はてなキーワード: 一喝とは
「早く出しなさい!!!!」
「ほら早く行けよお!!!!!!!後ろ詰まってんだよ!!!!」
突然大声が聞こえて何事かと思ったら、自転車に跨った20代中盤くらいの若いひょろっとしたメガネの警察官が、まさに客を降ろしたばかりで停車中のタクシーの窓に顔を近づけ、運転手に対して大声出して高圧的に怒っていた。
後ろにはトラックが1台。
釣り銭箱みたいなの持って運転手がアタフタしてるのがチラッと見えたから可哀想だった。
そしたら後ろから歩いてきた通行人の兄ちゃんが、警官とすれ違いざまに
「自分より弱そうなので度胸付けてんじゃねえよクソポリ!!!!!!!!」
と思いっきり罵倒してて(クソポリ、という生まれて初めて耳にする単語の響きも相まって)かなりの衝撃を受けた。
警官は一瞬ビクッとしたあと結局その兄ちゃんに何一つ言い返せず、再び自転車をこいでバツが悪そうに去っていった。
、反社まではいかないけど鼻っ柱が強くて悪そうな雰囲気の人だったから、まあ何も言えなかったんだろなと傍から見てた俺は思った。
実際のところ、町で自分より弱そうな奴に向かって言って高圧的に接して度胸をつけろ、みたいなマニュアルはキャリアの浅い警察官にあるんだろうか。
すいません、ちょっと長いんですけど書かせてください。
高校の頃、英語の授業に20代前半の結構イケメンなアメリカ人教師が来た。授業は一人一人アメリカ人先生に名前を呼ばれ、前に出てマンツーマンで話をするっていう形式。先生には授業前に生徒の名前をローマ字に直したプリントを渡してた。
授業が始まると片言の日本語で挨拶をする先生に女子連中はキャーキャー言っていたけどそれを結構厳しい口調で注意するような真面目な先生だったので、みんな真剣に授業に臨んでた。
授業は順調に進み、結構人気のあった女子の「新保(しんぽ)さん」の番になった。先生はそれまでやってきたように大きな声で彼女の名前を呼んだ。
生徒は一瞬凍りついた。教室にいた全員が瞬時に「笑ってはいけない!」と思った。でも、たぶん「シンポ」と言っているんだろうけど、どう聞いても日本語の「ちんぽ」だったし
「それまで片言だったのに、なぜよりによって
「ちんぽ」の発音だけがこんなにもネイティブなのか」とか「なぜか「ちんぽ」に敬称を付けている」とか考えだすとみんな耐えられなくなった。
結局新保さん以外の全員が爆笑。新保さんは顔を真っ赤にしてうつむいていた。
その様子を見ていたアメリカ人先生は状況が飲み込ていないようなのだが、生徒の一人がみんなの笑いものになっている状況だけは理解できたのだろう。突然般若のような顔になりその爆笑をかき消すかのような大声で「シャァァラッップッ!!」と全員を一喝した。その表情とテンションの凄さに、教室は水を打ったように静まり返った。しかし先生の怒りのボルテージは上がったまま。
新保さんの肩に手を置くと「ナンデ?ナンデミンナちんぽをワラウ?ちんぽガナニカシタ?」
全員が「まずお前のせいだ。あと男性生殖器の名称を連呼するのをやめてください」
と思っていたと思う。
その後、慰めようとしたのだろう、先生はやさしい口調でうつむいて座っている彼女に語りかけた。
新保さんも笑った。
昨日の話。
「元」なのはコロナ自粛無視して銀座で飲食したのがバレて批判受けて離党したから。
同じ立場の自民議員がほかに二人いたけど松本純は最初全部私です一人ですと言って
前途ある2人をなんとしても庇いたかったとか言ってそれはどうなんだ
男気があるという評価と取り調べに嘘つきやがってという評価が支持者の間でも半々て感じ。らしい。
しばらく時間空けて改めて地元の自民党かなんか通して詫びを入れて復党願を出したけど拒絶された。
離党後まもなくyoutubeチャンネルに安倍晋三が出てきたりして
そういうわけで昨日の夜七時からの駅前演説にも麻生太郎が応援に来た。
時間つなぎをしてるのは地元の自民党市議で、沢山いた緑のジャンパーはたぶんいつも通りの自民党スタッフ。
人だかりが凄くて交通整理のスタッフは沢山働いてたし報道陣もかなりいた。
どうでもいいけど一番高いカメラを担当してる若い女性カメラマンが脚立の天板に乗っててすごく怖かった。
それでまあ麻生太郎が出てきただけでなんかスター性があるから盛り上がるし
安倍が最初の応援先に選んだのも松本純の神奈川1区なんですとか言って
松本純が言うのも「あんなことをした反省で自民党にはいられないから離党したけど身体のどこを斬っても自民党の血だ」と。
麻生太郎も「私が一番信頼しているのは松本純です」とかそういう方向で場を温めてから
ポンポンとわかりやすく政策の話をして厳しい状況だから皆さんの力がいるとか
自民は野党に落ちたりしながらずっと国のかじ取りをしてるし今も上手くやれているしこれからなんだと。
https://www.youtube.com/watch?v=dunXIi4Fucc
それでその場所に同じ日の9時ごろに通りかかったら
そばにバンがあってのぼりも立ってるとこまでは松本純と同じなんだけど
あまりにも寂しい。
イライラとしたすごく嫌な感じの言い方で立憲がなっとらんところをグチグチ言って
あとは共産党とちゃんと連携せんかということを何度も何度も言ってました。
