はてなキーワード: ロマンチストとは
リアム・ギャラガーの「Better Days」って曲のPVがYouTubeでサジェストされたから見て見たんだけど、結構好きだった。ここのところ歌モノというか洋楽ロックというか、ロッキンオン的なものというか、そういう音楽から距離があるなーと思っていたんだけど。すんなりと聞けて、少し元気になる感じ。夏が来るな、今年も夏が来てしまうな、そうしていつの間にか夏も終わってしまうだろうな、みたいな予感。どうせ夏がきてもただ暑いだけだし、たいして外にも出かけずに、夕焼けだけがやけに記憶に残るような、そんないつもの夏が来るな。でもやっぱり少し楽しみになってしまう、そんな気分。なんとなくそんな曲だった。
Beatlesのルーフトップコンサートをバリバリ意識した映像も、なんというか憧れをストレートに形にしたんだろうな、いい歳してんのにロマンチストだなって感じもするし、でも悪い気はしないというか、まだ夢を見てもいいのかもな、と思わせられるような。そんな感じ。
全ての元凶は酒だった。数々の失敗、失言、黒歴史、その傍らに常にお酒があった事に今更ながらに気づいた。
酒飲みの田舎の家庭で育った為に美味しい酒と肴が常にあった。自然に飲み助に育った。酒は心の友だった。
それから何十年と経ち、今では常に鬱気味で過去の黒歴史がフラッシュバック、たまに人に会うと大小の失敗と失言で自己評価の損失に悶え苦しむ、そんななりになってしまった。
そこで気づいた。自分のしょうもない人生ずっとこのパターンだったと。
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●離脱症状・・・絶絶不調(全身の鳥肌と震えと人生の数々の失敗の反芻で悶え苦しむ)
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気がついて嘘みたいだけど自分の人生ほぼこの繰り返しだった。酷いもんだ。失ったものは数しれない。大事な大事なものもあったのに。
人生の夢も覚めたのか。
覚めたんだ。
夢に期待しすぎた。
ロマンチストが過ぎたんだ。
twitterは特に深刻な影響はないが、論文執筆のために利用していた欧米サイトがアクセス拒否される。
VPN越しでもいくつかは見れない。UTMでブラックリスト入りしてるっぽい。
ロシア人は反戦争派が多いが、「デモ参加→拘束→仕事できない→給料発生しない→家族を養えない」という考えがロシアにも一部を除いて一般的なため、とても感情的なロマンチスト達がデモに参加している。
帰国は現時点では考えていない。もう何年もここに住んでいる。地方都市のためモスクワやサンクトペテルブルクのような大都市でないのがいい。この町で在露ウクライナ人のテロが起きることはないだろう。
ロシア人は日本人みたいにわざわざ他人を注意しない。「キチガイは放っておく」が平穏な生活のためのファーストステップだ。
日本人みたいにSNSで挑発的なことはを書くのは教養がない証拠であり、人間関係がうまくいっていない人に非常に多い。
ペアーズで知り合った人のことすぐ好きになってしまって、全然脈ないと分かっていながらもアポ入れてしまった。
一時期は夢にまで出てくるほどに好きになってたし月が綺麗だったからって理由で電話したくなったりした(実際はしてない)(ロマンチスト)。
その人が複数のアプリ並行してるのも知ったし、普通に考えたら将来はない人ってわかってたけどなぜか執着心が消えなくてなんで?って思いながら半ばヤケクソでTinder登録したらその人がいて、Tinderで初めてマッチしたのもその人だった。
聞けば遊びじゃないっぽかったけどこの人って誰が相手でも満足できないんだろうな〜と思いながら執着心が消えないから全くの別人として連絡してた。
でも今Tinderで知り合った人何人かと連絡してたらどーでも良くなっちゃった。
要件だけしか連絡してくれない人よりは毎日なんでもいいから返事くれる人の方がいい。
結局私って構ってくれる人なら誰でも良いのかなー。
