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はてなキーワード: レジとは

2024-05-23

コンビニ応答の最適解を考えようや

今まで「袋お願いします」と「大丈夫です」で通してたんだけどさ

よくよく考えると大丈夫ですはどっちなのかよく分からん表現だよな

普通に考えたら「(無しで)大丈夫です」だけど、当然箸が必要だって考えてる人だとしたら「(入れてるくれて)大丈夫です」にもなりうる

からコンビニ応答をスムーズにする為の完璧な応答をみんなで考えようや

まず初手にかごを置いた瞬間、「レジ袋お願いします」

そして、レジを通し始めたら「弁当の温めと箸は無しでお願いします」

これで問題あるか?

あとは、レジ袋いらないパターンとか色々あるからそれはお前らが考えてくれ

うちの近所のマックスバリュというスーパーはいつもレジが混んでいていやだ

なんかバーコードとか会員証みたいなレジでゴソゴソする人多いんよね。

anond:20240523143709

学校制服も、卒業式の日にスーパーレジ袋に入れて捨てられた。

何でも捨てる母親

うちの母親はとにかく断捨離体質だった。

家が狭いからとっておけない、が口癖だった。

しかし、子供小学校の図工で作ってきたものを当日にゴミ箱に入れるのはどうなんだろうか。

本人によると「ほこりかぶっていつまでもそのままなのは、みすぼらしいから」らしい。

学校制服も、卒業式の日にスーパーレジ袋に入れて捨てられた。

メルカリとかはまだこの世に存在しなかった。

図工の作品制服も、それほど思い入れがあるわけではなかったが、当日にゴミ箱直行はさすがに切なかった

オチはない。

ちょっと吐き出したかっただけ。

2024-05-22

レジ袋買ったらレジ袋に説教された

できることから、はじめよう。

地球温暖化防止のために、

お買い物袋をご持参ください。

あ? ワシャ客やぞ

なんで金払って説教されなあかんねん

無料ならわかるよ、書いてあること自体はごもっともやし

でもワシャ売り物を買ったんやぞ

お金を頂くってそういうことやぞ

レジの支払いボタンの音声コマンド周知してくれよ

交通系ic - コマンド:suica

icocaでもpasmoでもsuica

クレカ系 - コマンド:クレジットカード

google walletapple payもクレカタッチもこれ(一部例外で明確にタッチと言わなければならない)

id - コマンド: id

quickpay - コマンド:quickpay

こういうの決済端末売ってるパナソニックとかが周知すべきだろ

東京行ったとき安宿にしたらあんまりガラがよくない地域だったらしくて

スーパーで客のオッサン(じいさん?)がレジ外国人らしき姉ちゃん発音に延々絡んでて

初めてそんなことしてる人見たから面食らったのと同時にすごく嫌な気分になったことあるなあ

今考えるとその爺さんも地方出身とかで若いころそういう絡み方されたとかだったのかもな

2024-05-21

    メゾンときわ台は、  めぞんときわとは違う。  前野町1丁目の、めぞんときわは、ままが住んでいるはずで、  ごきじょうかきわ、は、戦後裁判官

    メゾンときわ台は、アパートで、作って使うもので、  お前がいるところは、さいたま戸田市川岸1-4-20の ベランダ側14階  

     ファインレジデンス戸田公園の2階。

       裁判官の品田幸男は、技術がないから、決定理由で、複数回、  ものであった、などの表現を使うが、 ものではなく、そのもの構成する技術の方が大事である

2024-05-20

   安倍総理が倒れたときときわ台メリーガーデンの住人がどのように思ったかの推測を、階層ごとに述べます

  リヴァージュシティ                                                   ファインレジデンス戸田公園

 15階    ちっ                 石村智 裁判官AI

 14階                                                         消防長AI、永谷の親戚

 13階                    東大生(余計なことを)

 12階                            中嶋康弘(社会保険審査官)

  6階    ちっ (篠原直樹)

  5階                               おぺち            東大生クズ

  4階                  今夜カレー         稚児

  3階                  監察課の原田

  2階    健康管理小島(ざちゃん・・・    東大生40歳)                 任介  妻

  板橋区にも、そのかたちをしているときは、Brillia、ときわ台メリーガーデン、 リヴァージュシティファインレジデンス戸田公園の中に、決めつけるAIがないわけではないが、東京埼玉でやっても、

  資源がないから、別のプログラムに組み替えており、ほとんど使用していない。警察使用していても意味がないか東京ではめったに出て来ない。しかし、延岡市ではやる気満々だから

