はてなキーワード: ワルシャワとは
深川や下町あたりの戦前の観光名所・歴史遺産は震災・戦災で壊滅した上に、当時の人々が「復旧よりも復興」を掲げたため、古老の記憶がその命とともに消え去る前に、元に戻すことができなかった。
歴史的建造物や遺産は、災害で消失したらそれで終わり、ではない。
ワルシャワの歴史的町並みのように、ナチスに完膚無きまで消滅させられたけれども、戦後、そっくり復元を果たして、世界遺産にまで登録された例もある。
戦後70年、ようやく「復興」より「復旧」の方が大切(子孫が自らの歴史的アイデンティとなる拠り所がないことがどれほど深刻なことか)と気づいてくれた人がいるのは嬉しいが、いかんせん、あまりに遅すぎた。
同じくナチスに廃墟にさせられたアムステルダムのように、「復旧よりも復興」を選択するのなら、そこに住んでいる住民が誇れるような町並みと建築を整える戦略もありだったが、東京はそれすらしなかった。まぁこれは石川栄耀の思想についていけなかった安井誠一郎の頑迷さによるところが大きい(GHQは巷間に言われるほど冷淡ではなかったと思われるけどね。)
今の東北も「復興」を掲げているけど、のっぺらぼうの住宅地に巨大な津波堤防が子孫のアイデンティにどれほどの傷を残すのか、気づくのにあと50年はかかるだろうね。
都市計画、本当に大切よ。とりあえず地元の土木事業者が政府の金で潤えばいいや、という考え方は100年かけて故郷を蝕むから。
まぁ世界中どこも、こういう失敗を経て成長するけど、この手の精神的成長には石造りの街主体のヨーロッパですら数世紀のスパンがかかってるから、日本のようなかつて木造主体の街だと仕方ない部分もあると思う。でもいま、ここで精神的成長しないと本当に近い将来、やばいことになるから。
でも、
「みんなが可処分時間をPokémon GOに使っているときIngress始めれば、有利にゲーム勧められるかも」
とんどもない誤解でしたね。
プレイヤーの名前とレベル見ると、本当にごく少数のガチ勢しかいません。
彼ら、Pokémon GOなんかやらないですよ。
午前三時くらいまで同じメンツからの通知がバンバン来ますもん。寝ろよ。
累計移動距離4千キロのプレイヤーとか、普段どんな生活してるんでしょうね?
緑(Enlightened)陣営を選んでしまったことも私のリサーチ不足でした。
何ですかこのゲームバランス。
圧倒的に青(Resistance)優勢じゃないですか!
うちの地元なんて緑勢は青に囲まれて、兵站断たれた帝国陸軍みたいな戦いしてますよ。
勝ちすぎている青はやることないのか、青いCFに落ちている緑ポータルさえ執拗に叩きます。
緑なのにResistanceみたいな戦い強いられて、何度もワルシャワみたいに壊滅させられてます。
彼我の戦力差が大きすぎるせいか、緑陣営の絆は過剰に強いです。
負け戦と分かっていても仲間のポータルは見捨てません。
独り陣地は寂しいもんな、みたいな感じで刀折れ矢尽きるまで奮戦します。
青陣営の「死兵ぞ! 死兵ぞ!」という雄叫びが聞こえてくるようです。
ふむ。まあ対日については言いたいように言わせておけばいいと思う。我々の祖先はかつて枢軸国として世界大戦を引き起こしたのはまぎれもない事実だし、ソ連が宣戦布告をしないままに攻め込んできたなど極めてどうでもいい。パールハーバーの方が100倍酷い。
だがしかし、ヨーロッパ戦線においてソ連があの当時何をしたのか、それだけはみんな正確に知っておいてもらいたいので増田に書く事にした。
第二次世界大戦において最も甚大な被害を受けた国の一つがポーランドだ。
あまり近現代史に興味が無い人はよくソ連がWW2当初より連合国側だったと誤解してるが誤りだ。アメリカイギリスフランスのようにナチスに毅然と立ち向かった「純・連合国」と比べるとソ連の狡猾さ、言い換えれば卑怯さが際立つ。
