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はてなキーワード: ワイマール憲法とは

2023-10-30

anond:20231030180655

稲田朋美国民の生活が第一なんて考えている政党おかしい」

西田昌司そもそも国民主権があることがおかしい」

片山さつき天賦人権論をとるのは止めよう」

麻生太郎ドイツワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。あの手口に学んだらどうかね」

自民党憲法案「天賦人権説に基づく規定振りを全面的見直しました」

 

…まあ、まともな民主主義政党ではないわなぁ。

2022-11-20

なんだっけ。忘れないうちにメモ


最近ゴッホ絵画など芸術作品トマトスープをかけたり、ウォーホルアートカーに小麦粉をかけたりする気候変動対策を訴えながら過激抗議活動が耳目を集めている。

ブクマもよくされているが、ほとんどが環境テロ、という認識で眉をひそめたコメントにあふれている。

もちろん許されない犯罪として国内外報道されているわけだが、しかし、海外メディアでは、テロという表現ラベリング)は少なく、抗議団体自称するCivil resistance市民抵抗)という表現を紹介していることが多い。正直、この種の活動で昔から有名なグリーンピースもそうだが、テロ呼ばわりされてもおかしくない運動ではあることは確かだが、報道ニュートラルに構えているのだろう。

そんなおり、斎藤幸平が、「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解しないのは、日本人想像力の欠如だ、と述べてブコメから総すかんを食らっていたのをみかけた。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285

しかそもそもテロという認識日本では強いのはわかるけれど、実は欧米での反応というのはそれほど強くなく、むしろ彼らが自称するCivil resistanceへの一定の理解の上に立った報道も多く見受けられるように思える。

https://time.com/6234840/art-climate-protests-margaret-klein-salamon/

そして、よく考えると、そもそもテロまがいのデモというのは、現代人権歴史を振り返ると、一定程度、社会変革の不可避な副産物として、憲法などのシステムビルトインしてきた経緯がある。典型的かつ最初の事例は、20世紀初頭の資本主義社会における労働環境を前提とした社会権。

この問題は二つの視点から興味深く、注視している。

ひとつは、抗議のコンセプトの抽象性。

もうひとつは、抗議運動市民社会的な価値

抗議運動抽象性について。

https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/508によると、世界的な環境活動グループ「Extinction Rebellion」の共同創設者であり、ジャストストップ・オイル活動に加わっているサイモン・ブラムウェルは、アートニュースインタビューで、若い活動家がこの抗議行動のスタイル選択した理由を次のように説明する。

「これはアートの美しさを否定するのではなく、今の私たち優先順位絶対的おかしいということを言いたいのです。アートに美を見出しギャラリーを訪れる人たちがいる。にもかかわらず、消えつつある太古の森の美しさや、日々絶滅していく何百もの生物たちには目を向けないのです」

アートの美しさを否定しないといいつつ、美の概念の相対化というか、再構築といった意味では、形而上学的な禅問答である

この説明を聞いて、素直に納得できる人の割合が多いか少ないか、という視点でみると、ヨーロッパに比べると恐らく日本人は少ないだろう。

アリストテレス時代から愛だの美だの徳だのといったことをテーマに発展した形而上学から学問が枝分かれしてきた欧米と、近代以降のすでにたこつぼ化した個々のジャンルとして完成形をみた成果を受け取ってそれを解読して発展してきた日本では、こういう抽象的なテーマの抗議の趣旨理解できるのは圧倒的に少ないだろうと想像できる。

これは、作品の美の価値が分かればわかるほど、スープをかける行動の意図もわかる、という構図でもあり、実際、被害を受けた美術館環境問題の意義に言及するなどしている。作品に接したこともなく、それこそ「ウォーホル」だ、「ゴッホ」だと資産的な記号程度にしか理解していない人ほど抗議行動の意図自体を測りかね、なんじゃこの奇行は?という反応になっているようにみえる。

そういう意味では、当然、環境急進派の行動は、そもそも抗議の意図が分からない地域では成功しない(日本ではテロ以外の認識は生まれないだろうし、絶望的に無理だろう)。

しかし、欧米では、意外と功を奏しているのかもしれないと思える。感心はしないが、ああ、なるほどね、くらいの素養のある人は日本よりは多いだろう。

おおざっぱにいうと、日本人経験から教訓を得て社会設計をしていくのが得意。いわば帰納法的な解決が染みついている。一方、欧米、ひろくラテン系言語圏含めて、日本人とは比べ物にならないほど、なにかにつけ演繹的な入り方をする。言葉定義からまり指導原理を引き、タスクを明示する、という物事の進め方へのこだわりが強い(日本人自分からみると)。

組織でも、経験常識が共有できていないと不安なのが日本人

一方、構造化された概念ルール化された行動原理(法)にのっとって行動する、という相互の信頼がないと不安なのが欧米社会。そこに、デモ過激運動の機会に、自分たちが共有していない別の概念オルタナティブとして提示されたときにみせる反応というのは、おのずと異なる。


そのもうひとつ理由が、市民不服従という考え方や人々の認識の違い。

日本人社会迷惑をかけるのがとにかく大嫌いなのだ

欧米では、恐らく日本人想像している以上に、Civil resistanceというアプローチ自体価値社会変革のダイナミズムとして認めている。

それが今回の場合、限度を超えたものであり、法的に違法である、というときに、運動趣旨理解はするが違法である、という具合に飲み込みながら。

この違法性というのは、実は重要視点。それを理解するには、市民社会根本から支える憲法など、法について考えないとわからない。

近代から現代20世紀に法の考え方が近代法が大きくバージョンアップした際に、社会権が組み込まれたのは、中学生で習う話。

日本学校では昔から社会権を生活保護など、上から目線な形で教えてきた傾向があった。

しかし、社会権のうち、争議権を思い出してみればわかるように、実際はボトムアップな契機をはらんでいる。

他者危害禁止近代法の原則をはみ出した形で、ストやピケなど市民的な抵抗暴力性を認める市民権が存在する。

考えてみれば、他者に損害を与え暴力的な行動をとっていい、というのが「労働」に関してのみ例外的憲法に組み込まれている、というのは、よくよくなぜなのか歴史を知っておく必要がある。一歩間違えれば、革命トリガーになりかねないボトムアップ暴力。これをあえて憲法に明記するのは、明記することでコントロールしたいという、上と下のせめぎ合いのようなものも感じる。しかし、なんだったらいつでも政府おかしければ転覆して革命をおこせるんだぜ、と市民に思わせておく、オーナーシップ感覚絶妙バランスで持たせる機能果たしているともいえる。

マルクス時代、そしてワイマール憲法時代社会権を育んできた思想運動社会歴史のなかで、当時「労働」が最重要課題で、社会権の大きな柱として考えられたのは自然な流れだっただろう。抵抗暴力は、労働問題を争うツールであるというのが20世紀だった。しかし、抵抗暴力資本主義社会のなかで、たまたま労働キーワードになっただけであって市民社会としては、労働である必然性はない。20世紀には「環境」といったテーマシステムビルトインされなかったわけだけど、80年代後半にブルントラント委員会が「我ら共有の未来」といって今日SDGの原型となるコンセプトを立ち上げたときに、労使間に代わる、世代間の闘争といったことがテーマになりうることはうすうす予測がついていたように思う。

なので、抵抗暴力労働問題ではなく、環境をめぐる世代問題だとしても、その新たなムーブメント市民社会における意義が注目されるのも自然な流れだ。

ここで、はい違法です、はいテロです、といってしまうのは簡単だが、思考は停止する。


一方日本では。

労働」というキーワード戦後日本ははじめて市民不服従権利を手にした。市民社会における抵抗という考え方に「労働」というコンセプトが、時代要請でむすびついていた、というのは押さえておくべき文脈

GHQの五大改革から。勤労者から労働者への主体認識の転換。

しかし、その権利過激行使は、1950年代から60年代大衆の心を猛烈にイラつかせた。

日本高度経済成長を支えた大手企業は、大規模な争議に悩まされた。

民間では、1960年三井三池炭鉱紛争など半年を超える争議も珍しくなかった。しかし、ほぼ100%ユニオンショップで、従業員全員が労働組合員という会社組織風土のなかでは、会社家族みたいなものであり、労使一体みたいなのが当たり前であり、60年をピークに民間の争議はピークアウトする。そのなかにあって、国鉄だけは年中行事のように、順法闘争ストライキを繰り返して市民生活に甚大な影響を及ぼし、会社のみならず社会的に損害を与えた。さらベトナム戦争反対や成田闘争など、新左翼政治闘争が加わっていくなかで、日本人のいら立ちは頂点に達していく。

国鉄やら共産党やら新左翼にひどい目にあわされた、という日本社会のこの経験というのは、争議だなんだといっても社会迷惑をかけてはいけない、という教訓を強く残し、憲法に組み込まれ暴力的な契機をできるだけ抑制的にするべきだ、という認識支配的になるきっかけだったんだろう。1973年最高裁は、それまでリベラル保守裁判官の間で揺れ動いていた官公労組の争議権の是非について、完全に保守化の方向に舵をきり、封殺する結論に至る。公労協のスト権奪還スト(1975年)を時代の潮目に、公社民営化路線が進められていく。争議権だかなんだが知らないが、憲法に書いてあったとしても、市民としては正直、うんざりしてしまったというところだろう。戦後、長い間、政治闘争旗手として大きな存在だった総評、そしてその大半を国労が占めていた時代は終わる。

ということで「労働」をキーワードにせっかく手に入れた不服従暴力は、迷惑をかけんじゃねーという市民社会常識を繰り返し強化する経験を重ねることにより、空洞化した。

その後の日本社会では、エスタブリッシュメントと化して長い間、社会運動の先頭に走っていた労組が今度は勢いを失うと、どういうことになるか。

例えば、正規雇用非正規雇用ギャップみたいに新たな問題が浮上してきたとしても、ユニオンショップ非正規も入れてあげたほうがいいんじゃない?、という手続き的な、上から目線的な議論の仕方に収れんしてしまう。日本社会があまりにも保守化してしまって、そもそも争議という暴力的な手法は何のために憲法というシステムに組み込まれたのか、根本的な思想がわからなくなってしまっているようにも思える。言い換えると、憲法さらメタ視点からとらえる思想的な背景がさらに弱くなっている。

歴史を振り返ると、20世紀初頭、メタ視点があったからこそ、資本主義社会の現状と課題に即して、社会権という新しい権利が組み込まれたのだが、現行憲法を頂点とし、人権普遍性憲法の最高規範性を強調してしまうと、憲法思想根拠はと問われたときフリーズしてしまう。日本では制憲者の意思議論は起こらず、代わりに基本書読め、といってなぜか憲法学者に振られるのが定番。(制憲者があいまいなのも諸悪の根源かもしれないし、ステートに対するネイションオーナーシップの違いとも思える。)

欧米環境運動というのは、あるいはLGBTも同様だけど、恐らくそうじゃないんだと思う。

既存規範に書いてないものであっても、新たなムーブメント意味真剣に見極めようとする思想文化があるんじゃないと思える。

そのムーブメント暴力性を違法認識しつつも、時代ダイナミズムとしてとらえようとする、というか。

繰り返すと、

・美の概念など、概念の構想力、概念について深く考えたがる文化の違い。

憲法など国の根本的なシステムアップデートするのに必要社会ダイナミズムへの関心の低さ。

この二つをひとまとめにして、斎藤平氏のように想像力の欠如といってしまえるのかもしれないが、因数分解すると、社会設計をするのに基本的重要な2つの能力、この二つには欧米社会と大きく差があるように思える。

2022-04-28

アメリカ主導による民主主義輸出はどこも失敗している

アメリカ戦争で倒したアフガニスタンイラクでは、どちらも民主化に失敗している。

アフガニスタンでは、アメリカ撤退した後に結局タリバン統治し、2001年以前の独裁制に戻ってしまった。

今までアメリカ外国押し付け民主主義成功したのは、日本ドイツの2カ国だけである、と言われている。

しかしこれはおかしい。

日本では、大正時代大正デモクラシーという民主化運動があり、実際に民主化帝国議会の設置が行われていた。

ドイツでもワイマール憲法が制定され、当時のヨーロッパでは最も民主化された国だった。

日本ドイツ、どちらも民主主義思想やそれを実行するための社会的な土台がある程度できていたので、戦後アメリカ主導の民主化スムーズに行ったに過ぎない。

その意味では、アメリカ主導でゼロ状態から民主化を進めて成功した国は皆無である

2021-08-17

anond:20210816234955

「「静かにやろうや」ということで、ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか。」

https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/184/syuh/s184008.htm

元首相ってリベラルだったんだな

2021-06-09

anond:20210609115351

全権委任法成立の背景にはそもそも議会不信、ヒトラー内閣過半数暴力による反対勢力弾圧排除があったんだぞ

ワイマール憲法の穴じゃなくて、独裁政権下では憲法なんて紙切れだってだけ

まじで無知なのなw

そういう馬鹿丸出しの知識ってYOUTUBEとかの受け売りなの?

anond:20210609114843

100万人に一人いるかいないか基地外のために法律作るならまだしも

既存法律厳しくして100万人に一人レベル基地外対処しようってのはおかしいだろと思う

全権委任法通せば独裁可能な穴がワイマール憲法にはあったわけだが

そんなことみんなできると知ってたけどやったのは頭おかしいちょび髭チー牛伍長だけだし

2020-10-08

anond:20201008194720

敗戦後の衝撃の中で作った憲法のせいで、日本では改憲右翼護憲左翼ってことになってるからな。

歴史の話を見る限りでは諸外国でもよくあった事態のようなので、そう驚くことでもないと思う。

ワイマール憲法下の社会とかそんな感じだったんじゃないのかなぁ、よく知らんけど。

2020-05-17

ホームレスは10万円もらえないってマジ?

基本的人権侵害では?

生存権否定するやつはワイマール憲法違反から国際法自治権没収されるらしいけど大丈夫なの?

2019-04-28

婚活

2018-08-05

anond:20180805024614

えっと、憲法の話だよね?

共産国独裁国は論外

イスラム系の国も除外

大日本帝国憲法ですら例外として

憲法国家を縛るもの」論の根拠って欧米憲法オンリー

しか市民革命以降とか言ってるけどワイマール憲法ですら大統領特権あったわけで

戦後欧米憲法って言わなきゃな

んで日本国憲法GHQの手が入ったとは言え「1945年の」アメリカ感覚から

統治楽にしたくて天皇残した点から言っても普通に国民縛る気満々だったと思うよ

2018-08-01

anond:20180801111903

そうやって潰れてった憲法あったね

ワイマール憲法って言うんだけど

2016-11-08

からも娘からも邪険にされる父親像を一般化させたのは一体誰?

からも娘からも邪険にされる父親像を一般化させたのは一体誰なんだろう

というコメントがあったので

フェミ団体でしょう

そして、そのフェミ権力を与えたのは戦勝国アメリカでしょう

日本弱体化政策」の一環

占領せず洗脳で弱体化を図る!GHQが行った『日本弱体化政策』とは

http://matome.naver.jp/odai/2142192163190654201

日本が再び米国の脅威とならないことを確実にする」

家族の結びつきは重要です

少子化シングルマザーが増えているのはGHQの狙い通り



あるユダヤ人懺悔日本人に謝りたい

http://d.hatena.ne.jp/sifue/20061208/1165688702

日本国憲法(というかユダヤドイツ人を骨抜きにするために作ったワイマール憲法の丸写し内容)で、何がしたかたかというと

人間獣化計画

目的は以下のとおり

愛国心消滅

悪平等主義

拝金主義

自由の過度の追求

道徳軽視

3S政策事なかれ主義(Sports Sex Screen)

無気力・無信念

義理人情抹殺

俗吏属僚横行

否定消極主義

自然主義

刹那主義

突端主義

国粋否定

享楽主義

恋愛至上主義

家族制破壊

民族的歴史観否定

間違いなく、日本物質的豊かさの反面で大流行している精神的退廃じゃないですか

(苦笑。本当にユダヤ人法律家ってすごい賢いなって思いました。

最終的にたどり着くところは、家族制度の完全崩壊と金、金、金の欲と利害関係にまみれた個人主義的なエコノミックアニマルばかりの国家

というか国家として機能しない社会を作るのが目的なんだそうです。

いわゆる精神崩壊国家崩壊目的とした憲法ですね。

そもそもこの日本国憲法の元となったワイマール憲法は、

ユダヤ人迫害されてきたヨーロッパユダヤ人政府ワイマール共和国ができたときに、

大多数のドイツ人の中に生きるユダヤ人が復権するために作った人民飼い殺し用の憲法らしく、

どうせなので日本でもその写しを戦後日本でも使ってやれ、と適用されたそうです。

(ちなみにドイツではその危機ドイツ人が感づき、反発でナチズムが横行してユダヤ人迫害された)

で結果、日本では物質的豊かさと反比例して、日本人精神家族国家をここまでぐちゃぐちゃにしてしまった。

で、このユダヤ人の老人モルデカイ・モーセさんは日本人はいろいろよくしてもらったのに申し訳ない…最後に謝りたい、とこの告白をしたのがこの本というわけです。

憲法の内容とその効果資本主義共産主義をの両方を道具として生き残るための使ってきたユダヤ歴史などを詳しく紹介してくれています

特に憲法の中で「自由」と「平等」という相反する概念の組み合わせがどれだけ人をダメにするか、「義理人情」の方がどれだけ崇高な概念かとかいている所は、かなりぐっときます民主主義がどれだけ虚妄か本当に勉強になりました。

まあこんな気持ちユダヤ人の方がいたということで、ぜひ、一度読むことをオススメしたい本です。内容的には、最近流行っている「国家の品格」とかに近い本ですね。


男女平等は完全な家族制度の崩壊福祉費用の増大による国家疲弊を狙ったものだったんですね。

しかしたら、婦人国有なんていう制度が導入されていた日本の事を考えると寒気がします。

ももしかしたらほぼ、この婦人国有政策実施されているのと同じような世の中なのかもしれませんが、

こんな政策実施されていたら、女性ただイケメンに抱かれるために努力し、

はいい女を奪い合う、まさに恋愛至上主義道徳軽視の快楽主義自然主義が更に蔓延した社会(非モテ非コミュさらにつらい社会)になっていたんでしょうね。

そう考えると、日本に古来からあったお見合い制度や信頼ある人同士が結婚相手を紹介し合う制度は非常に道徳的にも精神的にも高度な文化なのかもしれません。






http://anond.hatelabo.jp/20161107131126

2015-01-04

今の政治家ってさ

海外憲法とか政治とか勉強してきた人いるの?

昔の偉い人とかはワイマール憲法とかなんとか勉強して取り込んだりしてるじゃん。

よく知らないんだけど、今の政治家って適当政策つくって適当に過ごしてる感じがする。

いや、俺も適当に言っただけなんだけどさ。

2013-10-30

http://anond.hatelabo.jp/20131030082305

横だけど、そもそも大義名分を言い出すなら、古くは家長制度から内子平等なのもおかしいだろという話になるよ?

制度を持ち出すなら、原則的に財産相続するのは長男のみ。

でもこれって、長男には長男財産管理して家を守っていく義務が生まれるんだけどね。

むかしは財産といえば領土で、領土を細分化することは好ましくないから、という合理的な理由があって、これは差別ではないんだよね。

その代わり、本家はいろいろ分家の面倒を見たりしないといけなかったり、帳尻合わせは本来あるんだけどね。

 

また、信仰の自由は大義名分なので、特定の宗教価値観による判断は国家としては認められないから、歴史的制度である家長制度を持ち出すならともかく、キリスト教的倫理観を持ちだされても、

それは特定の宗教価値観によるものであって政教分離観点から大義名分ではない。という言い方もできるよ。

 

家長制度ワイマール憲法とどちらが正しいかは、国民裁定だとはおもうけど。ワイマール憲法日本とは関係いからね。

2013-08-06

モチェルダウンス

どこかで聞いたことのあるようなフレーズ。ググっても見つからなかったのでネット外の伝聞情報をここに記す。

概要

モチェルダウンス(モチェルダウンス)は、イギリスロックバンド1969年ヘルシンキ前身バンドを結成、1992年メジャーデビューデビュー以降外部ミュージシャンの起用は多いものの、同じパーマネント・メンバー活動している。「ハテナムーラ」がヒットして以降は常に第一線で活躍し続け、現在アメリカ代表するバンドの一つである

ローリングストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第1327位。

メンバー

現メンバー

ジョン・レモン

アマデウス・オオミカ

メンバー

ミンナ・アホネン

ディスコグラフィー

シングル
「柿を食え」(607年)
デビューシングル。鐘がなるぜよ
「泣かないで」(794年)
泣くよウグイス平安京エイリアン
美しい国」(1192年)
最近はいい国作ろうとは教えないらしい
「変」(1582年)
M・アケチが脱退。
アルバム
ワイマール憲法」(1889年)
それまでDHCが持つ通販化粧品ナンバーワン記録を更新
相対性理論」(1905年)
天動説を覆す
トラトラトラ」(1941年)
最近MAXを見ない
「1969」(1969年)
稲垣潤一、もしくはヴェルディ川崎
マリリン」(1985年)
ハッピーバースデーディアプレジデントでおなじみのホンダ
「アイアンアーム」(2003年)
うちの近所のアトムボーイはここ数年で次々と閉店

2013-08-04

氏の発言――あるいは「民主主義/ハ/ツカウ/ケレド」

 今回の憲法改正の話も、これは現実論として、憲法改正をしておかないと、日本のいま置かれている国際情勢は、少なくとも(現行憲法の)出来た昭和20年と――21年頃とはまったく違うんですよと。この状況は。だから、単なる「護憲護憲」と叫んでいれば平和がくるなんて思ったら大間違いだし、これが仮に改憲できたからといって「世の中はすべて円満に……」ぜんぜん違います改憲はたんなる手段だもの。したがってこの手段をどうやって現実的にするかっていうときに、いちばん最初に申しあげたように、ウワアーッとなったなかで、狂騒のなかで、狂乱のなかで、騒々しいなかで決めてほしくない。ちょっと皆さんよく落ちついて。われわれをとりまくこの環境はなんなんだと。この状況をよくみてください、というヨロン*というもののうえに、僕は憲法改正っていうのは成し遂げられるべきなんだと。そうしないと[●●●にとって]間違ったものになりかねんと、いうことを思うわけです。

 最後に。

 僕は、いま「(現行憲法の改正を発議するには衆・参両議院おいてそれぞれ)三分の二(以上の賛成が必要である)」という話がよく出てきますけど**――じゃあ伺いますが、ドイツは、ヒットラーは、あれは民主主義によって、きちんとした議会で(賛成)多数を握ってヒットラーは出てきたんですよ。ヒットラーというのはいかにも軍事力で(政権を)取ったように思われる――ぜんぜん違いますよ、ヒットラー選挙で選ばれたんだからドイツ国民ヒットラー選んだんですよ。[●●●は]間違えんでくださいね、これ。そして彼は、きちんとワイマール憲法という当時最もすすんだ憲法下にあって、ヒットラーが出てきたんだから。だから、つねに、憲法はよくてもそういったことはありうるということですよ。からここは、よくよく[●●●の]頭に入れておかないといけないんであって、私どもは「憲法はきちんと改正すべきだ」とずっと言い続けてきてますけど、そのうえで、これをどう運営していくかって、これはかかって皆さんが選ぶ――投票する――議員の行動であってみたり、またその人たちの持っている見識であったり、矜持であったり、そういったものが最終的に決めていくんだから


 私どもは、周りにおかれている状況は、きわめて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算対応しておりますし、事実若い人の意識は――今回の世論調査でも、20代、30代の方がきわめて前向き。いちばん足りないのは50代、60代。ここにいちばん多いけど、ここがいちばん問題なんです、私らからいったら。なんとなくいい思いをした世代バブルの時代でいい思いをした世代が。ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。

 この人たちの方が、よほど喋っていて現実的。50代、60代、いちばん頼りないと思う、喋っていて。おれたちの世代になると、戦前戦後不況を知っているからけっこう喋る。しかし、そうじゃない。

 しつこくいいますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください、どこが問題なのか。きちっと書いておれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて作り上げた。そういった思いがわれわれにある。

 そのときに喧々諤々やりあった。30人いようと、40人いようと、きわめて静かに対応してきた。自民党部会で怒鳴りあいもなく。「ちょっと待ってください、違うんじゃないですか」と言うと「そうか」と。偉い人が「ちょっと待て」と。「しかし、君ね」と。偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選二回ぐらいの若い国会議員に「そうか、そういう考え方もあるんだな」ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。

 ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、ワーッとなったときのなかでやってほしくない。

 靖国神社の話にしても、なんの話にしても、みんな静かに……参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、みんなで――お国ために命を投げだしてくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わないほうがおかしいんだから

 静かに、きちっとお参りすればいい。なにも戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日もある。8月15日だけに限って行くから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって、といったおかげでえらい物議をかもしたこともありますが。

 僕は、4月28日――忘れもしません、4月28日昭和27年。その日から今日日本独立した日だから」といって――月曜日だったかな――靖国神社に連れていかれましたよ。それが私が初めて靖国神社に参拝した記憶です。それからこんにちまで、まあ、けっこう歳くってからも毎年一回必ず行っていると思いますけれども、そういったようなものでいったときに、ワァワァワァワァ騒ぎになったのはいからですか、これは。昔はみんな静かに行っておられましたよ。各総理大臣もみんな行っておられたんですよ、これは。いつから騒ぎにしたんですか。マスコミですよ。違いますか、みなさん。いつのときからか騒ぎになった、と私は思う。騒がれたら中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから「静かにやろうや」というんで。憲法もある日気がついたら――ドイツの、さっき話してましたけども――ワイマール憲法もいつのまにか変わってて、ナチス憲法に変わってたんですよ。誰も気がつかないあいだに変わったんだ。あの手口、学んだらどうかね、もうちょっと。ワァワァワァワァ騒がねえで。ほんとにみんな――いい憲法ー―これがいいって――そういう――みんな納得してあの憲法は変わってるからね。だから、ぜひそういった意味で……僕は民主主義を否定するつもりもまったくありませんし、しか私どもはこういったこれ、重ねていいますが、喧騒のなかで決めないでほしい。

            


   *  輿論なんだか世論なんだかよくわからない。「納得」あたりをみるに世論か。

   ** 氏のこれらの発言は2013年7月29日に都内で行なわれた、国家基本問題研究所7月例会日本再建への道」に於けるものである。同研究所理事長櫻井よしこ氏。

http://anond.hatelabo.jp/20130803204632

まず私の質問に答えてください。

自分の都合の悪いことだけ直視しないのは良くないですよ。

麻生氏が『狂騒・狂乱の中で憲法は変えてはいけない』と前置きした上でヒトラーの例を出した意図は何でしょうか?

意味がないならわざわざそんな例は出しませんよね?

考えられるのは

全権委任法民主主義おいても狂騒の中であれば起こりうる悪い事例として

全権委任法が狂騒がなく冷静に落ち着いて吟味されて可決された良い事例として

この2つくらいだと思いますが他にありますでしょうか?

あなたナチスが(麻生的に)狂騒でないとするならば②ということで宜しいですか?

一般的感覚として、視聴者に分かりやすい例で良い憲法改正の事例を挙げるときナチスを挙げますかね?

ワイマール憲法という進んだ憲法下であっても、そういうことはありうる」と直後にナチスを批判してるように見えますが。

「狂騒」が何を指してるのかも麻生の発言を見れば明確。麻生にとっての狂騒とは「反対派が騒ぎ立てる」ことでしょ。

なぜ明確か分かりませんが麻生氏の発言のどこで語られてますか?

これもあなた主観ではないでしょうか?

手続きが正当だった」という意味で取れるのは「ヒトラー政権を取った」点だけにしか語られていませんよね。

その後の全権委任法を可決させたことについて「正当だった」とどこに書いていますか?

あなたの都合良い解釈のように見えますが。


ナチは上手いこと支持を得て通したんだからその方法論は参考になるよな」と本心で言ったとすれば聴衆は笑いますかね?

普通ドン引くと思いますあなたのように。

ナチス全権委任法を通した方法については私も認識は一緒です。たぶん会場にいた多くの聴衆も一緒です。

ナチスのやり方が問題だらけだと分かってるからこそ成立する、本音とは真逆と分かってるから笑えるブラックジョークじゃないでしょうか?

あなた解釈場合全くジョークになっていないので笑えません。

あなたはどうしても麻生氏が歴史認識不足だったことにしたいようですが、この場合麻生氏が全権委任法が通った背景をしっかり認識している可能性は高いと思います


麻生氏は5年くらい前にもナチスを批判して騒動になってますからナチスを部分的にも肯定的に例えるだろうか?

もし、あなたや私ですら知っている歴史認識を元外務大臣麻生氏が知らなかったとしたら恐ろしいですね・・・

ブラックジョークでも言っちゃダメという意見でしたら私も同感ですよ(笑)

2013-08-03

麻生発言の批判者は、批判対象が何かを理解していないのでは、という話。

http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310772.html

上記講演での麻生太郎氏の発言の一部が批判されている件について。

問題になった発言を以下に引用する。以下「例の発言」という。

憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」

客観的事実

1.麻生氏が例の発言を含む講演をしたこと

2.例の発言が批判的にマスコミに採り上げられたこと

3.麻生氏が、例の発言は「誤解を招いた」として撤回したこと

4.麻生発言が、外国マスコミにも批判的に採り上げられたこと



批判

1.麻生氏は、国民が気づかないうちに憲法改正をすることを奨励しているから、問題である

2.麻生氏は、残虐な行為をした政党であるナチス手法称揚しているから、問題である

3.麻生氏は、国民が気づかないうちに憲法改正すべきという主張をしている、あるいは、ナチス手法称揚している、というような批判されるべき主張をしているものと捉えられかねないような発言をしたから、問題である

4.麻生氏は、ナチスを肯定的文脈で引用たから、問題である

5.麻生氏は、外国から強く非難されても仕方ないような発言をしたから、問題である



批判1と2は、麻生氏の「真意」を問題にしている。しかし、麻生氏は批判1や2にあるような意図ではなく、誤解であったとしているため、これらの批判は的を射ていないことになる。このことは、たとえ批判者が「いや、あの文脈でああいう発言をしたということは批判1や2にあるような意図があったに違いない。」と主張しようが、「批判1や2にあるような意図があったとしか読めない。」と主張しようが変わらない。発言の「真意」は本人のみが決めることだからである

批判3は、麻生氏の発言の「外観」を問題にしている。前記した、「批判1や2にあるような意図があったとしか読めない。」と主張する者は、批判3を行わなければならない。

そして、批判3を行う者は、例えば「例の発言をした麻生氏に政治家としての適格性はない」という主張をする際には、「なぜなら、政治家は発言を慎重に行うべきであって、あのような批判されるべき主張をしていると捉えられかねない発言を不用意にすることは政治家としてあってはならないかである。」などと続けなければならない。もしも、「なぜなら、あのような批判されるべき主張は憲法の意義・重要性やナチスのしたことへの無理解を露呈しているかである。」と続けるのならば、それは批判1や2にコミットしていることになり、論理矛盾を引き起こす。

批判4は、主にドイツマスコミが行なっているものであるナチスは、その政策内容の残虐性・人権侵害性だけでなく、政権掌握に至るまでのやり方も人権侵害を伴うものだった。そうしたナチスのやり方を肯定することは、それがいかなる文脈の中であっても、ジョークであっても、許されることはない、という前提に立つものである

批判5は、例の発言の内容とは全く独立しているものである。どんな発言であれ、どんな文脈であれ、どんな真意であれ、それが「国際人権感覚」の観点からして批判されるようなものであれば、それ自体が批判されるべきである、というものである。この批判をするためには、「なぜ外国から批判されるような発言をすれば、それがたとえ誤解であろうとなんであろうと、批判されなければならないのか」という問に答えなければならない。




http://nabeteru.seesaa.net/article/370956778.html

上記URL先のブログでは、「ナチスの手口を学んで国民が知らない間に憲法を変えてしまうやり方に共感を覚えているのである。」として、批判1を行っている。その際、批判1を行うにあたって、例の発言を含む講演内容全体から麻生氏の「真意」を推測している。そして、その推測に基づいて麻生氏の思想内容を断定し、その思想が問題である、と批判しているのである

しかし、批判1が的を射ていないことは既に述べた通りである


http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20130803/1375502413

上記URL先のブログでは、「問題は、『ナチスは悪い中身の政治をしたけども、その方法論は見事だった。180度かわるような大転換をやってのけてしまったのだから』という認識麻生が持っていることなのだ。」としている。これは、批判2である。批判2も的を射ていないことは既に述べた。

もっとも、このブログでは、「『ナチズムの中身はダメだが、手口は学ぶところがある』と麻生が思っていると解釈すれば」として、留保をつけている。

そして、この解釈自体は論理的に成り立ちうるものである(説得的かどうかは読者が決めることだが)。したがって、例の発言についてこういう解釈をすることは全く問題はないし、その解釈が正しいことを仮定した上で、発言を批判することは、正当なものである

ただし、あくまで解釈である以上、麻生氏の政治家としての適格性を主張内容に基いて論難することは矛盾をきたす。麻生氏の主張内容(=真意)は、本人と神しか知らないのである



麻生氏の批判者は、批判1,2をしないように気をつけなければならない。批判3〜5は十分に成り立つ。

いずれにせよ、重要なのは、発言がどうこうとか一政治家の適格性がどうこうとかいう話ではなく、「憲法とは何か/何のためにあるか」「憲法改正はどのように進めるべきか」というような面倒くさいが避けては通れない議題について、基本的人権概念権力分立原理等、近代憲法立脚する根本原理に基づいた建設的な議論をしていくことである政局論議に堕してはならないと思う。

麻生太郎の某ナチス発言を検証してみた

前回、『麻生太郎の某ナチス発言を解読してみた』(http://anond.hatelabo.jp/20130801210220)を書いた者です。


先日、麻生太郎ナチス発言の音声が公開されました。

前の日記で、「動画が公開されていないので解釈割れている」と言いました。

撤回します。

音声を聞いてさらに混乱しました(笑)


正直、麻生太郎については好きでも嫌いでもないので、前回の解読は国語テスト感覚で楽しくやってました。

(一応、10年以上前ですが高校模試現国偏差値80以上取ったことあります理系でしたが(笑)。)

前後関係ナチス歴史から推測して、それなりに自分なりに納得した形で解読したつもりです。

発言全体から見れば「手口に学ぶ」=「(反面教師として)教訓に学ぶ」として捉えないと全体的な整合性が取れません。

しかし音声を聞いて、「あれっ?」となりました。

問題とされたあの「手口に学ぶ」の発言の時に会場から笑いが起きているのです。

私の解釈だと割と真面目な話なので、笑いが起きるのはあまり考えにくいです。

まり、いわゆる『あの発言はブラックジョークだった』説です。

わざと本音とは逆のことを言って、(会場の聴衆もそれを分かっているので)笑いが起きているという可能性です。


分かるか、そんなもん!!!(笑)


そのあたりの解釈も加えて、これまでの一般的に多い解釈検証してみましょう。





=====

①『手口に学ぶ』=『ナチスを見習ってこっそり静かに憲法改正するべき』説

今回の発言が大問題だと捉えている人達に多い意見です。

ニュース等でクローズアップされてる「あの手口学んだらどうかね。」の前後の発言だけを聞くとそう読み取れるのも無理はありません。



矛盾点】

麻生氏は「憲法改正は狂騒の中で決めてほしくない」と前置きした上で、ヒトラーの台頭を例に出し、「憲法はよくても、そういうことはありうる」と指摘してます

「そういうこと」とは「ヒトラーの台頭」のことですし、「憲法はよくても」に続く発言ですからヒトラーは悪い例であることは明らかです。

「例」とは視聴者に分かりやすく説明する時に用いるのが普通ですから、良い例としてヒトラーを出しては意味不明です。

よって狂騒の例としてヒトラーを出していることになります

そうすると『ナチスを見習ってこっそり静かに~』という解釈は非常に違和感があります

また、ワイマール憲法ナチス憲法に変わった経緯で、「だれも気づかないで変わった」と言ってるのに、その直後で「みんないい憲法と、みんな納得して変わった」と言っており、「どっちやねん!」っていう話です。


さらに当時のドイツ不景気議会への不満で混乱期でしたから、狂騒とは反対の『冷静に慎重に』の例に出すのはおかしいです。

この①の説を主張している人の中には「麻生氏の歴史認識が間違っている」と批判する方も多いですが、その前のヒトラーの台頭の歴史認識は合ってます

民主主義ヒトラーが選ばれたことを知っていて、全権委任法が可決された当時のドイツの混乱を知らないのは少し違和感があります

しかもわざわざヒトラーを例に出すということは、それなりに知識に自信が無いとできませんし。





②『手口に学ぶ』=『(反面教師として)教訓として学ぶ』説

これはすでに前の日記と上で書いちゃったので割愛




ブラックジョーク

今回音声が発表されて有力になった説です。

ただし、「静かに冷静に」の例えがヒトラーなのがおかしいのは①で述べたとおり。

狂騒の例としてヒトラーが使われなくては辻褄が合いません。

ではどのような意味でのジョークだったのか。

麻生氏の発言は憲法改正の話から靖国神社参拝の話へと移ります

そして騒ぎのきっかけとなったマスコミを批判します。

この次に出たのが『ナチスの手口に学ぶ』発言。

まりこれは日本憲法改正の話ではなく、「靖国神社の参拝の仕方として、狂騒にまぎれて憲法改正を行ったヒトラーの手口を学んだらどうか」というブラックジョークです。

常識的に実際そんなことできるわけありません。)

靖国問題の例えだとすると、その前の「だれも気づかないで変わった」というのは「ドイツ国民が~」ではなく「諸外国が~」という意味に取れます

したがって、「みんないい憲法と、みんな納得して」の主語は逆に「ドイツ国民」で、「狂騒の中で、あの危険ナチス憲法が良い憲法だと国民みんな勘違いしてしまった」という解釈であれば意味は通ります


矛盾点というか問題点は、これだとせっかくヒトラーを狂騒の例えとして出したのに、その意味が薄れてしまます

非常にややこしいジョークです。





といった感じです。

ここで、あえてもう1つ説を付け足してみます(笑)


④『麻生太郎本人は②のつもりで言ったけど聴衆が③だと思って笑ってしまった』説

そのまんまです。

可能性は少ないですが(笑)








あくまで個人的な感覚ですが、①の説だったら確かに大問題でしょう。

②や④だったら全く問題なく、ただのマスコミ暴走なので騒ぎを大きくしたマスコミはきちんと釈明しないといけないと思います

③の場合微妙だと思います

今回の騒ぎが誤解であることに間違いはないので大問題ではないと思いますが、政治家ジョークナチスを使ったことはまずいと思います




色々書いてみましたが真相はまだ分かりません。

ただ①を信じて疑わない人や冗談に聞こえない人は「麻生太郎ナチスを肯定するような危険思想を持っている」と確信しているということですから、ご自分危険思想テロリスト素質を持っていることを疑った方がいいと思います

この件に関わらず、今後もニュースは中立的な立場で落ち着いて見ていきたいと思います

全く問題ない!!麻生ナチス発言を歴史的経緯分析してみる

朝日の発言詳細から

http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310772.html

 靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって

 静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。

 何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。

 8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。

 僕は4月28日、昭和27年、その日から今日日本独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。

 それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。

 昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。

 韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。

.

. 

 憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。

.

. 

 わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。

 ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。

麻生がいうナチス憲法は「全権委任法」のことだと考える

正直言ってわかりづらい。多分麻生推敲した文章を読んでいるのではなく、その場その場の空気に合わせて話しているからだろう。

しかし、それでも見えるものはある。

問題発言前後の文章だが、「憲法は~」の部分まで一貫して”喧騒は好ましくない”のニュアンスだ。

そしてその後の「わーわー」の部分からも”喧騒は好ましくない”のニュアンスであることはバカにだってわかる。

なぜか「憲法は~」の部分だけ”静かにやっちまおうぜ!”というニュアンスに見える。

しかし本当だろうか?

.

ワイマール憲法は本当に”静かにやっちまった”のか?

.

ここから歴史的経緯を持ちだしてみる。

ナチスがどうやって「全権委任法」を成立させたのか?

.

要約するとこうだ。

 1933年1月ヒトラー内閣成立後、ナチスは徹底して政敵である共産党弾圧を図る。そしてヒトラー政権基盤を固めるために議会を解散。3月5日総選挙を行うことを決めた。

 そして選挙直前1933年2月27日、決定的な事件が起こる。

 ドイツ国会議事堂放火事件。この放火犯ナチスコミュニストと決め付ける。

 ヒトラーは、「コミュニストの幹部は一人残らず銃殺だ。共産党議員は全員今夜中に吊し首にしてやる。コミュニストの仲間は一人残らず牢にぶち込め。社会民主党員も同じだ!」

 ゲーリングラジオ放送で「共産主義を我々の民族から抹殺することが、私の最も重要な責務である」と述べ、

 「(国家社会主義革命の敵に対しては、テロルの使用が不可欠である」と政府による白色テロを宣言した。

 共産主義者は次々と警察によって予防拘禁され、2日後には無政府主義者社会民主主義者も対象に加えられた。

 共産主義者の襲撃が起きるというデマが流され、共産党民主主義政党の集会はナチス党の突撃隊に襲われ、共産党指導者を含めた逮捕者や死者も続出した。

 選挙期間中に死亡したナチス党員は18人、その他の政党の死者は51人、負傷者は数百人にのぼった。

 そして選挙で躍進したナチスドイツ国家人民党中央党の協力を得て3分の2の賛成を確保し、全権委任法を成立させた。

 この日は1933年3月23日国会放火事件から一ヶ月も経っていない。

.

どこが”静かにやっちまった”んだ?

熱狂と喧騒の中じゃないか

あの手口学んだらどうかね?も「反面教師として」と考えると発言に一本の筋が通る。

ワイマール憲法は”喧騒の中で”誰も気づかずに変わった。

喧騒の中で、ナチスへの熱狂と、共産党への弾圧の中で変わった。

.

”だから喧騒の中で議論するな”

.

という事だろ。

民主主義否定するつもりもありませんが」

ナチス民主主義手続きに則って全権委任法を成立させた経緯のことを言ってるにすぎない。

.

もっと言えば共産党赤旗だって過去、橋下を否定する文脈で

熱狂と喧騒の中で全権委任法が成立した経緯を批判的に論じている。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-03-24/2012032401_05_1.html

.

今回の騒動で分かったのは本当にマスゴミゴミだってことだ。

確かに麻生の話はあっちこっちに飛び、全体としてはよくわからない。

取りようによってはどうにでも取れるし、危険単語も使用している。

しかし、その一部分を利用して、ユダヤ人団体にご注進報道までしやがった。

麻生じゃないが、「日本で騒いでいるんなら、ユダヤ人団体も騒がざるを得ない」

それを政治的に利用した。慰安婦騒動と全く一緒だ。

これに便乗する野党野党マスゴミ非道さも炙りだされた。

こいつらはナチス政治利用したのだ!

こっちの罪のほうが重いんじゃないか

.

麻生太郎ナチス発言を国語受験問題的に分析してみる」とかいブログがあったが全く的外れにすぎない。かわいそうなくらいに

http://nabeteru.seesaa.net/article/370956778.html

http://anond.hatelabo.jp/20130803134811

あくまですごい解釈を披露する遊びだと言う前提で言うけど。

ドイツヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。

  

これは、全権委任法ではなく、首相になるときのことだろう。過半数ではないが、議会で”多数”を握ったからこそ、大統領もやむなく首相にしてくれたわけだ。

  

そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。

  

これは、文字通り憲法がよくでもダメ政治家が台頭することはあり得るという意味だろう。そして

  

憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって(事実上無効化され)、ナチス憲法法の支配じゃなく”党”の支配になったという意味)に変わっていたんですよ。(弾圧によって反ナチス勢力が活動できなかったせいで、その問題点には)だれも気づかないで変わった。(性急な改憲派は、騒ぎの中で改憲しようとしているけれども、それよりなら弾圧してでも静かななかでやった方がマシだ、だから)あの手口学んだらどうかね(と、考えると急いで改憲することがバカだとわかるだろう?)。

  

わーわー騒がないで。本当に、みんな(ワイマール憲法は)いい憲法と、みんな納得して、(にも関わらず弾圧など強引な政権掌握の過程で)あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味憲法の硬性は、選挙妨害議会規則の強引な変更で実質的無効にされる恐れがあるという意味)で、僕は民主主義民主的に改憲する余地があること)を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪のなかで決めてほしくない(ために、憲法の硬性はできる限り維持すべきである)。  

  

いやー、つかれたー。行間の方が内容豊富ですこと。

ネトウヨさんは、これ自由に使っていいですよ。

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