はてなキーワード: 一億人とは
選挙期間に入って裁判官を罷免させる権利の一部を持つ人が一億人近くもいるはずなのに、話題になるのは政治家や政党の事ばかりで、裁判官についてはさっぱりだからな。
そして選挙当日は、小選挙区と比例代表の投票後に、国民審査の投票用紙を何も書かずにそのまま投票箱に入れるんだろ?
せっかく俺が裁判官のことを調べた上で×を書いて不信任に投じても、お前らが記入欄を空欄のまま投票するから信任されちまうじゃねーか。
裁判官を罷免するには有効投票の過半数以上の不信任が必要だけれども、×以外の印を書くか空欄のままだと信任扱いになるからな。
審査対象となる裁判官をしっかりと調べた上で、信任するという強い意志を込めて空欄で投票するんなら、俺もその意思を尊重しよう。
でもそんな人は極一部で、何も考えずに空欄のまま投票する人がほとんどだろ。
はっきり言ってそんな奴は迷惑だ。
裁判官の事をわかっていないなら、ちゃんと国民審査を棄権してくれ。
どうせこの文章を読んでいるお前は、棄権できることすら知らないんだろ。
小選挙区と比例代表を投票する流れと同じ様に、国民審査の審査用紙を受け取るのが当たり前だと思ってるんだろ。
人に言われることでしか投票所に行かない様な程度の低い奴が、国民審査に真摯に向き合うはずがないからな。
投票所に行けと煽ることで、結果的に国民審査の信任率を過剰に高めることになる。
それは、国民が最高裁判所に対して持つ罷免権という唯一にして最大の権限を弱めてしまうことも同然だ。
その責任は知りもしないから、投票所に行けと煽るだけの奴は己の罪深さを意識すらしていないはずだ。
司法府の長たる最高裁判所の裁判官の信任率が異常に高く、実態と乖離しているにもかかわらず、そのことを立法府も行政府も問題視していないのは、この国の三権分立が正常に機能していないことを如実に語っているも同然だ。
権力を監視すべきマスメディアがこうした権力の癒着を問題視していないのも同罪だ。そのことを疑問視しない国民一人一人も同罪だ。当然これを見ているお前らだって同罪だ。
言うまでもないことだけど、国はお前ら国民を舐めているよ。
それは投票率が低いからでもないし、自公政権の得票率が高くて政権交代を起こさないからでもない。
はっきり言って、国民が最高裁判所の裁判官を罷免できるなんて、強すぎる権力だと思うよ。
国民にそれだけの権力があるのだから、最高裁判所の裁判官は、選挙活動をする政治家以上に自分の仕事ぶりをアピールするのが本来あるべき姿のはずだ。
だけどそんなことはしない。
やっているのは抱き合わせ商法のごとく、衆議院選挙のおまけのごとく国民審査を組み込んでいるだけだ。
立法府の一員を選出すべき選挙に裁判官の審査を組み込むとは、司法権の独立の提唱者が聞いてあきれることだろう。
そして、記入欄に×印が書かれたもの以外は信任扱いするという、司法府の権力者にとって非常に都合がいいシステムを採用している。
無論、国民審査制度が始まって以来、罷免された裁判官は一人もいない。
このように、権力に都合の良い制度を運用し続けていることから、裁判所が国民を舐め切っていることは如実だ。
そんな国民の姿を見れば、国会だって政府だって舐めた態度をとるのは当然だ。
そうなれば、奉仕者たる公務員だって舐めた態度をとるに決まっている。
国民審査制度を理解していないというお前らの罪深さを、俺は十分に語ってきた。
だけど残念ながら、俺の文章はほとんどの奴には理解できないままだと思うよ。
理解できているんなら、国民審査制度という国民に過剰な権力を与える制度なんてとっくに崩壊しているからな。
別に、国民審査制度を理解しろだとか、審査対象の裁判官を事前に調査しろだとか、そんな大層なことはお前らに望んじゃいねーよ。
俺が望むのはタイトルにもある通り、『国民審査を理解していないのなら、せめて棄権してくれ』っていうことだけだよ。
迷惑だ。
これだな!(ワイ一億人が支持した)
誰かに膨大な損をさせる絶対火中の栗を拾わないとならないからな。ジョーカーしか残ってないババ抜きの最後の引手をやらないとならない。
オリンピック想定時期の8月はワクチン接種の最盛期とかぶる。一億人に対する超最規模オペレーション。だから、オリンピックには事実上医療従事者の参加は期待できないだろう。
それでいて、ワクチン接種終わってないから下手に人を動かすと感染拡大する。
選択肢は次の通り。
1.やめる。