暗くて人通りもまばらな駅前の通り道に老人の不機嫌な罵声だけが響き渡っていました。
この話の要点が分かるでしょうか。
能力にではありません。
「掴んでる客層」にです。
こまけーことをグチグチ言わずに「私達の純」「俺達の太郎」で盛り上がってくれる幅広くネアカで知り合いの多そうな支持者。
注文ばっかり多くて不機嫌でネクラで絶対友達が少ないタイプの狭い支持者。
松本支持者がもしも前者みたいな理由だけで投票してたらそれは大変困るんですが、
客として支持者として質がいいのは明らかに前者です。
一方で、野党として冷や飯を食べてる時代が長いとどうしても後者のようなタイプが身の回りに増えてしまいます。
でもイライラ古参左派ジジイの長い説教をハイ、ハイ、と聞いて貴重な時間を絶対友だちもいない偏屈ジジイの1票に変えてても勝てないんです。
そういう嫌な感じの気難しい常連古参みたいな奴は近寄ることすらできないようにして、明るい支持者の輪を広げないといけないんです。
声に出して「うるせえ!ジジイ!」と言えば晒されるリスクがあるからダメですが
心の中で「うるせえ!ジジイ!」の精神は持っていてほしいのです。
あんな奴の話なんか切り上げていいんだよ横で聞いてるだけでも話がループしてたし礼儀がそもそもなってないし。
だからはてなサヨクも喜んでいいんじゃない? まあはてサのリアクションなんていちいち見てないから知らないけど
反新自由主義って言われてもネットだと竹中アンチが竹中の言うことに文句つけてるだけなんで、まあ竹中が切られた時点で目的達成だわな。だってこいつらアンチ竹中なだけでそれ以上のビジョンとかないし
(岸田はちゃんと政策あるだろうから竹中アンチ以外も心配する必要はなさそうだが)
んでもって、竹中を切る時点で安倍とは人事のやり方が違うのよ。安倍は竹中みたいに放っておくと責任取らなくていい立場から好き勝手言う奴に対して、名誉職を用意して責任はあるけど権限はない立場に押し込めるやり方なのね
政治家に対してもそんな感じで、普通は邪魔な派閥の有力議員とか冷遇するけど、安倍は逆に権力はあるけど仕事の難易度高いポストを押し付けるのね。石破に安保法制の時の防衛相やらせようとしたのが典型(ここで逃げるようだから石破は総理になれないんだよなぁ)。失敗して失脚するもよし、実力を見せて片づけてほしい難題が成功するもよし。しかも難しい仕事を抱えてるからやらんでいい余計な事する暇ないっていうね。まだ若い小泉Jrに環境相やらせたのも似たような話で、見事小泉Jrは馬脚を露し始めたわけだ
んで一方の岸田、小石河連合をあからさまに冷遇。安倍と同じやり口だったら河野にもっとまともなポストを用意するんだよな。環境相に据えて河野自身のものとは異なる岸田路線のエネルギー政策を実行させる踏み絵とかやる
とはいえ河野を広報担当にする采配はそれはそれで面白いんだよな。おめーはせいぜいネットに強い(笑)のを生かしてツイッターでもしてろって皮肉もあるけど、菅政権が潰れたのは発信力が弱くて着実にワクチンで成果上げてるのをアピールできなかったのが致命的だったわけで
まあ河野は石破や小泉Jrと違って普通に有能だから、色々何とかするでしょ。とはいえ高市がネットの限界信者に対して他の候補の誹謗中傷は止めろって一喝したくらいのレベルのことは最低限出来ないと駄目ってハードルが出来上がってるけどな。それとネットだけじゃリーチできない層にどう対処するかも見ものだな。最近自衛隊の集団接種会場がガラガラなあたり、多分ネットだけだと情報が十分広まらない
つい先日、ボーイズラブ研究家・金田淳子氏のある呟きがちょっとした炎上騒ぎになった。
週刊少年チャンピオンという漫画雑誌で連載中の板垣恵介氏による漫画作品「グラップラー刃牙」シリーズ、
その中でも高い人気を誇るキャラクター「範馬勇次郎」が一般人に性暴力を振るうというショッキングな事件が起きたのだ。
金田氏のみならず、この展開にはネット中で「刃牙シリーズ」ファンの動揺が見られた。
「勇次郎はそんなキャラじゃないだろう!?」「板垣先生は勇次郎をどうしたいんだ!」など、怒りと悲しみの声があちこちのコミュニティで観測された。
金田淳子氏も「刃牙」のスピンオフを手掛ける程の「刃牙シリーズ」のファンであり、この展開には悲しみを感じずにはいられないようだった。
今週のバキ道読んだんですけどね…。
あと不幸にも襲われた方にも伝えたい。男性に襲われるのは「女の部分がある」からではありません。社会的なジェンダーの呪縛でそう思ってしまうのはわかるのですが、女性は「男性に襲われる性」ではないからです。
(※原文ママ)
この呟きが、荒れた。「範馬勇次郎が他者をレイプした」という事件の話題性もあり、小規模な炎上に近い状態になった。
「またフェミニストが~」
「今更勇次郎に対してそれ言う?」
要は、「少年漫画をBL的な目線で楽しんでいるフェミニストが少年漫画に口を出すな」「勇次郎は元々犯罪者なのだから今更レイプくらいで騒ぐな」という事なのだろうか。
この事について、自分としては納得が行かない…という気持ちが無い、と言えば嘘になる。
フェミニズムという男女平等を目指す思想を持ち、またボーイズラブを愛好する人間が少年漫画について何か意見してはいけないのか?
