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2023-03-22

anond:20230322074844

これは顔面草まみれですわ



安住紳一郎中澤さんは試験の思い出は?

中澤有美子)そうですねえ。うーん・・・まあ、嫌なことは忘れるので。結構、安住さんみたいに覚えてないんですよね。

安住紳一郎)そうですよね。女性の方は比較的ね、『もう次、次』っていう感じになりますもんね。あれですよね?あの・・・何回も確認してますけども、一般受験でらっしゃいますよね?

中澤有美子)そうですよ。ええ。

安住紳一郎)そうですよね。わかります。わかります

中澤有美子)推薦とかではないですよ(笑)

安住紳一郎はいはい。あ、本当にこれ私、結構あちこちで評判悪いんですけど、本当の話なのでかならずしてますし。たぶん腹を立てる方もいらっしゃると思いますが。私は、一般受験でとても苦労したので、推薦で学校に入った人。特に指定校推薦学校に入った人を心の底では絶対に許してません!

中澤有美子)(笑)

指定校推薦学校に入った人を心の底では許していない

安住紳一郎)これはあの、社会人になってからは決して表面上は出してませんけども。出してませんし、そんなのね、推薦で入った人は、『そういう仕組みがあるんだから、それを上手く利用した私たちだって普段からの平均評定を上げるための努力をしていて。それをしていなかったし、出願していない人間に何を言われる必要があるんだ!?』っていう気持ちになるかもしれませんけども。私は、心の中では絶対に許してないの。

中澤有美子)(笑)

安住紳一郎)そして、その人たちにはジャンケンでも負けたくないの。

中澤有美子)(笑)。再三おっしゃってますよね。

安住紳一郎)再三言ってますし、評判悪いですよ。評判も悪いし。一緒に仕事をする人には、さり気なく、確認してるの。

中澤有美子)(笑)

安住紳一郎)『そうですか?えー、結構勉強大変でしたでしょう?』なんて話をして。それで、『ねえ。結構冬になってくると寒いしね。えっ、ご実家東北の方ですか?ああ、そうですか。ねえ。12月・・・』。だいたい推薦っていうのは9月10月に決まるでしょう?ですから、『12月とか結構ね、お正月とか、ちょっと孤独だった?』なんて確認をして。

中澤有美子)探り探り(笑)

安住紳一郎)探り探り。で、もうそのへんぐらいから、『なんかちょっと違うぞ?』みたいな。『あれ?もしかして10月ぐらいにもう決まっていたんですか?えっ?12月クリスマス神奈川大学入試じゃなかったよね?』みたいなことを確認したりして。これ、73年組はわかるんだけども。

中澤有美子)(笑)

安住紳一郎)『えっ?クリスマス入試じゃなくて?』なんつって。『10月に?ああ、そうですか。平均評定が?ああ、そう。指定校推薦・・・ああ、そうなんだ』って言ってから、もう決まりですよ!

中澤有美子)ああ、決まっちゃった!(笑)

安住紳一郎手帳に書きますよ。

中澤有美子)(笑)

安住紳一郎)そっから結構、すごいですよ。

中澤有美子)もうドーン!と。心の壁は。

安住紳一郎)本当にこれは言うべきことじゃないですけども。

中澤有美子)超言ってる!超言ってるよ、さっきから(笑)

安住紳一郎)言ってますか?もう本当に、ちょっとした問題になっても構いませんけども。これはいま、がんばっている受験生へのエールとして捉えてほしいんですけども。

中澤有美子)ああ、そうですね。

安住紳一郎)私、社会に出てからちゃん指定校推薦人間をチクチクチクチクやってるわ。

中澤有美子)(爆笑)。ちゃんとやってる(笑)

安住紳一郎ちゃんとやってるよー!昨日も1人、推薦で入ったって子がいたから。一般受験一浪した人間たちで周り取り囲んでやったわよー。

中澤有美子)(笑)

安住紳一郎おかしいってんだよ。学芸大学に推薦で入ったっていう。『えっ?国立に推薦なんてあるの!?』なんて言って。『5人だけ枠があったんだ』って言うから。『おかしくない?そんなの』なんて言って。『えっ?いつ出願して?平均評定は!?』なんて言って。『えっ、それ、学校指定されてるのに、何でそんなことになってんの!?その仕組み、おかしいよ!いまもあるの?いまもあったら俺、ちょっと文句言いに行きたいわ!』なんて言ったりして(笑)

中澤有美子)(笑)。困る・・・

安住紳一郎)困るよね。その人間もね、『なんで私、そんなこと言われなくちゃいけないんだ?』と思っているんだろうけど。ものすごい、いろいろ。学校卒業してもう10年も20年もたっているんだろうけども。

中澤有美子)そうですよ(笑)不正じゃないしね。

安住紳一郎)もう本当になんか、かわいそうになるぐらい言っちゃったわよ。『ねえ、それってさ、学校に入ってからさ、周りの人に比べて自分は楽をして入ったっていう感覚、なかった?』なんて聞いちゃったりして。

中澤有美子)ひどい(笑)

安住紳一郎)ひどい(笑)。『そこまで言われる必要、ないだろ?』と思いながらも。でも、ほら。ねえ。思い出すと唇が震えちゃうぐらいのトラウマがあるから。もう、いまさらですよ。止められない。止められない。もう。もしかしたら、ちょっとした問題になっているかもしれない。

中澤有美子)そうですよね(笑)。こんなに言われるとは・・・

安住紳一郎)こんなに言われるとはね。いけません。いけません。興奮しちゃった。

中澤有美子)(笑)

安住紳一郎おかしい、おかしいなんつって。いまだに受験制度に詳しいですから。私。

中澤有美子)そうなんですね。ちゃんアップデートしてますよね?(笑)

安住紳一郎アップデートしますよ。そうなんです。受験の時の、やっぱりあれですよね。悲しい思い出を取り返すには、やっぱり受験しか取り戻せないんですよね。仕事でのストレス仕事しか取り返せないって言いますけどね。そんな、プライベートでね、気持ちを切り替えたって、やっぱり仕事でもう1回成功しないと、気持ちは取り返せないから。そうなんですよ。

