はてなキーワード: レベルとは
最近気づいたけど、ネット上で「意気がってけんか腰になる」こと自体に開放感を感じているのであろう負け犬が目につくようになっている。
昔から、「匿名だから賢く見せかけようとする」「金持ちに見せかけようとする」「リアルの武勇伝を捏造する」というのはよくある話だが、それがさらに怠惰で志の低いものになった結果、「ネット上で強い言葉を使う」こと自体に恥ずかしげもなく「自分が強くなった」ような満足感さえもって熱中している奴がいる。
こういう奴らはもはや「リアルの自分を強く見せようとする」という想像力を働かせた工夫すらしないのだ。ただただネット上で「煽る」とか「強い言葉で罵る」とかをするだけで、現実の惨めさが糊塗できるほど、目指すところが低く低くなっているのだ。
増田で無駄にけんか腰な奴を見たら、こう思えば良いよ。こいつはもはや、レベルの低いヤンキーのコントみたいなことをしている自分が、相手にみっともなく幼稚に見えていることすら気にしていない本当の負け犬なんだと。
ニンテンドースイッチのゲームまた50本遊んで感想書いたのでまとめ(その二)
宝探しが大好きな主人公が、永遠に続く夏休みに巻き込まれてしまう、疲弊する仲間たちを宝探しゲームの魅力で前向きに成長させるノベルゲーム。
位置情報を使った宝探しゲームの魅力が本作の大きな主題で、いわゆる「謎解き」が何故楽しいのかを掘り下げるストーリーは、ある意味ではミステリの評論的でもあり、非常に興味深かった。
作り手はいじわるで解けない謎ではなく相手のレベルに合わせた解ける謎を愛を持って提示すること、解く側は愛を持って作っていると信じること、この二点への議論が丁寧に何度も行われており、なるほど納得する箇所も多かった。
物語としても、永遠に続く夏休みを満喫する楽しいパートと、それを否定して前向きになることを希う苦しいパートとのバランスがよく、ボリュームこそ少ないが過不足はあまり感じない、いい作品だった。
普通の男子市松央路が某国の王女とひょんなことから知り合いになり、いろいろな事情で彼女を始めとした上流階級が通う超エリート校、私立ノーブル学園に転校する学園ラブコメ美少女ゲーム。
魅力的なヒロインが多数登場するものの、市松央路がまさに主人公していき、自分の「金色」を見出していくストーリーは、美少女ゲームにとらわれない王道のまっすぐな面白さがあった。
そんな無数に広がる夢を追う若者の瑞々しさと、とあるヒロインにまつわるビターな展開とが、良い意味で後味が残る作品になっていた。
オープニングテーマの歌詞「明日宇宙飛行士になって大気圏外で愛を叫ぼうか」が端的にこのゲームの良さを示しており、口ずさむたびに主人公の市松央路の未来を考えてしまう。
金色ラブリッチェのファンディスクで、それぞれのヒロインのアフターストリーと、追加ヒロインのルート、そしてゴールデンな独自のルートが楽しめる。
特に前作ではルートがなくサブキャラ扱いだった、年下ながら主人公の教育役でビシビシと厳しく指導してくれるミナちゃんのルート追加が嬉しかった。
前作はビターで苦いエンディングもあったが、今作は塗り替える万事がすべてうまくいくハッピーなルートであることが、開幕早々に示唆される。
多少、いやかなり無茶な設定が唐突に出てくるが、どんな過程だろうと金色ラブリッチェをハッピーエンドに締めてくれたのは嬉しく、これはこれで大好きな作品だ。
ハードボイルドな探偵サイガが、謎と事件がひしめく奇妙な地方都市「祭鳴町」を駆け回る短編連作形式のノベルゲームで、コメディ調の明るいゲーム。
探偵、事件、謎とミステリの建付けではあるものの、そうそうにリアリティラインと軽いノリが明かされ、本格パズラーでないことが明示される潔さが良い。
サイガの相棒となる性別不明の助手役レイの可愛らしさは素晴らしく、キャラクタの性別を問わない魅力的なシーンが多くあって印象深い。
はじめは打算で助手になったレイが、いつの間にかサイガと分かちがたい関係値を築いていくシーンは感動的で、名コンビとして末永くシリーズ展開して続いてほしいと願っている。
数名の客と無限に飲めるドリンクバーしかないファミリーレストランに閉じ込められた主人公が、ひたすらに雑談をし続けなにかを変えていくアドベンチャーゲーム。
とにかく同じく閉じ込められた他のキャラと雑談をしていくことで話が進んでいくのが独特な味を出している。
情緒溢れる風景を描写するテキストに、何かを示唆するような哲学的な会話と、何も示唆しないただの雑談とと、雰囲気重視の芸術的な考えオチ系のゲームかと思いきや、しっかりと設定の開示がされ明確なストーリーの筋があるのが面白い。
徐々に明かされる設定の妙も良いが、魅力的な会話劇がたまらなく、主人公とガラスパン(キャラの名前)のカップリングはひときわ心に残る良いものだった。
