はてなキーワード: ロベルトとは
この度、岩波文庫からアリエル・ドルフマン(昔は、英語風にドーフマン表記だった)の戯曲作品『死と乙女』が刊行された。90年代に一度、英語版から日本語に翻訳されたものが劇書房から刊行されたが、その後は長く絶版品切状態だった作品である。
「過去に読んだが岩波文庫から復刊したことは知らなかった」という人は、書店に急いで欲しい。
読んだことの無い人も、やはり書店に急いで欲しい。
もしかしたら、作品を読んだことは無くても、朴璐美や真木よう子などが主演した舞台を、日本国内で観たという人もいるかも知れない。または、ポランスキーによる映画作品を観た人もいるかもしれない。
ちなみに、これを書いている増田は、ど田舎生活の低所得者なので、演劇文化とは縁が無いことから、舞台を観たことはない。
今回の岩波文庫版は、著者の母語であるスペイン語で書かれたバージョンからの翻訳となる。翻訳者による詳細な解説があるので、作品執筆の背景となった70〜90年代のチリ内外の政治事情を知ることも出来ることから、一読者として有り難い。
これを目にしている貴方が、書店に赴いて『死と乙女』を入手して読んでくれるならば、もう以下の駄文を読む必要は無い。
この増田が読むことを勧めている『死と乙女』とは、どのような作品なのか、読んだことは無いが少しだけ興味が有るという人に向けて、以下を記す。
ただし『死と乙女』の結末に触れる部分があるので、未読で結末は自分で知りたいという人は、ここで一旦、この駄文を読むのをストップしてもらいたい。
また、直接的ではないものの、性暴力に言及する箇所もあるので、精神的な苦痛を喚び起こされる虞がある人は、ここで読むことを止めてもらいたい。
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1970年、南米チリで、サルバドール・アジェンデを大統領とする政権が誕生した。俗に、史上初の民主主義選挙により誕生した社会主義政権とされる。
しかし、アジェンデ政権を皮切りに中南米地域で社会主義国がドミノ倒し的に増加することを怖れた米国ニクソン政権は、チリへの介入を決定する。かくして、米国の後ろ楯を得たピノチェトが起こした軍事クーデターによって、チリは独裁国家となる。
この独裁政権時代のチリでは、多くのチリ国民が政治犯として弾圧され、不当な身柄拘束、拷問、虐殺の対象となっている。
チリ国外に亡命した人間もいる(亡命はしたもののチリ国外で暗殺されたという人間もいる)。映画『イル・ポスティーノ』の主人公の詩人も、そのような逃亡者であったことを、記憶している人もいるかもしれない。或いはまた、ヨーロッパに亡命していたチリの映画監督ミゲル・リティンが、ピノチェト支配下のチリへ潜入して取材する姿を、コロンビア出身ノーベル文学賞受賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスがルポルタージュ『戒厳令下チリ潜入記』(邦訳は岩波新書)として著したので、それを読んだ人もいるかもしれない。
本作『死と乙女』の著者アリエル・ドルフマンも、チリ国外に亡命した人間の一人である。
そして『死と乙女』の主人公パウリナ・サラスもまた、ピノチェト政権下で筆舌に尽くし難い苦痛を味わい、生還したチリ国民の一人である。
パウリナの夫ヘラルド・エスコバルは、ピノチェト政権下で、弾圧されている人々をチリ国外に亡命させる手助けをしていた。そのためにヘラルドは、ピノチェト政権当局から弾圧の対象とされた。
しかし、ヘラルドが当局の手を脱して逃亡したので、彼の居場所を吐かせるために秘密警察は、彼の妻であるパウリナの身柄を拘束し、彼女を拷問した。その時、拷問者は、目隠しされたパウリナをレイプしながら、シューベルト作品『死と乙女』をBGMに流したのである。
時が流れて90年代に入ると、チリは民主主義国家へと移行する。ヘラルドが逃亡する必要も、パウリナが夫の隠れ場所を吐かずに耐える必要も無くなり、二人は夫婦として、堂々と暮らせるようになった。しかし、パウリナの心には、拷問による拭いきれない大きな傷が残り、それが二人の暮らしに暗い影を落とし続けていた。
民主主義政権となったチリ政府は、ピノチェト独裁時代に行われた弾圧について、調査究明を行なうと国民に約束し、そのための調査委員会を任命する。今やパウリナの夫ヘラルドは、その調査委員会のメンバーの一人である。これが、物語の開始の時点で、主人公の置かれた状況である。
物語の冒頭、或る晩、ヘラルドは、パウリナの待つ自宅へと自動車で帰る途中、タイヤのパンクにより立往生していたところを、通りがかった医師ロベルト・ミランダに助けられる。ロベルト・ミランダの車で自宅に送り届けられたヘラルドは、夜も遅いし助けてくれたお礼にと言って、ロベルトに自宅へ泊まっていくことを勧める。
結局ロベルト・ミランダはヘラルドの申し出に甘えることにし、ヘラルドが寝室に居るパウリナに声を掛けて、彼女にも客人を泊まらせることを了承させる。
翌朝。
ロベルト・ミランダは、椅子に縛られている。パウリナが、彼にリボルバー拳銃を突き付けている。
それを見て驚く夫ヘラルドと、狼狽する医師ロベルト・ミランダに対して、主人公パウリナは告げる。
「昨夜、この男の声を聴いて気づいた。この男、ロベルト・ミランダこそが『死と乙女』をBGMとして流しながら、あたしを拷問し、レイプした人間だ」と。
ロベルト・ミランダに拳銃を突き付けて「洗い浚い罪を吐かせる」と主張する主人公パウリナに対して、夫ヘラルドは思い止まるように説得する。
チリがピノチェト独裁体制を脱して民主主義国家となったとはいえ、いまだピノチェトを支持するチリ国民も決して少ないとは言えない(現実世界の2023年現在でも、ピノチェト支持者が残っているのだから、民主政権に移行したばかりの90年代前半を時代設定としている物語の中では、尚更である)。独裁政権時代の弾圧活動に関与した人間たちの全てを、罪に問うて処罰しようとしたならば、親ピノチェト派の有権者からの反発を招き、まだ体制も盤石とは言い難い民主主義政権が倒れることになりかねない。最悪の場合、内戦が勃発して、更に血で血を洗う国民同士の殺し合いともなりかねない。
そのため、現実世界のチリで行われた調査も、調査対象事件を「被害者が殺害されたという重大なケース」に限定し、尚且つ、真実を綿密に明らかにした調査報告書を作成する代わりに、弾圧関与者の氏名公表や厳しい処罰を免除するという、謂わば折衷案の形をとらざるを得なかった。
処罰を免除するという条件を餌にした、一種の司法取引によって、ピノチェト独裁政権時代の弾圧に関与した人間に、己の罪を自発的に告白するように促したとも言える。
しかし、もしも調査委員の一人であるヘラルドの妻パウリナが、ロベルト・ミランダを殺害してしまったとしたら、いや、殺害せずとも、拳銃を突き付けてロベルト・ミランダに自白を強要したことが世間に知られたならば。
民主化した政権も、真相究明も、全てが水泡に帰すことになりかねない。
パウリナは、ロベルト・ミランダの命までは取らないことを条件にして、今ここにいるパウリナ、ヘラルド、ロベルト・ミランダの三人で"裁判"を行なうことを強引に承諾させる。かくして、現実のチリで行われた真相究明の動きを追体験するような、緊迫の一夜が、舞台上で演じられることとなる。
以下では、物語の結末に触れているので、未読の人は一旦ここで増田の駄文を読むのを切り上げて、まず『死と乙女』を読んでもらいたい。
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ロベルト・ミランダに罪を告白させること(供述をテープレコーダーに録音した上で、ロベルト自身の手で文字起こしの原稿を書かせ、さらに「自発的に真実を語った」と宣誓する署名までさせること)が出来たミランダは、ロベルトを監禁する前に家から離れた場所へ移動させておいた彼の車を、返すために取りに行くようにと夫ヘラルドに頼む。
そして夫ヘラルドが家を出て二人きりになると、パウリナはロベルト・ミランダに銃口を向け直す。
「真実を告白すれば命を助けると言ったのに、約束が違う!」と抗議するロベルト・ミランダに、銃口を向けるパウリナ。
パウリナは、ロベルト・ミランダの語りを聞いて、心の底からの反省や悔悛が彼には見られないと判断したのだ。
ここで演出として、舞台には幕が降り始め、パウリナとロベルト・ミランダの姿を隠すとともに、その幕は鏡となっており、演劇『死と乙女』を観ている観客たち自身を映し出す手筈になっている。
再び幕が上がると、物語のラスト場面であり、パウリナとヘラルドは、二人で連れ立って、音楽演奏会に出掛けている。演奏の休憩時間では、他の観客と、調査委員会による調査の成果について、夫ヘラルドは語り合っている。
休憩が終わり、演奏が再開される。
すると、その演奏会の会場にロベルト・ミランダが入って来て、主人公夫婦から離れた、ずっと後方の客席に彼は座る。
夫ヘラルドは気づいていないが、パウリナはロベルト・ミランダの存在に気づいて、しばし後ろを振り返り、ロベルト・ミランダを見る。ロベルト・ミランダは、何も言葉を発すること無く、ただ、主人公パウリナに視線を向け続ける。やがてパウリナも、ロベルト・ミランダからは視線を外し、前方(演奏会の舞台があると設定されている方向)を向いて、物語は終わる。
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この増田は、殺したと考えている。(続く)
文鮮明と統一教会の麻薬犯罪について、調査報道ジャーナリスト・ロバート・パリー氏による下の記事がある。
統一教会の麻薬犯罪について、犯罪組織としての統一教会について、日本ではほとんど報道されていないが、記事の内容から、統一教会の犯罪組織性を汲み取った場合、「家庭庁が呑気に質問権を行使しているしている場合ではない」と解釈することも可能だと考えるが、どうだろう?