もうアポ蹴っても良いやくらいに思ってる。
好きって気持ちが持続しないなあ。
これが差別と言われたら差別なんだへーという感じなんだけど現実として大多数が思ってることだと思う。
LGBは性的指向の話だ、だれを好きになろうと構わないと思うけどわざわざ話してほしいなんて言ってないのに自ら話して場の空気を悪くし人間関係がこじれる。
周りの人の理解が足りないからとか言っちゃう人は普通に考えてほしいんだけど、いきなり俺は女性/男性が好きです、と言ってくる人間に対して
お、おぅ、以外の言葉と何だコイツという脳内セリフ以外が出てくる人間が果たしているのかという。
認めろ!理解を示せ!というのもそもそもが少数派なのだから、あなた方は多数派よりも圧倒的にクリーンに真っ当に、或いはそういった人たち以上に社会に対して貢献しないと認められないものだ。それをいきなり「差別」という都合のいい武器を振りかざしてぶん回す、正直一部がそんなんでは現実を見据えそういったところをオープンにする場所を選んで生活してる人たちに対して糞迷惑な話である。
Tの人たちは性自認の話、ただ私は女性の心を持った男性の体を持つ人間或いはその逆というのをどう実生活で周りが即把握できるというのか。
スポーツの話でもそうだ、これは前々から言っていた人がいた。スポーツ全般本当に平等に競うなら性別という括りを取っ払い、格闘技なら重量、陸上なら距離というように性別以外の区別はつければいいと。こうすればどの性別を主張しようとパフォーマンスの良し悪しはそのアスリート個人の努力と成果によるようになる。これは競うことの機会そのものを奪ってはいないし、なんならTの人たちにも機会をきちんと与えている時点で1番平等と言えそう、その代わり上位を完全に男性が占めようともだ。これは現実世界仕事の話でも言えるのだがスポーツにこれを持ち込むと途端に差別という人が出てくる。仕事でもポストは誰にでも法律によって開かれている、だが妊娠して長期離脱するかもわからない、生理で月に何日かは或いは半分以上が絶好調からは程遠いパフォーマンスになるという女性やTの人たちに対して、妊娠しないし産休とはいってもたかが知れてる、生理というものがない、元々体力的には女性より優れている場合が多い、この条件で同じ位の仕事を任せる話になったら誰を選ぶよという話。
こういう差別を訴える人は現場における適材適所、敵者生存という話をかなぐり捨てて理想論を掲げる、ただのロマンチストだ。
そんなんで世界がうまくいくならとっくに上手く言ってる。
変えたいならまっとうな方法で帰るしか無い、社会活動とは名ばかりのデモをやったり、講演会をしたり、SNSでロマンを垂れ流す暇があったら金を稼ぎ自分の思想に呼応してくれるかもしれない政治家を見つけて献金しまくって議席を取りそしてそれを繰り返す。そうやって根幹の部分を変えるしか無い。
性別を超えた全体のための声なら政治家も献金せんでも声をあげるだろうけど、特定思想の人たちはきちんとそうやって戦略を練って自分らを犠牲してでも成し遂げようとせんと変わらんよ。
もともと俺は14歳の時に好きになった女の子のことを20歳になるまで引きずって、その6年で同じ女性に2回告白して2回お断りをいただく位どうしようもない男だった。で、そこから3年経ち、「本当に好きな人と付き合うなんて幻想は捨てよう、とにかく一回彼女を作ろう」と一念発起した。
当時のスペックは大卒、ややブラック気味の会社で働いている、東京住みのサラリーマン。見てくれは背の低さ以外は普通だったと思う。
本に書いてあったことは大体やった。
とにかく「猿山」を作った。猿山というのは、「自分がこの中で一番優れている」と意中の女性に思わせるテクニックのことだ。
町コンや合コンに参加するときは〇〇が趣味ですという名目で集まっている場を選んだ。その〇〇については俺は実力も実績もあったからだ。〇〇だと想像しにくかったら、ここでは便宜上ボルダリングとしておく。
そして「この〇〇一点においては俺はこの中で一番すごいぞ」というのを示した。「あそこのジムの一番難易度高いところまで行ったわ」みたいなやつ。