非常に荒い抽象的なドット絵で事件の捜査を行うアドベンチャーゲームで、をスマートフォン向けに発表されていた3篇と、移植版独自のエピーソードの計4本楽しめる。
殺人事件の捜査をする刑事という王道中の王道が導入ながら、なかなか一筋縄ではいかず、お約束に縛られないストーリーが面白かった。
ルックのドット絵もそれに一役かっており、この絵柄だからこそ出来る表現もあったりして、やれることは全部やるような圧すら感じる。
謎解きの過程よりもサプライズに寄った作風は、テキストが主体のアドベンチャーゲームでは珍しく、良い意味でプレイヤーと探偵が乖離した、独特の魅力があった。
○好き
月姫-A piece of blue glass moon-
直死の魔眼という人、物を問わずそれを殺す線が見える奇妙な体質になってしまった遠野志貴が主人公の新伝奇ノベルゲームで、同人ゲーム月姫のリメイクバージョン。
全ての人の死が見えるため独特の価値観を持つ遠野志貴が、月が出ている間は決して死なない吸血鬼の姫アルクを見たとき、死の線が見えないため美しいと感じ、彼女と行動を共にすることになる。
この物語の導入部分で一気に引き込まれ、一息に遊び終えてしまい、かなりのボリュームの作品なのに物足りなさを感じてしまった。
真祖の姫、死徒二十七祖、魔法使いなど気になる設定が数多く登場するのも興味深く、特に死徒二十七祖がその「原理」を開示するところは、めちゃくちゃ格好良かった。
(まあ、原作では5ルートあったうちの2ルートしかないから、主人公の生まれの秘密とか、妹の秘密とかは不明だしね)
南極で遭難した調査隊と、何故かメッセージのやりとりが出来るようになり、彼女たちに文章を送付することでストーリーが前に進むアドベンチャーゲーム。
メッセージアプリを模したタイプのゲームで、家庭用ゲーム機では少ないが、スマートフォン向けゲームでは結構流行っていたジャンルだ。
システムの都合上、一切キャラクタのデザインなどは画面に登場せず、テキストだけで淡々と進むが、しっかりとそれだけでもキャラに愛着が湧くし先が気になる。
サイエンスフィクションらしい、未知の技術を踏まえたストーリーも面白く、しっかりした丁寧な作品だった。
母方の実家に帰省した主人公が、奇妙な言動の少女と出会うことから始まる一夏のボーイ・ミーツ・ガールもののノベルゲームで、原作はスマートフォン向けのゲームだがケムコがインディーゲームをパブリッシュする流れで移植したバージョンを遊んだ。
ボリュームはそれなりだが、登場人物がかなり絞られているため過不足はあまり感じず、ヒロインの真琴の魅力は十二分に伝わってきた。
導入こそ嫌な奴だが、少しづつ絆されていき、関係値がどんどん出来上がっていくのは、青春ものらしい良い展開。
中盤で一気に作品の雰囲気が変わり、ハラハラする展開が始まるが、主人公と真琴の関係を疑う余地なく信じられるからこそ、このタメの部分も楽しく遊べた。
原作はセガサターンの美少女ゲームと脱出ゲーム(今風の言い方で昔はこんな呼び方じゃなかったかも)を組みわせた作品で、それを遊びやすくリメイクしたバージョン。
プロバビリティの殺人大好きマンが建てたとしか思えないデストラップ満載の奇妙な館に閉じ込められた男女が、恋愛しつつ館の謎を解き明かしていくストーリー。
ストーリーを楽しむというよりは、フラグを建てたり建てなかったりの、フラグ管理のゲーム性を楽しむタイプのアドベンチャゲームになっており、各ヒロインごとのエピソードはそれなり。
本筋となる記憶喪失の少女にまつわるエピソード郡は文量も確保されており面白いので、手を抜くところと力を入れてるところの加減がはっきりしていたゲームだった。
警視庁に新たに設立された取り調べ専門の部署、そこに配属になった女性刑事の真野ハルカを主人公に様々な事件を取り調べだけで解決していく短編連作形式のアドベンチャーゲーム。
いわゆる閉鎖劇を期待するが、案外普通に現場には赴くし、周辺の捜査や聞き込みを行うパートもあるので、普通のミステリ系アドベンチャーゲームとあまり有意な差異はなかったかもしれない。
しかし、テンプレ感があるのは3話までで、後半の4話と5話は取調専門部署の独自設定をうまく利用した展開が続き、見どころもおおかった。
シリーズ化もできるだろうし、続編では最初から今作後半のクオリティでやってくれれば、もっと好きになれるかもだ。
死を前に運命の女神によって生きながらえた12人が本当の生を求めて「女神の選定」というゲームに挑むノベルゲーム。
そんな緊張感溢れる導入ながら、女子高校生のありふれた日常と、女性だけの三角関係から来る恋の鞘当てが話の主題になっていく構成が面白かった。
