はてなキーワード: ロザリーとは
ドラクエ11でルビス伝説の設定が全部無かったことにされたのはちょっと悲しかった。まあ、あれを二次創作じゃなくて何で公式設定として認めてたのか、その辺の事情もよくわからんけど。そして何故だか「まおゆう」でルビス伝説の話に触れられてるのがよくわからん。さすがにルビスの名前は直接は出てこないけど、カリティクスだかルビスの名字が出てきてたな。
1~3はそもそもの原作のシナリオがあっさりしてるから、オリジナル設定もりもりで、普通にエンカウントするようなモンスターが幹部の設定だったり、ガルチラ、ガルドといったらやたらとシナリオにガッツリ関わってくる謎のオリキャラが多かったな。2の小説版は結構好きで、敵か味方か謎のポジションを取り続けるオリキャラのガルドが結構いい感じだった。典型的なメアリースーとか言わんといて。
3は魔法使いの仲間のリザと、血の繋がりがあるゾーマの部下のチコとの確執が面白かった。小説版ではオルテガを倒したのはチコという設定になってる。このキャラはいのまたむつみのお気に入りなのかわからないけど、小説版の復刻版では仲間キャラを差し置いて、3の勇者とチコが描かれてる。
4の小説は全4巻で長い。4からはゲームでもシナリオが濃くなってるけど、小説版はそれを上回る濃さを提供してくれたな。なにせ序章と題してピサロとロザリーのエピソードを延々と読まされるもんだから、俺は一体何を読んでるんだという気分になる。エビルプリーストが実は黒幕という小説版設定は、リメイク版4に採用されてたな。さすがにジャコーシュのいう名前は採用されんかったけど。第五章第一部で、各々キャラ視点で勇者と出会うまでのエピソードが語られるのは好き。
小説ドラクエで最高傑作はやはり5。ゲームのエピソードをだいぶ重視するようになったけど、元の話も良いし、さらにそこにプラスアルファで乗ってくる小説版独自の設定が良い。小説版のスライムナイトの設定は公式でも採用されたけど、その後やっぱりなかったことにされてる。やけにあっさりしてる結婚の描写からの砂漠での逢い引きや、過去に戻って主人公がパパスや幼い頃の自分と会う描写は名シーンだと思う。
6の小説は4と5の小説で暴走しすぎたせいなのか、結構あっさり気味。あっさりしすぎてて、あまり印象に残ってない。ただ、黄金竜の正体はバーバラであることを語ってたりとか、ゲーム設定の補完としては良かったと思う。ちなみに漫画版と違って小説版は主人公はミレーユといい感じになる。
7の小説は……全然覚えてないな。つーか、7が長すぎたから、小説版の端折りっぷりも尋常じゃなかったし、会話システムのおかげでゲーム内のテキストも多くて、原作の補完というポジションも取れなかったからねえ。ドラクエの小説が7で止まったのは必然だったか。
https://l.pg1x.com/Gbr4fMgVoH6oVRYp9
予め言っておくがこのクソ長文駄文には結論はない。読んで何を思うかだけ。
だから読まない奴は好きだった/好きなエロゲのタイトルでも書いておけ。
今のサラリーマン(笑)価値観に慣れ親しんでいるはてなー諸君には「36協定が生み出した人件費の高騰」ってのを理解できないだろうね。
才能や努力をグラインダーで削りながらしか研磨できないゲームという複合コンテンツを作るのに「時間給」ってのは死ぬほど糞ってことを理解して欲しい。
「カイガイデハー」っていうけどね、中国とかは36協定なんかは無いし、抑制を無視して仕事を進めている。金を払えばOKっていう奴だ。
PS・SSぐらいまでのゲーム業界は「金さえ払えば」の世界だったが、働き方改革によりこれは全面禁止された。
海外はある程度までは「金さえ払えば」である。中国に至っては無限に「金さえ払えば」である。
クリエイションって作業は正直「何時間やったから何円達成」では計り知れない業務である。
まぁ、だから一般職エンジニア(はてなーにもいっぱいいるだろ)から嫌われるんだよね「金が安い」って。
何処までいっても金を生むのは「クリエイター」やってるデザイナー、プランナーであって、彼らが「目標達成しなかったら1円にもならない」んで、結果エンジニアへの支払いも安くなる。
それに何よりエンジニアへの仕事は中盤から後半であって、結果「手前は暇だが、最後はデスマーチが【普通】」の制作である。
UIを共通化しろ、っていうとそれは「なんだあのゲームのパクリじゃん(笑)」ってなる。
オマエラ消費者は「見た目」しか評価しない以上UIを共通化しようものなら「パクリ(笑)」ってしか言われん。
実際クソゲーが良作のUIを模倣したら「ここまでパクリかよ(笑)」って嗤うだろ? オマエラ消費者はそういうものだ。
ゲーム制作で工数削減できる部分は「続編なので一部のアセットは共通化できる」とか「シナリオや設定を1から作らなくて良い」とかその程度で、実際の「制作作業」にはほとんど寄与しない。
たとえ、ほとんど共通でやろうものなら「手抜き(笑)」「金ないんだな」「ケチ」とか言われるしな。ゲームの消費者ってのは本当に口が悪い。
見てるところが違う。
そのシンプルさに「駆け引き」というルールが入って初めて「楽しい」。
じゃんけんをその時間で勝敗だけ争って、勝っても負けても「何もなくて楽しいか?」ってこと。
「駆け引き」「競い合い」「報酬」そういうのの組み合わせて初めて「楽しい」になる。
荒野を走り続けるゲームがあったとして延々ループだったら楽しくないでしょ。強弁するな。付帯項目を用意するな。釘を差さないとバカのオタクはすぐ屁理屈を言う。
荒野のマップだってぶっちゃけ上記の「制作」の中に入っているからな。「デザイン」って奴だ。
時々「なんでこんなにルートが糞なんだ」とかナカイドがぶーたれていた「ロザリータワーの機能遷移」だってそうだよ。
デザインがおろそかな理由は「そこに時間をかけていないから」だぞ。QA会社使わなくても、ボンクラDやプランナーだったとしても「遊んでれば気付く」んだよ。
その時間を禁止しているのが「36協定」だぞ「時間外業務の禁止」は、この制作中のコンテンツを「時間外に触るのを禁止している」んだぞ。
じゃあ「発売日をずらせ!」ってバカオタクは必ず言うが、これは「商売」だ。オマエラ消費者の領分じゃない。
経営はそんなのを許さんよ。株価に影響をもたらす。最近はそこまで下がらんがそれでも降下を嫌うし、株主からの「何故計画どおりに行えないのか」と言ってくる。
力ある株主はほぼ全員「ゲームの門外漢だし、ゲーム制作の状況を知ってても無視する」からな。「それをやらせるのが経営だ!」ってのが彼らの価値観だからな。
じゃあインディーゲームがいいのか、って話だがそれはそれで問題だ。
どんなにいいアイデアゲームだっとしても「1つでも糞があれば糞」っていうジャップ消費者の「減点法」は、Steamの評価に悪影響しか残さん。
「切磋琢磨して欲しいから減点するんだ!」ってのは親としては失格だし、作ってる側からすれば腹立たしい。
甘やかせよ。甘やかしてなんぼだぞ。指摘点なんて既に分かってる部分=「時間がねぇ。金がねぇ。だから手を出さなかった」だけなんだから。
