後に、学部先生挨拶をしていた。

(以下要約)

あなた達はコロナ禍の大変な時期(※2020年度)に入学してきた

入学式はなく、授業はリモートだった。学食でも黙食であり、不安も大きかったと思う

学生生活の中で、あなた達は多くの試練を突破してきたはず

社会人になってもどうかそのことを忘れずに、自信をもって働いてほしい

・いつでも大学に帰って来ていい。私たちは待っている

すべてが終わると、学生たちは粛々と立ち上がって、静かに退出しようとしていた。俺がいた頃とは大違いだ。あの頃は、絶対にみんな大騒ぎだったと思う。懐かしい。「威勢のよさ」と「常識の順守」がトレードオフになっている。そんな気がした。

※推測だが、2020年当時って、入学式オリエンテーションはないし、マスクオンで皆の顔わからないし、何より授業はリモートだし、学食でも黙食が義務だった。ということは、学生間の絆のレベルコロナ禍以前に比べて低かったのかもしれない。

ちなみに、ほかの学部学位記授与の教室もチラッと外から覗いてみたのだが、どこもいい雰囲気だった。先生学生も、熱の篭った感じで最後儀式に興じていた。特に教育とか保健とか看護学部がよかった。

卒業式の後~学内散策(※上に同じく一部編集)

https://tadaup.jp/702d2cf28.jpg

https://tadaup.jp/702d7248a.jpg

https://tadaup.jp/702d72c57.jpg

大学を出た後、近くにある千本北大路交差点で、卒業生達が「じゃあな」と言いながら別れていくのを見た。

社会人をやって十年以上が経つけど、今日という日は感慨深いものがあった。涙までは出なかったけどな。



これで結びになる。

若い頃は楽しかったってよく聞くけどさ。実際、そこまで楽しくはなかったよな。当時の日記を読み返してて感じたんだけど、「早く実力を身に付けたい」の一点張りだった。あの頃は、自分雑魚すぎて嫌だった。

「あの頃はキラキラして、いつでも輝いていた~」みたいなことは絶対なかった。あるわけねーだろ。当時の日記を参考に、あの頃の気分を一文で表すと、砂漠をうろついてるフンコロガシみたいだったよ。でっかい玉を作りたくて、己のショボい脳と身体でどこまでも足掻いていた。満たされなくて、いつも飢えていた。心が。

大学の中も、大学以外の外にある世界全体も――学業アルバイト先、恋愛とかでも、自分よりはるかに格上のヤツがいっぱいいた。劣等感が凄かった。自分が何者でもない感じがして、苦しかった。自分雑魚さ加減が嫌になったよ。そんな4年間だった。

今でも夢に見る。学生時代の下宿で、コタツ机に昔の自分が座ってる。深夜1時だというのに、アルバイトから帰った後で、TOEICの教材でリスニング勉強をしている。

なんだか寝落ちしそうな雰囲気なのだが、その度にコタツから立ち上がり、頭をそのへんの壁に打ち付けていた。一息を吐いてから、それでまた、勉強に戻る。

あきらめないでくれ……」

夢の中にいる自分には、そう応援するくらいしか手段がなかった。でも、勝手に声が出ていた。

「昔の俺よ、どうかあきらめてくれるなよ」って、そう祈っていた。そしたら、いつの間にか目が醒めていて、いつもの布団の中にいる。天井を見上げている。

でも、学生時代が楽しかたかといえば、楽しかったよ。当時は辛かったんだろうけど、でもなぜか、今になると「あの頃は楽しかった」に記憶がすり替わっている。

しかったはずの日々なのに、どうして「あの頃は楽しかった」ということになるのか? それって錯覚じゃないか? 自分自分を騙してる。なぜ、こんなことが起きる?

確信はないけど。【一所懸命】だったからじゃないか自分は忘れても、脳は覚えてる。あの頃、一生懸命に苦しんで、欲しがった何かが――今、自分の手元にあるんだって無意識はわかってる。

から、それまでの過程がぜんぶ、愛おしくて、切なくて、やり切った感があって、いい思い出として変換されるのだ。実際は辛くてしょうがなかったのに。

しかった時のことほど、楽しく思い出すことができる。反対に、楽しかった頃の記憶って、特に何も感じない。脳裏から記憶が消し飛んでいく。それだけだ。

今回、自分記憶を整理する機会に恵まれた。十年ぶりに大学卒業式に参加することができた。おそらくもう、あの大学の門をくぐることはないと思うけど、本当に運がよかった。

ありえないことだけど、昔の自分に伝えられるのなら、伝えてみたい言葉があるんだ。「諦めないでくれてありがとう」って。

学歴コンプレックス卒業した 1/4


約十年前に、とある4年制大学卒業した。名を佛教大学という。

高校生の頃は、仏教を学ぶための大学だと思っていたが、それはごく一部の人に限ったこである

実際には文科系総合大学だった。ちょっとだけど理系もある。

なんで、この増田でこんなことを書こうと思ったのか。それは、この大学での思い出や記憶に踏ん切りがついたからだ。人生の一部に納得ができたというか。それで、卒業シーズンということで、今回書いてみようと思った。書き始めは3月下旬である。ずいぶん時間がかかってしまった。

普段から増田投稿してるわけじゃないから、ヘタクソな箇所があるかもしれん。ご容赦を。なお、「学歴コンプレックス」という言葉は、当日記中では使用していない。

佛教大学は、いわゆる中堅私大と呼ばれるところだった。平均偏差値は……なんとも言えない。理学療法士作業療法士になるための学部は高偏差値なのだが、それ以外の学部はお世辞にも偏差値が高いとはいえない。Fランクではないが、基本的には関関同立不合格だった人が入学してくる。滑り止め率が極めて高い大学である

なんで自分がここに入学たかと言うと、やはり滑り止めだ。第一志望としては同志社大学(政策学部)に行きたかったのだが、実力があと一歩及ばなかった。残りの関関同立も全滅して、残念ながらこの大学社会学部に進むことになった。

大学4年間のことはそこまで覚えてない。実際には、いろいろあったんだろうけど。

学業一生懸命に取り組んだ。授業をサボることもあったけど笑 成績はいい方だった。卒業単位が揃った後でも、まだずっと授業に出続けていた。学問が好きだった。

アルバイト金閣寺にあったマクドナルドで、部活(実態サークル)は地味めの文化系だった。いわゆる【文芸サークル】みたいな感じか。みんなでドキドキ(?)な文芸を書いてたんだが、大学生なんで、俺を含めたほぼ全員が既存作家コピペだったのが記憶に残ってる笑

ただ、今になると記憶がない。本当に記憶がない……自分はこの大学で何をしていたっけ? そんなに無為ではなかったはずだが。

学食は1人で食べることが多かった。それ以外の行動も、1人または少人数のどちらかだ。授業は半期ごとに目いっぱい取った。32単位分を。教職課程は2つ取っていた。186単位を取得して卒業したんだっけ。サークル飲み会では、やっぱり1人でちびちびと飲んでいた。大した思い出は詰まってない。