そうやって他の男をけん制しつつ、なるべく初心そうで純粋に自分に尊敬の目を向けている感じの女性に声をかけた。「××さんは普段どれくらいやってるんですか?」
そこで「いやそんな、増田さんみたいにうまくできないです。興味はあるんですけど~」というような返事が返ってきたら「よかったら一緒にやらん?ああいうのはコツがわかればできるんで、教えますよ」と誘う。
ここで乗ってくれば、だいたい勝ち。
猿山から一人連れ出して二人きりになって、その二人になった時に自分の実力を見せて、そして向こうが登ってるのをアシストしたり応援したりとやって、帰り道に一杯やって「いやーいい汗かきましたね!でも××さんも良い感じでしたよ!」というふうにおだてた結果。
そこに感動はなかった。
一緒にいても楽しくない。セックスも想像していたより気持ちよくなかった。
書いてあることをやっただけなのに、向こうが俺に向けてくる感情はどんどん大きくなり、向こうから「今日は…しないの?」などと聞いてくるようになった。なぜだろう、全然うれしくなかった。
結婚とかそういうことを意識しているような発言も増えていて、俺は空恐ろしいものさえ感じていた。
結局俺は、この時の女性のことを「説明書通りに操作すれば思い通りになるなにか」としか思っておらず、人間扱いしていなかったんだと思う。
人間扱いしていないものから愛情を受け取っても、自分の飢餓感はさっぱり満たされなかった。
これで満たされるのは「俺には彼女がいる」という自尊心だけで、そのちっぽけな自尊心のために相手の人生を奪ってはいけないという最後の良心が働いた結果、
彼女を振った。
人でなしだと自分でも思う。ひどいことをしたのは分かっている。
しかし、どうしようもなく満たされなかったのだ。
「自分が愛されていない」という、生まれたときからずっとあったコンプレックスが、あの子が自分に愛情を向けていることを理解したときに氷解してくれればよかったのに、
「でもこいつは俺の恋愛工学にあっさりひっかかって騙されてる女だ」「この子が向けてる愛情は俺の詐術によるものだ」と思ってしまったために、あらゆることがうまく行かなかった。
あれから3年経つ。あれ以来彼女はいない。作ろうとしたこともない。
「本当の純愛なんてものはない!ロマンチストほどモテない!ブスでもいいから彼女を一度作れ!」
色んな本で何度も見たフレーズだ。
まあでも、確かにあの本には、彼女ができたら幸せになれるとは言ってなかったかもしれないな。だから著者を責めるわけにもいかない。
14歳から20歳まで、一人の女の子に胸が焦がれるほどに恋をした10代の自分のことを思い出す。
ちょっと話しかけられるだけでその日目に映るすべてが虹色に見えた。笑いかけてくれただけで、辛いことをすべて忘れられた。
こちらから話しかけるときは自分でもわかるくらい心臓がバクバク言った。
恋愛工学に手を出して、人を人とも思わないふるまいをして、一人の女性を傷つけてしまった自分の罪は分かっている。
だけど許されるなら、もう一度あの時のように、心の底から誰かに恋してみたい。
・・・・そうなったとして、それで幸せになれるかはわからないけれど。
(追記)
ごめん、初めて反応貰ったからどう言及していいかわからないのだけど、ここに追記という形でも大丈夫だろうか。
それが怖くなった理由。相手が当時30前半位で、子供を作れるタイムリミットみたいな話を出してきたから、ものすごく怖くなった。
自分の無責任さが一番浮き彫りになる部分だったから言及を避けていた、申し訳ない。
沢山の反響を貰って驚いた。いろんな方向に気持ちが動いて、でもなんか、うれしかった。
この話は周りに殆ど相談したことがなかったから、客観的に見た自分の状況がわからずにいたし、自分が自分の殻に引きこもってたことを自覚した。
また恋愛をするかとかはわからない。そもそも今はコロナのこともあって人と出会う場が限られてるからな…
あと俺、2年前までは会社員だったけど今フリーランスになってて、得意なことをバリバリやれて暮らしてるのは楽しいけど、恋愛市場的な意味での価値は落ちてそう。とか、後ろ向きになる部分もあるけど。
