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2016-11-21

ゼロ思考

竹やぶに小鳥が六匹きりもみ回転

悪事はカニの半分傾斜

マロングラッセ至上主義

明日は天気の溶解分

トカラ列島七変化

野中平蔵二十五歳独身無職タンザニア

悲しいデリバリーグランドメニュー

田舎三分小泉六分欠けた小ネタサンバを踊る

楽園にてレンブラントアンサー

2015-04-01

浮世絵の魅力を伝えられなくて辛い

浮世絵が海を渡ったとき、あれをみた西洋人の心境を想像する。

とんでもないもの出会ってしまったとしか言えない、凄い衝撃であったことは間違いない。

科学技術については日本西洋に劣っているが、アートについてはヨーロッパ日本が上だと言ったのは誰だったろう。

ヨーロッパ人が土人に敗北宣言するというのは凄いことだ。

ちょっと日本のほうが凄いっていう程度じゃない。

もう、周回差つけるくらいぶっちぎってたということだ。

絵とか興味なかった俺でもわかる。

北斎広重に比べたら、ダヴィンチフェルメールレンブラントもぜんぜん勝負にならない。

ブラックベリーiPhone5くらいの差がある。

そんな浮世絵が、茶碗の包み紙として新聞紙みたいな使われ方をしてたのだものヨーロッパ人は驚くわな。

版画だよ?木版画

英語でウッドカットプリントとか、ウッドブロックプリント

プリント、つまり印刷

それが、油絵をぶっちぎった。

自転車マン島TTに勝つくらいにとんでもない。

さて、それがさ、今でも復刻版が1〜2万で買える。

破格に安い。

わかりやすく例えると、川瀬巴水大正昭和作品を買うと100万する。

ところが、版木が残ってるので、本人の死後に最近摺ったものもある。

これは超安い。

2万くらい。

ぶっちゃけ最近摺ったもののほうが色は綺麗。

色褪せがないし、大正昭和の染料顔料は今でもだいたい調達出来るし。

初期のほうが版木がへたってないからなんとやら、というけど、あれは嘘。

新版画は1000枚以上摺ることを前提の浮世絵技術で作ってるんだ。

そう簡単には版木へたらん。

オリジナルの100万と後摺りの2万の差額の98万は、歴史ロマンの差が97万くらい。

復刻版の浮世絵お金のかかり方ときたら凄い。

まず版木をつくるのが高い。

今では1枚数万円する山桜の柾目の板が何枚も必要

職人が一カ月かけて彫らないといけない。

摺りも当然職人

江戸時代の染料顔料を今手に入れるとかなり高い。

そこまで手間暇とお金をかけて、巴水なんかよりずっと安い。

お買い得だし、買ってあげることが、彫りの職人を後世に残すことにつながる。

江戸時代当時の作品なんか集めたって、職人技術継承には伝わらない。

買いまくるしかないだろう。

フェルメールレンブラント過去の人にしてしまった、浮世絵という芸術の頂点を、手元に置くことが出来る素晴らしさ!

と、いろんなところで熱弁をふるってみたんだが、なかなか伝わらない。

うそう、こないだ、

「(国立新美術館に)いっしょにルーブル美術館展観に行きませんか?」

って誘われたんだ。

フェルメールの有名な絵がきてるとかで。

おい、女、こないだ印象派が好きとか言ってたじゃないか。

なんで今更フェルメールなんだよ。

iPhone6ユーザーが今更ブラックベリーみにいくようなもんじゃん。

と言いたかったが抑えた。

それから浮世絵の摺りの実演会と、CLAMP原画展が隣接して催されていて、CLAMP原画展のほうに行きたいとかいう女もいた。

目、大丈夫か?

と思ったんだが、その時も抑えた。

どうしてみんなわかんないの?

2014-11-19

浮世絵の興奮が覚めないのでもう少し書き綴る

http://anond.hatelabo.jp/20141117014426

思ったよりもブックマークがついた。

ありがとう

しかし、ブコメをみる限り、ぜんぜん伝わってないことが哀しい。

生で見ればわかる。

博物館じゃなくて、刷りたてをみればだ!!

いや、説得力がないのはわかる。

入信してみればわかる、南無妙法蓮華経と繰り返してみればわかる、ってのと同じだもんな。

浮世絵をみたことで、ようやく美術ってものがわかったんだよ。

自分解釈だけどさ。

で、絵について昔から納得がいかなかったことがいくつかある。

ピカソって下手だろ。

正直なところ、どの辺の時代が一番上手いかっていったら、レンブラントとか、あのへんじゃね?

って思ってた。

どうして、昔のほうが優れてるんだよ?絵だって進化しなくちゃおかしいだろ?

って思ってた。

こんなの(レンブラント)とhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3#mediaviewer/File:Self-portrait_at_34_by_Rembrandt_(rectangular_detail).jpg

こんなの(ゴッホ)

http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-pim/h-goh/h-goh2.jpg

こんなの(ピカソ)

http://livedoor.blogimg.jp/strange_emily/imgs/1/2/1222bd6f.jpg

で、どれが一番絵が上手いかっていったら、レンブラントだろ?

ぜったいおかしい。

と。

ところがだ、浮世絵をみて全てを理解した。

「塗り」の限界

油絵のなにが凄いって、塗れることだと思う。

塗った上に、さらに色を重ねられる。

油絵なんて描いたことがないから想像なんだけど。

もうね、物理的に上に重ねていくことができるから、どんな質感もだせるわけじゃん。

筆跡一つなくつるつるの面もつくれるし、壁のでこぼこなんて、本当にデコボコにできる。

小学校の頃かな、ある油絵をみたんだ。

畳に人形が立っている絵だったんだけど、バックの畳が、まるで本物のようでさ、つい目を近づけたら、本当に絵の具が畳のデコボコを作ってたの。

「うへー」

って思ったよ。

化粧みたいなものなんじゃないかな。

どんなに荒れた肌だって、丁寧にファンデーションを重ねれば、滑らかにできる。上に上に重ねて、ハイライトを入れて、陰影をつけて、立体感をだせる。

それが油絵

で、浮世絵をみて気付いたんだけど、そのやりかたって限界があったんだ。

色を上に上に重ねる先には、明暗をつける先には、なにもなくなる。

もう少し説明すると、対象物を立体たらしめるためには、遠近法と明暗だろ?

明暗でいうと、奥のものは暗く、手前の物は明るく、そうすることで対象物が飛び出してくる、そういう寸法。

たとえば、白い服で白い壁に立った人を描く場合、どうやって人と壁を隔てればいい?

壁を実際より黒くかき、人の服をより白くかき、境界を作るっていう方法しかない。

どんどん先鋭化していくと、背景は黒に沈み、対象物以外はなくなってしまう。

比較対象を置かなければいけなく、比較対象は黒く沈んでいかなければならないが、黒に沈むと比較対象が消滅していく。

というか、そもそもモノそのものを正確に写すなら、写真のほうが優れてるしな。

ハッハーw

線のチカラ

「塗り」の発達する余地がなかった中国画、日本がでは、その問題とは無縁だった。

線が絵になる。輪郭が形を作る。

輪郭を強調することは、恥じゃない。

写実性を求めて、輪郭を排して塗りの技法を発展させたからこそ、絵の発達は袋小路だったわけだ。

なんのことはない。

輪郭を強調させればいい。そうしたら対象物はどうなるか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%9B%E3%82%92%E5%90%B9%E3%81%8F%E5%B0%91%E5%B9%B4#mediaviewer/File:Manet,_Edouard_-_Young_Flautist,_or_The_Fifer,_1866_(2).jpg

こうなる。マネの笛を吹く少年

なにもない部屋の中でも、空気のなかでも人物は浮かび上がる。

色のチカラ

改めて考える。

本当に背景は暗くなければいけないのか?

対象物を浮かび上がらせることがそんなに重要なのか?

明暗のグラデーションではなくて、反対色で境界面つくったらどうなるのだろう?例えば、大地は緑に、空は赤くと言った具合に。

色の境界面で区別して、遠近法だけでレイヤーを重ねたらどうなるのか?

こうなる。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige160/

ナンダコレハ?ナンダコレハ?」

になるだろゼッタイ

色を重ねずに、並べる

浮世絵場合、色を重ねずに、並べるんだな。

油絵と違って重ねることができないからさ、1トーンのグラデーションと、色を近くに並べることでしか中間色の表現ができなかったからなんだと思うんだけど。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai049/hokusai049_main.jpg

富士山の山肌が、近くで見れば明らかに点描のようなんだけど、明暗をつけていないのに立体的であるような、山であるのに躍動感さえ醸しだす不思議な感じ。

人間視覚の仕組み上、例えば赤と緑みたいな反対色をちょとだけ隙間をあけて並べると、赤のフチに緑のラインみえてきて、緑のフチに赤のラインが見えて、赤と緑の間の空間に赤でも緑でもない、灰色のような色が浮かんでくる。

色を重ねるとどんどん濁るのに、脳内で作るいろは淀まない。

筆のタッチは荒くても、強い色を同士を近くに並べる。そうして出来上がるのが

http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-pim/h-goh/h-goh2.jpg

そう、ゴッホに戻る。

明るい光のなかで活き活きとし、明るい光のなかで人物の影は消え去る。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%8D#mediaviewer/File:Edouard_Manet_037.jpg

これはマネ。

製作年は笛を吹く少年から10年くらい経ってるらしい。

なんだこの浮世絵美人画ポーズ

浮世絵のような明るい色彩。

影もない。

明るさといえば、雪あかり表現について語りたいんだが、今日はまとまらなそうなので割愛

漫画浮世絵である

輪郭線、点描、1トーングラデーション効果線、etc....現代漫画表現にすごくすごく似てると思う。

そう。

僕らが日々読んでいる漫画とは、浮世絵だよ。きっと。

恐竜と鳥、くらいに近いことは間違いない。

浮世絵を見ていて気がついたのは、絵にはお約束がある。

縦長の絵で鯉が泳いでいたら、鯉の進行方向は下から上、という感じで。

絵の上下にかかる雲などは、今ではもうお約束として生きていないものもある。

しかし、多くは生きている。

たとえば、一枚絵でスピード感がある移動を描くとき、こういう配置をする。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai037/

真っ直ぐ進行させず、弧を描くように進行させる。

http://stat.ameba.jp/user_images/20110923/02/good-luck-heiwa/36/f4/j/o0296021811501145041.jpg

漫画ではもうお約束である

浮世絵時代発明されたお約束、動きのお約束であったり、デフォルメお約束だったり、効果線のお約束であったり、それらが今の漫画の基礎になってる。

と、僕は感じた。

というかそもそも、浮世絵って漫画の一コマみたいなのばかりだ。

馬鹿正直に人間視点で真横から写生なんかしてない。

あくまエンターテイメント

これとか、どうみても漫画コマだろ。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kunimasa005/

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kuniyoshi027/

ここまで書いてこういうのも変なはなしですが

ここまで書いてこういうのもなんだが、生で見ないとよさがわからん

騙されたと思って、是非、是非!

なんで薦めるのかといいます

みてるとですね、もうね、鑑賞する側の好奇心を、ドキドキを満たすためだけに制作されてる感じがするのですよ。

もうホント漫画感覚で。

当時、ずいぶん安かったんだと聞きます

今でも、手作業で大変とはいえ、けっこう安い。

から、なんとか、もっと人気が出て、手作業とはいえもう少し大量生産するようになれば、単価も安くなるじゃないですか。

世の中に浮世絵が溢れることは、すなわち人類幸福だと思うのです。

書ききれないので今日はここまで

ちなみに、LIFE誌が選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で唯一日本人名前が出たのは葛飾北斎だそうです。

徳川家康坂本龍馬松下幸之助AKB吉田茂もおさえて、葛飾北斎です。

まり、生で見れば誰でもわかるんです。

凄さが。

2008-09-16

審美眼才能

先日、連れと、上野フェルメールデルフト派展みたいなものに行った。

特別展は平日だというのに、なかなかの混雑ぶりに驚いた。

中に入ると、OL風の二人が、絵の前で「この視線が」「へぇ」「なるほど、やっぱりドラマが」云々と鑑賞していたのを見てさらに驚いたが、こういったのは展覧会であちこちで見られたのにほとんどカルチャーショックといってよかった。

自分も連れも、普段から美術館系にはほとんど行かず、同じ上野なら二つの博物館動物園に入り浸るが美術館に足を向けたことはない。加えて美術的な素養もほぼないに近い。今回来たのも、たまたまチケットをもらったからだった。

確かに飾られた絵画は(素人目で)きれいでうまかったけれども、じゃあ他の画家とどう違うから今も名声をその保っているのかと聞かれたら、まったく答えられなかっただろう。正直、オランダ画家ならレンブラントフェルメールの区別がつかない自分には、フェルメールデルフト派の区別もまったくつかない。

ほとんど作品の横についている解説を頼りに、這う這うの体で二時間かけて見終わった。

時間もいたわけだから、まったくつまらなかったというわけではないが、時間をかけた割りに、心から楽しめたというものでもない。帰ってきて、何が、フェルメールにしろ他のデルフト派にしろ、すごかったのかはわからずじまいであった。

先のOLのように、こういったものを鑑賞する、そしてそれを楽しむ能力を持っている人間というのは、ある種尊敬に値すると思う。こういうのは、先天的にもらえるものなのか、はたまた後天的に取得できるのか、そもそも学校か何かで習ってなんとかなるものなのかどうか。

2008-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20080617091235

一つ目の理由に対しては、俺はよく美術館に行って、いい展示だと衝撃を受ける(感動する)んだわ。

江戸時代水墨画なんかが今に伝わってること自体すごいんだけど、その絵が21世紀に生きてる俺に感動を与えてくれる。

それを俺は、たとえば俺の子供にも味わってほしいと思うんだわ。

絵画とか彫刻って、基本的に「ひとつ」しかないのね。印刷されたものなんかじゃ味わえない本物の力があるんだ。

だから、そいつを爆弾なんかで吹っ飛ばされたら困るの。

あ、ちなみに俺が後世に残すべきだと思ってるのは、評価の定まってる古い作品ね。

フェルメールやらレンブラントやら印象派やら江戸時代水墨画やら。

村上隆は・・・しいて言えば、日本サブカルが、西洋に受けてるっていう構図で、

江戸時代浮世絵海外で評価されてたのと同じよーなもんかと諦めてる。

彼の場合は作品以前に、作品をアートとして認めさせるだけの力があったのは、評価せざるを得ない。

やったもん勝ちになっちゃうけど、どんなもんだろうと、ウン億で売れるだけの商品価値をつけたってのは、すごい実力。

ただの便器に名前付けて作品として出した、デュシャンみたいなもんなんかな。

ただ、純粋に作品としてみたら、ぶっちゃけ萌え系のフィギュアのほうがスゴイんじゃね?w

ただし「芸術」といっても世の中には「商業活動としての芸術」と「人の性(さが)的な営みのしての芸術」があるように感じてしまう。

とりあえずは、売れなきゃアートとして認められない。

売れる=価値がある、わけだから。

村上なんかは、「売る」ことを前提にした商業的な芸術で、

描くことを前提にした「表現としての芸術」とはちょっと違う気がしないでもない。

2007-12-25

http://anond.hatelabo.jp/20071225184745

両者とも最後の持ち直しがなければただ単に悲惨な話になってしまうのだけど(読み返さずに書いてます)。

ただの悲惨な話だよ。

つうか最終シスター四方木田の「無知な!」の一言に尽きる。

ルーベンスの聖体降架で満足して昇天て! レンブラントフェルメールも見ないなんて! 

冤罪にしてもいくらでも身の潔白は証明できるし、司法は何やってたんやっちゅう話ですよ。

そもそも孤児を村八分って共同体としてあり得なくない?

ネロネロ借金でも物乞いでも盗みでもなんでもやってサバイブしろよ。

自尊心で凝り固まったイヤなガキにしか見えん。

まぁ、そもそも原作から世界名作劇場への変換時点で大量の翻案があったわけで。

原作だとネロ15歳なんだよなー。さらにクズですわ。

欧米で支持されないのも当然の話。

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