ポーランドは世界大戦勃発直後にソ連とドイツに分割占領され、その一年後には有名なカティンの森事件が起こる。ソ連がポーランド兵士・将校を1万人も虐殺して埋めた悪名高い事件である。WW2で各国がやらかした「残虐さ」でいえばドイツが独走で1位確定であり、2位は原爆落したアメリカ(落したこと自体を批判する意図は無い。ただ残虐さは否定できまい)、3位はソ連じゃねーかって俺は思ってる。「悪い順」ならナチスドイツ・日本のワンツーでもいいし我が国の侵略を正当化するつもは一切無いが、しかし残虐さで言えばこいつらがトップ3である。それは譲れない。捕虜1万人も殺して埋めるとか旧日本軍も真っ青ですわ。南京?ねーよ。寝言は寝て言え。
ようするにWW2初期はドイツとソ連はタッグを組んで欧州を荒らしていたわけ。何が戦勝国側だよって話。ただ、すぐに仲違いしてソ連もvsドイツを宣告する。
で、その後ソ連はポーランドに対して決定的に非道いことをやらかす。
ワルシャワ蜂起だ。
1944年夏にソ連はドイツが治めるワルシャワ(ポーランドの首都)へと侵攻する。そしてワルシャワ市民とレジスタンス(ドイツに反抗していたポーランド亡命政府を支持する市民ゲリラみたいなもの)へ向けて、ナチスドイツへの反抗を促したのだ。「我々が外から攻めるから君達は中から攻めろ」とね。それを信じたワルシャワ市民は全力を挙げて蜂起する。
しかしソ連はドイツの反撃を食らってあっさりと侵攻を諦めた挙げ句、自分達はもうワルシャワに攻めこまないという情報すらも中のポーランドレジスタンス側に伝えなかった。装備で圧倒的に劣る市民兵士が落ち目であったとはいえナチス正規軍に単独で太刀打ちできるはずもなく、ワルシャワは都市ごと完全に崩壊。実に20万人もの市民が装備の整ったナチスドイツに虐殺され、炎で真っ赤に染まるワルシャワの空ををソ連赤軍はワルシャワ郊外で傍観していたという。ひでえ。
その後、ナチスドイツがイギリス等の連合国側に押され瓦解したタイミングを見計らって、ソ連赤軍はがら空きのワルシャワに侵攻し無血占拠。火事場泥棒。挙げ句にポーランドのレジスタンスを静粛し、当時イギリスに亡命していたポーランド亡命政府も無視し、ソ連の息のかかった傀儡政権を立ち上げる始末。ひでえ。
ポーランド国民のソ連への悪感情をよそ目にまんまと東ヨーロッパ陣営に引き入れる事に成功したのだ。
何なのこの鬼畜っぷり。ひどいでしょ?終わってるでしょ?あんだけポーランドにひどいことしておいて、戦後は子分にするなんて凄過ぎますわ。
WW2を学ぼうとすると、どうしても日本は当事者だし、さらに極悪非道の代名詞ナチスに目がいきがちだけど、ソ連も相当糞なんです。こんだけひどい立ち回りしておきながら、戦後は戦勝国としてアメリカとため張るぐらいの大国として君臨したソ連はある意味凄い。感心する。
そしてそんなソ連を頑張って何十年も押さえ込んできたアメリカはやっぱり偉い。
自分は旅行が趣味だが、定年を迎えた後、「東京から各地へ1泊2日のワンショット旅行を繰り返す」というのは、
極めて非効率な気がする。
例えば北海道であれば、札幌のウィークリーマンションに腰を落ち着けて、そこから日帰り旅行なり1泊2日旅行を繰り返す、という方が、
もっとも、定年を迎えたら体力も衰えるから、毎日旅行するのはツライし、そんなにカネも続かない。
だから例えば
てな按配で、1ヶ月程度札幌に滞在すれば、札幌200キロ圏は概ね旅行し尽くして、
体力も温存でき(荷物移動がないから)、費用もそんなに掛からない、という気がする。
「休み」の日も家に閉じこもるんじゃなく、適度に札幌市内の近場を楽しむ。
「土日」は混雑するから、定年後の身分としてはなるだけ外出は避けたいが、
「土日しかやってないイベント」の類もあるから、その辺は適宜。
「ウイークリーマンション」の類は、調べてみたら、県庁所在都市レベルの大きさの町だと存在しているようなので、
それを「ハシゴ」する。
ということで、65歳定年迎えてから、74歳になるまで、9年間で、概ね日本・世界都市の主要スポットを訪問できるような
65歳になって、カネと健康に恵まれていたら、実践してみたいものだ。
A期間=4月10日~4月25日
B期間=5月15日~7月15日
C期間=9月1日~10月31日
D期間=11月15日~12月15日
E期間=1月15日~3月15日(この期間は春節に注意!)