でも、一種自罰的を通り越して自堕落に「どうせ俺なんか」ってなってた部分を、これからちょっとずつ直していこうかと思う。適当になってた食生活とか、諸々。
自己肯定感の低さが原因では、といった話もなんとなく腑に落ちた。
>女子側にも色々テクニックはある。こりゃ引っ掛かるわ〜と思えるんだったら引っ掛かる女の子を軽蔑することも無くなるかも。
頂いたこの意見とか目から鱗だった。それは今の俺にとってすごくいい処方箋になると思う。
どうしても、言葉にするとおかしな感じになってしまうけど…今までよりも自分で自分のことを大切にしようと思えた。
皆ありがとう。
最近映画を見に行った。映画館ではクラスターが発生していないというネットの情報を鵜呑みにして出かけた(これは予防線)
まあ久々の映画。開場時間と共に入り20分近く映画の広告を見続けました。まあ気持ち悪い。美男美女がひっついてイチャイチャするだけの、うすっぺらーい映画ばかりでね。20そこらの女ですが腹が立ちましたよ。
元から邦画って苦手なんですよ。なぜかというとそれに影響されたバカがきっしょいポエムをTwitter、LINEで垂れ流す。同じような言葉で愛を囁き、触れてくるんですよ。女なら撫でられると嬉しい、男なら料理を作られると嬉しい。まるでそれが正解であるかのように。(ジェンダー論ではないです。人間ならそりゃ撫でられたり、恋人の作ったあたたかい料理を食べられたりするのは嬉しいだろう。ただそれが普通、量産化されており、恋人のあり方として正解というのが気持ち悪い)
正直夏目漱石の月が綺麗ですねを流用するアホも嫌い。文学的じゃねーよ。
同じような映画が多くて
それに影響された自分の考えもない量産化された人間が多いっていうのを
嘆きたかっただけ
クリスマスの時期になると4°Cのネックレスがどうとか、プレゼントに関するあれやこれやが毎年話題になる。
そんなTLを見ながら、自分のちょっと忌まわしい過去について考えていた。いや忌まわしいは言い過ぎたけど。
新卒で入社した会社の7つ上の先輩が私の初めての彼氏だった。優しくてマメでとても良い人だった。
付き合い始めて初めての私の誕生日が迫る中、欲しいものを聞かれた私は自転車を所望した。
だが彼はそれに良い顔をしなかった。
彼はプレゼントは何か記念になるような、ずっと残るようなもの(恐らく腕時計とか)を希望して欲しいようだった。
今思えば彼のその気持ちも分かるのだが、その返答を聞いた私はショックだった。
プレゼントはもらう本人が欲しいと言ってるものをあげるものだと当たり前に思っていたからだ。
当時あまりお金がなかった私は欲しいもの=生活に役立つもの、だった。
だが彼からしてみれば、生活に役立つものが欲しい=お金が欲しい、と言われているような感覚だったのかもしれない。
(彼は少しロマンチストなところがあったということを踏まえて、これらは私の予想でしかないということは付け加えておく)
彼は私に初めての誕生日プレゼントにふさわしい、ずっと思い出かつ記念になるようなものを望んでほしかったのだ。
当時の彼の年齢まで年を取った今になるまでそれを理解してあげられなかったのは申し訳がなく、少し後悔もしている。
だが当時の私は彼の理想を押し付けられてるようで、しかしそれを上手く言語化もできず数年間モヤモヤし続けることとなった。
彼と別れて以降もたまにこのことを思い出して何が正解なのか、正解はあるのか、意味もなく思考を繰り返している。
皆様方におかれましては良いクリスマスイブイブをお過ごしください。では。
地球は回っている。
そして太陽のまわりを周っている。
いわゆる自転と公転ってやつだ。
これらが巡り巡って、太陽が地球を照りつける箇所が変わってくる。
それによって気温が上がったり下がったり、明るい時間も増えたり減ったりするんだ。
その変化を俺たちの世界では“四季”だなんて表現するけれど、この言葉を最初に考えた人はきっとロマンチストだろう。
または底抜けのポジティブシンキングだと思う。
