「ローマ皇帝」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ローマ皇帝とは

2023-11-14

ユダヤ人ってなあに? 〜中東からまらない中東史〜(改定版)

ユダヤ人とはそもそも何か。

常識的には、紀元前600年頃にあったパレスチナユダヤ国家から説明を始めるのが一般的だ。

そこら辺からは「歴史」に残ってるから事実だということだが、これは本当に正しいのか?

現代ユダヤ人ほとんどは、遺伝的に同族と見られる要素は何一つ持っていない。

彼らは実のところ、パレスチナユダヤ国家の子ではない

では何なのか。

一言でいえば、欧州マジョリティが元々ユダヤ教の一派であるキリスト教信者になったように、ただ正統派ユダヤ教徒改宗したヨーロッパ人を、今「ユダヤ人」と呼んでいるに過ぎない。

 

知ってるようで知らない、ヨーロッパキリスト教ユダヤ

日本人キリスト教についてはよく知っているつもりでいるが、実際その歴史を断片的に暗記しているに過ぎない。

ナザレのイエスによって紀元30年ごろにローマ帝国ユダヤ地方で起こった新宗教である

ローマ皇帝ネロによる迫害を受けた。

紆余曲折を経てローマ国内に浸透し、国教化されて、晴れて現代にも繋がる欧州統一宗教になった。

特に最後のあたりの流れは非常に曖昧で、なんでそうなった? という感じだ。

 

また、ユダヤ教についてはさら曖昧模糊としている。

我々はユダヤコミュニティヨーロッパに点在するようになった経緯について何を知っているだろうか?

実は私たちは(ユダヤ人イメージを損なわないために)歴史的に確定している事実すらあまり知らされていない。

その事実ひとつひとつ紐解きながら、間違ったイメージを訂正していこう。

 

ユダヤ人は、国を失ったか欧州に離散したのではない

ユダヤ教のディアスポラ歴史は、実はローマ帝国によるユダヤ国家解体よりも前から始まる。

もともと「ユダヤ人」というものは、ローマ帝国だけでなく地中海地域進出して、近世ヨーロッパでそうであったように、コミュニティをつくり異教徒相手商売をしていたのだ。

ユダヤ人戒律は、異教徒相手商売をするのにとても都合の良いものであることは有名だ。

当然、これにあやかろうと改宗ユダヤ人になる元異教徒も出てくる。

こうして作られたビジネスのためのコミュニティが、現代に繋がるヨーロッパの「ユダヤ人コミュニティ」の本当の始まりである

 

キリスト教は、ユダヤ批判として広まった

そもそもキリスト教はなぜヨーロッパ全土に広まったのか?

本来ユダヤ教と同じく、ユダヤ人のための新興宗教だったのがキリスト教だ。

キリスト教本来教義には、人種を越えた人類平等などというものは書かれていない。

政治情勢の混乱した当時のユダヤ地方のために、文字通りの「隣人」愛を説いただけのものキリスト教だ。

それがなぜ欧州という異人種の地で普及したのか。

理由は、「ユダヤ批判」だったからに他ならない。

欧州にはまず「ユダヤ人コミュニティ」があり、それに対するカウンターとして、ユダヤ新興宗教であるキリスト教も広まったのだ。

 

皇帝ネロによる「キリスト教弾圧」は、イエス活動と死の、たった20年ほど後のことだ。

それだけの間に大きなコミュニティができるほど、既にユダヤ人社会の基盤は欧州にあったということだ。

 

本来の「ユダヤ人の子孫こそがアラブ人であり、イスラム教徒である

これは最近では割と知られてきたことだが、イスラム教には「ユダヤ教」という異教のくくりがない。

イスラム教の信じる神はユダヤの神であり、教義においてはユダヤ人モーゼイエス・キリストも預言者と認められている。

イスラム教あくま中東地域におけるユダヤ教の新解釈新興宗教という立ち位置に過ぎない。

これが意味することは、彼らこそ中東におけるユダヤ国家の正統な子孫だということだ。

ユダヤの教えもユダヤの神も、ちゃん中東地域に残っていた。

ユダヤから追い出され、ヨーロッパ各地に離散したユダヤ人」というストーリー自体が、根も葉もない嘘なのだ

 

その「欧州で生まれ自称ユダヤ人」が今、中東侵略し、本当のユダヤの子孫を虐殺している。

これは欧州の新しいナチズムに過ぎない。

欧州パレスチナ人にanti-semitismなどというとんでもないレッテルを貼ろうとしている。

semiteとは「セム語を話す人」、アラビア語ヘブライ語を話す人という意味だ。

アラブ人の命を弄ぶ鬼畜白人が、殺されるアラブ人を「反セム」として悪魔化する恐ろしい現実

1984ニュースピーク世界は、欧州に既に完成していたのだ。

 

ユダヤ人ってなあに? 〜中東からまらない中東史〜(ドラフト

ユダヤ人とはそもそも何か。

常識的には、紀元前600年頃にあったパレスチナユダヤ国家から説明を始めるのが一般的だ。

そこら辺からは「歴史」に残ってるから事実だということだが、これは本当に正しいのか?

現代ユダヤ人ほとんどは、遺伝的に同族と見られる要素は何一つ持っていない。

彼らは実のところ、パレスチナユダヤ国家の子ではない

では何なのか。

一言でいえば、欧州マジョリティが元々ユダヤ教の一派であるキリスト教信者になったように、ただ正統派ユダヤ教徒改宗したヨーロッパ人を、今「ユダヤ人」と呼んでいるに過ぎない。

 

知ってるようで知らない、ヨーロッパキリスト教ユダヤ

日本人キリスト教についてはよく知っているつもりでいるが、実際その歴史を断片的に暗記しているに過ぎない。

ナザレのイエスによって紀元30年ごろにローマ帝国ユダヤ地方で起こった新宗教である

ローマ皇帝ネロによる迫害を受けた。

紆余曲折を経てローマ国内に浸透し、国教化されて、晴れて現代にも繋がる欧州統一宗教になった。

特に最後のあたりの流れは非常に曖昧で、なんでそうなった? という感じだ。

 

また、ユダヤ教についてはさら曖昧模糊としている。

我々はユダヤコミュニティヨーロッパに点在するようになった経緯について何を知っているだろうか?

実は私たちは(ユダヤ人イメージを損なわないために)歴史的に確定している事実すらあまり知らされていない。

その事実ひとつひとつ紐解きながら、間違ったイメージを訂正していこう。

 

ユダヤ人は、国を失ったか欧州に離散したのではない

ユダヤ教のディアスポラ歴史は、実はローマ帝国によるユダヤ国家解体よりも前から始まる。

もともと「ユダヤ人」というものは、ローマ帝国だけでなく地中海地域進出して、近世ヨーロッパでそうであったように、コミュニティをつくり異教徒相手商売をしていたのだ。

ユダヤ人戒律は、異教徒相手商売をするのにとても都合の良いものであることは有名だ。

当然、これにあやかろうと改宗ユダヤ人になる元異教徒も出てくる。

こうして作られたビジネスのためのコミュニティが、現代に繋がるヨーロッパの「ユダヤ人コミュニティ」の本当の始まりである

 

キリスト教は、ユダヤ批判として広まった

そもそもキリスト教はなぜヨーロッパ全土に広まったのか?

本来ユダヤ教と同じく、ユダヤ人のための新興宗教だったのがキリスト教だ。

キリスト教本来教義には、人種を越えた人類平等などというものは書かれていない。

政治情勢の混乱した当時のユダヤ地方のために、文字通りの「隣人」愛を説いただけのものキリスト教だ。

それがなぜ欧州という異人種の地で普及したのか。

理由は、「ユダヤ批判」だったからに他ならない。

欧州にはまず「ユダヤ人コミュニティ」があり、それに対するカウンターとして、ユダヤ新興宗教であるキリスト教も広まったのだ。

 

皇帝ネロによる「キリスト教弾圧」は、イエス活動と死の、たった20年ほど後のことだ。

それだけの間に大きなコミュニティができるほど、既にユダヤ人社会の基盤は欧州にあったということだ。

 

本来の「ユダヤ人の子孫こそがアラブ人であり、イスラム教徒である

これは最近では割と知られてきたことだが、イスラム教には「ユダヤ教」という異教のくくりがない。

イスラム教の信じる神はユダヤの神であり、教義においてはユダヤ人モーゼイエス・キリストも預言者と認められている。

イスラム教あくま中東地域におけるユダヤ教の新解釈新興宗教という立ち位置に過ぎない。

これが意味することは、彼らこそ中東におけるユダヤ国家の正統な子孫だということだ。

ユダヤの教えもユダヤの神も、ちゃん中東地域に残っていた。

ユダヤから追い出され、ヨーロッパ各地に離散したユダヤ人」というストーリー自体が、根も葉もない嘘なのだ

 

その「欧州で生まれ自称ユダヤ人」が今、中東侵略し、本当のユダヤの子孫を虐殺している。

これは欧州の新しいナチズムに過ぎない。

欧州パレスチナ人にanti-semitismなどというとんでもないレッテルを貼ろうとしている。

semiteとは「セム語を話す人」、アラビア語ヘブライ語を話す人という意味だ。

アラブ人の命を弄ぶ鬼畜白人が、殺されるアラブ人を「反セム」として悪魔化する恐ろしい現実

1984ニュースピーク世界は、欧州に既に完成していたのだ。

 