著者は、90年代後半から2000年代にかけて統一教会問題を精力的追及した調査報道ジャーナリストのロバート・パリー氏。AP通信やニューズウィーク誌に勤務し、George Polk AwardやI.F. Stone Medalを受賞。
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https://www.consortiumnews.com/archive/moon6.html
(略)
しかし、この連載が始まって以来、文氏の国際的な政治的つながりについて、さらに厄介な事実が明らかになってきた。文氏の浪費癖を考えると、最も気がかりなのは、アジアの組織犯罪やラテンアメリカの麻薬取引につながる極右主義者との長年にわたるつながりである。このような関係、そして南米で深化する文氏の事業活動は、米政府が文氏がどのようにして米政治帝国に資金を供給しているのかを正確に確認する必要性を強調している。
文氏の代理人は、遠く離れた場所でどのように事業を維持しているのか、その詳細を公にすることを拒否している。しかし、武器や麻薬の違法な密売で利益を得ているという度重なる疑惑には、怒り心頭で反論している。
アルゼンチン紙『クラリン』による銃乱射の質問に対する典型的な回答として、統一教会のリカルド・デセナ代表はこう答えた。私たちの運動は、民族、国家、宗教の調和に応え、家族が愛の学校であることを宣言しています」。[クラリン、1996年7月7日]
しかし、文氏と麻薬に汚染されたギャングや堕落した右翼政治家との関係は、アジアにおける統一教会の初期にまでさかのぼる。文氏の韓国を拠点とする教会(統一教会)は、かつてイタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニを "完璧なファシスト "と称賛した日本のヤクザ犯罪組織のリーダーである笹川良一の支持を得た後、1960年代初頭に日本で最初の重要な進出を果たした。日本と韓国では、影のヤクザが麻薬の密輸、ギャンブル、売春で利益を上げていた。
笹川は日本の与党である自民党の裏指導者であったため、笹川とのつながりは文に改宗者と影響力の両方をもたらした。国際的な場面では、笹川はアジア人民反共同盟の設立に協力し、ヘロインに汚染された国民党中国の指導部と韓国、日本、その他アジアの右派を結束させた。[詳細については、デイヴィッド・E・カプランとアレック・デュブロの『ヤクザ』を参照されたい。]
1966年、アジア連盟は、より伝統的な保守派とともに、ヨーロッパの元ナチス、アメリカのあからさまな人種差別主義者、ラテンアメリカの「決死隊」工作員らを加えた世界反共連盟へと発展した。文鮮明の信奉者たちは両組織で重要な役割を果たし、CIAとも密接な関係を保っていた。
(略)
新政権を祝福するためにラパスに到着した最初の好意的な人々の中に、文鮮明の最高副官ボー・ハイ・パックがいた。文の組織(統一教会)は、ガルシア・メザ将軍と会談するパクの写真を掲載した。山深い首都を訪問した後、パクは「私は世界一高い都市に文鮮明の玉座を建てた」と宣言した。
後のボリビア政府や新聞の報道によると、文鮮明の代理人がクーデターの準備に約400万ドルを投資したという。ボリビアのWACL代表も重要な役割を果たし、文の反共組織の一つであるCAUSAは、ボリビアの主要なクーデター実行者のほとんど全員をメンバーとしてリストアップしていた。[CAIB、1986年冬号]
クーデター後、アルセ=ゴメスは、トラフィカンテのキューバ系アメリカ人密輸業者を含む大物麻薬密売組織と手を組んだ。クラウス・バービーと彼のネオ・ファシストは、ボリビアの主要なコカイン王を保護し、国境まで麻薬を運ぶという新しい任務を得た。[コカイン・ポリティクス]
「準軍事組織--バービーは新しいタイプの親衛隊として構想した--はコカイン男爵に自分たちを売り込んだ」とヘルマンは結論づけた。「ラテンアメリカにおける民族社会主義革命という考えよりも、コカイン取引で手っ取り早く稼げるという魅力の方が強かったのだ」。
レビンによれば、アルセ=ゴメスはある一流の密売人にこう自慢したという。クーデター勢力もそれを支持した。
「ボリビアはすぐに、当時まだ駆け出しだったコロンビアのカルテルへのコカイン・ベースの主要な供給国になり、彼ら自身がアメリカへのコカインの主要な供給国になった。「そしてそれは、DEAの暗黙の協力とCIAの積極的かつ秘密裏の協力なしには成し得なかった。
1980年12月16日、キューバ系アメリカ人の諜報員リカルド・モラレスはフロリダの検察官に、ボリビアの新しい軍事支配者からコカインを輸入する陰謀にフランク・カストロと他のピッグス湾の退役軍人が関与しているとするマイアミを拠点とする捜査「ティック・トークス作戦」の情報提供者になったと語った。[コカイン・ポリティクス]
数年後、メデジン・カルテルの資金洗浄者ラモン・ミリアン・ロドリゲスは、ジョン・ケリー上院議員(マサチューセッツ州選出)が議長を務める上院公聴会で証言した。ミリアンロドリゲスは、カルテルの初期には、"ボリビアは他の国よりもはるかに重要だった "と述べた。[1988年4月6日]。
麻薬王がボリビアで権力を強化するにつれて、文鮮明の組織もその存在感を拡大した。ヘルマンの報告によると、1981年の初めには、戦犯バービーと文鮮明の指導者トーマス・ウォードが一緒に祈る姿がしばしば目撃されていた。アルゼンチンの諜報部員ミンゴラは、ウォードをCIAの給与管理者であり、月給1,500ドルはウォードの代表のCAUSA事務所から支払われていると述べた。[CAIB、1986年冬号]
1981年5月31日、文鮮明はラパスのシェラトン・ホテルのホール・オブ・フリーダムでCAUSAのレセプションを主催した。ボー・ハイ・パックとガルシア・メザは、暗殺未遂事件からのレーガン大統領の回復のために祈りを捧げた。ボー・ハイ・パックはスピーチの中で、"神は共産主義を征服する者として、南米の中心に位置するボリビアの人々を選ばれた "と宣言した。後のボリビアの諜報機関の報告によると、月の組織はボリビア人の「武装教会」をリクルートしようとし、約7000人のボリビア人が準軍事訓練を受けたという。
しかし1981年後半になると、明らかにコカインに汚染されていたことが、アメリカとボリビアの関係を緊張させていた。「文鮮明の一派は、到着したときと同じように一夜にしてボリビアから密かに姿を消した」とハーマンは報告した。ボリビアの情報機関が民政移管を進める中、ウォードと他の2、3人だけがボリビアに残った。
ヘルマンの証言によると、ミンゴラは1982年3月、ラパスのホテル・プラザのカフェテリア「フォンタナ」でウォードに会った。ウォードはボリビアの作戦に落胆していた。「アルトマン(バービー)とのこと、ファシズムとナチズムのこと、あれは行き止まりだった」とウォードは愚痴をこぼした。「文鮮明とCAUSAがここにいるのは愚かなことだった。[CAIB』1986年冬号)この記事に関するウォードのコメントは得られなかった。
コカイン・クーデターの指導者たちは、すぐに逃亡することになった。アルセ=ゴメス内相は結局マイアミに送還され、麻薬密売で30年の刑に服している。ロベルト・スアレスは15年の実刑判決。ガルシア・メザ元大統領は、権力乱用、汚職、殺人の罪でボリビアで30年の刑に処せられ、逃亡中である。バービーは戦争犯罪で終身刑を受けるためフランスに戻された。彼は1992年に死亡した。
しかし、文鮮明の組織はコカイン・クーデターの代償をほとんど支払わなかった。米国の保守政治会議に資金を提供し、1982年には超保守的な『ワシントン・タイムズ』を創刊し、レーガン大統領をはじめとする共和党の有力者に取り入った。文はまた、南米に政治経済的基盤を築き続けた。
1984年、ニューヨーク・タイムズ紙は文鮮明の統一教会をウルグアイにおける「最大級の外国人投資家」と呼び、その前の3年間に約7000万ドルを投資した。投資先には、ウルグアイで3番目に大きな銀行であるバンコ・デ・クレディト、モンテビデオのホテル・ビクトリア・プラザ、新聞社ウルティマス・ノティシアスなどがあった。文鮮明のベンチャー事業は、ウルグアイの軍事政権による寛大な税制優遇措置に助けられた。「教会関係者によれば、ウルグアイは海外での利益の本国送還を容易にする自由な法律があるため、特に魅力的であったという。[NYT、2-16-84]
ニカラグアのコントラ反乱軍を支援する文鮮明の組織は、ニカラグアの国境沿いにコントラにベースキャンプを提供した強力なホンジュラス軍とも密接な関係を築いた。ここでもまた、文鮮明の代理人は、米国へのコカイン輸送を支援している疑いのある将校と接触していた。マイアミの麻薬ネットワークにつながる反カストロのキューバ人も、アルゼンチン軍の情報将校と同様に、反共の大義を推進するために登場した。
ホンジュラスとのつながり
ケリーの上院報告書は、ホンジュラスが北へ向かうコカイン輸送の重要な中継地点になったと結論づけた。「ホンジュラス軍の一部は1980年から麻薬密売人の保護に関与していた。「ホンジュラス軍の一部は1980年以降、麻薬密売人の保護に関与していた。米国は麻薬取締局のホンジュラス駐在を強化し、米国がホンジュラス人に提供していた対外援助をテコに麻薬密売の撲滅に断固とした態度で臨む代わりに、テグシガルパの麻薬取締局事務所を閉鎖し、この問題を無視したようである」。[麻薬、法執行、外交政策--ケリー・レポート--1988年12月]。
1980年代半ば、ジャーナリストや議会調査官が麻薬密売の証拠を探り始めたとき、彼らは文鮮明のワシントン・タイムズから厳しい攻撃を受けた。私がブライアン・バーガーと共同執筆したAP通信の記事は、タイムズ紙の一面で「政治的策略」と非難された。[1986年4月11日]