だって客観的に考えて、季節が変わったら面倒くさいことの方がずっと多い。
それを良い事のように解釈する人もいるけれど、実際は煩わしいことだらけだ。
夏は海で遊べるけど、それは暑いことの裏返し。
秋の公園は紅葉が綺麗だなんて言うけどさ、むしろ銀杏臭くて最悪だよ。
暑いんだか寒いんだかハッキリしてなくて、優柔不断なところもダサいし。
冬は雪が積もって特有の遊び場になるけど、そのせいで交通は不便になるし、家の雪かきとか手伝わされる。
その時にできた泥と混ざった雪の塊を見て、白銀の世界なんていう奴がいたら俺は笑うね。
だけど俺たちに惑星の動きなんてどうこうできるわけもないし、グチグチ言ってばかりいられないのも確かだ。
だったら多少は前向きに考えるくらいが生きていくには丁度いいんだろう。
でも、変にこじつけるのはどうかと思うけれど。
恋愛漫画を読んでる時のタオナケを見てると、つくづくそう思う。
“恋に恋してる”っていうのは、正にああいう感じなのかもしれない。
「はあ~、今週の『君に読むトワサガ』だけど、ちょーエモーショナルよぉ~」
彼女の植物プラントを維持するためには、恋愛漫画は必要不可欠なんだ。
「マジたっとい、感じ入るわ……」
「それ先週も言ってなかった?」
「言ったかもしれないけど、それは今週言わない理由にはならないの!」
これも、いつも通りだ。
だって俺たちには、こういう恋愛モノの良さがイマイチ分からない。
惚れた腫れたで口ケンカするのが、切った張ったのケンカよりエキサイティングとは思えない。
「はあ……この良さが分からないなんて、あんた達はガキね。少しはシップー君を見習ったらどう?」
“シップー君”っていうのは、タオナケが読んでる漫画の主要人物だ。
常に主人公を気にかけて理解と共感の言葉を投げかけ、爽やかなスマイルを無料で提供してくれる。
そんな実在の人物や団体とは関係のないものを持て囃し、挙句に見習えと要求するのは俺たちよりガキっぽくないか。
それに、もし言われたとおりシップー君の真似をしても、それはそれで「あんたらキモいわ」って言ってくるだろう。
だから俺たちはこういう時に、タオナケの粗熱がとれるまで放置するしかないんだ。
相談を聞くと言っても、他人に聞いてもらって解決する悩みなんてないですからね。アドバイスされたって、道を示されたって結局それをやるかやらないか判断する、最終的に思考して想像して決定するのは個人です。本人がダメなら駄目のままです。でも他人にそこまで迷惑をかけなければ、ダメというのもそんなに悪いものではないです。
共感を得たいという体や、救って欲しいという体で自分の状況を感傷的に吐露されると引きますね。とりあえず己の同情心に最低限嘘をつかない範囲でやり過ごします。ただヒロイックであったりセンチメンタルであったりしたいだけの人はそれで満足して、こちらが距離をとれば、その分引いてくれます。このタイプの人々は事態の解決よりも心象的フィーバーを求めているように映ります。本人の本当の望みは知る由もないですが。こういうタイプの人達の事は、私はちょっとよくわからんなあと思いますが、割とそういう人は多いです。相手への信用というより、自分の自己顕示欲をどのように地味にコスパよく放出するかということに本能的に長けているのかなと思うこともあります。
もっと冷静な目線で、自分以外の人間が自分のような状態になったらどのようにふるまうだろう?というサンプリングを行い、いわゆる事態解決の閃きを得るために他人に己を開示する人もいますね。こういう人は問題解決をしたい!という自分の意志がすでに決定しているのでもう少し楽にこちらの意見を述べることが出来ます。聞き入れられなくても判断の責任ははじめから相手にあるので。こういう人は己の一番繊細な部分が痛まない開示の仕方を体得していることが多いです。