65歳D期間:下関を拠点に山口県制覇した後、熊本へ行って、熊本を拠点に熊本県制覇
66歳C期間:釧路を拠点に道東制覇した後、旭川へ行って、旭川を拠点に道北制覇
66歳D期間:神戸を拠点に兵庫県制覇した後、大分へ行って、大分を拠点に大分県制覇
67歳D期間:広島を拠点に広島県制覇した後、鹿児島へ行って、鹿児島を拠点に鹿児島県制覇
67歳E期間:ナイロビを拠点にアフリカ東部制覇した後、ケープタウンへ行って、アフリカ南部を制覇
68歳D期間:名古屋を拠点に、愛知県岐阜県三重県を制覇した後、宮崎へ行って、宮崎を拠点に宮崎県制覇
68歳E期間:ムンバイを拠点に、インド西部を制覇した後、デリーに行って、インド北部・ネパール等を制覇
69歳C期間:ウィーンを拠点に、オーストリアやハンガリーなどを制覇した後、ワルシャワに行って、ポーランドを制覇
69歳D期間:徳島を拠点に、徳島県制覇した後、高知に行って、高知県を制覇
69歳E期間:リオデジャネイロを拠点にブラジル制覇した後、ブエノスアイレスに行って、アルゼンチンを制覇
70歳B期間:コペンハーゲンを拠点に、デンマークを制覇した後、ストックホルムに行って、スカンジナビア3国を制覇
70歳C期間:ロサンゼルスを拠点にアメリカ西海岸制覇した後、バンクーバーに行って、カナダ制覇
70歳D期間:福岡を拠点に福岡県を制覇後、長崎に行って、長崎県佐賀県を制覇
70歳E期間:ホーチミンを拠点にベトナムを制覇後、マニラに行って、フィリピンを制覇
71歳B期間:シドニーを拠点にオーストラリアを制覇後、オークランドに行って、ニュージーランドを制覇
71歳C期間:ドバイを拠点に、アラブ諸国を制覇後、テヘランに行って、イランを制覇
71歳D期間:高松を拠点に香川県を制覇後、松山へ行って、愛媛県を制覇
71歳E期間:マドリッドを拠点にスペイン制覇後、リスボンへ行って、ポルトガルを制覇
72歳B期間:モスクワを拠点に、ロシアを制覇(ヨーロッパロシアだけだが)
72歳C期間:札幌を拠点に道央を制覇後、函館に行って、道南を制覇
72歳D期間:松江を拠点に山陰を制覇後、那覇に行って、沖縄を制覇
72歳E期間:イスタンブールを拠点にトルコを制覇後、アテネに行って、ギリシャを制覇
73歳D期間:静岡を拠点に静岡県を制覇後、和歌山へ行き、和歌山県制覇
73歳E期間:シンガポールを拠点にシンガポールマレーシアを制覇後、ジャカルタへ行き、インドネシアを制覇
・A、B、C、D、E期間:ハイシーズンを避けている
・たまに(2~3ヶ月に1回)、東京の自宅に戻ることを想定している。
・「キャンピングカーを買えばいい」という話もある。
確かにその通りだが、キャンピングカーで連泊するのは、体力的にどうかなあ?
・いっそのこと、東京の自宅を売り払って、
1~2年は札幌を自宅とし、その後は福岡に移り住んで・・・というジプシー生活を送るのも、いいかも。
・定年を迎えたら、世界一周航空周遊券を買って1年間世界を豪遊し、
その後で福岡辺りで再就職&転居して、九州・中四国・韓国・中国を旅行しまくる、というのもいいかも。
・でも結局、孫ができたら、それを最優先にするんだろうなあ。
・東京から100キロ離れた県(例:栃木)を複数周遊する場合、カーシェア使用前提だと、宇都宮に拠点移した方が、安いのかなあ。
100キロ先まで観光するなら、6,500円+100キロ×2×15円=9,500円。その差5,600円。
http://www.youtube.com/watch?v=Xxh-sS8Qoco&feature=player_embedded
1911年12月14日 ロアール・アムンセン、南極点に到着。
1914年6月28日 サラエボ暗殺事件から第一次世界大戦勃発
1915年4月22日~1915年5月25日 初めて毒ガス使用
1916年2月16日~1916年12月20日 ベルダンの戦い
1919年1月5日~10日 スペイン風邪の流行が頂点
1921年11月9日 アルベルト・アインシュタイン ノーベル物理学賞受賞
1922年10月27日~31日 ベニート・ムッソリーニのローマ進軍
1927年3月20~21日 チャールズ・リンドバーグがパリへ向け飛行
1928年11月18日 蒸気船ウィリー初演(ミッキーマウス初登場)
1929年10月29日 1929年のウォール街大暴落「暗黒の木曜日」
1930年6月30日 第一回サッカーワールドカップ(ウルグアイにて)
1932年 ワイマール共和国崩壊
1934年10月27日 毛沢東の長征
1939年9月1日 第二次世界大戦勃発
1942年9月13日~1943年2月2日 スターリングラード(現ボルゴグラード)の戦い
1944年6月6日 ノルマンディー上陸作戦(オペレーション・オーバーロード)決行
1945年11月20日~1946年10月1日 ニュルンベルク裁判
1951年 朝鮮の人口?