中澤有美子)ああ、そうですか。

1990年大学受験したいわゆる私大バブル経験した世代だけど

ダメ時代だったなあと思う

大学予備校高校受験生たちも……なんというか、日本大学受験はまだ未開だったんだなあと50代に突入した今冷静に振り返って思う


こういうこと言いっこなしだけど当時の試験問題総合レベルは今と比較して冗談みたいに低かったと思うよ

こういうのはスポーツと同じで時代が進めば必ずどんどん洗練されてレベル高くなるもんだから仕方ないことなんだけど、

2000年代くらいかセンター過去問を戯れに見て(特に数学2B化学あたりが)明らかにやばくなってきてるのを感じて、

共通テスト突入してからハッキリとヤバいレベルに洗練されてなおかつ難度が爆上がりしててビビったもん

それにもかかわらず有名国公立の共テやセンター合格者平均得点パーセンテージが俺の時代全然変わってなくて

「ああ、AO入試とかの推薦枠が定員の3割もなかった当時と比較して、今一般入試ってもんは明白に次元の違う厳しい競争になったんだな」

と察した

俺たちの時代はさっきも言ったように大学受験界隈が本当に未開も未開で、

たとえば受験生たちがリアル

睡眠時間7時間も8時間も取るなんて怠けてたら落ちる。そういう奴は必ず負ける」

とか

「みんなが解けないようなカルト級の難問を制する者が入試を制する」

みたいなアホ丸出しなことを平気で言ってて、

しかもそれが「ハッキリとした誤り」として訂正されることが全然いくらいには正しい情報共有(そして良質な参考書が今の比じゃないほど少なかった)が難しい時代だった

そういえば赤本青本とで早稲田国語の解答がよく割れてたな

あと日本史なんかだと

法隆寺玉虫厨子の羽の使用枚数」

とか

世間胸算用初版本の値段」

とか

志賀島金印発見した農民名前

なんかを問うクソ問題マジで出題されてた


今考えれば「馬鹿じゃねーの、そんな問題に付き合ってられっか」で丸っきり相手にせず、さっさと基礎~標準問題絶対取りこぼさないよう徹底的に訓練する以外ないんだけど、

当時の受験生たちは

「いーや、あのカルト問題だって実はどこそこ社の教科書にだけはちゃん掲載されてる情報だったんだぞ?それを捨てるのは甘え。捨てる者は落ちる」

だなんて大真面目に言う者が大半だったから、みんな無駄努力無駄努力を重ね、しか予備校などの受験産業もそれを後押しした


から詐欺みたいなカリキュラム受験塾なんかを個人が立ち上げても余裕で商売になったんだろうなとも思う

例えば、

授業なんぞしないで滝行させるとか

試験マジで何も関係ないスピリチュアル書籍読ませて感想言わせて詰めて泣かすとか

……たとえそのレベルのイロモノ予備校であったとしても

(実際、こういう笑えないほどお粗末でインパクト強い受験塾は存在していて、なおかつ年間200万とかの受講料を設定していても浪人生は押し寄せていた)


ただし、狂ったように加熱していたのは私大受験だけで国公立平常運転だった

最後1989年私大と国公立両方受験した者達の合否データを示して終わろうと思う


早稲田政経× 東大文I〇 60人

早稲田政経東大文Ⅰ× 34人

上智外語× 東京外国語大〇 72人

上智外語〇 東京外国語大× 13人

中央法× 東北法〇 11人    

中央法〇 東北法× 32人

立命館法× 広島大法〇 21人

立命館法〇 広島大法× 5人


明治理工× 東北大工〇 38人   

明治理工〇 東北大工× 13人

東京理科大工× 名古屋大工〇 70人

東京理科大工名古屋大工× 51人

         

立命館理工× 九州大工〇 24人 

立命館理工〇 九州大工× 17人


追記

自分は、私大受験バブルピークは過ぎてたとはいえ1993年慶應経済「のみ」を受験して見事に現役合格したふかわりょう尊敬している。

彼は電波少年坂本ちゃん東大受験企画に呼ばれた時や内P唯一のレギュラーだった番組黎明期なんかに慶応卒をドヤる振る舞いを許容範囲披露していたが、

あんな異常な時代慶応経済に現役で受かったという事実や自負を全く表に出さな謙虚さは同世代として凄いと思う。

一方、

現役受験の年が私大受験バブルピーク年とほぼ重なっていて、結果的一浪明治大学文学部補欠繰り上がり合格した安住紳一郎は、

その浪人期間がいかに苦しく精神的にギリギリだったかをおりに触れて語り、

今でも学歴受験ネタなら大学高校中学わずやたらめったら詳しく、

なおかつ「今でも指定校推薦組を許してない」と公言してはばからないが、

あの感じはまるっと全て凄ーくわかる。

運悪くあの当時の受験地獄に晒されることになった世代の中で安住紳一郎の「二浪明治文学部補欠合格」という結果はそれでもかなりいいほうだし、

結局東京神奈川千葉のどこの私大にも受から人生捨てたような感じになった奴は腐るほどいた。

(余談だが、

私の地元というか受験可能公立高校グループのなかでは都立日比谷が1番賢かったのだが、

当時は日比谷ですら現役時に法政合格を確保できれば同級生平均より明白に良い結果だったので

「こんな大学受験しかったんなら高校入試とき大人しく法政行ってたわ」と嘆く奴が絶えなかったという笑えないエピソードがある)

2023-03-21

没落した京大生の話を聞いてほしい


かつては大学生だった。今から20年前のことだ。地元公立高校必死勉強して、勉強して、勉強して、青春のすべてを犠牲にして京都大学法学部合格した。一浪だった。いわゆるイカ京みたいな京大生がたくさんいる中で、自分もその1人から脱出しようと頑張ってみたが、結局だめだった。

40歳が間近になった今では、没落というか、いや元々高い位置はいなかったのだが……今は、普通に非正規労働者をやっている。契約社員みたいな仕事に就くこともあるが、あまり続かない。1年くらいで辞めることが多い。結局、学歴って大したことはないんだよなぁ、と実社会で働くようになった今では感じる。

これから大学時代の話をさせてほしい。暗い話になる。みんなジメジメした話は嫌いだろう。だから、すぐに終わらすよ。頑張って五千字以内に収める。リアル一人称が僕なので、以降は僕でいくことにする。



入学式を終えて大学生になった僕は、どこかのマンガで見たようなサークル勧誘活動を眺めることになった。どういう風に勧誘があったか、さすがにまったく覚えていないが笑

でも、僕にはあまり声がかからなかった。ルックスはいまいちで、特にスポーツからは全く声がかからなかった。浪人生活がたたって不健康に見えたのだろうな。

文科系からは何度か勧誘された。漫画研究会とか、小説を書く倶楽部とか、山登りの会とかも見学に行ったっけ。結局、どこにも入らなかった。高校時代バリボーをやっていたが、大学部活はいわゆるガチめのところが多い。通用しないとわかっていた。

それで、大学1年生(※正しくは1回生)の時は、ごく普通に講義に出て、帰りに図書館に寄って、たまに帰り道にラーメン店を巡っていた。実家美山町の貧しい農家だったが、親が優しかったので仕送りをたくさんくれていた。月に8万ほど自由に使えるお金があった。

アルバイトを始めたのは、かなり後になってからだ。大学2年生の春だった気がする。退屈に負けて繁華街にあるマクドに応募したんだっけ。

そんな時だった。1年生の秋頃、学内であるチラシを見かけた。『みやこ音楽祭』なるものの開催案内だった。京都学生有志で集まる大学サークルで、くるりとかの有名バンドを呼んで京都音楽を発信しよう、みたいな団体だった。