冒頭が退屈なのはよくない。本題に入ろう。まずはアブストラクトだ。

大学1回生の時に思ったんだ。「このままじゃダメだ」って。第一志望の大学に入れなかったけど、大学生活をエンジョイして、就活では結果を出して、大学入試の結果をバカにしてきた家族兄弟や親戚を見返してやろうと思っていた。

でも、正直心が折れかけたよ。1回生の頃からそうだったけど、とにかく在学生の質が低すぎた。ヤバイと感じていた。ただし、これは当時の考え方にすぎない。今だと「どこの大学生でもあんなもん」くらいの緩い考え方である

当時は、実力を高めることに貪欲だった。飢えていたのだ。強い自分に。弱い自分が嫌だった。人としてレベルが低い学生を見ると腹が立った。自分がこいつらと同じなのかって思うと腹が立ってしょうがなかった。一刻も早く、ここから卒業して、立派な社会人になりたいと思った。

そういうわけで、学業とか、TOEICとか、文芸サークルとか、アルバイトもそうだけど、とにかく何でも頑張って、最後は……いい会社から内定をもらうことができた。アベノミクスの始まりの頃で、景気はゆるやかに上向いていた。

入社したところは、いわゆる一流ではないけど、佛教大学卒業者で会社員~という観点からすると、いいところだった(電子機器を作ってるところ)。同学年では、全学部を含めて№1の結果だった。

さて。ここからは、各学年の時の思い出を綴っていく。

一番最後に、今の自分気持ちを書いてみたい。



大学1回生の頃~

入学式と最初オリエンテーションが終わった後、知恩院という重要文化財のある宗教施設に行くことがあった。大学がやっている新入生向けのイベントだった。浄土宗大学だったので、そういう縁からか、知恩院僧侶の方々が歓迎的な催しをやってくれた。

今思えば、重要文化財のお堂にあれだけの新入生を詰め込んで、いろいろやってくれるってスゴイことだったと思う。

この時はまだ、この大学に悪い印象はなかった。しかし、本格的に授業が始まってからは、上に挙げたようなマイナスイメージが付きまとうようになった。大学時代日記を参考に書いていく。

以下、特定の思い出エピソードを語る場合は、太字タイトルを付けて1字下げにする。

1.授業中の男子学生

 新入生向けの英語の授業だったかな。前の席に座ってた男子学生が、先生の話を聞かずにケータイを弄っていた。先生がさ、「授業中です。携帯電話はやめなさい」って言ったんだけど、彼は聞かなかった。

 先生それから何度か指導をするんだが、やっぱり聞かない。で、そいつは「う~い、わかりやした~」みたいな感じで答えている。先日まで高校生だった人には、授業はきついのだろうか(と当時の日記に書いてあった)。

「もういい。お前は落とすっ!!!!」

 先生が小さい講義室の中で、声を張り上げた。いやあ、あれは久々にびっくりした。その学生は退出を命じられ、教室には重苦しい雰囲気が漂った。

 当方は、京都まれ京都育ちである佛教大学には、高校生の時にオープンキャンパスで来たことがあった。その時は、悪い環境じゃないなと思った。学生以外にもいろんな人がキャンパスにいた。学食には障がい者とか、ご老人とか、浮浪者の人とか、中高生とか、とにかく多様性に富んでいた。どんな人でもキャンパスに受け入れる空気感が好きだった。

 しかし、【カオス】というのは多様な方向に拡がる。それは、いい方向ばかりとは限らない。そういうものなのだ……。あと、ついでを言うと、この頃はちょうどキャンパスの再整備工事最中だった。今ではクソデカ超立派な新一号館が鎮座している。

仮校舎とかもあった。実際、授業中の思い出と同じくらい、工事現場が間近にあったイメージが強い。

2.想像を絶する張り紙その他

 一般的に、若い人ってモラルが低くなりがちである。それはいい。若いんだからマナー常識もこれから勉強すればいい。

 しかしbut。自分学内で見た貼り紙の中には、「え……?」というものがいくつかあった。以下に列挙する。

(貸出物品のこと)

 多目的情報ルームみたいな施設があったのだが、職員カウンターの前にこんな趣旨張り紙がしてあった。

「今後は学生への事務用品の貸し出しは行いません。貸した後で帰ってこないことがあまりに多いためです」

 久保帯人ブリーチじゃないけどさ、俺にしてみれば「なん…………だと…………」だった。

体育館張り紙

 キャンパス内の鷹稜館(おうりょうかん)という建物には、体育館兼式辞ホールがある。飲食禁止である。昼休み中に駄弁るのもダメ。そういうルールだった。しかし、学生の中には、スポーツとかするエリア内でメシを食べたり、授業の空き時間ステージ上で寝てる人が多数いた。

 いつからだろうか、「館内での飲食や休憩はできません。見つけ次第指導します」といった貼り紙が増えていた。その際の、自分認識としては……「なんでこんな貼り紙存在するのだろう。管理者ダメって言ってんだからダメなんだよ。なんで従わないって選択があるんや?」というものだった。

 大学生になって一年も経ってなかったが、高校時代とは違う風景がそこにあった。大学自由なところとは聞いていた。でも、俺が想像していたのはこういう自由ではなかった。

コピーカードのこと)

 何円だったかは忘れたが、学内のどっかで【コピーカード】を販売していた。ただ、部活(サークル)が小説などを書くところだったんで、印刷物を刷る時の負担が大きいんだよな。100%公的もの(ex.学内新聞関係)だと部活動費で賄えるが、個人的趣味出版物だと難しいものがある。

 同じ部活にいた文学部学科は忘れた)の女の先輩が、趣味同人誌を作ってたんだけど。その人が、ゼミ教授から一時的に借りているコピーカードがあって……教授が持ってるコピーカードって、枚数無制限なんだよな。もしくは1万枚とか度数があったと思う。

 もうわかってるとは思うが、その先輩は、印刷無料販売用のマイ同人誌を大量印刷していた。確かあれは、『TIGER & BUNNY』か『ギルティクラウン』のどちらかだった。さすがに今では、どっちか思い出すことはできないけど。

  「先輩、それヤバいっすよ」と言ったけど、先輩は素知らぬ顔で答えるのだ。

増田君。文学活動にはね、お金必要なんだよ。これも社会のためだと思って、見逃してほしいな♪」

 だってさ。あまりクールだった。いやぁ、あの時は痺れたね……笑

 (参考:https://tadaup.jp/702e034b1.jpg)

 ※度数1000のコピーカード画像自分教授から借りてそのままだった笑

この頃から自分は佛大の学生とは距離を置こうと考えていた。

早く、とにかく早く実力を身に付けたい。レベルが高い社会人になるべく、今から努力を積み重ねるのだ!! この課題については、なんとしても早く――昨日のうちにでも達成する必要がある。

そして、大学卒業後は、一流どころの大企業へ。そんな牧歌的なことを考えていた。

https://anond.hatelabo.jp/20240502193039

2024-05-01

anond:20240501203604

一生懸命自分なりにオムライス作ってただけの元カノ、まずいのは熱意がないからで別れて当然みたいに言われてるの可哀想だなと。何年も経ってるのに自分たちが幸せになるようにコスってんのも気持ち悪いしさ。