1954年6月4日 西ドイツがワールドカップで西ドイツが優勝「ベルンの奇跡」
1956年10月29日~1957年3月 スエズ危機(第二次中東戦争)
1959年1月1日 キューバ革命の勝利
1961年10月27日 チェックポイント・チャーリーでの対峙(ベルリン危機)
1964年8月2~4日 ベトナムでアメリカ爆撃される(トンキン湾事件)
1967年6月5日~10日 六日戦争(第三次中東戦争)
1970年4月 カンボジア侵攻
1972年9月5日 ミュンヘンオリンピック事件
1973年10月6日~26日 ヨム・キプル戦争(第四次中東戦争)
1977年3月27日 テネリフェの惨事(テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故)
1981年3月30日 ロナルド・レーガン大統領暗殺未遂事件勃発
1985年3月11日 ミハエル・ゴルバチョフ氏、ソビエト共産党書記長に就任
1988年12月21日 ロッカビー事件(パンナム機爆破事件)
1990年8月2日~1991年5月5日 「砂漠の嵐」作戦(第1次湾岸戦争)
1992年4月1日~1995年12月14日 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
1997年7月4日 マーズ・ローバー(火星探査車) 火星に着陸
2000年1月1日 ミレニアム
2001年9月11日 911攻撃(アメリカ同時多発テロ事件)
2005年8月29日 ハリケーン・カトリーナ ニューオリンズを破壊
2008年10月 金融危機
2010年4月20日 メキシコ湾原油流出事故 ディープウォーター・ホライズン炎上沈没事故
2012 ?
10分どころか、6時間くらいかかったorz
それに、作ったの多分アメリカ人だから、日本にとっての重大事件(オウムとか)は入ってないんだよね。ハイチ地震があるのに、阪神・淡路大震災がないのも明らかに片手落ちでしょう。
(調べてみたら、どちらもM7クラス)
TOPIXが世界ワースト1位、鳩山政権政策や円高重し-9月騰落率
9月30日(ブルームバーグ):日本株の出遅れが鮮明だ。9月の月間パフォーマンスは、TOPIXが世界の主要株価指数の中で最も悪かった(30日の日本株取引終了時点)。欧米を中心とした世界の株式相場の上昇基調が続く中、日本株は中期的なトレンド線を割り込んで調整局面入りの様相。鳩山新政権の政策不安や、為替相場の円高傾向などが重しとなっている。
りそな銀行アセットマネジメント部の黒瀬浩一チーフ・ストラテジストは、「民主党新政権への評価がこのような形で表れたと言ってよいと思う」との見方を示す。
9月の世界主要88指数の騰落状況(基準通貨米ドル)を見ると、TOPIXはマイナス2.30%安。エクアドルのグアヤキル証券取引所株価指数(29日時点でマイナス1.71%、以下同じ)、ポーランドのワルシャワWIG20種(マイナス1.65%)、クウェート証券取引所指数(マイナス0.88%)を抑えて世界最悪だ。
一方、先進国23カ国を対象とするMSCIワールドインデックスは日本時間30日の午後3時25分時点でプラス4.1%となっており、日本を除くアジアや欧米を中心にした株式相場は上昇トレンドを維持している。各国が金融緩和政策など危機対応で足並みを揃えて相場を支える中、日本株だけが取り残された格好だ。
日本株だけ軟調となった独自要因とは何か――。要因の1つとして、8月30日の衆院総選挙で勝利した鳩山新政権の政策を挙げる声が多い。明和証券の矢野正義シニアマーケットアナリストは、「新政権による政策に対して投資家は疑心暗鬼。具体策が出てくるまでは、相場に織り込めず、民主党リスクが上値を抑えている」と話す。
ブルームバーク・データで東証1部の業種別33指数の騰落状況を見ると、1位証券(マイナス22%)、2位その他金融(同18%)、3位銀行(同13%)、4位空運(同10%)などとなっており、9月は金融株中心に下げた。世界的な自己資本規制強化の流れが警戒される中、亀井静香金融相が「返済猶予(モラトリアム)」制度を表明し、経営環境の悪化が懸念された。