2023-04-09

年上の妻と結婚した歴史上の偉人

過去投稿したのを編集したらなぜか再投稿になってる…なぜだ

ツタンカーメン

 7歳上のアンケセナーメン結婚。夫の死後彼女が捧げた花を墓の発掘者カーターは「どんな財宝よりも美しかった」と称えた。未亡人となったアンケセナーメン後継者アイとの結婚を嫌がった。

ネロ

 7歳年上の美女ポッパエアを寵愛。彼女の死を深く悲しみ、当時の慣習であった火葬ではなく防腐処理をして霊廟に収めた。

曹丕

 3歳年上の文徳皇后を寵愛した。聡明彼女は夫に助言を与えた。曹丕も群臣の反対を押し切って彼女皇后に立てた。

・劉駿

 南朝宋の皇帝。2歳年上の王憲嫄を寵愛した。

・宇文邕

 北周皇帝。7歳年上の李娥姿を寵愛した。北周が滅びると彼女出家し、常悲に改名した。

煬帝

 占いにより吉とされた2歳年上の蕭皇后結婚した。聡明彼女外遊の度に付き従い、度々煬帝暴政を諫めた。

ムハンマド

 25歳の時に15歳年上の未亡人ハディージャ結婚天啓を受けたムハンマドを励まし予言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房ハディージャである

仁明天皇

 1歳年上の淳子を寵愛し、文徳天皇を儲ける。

オットー1世

 初代神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃エドギタは美貌と信仰心を兼ね備え、彼女が若くして無くなると深く悲しんだ。

・ルイ4世 

 西フランク国王。7歳年上のジェルベルジュと結婚した。彼がバイキング誘拐されたとき彼女交渉により彼の解放を実現した。夫の死後は摂政として息子ロタールを支えた。

・李克用

 後唐の太祖。3歳年上の劉夫人結婚武勇に優れた彼女は夫が朱全忠に殺されそうになると、自ら軍を率いて窮地を救った。

円融天皇

 12歳年上の媓子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが、跡継ぎに恵まれ立后後6年で媓子は崩御した

・ロベール2世

 フランス国王。8歳年上のベルトと結婚したが、彼女とは又従姉妹であったため近親相姦に当たるとされ、ローマ教皇破門と引き換えに離婚させられた。しかし、離婚後もベルトを愛し続け関係は続いた。

藤原道長

 2歳上の正室倫子とは夫婦円満で多くの子宝に恵まれたことが出世に繋がった。

一条天皇

 皇后は3歳上の定子教養人であった二人の仲は良好であった。

三条天皇

 2歳年上の綏子、4歳年上の娍子を娶る。綏子は当初は寵愛を受けるも、愛を試すために氷を握らされ、変色した手を見て興ざめされるという理不尽理由で寵愛を失う。娍子も寵愛を受け6人の子を儲けた。

後一条天皇

 9歳上の中宮威子以外の妻を娶らなかった。

堀河天皇

 中宮は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして崩御すると篤子は出家した。

鳥羽天皇

 2歳上の中宮璋子の間に7人の子を儲け、彼女の死を看取った際には号泣した。

二条天皇

 病没した近衛天皇中宮で3歳上の多子を寵愛した。夫の没後多子出家し、二人の夫の菩提を祈った。

・世宗

 遼の皇帝12歳年上の甄皇后を寵愛した。聡明な妻の助言を聞き入れず、放蕩にふけった彼は従兄弟暗殺された

徽宗

 北宋皇帝側室の顕粛皇后は3歳年上。身分は低かったが、美人詩才の会った彼女皇帝の寵愛を受けた。

高倉天皇

 平清盛の娘で13歳年上の徳子と結婚し、安徳天皇を儲けた。同時代活躍した右京太夫によると夫婦仲は良好であった。

平宗盛

 平清盛の息子。1歳年上の妻清子が亡くなると深く悲しみ、官職を辞した。一方で妻の遺言に従いその遺児を大切に育て上げた

・寧宗

 南宋皇帝。3歳上の温和な韓皇后と6歳上の多芸多才な楊皇后結婚し、二人は皇帝の寵愛を競った。

チンギスハン

 1歳上の妻ボルテ結婚した。チンギスが弱小武将であった頃からの妻は特別存在であったようでチンギスの後継者は皆ボルテの息子である

藤原頼経

 鎌倉幕府将軍。16歳年上の竹御所結婚した。夫婦仲は円満だったが、男児死産し亡くなったため、頼朝の直系は途絶えた

ビルイェル

 スウェーデン国王。3歳年上の王妃マルタと仲が良く、彼女は国政に大きな影響を与えた。一方で弟のエリクとは不仲であったため、妻と共謀して獄死させた。

フィリップ5世

 フランス国王。1,2歳年上の妻ジャンヌ姦通疑惑幽閉された際も彼女を信じ続けたため、無事釈放された。

足利義満

 和歌に秀でた7歳年上の正室日野業子を寵愛した。

・李芳遠

 朝鮮王。妃は2歳年上の元敬王后。当初は夫婦関係が良好で8人の子を儲けた。また、夫を暗殺危機から救い、李氏朝鮮建国に貢献した。しかし、夫が即位後宮を持つようになると、夫婦仲は悪化した。

・世宗

 朝鮮王。2歳年上の昭憲王后を深く愛し、10子を儲けた。父王が外戚を警戒し、昭憲王后廃位しようとした際にも妃を守り抜いた。

・端宗

 朝鮮王。妃は1歳年上の定順王后政治闘争に巻き込まれ、16歳の若さ流刑処刑された。妻は毎日朝夕、泣き叫んで夫の冥福を祈った。

・睿宗

 朝鮮王正室は1歳年上の恭恵王后。間に子はなかったが、心優しい彼女後宮にも優しく接っした。正室が病に倒れると王は毎日彼女を見舞った。

・中宗 

 朝鮮王正室であった1歳年上の端敬王后即位後7日で廃位されてしまう。しかし、王は彼女のことを生涯愛し続け、妻の実家のある仁王山を毎日眺めた。それを知った王后自分が良く来ていた服を山にかけた。

フアン

 アラゴン王。3歳上のマルタは穏やかな性格で短気な夫を度々なだめた。

フィリップ5世

 ブルゴーニュ公。1歳年上の善良な妻ミシェルは夫によく尽くし、領民からも愛された。

・ルネ・ダンジュー

 フランス王族ロレーヌ公。9歳年上の妻イザベル聡明で夫と共同で統治に当たった。夫が敵と交戦中には自ら軍を率いて援護に向かう、夫が敵に捕らわれている間も国政や軍事を代わりに行うなどした。

・正統帝

 明の皇帝。正妃は1歳年上の銭妃。彼女は夫を深く愛し、皇帝モンゴル軍の捕虜となった際には宮中財産を集めて身代金を払おうとするも失敗、悲しみから毎日泣き続け、左目が失明、足が不自由になった。解放された正統帝は軟禁状態になったが、その間銭妃は夫を慰め続けた。その後帝位に返り咲いた皇帝は妻との合葬を遺命したが果たされなかった。

・成化帝

 明の皇帝。19歳年上の万皇貴妃を溺愛したが、嫉妬深い彼女は他の妃を悉く堕胎させた。彼女が亡くなった悲しみから皇帝は同年に没した。

マキシミリアン1世

 神聖ローマ皇帝。2歳上のマリー・ド・ブルゴーニュ結婚ブルゴーニュ公となった。政略結婚であったが仲は良く、共に乗馬狩猟に興じた。しかし、マリーが落馬事故で亡くなったため、5年で幸福結婚生活は幕を閉じた。妻の死後マキシミリアンはローマ皇帝となる。

アフォンソ

 ポルトガル皇子。5歳上のイザベル結婚した。夫婦関係は良好だったが、落馬事故夭折した。イザベル再婚しないことを宣言したが、ポルトガル国王マヌエル1世結婚することとなった

アンリ2世

 フランスヴァロワ朝国王。19歳年上の愛人ディアヌ・ポワティエうつつを抜かし、正妻カトリーヌ・ド・メディシス冷遇した。厳密には妻ではない。

・フェルディナン2世

 オーストリア大公秘密裏に2歳上の豪商の娘フィリッピーネと貴賤結婚した。フィリッピーネは豊富薬学知識を持ち、貧民の救済に努めた。

後花園天皇

 8歳年上の信子を寵愛し、後土御門天皇を儲けた。

後土御門天皇

 5歳年上の朝子を寵愛し、後柏原天皇を儲けた。

・ヨハン3世

 スウェーデン国王。兄王エリク14世の許しを得ず、11歳年上のポーランド王女カタジナと結婚したため謀反を疑われ投獄された。加えてロシアイヴァン4世から離婚要求されたが、妻への愛を守り通した。解放され即位した彼の政治にも妻は大きな影響を及ぼした。