特に三角関係パートを陰ながら支え「女神の選定」とは無関係なのにメチャクチャ苦労する小熊真央ちゃんの活躍は目をみはるものがある。
最終的にはこの二つの路線が主人公とヒロインの生きて叶えたかった未練に直結していくため、無駄な描写になっていないのも面白かった。
奇妙な犬、送り犬にまつわるホラーなエピソードがいくつも収録されたサウンドノベル。
サウンドノベルらしく、ルートごとに世界の設定レベルで変化していくため、多種多様なストーリーが展開していく。
ホラーがベースではあるものの、コメディ、サイコスリラーと色の違うものに加えて、視点人物も女子大生、その友人、ストーカー、警備員、ポメラニアンと多様なのが面白い。
メインの主人公が親元を離れて一人暮らしをする女子大生なので、親の目無しセックス有り略奪愛有りの大人なやり取りが多くあるのが面白かった。
ファミコン風のレトロなドット絵でサスペンスドラマのようなストーリーが楽しめるコマンド選択式ADVのミステリー案内シリーズ第三弾。
今作は自殺した女性の足取りを追う丁寧な展開で、落ち着いた雰囲気の中、少しづつなぜ被害者が自殺したのかの心の在りようを探っていく。
シリーズを通しての観光パートや、名産品に舌鼓を打つパートなどは健在で、大分県の名物をたっぷり楽しめる。
社会的テーマを問う部分も、とってつけた感は薄く、しっかりと本題の謎と密接な関係にある点が良き。
終電に乗れなかった主人公が臨時終電と名乗る謎の電車に乗り込んだことから始まるホラーノベルゲームで、携帯電話専用ゲームの移植版で千羽鶴シリーズの第三弾、シリーズではあるが、作品間の繋がりは薄く、今作独自の世界観やキャラクタが楽しめる。
今作では、一つの大きなシナリオがありそこから分岐する形式で、同じ電車に乗り合わせた複数人と力を合わせつつ、シナリオをザッピングしながら進めていくのが特徴。
原作の媒体が携帯電話なので小さいゲームではあるが、本格的なサウンドノベルをやろうとする気概が伝わってくるし、実際フラグ管理や、群集劇めいた作劇の妙など、かなりシッカリしたゲームになっていた。
メインから離れた設定のシナリオも用意されており、そちらではコメディ、SF、恋愛ものなど、ホラー以外のバラエティ豊かなエピソードも読めるのが良かった。
小学生男子のけんた君お手製の自作RPGを放課後に遊ぶという”テイ”が面白い、アドベンチャゲーム。
小学生が作ったという建付けのルックが徹底しており、手書きのノート、筆箱やボールといった小学生のお道具を使ったシーンなど、見てるだけで小学生らしさが伝わり凝っている。
けんた君がその時々ですべてのシーンを演じてくれるのが、作中作めいた構造の妙を感じれて面白い。
テキスト主体ではなく、その時々シーンに応じた操作方法になる多様なゲーム性があるが、ステータスを増減させたり、複雑なフラグを立てたり、アクションのプレイングが求められたりといった、他ジャンルの要素はあっさりめで、あくまでアドベンチャゲームではあったと思う。
携帯電話専用ゲームの移植版で、物語としてのミステリー、というよりは推理クイズの体裁のシリーズ第三弾。
今作はシリーズを通してついにストーリーらしいストーリーが導入され、普通に面白かった。
とはいえ、相変わらず推理クイズのような謎とあらすじの関係性が薄い点は気になりはしたが、ストーリーがよければ全て良しなのはこのジャンルならでは。
シリーズを通しての馴染キャラたちにも変化があるなど、続きが気になる終わり方ではあるが、移植されているのここまでなので、続きの移植もG-Modeさんお願いします。
アウトドア初心者の新人ライターがキャンプのツアーに参加するホラーノベルゲームで、携帯電話専用ゲームの移植版で千羽鶴シリーズの第二弾、シリーズではあるが、作品間の繋がりは薄く、今作独自の世界観やキャラクタが楽しめる。
ホラーなストーリーが主軸ではあるが、ルートごとに全く異なる設定になっていくタイプのストーリーで、コメディ、伝記、スリラー、サスペンスなどが楽しめる。
視点人物がヒロインに変わるパートもあり、そちらではまた異なったエピソード郡が待っているのも面白い。
全体的に人が死んだり傷ついたりする残酷な話が多いものの、やったやられたのバトルシーンのような読感のため、ある意味カラッとした山らしい内容が多いのが特徴的。
携帯電話で展開していた探偵・癸生川凌介事件譚シリーズの第十一弾。
今作からシーズン2と呼称されており、今までとはシナリオライターさんが異なるし、作品中でもいつもの面々の登場も少なめ。
五作目の「昏い匣の上」で登場した、都市伝説ライターの弥勒院蓮児が視点人物になっているため、情緒的な文章が多く、謎解きも動機の側面が多め。
シリーズキャラである癸生川凌介が登場するときに思わず、ホッとしてしまい空気感が変わるのが面白かった。