他人との信頼関係についてある種現実離れしたぐらいロマンチストであるように読める部分もありますが、絶対的永続的信頼を結べる関係など世の中には無いです。長い付き合いになる人間同士というのは、お互いに合意にある状態が意見のすり合わせの上で一瞬だけ現れるのを、何回も何回も繰り返しているだけで、どちらかが他の何かに目移りしたり違う考え方を取り入れたり相手が健康状態を損なったりすればどんなに長い付き合いでも一瞬で即崩れます。打算的といえば打算的なものかもしれません。でもそれはそんなに悪いことではないです。
悩みが溜まっていてそれを解決するすべがわからないというのは、あなたが本当はべったりできる相手、つまり自分にだけ都合のいい自分のような存在がこの世にいて欲しいというというたぐいの実現不可能な心象問題ではない、現実的な問題を抱えているのでしたら、単に自分の他のサンプルを集める術を持っていないという知識不足と行動不足だと思うので、問題解決のために必要なための知識を漁るところから始めてみるのが良いと思います。それこそ他人に相談しなくても、似たような凡例の解決例はネットで検索すればゴロゴロ出てくる時代です。ある意味有難いですね。
1時間勉強したらタバコを1本吸うといった具合に、集中モードとリラックスの切り替えがスムーズになった気がする。
タバコを始める前は銘柄の区別がつかなかった。先輩に〇〇買ってきてとか言われても、何ミリとかハードケースorソフトケースとかロングorショートとか、下手するとキャスターとかマイルドセブン(現ウィンストンとメビウス)とか存在しない銘柄を指示されることがあって、そんなもん分かるか!と思っていた。それが自分が吸うようになり、人の銘柄を観察するようになったらたちまち違いがわかるようになった。また、銘柄によって味や香り、(大袈裟に言えば)哲学の違いがわかるようになり、自分の好みも把握できた。
4ヶ月間だけバイトをしていたのだが、上司や得意先の人間と喫煙所で仲良くなれた。好みの銘柄とその遍歴を探るだけで、その人の趣向や、生き方(※セックスまでも!)など少なくないことが把握できる。人の銘柄を覚えていて何かの際にプレゼントすると、それだけで契約が取れたりする。非喫煙者にとっては、そんなバカな話があってたまるかという感じだろうが、喫煙所ならではのコミュニケーションは確かに存在する。
※この一連のツイートは秀逸。アメスピ吸ってる男は絶対ねちっこいクンニすると思う。
偏見だけどアメスピ吸ってる男みんな性欲強い。— いつまちゃん👾来世ちゃん5巻8月発売予定💫😘 (@1256hima) June 28, 2017
ホープを吸ってる男のセックスは淡白だけど2回戦余裕で出来る。
わかば吸ってる男は余ったラブホのゴムを持ち帰る。
赤マルすってる奴はフェラをさせるがクンニはしない。
ケントは普段冷たいのにキスが情熱的
ウィンストン(キャスター)はロマンチストだけどバックでフィニッシュする#偏見— いつまちゃん👾来世ちゃん5巻8月発売予定💫😘 (@1256hima) June 28, 2017
セッターはヤってる時はオラオラなのに賢者モードがエグい
アークロイヤルは研修熱心でいちいち感想を聞きたがる
ラークは謎のこだわりがあって頑固。道具使うのが好き
メビウスはだいたい平均的で女の演技を見破れない
ピースは会社のストレス溜め込んでるが終わったあとの気遣いが優しい#偏見— いつまちゃん👾来世ちゃん5巻8月発売予定💫😘 (@1256hima) June 28, 2017
タバコを吸いたくなるシチュエーションは確かに存在する。食後、運転中、勉強時、会議の後、やや重ためのアウトプットの前後、飲み会の終盤、普段話しづらいことを話す時など。それらに共通するのは、脳内あるいは身体的なリソースと食われる前後。気合を入れる時、あるいは任務を終えてリラックスしたい時、タバコは静かに寄り添ってくれる。
お菓子、特にチョコレートの消費量が減った。もともと甘党でデスクワークをしている時には欠かさず甘味を摘んでいたが、代わりにそれがタバコになった。砂糖とタバコ、身体に対する悪影響はどっちもどっちという気がする。ちょっと苦しいタバコ擁護だけど。
焚き火囲んでビール飲んで夜風を浴びながら吸うタバコは最高。今ではタバコなしのバーベキューなんて考えられない!