織田信長

 6歳年上の側室生駒吉乃を正室なみに優遇し、病に倒れた際には頻繁に見舞ったとされる。吉乃は不明な点が多く実は信長より年下ではないかとされることもある

直江兼続

 3歳上の船と結婚した。側室を持たなかったこから彼女への愛の深さが窺える。

バッハ

 1歳年上のマリア・バルバラ結婚。7人の子を儲けた。夫婦仲は円満であったが、彼女が急死したため再婚した。バッハは前妻と同じく後妻も深く愛し生涯20の子を儲けた。

・ウィレム4世 

 オラニエ公オランダ総督。2歳年上のアンと結婚した。彼女国民からの人気が無かったが、残された手紙から夫婦仲は良かったことが窺える

フェルナンド6世

 スペイン王。妃のバルバラは2歳年上。不美人であった妻を初めて見たときは落胆したが、音楽を通じて良好な夫婦関係を築き、妻の死を深く悲しんだ

グレゴリーポチョムキン

 ロシア軍人10歳上の女帝エカチョリー2世事実上の夫。二人は深い絆で結ばれ、ポチョムキンは妻を支え続けた。晩年は軽んじられるようになったが、彼が没するとを女帝は深く悲しんだ

レオポルト2世

 神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃マリア・ルドヴィカと結婚美人で親切な彼女は夫に献身的であり、愛人にも優しく接した。貧者の救済も行い、「女性美徳モデル」と称された。

上杉鷹山

 側室お豊の方は10歳上で賢妻として知られる。

ワシントン

 1歳年上の未亡人マーサ結婚した。家庭的で穏やかな性格彼女は夫に献身的に尽くした。独立戦争最中には夫に同行し傷病兵の看護に当たった。

ジョージ4世

 イギリスハノーバー朝国王。6歳上の未亡人マリア・フィッツバードに夢中になり、秘密結婚した。正妻キャロラインのことは嫌っており、冷遇したため、国民彼女に同情した。

・ジェンキンソン(2代リヴァプール伯爵

 イギリス首相。3歳年上のルイザと結婚した。ルイーザは病弱ながらも信心深く献身的で時には秘密文書コピーするなどして夫の政治活動を支えた。彼女は貧者や病人の援助にも力を注いだ。

・ハンス・アンデルセン

 童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン父親12歳上のアンネ・マリーと結婚した。

ナポレオン

 6歳上の美女ジョゼフィーヌ結婚した。ナポレオンが妻に熱烈な愛を向けたのに対し、ジョゼフィーヌは夫のラブレター晒して笑いものにするなど、当初は良好とは言えない夫婦関係であった。跡継ぎに恵まれなかったため、二人は離婚したが、ジョゼフィーヌ皇后称号を維持することが許され、二人の間に交流が続いた。ナポレオンは臨終の際に元妻の名を呼んだ。

フィルモア

 アメリカ大統領。2歳年上の教師アビゲイル結婚した。共に読書家であった二人の仲はよく、大統領就任後も妻に政治アドバイスを求めた。ホワイトハウス図書館建設したのもアビゲイルである

ディズレーリ

 イギリス首相12歳年上のメアリー結婚。当初は金目当てで結婚したが、次第に愛し合うようになり、政敵グラッドストンですらその夫婦関係模範的と称えた。

ダーウィン

 1歳上のいとこエマウェッジウッド結婚エマは絵に描いたような良妻賢母で度重なる子の死に耐え、病弱な夫を支え続けた。

ガスコイン=セシル(3代ソールズベリー侯)

 イギリス首相。父からの激しい反対を押し切って3歳年上のジョージナと結婚したため、仕送りを停止され経済的苦境に陥った。生活費を稼ぐため政治記事寄稿で稼いだが、聡明な妻は夫の執筆活動を支えた。首相就任後もジョージナは内気な夫に代わって社交界活躍した。

マネ 

 フランス印象派画家。弟の家庭教師を務めていた2歳年上のピアノ奏者シュザンヌと恋仲になる。結婚に反対した父の死後二人は結ばれ、マネは妻をモデルとした絵を何点か残している。

ロバートグールド・ショー 

 南北戦争英雄。2歳上の妻アニーは夫の死後生独身を貫いた。

ベルハルト・フォン・ビューラー 

 ドイツ帝国首相。1歳年上の妻マリアと結婚した。

勝海舟

 2歳上の民子結婚民子は奔放な夫を懸命に支え続けたが、最後は愛想を尽かしたようで勝のそばに埋めるなと言い残した。

小松帯刀

 維新の十傑の一人。7歳年上の妻近を深く愛した。日本で初めて新婚旅行に行ったのは坂本龍馬とされることが多いが実は小松帯刀である

明治天皇 

 3歳上の昭憲皇太后結婚したが、世継ぎは産まれなかった

・同治帝

 清の皇帝。2歳年上の孝哲毅にうつつを抜かしすぎたため、母の西太后に引き離された。孤独を紛らわせるため、遊郭に通うようになりそこで梅毒感染し死亡した

ハリソン

 アメリカ大統領。1歳年上のキャロライン結婚彼女ホワイトハウスの改修、女性の権利向上に貢献し、ホワイトハウス初の女性スタッフが雇われた。

キャンベル=バナーマン

 イギリス首相。4歳年上のシャーロット結婚夫婦は生涯にわたり親密であった。シャーロットは野心に欠ける夫の政治活動を支え、彼女の死後体調が悪化するようになった。

エルガー

 イギリス作曲家。8歳年上のキャロラインアリス結婚。「愛の挨拶」は将来の妻のために捧げられた曲である聡明なキャロラインエルガー音楽活動を生涯にわたって支え続けた。妻の死後彼の音楽活動は低迷した。

・ポワンカレ

 フランス大統領。2歳年上の未亡人ヘンリエッタ結婚した。

レーニン

 1歳上のナデジダと結婚した。彼女レーニンと共に革命運動に一生を捧げ、夫が病気に倒れた際も献身的介護した。

アルカポネ

 1歳年上のメアリー結婚した。彼女は両親の反対を押し切って結婚し、夫が投獄されると何通も手紙を書き頻繁に訪問した。稀代の大悪党だが、伴侶には恵まれたようだ

ヤスパース

 ドイツ出身哲学者。4歳上のガードルートと結婚した。彼女ユダヤ人であったため、ナチスドイツから弾圧を受けたが、妻への愛を守り通した。夫婦で家に籠城し、強制収容所に送れられそうになる寸前で連合国軍が来て、夫婦の愛は引き裂かれずに済んだ。

ゲーリング 

 ヒトラーの側近。5歳年上のカリン結婚。二人は深く愛し合ったが、病弱な彼女は43歳で亡くなった。ゲーリング彼女に因みカリンハル命名された別荘を建設、自邸にもカリン

記念品で埋め尽くされた自室を設置した。一方前妻だけでなく後妻エミーも深く愛した。

チャンドラー

  Permalink | 記事への反応(1) | 23:32

2023-04-07

年上の妻と結婚した歴史上の偉人

ツタンカーメン

 7歳上のアンケセナーメン結婚。夫の死後彼女が捧げた花を墓の発掘者カーターは「どんな財宝よりも美しかった」と称えた。未亡人となったアンケセナーメン後継者アイとの結婚を嫌がった。

ネロ

 7歳年上の美女ポッパエアを寵愛。彼女の死を深く悲しみ、当時の慣習であった火葬ではなく防腐処理をして霊廟に収めた。

ムハンマド

 25歳の時に15歳年上の未亡人ハディージャ結婚天啓を受けたムハンマドを励まし予言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房ハディージャである

仁明天皇

 1歳年上の淳子を寵愛し、文徳天皇を儲ける。

オットー1世

 初代神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃エドギタは美貌と信仰心を兼ね備え、彼女が若くして無くなると深く悲しんだ。

・ルイ4世 

 西フランク国王。7歳年上のジェルベルジュと結婚した。彼がバイキング誘拐されたとき彼女交渉により彼の解放を実現した。夫の死後は摂政として息子ロタールを支えた。

円融天皇

 12歳年上の媓子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが、跡継ぎに恵まれ立后後6年で媓子は崩御した

・ロベール2世

 フランス国王。8歳年上のベルトと結婚したが、彼女とは又従姉妹であったため近親相姦に当たるとされ、ローマ教皇破門と引き換えに離婚させられた。しかし、離婚後もベルトを愛し続け関係は続いた。

藤原道長

 2歳上の正室倫子とは夫婦円満で多くの子宝に恵まれたことが出世に繋がった。

一条天皇

 皇后は3歳上の定子教養人であった二人の仲は良好であった。

三条天皇

 2歳年上の綏子、4歳年上の娍子を娶る。綏子は当初は寵愛を受けるも、愛を試すために氷を握らされ、変色した手を見て興ざめされるという理不尽理由で寵愛を失う。娍子も寵愛を受け6人の子を儲けた。

