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はてなキーワード: ロウソクとは

2021-08-19

anond:20210819121440

サラダ油が「燃えない」のと同じ理由バターマーガリンも「燃えない」

キッチンペーパーに揉み込めば常温固体でも火が付くようになるが、それはサラダ油も同じだな

もうちょっと言うと旅館の固体燃料(こより部分に火をつけるとロウソクと同じ理屈で液体だまりになって芯を中心に燃える)と同じだ

2021-07-09

anond:20210709154205

Twitterデモなんて意味あるのか。みんな秒で忘れるじゃん

イエローベストどころかロウソクデモすらできないんだから、もうオワコンだよね

2021-06-22

Rymdreglage

レゴを使ったストップモーション映像と、ファミコンのようなサウンドBGM。こんな映像作品を、Youtubeで見かけたことがないだろうか。

「Rymdreglage - 8-bit trip」ーhttps://www.youtube.com/watch?v=4qsWFFuYZYI

この映像を作ったのはスウェーデンの二人組バンド、Rymdreglage。音楽映像ゲームをこよなく愛する彼らが送り出す素晴らしい作品群は、彼らのYoutubeチャンネルにて鑑賞することができる。

彼らの作品は度々メディアに取り上げられるものの、日本語ではもちろん英語でも彼らにまつわる情報が出てこないため、かなりマイナー存在だ。しかし、恐ろしいほどに手間がかけられた映像音楽は、メジャーにはなりえないかもしれないけれど、誰かの心に深く刺さるかもしれない。このまま人の目に触れないのはあまりにも惜しく感じるので、勝手ながら、場末ネットコミュニティで彼らの作品を紹介することにした。

Terminator 2 - 20 years ( July 3 1991 - July 3 2011)ーhttps://www.youtube.com/watch?v=a4mWyeVitNQ

ターミネーター220週年を記念し作成された作品Eテレ番組テクネ 映像教室」にて取り上げられた作品でもある。色付きの画用紙にターミネーター2の名場面が描かれ、溶け落ちるロウソクと積み上がる紙くずが途方もない時間演出している。

Rymdreglage - Insert Coinーhttps://www.youtube.com/watch?v=0sNxRji1STg

アーケードゲームを題材にした作品コインヌルヌル動く映像演出する様は圧巻。Rymdreglageの、ゲームへの愛に溢れる作品となっている。

Rymdreglage_Kallbrand ー https://www.youtube.com/watch?v=QcvnDNPbsOo

Rymdreglage_Kallbrand_inst ー https://www.youtube.com/watch?v=plGRtq6jVF8

80年代の様々なゲーム映像レゴブロック表現した作品。もしかしたら、あなたが昔遊んだことのあるゲームもあるかもしれない。本家インストで2種類の動画が公開されているが、どちらも別の映像となっており非常に手が込んでいる。

その他にも、ユニーク面白い作品はたくさんある。よかった見てみてほしい。

Rymdreglage - Respawn ー https://www.youtube.com/watch?v=nhJj13iChCk

Rymdreglage - Old dayshttps://www.youtube.com/watch?v=ohlQczU45SA

また、彼らの音楽作品AmazonミュージックSpotifyなどで絶賛配信中だ。

Rymdreglage公式サイトhttps://www.rymdreglage.se/

2021-04-23

スナッフフィルムについて書く

 「スナッフフィルムって知ってますか?」


 そう呟いたのは多分六年前だか五年前だったかと思う。その時俺達は喫茶店で、世の中の悪が何かについて話していた。

 その場には男の先輩が一人と女の子の後輩が二人いて、先輩は「知ってる」とぽつり。女の子二人は「しらなーい」とぽつり。

 勿論、俺と先輩はその話を掘り下げたりせずに、穏当に元の話題路線へと戻り、「やっぱ世の中気を付けて生きなきゃだめよ」みたいなことを言っていた。女の子二人はケラケラと笑っていた。


 ◇


 何で今更になってこんなことを思い出したかというと、当時テーブルを囲んでいた後輩の女の子が先輩と付き合って、破綻して、今朝がたtwitterで僕を含めた当時の関係者に対しての呪詛を書き連ねていたかである


(後輩のプライバシー配慮して中略)


 多分こういうのは、よくある話なのだろう。勿論僕はその後輩に横恋慕していて、そして二人の関係とか、あるいは時折後輩の見せる刺すような発言と態度に傷を負ったりしながら生きてきたのだけれど、そんなことは些事である。一々考えるようなことじゃない。

 ともかく、今僕がこの文章を書いているのは、後輩の女の子が僕と先輩を含む当時の関係者SNS呪詛を連ねているところを見たかである

 その呪詛がどんなものだったかというと、彼女曰く、「悪を糾弾できない存在も悪だ」、とのことであった。

 全くもって僕は彼女同意する。

 そう、悪を糾弾できない存在は悪だ、と。

 つまり彼女はこう言っているわけである。当時、破壊性向を持っていた先輩のことを僕を含む関係者は止めることができなかったし、そして、物事が落ち着くべき位置に落ち着いてなお、僕を含めた関係者は先輩のことを表立って糾弾したりするでもなく、あるいは罰したりするでもなく、淡々と日々を送っているのだと。つまり、先輩が悪であると同時に、先輩を裁くことなく静観していた、僕を含めた関係者もまた悪なのだと。

 全く以てその通りだと思う。僕は悪の片棒を担いでいるのだ。物事を正しく裁こうとなど決してしなかったのである


 一応、僕は見知っている後輩らが先輩に対して好奇心なり何なりを持っているのを見咎めると、「先輩は悪人から近付かない方がいいよ」と度々言及していた。(「悪」の具体的な内容についてはここでは伏せるが)

 とは言え、一見インテリジェントで気が利いて、かつある分野において顕著な業績を収めた人物である先輩に対して、後輩たちは僕の忠告をあまり深刻には受け止めなかった。あまり僕の忠告は功を奏さなかった。後輩たちの中には、今でも先輩に連絡を取り続けている子もいるようである。まあ、それはそれで良いのだと思う。僕は別に彼女たちを悪し様に思っていないどころか、先輩にだって悪感情を持っていない。彼女たちはそれなりに幸せそうであるし、今でさえ僕は先輩と時々食事をしたり、ボードゲームに現を抜かしたりしている。


 ◇


 さて、今からするのは「悪」の話である

 そしてスナッフフィルムの話である

 スナッフフィルムについてご存知だろうか?

 それは、快楽目的とした殺人行為撮影した映像作品のことを指している。特に商業意図を以て撮影されたものを指す。スナッフという言葉は、「ロウソクを吹き消す」という意味を持つ動詞であり、同時に「殺人」のスラングでもある。

 勿論僕も現物を見たことはない。そもそも、「スナッフフィルムは単なる都市伝説で、実在しない」という論も根強い。

 ただ僕は、二十年近く前にアングラサイトで「衝撃! 少女公園殺害される映像! 購入は以下のアドレスで!」的な宣伝がされていたのを見たことはある。そのサイトによれば、外国人少女公園で刺殺され内臓を引きずり出された後に、ガソリンによって燃やされるとのことであった。そういう宣伝を実際に目撃した人間からすると、スナッフフィルム実在するという立場から主張するほかない。

 (また、中東ロシアでの拷問処刑映像も広義のスナッフフィルムとみなすことができると思う)


 スナッフフィルムにおいて撮影されるのは、主に少年少女である

 主なスナッフフィルムの内容は、少年少女麻薬を与え、性的に高揚させた後で凌辱し、その後に殺害する、といったものであるそうだ。僕もよく知らない。正直この知識既存創作物から得たものなので、信憑性においては幾分問題があるかもしれない。

 いずれにせよ、仮にスナッフフィルムが伝聞の通りに存在するのであれば、それはこの世の悪を煮詰めた存在であると思う。

 何故そんなもの存在するのだろう?

 それは、恐らくそれを求める人間存在し、また、それを供給し得る人間存在しているからだと思う。仮に、ある人物が何かを要求し、その対価としての金銭を十分に示せるとして、何者かがその要求された何かを提供できるとすれば、多くの場合そこには商業取引が実現してしまう。可能物事が、不可能であり続けることは難しいのであるマーフィーの法則を引くまでもない。

 つまり、そのような商業的なやり取りは、人の意志を超えてしまうのだ。それが可能である限りで実現してしま事柄に、人の意志関係ない。そこにはある種のシステムが構築されてしまうのである

 そのようなシステムに根差しているのは、明らかに人間欲望暴力である人間にとってのある種の欲望暴力可能である時、そこにはシステムが出来上がる。システムは、金銭欲望達成を媒介に、暴力的に成立する。そして、人の意志とは関係くそシステム自己増殖し、その体系をより確固たる存在へと変えていく。

 「人々が欲望し、かつ金銭的対価を支払える事柄は、それが不可能でない限り実現する」これが、欲望暴力システムにおける定言命法である。そこでは人の意志に関わらず淡々物事が実現する。一度実現したシステムは、当事者意志で止めることはできない。金銭媒介に、システム機能し続ける。

 というわけで、世の中にはいわゆる悪が蔓延ることになるわけである。勿論、繰り返すようにスナッフフィルム存在都市伝説に過ぎない。「スナッフ」と銘打たれて販売された商品の多くが、作り物であるとも言われる。しかし、僕は「スナッフフィルム都市伝説に過ぎない」という発言に対して、どうしても疑義を覚えてしまうのである。そう、人の意志とは関係なく機能するシステムが世の中には既に構築されており、そのシステムの内部においては、可能である事柄はすなわち実現するのである。そういった原則を振り返った時に、快楽としての殺人不可能であると断じることが僕にはできなくなってしまうのだ。

 まあいい。とにかく、世界においては、可能である限りで、そしてそこに人の欲望存在し、金銭的な対価を示せる限りで、ある種の悪や暴力必然的に実現してしまうという、悍ましいシステムができている。我々は、そのようなシステムに向き合わなければならない。そのようなシステム糾弾し、ハックしなければならない。その在り方を上手く変更せねばならない、はずだ。

 とは言えそのような決意が実現されることは稀である。何故だろう? 我々は多くの場合悪を放置し、看過するしかないのである。それが不可能であるからだろうか? 我々に内在する欲望媒介機能するシステムを、我々自身が変更し、打破しようとする行為は、そもそも自己矛盾的だからだろうか? よく分からない。

 いずれにせよ、自身欲望に根差しシステムに変更を加える行為は、決して簡単ではない。我々は、そのような欲望暴力システムをどうしても看過せざるを得ない。


 それは、スナッフフィルムに限った話ではない。ある種の極度に暴力的なコンテンツに限った話ではない。我々の身近には、その手のシステムが息づいている。我々は、日常的に、そのようなシステムに触れることになる。我々は暴力欲望に根差しシステムに、普段から関与し、触れることになる。

 例えば、不均衡なコミュニケーションもそれだ。一方の話者の力関係が他方の話者優越しすぎたコミュニケーションは、暴力的な影絵を描く。そこには権力の不均衡が生じ、そして暴力欲望充足を生じさせることになる。そのようなシステムが我々の日常では機能しているし、何なら我々はそのようなシステムに組み込まれている。

 例えばそれは企業個人の力関係においてそうであるし、あるいはある種の閉じたコミュニティにおいてもそうである。そのような力関係において、いわゆる弱者欲望充足の手段とされることは珍しくない。我々の身近に、そのようなシステムは往々にして存在している。

 我々はそれを看過しながらに生きている。あるいは、そのシステム自身の一部として受け入れながらに生きている。

 何故なのだろう?

2021-04-21

anond:20210421171716

顔合わせのときスマホ記念写真撮るようにしてごらんよ

それをプリントして次もっていくの

母の日近いしショートケーキロウソクさしてパーティ帽子かぶっちゃえ

スペックつよい女存在意義なし

20代年収一本だいぶ超え彼氏なし実家に猫ありかわいい

色々あるけど実際の生活まじ虚無虚無プリン

週2で英会話週3ジム趣味は酒

週5は仕事仕事仕事仕事 ハゲんじゃない?ってくらい詰められたりする

酒飲まんとやってらんねえのでひとりで飲みに行ったり一人で飲んだり

飲んだら太るからジム飲んだら太るからジム滑車回してるハムスターみたいな毎日だねハムたろ?

服にもコスメにも食事にも家にも好きなものを好きなだけ買ったりしてきたけどお家からっぽなんもない

酒ならあるよみんなおいでってよく呼ぶけど帰っちゃうと寂しい

あとロボット掃除機同棲してる 名前つけてるけど呼んだことな

おされなロウソクつけてもアロマ炊いても咳しても独り ゲップしても独り

東カレアプリやっても自分より高スペほとんどいない

ドヤ顔ランボルギーニ乗って写真取ってる男大体他人の車

うしみつ行くやつ流行り物好きなだけ

そもそもそんな年収うpしてる飲食店毎日いけないでしょぷぷーってね

もちろんマッチングしてもうまくいか

趣味は?って酒だよおつかれ

こうなると顔可愛い女子じゃない限り女でいるメリット対してないな

トイレに個室多いくらいじゃない?

あーあつまんないな

骨肉の争いとかおきねーかなって思う毎日

2021-04-19

anond:20210419182257

まずは興味の差かな。

理工系全然わかんなかったし、数学もずっと20点くらいしか取れなかった。

小説とか大好きだし、もの書くの好きだからライター楽しい

 

向いてなかった理由は、頭がエンジニアきじゃないことだな。

一番大きいのはワーキングメモリ(短期記憶)の弱さ。

機能追加とかバグ修正とかしても、記憶力が低すぎて今どこをいじってるのか覚えてられない。

真っ暗な洞窟を、小さなロウソクの火一本で突き進んでる感じ。

記憶できないから見通しがまったく効かない。

途中で分かれ道(IFとか)出てくると、イチかバチかでどっちかいじって進めてた。

 

これはハロワ職業適性検査でわかったことだけど、能力言語書記能力以外壊滅的に弱かった。

数学はもちろん、空間把握能力(地図を読む力)、形態知覚(ものの形を読み取る力、展開図とか)も、手先の器用さとかも。

 

でも圧倒的にエンジニアが向いてない!ってんでなければ絶対エンジニアやったほうがいいよ。

無職ライターかって究極の選択ぐらいでしか選ばないほうがいい。

私は社内でバカにされ続けてメンタルこわして(発達障害もわかって)、無職で7年過ごした後にWebライターから

(私の)Webライター収入、月に2万いくかいかないかからね…。

2021-04-01

[]ps4 ウィッチャー3 エンディングまで(DLC抜き

ウィッチャーエンドになった

太陽の石クエスト古代の地下墓地が。フィリパと別れた後すげー迷った

どっちが入り口出口なのかがわからん

エルフ呪いかかってた醜い怪物ケイアモルヘンにつれてくムービーアプリが落ちた

ラスボスと戦う途中で1,2割体力削ったら次の場所に移動して戦うはずなのにそのイベントが起きないバグもあった

から体力減らないボスを延々切ってた すげーアホらしい

サブクエはほぼ無視でたまに気が向いたらやるくらい

プレイ時間確認できんけどたぶん50とかそんくらいかなあ

DLCのほうが面白いらしいからやるつもり

アイテム拾いたいのにロウソクをつけたりけしたりするアクション最初から最後までうざかった

完全に意味ないし ロウソク付けたら宝がみえるようになるとかもないし ただの宝拾いの邪魔しかない

戦闘

華麗にステップしてよけて斬りつける、ができないかホントストレス

せっかくステップして敵の死角に移動しても、斬りつけるとき無駄くるりんと回転してきるっつーモーションが入るせいで敵が体勢立て直しちゃう

うざすぎ ステップしてそのままさっときればいいのに

クエスト

メイン以外は経験値ゴミすぎてやる気にならない

そのくせエンディング関係してたりするからやってられない

水中での泳ぐ操作がおもうように いかなくてストレス

ちょっとした段差から落ちてもすぐしぬのもストレス

ロードもクソ長いし

変な慣性ストレス

思ったように操作できない

オープンワールドっていうけどいけるとこいけないとこの管理甘くてそこちょっとのりこえればいけるだろとかそういうのができない

人殺したり重要人物殺したりもできない

それなのに回転回避するだけで衛兵がおってくる 剣ぬいてない 眼の前で前回りしただけなのに

専門用語とか多くてまともにストーリー追ったり本とかの用語辞典を読む気にならない

まあお話としてはそれが正しいんだろう 作中キャラは当然のようにわかってるから用語説明とかあったらおかしいし

でもプレイヤーには不親切でつまらない

入れないドアも多いし

カーッペとか舌打ちとかうるさくて不快 ウィッチャーがそういう存在からとか無関係に単純に不快

マップも極端に広いか局所的かの2パターンで不便

ファストトラベルも終盤になっても自由にできないのも不便

敵がスタン攻撃してくるのうざい

こっちの攻撃には全然ひるまないくせに

物量と情報量はすごいけど、ゲームとしては全然まとまってなくてクソすぎる

2021-03-11

気まぐれとミックス要素の増田酢魔の層よ好くっ見とれ具巻(回文

ロウソクは高いからと

臭い魚の油で灯す行灯の下で増田を書いているんだけど、

どうもこの魚の油を燃やす匂いで猫が寄ってきてかなわない。

夜遅くまで起きていると化け猫が出るよって言うのは

この魚の油の匂いに釣られてくやって来るのかも知れないわね。

あんまり頻繁に猫が行灯に寄って気が散ってならないので、

もう寝ることにしました。

おはようございます

明けて朝です。

現代風に言うとシーチキン缶に綿の芯を入れて灯すシーチキンランプって言ったところかしら。

ゆらゆらと揺らぐ炎のような照明があったら、

私ずっと眺めてられるのになぁって思いました。

夜は夜らしく部屋を少しというかだいぶ暗くして過ごすのが

しかしたら身体はいいのかも知れないわね。

今春キャベツが美味しいから、

たくさん買ってサラダでも使い切れなくても、

ブイヨンでスープにしちゃえば、

あっと言う間に何でもかんでも野菜煮れるし

今だとまた新タマネギ

生で食べてもそんなに辛くないタマネギがまた美味しくて

サラダを作ったあまりスープにぶち込んで野菜スープに仕立てたら何でも美味しいわよ。

それでね今回はね

ブイヨンだけじゃ割とあっさりなので、

鶏皮を煮て出汁を取って、

鶏皮は千切りにしてポン酢で和えたら

お酒のアテの気の効いた小鉢が1品出来るわよ!

鶏皮食べないから今まで窓から捨ててたけど、

これで有効活用ができて美味しい小鉢出汁が取れるから

今度からそうしてみるわ。

案外皮って余計な脂の端っこを切って取り除くので廃棄分出るのよね。

美味しい小鉢を作ってたくさんストックできたら、

私の得意料理

茹でた枝豆、冷や奴に加えてスピードメニューに出来るじゃないって思ったわ。

でね、

昨日お風呂上がりに冷たいものでも飲もうかと思って、

ぜんぜん冷たいものストックがなくって、

牛乳じゃないんだよなー

飲むヨーグルトじゃないんだなーって

私の気分はもはや気まぐれだったんだけど、

今この気持ちサラダを作ったら、

シェフの気まぐれサラダをも凌ぐ気まぐれさ加減マックス

とても美味しい気まぐれサラダが出来ると思うの。

これも私の得意料理

スピードメニュー一品に加えてもいいかもしれないわね!ってぐらいの自信の気まぐれさよ。

よく何の味か分からないシリーズ

サラダ味、パンチ味にまた加えて、

気まぐれ味!ってのも新発売したらケンちゃんラーメンビックリよ!

いつまでもいつまでも新発売!って言うの。

よくよく調べたら、

商標登録の時点で、

商品名に新発売が含まれてるから

厳密に言うとケンちゃんラーメン新発売!新発売!っていうのが正式な新発売の時の言い方なんだって

私にはそのケンちゃんラーメンが何のことだかよく分からないけど、

きっと社会の複雑なルールの都合なのかも知れないわね。

シェフの気まぐれとはよく言ったものね。

私だから

寿司大将大将の気まぐれ握りって

ランチの時とか何貫かそれで、

気まぐれ味の美味しいお寿司が食べれたら、

それはそれで嬉しくない?

私はそう言うランダム要素を楽しめる自信があるから

大将気まぐれランチ寿司握り10貫セットって言うのを

ランチタイムにやって欲しいものよ。

青魚の貫が5貫連続で続いちゃうぐらいな気まぐれさでも

青魚好きだから

なおのさら嬉しいわ!

から

私がよく行く焼き鳥屋さんの串盛り合わせも

ぜひ気まぐれシステムを取り入れた

何の串が出てくるか分からない焼き鳥5串でも全然いいのよ。

今日はこの串できたかー!とかって

なんだか知ったかぶりなこと言いたいじゃない。

いつも決まって、

ハツ、ツクネ、ネギマ、モモナンコツの盛り合わせ5串のお皿だと

もう予想つくじゃない。

まあ手札が悪かったってことで

ツクネ5串でも私は構わないんだけどね。

あんまり世の中の世間の人はこのようにバックギャモン戦略な要素は嫌いみたいね

狙って頼むアラカルトが人気だもん。

私の方がもしかしたらマイノリティーなのかも知れないし、

そこはアイデンティティーを出していきたいとも思うし、

そこに自分知的さのユニーク且つオリジナリティーを溢れさせたいと思うわ。

本当はもっと言うと

ミックスフライ定食

もっとランダム要素があってもいいし、

2種類ぐらいじゃなくて、

最低でも3種類のフライがお皿に乗ってやって来る方がミックスフライ定食!って

ミックス感出るじゃない!

もっと世の中にはそう!

気まぐれとミックス必要なのよ。

そうは思わない?

うふふ。


今日朝ご飯

フィッシュフライサンドよ。

フィッシュフライサンドブーム中ってことね。

もっと世の中は白身魚フライ見直してもいいかもしれない。

何の魚かよく分かってなくて食べといてなんなんだけど。

まあ美味しかったらいいわ。

デトックスウォーター

まだちょっと高いけど、

いよいよイチゴの季節シーズン到来!

せいぜい私もイチゴウォーラーと行きたいところよ!

運良く1パック最後の割引苺パックがあったので、

50%の割引シールの上から自作の75%の割引シールを重ねて貼って

みごと75%オフになったのはここだけの話内緒にしておいてね。

あーイチゴウォーラー美味しかった!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2021-02-23

anond:20210223103151

何かの略語かと思って真面目に読んでいたらロウソクで吹いた

2021-02-14

えちえちマッチ売りのドスケベ少女

 Once upon a dosukebe time…、感度3000倍の媚薬が溶け込んだ雪、ご存知感度3000倍媚薬雪の降りしきる淫靡まりないエロスカオスリビドー渦巻くセックス大みそかの淫晩(みだらナイト)。

 みすぼらしい卑猥破廉恥な服を着たいやらしいクソスケベなえちえちマッチ売りのドスケベ少女が、エロ寒さと全自動アクメローターの快感にアクメふるえながら一生懸命通るスケベ人にえっちによびかけていました。

「えちえちマッチは、いかが。えちえちマッチは、いかがですか。誰か、えちえちマッチを買ってください」

 でも、誰も立ち止まってくれません。みんなチンポも乳首クリトリスもバッキバキに勃起(た)ってアクメするのに精一杯でした。性的な精液もそこら辺にいっぱいエロ散らばってエロます

「お願い、一セックス本でもいいんです。誰か、えちえちマッチを買ってください」

 今日はまだ、一セックス本もエロ売れていません。

 エロ場所エロ変えようと、ドスケベ少女セクシーに歩きはじめた時です。

 目の前を一セックス台の淫乱助平馬車(いんらんすけべばしゃ)が、走りぬけました。

 アクメ(あぶない)!

 ドスケベ少女はあわててよけようとして感度3000倍媚薬雪の上に卑猥に転んでしまい、そのはずみにアクメするツボを常に押すくつ、その名もアクメツボ押しくつを飛ばししまいました。

 数多の剛毛フェチをアクメさせてきたまん毛ボーボーお母さんのお古のアクメつぼ押しくつでドスケベ少女の足とおまんこには大きすぎましたが、ドスケベ少女の持っているたった一セックスつのアクメツボ押しくつなのです。いつもオナニーの共にしていた大切なアクメツボ押しくつです。

 ドスケベ少女はあちらこちら探しましたが、どうしても視姦(み)つかりません。

 しかたなく、はだしのままでオナニーしながら歩き出しました。

 冷たい感度3000倍媚薬雪の上を行くうちに、ドスケベ少女のチンポをしごく為に生えたとしか思えないエロい足はぶどう色に変わっていきました。それどころか既に足からバイオ玩具になりかけていました。

 しばらく行くと、どこからか感度3000倍の媚薬が溶け込んだ肉、その名も感度3000倍媚薬肉を焼くえっちなにおいがしてきました。どうかいでもセックスなにおいでした。

「ああ、いいにおい。・・・お腹がすいたなあー」

 でもドスケベ少女は、アクメ帰ろうとしません。

 えちえちマッチが一セックス本も売れないまま家に帰っても、ガキのクリトリスよりも小さい豆粒チンポのクセに態度だけはガキのチンポくらいデカい汚父さんはけっして家に入れてくれません。

 それどころか、

「この、役立たずめ!ケツマンコイグッ♡」

と、ひどく発情した雌犬のようにぶたれるのです。汚父さんはNTRケツ穴オナニー以外の楽しみを失い心が汚れてしまったのです。

 ドスケベ少女エロ寒さをさけるために、ラブ家とラブ家との間に入ってしゃがみこみました。

 それでも、ドスケベじんドスケベじんとエロこごえそうです。

「そうだわ、えちえちマッチをすってアクメ暖まろう」

 そう言って、一セックス本のえちえちマッチ卑猥な壁にすりつけました。

 ドシュケベッ。

 えちえちマッチエロ火は、とてもエロ暖かでした。周囲にハイパー強制発情ガスPetite(ぷち)が漏れて、耐性のないスケベ人はアクメ狂って結果的にデスアクメです。

 ドスケベ少女はいつの間にか、サル交尾のように勢いよく燃えるアクメストーブの前にすわっているような気がしました。

「なんて、エロ暖かいんだろう。・・・ああ、いい気持ちイグッ♡」

 ドスケベ少女がアクメストーブに手をのばそうとしたとたん、えちえちマッチエロ火は消えて、アクメストーブもかき消すようになくなってしまいました。

 ドスケベ少女はまた、えちえちマッチをすってみました。

 あたりは、ドスケベぱあーっとエロ明るくなり、強制的にデスアクメさせる光線、その名も強制デスアクメ光線がドエロいド壁をドてらす即ちドエロい感じになると、まるでセックスしないと出られない部屋の中にいるようなエロ気持ちになりました。近くを通ったスケベ人もドスケベンドスケベンと素直にデスアクメしていきます