チラシには第1回の文字はなかったけど、結局第8回まで行われることになった。僕の時は、西部講堂という古めかしい場所があるのだが、そこでライブをやっていた。

いろんな大学学生が集まる、しかライブイベントスタッフなんて、こんな体験は二度とできないと思った。小学校中学高校も、文化祭リーダーをやるタイプではなかった。下働きだった。

数年前のアニメだと、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』で、高校生だけでアメリカ風プロムをやろうみたいな場面があって、ゆきのんが実行委員長で、八幡が陰の立役者で、いろはす現場リーダーだったと思うんだが、僕はその現場下働きだった。

それで、みやこ音楽産業みたいな名前団体があって、そこに電話をかけて参加申し込みをした。もうほとんど覚えてないが、西部講堂付近カフェ面接があったのかな、その場で誓約書みたいなやつを書いてスタッフとして登録した。

若い人達がやってるんだろうなぁ、と思っていたら、みやこ音楽祭を立ち上げたのは20代半ばの人達だった。とっくに卒業年齢だったのだが、京大にはあえて留年をして大学看板を使っている人もいる。ハタチくらいの有志が集まって~みたいな団体ではなかった。

まあ、そうじゃないと、第1回目からくるり向井秀徳矢野顕子は呼べないはずだ。伝手があるのだろうなと察したのを覚えている。

もう想像できると思うけど、ここでも下働きだった。現場で机とか、椅子とかを運んだり、他大学へのチラシ配りとか、やはり音響機材を運んだりとか、ライブ中の警備とか、掃除とか、そういう下働きをしていた。

いろんな学生が集まるサークルなだけあって、多様性に富んでいた。僕は4年分すべて参加したけど、僕のような中核ではない臨時スタッフまで入れると軽く50名を超えていた。なんだかんだでマーケティング活動は抜群だった。もし、経営の才能がある大学生がここで活動したなら、きっといい経験になったと思う。

思えば僕は、アニメ漫画でいうところのモブキャラだった。その団体の中核メンバーほとんど京大生だったけど、中には同志社とか、立命館とか、京都産業とか、龍谷とか、いろんな人が揃っていた。

僕は京大生だったけど、4年間活動してもずっと臨時スタッフだった。そういうところには潜り込めなかった。かと思えば、才覚のある大学1年生(仏みたいな名前大学女子だった)が入ると、次の年からは中核メンバーとしてスカウトされていた。

そういう光景を目にして、つくづく自分が嫌になった。自分臨時スタッフなので、次の年も参加したいと思えば、またチラシを見つけて応募する必要があった。

それで、イベント初回の時は、その1ヶ月後には打ち上げ会があった。その会では、今の自分から見ても相当気持ちが悪い光景が繰り広げられていた。京大の近くにある居酒屋での開催で、和室座席を貸し切っていた。席の配置は自由だったけど、大体男女が別々に固まる。40人ほどだった。

ただし、主催者の方で誘導して、男女がある程度向かい合わせになるようにする。それで、京都大学学生のうち、女子と向かいになった人達が、飲み会が盛り上がっている半ばでこういうアピールを始める。※京都方言標準語に直している。

「俺、浪人して経済(学部)に行こうと思ってたけど、総合人間でもまあいっかと思って」

高校の頃の模試は全国で二番だった。医学科行きたかったけど、キツそうだからやめて看護(保健学科)にした」

「昔は全然勉強しなかった。奇跡が起こって合格した」

「お前らまだ若いからいいじゃん。俺こないだのTOEIC220点だったぞ。大学入ってから頭が悪くなっていく一方だよ」

(3/21追記コメントを受けて。以上は飲み屋での会話だから、卑屈な謙遜がかなり混ざっていると思う。会話自体は確かにこのとおりだ。

こんなノリで会話を始めて、自分の財布から京都大学学生証を取り出して、目の前の女子に見せびらかす。こんなことを彼らは四年間ずっと続けていた。見ていて情けなかったけど、かくいう自分も、隣の人に振られる格好で一度だけやったことがある。

目の前の女子からは、こんな反応が返ってきた。

「え、え、自分京大なん? リッツ(立命館大学)かと思ってた」

法学部なんですね!! すごーい」

「機材を運んでる時、気遣いがすごかったですね。警備中もずっとお客さんの方を見てた。ほかの人はサボってライブ見てたのに」

今思えば、女子は気を遣ってくれていた。こんなに恥ずかしいことを、当時は若かったとはいえ自尊心に負けてこんなアホみたいな、つまらない、人間として三級品にも等しい、救いようのない子どもじみたことをしていた。トイレの手洗器に張り付いたタンカスの方がまだ魅力的だった。

で、そんなことをしていると、向こうから中核メンバー乾杯にやってきた。すると僕の周りにいた京大生は、借りてきた猫みたいに大人しくなる。それで、女子は彼らの方を眩しい視線で見つめるのだ。目のキラキラ感が違う。

……でも、当時の僕は受け入れていた。これが正しい形なんだって思っていた。強い人間モテて、強い人間がいろいろ持っていくのは当然だと思っていた。僕だって京都大学合格した時は、中学校や高校先生や後輩から神扱いだったし、親族からもすごく褒められたし、母親は泣いていた。

でも、違うのだ。大学保証する個人能力というのは、実社会必要な力のせいぜい20〜30%だ。ほかの能力面がダメだと社会では通用しない。



結局、在学中に目立つことはできなかった。自信が持てるような体験はなかった。学業成績は中の中ほど、アルバイト先は今は亡きマクドナルド河原町三条店で、そこでは全スキルをほどほどに鍛えた。就職活動はコツコツとやって、結果は京都銀行内定した。しかし、自分という存在確信がもてないまま、あっという間に四年間が終わっていた。

銀行でのことは話したくない。嫌な思い出だし、気が付けばすごい文章量になっている。増田でこんなに書いたのは初めてだ。

掻い摘んで話すと、社会一年から地獄だった。地方支店からキャリアが始まったのだが、預金口座とか、金融商品営業がまったくできなかった。

営業としての適性がなかった。ぜんぜんだめだった。当時の成績はゼロに近かった。ほかの同期は、月にひとつ以上は契約を取ってくる。高卒で入った男の子女の子ですらそうだった。

同期に馬鹿にされて、上司には激詰めされて、居場所がなくなって、しかしクビにはならない。いっそクビにしてほしかった。京都山間部に住んでいる親には「うまくやってる」と嘘をついていた。

三年目のある冬に、メンタルが完全にダメになって仕事中に交通事故を起こした。運転中に手が震えて、ハンドル操作ができなくなった。それで免許停止になってしまって、人事との面談では……もう雇い続けることは難しい、次やったら本当にだめだ、みたいなことを言われた。クビにはならなかった。

まだ次があるのかと思った。上司からは、「お前は京大からな!! 地銀に入る京大なんか珍しいからな!! できる!! なんとかしてみろ」と何度も言われた。

結局、次の交通事故を起こす前に辞めた。退職手続きはあっさりだった。相応のレベル会社らしく、有給消化や退職その他の手続きは出社しなくても全部やってくれた。今でも感謝している。