2024-04-30

[]4月29日

ご飯

朝:納豆たまごかけご飯豚汁。昼:なし。夜:ウインナー大根人参キノコスープきつねうどん。いりたまごバナナヨーグルト。間食:柿の種

調子

むきゅーはややー。おしごとは、おやすみなりー。

刑事J.B.ハロルドの事件簿 マンハッタンレクイエム

1987年に発売されたコマンド選択ADVSwitchリメイク遊んだので感想を書く。

JBハロルドシリーズの第二弾、前作で事件の本筋とは関係していなかったが印象に残る色気のあるキャラだったサラ・シールズ殺害されるところからストーリーが始まる。

ストーリーの繋がりはこの程度で非常に薄めで、シリーズキャラになる主人公JB一人称述懐するシーンが限りなく少ないため、あらすじが気に入った順にプレイして問題ない。

システムSwitch移植の際に統一されたのか、ほとんど同じエンジンでガワが変わっているだけな印象。(細かい変化はあるので全く同じわけではない)

そんなわけで前作同様に、ひたすらに聞き込みと現場捜査を繰り返す足で稼ぐ系のアドベンチャーゲームだ。

とにかくコマンド総当たりで聞き込みを繰り返していき、少しづ事件輪郭を浮き彫りにしていく、非常に原始的アドベンチャーゲームのそれを楽しむことになる。

UI周りはスッキリしていてモタつかないのは流石にリメイク恩恵がありそうな部分。

今作では何と同姓同名被害者が3人おり、さらいづれも同様な飛び降り自殺を行っている、そんな奇妙な謎が開幕早々に提示される。

しかし、この謎はどうも、アドベンチャーゲームとしての総当たりコマンドにおけるコマンド数の省略、すなわち「サラの〜〜」を聞くという形式にすることで3人いるサラJ、サラO、サラNのいづれか3人の質問をまとめる効果を狙ってのもののようだった。

なので、同姓同名が出てきたということは、なんてミステリオタクが先回りしがちなアレやコレや全くなく、正直ただただテキストを読む際に整理しながら読む必要があっただけだった。

とはいえ、ひたすらに聞き込みを行い誰の証言が信用おけるのか、誰を疑うべきなのかを切り分けていく、JBハロルドシリーズの骨子の部分は面白い

特に意外な人物達が繋がっていくのはこういう聞き込みを繰り返すゲームならではの楽しみだ。

古いアドベンチャーゲームなので、良く言えば媚びていない、悪く言えば味付けが薄い部分も前作同様。

特徴的なキャラ付けも薄いので、登場人物たちを覚えるのに一生懸命だった。

読んでいけば自然と彼らのことが分かっていき、クリアまでにはほぼ全員をしっかりと理解できるのは、何回も何回も聞き込みを繰り返してこそだ。

面白い面白くないの軸で評価するというよりは、テンポよくテキストを読むのが気持ち良いそんな軸で評価をしたくなる一作だった。

anond:20240430124106

その時期日本人一生懸命働いてレートを保ってたんだよなぁ・・・

俺が人生の中でやってきて良かったことを書いていく

追記コメントあざす。質問への回答は本文の下。

 

↓本文ここから↓ 

学生時代恋愛結婚

 学生時代から付き合っていた彼女と6年交際の末、結婚した。

 結婚後も関係性は良好で、お互い楽しく過ごせている。

 

 いま、自分地方メーカー工場に勤めているが、ここで恋人を作るのは至難の業

 うちの会社の女は倍率100倍の日大と、と会社の誰かが言っていた。言い得て妙だな、と思う。

 

 社内を見渡してみると、街コンやらマッチングアプリ一生懸命取り組んでいる人がちらほら。

 色々とやることが多い20代後半~40歳前後になって、嫁探しに精を出す。馬鹿にする訳ではないが、非常に勿体ないと感じる。

 だって金も時間無駄にしたくない年頃じゃない。

 

 学生時代恋愛し、社会人になってから結婚するのは受験でいうところの推薦みたいなもの。ゴールが一緒なら苦労は少ない方が良い。

 打算の気持ちよりもお互いの好きという感情で付き合い、そのまま結婚する。今振り返って思うと、幸せことなんじゃないかと思う。

 

Fラン大学から国公立大学仮面浪人

 個人的に最も大きな人生の転機だったと思う。現役でギリギリ入れなかった大学をもう一度受けなおし、何とか合格することができた。

 Fラン私大国立大学の差は歴然だ。置かれた環境、周囲の自分に対するイメージ学費、そして友達の質。

 自分という人間であることに何も変わりは無いのにラベルけが一新されることに最初はとても戸惑った。

 だが、一生懸命ついていこうと努力するうちに、自分に貼りついたラベルだけでなく自分自身も変わっていく。

 彼女もここでようやく手に入れた。

 変わるだけの土壌が国立大にはあった。Fランには無かった。無いわけではなかったかもしれないが、自分には見つけられなかった。

 

 ゴミのような大学に入ってしまった君は一年無駄にしてでも仮面浪人することを強くお勧めする。

 修羅の道だが、受からなかったとしても今までと同じ大学生活が続いていくだけ。失うものは無いのでぜひチャレンジして欲しい。

 

毒親から離れた

 国立大学への進学を機に母親と離れた。それ以来、必要ときだけ友好的にコミュニケーションをとるようにして今に至る。

 俺の母親はいわるゆ毒親だった。俺や俺の姉、父、祖父母に対して常に攻撃をしていた。

 母は世間知らずだ。農家の長女として育てられ、仕事などほとんど経験しないまま、父と見合い結婚

 今ならわかるが、母は親としても妻としても無能だった。それが影響してだと思う。自分小学校に上がるタイミング家族まるごと祖父母の家で暮らすことになった。

 俺は毎日祖母の飯を食べ、祖母掃除した家で過ごした。今でも祖母自分のことを可愛がってくれる。自分にとってのおふくろの味祖母だ。

 祖母パート家事、農作業を行うなか、母が何をしていたのか、まったく記憶に無い。毎日GYAO韓国ドラマを寝ながら見ていたような気がする。

 たまにアルバイトを始めたと思ったら、半年も経たずに辞めていく。そんなことを繰り返していた。

 後は祖母執拗に苛めていた。そんな母親が俺は大嫌いだった。が、嫌いという感情を出すことすら憚られる何か圧力のようなものを感じてもいた。

 自分受験に落ちたとき、母は自分をなじった。 

 母は高卒だった。大学に行けるだけでもありがたいのに、Fラン私立に行くなんてありえない。そんなことを毎日言われた。

 そんな折、気づいたら何故か父が家を追い出された。子供がある程度育ち、父が限界を迎えて自分から出て行ったのかも、と今にして思う。

 

 こうして振り返ると母は悪魔のような人だったのだが、今では物理的にも精神的にも距離を置くことができ、心から安堵している。

 たとえ血を分けた肉親だろうとクズクズ。逃げることは何も間違っちゃいないのだと今にして思う。

 ちなみに姉は母と一緒に今も住んでいるが、ときどき病んだような連絡が届く。心配だが、今の幸せを壊されたくないので接触は最小限に控えている。

 