犯罪者のキャラクターが作中で性暴力事件を犯した事に対して遺憾の意を持つ事はいけない事なのか?それは違うんじゃないかなぁ…と、思う。
漫画雑誌というのは誰が読んで誰がどんな感想を抱いて意見を発表しても良い筈だし、犯罪者なら犯罪を犯しても仕方ないでは納得行かないと思っても良いのではないか。
この事について、「金田氏はかつてキャラクターがレイプされる展開を嗜好している発言をしていた」として反感を示している人も多く見られた。
つまり、レイプという展開を娯楽として消費した事がある人間は、レイプに対して嫌悪感を示す事は許されない、それは矛盾している。と言いたいのだろうか。
これもどうも0か100か、白か黒かという極端な考えだなぁ、と自分は思う。
頭の中であるシチュエーションが好きだという事と、現実でそのシチュエーションを好んでいるかは全く別の問題ではないか?
が好きな人は現実でも異性から強引に乱暴な事をされたいとでも思っているのだろうか?他人にレイプされる妄想をした事がある人は、被レイプ願望があるとでも言いたいのか?
好きなBLモブおじさんは、路地裏に複数で生息していて、火照ったカラダをもてあました受けがそこに迷い込んでくると、「上玉じゃねぇか」「いいケツしてやがるぜ」などほめちぎり、一糸乱れぬチームワークで(※脳を共有している)、受けをもてなして絶頂に導くモブおじさんです
~(中略)~
私のこういう発言をたまに「レイプを受容している」と言って嬉しそうに指摘してくる人がかつていたので、無粋ながら一応書き添えますが、「創作」の話ですよ! 「現実」の性暴力(痴漢やレイプなど、相手の同意を得ない性行為)はダメ、絶対!
続 さらに、過去にツイートしていた、私の好きな「受けが路地裏でモブにもてなされる」レイプ妄想ですが、これは非常に言葉足らずなものでした。詳しく言えば「受けも実は求めている」という気持ちがあり、実質和姦、という現実にはありえない妄想です。(現実にはありえないからこそ妄想と書いてます)
(※原文ママ)
が、こうやって一連の呟きを見ると「性的な事を望んでいる人間が性的な事をされる妄想は好きだけど、現実での性暴力は絶対にダメ」という金田氏のスタンスは一貫していると思う。
正しく金田氏が言うように『「レイプを受容している」と言って嬉しそうに指摘してくる人』が噛み付いているのだなという印象を感じずにはいられない所があるかなぁ。
「不特定多数の相手と合意の上で性的な事をしたいキャラの妄想」と、「強者が相手の意思を無視して性暴力を振るう事」は、似て非なる、どころか全く別の事柄である。本来混同のしようがない。
刃牙はもともと、極端な「男女二元論幻想」を立てていることはわかっているのですが、同時に「闘い=セックス」という見立てにより、「男女のみがセックスする」という二元論をすり抜ける部分も持っていたはずです。しかし今週のバキ道は、男性同士の性すら二元論で語っていてもやもやしますね。
こういう内容の時だけ「フィクションに何言ってるの」ってわざわざリプつけに来る人がいるけど、フィクションを本当に愛してるからこそ、度を越したときはリアルと同じように批判をするに決まっているでしょう? そもそもフィクションを全く批判しない人なんてこの世に居る?