  朝の7時30分から何らかの強制力AIが働いている。

    ここで、しばしば、燃やされるか刺されるか、であるというが、 決めつけているのは警察官だから、 燃やすも刺すも通用しないだろう。 AI機能させる計算機が設置されている事務所の中に

  トカレフを撃ち込むか、決めつけている警察官をトカレフ銃殺するかしかないような時代になったのである。また、最近は、誰も言わないだけで、バクサイの奴がやっている

   

アラフォーだけどスーパーレジの子に恋をしました

なぜスーパー若い子はあんなにも可愛いんだろう。

おじさんもまだ夢見ていいよね?

今日マグロのたたきを買ったらわざわざ袋に詰めてくれた。

普通そんなことしないよね。

俺に気が有るってことだよね。

どうやってアプローチしようか?

2024-05-19

レジ店員椅子に座ってるスーパー寿司ワイン買いたいと思う?

木曽路店員和装じゃなくてTシャツジーパンだったら台無しでしょ

自分がクソ雑魚という自覚必要

コンビニバイトしてた時だけど、クソ雑魚(中卒)の店長が、

レジ監視カメラ映像をことさらに見せてきて、

「ん~1万円の計算が合わないなあ~(チラッチラッ」

「あ、ごめんごめん合ってたw」

みたいなのを毎月楽しそうに繰り返してるのをふと思い出した。

おそらく以下の2点の原因だろう。

・「監視してますよw」をアピールしてニッチャリ気持ちよくなりたい

・「店長ですよw」をアピって口から糸をニッチャリ引いて口臭をばらまいてオナニーしたい

ということなのだと思う。よくあるパワハラの低次元版。

ようは価値観がクソ雑魚から大卒高学歴がどう考えるとかは想像もつかないため、

他人自分のクソ雑魚価値観で行動するはず(だから効くはず)」という前提に立ってしまうんだな。

これは反面教師として良い教訓になった。

それからは「あの店長にならないように」と気を付けてるから

あのコンビニバイト経験ROI(?)は高かった。

くっそ胸糞悪い夢をみた。

日曜の夜に、べらぼうに飲み歩いていた。

普段独りで外で飲むという習慣がないから、夢の中と気づくのも早かった。3件ほどはしご酒を楽しんだ後、カラオケで3時間ほど熱唱して帰路についた。

繁華街から一駅のところに住んでいる自分は、そのまま自分の住むマンション至近のコンビニに入った。と、緑色の買い物かごを手にしたそのとき左手に持つ缶からに気付く。おそらく帰路の途中にある別のコンビニで買ったのだろう、飲みさしのコカ・コーラ500mlが握られていた。

おれは何を思ったか、そのまま缶をかごに入れ、買い物を始めた。

何を入れたか鮮明ではないが、十点ほどの商品をかごに放り込んだと思う。そのままレジの列に並ぶ。深夜というほどではない夜分、駅からほど近いとはいえ閑静な住宅街の端のコンビニだというのに、レジの近くには10人ほどがたむろしていた。なにかのトラブルだろうか。

左には近所に住む幼なじみ小学校教師の女が、中島のエンド部にいたたまれなさそうに待っていた。その右には、日焼けした小学校高学年くらいの少年。買い物を待っているのだろうか、後ろには家族の姿が見える。

おそらく、この少年は別の夢に出てきたことがある。おれのことを知っているかのように右手を掴み、幼なじみの女に話し掛ける。

二言三言、おれの体越しに会話をすると、少年は目を輝かせておれの顔を見る。

酔っていたおれは、その内容を憶えていないが、明日にでも女に聞けば分かることだろう。

その直後、少年が後ろから一回り大きい少年背中を叩かれていた。おれはそれを防ごうと少年背中に手を回す。さらにその背後にいた親は会話に夢中で気付いていないよう。おれは少年の体をそっと女の側へ寄せた。その目には薄っすらと涙が滲んでいた。

そうこうしていると、馴染みの店員が気を利かせておれに声をかけた。酔っていたおれは、説明されても何が何だかからないので、とりあえずかごを店員に渡した。

そうして舞台が暗転し少し時間が先に送られた。

コンビニ中島にある什器が一列無くなつていた。そして馴染みの店員

もしかしてコーラのせい…?」

と聞くと

「それだけじゃないんですけどね」

申し訳無さそうに乾いた笑いとともに返答した。

コーラがこぼれたくらいでこんな惨状になるわけあるかと思いつつ、黒い液体が店内に点々としているのを見て店員に頭を下げた。

それから、翌日の会社で朝礼が終わった直後にシーンが移り変わる。俺は名札がいくつか入った小学校の道具箱の片側を手にしていた。エレベータに乗る同僚を尻目に、階段を使ってそのまま自分デスクに向かう。