三井住友アセットマネジメントの山岸優チーフストラテジストは、「新政権の発足でお手並み拝見となったが、大臣から発せられる発言は資本主義に逆行するもので、日本株を見送る要因になった可能性がある」と指摘している。
円急伸
もう1つの要因は為替相場の円急伸。9月のドル・円相場の平均値は1ドル=91円38銭。4月から8月末までの平均値は同96円29銭だったが、内需回帰を唱える新政権が誕生した9月以降は、円が上昇している。6月調査の日本銀行の企業短期経済観測調査(短観)では、大企業製造業の2009年度の想定為替レートは1ドル=94円85銭だったため、下半期の輸出採算性悪化への警戒感が高まった。
各国政府の金融緩和政策の長期化からドル安観測がくすぶる中、藤井裕久財務相が為替市場への介入に慎重な姿勢を示し、東京時間28日午前には1ドル=88円24銭まで円が急伸し、8カ月ぶりの円高水準となった。
三井住友アセットの山岸氏は、「外需中心の企業業績の回復期待で相場は戻ってきたが、為替相場の円高傾向を受けて冷や水を浴びせられた」と見る。ブルームバーク・データで年初から8月末までの33業種別の騰落率上位を見れば、輸出関連業種が相場のけん引役だったことが分かる。輸送用機器(51%高)が1位、精密機器(36%高)が4位、電機(34%)が5位と上位を占めていた。
記事についての記者への問い合わせ先:東京 常冨 浩太郎 Kotaro Tsunetomi ktsunetomi@bloomberg.net
イランのガスはパキスタンから中国へルートが確定、米国勢は敗退
そもそもの新グレートゲームの始まりはクリントン政権のときである。
中東から南アジアにかけての資源争奪戦争は冷戦後新しい局面を迎えていた。
「ユノカル」は米国石油メジャーの後発企業で、カリフォルニアが地盤、ただし海外に鉱区の開発権を多く抱える。米国内での政治的コネクションが薄く、主流のメジャーは共和党系が多いため、ユノカルは民主党を頼った。
出発からボタンの掛け違いだったかも知れない。
クリントン大統領はホワイトハウスに実習生モニカ・ルインスキーを招き入れ、情事にふけっていた。
後日、大統領弾劾裁判において、「あれは挿入していないからセックスではない」ととてつもない言い逃れの詭弁でクリントンは危機を切り抜けた。
そんなおりに遠路はるばるとアフガニスタンから珍客があった。タリバン幹部である。
要件はなにか。
トルクメニスタンのガスを、アフガニスタン経由でパキスタンの港へ運ぶ。総延長1560キロのパイプラインを敷設する。これをユノカルが主導する。
米国を引きつけた魅力の第一は、このルートは「悪魔」のイランを通過しないこと。
ソ連崩壊後、世界帝国の輝きを取り戻したかの錯覚のなかに米国は酔った。
クリントン政権はこのプロジェクトに前向きで、カリフォルニアのメジャー「ユノカル」はトルクメニスタンとアフガニスタンを根回しし、それからパキスタンから分岐してインドへも輸出ルートを追加でつなげようとインドを訪問した。
インドも工業化を急ぎ、ガスは必需品、プロジェクトに乗ってきた。
これをトルクメニスタン→アフガニスタン→パキスタン→インドの頭文字をとって「TAPI」という。
直後、タリバン系アルカィーダがタンザニアなどの米国大使館を襲撃し数百の犠牲がでた。
クリントンは激怒し、ただちに報復としてインド洋上の米艦からトマホーク・ミサイルを五十発、アフガニスタンのアルカィーダ軍事基地にお見舞いした。
当時、カブールでタリバン政権に協力して電話工事をしていたのは、中国の企業だった。不発弾のトマホークを中国はタリバン政府から買った。
もちろん1560キロのパイプライン・プロジェクト[TAPI]はご破算になった。
01年9月11日、NY貿易センタービルとワシントンDCのペンタゴンが、テロリストの奇襲を受けた。ブッシュ大統領はただちにアフガニスタンへの空爆準備に入り、まずはロシアを口説いた。
旧ソ連衛星圏のカザフ、ウズベク、キルギス、タジク上空を通過して爆撃機は飛んだ。
米本土からは長距離爆撃機がウクライナ上空をかすめ、NATOはトルコの基地から旧ソ連イスラム諸国家の上空を飛んだ。
そればかりか世俗イスラム国家となったウズベキスタンとキルギスンは空軍基地を米軍に貸与し、タジキスタンには訓練基地、パキスタンも四つの空軍基地を貸した。
グレートゲームの変質を知覚していなかった。表面的に米軍の装備が優れていたため、地上戦、ゲリラ戦の抵抗をかるく想定してしまった。
仇敵ロシアとその配下だった国々がテロ撲滅戦争に協力するという目的で米軍とNATOの活動を支援したことも見通しを曇らせた。
そしてアフガニスタンに米傀儡のカルザイ政権が発足し、カブールにしか統治が及ばない新生アフガニスタンが誕生した。
ユノカルは、「あの話」(TAPI)を復活した。カルザイ政権発足直後にトルクメニスタンとアフガニスタン、パキスタンの三カ国は、例のパイプライン敷設プロジェクトで正式に合意した。
これを不快に見ていたのは第一にイラン、第二にロシア、そして第三が中国である。
密かな反撃が準備された。
イランは中国と密かに武器輸入などを交換条件として、ガス鉱区を与え、さらには25年の長期契約でガス輸出を許可していた。イランが中国からえるものは武器と核技術である。
中国は上海シックスの主導権をもつが加盟六ケ国(中ロ、カザフ、キルギス、ウズベク、タジク)にオブザーバーとして、イラン、インド、パキスタン、モンゴルを加え、あたかもNATOに対抗するかのような、東側の軍事盟主の立場を確保し始めた。
解体されたワルシャワ機構に変わるものとしてロシアは「全欧安保」を言いつのり、CIS間では個別あるいは集団的安全保障条約を結んだが、バルト三国とグルジアと、そしてトルクメニスタンが加わらなかった。
プーチンはがむしゃらにロシア帝国の栄光の復活を夢見て、バルト三国とウクライナへのガス供給をとめ、グルジアには戦争を仕掛けた。
同時に欧州がロシアルート一本のガス供給ルートを多角化するためにナブッコ、ジェイハン・ルートの建設を始めるや、同時に対抗して北方ルート、黒海ルートを提示して欧州を揺さぶっていた。
とくにオーストラリア、ブルガリア、ドイツにはそれぞれが薔薇色のシナリオを提示し、欧州の団結をそぎ、利益誘導型で西側の分断パイプライン建設を妨害する。
トルクメニスタンは砂漠の国だがイランやクエートの匹敵するほどの天然ガス埋蔵があり、いまのところ地政学的にロシアへ流通を依存せざるを得ない。
だからこそニヤゾフ前大統領はガス輸出の多角化に乗り気でアフガニスタンルートの開発が急がれた。これを“脱ロシア”化と捉えるモスクワは不愉快である。
直後、トルクメニスタンの中立路線は変更となり、新政権はややロシア寄りに外交姿勢を修復した。
そして延々と中国へ輸出される総延長7000キロものガス・パイプライン敷設工事が始まり、TAPI・ルートへの比重は軽くなった。
いや、というよりも投げやりになった。
(所詮、アフガニスタン戦争は片付かない。パキスタンは所詮、米国にはつかない)。
トルクメニスタンは変心した。
イランはこの機会を待ち望んでいた。
もともと内陸部のトルクメニスタンとアフガニスタンを経由して、パキスタンの港を目指すというユノカル案は、「イラン回避」ルートである。
だとすればイランはガス油田から運搬ルートを南下させ、南の港へパイプラインを敷設していた。全長900キロのうち、残すところはあと250キロ。
地図を凝視していただきたい。この地点からパキスタンのグァイダール港は「となり」なのである。
すでにパキスタンのムシャラフ前政権のときから、治安の悪いバルチスタン地域に中郷は労働者を運び込んで道路を建設し、資材を運び、グァイダール港を近代的港湾設備を持ったものに改築してきた。
つまりイランからパキスタンの隣町へ運ばれるガスを、この地で精製し、パイプラインでパキスタンの西安から北東へ貫き、しかもインドへは分岐せず、この点でイラン、中国、パキスタンの利害は完全に一致した。
パキスタンは白昼堂々の裏切りを演じた(ここで「裏切り」と穏当でない語彙を用いるのは米国の契約概念からみれば、そういうニュアンスだから)。
中国が最終ユーザーとなり、中国、パキスタンがともに天敵であるインドへは分岐しない。
パキスタン西端に位置するグァイダール港は、すでに中国の資本と技術をもって港湾のかたちをなしており、大々的改築(新築に近い)が進み、アラビア海に面する深海は将来、中国海軍の原潜基地になりうる。
げんに中国の六隻の軍艦はアラビア海、ソマリア沖の海賊退治に参加している。
パキスタンから中国への高速道路も着々と工事がすすみ、嘗てのカラコルム・ハイウエィは完成しているため、ガスの運輸ルートはこれに添ってパイプラインを敷設すれば良いのだ。
中国がこのルートに執着するのはマラッカ海峡への依存度を低減させるためで、ほかにもアンダマン沖合のガス田から(開発成功後は)ミャンマーを南北に貫くパイプラインを建設して、マラッカ海峡への依存度をさらに激減させる計画がある。
中国にとっては、ユノカル買収を土壇場で拒否された米国への心理的復讐劇にもなる。
パキスタンはこのパイプラインの通貨料収入を年間五億ドルと想定、つまりこれをAPAI計画では、アフガニスタンがもともと受け取る予定だったのだが。
イランとパキスタンとの正式調印はイランの大統領選挙の直後に盛大にテヘランで開催される(アジアタイムズ、5月27日、6月3日付け)
敗者はインドとアフガニスタンと米国、勝者はイランとパキスタンと中国。
ほくそ笑んだのはロシア、臍を噛んだのはトルクメニスタン、そして日本はいつものように、こうしたグレートゲームの変質さえ知らず、ユウセイの人事とか、セシュウ制とか、およそ世界の現実とは無縁の矮小な論議にエネルギーを費やしている。
世界的な金融危機の荒波をかぶって、ポーランド経済がふたたび窒息死直前にある。
ブームだった不動産投資が裏目にでて、市場が頓挫したのは、各国共通だが、ポーランドの相違点は、なぜか多くが、スイス・フラン建てで住宅ローンを組んでいるために、為替相場の変動で、二重の苦しみなのである。
もともと異様な投資境遇にあった。
ソ連崩壊後、いち早く投資が集中したのはポーランドで、米国にはブレジンスキーなどポーランド系の移民が多く、またカソリック教会のネットワークもあった。
筆者が最初にポーランドへ行ったのは90年だった。ワルシャワ駅前の(昔の)一流ホテルに宿泊、ジャガイモのサラダがいっぱいのったステーキが「一万ズローチ」と言われ、目を白黒させた。
すごいインフレだった。
ポーランド通貨は「ズローチ」。当時、一ドルが一万ズローチだった。ハイヤー(ベンツ)を雇ってグダンスク(グダニスク)を日帰り往復。高速道路をぶっ飛ばした。朝九時にでて、ワルシャワへ戻ったのは午後九時ごろ。途中、高速道路にドライブインが一軒しかなかった。
ハイヤーが往復わずか百ドルだった。グダニスクが「連帯」発祥の地、議長のワレサは、そのご、ポーランド大統領になった。
それから二年ほどして、再訪したら、はやくも証券会社が乱立し、株式市場が盛況を極めていた。
このときはワルシャワのホテルに一週間ほどいて、ヤルゼルスキー元大統領に会見したり、南のクラコウにも足を伸ばした。
ポーランド政府の招待で共同通信、日経、産経の記者と同じ政府系のボロ・ホテルが宿舎だった(招待と言ってもポーランド政府が出してくれたのは、このホテル代だけ)。近くの豪華ホテルには朝日、読売の記者もいた。
外国との合弁アパレル工場を見学し、社長とあったり、忙しかった。その時のルポは『財界』に連載し、なにかの単行本に収録した。
王宮跡の広場にあった有名なレストランへ行くと、素晴らしい鹿肉料理、音楽隊の伴奏もあった(余談だが、そのとき一週間隣室だったのが当時の産経ボン特派員の前田徹氏。その後かれはワシントン支局長から上海へ飛んで、先日まで上海からの特電を産経に書いていましたっけ。上海時代には二回あった)。
閑話休題。ワルシャワにはショパンの記念館もあり、昔の栄華の面影が甦った感覚があった。
駅前にはマリオット・ホテルの偉容が輝き、発展は約束されていた。駅裏にはホリディ・イン・ホテルもできていて、なんと日本経済新聞がデュッセルドルフから空輸されて読めた。
実際にポーランドは急激に発展したのだ。
西側から奢侈品が入り、ドイツや日本のクルマが疾駆し、レストランは満員。人々はスイスフランに投機を始める。
▲ドイツマルクにもユーロにも見放され? スイス通貨に依存した
ポーランドはドイツを憎み、ロシアを憎むが、それゆえにスイスが投資の的になるのか、或いはポーランド人というのは、もともとがギャンブル好きなのか。
スキームはこうだ。住宅ローンをスイスフランで借りると、金利が低い。
それを進めるファインス会社がたくさん出来た。またポーランドの輸出が好調だったので、通貨ズローチが切り上げになったことも大きな理由だった。
住宅ローンの60-70%がポーランドではスイスフラン建てである(ワシントンポスト、3月15日付け)。
欧米の銀行が機能しなくなって、突然ポーランド通貨ズローチが崩落、対スイスフランで半値、いや半値以下となる。
ズローチ建てに換算すると「天文学的な借金」が目の前に現出した。
つまり、日本で喩えると3000万円のマンションが、6000万円にいきなり化けたことになる。値上がりではない。債務が膨張するのだ。同様にフラン建てで不動産を借りている企業もオフィスレンタル急騰に悲鳴を挙げる。
同時期、ハンガリー、ウクライナ、ブルガリアなどの通貨も暴落を始めた。
他方、EU加盟を認められて以来、ポーランドからおよそ百万人がイギリスなどへ出稼ぎにでた。
レスゼク・ザルニッキという不動産王がいた。銀行も経営していた。いや、両方とも倒産の危機には至っていないが、このレスゼクが、スイスフラン建て不動産ビジネスとファイナンスをポーランド全土に広めてビリオネアになった張本人である。
「スイスフラン建てビジネスは失敗だった。しかしもっと悪いのは格付け機関と外国銀行だ。外国銀行は投資家に向かって東欧から資金を引き揚げろとアドバイスしているし、格付け機関はどんどんと投資不的確マークを東欧企業に打っているではないか」。
■TOUR OF THE UNIVERSE 2009/ヨーロッパツアー全日程
May/5月
Sun 10th テルアビブ, Ramat Gan Stadium / イスラエル
Tue 12th アテネ, Terra Vibe Park / ギリシャ
Thu 14th イスタンブール, Santral Istanbul / トルコ
Sat 16th ブカレスト, Park Izvor / ルーマニア
Mon 18th ソフィア, Vasil Levski Stadium, Tuborg Greenfest / ブルガリア
Wed 20th ベオグラード, USCE Parc, Tuborg Greenfest / セルビア
Thu 21st ザグレブ, Arena, Tuborg Greenfest / クロアチア
Sat 23rd ワルシャワ, Gwardia Stadium / ポーランド
Mon 25th リガ, Skonto Stadium / ラトビア
Wed 27th ヴィルニアス, Zalgirio Stadionas / リトアニア
Sat 30th ロンドン, O2 Arena / イギリス
Tue 2nd ハンブルグ, HSH Nordbank Arena / ドイツ
Thu 4th デュッセルドルフ, LTU Arena / ドイツ
Sun 7th LEIPZIG, Zentralstadion / ドイツ
Wed 10th ベルリン, Olympiastadion / ドイツ
Fri 12th フランクフルト, Commerzbank Arena / ドイツ
Sat 13th ミュンヘン, Olympiastadion / ドイツ
Tue 16th ローマ, Stadio Olimpico / イタリア
Thu 18th ミラノ, Stadio San Siro / イタリア
Sat 20th WERCHTER, TW Classic Festival / ベルギー
Mon 22nd ブラティスラバ, Inter Stadium / スロバキア
Tue 23rd ブダペスト, Puskas Ferenc Stadium / ハンガリー
Thu 25th プラハ, Slavia Stadium / チェコ
Tue 30th コペンハーゲン, Parken Stadium / デンマーク
July/7月
Fri 3rd アルヴィーカ, Arvika Festival / スウェーデン
Sat 11th ポルト, Superbock Super Rock Festival / ポルトガル
http://www.emimusic.jp/intl/news/?id=intl_news&no=100?rssno=941