今週のバキ道はあくまで「キャラによる語り」なので、板垣先生の意見だと言えないことは踏まえたうえで、「週刊少年チャンピオン」を読む男性の中に「男性に性暴力を受けた経験がある人」が居ないとでも思っているのでしょうか。その人にとって今週のバキ道は呪いになるのではないでしょうか。
今週のバキ道は、「究極に雄度が高い勇次郎から見ると、他のあらゆる人間(男性も)は異性」という極まった二元論幻想と、勇次郎にレイプされたことのある男性が誰にもそれを話せず、自分が男であることを確認したくて登山家になったという話です。前半はおもしろ話として読めるけど、後半がね……。
もちろん「書き直せ」とか「回収しろ」などと思っているわけでは全然ないので、私個人の立場から、自由に批判を書いております(もともと私の刃牙エッセイ本の中でも、特に範馬勇次郎の言動について強く批判してることは読んでくださってる方は知っていますよね)。
(※原文ママ)
自分は週刊少年チャンピオンを購読している訳では無いので、「バキ道」のその回については詳しくは語れないけれど(チャンピオンには好きな作品も多いのでチャンピオン・コミックスは何冊も持っています)
と強迫的なマチズモとミソジニー、自暴自棄な思想に誘導する可能性もあるかもしれない、呪いに成り得る。
また、金田氏が刃牙のスピンオフを手掛けているからこそ「看板を借りているくせに何様のつもりだ?」と氏を攻撃する人も少なからず見られた。
それもおかしいと思う。親しい人がおかしな事をしたら、周囲の人はその行いを指摘せずに口を噤まなければいけないのか?
「まああの人のやる事だし…」「自分は作品を貸してもらっている側だし…」と「立場をわきまえて」「わきまえる女」である事、が本当に正しい事なのだろうか。
それは違うんじゃないか?それは間違っているんじゃないか?と自分が思ったのなら、例え親しい相手でもちゃんとその感想を伝える事こそが、正しい事なのではないだろうか。
「男性だけど男性に性暴力を振るわれ自分の中の『女性』を意識した」
という「刃牙シリーズ」の男女観は、確かに金田氏が指摘するように正直言って…古臭い、いつの時代の考えだろうか…?という感覚を抱かずにはいられない。
そういう意味では、以前金田氏が言ったように「凶悪な男性犯罪者が意図的に少年を性的な対象と意識し強姦した」エピソードを1992年に少年誌で描いた「ジョジョの奇妙な冒険」は非常に先進的だったと言える。
「ジョジョ」ではその凶悪な男性犯罪者は、文字通り「死ぬより酷い生き地獄」を半永久的に生き続ける事になり、キッチリと自分が犯した過ちの報いを受けている。
対して、「刃牙シリーズ」の人気キャラクター・範馬勇次郎は文字通り「刃牙」という作品の中で最強の人間であり、地上最強の生物という異名を持つ格闘家である。彼が犯罪の報いを受ける事は、決してない。
決して誰にも報復されない、一方的に暴力を振るう側である「加害者」の範馬勇次郎に、「刃牙シリーズ」の一ファンである金田淳子氏が苦言を呈したくなった気持ちを、自分は分かる。そんな日記でした。
【追記】
あまり本題とは関係ないかもしれないけれど、自分が好きな言葉を二つ最後に書き足します。
批判されているのは、BLレイプを無邪気に肯定する一方で少年/青年漫画におけるラッキースケベやご都合描写は糾弾する姿勢。氏の主張に則ればバキもゆらぎ荘も「本当は受け(女性)の希望だからOKです、以上」で終わる。
少年/青年漫画におけるラッキースケベやご都合主義はそのまま現実でのセクハラや性暴力に直結する可能性が高い前提が忘れられてるような…
AVやエロ漫画で女体の扱い方を理解した気になって、女性は乱暴に扱えば自然と気持ち良くなる物だと思っている男性が恐ろしい事に冗談じゃなくゴロゴロしているこの世の中だし
少年誌・児童誌などでスカートめくり、痴漢などのセクハラ行為が行われる→それを見て「よし、やってみよう!」と即決する小中学生男子は少なからず居る、だからこそゾーニングは大事ですよね
「刃牙シリーズの男女観はこうなんだ」と決め付けるの辞めて貰えますか?なんで一部の人の意見を真理のように考えるのですか?それはコンセンサスを得られた意見ですか?
決めつけるとかではなくて、刃牙シリーズの男女観はむしろ刃牙を読んでいれば自然と伝わってくる物だけど思うけど…
男性側が常に強者で女性を選び女体を食らう側で、女性は出産の経験の有無に関係なく男性の癒しである母親としての役を背負わされ、主導権はいつも男性の側に有り女性はいつも選ばれる側であるような
自分の側から男を選び抱いてやった、というような女性が良くも悪くも「刃牙」シリーズには居ないんですよね…餓狼伝に出てくる数少ない女性キャラ達も「選ばれる側」で、男にはレイプされ、息子を慈しむ母でしたし
あ、餓狼伝なら安原健次の彼女さんは「お前ら男二人が勝手に私を賞品として喧嘩すんじゃねえよ!」って男達を一喝した強い女性だったかな?
それを言うと「BLが」作品レイプというか…「二次創作が」原作レイプなのでは?
BLは創作だからレイプもオッケーって人が創作のバキ道に文句つけてるからなんで?ってなってるんでしょ。そこのところ混乱しなかったの?