タイムズ紙は、まずケリーの調査官を金の無駄遣い[1986年8月13日]、次に司法妨害[1987年1月21日]で攻撃した。今、南米の麻薬に汚染された役人たちとの文の歴史的なつながりがより鮮明になり、これらの調査に対する嫌がらせは、自己防衛の可能性という別の様相を呈している。[詳しくは「文鮮明のダークサイド」シリーズを参照されたい。]
さらに最近、文師はウルグアイの豪邸に活動の拠点を移し、南米に保有する資産を拡大し続けている。彼はアルゼンチンのコリエンテス州に多額の投資をしている。コリエンテス州はパラグアイに近い国境地帯で、主要な密輸センターとして知られている。
《パラグアイ》旧統一教会敷地内の麻薬輸送滑走路を爆破=国際犯罪組織が利用、教会関与の疑い(ブラジル日報)
https://news.yahoo.co.jp/articles/64477ef04951e7916bd1426874a3e9a6064a903c
1996年1月2日、文鮮明は信者たちに対する説教の中で、南米の遠隔地に小さな滑走路を建設し、沿岸警備隊のパトロールから逃れるための潜水艦の基地を建設する計画を発表した。飛行場計画は観光のためのもので、「近い将来、世界中に多くの小さな空港ができるだろう」と付け加えた。潜水艦が必要なのは、"世界には国境による制約がたくさんあるからだ "と彼は言った。
その経歴と知名度から、文鮮明とその組織はアメリカ政府の監視の目にさらされるのは当然のことのように思える。しかし、文鮮明は多くの有力政治家を買収することで、立ち入った調査に対する保険をかけているのかもしれない。~
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ちょっと前の話だがキングオブコント2023の札幌予選を見に行ったので備忘録。
6月17日、会場は札幌コンベンションセンター小ホール。MCは龍見。審査員はHBCのテレビマン2名。
Aブロック
札幌吉本1年目のコンビ。1年目ながらUNDER5 AWARDでは3回戦に進出経験あり。トップバッターにしては上々のウケで会場を程よく暖めてくれた。
会話主体でいかにも漫才師のコントという感じだけど、テンポも滑舌もよくて上手。
札幌吉本の中堅コンビ。珍しくボケとツッコミがいつもと逆だったが、違和感なし。電人バンドの作ってくれた空気に乗って、2番手にしては随分と沸いていた。
大荷物を持ち込むネタなのだが、ネタ直後に学祭の営業に直行することを知っていたので、これ持って行くのか……という裏笑いもついつい出てしまった。
・こばたいたZ「タクシー」
アマチュアコンビ。勢い任せのネタが多い印象だったが、今回はちゃんと作り込んだネタだった。唯一のタイムオーバーとなり、爆発音とオチの台詞がかぶってしまった。
個人事務所「合同会社TOTONOU」所属のフリーコンビ。ほぼ出オチだったが最初の大爆発を起こし、その余韻で2分間を走り切った。
札幌吉本2年目のコンビ。1回戦にしてはメイクに気合いが入っていた。ボケの声が昔に比べると随分通るようになったなあ。
・イノセラムス「親子」
札幌吉本3年目のピン芸人同士の男女ユニット。最初のバラシがすぐに理解されず、その後は伝わったもののそのままズルズル終わった印象。
・秘蔵「鮭」(通過)
札幌吉本1年目のコンビ。狂った設定とコンビ揃ってのクソデカボイスに圧倒されて大ウケ。
電人バンドと秘蔵は良いライバル関係という感じでいいな。芸風が正反対なのがなおさらそれを引き立たせてる。
Bブロック
・ひとくちの季節「飲み比べ」
男女コンビ。札幌NSC生。ボケの女性の方は滑舌はいいけど声量が小さいので、笑う前に聞き入ってしまった。
札幌吉本1年目の男女コンビ。狂気じみた設定でかなり面白かった。
舞台が低く客席がフラットな会場だったので、寝転がるくだりが多いと後ろの客に見えづらくて、それがネタのクオリティの割にウケが伸びなかった原因かも。
だんだん上手くなっているコンビなので、成長すれば北の蛙亭になれるかもしれない。
・華花クラッツ「ドッキリ講座」
札幌吉本2年目のコンビ。新しく結成したばかりで、これがコンビとして初舞台らしい。とにかくバカバカしいコントで、勢いで押し切っていた。たぶん台本だけ読んでも面白くない。
札幌NSC生。狂った演技が面白かったけど、あまり印象に残らず。ツッコミの人はしずるのKAZMAに似てると思う。
札幌学院大学お笑いサークルの大学生コンビ。補色と同じく床に寝転がるくだりが多いので後ろの客席からはほとんど見えていなかったと思う。
Cブロック
太田プロ札幌の、50代社長と30代フリーターのコンビ。漫才のネタを作り替えたコントなので、会話のやりとりだけ。折角コントなんだからもうちょっと動きも入れていいのに。
まあこのネタは漫才になる前にさらに違う設定のコントであったことも覚えているが。社長は本当に社長なだけあって、社長役のリアリティがすごい。
・さとうがし「美容院」
北大落語研究会の男女コンビ。とにかく元気で分かりやすいネタだったので、ウケ量の割に印象には残っている。
札幌吉本のピン芸人同士のユニット。事務所の先輩であるMCにコンビ名を間違えられていた可哀想な二人。
弱々しいツッコミの嘆き節が好きなんだけど、いつもより物足りなかったかな。
本物の金魚を相方と言い張っている札幌アングラ芸人の雄。たぶん札幌の芸人の中で全国的には一番有名。
大人の事情から、賞レースのときは金魚が人間態になったというていで人間の相方を用意するのだが、その相方はずっと隠れて外に出ないという激トガりなネタだった。相変わらず「コンビ」の概念を壊そうとしている。ルールのギリギリを突くのが持ち芸みたいになってるので、賞レースのようなガチガチの場だと輝くけど、もともとなんでもありの地下ライブとかだと当たり外れが激しい。
まあまあウケていたが、一番ウケたのは本筋とあまり関係ない札幌ローカルの地域ネタ。
札幌吉本のリアル母子コンビ。特技のスラップベースを活かした音楽コント。
Dグループ
・びぶん「内見」
ピンネタのバージョンも別のライブで見たけれど、ボケの台詞回しが独特なのでコンビネタの方が良い。衣装はそれでいいのか?とも思ったが。
北大落語研究会所属の大学生コンビ。北海道の大学お笑いコンテストの初代チャンピオン。「こんな彼女は嫌だ」大喜利のネタ。もう1個時事ネタ系の強いボケがあれば通ってたかも。
札幌NSC3期生の、オネエと元警察官のコンビ。ツッコミが元警察官だけあってモデルガンの持ち方が様になっていた。様になりすぎてて逆にネタの邪魔になっていた気もする。前半はワチャワチャとして楽しいネタだったが、後半で展開が飛びすぎて失速。
男女コンビ。男性の方がピンでインディーズライブに出てるのを見たことがあるけど、コンビでは初めて見た。女性の方がめちゃくちゃ演技がうまい。あんな勢いあるキレ芸できる女芸人そうそういない。
札幌の地下芸人・ロベルト三好、ポロミンかかずによるユニット。街なかで見かけるヤバいおじさんというすでにこすられまくってるテーマだけど、こんな斬新な切り口があったとは。発想の良さという点では今回ナンバーワンかも。
・コロネケン「診察」(通過)
北海道住みます芸人で札幌吉本のエース格のコンビ。伝統的に漫才が強い札幌吉本では珍しくコントをメインとしている。
今回の圧倒的イチウケ。後半は全ての台詞がハマっていて、拍手笑いが鳴り止まなかった。
Eブロック
・ノーチラス「夜行バス」(通過)
札幌吉本のピン芸人、中(ちゅん)と花敷こーようのユニット。中は50代半ばから芸人になったリアルなおじさん。
とにかくリアルなおじさんであることを上手く活かした設定になってて良かった。ある意味「生身のおじさん」を使ってモノボケをする一人コントともいえる。
前コンビを解散以降なかなか相方の決まらなかった二人だけど、相性がいいのかもしれない。
アマチュアの社会人コンビ。気合いの入った小道具を作ってきていた。台詞は全て録音のナレーションでネタ中は一切喋っていない実験的なネタ。
・心理「ロン毛」
札幌吉本の若手コンビ。苫小牧出身で、北海道住みます芸人。UNDER5 AWARDでは3回戦に進出。
ボケのとしきの見た目を活かした分かりやすいネタでよくウケていた。
元北海道住みます芸人で、札幌吉本を退社してトリプルワンという事務所にいる。
ライブシーンからしばらく離れているコンビなのでネタは久しぶりに見たけど、昔よりも円熟味を増した気がする。吉本時代はこういう哀愁のある笑いはあまりなかったんじゃないか。
通過予想
電人バンド、ゴールデンルールズ、やすと横澤さん、秘蔵、コロネケン
実際の通過
電人バンド、ゴールデンルールズ、秘蔵、三好&ポロミン、コロネケン、ノーチラス、しろっぷ
7組通過は例年より多い。そしてNSC3期生の快進撃がすごい。
三好&ポロミン、ノーチラスあたりはなかなか攻めた審査だなあ。でもキャラよりもアイデアで魅せたネタだったので、東京の2回戦でも通用するかもと思えるのはこの2組なんだよな。
ノーチラスの二人はおそらく賞レースの1回戦を突破したのは初めてのはず。報われてほしい。コロネケンは毎年札幌予選のイチウケなのでそろそろ準々決勝行ってほしい。
春の天皇賞が近づいてきました。
今年の競馬は難しいですね。
近年、長距離戦線は手薄でレベルの低下が著しい、と言われながらも、今年はいいメンバーが揃いました。
現役最強(かもしれない)前年度覇者タイトルホルダーを筆頭に、有馬記念2着のボルドグフーシュ、阪神大賞典で圧勝したジャスティンパレス、サウジアラビアで3000mのG3を圧勝したシルヴァーソニック、そして今や若馬に対するジムリーダーのポジションとなったディープボンドがライバルで揃います。
みなさんが気になる点は大きく2つ
・京都にかわるのはどうなのか?