 セックスしないと出られない部屋の中の全裸美少年で出来たスケベ人間テーブルには、媚薬がとっぷし塗られたエロいごちそうがもうエロを超えて淫乱しか言えない感じで並んでいます

 エロ不思議な事にアクメ湯気をたてたオナホガチョウの丸焼きが、ドスケベ少女の方へセクシーに近づいてアクメ来るのです。

「うわっ、エッロおいしそう」

 その時、ドすうケベっとえちえちマッチエロ火が消え、エロいごちそうもセックスしないと出られない部屋も、あっという間になくアクメなってしまいました。

 ドスケベ少女がっかりして、もう一セックス度えちえちマッチをすりました。ドシュケベッ。

 すると、どうでしょう

 エロ過ぎてもはやエロな光の中に、大きないちもつで出来たクリスマスツリーエロく浮かびあがっていました。

 枝チンポには数え切れないくらい、たくさんのロウソクチンポが輝いています

 思わずドスケベ少女が近づくと、ツリーエロふわっとなくなってしまいました。

 また、えちえちマッチエロ火が消えたのです。

 けれどもロウソクチンポのエロ光は消えずに、ゆっくり空高くのぼっていきました。

 そしてそれが次々に、エロ星になったのです。

 やがてそのエロ星の一セックスつが、長いエロ光のえっちな尾を引いて卑猥に落ちてきました。

「あっ、今、誰かがアクメ死んだんだわ」

 ドスケベ少女は、アクメ死んだセクシーおばあさんのいやらしい言葉を脳姦(おぼ)えていました。

『アクメ星が一セックスつ落ちる時、一セックスつのスケベたましいが変態で助平、宇宙で一セックス卑猥な神さま、その名も変態助平宇宙セックス卑猥神さまのところへアクメのぼっていくんだよ』

 ドスケベ少女は、やさしかったセクシーおばあさんの事を脳姦(おも)い出しました。

「ああ、セクシーおばあさんに会いたいなー」

 ドスケベ少女はまた、マッチをすりました。

 ドスケベぱあーっとあたりがエロ明るくなり、そのエロ光の中で大好きなセクシーおばあさんがセクシー過ぎてもはや猥褻にほほえんでいました。

セクシーおばあさん、わたしも連れてって。エロ火が消えるといなくなるなんて、いやよ。・・・わたし、どこにも行くところがないの」

 ドスケベ少女はそう言いながら、残っているえちえちマッチを一セックス本、また一セックス本と、どすけべんどすけべん燃やし続けました。街にはハイパー強制発情ガスSAIKYOUが溢れて住人は一セックス人残らず素直にデスアクメし、たくさんのアクメ星が感度3000倍媚薬雨のように降り注ぎました。

 セクシーおばあさんは、そっとやさしくドスケベ少女を抱きあげてくれました。

「わあーっ、セクシーおばあさんのえっちな体は、とってもえっち暖かい

 やがて二セックス人はエロ光に包まれて、空高くのぼっていきました。

 新年のえちえちな朝、ドスケベ少女はほほえみながらアクメ死んでいました。

 集まったかつて町の人々だったデスアクメゾンビ達は、

「おほぉおおおおおぉっ♡」

と、言い、次々にドスケベ少女発情死体でシコりました。

 ドスケベ少女がえちえちマッチの火でセクシーおばあさんに会い、変態天国へアクメのぼった事など、誰もエロ知りませんでした。

エロおしまい

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初恋相手を失った震災さよならという言葉

はてな匿名ダイアリーというもの存在自体は割と昔から知っていたが、

時たま読むことはあれど書き手としては縁がないものだと思っていた。

ふと急に、今日一日考え事をしていてどうしてもどこかに書いておきたくなった。誰かに話したいのかも知れない。

文章を書くことは苦手で、ここ特有ルール(そんなものがあるのかすら知らないけど)もわからないので、

色々と不備があるかも知れないけれど、おぼろげな記憶をたどりながら思いのままに書いてみようと思う。

30年前、私は子供だった。

近所に1つ下の幼馴染が住んでいて、その家には正月や盆など毎年数回ずつ兵庫から九州へ親戚が里帰りに来ていた。

母親とその子どもたち3人。長男(以下、A太)と妹2人(B子、C美)という構成だ。

シングルマザーだったのかな。幼かったのでそこの記憶がない。

A太は私よりいくつか年上で、B子は1つ下、C美はさらに2つ下だったと思う。

歳が近いこともあり、こちらへ帰省してくる度によく一緒に遊んでいて、幼馴染も含めて全員とても仲がよかった。

こちらにいる間、その3人は知り合いが私たちしかいないのもあってとにかく同じ時間をともに過ごした。

鬼ごっこをしたり、缶蹴りやドロケイをしたり、おしゃべりをしたり、

とにかく何をしても楽しくて今思い返してみても幸せ時間だった。

数年間、そうやって過ごしていくうちにB子を好きになっていった。

しかしたら年に数回しか会えない環境がそうさせたのかも知れない。

愛だ恋だなんてわかる歳ではなかったが、今振り返ればあれが私の初恋だった。

26年前の正月、いつものように帰省してきた3人と遊んでいるうちに、原因は思い出せないがA太と喧嘩になった。

喧嘩と言っても「お前の母ちゃんでべそ」的な稚拙な言い合いだったが、

A太の味方をしはじめたB子とC美にも矛先を向けた。

よく一緒に遊んでいた公園での出来事だった。

初めは稚拙な言い合いだった喧嘩が段々とエスカレート言葉も荒くなっていった。

何を言ったのかほとんど覚えていないが、別れ際に吐き捨てるように

「○ねばいい」「お前ら○んだらみんな地獄行き」と言ったのだけははっきりと覚えている。

その後会うこともなく数日後、B子たちは兵庫へ帰っていった。

1995年1月17日、その日は私の親類の葬儀で前の日から福岡にいた。

こちらだけの風習なのか知らないけれど、私の親を含む大人たちは交替でロウソクの番をしていたり朝食の準備をしていたらしい。

私はぐっすりと眠っていたが、その大人たちの声で目が覚めた。

ぼんやりしか覚えていないが「揺れた」というワードが聞こえたことは覚えている。そのまままたすぐ眠りに落ちたけれど。

朝になってテレビを見て映し出される光景愕然とした。B子たちが住む街だった。

あの当時、今となっては考えられないことだけど死亡者名前の羅列がテレビで流されていた。

それももしかしたら記憶いかも知れない。(あるいは新聞?誰かによって何らかの方法でもたらされた情報?わからない)

だけどその羅列の中にB子たち3人とその母親名前を見つけて震えた記憶がある。どうやら祖母の名もあったらしいが私は知らない。

要するに世帯全員だめだったということだ。

当時死というものへの認識は既に持っていたが、その時は混乱していたのかうまく理解ができなかった。

何もわからずただただとんでもないことが起きたことだけは、自分の体が震えたことで理解できた。

痛かっただろうな、怖かっただろうな、苦しかっただろうな。まず浮かんできたのはそういうものだった。

「大切な人をなくした」とか「愛するあの子をうしなった」とかそういう感情ではなかったが、

ただもう会えないことと最後に言ったあの言葉けが月日を追うごとに重くなっていった。

最後に会ったとき最後に言った言葉、やり直せない時間に悔いても悔やみきれない。

子供ながらに言ったこととは言え、なんてひどいことを言ったのだろうと。

あんなに仲良く遊んでいたのに、どうしてよりによってあれが最後なのだと怒りすら沸いた。

あの震災で起きた出来事で、トラウマというほどでもないが、人との別れ際がすごく怖くなった。

大切な人ならなおさら、そうでない人相手にも「さよなら」という言葉がどうしても言えない。

どれだけ喧嘩しても必ず別れ際には仲直りをしたい。仲直りができないままには電話も切ることができない。

さよなら」という言葉の代わりに必ず「またね」というようになった。

私が高校生ぐらいになった頃から毎年1月17日に、よく一緒に遊んだあの公園へに花をそえに行っている。

本当はお墓に行くべきなのだけれど、さすがに兵庫まで行くわけにもいかないのと、行ったところであてもないので場所がわからない。

その場所に老人向けのグループホームが立ってからも、施設の人に事情説明してお参りを続けていた。

日流れて数年前の1月、私が生まれる前から散り散りになっていたという私の父のいとこが興信所やら何やらの調査を経て愛知から訪ねてきた。

数十年ぶりの再会とのことだ。長い長い思い出話の後にお墓参りがしたいということで、近くのお寺の納骨堂へ一緒に行くことになった。

納骨堂へ着いて一通りお参りしたあと、何気なしに周りの仏壇に目をやって驚いた。

目の前の仏壇B子たちの名前戒名が書かれた札が下がっていたのだ。

法事が近くなった頃に「もうすぐ法事ですよ」ということでお札を貼られるお寺だった)

その納骨堂へは毎年お盆しか来ていなかったからそれまでの約20年間気づけなかった。(ご先祖さまごめんなさい)

たまたま父のいとこが私たちを探そうとしてくれたから。

たまたま調査がうまくいって私たちを見つけ出してくれたから。

それがたまたま1月だったから。

色んなことが重なり合わさって知ることができた事実だった。

まさか私の先祖と同じフロアに眠っているとは考えつきもしなかった。

こんなに近くにいたとは。毎年目の前を素通りしていたなんて。

それからは毎年1月にその納骨堂へお参りに行っている。(もちろんご先祖さまにも手を合わせている)

今日も花を添えてきた。お参りが済んだ別れ際に言うのはもちろん「またね」

まさかこうやって会うことができるようになるなんて、と今でも不思議に思うし、直接祈りを捧げられることに

誰へかはわからないが、何へかはわからないが、色んなことにとても感謝している。

人との別れ際、トラウマとしてじゃなく、これからもやっぱり大事にしていきたいと思う。

おわり。

長くなってごめんなさい。改行やら体裁の整え方もわからずごめんなさい。

そしてやっぱりどうしても冷静に書けず支離滅裂になってしまう。ごめんなさい。

2021-01-04

正月で70万くらい勝った

正月中ずっと海外暗号通貨取引所に張り付いて、信用取引してた

0.2BTC(70万くらい)勝ちました

手取り月給の2.5倍を2-3日で稼ぐの、本当に資本主義狂ってる感じしてて笑える

そりゃ0.4BTC(150万)くらいを元手にレバレッジかけて取引したので、相応のリスクは負ったけどさ

あと四六時中チャートにらめっこしてて相場が気になって気になってろくに眠れないし、夢の中までロウソク足ばっかり見てて、超疲れた

もうしばらくはやらん!

2021-01-01

100分de名著の既刊を読破して一年経ったけどやっぱり人生変わった気が

あけましておめでとうございます

去年

https://anond.hatelabo.jp/20200101232410

を書いた増田です。

去年は散々な一年でしたね。

私も、去年は個人的にも色々と散々な年だったんですが、そんな中でも「年始には半分釣りタイトルつけたけど、ほんとに人生変わったかも」と思うところがありました。

まぁ正確には、変わってきたかも、、、?ですが。

どう変わったか

以下つらつらと書いていますが、まとめると

読書精神安定剤になった」

100分で名著とは別のジャンルで、去年実感した「知識がつながって読めるようになる」が再現できた」

世界を広げる読書ができた」

それでいて、

本業向けの読書もできた」ですね。

それによって、去年一年で少し世界が広がったと思いますし、それでいつつ、本業必要知識の深化も出来たと思っています

これが何故出来たかと言うと、一昨年本業関係ない本を100冊読むという行為をしたメタ効果じゃないかな、と思うわけです。

以下詳細。

読書精神安定剤になった

いきなり自分語りスイマセン。

去年もちらっと書きましたが、私は趣味の一つとして持久系スポーツをやっています

レベルとしては社会人アマチュアでは上位1-2%くらいには入っていましたので、まぁまぁ本気の趣味です。でした。

が、一昨年(2019)の末に足をボキッとやりまして、都合4ヶ月ぐらい走れませんでした。

長い時間をかけて鍛えてきたものが為す術なく失われるのを見ているだけという喪失感は中々きつくて、だいぶメンタルやられました。

の上、御存知の通りコロナで夏以降の大会も全て中止、日常復帰後の練習モチベーションも上がらず正直一年で別人レベルまで体力落ちたと思います

健全な肉体に健全な魂が宿る、あれは「だったらいいな」という話らしいですが、少なくとも肉体が「健全でなくなるカーブ」を描いているときには魂も降下カーブを描きますね。

振り返るとマジで生活全般にやる気の出ずやっとメンタルが上向いてきたのが晩秋ごろ、という一年でしたが、唯一分量を維持ないし増加させられた生産アクション読書でした。

なんせベッドから一歩も動かずにやれますから

結構これに精神的に救われていた部分もあると思います(クソみたいな1日だったが一応本は読めた。。。と言う感じ)。

春頃はもう死にたいとか思った瞬間もあった気がしますが、今は寝たきりになっても少なくとも本は読めるな、という心持ちでいます

気持ちがどんだけ落ち込んでいても、ベッドの中でできる生産活動がある安心感があるという感じです。

100分で名著とは別のジャンルで、去年実感した「知識がつながって読めるようになる」が再現できた

100分で名著解説本で掴んだペースを維持したかったのもあり、読書方向性を広げる方向として去年はNHK出版テキストを中心に選びました。

本の物理サイズ、厚さ、章毎の分量等々が似ていたからです。(これは今まで読んでいた場所時間、等々がそのまま続けられるということです。)

あと、NHKが好む文化人というのは大体決まっているので、百分で名著シリーズで知っている人が著者だったりして安心感あります

結果読んだ数(下記しますが、28冊)が物語っていますが、良かったです。

NHK番組内容とか受信料であれやこれや言われることもありますが、教育系のコンテンツは極めて良質だと思います

前置きが長くなりましたが、特に読んでよかったのが宗教時間シリーズです。

最初の7-8冊程度は、これは求めているレベルを超えている、九分九厘内容忘れるなと思いながら読んでいましたが、

これも何冊か読んでいうちに「知識がつながって」読めるようになってきました。

一昨年100分で名著で感じていたのと同じ現象です。

この年になっても、何かを身につける、学ぶことができる。それは読書による独学だけでもある程度可能である、ということは個人的に心強いメタ経験になっています

逆に言うと最初の数冊はほぼわからないままなので、数年後また一気に読み返したいですね。

世界を広げる読書ができた

去年は、自発的にはまず読まないであろう本も、読んでみたいと思っていました。

そのための方法として、友人におすすめの本を聞くという方法を取りました。

また、一週間以内くらいには実際に読んで感想を伝えて内容についてやりとりするというマイルール作りました

これによって狙い通り、新しい関心フックが幾つか作れましたが、想定外効果としてある程度親しくなった人とさら距離を縮める手段としてかなり有効だったように思います

一昨年以前の私だったら、それが有効だと知っていても負荷が大きかったでしょうが今なら別に無理せずやれる、むしろ楽しい、というところがポイントです。

もともとコミュ障もので、これはありがたいですね。

今のところ猛烈につまらないものを紹介してきた人がいないのもありますが。。

本業向けの読書ができた

かについて知りたいと考えた時、ネット検索するという初動は変わりませんが、さらに知りたいことがあるor体系化したいor記憶への定着率を挙げたい時、本を読むというアクション自然に追加されました。

これは、仕事の本を読んだ数が増えたことに直結しています

また、読書をするにあたって、ちょっとした障害になっていた事が怖くなくりました。例えば下記のように。

・中断:面白そうな本を見つけたらそっちを読み出してしまう。中断してもまた一週間もしたら読めるのだから。もし中身忘れていたら都度振り返ればいいのだから。とシンプルに考えられるようになりました。自由です。

積読:いま読めなくても恐れることはない、そのうち読めると素直に考えられるようになりました。流石にそろそろ消化に一年ぐらいは掛かりそうなくらい本が積まれていますが、現在のところ三年後の自分を信じられます

読書履歴読書キュー汚染:穏やかでない単語を使いました。これは要するに「話題になっているけど、こんな俗っぽい本を読む時間を~もっと重要な本が~」とか考えなくなったということです。気になったら読みます

これらって結局全部やらない言い訳だと思うんですが、単純に読書に対する心理的ハードルを下げて読書量で解決するというパワープレイ(一昨年の私比)が可能になりました。

一昨年解説本を100冊読んだのは運動部一年生がやるような練習のための練習だと書きましたが、あれはそんなに外してないなと今でも思います

昨年読んだ本

自分で振り返るためにカウントしてみました。

百分で名著シリーズ12冊(2021年1月分の「資本論」も、もう読みました)

百分で名著読書学校:4冊

NHK学びのきほん:10

NHK宗教時間:14冊

NHKこころ時代:4冊

百分で名著の原著12

角川ビギナーズクラシックスシリーズ:7冊

その他趣味の本、流行の本など:8冊

仕事の本:17

で、個人的に出色なのは教養系の読書たっぷりできたことより、仕事の本がたくさん読めたことです。

去年までは年間7-8冊ほど読んでるかな?という感じでした。

ところが、今年は読書に占める仕事本の割合は減ったにも関わらず、倍以上読めました。

本を読むという行為自体スムースになったと言うか、「仕事の本は(趣味教養の本より)重要である」という心の中の序列がどうでも良くなり、いつかは読めるのだから、になった効果だと思います

まさに去年読書筋を鍛えたメタ効果であるように思います

僭越ながら去年読んだ本からおすすめ

百分で名著:ディスタンクシオン

今年のラインナップも面白かったですが、特にこれ。

はてなあたりで使われがちな「文化資本」「分断」あたりの用語社会学的なバックボーンについて理解できました。

はてブ見てると「社会学者って、、、」と思うシーンも多いですが、必要学問だと捉えなおすいい機会になりました。

面白くない話として社会を伝えて分析するのが社会学、という分類はなるほどと思いました。

逆に言えば、美しい弱者、貧者のストーリーなんかばっかり見ている人は社会学者とは言えないのだなと。こういう人はてブあたりでよく見る気もしますが。。。

年末だったのもあり、久しぶりに放送の方も全て見たのですが、やっぱりできたら放送も見るべきですね。

解説本の著者の言いたいことが、スルスル入ってきます。それと、伊集院光さんやっぱすごいなと。ああいレスポンス返せる人間になりたい。

ディスタンクシオンは今年原典行ってみようかなと思います

学びのきほん:役に立つ古典

能楽師安田登氏解説古典説明本です。下記する「史記」でもそうですが、

漢字の成り立ちに纏わる深い知識(今ある漢字が成立した年代には開きがある)から独特な解釈をされています

これが真実なのかはわかりませんが非常に興味深く、この著者の著書をあたったり、この視点で更に歴史を追ってみたいなと思わせてくれる本でした。

百分で名著・読書学校史記

こちらも安田登氏が講師になっている解説本です。

良かったと思った理由上記と同様。

安田登氏の能舞台も見てみたいと思ったのですが、昨今の状況では難しいですよね、、、今年あたり何処かで見に行けるといいな。

宗教時間親鸞聖人から手紙

タイトルのとおり、経典歴史事件ではなく残っている手紙から親鸞聖人人物に迫ろうという趣旨の本です。

上記したとおり「何冊か読んだ効果」が大きいのでしょうが、これ読んで、はじめて浄土真宗わかった気分になりました。

ちなみにうちは曹洞宗なんですが、曹洞宗はいまのところわかったと思う瞬間がないです、、、

宗教時間観無量寿経をひらく

観無量寿経ベースに、浄土系の教えが中国日本で花開いていった過程を追った本です。

私が読んだ中では最も単独理解やすく、去年おすすめした「集中講義大乗仏教」と合わせて読むとより日本仏教の流れが理解できるかなと思いました。

宗教時間は多くが前後編の2冊構成なのですが、1冊構成なのも読み返しやすくて良いです。

著者の釈徹宗さんには、もっといろんなお経の解説書を書いて欲しい、、、!!

ソロモン指輪

原典シリーズです。

大人向けのシートン動物記と行った風情の、動物観察学の本。

単純に、日々の話題元ネタとして興味深くまた著者が「面白い人」であると感じてとても読みやすかった。

独立した章立てで分割した読書もしやすく、何方にもおすすめできる本だと思います

ロウソク科学

原典シリーズです。

子供向けに実施された19世紀科学講義書籍化したもので、科学レクチャーの傑作と言われているそうです。

当時はプロジェクター等も無いため図があまりなく、正直、本として読んだだけでは当時の雰囲気を十分に味わうことは出来ないかと思ったのですが、

ファラデーという当代最高の学者がが全力をもって子供たちに科学の楽しさを伝えようとしていることはとても良くわかりました。

去年は西欧文明というか西欧社会限界的なものが色々見えた年かなとも思うのですが、ソロモン指輪もそうですが、こういった本を著した方々が繋いできたものはやっぱり尊いなと思います

苦海浄土

原典シリーズです。

100分で名著の解説本を読んでから絶対に読もうと思っていた原典の一つ。

下記の、薩摩焼窯元めぐりと合わせて水俣に行く前に読みました。

内容については私が今更感想をいうのもあれなんですが、「読む前と後で違う自分になっているような気がする」読書体験ができる数少ない本の一冊と思います

あとがきにある通り、書かれていることは読んだ印象より遥かに創作比率が高い、ということを差っ引いてもこれは日本人全員が読んだほうがいいんじゃないかと。

故郷忘れじがたく候

原典ではないですが、番組の中で言及があった気がします。

恥ずかしながら初・司馬遼太郎でした。焼き物が好きで窯元めぐり趣味もので、薩摩焼の里をめぐる前にと思って読んだんですが、面白かったです。

声に出して読みたい日本語というか、何でしょう、文章うまいと言うより文章の響きが格好いいというか、流石昭和の大作家ですね。一気に好きな作家リストに載りました。

今、ちょっと重めのものもと思って坂の上の雲ちょっとずつ読んでいます

タイトルの付け方も最高にうまいですよね、、頭にのこるというか。


おわりに

今年は年始から割と大きな人生イベントが幾つかあります

年齢的にも5で割り切れる年となり、色々節目です。気合い入れていこうと思います

去年は私だけでなく、世界が停滞してしまった感じですが、今年は良い年になりますように。

2020-12-08

砂漠に立った謎の三角柱の正体

俺の誕生日を祝うロウソクの一本だったことが判明

2020-12-04

アマゾンセールで買ったAnkerPD充電器が届いて説明書ちらっと見てたら

「本製品の上に火のついたロウソクなどを置かないでください」って書いてあった

そんなやついるのかよ

なんなんだよ

2020-10-02

anond:20201002115045

ネット孤独感は消えるよ

自分エントリーブクマついたら凄く嬉しい

ホッテントリ入りしたときとかは近所のケーキ屋でケーキ買ってブクマの数だけロウソク立ててお祝いしてるよ

2020-09-29

anond:20200929165818

なんとか、自称お手伝いとか、自称恩返しとか

こっちは やらないでほしいから、やってないことを

なんとかして、やろうとするひと

それをやられると、いままでの準備が台無し

から邪魔したいんだろうなぁという

 

誕生日ケーキロウソク

主賓じゃないのに

吹き消して つければいいじゃん、もう1回という

冗談から というひとは 俺の知り合いにもいた

 

俺の誕生日は祝わなくていい、問題成るだろうから

誕生会は2度としないとなった事件

2020-09-06

微妙な憧れに終わりそうなもの

登山

 登山興味あるんだよなあ……

 神々の山嶺とかデイリーポータル登山記事とか読んで、ぼんやり憧れる状況が続いてる

 たぶん富士登山とかやったら相当満足するだろうとは思うんだけど、遠い・体力ない・時間ない・そこまで熱意ないの四重苦で一生行くことはなさそう

 ビバークとかが必要なほどガチ登山は流石にやりたいとすら思わないけど、山小屋でひと休みみたいなのには憧れるんだよな 山に行かずに山小屋でひと休みできんかな…

ウユニ塩湖

 有名だし、いっぺんくらい行ってみたい!

 最初知ったとき結構「知る人ぞ知る秘境」みたいな感じで紹介されてた記憶があるんだけど、いまやスッカリ有名になってしまった…っていうのがそもそも認識違いでかつてより有名だった気もするな

 でも遠いしな…第二外国語スペイン語だしボリビアにも興味はあるんだけど富士ですら遠いのに南米は遠すぎる 一生行かぬであろう

ビーチの桟橋

 ハワイかにあるリゾートビーチ、海にせり出した木製の桟橋があるイメージがあって、アレに憧れてる

 べつにそこで何をしたいってわけでもないんだが、歩いたり見たりしたい

 でもこれもなかなか厳しそうだなあ 沖縄くらい行けばもしかしてあるのか?でも桟橋見るためだけに桟橋のある場所を探して行くほどの気力はないんだよな 偶然行ったビーチにあれば見られるかもしれない 分の悪い賭け

テキーラ

 マトモに飲んだことないから飲んでみたい

 でも基本的に酒飲めないんだよな テキーラなんて飲んだら絶対翌日寝込むし…と思うと弱い酒しか頼めない 

 かといって自分ボトルを買うほどの興味も勇気もない うまいのかなテキーラ うまいかいう感じのものでもないのか?

さわやかのハンバーグ

 うまそう!食いたい!と思う一方で「所詮チェーン店だし県外からわざわざ来て並んで食うようなもんじゃない」という県民の声に深く納得させられもしてしま

 正直食いたいんだけど、たぶん静岡に行っても「わざわざ食うものじゃ…」ってのが頭の中をリフレインしてスルーしてしまうんじゃなかろうか 行列ができてたら自意識的に1発アウトだな 静岡に行ったときさわやかに行列ができてませんように!

ケヅメリクガメ

 ガキのころ爬虫類が好きでかなり憧れてた

 でもバカデカくなるって話だし絶対飼えないんだよな まあそれはい

 問題はたぶん触れることすらなく俺は死ぬということ 動物園にふれあいコーナーとかあってもガキばっかだから遠慮してしまうし、そもそも動物園じたい全然行かないし…

 その辺にケヅメリクガメ散歩させてるオッサンかいねえかなあ 話しかけるのも迷惑かなあ

BBQ

 大学時代サークル合宿で何回かやったんだけど俺的にはあれはBBQじゃなかったんだよな

 後輩に肉焼かせてばっかじゃ悪い!しかし俺ばっか焼いてると逆に気を遣わせる!みたいなのをずっと気にしないといけないのが嫌だった

 2ちゃんバーベキューコピペみたいなノリで、大量に肉焼いて好きなだけ食いてえよ

 でも仲間がいない これはまあ一人でやりゃいいといえばいいんだが、場所がない これもまあどっか借りればいいのかもしれんが、虚しすぎる ひとりでバーベキュー場借りてひとりで焼いてひとりで食ってひとりで片付けしてひとりで帰ってたらどっかのタイミングで泣き出しちゃいそうなんだよな 俺ってこんなに弱かったのか

夕陽に向かって叫ぶ

 まず海が遠いんだよな 最寄り大阪湾だし、なんなショボい湾に何を叫ぶねん、という気持ちはある

 できたら広さ的に太平洋がいいんだけど、太平洋って東にあるから陽が沈まなそう 

 まあその辺の好みは置いといても、夕方に海に行く・人目を気にせず叫ぶ の2点を達成するのは俺には無理な気がする

 バカヤローッ!とか言いてえなあ

東京タワー誕生日ケーキロウソクの同期

 夜景の見えるレストラン彼女ロウソクを吹き消すと同時に東京タワーライトもOFF!みたいなのやりたい

 真面目にやりたいというよりは、絶対まり面白さに笑い転げてしまうだろうからやりたい

 彼女じゃなくて俺が吹き消すんでもいい 

 なんならレストランじゃなくていいし、ケーキじゃなくてもいい ロウソクだけあればいい

 東京都内公園にでも出かけて、タイミング見計らってやればいいのかな キモ

デカジュースを2人で飲む

 ハート型のストローが二本刺さったデカジュースを、机を挟んだ2人で飲むやつやりたい

 家でならやったけど彼女にヘンな顔されただけだった カフェとかでやりたい

 でも普通に恥ずかしいしそもそもそういうノリのカフェいかから一生無理っぽい 彼女からの反発も予想される

2020-08-15

飼っていた犬が死んだ私が、やろうと思ったこ

タイトル通りだ。

飼っていた犬が死んだ。

 

おっとりして、抱っこされるのが好きな犬だった。

事故ではなく、ずっと患っていた病気じわじわと進行して、亡くなった。

いつかはくると分かっていたつもりだったが、突然過ぎて、『あぁ、こんなにあっさりなのか』と思った。

少し落ち着いたら、彼女最期も書き起こすかもしれない。

 

今日書いておきたいのは、突然、飼い犬を亡くして直後からのやったことと、やる予定のことについてだ。

死んでる描写があるので、悲しくなってしまう人は読まないでほしい。

ももしかしたら、誰かの役に立つかもしれないので書き残しておく。

 

まず、恐らく彼女は、動物病院に向かう私の車の中で息を引き取った。

ようやく到着して診察台に寝かされたときには、脈も血圧も触れなかったと、先生が言っていた。挿管しても、心臓マッサージをしても、意識は戻ってこないだろうと言われた。

しかし、このタイミング病院に着いたのは、まだ幸いだった。

かい彼女と別れを惜しんで、先生に「お見送りの準備」をしてもらった。

まだ体が固まらないうちだったので、体を拭いて、ドライヤーブラッシングエンバーミング的なことをして、スムーズに棺に収めてもらえた。

火葬まで、保冷剤(できればドライアイス)で冷やしておくことを指示されて、帰宅

 

次に、去年猫を亡くした友人に、ことの次第を話し、利用した民間ペット葬儀業者を教えてもらった。

ネットで調べると、市の動物愛護センター(こういうのは決まって郊外の山の中とかにある)しか出てこなかったので、近いところが見つかって助かった。

すぐに業者に連絡、次の日を提案されたが、「まだ心の整理がつかないので」と、2日後を予約する。この判断は正しかった。言われるがままになってはいけない。

 

そしてその夜、家族電子申請で犬の死亡届を出した。

はいいのだが、犬の場合登録があるのでここを怠ると来年狂犬病予防接種案内が来てしまう。

とりあえず、手続き的なものはここまででいい。墓はまだ考えていない。いいところを見つけるまで、家に置いておくつもりだ。

 

私には、火葬までに取り急ぎやりたいことがあった。

元々、犬の足型を取りたいと思ってネットショッピングを見たりしていたのだ。

しかし、明後日には火葬ネットでは間に合わないかもしれない。

 

そこで次の日、西○屋と、ア○チャンホン○に行った。

予想通り、生まれときの手型·足型をとるフォトフレームセットが売っている!ビンゴ

家に帰って早速、保冷剤でひえひえ、ガチガチに死後硬直の犬を夫に持ち上げてもらい、四苦八苦しながら粘土に足型をとった。(肉球以上に、爪がめっちゃ刺さって、なんか思ってたんと違うのできた)

余談だが、私は彼女の鼻が大好きだったので「鼻型も取りたい」と主張し、試しにやってもみたのだが、出来栄え微妙な上に、夫から「さすがにそれはどうかと思う…(鼻に粘土押し付けるのが)なんかかわいそう…」と言われたので、足だけでガマンすることにした。

ちなみに、死後硬直は思っていた以上にカッチカチだったので、犬の足型は生きていて元気なうちに取ることをおすすめしたい。

 

また、活発さに欠けたうちの犬特に持っていきたいほどのおもちゃもなさそうなので、犬の天国までのお弁当がてらのフードと、お花をたくさん入れてあげようと思う。

散歩に行くと、草むらで目を細めて、彼女はよく風を見ていた。鼻を上げて、まぶしそうに。

うん。花屋ひまわりがあるといい。きっと、彼女に似合うだろう。

 

あとは、来月のトリミングキャンセルがてら、お世話になった個人トリマーさんに手土産と、ひと袋未開封で残ってしまったペットシーツ差し上げに行こうと思う。

 

明日彼女荼毘に伏す(と、犬畜生でも表現していいものなのだろうか)。

きっと泣いてしまうが、仕方がない。

自分たちよりも命のロウソクが短い生き物と暮らすということは、そういうことなのだから責任を持って見送ってくる。

2020-06-27

国立新美術館の「古典×現代2020」に行ったんだけど、現代美術ってつまんねえなといまさら

菅木志雄

宣伝動画で「来る人は美術館に石ころがあると考えませんから」なんて言っているけど、感覚が半世紀くらい遅れてんじゃないのこの人。いまどき美術館に石ころがあった程度で、なんも思わんわな。それとも現代美術ファンは、美術館に石ころがあったらびっくりするの? そんなんだったら、徳川美術館で水石「夢の浮橋」見たら、腰抜かしてしまいそうだな。まして国立新美術館美術館ではなくて、美術館詐称する展示場なんだが。

川内倫子

いい写真だと思うよ。インスタで流れてきたら迷わずいいねを押すだろうね。その程度。

棚田康司

円空と並べて展示してつらくなかったのかな? 作品の持つ力の差が歴然と感じたが。まあ、本人やファンが満足ならいいけど。

鴻池朋子

皮緞帳は粗大ごみしか見えんかったというのは置いておくにしても、刀剣とのスケールの差が大きくて「組み合わせた壮大なインスタレーション」と感じ取るのは難しいな。現代美術ファンは器用だ。なお刀剣展示の照明ダメじゃね。刃文見える?

田根剛

中では唯一作品を展示していなかった。仏像展示の演出お仕事。動く照明と録音された声明だけのインスタントでチープな演出。本物の宗教儀式が、さまざまな工夫を凝らして神秘性を演出しようと努力しているのに比べれば、子供だましみたいなものだ。

しりあがり寿

おもしろパロディではある。こっちはツイッター映えか。アニメーションは途中までしか見てないから何とも言えない。

皆川明

印象うすい

横尾忠則

さすがに力のある作品で見応えがある。ただ、「針のない時計は〇〇(忘れた。時間の超越とかそんなんだった気がする)を意味します」みたいな作品解説を読んで、深いなあなんて思わなきゃならないとしたら、俺には現代美術は無理だ。

古典の方は見応えあるよ。念のため。

追記

古典×現代2020」について、古典側も含めて、もう少し詳しく書いてみる。

仙厓×菅木志雄

仙厓の作品は掛軸1つ。円相図といって単なる○が書かれている。○には悟りや真理、仏性宇宙全体などと宗教的歴史的にいろいろな含意があるようだ。添えられた賛がいい。「これくふて御茶まひれ(これ食ってお茶を召し上がれ)」。

洒脱だねえ。かっこいい。この作品初めて見たんだけど、賛を読んで、ふわっと心が軽くなるような感じがして、ああい作品を見たなあと。

それに比べて菅の作品。それっぽい思わせぶり以上の何かだとは思えないな。解説聞いたら納得や感動するの、これ?

花鳥画×川内倫子

川内写真は数が多くて辟易した。いちいちつきあってられんわというのが1番の感想。前回インスタ云々と書いたけど、でかく引き伸ばした写真とかもあり、それはそれででかい会場で展示する意味はあるのかもしれない。ただちゃん選抜してくれ。花鳥画の方は6幅なんだよ。

花鳥画の方で目を引いたのは、森蘭斎筆/梁田象水賛の牡丹図(神戸市博物館蔵)。背景に大きく描かれた太湖石は伝統的な描法。手前の牡丹西洋画の影響をうかがわせる陰影がついている。でありながらうまく調和していると思う。おもしろい。賛は読めんかった。誰か教えて。

円空×棚田康司

棚田作品には全然目が行かなかったんだよなあ。円空いいなと思ってただけだった。荒々しさというか生々しさというか、そういうのがいいよね。というわけで、棚田作については何も言えない。

いちおう言っておくと、もともと円空あんま好きじゃなかったし、今回で好きになったというわけでもない。それでも円空ばっか見てたのだ。

刀剣×鴻池朋子

mitimasu 冷たいドブをさらって原石を見つけるのが楽しくないなら向いてない/刀剣は手に取って角度を変え光の当て方を変え…という見方ができない以上、どこの展示もそんなもんだと思うけど?国立新が特にひどいのか知らんが

刀剣の展示は、1つ1つに小さなスポットライトが当たっていて、それを刃文のところに乗せるように見ると刃文が浮かび上がるようになっているのよ。そして横にスライドしながら刃文を見ていくと。刀剣博物館でも東博でもなんでも、刀剣展示ってのはそういうもの

今回の展示ではそのスポットライトがなかったはず。だから見えない。

ひょっとしたら俺が見落としていただけなのかもしれない。また、刃文の見えない展示もありだよねってことなのかもしれない。いずれにせよ、日本刀にそれほど興味ないからなんでもいいんだけど。

会場内で配られていた「アートのとびら×作品リスト」なるガイドブックに、別の機会での皮緞帳の展示の写真が載っていて、それで見るとこの作品なかなかよさげなんだよなあ。ライティングが異なる。あと中央にぶら下がって振り子のように揺れていた首がないのがいいのかな。

そのガイドブックには、「同じ部屋に展示されているのは、美術品としてケースに入れられている刀剣です。刀剣はかつては武器、または切る道具でもありました」とある。これ書いた人って、刀剣の展示を見て、自分の体が切られるようなぞくぞくする感覚を味わったことがないのか。もうちょっと古典作品としっかり向き合おうよって思う。

仏像×田根剛

前回子供だましだと書いたけど、ツイッターみると評価高いのよね。意外だ。

他の作家と違って、この人は作品制作せず、仏像の展示演出を手掛けている。演出手法は光と音で、具体的に言えば動き変化する照明と録音された声明だ。

立体物の屋内展示で照明が固定されているということに以前から不満がある。屋外ならば太陽位置で影の付き方が変わって見え方が違ってくるからね。たとえば上野国立西洋美術館に行く楽しみの1つが、今日ロダン地獄の門がどんな表情を見せてくれるのだろうかということだったりする。

から今回の田根の試みのうち、照明を変化させる、動かすという点自体評価したい。ただその変化のさせ方や動かし方については、もう少し考えがあってもよかったのかもしれないと感じた。

正面下方から照明を当てる瞬間があるけど、これはいい、というか正しい。お堂に安置された仏像は、下の方に置かれたロウソクの火に下から照らされる。だから仏師もそれで映えるように仏像を作っているはずだからしかし、仏像の周囲にいくつかのピンライトがあって、それが上下に等速度直線運動してるってのはどうなのって思った。

まあ、しかし照明の方はまだいい。音の演出の方はちょっとひどいのではないか。録音された声明スピーカーで流しているんだけど、音響についての工夫がまったくないのね。仏像向かって右手、部屋の奥の方にスピーカーがあってそこから流れているんだなってのがわかる。どこからともなく聞こえてきて展示室内を包み込むような感じに聞こえるとかそういうの全くないの。音響について完全になめてる。

さらに言うと、仏像の展示位置が低いと思う。立って見ると正対するほどの高さ。一般仏像は高い位置に据えて、仰ぎ見るもの。その下からの角度で見て映えるように造られているはず。この仏像の一番映える角度がどのあたりかは知らない。しかし今回正面から見て違和感を覚えたから、下からの方がいいと推測する。そういった点、たぶんこの人なにも考えてない。

北斎×しりあがり寿

出品しているのが大きく2種類で、うち1つがアニメーション。これは半分くらいしか見てない。なにも惹かれるところがなかった。

もう1つは、冨嶽三十六景のパロディちょっと可笑しなほぼ三十六景」で、いくつかの作品元ネタ北斎作と並べて展示していた。

北斎の冨嶽三十六景は三十六景といいつつ、追加があって全部で46図ある。一方パロディ版が全部でいくつあるのかしらないけれど、きっちり36ではないからなのか「ほぼ」とついている。三十六景といいつつ平気で10枚追加したあげく、三十六景のまますました顔をしているところの江戸っぽさ(前近代っぽさ)と、きっちりでないので気になって「ほぼ」とつけてしま現代っぽさの対比が興味深い。

それはさておき、このパロディけっこういいのだ。うまくて唸らせるし、おもしろくて笑わせる。

でもね、「和紙インクジェットプリンタ」なんだよ。実物見意味なんて全くないからね。前回「ツイッター映え」と書いたのはそういう意味も含んでいる。なんつーか、いろいろ退化してるね。

乾山×皆川明

ツイッターで見かけた感想なんだけど

伝統×現代アートという切り口から伝統的な作品の「もの」性を再発見していく展覧会だと思いました たとえば皆川明×尾形乾山の展示を見て、私は初めて乾山の器の「素材」を認識しました そうか、これは焼き物だったんだ!という新鮮な驚きがありました

ちょっとびっくりしたよね。乾山見て焼き物だとわからないような〇〇〇がありがたがってるのが現代美術ってことなのかな。

このコラボレーションは2種類に分けることができて、1つは独立ケースに乾山作が収められており、その上に大きく平たい円筒状の布(皆川作)がぶら下がっているというもの。6セットあった。これは両作を同時に視野に納めるのが難しく、あまりうまくいっていないように思えた。

もう1つは、小さな様々な端切れが継ぎ接ぎされた数メートルはあるかという布の上に、ところどころ乾山作の陶器陶片が置いてあるというもの。ごちゃごちゃしたものの上だと乾山は映えないなというのが感想だけど、皆川明、というかそのブランド「ミナ ペルホネン」は明らかに自分ターゲットではない(というかそもそも初めて聞いた)ので、これが素敵だという人がいるなら、その感想についてどうこう言うつもりはない。

乾山の作品では「色絵石垣文角皿」(京都国立博物館蔵)がお気に入りモダンな味わいがある。かわいくてすてきだ。

https://syuweb.kyohaku.go.jp/ibmuseum_public/index.php?app=shiryo&mode=detail&list_id=267439&data_id=20219

蕭白×横尾忠則

この展覧会に行った理由蕭白蕭白が4作出てたら行かざるを得ないよね。で、行ってみたら現代美術作品がつまらなくて、ひどい言い方だけど抱き合わせ商法にあったような気分になったわけ。

新出の游鯉図の眼がリアリティあって見事だった。群仙図屏風(東京藝術大学蔵)が、個人的蕭白と言えばこうのって作品で大好き。

宣伝動画のなかで横尾は、人間本質・魂の表現蕭白作品の中にこめられた重要メッセージで、現代人が見失ったものだみたいなことを言っているんだけど、これ賛同する人ってどれだけいるんだろ。まったくピンとこない。

そのほか

kei_ex 増田近代美術館のドイグ展とか行くとどう思うのか気になる(コンテンポラリーだけど、手法比較古典

行ったよ。特に第1部はすてきだなと思う絵が多かった。ただ基本的個展っていまいちよね。いろんな人の作品が見れた方が楽しいな。そのなかに数点ドイグがあったら、より魅力を感じたかもしれない。個人詩集よりアンソロジー読んだ方が楽しいし、好きな詩がより映えるよねみたいな感じ。個展だとその作家をどのように位置づければいいかもわかりづらいし。いまああいった絵を描きつつ評価されているというのは、いったいどういうことなんだろ。

yama_bousi 現代美術自分好きな人は、淺井裕介氏、高松和樹氏、蔡國強氏、ちょっと古いのではキースへリング藤城清治氏、あとドール世界とか凄いなあ、と思う。現代美術とは違うがぴろぴと氏は大好き。

おお、ありがとう積極的に見に行くことはしないだろうけど、いちおう名前は覚えとくわ。

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