そうして向かう途中。会議室のあるフロアにいる俺は、パーテーション限界まで広げていたことに気付かず、その会場に入ってしまう。人はまだまばらだったが、同僚にたしなめられ会場を出つつ、何が行われているか尋ねると、とある国際機関名前学会が行われているとのこと。

そのやり取りが漏れ聞こえたのか、会場はざわつき出す。

「何で知らないの?第四会場よ、ここ」

「何年やってると思ってるのよ」

バカってどこまでいってもバカね」

そういった声がほうぼうから聞こえてくる。

すべて女の声だ。

おれは思った。クソ女どもめ、と。臨床の場を避けた自分たちは机上の空論をこね回して満足か?

ノーベル賞だってお前ら平和文学くらいしか満足に取れてねーじゃねえか。キュリー夫人を見習えよ。

と、思ったが口には出さなかった。

IQ分布を思い出したからだ。男はバラツキが大きいために、超天才も生まれるが超馬鹿も生まれるんだった、と。

そこで夢は終わり。

興奮冷めやらぬままキーボードに怒りを叩きつけた日曜の朝。

おはようございます、皆さん。ごきげんよう

2024-05-18

anond:20240518091453

他に何のカードがあるんだろう。

クレカ以外の何らかの決済手段カードがあるんだろうか

あと二十、いや十五年もしてごらんなさい、嫌味ったらしくレジでキレ散らかすクソジジイババアが出来上がりますよ😉

2024-05-16

anond:20240516164537

いやいや無茶苦茶実現されてて、今後も進行の余地大ありだよ。

もうちょっと社会変革に関心を持ってよ。

   数学ではまず基本的な初等的な問題分野に関する考察から初めて、 そこで発見されている色々なものを整備しておくことから始まる。そこで研究を深めて完全なものを整備しておくとその

   完全無欠と一般観念されているものは後々色々な問題に出て来ることになるからなおざりにしてはならない。 これが中学校までにやることである。 しかし、高等学校数学となると

   毛色が違ってくる。 高等学校数学とは何か?というとよく分からないのである。 二次関数という分野が特に文科省が分類をしているが、二次関数はただの関数であってそこに何か

   定理があるかというとそういうものはない。定理のないところに技術もない。従って、二次関数という分野を特に重点的にやったところで論理学思考の何も成長しない。ならば二次関数とは何か

   ということである微分積分サインコサイン何になるというのが昭和50年代流行った。サインコサインまり三角比の分野には、定理が大量にある。さらには複素数しかし、定理あるかないか

    でいうなら、三角比の分野であるしかし、その証明にあたって、いわゆる驚愕的な証明はない。平成時代2ちゃんねるにいる数学マニアが、そういうものは知っていても沈黙というスッドレが

   流行った

   これでは話にならない。 数学の偉大な定理は発表されたとき驚愕されるが数学技術は、 定理による技術と、数式の計算それ自体技術がある。組み合わせ論的な議論で、

   円はしょっちゅう出て来るから、組み合わせをやるなら、円が出て来ることは覚悟しなければいけませんよと、ブレジスとかオレインなどが言っていた。そういう技術的着想の意味で私のころは

   フェッファマンスターだった。数学帰納法でも、  帰納法背理法は完全無欠で有名な論法から、出て来るときがある。そういうのを出せると、界隈では、スターと呼ばれる。

     私の感想で、代ゼミ荻野のぶや先生Youtube講義の中に、 えー、-af(a)+bf(b) という部分が出て来るし、東大入試問題にも、 最近数学帰納法で示せ、

     という問題がある。しかしその問題はいわゆる超絶難問ではない。だから眠くて仕方がない。

   