個人的に金田淳子氏の主張は一貫してると思ったのでそこのところは混乱しませんでした。
金田氏の好むBLは原作が存在する二次創作で、商業誌で発表されている一次創作の商業作品との影響力は段違いですから…漫画雑誌に載っているプロの漫画と自由帳に描いた自作の漫画くらいには印象が異なるのかなと。
「刃牙」シリーズは四大少年誌というメジャーな雑誌で連載されている上、格闘漫画という題材もあって今時珍しい程「男らしさ」に拘ってますから…男性読者当事者への影響力と反響は凄まじいでしょうね。
【追記2】
自分の素直な感覚と感情には正直になった方が良い、という持論を自分は持っている
理屈と自分の感覚・感情は時に相反する事があるけれど、その時理屈を優先して自分の正直な気持ちを押し殺すと、後で辛い思いをする物だから
メイキャッパーとか読んだ?
わー懐かしい!「メイクで美しくなる」ってテーマに惹かれて昔読みました!
実際の内容は想像と大分違うというか…初期のグラップラー刃牙の前身というか、トンデモ料理バトル漫画の料理要素がメイクバトルになった作品と言うか、面白かったですけども
【追記3】
よく「お気持ち」という言葉が他人の意見を揶揄する時に使われるけれど、感情から発せられる意見が悪い物だとは自分は思わない。
義憤というか、何かに対して「それは間違っている」という意見を発する活力になる物は、その「お気持ち」と揶揄される感情以外にないのではないだろうか。
実際には改心しないんだよね。
その入道は子供の味を覚えて食べるうちに姿形が鬼畜になっていったんだけど、僧に弟子入りして一からやり直したいといったわけ。でも師匠の僧が三年くらい経ってその場に戻ると、弟子の入道はまだ石の上に座禅を組み唸っている。ともかく入道は昔食べた子供の味が忘れられない。僧は入道の煩悩に業を煮やして、まだ悟らぬか! と錫杖一喝すると入道は肉片となって飛び散ったという話。
昔は残酷な話だと思ってたけど、変わらないやつは死ぬしかないという感覚は今ならわかる。お前もういらないから、という気分になる気持ちもわかる。そして変わらないやつほど言い訳が多い。何かあるたびに言い訳して他人のせいにしている。問題を指摘すると自己憐憫に走って哀れみを乞おうとする。こっちとしては改善の二文字し頭にないのに、自分のことばかり気にかけている。やれ自分は惨めだとかこんな目にあっただとか。知るか、としか言いようがない。そんな話どうでもいいから結果を見せてくれと思う。何の魅力もないやつの自分語りほどうざいものはない。
生命保険に入っているのだが、毎年この時期になると契約の確認がある。
わざわざ営業が出向いてきて、現在の契約状況の説明や新しい契約の提案など一般的な営業を受けるわけだ。
長年使ってきて人生の節目で契約内容の切り替え、個人年金や学資保険などお世話になっている。
こっちとしては毎年確認や説明が入り、売りっぱなしの放置されているような感じではないため安心できていたのだが、突然今までの担当とは違う営業が電話をかけてきて現在の契約状況の説明を直接したいと連絡があり、自宅に招いて例年通りの打ち合わせをして終わったのが先月の中ごろ。
きちんとしたスーツではなく普段着のような恰好で現れて良くしゃべり、色々な商品を強めにゴリ押しする営業でイマイチな印象だった。そもそも今まで担当してくれていた人の話が全くないところにモヤモヤしてとても信頼していいような雰囲気では無かった。
そんなおり、今までお世話になっていた担当の営業が例年の契約状況の確認をしたいので家に伺いたいと電話を受けた。
なんじゃそりゃ。
その直後に先日家に招いたゴリ押しの営業が、前回話をした商品の事をお話ししたいとぬけぬけと電話してきたので、頭にきて一喝した。
「なぜ私は違う営業に同じ話を伺わなければならないのか?それは客の私にも営業的にも時間的ロスなのでは?」
「今までの営業とはどういう話をしているのか?きちんと引き継がれているのか?」
「私の担当者はいったい誰なのか?コロコロと変えているのか?」
「私に何かがあった時は誰が責任を持って対応してくれているのか?」
こちらも冷静に問いただしてみたが合理的な回答は得られなかったのでダメな営業と見切りをつけた。
自動車ディーラーの営業ですら担当から外れる時は直接本人かその上司などから話をきりだされ、後任の挨拶まできちんとあるのに、生命保険会社の営業がこんな顧客に対して杜撰なやり方をしていることに憤りを感じた。
直接対面で毎年契約内容の確認をするのは保険会社と被保険者の信頼関係を強くするためという風に聞いていて、わざわざ時間を合わせて自分の妻も同席させて契約内容を確認していたのは、万が一自分が何かあった時に顔見知りの営業が事後処理を責任もってやってもらう方が家族にとっても安心だろうとの為だった。
はっきり言って「対面で契約内容を確認する」という手段を用いて新規契約を獲得するために割り込んできたとしか思えないのである。
自分にではなく妻本人の保険をしつこく薦めてきたのが何よりもの証拠と判断した次第だ。
とてもじゃないが短絡的な営業成績優先な上に違う営業所に所属する営業同士が共食いをしているようにしか見えない。
俺が保険に入った時はこんな感じじゃなかったんだけどなぁ・・・。
正直こんな保険会社ならネット保険でポチるだけで十分だったが、すでに社会人になってから信頼してきた付き合いでもあるので今更感が否めない。
もちろん担当営業とは来週に会うのでぶっとい五寸釘を刺してやるつもり。
マジで客なめんな。
記者会見を批判した後心の病だったと、後出しじゃんけんのように批難されている大坂。そして黒人女性活動家のキャンディスオーウェン氏からも「大金を稼ぎながら中途半端な活動をして心の病とほざくのは鬱陶しい」と一喝された。