一年で10万円くらいはタバコ代に費やしている。嗜好品だと思えばそんなに悪い使い方ではない気はする。一日300円とすれば、自分にとってはおやつの代わり。仮にその10万円で両親に旅行をプレゼントするなりもっと有効な使い方あるだろうと言われればそれまでだけど、タバコより遥かに無意味な浪費をしている気がするので(ネトゲとかギャンブルとか)、そっちの方が節約の優先順位は高め。
もともと偏頭痛もちだったのが、朝起きて、頭痛を感じる頻度は以前より多く、わずかに痛みが強くなったきがしないでもない。起床後の空きっ腹が一番キマるのだが、強いの吸ったらその日は一日頭痛が酷かった。痛みをまぎらわせようとタバコを吸い、それがさらなら頭痛を引き起こす悪循環にハマることがあるので、体調が悪い時にはなるべく吸わないようにしている。
少し鈍くなった…かな?喫煙後は繊細な味が感じ取れなくなる。和食や薄味の料理の前には吸わない。というか食前に吸うと空腹感が紛れるので飯が美味くない。吸うのは食後にしている。食後のデザートがコーヒーとタバコになった。以前よりも甘いものを受けつけなくなった気がする。辛い料理の食後メンソールは気持ちいい。
これが最も良くなかったことだと思う。明らかに歯が汚くなった。歯が黄色いし、前歯の裏側がヤニで汚え。親や恋人には絶対に見せられない。歯医者行くなりオーラルケアで対策できるのなら、個人的にタバコによるネガティブな点はほとんど解消できるといっていい。あるいは加熱式タバコなどタールのないものなら良いのかもしれない。ちなみに家の中では吸わないので壁紙が黄色くなるとかはわからん。
以前より鼻毛の伸びが早くなった気がする。しょっちゅう抜いてる。こまめに鼻毛を切るようにすれば良いと思う。
夜に吸いすぎると寝つきが悪くなり、睡眠の質も低下する気がする。あと翌朝の頭痛が強くなる(気がする)。
運転中にタバコを吸うのが好きなのだが、明らかに車内が臭い。あと人に会う時に自分がどの程度タバコ臭いか全然わからん。もともと万年鼻炎持ちだが、以前より明らかにタバコの匂いを知覚する神経が麻痺してる。
その時は売り言葉に買い言葉でやめると言ったが、一年経っても結局やめてない。先日会ってまた同じこと言われてしまった。うん、確かにダセエと思う。何も言えないわ。
軽い依存傾向がある。体調が優れなかったので先日思い立って1日禁煙してみたが、特にイライラすることもなく穏やかに一日を過ごすことができた。健康体でないとタバコはまずい。
今のところ明らかな身体的障害は知覚できない。山に登る趣味があるのだが、特段以前より息が上がるようになったという感じもない。肺がん、脳血管障害のリスクなど将来的にはわからん。
もともとガチガチの嫌煙家。歩きタバコ野郎とすれ違う時はもれなく死ねと思っていたし、こんなに臭いものを吸う奴はガチで頭おかしいと思っていた。小学生のころ教師に、図書館で資料を集めてタバコをやめるよう進言したらしい(母に聞くまですっかり忘れていた)。嫌な小学生だ。
それが二十歳を過ぎるころ、たまたま喫煙者の多いコミュニティに属し、その後職場にも喫煙者が多かった。自分は吸わないくせに、毎回デカビタ買ってもらって、先輩らと喫煙所で駄弁っているのが好きだった。いつしかタバコ嫌いは解消し、好感すら覚えるようになっていた。勧められてタバコを咥えたこともあったが、その時は体が受けつけず、しばらくは喫煙者と飲んでいる時に、ごくたまにもらいタバコをする所謂パーティースモーカーというやつを長らく続けていた。
きっかけは30歳の夏にとある離島へひとり旅をした際、自転車で島を一周してビール飲んでタバコ吸ったらうまいかなと思い立ち、初めて自分のお金で一箱買ってみた。バニラみたいな香りのする、ウィンストンの1ミリだった。オオミズナギドリが営巣しているようなとんでもない絶壁で、水平線を見ながら缶ビール片手に吸ったタバコがちょっと笑ってしまうくらいに美味かった。それ以来、景色の良い場所を訪れるたびにちょくちょく吸っていたら、いつの間にか日常的にタバコを吸うようになっていた。
学生の頃に、モテない同性を集めて三浦半島を旅行した。そのときは良い景色に出会うたびにタバコをふかす友人たちを心底軽蔑していたが、今では彼女らの気持ちはよくわかる。あの時は悪態ついてごめんよ。