後一条天皇

 9歳上の中宮威子以外の妻を娶らなかった。

堀河天皇

 中宮は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして崩御すると篤子は出家した。

鳥羽天皇

 2歳上の中宮璋子の間に7人の子を儲け、彼女の死を看取った際には号泣した。

二条天皇

 病没した近衛天皇中宮で3歳上の多子を寵愛した。夫の没後多子出家し、二人の夫の菩提を祈った。

徽宗

 北宋皇帝側室の顕粛皇后は3歳年上。身分は低かったが、美人詩才の会った彼女皇帝の寵愛を受けた。

高倉天皇

 平清盛の娘で13歳年上の徳子と結婚し、安徳天皇を儲けた。同時代活躍した右京太夫によると夫婦仲は良好であった。

平宗盛

 平清盛の息子。1歳年上の妻清子が亡くなると深く悲しみ、官職を辞した。一方で妻の遺言に従いその遺児を大切に育て上げた

・寧宗

 南宋皇帝。3歳上の温和な韓皇后と6歳上の多芸多才な楊皇后結婚し、二人は皇帝の寵愛を競った。

チンギスハン

 1歳上の妻ボルテ結婚した。チンギスが弱小武将であった頃からの妻は特別存在であったようでチンギスの後継者は皆ボルテの息子である

藤原頼経

 鎌倉幕府将軍。16歳年上の竹御所結婚した。夫婦仲は円満だったが、男児死産し亡くなったため、頼朝の直系は途絶えた

ビルイェル

 スウェーデン国王。3歳年上の王妃マルタと仲が良く、彼女は国政に大きな影響を与えた。一方で弟のエリクとは不仲であったため、妻と共謀して獄死させた。

フィリップ5世

 フランス国王。1,2歳年上の妻ジャンヌ姦通疑惑幽閉された際も彼女を信じ続けたため、無事釈放された。

足利義満

 和歌に秀でた7歳年上の正室日野業子を寵愛した。

・李芳遠

 朝鮮王。妃は2歳年上の元敬王后。当初は夫婦関係が良好で8人の子を儲けた。また、夫を暗殺危機から救い、李氏朝鮮建国に貢献した。しかし、夫が即位後宮を持つようになると、夫婦仲は悪化した。

・世宗

 朝鮮王。2歳年上の昭憲王后を深く愛し、10子を儲けた。父王が外戚を警戒し、昭憲王后廃位しようとした際にも妃を守り抜いた。

・端宗

 朝鮮王。妃は1歳年上の定順王后政治闘争に巻き込まれ、16歳の若さ流刑処刑された。妻は毎日朝夕、泣き叫んで夫の冥福を祈った。

・睿宗

 朝鮮王正室は1歳年上の恭恵王后。間に子はなかったが、心優しい彼女後宮にも優しく接っした。正室が病に倒れると王は毎日彼女を見舞った。

・中宗 

 朝鮮王正室であった1歳年上の端敬王后即位後7日で廃位されてしまう。しかし、王は彼女のことを生涯愛し続け、妻の実家のある仁王山を毎日眺めた。それを知った王后自分が良く来ていた服を山にかけた。

フアン

 アラゴン王。3歳上のマルタは穏やかな性格で短気な夫を度々なだめた。

・ルネ・ダンジュー

 フランス王族ロレーヌ公。9歳年上の妻イザベル聡明で夫と共同で統治に当たった。夫が敵と交戦中には自ら軍を率いて援護に向かう、夫が敵に捕らわれている間も国政や軍事を代わりに行うなどした。

・正統帝

 明の皇帝。正妃は1歳年上の銭妃。彼女は夫を深く愛し、皇帝モンゴル軍の捕虜となった際には宮中財産を集めて身代金を払おうとするも失敗、悲しみから毎日泣き続け、左目が失明、足が不自由になった。解放された正統帝は軟禁状態になったが、その間銭妃は夫を慰め続けた。その後帝位に返り咲いた皇帝は妻との合葬を遺命したが果たされなかった。

・成化帝

 明の皇帝。19歳年上の万皇貴妃を溺愛したが、嫉妬深い彼女は他の妃を悉く堕胎させた。彼女が亡くなった悲しみから皇帝は同年に没した。

マキシミリアン1世

 神聖ローマ皇帝。2歳上のマリー・ド・ブルゴーニュ結婚ブルゴーニュ公となった。政略結婚であったが仲は良く、共に乗馬狩猟に興じた。しかし、マリーが落馬事故で亡くなったため、5年で幸福結婚生活は幕を閉じた。妻の死後マキシミリアンはローマ皇帝となる。

アフォンソ

 ポルトガル皇子。5歳上のイザベル結婚した。夫婦関係は良好だったが、落馬事故夭折した。イザベル再婚しないことを宣言したが、ポルトガル国王マヌエル1世結婚することとなった

アンリ2世

 フランスヴァロワ朝国王。19歳年上の愛人ディアヌ・ポワティエうつつを抜かし、正妻カトリーヌ・ド・メディシス冷遇した。厳密には妻ではない。

・フェルディナン2世

 オーストリア大公秘密裏に2歳上の豪商の娘フィリッピーネと貴賤結婚した。フィリッピーネは豊富薬学知識を持ち、貧民の救済に努めた。

後花園天皇

 8歳年上の信子を寵愛し、後土御門天皇を儲けた。

後土御門天皇

 5歳年上の朝子を寵愛し、後柏原天皇を儲けた。

・ヨハン3世

 スウェーデン国王。兄王エリク14世の許しを得ず、11歳年上のポーランド王女カタジナと結婚したため謀反を疑われ投獄された。加えてロシアイヴァン4世から離婚要求されたが、妻への愛を守り通した。解放され即位した彼の政治にも妻は大きな影響を及ぼした。

直江兼続

 3歳上の船と結婚した。側室を持たなかったこから彼女への愛の深さが窺える。

バッハ

 1歳年上のマリア・バルバラ結婚。7人の子を儲けた。夫婦仲は円満であったが、彼女が急死したため再婚した。バッハは前妻と同じく後妻も深く愛し生涯20の子を儲けた。

フェルナンド6世

 スペイン王。妃のバルバラは2歳年上。不美人であった妻を初めて見たときは落胆したが、音楽を通じて良好な夫婦関係を築き、妻の死を深く悲しんだ

グレゴリーポチョムキン

 ロシア軍人10歳上の女帝エカチョリー2世事実上の夫。二人は深い絆で結ばれ、ポチョムキンは妻を支え続けた。晩年は軽んじられるようになったが、彼が没するとを女帝は深く悲しんだ

レオポルト2世

 神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃マリア・ルドヴィカと結婚美人で親切な彼女は夫に献身的であり、愛人にも優しく接した。貧者の救済も行い、「女性美徳モデル」と称された。

上杉鷹山

 側室お豊の方は10歳上で賢妻として知られる。

ワシントン

 1歳年上の未亡人マーサ結婚した。家庭的で穏やかな性格彼女は夫に献身的に尽くした。独立戦争最中には夫に同行し傷病兵の看護に当たった。

ジョージ4世

 イギリスハノーバー朝国王。6歳上の未亡人マリア・フィッツバードに夢中になり、秘密結婚した。正妻キャロラインのことは嫌っており、冷遇したため、国民彼女に同情した。

・ジェンキンソン(2代リヴァプール伯爵

 イギリス首相。3歳年上のルイザと結婚した。ルイーザは病弱ながらも信心深く献身的で時には秘密文書コピーするなどして夫の政治活動を支えた。彼女は貧者や病人の援助にも力を注いだ。

・ハンス・アンデルセン

 童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン父親12歳上のアンネ・マリーと結婚した。

ナポレオン

 6歳上の美女ジョゼフィーヌ結婚した。ナポレオンが妻に熱烈な愛を向けたのに対し、ジョゼフィーヌは夫のラブレター晒して笑いものにするなど、当初は良好とは言えない夫婦関係であった。跡継ぎに恵まれなかったため、二人は離婚したが、ジョゼフィーヌ皇后称号を維持することが許され、二人の間に交流が続いた。ナポレオンは臨終の際に元妻の名を呼んだ。

フィルモア

 アメリカ大統領。2歳年上の教師アビゲイル結婚した。共に読書家であった二人の仲はよく、大統領就任後も妻に政治アドバイスを求めた。ホワイトハウス図書館建設したのもアビゲイルである

ディズレーリ

 イギリス首相12歳年上のメアリー結婚。当初は金目当てで結婚したが、次第に愛し合うようになり、政敵グラッドストンですらその夫婦関係模範的と称えた。

ダーウィン

 1歳上のいとこエマウェッジウッド結婚エマは絵に描いたような良妻賢母で度重なる子の死に耐え、病弱な夫を支え続けた。

ガスコイン=セシル(3代ソールズベリー侯)

 イギリス首相。父からの激しい反対を押し切って3歳年上のジョージナと結婚したため、仕送りを停止され経済的苦境に陥った。生活費を稼ぐため政治記事寄稿で稼いだが、聡明な妻は夫の執筆活動を支えた。首相就任後もジョージナは内気な夫に代わって社交界活躍した。

マネ 

 フランス印象派画家。弟の家庭教師を務めていた2歳年上のピアノ奏者シュザンヌと恋仲になる。結婚に反対した父の死後二人は結ばれ、マネは妻をモデルとした絵を何点か残している。