iPhoneレジ機能

なんか日本でも解放されたとか言ってニュースになってるけど

これで電子決済がさらに普及するのかと言うとしないと思う

だって結局手数料問題解決していないか

決済端末なんてほぼ無料で配りまくられてるんだから、むしろiPhone用意しなきゃいけないだけ高いんだよなぁ

2024-05-15

岸田って敵を蹴落とすことに対しては物凄く有能だよね…。

進次郎にはレジ有料化戦犯役をおしつけたし、

河野コロナワクチンマイナ関連の肉盾として使われて順調に評判落としてるし、

高市は閑職で泳がすことで安倍の口寄せ芸をさせてイメージ落とさせるし、

麻生安倍派の残党には派閥解消への抵抗勢力の印象付けをするし、

自分障害となりそうな相手に悪評を押し付ける手腕に関しては、

麻生安倍菅とは比べ物にならないくら狡猾かつ有能。

ただ最大の問題として、多分あの人、有権者も蹴落とすべき敵として見てるんだよな…。

    ①  裁判官検察官などの学識や技能のある者は一般的にはもっと風情のある団地に住んでいると解され、前野1丁目公営住宅とか、ときわ台メリーガーデンのような腹黒そうな

       ゴミが住んでいる建造物には文化的見地から学識、技能経験者は住んでいない。例えば、坂下1丁目アパートとか、新河岸の方のより風情のある文化的街区の住んでいると

       思われる。

    ②  ときわ台メリーガーデンに住んでいるのは、 2階の腐れ東大生、上階の自演のクソジジイ、ガキの集まり、Brilliaときわ台ソライエレジデンスの管理人基地外、クソガキ

       リヴァージュシティも同じようなものほとんど変わらない。前野公営住宅には、自演者が大量に住んでいる。

    ③  メゾンときわ台は、 3階にババアが住んでいて、4階に老衰した40代がいる。 202号室は、イスラム人とアメリカ人。201号室は魔女おっさん。3階に筋肉男が室内を

       うろついているのを確認付近の、  サンライズという名前の家から不審な女が出入りしている。

2024-05-14

anond:20240514215454

うそつけ

オマエみたいなのが水分補給してるガードマンたまたま座ってたレジ係にブチギレしてクレームいれてんだよ

なんで嫌だ嫌だとおもいつつそんなとこに通うんですかねぇ

東海オンエアりょうくんのケーキ屋さんでテイクアウトしたい人へ

はじめに

京都府住みの東海オンエアのオタクです。

2024年5月11日(土)と5月12日(日)に、東海オンエアのりょうくんが新しくオープンしたケーキ屋さん「La Maison du R(ラ メゾン デュ アール)」へ行ったので記録します。

この記事は、りょうくんやお店、その他全てを批判する目的はありません。

(どこにこの文章を出すか悩んで結局匿名ダイアリーにアップしてしまうので批判感満載だけどそんなことはない!)

全文読むのが面倒な人向けまとめ


行動記録

11日(土)

15時40分頃到着。テイクアウト待機列が2組ほど、イートイン待機列が5、6組ほど。20分ほど待ったところでスタッフの方が出てきて、

ことが案内される。最初から掲示されていれば並ばなかったのになぁと言いながら退店。

スタッフの方が出てくる直前に売り切れたのでは、という意見もあるかと思うが、それにしても残りの商品数はかなり少ない状態だったのだろうから、状況の事前共有は出来たと思う。

※ちなみに在庫状況を知って列を抜けたのは当方のみだった。オタクにとって、イートインで店内に入れること自体価値がある時期だからなぁ。

 私は明日再チャレンジすることができるスケジュールだったので明日に期待して退店。

12日(日)

10時30分頃到着。前日の来店時にイートイン、テイクアウトで列が異なることを知っていたが、道路を挟んで向かい歩道の列は1列しかなかったので最後尾に並ぶ。

途中でテイクアウト希望の人は列が違うことを警備員の方に案内される。この時点で歩道側列の2組目になる。店前に並ぶテイクアウト希望者と合わせても、10組+α程度だったと記憶している。

が、結果としてケーキを購入し店を後にしたのが13時20分。テイクアウトでも約3時間滞在したことになる。

今後お店を利用される方に強くお伝えしたいのは、【イートインは時間がかかるだろうから、せめてテイクアウトだけでもして帰ろう】はやめておいたほうがいい、ということ。

一般的ケーキ屋であれば、テイクアウトするために10組程度を待つ必要があったとしても、1時間もかからないのではと思う。それがオープン前に待機した30分を除いても、2時間30分かかっている。