タバコは瞑想に似ている。あるいはマインドフルネス。潜水(フリーダイビング、スピアフィッシング)とも。脳内の毛細血管がきゅーっとなって、一瞬体温が下がって、それからうっすら意識が体を離れ浮遊する感覚が訪れる。気持ちいい。ダウナーな音楽でも聴きながら半目で酩酊するのが至福。
10年以上前になるだろうか、『タバコは穏やかな自殺』というコピーをどこかで見た。無論啓発のためのコピーだったと思うが、今みると、素敵な言葉だと思う。死にたいけど死ねない。自傷行為は、自意識が希薄な時に、自分の体が自分のものであるという認識を確かにしてくれるものだと思う。
先日「ハーモニー(伊藤計劃)」という近未来SF小説(ネットフリックスでアニメ版が観られる!)を読んだ。要約すると、めっちゃ強い新型コロナウィルスみたいなのが世界中で猛威を奮った結果、国家は国民の人体を『リソース』として扱い徹底的に管理する決定を下した。体に埋め込まれたデバイスが健康状態を常に把握し、自動で投薬がなされる。不健康であることが犯罪となった世界で、主人公たちは、飲酒や自殺未遂といったテロ行為を繰り返すという話だ。
自己管理のできない者が、あたかも犯罪者のように晒し上げられ、下手すると直接攻撃を受けるようになってしまった昨今において、「ハーモニー」の世界は決してフィクションだと切り捨てることはできない。ミアハの「このからだも、このおっぱいも、このおしりも、この子宮も、わたしのもの。そうじゃない?」という台詞は、いっそう印象を濃くしている。日増しに喫煙者の肩身が狭くなっている本国において、あえていま、タバコを吸う理由づけをするならば、そんな世界に対するささやかな抵抗だと言えなくもない。
先日、近所のホラ吹きオジサンにそんな話をしたら、「なぜコロンブスがアメリカ大陸からタバコを持ち帰ったのか。君はその意味を考えたことがあるのか?」と言われ、なに言ってんだこのジジイと思った。曰く、それは産業革命と貨幣経済が浸透したことの反作用なのだと。人が個人として選択的に生きることを強制され、生活の実感が貨幣によって奪われることで『生きている実感』が希薄になったがゆえに、タバコが必要とされたのではなかったかと。それは戦時中に薬物が乱用されたのと同じ理屈だとも。なるほど、一理あるなと思った。
ネイティブアメリカンが霊的なものと交信するために必要だったものが、本来とは全く違った用途に用いられ、スポイルされ、経済活動の一部に組み込まれていった。その意味では、今日における瞑想やマインドフルネスも同じ道を辿っていると捉えることもできる。
なにかと生きづらい世の中で、現代人には瞑想運動野菜睡眠と、少しのタバコが必要なのかもしれない。(どうみても生きづらそうな某氏には、ぜひともタバコを吸っていただきたい。某氏にタバコを吸わせて感想を聞いた!的な記事が書けたらたいそうバズるだろうに!)
一年経って、いまの私はタバコに少からぬ好感を抱いている。ネガティブな側面ばかりが強調され、積極的にタバコを吸う理由が語られていないことに対して少し残念な思いがある(コーヒーや日本酒に比べてタバコの不遇っぷりはどうだ!)。タバコには効能もあるのだし、もっとインテリがタバコを吸って、おおいに語って欲しいと思う。ほんの数十年前まではたくさん語られていたではないか。畑正憲とか伊集院静とか。健さんだって美味そうにふかしていたじゃない。もちろん嫌煙者と環境には十分配慮した上でね。だって素敵な景色見ながらタバコ吸えないなんて、そんな息苦しいことありますか。屋外で、誰にも迷惑のかからない時くらい大っぴらに吸わせて欲しい。
むかし池袋で好きになった人がいて、当時私はタバコを吸っていなかったのだけど、彼の指先がセクシーで(長髪で大きい瞳と長い睫毛が好きだった。確かキャスターの1ミリロングじゃなかったか)、軽く日本酒を飲んで要町の彼の家までの帰り道、深夜の公園で一緒にもらいタバコで一服した。その時の思い出は、昨日のことのように思い出すことができる。タバコを吸う人はセクシーだと思う。タバコを吸わない綺麗な人より吸っている綺麗な人の方が断然好きだ。
その時、彼がタバコを携帯用灰皿に捨てていて、えらいねと言ったら、自分が気持ちよくタバコを吸うためにマナーには気を使っているよ。それは自分の権利を守るためなんだよ。だからマナーの悪い喫煙者は最低なんだ、と教えてくれた。その言葉を忘れずに、これからも、この愛すべきちょっぴり退廃的な香りのする嗜好品を楽しみたいと思う。