就職活動に本気で取り組んだ

 国立大学とはいえ自分理学の専攻だったため、就職はそれなりに苦労した。

 今までやってきた研究就職してから行う仕事マッチング率が低く、ES面接に落ちることもしばしば。

 同期の大半が諦めて適当地元企業に応募したり、急に公務員に舵を切り出していった。

 そんな中、自分メーカーを中心に滑り止め、中堅、大手と手広く応募し、最終的には第三志望くらいの企業に見事合格した。

 

 就活理解のある研究室ではなかったため、教授から目線は冷たかった。

 が、研究と並行しながら早め早めにインターンシップアルバイト面接対策に精を出し、最後に結果を出した。

 教授努力を認められたときはとても嬉しかった。

 

 いま、自分は30歳くらい。福利厚生、仲間の質、そして年収大学の同期と比べてもたぶん上位2割には入っている自信がある。

 もちろん年収能力に関しては上を見ればキリがない。自分自身、今の仕事についていけなくなる可能性もある。

 でも、いまのうちから貯金資格取得、勉強など自己啓発積極的に行っている。年収が下がることになってもたぶん俺は生きていけると思う。

 

 それにしても。

 日本だけなのかわからないが、受験しろ就活しろ局所的な努力に対するリスクとリターンが大きすぎる。

 でも、その大きな流れを個人が変えることは不可能

 今の日本制度に異を唱えて貴重な時間無駄にしたり努力放棄するのではなく、 「やるべきときにやるべきことをやる」というのを念頭に、人生を歩んで欲しい。

 

・車を持たなかった

 これは人や住む場所にもよるが、俺は車を持たないことは可処分時間可処分所得を大幅に上げる大きな財テクだと捉えている。

 維持費もかかるが、なにより運転している時間無駄。その点電車バスは目と耳を好きに動かせる。この差は大きい。

 車での移動がどうしても必要場合レンタカータクシーで十分。

 

 それでも移動したい場合、俺は原付を使っている。車に比べたらオモチャみたいな値段だが、もう10年以上の付き合いだ。

 丁寧にメンテをしてやれば長持ちし、長距離の移動にも耐えられる。

 時々会社の人からバカにされるが、これに関してはバカにされて笑っていられる奴の勝ちだ。

 

 ちなみに俺の実家は一人一台+トラクターコンバイン軽トラを所有する田舎農家

 当たり前のように生活の中に車があった。

 学生時代、当然のように車を親にねだったが、父が買ったのは激安の原付

 そんな父の堅実な選択に、今ではとても感謝している。

 

・人の悪口を言わない、他人を変えようとしない

 超重要。これができないと人生のあらゆる面で苦労することになるので必ず身に付けておくようにしたい。

 今回、こうして日記人生でやってきて良かったことなんてのを書いているが、リアル人間にこんなマウントに近い自慢話をしたことは1ミリもない。

 ここは鋼の精神力で自己を抑えなければならないことを頭で理解している。だから言わない。ネット世界だけにしてる。

 なんなら日記に書くのも初めての経験だ。

 

 年収恋愛学歴貯金どれもかなり人によってセンシティブな話。

 多少、会話の際に滲み出るかもしれないが、あくま事実として淡々発言すべき。

 間違っても他人比較した際の差に関する発言や、助言的なことは自発的に言うべきではないのだ。

 

 自分も時々不要一言で場の雰囲気を悪くすることがある。そうして後悔しても後の祭り。その場の雰囲気や持たれた周囲からの印象はそう簡単には変わらない。

 自分100%正しいと感じても、他人批評はやめた方が良い。うまく言葉説明できないのだが、批評気持ちを持つと人間関係にヒビが入りやすい。そんな気がする。

 

 「○○のためにはっきり俺は言ってやるんだ」と言ってキレのある発言をする奴もいる。

 確かに言われた○○の人生には多少プラスになることもある。それは事実としてその通り。

 だが○○は助言者に感謝などしない。むしろ感情としてはヘイトけが残る。

 それを覚悟の上で助言をするなら問題ないとは思うが、それなら寄付でもした方がよっぽど建設的なんじゃないかと思う。

 もしこういう奴が居たら俺はそいつ発言を3割程度に受け止めるようにしている。

 

 大人になると誰もが自分の保身を優先するようになる、だれも悪いふるまいを注意なんてしてくれなくなる。

 自分意識して、変えていかないといけないんだ(耳が痛い・・・。)

以上。長々と書いてきたが、何か心に残るものがあればこれ幸い。

 

追記

仮面浪人時代学費について

 初年度納入金(入学金+前期授業料+後期授業料)のうち、入学金+前期の学費は親負担、後期授業料奨学金から

 それ以外、仮面浪人時代生活費や受験にかかわる模試だとか受験費用国立大合格後の引っ越しなんかも奨学金

 それ以降の大学生活とカネの関係については質問があれば特定されない範囲で答える。

 

ミニ四駆好き?

 別に。俺と同じような境遇持ちでミニ四駆好きでもいたんかな。

2024-04-29

婚活愚痴を書かせてほしい

結婚相談所活動している。男。39歳。

何が辛いかお見合い特に感じることだが「自分は選ぶ側」という姿勢が顕著な人が多い。「自分は選ぶ側」という言葉だけ聞けば正しく聞こえるかもしれない。自分判断するという意味では実際正しい部分はある。でも、人間関係構築の段階でこの考え方でいられると正直きつい。婚活だって人間関係を作る場面だから自分パートナーになるであろう人を、まるで自分王様お姫様であるような立場で「選ぶ」なんて上から目線の考え方は僕から見ると「あなた何様ですか?」と思う。私だってあなたと同じように人格感情を持っている同じ人間だ。格下だと思うのはあなた自由だけど、傷つけるような言葉を投げかけたり、貶したり、公然とあざ笑って、人の心を傷つける権利はない。婚活だと少なくない金額がかかるので(相談所によるが入会金10万とか20万、さらに月額約1万円)、サービスを受ける側だと思ってるのだろうか。あなた相談所にお金を払っていたとしても、僕はあなたからは一銭も金なんてもらってない。相談所の婚活カウンセラーが全部何でも下駄を履かせてやってくれるわけではないし、ショーケースに陳列された商品を品定めするような目線で生身の人間判断することに違和感ばかりを感じて。僕だって人間なんだ。お茶代のお礼を言わない女性はそれなりにいる(お見合いの際のお茶代は男性負担相談所のルール)。ただ、相談所のルールがそうさせてるだけで、相手女性個人的お茶代を男に負担させる権利を元から持っているわけではない。今まで会った大抵の女性はそこを履き違えているように見えた。僕の担当カウンセラーさんが言うには相談所に来る人はそういう「相手を選ぶ意識でいる人」が大半で(男女ともにだが女性比較的多いとか)、その多くが婚活を難航させていると言っていた。相手を選ぶ意識でいると仮に交際に至っても関係構築ができず、当然成婚に発展することもないらしい。そりゃ、そうだ。