携帯電話で展開していた探偵・癸生川凌介事件譚シリーズの第十二弾。
小中学校を舞台に複数の事件が発生し、それぞれを追っていく複雑なシナリオ。
謎を解き明かす過程よりも、それぞれの事件における被害者と加害者の心の在りようを深堀りしていく操作が多く、人間関係の妙を楽しむタイプの作風だ。
短い文章ながら、身勝手な悪意で他人を振り回す残酷さがしっかり情緒豊かに描かれており、操作を通じてドンドン嫌な気持ちになっていく悲しいストーリーだった。
あなたは「Aという、何の根拠もなく、なんとなく『それっぽい』というだけの理由で広く信じられている話」を否定しようとする。
Aのような、何の根拠もないのにみんなが信じているやっかいな作り話はネット上にそれこそ雨後の筍のように溢れている。今日も今もこの瞬間も生まれ続けている。
こういうものを否定しようとしたときに、あなたはいつも困難を感じる。
それは何故かというと、Aという「何の根拠もない話」を「否定するための根拠」を挙げなければ、人は一度信じた話を疑うということが出来ないからだ。
相手がある程度論理的な人間だったらまだマシだ。「Aだったらこういう矛盾がある」という、論理学でいう「反例」をひとつ挙げれば十分だからだ。
実際には、それでも「無闇に信じるのではなく疑いを持って見る」という程度にしか相手を変えることができない方が多いかも知れない。
非常に聡明な人間をしても、「そもそも根拠なく信じていたこと」に「全く根拠がないのだから完全にデマだと思って見る」というほどの信条の変化を起こすのは困難なことなのである。
更に悪い場合、相手が「反例」という概念が理解できない。ある理論が矛盾することを示す例が一つあれば、その理論そのものが机上の空論であり、なんの信頼性もないものであるということが証明できるという、論理学の常識がない。
のみならず、自分が何の根拠もなく信じていることを否定する話にこそ、100%の、何の瑕疵もない証明が要るとすら考える。
「Aが矛盾する」ことを示すために「Bという可能性もある」というような話をすると、「Bが正しいという証明をせよ」と迫る。こちらが言いたいことは「Bと同じ程度、あるいはそれ以下にしかAの信頼性もない」というくらいのことなのに、そういう微妙な理屈はバカには通じない。
一度Aという理論を「なんとなく」の雰囲気ででも信じてしまったら、100%絶対の信頼性を持ってBという別のストーリーを証明しない限り、思い込みを絶対に変えないことが、そういう奴らには「賢くて疑い深い」とすら自己認識されているのだ。
デマが広がる理由、衆愚が衆愚たる理由はひとえにここにあると言っても良いくらい、これは根源的で如何ともし難い愚民社会の病巣だ。
頭が悪いということは、「反例が理解できない」ということ。「証明」という概念に対して、狭く幼いイメージしか持たないこと。
知性というものに対して低いレベルの理解しかしていないからこそ、バカは自分がバカだと気づかず、いつまでもバカのままでいる。
自分が何を信じているのかを客観視出来ないバカは、自分が何を疑えているのかも正確に理解することができない。
デマにハマっている奴ほど相手をデマ呼ばわりするというのは、つまりこういうことなのである。
※今何もすることがなくて暇すぎる人向け。
私はどこに出しても恥ずかしい腐女子である。魅力的なキャラ(男)を見つければそのジャンルを履修し、BL二次創作を右から左まで朝から晩まで舐めるように眺め、時には自分で創作もしながら生きている。
今回もそうする予定であった。私は今、ハマりかけているとある男キャラがいる。
こいつだ。次はこの男だ。
あれは恐らく今考えて見ても一目惚れであっただろう。
容姿とボイスが歴代の推しに被る箇所があったのが敗因だ、と断言できる。
私はその日からその作品を見始めた。そこそこに楽しんでいたし、推しが出た時は手を叩いて笑うなどしていた。腐女子の奇声混じりの悲鳴などお見苦しいものであろうが。
楽しかった、ここ一年くらい何かにのめり込むこともなく淡々と日々を過ごしていたので、とても楽しかった。
そうして順調に履修を続け、暫定推しの男の出るとあるエピソードで頭が破壊された。
キャラの特定に繋がってしまうため、何も詳細を語ることは出来ないが、とにかく私の脳みそはそこで完全に破壊された。完膚なきまでに。完全に狂った。
腐女子というものも恋をする。諸兄にはピンと来ないこともあるかもしれないが、腐女子が恋をした時何が起こるのかーーそう、作中の男たちでBLしようとするのである。
腐女子全員がそうではないのかもしれないが、少なくとも私はそうだ。
推しのことを考えて眠れなくなる。推しのことを考えて食欲が不振になる。四六時中推しのことを考えている。ため息が一時間に60回くらい出る。他の何もが何も手につかない。延々と永遠とSNSに張り付き、推しへの止めどない感情を綴るのが止まらなくなってしまう。
恋は脳のバグとはよく言ったものだ。完全にパッパラパーと化していた。
どう見ても恋煩いの症状である。その矢印が男同士の恋愛に向かうのはどういう思考回路なのか、という点はさておき。
要するにそれまでのガチ恋した推しへの症状と全て同じであった。
ここまでは良かった。
頭が狂ってフォロワーにドン引きされようが、頭が狂った私を見てフォロワーが同作品を履修しようが、その結果クソおもんなかったから責任取れタヒねと言われても良かった。
いや流石に一番最後は傷ついたけども。
それは兎角、何が起こったか。
推しの出るとあるエピソードから続きを見ることが出来なくなった。
そのエピソードに完全に心が囚われてしまったからだ。ずっと私を狂わせたそのエピソードを咀嚼している。これを書いている今ですら。頭の中でアホほど反芻している。牛も目ではないくらいに反芻している。
何か形にして吐き出さないと死ぬというレベルに追い込まれているが、同垢で騒ぐと目障りだからタヒんでいろと言われるのでSNSも封じられた。
いやそれはそもそもミュートしてくれよ本当に。あとそのフォロワーが×年来の古参なのも心を抉った。泣く。完全に新たに爆誕仕掛けている推しのせいで心が弱っている。
何故履修を続けられなくなったのかがわからない?それはそう思う。
結論から先に言うと、そのエピソードは「特定の女性と作品内でくっつく可能性」の塊だったからだ。
ええやんけ。と思うだろう。私も思いたい。推しの幸せを切に願う健気ないちオタクでありたい。
だが私は腐女子である。厄介すぎる性癖に打ちのめされながら×年腐女子をやっているゴリゴリの腐女子だった。
そのエピソードのおかげで頭がイカれて今こんなに狂っている。しかしそのエピソードそのものがもう一度私の脳を破壊する、そしていつ爆発するかも分からない起爆剤の役目すら果たしているである。
なおこの二度目の脳破壊(予定)は男オタクで言うと恐らくNTRの概念に近い。と思う。
いや作中のキャラが男女で公式にくっつくなど普通のことではないか。それはそうだ。
推しの幸せを切に願いたい。それがあるべきファンの姿ではないか。それはそうだ。常識的に考えてそう。当たり前の話である。
だがそんな綺麗事を抱えていられない程度にガチ恋なんだよこっちはよ!!!
そんなんで身を引けるんだったらそもそもこんなに頭狂ってねえんだわ!!!
何故こんなに色々な意味(第一に推し自身に脳を破壊されたこと、そして推しに特定の女性とゴールインする第二の脳破壊予定が存在していること)で狂っているのか?
顕著だったのは特にここ数年だ。
男オタク、女オタク全てのニーズに応えるため、特定の男女CPの排除が徹底しているのだ。
何故か?ソシャゲの主人公はプレイヤー=俺(ないし私)だからである。
ソシャゲをやる男/女オタクは全員が「出てくる女/男キャラは全て自分のもの」だと思っているからである。
そうして大概、売れているソシャゲで出てくるキャラは【主人公=プレイヤー=俺(私)】に少なからず好意を抱いていることが殆どだ。
そうなれば俺×推しも、推し×私もやりたい放題できる。辛いことの何もないカーニバル。勝ちまくりモテまくりを地で行くのがソシャゲ主人公だ。
多分そういうのに特化して作られているからソシャゲはこんなにも人気なのだ。
もちろんハチャメチャな暴論なことは自覚しているが、遠すぎて的外れである…とも言い切れないと思う。
最近強い中国産のゲームとかマジでそれが多い。寧ろ私が知っている件だと公式男女CPが匂わされた瞬間叩かれまくって、一瞬で公式男女CPの匂わせが完全消滅したくらいである。怖い。
なお、ソシャゲの作中の絡みでもBLと百合の匂わせは許されている。なんでだよ。いやわかる。
そのおかげでBL推しと百合推しも救われている。三者三様みんなハッピー。
だが私が今回脳破壊された推しはソシャゲに出てくるキャラではないのだ。
現状、推しは誰か(男も女も)と特定の絡みがあるわけではない。
もし今この時点で男キャラと絡みがあったら恐らくこんなに脳は破壊されていない。
そもそも女キャラとの絡みが今既にあったならとっくに二度目の脳破壊を食らって死んで、適当に立ち直れていたかもしれない。
きっと多分その方が良かった。
だが近い未来に二度目の脳破壊がほぼ決定していそうな推しの作品の続きを見ることができるかと言ったら……
今のガチ恋精神では全く耐えられる気がしない。もっとこの感情が完全に風化した時でなければきっと耐えられない。
そうしてつらつらと長年のオタク仲間にそういう話をぐだぐだとした。
そうして面倒になったそいつは言う。
「今後女とくっついたなら(2次創作内で)女を殺せばいいじゃん」
怖すぎ。サイコパスか?
何の権限があってそんなに恐ろしい考えが浮かぶんだよ。怖い。今後の付き合いを考える羽目になった。
あの日あの時あの場所で推しを見てしまわなければ、こんなに苦しむことはなかったのに。
あの日をやり直したい。本当に誰か助けてくれ。
マジで恋すぎて草も枯れる。
このやり場のない感情をどこにも吐き出せないので、とりあえず文にしてみた。
恋煩いを解消するのに自分の思いを書き出すのも良いらしいと見たので。先人の知恵は偉大である。
もしここまで見てくれた方がいたら、あなたは相当の聖人かもしくは暇人か、似たような覚えがあって脳が狂って死んでいるか、何でもいいから長文を読みたい人なのかもしれない。
今は旦那さんが料理することも多いのだろうが、仕事をしながら毎食しっかり作っている、という話をすると、驚かれることが多い。
と言うことは、こういう生活スタイルは、まだあまり一般的だとは言えないのだろう。
元はというと、(無自覚だったけれど)自分はかなり食にうるさい方だったらしく、
おいしくないものが我慢できない。それがプレッシャーになる、ということで、自分が料理をするようになった。
ただ料理(食事)が好きなだけじゃん、と言えばそれまでなのだが、
別に元々自炊する習慣がついていたわけではない。学生時代や、社会人生活の最初の方は、かなり適当な食生活をしていた。
だから、今回の話は、必ずしも生まれつき料理が好きな人にだけ当てはまる、というわけではない、と思う。
自分で料理をする上で、最もいいな、メリットだな、と思っている点は、
自分はそもそも合理的な行動が非常に好きなので、料理という一つの動作で多くのメリットを同時に実現していることを思うと、それだけで嬉しくなる。
自分で料理をすることのメリットは何か? 挙げていけば、下記のようになる。
①節約になる。
②健康になる。
③好きなものが食べられる。
⑦妻に喜ばれる
以下、順番に説明する。
これは言わずもがな、だ。一部には、「自炊はお金がかかる」と言っている人もいるようだが、そんなわけはない。
短期的に見れば、確かに一定の初期投資は必要かもしれないが、一旦ルーチンが確立してしまえば、中長期的なコストはどう計算しても自炊の方がやすい。わざわざ計算式で表現するのが馬鹿らしいほどだと思う。
料理器具などについての議論は一旦おいておくとして、ぜひ注目してほしいのは、「保存の効く食材について」だ。
ある程度料理をするようになるとわかるが、案外、日常的な料理で日本人が使用する食材や調味料のレパートリーは限られている。
また、そのレパートリーを大別すると、
(a)生鮮食品のように足が早いもの・・・肉、魚、卵、葉物野菜、牛乳、ヨーグルト、など。
(b)ある程度日持ちのするもの・・・玉ねぎ、ジャガイモ、にんじん、ねぎ、にんにく、生姜、昆布、鰹節、味噌、醤油、酒、ワイン、蜂蜜、塩、砂糖、コショウ、その他種々の調味料、など。
となる。
ポイントは、(b)に分類される、日持ちのする食材のうち、特に根菜類を、例えばイオンの場合であれば火曜市などの安価に入手できる日に、
常に一定数以上確保しておくようにすることだ。
(b)の分類の食材が常に冷蔵庫にストックされており、調味料なども揃っていれば、
あとはその日の気分次第で、適当に(a)分類の生鮮食品と組み合わせて調理する。
肉類も、日によって、この日は豚ロースが安い、この日は鮭が、などと変わっていくので、
特別なこだわりがなければ、こうした特売に合わせて食材をチョイスすると、より割安に材料を調達できる。
こうした方式を導入すれば、仮に一人暮らしだったとしても、食材を無駄にせず、常にジャストな分量の食事を、最も安い価格で実現することができるはずだ。
これについては、妻の嗜好をかなり取り入れたところがある。今となっては、むしろ出来合の食事を食べることがかなりストレスになってしまい、一食でもコンビニ食などで済ませるのは、非常に嫌になった。
むしろ、調理済みの惣菜や、飲食店の食事で、一日に必要な野菜の摂取量を十分に確保することは難しい。
調理済みの食品には、大抵の場合、多くの食品添加物が使用されている。
昔は食品添加物など「そんなシャラ臭いこと気にしてられるか」という印象だったが、今はほとんど全ての買い物で、食品の成分表示を確認するようになった。
具体的に、何は取るべきではなく、何は取ってもいい、という情報はあまりにも細かな話になってしまうし、自分自身でも完全に把握できているわけではないので、立ち入らない。
が、実際にコンビニやスーパーなどで普通に販売されている食材の中にも、専門的な見地から見て十分に安全とは言えない添加物が多数使用されているようだし、
加工食品をあまり摂取しない生活の方が、(少なくとも主観的には)体調がいい状態で日々を送れているように感じる。
また、砂糖や油などの、体調への影響度が大きい成分についても、
自炊をする中で、それぞれの分量や性質が自分の体調に与える影響の度合いを、実経験で観測していくことができる。
こうしたPDCAが自炊をしていると自然と回るようになるので、自然とダイエットにもなり、体調管理にもつながっていると思う。
これも当たり前と言えば当たり前だが、自炊による料理のおいしさ、という点では、個人的にはYoutube以前と以後で、自炊を巡る状況は大きく変わっている、と思うのだが、どうだろうか。
コロナ以前の、あまりYoutube上での料理動画が充実していなかった頃は、ホットクックを見るか、料理本を見て作るか、くらいが基本的な選択肢だった。
ホットクックは玉石混淆だし、料理本は色々試すにはハードルが高く、またレシピ通りに作っても必ず美味しくなるわけではない。
また、いずれの場合でも、レシピだけを見て作っていると、料理の背景に、ベースとなる基礎があることが理解しにくかった。
その点、例えば食材の切り方一つ、食材の投入タイミング一つでも、動画で示されれば、そこで用いられているテクニックは一目瞭然だ。
また、「これは本当にすごいな」という、作って感動するレシピがかなりたくさんあるのもYoutube料理動画の凄さだと思う。
誰の料理が好きかは好みが分かれるところだろう。個人的には、コウケンテツさんは、このジャンルでは本当の天才だと思う。ほとんど全てのレシピ動画に、味という観点だけでなく、作りやすさ、シンプルさ、という観点からも、驚くような工夫が凝らされている。毎回非常にクオリティが高いのに、ありふれていない。単純に仕事として憧れるところがある。
Youtubeがあることは、今から自炊を始めることの大きな理由の一つになるのではないか。
上記のように、Youtube動画でちゃんとレシピや工程を確認しながら多くの料理を経験していくことで、料理全般を下支えするセオリーが体感的にわかるようになってくる。
例えば、
・どのようにして旨味を構成するか?
・〇〇の食材は、季節によって味がどう変化するか、いつが美味しいのか?
・なぜこの順序で食材を投入するのか?
など、無数に論点がある。
もちろん、素人なので、こういう事柄について体系的にわかっているわけではないが、それでもかなり感得できるところがあるのは確かだ。
「なぜこのような料理の仕方になっているのか」「この料理のうち、何がユニークなのか?」「なぜこれが美味しいのか?」などを考える上で、それを言語化し、考えるためのヒントが自分の中で非常に多くなる。
また、それに対する考察が、日常の料理にもフィードバックされるために、自分と家族の食の経験がより豊かなものになっていく。
これは、とても創造的で、面白い頭の使い方だと思う。食をよく楽しむと、「ああ、人生を豊かに楽しんでいるな」という気に、ふとなる瞬間がたくさんある。
これも、個人的にそう感じる、というレベルのことに過ぎないかもしれないが、料理や食材は、「人間と自然との強力な接点の一つ」だ。
「サラリーマンは一年のうち3ヶ月は田舎に行って農作業をするべきだ」
というようなことを言っていた。
これは、人間は(人間以外の)自然に触れることで、人としての自然なあり様を取り戻せる、などというような話の文脈で言っていることのようだったが、
やはり現実的にはこれはなかなか難しい。
一方で、都会に暮らしていると、自然に触れることによって自分の心身が整えられる感覚があるのも、自分としては実感するところだ。
例えば、食材を茹でている鍋の中で、いろいろな食材の色を眺めていると、何となく癒されるものがある。
また、料理をすれば、その色彩を眺めるだけでなく、実際に手で触れ、匂いを嗅ぎ、それを味わう、という、五感を総合的に用いたプロセスを、自然と経験する。
これが、日常生活を生きる上での、癒しになっている面は非常にあると思う。これは、例えば電子機器などが介在するような趣味とは、少し異なる位置づけの趣味として考える必要がある。
料理は細々したタスクの積み重ねだ。日々確実に、決まった時間に、下記のような要素を十分に考慮した料理を提供する必要がある。
・おいしさ
・栄養素
・原材料費
・在庫管理
・洗い物の段取り
これらの左脳的なタスクも、非常に奥深いものがあり、上記を同時に達成するためには、細かなオペレーション上の工夫や、機材の導入などを適切に行なっていく必要がある。
私自身は一介の勤め人だが、上記のようなスキルは、一般に経営者が求められる全般的なスキルと通ずるところがあるのではないか、と思う。実際に、経営学等における考え方を、日々の料理の管理に活用している部分も色々ある。
こうした事柄について改善を行うためには、個々の作業をただ行うだけではなく、全体の工程を俯瞰した上で、このプロセス全体を創造的に組み替えていく必要がある。
ここまで色々語っているが、自分が料理に実際に日々費やしている時間は、平均で30分程度のものだろうと思う。
このような工夫を継続的に行うことで、「涼しい顔をして高品質のアウトプットを出し続ける」ような仕事の仕方を、多少なりとも身につけることができつつあるのではないか、と思っている。
結局、これが一番大事だ。
よくある言説として、「時給に換算するとこれは〇〇円だから、外注した方がいい」などというものがある。
確かに、資本主義の原則から考えれば、原則的に自給自足は不合理であり、分業こそ正義、というのは、理論的には正しいだろう。
「自分がすることのうち、何を内部化し、何を外部化するか、ということは、生き方そのものを規定する哲学だ」ということだ。
それこそ原理から言えば、ありとあらゆることを外注化することができる。
料理を外注化すること、子育てを外注化すること、(仮想的に)家族・友人を外注化すること、(パッケージ化された娯楽を楽しむという点で)趣味を外注化すること。
技術が発展すれば、例えば「息をする」というようなことも外注できるだろう。
原理を考えれば、デカルト式に、「我思う」以外の事柄は、全て外注可能である、と言うことができるかもしれない。
しかし、やっぱり自分はそういうあり方には、本質的な喜びはない、と思う。
食事を作り、家族と食べる、という行為は、「息をする」のと同じカテゴリーに入る、自分に属する行為だ、と、今の自分は感じているらしい。
まあ、どこにラインを引いていくかは、人それぞれだ。それが生きる姿勢の反映ということだと思います。
…
ホントにムカつく。
それさえなければ、20歳以上も歳が離れたあの男に執着しなくて済むのに。
そのせいで自分の心を苦しめているのに、絶ち切る事が出来ない。
かと言って、周りにろくな男も居ない。
男は女を金で買えるが、女が男を金で買うのは事情が違う。
男は「抱く」から主体的で、多分相手は余程好みにうるさくない限り、誰でもいいぐらいのレベルだと思うけど。
女はそうはいかねぇんだよ。「抱かれる」って視点だから、ヤな奴には触られたくもないし。
あぁ、めんどくせぇ。誰かマシな奴居ないのかよ…
俺が子供の頃、とあるRPGゲームをやってたんだけどさ、ゲーム中にスーファミを大きくやらしちゃったせいでセーブデータが消えちゃったんだよな。
んでまあそのときに戦ってた相手がラスボスっぽい奴でさ、畜生ラスボス直前で消えちまった!と想いながら必死の思いでそこまでいって、ラスボスを倒したのさ。
そしたらさ、まだストーリーが続くんだよ。
ソイツをラスボスだと思いこむように仕組まれていた巨大なシステムの中に自分たちは閉じ込められていたってオチだったわけよ。
ゲーム全体でいえばそこは折り返し地点か、下手すりゃ1/3ぐらいの所だった。
クリア直前でゲームを辞めたと言ってる人達って、何の根拠で自分がもうクリア寸前だと感じたんだろうなあ。
多分だけどさ、「俺はもうクリアする直前まで行ったんだ」と思い込みたかっただけなんじゃないかな?
俺が上であげたゲームもそうなんだけど、折り返し地点ぐらいの所に物凄く強いボスがいたりするもんだろ?
ソイツを倒せなくて、でも頑張って倒すのはしんどいから「俺はもうあとはこのボスを倒すだけの所まではいったんだけどさ―」ってことにしてるんじゃないかな?
気持ちはわかるよ。
俺も芦名源一郎のあまりの強さにウンウン唸って、必死にレベル上げしたり行ける所一通りいってアイテム集めたり、攻略動画で勉強したり、色々やってようやく倒したもんだ。
SEKIROはアクションゲームだから頑張れたけど、これがRPGで単にレベルを上げる以外の解決方法がないとなったら、馬鹿馬鹿しくなって投げていたかも。
だって「ただラスボスを倒して在り来りなハッピーエンドを見届ける」ためだけに何時間もかけてレベルをあげるのはタイパが悪いもんな。
もしもそこでまだまだ続きがあると思ったら、頑張ってレベルを上げなきゃいけない気がしてしまうから、「もうあとはエンディングしか残ってない」ということにしたんだろうな。
そもそも悔しいもんな、「ラスボスでもない相手にボロカスに負けてしまって心が折れた」なんてさ。
俺も芦名源一郎にあんなに苦戦していた頃があるってことが凄く恥ずかしいけど、今はもうそれとも向き合えるようになった。
あの頃の俺にとっては芦名源一郎は超強的だったよ。
正直それ以外は外国といっても過言ではない
大阪はじめ田舎っぺが東京は〜と言うが、韓国が日本に対してわめき散らかしてるようなもので遠いところのどなたかがなにか言ってるレベルで興味わかない
消費期限を過ぎた大袈裟構文を擦ることでしか自己表現できない独創性皆無のキョロ充三軍オタクしか使わない表現一覧
・そのうち癌にも効くようになる
・落ち着いて聞いてください
・拙者〇〇大好き侍
・叫ぶアシタカ
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動画サイトのコメント(複垢作り放題、過去発言も検索ほぼ不可能)
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匿名掲示板(場所にもよるけど、そいつの過去発言は1日が1週間くらいしか分からない。複垢は作りにくいため、一人が複数人に成りすますのは困難)
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SNS(複垢作ってセルフまとめでも作れば工作できるが、なりすますには過去の言動も作りこまないといけない。ただし昔すぎる発言を掘り起こすのは困難)
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ブログ(複垢作ってなりすましても、人気がなければ注目度ゼロで意味なし。もちろん過去発言は全て簡単に検索できるため、成り済ますには一人の人間の人生をそのまま作りこむレベルが要求される)
上に行くほど、何でもかんでも男オタのせいにされやすい場所っていうことからも分かる通り、実際はチー牛ブス腐女子が暴れてるくせに、男オタに責任転嫁できやすい場所ってことだ
その情報を裏付ける論文をPubMedで検索して、自分で実際に読んでみて、引用数と掲載誌のIFも確認して、専門家が言及してるかどうかも確認して、ある程度の裏付けが取れたらエビデンスレベルを付記した上で情報発信するかもしれない。