だと思います。
まだ起きてないことを論じるには過去のデータに当たるしかないわけなのですけど、血統的な話をまずしておきます。
3000mを超える長距離戦線のデータとして、京都で行われる天皇賞春、菊花賞、阪神で行われる阪神大賞典をチェックします。
阪神大賞典は京都の有無に関わらず阪神競馬場で行われているので、阪神のデータの筆頭です。
2013年-2023年の11年間のうち、馬券内となったのべ33頭のうち、27頭がサンデーサイレンス系です。
それ以外の6頭は、キンカメのようなミスタープロスペクター系が3頭、ノーザンダンサー系が2頭、それ以外が1頭です。
この中でサンデー系以外で連対したのはミスプロ系のユーキャンスマイルのみ。
サンデー系は強いけど、それ以外のパワー系がしっかり絡んでくるという傾向です。
2012-2020年までの9年間のうち、馬券内となったのべ27頭のうち、サンデーサイレンス系は19頭、エピファネイアやスクリーンヒーローのロベルト系が4頭、キンカメのミスプロ系が3頭、ノーザンダンサー系が1頭です。
阪神大賞典とそれほど大きな差は見えないものの、阪神でいなかったロベルト系が出てきています。
ちなみにここ2年の阪神での菊花賞だと、サンデー系が2頭、ロベルト系が3頭、キンカメ系が1頭になります。
これを見ると、阪神大賞典、阪神で行われた菊花賞、京都で行われた菊花賞は、どれもそれほど傾向が違わないように見えます。
馬が若い分、パワーがあったり成長が速かったりするのが重要な要素ともなっているのでしょう。
そして春の天皇賞
2013-2020年までの8年間、計24頭の馬券内のうち、実に23頭がサンデーサイレンス系で、残り1頭はそれ以外の外国産馬となります。
正直、サンデー系じゃないと話にならないと言っていいレベルです。
菊花賞や阪神大賞典でぽつぽつサンデー以外が入っていたことを思うと、偶然とはなかなか言い難い傾向があると思われます。
阪神は小回りで急坂も2回あり、タフさと器用さを兼ね備えたパワー型の馬が求められるのが大きな傾向としてあるので、パワー型のキンカメやロベルト系が出てくるのも納得です。
それに対して京都は、3コーナーの急坂から、下りながらのロングスパートになりやすく、下り坂で楽ができる分スタミナをある程度ごまかせるという話もあります。
そして直線は阪神より長く、ゴール前の坂がないため、ゴール前の切れ味勝負になりやすい、とも言われています。
イメージとしては、阪神や中山より、東京競馬場に近いとされています。
で、阪神開催となったここ2年で、すぐさまキンカメのミスプロ系が2頭入ってくるところを見ても、京都でミスプロが来れないのは訳ありなのかな?という気がしてしまいますね。
データ的にはミスプロ系はここ8年で22頭が京都の春天に挑んで全員馬券外となっているそうです。
そして今回の有力馬を見てみると、
サンデー系がアスクビクターモア、ジャスティンパレス、シルヴァーソニック、ディープボンドになり、キンカメ系がタイトルホルダー、ロベルト系がボルドグフーシュとなります。
ただ、ボルドグフーシュは父母父、母父父がサンデーサイレンスなので、サンデーサイレンスの3x3を持っているため、血の1/4がサンデーサイレンスなロベルト系という、ちょっと変わったポジションです。
それを言ったらドゥラメンテの母父もサンデーサイレンスなので、タイトルホルダーにもサンデーの血は流れています。
サンデー系を重く見るなら、アスクビクターモア、ジャスティンパレス、シルヴァーソニック、ディープボンドから選ぶことになるでしょうが、さすがに自力が血統を上回っていると思うので、タイトルホルダーは割って入りそうな気がします。
サンデーは重視しつつも、という程度でしょうか。
少しメンタル的にもピリピリしていたそうですが、レースが終わって落ち着いているという話です。
朗報なのは、出遅れた後、先を見越して田辺騎手が無理に追わなかったこと。
回ってきただけという感じで、重馬場を走ったダメージはゼロと考えてよく、このあたりは田辺騎手の好騎乗だったと言えます。
そして1週前追い切りは抜群によく、これでダメと言われたらどうしていいかわからんよ、と田村先生も機嫌よかったみたいです。
高木助手も、日経賞と全然違うと話していますし、状態に関しては申し分ないと言えます。
もうひとつ気になるポイントは横山武史騎手への乗り変わりですね。
正直、田辺騎手とビクタ君のコンビは好きだったし、良くも悪くも執着しない田辺さんらしい騎乗がビクタ君に合っていた気はしています。
しかし、横山武史騎手はやっぱり抜群にうまいし、勝つ気で乗ってくれる闘志ある騎手です。
そして1週前追い切りでも乗ってくれていて、タイトルホルダーなんかとはまた違うタイプですごく柔らかいと評価してくれていました。
心配は何もいらないでしょう。
長距離は騎手を買えという言葉があるくらい、うまくリラックスさせて折り合わせるのが最重要ポイントです。
今はやはりルメールよりうまい騎手はいないし、サンデーサイレンス系、そして阪神大賞典で緩めに作っての圧勝、と思うと、ジャスティンパレスが1番のライバルであることは間違いないです。
力で言えばタイトルホルダーも強いのは間違いないですが、重馬場巧者がライバル不在のドロドロの中山でドスローで勝っただけ、と思うと、日経賞の着差はそれほど注目すべきでないと思っています。
ボルドグフーシュも間違いなく強いのですけど、長距離だとなぜか川田騎手は勝てなくなるのが不安要素です。
あれだけの騎手なんだけど、馬に騎乗を合わせず、馬を従わせるタイプの騎手なので、ボルドグフーシュに少し合ってない感じはします。
ジャスティンパレスと斤量差があって、しかも仕上げもボルドグフーシュのほうが切れてたと思うと、あの阪神大章典の差って、斤量差考えると騎手の差が3馬身分くらいある、ということだと言えます。
と言っても阪神大賞典でも2着は立派ですけどねー。
シルヴァーソニックはひょっとしたら馬券内食い込むかもしれない。
これを思うとはっきり、良馬場で、高速馬場のスピード勝負、しかもハイペースからの消耗戦が得意なのがわかります。
重たいタフな馬場での消耗戦には向きません。
その点、解禁すぐの京都で、先週も前が止まっていなかったことを思うと条件は合っています。
しかし雨予報。
稍重程度なら、と思うけど、不利になることは間違いないでしょう。
ただ、ハナにいきそうなアフリカンゴールドはハイペースにはしなさそうだし、タイトルホルダーも中で緩めて緩急をつけて足を残すタイプ。
タイトルホルダーはハイペースもスローペースもどちらもいけるけど、高速で引くメリットがないからしなさそうだと思う。
阪神大賞典もスローペースからの決め脚勝負だったし、日経賞も重馬場でペースは上がらなかった。
ということは、今回がハイペースになれば、前哨戦2走と様相がわりと変わってくるのはあり得る話だと思います。
ただ、普通にしていれば今回の春天もハイペースになるとは思いにくい。
ということは、結構な確率でビクタくんがハナに行くと思っている。
3番手で前が作るペースに任せてじっとしていたら決め脚の差がある分勝てないのではないかな
なら自分でハイペースを作るしかないので、少なくともペースが緩む1コーナー過ぎたあたりでハナに変わるのでは?
今回のメンバーで、ハイペースの東京のG1で馬券内に残せる馬はビクタくんしかいないし、京都で好走できる条件はかなり持っていると思う。
ペースを握ろう、できるよ、武史騎手、頼んだよ。
1stの戦いでジオンは敗戦?休戦?したから、 Zは連邦の内ゲバの話。
1stと打って変わって、主人公はスペースノイド寄りリベラルのエゥーゴ側で、アースノイドタカ派のティターンズが「敵」。だからシャアも「味方」についてる。
ティターンズは、アニメ的に「敵」のアイコンとして分かりやすいからジオンでお馴染みモノアイ機体に乗るけど、アースノイド寄りという皮肉。
紛らわしいな。
アムロは強すぎるし反NT的な思想から身内の連邦から危険認定を受けて軟禁されて、ティターンズにちょっと手を貸したけど宇宙には上がらずフェードアウトだったかな。
シロッコはティターンズのなんか優生思想のやべー奴。アクシズはジオウヨが集まったネオナチみたいな集団で、リーダーのハマーンはシャアの元カノでなんか痴情のもつれがあったらしい。ってイメージ。
百式がキュベレイとジ・Oにボコボコにされてたのは、シロッコはティターンズだからまあ分かるけど、アクシズからもなんか反感を買ったのかな。ハマーンの私怨なのかな。
詳細も結末もあんまり覚えてないから、そもそも連 邦同士で争うったって、MSでドンパチやって揉め事の種になる資源豊かな地球を解放したい/守りたいのか、降参させて言い分を飲ませたい宗教戦争なのか、何を争ってんのかがよく分からん。
カミーユは他者の気持ちに敏感だけど自分自身も繊細すぎるから、感度3000倍でシロッコの最後っ屁の悪意を受けて発狂したのは覚えてる。
マチルダとかランバ・ラルとか大人の背中を見てナイーブさに折り合いをつけたアムロと違って、カミーユは周りも余裕がなかったって印象。ランバ・ラルに相当するポジションもヤザンとかいうやべー奴だし。でもアポリーとロベルトみたいな有能中堅キャラ好き。
本日は世界メンタルヘルスデー、世界死刑廃止の日、日本では1010に纏わる何かしらの日とあと10月の第二月曜日なので体育の日なようです。
アメリカでは10月の第二月曜日はコロンブスデーというやつらしいですが、コロンブスの行いのせいでネイティブアメリカンとの関係とか人種差別との関係とかで祝わない地域もあるそうです。
現代社会は内外でメンタルヘルスと向き合う事が多いですが、それでもまだ多少は理解される事が増えてきたんだろうなぁとは思います。
昔ならただの怠け者扱いでしたからね、まぁ今でも怠け者扱いする人はいるのですが。
全員が全員怠け者だと断定して排除してくるのが昔でした、じゃあ今は?
まぁ半々ぐらいでしょうね。
本音を言えば納得したくない人もどうせ言い訳だと思ってる人も腫物だと思ってさっさと片付けたい人もいるでしょう。
まぁ表に出てる時ぐらいは品行方正っぽくしてればいいかなあと思います。
本音って奴が表でずっと鳴り響いてるのなんてうるさすぎて仕方がありませんからね
それを窮屈だと表現してる時点で割とろくでもないんです。
自分にとっての都合のいい音を出してくれる訳でも、本当に鳴った音で鼓膜が潰れない訳でもないんですから。
みんな本当はこう思ってるんだろ?なんて
「俺は呼吸が下手だから息苦しい」以外の意味合いを持たないんです。
この記事を読めばN医師とは誰のことかたちどころにわかるのだが、それはさておき、色々調べてみると、この事件は文藝春秋社が一方的に悪いことがわかる。結局、スポンサーへのSWCからの圧力という事実は存在せず、勝手に慌てふためいただけの文藝春秋者が雑誌を廃刊し、社長が辞任し、そして勝手に花田編集長(当時)が辞めたのだけだったのである。しかしこれは最悪だった。ホロコーストに否定的なことを言うのはタブーだ、という誤った認識を世間に与えてしまったからである。SWCは単にホロコースト否定論を監視する団体であり、それまで世界中でずっと抗議してきたのである。なぜなら、欧米では日本など比べ物にならないくらいホロコースト否定論は昔から大きな問題だったからである。
事件の中心人物だった、N医師のその当該記事は噴飯物の記事だった。何せこのN医師、普通ならあの有名なAuschwitz強制収容所は「アウシュビッツ」或いは「アウシュヴィッツ」と日本語表記される筈なのに、「アウシュウィッツ」と呼んでいたくらいのレベルだったのである。今でもAmazonや古本で『アウシュウィッツの真実』という初版本は売っているので、その表紙をWeb上で見てみるといい。これが別の出版社からのちにペーパーバック版として出された時に、こっそり「アウシュヴィッツ」に直しているのが笑える。ちなみに、この指摘をしたのは、N医師をネットで散々苔にするほどに論駁していた山崎カヲル氏である。
N医師は、デイブ・スペクターによれば、それまでは英字新聞への投稿マニアに過ぎなかったらしい。おそらくは、そうした趣味が1995年当時、そこそこ盛り上がりを見せていた欧米のホロコースト否定論に接する機会を与えたのであろう。N医師にしてみれば単に当時の流行り物に飛びついただけだったに違いない。ともかく、N医師は別にホロコーストに詳しいわけでもなんでもなく、その程度のレベルであったから、文芸春秋社はきっちり反論記事でも載せるべきだったし、或いはN医師の記事など最初から突っぱねるべきだったのである。どれだけ噴飯物の内容だったかは、これでも読んでみるといい。
だが、たった一度のその記事は、N医師の人生を大きく変えてしまった。未だにN医師は日本のホロコースト否定論者の第一人者としてたくさんの信者が存在する人物になってしまったのである。知名度を生かして講演料まで稼いでいるらしい。前置きが長くなったが。
この問題は、結構事情が複雑である。簡単な説明は英語だがこちらで読むことはできる。一体この煙突問題を誰が言い出したのかはよくわからないが、クレマトリウムⅠの捏造疑惑自体は、1980年代ごろにフランスの有名なホロコースト否定論者だったロベルト・フォーリソンが言い出したのである。大概の細かいホロコースト否認論はこのフォーリソンが発祥である。フォーリソンはホロコースト否定を公に行ったことで当局に逮捕され、裁判になり、実はこの裁判でクレマトリウムⅠの捏造疑惑は形上は一旦決着しているのだ。だが、フォーリソンはそんなことで諦めるような人ではない。
続いてホロコースト否認問題では欠かせない話題であるツンデル裁判というのがカナダで起きる。欧米では当時かなり大騒ぎになった事件である。そして、このカナダの事件にフォーリソンは深く関与した。有名なロイヒターレポートの発案者も実はフォーリソンなのである。それはともかく、クレマⅠの捏造疑惑のネタがまたこの裁判内で取り沙汰される。この時はフェルデラーという超悪質なホロコースト否認論者が証人となって裁判で取り上げたようである。間違いなく暗躍したのはフォーリソンであろう。この裁判の決着はさておき、最も目立ってこのクレマⅠの捏造疑惑を取り上げたのは1990年代に入ってデヴィッド・コールというユダヤ系アメリカ人だった。ユダヤ人だってホロコースト否認はする人はするのであるが、彼はアウシュヴィッツ博物館に出向いて、アウシュビッツ 担当者まで登場させるビデオを撮ったのである。このビデオは今でもネットで視聴可能である。コール自身はこのビデオの販売に抗議したらしいが、出回ってしまったものはしょうがない。しかし、このデビッド・コールのネタ元は間違いなくフォーリソンである。コールの裏で暗躍していたかどうかまでは知らないが、フォーリソンが1980年ごろに指摘しなければ誰も気づかなかったのは間違いない。2000年代以降はオーストラリアの否定論者フレデリック・トーベンという人物がこのクレマ1捏造疑惑を喧伝していたようであるが、この人物も何度か逮捕されてるということくらいしか私は知らない(正直どーでもいい)。
簡単には説明がなかなか難しい。全体を把握しようとすると、ホロコーストの全体的な細かな問題まで把握しないといけなくなる。ただ、こう説明することはできる、ホロコースト否定派はどんなことがあっても絶対に断じて「ガス室」だけは認めることはない、のである。他の虐殺方法程度なら認めるホロコースト否定論者はいるけれど、ガス室だきゃあ絶対に認めてはならぬものなのである。そのガス室は現在もアウシュヴィッツという最も有名なホロコーストにおける強制収容所内にあったものとして公開されているのだから、否定論者にとってはまず最初に疑いの目を向けるものになってしまったのだのだろう、それ故に、否定論者にとってはクレマトリウムⅠと呼ばれるその場所は「戦後に捏造された」ものでなければならない。
ところがこのクレマトリウムⅠ、実に否定論者にとって都合がいいことに、実際に戦後に「再現」工事がなされているのだ。前述したリンク先を読めば書いてあるように、戦時中にいったん防空壕になっていたものを、ガス室として公開するために、もっかい戻したのが、昔は共産圏だったポーランドだったのだ。そして、この再現工事に実際に携わった当時の職人が、前述したフォーリソン裁判に出廷し、「再現工事をこんな感じでやりました」ときっちり証言していたのである。当然、捏造だなんて話にはなっていない。しかし、フォーリソンら否定派は「そんなに都合よく裁判に証人が出てくること自体怪しい」と引き下がらない。何せ、1980年代当時は、相手は東側であり、西側にとっては怪しすぎる共産圏国だ。背後にはソ連がいて、疑うにはもってこいの状況だった。
前述した海外サイトへのリンク記事にもあるが、煙突問題とは、戦時中にクレマトリウムⅠにあった煙突が、そこが防空壕に改築されるときに解体されたのである。そして、その煙突はアウシュヴィッツ博物館が1948年にオープンするのに合わせて、当時の再現という意味でもう一度作り直されたのだ(煙突だけではなく他も色々工事しているが、結構杜撰な再現工事であることは頭に入れておく必要がある。図面をよく見ればわかる)。だから、一時期煙突はなかったのであるが、戦後にそのなかったときのクレマトリウムⅠの写真が残っていて、それを現在の写真と比較して「戦後すぐにはなかったじゃないか!どうして今あるんだ? 捏造しだろ?」と仰るのである。……アホかと。
実際、煙突はガス室にはほとんど全く関係がない。火葬場があれば、煙突は必要だった筈で、クレマトリウムⅠのガス室は否定しても、そこが「死体置き場」だったことを否定する否定論者はゼロ(だって「死体置き場」自体はバッチリ図面にそう書いてあるのだから)である。むしろ、煙突がもし戦後に再建されていなかったら、図面を見た人間は気づく筈である、どうして煙突がないのだ? と。結局、防空壕だった時もその前の時も、図面が残っているので、問題の根本があるとするならば、ガス室としてほんとに「死体置き場」を使用したのかどうかだけが問題の筈なのである。これが、N医師にはどうしても理解できないらしい。そもそも悪いのはフォーリソンなのであるが(図面をきっちり1980年ごろに既に取得しているのであるが、フォーリソンには図面を正しくみる能力はなかったようである)、そもそも論としてそこがガス室とされるのは、図面にも文書にも残ってないのだから、アウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘスやその他の証言者の証言しかないのである。こんなの否定論者が一番よく知っている事実の筈である。つまり、最も怪しむべきはその「証言・証言者」であるわけだ。だから、私はそのことを直接本人に言ってやったのだが……。
N医師は最初「アウシュヴィッツ司令官のルドルフヘスの話がガス室の根本である」のようなことを言ったので、私はそれはおかしいと指摘した。何故ならば、ルドルフ・ヘスは逮捕されたのは1946年3月であり、実はその約1年も前に、問題にしているクレマトリウムⅠのガス室に関する証言をした人物がいるからである。ポーランドは、ドイツが撤退すると、さっさと戦後処理に取り掛かり、ドイツの終戦を待たずに戦犯裁判に動き出していたのだ。だから、1945年4月16日にアウシュビッツの囚人だった人物がクレマトリウム1のガス室についてポーランドのクラコウというアウシュヴィッツ収容所のある地元法廷で宣誓証言をしているのである。これは時系列として全くN医師の言っていることに矛盾する。
「肝心だったのは、連合国としてはアウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘスに中心人物として証言させることだったのであり、誰が証言をし始めようと構わなかったのである」と。
まぁ、そんなことだろうなとは予想はしていたが、N医師は自身の脳内ストーリーさえ辻褄あわせができればそれでいい低レベルの陰謀論者に過ぎなかったのである。彼はこうも言っている(昔からである)、「ヘスはイギリス人に拷問を受けて嘘を言わされている」と。拷問を受けたというのは拷問した人物が手記にそう書いているので、事実であるだろうが、拷問受けてなくても当然信用してなかったわけだし、それよりももっと矛盾しているのは、これ拷問したのは「イギリス」である。N医師は別のところでは、「ポーランド」が怪しいと言ったり、「ソ連」が怪しいと言ったり、単にめちゃくちゃな脳内理論を披露しているだけなのである。陰謀論者の一般的な主張通り、陰謀それ自体の証明は一切ない。陰謀は巧妙にできているからである。
だったら何故、「煙突問題」のように疑われるような事実を残すんだよ? と突っ込んでやりたいところだが、奴らは脳内論理の辻褄さえ合えばそれでいいので、どんなにツッコミを入れても無駄である。
当然私など、N医師に比べりゃ微塵子のような存在でしかないから、支持はN医師に集まる。N医師自体がネットに腐るほどいる低レベル陰謀論者に過ぎないことは実際どうでもいい話なのだけど、N医師を支持する人が実際に結構いるという事態を目にしてしまうと、こっちが頭が変になりそうだった。SNSはそうした言わば人気者をあたかも「教祖」のようにしてクラスターを形成する仕組みだから、それ自体は現象としてしょうがないのだけど、頭では分かっていても実際に見てしまうとねぇ……。
というわけでさ、ホロコースト否定論なんざ、そんな下らない低レベルの世界なんだ。あなたは、「ガス室」はそれでも疑わしいと思いますか? つーか、なんでそんな低レベル陰謀論が支持者を集めるのか、私にはちっとも理解できません。
追記すると、N医師にはクレマトリウムⅠは一回防空壕に改築させていることだけはなんとか認めさせた。それすら認めていなかったのだから、呆れるけど。
『BADDAY』『星逢一夜』『金色の砂漠』と進んできたけどなんかしっくりこなかった因数分解したい。
『金色の砂漠』は最初花乃さんが明日海さんに(もうそれぞれの役名忘れた)死罪を言い渡すのがしっくりきてなくて、友人に話すうちにしっくり答えが見つかって、ああやっぱすごいなあと思ったから。
それから、『fff』に向けてという意味もある。上田久美子氏のクラシック音楽に材をとったものは、もしかして自分受け付けないんじゃないか、いやいやいや、せっかくだから受け付けるようにしておきたい、みたいな?
『金色の砂漠』を見たあとに、改めて上田久美子氏についてグーグル先生に尋ねたところ、宝塚への見方(昭和なことしててすごい、この文化は途絶えさせてはいけない)、東京と労働への考え(東京砂漠という表現と稼いで使ってという燃費の悪さ)が自分と同じで驚いた。そして単純計算して、自分の1つ年下か、ということも弾き出した。出身大学もまあ、親戚みたいなもんだ(言い過ぎか)。
ブラームスのイメージは、昔友人が言っていた「俺らの大学の気質に合ってるんだよ、クララにひそかに恋しちゃったりしてじとじとしてるところが。あと真面目。交響曲こだわりすぎて4曲しか作れなかった。」「交響曲第4番ほんともうスコアの見た目からして美しい(確か。ベートーヴェンの5番と共にこの2曲を挙げてた)」。
それから、ビジュアルイメージも完全に髭面のそれだった。若いときのやつあんまり記憶になかった。
自分の携帯に入ってる唯一の交響曲が、ヴァントのブラームス交響曲3番だった(あ、最近幻想交響曲入れたんだった)(ヴァントにこだわりがあるわけではない。Kugouの中で選んだ)。交響曲1番、4番はメジャーすぎ(というか主張が強いのかな、メロディラインというか)、2番は自分にとって手垢が付きすぎているため。
あ、あと、暗くてじとじと、とはいえ、交響曲1番1楽章とか激しい。
まあとにかく、やっぱ気質なのか、あとはミュールフェルトのおかげか、自分にとっては1馬身出てる作曲家。
シューマンは、交響曲4番(のVnソロ笑)。あと『子供の情景』の<知らない国々>だ。自分の体験としては夢々しい、というイメージ。だけど、これも別の友人が言っていた、シューマンを聞きだしたら、闇落ちしていることに気がつく、と。
ヨハネス・ブラームス、クララ・シューマン、ロベルト・シューマン、ヨーゼフ・ヨアヒム
知ってる人らだからと油断していたら名前わからなくなった罠。ヨハネス、クララ、ロベルト、ヨーゼフ。
ヨーゼフは、フランツ・ヨーゼフ1世と混ざる…。
【】翼ある人びと
1838年:『子供の情景 Op.15』『クライスレリアーナ Op.16』
1841年:シューマン『交響曲第1番 Op.38』。シューマン交響曲第4番初演するもイマイチ(メンデルスゾーン体調不良によりフェルティナンド・ダーヴィトが指揮)、出版されず。
1846年:長男エミール誕生【秋音光】。シューマン『交響曲第2番 Op.61』
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1853年(ブラームス20歳、クララ34歳、シューマン45歳、ヨアヒム22歳、リスト42歳、ワーグナー40歳、フランツ・ヨーゼフ1世23歳)
10月:いっぱい滞在。初旬にシューマンが『ヴァイオリン協奏曲 d』を作曲するもヨアヒムが封印(21世紀に入り、ワーグナーを先取りしたような斬新な和声の使用などの先見性が評価されるようになった)。
秋頃(それ以前という説もあり):『ヴァイオリンソナタ』シューマンは出版を提案するもブラームスの判断で破棄
11月:シューマンのもとに『ピアノソナタ3番 Op.5』の譜面が送られている
12月17日:『ピアノソナタ第1番 Op.1』初演@ライプツィヒゲヴァントハウス。シューマンの紹介でブライトコプフから出版、ヨーゼフ・ヨアヒムへ献呈。シューマンは当初別の作品を作品1として出版することを提案していた。
12月30日:シューマン『交響曲第4番(改訂版)Op.120』初演(現在一般的に演奏されるのはこれ。翌年出版はするがあまりハネなかった模様)
2月27日:シューマン投身、エンデニヒの精神病院へ。ブラームスデュッセルドルフへ駆けつけ、シューマン家を助ける。クララとの距離近づく。
春?:『ハンガリー民謡の主題による14の変奏曲 Op.21-2』
6月:四男(末子)フェリックス誕生【次男、花菱りず】。ブラームスが名付け親。ブラームスの子供説あり。ロベルトによく似ていてクララもとても可愛がる。
夏:『4つのバラード Op.10』この曲集の作曲とほぼ同時期にクララへの生涯にわたる愛が始まっている。
1855年:クララを手紙の中で「君」と表現。『2つのガヴォット』『2つのジーグ』『2つのサラバンド』『ベートーヴェンピアコン4番のカデンツァ』『格言(この欺瞞の世界で)』。交響曲第1番着想(シューマンの『マンフレッド序曲』を聞いて)。
1856年『フーガ』『前奏曲とフーガ a』『モーツァルトピアコン20番のカデンツァ』『キリエ』『ミサ・カノニカ』
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1857年:『前奏曲とフーガ g』『子供のための14の民謡』『モーツァルトピアコン17番のカデンツァ(着手)』
1858年:25歳の時、友人の家で知り合ったアガーテ・フォン・ジーボルトと婚約。『セレナード第1番 Op.11』
1859年:結婚生活が音楽活動の制約となることを恐れて婚約破棄
1861年:『シューマンの主題による変奏曲 Op.23』ユーリエへ献呈。
1863年:エリザベート・フォン・シュトックハウゼンがブラームスに弟子として受け入れるも、ユリウス・エプシュタインに送り返している(彼女のまれにみる美貌と才能のため必要以上に惹かれてしまうことを恐れてか、エプシュタインへの配慮か)。
1867年:オーストリア=ハンガリー二重帝国誕生。戴冠式@マーチャーシュ協会のミサ曲はリストが作曲。
1869年:36歳の時、ユーリエに心を寄せるも内気ゆえいつもの癖で気持ちを打ち明けられずにいるうちにクララがイタリアのラディカーディ・ディ・マルモリートからのユーリエへの求婚を容れて婚約させてしまい、ブラームスは怒りをもって『アルト・ラプソディ(ゲーテの「冬のハルツの旅」からの断章)Op.53』を作曲(別のサイトの表現では、プロポーズを承諾したときににわかに不機嫌に。『アルト・ラプソディ』はユーリエへの嘆きの歌)。
1876年:『交響曲第1番 Op.68』21年の歳月をかけ完成。
1876or7年 *43歳:「結婚すればよかったと思うこともある。……しかし適齢期のころには地位はなく、いまでは遅すぎる」と友人に語った
1879年:フェリックス病没。悲しみにくれるクララを慰めるため、ブラームスは『ヴァイオリン・ソナタ第1番<雨の歌>Op.78』を作曲。クララ「この曲を天国に持って帰りたい」。また同時期にフェリックスの詩に付曲(Op.86-5)。
1883or4年 *50歳:コントラアルト歌手ヘルミーネ・シュピース(23歳年下)に出会い歌唱力の素晴らしさと女性としての魅力に惹かれるが結婚にまでは踏み切れず。
1889年:フランツ・ヨーゼフ1世から「芸術と科学のための金の大勲章」を授かる。暮れに謁見。シューマン交響曲第4番初稿版を再演(クララは改訂版派だった)
1890or1年 *57歳:コントラアルト歌手バルビと出会って音楽家としての魅力に惹かれる。
1891年:『クラリネットクインテット Op.115』@バート・イシュル夏。シューマン交響曲第4番ブラームスヴェルナー校訂版出版、世に知られるようになる。
1893年:『シューマン全集』刊行(ブラームスとクララで編纂)
5月07日:『4つの厳粛な歌 Op.121』完成。辞世の作品とみなされている。
5月20日:クララ没(76歳)。埋葬式のあと体が衰弱し、肝臓癌であることがわかる。
6月:『11のコラール前奏曲 Op.122』@イシュル。第11曲「おお、この世よ、われ去らねばならず」。作品を書き終えたブラームスの健康は日に日に衰えていく。医者の治療を受けても病状は一向によくならず。
1937年:シューマンの『ヴァイオリン協奏曲 d』がヨアヒムの蔵書から発見される
※出典:ウィキペディアとか奇特な方のブログとかブラームスインスティテュートとか、、余力があれば追記…。
あと書籍類もぼちぼち読んでいきたい
あと映画も
◆ ◆ ◆
思っていた以上に見て頂けたのでさらにその後を追った雑文を書いてみました。コメント等感謝。
https://anond.hatelabo.jp/20190130222747
◆ ◆ ◆
2010年ごろ、ハム太郎スレ上に颯爽と現れ、「【人気アニメだったのに落魄れた原因】」という触れ込みから怒涛の箇条書きによる批判を行っていた人物である。
10 : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] : 2010/08/26(木) 08:26:06 ID:cKtzrxLE
【人気アニメだったのに落魄れた原因】
・他の人気キャラを差し置いてこうしくん、ちび丸ちゃんなどの不人気キャラを誰得プッシュ。
・原因不明のトラハム兄妹の『運動が得意』な設定の消滅と、かぶるくんのかくれんぼが得意な設定の消滅。
・141話でくるりんちゃんがハム太郎に恋してすぐに失恋したのに、他のライター個人がまた勝手に恋させた。
・136話、189話、226話で張り巡らせたトラハムくんとナースちゃんの恋の行方を完全放置。
・190話、235話で張り巡らせたタイショーくんとおしゃれちゃんの恋の行方を完全放置。
・197話でラピスちゃんのハム太郎好きが勘違いであることが発覚したにも関わらず、
その後もラピスちゃんをリボンちゃんのライバル関係として立ち回らせたままにした。
・270話でリボンちゃんがハム太郎に振り向いてもらおうと努力する話をまるまる1話使って入れたのに結局無意味のまま。
そればかりかリボンちゃんの恋は最後まで進展せずは最後まで完全に噛ませ犬。
・289話で糞脚本家菅良幸によって唐突に加えられたおしゃれちゃんがハム太郎が好きな設定。
・人間パートの恋愛描写においてキムラくんが「優等生でスポーツ万能」と言うビッチしか好まない設定に
してしまったことで明らかに人気獲得に失敗しているのに、最後までなぜかキムラくんを必死にプッシュ。
・何度となくロベルト補正を入れたが、結局無意味。これによりロベルトは単なる視聴者を釣るためだけのテコ入れだったことが発覚。
・究極の糞ED「最近ハヤリのメイク歌」を1年間垂れ流し、さらにその後のED曲も
キャラソンの二番煎じであるやっつけED曲「ハムハムトレイン」。
・OVAと劇場版の4作目が揃いも揃って駄作であり、はむはむぱらだいちゅ黒歴史化にますます拍車。
・はむぱら編の失敗により239話で命乞いしたばかりのすいーちゅぱらだいすを244話で破壊。
ややこしい伏線を作ったことにより30分枠での再アニメ化が完全不可能になる。
・商業の迷惑戦犯とも呼べる末期のエポック社の玩具「ハムハムぴたりんちゅ!」。
・島田満脚本家が自身のファンサイトの掲示板にて、放送終了2ヶ月前と言うありえない時期に打ち切り告知。
ハムハーの木のあまりの大失敗による突然の打ち切りだった模様。
このように相当のアンチであるにも関わらず、批判内容は話数・具体的な問題点を詳細にまとめたものであり、狂気じみた書き込みとしてまとめサイト、ツイッター等では未だに目にすることも少なくない。
そんな彼があるスレに自ら「ハム太郎アンチ」であることを名乗りつつ、今もなおアンチ活動を続けていた内容のレスを発見した。
リルリルフェアリル ~魔法のペンデュラム~ 12(https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/anime/1530634569)
853風の谷の名無しさん@実況は実況板で (ワッチョイ 91d7-DSt3)2019/01/20(日) 20:26:51.27ID:tWSdSvAb0
>>854
>>852
フェアリルの失敗を他に責任転嫁して、間違ったことを書いているバカがいたから書いただけ。
俺は全部正しいことを広めないと気が済まない。
例えば、俺が広めた「ハム太郎が落魄れた理由」は、「ハム太郎アンチ」で検索すれば
女児アニメのアンチがまた新たな女児アニメ(今回は親会社のサンリオに対する批判が主な様子)のアンチを行っていることにはもはや畏敬の念すら覚える。
その上、「俺は正しいことを広めないと気が済まない。」と動機まで語っている。やはり狂気じみている。
具体的な批判がハム太郎アンチ時代に比べて少なく、感情論・推論・主観に基づいた批判が非常に多い点。
831風の谷の名無しさん@実況は実況板で (ワッチョイ 91d7-DSt3)2019/01/20(日) 11:23:08.76ID:tWSdSvAb0
【サンリオアニメがヒットしてから落魄れる一部始終を知っている俺の見解】
・マイメロは1期の34話で、菊池先輩の扱いは完全にやらかしてた。(中の人の事情だが)
あのミスは致命傷なので、ああ言うミスをしてるようじゃあまり長続きしないだろうとは思った。
・マイメロ3~4期も低予算でクオリティは酷いが、頑張ってキレイに終わってジュエルペットのバトンタッチに成功。
・ジュエルペットは1期は放送枠ドラゴンボールーワンピースの裏じゃなければ、その地点でヒットしてた。
ヒットしたのが2~3期だったのは、内容もあるけど、何より「放送枠」を変更した効能が8割以上。
・ジュエルペットサンシャイン(3期)が受けた本当の理由は、梅組ペットが夢を目指して奔走する進路編。
特にガーネット編のクオリティが高かった。(ネット上ではおっさんが喜んでいるカオス要素は売上には関係ない。)
・キラデコは箸休めシリーズとしては機能していた。次のシリーズで盛り上がれば問題なかった。
・ハッピネスの時は、グッズが一番売れていた時代(たまごっち以上)なので、恵まれた予算的に
・ハッピネスはジュエペシリーズの最大戦犯となり、キャラの長所を壊しまくり、
後半ポプピピみたいな意味不明なギャグに走り作風も崩壊。サンシャインの栄光をすべて台無しにした。
・レディとマジカルチェンジは悪環境にしては相当頑張った方。ハッピネスの皺寄せのせいで
予算も時間もなくなったせいで、切羽詰っていた状況で上手く次に繋いでた。
・ところが、「小康状態で持ち直し中」のジュエルペットをなぜか7期の中途半端な時期に切ると言う暴挙を決行。
・ろくに準備もできていないまま始めたフェアリルはマイメロやジュエペに遥かに劣るクオリティで、
多くのサンリオファンが離れて商業面失敗した。アニメ復活はもう無理。
827風の谷の名無しさん@実況は実況板で (ワッチョイ 91d7-DSt3)2019/01/20(日) 10:56:03.83ID:tWSdSvAb0
もっと言ってしまえば、ジュエルペットはハッピネスが失敗したタイミングで右肩下がりが始まっていたのを、
あのまま順調に8期~9期続けていればジュエルペットのままで売上が回復していたんだよ。
あの放送枠はジュエルペットだったら上手く行ってたと言うifが強い。
871風の谷の名無しさん@実況は実況板で (ワッチョイ 91d7-DSt3)2019/01/22(火) 21:08:02.01ID:qGl9u0IP0
878風の谷の名無しさん@実況は実況板で (ワッチョイ 91d7-DSt3)2019/01/23(水) 18:21:14.24ID:VM04xEMQ0
>>872
アニメスタジオの暴走が一切入っていない、純粋にサンリオの色が出てる中で
一番近いのはシュガーバニーズのアニメ。だが、12年前の作品だぞ。
フェアリルは無理矢理良い所をピックアップした所で、「今までのサンリオアニメのどれかの下位互換」をやってるだけなんだよ。
しかも、今までのサンリオキャラと違ってキャラデザの魅力がないので、同じステップで評価できない。
まあ、俺がサンリオに興味が無かったら、他のサンリオアニメも同じぐらいつまらなく見えてたと思うよ。
フェアリルは純良なサンリオファンすら受けが悪い。むしろ大量のサンリオ離れを起こしたきっかけにもなった。
>>877
おなじみ箇条書きによる批判点の羅列が見られるが、あくまで「見解」として逃げ道を作っていたり具体性にかけるアプローチでの批判・ただの暴言が多く、また「リルリルフェアリル」に対する具体的な批判点が述べられていないことから、アンチ活動を行うにあたって批判できるほど作品を観ていない傾向が高い。
その一方で、批判先をアニメに続きサンリオや、なぜか韓国にまで手を伸ばしているその勢いは凄まじいが、批判に中身が伴っていないこともあり空回りしている印象。
「愛を感じる」「本物のアンチ」などと一部では称賛(?)されていただけにこの現状を見ると正直残念。
現在このスレには賛同者?とみられる書き込み者が他に2名おり、絶えず会話とともにサンリオに対する批判を繰り返しレス数を増やし続けている。(同一人物である可能性は高いが、憶測にしかならないためあくまで不明)
またアニメ「リルリルフェアリル」スレ上のアンチとして同じような書き込みがシリーズ開始時(1期:2016年2月~)から存在していたようで、もしこれらも同一人物であるとすればおよそ3年もの間サンリオに対するアンチ活動を続けていたことになり、改めて根の深さを実感する。
ただ、スレ名にもある「リルリルフェアリル~魔法のペンデュラム~」は今年1月半ばをもって最終回を迎えており、次シリーズ及び新規アニメ等の情報は不明となっている。
「ハム太郎アンチ」の名前を掲げるも方向性の見えないふわふわとした批判が目につく不思議なアンチ活動ではあるが、今後どうなるのか(個人的には)要観察。
そんなことなかったよね。
ハリルホジッチがどういうメンツでどういうサッカーをしようとしてたかはもう謎としか言えないけど、基本的にはサイドからの組み立てが中心で、ボランチは組み立てをせずトランジションのフィルター機能が求められていたので、全然違うことをやっていたのだけは確かだろう。柴崎はおそらくインサイドハーフとして、香川もプランによっては使われるかどうか、というところで、勝手に基本スタメンを予想すると
というような感じだったんじゃないかなと思うけど、まぁただの妄想だし、結果が西野と比べてどうだったかは知りようがない。一つ言えるのはハリルホジッチはもう少し若い選手を多く連れて行っていたではないかということ。これは西野に若手を連れて行く意思がなかったわけではなく、西野がポリバレントと言っていたように、短い期間の中で、最適なセットを探せるように、いろいろなことができる選手を選びたかったということではなかったかと思う。田嶋がハリルを切るという決断をするのが遅かったというのは間違いない。私個人はハリルホジッチを切るなら韓国戦がラストチャンスだっただろうとは思っている。田嶋、西野に選択肢がなかったの、お前のせいだぞ?
これはノーと言えると思う。ハリルホジッチは、ボール保持はあくまで手段である、ということを、ポゼッション教状態だった日本に思い出させてくれたことは間違いないし、ハリルが重用した原口のインテンシティの高さは間違いなくチームに必要不可欠なものになっていたと思う。ハリルを切った時に大騒ぎしていた、3年間の積み上げがパーだとか、データが取れなくなったとかいう話はありえんと思う。そもそも代表監督によるW杯の結果というのは、本当の最下流の話で、日本の育成方針が正しかったのかどうかといった、言わば上流での出来事の評価は、監督の手腕、戦術と別のところで行われるべきことだろう。
例えば対戦相手のベルギー。ルカク、デブライネ、クルトワらを輩出しているのだから、ベルギーリーグの育成リーグとしての割り切りからの、クラブ間での4−3−3モデルの導入などは、個人の能力を育てるという意味で成功したとは言えるかもしれない。しかし今大会のベルギーの守備は明らかに不安定だし、ネット戦術家たちが愛してやまないクラブチームのような代表チーム、プレーモデルの共有などはされていたかというと怪しいと言わざるを得ない。ロベルト・マルティネスが、ベルギーの育成段階からコミットしていた監督かといえば明らかにNoだし、黄金世代の晴れ舞台の采配を振るう監督として十分な時間が与えられたかといえばNoだろう。バックボーンの多様性からもめまくった末に、自国の英雄ヴィルモッツに頼ってグダグダやっていたのは遠い昔の話じゃない。
クラブチームのような代表チームとして絶賛されていた二大優勝候補ドイツとスペインは揃って早期に敗退してしまった。ドイツだって最後はマリオ・ゴメスに放り込め、と誰もが思う展開でU字型のパスワークでコネコネコネコネ、選手たちが監督の意図を共有して、選手交代に機敏に反応していたかといえば怪しい。しかしドイツの育成が失敗だったかと言って、失敗だったという人は少数派だろう。ドラクスラー、キミッヒ、ヴェルナーと若い選手はその才能を示していた。
ハリルホジッチは基本リアクション型の監督だったことは間違いない。彼が、どのようなメンバーを選んでいたかはわからないが、彼が日本に合ったプレーモデルを提示するような監督ではなく、ボール保持はせず速攻を基本として、4−3−3、4−2−3−1システムを使い分けるタイプの監督だったのではないか。彼が采配をとっていたとして、結果が出たとしても出なかったとしても、個人による打開、あるいは速攻が日本人にあったサッカーかどうかといった評価ができたとはとても思えない。それはロベルト・マルティネスがルカク、デブルイネ、アザールらの共存に苦労して、フェルトンゲン、アルデルヴァイレルト、コンパニらの優れたCBを台無しにするバイタルスカスカ、超人たちの個人技による打開に頼った攻撃をしている現状がベルギーにふさわしいサッカーかどうかを議論できないのと全く同様だと思う。
今回のチームで、酒井宏樹と吉田麻也を除けば、日本の選手は体格に特に優れているわけではなかったし、かつての中田英寿や本田圭佑のような強靭な体でガッツリぶつかってボールをキープするような選手は誰もいなかった。異常にボールを収めていた大迫にしても、サンチェスやクリバリからのプレッシャーの中で平然とやっていた体の使い方は非凡なものだとして、ポジション取り、ボールの置き所など随所に工夫を凝らした技術の粋のようなプレーを数多く見せた。香川のスモールスペースの支配力は彼の特異な才能だとしても、ボール非保持の時のパスコース作り、ファーストディフェンダーとしてパスコースを制限するポジション取りなど随所にインテリジェンス、技術を示した。柴崎の超正確なロングフィードやマークを一瞬引き剥がす細かなフェイクは真似できなくても、彼がボールをもらう前に、状況を把握するためにやっている細かな首振り、ポジションの細かな修正は、技術だ。真似できる。乾のカットインからのシュートは素晴らしかったが、あれ自体は宇佐美もできるはずだ。乾が宇佐美に比べて明らかに優れていたのは、相手のビルドアップが3枚になった時、ハーフポジションからサイドへのボールを制限しつつCBやボランチにプレスにいけるかどうかだっただろう。これも技術だ。