ネットYouTubeでよく「相手を減点方式で見る人は婚活では厳しい」と見るけど、あれは「自分は選ぶ側」だからそうなるのだと思う。自分経験した範囲ではあるけど、そういう人ほど本人もパッとしない。でも何故か上から目線相手を眺めている。年齢はみんな平等に重ねるのだから婚活に長く時間をかけるほど自分賞味期限だって落ちるし、それに、自分が良いと思う人は他の人から見ても良い人である可能性も高いから、プライドが高いのは結構だけど「いい人がいれば結婚したい」と鷹揚に構えているだけでは良いチャンスなんて逃してしまうと思うだけど。

僕は相手を選ぶことはしなかった。僕を選んでくれた人に対して一生懸命くそうと思ってデートした。正直、自分を選んでくれたというだけで嬉しかった。自分結婚に対する想いを伝えてミスマッチを早めになくそうとしたし、自分の経歴や仕事に対する思いを話して、価値観の相違が早めに分かるように配慮した。別にプレ交際を断られてもいい。断られたなら、それまでの関係だったということだ。でも、実際にはプレ交際を断られることはなかった(全てこちからお断りさせてもらった)。僕にお見合いを申し込んでくれた人は、入会1ヶ月の時点で100名程いたけど、その中から自分の条件に最も合う方とお見合いした。プレ交際は5人ほど。そして、ついに昨日成婚退会できた。活動期間は6ヶ月くらいか。嬉しいの極みだ。自分にはもったいないくらい心優しくて思いやりのある女性だ。嬉しい。

追記

自分説明が下手だったかもだが、お見合い申込みをくれた100人全員とお見合いするのは時間的に無理だし(基本土日にだけやる)、結婚は1人としかできないので、選んでいると言えば言葉の上ではそうなるよ。ただ、「お前も100人から選んでるじゃん」と言われても、それは細かい言葉尻を捉えてるだけ…と思ったかな。

僕が言いたかったのは「自分も選ばれる側」という意識のない人がいることで、そういう人に限って一人称ものを言う傾向にあるということで、お見合いの席で相手気持ちを考えずに不躾な言葉をわざわざ言ってきたりするのが嫌なんだよね。酷い人になると、お見合いの席でプロフに書いてることをわざわざ嘲笑ってきた人もいた。何で申し込んできたんだよと思ったけど。「この人ちょっとな」と感じたとしても、相手だって自分と同じ気持ちを持った対等な人間なのに何故そんな傷つけることをするのか本当に分からない。それに無理だと感じたらカウンセラーさんにお断りを伝えればいいだけなのに。そんな最低限の相手に対する気遣い配慮ができない人だから一人称ものを語るし、いざ良い人が現れたとしても「選ぶ側」という視点しかいか関係進展しないんだよね。自分も選ばれる側だと思っていないし、立場客観的に見ることもできていない。うまく言えないけど、そんなこと。伝わったかな?

おめでとうの言葉をくれた人、ありがとう

anond:20240429171543

アベノミクス最初から詐欺だけど、ある意味フェアで国民も儲かるぞって一生懸命宣伝してた国家ぐるみインサイダー取引だよ

そのフェーズは終わったし投資も俺のようにする金がなかった人は苦しいよねえ

2024-04-25

anond:20240425212605

振り返りで結果を出していない議員は支持しないことが大事だと思う。実績なくても評価されたら、仕事一生懸命にやるか?という話。

おれは絶対に怠けるし、怠けても評価されたらさらに怠ける。

この人多分発達障害なんだろうなという先輩がいる。

・よく遅刻している(すっぴん・髪ボサボサでオフィスに駆け込んでくる)

・家の鍵をオフィスでなくしたとかで大騒ぎになっていた

・常に挙動おかしい(常に目がキョロキョロしていて落ち着きがなく、この前は水を汲むだけだろうにウロウロしていて、挨拶すると「あっあっ、お、おはようございます……はは……」みたいな感じ)

・返答の内容が時々おかしい(聞いている内容じゃないことが変な間で返ってきて場の空気が「?」となる)

・たまに失礼な質問をする(先輩に、「彼氏さんいるんですか!?」などプライベートのことを根掘り葉掘り聞く)

・時々伝え方に関してお客様からクレームが来ている

なんというか、目のキョロキョロ具合だとか落ち着きのなさで、ぱっと見でまず「まぁなんかある人なんだろうな」という感じではあった。

それでも彼女は今、社内でちゃんと「尊重される」ポジションを築いている。

・いつも誰にでも笑顔

挨拶を欠かさな

積極的質問する

勉強しているらしく、業界知識をしっかり身につけている

飲み会イベントに必ず行く、必ず最後までいる

自分特性で変な空気になった時随時「私変なこと言いましたよね、すみません」等と謝る

会社に入ったばかりの頃は、それはお客さんからクレームが多く、「あいやばい」ということで嫌われていたらしいが。

長いこと笑顔一生懸命続けていることで、「あの子はまぁ頑張ってるからね」ということになっている。たどたどしく発表している時も、みんな時々笑いながらも穏やかに聞いていた。

世話好きな人が多い自分会社からというのもあるかも。(周りの人がなくしものを一緒に探したり困りごとを聞いてあげたりしているのをたまに見かける)

かに最初は「なんだこの人」と思っていたけれど、下手なりにコミュニケーションを取ろうとする一生懸命さに正直胸を打たれるというか、見ていると変に勇気が出る。自分が殻に篭りがちなので。

異国での失恋後のぐちゃぐちゃな感情について

2024年始まってから散々なんだが!!!!!!世界のこと許さないからなこのカス!!!!!

4月も終わるのでもういい加減立ち直りたいが、時間が経つと怒り以外にも寂しさ、悲しさ、いい思い出、憎めないことがぐちゃぐちゃに混ざりさらカオスな心境になってきた。

渦中にいるとき全体像が把握できないし、何より感情時間差で処理されるので後になっていろいろと噴出してくるのだ。

そして、ぽつぽつと人に話すと高確率で、文章感情をまとめると整理されるという助言をもらうので散文を匿名ダイアリーに投げることで成仏を試みる。フィクションです。

知り合って3年、付き合って2年ちょい、1年半同棲していた彼氏から1月に別れを切り出されたこからすべては始まった。

その時になんて言われたのかを思い返してみよう。

「なんか、求めてるエネルギーと違うんだよね。違和感があるというか。。。。会話も出会った頃から弾まないんだよね。」

今まで、ちょいちょい「増田はおばあちゃんみたいだよね。本当におばあちゃんになったときどうなるの?木になるの?」

などと言われたことを思い出し、カス元カレ(以下春日)が私の陰キャすぎるエネルギーに疑問を持っていたことを知る。

実際に私は友人付き合いが超限られていて、SNSも苦手でインドアなので図星ではあった。

ただ、私の陰キャ化が加速したのはこの1年のことである特に2023年は諸々のストレスが重なり、精神的にセーフモードで超低空飛行していたのである

元々、付き合った頃は逆だったのだ。私が春日出会った頃、彼はまあまあ重めの鬱を患っていた。

コロナ禍を機に、不眠と身体の不調からずぶずぶと鬱に沈んでいき、大学中退して家から出ることが怖くなりニートになっていた。

ちなみに補足情報として春日外国人で、私は現在海外修士課程留学中の在外邦人である紆余曲折あって音楽趣味が合い意気投合したのが出会いだ。

慣れない異国のコロナ禍で不安な中、曲とも呼べない小さな音楽の断片を作って交換したり、好きなことを共有できる相手は私にとって貴重だった。お互いにまあまあ離れた別都市に住んでいたが、友人として気分転換によく春日の街に遊びに行くようになった。