高評価つけても「ここが拙かったと思う」ってのは受け入れられるが、低評価の挙げ句「ここが糞!」じゃあ、親にも先生にも友達にも褒められなかったオマエラの人生と一緒だろ。被害者を再生産するな(笑)
それに何よりインディーゲームは金がねぇ。銀行も貸さないよ、制作実績じゃあ貸さない。販売実績があって黒字だから貸す。
んじゃ、パブリッシャー頼れば? 今のインディーゲームの制作には金を出さないよ。出来上がったものの「販売に金を出す」けどね。
また、どんなに才能ある会社でもその才能は人間に付帯するもの。ソイツが「辞めます」で終わり。代替可能なのは大会社だけだ。
それでもやっていこうって考えている「制作厨(笑)」のみんなが頑張ってるからやれてるわけ。
ソシャゲ頼りなのは、収益をもたらさなければ「他のゲームが作れない」からだし、連続サ終は「株主への義務」と「次の収益を上げるためのチーム再編」だから必須なんだよ。
だったらゲーム業種から撤退しファイナンスで儲けてればいいじゃんあの連続サ終の会社は!ゲームは暴力的資本力ある海外ともっともっとの地獄道であるインディーゲームだけいいじゃん!って思うのはまぁ事情が分からない/分かりたくない消費者であれば当然だろうと思うよ。
本稿では、BL/やおいと比べ論じられることの少なかった「GL/百合」ジャンルの確立・歴史と、その現状について考察する。
はじめに、「百合」というマンガ・アニメにおけるジャンルを示す言葉の概要を説明する。「百合」とは主に、女性同士の恋愛と、それに満たない関係性も含めて描いた作品のジャンルを指す。川崎によれば、定説として語源はゲイ雑誌「薔薇族」に由来する。男性同性愛を指す「薔薇族」と対になるよう、女性同性愛者を「百合族」と呼称した「百合族の部屋」というコーナーが1976年から不定期連載されるようになったのが始まりであるとされる(川崎2014:44)。当時はレズビアンを指す用語だったが、徐々にサブカルチャーに輸入され女性同性愛を扱った作品群を呼称する言葉に変化していった。
まず、日本での「百合」のマンガジャンルとしての成立について述べる。そもそも、大正ごろの日本においてマンガとしての形態以外で女性同性愛をテーマにした創作物としては、性描写の過激な男性向けポルノか、少女向けの小説に二分されていた。特に女学生同士の姉妹関係「エス」をテーマにした少女小説の金字塔として、「花物語」(1925)などが代表される。しかし、大正時代に少女文化として流行した「エス」の概念は現代の「百合」概念とは違い、上田は「自覚的に女性を愛することを選択したというよりは、良妻賢母になるための安全なる予行演習という側面もあった」と述べている。(上田 2014:192)
マンガが発展し、女性同士の関係性を主題とした最も初期の連載作品は1970年代ごろから、山岸涼子「白い部屋のふたり」(1971)、池田理代子「おにいさまへ…」(1974)、「ベルサイユのばら」(1972-73)のオスカルとロザリーなどにみられはじめる。これらは、「24年組」に代表される少年愛をテーマとしたマンガと同時発生的に少女マンガ誌に掲載されたものだ。藤本は、このころの百合マンガの大きな特徴として
①対照的な二人の容姿(中性的・くっきりとした美人と可憐な少女のイメージ)
③悲劇的なストーリー(少年愛を扱う作品と対照的な同性愛による葛藤の描写)
を挙げている(藤本 2014:101)。これらの特徴は、1970年代の女性の抱えていた抑圧感を反映していたものなのではないかと考えられる。女性作家による「少年愛」が現実の抑圧からの解放として、性的に未分化な存在(少女)の何物にも縛られない感情の動きを描写したものなら、このころの「少女愛」はそれと対照的に、抑圧からの逃避としての悲劇的な結末が設定されることが多かったのではないだろうか。表現手法や舞台設定は耽美で幻想的でありながらも、当時の日本での女性のおかれる立場に忠実な閉塞感が描写されたものだと考えられる。また、この時代の百合マンガは少年愛ほどの大きなムーブメントには発展せず、作品数も多くはなかったため、自然消滅的に衰退していった。
しかし、1990年代、同人誌文化の発達に伴い、百合ジャンルも急速にその勢いを復活させる。
まず、「美少女戦士セーラームーン」(1992-97)によって、女児向けマンガにおける戦う美少女という概念がジェンダー論的な観点においての大きな転換点となる。異性愛的な要素が物語の中心に関与していたにもかかわらず、同人イベントではセーラー戦士同士のカップリングを描いた作品が爆発的なブームとなった。その理由として考えられるのは、消費される客体としてではなく主体としての戦う美少女像が確立されたことではないだろうか。これにより、百合的な描写も70年代における悲劇的な結末に向かう物語ではなく、少女が二人で主体的に幸せを獲得していく過程が重視されるようになっていったと推測できる。
そして、物語の中の関係性から百合の文脈を汲み取っていた時代から、前提として百合そのものを主題においた作品も増加していく。代表的なものとして、「少女革命ウテナ」(1996-98)がある。この作品は、古典的な少女マンガのシンデレラストーリーを基盤に「王子様」と「お姫様」を少女同士に置き換えてなぞりつつ、70年代の百合作品に見られた演劇的なモチーフや学園モノ、男装の美少女といった設定を取り入れ、また絵柄としても耽美で繊細なものであったが、これらは意図して行われたパロディ化された演出だった。ストーリーの結末も、最終的には二人が離れ離れになる点は悲劇的にも取れるが、その後ヒロインたちの再会が示唆されている。アライによると、「王子様」と「お姫様」が結ばれてハッピーエンド、という構造を少女同士で反復するだけではなく、最終的にヒロインたちは「王子様」と「お姫様」構造を破壊し、自身を覚醒させ歩き出すことで、社会的な女性規範を打ち砕くことができるのだ。(アライ 2015:57)それこそが「世界を革命する力」であり、この結末によって投げかけられたのは、異性愛規範や家父長制へのアンチテーゼと、黒人女性の解放運動や日本女性のウーマンリブ運動などの背景を踏まえた社会的なメッセージだった。
これらの2作品によって、社会的な動きと呼応した百合マンガの潮流が形作られはじめる。「セーラームーン」も「ウテナ」も少女マンガ誌に掲載されており、本来のターゲット層は10代の少女を対象にしていたと考えられるが、ここでのプラトニックな少女たちの絆がオタク層にも受け入れられ、恋愛的な文脈に解釈した成年層による二次創作が爆発的に流行する。これと同時に一次創作のオリジナル同人誌においても、「百合」という概念が定着しはじめ、少女同士の恋愛を主題にした作品がみられるようになる。
そして2000年代に入ると、マンガジャンルとしての百合を専門に掲載した「百合姉妹」(2003-2005)が発刊される。その後、「コミック百合姫」(2005-)に統合され、現在も刊行中。専門誌の発刊は大きなジャンルの発達の手掛かりとなり、この雑誌に連載されていた作品のアニメ化や二次創作の流行によって、「百合」というジャンルがはっきりと定義されはじめ、広く認知されるようになっていく。しかし、その定義に関して「男性が主要人物として登場し、恋愛関係に介入する」「性的関係が生じた場合、百合ではなくポルノ」などといったさまざまな議論が巻き起こったのもこの時期である。
また同時期に、「神無月の巫女」(2004-05)や「舞-HIME-」(2004-05)などの少年誌で連載される百合作品が登場する。これらの作品は、少女マンガ作品よりも直接的な同性間の恋愛としての描写や性的な表現が強く押し出されていた。ここから、現代の男性向けと女性向けの要素を同時に内包した現代の百合マンガの形態が確立しはじめたといえる。2007年には、前述した「コミック百合姫」の姉妹紙として一迅社から「コミック百合姫S」と「コミック百合姫Wildrose」が発刊。「S」は本誌よりソフトで繊細な関係性の百合を扱い、なもり「ゆるゆり」(2008-)が代表するような「日常系百合」の流れを作った。一方「Wildrose」は、それまで成人向けポルノとしての過度な性描写は忌避されがちだった(厳密な定義での「百合」ではないとされる議論があった)当時の風潮の中、直接的な性描写を掲載した作品を扱う専門誌として独立した挑戦的な試みだった。
ここで、2008年に行われた「コミック百合姫」の読者アンケートを参照してみる。2008年7月号時点の『コミック百合姫』読者の男女比は男性27%、女性73%であるのに対し、『コミック百合姫S』の方は男性62%、女性38%となっている。つまり、現在統合された「コミック百合姫」の購買層は、この男女比を単純に平均すると男女差はほぼ半々で、やや女性読者のほうが多いということになる。ここでは百合マンガの購読層を性別と消費の形態に4つに分類して考察した。
女性購読層において基本的には、社会的な比率を前提にすると異性愛女性のほうが多いと考えられる。彼女たちは少女同士の関係性に、「現実における異性愛、ジェンダーロールによる苦痛」から隔絶された「非現実的な同性間による越境の快楽」を心の拠り所として愛好するのではないだろうか。なおこれについては、やおい/BL ジャンルを愛好する女性においてもほぼ同じ理論が適用できる層が存在すると思われる。
百合というジャンルの性質上、他の恋愛形態をメインとしたジャンルよりもレズビアンやバイセクシャルを自認する女性が購読層に多い傾向にあることは考慮するべきである。彼女たちは、異性愛女性が「少女マンガにおけるロマンティックラブ」を夢見るのと同じように、自身の性的指向に一致した自己投影先として「百合マンガにおけるロマンティックラブ」を享受していると考えられる。
百合を自分の投影先の存在しないストーリーを消費するものとして受け取っている購買層。①「傍観」型女性とほぼ同じ論拠が適用できると考えられる。
百合マンガの登場人物に自己投影する男性は、ジェンダーロールからの解放と、女性との恋愛の疑似体験を同時に達成できる。この購読層の性的指向に関しては、社会的比率として異性愛男性が多いと思われるが、異性愛コンテンツ(NL)ではなく百合(GL)を愛好する彼らに関しては、③「傍観」型男性よりさらに複雑な感情にルーツを持っていると考えられる。また、TS願望を持つ男性(MtFとは区別する)や、同性愛男性が共感を持って少女同士の関係性を愛好する例も、この枠にひとまず収めることとする。
特に男性向けの性的描写の含まれる百合マンガ等においては、その世界の中に没入し登場人物の中に「混ざりたい」という観点で消費する層も存在する。これは上記の4つの例と異なり、少女同士の関係性ではなく「(男を知らない、穢れのない存在として描写される)レズビアンである少女を自らの男性性によって屈服させたい」というマウンティングによる性的な欲望や、男性主人公やその代わりとなる女性キャラクターの存在しない「ハーレムもの」といった受け止め方に由来するものと思われる。ただし、これらの男性は百合ジャンルのファンからは忌避される傾向にあり、特に近年の百合を主題とした作品においては減少している。
これらのファンがそれぞれ百合というジャンルの定義について議論を重ね、各需要を満たすような創作物を制作していったことにより、百合ジャンルが発展していった時期だった。
次に、2010年代の百合文化を振り返る。このころに代表的な作品として挙げられるのはテレビアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」(2011)だろう。この作品は、「セーラームーン」にルーツをもつ戦闘美少女の系譜を受け継ぎながら、現代調に前提として百合を意識して構成された作品のひとつで、魔法少女同士のカップリングを扱う二次創作が爆発的に流行した。
また、少女マンガ誌において百合を扱った作品が満を持して再び登場する。70年代以降、異性間のラブストーリー(NL)に偏っていた少女誌において約30年ぶりに百合が復活した形で、「野ばらの森の乙女たち」(2011)や「ブルーフレンド」(2010―2011)が連載された。これらの作品は、少女漫画特有の筆致でありながらも明確な少女同士の恋愛関係としての描写があり、また両作品とも70年代のような悲劇的なラストを迎えることはない。少女向けの要素として、学園設定や疑似姉妹などの設定は残されているものの、これらは批判的なパロディというよりも前時代の少女誌における百合作品に対する敬意からくるオマージュと解釈するほうがふさわしいだろう。これは近年において少年誌よりもジェンダーロールの強固だった少女誌界隈に百合ジャンルブームの波及がみられた、極めて注目すべき例である。
ふと思いついた事なんだけど、
FFやDQみたいな雑魚モンスターを倒して"レベルを上げていく必要がある"タイプのゲーム
(RPGに限らず。ただ分かりやすいので今回はRPGを主体に語らせてもらう)
において、倒す対象のモンスターの成り立ちについて3パターンに大別できる。
おそらく大半のDQがこれにあたる。MMOであるDQ10はたぶんここには該当しない。9はしらん。
FF3,4,5あと9もだっけか? クリスタルが関係してくるFFシリーズもここに入る場合が殆どだろう。
FF15も帝国が夜行性の魔物を操ってたりするが大半はそこらにいるモンスターは野生の物であるからここに近い
要するに、帝国と戦う反乱軍とかそういう場合こうなりやすいのではないかと思われる。
1,2は分かりやすい。
(当初はそうではないかもしれないが最終的に)ラスボスを倒すために旅をしている。
そのためにラスボスのせいではびこっている魔物を倒してレベルアップする。
しかし、3の場合はラスボスを倒すために、ラスボスとは何の関係も無い原生生物を殺しているわけだ。
一応懸賞金付きモンスターを倒すという仕事としてやる場合もあるけど。
魔王というシステムは勧善懲悪を機能させるために使われているわけなんだろうけど、
それは最終目的以外の部分でも機能しているのだな、と気づかされた。
あの愛らしくユーモラスな鳥山モンスター達は必要にかられて倒されているのだ。
善とは悪とは…みたいなテーマはデスピサロでギリギリのラインなのだろう。
(まぁもともとロザリーの件抜きでも人間滅ぼすまではいかなくても支配しようとはしてたしな。)
勿論、勧善懲悪ではない世界観が悪いわけではないし(ブレスオブファイア3とか良かったよね。一種のナウシカ系?)
あくまでドラクエは勧善懲悪を貫きますよ、というコンセプトなだけで。
ブレスオブファイア5なんかは食用に飼ってた生物が逃げ出して野生化した公害型だったような気がする。まぁでも3か。
真メガテン3はそもそも世界が生まれ変わったので…なんだろうね。モンスターというか意志通わせれるしね。
3次元(非AV)
篠崎 愛 井上 和香 釈 由美子 小池 栄子 佐藤 江梨子 深田 恭子 優香 真鍋 かをり MEGUMI 広末 涼子 ほしのあき 長澤 奈央 浅尾 美和 桜庭 あつこ 藤原 紀香 雛形 あきこ 深津 絵里 熊田 曜子 吹石 一恵 松金 洋子 叶 恭子 叶 美香 乙葉 安 めぐみ 原 幹恵 さとう珠緒 菅野 美穂
3次元(AV)
高井 桃 北原 多香子 めぐり(藤浦めぐ) 春菜 はな 白石 茉莉奈 沖田 杏里 川上 ゆう 篠田 ゆう 入江 愛美 紗倉 まな JULIA 琴乃 麻美 ゆま 水野 朝陽 澁谷 果歩 神咲 詩織
ピーチ姫 ローラ姫 ムーンブルクの王女 女僧侶 女賢者 女剣士 女武闘家 女遊び人 女勇者 女魔法使い マーニャ ミネア アリーナ ロザリー シンシア ネネ アレクスの妻 アッテムト付近のほこらで雷に打たれて死ぬシスター ビアンカ フローラ マリア サンタローズで跳びはねるシスター ターニア ミレーユ バーバラ サリィ カガミ姫 ジュディ サンディ シスターアンナ ディーネ ユリナ マウントスノーで凍っているシスター アイラ エイミ カヤ グレーテ コスタール防具屋の妻 ニコラのメイド パミラの弟子 フォズ ライラ ゼシカ メダル王女 ミーティア シセル マリー ミリー ムリー メリー ユリマ 赤坂 美月 セシリア エルミナ レディ・ハーケン エマ博士 マリエル リルカ リルカの姉 カノン アルテイシア ケイト エイミー モモ リンダ アンテノーラ マリナ コレット ちょっとえっちなおねーさん ヴァージニア マヤ ミレディ ベアトリーチェ ユウリィ ラクウェル ファルメル ベリエール フィオレ アーシア エニル カスミ ナツメ エリカ アンズ アカネ ミカン ツツジ アスナ ナギ スモモ メリッサ スズナ カミツレ フウロ ホミカ ビオラ コルニ クリス フグリ ハルカ ヒカリ セレナ メイ トウコ ベル アズサ アララギ博士 ジョーイ ジュンサー カンナ カリン プリム シロナ カトレア シキミ パキラ ドラセナ ふりそでのキリカ ふりそでのシオネ ふりそでのカレン ふりそでのアサミ OL アイドル アロマなおねえさん イタコ ウェイトレス うきわガール オカルトマニア おじょうさま おとなのおねえさん カウガール きとうし スクールガール せんせい センパイとコウハイ テニスプレイヤー ナース バッドガール バトルガール パラソルおねえさん ビキニのおねえさん ピクニックガール フシギしまい ふたごちゃん ふりそで ベーカリー ほいくし まいこはん マダム ミニスカート メイド メルヘンしょうじょ リポーター エリートトレーナー サイキッカー スカイトレーナー ベテラントレーナー ホープトレーナー ポケモンブリーダー ポケモンレンジャー ラブラブカップル ロケット団のしたっぱ アテナ マグマ団のしたっぱ カガリ アクア団のしたっぱ イズミ ギンガ団のしたっぱ マーズ ジュピター プラズマ団のしたっぱ フレア団のしたっぱ コレア アケビ モミジ バラ
http://anond.hatelabo.jp/20140421200127
http://anond.hatelabo.jp/20130912120735
なんかMOTHER3の話が増田に上がってて、ふと「なんで3のパーティキャラって俺女とか義足のオッサンとか犬とかへんに奇をてらったキャラばかりにしたんだろう、1や2と同じように、最初の3人は赤い帽子の少年と金髪の女の子と眼鏡がよかったのに」なんてMOTHER3の不満だった点を思い返していたところで、「そういえば小説版のジェフって後天的な事故が原因で義足なんだったな、3のパーティ3人目のダスターと同じじゃん」と今初めて気がついた。
思えば2のジェフの「生き別れ同然の科学者のお父さんがいて、父と微妙に確執があるちょっと育ちのいい感じの少年」という設定も、1のノベライズにおいて久美沙織が造形した「小説版のロイド」の設定がそのまんまだった。
(ゲーム版のロイドの父は息子同様にゴミ箱に入った状態で話し掛けて来る職業不明の気さくな人物である一方、小説版のロイドの父は「ギーグに捕らえられて敵のロボット兵器の開発をさせられていた気難しいマッドサイエンティスト」で、ジェフの父親であるアンドーナッツ博士に非常にキャラが近い。2のノベライズのあとがきによると、あまりにもゲームのジェフの設定が1の小説版のロイドそっくりだったので「同じ子じゃ書くのつまんない」と思ったがゆえに、久美氏はジェフにとんでもないオリジナル設定(※両足の義足とその原因となった事故のトラウマ)を追加してしまったのだという)
1の小説版からゲームの2に、2の小説版からゲームの3にリンクする「3人目の仲間の共通点」を糸井氏の意図的なものと見るのはあまりに突飛すぎるかもしれないが、意図的にせよ偶然にせよ、7年ぶりに思わぬ発見を得て少しいい気分だ。元増田に深く感謝したい。
Amazonで売られている久美沙織のMOTHERのノベライズは「作者はキャラヒイキし過ぎ、女の子(アナとポーラ)がビッチ過ぎ、オリジナル要素入れ過ぎ」とそりゃもうボロクソに言われつつも随分なプレミアがついている。
彼女はもともと凄まじく悪ノリ&長文&脇道癖のある作家であり、かつて小説版ドラクエの4〜6(特に4)を執筆した折などは想定読者年齢層を全力でブッチした筆の冴えを見せつけたことで(主に悪い意味で)その筋では有名である。ゲームでは「なんか魔族の王」程度しか設定されていなかったデスピサロの魔界での鬼畜イケメンぶりとロザリーに対するロリコンぶりを描写するために、実に第1巻の約3割を費した耽美と難解を極めるオリキャラだらけの序章を筆頭に「ドラクエの小説版」という単純な単語に惹かれた全国の無垢な少年少女を疑問の渦と睡魔の淵に叩き落としたものだ。
あれに比べたら小説版MOTHERの脱線ぶりなど屁のようなものであるが、それでも1の地底湖における妙に淫靡な13歳同士のラブシーン、著者本人も認める2のタイトル詐欺(MOTHERではなくBROTHERになってしまった)などは、精霊ルビス伝説を初めて読んだ小学生の頃から意味などろくすっぽ訳も分からず彼女の文章を刷り込まれて育った増田のような重度の奴隷信者には溜め息のひとつで済ませられても、彼女の作風を知らずまっとうなノベライズを期待して本を開いた方々には怒髪天ものであっただろう。
前述のような久美沙織のノベライズ奴隷信者たる増田が、開発中だった64版MOTHER3のサブタイトル(豚王の最期)を聞いて思ったことは想像に難くないだろう。勿論「次の小説版どうすんだろ」の一択だ。
ネタバレをすると、小説版の2のポーキーはゲームと違っていずこかへ逃亡しない。2の小説は一冊で完全に独立完結している。
ゲームよりかなり陰惨な設定を付け加えられ、死んだ方がマシじゃねえかと言う酷い目に遭わせられはしたものの、色々あって小説版の彼は救われ、オネットのはずれの家で弟達と仲良く幸せに暮らしている。
1では原作通りの「ジョージとマリアに育てられた宇宙人の子供」だったギーグを、2では設定を完全無視して「多次元宇宙からやって来た、人間に寄生して成長する凶悪宇宙怪獣」というわけのわからんものに平気で変えてしまった久美沙織の事であるから、恐らく3のノベライズも一筋縄では行かないだろう、どのような味付けをするつもりなのだろうか、とゲームも発売しないうちから想像してわくわくしたものだ。
だがいかんせんゲーム原作である3の発売まであまりにも間が開き過ぎ、残念ながらその間に久美氏の小説家としての執筆活動はほとんど行われなくなってしまった。
ゲームそのものの出来が賛否両論で関連グッズ制作に予算が割かれる可能性も少なかったろうから、どのみち彼女が現役だったとしてもノベライズの発売はなかったかもしれないが、今でも久美沙織によるMOTHER3の小説はどんなものだったのだろうと思いを巡らし、赤い背表紙の文庫本が3冊並んで棚に並ぶ事を願わないことはない。
多分ダスターは作者の好みの傾向から言って超かっこいい男になるだろう。ウェスは「ふしゃしゃしゃしゃ!」などと変な笑い声を上げるようなゲーム以上のしゃかりきジジイとして描かれ、一般プレイヤーなら名前すらウロ覚えであろうタツマイリ村の一住民の視点でまるまる一章が描かれることになるだろう。サルが主役の章なんかすごくそうなりそうだ。コーバのヨシダさんやマジプシー、ヨクバあたりのキャラはそのままでも彼女の筆にとてもよく似合うから、きっと笑ってしまうほど魅力的に描かれるに違いない。
そういうどうでもいい細部の事は想像できるのに、MOTHER3という物語を彼女がどう完結させるのか、ポーキーというラスボスにどのような結末を用意するのか、自分程度の貧弱な頭ではとても想像できない事が悔やまれる。
増田はMOTHER2の小説の中では、ハッピーハッピー村の教祖であるカーペインターについて書かれた下記の文章が一番好きだ。(ちなみにゲームに登場するカーペインター氏は、別段このような性格設定や過去があるわけではない普通の中ボスである)
少年の頃、彼は、痩せっぽっちで病弱で、ひどく不器用でした。学校ではいいところを見せるチャンスがありません。おまけに常用していた薬の副作用で顔がゾンビみたいに青かった。気味悪がられて、いつもひとりぼっちでした。こころを通わせることのできる友達が欲しくて堪らなかった。でも、どうすれば、ひとに好かれるような人間になれるのか、ちっとも分からなかったのです。
せつない気持ちをぶつけるために、教祖は絵かきになりました。さまざまな青の濃淡で描かれた彼の絵に、希望や共感を見出すひとたちが現れます。寂しいのは、彼だけじゃなかったのです。悩んでいるひと、困っているひと。ひと見知りで、ともだちを作るのが苦手なひとたちと、助け合って暮らしたい。そう思ったので、一生懸命働いて、この、人里離れた谷間の土地を買いました。誰でも、来たいと思うひとを歓迎する場所、みんなが他人を脅かさずに静かに過ごすことのできる場所として、ハッピーハッピー村を作りました。狭い画布ではなく、大地そのもの、空間そのものを、青いっぱいで埋めるのが、彼の夢でした。
平素の地の文では「今週のハッピーハッピー村信仰大賞佳作受賞者は、ご近所一帯に青大将三百匹を放したヌリ村のジョン作さんです!」などというクソみてえな悪ノリを平気で書くくせに、彼女はこうやって時折、心に突き刺さっていつまでも離れない文章を書く。忘れられない文章がいくつもある。
だから未だに彼女の書くMOTHER3の物語をずっと諦められずにいる。
久美沙織が大昔に書いたゲームノベライズのことなんて知っているマニアックな年寄りは、いかにネット広しといえどもきっとあまり沢山はいないだろう。「翠の髪のボウシャルマン/王宮付きの軽業師」なんて小説版ドラクエの作中詩の一節をググったところで出てきやしない世知辛いご時世だ。
それでもこうして長文を形にしておけば、そのうちこれを見つけた同じ気持ちの誰かと思いを分かち合えるんじゃないかと思い書き残しておく。
http://game129.blog.fc2.com/blog-entry-389.html
諸君、私はドラクエ7が大好きだ。シリーズ最高傑作という確信がある。しかしながら、世の中の反応の一部は―いや、一部と言うにはいささか大きすぎるかもしれないが―ネガティブだ。さて、この中のネガティブな意見の代表的とも言える
に、私がいくらかのポジショントークや色眼鏡を交えながら答えてみたいと思う。
これは現在ではほぼ解決した問題である。というのも、このフリーズ現象はThe best!などの廉価版発売にともなって多くが解消されている。
ちなみに私はPS,PS2双方において、フリーズが多いとされる初期DISCを使っていたが、フリーズしたのはデスマシーン戦後の一度きりであり、それも一回だけなので多いという実感はない。
他のフリーズが多いとされるゲームでも同様であり、私はフリーズが多発しているプレイヤーの使用環境、ハードの状態が気になるところである。
参考までに私の部屋は埃っぽく、ゲームもケーブルに繋いだまま放置ということもザラで、いい環境ではない。DISCに細かな傷が付いているものも多い。
いわゆる「種返せ、ブス女イラネ」である。これを持って「ドラクエらしくない、ドラクエは王道でなければならない」とさえ言うものもいる。この「王道」というのはドラクエに結構重要な意味を持っている人も多いようだ。
さて、ドラクエらしさとはなんだろうか。私は天空以降のシリーズでは「離別と喪失」に見出したい。
なぜ天空以前と切り分けるかといえば、ロト三部作は主要人物に近しい人間が「作中で」離れるということはないのだ。2のムーンブルクは作中ではない。3のオルテガもゾーマ城で主人公の前にて息絶えたが、それまでに殆どの情報がないため、思い入れある人が多いとは思えない。
ところが4になると作中で主人公の町は滅ぼされ、エドガンの弟子とは生き別れ(しかも選択次第では死ぬ)、サントハイム城はもぬけの殻になり、ロザリーは人間に殺されたり、人間関係を露骨に描き出してくる。これは当然容量の都合で出来ることが増えたのはもちろんだ。4で王道らしいのは実質第一章のみであり、何も失われていないのはトルネコぐらいのものだ。
5では主人公の父母が死に、主人公夫妻も子孫を遺して仮死状態になるなど、近しい人間が失われる。モンスターを仲間にするというコンセプトも影響してか、前作よりは少ないが、親が死ぬことを強く見せたのは後にも先にもこの作品のみである。
6は毛色が変わり、「喪失したものを取り戻す」ことが強く打ち出されている。そして、失ったものを取り戻すことによって別のだいじなものが失われることを描くことに成功している。この作品のバーバラとターニアの立ち位置は象徴的である。この作品が悲愴的なのは、プレイヤーは喪失したものを取り戻す過程で、これから失われるだろう別のだいじなものに感情移入していることだ。