私はなぜそこまで彼女がテニス界とマスコミ、活動家からの双方向の批難を受けなければならないのか疑問だ。なぜなら彼女自身、「流行だから」や「なんとなく共感できたから」といった理由で一番最初のBLMに参加した訳ではなく、信念を持って参加したのではないかと感じ、それを考慮しないで批判する風潮があるのは危険だと思ったからだ。そこで今回の件だけではなく、私が勝手に思っている彼女の「居場所」について検討したい。
私は調子が出ないときラケットを投げ物に当たる大坂の姿は正直イタいと思った。それで会見拒否って気分屋すぎるだろとも思った。確かに批難される理由はよくわかる。それでも彼女は一人の人間だ。そこで彼女のバックグラウンドを考慮し、黒人女性活動家の喝と記者会見に刃向かっていく。
彼女が注目され始めた2018年あたり、英語はペラペラでいかにもアメリカンな風貌が印象に残ったが彼女が日本国籍だと聞き、私は正直「海外で修行した選手を日本人として出場させるなんて日本もいいとこ取りだな」とか「日本国籍の便利さをかったのだろう」と思った。さらに少々過激な人の間で、これを日本人として認めるのはいかがなものかという言説が飛び交っていた。またぎこちない日本語で会見をした時、メディアは愛らしいと評価し話題になったが、もしなおみが誠心誠意を込めて覚えた日本語だったとしたら、本人は傷ついたのではないだろうか。そう、彼女は最初からテニスしか居場所がなかったのだ。そんな背景を考えると、BLMに参加したくなる気持ちも理解できる。BLMに関して私は浅学だが、彼女は「黒人」であり「日本人」であり「テニス選手」。そんな複雑なバックグラウンドより、居場所の悪さに共感し信念を持って参加していたと私は感じた。
大坂を批判した米活動家は、「大金を稼いでいるくせに」や「フルタイムの活動家になれば」と言ったが、大金を稼ぐことがなぜそこまで白い目で見られないといけないのだろうか。大坂がプロとして食っていくためにした努力は考慮しないのだろうか。乱暴だし全く論点がずれているように感じる。そして「テニスなんてやめてフルタイムで活動家にでもなれ」というのは、彼女が有名だからこそできたBLMの影響も大きい点を考慮すると、テニスか活動家という二項対立に当てはめるのは横暴だ。活動家にとって土足で踏み入られたという気分になったかもしれないため、是非活動家の気持ちを知りたいのだが、どちらか選べというのはあまりにも感情的だ。
そもそも記者会見しないことがそんなにいけないことなのだろうか。
●記者会見
テニスを取材したことのある記者が、記者会見の不備や疑問を発信していた。記者はテニスコートが複数あり同時に試合が行われているため全員の試合を見ることができない。そのため注目の試合が終わったら、勝敗がわからないままでも駆けつけ取材を始めるという。選手が疲れている中で「あのプレーがよかったがどうか」などテニスの試合に関する質問は少なく、他の話題に質問しがちになるため、会見のレベルが低いことが問題と指摘していた。
負け試合を取材されたくなければ、とんちんかんな事を質問されるため、大坂がここまで勝ち気に出る気持ちも理解出来る。
何が言いたいかというと、「大坂には国籍と見た目や環境のアイデンティティが一致しない苦悩、注目されることのストレスがあったのではないかと思うため、後出しじゃんけんを責めるのではなく、バックグラウンドを見て、双方向的に考慮した良いのでは」と言いたい。そしてさらに問題を激化させないため、彼女の名誉のために「外野(twitterや2ちゃんねる)がとやかく言わないほうが良いと思う」ということ。
参照
https://twitter.com/RealCandaceO/status/1399210325153660932
https://www.facebook.com/kenichi.maeda/posts/10223267188295606
北方謙三は、90年代以降は歴史小説家として地位を確立したが、まずは80年代半ばにハードボイルドの旗手として名を上げ、同じ頃から若者向け雑誌に於いて、読者から寄せられた人生相談や質問に答える『試みの地平線』という連載企画を開始した。
この連載は掲載誌において人気となり、その結果、北方には「二言目には『ソープに行け!』と(※太いゴシック文字で)相談者に説教する」「『バカヤロウ!』と(※太いゴシック文字で)相談者を怒鳴りつける」というステレオタイプなイメージが付き纏うことになる。今でも北方謙三に対して、そのような説教オヤジとしての印象を抱く人は存在することだろう。
これを書いている私も、若者だった当時、そういった北方謙三と読者のやり取りを、面白おかしく楽しんでいた一人である。
今でも私の記憶の片隅に残っている、相談の一つについて以下に記す。それは、二十歳そこそこの若い男性から寄せられた「何もかもイヤになった。生きる気力を失った。自殺を考えている」という、現在の言葉で表現すれば、メンタルヘルスに問題を抱えている人からの相談であった。
最初に相談のお便りを読んだ時点では、私を含めた多くの読者は「どうせまた『バカヤロウ!ソープにでも行ってクヨクヨ悩むのを止めろ!』とか言うのだろう」と思った。しかし、そのような我々の予想に反して、この相談に対して示した北方謙三の反応は意外なものであった。
正確な文言ではないが、以下のような感じであったと思う。
「お前の気持ちは分かった。どうしても、とお前が言うならば、俺にはお前を止められない。けれど、ほんの少しだけで良いから、それを実行に移すのを待ってくれないか?
お前が実際に死ぬ前に、何でも良いから、死ぬ前に本を百冊読んでから死ぬと、そう俺に約束してくれないか?
何も、俺の本じゃなくても良いんだ。図鑑だって、子供向けの絵本だって、何だって構わないから。何かの本を、お前が死ぬ前に百冊だけ読んでみてはくれないか?
俺には、死にたいと思っているお前を上手く助けるための、力や知恵が無いかもしれない。それでも、百冊の本を読むうちに、その中でお前は、お前自身を救ってくれる何かに出会えるかもしれない。
もし百冊の本を読んで、それでもまだ気持ちが変わらなかったならば、その時はまた俺に手紙を書いてくれないか?その時また俺は、お前の言葉に、お前の気持ちに目を通す。その時、俺とお前で話し合おう。
そのように、俺と約束してくれないか?俺は、お前の返事を待つ」
この北方謙三による回答が、メンタルヘルスに問題を抱えた状態の人間に向かって掛ける声として、正解であると現在の私は思わない。正直に言えば、メンタルヘルスに問題を抱えた人間が百冊の本を読むというのは、ある程度の治療を経て回復を示してからでなければ、かなり難しいことだろう。しかし、そのような審判を私が下せるのも、メンタルヘルス問題の重大性や対処方法について認識している現代人だからである。この相談が寄せられた当時、メンタルヘルスの問題に関する世間一般の意識や知識は、まだまだ貧しいものであった。したがって、当時の北方謙三やお便り採用係の雑誌編集者が、現代人の視点から見れば相談に対して頓珍漢な対処をしていたからといって、それを我々現代人が非難するのは些か酷であろう。
当時の一読者に過ぎなかった私の勝手な想像ではあるが、北方謙三は、本気でこの相談の手紙を送ってきた人物を助けたいと思ったのだろう。ただ、誰かを助けたいと思うことと、そう思った時に助ける力を実際に自分が持っているか否かは、別の話である。
だから、北方謙三は賭けたのであろう。かつて北方謙三自身が自ら経験したことに。すなわち、文字を書くという行為や、その行為によって生まれる本の持つ力によって、救われて生き延びたという経験に。相談者の彼もまた、救われて欲しいと祈りながら。
当然のことだが、昔も今も北方謙三は単なる作家であり、決してメンタルヘルス問題及びそれに対する対処方法の専門家ではない。しかし、それでも当時の北方は、この相談者に対して、その時の彼が思いつく限りの、出来うる限りの、誠実な回答をしたのだと、今でも私は思う。生きる為に文学の道、ものを書くことを選んだ作家という人種が、言葉や本に人間を生かす力が有ると信じることができないとしたら、その人はもはや作家と名乗れなくなるだろう。
あの後、相談者が百冊の本を読み終えたのか、自殺を踏み止まることが出来たのか、相談者を北方謙三が救うことが出来たのか、今に至るまで私は結果を知らない。
ただ、これを書いている私自身について言えば、この北方謙三の回答に手を引かれて、今まで生き延びたような気がしている。私の頭の中の、何処か片隅にこびりついた「せめて死ぬ前に百冊の本を」という言葉は、ずっと小さく残響し続けていた。もちろん数字の上では、とっくの昔に私は百冊の本を読み終えている。私という人間は、生きるのが辛くて死にたいと思いつつ、いざとなると死ぬ度胸が無い。結果として、みっともない姿で辛うじて生きている。その言い訳に「あとプラス百冊読むまで、死ぬのは待とう」と私自身に言い聞かせながら、人生の精算を少しだけ先延ばしして、逃げ続けているだけである。私の行為は、読書という行為を汚しているようで、北方謙三を始めとする物書きの人々や、本当の読書好きの人には誠に申し訳無く思う。
あの相談者は救われただろうか?救われていて欲しいと思う。彼が救われたのなら、自分も救われるような気がするから。
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ここまで書いて我に返り、我ながら気持ち悪い文章だと思ったので、精進落し代わりに、個人的に面白かった『試みの地平線』の相談ベスト3を以下に書いて終わることにする。
第3位:ハードボイルド作家として苦労したことは?という質問に対して。北方謙三の馴染みのバーで、北方がいることに気づいた他の客が「やっぱりハードボイルド作家っぽい酒を飲むのかな?」とヒソヒソ噂話をしていたため、格好を付けるためにバーの店主に協力して貰い、バーボンに偽装したウーロン茶を出してもらってグッ!と飲み干して「じゃあな、マスター」と格好良く帰った。
第2位:北方先生はSMプレイの経験はありますか?という読者からの質問に対して。「有る」と回答。Mの女性から「縛って叩いて」とリクエストされたので、要望どおり北方謙三が女性の身体を鞭で叩いたら「痛い!」と言われたので、思わず「ゴメン」と言ったら、素に戻った女性から「そこで謝ったらダメ」と普通にダメ出しされた。
第1位:未経験で一日も早くエッチな初体験をしたくて悶々としている男子高校生からの「こんな僕は鳩の交尾を見ても勃起するのですが、一体どうしたらいいですか?」という質問。これに対して「馬鹿な質問を送ってくるな!」と一喝。超極太のゴシック文字で「まったく。俺はお前が羨ましいよ!」と回答。回答文が僅か2行に収まる。この極太文字による強調は、おそらく編集者から北方謙三への悪ふざけだったと思われる。
「いい加減鬱陶しいわ。テニスをやめて活動家になったら?何億と稼ぎながら、また今度は『精神的苦痛』とか持ち出して自分は取材に応える義務のない、か弱い人間みたいに振る舞ってる」
https://twitter.com/yousayblah/status/1399234555685519365?s=19
「あなたの(取材拒否という)『変革』に人々がイラついてんじゃないわ。自分でドアの取っ手も引かないくせに人生がハードだと文句垂れてる、うざったい超特権階級の大金持ちに嫌気がさしてるの。
そんなに嫌ならスポーツ辞めたら」
https://twitter.com/yousayblah/status/1399236698895224836?s=19
つい最近のこと。調剤薬局で、薬ができるのを待っていた。目の前で、じいさまが何やら駄々をこねている。ちょっと聞いてみると、処方箋の用法の記載が間違っているらしい。薬剤師さんは、処方箋通りの用法だと出せない薬なので、医師に照会するとのこと。ところが、これに気に入らないじいさま。「患者もわかってるのに、杓子定規だ」「時間がないから医師に照会なんてせずにいつもと同じように出してくれ」と言ってる。薬剤師さんはひたすら平身低頭する。そんな薬剤師さんにねちねちねちねち言い続けるものだから、大人げないとは思いつつもついにブチ切れてしまった。
「杓子定規じゃないといけないんだよ!」「毒薬なんかな、杓子定規じゃなかったら死ぬんだよ!」って。さすがに、そうしたらおとなしくなったが。
処方箋のミスを放置して調剤したら、人の命なんてあっさりと消える。たとえ患者がわかっていようとも、本当に患者がわかってるのかなんて薬局で確認する術もない。人間はミスするものだから、薬剤師という専門職を置いてきちんと処方をチェックするわけで。専門職の仕事をリスペクトしないじいさまをつい一喝してしまった。
しかし、よく考えたら、こんな大人げないことをやる私もクレーマーになる素質ありかもしれない。
争いは同じレベルの者同士でしか発生しないがあって、思わず苦笑いした。争いは同じレベルの者でしか発生しない、その通りだな。反省しなきゃならん。
クレーマーじいさまと薬剤師さんの間にインフォームドコンセントが成立してたか、って視点で見たらちょっとじいさまには悪いことをしたんじゃないかと思い始めた。専門職としては平身低頭してるばかりではだめで、言うべきことはきちんと言わなければならない。処方箋のミスを放置したら医療事故につながるから調剤できないと毅然と言わなければならなかった。薬局も商売だから「お客様」に媚びなければならない辛いところではある。ただ、それで専門職として言うべきことが言えなくなるのはどうなんだろう?
かなり昔の話なので特定されはしないだろうが、一応フェイクを混ぜてある。
昔あるシステムの開発に参加していた時のこと。
顧客の要求が高度で仕様はなかなか決まらず、進捗は遅れる一方だった。
うちは2次受けだったので元請から連日激詰めされておりメンバーにも過大なストレスが掛かっており体調を崩すものも多くいた。
そんな時にある若手(Aとする)がプロジェクトメンバー全員にあるメールを送った。
送られてきたのはある期間の生産規模を稼働時間で割って求めた「生産性」で、
あるメンバーは500行/日、別のメンバーは100行/日という感じで一覧になっていた。
メールの中でAは生産性が高いメンバー(Aが信頼を置いているメンバーで明らかな贔屓である)を持ち上げ、
それに比べて〇〇さんは…。などとこき下ろしていた。
今やったらパワハラ認定されて訴えられてもおかしくない暴挙である。
「何をほざいてるんだこのボケは」と一喝してやろうかと思ったが、事実として自分自身の生産性は低かったので
しかし、こんな杜撰なやり方で求めた数字にどれほどの意味があるのだろうか。