それから坂道を転がるみたいだった。どの仕事でも2年以上続かなかった。期待していた仕事でも、やってみるとぜんぜんダメだった。先日は、市役所会計年度任用職員をクビになった。現業仕事をするポジション剪定、伐木、廃棄物処分)で募集があったので応募した。

書類選考が通って、市役所役職者が面接をしてくれた時に、「え……京大なんですか……?」と愕然としていた。自分以外に応募者が10人以上いたけど、現場仕事経験自分でも内定を取ることができた。

もうわかっていると思うが、結果は散々だった。口頭での指示を理解できず、とんちんかんな行動を繰り返して、何度も怒られて、1ヶ月も経つ頃には役職の人に呼ばれて三行半を付きつけられた。

すんません……こないな自分が言うのもなんですけど、事務職やったら……」

事務職はもうパートさんがおるさかいあんたには任せれへん」

すんません

「頑張っとるのはわかるけど、次の職場ではもっと~」

会計年度任用職員の試用期間は1ヶ月だった。こういうわけで、先日見事にクビを切られた。情けない限りだ。いや、もう僕はこういう状態に慣れてしまった。これでいいのかもしれない。

これからも、アルバイトで日銭を稼いで、スーパーで閉店近くに八割引きになっている惣菜を買って、コンビニストロング無糖ドライを買って、二級品の梅干しを入れて、ウィルキンソンで割って飲み続けるんだと思う。



最後に知っておいてほしい。学歴仕事の結果には関係がない。最近読んだ『科学的な適職』という本で、アメリカ研究学歴仕事の結果の相関係数が0.1とあった、との記述を見た。つまりほとんど関係ないのだ。マイナス相関でないところは皮肉に感じる。

そろそろ仕舞いにしよう。こんなおっさん愚痴を聞いてくれてありがとう。適度なところで死ぬようにする。いつも布団に入る時に思う、「目が覚めた時に死んでいればいいのに」って、本当にそう思う。

 ――ああ! 誰かがあの肉からあの魂を取除いてくれないかなあ!――「造物主」が何かのはずみで手違ひをしたとしか思へませんからね!

未來のイヴ ヴィリエ・ド・リラダン (著), 齋藤 磯雄 (翻訳) P.99

3/21追記 この本の引用が上の言葉の元です。こんなところまで自分言葉じゃなくて申し訳ありません。



もし若い人がこの日記を読んでいるのだとすれば、学歴仕事能力関係ないって、それだけでも心に刻み付けてほしい。そうすれば、僕のような人間を少しは減らせるかもしれない。

2023-03-17

29歳無職ラーメンを食べながら

経歴

18歳 高校卒業

19歳 浪人

20歳 東大落ち、早稲田入学

21歳 勉強

22歳 勉強

23歳 国家公務員総合職試験合格内定先決まら卒業

24歳 勉強しながら官庁訪問リベンジ無い内定

25歳 国立法科大学院入学

26歳 修了

27歳 不合格

28歳 不合格

29歳 7月に向けて勉強中、イマココ

なぜこうなったか

我が家金持ちではなかった。家は小さな戸建てでしか借家。父は中小企業サラリーマンで母は専業主婦。なぜ上記のような甘えた生活可能かというと俺が一人っ子から

俺は同じ地区に住む同い年の幼馴染が小さい頃から好きだった。彼女祖父や父は医師で、大きな自宅に住んでいた。4姉妹末っ子彼女はとても優しく、純粋で可愛かった。小さい頃は格差など気にせず遊んでいた。彼女の両親は優しかったが、彼女祖父母は俺を見下して蔑んでいた。だから勉強して偉くなりたかった。別に勉強して偉くなった所で幼馴染と付き合える保障など何も無いし、そもそも男としてすら見られていなかっただろうが。それでも某都立校に受かった時や、一浪東大落ちだが早稲田に進んだ時彼女自分のことのように喜んでくれたし褒めてくれた。それがとても嬉しかった。しかし、認められたい一心で不相応な目標を立てたが故に一度きりの人生破壊してしまった。

ちなみに彼女幼稚園から大学までエスカレーター女子大卒業した後に、父の医療法人職員として入り、昨年医師男性結婚した。つまり俺がこれからどのように努力しようが、幼馴染と何かが発展する可能性はない。

これから

正直受かったところで自分の現状だと法曹職は無理だろう。つまり仕事を探さなければならない。受からなければ勿論仕事必要になる。

絶対にやりたくない仕事は嫌な順に介護製造土木物流営業しかし、ここから探すことになるだろう。つまり父親よりも低賃金人生となる。また、ジャックレオナルド・ディカプリオ)のようなイケメンコミュ強なら底辺でもローズケイト・ウィンスレット)のような上流の女性を射止められるが、自分イケメンでもなければコミュ力もないので上記の職に就いた瞬間に生涯独身が決定する。

まり

人生100年といわれる時代上記の職に就けば100年生きるなど不可能だが)に生きていながら、20代人生が終了した。人生10代後半から20代前半までの「10年かけたスタートダッシュ」で結果が決まる短距離走である

刑訴証拠法に関する論文問題を解き、インスタントラーメンを食べながらこれを書いた。最後まで読んでくれる人がもしいたなら、敗残者の長い長いつまらない駄文に付き合ってくれてありがとうと言いたい。

2023-02-28

理解ある彼くんを放流した結果

事の始まりは私が一浪の後大学一年生として入学し同じゼミクラスと幾つかの講義かぶっている彼くんと知り合った

彼くんは大学近県のそこそこ大きい都市出身土地勘もあったので遠方から引っ越してきた私は色々教えてもらった

私と彼くんの共通趣味があったのもあり二人で色々行動しているうちにゼミ飲み会などで冷やかされるようになり

満更でもなさそうな彼くんと翌日から付き合うことになった

彼くんにも言っていなかったが私は双極性障害があり大学受験で現役時失敗したのは低下していたのも過分にある

身の丈に合わない大学に入れたのは躁状態だったからで飲み会連続の日々も付き合い始めの時も躁状態だった

そこから大学生にありがちなセックス三昧の日々を送った

彼くんは童貞だったので色々な事を試したがったしセックスが好きな私もそれに応じた

しか自分の家庭にちょっとした事件が起きたで突然鬱が訪れてしまった

彼くんは立派な理解ある彼くんになった

ありとあらゆるわがままを聞き試し行為に全て応じ寝込む私にノート食料品を届けた

私は運転免許を取った彼くんの送迎で精神科にかかり治療をはじめた

結局その鬱が落ち着いたのは就活も見えてきた頃だった

彼くんが大学時代に打ち込んだのは私の看病だったのでESスカスカだった

躁になって万能感に溢れた私は1を100に膨らませた捏造ESを増産し彼くんのESも代筆した

結果私はそこそこ流行っていた業界に彼くんはなぜか斜陽がわかりきっている業界入社した

私は業界流行のせいもあって血気盛んな人と触れ合う機会が増え後の旦那くんと知り合った

旦那くんは学歴も家柄も堅く自己紹介の段階から稼ぎそうだと思っていた

躁状態の私はじわじわ旦那くんと仲良くなった

入社四年目に彼くんの斜陽産業が大打撃を受ける自体になり彼くんはスキルも人脈もないまま失職した

私は結婚意識し始める年だったので彼くんと別れた

彼くんには失職してからやさぐれた態度やネガティブ言動についていけないと伝えた

その後旦那くんとお付き合いを始め旦那くんの家族とも会ったり順調に進んでいった

結婚式は旦那くん家たっての希望で古風だったものの私は大満足だった

新婚生活中に旦那くんの幼馴染が長く統合失調症を患いその姿を見ても仲良くしていたと知った

旦那くんは仕事のために上京し私は理解と金のある旦那くんと都内一戸建て専業主婦生活を手に入れた

理解ある彼くんがYoutubeチャンネルを持っていると聞いたのはつい先日だった

彼くんは世間への不満と文句を垂れ流し社会派標榜している

その道の有名人動画Twitterコメントしては無視されているようだ

見識が狭く知識も足りていないので的外れな事ばかりなのは流し見でわかった

私としか付き合っていないだろうに世の中の男女について話していたのには失笑した

でもセックス三昧だった頃と同じ口癖を聞いて少し悲しくなった

私はさっさと別れて理解と金のある旦那くんと結婚できて本当によかったなあとおもいますまる

2023-01-06

anond:20230106183842

せやで。学び直しや学士編入以外で、つまり現役か一浪かで入学して卒業した大学で取得した学位こそ真の能力

2022-12-14

人生終了させられた

俺の人生東京大学経済学部卒業し、ハーバード大学数学修士経済学Ph.Dを取得して、Google検索エンジンアルゴリズム設計広告表示システム設計担当し湯水のような報酬をもらうはずだった。それなのに、結局一浪一留仮面浪人のため)で明治政経卒業して、IT系スタートアップという謳い文句若者を集め、朝から晩までテレアポさせる地獄みたいな会社就職した。毎日電話年寄り相手電気料金プラン見直し薦めてと給湯器販売してる。

俺に数学への苦手意識を持たせた、3年間毎日裏表ある大量の数学プリント宿題として配って質問したら怒鳴り散らすだけの高校数学教師、私文に転向することをアドバイスしてきた塾の早稲田在学糞チューター仮面浪人サークルに誘っておいて自分だけ早稲田法に入学した一年の時の糞同級生そもそも地頭の悪い親。俺はこいつらにどうやって、俺の人生を今からじゃ到底救いようのない悲惨ものにした責任を取らせれば良いんだ。

2022-12-06

バカバカ

母親:旧帝卒

父親早稲田

妹:一浪して旧帝

ワイ:高校中退して専門学校

 

休日とかたまに実家に集まると麻雀やるんだけど

毎回ボコられる

バカツキでちょっと勝つことはあるけど

朝まで打ったら10回中9回はマイナス

 

麻雀運ゲーって言うけど

絶対嘘じゃん……

 

やっぱバカは何やってもダメなんだなー

2022-11-24

アラフォーの私に父がずっと小遣いを渡し続ける

来年で、ついにしっかり「あらふぉー」を名乗らなければいけない。

この年まで結婚もせず、子どもも産んだり育てたりせずのんびり生きてきたが、

過ぎてみればあっという間。人生は実に早いもんだ。

もう、父が私(第一子)を設けた歳になったんだなと思うと、いろいろ思うところがある。

 

まあそんないい年した私だけれど、実家帰省するたび、父がだいたい5万円の小遣いを渡してくる。

銀行封筒に入れて、来たらもう渡すと決めてあるのだろう。帰ったら割とすぐに手渡される。

 

我が家は決して裕福ではない。父は70代を目前にしても働かなければ生きていけないし、同年代の母もパートをしている。

祖父遺産不動産)の月商が月十数万程度あるので生計死ぬほど困っているわけではないが、

ふたりともろくに年金を払ってこなかったそうで、遺産がなければ我が家家計は一気に生活保護レベルだ。

 

そんな父から小遣いをもらうアラフォー独身女。やばい。笑

実家には長期休み出張ついでなどを利用して帰省するので、年にだいたい5回は居座る。

感覚的には2、3回に1回ぐらいでお小遣いを渡されるので、合計するともう数十万になる。

もちろん、私は小遣いなどなくてもやっていける。毎回いらないと言って突っぱねているが、父はそれを頑なに受け入れない。

このやり取りが終わるを迎えることは、多分しばらくない。

 

この小遣いは、父の懺悔お布施なのだ

 

 

父はとにかく働かない。今が多分人生いちばん働いているぐらい、人生ほとんどをちゃんと働いてこなかった。

恐らく現代なら何かの病名がつくだろう父は、二人の子どもと妻を養う甲斐性などまるでなかった。

母はパートをしていたりもしたが、我が家は昔からとにかく貧乏だった。

 

私がうんと小さい頃から父は「うちは貧乏から」「ハタチになったら働け」が口癖で、

私が思春期受験期)になった頃は「オレに迷惑をかけるな」がさらに加わるようになる。

ジャイロの父みたいな子育てリアルにやるな。)

余談だけどいつも父に見下されていたせいか、私と妹の自己肯定感はすこぶる低い。 

 

子どもの進路を考えてくれたことなど、もちろん一度もない。

私が10代の頃はいちばんお金がなく、行政教育給付を受けるため、

世帯年収80万」と書かれた紙を中学担任に提出したときに見せた彼の驚いた顔は忘れられない。

当時はそれが普通だったのであまり実感はなかったが、私ですら今は思う。「よく成人できたな」と。

 

受験する高校はとにかく偏差値を下げて、公立でも完全に安全圏のところ。

大学はハナから諦めていたが、母が入っていてくれた学資保険のおかげで、高校卒業後は2年制の専門学校に進学できた。

そのまま社会人になり、転職を何回か繰り返して今は東京の小さな会社専門職として働いている。

 

私は広告関連の仕事をしているので、携わった仕事が父の目に触れることもときどきだがある。

母や妹には頻繁に掲載等の連絡を入れているので、そこから情報を得ているらしい。

ちょこちょこ雑誌に小さく小さく名前がのったり、たまたま広告関係の小さい小さい賞をとったり、

本業とは関係ないもの資格を取ってみたりと、真面目にコツコツ社会人をやっている姿を見て、

コイツは実は頑張り屋なのか」「案外やるのかもしれない」と、父はようやく私の人間性に気づいたらしい。

 

父の小遣いという名の懺悔がはじまったのは、そうやって私を見る目が変わった頃からだ。

その時期はちょうど、妹が大学卒業したタイミングでもあるからそっちの影響も大きいかもしれない。

 

大学は諦めろ」と言われ続けた我が家だけれど、実は妹は一浪して4年制の私立大学を出ている。

その理由ひとつに「祖父遺産が入ったから」がある。

 

相続時、私は成人して学校卒業したばかりだったので、子育てにかけるお金が一人分へった余裕もあったのだろう。

妹の進路の選択肢は私のときに比べてぐんと広がった。

このことは、母や妹にとっても「お姉ちゃん申し訳ない」と感じるそうだ。

 

 

父は私に小遣いをわたすとき、必ず「勉強代に使ってくれ」と言う。

それはきっと、「実はこいつも大学に行ったら、もっといい感じになったんじゃないか」みたいなことを多分思っているからだ。

 

私も、当時は「絶対に私の方が妹より大学生活を有意義にできるのに」と面白くない気分は味わっていた。

でも、あくまで昔の話だ。

 

もう成人して働いているので親の手助けなどなくても自分で好きに資格を取りにいけるし、

結婚子育てもしてないのでそれなりに貯金もある。その気になれば自分お金大学だって行ける。

かに大卒しか応募資格がない企業への転職は難しいし、いろいろ苦戦することはある。

でも、それでも前向いて、友達にも恵まれながらそれなりに楽しく生きている。

勉強したくなったら自分勝手にやる。収入も年齢の平均程度はある。小遣いなど、いっさい不要なのだ

 

もらった小遣いはそのままゆうちょに貯金しているので、一度もさわっていない。

(親からお金ってなんかこうゆうちょとかに入れたくなるよね笑)

 

でも、父はそれでも「勉強代に使ってくれ」と言って渡してくる。そういう妖怪のように。

「何かやりたくなったら自分で払うからいい」「そんないつも勉強しねえよ」と実際に口にしているが、終わらない。

ヘタすれば、大学学費分ぐらい払うまで終わらないんじゃないかな。

ちなみに、妹にはそういう小遣いは一切ない。かわいそう(笑)

 

私はろくに貯金もできず、年金も払わず生きてきた父の老後の世話をしっかり見る気はあまりない。

(そう言いながらなんだかんだ結局世話をやくんだろうが)

から、ぜんぶ許すし、そもそもうらんでないし、いざとなればほっとくから

小遣いはもういいよ。 

 

2022-11-11

人生詰んじゃってキツい

28歳の東大生冗談とかじゃなくマジで

大学受験は三年浪人した末にようやく受かった。キツかったよ。祖母、母、俺の3人家族で余裕無いか予備校も行けないし。現役、一浪二浪と3年連続全落ちで、その間にお婆ちゃんは俺の心配したまま死んじゃうし。でも三浪目で東大文一、早稲田法、慶應法法全部受かったのよ。あの時は、俺の人生始まったな、って思ってた。

でも無理だったわ。通学に2時間半かかるから往復の電車勉強したり、土日も地元図書館行って勉強してたんだけど、遊んでたとかじゃなく普通に勉強についていけなくて単位落としまくった。電車もよく止まるし、寝過ごして電車が反対方向に向かってる時に目覚ましてもう授業終わってたりとかした。コミュ障から友達もいない。なんとか法学部には進めたけど、本郷来てからはいよいよダメだった。そんで今3年留年。ようやく卒業は出来そうだけど就活は全滅でさ。焦って母親に「大手じゃないけどなんとか内定貰えた」って嘘ついたら大喜びしちゃってさ。

もう死ぬしかないのはわかってるんだけど、やっぱ怖いわ。生きていくのは無理なのに死ぬのも怖い。今泣きながら途中駅の公園弁当食べてる。

2022-10-21

友達(仮)の結婚パーティーに行った

結婚式じゃなくて結婚パーティー家族友達だけ呼んで食事会みたいな感じね。

俺はもうそろ30の童貞友達(仮)は一歳上。俺たちの出会い大学。後述のそいつの人となりからFランとか言われるかもしれないけど、私立政治学科じゃ国内トップレベルじゃボケ三田じゃなくて3号館の方ね。俺は現役でそいつ一浪なので同級生。何個か授業が被っていたため、向こうからしかけられて仲良くなった。

俺は身長167、カエルに顔がそっくりキモ男。そいつ身長178のイケメンでイケボ。そんでそいつに誘われてインカレサークル男子学内女子は他の女子大みたいな感じ)に入った。そいつは女絡みは多かったが男の友達がいなかったので俺を誘ったのだろう。

そいつが俺をまあいじるいじる。低身長を好きな女はいない、声が面白い、話がつまらない、女と話す時キョドッててウケる絶対彼女できない、などなど。周りの女は一緒に笑っていた。その後そいつサークル内で複数女子浮気し、バレてサークルを辞めさせられた。話は脱線するけど女ってすごいよね。目の前で人の容姿とかを貶しまくる奴にも平気で抱かれることができるんだもん。尊敬する。

元々つまらなかったので俺もそのうちサークルには行かなくなった。その後同じゼミでいじられたり、マウントを取られたりする日々が続いたが、他に友達もいないし、そいつは授業は真面目に受けてて代返に使われたりすることはなかったため付き合いを続けた。俺の部屋で鍋を食いながらそいつの女絡み武勇伝を聞き「そりゃすごいね」と返事して過ごした。卒業して社会人になってからは会うことはあまりなくなった。

それで結婚パーティーに呼ばれたから行ったんだけど、相手普通に清楚で優しそうな女性だった。今までそいつが付き合ってた女とは違うタイプのね。そいつは俺のことを「大学時代から親友!」と紹介していた。

帰り道、「あ〜、なんであんな奴にあん奥さんが出来るんだろう」と思いながら帰っていたんだけど、前から来た婆さんとぶつかった。ここでふと思った。自分の思うまま、恣意的に、悪意を持って相手振る舞うのってどんな気分なんだろうか、と。相手はお婆さん。周りに人はいない。俺は決めた。

「おい!ババア!どこ見て歩いてんだよ!」と怒鳴った。人生で初めて他人暴言を吐いたので声が震えた。婆さんは「あ…すいません…すいません…」と何度も頭を下げた。俺は睨みながら舌打ちをして、立ち去った。

とても嫌な気分になった。仕事はつまらないし、金はあるけど趣味もないし、女にもモテないし、もうそろそろ仕事辞めて実家帰ろっと。

2022-10-08

地元で唯一無二の存在の圧倒的超名門トップ出身だけど世間が思うほど神ってない

東大たまに二桁、京大5人、一工5人、地帝40人くらいのとこ(関東から必然的に地帝の数は少なくなる)。

地元じゃ神みたいなもんだけど、学年平均くらいの頭だと現役時点じゃ地元駅弁中央大(非法学部)くらいしかからない。

嘘だと思うだろうけどこれ本当の本当。

早慶とか現役だと学年最上位いないと無理。ていうか一浪早慶ですら上位層になる。

地元県の最高エリートでもこんなもんなんです。

2022-09-29

医学部浪人生差別する理由ってなんだ?

複数私立医大女性浪人生差別して点数を低くしていたことが分かっている。国公立でもそういう噂のある大学はチラホラある。

女性差別は分かるんよ(許されないことだが)。妊娠出産戦線離脱してしまう。でも浪人生差別は謎。10浪していて他より10年働ける年数が少ないとかじゃないのよ。東京医大などは一浪から点数を引いていた。

さすがに3年くらいまでの浪人って働ける期間でいえば完全に誤差じゃない?何が原因で浪人生って差別されてるのかマジで謎やで。高3で縁あって医師を目指し始めて受験間に合わないから1浪2浪ってこともありうるだろうし、非進学校から卒業時には間に合わなくて浪人って子もいるだろうに

浪人=怠け者って認識なのかな?

2022-09-15

僕の毒親

僕には、何をしても褒めてこない上、全否定してくる、それはそれは素晴らしい親がいます

〜〜小学校の頃

今思い返すと、小学校の頃は一回も褒められたことなかった。

僕には少し歳が離れた兄貴がいる。

兄貴は国公立大附属中学受験し、合格していた。なので流れ的に僕も受験するよう言われた。

結果、国立大附属中学への入試に失敗し、公立中学校へ進学した。

〜〜中学生の頃

絵を描くのが好きだった。真面目に描くと、必ず賞を貰えたからだ。県内評論会かなんかでも何度か賞を貰ったことがあった。美術の才能があるんじゃないかなって思った。

けど、親は「そんなものはない」と一蹴。

続けて、「お前には〇〇高校っていう1番頭のいい高校に行った兄貴がいるんだから勉強で頑張っていけ」と言われた。

それで一応勉強を頑張った。

偏差値がたまに70行くくらいには勉強出来たのだけど、親は「偏差値は100が最大値だろ、たかだか70なんて、勉強してないだろ」と言われたのを今でも覚えてる。あいバカだったんだな。

結局、県内で最も頭の良い高校受験し、見事に失敗。

結果、滑り止めで受けた私立高校へ進学した。

〜〜高校生の頃

やっぱり絵を描くと、賞がもらえた。人と違う絵を描けた時が、1番達成感があった。画材にも手を出して、絵を描くことがすっかり好きになった。

高校2年の時に、親に「美術大学に進学したい」と伝えた。

親はめちゃくちゃキレた。

あろう事か2chの「美大に進もうと思ってるけど」的なスレを見せてきて、如何に美大に進学することが愚かなことかを示してきた。

そして「お前は勉強から逃げようとしている。」とまで言われる始末だった。

また説得すれば良いかなって楽観していた。

しかしその次の日、親は部屋に上がり込んできて、僕の手で画材を捨てさせた。

これから勉強一本に集中しろと言われた。

決め手には「お前の兄貴は、東京大学に受かったんだ。お前に勉強が出来ないはずがない」と言われた。「東京大学に行ってから絵を描けば良い」とまで言われた。

唯一、周りから褒められていたものを手放して、受からなきゃ褒められないもの強要されたのは正直しんどかった。

僕は文系科目(特に現代文)が苦手だったので、東大ではなく東工大受験一浪したけど結構からず。

結果、他の国公立に後期で進学した。

受かったって報告した時は、流石に「おめでとう」と連絡が来た。

ちなみに、現代文ができない理由を「お前は人の意見とか気持ちを汲み取れないアホだからだなw」と言われたこともある。

入学書類を書いて、チェックをしている時に書き忘れた書類があったことがわかった。

それを見つけた親はめちゃくちゃキレた。

「そんな杜撰から東大にも東工大にも受からねえんだ、クソバカが」

って言われた。

報われないなぁって思いながら、未記入の書類を準備していた。

〜〜就職活動

曲がりなりにも国公立理系なので、就職活動自体は苦じゃなかった。親さえいなければね。

親は日本会社制度が如何にクソであるかを力説した上で、外資系企業やGAFAMに就職するよう勧めてきた。自分保険会社下請け営業なのにな。失せろよ。

某超大手電機メーカーから逆求人が来た時には「そこは潰れるからやめろ。お前やっぱバカから、そういうクソみたいな会社からしかオファー来ないんだな」と言われた。

結局、親元から離れたかったので、僕は関西電気メーカー就職した。

少し田舎の方だけれども、悠々自適暮らしている。趣味咎める人がいなければ、やめるよう強要する人もいない生活は快い。

2022-09-11

anond:20220911194600

田舎出身身長160前半、童貞、若ハゲコミュ障ガチャ歯、鼻炎、一浪して日東駒専文系留年して中退して帰郷年寄りしかいない町でおばあちゃんの酒屋兼タバコ雑貨屋の店番やって月40,000円の小遣いもらってる30代後半の俺がいる。俺以下は流石にいないと思ってる。

2022-08-26

anond:20220826142553

村上春樹がウケた理由じゃん。自称勉強嫌いで大学は三流大学です(一浪早稲田)。実家は裕福じゃないです(芦屋)。気づいたら女の子セックスしてます」みたいな。

2022-08-19

裸の王様が通りますよっと

まれてこの方ずっと自分のことを有能だと思い込んで生きてきたが、実はただの思い上がりで、自分は単なる無能に他ならないと、40年以上生きてきた今、ようやく認めることができそうだ。

否、今の今までずっと認めることができるだけの勇気覚悟と度量がなく、とうの昔に何の価値もない無能人間だと露呈して裸の王様状態になっていたのを、今否応なしに認めざるを得ないところまで追い詰められた、というだけのことなのだが。

長文になるがどうか吐き出させてほしい。

高校卒業後、一浪して結構な有名大学に入学できたはいいが、

1.二留してまで目指していた資格試験に失敗

失敗というか難易度の高さと勉強の苦しさから逃げ出しただけだった。

2.就職活動への切替にも失敗

下調べが足りず、時期もタイミングも悪く、準備をしていなかった上に、高学歴に胡坐をかいて「たかシューカツ」と完全にナメていた結果、どこから内定をもらえなかった。

3.新卒カードのおかげで地元に帰ってなんとか就職はできたが、望まない営業職での採用しかなかった

自分自身が営業むきのタイプでないことは明らかなのに、2.の事情から適当に決めた。

自分(の営業成績)のことしか考えない、昭和気質すぎる(地域職種的にアタリマエのこと)人間や社風が嫌になり1年で退職、私の心身は消耗し、何よりチンケなプライドが傷ついた(内心周囲の人たちをバカなやつらだと見下していた、間違いなく伝わっていただろうな)。

唯一無二の新卒カード結果的無駄にしてしまった。

4.2.3.の反省を生かし、転職エージェントを使って第二新卒カードでの転職成功

面接に進んだある企業は、全然いたことのない企業だったが確かに東証一部上場で抜群の安定性と急成長を誇り、そんな企業の人事担当者課長クラスの人)が、なぜかはわからないが面接開始10分もたたないうちに「是非あなた採用したい」と言ってくれ、その直後すぐに経営トップとの面接が組まれ、即日即内定の通知をもらうことができたという、おそらく人生イチの奇跡が起こったことで「これも学歴のおかげか」とかさら有頂天になってしまった。

5.4.の企業を2年足らずで退職

最初の出足はまずまずだったが、1年で「やっぱり使えない」と思われたか部署異動対象になり、異動した先の業務内容はよかったものの上席者から繰り返しパワハラというか学歴によるマウントを激しく取られ(「○○大出てるくせににこんなこともできないのか」的なやつ)、それが苦痛になってメンタル系の通院および服薬を余儀なくされ、そのまま追い出されるように退職した(自覚はないが私の態度が学歴を鼻にかけたように見えたのだろうな)。

6.4.5.の経験反省(急成長の上場企業はやはり「キツかった」とやっぱり弱腰だった)から、もう少し田舎(だけど地元の外)のちょっとのんびりしていそうな製造業企業転職

これも最初のうちは周囲の人たちに恵まれ特に前職で大ハズレだった上司がとてもアタリで、学歴でも何でも鼻につくような態度にさえ気を付ければ、今度こそ落ち着いてはたらけるとちょっと安堵した。

7.6.の1年後組織改編と人事発令があり、上司が替わった

この上司ととにかくソリがあわず、うまくいなすことができるだけの対人能力もなく、最低の人事評価を受けつつ、1年で異動希望を出した。

このあたりでまず自分には対人能力がないことに気付き始める…が、まだ無能を認めることはできるほどではなかった。

8.7.が通って新部署に異動したが、社内ニート化する

私のまったく専門外の専門的知見が必要部署だった上、何をどう勉強してよいかもわからず、結局単純作業的な仕事くらいは割り振ってもらえたが、はっきりいって毎日就業時間がとても暇で苦痛だった。

ところがそれとは裏腹に会社自体利益過去最高クラスを記録し、その恩恵で何もしなくとも自分史上最高クラス年収を得ることになり、完全にぬるま湯につかってしまうと同時に、「私にはそれだけの価値がある」とより一層のぼせ上がってしまった。

9.8.から3年後、総務に異動になる

さすがにそんなにうまい話は長く続かず、ハナから役立たずだったため、総務に異動となった。

製造業における総務部門なんて、製造研究部門のような花形部署に比べれば圧倒的に「下」に見られる部署だったが、私個人的には前の部署よりはやることもあるし、のんびりはたらけてそれなりにいい給料をもらえるラッキーな状況には変わりなかった。

10.1年たった頃に事態が急展開

人事制度が大きく変えられることになり、社員全員が厳格に格付けされ、それに基づいたきめ細かな給与体系に変わることになった。

7.8.あたりであまり人事評価が芳しくなかった私にとっては、これまで得られていたのんびりはたらけてそれなりにいい給料をもらえる安寧の地を失いかねない内容だったため、一気に焦り始めた。

とりあえず自分業務だけは真面目にこなした…つもりだったが、そんな小手先のもの通用するはずもなく、製造部門への異動内示があった。

製造部門危険薬品を扱うことから身体リスクが高く、その分の手当はついたものの、完全に思い上がっていた私は「製造部門なんてただのソルジャーじゃないか」などと、あからさまに見下した愚かな考えでこれを蹴った。

辞令を蹴るということはもう退職しかない。

最後最後まで高い給料を手放すことだけが未練だった…しかし私は自らの思い上がった考えや行動でそれをみすみす捨ててしまったのだ。

そしておめおめと地元に帰り、その後6年あまりがたとうとしている。

帰った当時、親が体をこわしたからという事情もあったのだが、根本的に私には対人能力がなく、地元を離れて1人で自活するとか、何かを成し遂げることができるだけの能力自体なかったのだと思い知り、地元に帰った、帰らざるを得なかった。

それは1.の時点で既にわかりきっていたことだが、その無能さをどうしても受け入れるのがいやで、むしろ既にそれは露呈していたにもかかわらず、自覚できず、修正もできず、いわば裸の王様状態で何年も何年も生き恥晒し続けながら生きてきたということだ。

地元に帰って6年あまりがたった今、さすがにいい加減認めざるを得ないという状況にまで追い詰められ、不本意ながらしぶしぶ受け入れ始めている、というのが現在地だ。

不本意ながらしぶしぶ」という時点で、まだまだ解決までの道のりは遠そうだ。

かくして自分無能だということをようやく自覚し始めたが、では今後具体的に何をどうしたらいいのか、やはり無能からかいまいちわからない。

無能だとわかったところで、今後私が自分なりに幸せに生きるために何をしたらいいのかがわからないのだ。

(それがわからない今は、むしろ「生きることは幸せではないから生きたくない」としか思えない)

今なら何か変な宗教に引っかかれる自信があるな。

これからどうしようか。

2022-08-14

anond:20220814171131

anond:20220814170226

!!!!!!!!!!!

こんな事やって面白いのかなあ。

もう53歳でしょ。

さすがに50代で「!!!!!!!!!!!」だとねえ。


●●くんは●●から一浪の間に何も勉強してなかっただろうね。


https://archive.ph/w2PYy

やっぱ偏差値70の高校出てるエリートは違います

2022-07-05

anond:20220705223238

逆だ。定期テストはできないけど、模試試験は直前に詰め込んでそれなりにできる。でも怠け癖がひどくて努力できない。結局浪人して予備校行っても本気になれず、私文専願一浪早稲田教育以外全落ち。

2022-06-19

高校同級生で、早稲田大学第一志望なやつがいて、現役では受からずに一浪して再受験していた。でも一浪でも受からなくて、そいつ受験自体を辞めて、働かずバイトもせず、いわゆるニートになった。早稲田大学じゃないと意味がなくて、早稲田に行けないなら受験自体意味がない、と思ったらしい。おれは大学への憧れてとか無かったから、当時は意味不明だった。今も理解したとは言えない。早稲田大学ってそんなに特別な何かがあるんだろうか。

2022-04-19

anond:20220419140308

渋幕中首席→新高で開成行って2浪理1合格東大4年次に再受験して理III合格の人は

現役時の戦績は一般中央理工と明治理工落ちて慶應経済だけなぜか合格だったな。

一浪時だか二浪時に慶応日医慈恵全勝

2022-03-24

日本史のつまらなさ

一浪の末にセンター試験20しかとれなかった日本史を、中年になってから改めて勉強することになってさ。

全9巻の日本史の本を中心に、予備校講師講義本を副読本にしながら勉強してるんだけど、平安時代に入ったところで頭が動かなくなった。

複雑な親族関係や常用外の読みが続出して話が全然頭に入ってこない上に、そもそも権力組織の変遷の物語自体全然面白くない。

英米歴史文化のほうは見所が随所にあって、ゆるいペースながらも関連の読書を何年も続けているが、日本史はどうやら無理っぽい。

日本史好きな人って、こんなつまらないものを一体どうやって好きになったんだ。

2022-03-18

学歴厨わい、上司一浪して大東亜しかからなかった話を聞かされ反応に困る。

何でリアクションするのが正解だったの…

お願いだから学歴の話しないで反応に困るから

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