ロバートグールド・ショー 

 南北戦争英雄。2歳上の妻アニーは夫の死後生独身を貫いた。

ベルハルト・フォン・ビューラー 

 ドイツ帝国首相。1歳年上の妻マリアと結婚した。

勝海舟

 2歳上の民子結婚民子は奔放な夫を懸命に支え続けたが、最後は愛想を尽かしたようで勝のそばに埋めるなと言い残した。

小松帯刀

 維新の十傑の一人。7歳年上の妻近を深く愛した。日本で初めて新婚旅行に行ったのは坂本龍馬とされることが多いが実は小松帯刀である

明治天皇 

 3歳上の昭憲皇太后結婚したが、世継ぎは産まれなかった

・同治帝

 清の皇帝。2歳年上の孝哲毅にうつつを抜かしすぎたため、母の西太后に引き離された。孤独を紛らわせるため、遊郭に通うようになりそこで梅毒感染し死亡した

ハリソン

 アメリカ大統領。1歳年上のキャロライン結婚彼女ホワイトハウスの改修、女性の権利向上に貢献し、ホワイトハウス初の女性スタッフが雇われた。

キャンベル=バナーマン

 イギリス首相。4歳年上のシャーロット結婚夫婦は生涯にわたり親密であった。シャーロットは野心に欠ける夫の政治活動を支え、彼女の死後体調が悪化するようになった。

エルガー

 イギリス作曲家。8歳年上のキャロラインアリス結婚。「愛の挨拶」は将来の妻のために捧げられた曲である聡明なキャロラインエルガー音楽活動を生涯にわたって支え続けた。妻の死後彼の音楽活動は低迷した。

・ポワンカレ

 フランス大統領。2歳年上の未亡人ヘンリエッタ結婚した。

レーニン

 1歳上のナデジダと結婚した。彼女レーニンと共に革命運動に一生を捧げ、夫が病気に倒れた際も献身的介護した。

ヤスパース

 ドイツ出身哲学者。4歳上のガードルートと結婚した。彼女ユダヤ人であったため、ナチスドイツから弾圧を受けたが、妻への愛を守り通した。夫婦で家に籠城し、強制収容所に送れられそうになる寸前で連合国軍が来て、夫婦の愛は引き裂かれずに済んだ。

ゲーリング 

 ヒトラーの側近。5歳年上のカリン結婚。二人は深く愛し合ったが、病弱な彼女は43歳で亡くなった。ゲーリング彼女に因みカリンハル命名された別荘を建設、自邸にもカリン

記念品で埋め尽くされた自室を設置した。一方前妻だけでなく後妻エミーも深く愛した。

チャンドラー

 アメリカ作家。18歳年上のシシーと結婚彼女の死後悲しみから酒浸りになり自殺未遂を図るなどしたが、周囲の支えで復帰した。

ラブクラフト

 アメリカ作家クトゥルフ神話作家10歳年上のソニア結婚した。夫人事業が失敗した後も就職のために移住し、夫に仕送りを続けるなど献身的であった。しかし、親族の反対などが原因で離婚した。その後も文通を続けるなど関係は良好であった。

トールキン

 3歳上のエディスと結婚彼女とのデートから着想を得て、ベレンルーシエン恋物語が創られた。

スカルノ

 11歳上のインギットと結婚した。彼女は夫の独立運動を支えたが、一夫多妻制を拒否して離婚した。

ホーコン7世

 ノルウェー国王。3歳年上のモード結婚彼女慈善活動芸術家への支援を行った。

オーラ5世

 ノルウェー国王。2歳年上のマッタと結婚美人で明るい彼女は誠実な夫と共に国民から絶大な人気を誇った。ナチスドイツ侵略の際には海外亡命し、国際的援助を呼びかけた。

ダリ

 10歳上のガラと結婚。ガラは若いアーティストとの不倫を繰り返したが、ミューズマネージャーとして夫の創作に貢献し、彼女が亡くなるとダリ創作を辞めてしまった。

・崔 圭夏

 韓国大統領。3歳年

2023-02-19

カレンダー

どうでもいいことなんだけど、どうして2月28日までしかないの?って考えたことあるよね?

ローマ皇帝アウグストゥス(オーガスト語源?)が8月生まれで8月を31日にしたから2月の日数を減らしたとかどうとか。

ま、それは置いといて。

普通に考えれば、1年は365日だから、ひと月30日だとすると12つきで360日。

残りの五日は31日の月を5か月作ればいいわけじゃない?

うるう年31日の月をひと月増やせばいいだけなのね。

から例えば1月3月5月7月9月を31日。

2月4月6月8月10月11月12月を30日にすればいいわけ

うるう年11月31日にすればいいわけね。

うるう年だけ奇数月が31日、偶数月が30日になって、ちょうどいい塩梅になるのよね。

で、今のカレンダーって2月だけが極端に短くなってておかしくない?って思うわけよ。

ユリウス暦とかグレゴリオ暦とかカレンダー歴史ってあるわけだけど、もうそろそろ新カレンダー作ってもいいころじゃない?

20××年1月1日から世界一斉に新カレンダーに移行ってならないもんかね?

みんなそこんとこどう思ってるんだろうって思って。

ま、どうでもいい話なんだけどね。

-

2022-10-17

年上の妻と結婚した歴史上の偉人

ツタンカーメン

 7歳上のアンケセナーメン結婚。夫の死後彼女が捧げた花を墓の発掘者カーターは「どんな財宝よりも美しかった」と称えた。未亡人となったアンケセナーメン後継者アイとの結婚を嫌がった。

ムハンマド

 25歳の時に15歳年上の未亡人ハディージャ結婚天啓を受けたムハンマドを励まし予言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房ハディージャである

円融天皇

 12歳年上の媓子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが、跡継ぎに恵まれ立后後6年で媓子は崩御した

堀河天皇

 中宮は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして崩御すると篤子は出家した。

藤原道長

 2歳上の正室倫子とは夫婦円満で多くの子宝に恵まれたことが出世に繋がった。

一条天皇

 皇后は3歳上の定子教養人であった二人の仲は良好であった。

後一条天皇

 9歳上の中宮威子以外の妻を娶らなかった。

チンギスハン

 1歳上の妻ボルテ結婚した。チンギスが弱小武将であった頃からの妻は特別存在であったようでチンギスの後継者は皆ボルテの息子である

・成化帝

 明の皇帝。19歳年上の万皇貴妃を溺愛したが。嫉妬深い彼女は他の妃を悉く堕胎させた。彼女が亡くなった悲しみから皇帝は同年に没した。

マキシミリアン1世

 神聖ローマ皇帝。2歳上のマリー・ド・ブルゴーニュ結婚ブルゴーニュ公となった。政略結婚であったが仲は良く、共に乗馬狩猟に興じた。しかし、マリーが落馬事故で亡くなったため、5年で幸福結婚生活は幕を閉じた。妻の死後マキシミリアンはローマ皇帝となる。

アフォンソ

 ポルトガル皇子。5歳上のイザベル結婚した。夫婦関係は良好だったが、落馬事故夭折した。イザベル再婚しないことを宣言したが、ポルトガル国王マヌエル1世結婚することとなった

アンリ2世

 フランスヴァロワ朝国王。19歳年上の愛人ディアヌ・ポワティエうつつを抜かし、正妻カトリーヌ・ド・メディシス冷遇した。厳密には妻ではない。

・フェルディナン2世

 秘密裏に2歳上の豪商の娘フィリッピーネと貴賤結婚した。フィリッピーネは豊富薬学知識を持ち、貧民の救済に努めた。

直江兼続

 3歳上の船と結婚した。側室を持たなかったこから彼女への愛の深さが窺える。

グレゴリーポチョムキン

 ロシア軍人10歳上のエカチョリー2世事実上の夫

上杉鷹山

 側室お豊の方は10歳上で賢妻として知られる。

ジョージ4世

 イギリスハノーバー朝国王。6歳上の未亡人マリア・フィッツバードに夢中になり、秘密結婚した。正妻キャロラインのことは嫌っており、冷遇したため、国民彼女に同情した。

・ハンス・アンデルセン

 童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン父親12歳上のアンネ・マリーと結婚した。

ナポレオン

 6歳上の美女ジョゼフィーヌ結婚した。ナポレオンが妻に熱烈な愛を向けたのに対し、ジョゼフィーヌは夫のラブレター晒して笑いものにするなど、当初は良好とは言えない夫婦関係であった。跡継ぎに恵まれなかったため、二人は離婚したが、ジョゼフィーヌ皇后称号を維持することが許され、二人の間に交流が続いた。ナポレオンは臨終の際に元妻の名を呼んだ。

ディズレーリ

 イギリス首相12歳年上のメアリー結婚。当初は金目当てで結婚したが、次第に愛し合うようになり、政敵グラッドストンですらその夫婦関係模範的と称えた。

ダーウィン

 1歳上のいとこエマウェッジウッド結婚エマは絵に描いたような良妻賢母で度重なる子の死に耐え、病弱な夫を支え続けた。

ロバートグールド・ショー

 南北戦争英雄。2歳上の妻アニーは夫の死後生独身を貫いた。

勝海舟

 2歳上の民子結婚民子は奔放な夫を懸命に支え続けたが、最後は愛想を尽かしたようで勝のそばに産めるなと言い残した。

明治天皇

 3歳上の昭憲皇太后結婚したが、世継ぎは産まれなかった

レーニン

 1歳上のナデジダと結婚した。彼女レーニンと共に革命運動に一生を捧げ、夫が病気に倒れた際も献身的介護した。

ヤスパース

 ドイツ出身哲学者。4歳上のガードルートと結婚した。彼女ユダヤ人であったため、ナチスドイツから弾圧を受けたが、妻への愛を守り通した。夫婦で家に籠城し、強制収容所に送れられそうになる寸前で連合国軍が来て、助かった。