春日の母と一緒に3人で初めてご飯を食べたとき春日がいきなり号泣し始めて落ち着かせるために必死に彼の手を握っていたことを思い出す。突然号泣したり沈黙し、動けなくなることが多い状況だった。

春日はとても純粋で、鬱でも前向きに生きようと頑張っている姿を見て次第に応援したくなった。春日はとても美しい声を持っていて、時々歌ってくれることが私の心の浄化にもなっていた。ただ、それも不調により以前のようには歌えない状況だったので本人はとても落ち込んでいた。

私自身、現地語のみの授業を理解し、口頭試験を乗り越えていくことに心身を消耗していたが、なるべく春日が外に出るように引っ張り出したり、心に寄り添えるように丁寧なコミュニケーションを心掛けていた。春日日本語が上手かったが、言語の壁も高かったので尚更慎重に進めた。Rei harakamiの命日に二人で登山して、山頂で終わりの季節を聴いて黙祷したりとか、今思えば二人とも変な奴だった。


そして、プロカウンセラーの手を借りて春日は鬱を治療することになり、友人になって一年弱が経つころ、恋人として付き合うようになった。

付き合った当初もまだ鬱は強く残っており、春日に関しては特に自己防衛機能が強く、何か一つ難しいことがあるとできない理由を無理やり探して諦めたり、衝動物事を瞬時に決めて深く考えずに逃げるという癖が相まって、物事継続したり、安定して物事を考えることが難しい様子だった。その中で、私が住んでる家から引っ越しを予定してると伝えると私の住んでる周辺の街に春日も住みたいと言い始めた。それもあって一緒に住もうということになったのである。その後も、具体的な計画が進むにつれ、「やっぱり僕には無理!」とか「やっぱり一緒に住もう!」と、決断が二転三転する春日精神的に振り回されて疲弊したので、その癖を人と共同で何かを決めるときに持ち出すのはやめてくれとお願いした。

ただ、我々の家探しは困難を極めた。そもそも貸し手市場なのに加えて、正式賃貸契約場合ニート(実家が細い)&外国人留学生というコンビでは賃貸審査を受けるという土俵にすら立つことが難しかった。とはいえ私の家の退去期限もあったので謎のモルドヴァ人のおばさんちの小さな一室をとりあえず借りて、極限の生活が始まった。

状況に反して春日はなぜかこの頃精神が強くなっており、審査に通るために黙々と職を探していた。私は定期試験を乗り越えることと賃貸審査が通りやすくするための準備でいっぱいいっぱいだった。このモルドヴァのおばさんは一ミリも信用できず、家賃交渉で一悶着あったり大変だったが今では笑い話である。そして、春日不動産営業という職を見つけたことにより保証に通るようになり、四か月後、アクセスあんまりよくないがこじんまりした1LDKに住むことに成功した。

その頃、湖畔に弾丸キャンプに行ったのも良い思い出。4000円ほどの砂浜で使う用のテントエアーマットレスだけ持って行ってのだが、初日の夜に土砂降りになってしまい、気が付いたらテントの中が湖みたいになっていた。水にマットレスだけプカプカと浮いてて二人で「ノアの箱舟じゃんwwwwww」とか言って馬鹿すぎて爆笑してたよな。そんな状態で7泊もした。

引っ越し後は、私は円安による金欠奨学金が終了することに焦りを感じ、なにかWeb制作系で働けないか試行錯誤した。春日ニート生活から一転して、スーツを着て一日11時間勤務の社畜へと変化した。ただ、営業職は出来高制で精神ダメージも大きく、彼は四カ月後に仕事を辞めた。

そうやって2022年は過ぎ、2023年には無職春日留年して金欠外国人という最強の布陣が出来上がった。

一月頃、金欠、将来の不安引っ越し一連の疲れがどっと出て私は精神病み始めるが、打破するため近所のカフェバイトを始めて安定した。一方春日は、営業職で受けた数々の否定言葉に傷つき、癒しとして貯金を食いつぶしながらやってみたかったドラムを習い始める。

私のバイト夜勤と早番が不規則に組まれるような状態で、現地語で早朝のラッシュを捌くことに必死だったのであんまり記憶がない。ただしばらくして、伝手でリモートでできる仕事を依頼されるようになり、そっちの方が興味のあるジャンルだったしガタガタな生活リズムを戻したくてバイトを辞めた。そして、春日は相変わらず週一の習い事以外は日本語の本を公園で読む生活をしていた。

卒業必要単位も取り終わったこ日本に3週間ほど二人で遊びに行った。春日牛丼を大層気に入り、吉野家すき屋松屋を食べ比べたのちにすき屋牛丼以外は認めない頑固さを持ち、片っ端からブックオフ古本市場はしごし、コンビニはローソン以外には入らない外国人となった。日本にずっと行きたかった春日は終始目をキラキラさせていた。

日本から帰ってきたころ、私はリモート仕事をしながら本業である芸術に関する活動に勤しんだ。おかげで賞を取りちょっとした催しに参加するなどのイベントが発生した。卒業論文にも取り掛かり始めたがその壁が高く、先行研究論文と本を現地語で読むことで時間が過ぎていった。卒業後の進路や家族問題論文プレッシャー円安制作意欲が低下していることなどのストレスが一気に重なり私の精神は下降し続けていた。

一方春日は、貯金が尽きて彼の母から仕送り生活するようになった。とはいえ日本語能力試験一級に挑戦する目標を立て、ひたすらカフェ日本語の本を読んでいた。なにかバイトしたら?と聞くと、「うん、来月から探す~」と言い続けて2023年は終わった。やるやる詐欺を繰り返す春日にムカついていたが、本当に一級に合格たからえらいよね。

年末年始を彼の地元で過ごし、春日自分の喉の調子がだいぶ改善したことに気付く。コロナ禍以前は弟の彼女コンビを組んで路上パフォーマンスをしていたこともあり、再度コンビを組んで地下鉄で歌うと、これがまた投げ銭で儲かった。彼が好きなことでお金を稼げることを発見し私も大層喜んだ。しばらくは家を離れて実家活動したら?と提案したのだ。

そうして二人で家に帰ってきた2024年一月、冒頭にあるようなことを切り出されたのである

出会った頃元気がなかった春日精神はだいぶ安定してきていたのに反して、私は在外年数が増えるにつれ外国人としての立場の弱さやストレス、現地人と対等な土俵に上るための終わりのない努力に疲れ果てていた。きっと、私が春日を家の外に引っ張り出したように、春日が今度は私の人生でつらい時期を支えてくれると期待していたのだ。

しか現実は違った。もともとは陽キャの素質を持つ春日が好きなことを見つけて元気になったところで、陰キャで元気のない私はただの言葉の通じにくい異邦人メンタルおばあちゃんしかなかった。

春日は冒頭の言葉とともに特に話し合わずに足早に地元へ帰り、日銭を稼ぐことに集中した。私は論文に追われてしんどい時期に別れを切り出されたことが悲しくて、その理由も悲しくて、毎日を泣いて過ごした。日が経つにつれて春日がなんの相談もなく結論だけを私に話してすべてを放って逃げたことに怒りがこみ上げ、太宰治崩れのポエムみたいな謝罪文だけ投げてくることも火に油を注ぎ、一日でいいからこっちに帰ってきて話し合え!と伝えると、月末に一日だけこちらに帰ってきた。春日は二時間ほど私に謝り続け、どうしてもやり直したいと言い始めた。

私は春日に対して信頼を失っていたが、それらをゼロからまた積み上げるような努力を一緒にしてくれるならいいよ、と許してしまった。育ってきた背景も母国語文化も違う二人が関係健康に維持するにはお互いの努力必要だ。自分ができることを相手ができないのは当たり前で、自分と違う文化を受け入えてその違いに尊敬を持つことが、同郷人同士以上に必要になる。

もちろん私にも落ち度はあった。私が学業資金繰り外国人としての滞在許可証の条件などに四苦八苦してるなか、二十代も半ばになって、苦労して一人で家計を支えている母の仕送り日本語の本を読んで夜はボードゲームの集まりに参加する貴族のような毎日を送る春日イライラしており、尊敬を持つことが難しく心の距離を置いていたのも事実である。相変わらずコロコロ判断を変えて振り回されるのも日常茶飯事で、この軽蔑的な感情を外に出さないようにしていたが、確実に伝わっていたに違いない。

そして再び春日地元に二週間ほど帰り、その間我々はどうやって不安定な時期を乗り越えるのか取り決めを作ったりしていた。その後一週間ほどこちらに春日が帰ってきて、束の間の平和なひと時を過ごした。春日地元に帰るタイミングで私も着いていって二週間ほど彼の実家で一緒に論文の現地語校正を進めることを決めていた。

そして一緒に帰った翌日、春日に再び「やっぱり波長が合わない。。。。僕はもっと明るくて、引っ張ってくれる人をパートナーにしたい」 「増田とはもう一緒に成長できないし、もう考えてることを伝える気が起きない」 「現地語のスラングを言い合って言語の差なく話したり、もっと協力し合えて一緒に音楽をしてくれる人と付き合いたい」などと散々なことを言われた。

そもそもだって明るく居たいが、元気ないのは過去のてめえみたいな状況だからだよ。そもそも外国人ネイティブと同じことを求めるな。私も毎回なんでお前の母国語で話し合いをしなきゃいけないんだって思ってるよ。それでも好きだからやり直したいって懇願してきた二週間前のお前何?蜃気楼

矢継ぎ早に傷つく言葉を言われて、春日からきっと「こいつはいくら殴っても倒れないか大丈夫」と思われてるのかなとも思った。あのな、自国家族に囲まれぬくぬくしてるお前と違って、一度完全に倒れたら誰も私を助けてくれないの。この国に実家もないし親族もいない。ただの病んだアジア人としてさら劣等感に埋もれて取り返しのつかないレベルに粉々になって、廃人になるだけ。

から最後の気力だけで完全に折れないようにだけ耐えてんだよカスふざけんな。

というか、鬱を患ったならもうちょっと元気がない人の気持ちがわかって優しくなれるもんじゃないの?と疑問にも思った。しかし、春日の様子を見るに鬱の事実は元気になった今ではもう消し去りたい過去で、鬱の匂いがするものからは遠ざかりたいという心理なのかなと思った。腐ったりんごの隣に置くと、普通りんごも腐るし困っちゃうよね、みたいな。

友達としてならうまくやっていけるはず!」とも言われたが、私は春日にとって都合のいい存在で、不都合があると「物足りないなあ...」と切り捨てる程度の存在だったことに絶望した。

私は彼の調子が悪い時に自己肯定感を埋めるだけの存在だったのだ。そもそも、一月から振り回されて論文の進捗もギリギリで、ここでまた振り回されてボロボロになったことにより、私の三カ月間を返せ!!という怒りがこみ上げてきた。一日前に言ってくれたら、あんたの地元行きの電車に乗ってねえよボケナス

あと、恐らく文化が違うからかもしれないが、彼は愛情表現が強いのだ。「愛してる」という言葉挨拶のように言う。別れを切り出される数時間前まで「愛してる」と目を見て言われていたその温度差も日本人の私には理解不能で、サイコパスしか思えなかった。

そこからは、今まで我慢していたいろんな感情が噴出。さらには希死念慮までが唐突に襲ってきて、居場所のない彼の実家必死感情爆弾のように抱えた。

急いで変更した帰りの電車の日まで、知り合いの居ない彼の地元でひたすら論文を書くだけの時間の虚しさ。楽しそうに彼の弟の彼女爆笑しながら帰宅して、何事もなかったように振る舞ってくる春日から逃げる場のない状況とその惨めさ。さらにムカつくのは私がなぜ傷ついているのか勘違いしているところ。

「ごめんね。。。もう別れることは変えられないから。。。」と言ってくるがオイコラ、全人類のクソ男に告ぐ。そこちゃうねんクソ。お前と別れることに悲しんでるんとちゃうねん。今までそれなりにお互いが人として大切な存在だったはずなのに相手の状況も顧みずに振り回してなんの責任もない別れの仕方をされたことで過去あんたとの思い出も、私の存在くそ薄っぺらものになったことに悲しんでるんじゃボケままごとしてたんとちゃうカス。この心境に共感するひとはSHISHAMOの「忘れてやるもんか」を聴くと少しすっきりすると思う。

家に帰ったあと、春日SNSをすべてブロックした。それでも気になって覗いてしまSNSでは初ライブもして音楽家としてどんどんバズって有名になっていく春日と弟の彼女が目に突き刺さってきた。それはそれは楽しそうに歌っていて、出会った当時の姿から比べると本当に幸せになってよかったね~と思う気持ちがまだ存在していることにホッとしたが、元カレSNSを見るのは一種自傷行為である

一カ月間、必死自分のやるべきことをして、フラッシュバックが来るときや寝るときには号泣するということを繰り返してきた。同棲していたので、家の契約とか置いていったものが山ほどあるのでどうしてもいつか顔を合わせなければいけない。あの、世の中の女性はこのような場合どのような顔をして会ってるんですか?

異国の地で一人で生きていくには私は弱く、二人で生きていくにも力及ばなかった。そしてつらい時期に、一番大切な人から浴びせられた性格否定される言葉一生懸命保っていた自尊心をもぎ取られ、それをまた家族親友もいない異国で一人で泣きながら拾いなおしていくこの惨めさ。鬱の時期も愛してもらったお前には分らんよな。私だってつらい時期を耐えて、また心から笑って一緒に楽しく過ごしたかった。

私は無償の愛を持っていなかった。助けたから私も助けてほしかった。でも相手はそう思わなかったというただそれだけのことなのだ。フロムの「愛するということ」にもあるように愛することは技術であり、その修練が必要というのは本当で、意識覚悟をもって愛すことは、感情とは違う部分も大幅に使う。ただ、お互いに技術がなかっただけなのだ

この一連の出来事のおかげで今まで出会たことのない感情たちに出会たことはよかったと言えるだろう。希死念慮も今では優しい死神のようにぴったりと背後で見守っている。自己が消えそうなとき自己存在を強烈にこの世に残そうとするのか、創作意欲が見事に回復したこと皮肉である

また、時間が経つと不思議なことに、カオス感情の中に謎のメタ認知的な視点が表れて、こうやって惨めに醜く足掻いてる自分も、中途半端な執着をもって繰り返し傷付く自分も、なんだか本当に子供すぎていじらしくて愛らしく思えてくる。感情爆発させてて最高に人間らしくていいじゃんって思えるのも、なんだか傷が少しずつ癒えてる気がする。

人に期待しすぎること自体、ただの我儘になってしまうこともある。どれだけ自分が惨めでかっこ悪くてしんどくても、まだ泣き喚けてるだけ健康で、とりあえず自分を裏切らないものを信じる訓練から始めるしかない。ペット植物筋トレ美容創作活動はいいぞ。

2024-04-24

若「井の中の蛙大海を知らず」キショい奴「されど空の青さを知る」若「ハァ…」

若「お前の無知冒険心の無さを否定してるのに、その環境に甘えて空ばかり見てるバカと誰が話したいのよ」

若「正解は『狭い場所に拘ってる奴だから』だよ」

若「続けて言うなら『夏の虫は氷のことを知らねえ、夏の間しか生きてねえから。捻じ曲がった奴に道理を聞くな、教えから間違ってるから。今、お前は狭い街から出てデカい海を知った。それでお前自身のちっぽけさに気付いたんだよ。だからお前は少しだけ賢くなったんだよ。』だ」

若「断じて『こんな狭い世界でもみんな一生懸命生きてるんだから!その人にしか見えない観点があるんだから!』に繋がる話じゃねえ、大海ビビってる奴が適当語んな。ゲコゲコ適当なこと言ってないで大海を知りに行け。」

若「何もかもそこからなんだよ」

2024-04-23

anond:20240423154749

勝訴した当時はへえよかったじゃんと思ったが、今では胡散臭く思えるようになった

弁護士は公金不正受給で返金命令2690万円が出たりスタッフ幼児レイプ懲役20判決出るような団体の守り神やってるような人だし、

最近は「裁判官を変えろ、書記官を変えろ」と無茶苦茶申し立て連発して棄却されまくりだったりやべー人だし

この事件JKアイドル自殺し、スマホから事務所社長暴言が出てきたため「社長のせいで自殺した」と遺族が訴えた件

社長は確かにパワハラしてました」と同僚の女の子発言したと遺族側が供述書を出すも、

から女の子が「供述なんてしてません捏造されました」と証言し、

「むしろ家庭の問題のせいじゃ?家庭問題をよく相談されました」と言い、事務所側が勝利し、遺族側は毒親だと糾弾された

でもうさんくせえなと思うようになってから、当初の供述書こそが真実で、後から嘘を言わされたんじゃねと認知プロファイリングするようになった

社長JKアイドル暴言を幾つも送り命令口調ばかりだったというのは記録も残っており社長も認めた事実

親しい間柄のくだけた言い回しであって本当に悪意があったわけではないと供述し、勝訴によってそれが本当だというムードにもなったが、

何十歳も年上の、事務所権力を持っている側のおっさんJKが「次に寝ぼけたこと言い出したらぶん殴る」などの高圧的なこと繰り返し言われて「仲が良いから平気」と思えるだろうか

JKアイドルの親は貧乏ステップファミリーで確かに底辺くさい雰囲気はするので問題はあったのだろうけど

一方で社長は、全国的にはマイナーとはいえ道楽ローカルアイドル作れるような豪農金持ち

同僚の貧乏な親より、金持ち社長女の子が取ってもなんら不自然ではない

また、社長からパワハラについてはJK恋人である男子高校生相談されていたと証言している

JKの親は恋人との交際否定的で、JK通信制高校を辞めて恋人と同じ全日制に入り直したいと言った際も反対していた

JKいじめに遭って不登校になった過去があり毎日通うことや学力に難があったためもある)

恋人がそんな親と嘘ついて共謀するかね?

自分彼女が親の不満ばかり口にしており、自殺は親のせいだと確信があったら、事務所側につくんじゃ?

また、JKと同じグループメンバー田中優香パワハラされたとTwitter告発して脱退している

「以前より事あるごとに『お前たちは必要ない。辞めてしまえ。代わりはいくらでもいる。』等の罵声を浴びせられながらも一生懸命頑張って参りましたが、9月25日屋台祭りにて休憩を取ることを許されず『もうやるな辞めろ。代わりはいくらでもいる。』と、罵声を浴びせられ、耐えられなくなってしまい、活動を辞退させて頂きました。それが全てです」

休むのを高圧的に禁じられた、というのは遺族が話した内容と全く同じ

自殺から4年、社長がとっくに勝訴した後でまた他の子が似たようなパワハラを訴える環境

そんで事務所はとうとう潰れた

農業アイドルの件は「無実が証明された」とは全く思わない

草津と違って物理的に無理とかいうわけでもないし

2024-04-22

今でも覚えてること

雨の中、そとで部活やってて、みんな結構シュートはずすようになってきてた

俺も雨うぜーなーって思いながらやってたけど、途中で顧問がみんなを集めて話をはじめた

今あめでみんな同じ条件でボールコントロールしにくくなってる

それでも(俺の名前)は枠内におさめようとしたり最後までボールコントロールしようとしてる

からだってことに甘えずにもっと(俺の名前)をみならってやれ

みたいな

ふええええええ!!!って思ってめっちゃ恥ずかしかったわ

全然自分じゃ意識せずに一生懸命やってただけだったか

そんなとこみられてたのかーって思ってびっくりしたけどうれしかったし20年たった今でも覚えてる

自分運動神経ないほうだったから余計にね

なんでいきなりこんなことかいたかってーとヤンマガのナリキンフットボールってマンガで、

「どんなときでも手を抜かないやつ 全部やり切るやつが誰かってのを見てたんだな

一緒に戦うヤツを選ぶ基準ってのは 数字じゃないんだよ」

ってセリフがあってふと思い出したか

2024-04-21

太陽光発電って農業と同じ規模のでかい大企業けが儲かる仕組み

農家一生懸命に畑や山に太陽光を敷き詰めても大企業が大規模にやる太陽光発電には叶わない

メンテの手間も大企業は専門科を雇って効率的にやるのに農家は手作業でやらなきゃいけないし

大資本による太陽光への参入を禁止する法律作らないと太陽光外資大企業に食い散らかされて水道民営化と同じ道をたどるだろ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん