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はてなキーワード: 一場とは

2019-05-06

昨日のプリキュアにモヤってしまった。

昨日のプリキュアにモヤってしまった。

モヤったのは、プリキュアの1人である天宮えれなのお父さん(メキシコ人)が、他のプリキュアの娘たちをハグした場面だ。

こうした場面は、いわゆる異文化の人を書くときに使われがちなものであり、多くのアニメハグによる挨拶が描かれているのはわかっている。

だが、今作のプリキュア多様性をコンセプトにしており、これまで「異文化とどのように関わるか」という問題を丁寧に描写してきた。

そんな作品において、いきなり相手ハグするえれなの父は配慮が足りず、不適切ではないかと思ってしまった。

いくらメキシコでは挨拶ハグするのが普通であっても、日本で長く暮らしている人間が、日本において、初対面の相手に、何の説明もなしにいきなり相手を抱きしめる、というのは、かなり乱暴挨拶である

幸いプリキュアの3人に気にする様子はなかったが、抱きしめられることを嫌がる子もいるだろうし、場合によってはセクハラにもなり得るはずだ。

製作者達は、おそらく様々な挨拶の仕方があり、それを受け入れることが多様性尊重することだと伝えたかったのだと思う。

しかし、相手文化を「一方的に」受け入れるだけが多様性尊重することではない。自分他者が「お互いに」相手文化を受け入れ合うことこそ、多様性において最も大切なことではないだろうか。

そういう意味で、えれなの父のハグ多様性を軽視した、一方的行為だったと考える。

トゥインクルプリキュアはすごく楽しく見させてもらっているし、多様性というもはやありふれた言葉について改めて考えさせられる優れた作品だと思う。

からこそ、たった一場面の取るに足らない行為についても、考えずにはいられなかった。

願わくばえれなの父にも握手声かけによる挨拶を覚えてくれるようになってほしい。

(えれなの母もハグによる挨拶をしていて、それも問題だと思うが、そちらは異文化問題というよりジェンダー問題だと思ったのでここでは取り上げなかった)

2019-05-01

anond:20190430194402

(≧∇≦)アベベとツンツンは令和時代が好きなんだろーーv(≧∇≦)

https://www.yomiuri.co.jp/

「令和」幕開け…皇太子さまが新天皇陛下即位

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このツンツンアベベネタ映画として(元ネタの「まさしくん」の一場面)とか、AAを使ったギャグとしては良くても、実際にやったら問題になりますね。

あくまでもフィクション世界でのみ楽しみましょう。

2019-02-09

安室透の起爆スイッチタッチパネルだった

 物理ボタンに対する信仰心が高いという話。

 久しぶりにコナン映画を見てみたら、安室透がスマートフォンタッチパネル爆弾の起爆スイッチを押していた。極めて慎重にセッティングされた爆弾を、緊張の面持ちで、つめたいガラスの画面に親指を軽く押しつけていた。

 軽くタッチパネルの硝子に触れただけで、その爆弾スマートフォンから送られた着信を受信し、爆発したのである

 この文章を読んで何がなんだか分からない方は2018年に公開された『ゼロ執行人』をレンタルBDを購入して観て頂くとして、ともかく、その起爆スイッチを押すシーンというのは、私の中ではこの映画の中では三本指に数えられるほどに印象的なシーンだった。

 もちろん、20年も前に始まった漫画キャラクタースマートフォンを使っている事に驚いているわけではない。最近原作を一から読んでいるけれど、巻が進むにつれ新しい概念を取り入れている大変面白い作品である

 では何故印象に残っているというか、一種衝撃を受けてしまったのかと言えば、それは起爆スイッチスマートフォンだったからに外ならない。爆弾の起爆装置を起動させるための中継器が携帯電話なのはよくある話だが、それがスマートフォンになったところでふーんという感じである携帯界隈の世代交代というほかない。

 しかし、しかしだ。爆弾を起爆させるという、そんな重大なスイッチを、誤タッチ危険性があるスマートフォンでいいのだろうか、という心配が過ぎってしまったのである

 そもそも静電式タッチパネルというパネルは、文章を打つという観点からすると非常にいけすかないパネルである。まず文字を打ったという実感がない。決定ボタンを押しても、サイトボタンちゃんタップできているかからない。リンクが切り替わってやっと「押した」という実感がやってくる。

 文章を打っているときはふよふよとしたキーボードというか最早シートのようなアルファベットが、指を当てる度に浮かび上がったり沈んだりというアニメーションを繰り返すけれど、だからといって指にキーボードを打ったときのような打鍵感は伝わらない。平面の板を指でつついているだけである。これでは指の方が変形してしまう。このふわっとした文字うち感覚がどうにも耐えきれず、私はポメラを購入せざるを得なかったし、パソコンを手放せなかったというわけである

 

 それでもスマートフォンの方が画質は良いし、画面が広いので横書きしろ縦書きしろ文章が読みやすいのであるホームページも見やすい。そう、『観る』というツールとしては大変優秀なのが、画面だけがすべてみたいな、スマートフォンさんという機械なのだ

 それでもやっぱり、スマートフォンで起爆スイッチを押すのはどうなんだ、と思ってしまうのである

 これは安室さんに限ったことでは無く、スマートフォンというかタッチパネルを使ったどんなシステムにも抱く感情なのかもしれない。しかし、頭では確実性はタッチパネルの方が高いと言うことは理解しているのだ。それでも物理ボタンを頼った方が良いのでは無いか、と思ってしまうのは、最早ボタンレス普通になりつつある現代に対して私が発症した適応障害じみたなにかなのかもしれない。

 SF世界に限ったことでは無く、現在でも様々な入力機械タッチパネル(静電式)は使われている。

 ボタン式の起爆スイッチ(なんかもうこの言葉だけで頭がおかしい気がしてならないのだが)の方が、構造上中継する部品が多い分故障接続不良の危険性を孕んでいる。それを鑑みれば、やはり起爆スイッチは感度抜群のスマートフォンの画面をタッチする方が理に適っていると言える。間違ってスイッチタップしてしま誤爆することはあっても、起爆信号の正確性を考えれば、タッチパネルに何のクッションも挟まず触れてしまう方が、よっぽど確実である絶対に爆発することができる。

 それでも私はボタンの方がいいなと思ってしまうのだ。そんな軽々しい起爆スイッチ大丈夫かと思ってしまうのだ。この感覚が、私がボタンにたいして全幅の信頼を寄せているからなのか、ボタンを押すという実感がなければならないという強迫観念なのか。

 とにかく、安室透の起爆スイッチスマートフォンだった。

 あの触感のはかなさに反して、その先に起こる爆発という非常に重たい現象があり、それがコナンたちの命運をかけた一場面だと思うと、宙に浮いたような不安感がただようのだ。

 あるいはその感覚は、エモいというやつなのかもしれない。

 そんなことを深夜に思いつき、こうして書き作っていた。

 おわり。

2019-02-03

プリキュア批判へ」の補足と、スタプリへの期待

この記事を書いた者です。

https://anond.hatelabo.jp/20190129224002#tb

様々なコメントを頂いた中で、「批判を『フェミニストのものだと決めつけて良いのか?」「本当に本編を観ないで批判したと言えるのか?」というものがあったので、お答えします。


私はときどき、フェミニストの方々の意見を参考にしているのだが、日頃発言されている方々がプリキュア批判しているのを見つけてしまった次第。

そしてそれらの結構な数が、「ストーリーはよく知らないけど『出産した』と聞いたとたんに批判した」というのがはっきり分かるコメントばかりだった。

(なお、フェミニストではないがほぼ同じ理屈批判する人、逆にフェミニストでも出産描写問題視していない人もいるのは知っています

その安易でいい加減な姿勢ドン引きした。

一瞬で分かるほどの問題があるならまだしも、育児出産を真面目に描くことそのものは、別に悪ではないはずなのに。

だってアニメ描写は気にしているし、プリキュアじゃない別の好きな作品では、女の子の描き方が気になったこともある。

ただ、はぐプリはあの出産に全てを終結させるための作品ではない、と思ったので例の記事を書きました。

もしちゃんと観ていてそれでも押し付けと感じるなら、それは仕方ない、というのは既に書いた通り。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

いつまでも過去をほじくってもしょうがないので、今日始まった「スター☆トゥウィンクルプリキュア」について。

シリーズを追っている人間としては、いい意味で前作からの切り替えができる始まりだった。

スタプリ、肌の色や宇宙人設定などの「多様性」がスタート前から話題になっていた。スタプリはそのあたりを自然に入れていくらしい。

何かと話題になったはぐプリでは、ポリコレがどうのと、その手の描写を嫌う人も見たし、逆にストーリーを知りもしないで、一場面だけで「配慮がなっていない」といい加減な批判をする人も見た。

私は子供向け番組で、いろんな配慮のある描写子供にとって良いことで、必要だと思っている。

とにかく、スタプリのこれからに期待しています

2019-02-02

ショックだったこ

新井さんの逮捕を知ったのはツイッタータイムラインだった。フォロワーさんが新井さん逮捕うそ!?みたいにつぶやいていて、急いでツイッター検索欄に新井浩文と打ち込んだ。邦画をたまに見るような私でも新井さんのことは知っていたし、彼のツイッターもたまに見ていた。悪いことをしそうでしないのが彼だと勝手に思っていた。ファンというわけではないが、彼の存在感は忘れられなかった。テレビをつけたら、新井さんが逮捕される様子が映し出されていて、映画一場面のようでショックで、泣きそうになった。ツイッター新井さんショックみたいなつぶやきが溢れていくのを見ると、現実に見えなくて、嘘であってほしいと胸が締め付けられるような気持ちだった。ウィキペディアに並ぶ数々の有名な作品たち。待機作も公開が危ぶまれる。

毎日たくさんの悲しいニューステレビ報道される。名前を知っている人の悲しいニュースはどこか現実味がなくて、被害者の方、お仕事を一緒にされた方のことを思うとショックで仕方ない。唯一無二の存在である新井浩文という役者は帰ってこない。2月の寒さが身にしみる。

2018-12-27

クロちゃん監禁投票に思うこと

今日放送した水曜日のダウンタウンモンスターハウス」でクロちゃんとしまえんの檻に監禁されることになった。

なんつうかもうこの国終わってると思えてきた。

放送した番組最後Dボタンによる投票クロちゃんを許せるか許せないか国民投票させてその票数に応じた時間としまえんの檻の中にクロちゃん監禁するっていう企画だった。いまこれを書いている瞬間もクロちゃんはこの寒空の下、スカジャン一枚で群衆の好奇の目にさらされている。

当該投票の結果、クロちゃんを許せないが95%だった。なんつうかもうこんな陳腐なことを言いたくないのだが、日本は終わったと思うね。これは誇張じゃなく想像力の欠如と現実への戦慄のなさが浮き彫りになった事態だと思っていい。たかテレビ番組だがテレビほど大衆無意識を現前するものはない。

投票数に応じてクロちゃんを檻に入れておく時間が決められたのだが普通感覚であればまず、こんな真冬あんな閑散とした檻に入れられたら凍えて大変なことになるだろうという簡単想像すらできなくなっているのだろう。アニメ一場面を見るかのように軽々しい好悪で投票した。それがいまの日本大衆である

圧倒的現実感のなさと俗悪さ。なんというかここまで絶望するテレビを見たのはひさしぶりだ。社会実験として一定価値があると思うぐらい。

と書いているうちにツイッター監禁されているクロちゃん動画などがあがっている。群衆が走って檻に向かっている様は目を背けたくなるほどだ。とても気持ち悪い。彼ら彼女らは上述したような思考すらもたず無意識にまかせて「消費」するだけの存在である

ひかえめにいってこの群衆こそがモンスターであり、こんな群衆がはびこる日本こそがモンスターハウスである

2018-12-08

日本語散らかっててすみません雑貨店店員をしています

今日若いお母さんと娘2人(姉Aちゃん、妹Bちゃんとする)が来店。

Aちゃん小学生、Bちゃんはイヤイヤ期が抜けきっていない3,4歳くらい。

 

Bちゃんはお母さんの押すカート(よくある子供が座れるタイプの)に座っていたんだけど、そわそわしてたまに立ち上がって危ないなぁと思ってた。

流石にお会計中はお母さんが座り直させていたけど、お母さんが袋詰をしている間飽きちゃったのか立ち上がってしまった。

レジカゴがなくなり軽くなったカートはひとりでに動き出してしまい、ドア付近の窓ガラスにぶつかりそうになっていたところを私が発見して止めた。

びっくりしたね、危ないから座ろうね、座れるかな?と声をかけ、難しそうだったら抱っこして降ろそうかなと思っていた。

そしたらお母さんが飛んできてBちゃんをパシンと叩き「座れって言ったでしょ!」と一喝

子供を抱き上げたと思ったら無理やり椅子に乗せた。

こういうカートのイスって座面に2つ穴が空いていてそこから足を出して座れるようになっているんだけど、

お母さんはかなり乱暴にBちゃんを降ろしたので一度では足が入らず、何度か揺さぶるようにやり直してやっと座らせた。

突き指じゃないけど、足が捻挫?しないか心配するくらいだった。

Bちゃんはびっくりして泣き出す始末。

お母さんはまた戻って袋詰、娘2人を連れてそそくさ退店した。私には何も言わなかった。

お母さんといっしょに来たAちゃんはお母さんが他人である私の前で子供を怒鳴り散らしてヤバい空気を察したのか苦笑いでチラチラ私を見ていた。

 

①お母さんサイド

買い物中ずっとワガママを言う娘2人にイライラする気持ちわからんでもない。

Bちゃんカートにきちんと座らずそわそわしていたし。

子供サイド

怒られてもわりとヘラヘラ

でもお母さんが怒鳴り散らしてただならぬ雰囲気は察している。

Bちゃんコントロール出来ないお母さんがAちゃんに対してもキツくあたっていた。

Aちゃんは買い物中お母さんに話しかけてもまともに会話してくれずつまらなそうだった。

Aちゃんに対してBちゃん見ててって言ったでしょ!と保護者役を押し付けていた。

店員サイドだったら

どんな理由があれ子供カートに乗せたまま放置しないで欲しい。なんかあったら店の責任も問われる可能性がある。

怒り方、叩き方、カートの乗せ方が乱暴すぎて、虐待を疑うレベル

公共の場所で人目もはばからずあそこまで怒鳴るのはちょっと考えられない。

お母さんのイライラMAXになった結果であって常にあの扱い方というわけではない…と信じたい。

 

家族連れがよくくる店だから、いろんな親子を見る。

叱る光景日常茶飯事で、もちろんしつけの範疇だなと理解できるケースも有る(商品乱暴に扱う子供とか、叱ってもヘラヘラしたりね)。

でも一方であまりにも行き過ぎではないか?親の八つ当たりではないか?というようなケースも無くはない。

他人から子育てにまで口を出す権利はないんだけど、他人からこそ感じるものもあると思う。

他人の、生活一場面を見たに過ぎないからな…と自分に言い聞かせている。

Aちゃん達は普段から虐待を受けていて、私に助け舟を求めていたんじゃないか?なんて考えてしまった。考えすぎかもだけど、可能性はゼロではないし。

 

今まで虐待ニュースを見てなぜ防げなかったのか、なんて大それたことを思っていたけど、

虐待予備軍みたいな光景は意外と近くで起こっているし、それでいてどうにもできないんですよ。こういう一場面では判定が難しい。

虐待を見逃さないって結構難しいことなのかもと思いました。

2018-06-02

お店の中にいる

アメリカ某所に出張中。20年前に留学していた町に20年ぶりに来た。

昨日は仕事打ち上げディナーで、小洒落たお店でお酒を飲んで楽しく過ごした。お店を出るときにふとお店の中を見ると、きらきらした小ぎれいな人たちが楽しそうにしていて映画ドラマ一場面みたいだ。私はそんなお店でお酒を飲んだりするようになったのか。

ものすごく高級というわけではないけれど、留学してた当時の私には到底入れなかったお店。どんな仕事をしたらこういうお店でご飯を食べられるようになるのかなと外から眺めて思っていたはず。

つの間にか結婚をして子供もいて仕事にも就き、私はお店の中にいる。当時の私から見たら成功した大人に見えるのかもしれないけれど、目の前のことを片付けるので精一杯だし、凹むことも多い。やりたいことは増えるばかりで時間が足りず、当時とあまり変わらないや。

また20年したら来ることもあるかな

2018-05-16

みんなのごはん ニッカウヰスキー記事への違和感

http://r.gnavi.co.jp/g-interview/entry/bad/4551

違和感を沢山感じたので整理。

大きく分けるとこの二つ。

編集が入っていない

取材対象に失礼

編集が入っていない」と感じた理由

・長い(3万字超)割に、大見出しを付ける、目次を付ける、話題ごとにページを分けるなどの対策が取られていない。

 小見出ししか区切られていない。

・「では」「なるほど」などの相槌が大量に残っている。編集が入っていれば、同じ相槌が頻発したら問題のない程度に削って読みやすくすると思われる。

・同一発言の中に「わかる」「分かる」などの異なる表記が混在している。

・全体的に、話し言葉そのまま文字に起こしている。

 一例

「そうですね、ブラックニッカって去年360万箱の販売量がありまして、もちろんエントリーからヘビーユーザーまで、もちろん私もヘビーユーザーなんですけど、そういう色々なお客様がいるっていうことですね。これを楽しんでくれるお客様がいらっしゃって、でどうしても700mlでは足りない、っていうお客様もたくさんいらっしゃるので、そういう方のために4Lを設定しております

これに編集が入ると、例えばこうなったりする。

「そうですね。ブラックニッカは去年360万箱の販売量がありまして、エントリーからヘビーユーザーまで色々なお客様がいらっしゃるということですね。もちろん私もヘビーユーザーなんですが。これを楽しんでくれるお客様がいらっしゃって、どうしても700mlでは足りないというお客様もたくさんいらっしゃるので、そのような方のために4Lを設定しております


他の「みんなのごはん」の記事インタビューでも読みやすく整頓されている印象があるけど、プロライター記事も多いからそう感じていただけだろうか。実際は仕上げまで本人任せなのだろうか。

「失礼」と感じた理由

ブレンダーさんにまで来ていただきました。え?マジでアサヒビールさん、めっちゃ太っ腹じゃないですか?これがどのくらい凄いことかというと、チケット転売問題取材しようとチケットぴあに取材を申し込んだらなぜかYAZAWAが来た、ぐらい凄いことなんです!マジで!!だってブレンダーさんとバーで一緒にお酒が飲める、ってあり得ないから!!しか取材舞台はニッカファン聖地、ニッカブレンダーズバー!完全に役得!

ウイスキーファンからすれば自分の舌と感覚だけで商品の味を決めてるブレンダーさんは神に等しい存在です。

と、ファンとして普通会えない「中の人」に会えることに敬意を表した割には、会話中に割と早い段階で

ちょっと分かんないんですけど

とかタメ口に近い口調になっている(せめて文字に起こす際に直さないのだろうか?)

・前半「ブラックニッカクリアを4Lで安売りするっていうのはどうなんですか」「ベン・ネヴィスもっと推してくださいよ」等の発言

そしてこれらの発言と直結している訳ではないが、後半では

やすいません、僕も実はおもいっきり面倒くさいファンなんです、すみません

「面倒くさいファンであることを自称している。免罪符

ちょっと話が逸れるが、アイドル運営に関わっていたことがある。

オープンスペースショッピングモールイベント広場とか)でのイベントは通りがかりの人に見てもらえるので積極的に打っていくのだが、そこで事前に注意事項をアナウンスしても無視して過剰なヲタ芸や座り込み、荷物での場所取り等をするヲタが多いと会場提供元や周辺店舗からクレームに繋がり、その後に同一場所でのアイドルイベント利用がNGになったりする。

また、何かやらかすヲタが出るたび、その後のイベントでの注意事項がどんどん増えていく。

ファンの動向次第でアイドル本人たちと運営負担が増えると、イベント自体を行わない方向になっていくこともある。

話を戻して、この「面倒くさいファンなので中の人に面倒くさい発言をする」という流れ(に読めた)、が例えば何を引き起こすかと言うと…

もし自分メーカー側の販促担当であったなら、これを受けてブレンダーファン交流機会はなるべく作らないようにする。

面倒なファンと作り手が接触すると面倒なことを言い出して厄介だから

直接対面しなくとも問い合わせや意見を受け付ける窓口はあるので、そちらで事足りる。

もしくはファン対話するような取材でも、きちんとしたメディアが設けた場での取材に限る。

結論

ファン中の人との直接の対話」という貴重であろう機会、態度の面と編集の面の両方で、もっと丁寧に記事化してほしかった。

この書き手発信元だとしても、例えばブロガーが好きな企業の人に聞いてみました!という「個人ブログ記事」ならここまでの違和感は無かった。

企業ぐるなび」のオウンドメディア企業「ニッカ(アサヒ)」に対して申し込んでいる取材記事で、この仕上がりは無いと思う。

2018-05-02

後味の悪い話

昔のテレビで見た後味の悪い一場面。

お昼のワイドショー、盗聴器発見特集

盗聴器発見スペシャリストタレントの2人が、盗聴器を見つけるレーダーと共に民家に隠されたそれを見つけていくというもの

2人がトラックに乗りながら住宅街を走っていると、とある民家の近くでレーダーが反応。在宅していた奥さんに許可を取り、詳しく盗聴器が隠されている場所を探すことに。

すると、そのご家庭の娘の部屋にあったプラグの中に盗聴器が。

タレント「このプラグはどこで買われたんですか?」

奥さん「さあ……ちょっと記憶にないです。娘ちゃん知ってる?」

娘「お父さん……」

そのとき旦那さんが帰宅

問い詰めるタレント。「ねえ、このプラグに盗聴器隠されてたんですけど、なにか知ってます?」

旦那さん「あ……」

〜一旦CM

記憶に残ってるのはここまで。

2018-03-30

hagexさんの矛盾する日記について

以下の日記を読みました。

映画の鑑賞眼は「クソ映画」を観た数だけ磨かれる

http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2018/03/30/130000

言いたいことには概ね同感で、わたしもつまらない映画でも最後まで見るべきというスタンスです。

しかし、文章矛盾がすごく気になりましたのでいまはてなダイアリーを書いています

引用・「作品最期まで観た人間のみが、その感想を口する権利を手にいれる」

引用最期まで観た人だけが、クソ映画をクソクソ言えるのだ。

これは言い換えたら「最後まで読んだ人だけがクソ漫画をクソクソ言えるのだ。」ということになりませんか?

まず冒頭に、『インベスターZ』の初期の場面を見て失望し、真剣に読まなくなったとあります

引用最初の15分から30分だけ観た人に、クソ映画と言われても全く信用できない

漫画一場面を見て見限る人と、「最初の15分から30分だけ観た人」に本質的な違いはあるのでしょうか。

もしも映画で「主人公につまらない映画をみせて、何分で出てくるか賭けをしている場面」が出てきても、hagexさんは席を立たないのだと思いますが、一場面で判断して漫画を読まなくなること(そして、読まないことを誇らしげにしていること)はまさにご本人が批判している行為です。

引用・クソ映画は人によって違う

引用自分ダメ映画だと感じても、それを他人適用するのはナンセンスの極みなのである

これは、もちろん同意します。

人によって趣味嗜好が違うことは当然のことだと思います

しかし、それがわかっていてなぜ「映画とのスタンスも人それぞれ」と寛容になれないのでしょうか?

引用自分ダメ映画だと感じても、それを他人適用するのはナンセンスの極みなのである

引用時間無駄を気にして、傑作や名作しか見ない連中は、実は映画の良さをわかっていない。だから、この増田映画ぶっているが、実はまったく映画がわかっていないのである

自分が「クソ映画でも最後まで見るのが映画の良さをわかっている人間だ」と感じても、それを他人適用するのはナンセンスの極みなのである

と、わたしは思います

映画を見た数が少ない人は映画が良いと思ってはいけないんですか?映画の良さがわかってるかわかってないかって、誰が決めるんですか?

もともと、この投稿

https://anond.hatelabo.jp/20180209213614

への反対意見で、わたしもクソ映画最後まで見る派としてhagexさんの気持ちはわかりますが、この人が批判されてしかるべきなのは中退席しない人への暴言だけです。

この人が映画最後まで見ないのはこの人の自由だと思います。(途中退席する人がいると迷惑だというのはおいておきます)

映画を見てどう感じるかは人それぞれですし、その人にとって正視に耐えないレベルだったということに対して、映画最後まで見るべきだという押し付け意味がありません。

わたしの友人に、人の顔は一度見たら忘れないという人がいます電車でいあわせた人を、別の場所で偶然もう一度見かけたらわかるそうです。そして、人の多い場所を苦手にしています

きっとその人は、人の顔から視覚的に受け取る情報の量や質がわたしと違うから、人が多いところにいるストレスわたしより強いんじゃないかなと想像しています

その友人が人の多い場所を苦手としているように、映画最後まで見ない人にも何か事情があるかもしれません。

人それぞれ映画を楽しんでいればそれでいいのに、映画をわかっていないだとかそういう言い方で、映画ファン上下をつけるような記事だったので、矛盾していると思ったところを書いてみました。

他者批判することも多い方ですが、自分客観視できないと説得力がありません。

漫画映画は違いますが、漫画はつまらなかったら途中でやめていいのに、映画はつまらなくても最後まで見なきゃいけないという理屈おかしいです。

一貫性ある主張にするためには、漫画につまらないという感想を抱くためにはその漫画読破するべきだなんてマイルールを設ける必要がありますが、そんなことはhagexさんも不本意だと思うので、映画を途中でやめることを親の敵のように憎まないであげてください。

以上です。

2018-03-29

登山部の女子高生を見た

電車登山帰りの高校生男子集団と乗り合わせた。

8人ほどのグループで、全員が高さ1メートルほどもある巨大なリュックを携えている。

メガネ率80%、いかにも高校生らしいあばた顔で、モテそう奴は一人もいない。

少し離れた席に、年のいった引率の教師OBグループ

そちらの方から、颯爽とやってきて男子部員たちの横、私の正面にドカッと座った新たな部員

無骨登山靴と泥で汚れたトレッキングパンツをガッと開き、股の間に1メートルの巨大リュックを挟む。

上半身を見て目を疑った。

黒い薄手の7部丈シャツに浮かぶつの膨らみ。

シンプルに後ろで縛り、残りを両サイドに垂らした長い髪。

顔は・・・美少女であるノーメイクだし、芸能人レベルというわけではもちろんないが、

無骨な出で立ちとの落差で清楚な顔立ちがより際立って見える。

紅一点、間違いなく部員の全員が好きになっているであろうレベル美少女である

青春である完璧な美しい青春がそこにはあった。

少女は隣にいる冴えないメガネと二言三言世間話をかわしたのち、即睡眠体勢に入った。

間違いなく男子部員たちは色めきだっているに違いないと思って自分と同じ列の数人の様子を見回すと、

・・・そいつらも寝ている。わかってない。こいつら今後一生手に入れられないであろう

黄金青春期の真っ只中にいるということに少しも気づいてない。

その時事件が起こった。

電車が揺れ、少女の股間に挟まれリュックが倒れたのである

少女は目を覚まし、とっさにかがんでリュックを元に戻した。

その時である

ゆったりしたシャツの首元が垂れ下がり、それまで黒い布に隠されていた二つの膨らみが、

膨らみを支える白いブラジャーまでもが、正面に陣取る私、そして4人の男子部員(端っこの一人は位置的に見えないか

だけに見える角度で、目の前にあらわになったのである

僥倖

輝かしい青春一場面に出会えただけでなく、その甘酸っぱいエロスの、ひょっとしたら

最も輝いた一瞬に居合わせることができた。

少女が再び寝入ったのを確認してから、同じ幸せを分かち合った同志たちの様子を伺ってみると、

・・・全員寝ている。

アホかと。今後向こう半年間、事によると一生使えるおかずになるかもしれない思い出を見逃すとは。

心底呆れ果て、目的地に到着したので彼らを置いて電車を後にした。

ふと振り向くと、熟睡体勢に入った少女の傾いた頭が、今にも隣の冴えないメガネ肩にもたれる直前になっているではないか

にわかった。メガネは寝たふりこそしているが、少女の頭の重みを肩で感じる瞬間を今か今かと待ち構えているってことが。

心の中でメガネにサムズアップを送り、私は改札を後にした。

2017-12-23

人の人生ってそうそ詰んだりしないよね

学生時代こいつだけは苦しんで1億回死んでも未来永劫許さねえって誓ったクソ林君は割りと底辺寄りだけど普通に社会人になって家庭を築いているし、

最近視界に入っている間中ずっと脳内死ね死ね念じてるクソ上司死ねって呪い続けても実際に死ぬわけでも苦しむわけでもなくて、

それどころかネット中の憎悪が向けられて大炎上した大学生サラリーマンだって多分10年後にはすっかり忘れられて普通に社会生活送ってるわけで、

まあ実際悪人だろうとゴミカスうんこみたいな奴だろうと人一人の人生ってそうそ詰んだりしないんだよね。

多分俺の呪いの発露方法訴訟とか一発殴るっていう行動に変えたところでそいつ人生一場面がちょっとだけ面倒くさくなるだけで、結局そのゴミ人生は何も変わらない

ああ、本当に俺が死ねって望めば誰でも死んでくれる世界だったらよかったのに。

クソ野郎をどうやっても苦しめられないこの世界はクソだよクソ、みんな死んじまえ。

2017-11-22

anond:20171122111603

そもそも政治的に正しいエロってなんだよ。両思い純愛しかに基づいたセックスけが正しいってこと?

現実離れしすぎて逆にすげー歪んでる思想に思えるけども

問題コンビニ本の表紙の扇状的なイラストが「政治的に正しい愛とやらに基づいた求愛表現」の一場面を書いたものではないと断言できる根拠は何かあるのかなぁ

あなた自身政治的に正しくない偏見で見下してるよね?

2017-10-22

1/30のストライクガンダムプラモを買ってきて

これはでけーわ、でかすぎて表面のディテールがぜんぜんスカスカわ!と言いながら

タガネでちまちま筋彫りディテールの追加をしている夢を見た

特にストーリーはなくて覚えてるのはその一場面だけだった

2017-10-03

[]

白砂を読んだ。ものすごく物悲しいエピローグだった。ラスベガスでたくさんの人が亡くなったけれど、シリアでも日本でもどこでもそうなんだけど、唐突に死を迎えなければならない人生やら無念やらがあるわけで、そういった人々の営みに思いをはせると猛烈にやるせない気持ちになる。

今回読んだ白砂って小説は、かなり読みやすい部類の物語になっていたと思う。軽妙な会話文もさることながら、長ったらしい情景描写もないし、最初こそ雰囲気に軽さが感じらて微妙だなあって思ってたんだけど、最終部の展開に至るころにはどっぷりと人間関係の難しさに呑みこまれていた。

途中で反省したんだけれど、どうも漫然と読み進めてしまうきらいがあるせいで、中盤辺りまで過去現在物語に登場する人物勘違いしてしまっていた。女性が話者になっている部分を、被害者母親の話だと勘違いしていたんですね。

ボルという人物名が出たあたりでありゃあこれは違うぞと、でもってああ、きっとこいつが犯人なんだろうなって予想したんだけど、最後の展開で予想のさらに上を行ってくれたのでとても満足した。騙されたというか、作者の術中に徹頭徹尾まんまと嵌められたわけなんだけれど、その弄ばれた感が心地よい読書感を与えてくれた。

そこに加えて最終部のエピローグですよ。事件被害者である小夜にクローズアップした一場面が短く描かれるんだけれど、これが本当に胸を打つ。小夜の内面エピローグプロローグの二つでしか主観で描かれていないんだけど、それがまた効果的に感情を揺さぶってくるんだ。

なぜこんなにいい子が死んでしまうんだって。どんな理由であれ、人の命を奪うことに対する憤りを喚起させる構成になっているように思えた。

結末が本当にぐっとくる作品から、ちゃんと最初から読み進めてほしい一冊でした。

2017-09-22

[]

鹿の王を読んだ。重厚物語だった。この作者さんが作る物語はやっぱり世界観ものすごい。奥行きがあるって本当にすごい。

国家陰謀。暗躍する組織と、氏族の間ではびこる怨嗟の坩堝。二つの大国に挟まれていたのが、つい最近帝国側に取り込まれしまった地域舞台にした物語は、生と死とか病とカたくさんの要素を幾重にも折り重ねながら、モザイク状に繋がりあって、総体として濃密な世界観を醸成していた。

緻密なお話である一方で、飛びぬけた一場面があるというわけじゃなかった気がする。ジェットコースターのようなドキドキハハラする展開は個人的に少なかった。全体的に味わい深くて、静かな余韻を残すような面白さに満ちているんだと思う。

もちろん、次へ次へと読み進めたくなる謎は多くてエンターテイメントとして秀でていることは間違いないのだけれど。

読み終わってみて最初に感じたのは、世知辛いなあってことだったた。登場する人物の行動原理が全員分からなくもないのが難しい。みんな確かな芯を持っていて、揺らぐことなく行動できる人たちばかりだからこそ虚しい争いになってしまっているのが悲しい。

個人の生死も、社会不条理も、なんでそうなってしまうんだって憤ることばかりで、でもそこで立ち止まったままじゃ何も変わらないわけで、かといって何か事を起こしても絶対的改善なり正しさなりは見込めないわけで。

だったらなんで生きているのとか、なんでこんな社会になっているのとか、結局堂々巡りになってしまうから、なんというか大変だなあって困ってしまった。

まあでも、不満があって、それが絶えられなくて何かできることがあるならやってしまうのが人間であって、生きているってことで、国家とか社会とかもそういった個人なり権力者なりの思いに乗って生きて死んで繋いでいくんだろうなあって思った。そんなことも書いてあった気もするし。

願わくば、いつの日かオキでみんなが笑って暮らせる未来がくるといいなあって思う。そのエピソードが描かれなかった演出に、なんやかんや作者の願いなんかも込められているのかもしれないなあって思う。

なんかよくわかんない感想になってしまったなあ。

2017-08-29

Call Me By Your Name@miffレビュー

8月29日、思ったより拡散したため追記。自分ではネタバレなしのつもりで書いて、ツイートにもそう明記してしまったが、ネタバレという言葉には個人差があることをすっかり忘れていた。ネタバレ見たら死ぬタイプの風上にも置けない。地雷を踏んでしまったら申し訳ない。配慮したつもりですが、どうぞご注意ください。太ももの話以外もします。

なにせ太ももがすごいらしいのである

俳優アーミー・ハマーの太ももである

サンダンス映画祭直後、賞賛と祝福の声とともに、あまりの刺激のために悩殺されてしまったという感想ツイート散見されて、映画祭参加の幸運に預かれなかったファンはもどかしさに身悶えしたのであった。

Call Me By Your Name1983年北イタリアとある町のひと夏を舞台にした、二人の青年あいだの恋を描いた映画である。くわしくはimdbを参考にされたい。

http://m.imdb.com/title/tt5726616/

この映画2016年5月世界中の一部界隈にて話題になった。言わずもがなアーミー・ハマーファン界隈である。そのあまりに蠱惑的なあらすじにつられて手に取ったのが原作小説である

そんなごく軽くかつ不純な動機で読み始めたAndré AcimanによるCall Me By Your Nameだが、回顧体で描かれた物語に一瞬で虜になった。

冒頭のシーンからして心憎いのである

まりにも印象的な出会い、一生を変えてしまうたった一言から語り始められるその物語は、意識の流れを実に巧みに取り込んだ、プルースト研究者でもある著者ならではの文体で読者を陶酔させる。やがて語り手であるエリオと一体化した読者はオリバーの冷淡さに苦しみ、意外な素顔を見せられはっと息を呑み、ただ呆然と結末を迎えることになる。

ツルゲーネフの「はつ恋」やらナボコフの「ロリータ」やらをこよなく愛するわたしにとっては好み直撃ど直球であり、そのうえアーミー・ハマーの太ももやばいとあってはなにがなんでも映画を見なくてはという気持ちになった。

しかネタバレ見ると死ぬタイプオタクにつき、どうしても世界公開より先に見たいという気持ちを抑えられない。はたしてMIFF(メルボルン国際映画祭8月3〜20日、CMBYNは4日と6日上映)に飛んだのである

笑ってほしい。

かなり早い段階でチケットも売り切れ(一度キャンセルが出たが、最終的に上映日までには両日完売!)ていたため、予想はしていたが、当日は冬のメルボルンにて1時間から長蛇の列である

席は早い者勝ちなのでみんな普通に必死だ。特に二度目の上映での、劇場をぐるり半周する列は写真に撮らなかったのが悔やまれる。みんなが手の端末にQRコードを表示させ、南半球ならではの冷たい南風に身を縮めながら待機している。

2度のCMBYN上映の他は同じくアーミー・ハマー出演のFinal Portraitに参加したばかりだが、それに比べるとやや平均年齢が下がるかなという感じ。

それでも、老若男女ということばがふさわしい、実に幅広い客層。

そんなことより映画だ。ここからネタバレはなるべく避けて進める。なにせネタバレ見ると死ぬタイプなので安心してほしい。後日一部シーンバレ感想もあげるつもりでいる。万全の態勢です。

さて、本編はピアノ音楽によって始まる。

劇中曲について、MIFFのQ&Aにてルカ・グァダニーノ監督が語っていたことだが、基本的には登場人物が耳にした音楽……エリオの弾くピアノ曲ギターオリバーが身を委ねて踊るダンスミュージック家族が耳を傾けるラジオレコード……に限った、とのことである。それを知らされるまでもなく、最初楽曲から没入感があり、一息に世界に引き込まれる。

そしてオリバーが現れる。イタリア太陽である。明るい陽光主人公エリオのいる部屋の暗がりを際立たせる。

エリオを演じる当時弱冠20歳ティモシー・シャラメは終始少年健全さと病的な魅力をひとしくたずさえて美しいが、とりわけ夜、ベッドでのシーンでの肌は内部から光を放つようだった。

アーミー・ハマーが、その見せ場においてはつねにイタリア太陽に照らされて灼けたなめらかな肌とあかるい金色に見える髪を輝かせているのと好対照で、一場一場面が絵画を見るようだった。あるいは、冒頭でわれわれを一息に映画世界に引き込む、連続的な彫刻群のショットのようだ。

この対照関係意識されたものだと思う。

エリオオリバーに魅了されるのはかならず真昼の屋外だし、エリオオリバーを室内に引き込むと、オリバーは初めて(ようやく、と言ってもいい)エリオに見とれるのだ。

野外と屋内、昼のシーンと夜のシーンが交互にさしはさまれて、われわれ観客はふたりうつくしい青年に2時間超の間目まぐるしくも目移りしてしまうのだった。

そしてくだんの、アーミー・ハマーの太ももである

ももに殺されたひとびとのツイートがいまならよくわかる。

しかしいざ太もも談議をするとなると血で血を洗う戦争になるにちがいない。

短いショーツか、あるいは水着でのシーンが大半で、太ももは終始晒されているので各人のフェイバリットももがあることだろう。

マイフェイバリットももとある場面にてエリオとともに床にぺったりと座るオリバーの太ももである。だが自分多数派である自信はない。これについてはまたあとで。

オリバー原作よりもなお複雑で謎めいたキャラクターになっていると感じる。

原作では物語がすすむにつれ、読者はエリオとともにオリバーの知らなかった一面に驚かされるのだが、映画ではむしろ序盤からオリバー大人の男としての魅力と奔放な子どものような無垢さが入れ替わり立ち替わり現れてエリオないし観客を翻弄するのである

(シーンバレありの記事にでも書くつもりだが)序盤からオリバーエリオよりも幼い子どものようないとけない振る舞いを見せ、グァダニーノ監督言葉を借りるなら、エリオより「なおイノセント」だった。

アーミーハマーファンの同志は心してかかってほしい。奇声を発するか原作エリオ言葉を借りるならswoonに至らないよう上映中握りしめるなり揉みしだくなりできる柔らかい布など持っていくことをおすすめする手ぬぐいとか)

そのような差異こそあれ、アーミー・ハマーオリバー原作を読みながら夢想していたオリバーほとんど完璧に一致していた。

この結論にはアーミーハマーのじつに感情たかな目の表現が大いに寄与しているのだと思う。たとえば「J・エドガー」でのクライドトルソン役において彼が見せたような目つきだ。沈黙の場面で熱っぽく目が話す。このものを言う目がとくに生きるのは、逆説的だが目の映らない場面で、たとえば映画の中でもひとつクライマックスにあたる戦争慰霊碑のシーンがその一例だ(トレーラーにも引用されていた)。

もうひとつ、結末に近い重要な場面でピントを外したカメラオリバーをとらえる。オリバーの顔が長く映されるのだけれど、けして鮮明な像を結ばない。観客は食い入るようにスクリーンを見つめてはじめて、自分エリオと同じようにオリバーの目に浮かぶ表情を読み取りたいと熱望していることに気づかされる。

目について語るならばティモシー・シャラメにも言及しなくてはならない。

ティモシー・シャラメは今後少なからず目にする機会が増える役者だとつくづく思いしった。身体の使い方が素晴らしく、手足の隅々まで神経を張り詰め、あるいは意図的脱力し、髪の先まで演技していると感じさせる。(この先エリオ面影を振り払うのが難しいのではとも感じるが、むしろその印象を己に利するものとして使ってほしいしこの期待は報われるにちがいない)

だがなによりも、その目つきである! トレーラーにも含まれていた、踊るオリバーをじっとりと見つめるあの目が全てではない。映画から小説通底する一人称の語りが省かれているものの(あれば安っぽくなり得たと個人的には思う)それを補って余りあるティモシー・シャラメの目つき。

まさに小説が羨む技法で、文字で書かれたフィクションを贔屓しがちな身としては、こういった映画化を見せられるとただひたすらに喜びを感じてしまう。

さてトレーラーといえば、あの実に夢見心地で幻惑的で、緊張感とせつない予感に満ちた映像を、わたしだってリリース直後には再生する手が止まらなかったほど熱愛しているが、 本編とは少しトーンが違っているとも思える。

トレーラーから、そして原作から想像していたものにくらべると、より明るく、ユーモアがあり、笑いだしてしまう瞬間がある。

かなりの頻度で笑いが起こっていたが、これは映画祭だったのと、おそらく英語圏中心とおもわれる観客層も関係してくるのかもしれない。

ただ、エリオ食卓でのとあるシーンについては国内映画館でも笑いが起きると予想できる。そしてその直後におとずれるエリオオリバー官能的な接触に息をのむことになることも。(さてくだんのマイフェイバリット太腿はこの場面で登場する。すくなくとも個人的にはこの場面はお祭りだった。細いのに肉感的な大腿部に釘付けになるあまり台詞をごっそり聞き逃したのだ……)

こういった感覚の急激な転換は映画全体を通して言えることで、一瞬たりとも気を抜けないと感じた。ほほえましく口元を緩めた直後に、心臓が指でひっつかまれるように締め付けられる。

ところどころに埋め込まれた、笑える箇所について、今ふと思ったが、これは原作にて重要役割果たしているが本来映画だと表現しにくい「時間性」をどうにか持ち込もうとした結果なのかもしれない。

10代のころの恋愛とか、恋愛でなくてもエモーショナルなやりとりは当時は必死真剣なんだけれど、そのときの行動を大人になって振り返ってみると、わがことながらおかしくて笑ってしまう、あの感じがよみがえるみたいだ。

そのようなノスタルジーを引き起こす展開に身を委ねるうち、二度の上映は割れんばかりの拍手でしめくくられた。自分も同じように手を叩きながらLater、と軽やかな別れの言葉脳内で繰り返していた。原作で読んで想像していたよりもなおあっさりと、冷淡で、なのに奇妙に耳に残るオリバーの声。

一夏の客人のその挨拶を、エリオが、母が、父が真似たように、自分もつい口にしたくなるはずだ。

じつは原作を読んだ時から自分は最適な読者じゃないと思っていた。

小説として心から好んではいものの、「この物語自分物語だ」「この物語によって救われた」「こういう物語が描かれるのをずっと待っていた」と感じる人がいることを、一行読むごとに、確信し続けたからだ。

この映画現代を生きるごく若いセクシュアルマイノリティに届くことを願っている。

キャロル』がそうであったように、相手性別特別なのではなく、ただその相手特別だっただけ、ということを描いた映画。だが一方で、両親という存在の描かれ方において、この作品はこれまでのクィア作品と一線を画している。

そして、『ムーンライト』があまりにも普通恋愛映画であるという事実特別だったのと同様に、Call Me By Your Nameエリオの一夏の恋愛は美しいと同時に「ごく普通青少年悶々とする」という部分が色濃くて、その事実をとにかく祝福したい。

自分はこの映画クィア映画だとは思っていないのだとグァダニーノ監督がQ&Aで語っていたが、この言葉がすべてだと思う。

10代の頃に出会ってたら人生が変わっていたなと確信を持つ映画はいくつかあるけれどCMBYNはそのトップに躍り出た。

現在のところレーティングはR18のようだけれど、そこまで直接的なショットはなかったように思う。

何かが起こったこと、そして何が起こったかから目をそらすという悪い意味での曖昧さは無いが、物語破綻させないように、そして必要以上にセンセーショナルに煽らないと努めての結果なのかもしれない。

からこそ、PG12かR15バージョンが作られるといいなと思っている。エリオと同年代の、この映画肯定感を本当に必要としているひとたちに見てもらいたい。

キャストきっかけに興味を持ったCMBYNだが、自分の中にそびえる金字塔を打ち立てた。日本に来た時にも従来の俳優物語ファンに愛されるのはもちろん、新しい映画として多くの観客に愛してほしい。そして本当に必要としているひとにぜひとも届いてほしいと思う。

ちょうどこのレビューを書いている最中8月23日)にMIFFの観客賞が発表され、Call Me By Your Nameが晴れて1位を獲得した。http://miff.com.au/about/film-awards/audience#

もちろん自分も最高点の星5つで投票したし、あの盛り上がりを考えると納得の結果だ。

アジア内では台湾映画祭での上映が決まっているCMBYN。東京国際映画祭に来ないはずがない、と信じている。

お願いします。

邦訳本もどうぞよしなに。

2017-08-18

会社を辞めて転職した

https://anond.hatelabo.jp/20170204103326

https://anond.hatelabo.jp/20170211131449

今の会社に入って2年ほど、入社から大小様々なことがあり、正直言ってすぐに転職しようかどうか悩みながら働き続けてきたのだけど、とうとう転職することにした。

ちょっと前の話題だけど「無能と思われたら職場を変えたらいい」のエントリーには精神的にずいぶんと助けられた。

職種仕事の内容は違うけれど、実際に自分転職回数が多く、エントリーの内容には共感できるところもあり、身近に同じような考え方の人があまりいなかったため、自分以外のこういった考え方に触れられて新鮮だった。

実際には、このエントリーを読んで「よし、もうちょっと頑張ってみよう!」という気持ちになって頑張ってはみたものの、やっぱりダメでその後1ヶ月ぐらいで本格的に転職活動をすることとなった。

時間はかかったけど、幸いなことに転職先は決まりました。

今まで大病を患ったこともなく、身体は丈夫な方なんだけど、20年近く社会人として働いてきて、初めて身体に症状が出てしまった。メンタル的にもそれっぽい症状が出てきていた。

ちなみに野菜もとってないし瞑想運動もしていないけど、それらをすれば乗り越えられたかどうかというのは怪しい。

働く環境というのはとても大事で、実際に仕事ができない訳でもないのに周囲から評価が低いと、それに影響されて自分自分のことを「仕事ができない」と自己批判的になったり、卑屈になってしまう。

自分というものをそれなりに確立していたつもりではあったのだけど、それでもダメな時は本当にダメになるんだなと身を以て経験した2年だった。

そういった環境においても、何かしら誰かしらどこかしらに救われる要素があればいいのだけど、実際にはそういった要素もなく、周囲が全て敵に見えてしまうという状況だった。

自分としても良くないし、まぁ周囲に対しても良い影響は無い。

そういった状況下において、このエントリー出会えて本当に感謝している。

そんな中でもいくつか学んだことがある

実際のところ鬱屈している状態では考え方を切り替えることすら難しくなるけど、そこは最後の砦として頑張るしかないと思っている。

それが崩されると本当に倒れてしまいかねないのだから

振り返ってみると、会社とは何か、仕事とは何かを考える二年間だった。

自分能力経験上司会社のせいにするのは簡単だけれども、誰かのせいにしても意味がないので、さっさと辞めて次に行くのがベターな行動だとは思う。ただしベスト選択肢では無い。

もう少し自分のことを書く。

実は転職先では役職も付いて年収ちょっとだけ上がった。

こう書くと「仕事が出来るんじゃん」と思われるかもしれないけど、評価をする人が変わる・見方が変わるとそういうこともあると思って欲しい。

もちろん会社フェーズや状況によっても大きく変わる。

要は一場面で無能認定されても、職場仕事見方が変わると無能ではないということ。

最後

仕事で悩んでいる人、会社で悩んでいる人がいたら、少しでも転職の後押しだったり気持ちの入れ替えになってもらえれば嬉しい。

かくいう自分は未だにこの呪いが解けないで時々苦しくなるので、呪いにかかってしまう前に(自分でかけてしまう前に)、頑張れる内に頑張って欲しいのです。

20200122追記

後日談を書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20200121231521

後日談最後の方にも書いたんですが、働くのがツライ・転職活動がツライ・色々悩んでいるという人にとって、ちょっとでも気持ちの整理や気分転換につながったりしていれば本当に嬉しいです。

身近な人も2年ちょっと前のこの記事を読んでいてくれたと知ったのもあって、20201月早々から嬉しいなという気持ちになっていますありがとう

2017-06-25

不登校がいつまでたっても認められない理由

よく「不良が更生したのを褒めるのは間違い」「更生するのは当然のこと」みたいな意見こち亀一場面を提示しながら言う人間がいるじゃん。

それと同じで不登校学校に行けるようになって初めてまとも扱いされてる気がする。

まとも以下なんだから学校に行けるようになったり社会に出て働くようになっても別に褒められない。

だってまともになっただけなんだから。それが当然なんだから

そういう認識大人が多いか不登校悪者扱いされてるんじゃないのかな。

2017-06-07

http://anond.hatelabo.jp/20170607090037

あくま現代日本語では、と前置きするけれども、「違和感を感じる」はまだ場面を選ぶ表現なのだ

日常会話で「違和感を感じる」と言われてもどうとも思わないが、小説の重苦しい雰囲気一場面で違和感を感じると書かれたら興ざめしてしまう。

2017-05-31

小学校英語教育改革案

単語文法に触れる前に、本物の英語を知る必要がある。教科書に書かれているI have a penのような文ではなく、実際に使われている英語から、その意味体感させる。単語文法による分解は、まず英語を知った後でいい。

子供の気を引くためには、やはりアニメだ。シンプソンズのような良質のアニメ国家予算で買ってきて、編集して教材にする。アメリカらしい、ナマの英語を感じてもらう。

しかしま発音が難しすぎて聞き取れないので、ゆっくりはっきり喋るように音声を再録してもらう。語彙レベルギリギリまで下げる。英語では(日本語でもそうだが)、難しい語彙も基本語の組み合わせでほとんどは表現できる。

小学校で学ぶべきは、give, take, get, go, makeのような横綱級に使い倒すことになる基本動詞達や、on,off,in,out,with,withoutといっ前置詞、副詞達、do, have, can, could, will, would, should, must, have to, be going toといった頻出助動詞、where,whenのような5W1H、this, that, it, a, the,といった基本語達を感覚で捉えられるようにする。これらは理屈では難しく、幾つもの実例に当たって感覚を磨かなければわからない。さらに、句動詞としての意味の変化や、頻出イディオムなど、理屈を覚えると逆になんでそうなるのかわからないものも、フレーズ単位で丸暗記させ、アニメのシーンとフレーズを関連付けて覚えさせることで感覚的に理解させる。

You can say that again(もう一度それを言っていい→全くその通り) 大人になってから真面目に英語勉強を始めてすぐ、このフレーズに触れたのだが、その時の衝撃は計り知れなかった。なんでこれが「全くその通り」になるのか、あまりに納得いかなくて寝込みそうになった。

しか英語勉強を続けるにつれ、そっちのほうが英語本質なのだと思うようになった。英語字面にそんなに意味がないので、とくに口語では、なんでそうなってるのかさっぱりわからないイディオムが大量に出てくる。単語文法にこだわるより前に、まず英語のいい加減さを受け入れなければならない。

I'm onto you(お前の企みを知っている)、He is up to something(彼は何か企んでいる)、You can't get away with it(その罪からは逃がれられないぞ)、You bet(まかせろ/どういたしまして)、I mean it(俺は本気だ)、頻出慣用表現小学校時代に全部見せて覚えてもらう。

そして、小学校時代に鍛えておくべきは発音だろう。まず発音記号を覚えさせる。教えられる先生がいないかもしれないが、真面目に教材を見ながらきちんと正しい口の形を練習すればすぐできるようになるはずだ

https://www.amazon.co.jp/dp/4816344640

この本のDVDは役に立つ。Rの発音はこのやり方ではダメだが、そこはYouTubeとかでやり方を探してちょっと練習すればあっという間に発音は良くなるはずだ。

まずアニメを、英語字幕つきで見せる。意味が分かるということはないだろうが、長い単語も一瞬で捉えて認識する力が速読には不可欠だ。英語字幕を追っていれば、その能力は否応なく鍛えられる。

英語字幕名詞冠詞を緑、助動詞ピンク動詞を赤、前置詞をオレンジ副詞を青、形容詞黄色接続詞関係詞は白、強く発音する単語は大きな文字、弱いところは小さな文字、修飾節はメインより一段小さい文字にする、イディオムは斜体にする、といった工夫をこらす。最初意味がわからないだろうが、いずれ実際に英文を読むようになった時に、品詞ごとに色がついて見えてくるだろう。

まずは一周、楽しんで見終わる。5分ぐらいの長さを想定している。どういうストーリーだったか児童たちに推測で話をさせ、答えは言わない。

このためには、英語がわからなくても映像だけで楽しめるようなアニメでなければならない。シンプソンズのそういうエピソードを使う。

そして二周目に入る。今度は発音記号字幕にする。色分けや大小などは英語字幕に準じる。キャラクターが喋るごとに一時停止していくモードにする(この教育法には 高度なシステム必要である教室の前方にはみんなに見える大画面があり、さら児童1人ごとタブレットを配り、作り込んだ英語学習アニメアプリを使うことを想定している)

大画面でアニメ再生し、キャラクターが一文を話し終わるごとに、発音記号字幕を見ながら、みんなでアニメ声優の真似をして発音する。日本人英語先生では本当の英語発音を教えるのは無理なので、ネイティブ声優を真似る。

発音が終わったら、さて、ここでなんと言ってるでしょう?と児童の一人に聞く。適当な推測で構わない。推測が感覚を磨く。

さあ、答えは何でしょうか、といいながら次に進むと、日本語の答えが表示される。それと同時に、英語字幕のルビ部分に単語イディオム意味日本語で表示される。一画面に日本語英語とルビの日本語が出てくることになる。

それで最後まで進んだら、三週目である発音記号字幕とともに、キャラクター一言喋るごとに発音するところは同じ(さすがに退屈するかもしれないので、3週目は発音練習飛ばしたほうがいいかもしれない)。その次は英語字幕と、ルビ部分に単語イディオム意味日本語で出てくる。

さて、このシーンはどういう意味だったでしょうか。児童全体に問いかける。単語イディオム意味日本語を見て、児童の1人が先程見た正解を類推で思い出して大きな声で言うはずだ。その後、日本語の正解が出てくるので、みんなで正解を言っていく。一体感の中で、英語ができているような気分がするだろう。この過程日本人英語コンプレックスは溶け去るはずだ。

次は個人学習うつる児童一人一人のタブレットで、アニメを見させる。先程のように、英語字幕一場面ごとに再生が止まる。

単語イディオムタップすると、4択で意味を答えるクイズ画面になる。答えを思い出して選んでいく。間違っていたら即×がつくので、4択の他の選択肢タップして正解を探す。正解だと単語イディオムのルビに正解の日本語が表示される。全単語意味を正解したら、文全体の意味も4択から選ぶ。アニメ全部を正しくタップして日本語意味を取れたら、ご褒美として日本語字幕アニメを見られるモードがアンロックする。これでおそらく、授業時間中に終わらなくても、家に帰って自らアンロックのためのタップ作業をし、ご褒美の英語音声日本語字幕も家で見るようになるはずだ。

ルビから単語イディオム訳語を覚え、訳語の羅列から文全体の意味を推測する。この作業を繰り返していけば、確実な英語力の向上が見込める。

それとともに、英語音声を発音記号レベルでしっかり認識し、強く発音する所弱く発音する所を字幕からビジュアルに知って真似することで、音声的な部分も強化できる。リスニング力もかなり強化されるはずだ。

学年が進むに連れて、内容を高度にし、発音現実のものに近づけていく。本物の役者を使ったドラマも入れていく(これはセリフを録り直して編集しても口がシンクしないので、新しく作らなければならないだろう)。

小学校卒業時には基礎的な語彙と、感覚的な英文読解法が身につき、TOEIC400点ぐらいには至っているはずだ。ここまでで読書のための基礎が身についたことになる。

http://anond.hatelabo.jp/20170531191820

2017-03-15

漫画はほのぼの系も猟奇系(最近デスゲーム多い)も読むけど

ふとほのぼの系の一場面(女の子達の会話とか)思い出した時に猟奇が混ざる

会話してる横から突然ナイフ持ったやつが出てきて刺すとか

そこは分けとこ、俺の脳みそ

2017-01-12

読売新聞コラムスタルヒン讃えてたけどさ

てめえんとこの読売新聞社主兼A級戦犯CIAスパイ原発の父の正力松太郎国外追放ネタ脅迫して無理矢理巨人入団させたんじゃねーか

そんで戦争になったら追放、他の球団で復活したので巨人が訴えてその後謎の死。間違いなく正力が殺してるだろ。

あと契約費が朝日誤報とか騒いでたけどさ、一場栄養費200万渡してた前科があるし笠原の野球賭博と原の一億は誤報じゃねーだろ

お前ら信用できねーんだよさっさと解体されろヤクザ球団

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