さて、7である。私はキーファの離脱に強く反発する理由を見いだせない。というのも、これだけさんざん人との別れを描き尽くしてきたのに、なぜ反発するのだろう。推し量れば、前作のバーバラの別れはシステム上そうなることが予見できていたうえ、エンディングの出来事だから気にならない人が多かったのではないか、そして、パワータイプで「「使い勝手がいい」」キャラが物語の途中で「「勝手に」」抜けることに不快感を覚えた人が多いのではないか。
まあ、これは発売前、当時の雑誌に掲載されていた開発中場面の写真にも問題あると思うが。
いわゆる「石版」と「序盤の物語」と「ゲームバランス」と「擬似3D」である。
前者2つは物語の根幹だが、軽視されがちだ。というのも、結局ゲームとはどこまで行っても作業だ。その作業を作業と思わせないことが重要なのだが、前半の探検部分はとりわけお使いでもないのに作業だという意見は多い。これは私にとって意外だったのだが、最初の神殿の謎解きが分からないから投げたという人もいた。
また、今作最初の戦闘導入はシリーズ中一番だと思われる。多くのRPGは魔物がいる世界が当たり前になっているなか、こういうシチュエーションは新鮮だ。
石版システム、私は楽しんだが、「コレクトの強制」を冗長かつ不快に思う人がいるのは当然だと思う。似たようなので言えば「ゼルダの伝説風のタクト」あたりが同じ理由で批判されている。
一部のボスキャラが職業によって難易度が大きく変わるというのは、しかたがないこととはいえ問題である。山賊やヘルクラウダー、オルゴ・デミーラなどはよく取り上げられる。
今作からは世界が3Dっぽくなり、視点移動が可能になった。視点を変えないと見つけられないところがあるというのは私にとってプラスだったのだが、不評の声がこれも多い。7のようなタイプで天空シリーズはすべてリメイクされたが、どれもこれも視点を変えずにクリアできる以上、立体化する意義はないと考える。
他にも雑多な不満不平は見受けられたが、割愛する。
いずれにしても私からすればドラクエ7はシリーズ最高傑作であるのは間違いない。今のところ、10は買わない予定だ。9は買ってひと通りクリアし、すれ違ったが、どうも受け付けなかった。たとえドラクエでも、毎月1000円も払ってられないというのが10を買わない理由だ。モンスターズ3Dは買うつもりでいる。
ちょっと今なつかしくなってDSのVをわざわざ買ってやり直してきたところなんですけど、
今やり直してみるといろいろ気づくところがある。
例えば、
ただ、よくよく考えてみるとVIIIもV型のような終わり方だから、これは結局引き出しの違いなのかもしれない。
そしてさらによくよく考えてみるとIVの第六章でとりあえず救済されたピサロに不満たらたらな意見を目にするのに、VやVIIIで同じような意見を見ないのは不思議だなあ、と。ドラクエってシナリオに矛盾がないわけじゃないから、救済されるのはおかしいっていう理屈はないなあ。私が最初にFCのIVでデスピサロと対峙したときはロザリーの死とほこらのBGM、直前のデスプリーストの発言が相まってかなり胸に来るものがあったんだけど(それがよかったのかね)
そういう意味ではVIIIのフィールドはすごい。あの走ってるのにゆっくりな移動スピードは、フィールドの壮大さを演出するのによく貢献している。
今なら「マリアNTR結婚でヘンリー何食わぬ顔でパーティ加入√」とか臆面も無く言う人いそうだけども、何が違うんだろう。
私は最初やったときヘンリー抜けるのもキーファ抜けるのも嫌だったけど、復帰しろ、とまでは思わなかった派。
ただ、何が異質なのか、うまく説明できない。
まあなんだかんだあって楽しめました。
http://www.youtube.com/watch?v=8AMlqRsHUXI
アナ 「ニュースにならない世界の大ニュース、編集長の裏話、杜の都の出版社『本の杜』編集長でジャーナリストの大沼安志さん登場です」
アナ 「先週大沼さんが紹介した三宅一世さんがニューヨークタイムズに寄せた文を大沼さんのブログで改めて読んでみたいという方がいらっしゃって、検索の仕方をご案内したんですが、ご覧になる事出来ましたでしょうかねぇ」
大沼氏 「ええ、オバマさん今“核の無い世界”って事を言ってるんですけど、核兵器っていうのは文字通り物理学兵器ですよね。でね、今核兵器以上にもっともっと恐ろしい物理学兵器の存在が世界中で疑われているんです」
大沼氏 「それはもう既にニックネームがついておりまして“HAARP(ハープ)”って言うんですよ」
大沼氏 「そうです、スペルが殆ど同じで、(中略)この統合地球物理学兵器ってやつは“HAARP”なんですね」
(中略)
大沼氏 「どんなものなのか簡単に説明させていただきますと“電離層ヒーター”といわれているんですよ」
大沼氏 「そうです。“電離層”って言うのは僕も素人なんですが調べて来ましたら、地球の成層圏の最上層部…」
大沼氏 「そう、高いところ。地上からの電波を跳ね返すところなんだそうです」
アナ 「電離層の反射で遠くの(ラジオの)放送局が良く聞こえたり…」
大沼氏「はいはい、そうです。このHAARPっていう統合物理学兵器っていうやつはこの電離層に向かって電波を発射するんですね」
大沼氏 「それを発射する基地がどこにあるかって言うとアラスカにあるんです。フェアバンクスとアンカレッジの間にあってですね、1990年代から建設が始まって21世紀、つい最近になって完成したと言われているんですね。これを作ったのはどこかといいますとアメリカの国防総省“ペンタゴン”ですね。空軍と海軍の協同プロジェクトなんですね。それに多分目くらましと言う事があるでしょうけどもアラスカ大学が絡んでまして一応学術研究であると。電離層を研究するという形をとっているんですけれども、そうではないんで無いかと、そういう見方が広がっているんですね」
アナ 「電離層に電波を当てて何をしようとしているんですか?」
大沼氏 「その電波なんですけどもアメリカ最大のラジオ局の出力の7万2千倍なんですよ。電離層の局地的に360万ワットといわれていますが、それを当てるんですね。照射するんですね。それをしますといろんな事が起きるんですが一つは電離層に穴が開くんですね。指向性の有る電波を出しますから例えば日本上空の電離層を狙ってそこに穴を開ける」
大沼氏 「そうすると宇宙の放射線が入ってくると。それが一つなんですね。それから色々有る、四つ位有るんですが、もう一つはこれが実は最初始まった理由なんですが電離層を押し上げるんだそうです。そうするとそこを通ってくる例えばソ連のICBMをプラズマとかで撃墜することが出来る。つまりレーガン時代のSDIですよ」
大沼氏 「その次に今一番問題になっているのがこれなんですけれども、電離層に低周波の電波を当てて跳ね返って地球に届くと。超低周波の電波は地中を限りなく通過していくんですね。地中の地震が起き易い活断層に向かって跳ね返した電波を当てると。」
大沼氏 「地殻変動を起こす、つまり地震を起こすと。“地震兵器”ではないかという、そういった疑いさえ有る」
アナ 「そんな事が出来るんでしょうか?」
大沼氏 「うーん、これはね、僕は科学者じゃないんで何とも言えないんですけどもただ一つ言えるのは、今90歳になられるお婆さんのロザリー・バーテルさんっていう世界的に有名な科学者の方がいらっしゃるんですよ。第二のノーベル賞といわれる“ライト・ライブリフッド賞”を取った方で日本の学術会を見ても共同研究なんかをなさってる大変な方なんですが、この方がおっしゃてるんですね。この方が統合地球物理学兵器が非常に怖い、情報を開示して欲しいと言ってるんです」
大沼氏 「もう一つですね、非常な低周波なもんですから、確か10ヘルツという数字が出ていましたけど、これが電離層で反射してある特定の地域に来ると我々の脳がやられちゃうんですね」
アナ 「えぇ?」
大沼氏 「我々の脳波と同じなんですね。今言った四つの非常に恐ろしいところがあるっていうことでロシアの国会の国際委員会って言う所で調査をしまして国連に対して何とかしてくれとアピールしているんですね」
アナ 「それはどういう事、どんな目的でしているのかっていうのをはっきりして欲しいですね」
大沼氏 「オバマさんは核って言いましたけど、核が広島・長崎に投下されるまでは何も分からない訳ですね。何をしているのか。軍事っていうのは秘密ですから。このHAARPにしても機密が守られているんでしょうけれどもオバマさんがせっかく大統領になって “核の無い世界”を言っているのであればもう一つのスーパー物理学兵器であるこのHAARPについてもきちんと情報開示して欲しいですね」
アナ 「そのオバマ大統領といいますとアメリカと中国の戦略経済対話というのがワシントンで始まっていまして、中国との新たな対話の枠組みを重視する姿勢を示したんですね。で、オバマ大統領、米中両国間の関係が21世紀を形作る、世界中のどの二国間関係よりも重要だというコメントを出しているんですね」
大沼氏 「現職の大統領が言い切ったのは始めてでしょうね。ヒラリー・クリントンさんが二年前に雑誌の論文に出して非常に大きな反響を呼んだんですけども。日米関係こそ世界で一番大事な二国間関係って日本政府がずうっと言い続けてきたんですね」
アナ 「今朝のゲスト、ジャーナリストの大沼安志さんでした。ありがとうございました」
http://anond.hatelabo.jp/20090308024639
あるある!全てのロールプレイングゲームが従う30の法則
http://gs.inside-games.jp/news/181/18110.html
が、ロト3部作にはあまり当てはまらないことを前回はチェックしました。
ファミコンではドラゴンクエストはもう1作作られています。天空三部作の1作目、ドラクエ4(DQ4)。
デモシーンが作れるようになるくらい容量が増えたら、どうなるか、というのが、この作品をロト三部作と比べればわかりそうです。
まあ、ロト三部作と違って主人公が少なくとも5人、もしかしたら8人いるから、という要素もあるのだと思うのですけどね。
「あなた いつまで ねてるの? はやく おみせに いかないと また おやかたに しかられるわよ。
ねえ あなたったら……。」
第3章、トルネコは妻のネネに起こされるところから始まります。
○
2.助けを望む老人。
「ほんに いつ みても りっぱな おしろじゃのう。
わしも おしろの せんしに なってみたいものじゃ。 どうじゃろう? つれてってくれぬか?
第1章でライアンは戦士になりたいという老人を連れて歩くことになります。また、
「おお トルネコ! このトムじいも としとったせいか あしこしが よわくなってのう。
おれいをするから このわしを きょうかいまで おしていってくれんか?
第3章の、たぶん一番最初のクエストはこれ。
○x2
3.幼なじみと協力することに。
幼なじみは5章で出てきます。2組。一つは主人公とエルフのシンシア。もう一組は馬車を持っているホフマンとその友達。便宜上ここでは勇者は男、ということにしましょう。
○x3
エンディングで一応シンシアは生き返ります。が、あれは主人公がみた幻、という説も捨てきれないですよね。
○x3 △
確かに、ホフマンは手ひどく裏切られます。
「オレも むかしは あんたみたいに たびを していたさ。
あるとき せかいで 1ばん たいせつな たからものが かくされているという どうくつの うわさを きいたんだ。
オレは ともだち ふたりと その どうくつに はいったよ。
でも 1ばんのともだちと おもってたのに とつぜん オレを うらぎって……。 ちくしょう!
もう だれも しんじない! さあ かえってくれ!」
なにせ、入ったのが「裏切りの洞窟」という入ったものに幻を見せる洞窟でしたから。
○x3 △x2
6.引退した冒険者があなたに最初の剣を与えます。
剣はもらえないのですが、ひとりぼっちになった5章の勇者に、近くに住むきこりが
「ちょっと まった! なんだ おめえの かっこうは!? それじゃ たびは できねえぞ!
あっちのへやの つぼのなかに いろいろ はいっているから もっていきやがれ!」
と言って装備を与えます。このきこり、おそらく
「そのむかし きたの もりのなかに きこりの おやこが すんでおった。
きこりのむすこは もりのなかで うつくしいむすめと であって けっこんまでしたのじゃが……。
きこりのむすこは あるひ かみなりに うたれて しんでしまったのじゃ。
と伝えられる、勇者の祖父でしょうね。
また、3章では最初の装備を自分の勤めている武器屋から買うのがセオリーですが、やっぱりみんな「はじゃのつるぎ」が買えるだけの金とその在庫が出来てから店を辞めましたよね、たぶん。
○x4 △x2
7.なぜか全ての噂は真実です。
に代表させるまでもなく、ほぼ全ての噂は真実なのですが、そこはそれ。
「ずいぶん まえ くろいくもが ひがしのそらに ながれていったんです。
そして しばらくして せかいをすくうはずの ゆうしゃさまが しんだという うわさを ききました。」
いや、勇者生きてるから。
ええ、まさに
「どの うわさが ほんとうなのか けんとうが つきませんね……。」
という状態です。
○x5 △x2
確かに、第1章で
「ぼく ホイミン。 いまは ホイミスライムだけど にんげんになるのが ゆめなんだ。
ねえ にんげんの なかまに なったら にんげんに なれるかなあ……? ぼくを なかまにしてよっ。
仲間になるホイミンは、ライアンと比べれば強力なヒーラーでした。
そして、第5章でも勇者の最初の仲間となるミネアは、ヒーラーでもあります。
○x6 △x2
9.大きな権力争いに巻き込まれます。
「おじちゃん たすけて! ぼくのことを ゆうしゃだろうって いじめるんだ!」
第1章で子供が消える事件は、伝説の勇者を幼いうちに殺しておこうとするピサロの陰謀でした。これをはじめ、各章にはデスピサロとの絡みが少しずつ出てきます。
「ええい! ドン ガアデは まだか!? いったい どこで みちくさを くっているのだっ!
はやく はしをなおさねば エンドールのくにに せめこむことが できぬわ!」
こんな手紙を
「しんあいなる ボンモールのおうよ。 とつぜんだが わしの はなしを きいてほしい。
どうやら わしのむすめモニカと そなたの むすこリックとが あいしあっているらしいのじゃ。
すぐに とはいわぬが ふたりを けっこんさせたいと おもうのだが……。 エンドールのおう より」
届けることで戦をとめることになります。
「いずれ わがむすこリックが エンドールおうの むすめむこに なるなら リックが つぎの エンドールおう じゃ!
なにも せめこまずとも エンドールは てにはいるではないか!」
○x7 △x2
10.教会と戦うことに。
第2章で教会がでてきますが、狼の生け贄になろうと籠に乗ったアリーナ姫に
神父「おお カミの ごかごが ありますように!」
みたいなことを言うような人で、まあ影響力はありません。レイクナバのシスターは結婚しちゃうし、
「わたしは カミにつかえるみ ですが このひとを あいしてしまって……。 ぽっ。」
年の差なんてかんけいないって口説く神父はいるし、
「あいが あれば としのさ なんて など そんなことを ほんとうに カミさまが おっしゃるのかしら……。」
「な なんですか あなたは? わ わたしは かのじょに カミのおしえを といていただけですぞ。」
11.悪の政府と戦うことに。
第4章は
「たびの とちゅう ふきつな うわさを きいた。
という感じで、まさに悪の政府です。
○x8 △x2
なお、第2章のエンドール王は
「ここの おうさまは かるはずみで おもったことを すぐに じっこう しちゃうんです。 こまったもんだ。」
「ぶじゅつたいかいの ゆうしょうしゃは ここの おひめさまと けっこんできるんですよ。
おひめさまも かわいそうに……。」
「ちかごろ このエンドールにも まものが でるようになりましてな。
おうさまは つよいものを あつめるつもりで ぶじゅつたいかいを ひらくようになったのじゃが……。」
「まったく なんにんの せんしたちが デスピサロに ころされたことか……。
これでは まるで つよいものを あつめて ほうむっているようなものですよ。」
「おとうさまが みなに やくそくをしたため わたしは ゆうしょうしゃと けっこん しなくてはなりません……。
まあずいぶん軽はずみみたいです。悪の政府ではないのですが困ったことです。
12.生まれ育った村が!
「つ ついに このむらが まものたちに みつかったんです! やつらは むらの すぐそばまで きてて!」
第5章の始まりがまさにこれですね。また、第2章の終わりではサントハイム城が無人になってしまいます。
○x9 △x2
13.いよいよ本当の敵と遭遇、ただし不意打ち。
デスピサロは各章で出てきます。特に第2章。まあ
「なに!? どこを さがしても デスピサロが いないとっ!? うーむ………………。
ということで、不意打ち以前に、戦いになることはないのです。
また、5章でエスタークを倒した直後に、エスタークに会いに探していたデスピサロとばったり会うのですが、
デスピサロ「な なんということだ! エスタークていおうが たおされてしまうとはっ!
しかし よげんでは ていおうを たおせるものは てんくうの ちをひく ゆうしゃのみ!
まさか おまえたちは……!?」
デスピサロ「なにっ!?
うぬぬぬぬ! みなのもの! とにかく ひきあげじゃあ!」
ということで、こちらでも戦いにはなりません。
○x9 △x3
5章、先述の裏切りの洞窟をはじめ、大灯台、パデキアのねっこ、キングレオの敵討ちと、仲間との合流、Lvアップのためのクエストには事欠きません。
○x10 △x2
15.海上で巨大生物から攻撃される。
ランダムエンカウントで攻撃はされますが、こういうイベントはなかったりします。
○x10 △x3
16.渦へ巻き込まれるか、または難船します。
これも自分たちのイベントとしては存在しません。ただ、かわきのいしがあるところでは水が渦を巻いているんですよね。
また、大灯台のあるコナンベリーでは船を沈められた人がいます。
「おお! わたしの ふねがっ! こんなことに なったのも すべては ひがしの とうだいの せいです。
とうだいに まものが すみついてから じゃあくな ひかりを だして ふねを しずめてしまうんです!」
○x10 △x4
17.寺へ……
寺がありません。ありませんが、ガーデンブルグの城では教会からなくなった十字架を取り戻して信用を得るイベントがあります。
18.予言者に会う。
岬のお告げ所には占い師がいます。
「ここは おつげじょ かみの おつげがくだる せいなるほこら。
バトランドのせんし ライアンが ゆうしゃを さがしもとめて やってきたのです。
カミの しめされた ゆうしゃの すがたを ライアンに つたえて おきました。
ひかりが いちだんと かがやきを ましています。 やがて であいのときが くるでしょう。」
この人はそれなりに先が見えているようです。また、ミネアが勇者と会ったときのイベントも、占いに近いものでした。
○x11 △x4
19.封印されていた古代の獣とかが復活してますorしそう。
「しょくん! たったいま こうざんのまち アッテムトで たいへんな じたいが おこった!
じごくの ていおう エスタークが よみがえったらしい!
どうやら にんげんどもは じごくのせかいを ほりあてて しまったらしいのだ。
伝説の魔王、エスタークが、人間の手で掘り当てられ、復活しそうになりました。
○x12 △x4
20.なんと最初に邪悪な何かを封印したのはあなたのご先祖様。
「おおむかし われら まぞくの ていおう エスタークさまは しんかの きゅうきょくを きわめた!
しかし そのそんざいに おそれをなした てんくうのカミによって ちのそこに ふうじこめられたのだ。」
勇者は天空人の子孫ですからたしかにそうですね。
○x13 △x4
21.遙か昔、この世界には今はもう滅んでしまった古い種族が住んでいました。
「かのち ブランカでは きこりの わかものに こいをした てんにょが いたとか。
てんにょとは てんくうを すみかとする おんな。
しかし てんくうに ひとなど すんでいるのでしょうか……。」
滅んだわけではないですが、地上世界からは姿を消しました。
○x14 △x4
自滅はしてないです。
23.飛行船をゲット!
「やあ きてくれたね! ついに そらとぶ ききゅうが かんせいしたんだ!
だい1ごうは あんたたちに しんていしよう! そとに でてみるといいよ!」
気球が完成します。
○x15 △x4
勇者が。
「そのむかし ちじょうに おちて きこりのわかものと こいをした むすめが おりました。
しかし てんくうびとと にんげんは ふうふに なれぬのが さだめ。
きこりのわかものは かみなりに うたれ むすめは かなしみに うちひしがれたまま つれもどされたのでした。
しかし むすめは どんなときでも ちじょうに のこしてきた こどものことを わすれたことは ありません。
もし いまの えにくすを みれば きっと なみだに くれることでしょう。 うっうっ……。」
○x16 △x4
「かつて このむらに ピサロという まぞくの わかものが すんでいました。
せかいを しはいするなどという やぼうを いだいて むらを でていきましたが
そういうわけでもなさそうですが。微妙ですね。
○x16 △x5
26.父親は単身で敵の秘密を探っていました。
実の父は自分が生まれる前に死にましたが、育ての父は悪の帝王の復活を予感していて、勇者を村ぐるみで育てていました。
27.強敵はあなたの血を分けた兄弟。
兄弟はいません。
28.異世界を訪れなければなりません。
天空城に行ってからの最後の戦いは確かにそれっぽいです。
○x17 △x5
○x17 △x6
確かにしんかのひほうでデスピサロ、数段階に変形するんですよね。
○x18 △x6
と、DQ4、一気に該当項目が増えます。
ストーリー重視、と言われるようになったのもこの辺からでしょうか。