これらの選手はJリーグにずっといたとして果たしてそういう技術を身につけられただろうか。これは欧州のトップリーグで切磋琢磨する中で身についたものではないのか。欧州に言っても宇佐美や山口のようにうまく行かなかった選手もいる。特に監督との出会いが大事なんだろう。個人的には大島が見れなかったのだけが残念だ。昌司はただ一人の純Jリーグ産として立派にやっていた。個人的には大島僚太も、十分にやれたのではないかと思っているので、それが確認できなかったのは残念だが、日本が目指すべきものは明らかになったと思う。真正面からガチムチにぶつかるのではない、インテリジェンスのある守備、リスク管理ができる、判断力のある選手をきちんと評価し、彼らに技術を身につけさせ、フィジカルを身につけさせることではないか。日本人からフェライニやルカクに競り勝つガチムチを探し出し、戦術を教え込むよりは難易度は低いのではないか。香川、乾、柴崎のような、ガチムチではない、インテリジェンスのある選手がポジショニングや適切なアプローチの仕方を身につけることで、きちんと相手のビルドアップを阻害し、ボールの狩場を決めて刈り込んだり、セカンドボールを丁寧に拾えることを示したのは大きかったのではないかと思う。
とはいえ、ハリルホジッチをギリギリの段階で切ったことは、西野の選手選考においても害が出まくったわけで、彼の育成等への貢献や、JリーグへのDAZNの参入などにどれほどの貢献をしているのかは知らないが、サッカーファンが選手に罵詈雑言を浴びせる環境を作ってしまったという、その一点で田嶋、辞めよう。お疲れ様。
マンノウォーと言えば、アメリカ史上最強馬の座と「ビッグレッド」の愛称を、セクレタリアトと共に分け合う名馬であります。
マッチレースの相手に100馬身差を付けて勝利したというほどの彼が、唯一負けた相手がアップセットなのであります。
upsetとは英語で「番狂わせ」の意でありますが、その用法が全米に広まったのが、まさに番狂わせでマンノウォーに勝利したこのアップセットからなのであります。
世紀の大種牡馬ノーザンダンサーが産んだ、伝説的なバレエダンサーの名を持つ名馬、それがニジンスキーなのであります。
無敗でセントレジャーSを制した彼は、晴れてイギリス三冠馬となったのでありますが、その直後の凱旋門賞においてササフラに敗れてしまったのであります。
疲労のせいで負けたのではないかと言われたことから、凱旋門賞と日程が近いセントレジャーへの出走はますます減り、そのためニジンスキー以降は三冠馬が出ていないのであります。
コナン・ドイルの小説の主人公にちなんで名付けられた、このブリガディアジェラードという名馬は、まさにイギリスの英雄だったのであります。
好敵手ミルリーフを破って優勝した2000ギニーを含めてデビューから無敗の15連勝、欧州記録の16連勝に並ぶために臨んだレースで、しかしロベルトに敗れ去ったのであります。
これによりロベルトはイギリスの全国民から憎まれる悪役となったのでありますが、皮肉にも種牡馬となってからはロベルトの方が大活躍したのであります。
というわけでこれらを新・3大競馬の大番狂わせとさせていただきます。
ご静聴ありがとうございました。
http://anond.hatelabo.jp/20140421200127
1位マラドーナ、2位プラティニ、3位ファンバステン、4位ファルカン、5位ロナウド
6位フリット、7位ジダン、8位カカ、9位イブラヒモビッチ、10位シェフチェンコ
11位ライカールト、12位ネドベド、13位マテウス、14位バティストゥータ、15位ジーコ
16位ベロン、17位ルイコスタ、18位カレッカ、19位ウェア、20位テュラム
21位カフー、22位アウダイール、23位ボクシッチ、24位デシャン、25位ダーヴィッツ
26位モンテーロ、27位ミハイロビッチ、28位デサイー、29位サビチェビッチ、30位サラス
31位ボエニク、32位ブレーメ、33位セレーゾ、34位ブレイディ、35位エメルソン
36位ボバン、37位パウロソウザ、38位プロハスカ、39位ビアホフ、40位コーラー
41位ユーゴビッチ、42位シメオネ、43位ブリーゲル、44位アルメイダ、45位フォンセカ
46位センシーニ、47位ヴィエラ、48位フィーゴ、49位レオナルド、50位バルボ
51位スタム、52位ルベンソーサ、53位エルケア、54位ストレンベリ、55位シュクラヴィ
56位ラモンディアス、57位アギレラ、58位アモローゾ、59位ルディフェラー、60位ルンメニゲ
61位クリンスマン、62位ブロリン、63位シーフォ、64位ラウドルップ、65位オリベイラ
66位ドゥンガ、67位クロル、68位パサレラ、69位エジーニョ、70位リードレ、
71位ジュニオール、72位パパン、73位ベアグレン、74位アンデション、75位ジルセウ
76位カザグランジ、77位フランチェスコリ、78位バロス、79位メラー、80位プラット
81位フランシス、82位ブランコ、83位ヘイトリー、84位スーネス、85位ロベルトカルロス
86位シャフナー、87位中田、88位ベルトーニ、89位ヘスラー、90位シャリモフ
「火の七日間」と呼ばれる最終戦争から千年余り。高度な文明は滅び、世界は瘴気が充満する腐海とその住人である獰猛な蟲たちに浸食され続けていた。そんな腐海のほとりにある辺境の小国「風の谷」は、大国ティターンズとの戦乱に巻き込まれた。「風の谷」の族長レコア・ロンドは、攻め入るティターンズの将軍達に取り入ってかろうじて国を存続させていたが、女将軍エマ・シーン率いる大軍による攻撃で「風の谷」はとうとう滅亡の危機に瀕する。
苦悩の末、レコアは腐海の奥深くに封印されているという古代兵器「パラス・アテネ」を探すため腐海へと赴くが、蟲たちにあっさりと捕らわれるのだった。しかし、人間の女と蟲との邂逅こそが、古代兵器「パラス・アテネ」の封印を解く鍵だったのである。
ただ、事はそううまくは運ばない。蟲との邂逅時、レコアは無垢な肉体ではなかったことによって、「パラス・アテネ」の封印解放は不完全なままに終わり、「パラス・アテネ」は暴走を始める。自ら呼び寄せてしまった「火の七日間」の再来に、既に深く傷ついたレコアはそれでも立ち向かう……。
――シロッコ「フハハハハ!見ろ!クズどもはやはりクズだ!」――
――あのお姉さんは まだオーストラリアにいるのです。たぶん。――
1950年代のオーストラリア、メルボルン郊外にある開拓移民たちの暮らすとある小さな街。界隈では仲睦まじいことで有名なカップル、カツ・コバヤシとサラ・ザビアロフであったが、「結婚するまではダメよ」と頑なに身体を許してくれないサラに対して、カツのフラストレーションは溜まる一方であった。
そんなカツの誰にも言えない趣味は、隣人ベルトーチカ・イルマの寝室を覗くことである。今日もまた部屋の明かりを落として双眼鏡を強く握るカツであったが、黒と赤に染められた服に身を包んだ集団に、ベルトーチカが掠われてしまう現場を目撃する。
忽然として姿を消したベルトーチカ。日が経つにつれて街はその噂で持ちきりになった。ベルトーチカの身を案じ、軍から街へと戻ってきたフィアンセ、アムロ・レイの悲壮な姿に心動かされたカツは、ベルトーチカが掠われた現場を目撃したことをアムロに告白する。「黒と赤」というカツの言葉にはっとした表情を浮かべるアムロ。これによってカツは、思いもよらぬ巨大な暗躍との闘争の中に身を投じることとなり、そこでガール・フレンド、サラとの悲痛な遭遇を果たすのだった……。
――やさぐれたりしたけど、今は反省してます――
ホンコン・シティに住むどうしようもないワルガキ、ヤザン・ゲーブルは、両親にも愛想を尽かされ、13歳の誕生日に、女主人ミライ・ヤシマが運営する更正施設「シャングリラ」に預けられた。
ミライは、持ち前の運動神経も生かしてハングライダーによる宅急便の仕事をやってみたらどうかとヤザンに薦める。迅速な仕事、また、エイのような形が特徴のハングライダー、派手な黄色の仕事服も相まって、ヤザンの宅急便は瞬く間に街で有名になった。しかし、その裏でヤザンは更正施設内で意気投合したダンケルやラムサスらとつるみ、昼間の仕事の傍らで物色していた家に夜中に押し入っては盗みを繰り返し、ジャンク屋ゲモンから盗品と引き替えに回してもらったマリファナを楽しむ日々を送っていた。
そんなヤザンであったが、いつものように強盗する家を物色していたある日、街の学校で飛行クラブに所属しているという女の子、ロザミィに出会う。ヤザンのことを何故か「お兄ちゃん」と呼ぶロザミィを最初は煙たがっていただけのヤザンであったが、ロザミィと徐々に親しくなるにつれ、また、ロザミィの背負う過酷な運命を知るにつれて、次第に更正の道を歩んでいく……。
――愛とは、こういうものか――
最重要国際指名手配犯シャア・アズナブルは、人口の極端な減少でしか、これ以上の地球の汚染を食い止めることはできないという思想の持ち主であり、これまで数々の無差別大量殺人テロおよび要人暗殺に手を染めてきた。その過激だが確固たる思想と綿密かつ鮮やかな犯行によって、市井のごく一部ではあるが影で支持する者が後を絶たないシャアは、クワトロ・バジーナという偽名を取得し潜伏した次の要人暗殺計画先のミラノで、身寄りのない少女ハマーン・カーンと出会う。
常に冷静沈着なクワトロことシャアであったが、何かにつけて目の前に現れるハマーンに心を許し、うっかりと暗殺計画に関するメモを見られてしまう。ハマーンを始末することを一度は決めたシャアであったが、拳銃を突きつけられてもひるまずに「撃ってみて」と呟くハマーンを見て殺すには惜しいと思い、部屋に軟禁する。
暗殺計画を着々と進めつつ、軟禁したハマーンに対して辛辣に応対するシャアであったが、その裏腹でハマーンにどんどんと惹かれ、ついにはベッドを共にする。事が済んだ後、ハマーンの凛々しくも優しい眼差しに、シャアは、かつて狂おしく愛した女ララァ・スン、ひいては、うっすらとのみ記憶に残る母のぬくもりすら感じるのだった。今や、シャアの精神はハマーンの虜となってしまった……。
サイド2宙域において廃棄されたと見られる小規模コロニーを発見したアーガマ一行は、ティターンズ艦隊の追撃をかわすため一時的に身を隠すこととし、リック・ディアスに搭乗したアポリーとロベルトをコロニー内探索に派遣する。
生命維持システムはいまだ稼働しており、空気も存在し広大な草原が広がっているコロニー内に驚きながらも探索を続けるアポリーとロベルトであったが、突如としてカラス型MA「ユ・バード」を駆るバーバ・ユ・バーバの襲撃を受ける。廃棄されたと思われたコロニーは、巫女バーバ・ユ・バーバを教祖とし、八百万の神々を崇拝する海賊ゲリラ宗教組織「ユヤ」の根城だったのである。
バーバの猛攻をなんとか凌いだアポリーとロベルトではあったが、2人を除くアーガマ乗員は既に「ユヤ」に捕らえられており、投降を余儀なくされる。2人は先の戦闘振りからパイロットとしての腕を買われ、「ユヤ」の新人パイロット養成を言い渡される。
バーバの命令通り従順にパイロット養成を行いながらも、人質解放と脱出の機会を窺うアポリーとロベルト。しかし、バーバは新人パイロット養成と同時に、アポリーにロベルトを、ロベルトにアポリーを名乗ること、アポリーに口髭を伸ばすこと、ロベルトに口髭を剃ることを命じており、2人は次第にどちらがアポリーでどちらがロベルトなのかがわからなくなり、アイデンティティの喪失に悩まされるのだった……。
――シロッコ「ジ・O!動け!ジ・O!何故動かん?!……あ、動いた。」――