ぶっちゃけコロナを踏まえりゃ最善だわな。だけど、当然「オリンピックを辞める判断をした組織委員長」の汚名をかぶることになる。違約金も払わないとならない。
2.来年に伸ばす。
次善だ。来年ならばワクチン接種終わってるから、医療従事者の余裕も出てきているだろう。ワクチンによる集団免疫も付いてるから大規模イベントやっても感染が広がらない。関係各所との調整が必要だし、金もかかる。
3.無観客試合にする。
人の動きを作らないから、これまた感染を広げないし、医療従事者も不要。その代わり、チケット収入もないから、金もかかる。
4.インパール作戦
脳筋が無理強いして突き進める。日本のお家芸。だけど、現場は過労の死屍累々の山。それでいて、8月はワクチン接種終わっていないから、感染拡大が起きる。医療崩壊が起きる。国会議員など上級国民のお仲間にもちらほら感染者が現れる。
GoToみたく、オリンピックのせいで感染拡大して医療崩壊が起きた!と指弾される。そして、キングオブ無能のレッテルを貼られる。そして、森みたいな受肉した無残みたいなやつが相談役で居座ってる。
反論は許されない。「戦後に『私の顔色で察してほしかった』と言い残しています」みたいなことしか許されない。その牟田口廉也役をやることになる。
その誰か。そして、おそらくは牟田口廉也役を誰がやるかって話。まあ、脳筋ネトウヨおっさんしか引き受けてはなかっただろうが、脳筋ネトウヨおっさんでもヤバさに気づいた以上誰がやるのだろうって話。
ネットで意見を発信するときに怖いのは何だろうか。クソリプ、炎上、個人情報の特定、色々懸念すべき点はあるだろう。
でも一番怖いのは「自分より詳しい奴がいる」ことではないかと思う。
自分より詳しい奴からの反論に、自信を持って自説を貫ける人は少ない。
例えるなら、ゼミの教授がゼミ生の論文・研究発表に立ち会っているようなものだ。自分より知識も経験も上の人間が、「私はこんなこと発見しましたよ!」という青二才のプレゼンに常に目を光らせている。プレゼンが終われば詳しい奴による質疑応答の時間であり、考えもしなかった多角的な視点からロジックの穴を突いてくる。
もちろん、自身の経験談を語る程度であれば何も問題ない。身に起こった出来事を当事者の感性から描いたエッセイは、第三者には得難い貴重なエッセンスが含まれており、自分が世界で一番詳しい情報になるからだ。
しかし、経験談以外の「主張」に対してはそうはいかない。主張には多かれ少なかれ反論が来る。その主張が中道ではなく擁護か批判の側に寄っていればいるほど、反論の数は多くなり論説も激しいものになる。
誰かを批判するときは批判される覚悟を持て」というが、こっちは一人で相手は無限。
どう考えてもフェアな殴り合いではないだろう。
そんなこんなで、自分より詳しい奴は数人から数万人までたくさん存在している。
こんな世界で自分の意見を表明するというのは、実はとても勇気のいる行為ではないだろうか。
常に「自分が言っていることは正しく、反論に耐えうるものなのか?」という疑念に苛まれ、事実関係に間違いはないか、自分の論拠と相対するデータが出てこないか、細心の注意を払って文を書いていくことになる。そうして苦心しながら書き上げた主張を詳しい奴らが一刀両断するのだ。
そしてタチが悪いことに、ネット上では自分の意見が簡単に見られ、識者も気軽に集まれてしまう。
「ゼミ内発表」という閉じた空間での出来事ならまだ優しい。教授はゼミ生の発表にも、「よく調べてあるね」という寛大な言葉を投げかける(もちろん教授によるが)。その言葉の前には「学生にしては」という枕詞が隠れているが、決しておくびに出すことはない。
ところがネットはそうは行かない。発信者が青臭い学生だかいい年したおっさんだかなんて関係なしで、間違えば容赦ないツッコみが来るし、内容次第では炎上する。しかもゼミのような内輪の場ではなく完全なるオープンの場である。
自分の卒論が一億人に見られると言われたらどう感じるだろうか。私は最悪の気分になる。主張は的を得ておらず、構成はちぐはぐで論拠はずさん。内容は知識の薄い素人がデータを継ぎはぎした妄想の延長線上であり、はっきり言って人目に耐えられるものではない。
ネットには語る人間がたくさんいる。twitter、note、増田といった匿名のSNSがある。
匿名者だけではなく、落合陽一、オリラジ中田、会社の看板を背負ってnewspicksにコメントする人間など、専門外が顔出し名出しして、これからの世界」について自信満々に語っている。