トールキン

 3歳上のエディスと結婚彼女とのデートから着想を得て、ベレンルーシエン恋物語が創られた。

スカルノ

 11歳上のインギットと結婚した。彼女は夫の独立運動を支えたが、一夫多妻制を拒否して離婚した。

ダリ

 10歳上のガラと結婚。ガラは若いアーティストとの不倫を繰り返したが、ミューズマネージャーとして夫の創作に貢献し、彼女が亡くなるとダリ創作を辞めてしまった。

田中角栄

 8歳上のはなと結婚。はなは表に出ず、陰で夫を支え続けた。

マイケルアリス

 イギリスチベット学者。妻は1歳上のアウンサンスーチー。妻の民主化運動ロビー活動支援したが、自宅軟禁により引き離され、二人が再会することは叶わなかった。

他にもこんな人居るよっていうのが居たら教えてください。夫婦仲が険悪なのは除外しま

2022-07-27

[] そのさんびゃくななじゅういち

デキウーッス

 

フィンランドの方では本日はお寝坊さんの日と呼ばれており

この日、家で一番遅くまで寝ていた人の顔に水を掛けたり、寝ているままの状態で川に投げ込むなどして起こす日らしいです。

その昔、ローマ皇帝宗教的迫害を行いそれを危惧した7人の宗教に詳しい若者がある洞窟に逃げ込んで寝て過ごしていたら、目を覚ました時には200年経っていたという逸話から来てるそうです。

7人の眠り男だとか、7人の眠り聖人だとか呼ばれるのだそうな。

二百年経って目を覚ますとかタイムスリップとかコールドスリープとかの類ですかね。

その迫害してきた皇帝が亡くなったことで徐々に国教になってきて、そうして二百年ぐらい経った頃にはその宗教について熱く議論を交わせるようになり、そんでそのタイミングでその宗教にまつわる聖人達が復活した、とかなんで

まぁきっと、有難い教典とかそういうのを語り継いできた子孫の人達が現れた、と解釈するのがベターなんでしょうね。

 

ということで本日は【技術継承いか】でいきたいと思います

技術継承いか技術継承ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2022-04-30

anond:20220430233041

11月12月存在しなかったことは本当で、月の感覚としては10月終わると「冬」だった

ローマ皇帝が春を感じると新年に入り1月カウントが始まる

2022-02-13

カリギュラ効果

カリギュラ効果とは、ダメと言われるとかえって興味を掻きたてられ、逆の行動に走るという心理現象のこと。

ローマ皇帝カリグラモデルにしたアメリカ映画カリギュラ」が語源

過激な内容のため、一部地域で上映禁止になると、皆が映画館に押しかけ大ヒットしたことで有名です

2021-03-01

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(3)

戻る→anond:20210301080139

E・M・フォースター「ハワーズ・エンド

「人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたししまいには、どこかの場所わたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする」

つの家族の間を行き来しながら、人間記憶や、場所への執着を捉えた文章。それはまるで、漱石のいいところだけ抜き出したような文章だった。

ところで、同じ著者の「インドへの道」もいい。これは大英帝国支配下インドで、未婚女性が現地の男性暴行されたという疑惑を巡る話だ。女性を守ろうとする騎士道精神排外主義が結びつき、支配者と被支配者の亀裂が広がる様を描く、不幸にして極めて現代的な作品である冤罪をかけられたインド人が、「誰があんな不美人な年増を」と心の中で毒づくの、とても嫌なリアリティがある。たぶん、帯を工夫したら売れるし、どっちの「弱者」がより保護されるべきか的な話題で定期的に盛り上がる増田住民にも刺さるんじゃないかな。

ニコルソン・ベイカー中二階

切れた靴紐を昼休みに買うだけの、注釈だらけの何だかよく分からない小説。細やかな観察眼と都市生活者が思わず共感してしまう日々の経験で、要するにあるあるネタで延々と読ませる。すごい。こういうのが現代文学なのね、みたいに一席ぶつのにも使えるかもしれない。

真面目な話をすると、文学はいろいろな機能があって、それは作者の意図とはかけ離れているかもしれないのだけれども、その結果的機能の一つとして、その時代言語化されていないもの文字化するというのがある。だから文学賞を受賞した作品からと言って、実は今の自分が読んでも面白いかどうかは全くの別問題なのだ文章が巧みで、いかにも知的主人公知的な悩みを描いた文学けが主流な時代は終わっているのかもしれない。そういうのが好きな人古典で充分であるし、逆に言えばいろんな立場の人のきれいごとではないこじれた気持ちが知りたければ現代文学面白い

ヘルマン・ヘッセ車輪の下

理由は書かないが、自分は周囲の期待を一身に背負っていたエリート挫折する話が好きだ。前途有望な若者が、将来を棒に振ったり挫折したりする筋書きに対するこの偏愛ゆえに、自分は「ゲド戦記第一部の前半部分や「スターウォーズ」のエピソード3に対する執着がある。

生きていくとは何らかの失望を味わうことであり、時間をかけてそれらを味わいつつ咀嚼していく過程であるのだけれど、こうした自分のどうにもならない感情言語化した先行作品があることで、自分孤独ではないとわずかな慰めが得られる。

ホルヘ・ルイス・ボルヘス伝奇集」

「鏡の中の鏡」「魔術」「薔薇の名前」などの元ネタとなる作品を書いた人。「バベル図書館」は聞いたことがある人もいるかもしれない。

非常に濃密な短編を書く人で、このネタで長篇普通に書けちゃうだろ、みたいなネタをそのまま短篇調理する。どの作品も非常に濃密で、読み解くのにエネルギーがいる。文体は簡潔で、物語必要最小限の描写できびきびと進む。ただ、具体的に何が起きているのか、そしてなぜそうなったのか、その設定の意味は何か、を追うには読者に教養要求される。読破すると、それ以上のものが得られる。読み終わったらカルヴィーノだとかスタニスワフ・レムの「虚数」だとかミロラド・パヴィチ「ハザール事典」だとかそういう沼にようこそ。

ジョン・ミルトン失楽園

キリスト教文学の癖にルシファーがめちゃくちゃかっこいい。地獄に落ちても神への反逆を続けよとアジる場面は音読したくなる。そのくせ、彼の弱く情けない姿もまた魅力的だ。アダムエヴァ楽園で楽しげにしているところを見て、自分には愛する伴侶もなく、人類に与えられている神から恩寵も既に失われたことを嘆く場面もまた、声に出して読みたい。そして、彼は人類への憎悪嫉妬のゆえに、アダムエヴァ堕落させる。この叙事詩の主役はルシファーだ!

紫式部源氏物語

好きなヒロイン六条御息所自分の意に反して生霊飛ばし他人を苦しめてしまうことに悩むのがかわいそうでならない。今でいうなら、好きという感情コントロールできなくて、それでも好きな人が振り向いてくれなくて苦しんでいるタイプで、感情エネルギーが強い自分としては大いに共感する。

他に好きなキャラクターというか、嫌なリアリティがあっていいと思うのは薫で、その優柔不断さがいい。「この子とつきあいたいけど、でもこの子そっくりな別の子はい雰囲気だしなあ」みたいな優柔不断というか欲深さは、男性心理をよく観察していないと書けない。そういう意味で、自分の中では紫式部評価がすごく高い。

アルベルト・モラヴィア軽蔑

情けない夫が不機嫌な妻に、お前それだけはやっちゃダメだろ的な行為を延々続け、妻から完全に軽蔑され、とうとう上司に妻を寝取られしまうだけの話で、一人称視点から延々と繰り返される言い訳はひたすらに情けない。ねえ、僕のこと愛してる? 嫌いになっちゃった? と尋ねまくって、わかっているくせにとぼけないで! 今忙しいから後にして! うるさいからほっといて! もう愛してないったら! あなた軽蔑するわ! と怒らせるのは、完璧反面教師であり、ギャグすれすれだ。

しかし、作者は妻のことを相当恨んでたんだなあ。

サマセット・モーム人間の絆」

身体劣等感を持つ主人公が、付き合うだけで不幸をもたらす浮気性の彼女を振り切って、幸せにしてくれる女性を見つける話。多くの人が何かしらのコンプレックスを持っているし、何であん自分に敬意を払ってくれない人を好きになったんだろうって記憶を持っていることだろう。王道過ぎるといえばそうかもしれないが、結婚してハッピーになる王道何が悪い

マルグリット・ユルスナールハドリアヌス帝の回想」

ローマ皇帝自分の治世を振り返る体裁でありながら、欺瞞自己満足をさほど感じないのは文体のせいなのか。時代性別文化言語も超えて、別の個人に憑依しながらも、己を見失うことなく語る著者の声は、他人視点に立って(歴史小説を書くとはどういうことなのかを、これからも厳しく問い続けることだろう。

中年や老人にならないと書けない小説がある。そして何年もかけて書かれる小説があり、構想から数十年が過ぎて着手される作品もある。そうした重みを持つ文学作品がどれほどあることか。

技巧も素晴らしく、文体も素晴らしい。こうした作品に出合えるのは、年に一度か二度だ。

吉田兼好徒然草

説教臭い頑固おやじブログ基本的には仏教説話が多いが、それらに交じって挿入される、「〇〇という迷信には典拠がない」だの「〇〇という習慣は最近のもので、本来のありようや精神とはかけ離れている」だの「〇〇という言葉語源を考えれば正しくは〇〇と言うべきだ」だのが、まさにその辺のおじさんがいかにも言いそうなことで面白い

ただ、それだけじゃなくて、第三十九段の「或人、法然上人に、……」のエピソードは、「とりあえずできるところから頑張ればいいじゃん?」的な内容で励まされるし、十八段の「人は己れをつづまやかにし、……」は身軽に生きていくことの幸せさを教えてくれる。

ジュンパ・ラヒリ「その名にちなんで」

最高だった。ラヒリ大好き。体調崩すレベルで刺さった。アイデンティティの混乱という古典テーマもさることながら、ラストシーン過去と不在の人物記憶が、そして小説の全体が何気ないものによって濃密によみがえってくる様子がすばらしい。そのイメージプルースト以上に強度があるかもわからない。

これは、インテリインド系(ベンガル人移民第一第二世代の話なんだけれど、読んでいるうちに海外赴任者の寄る辺なさを思い、つまりイギリス暮らしていた自分の両親の境遇勝手連想させられ、ついつい感傷的になってしまった。随分と勝手な読み方だが、小説の読み方はいつも私的ものから構わないだろう。

外国では気候も習慣も何もかもが違う。両親の教えることと学校でやることが矛盾していて、両親が里帰りしても子供たちは故郷のノリについていけない、ってのが、すごくパーソナルなツボをついてくる。こういう経験がなくても、地方と都会として読み替えると、増田でいつも議論されている話にも近づくんじゃないかな。

H・P・ラブクラフト時間からの影」

正直なんでこの時代ラブクラフトを読むのか、というのはある。人種差別主義者だし、排外主義者だし、クトゥルフ物はパターンが決まっているコントみたいだし(人類理解できない名状しがたいものに触れて発狂するのが基本的オチ)。でも、彼の持っていた宇宙の巨大さと人類の取るに足らなさという感覚は、まさにセンス・オブ・ワンダーだ。そして、「人間感情の中で最も古くて強いのが恐怖であり、その中で最も強いのが未知のものへの恐怖である」という言葉の通り、究極的には理解できない「他者」という存在の恐怖にまっすぐに向き合おうとしたことを何よりも評価したい。

この作品が好きな理由もまた、不気味なクリーチャーが非常に知的であり、かつ知識欲が旺盛だということによっている。

U・K・ル・グインゲド戦記

一巻から三巻までは、ゲドという人物自我確立に始まり他者を助けることや世界を救う英雄行為が扱われる。しかし、実はゲド戦記は第四部からが本番なのだ。あらゆる魔法の力を失い無力な存在となった彼が、魔法のある世界いかに生きていくか。これは、老いに直面する男性物語だ。

そして第五巻! ゲドの生涯で一番の功績が、実は重大な誤り、人類傲慢に過ぎなかったのではないか、という仕事に生きてきた男性には非常に厳しい可能性が示される。

しかし、ル・グインはゲドにとてもいい歳の取らせ方をしている。果てしなく努力をすれば、男性女性を、女性男性理解できるのだと作者はどこかで述べていたが、その希望を見せてくれるし、そこに女性作家を読む喜びの一つがある。

男性気持ちがよくわからない女性にもオススメしたい。

ジュール・ルナールにんじん

いわゆる毒親について書かれた小説なんだけど、ねちねちしていなくていい。文体は軽く、描写も簡潔。だからこそ、彼の育った環境の異常さが際立ってくる。なんでこんな親子関係なっちゃったかについて掘り下げられることもほとんどない。

そして、暗鬱なだけの作品にならないのは、にんじん少年の異常なたくましさだ。ひどい目に合っても受け流し、冷淡な母から何とか愛されようともがいている。読んだときの年齢によって、感想は大きく変わるだろう。

以上。五十音順計算を間違って40冊の予定が1冊増えた。書いていて非常に楽しかった。

2020-10-13

歴代ローマ皇帝アヌスが付かないのはひとりしかいない

オクタヴィアヌス

ティベリアヌス

カリアヌス

クラウディアヌス

アヌス

ガルアヌス

オトアヌス

ウィッテアヌス

ウェスパシアヌス

ティトゥアヌス

ドミティアヌス

ネルウァヌス

トラアヌス

ハドリアヌス

アントアヌス・ピウス

マルクス・アウレアヌス

ルキウス・ウェアヌス

コンモアヌス

ペルティアヌス

ディディウス・ユリアヌス

セプティミウス・セウェアヌス

カラアヌス

アヌス

クリアヌス

ディアドゥメニアヌス

ヘリガバガバアヌス

アレクサンデル・セウェアヌス

マクシアヌス・トラクス

ゴルディアヌス1世

ゴルディアヌス2世

ピアヌス

バルアヌス

ゴルディアヌス3世

リップアヌスアラブ

リップアヌス2世

キアヌ

エトルスアヌス・デキウス

ホスティアヌス

トレボニアヌス・ガッルス

ウォルシアヌス

エミリアヌス

ウァレリアヌス

ガッリアヌス

サロニアヌス

クラウディアヌス・ゴティクス

クィンティアヌス

アウレリアヌス

キアヌ

ロリアヌス

プロアヌス

カルアヌス

カリアヌス

ヌメリアヌス

ディオクレティアヌス

マクシミアヌス

ガレリアヌス

コンスタンティウス・クロアヌス

フラウィウス・ウァレリアヌス・セウェルス

マクセンティアヌス

リキニアヌス

マルティアヌス

バレリアヌス・バレンス

マクシミアヌスダイ

コンスタンティアヌス1世

コンスタンティアヌス2世

コンスタンティアヌス2世

コンスタンアヌス1世

ウェトラアヌス

ユリアヌス

ヨウィアヌス

ウァレンティニアヌス1世

ウァレアヌス

グラティアヌス

ウァレンティニアヌス2世

テオドシアヌス1世

アルカディアヌス

ホノリアヌス

コンスタンティアヌス3世

テオドシウアヌス2世

ヨハンアヌス

ウァレンティニアヌス3世

ルキアヌス

ペトロアヌス・マクシムス

アウィトゥアヌス

マヨアヌス

リウィアヌス・セウェルス

アンテミアヌス

オリュブリアヌス

グリュケリアヌス

ユリウス・アヌス

ロムルス・アウグスアヌス

2020-06-25

Biggus Dickus をどう訳す

モンティ・パイソンギャグひとつに、ローマ皇帝が友人の名前として”Biggus Dickus”というのを挙げて、思わず吹き出した側近たちに怒るというのがある。

Big dick、デカチンを雑にラテン語っぽくした一見して悪ふざけと分かる名前をクソ真面目な顔で口にする皇帝の姿におかしみがあるんだと思う。

このBiggus Dickus、日本語で分かりやすく訳すならどうなるだろう。

ネットフリックス日本語字幕では「デカ・チン」としてたんだけど、これは意味は分かるんだけどラテン語っぽさは消えてしまっている点が残念だと思う。まあラテン語なんてやってる人はあんまりいないし(俺も知らん)、頑張って訳したところで仕方がないといえば仕方がないんだけど、どうも勿体ない気がするのだ。

デカウス・チンコイウスとか、チンコス・デカスギウスみたいな訳のほうがまだいいんじゃないか?と俺は愚考する。でもこんなん訳者の人もすぐ思いつくだろうし、普通に考えてデカ・チンのほうが面白いんだろうなあ。

悔しいぜ。

2020-05-11

ローマ皇帝ヌメリアヌス肛門

子どものころから疑問に思っていた。どうしてローマ人名前にはアヌスがつくのだろう、と。

大人になってからラテン語男性名詞の語尾は-usで終わるので、必然的男性名前がなんとかアヌスになりやすいと知ったのだけれど、それでも疑問に思った。ローマ帝国の子供たちは、人の名前アヌスがついているのを見て「肛門だ! 肛門だ!」とゲラゲラ笑ったりしなかったのだろうか。子供下ネタを好むのは世界的な現象であり、ローマ帝国がその例外であったとはとても考えられない。男子小学生だったころなら、「運賃」「チンパンジー」という言葉だけで小一時間笑うことができたのだから

そこで調べてみると意外な事実に突き当たった。ラテン語肛門は「アヌス」ではない。「アーヌス」なのだラテン語では短母音と長母音を明確に区別する。「アヌス」では単に年齢を重ねた女性を指すに過ぎないのである

さらに、もう一つ驚いたことがある。「アーヌス」はもともと「輪」という意味しかない。「肛門」の意味派生的らしい。意外だったが、確かに納得できる。人体の細かい解剖学的な部位を、たった四文字名詞で表すほうが意外だ。「尻」と「穴」をあらわす単語を組み合わせれば事が済むのだから日本語でも「尻の穴」、方言も含めれば「ケツメド」と呼ぶし、英語でも「asshole」だ。実は、肛門名詞の組み合わせではなく、一つの単語で表していたのは、ローマ帝国解剖学の水準が高かったからではないかと思っていた。つまり、高度な文明ほど語彙が豊かで、肛門複合語ではなく単語で表すのではないか、という仮説を立てていたのだが、それはどうも違うらしい。

そういうわけで、ローマ皇帝ヌメリアヌス肛門は「アーヌス」ということになる。それでも、ローマの子供たちは笑っていたかもしれない。なんたって「賃金」という言葉で笑える年頃なのだもの

2018-08-21

anond:20180821010033

ポルトガル詩人フェルナンド・ペソア随筆なんだけど、

「人は自分想像力の及ぶ範囲しか後悔できない。私は自分ローマ皇帝に生まれなかったことを悔やまないが、いつもあの角で見かけて気になっているお針子の少女今日も声をかけることができなかったことを心の底から悔やんでいる。」

ていうのが、なんかこう人間臭さを感じてグッときた。

2018-01-05

落ちこぼれ受験生の泣き言に共感する古文漢文不要論者たちの低脳ぶり

まず、古文漢文が暗記ゲームと言っている時点で元増田学力は大したものではない。古文漢文語学だ。英語学習を暗記ゲームだという人間いるか?もちろん語学に語彙の習得必要不可欠だが、それ以上に実際の文章を繰り返し読みこむことが重要だ。

元増田レベルの低い受験生なのだから自分レベルに見合った古文受験必要としない大学に入ればいいのだし、職業訓練が受けたいのなら大学にこだわらず専門学校に入ればいい。

そもそも、なぜ古文漢文だけを目の敵にするのかがよくわからない。よく槍玉に挙げられる現代文の読解問題はいいのか?漢字の書き取りは?三角関数は?歴代徳川将軍名前は?各地の気候名称は?歴代ローマ皇帝名前は?各種金属炎色反応の色は?気体の状態方程式は?三単現のsなんて気にしなくても会話は通じるのではないか

ごまんとある大部分の人間には必要いであろう学習内容の中から古文漢文を選ぶそのセンスが嘆かわしい。古文漢文語学だ。語学である以上、これは知識を得るための手段言文一致以前のすべての文章を読み解くための手段なのだ雑学の集積を知性と呼びたがる最近クイズ番組に影響されたのか知らないが、雑多な知識を頭に詰め込む時間を作るために古文漢文廃止せよというのはナンセンスだ。知識という魚を獲るための釣り竿を魚と交換するのは愚か者のすることだ。

しかし、頭の悪い受験生古文漢文存在に不平を言いたがるのは理解できなくもない。足りない頭で分不相応大学に受かるため何段にも積み重ねたゲタを履き続けるのは苦痛だろう。最悪なのはそれに同調する中年はてなユーザーたちだ。大学で何も学ばず三角関数古文英語必要ない仕事をしている、もしくは仕事すらしていない者が大半だろうから無理もないが、どうか古文漢文を減らしてエクセルの使い方や株の買い方を学ぶ時間にあてるべきだなどという低レベル妄言を垂れ流すのはやめてほしい。あなた高校大学で学んだことをきれいさっぱり忘れて知性を必要としない日常を送っているのはあなた自分教育に失敗したからだ。お願いだから頭の悪い人間が考えた高等教育のあるべき姿なんてものには何の価値もないことに気づいてくれ。

https://anond.hatelabo.jp/20180104132743

2017-09-21

https://anond.hatelabo.jp/20170920153914

尊敬する人は、アケメネス朝キュロス大王だ。

アケメネス朝ペルシャの王のなかで、キュロスとダレイオスは大王と呼ばれ他の王と区別されている。

彼らは、アケメネス朝ペルシャだけじゃなくて、人類史上別格の王だった。

キュロス大王はバビロン捕囚の解放者として有名だけど、ただユダヤ人を開放しただけではない。

あらゆる民に、服従と引き換えに身の安全財産保全信教の自由保障すると宣言した人だ。

それまでの王朝は、征服したら皆殺しか奴隷だった。

ほとんど気まぐれに開放することもある程度だった。

大っぴらに、王の宣言として、そんなことをした人はそれまでいない。

許すことを覚えた最初の王だった。

服従という新しい選択を与えられたからこそ、近隣国戦争ではなく服従を選ぶようになり、空前絶後大帝国をつくることになった。

戦争にあけくれたキュロス大王では、ぼんやりとしたただのポリシー宣言だったけれど、ダレイオス大王時代制度として固定された。

レイオス大王はたぶん人類史もっとも有能な王で、また別の機会に書くかもしれないが、ここでは省略する。

とかく、信教の自由というのは、日本においてはあんまりピンとこないけど、徹底してる。

古代から近代まで、有能な王であるほど、徹底してそれを行う。

アレキサンドロスが敵であるレイオス3世(大王と呼ばれたダレイオス1世とは別人)とその遺族に礼を尽くした。

ローマ皇帝ウァレリアヌスシャープール1世に敗北し捕虜となった後も、捕虜にも関わらず宮殿が与えられたという。(近年まですぐ処刑されたとされていたが、実際は厚遇されていたらしい)

ある意味現代よりもその辺の意識は高い。

ダムフセインから民衆を開放した一方で、サダムフセインに対しての敬意が不足しているように思う。

憎き相手でも、敬意を払う、自分自身もそうありたい。

私はリア充が嫌いだ。

爆発しろはいわないが、半額弁当を漁る寂しい老後を一人で暮らせばいいのにと思う。

互助会もっと嫌いだ。

ゴミみたいな記事をまき散らすゴミは、AmazonGoogleからハブられてしまえばいいのにと思う。

ソファを家に置くような人間ははもっと嫌いだ。

爆発すら生ぬるい。

爪切りで1mm間隔で切り刻まれ死ねばいい。

しかし、私は彼らを受け入れられるようになりたい。

相手が悪だから、なにをしてもいいという考えは危険だ。

幼児ポルノを見たことがある人間は、金属バットフルスイングされても文句は言えないのはわかってる。

しかし、殴られることで罪を償った人間を、さらに叩くのは正義ではない。

追記

告白するが、最近彼女が出来た。

リア充の仲間入りかもしれない。

そのせいで少し、リア充のことも許せるようになった。

しかし、ソファだけはダメだ。

彼女が「増田君、ソファ買いなよ」という。

別れたい…

2017-08-30

反脆い戦略こそが正しいのか?

 情報は反脆い。情報を広める努力よりも、情報を壊す努力のほうが、情報にとっては糧になる。たとえば、自分の名声を守ろうとするばっかりに、かえって名声に傷をつけてしまう人は多い。

 

 賢いヴェネツィア人は、秘密だと偽って情報を広めるすべを知っていた。あなたも噂を広めるとき、こんな実験をしてみるといい。誰かに秘密を教える。そして、それが秘密であることを知らしめるために、「誰にも言わないでね」と釘を刺すのだ。秘密にするよう頼めば頼むほど、噂は広まるだろう。

 

 誰でも若いころに気づくように、本や思想は反脆く、批判を糧にする。ローマ皇帝マルクス・アウレリウスストア哲学実践する作家のひとり)の言葉を借りれば、「火は障害物を糧とする」のだ。

 

 禁書には独特の魅力がある。禁書禁止命令に対して反脆いのだ。私が子どものころに初めて読んだグレアム・グリーンの本は、『権力栄光』だった。その本を選んだ理由はほかでもなく、カトリック教会禁書目録に載っていたからだった。10代になると、国外在住のアメリカ人ヘンリー・ミラーの本をむさぼり読んだ。彼の主要作が23州で発禁になると、1年で100万部が売れた。『ボヴァリー夫人』や『チャタレイ夫人の恋人』にも同じことがいえる。

 

 本に対する批判は、紛れもない正真正銘の注目の証であり、その本が退屈でない証拠でもある。本にとって最悪なのは退屈なことだ。アイン・ランド現象を考えてみてほしい。彼女の著書『肩をすくめるアトラス』や『水源』は、残酷なくらい辛辣批評や、彼女を貶めようという画策にもかかわらず(いや、むしろそのおかげで)半世紀以上にもわたって数百万、数千万人に読まれつづけている。いちばん大事情報は、批判の激しさであって、内容じゃない。評論家がその本を他人に読ませないためにどれだけ必死になるか。人生全般でいえば、相手こき下ろすのにどれだけ必死になるかだ。だから、誰かに本を読ませたければ、怒りを込めて「評価されすぎだね」と言えばいい(「評価されなすぎだね」と言えばその逆になる)。

(「反脆弱性」より)

 

脆弱性・歩く・マネーマーケット|新・山形月報!|山形浩生cakesケイクス)

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/cakes.mu/posts/17337

 

よって、個人的には、上記の山形氏およびブクマ家諸氏のコメントは全く評価していない(と書けば、反脆さが発揮されるか(笑)?)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん