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はてなキーワード: ロビンソン・クルーソーとは

2012-10-18

http://anond.hatelabo.jp/20121018134334

新参者で恐れ入ります

メンヘラーが増田に来る目的は「問題が解決すること」「メンヘルが治ること」ではなくて

「誰かに自分の悩みを知ってほしい」「誰かに存在認識してほしい」という承認欲求ではないでしょうか?

普段から周囲に悩みや愚痴相談できず、「心がロビンソン・クルーソー」な状態に置かれている人々にdisの繰り返しは

水に飢えている人に砂漠オアシス場所を教えるような物だと思います

2010-09-14

作家になりたいとあがき続けて12年目の俺が読書暦を語る。

http://anond.hatelabo.jp/20100913002509

まぁ、小説書こうなんて奴は大抵の場合友達が少ない。

小学生の頃、中休みや昼休みに遊びの輪に入れず図書室に逃げ込んでいた。

そこで読んだ「十五少年漂流記」や「ロビンソン・クルーソー」辺りが出発点だろう。大丈夫、俺もそうだ。

そして大方の場合小学校~高校までははっきり言ってクソだっただろう。

グレたか孤独だったかの二択しかない。家庭科の授業と体育は大嫌いだ。大丈夫、俺もそうだ。

そんなわけで、自分の才能はどこにあるか小学生の俺は考えた。運動、論外だ。絵、話にならない。勉強、出来なくはないが一番には到底なれそうもない。そんな時、読書感想文コンテストが市の優良賞に選ばれた。そうか、俺の才能文章じゃね?

そんな風にして小説を書き始めた。中学校一年生のときだ。

書きはじめてすぐにわかった、全然面白くない。

そもそも「書きたいもの」がそんなにない。ファンタジーSFラブロマンスも特に好みではない。

なんとなく「文学」に憧れはあるが、そもそも文学ってなんだ。これは本を読まねばなるまい。

そうして本屋に行ってみた。まぁ、太宰とか三島が有名だよね。

とりあえず「金閣寺」と「人間失格」を買ってみた。どっちも意味がわからなかった。ただ、人間失格を読んだとき「要するにゴミ野郎だよね」と思った記憶はある。これのどこがいいのだろうか、と真剣に思った。金閣寺は途中で放り投げた。

仕方が無いので、遊び人のおじさん(36歳、ヒモ)に相談した。面白い文学ってない?おじさんは「これを読め」と安部公房の「壁」を貸してくれた。世界がひっくり返った気がした。あの衝撃は未だに忘れられない。「S・カルマ氏の犯罪」「バベルの塔の狸」。まさに「衝撃」と呼ぶのにふさわしかったと思う。ようするに、文学とは衝撃なのだとそのとき俺は思った。「作者は何を言いたかったでしょうか?」という国語教育呪縛から解き放たれた瞬間だったと思う。

おじさん、面白かったよ。とおじさんに本を返すと、次におじさんが貸してくれたのは

中島らもの「バンド・オブ・ザ・ナイト」と三島の「不道徳教育講座」だった。今思うと、中一に貸していい本では決して無いのだが。これらの本は「衝撃」という点では安部と全く比較にならないが、とにかく面白かった。中島らものラリった文章と三島と毒たっぷりユーモア。おかげで、俺は加速度的に人生を踏み外していった。その後、叔父さんは叔母さんと離婚しどこかへ消えていってしまった。どこかで野垂れ死んでいるかもしれないが、元気ならいいな、と思う。

さて、高校生になった俺の心を捉えたのは海外文学だった。

もともと、安部公房からスタートした読書遍歴だったのでとにかく「実存主義」というやつに俺は興味があった。

言うまでも無い、カミュである。「論ずるに値する議題は一つしかない、自殺である」(ちょううろおぼえ)のシジュポスの神話、なにより「異邦人」は安部以来の衝撃を俺に与えた。また、この頃俺の心を捉えたのはもう一つ、いわゆるビート文学である。ケルアック、ギンズバーグ、そしてバロウズ(これは中島らもの影響も強い)、そしてもう一つ。読書暦の長い人は次に何が来るか容易に予想が出来るだろうが、ドストエフスキーが直撃した。「カラマーゾフの兄弟」や「罪と罰」は当然として、俺の心をえぐったのは「貧しき人々」だった。あの主人公の愛すべきクズっぷり!誰も悪人はいないのに、誰もが加速度的に人生谷底へ落下していく感覚学校をさぼっては喫茶店でひたすら本を読んだ十代だった。しかし、サルトルに関してはさほどピンと来ていなかった。「嘔吐」が面白いとは全然思えなかったのだ。根っこをみたらゲロが出る、それで?といった感じだった。

この年齢になると読書に対する耐性もかなり固まっていたので、バルザックゾラも読んだ、カフカも読んだ。ラテンアメリカ文学にも手を出し始めた。ボルヘスマルケスも悪くはなかったが、なんといっても「ペドロ・パラモ」のファン・ルルフォが心を捉えた。セリーヌ、ジット、ベケットクノー、ロブ・グリエといったフランス文学の一連の流れも好きだった。とにかく読みまくっていたことだけは覚えている。おかげで、センター試験数学は4/200点だった。

そして高校を卒業した。この時期には熱心に小説を書いていたような記憶がある。だが、今読み返しても全く面白くもなんともない。無駄に重苦しい下手糞な文体、意味不明ストーリー展開、自意識過剰さだけがひたすら鼻につくクソみたいな小説だった。大学入試は願書を出すのを忘れた。家にもいられなくなり、家を出た。その後はなんか二年くらい働いた気がする。ある日ふと、立ち寄った本屋テリー・イーグルトンの「文学とは何か」を読んだ。そうか、よし、文学理論をやろう!そう思って大学を受けた。北海道の片田舎で二年も働いただけあって貯金はそこそこあった。なんとなく某私大を受けたら受かった。奨学金を借りて、三畳間に住んで暮らした。死ぬほど楽しかったことだけは覚えている。図書館の充実っぷりと来たらすさまじいものがあった。幸せだった。いつまでもこうしていたかった。

大学の間は一生懸命研究をやったとしか覚えていない。卒業する頃、現実的に大学院はムリだと悟り就職した。その間に小さい文学賞論文の賞を幾つか取ったけれど、デビューには全くつながらなかった。今はとある金融機関の出納担当をしながら小説を書いている。明日も早いから寝なきゃならない。何が言いたいのかさっぱりわからなくなったけど、とにかく小説っていいものですよね。人生って辛いですよね。そういうわけで、リンク先の増田にイーグルトン読めとお勧めしたいだけなんですよ。面白いよ。

2007-06-28

anond:20070628140542

「いまの若い子は幸せだよなあ。毎月国産ミステリの新刊が出て、その気になれば海外新刊ミステリ原書だってすぐ買える」という知り合いの古参ミステリファンのさびしげな呟きを思い出す。しかしその文翻訳ものは低調だし、SFマイナージャンルに安住しているので、禍福はあざなえるもんだと思わなくもない。

あとanond:20070628150015増田の言う「大人になってから読み返したほうがいいもの」に『三銃士』と『ロビンソン・クルーソー』を追加したい。冒険ものではなく、自意識ばっか強い若者上京物語としての『三銃士』(しかもヒロイン人妻)、成功を夢見て色々な事業に手を出すが結局20年以上島での過酷な一人暮らしを強いられる男の物語としての『ロビンソン・クルーソー』(ついでにフライデーキリスト教問題)というのは、大人になってからこそ楽しめるものだと思う。

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