イートインは前のお客さんが食べ終わるまで案内されないと分かっているので長期戦になる覚悟で並ぶと思うが、

テイクアウトはさっと買えるイメージで並ぶ方も多いのでは無いだろうか。そのイメージは捨てて、覚悟を持って並ぶことを勧める。

気になったこ

列に並んでいる間お店を見ていて、なぜこんなに時間がかかるのか、個人的に気になった点を以下に挙げる。

あくまでも「個人的に気になった点」である。以下のような点が気になった時点で私はこの店の客層ではないのだろうと重々理解している。

オープン間際で情報が少ないこと、聖地巡りの1スポットとして訪れたい方が多くいるだろうこと(=次の予定に追われた状態訪問する方も少なくないだろうこと)をふまえ、参考材料になればとの思いで記録しておく。

これ読んでる人に東海オンエアのオタクいるのかな。まぁ岡崎付近の民もぜひ参考にしてください。

①店内のスタッフの少なさ

の3名しかいないように見受けられた


動線・仕組みの悪さ

同じように商品を選んでレジ会計してもらうことになる。(イートイン客は会計を済ませてから2階の席へ上がっていく)

(オープンタイミングでも、変わらずイートイン・テイクアウト合わせて数組ずつの案内だったので、一般的想像されるような「オープンと同時にイートイン客が席数分まとめて案内される」ことはない。

オープン後長い間イートイン席がガラガラ、列は大行列、という状態だった)

  • 同時に案内された全てのお客さんが会計を済ませるまで次の客は案内されないため、ケーキをたくさん買った人、悩んだ人など、

時間をかけた人がいればいるほど後の人の案内がダイレクトに遅れることになる(順々に店内に入ることができれば、悩んでいる人を抜いて会計列に並べるが、そういうことは出来ない)

  • 1回の案内が終わるごとに商品補充タイムがあり、その間店の1階は誰も客がいない状態になる。その状態で数分待たされる

③回転率の悪さ
  • 上記のような仕組みのため回転率が悪い

(テイクアウト客は、イートイン客の合間に挟まれる形で案内されるというイメージがあっていると思う。

オープン直後も順々に席を埋めていく間に先の客が出ていくので次のイートイン客が案内される。イートインが埋まっている隙にテイクアウトフィーバー!はほぼ起きない)

情報の少なさ


仕組みを変えたり、そこまでせずとも混雑時は注文の取り方を工夫したり、今の状況を改善する方法はいくつもあるように思う。

けれど、このお店では【店内での体験リッチで良いものにすること】に完全に比重を置いているのだろうと考えると、

混雑していない店内、1組ずつ丁寧な接客、洗練されたスタッフ、と、現状何も問題がないということなのだろう。

「店外の待機時間」はあくまでも客側の自由ということかな、と。待ってるのは客、そう言われるとそうでしかない。

私はテイクアウトを完全に舐めてかかったので、案内される頃には疲れ果ててしまっていた。

後の予定をずらしたこともあり、店内をゆったり見る暇も無かった(完全に見通し不足の私の責任です。)。

そんな事にならないよう、「La Maison du R(ラ メゾン デュ アール)」訪問と合わせて他の予定を組みたい方はぜひ、この投稿を参考にしていただければと思う。

まぁオタク同士で行けば並んでる間も楽しい無問題ファミリーで、とかは要注意。

(あえて書かせていただくと、子連れの方、妊婦の方へはもう少し落ち着いてからお店に行くことをおすすめする。待機列は立ちっぱなしで座るところもないため。)

終わりに

最後に、味。

美味しすぎた。★5。(ちなみにバスク、ショコショコ、ブロンド食べました。衝撃的だったのはブロンド、また食べたいのはショコショコ。全部本当に美味しかった)

オープンほとぼりが冷めたら(冷めるのだろうか…)また行きます

検索にヒットするのかとかわからないけど… りょうケーキ屋さん lamaisonduR

2024-05-13

実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後

そのじいさんが亡くなった。

昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家帰省するときレンタカーを予約する。この連休もそうした。

安いので、地元自動車修理工場フランチャイズでやっているインディーズレンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のBb(みんなの地元DQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。

そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。

正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。

実家所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロック会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。

母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。

じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。

じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。

寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。

じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。

そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。

その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報を知らされ、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。

そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。

それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。

死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。

最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。

最初友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき友達わたしの隣にいないという人はきっといない。

父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。

父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。

父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。

亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEわたしに送ってきた。車というもの私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。

ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。

(ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった)

そんな感じの人だったので、この世におおよそ未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかたことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。

こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。

まれから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。

生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。

じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。

それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。

ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。

私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省ときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。

私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。

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